Blog. 「月刊ぴあの 2015年12月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/12/6

11月20日発売「月刊ぴあの 2015年12月号」に久石譲のインタビューが掲載されました。

今年の活動の総決算として、8月に発表した新作「ミニマズム2」のこと、1年間の多種多彩なコンサート、TV・CM音楽のこと、日常生活リズム、これを読めば久石譲の凝縮した一年間がわかる、そんな内容になっています。来年に届けられるであろうCD作品のことも。(個人的感想も、いっぱい書かせてもらいました)

 

 

曲を書き続けていないとわからないことがある。
ある時、パッと何かが吹っ切れる瞬間がくるんです。

アルバム『ミニマリズム』から約6年を経て、『ミニマリズム 2』を発表した。久石にとってミニマル・ミュージックは、国立音楽大学在学中に興味をもち、現代音楽の作曲家として活動を始めるきっかけにもなった音楽だ。改めてその魅力、そして今後の活動について語ってくれた。

 

現在のミニマルは無限の可能性があるんです

-『ミニマリズム 2』は約6年ぶりのミニマル・ミュージックのアルバムですね。ミニマルを作り続けることは久石さんにとって重要なことなのでしょうか。

久石:
「学生時代から30代前半まではミニマルをベースにした現代音楽をやっていましたからね。そのあとはずっと映画音楽やCMなどエンタテインメントの世界でいろいろ書いてきましたけど、オーケストラの指揮をするようになって、自分の中で、もう一回クラシックというものを見つめ直し始めたのです。学生時代には前衛音楽に傾倒していて、純粋なクラシック音楽には見向きもしなかったのですが(笑)。でも、指揮をするからには、ベートーヴェンの「運命」や、ドヴォルザークの「新世界より」などといった作品もちゃんと振ってみたほうがいいだろうと思って。実際に振ってみると、作曲家がどうやって作っているのかがよくわかります。クラシックにきちんと取り組むからこそ、まずは、自分のベースになっている、ミニマルに立ち返ってもう一度作ろう、と思ったのです。」

-アルバムを聴いて、改めて、ミニマルのおもしろさを感じました。マリンバ2台の曲「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas」は、元々はギター2台のための曲だったんですよね。

久石:
「ギターで演奏すると、この曲はすごくエモーショナルになるんです。でも、ミニマルはリズムが命ですから、打楽器で演奏しても成立するなと思って書き直したんです。ミニマル・ミュージックの作業というのは元々、スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリー、フィリップ・グラス、ラ・モンテ・ヤングの4人だけ。あとは、全部ポストミニマルや、ポストモダン、ポストクラシカルなどと呼ばれる(次世代の)音楽で、ある意味、まったく違う表現になっていったんです。現在のミニマルは、表現の形が広がっていて、無限の可能性がありますね。」

-現在、ポストミニマルの最先端にはどんなアーティストたちがいるのでしょうか。

久石:
「今、アメリカの30代前半の若い作曲家が、ミニマルの影響を受けた新しいスタイルを作り出しています。クロノス・カルテットがずっと委嘱している元ロック・ミュージシャンのブライス・デスナー、そしてビョークと共演したり、メトロポリタンのオペラを書いたりしているニコ・ミューリーとかね。彼らはいわゆるポストクラシカルの作曲家で、僕の姿勢と同じなんです。ミニマルをベースに、新しく、表現することに対して、ジャンルというものにこだわっていない。彼らの世代は日常的に聴いてきた音楽でもあるから、あえて”ミニマル”なんて言う必要もないんです。」

-久石さんご自身もミニマルをやり続けながら、若いアーティストの紹介もすることで、新たなリスナーが増えそうですね。

久石:
「彼らのことは日本ではまだあまり知られていない現状があるので、僕が伝えていく役目かなとも思っていて。今年の9月に「ミュージック・フューチャー」という、ミニマル、ポストクラシカルの先端を紹介するコンサートシリーズの2回目を行ったんです。さきほどの作曲家のほかにジョン・アダムズや僕の書き下ろしの曲、6弦のエレクトリック・ヴァイオリンのための「室内交響曲」も初演しました。このシリーズは続けていきたいですね。」

 

毎年、正月に宮崎駿監督に曲を届けています

-今回のアルバムの中の「WAVE」という曲は三鷹の森ジブリ美術館でも流れていますし、「祈りの歌 for Piano」はだれもが聴きやすい、美しい曲です。ミニマル・ミュージックだという意識は特別必要なく、だれもが楽しめる曲が多い印象を受けました。

久石:
「宮崎駿監督とはもう長い付き合いですからね。年に一回、宮崎さんのために正月に曲を書いて持って行くんです。持って行かない年は1年を通して調子が悪くて(笑)。ゲン担ぎみたいなものですね。「祈りの歌 for Piano」は今年の正月に持って行った曲です。正月の3日に作って、4日にレコーディングしてその日に持って行って。なんだか出前みたいですけど(笑)。この年頭の習慣が、意外と大事なんですよ。お正月だから、暗い曲を持って行くことはしないし(笑)、新年最初に心休まる曲を一曲作る、というのは、すごくいいなと思っていて。ジブリ美術館では、僕の曲を今でも使ってくれているみたいですね。」

-今後は、8月に行ったワールド・ドリーム・オーケストラのコンサートのライヴ盤がリリースされる予定だそうですね。

久石:
「はい。「The End of the World」という曲は5、6年前に作った曲で、全楽章合わせて20分くらいの長さだったものを、今回新たに全部書き直し、楽章を増やして、30分近い曲に完全にリニューアルしたのです。これは音源として残さなくてはと思って録音しました。あと「風の谷のナウシカ」も徹底的に交響作品として作り直しました。今回のナウシカは、譜面として、どこのオーケストラも演奏できるように、スタンダードなスコアとして出版する予定なんです。当然、海外でも出す予定ですよ。」

-純粋にご自分の作品を作る割合と、映画音楽などのエンタテインメント作品を制作する割合はどれくらいなんですか?

久石:
「年によって比重が変わります。今年はどちらかというと、自分の作品が多いですね。でも、CMやゲーム音楽も作っていますね。あとは五嶋龍君が司会になった『題名のない音楽会』の新テーマ曲も書かせてもらいました。この「Untitled Music」という曲は自分でもすごく気に入っています。テーマ曲というだけでなく、作品としても聴いていただけると思うのですが、リズムが相当難しくて、絶対に自分では振りたくないなぁ(笑)と思ったくらい(実際は初回放送時に五嶋と共演)。でも、あの曲を書いたことで一つ吹っ切れたところがありました。」

-何が吹っ切れたのでしょうか?

久石:
「それは書き続けていないとわからないことだと思います。何かを求めて求めて、でもなかなか上手くいかなくて、ちょっと上手くいったと思ったら、またダメだったり、それを繰り返す中で、パッと吹っ切れる瞬間がくるんです。自分でも、僕の生活はどうなっているんだ(笑)と思うようなスケジュールですけど、大量に仕事をこなしている中で、あの曲を書いた時に、何か、吹っ切れた。ハードな毎日があるからこそ、できた曲ですね。立ち止まってしまうとわからないんですよ、そういうのって。」

-年内の今後のご予定は?

久石:
「今年も12月にベートーヴェンの「第九」を演奏します。「第九」に捧げる序曲として書いた「Orbis」も楽章を足すつもりなんです。すごくいい曲だというお声をいただいているんですけど、10分くらいの長さなので、もう終っちゃうの?とオケの人も物足りなく感じるみたいで(笑)。「第九」の前に演奏するのにちょうどいいくらいの尺に仕上げようと思っています。」

-ジャンルの幅が広く、本当に膨大な仕事量ですが、普段はどのようなペースで取り組まれているのでしょうか?

久石:
「作曲のスタイルは、統一していますからね。あれ風、これ風、というのはまったく考えていなくて、自分のやりたいことを自分のやり方のまま、その範疇にエンタテインメントの要素もミニマル的なものもあると思うので。基本は、昼の2時から夜10時頃まで作業して、ご飯を食べたあとに明け方の6時頃までクラシックの勉強。ひたすらスコアを読んでいます。そんな感じがずっと続いていますね。しんどいですけど、ある程度、自分を追い込まないと新しいものは出てこないから。今までの語法にのっとって仕事をこなす、みたいになってしまうと、2、3年はそれでもつかもしれないけど、そのあと何も生まれてこなくなりますよ。気晴らし?夜中に観るアメリカのテレビドラマ(笑)。あとはジムで体を動かしたり、泳ぐことかな。」

(「月刊ぴあの 2015年12月号」より)

 

 

いろいろと今年の活動内容のことが触れられています。

これなんのことだろう?と気になる事柄もあるかもしれません。ただ、ここでなぞって振り返って説明すると足りないので、バイオグラフィーにて年表からその項目を紐解いてみてください。

 

補足をふたつ。

宮崎駿監督に持って行っているという年1回の楽曲。これは宮崎駿監督の誕生日が1月5日で、それに合わせてのプレゼント・献呈というのが事の始まりです。それが結果、年1回、一年の始まりに、ジブリ美術館BGMに、という流れになって現在に至るまで習慣化されているというわけです。その日にレコーディングにしてその日に届ける。なんとも贅沢でうらやましい限りです。

ジブリ美術館関連のBGM情報に関しては下記まとめています。

Disc. 久石譲 三鷹の森ジブリ美術館 展示室音楽 *Unreleased

 

補足ふたつめ。

「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas」について。

たしか久石譲はいつかのインタビューにて、「ミニマル・ミュージックはプロの演奏家でも難しい」「ミニマル・ミュージックがわかっているいないでの演奏は全く異なる」そんなことを言っていたと記憶しています。だからこそ、リズムが肝となるミニマル・ミュージックにおいて、あえてギターのための作品を打楽器マリンバのために書き直したのだと思います。

ギター版はたしかにエモーショナルです。でもリズムを刻む以外にも音の強弱(弦を弾くタッチ)や、奏法ゆえの一つ一つの音の長さや残響にムラが生じます。弦の上で指をスライドさせて演奏することが基本のため音の均一化は難しく(音程や何弦を使い分けるかにもよる)、弦のスライド音も発生します。もちろんそれがギターの生き生きとした楽器としての実演の強みでもあります。

ただし、規則正しい音型・音価・リズムを刻んでこそ、そこから意図的に微細にズレていく音楽がミニマル・ミュージック。その核心があったうえで、それを具現化しやすい、マリンバという楽器を選んだということなのでしょうか。別の機会でのインタビューでも、自分の作品において、「ミニマル色に欠かせないのはハープ、マリンバ、グロッケンなど…」そんなことを言っていたとも思います。

あとは…詳しくないので中途半端に触れたくない触れていはいけないのですが、倍音構造がちがうはずです。残響音やユニゾンから発生する倍音がちがう。ギター版とマリンバ版、同じ楽曲とは思えない印象を受けるのは、楽器の音色そのものだけでなく、その倍音の響きも影響しているのでは、と。久石譲は初期(それこそMKWAJU作品など)から、マリンバは自分の作品を作るうえでの武器として熟知していますので、おそらく、、そういうことではないのかなぁと、、。マリンバの倍音構造は、同じ音を弾く際にも、叩く場所によってその音の倍音の鳴りやすい音が違うそうです。

例えば、基本ドの音の倍音は、2オクターヴ上のドとその上のミの音とのこと。なので基本ドをずっと叩きつづけるとその倍音も自然と響いてくることになります。さらに基本ドの叩く場所が違うと、2つの倍音のうち2オウターヴ上のドの音が鳴りやすくなる、もしくはその上のミの音が鳴りやすくなる、ということになります。しかも、この楽曲では「2台のマリンバのための」となっていますので、よりユニゾンによる倍音効果は発揮されるはずで、、うーん、奥が深いですね。

以前にも一度だけ「倍音」については触れたことがあると思うのですが(クラシックプレミアム・レビューにて)、久石譲音楽のひとつの核心に迫れるキーワードなのかもしれない、と最近よく思っています。なぜ、一聴して久石譲音楽と気づくのか、説明がつかない感情的に残るひっかかり、旋律や楽器の音色だけではない、直接耳もしくは脳に訴えかけてくる響き。いつか研究してみたい項目です、蛇足でした。ひとつの聴き方・とらえ方として、聞き流してください。

 

最後に。

食い入るようにインタビュー内容を何度も読み込み、久石譲の言葉じり(ちょっとしたキーワードや言い回し方)を、透けるくらい凝視し心理を推測するような感じで、…結果、やはり今後は”作品”を手がけていくつもりなのだろう!という結論です。

宮崎駿監督の長編映画引退に伴う、4-5年に1度続けてきたジブリ音楽制作が一旦休止。宮崎作品を手がけることとそこで完成された音楽は、自身音楽活動のエポック的な位置づけとしてきていました。宮崎駿×久石譲のコラボを繰り返すことで、同じように久石譲音楽もどんどん次の次元にという過程においても。そのマイルストーン的通過点がない今、自分の作品に向き合うのは自然な流れです。

そして、今年の活動のなかでも、いろいろな「発注されて作った作品」があります。それはいわば断片でしかない楽曲群です。単発ものですから、”今の久石譲”の一部は透けてみえたとしても、そこには大きな作品としてのテーマとまでは完成できない。

だからこそ、「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」「Untitled Music」「コントラバス協奏曲」などを通過して、おそらく全体として統一された作品を作っていくのではないかと。これらを1枚のアルバムにまとめるということではなく、あるいは延長線上にある別の新作なのかもしれません。

 

さらに突っ込む!

もうひとつは、そのような作品の創作活動において、いい意味で”もうミニマルにはこだわらないんじゃないか”とも推測しています。上記インタビューで語っている、とある箇所が印象的でした。

 

「クラシックにきちんと取り組むからこそ、まずは、自分のベースになっている、ミニマルに立ち返ってもう一度作ろう、と思ったのです。」

「現在のミニマルは、表現の形が広がっていて、無限の可能性がありますね。」

「ミニマルをベースに、新しく、表現することに対して、ジャンルというものにこだわっていない。彼らの世代は日常的に聴いてきた音楽でもあるから、あえて”ミニマル”なんて言う必要もないんです。」

 

……

無限の可能性がある、かつ、一方で一般的にも浸透しきった、それがミニマル・ミュージックだとしたときに、もう”ミニマル・ミュージック”を謳い文句として前面に押し出すことも、ミニマル・ミュージックのなかの一部の表現方法に固執することも、今はナンセンスだ、そういう括りはもう必要ない段階にきている、そんなことをご本人は思っているのではないかと…。

久石譲が自作を創作するうえで、どんな作品になろうともそこには必ず多かれ少なかれのミニマル・エッセンスが盛り込まれます。だからこそミニマル・ミュージック=リズムを基調に、楽曲全体を統一して構成するというところから、一歩先の”普遍的な作品”への追求段階に入ったのではないかと。それが少し垣間見れたのが、上の3つの作品群です。第1主題、第2主題、提示部、展開部、コーダ、楽章…よりクラシックの語法にのっとった形式にて楽曲構成していく。リズムの動きを止めるパートを配置した緩急ある作品構成。

つまりは、ミニマル・ミュージックという狭義のジャンルや語法を突き詰める段階から、より広義なクラシックの語法を用いた普遍的な作品を目指す段階に入った。個人的に辿り着いた答えはそこでした。あくまでも一個人の勝手な見解と受け止め方です。いちファンとして、日常会話的表現方法で言うならば、「ミニマリズムは2で終っちゃうんじゃない?!次は別の新シリーズが!?」そんな言い回しがわりとわかりやすく伝わりやすいのかもですが、意図しているところとしては、そういうことです。

あえて言うまでもなく、これは、シンセサイザー、アンサンブル、オーケストラという楽器編成の変化を経ながら、その時代ごと楽器編成ごとのミニマル・ミュージックを突きつめ極めてきた。今日ではシンフォニックで構成するミニマル・ミュージックまで昇華した久石譲だからこその、次への道という自然な流れだとも思っています。

”自然な流れ”と表現してしまうと、成り行きのような軽い印象を受けてしまいそうですが、それは久石譲のあくなき創作性と新しい次元への挑戦の流れである、と補足しておきます。

 

本インタビューを読んで読んで読んで、ひっかかりをもった部分を自分の中で幾重にも迷走したうえでの一解釈ですので、当たっていなくても、、すいません。

やはり「Untitle Music」はお気に入りの渾身作か!とか、やはり「The End of the World for Vocalists and Orchestra」は録音を残しておきたいほどの完成度か!とか、そうでしょうそうでしょう!と頷きながら読みふけ。

 

2015年の久石譲音楽に感謝するとともに、2016年の久石譲音楽も期待が膨らむばかりです。少し長い時間軸で少し離れて俯瞰的に見るよう努めて…2016年ではないかもしれませんが、着実に久石譲の次のステージの音楽が待ち構えている!その片鱗が見え隠れしだした2015年だった!そう確信している(したい)ところです。

今年最後の目玉「新orbis ~混声合唱 オルガンとオーケストラのための~」新たに第2楽章が書き下ろされ改訂されたその演奏を聴いた日には、さらに確信に近づくかもしれません。(12月3公演にて初演予定)

シンプルにひとつわかっている一大企画!

2014年からスタートしたジブリ作品の交響作品化シリーズがあります。「交響詩 風の谷のナウシカ」改訂完全版で華々しく幕を開けた同企画。音楽担当したジブリ全11作を交響曲や交響詩として作品化することを始動させています。次は順当に「ラピュタ」がくるとも限りません。どの作品であってもどういう交響作品になろうとも、楽しみでしかありません。

今年の久石譲音楽活動の総括は、このインタビュー記事に関連して、派生してしまいしたので、これにて。

久石さんの誕生日にお祝いと感謝の気持ちを込めて 記

 

そういえば昨年2014年は『WORKS IV』に関連して一年を総括していました。一年ぶりに読み返してみて、当たっているところもあるような、ないような。そのときの思考や想いをまとめておくことに意義があると思っているのでご愛嬌ということでお許し下さい。

Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができてから -方向性-

 

月刊ピアノ 2015 12月号 1

 

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