Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」(キネ旬ムック) 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/1/31

2010年4月2日発売 ムック(書籍)
キネ旬ムック キネマ旬報特別編集 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇」

映画情報誌としても有名なキネマ旬報の特別編集版ムックです。「オールタイム・ベスト 映画遺産200 《外国映画篇》」「オールタイム・ベスト 映画遺産200  《日本映画篇》」というそれぞれの書籍と同様に別枠で1冊にまとめられたのが「オールタイム・ベスト 映画遺産200 映画音楽篇」です。

 

300ページにおよぶ映画音楽年鑑のようになっています。

  • 映画音楽が心にし残る映画 1位~20位紹介
  • ジャンル別映画音楽ベスト10
  • 心に残る映画歌曲・テーマ曲ベスト
  • 好きな映画音楽作曲家ベスト
  • 映画音楽の歴史

 

目次からの一部抜粋だけでもこういった感じです。もちろん洋画・邦画を総合的に扱っていますので、やや洋画が多い。錚々たる映画音楽作曲家が1ページごとに紹介されている項もあります。国内外問わず、そして年代を問わず、オールタイムな映画音楽の事典。

その中で、映画音楽作曲家インタビューで2人だけ取り上げられています。一人は冨田勲、そしてもう一人が久石譲です。8ページに及ぶロングインタビューです。

映画音楽のみならずTV・CM、そして現代音楽など、多岐にわたる作曲家としての顔をもつ久石譲ですが、ここでは《映画》そして《映画音楽》にフォーカスしてのインタビューですので、かなり映画音楽家としての久石譲に迫った内容になっています。

読み応えも満点です。感覚的に映画および映画音楽を楽しむのはもちろんのこと、「いろいろな背景や考えで、ここにこの音楽か」と作曲者の意図や思考に思いを馳せながら聴くのもまたおもしろいです。

70本以上の映画音楽を手がけてきた久石譲だからこそ、邦画からアニメーションまで、さらには海外作品まで手がけてきた久石譲だからこそ、語れる【映画音楽論】になっています。派生してインタビューで紹介されている、久石譲が印象に残っている映画や映画音楽も気になってきてしまいます。

 

 

別頁にて、同書籍より「映画音楽の歴史 ミニマルミュージック」も紹介しています。

Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」 【映画音楽とミニマルミュージック】 コラム紹介

 

 

 

映画音楽 作曲家インタビュー 久石譲
いちばん重要なのは、映像と音楽が対等であること

(取材・文:前島秀国)

 

映画音楽とはいったい何か

「風の谷のナウシカ」(84)から今年公開予定の最新作「悪人」(10)まで、常に日本映画の最前線で音楽を手がけてきた久石譲。作曲家としての活躍に加え、指揮者・ピアニストとしても映画音楽に深く関わり続ける彼に、まずは映画音楽の本質について訊ねてみた。

久石:
「これまで70本近い映画音楽を書かせていただきましたが、自分の中で『映画音楽とはいったい何か?』という疑問が未だに続いています。そもそも、映画音楽というものは、映像に付くものです。ところが、映像の中で展開している日常のドラマでは、本当は音楽が鳴っていないのですよ。それに敢えて逆らうような、いちばん不自然な形で音楽が流れてくる。観客の情緒を煽るためかというと、そうでもない。オーケストラで素晴らしいスコアを書いたら、それがいい映画音楽になるとも限らない。『パリ、テキサス』(84)のように、ライ・クーダーが奏でるギター1本のほうが、オーケストラよりもずっと心に沁みる場合もあります。このように、映画音楽の定義は非常に難しいのですが、基本的な作曲スタンスとしては、やはり映像と音楽の新鮮な出会いを追い求めていくことではないかと。毎回新しい発見がありますし、今でも答えを探し続けているというところでしょうか」

 

映画音楽は大きく分けて3つのタイプに集約できる

久石によれば、映画に音楽が付くケースは、大きく分けて3つのタイプに集約することができるという。

久石:
「第1のタイプは、ハリウッド映画に象徴される”テーマ主義”。『スター・ウォーズ』(77)のように、登場人物ごとにテーマをあてはめながら、画面をわかりやすくしていく手法です。テレビの場合にも言えますが、万人に訴えかけるエンターテインメントを作ろうとする時、この方法は決して悪い手法ではないんですよ。第2のタイプは”メインテーマ方式”あるいは”ライトモティーフ方式”と呼ばれるもの。このタイプには2つのサブタイプがあって、ひとつは『ティファニーで朝食を』(61)を例に挙げると、『ムーン・リバー』のような主題曲を作ることで映画全体のイメージを凝縮してしまう手法。『あ、この曲が流れる。とてもよかったね』と観客を納得させる方法です。もうひとつは、音楽を”第三の登場人物”のように鳴らしていく方法。本編の中で流れる回数は少なくても、あるいは劇の動きと合っていなくても、『なぜこの映画に、このモティーフが鳴るのか?』と観客が違和感を覚えるくらい明確に音楽を鳴らし、台本の求めている世界を表現していく。これは、どちらかというと社会性を帯びた作品、あるいは知的レベルの高い作品に多い手法です。第3のタイプは、音楽なのか効果音なのかわからない、いわばトータルで映像と音楽の関係を問い直す手法。これは、むしろアートに近いですね。昔のATG映画のように商業路線から距離を置いた作品か、あるいは作曲家がよほど監督の信頼を得ていないと使えない手法です。以上の3つのタイプに付け加えるものがあるとすれば、場所の状況の中で鳴る音楽、つまり喫茶店や酒場で流れているBGMの類ですが、これが実は非常に重要だったりします。このように映画音楽のタイプを論理的にカテゴライズした上で、いま頂いている台本に対し、どのようなスタンスで書いたらいいのか、それを絶えず意識しながら作っているところがありますね」

ちなみに、かつて久石は『ムーン・リバー』を、”理想的な映画音楽”として挙げたことがある。

久石:
「あれが映画音楽のひとつの理想形だと思うのは、映画全編がひとつのメロディで有機的に結合しているからです。まず、冒頭のタイトルバックでコーラスが『Moon river, wider than a mile…』といきなり歌い始めるでしょう? そのメロディを劇中でオードリー・ヘップバーンが歌いますが、あのギターの弾き語りのシーンなど、永遠に頭に残りますよね。よく言うのですが、良い映画には”良い映画音楽”と”悪い映画音楽”がある。ところが、悪い映画には”悪い映画音楽”はあっても”良い映画音楽”は絶対にない。残念ですが、元の本編が悪かったら、音楽だけ生き残ることはないのです。映画音楽というものは、あくまでも映像との相乗効果で力を発揮してくものですから」

 

メロディは映画音楽を象徴する”顔”

その『ムーン・リバー』のように、主題歌や主題曲のメロディは映画音楽の代名詞といっても過言ではない。作曲家の視点から見て、映画音楽のメロディとはどういうものだろうか。

久石:
「メロディは”コンセプト”と同義語です。例えば、最初に台本を頂いた段階で『この作品は、どのような音楽でいこうか』と考えるとします。オケが合うのか、室内音楽が合うのか、あるいはエレキギター1本だけでいくのか、打楽器だけでいくのか。そうしたアイディアを練り上げていくうちに、自分の考えのいちばん象徴的な部分、人間の部位で言うと”顔”に当たる部分が、メロディの形を採ってくるのです。『崖の上のポニョ』(08)の場合ですと、ポニョのメロディが浮かんだ瞬間、バックの音もこういうオケの音が合う、というのが必然的に決まりました。多くの場合、観客の記憶にいちばん強く残るのは、作曲家のコンセプトが表面に出てきたメロディです。そのメロディの持っているムードが画面に合うか合わないかで、映画音楽の良し悪しが決まると言っても良いでしょう」

久石が、自身の音楽的ルーツであるミニマルミュージックの語法を用いて映画音楽を作曲する場合にも、基本的には同じことが言えるという。

久石:
「ミニマル系の短いリズムパターンを主体にして書く時も、そのパターン自体がひとつの音形というか、メロディです。いわば、いちばん短い形のライトモティーフ。そのパターンが、音楽の核となる最も重要な部分です。そうしたセンターに来る要素を、初めにきっちり捕まえておかないと、周りからじわじわ攻めていっても肝心なものを逃してしまうことになります。このようにメロディやミニマルのリズムパターンは、映画音楽を考えている時のいちばん象徴的な部分ですね」

 

映画音楽の95パーセントはテクニックで決まる

そうしたメロディに加え、映画音楽では歌やオーケストラ、バンドなど、さまざまなスタイルが重要になってくる。

久石:
「先ほども例を出したライ・クーダーは非常に優秀な音楽家ですが、ギター1本という彼の特殊な方法論は『パリ、テキサス』のような作品に対して有効なのであって、すべての映画に対応できるわけではない。そうすると、彼を果たして映画音楽家と呼んでよいのか、という問題が出てきます。映画音楽家という看板を掲げる以上は、いろいろな作品に対応しなければならない。自分固有の音楽スタイルを持つことは絶対に必要ですが、そのスタイルの中からシリアスなもの、コミカルなものを書いていかなければならない」

画面と音楽を合わせていく時、その95パーセントはテクニックで決まると久石は断言する。

久石:
「例えば、2時間の映画を手がける場合、1本につき30数曲、ややシリアスな作品で曲数を減らしても15~16曲を書かなければなりません。それらの曲を本編のどの部分に付けるのか。いわば、音楽が流れない沈黙の部分も含めた、2時間の交響曲を書くようなものです。メインテーマがひとつ、サブテーマが複数あるとして、それらのテーマをどのように配置していくか。同じテーマを悲劇的に使ったり、軽く流したりする場合も、画面と呼吸を合わせていかなければならない。それらをすべて構成し、組み立て、全体のスコアをどう設計していくか。その95パーセントは、テクニックで決まります」

まず、どの段階で作曲を始めるのか。台本を読んだ段階から始めるのか、それともラッシュを見た上で作曲するのか。

久石:
「その時の状況にいちばん左右されますね。どちらが難しいというものでもないです。例えば宮崎監督の場合は、先にイメージアルバムを作らなければいけませんから、画を見るまで待ってから書くというわけにはいきません。自分である程度予想しながら考えていかなければならない。『おくりびと』(08)の場合には、台本を読ませていただいた段階で、主人公がチェロ奏者だとわかっていましたから、おそらく彼が弾くチェロがメインテーマになるだろうと予測し、台本を読んだだけで曲を書き、結果的にそれが非常にいい結果を生み出したケースです。逆に、監督のラッシュを少しずつ見ながら、テンポやその他の情報を全部自分の中にインプットして書いたほうがいいケースもあります。『私は貝になりたい』(08)の場合がそうですね。ああいう作品の場合は、ラッシュを見てからでないと全く作れないですね」

映画音楽のテクニックで最も難しいのは、映像と音楽を合わせるタイミングだが、それは一般に”映像と音楽がぴったり合う”と考えられているような、単純なものではないという。

久石:
「最初の頃は楽譜も全部手書きで、ストップウォッチ片手に『ここは何秒くらい』とフィルムの尺の長さを計っていったのですが、実は誤差が激しいんですよ。当時はまだ若かったから『タイミングもきっちり合わせなければ』と相当無理をしました(笑)。その後(シーケンサー機能とサンプリング機能を備えた)フェアライトのような電子楽器が出てきて、予めフレーム単位の細部までシミュレーションしてからレコーディングに臨めるようになったことは大きいです。そうすると、合わせる必要のあるものと必要のないものの違いが、はっきりわかるようになる。若い頃は、俳優が驚いて表情がパッと変わった瞬間、音楽も同じタイミングで変える、というようなことをやっていたわけです。ところが実際には、表情の変化と同時に音楽を変えるよりも、少し時間が経ってから音楽を変えた方が、インパクトが強くなってカッコいいんですよ。後出しジャンケンみたいなものですね(笑)。そういうことをいろいろ経験していくうちに、なんでもかんでもフレーム単位で合わせるのではなく、音楽的な流れを事前に計算した上で、本当に合わせる必要のある箇所以外は逆に無視することができるようになる。そういう意味でも、映画音楽の95パーセントはテクニックだと思うのです」

特に久石が重視するのは、最後の仕上げ段階の微調整だという。

久石:
「監督と事前の話し合いをしっかり行い、シンセサイザーで作ったラフな段階で音を確認していただきます。実はその後、音楽をガラッと変えることもあるんですが(笑)。つまり、最後の仕上げ段階で、微調整にじっくり時間をかけていく。監督にシンセ音源で確認をとった後、何度も見直していくうちに『ここはまだテンポが早い』と感じたら、ほんの数小節削り、全体のテンポをゆったりさせながら、画に馴染ませていくのです。録音当日、そこまで監督が気づくことは、まずありませんが。あとはきちんとした譜面を書いておけば、録音そのものは早いです。書いてしまえば、それをオーケストラが演奏するだけですから。現場対応でなんとかするのではなく、すべて前もって周到に準備しておかないとダメですね。」

 

映画監督と作曲家の理想的なスタンス

映画音楽が他の音楽活動と決定的に異なるのは、音楽の最終決定権が監督もしくは製作サイドに属するということだろう。久石の場合はどうだろうか。

久石:
「普段、ひとりで音楽をやっている時は、他人の意見が介入してくると音楽が成立しなくなる可能性が出てきます。ところが映画音楽の場合は、幸運なことに、発想の基準は常に監督の頭の中にある、というのが僕の考えです。特に、映画は監督に帰属するという意識が強い邦画の場合は、そうですね。例えば、僕らが映画音楽を書く場合、その期間は長くて半年か1年くらいです。ところが監督に関しては、その人が職業監督でない限り、自分で台本を書く場合にせよ、脚本家に注文をつけながら撮影稿を練っていく場合にせよ、ひとつの作品にだいたい2、3年の時間を費やすわけです。それだけの時間をかけた強い思いが、監督の頭の中にある。その意図を考えながら作曲していくというのが、僕のスタンスですね。監督から注文されたことに対し、明らかにそれは違うと感じた場合は意見を申し上げますけど、それ以外は、監督の意図を自分なりに掴み、音楽的にそれを解決しようと努力します。すると、ひとりで音楽をやっている時には予想もつかなかった、新たな自分が出てくるんですよ。『俺にはこういう表現ができるんだ』という。もっとダークなやり方でも音楽がいけそうだとか、メインテーマさえしっかり書いておけば、30曲あるうちの5、6曲は実験しても大丈夫そうだ、といったことが見えてきます。そういう意味で、映画音楽というのは、普段気になっている方法を実験する機会を監督に与えていただく場所でもあるのです。自分にとっては、非常に理想的なスタンスですね」

そうした監督の中でも、特に宮崎監督は別格だという。

久石:
「やはり、いちばん大きな影響を受けた監督ですね。凄まじいです。知識としての音楽ではなく、ある音楽が自分の映像に合うか合わないか、それを瞬時に判断する感覚がずば抜けているのです。もちろん、今までご一緒させていただいた監督も、皆さん聡明な方ばかりですよ。僕は基本的に、映画監督という存在をリスペクトしています」

 

日本映画の作曲と海外作品の作曲の違い

21世紀以降、久石は「Le Petit Poucet」(01)、「トンマッコルへようこそ」(05)、「おばさんのポストモダン生活」(06、映画祭上映)など、海外作品にも活躍の場を広げてきた。

久石:
「邦画でも洋画でも、作家としての基本姿勢は一貫して保つようにしています。つまり、台本を読ませていただいて監督が描きたい世界を把握し、単に相手側の注文に即して書くのではなく、自分が何を音楽で書きたいのか、はっきり掴むこと。この姿勢は実写でもアニメーションでも、あるいは映画でもCMでも常に同じです。ただし、方法論的な違いは存在しますが」

その最大の違いは、非常に基本的な事柄だが、台本が書かれた言語にあるという。

久石:
「中国映画の台本を頂いた時は、最初に読むと3時間くらいの長さに感じるのですが、実際には本編が2時間以内に収まるのです。つまり、言葉の情報量が日本語の台本に比べて非常に多いのですね。英語の台本も、やはり文字の分量が圧倒的に多いです。ところが、英語の場合は言語の性質のせいか、文字の分量の割に読み手に伝わる速度が速いのですよ。英語は、26文字のアルファベットしかありませんよね。その26文字を組み換えていきますから、基本的に構成力で成り立っている言語なのです。ですから、英語の台本の場合、音楽を全編に付けたとしても、音楽があんがい邪魔にならない。ところが日本語の場合、言葉を独自に作り出すところがありますから、観客は1音1音を注意深く聴きとならければならない。しかも、俳優が台詞に感情をこめたりすると、なおさら言葉が聴きとりにくくなるという面もあります。そうした台詞を聴き取れるように音楽を作っていくと(英語に比べて)自然と制約が多くなってくるのです。その意味でも、映画音楽の95パーセントはテクニックだと思うのですよ」

 

指揮者・演奏家の視点から見た映画音楽

映画音楽の作曲活動に加え、ここ10年あまりの久石が精力的に取り組んでいるのが、オーケストラの指揮活動。特に2004年、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ音楽監督に就任してからは、自作に加え、他の作曲家の映画音楽やクラシックの古典曲までレパートリーの裾野を広げている。

久石:
「映画音楽がクラシックと同じように演奏され、後世に残るかどうかは、実は非常に難しい問題です。原則的には残ると思いますが、そもそも映画音楽には多くの制約があります。これまで申し上げてきたように、映画音楽は映像から生まれますから、映像と一体化した時に初めて力を100パーセント発揮するものでないといけない。ですから、映画音楽を映像から切り離し、コンサート楽曲として演奏することが、必ずしも正しい在り方とは言いきれないのです。映像と独立した形で演奏が成立する音楽もあれば、そうでない音楽もありますから」

映画音楽をコンサート楽曲として成立させるために、久石が採っている解決法はアレンジという手段である。

久石:
「そもそも、楽曲にならないような素材を映画に使っても、決していい映画音楽には仕上がりません。映画音楽に限らず、どんな場合でもいちばん大切なのは、先ほど申し上げたメロディや、ミニマルのリズムパターンといった音楽的要素です。ですから、映画音楽は潜在的に、独立した音楽作品として成立し得ると思っています。ただし、本編で用いた楽曲をそのままコンサートにかけられませんから、核となるモティーフを使って新たにオーケストレーションを施し、作品として形を成すように努力します。一度作曲したものに手を加えるのは二度手間になりますから、大変な作業ですね。もともと、過去の作品を振り返ることに、あまり関心がないのです。コンサートの準備に3ヶ月を費やすと、その間、自分の曲が書けなくなってしまいますから、だんだんフラストレーションが溜まってくるのですよ。早く作曲に戻りたくて(笑)」

 

映画音楽作曲家を志す若手へのアドバイス

久石のような映画音楽作曲家を志す若い読者は、何を心がけ、勉強したらよいのだろうか。

久石:
「まず、映画音楽を書く書かないに関わらず、音楽家として多くを勉強し、自己の音楽スタイルを掘り下げて確立していく。その上で、映画音楽が書きたいのならば、映画を”仕事”として見るのではなく、とにかく映画を好きになって、出来るだけ多くの本数を見ることです。映画音楽のCDをたくさん聴いて、実際に本編で使われた曲とCDの収録曲がどのように異なるか、徹底的に分析することも必要でしょう。それから、本をたくさん読むこと。映画音楽というのは、やはりドラマが重要ですから、ドラマが理解できない人には無理なのです」

ただし、いくら努力しても映画音楽作曲家になれない側面が、ひとつだけ決定的に存在するという。

久石:
「残念ながら、その人の書いた音楽が映像を換起できる資質を持っていないと、映画音楽作曲家には向いていないかもしれません。鳴った瞬間に映像に寄り添える音と、そうではい音の違いは、決定的に存在します。それは仕方ないことですね。プロゴルファーに向いていても、野球選手に向いていないことだってありますから(笑)。誰でも野球選手になれるわけではない。同じように、クラシックの現代音楽に進むのか、あるいはジャズやポップスに進むのか、それとも映画音楽の作曲に進むのか、早いうちに見極める必要があります。非常に難しい問題ですけどね」

自己の音楽スタイルに関して言えば、久石自身は現在もミニマルミュージックの現代音楽を作曲している。

久石:
「ミニマルをやってきて今でも良かったと思っているのは、音楽を持続させるために『あれもこれも』とてんこ盛りにせず、ある一定の方向で統一感をとろうとする神経が強く働くようになったことです。その方向の中で許せる、ギリギリの変化というのは『風の谷のナウシカ』(84)以降、相当やってきましたね」

「ナウシカ」のテーマ曲『風の伝説』の冒頭部分は、ポップスのようにコード進行を頻繁に変えず、単一のコードを頑なに守っているが、これなどはミニマリストとしての久石の側面が顕著に表れた例と言えるだろう。

久石:
「例えば、ひとつのシークエンスで主人公の感情が高まっていく時、音楽がミニマルの語法で微細に変化していくと、大きな効果を生み出すことは事実です。だからといって、ミニマルの語法を映画音楽に用いるのは、自分が本気でミニマルに取り組んでいない限り、バーゲンセールに並ぶ大量生産品と同じで、非常に危険なことだと思います。よく、ラヴェルの『ボレロ』は同じパターンが続くから、あれもミニマルだと勘違いしてしまう人がいますよね。『ボレロ』はオスティナートで書かれていて、ミニマルとは違うのです。オスティナートの音楽が行きつく先は(ある種のカタルシスをもたらす)クライマックスですが、ミニマルはオスティナートではない。その違いがわかっていないと、最悪の結果をもたらしてしまう。フィリップ・グラスやマイケル・ナイマンといった人たちは、自分の本籍がミニマルにあることを充分認識した上で、映画音楽のメロディを書いていますから、そこに本物の自分が投影させているのです。グラスの『めぐりあう時間たち』(02)のスコアでも、彼は自分のコンサート楽曲と同じパターンを真剣勝負で出していますね。そのくらいの意気込みでやらないといけない。ミニマルの表面だけ見て、ひとつの音形を繰り返してズラせばいい、というのは単なるファッションに過ぎません」

 

迷った時はキューブリックに戻る

最後に、久石が好きな映画音楽もしくは影響を受けた作品について訊ねてみた。

久石:
「個別のケースを挙げていくとキリがないんですよね。『ブレードランナー』(82)の頃のヴァンゲリスが素晴らしいとか、『冒険者たち』(67)のピアノと弦楽カルテットなんて、それだけで音楽的に価値がありますよね。最近では『グラン・トリノ』(08)が圧倒的に素晴らしかった。あのテーマの旋律、だいたい流れが予測できるのですが、何度も繰り返されていくうちに、最後は『やられた!』と思って。いつも三管編成のオーケストラで音楽を書いていると、こういうシンプルな手法がすごく新鮮ですね」

久石が映画音楽の”教科書”として挙げるのは、なんとキューブリック作品であるという。

久石:
「キューブリックの全作品は、もう本当に衝撃的ですね。既成曲を映画の中できっちり使っていくのが彼の方法論ですが、音楽の意味が100パーセント発揮されるような音の使い方をしています。『2001年宇宙の旅』(68)や『アイズ・ワイド・シャット』(99)のワルツにしても、あるいはジョルジ・リゲティ現代音楽にしても。ただし、彼の方法論をそのまま採用すると、現役の映画音楽作曲家を否定してしまうことにも繋がりかねません。我々がキューブリックから学ぶべきいちばん重要な本質は”映像と音楽が対等であること”。対等であるということは、必ずしも音楽がしゃしゃり出ることを意味しません。僕は世間で俗に言う”劇伴”という言葉が大嫌いなのですが、映画音楽は、単に劇を伴奏するだけの”劇伴”であってはならない。精神的なレベルも含め、映画音楽はキューブリック作品のように映像と音楽が対等に渡り合う”劇音楽”であるべきです。ティンパニーが細切れに『トン・トン……』と叩くだけの場合でも、映像と音楽が対等であるかどうか。それが良い映画音楽の判断基準だと僕は思っています。単に『いいメロディが書けたから、スコアできれいにまとめよう』と安易な方法に走るのではなく、どうしたらそのメロディが各々のシーンと新鮮な出会いが出来るのか、それを毎日探し求めながら『おお、こんな表現が生まれた』と実験を重ねていくのが、おそらく映画音楽の正しいやり方だと思うのです。その意味で、迷えばいつもキューブリックに戻る、という感じですね」

(キネ旬ムック キネマ旬報特別編集 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇」 より)

 

 

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キネマ旬報 オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 (キネ旬ムック)

 

Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」 【映画音楽とミニマルミュージック】 コラム紹介

Posted on 2015/1/31

2010年4月2日発売 ムック(書籍)
キネ旬ムック キネマ旬報特別編集 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇」

映画情報誌としても有名なキネマ旬報の特別編集版ムックです。「オールタイム・ベスト 映画遺産200 《外国映画篇》」「オールタイム・ベスト 映画遺産200  《日本映画篇》」というそれぞれの書籍と同様に別枠で1冊にまとめられたのが「オールタイム・ベスト 映画遺産200 映画音楽篇」です。

 

300ページにおよぶ映画音楽年鑑のようになっています。

  • 映画音楽が心に残る映画 1位~20位紹介
  • ジャンル別映画音楽ベスト10
  • 心に残る映画歌曲・テーマ曲ベスト
  • 好きな映画音楽作曲家ベスト
  • 映画音楽の歴史

 

目次からの一部抜粋だけでもこういった感じです。この中の8ページに及ぶ久石譲インタビューは別頁にて紹介しています。

こちら ⇒ Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」(キネ旬ムック) 久石譲 インタビュー内容

 

 

ここでは別の角度から読み解いていきます。

 

コラム「映画音楽の歴史」

1. サイレント期~トーキー初期の映画音楽
映画音楽にサイレントは存在しない

2. サイレントからトーキーに至る日本映画
音楽と映像をめぐる二分法とそのあいだの豊かな濃淡の歴史

3. ハリウッド黄金期の作曲家たち
世界各地に出自を持つ才人たちが切磋琢磨した黄金の40~50年代

4. ヨーロッパ映画の戦後時代
人脈を核に復興へと向かっていった戦後ヨーロッパの映画音楽

5. アメリカン・ニュー・シネマとフランス・ヌーヴェル・ヴァーグ
映画音楽を変革したふたつの時代

6. ミュージカル映画の作曲家たち
舞台から映画へ、映画から舞台へ、その華やかな往来

7. バーンスティン、ゴールドスミス、ウィリアムズが作った時代
映画黄金期の終焉と入れ替わりに新時代を拓いた3人の作曲家

8.映画音楽におけるミニマリズムの影響
実験映画から娯楽大作に至るミニマリズムの系譜

9.ディズニーがこだわり続けた”音楽映画”
「蒸気船ウィリー」からアラン・メンケンまで

10. 現代ハリウッドの潮流
ジマーとその一派が席巻する現代 そして次代の映画音楽は?

 

 

映画が誕生したと言われている1895年から現在に至る約110年以上を映画音楽を軸に順を追って歴史を刻んでいるコラムです。その中から、直接久石譲のインタビューではないですが関連性のある題。映画音楽とミニマル・ミュージックについて。このコラムをご紹介します。

 

 

映画音楽の歴史 8.映画音楽におけるミニマリズムの影響
実験映画から娯楽大作に至るミニマリズムの系譜

本稿で扱うミニマリズム(ミニマルミュージック)とは、主として1960年代にスティーヴ・ライヒ、テリー・ライリー、フィリップ・グラスらが始めた、短い音形やパターンを反復する音楽とその手法を言う。この用語は「ピアノ・レッスン」(93)の作曲家マイケル・ナイマンが68年に初めて音楽の分野に導入し、その後70年代に入ってから、前記3人に影響を受けた音楽や、その亜流まで広く指すようになった。

映画音楽におけるミニマリズムの影響を振り返る前に、ライヒとグラスが活動初期に実験映画と関わりを持ち、それらが彼らの音楽語法を開拓する契機となったことは、是非とも確認しておきたい事実である。前者は、サンフランシスコの実験作家バート・ネルソンの「Plastic Haircut」(63)ほか2本の短編でテープ音楽を用いたサウンドトラックを手がけ、それがテープループの無限反復でカノン(輪唱)を生み出すライヒ独特の反復技法の発見に繋がった。その後、サンフランシスコの映画作家/編集者のウォルター・マーチがライヒの技法に注目し、「THX – 1138」(71、テレビ放映)の音響編集でテープループを用いたサウンドコラージュを手がけるが、ライヒの直接的影響が確認できる商業映画としては、おそらくこれが最初の例であろう。一方のグラスは、パリ留学中にシタール奏者ラヴィ・シャンカールが音楽を手がけた「チャパクァ」(66)の譜面作成と演奏に携わるが、そこで学んだインド音楽の伝統的な演奏法にヒントを得て、西洋的な拍節構造に頼らず、音符の増減に基づく反復(加算・減算構造)で音楽を後世する手法を編み出した。

商業映画の音楽に進出した最初のミニマリストは、ドラマ「眼を閉じて」(71)とホラー「バイオスパン/暗黒の実験」(76、ビデオ公開)を手がけたテリー・ライリーである。ドローンの持続とリズムパターンの反復、それにインド楽器の使用に、ライリーらしいミニマリズムを聴くことができる。

しかしながら、ミニマリズムは、上述の3人のミニマリストが映画音楽に直接その影響をもたらしたというより、ミニマリストから何らかの影響を受けたプログレッシヴロックが、映画と関わることで、ミニマリズムの影響を間接的に伝えていったと言う方が、より事態を正確に表わしている。その最も顕著な例が、マイク・オールドフィールドのアルバム『チューブラー・ベルズ』をテーマ曲に転用した「エクソシスト」(73)であろう。「ひたひたと反復を繰り返すミニマリズム = ホラー映画」という連想を一般観客に植え付けた『チューブラー・ベルズ』は、実のところ、オールドフィールドの作曲意図を全く考慮せず選曲されたものに過ぎない。ただし、彼自身は「キリング・フィールド」(84)のプノンペン陥落場面でミニマリズムに基づく音楽を書いており、ヘリコプターのローター音を周期的なパルス音に用いた斬新なアプローチが効果を上げている。

ホラー映画の文脈でミニマリズムの影響をはっきり公言した例としては、イタリアのプログレバンド、ゴブリン(特にキーボード担当のクラウディオ・シモネッティ)が広く知られている。「サスペリア2」(75)から、すでに『チューブラー・ベルズ』を媒体にしたミニマリズムの影響を見ることができるが、より露骨なのは「サスペリア」(77)のスコアだろう。その中の『エレーナー・マルコス』なる楽曲で、ゴブリンは69年のグラスの作品『似た動きの音楽』を無断編曲している。

映画音楽におけるミニマリズムの影響が顕在化した最初の国は、おそらくイギリスであろう。その大きな要因として、ライヒやグラスと直接的な交流があった英国人作曲家マイケル・ナイマンとブライアン・イーノの存在が挙げられる。ナイマンはピーター・グリーナウェイ監督とコンビを組んで「VERTICAL FEATURES REMAKE」(78)ほかの実験映画を手がけ、映像と音楽双方からミニマルという概念を定義し直そうとした試みが重要である。ナイマンはグリーナウェイとの共同作業と通じ、当初の彼の研究対象であったパーセルほかバロック音楽に見られるグラウンドバス(低音主題)の技法を、ミニマリズムの文脈で再発見することになった。これに対し、イーノはミニマリズムから一定の影響を受けつつも、彼が生み出したアンビエントミュージック(とその思想)を映画音楽に導入しようと試みた。78年のイーノのアルバム『ミュージック・フォー・フィルムズ』は、一種のストックミュージックとして作られたもので、グリーナウェイの「VERTICAL~」ほか、イーノが作曲者としてクレジットされた「エゴン・シーレ」(80)などで実際に使用されている。

ナイマンの「英国式庭園殺人事件」(82)やグラスの「コヤニスカッティ」(83)が商業映画として公開され、ミニマリズムの作曲家だった久石譲が「風の谷のナウシカ」(84)を手がけた頃から、ミニマリズムに基づく映画音楽は徐々に市民権を得るようになったと言ってよい。有名なところでは、坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」(83)の『バタヴィア』がミニマリズムに基づいている。

近年では、現代作曲家ドン(ドナルド)・デイヴィスが手がけた「マトリックス」(99)と2本の続編が重要である。ここでデイヴィスは、彼が影響を受けたポストミニマリズムの作曲家ジョン・アダムズの方法論を応用し、巨大な編成のオーケストラで反復音形を拡大する実験を行っている。

ジョン・ウィリアムズの「A.I.」(01)やハンス・ジマーとジェームズ・ニュートン・ハワードの共作「ダークナイト」(08)などのスコアに見られるように、今やミニマリズムは映画音楽の製作現場における一種の共通言語となった感がある。だが、日本のテレビ選曲担当者がライヒの楽曲を日夜垂れ流している現実が象徴しているように、テンプトラック(仮音源)製作の段階で安易に選曲されたミニマリズムの楽曲が映画音楽に画一化をもたらす現況のひとつのなっているのも、事実である。

(キネ旬ムック キネマ旬報特別編集 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇」 より)

 

 

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キネマ旬報 オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 (キネ旬ムック)

 

Blog. 「キネマ旬報 1987年12月上旬号 No.963」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/1/30

遡ること約30年前。

映画雑誌「キネマ旬報 1987年12月上旬号 No.963」表紙からもわかるように、洋画でいえば『バトルランナー』や『スーパーマン4』の時代。邦画でいえば『私をスキーに連れてって』や『ビー・バップ・ハイスクール』。

そんな時代の久石譲インタビューです。久石譲音楽活動でいうと『風の谷のナウシカ』から『となりのトトロ』まで。邦画では『Wの悲劇』 『めぞん一刻』 『恋人たちの時刻』 『漂流教室』など。

 

ディスコグラフィーではこのあたりです。
Discography 1980-

 

インタビューでも映画名などが登場しますのでわかるかと思います。今となっては大変貴重な年代物インタビュー内容となります。見開き4ページに及ぶロングインタビュー。当時の映画業界、映画音楽業界、そして久石譲のスタイル。いろいろな歴史が垣間見れる内容になっています。

 

 

スペシャル・インタビュー 久石譲
つねにスペシャル・ブランドでありたい

一度、話を聞いてみたかった。
日本映画から〈映画音楽〉がほとんど忘れ去られようとしていたとき、この人の旋律が、再び映画の中の〈音〉の必要性を主張した気がする。というのも、この〈久石メロディ〉は、旋律が映画そのもののある部分を語る、という、本来の、由緒正しい映画音楽のあり方を提示しているように思うからだ(もちろん、〈音〉に優れて理解を示す映画監督との出会いがあったことを見逃すわけにはいかない)。

映画各賞の〈映画音楽〉部門の立ち遅れ(このことが映画音楽が公に認知されない最大のネックになっている!)、音楽製作費のロゥ・バジェット化……そうした、厳しい現実の中で〈音〉に何を託し、何を伝えようとするのか? あれこれと聞いてみた。

 

●映画音楽は、もっと格調のある分野

-映画音楽の道に進むようになったきっかけは?

久石:
「父親が大の映画好きだったので、幼稚園時代から、かなりの量の作品を見ていたんです(笑)。日本映画の全盛時代でしたから、週替りで三本立て、五社ともちゃんとやってましたからね。たいへんな量を見ました。親父が高校の教師をやってまして、当時高校生は映画を見てはいけない!というムードがあったらしく、親父は他の先生の分まで見回りと称しては僕を連れて見に行ったんです(笑)。月24本ぐらいは軽く見てましたね。そんな生活が、3~4年は続きました。たぶん、その体験が原点になっているんじゃないですか」

1950年生まれ。5歳からバイオリンを習い、国立音楽大学の作曲科を卒業。在学中、アメリカのフィリップ・グラスらによるミニマル・ミュージックに大きな影響を受け、作曲活動に入る。卒業したその年、テレビ「はじめ人間ギャートルズ」(74年)の音楽を担当。注目を集める。翌年には日本フィルハーモニーのコンサートのために、数かずの映画音楽の名曲をオーケストラ用に編曲した(自作フィルモグラフィーは別項を参照)。

大学の先輩に黒澤映画で知られる佐藤勝氏がいる。氏に就いて何本か手がける一方、ドキュメンタリー映画の音楽も数本、担当している。「現場でのキャリアはそうとうなもんですよ」と言う。

-〈映画音楽〉って、わりとポピュラー・ラインの世界だと思うのですが……

久石:
「本来はポピュラーの領域ですけど、基本はやはりクラシックに属しますね。クラシックの書き方ができないと、映画音楽はできません。ベース、ドラム、ギター、ピアノがあって、メロディがあって……ということでしか音楽を考えられない人は〈歌〉は書けるけど、映画音楽は絶対書けないでしょうね。理想はポップスを良くわかっていて、いちばん新しい感性を持ちつつ、クラシックの技術をキッチリ身につけていることですよ」

-最も影響を受けた作品は?

久石:
「なんでも好きになってしまうから、かなりむずかしい質問ですね(笑)。映像的に影響を受けているものと、音楽的に影響されたものとはぜんぜん別ですからね……『サテリコン』や『王女メディア』だっていいと思うし、『スター・ウォーズ』だって素晴らしいしね。小津さんの映画にだって、のめり込んでしまうし(笑)。こだわらないで、いかに自由にいられるか……そのことのほうが大切だと思う」

-久石さんというと、すぐに思い浮かぶのが『風の谷のナウシカ』なわけですが、どういういきさつで担当するようになったのですか?

久石:
「ドキュメンタリーやテレビなどをこなしてきて、一時欲求不満に陥ったんです。劇伴録りって、短時間で仕上げなければならないし、録音はモノラルでしょ。完成度を求めるのがむずかしくなって、それで欲求不満になった。そのため仕事の質をレコードのほうに切り替えたんです。映画と少し距離をおいたわけです。ですから、久しぶりに手がけたのが、あの『風の谷のナウシカ』だった。映画に入る前にイメージ・アルバムというものを作り、その中から宮崎監督が各場面に合うようにチョイスしていったわけです」

-そのイメージ・アルバムは、久石さんが、原作からイメージしたモティーフを、自由にふくらまして作ったものですか?

久石:
「その通りです。ただ、何とかのテーマという風に作ったものが、宮崎監督の希望で他の場面に使われましたけど、基本的には映画もイメージ・アルバムのままです」

-宮崎監督とは、とくに綿密な打合せを持ったわけですか?

久石:
「初めての経験といっていいぐらい、そりゃもう細かかったですね(笑)。二日二晩続けて、ああでもない、こうでもない、と話し合いましたよ。こんなに細かいことをやっている人はいないんじゃないか、と思ってきたほどですからね。自分で自分に感動しちゃいました(笑)」

-『風の谷のナウシカ』のあと、澤井監督の『Wの悲劇』を担当しましたね。『風の谷のナウシカ』とはかなり違う音楽世界のように思うのですが?

久石:
「そうですか、僕は逆に『風の谷のナウシカ』と同じように仕上げたつもりですけど……僕のメロディ・ラインはイギリスのフォーク・ソングっぽい、アイルランド民謡を含めて。それが僕の音楽の原点なんです。そういう意味で、『Wの悲劇』のテーマも、『風の谷のナウシカ』のテーマもまったく同じモードなんですよ」

-『Wの悲劇』の中で、薬師丸ひろ子がアパートに帰ってきて、カレンダーに◯をつける場面がありますね。あのあたりからピアノの独奏曲が展開されていく……

久石:
「僕自身、あの場面が好きだったので、どうしてもピアノ・ソロでやりたかった。ご存じのように、『風の谷のナウシカ』のテーマもピアノ独奏で入っています。できるだけ僕自身のスタイルを変えない方向で、『Wの悲劇』の音楽を作ったわけです。というのは、日本の映画音楽をやられる方って、スーパー・マーケット的な考え方をするでしょ。あれもできる、これもできるっていうのが、いいと思っている。こう言っちゃなんですけど、古い方って、みんなそうだと思う。ジャズっぽく行こうとか、クラシック的に行こうとかね。僕はまったくそういう考え方持っていませんから……何をやろうと自分は自分だから同じスタイルで通す、というのをかなり強く考えていますね。見せ物小屋にしたくない。つねにスペシャル・ブランドでありたいわけです。レコーディングの仕事をかなりやっていることもあって、器用貧乏っていうのが、いちばんイヤな言葉なんです(笑)。ですから自分がやるものはすべてブランド品にする!という気持ちが強いんです。『風の谷のナウシカ』はスペクタクルな物語、片や『Wの悲劇』は非常に日常的な女の子の話……。当然、表現の幅にダイナミックなものと、かなり抑えたものという差はありますが、根本的な音楽の書き方と変える必要はないと思っていました」

-スコットランドやアイルランド民謡は小さい頃から聞きなれていたわけですか?

久石:
「僕に限らず、たいていの日本人の方はそうではないでしょうか。〈蛍の光〉とか、〈ロンドンデリーの歌〉とか、みんなあちらの民謡ですよね。文部省の教科書がほとんどそうだから、日本人は意外なくらい、あちらの旋律線というものを持っている。共通項はかなりありますよ。『風の谷のナウシカ』のテーマは、アイルランドやスコットランド民謡を意識して作りました。理論的にではなく、雰囲気としてね……シンプルで、どこか懐かしい感じを出したかったわけです。あのあたりが、自分の世界なんだなあと思います」

-『Wの悲劇』の劇中劇のバックに流れる曲、あれは?

久石:
「エリック・サティです。〈ジムノペディ〉だったと思います」

-日本映画の悪いところは、そうした、映画で使われたクラシックの曲名をちゃんとタイトル表示しないことだと思うのですが?

久石:
「おっしゃる通りですよ。使ったものは、必ず表示すべきなんです」

-澤井監督は音楽に細かく注文をつけられる人ですか?

久石:
「細かい方だと思います。サティの〈ジムノペディ〉はもともとはピアノ曲なんですけど、澤井監督の希望もあって、オーケストラ用にアレンジしなおしたわけです。音楽に理解の深い人です、澤井監督は」(著者注=澤井信一郎監督はハーモニカの名人として、知る人ぞ知る!の存在である)

-アイルランド、スコットランド民謡ということで、ふとひらめくのが、『天空の城ラピュタ』ですね。

久石:
「そうですね、かなり近いメロディ・ラインを持っていますね。『早春物語』のテーマ曲もそうですし、蔵原監督の『春の鐘』もそうですね。そうした一貫性というのが、僕のブランドなんです。素直に自分のメロディで書いたもので通したいということです。何なに風に書いてください、と頼まれると、すぐお断りしますね。たとえば、ジョン・ウィリアムズ風に勇壮なオーケストラ……じゃジョン・ウィリアムズに頼めば……となっちゃうわけですよ。僕がやることじゃない。余談になりますけど、ジョン・ウィリアムズの曲はどれを聞いても同じだ、という風に良く言われますけど、それはまったくナンセンスな話なんですね。つまり、彼ほど音楽的な教養も、程度も高い人になると、あれ風、これ風に書こうと思えば簡単なんですよ。だけど、あれほどあからさまに『スター・ウォーズ』と『スーパーマン』のテーマが似ちゃうのは、あれが彼の突き詰めたスタイルだから変えられないわけですよ。次元さえ下げればどんなものでも書けるんです。だけど、自分が世界で認知されている音というものは、一つしかないんです。大作であればあるほど、自分を出しきれば出しきるほど、似てくるもんなんです」

-『天空の城ラピュタ』からですか、フェアライトという楽器を使われてましたね……

久石:
「いえ、『Wの悲劇』でも、『風の谷のナウシカ』でも使っています」

-どういう楽器なんですか?

久石:
「生の音……どんな音でもいいんですけど、それをデジタル信号で記憶させて出すわけです。ですから、そのままの、それこそ生の音で得られるわけです。どんな場面で使われているかほとんど気づかないと思いますよ」

-フェアライトを使って音楽をつけている人はけっこういるわけですか?

久石:
「歌の世界、ヒット・ラインでは普通に使われてますけど、お金と時間がかかるから、映画音楽の世界ではまだまだですね」

-日本映画って、その点で音楽にあまりお金をかけないんじゃないですか?

久石:
「そうだと思いますよ……だけど、僕は普通の人の4倍は貰いますし、期間もそれなりに貰わなければ作りません。誰かがツッぱらなければ、本当に、単なるアホな劇伴になっちゃうんですよ。僕のやり方を見てて、俺だったら6、7時間で全部録っちゃうし、3日もあれば作曲しちゃうのになぁ……あいつは作曲に1~2週間、録音にも1週間かけやがって……って、昔流の人はよく言うんですよ。でもそれこそとんでもない話で、僕は20代の頃4時間に70曲も録音するという悲惨なレコーディングを死ぬほどやってきているんですよね。早く書こう、早くやろうと思ったら、いくらでも出来るんです。だけど、それはスーパー・マーケットみたいなもんで、バーゲン・セールばかりじゃどうしようもないわけです。映画が本当の意味でも高級な芸術で、大衆のものであって、高度なエンターテインメントであるならば、このシーンにはこの音楽しかない!単に一シーンの一音楽のために、録音に3日間かかった、製作費100万円をかけた、でも、価値があったら、それでいいじゃないですか。誰かが、そういうハイブロウなところをやっておかなかったら、みんなで劇伴屋になり下がっていっちゃう。そういうことで、僕はメチャクチャつっぱるし、お金がないんですって言われたら、じゃ他の人に頼んでください、というしかない。どうしても僕が欲しかったら、都合つけてください、と返事するしかないんですよ。映画を制作する人に本気を出してほしい。ドルビーでなければやりません……とか、いろいろ条件を出すべきなんです。誰かが言わなければ、本当に悲惨なものになりますよ、この世界は。日本の映画音楽は安くて当然と思われているし、もしそういうことがあたり前とするならば、その中からいい作品を誕生させようなんてとんでもない話ですよ。もっと格調のある分野だと思うんですけどね」

 

●トータルなコーディネートをめざして

-作曲するときに、いつも心がけていることは?

久石:
「つねにどんな場合でも、映像と対等であるということ。以前は、出来るだけ映画の進行を邪魔しないようにつけていたんですけど、最近はもっと雄弁に語ろうと心がけていますね。やり方としては、台本の段階で60~70%ぐらい仕上げ、ラッシュを見せてもらって監督さんのテンポをつかみます。数回見せてもらいますね。そうすると、台本の段階でたとえば4分間の音楽を書いていても、そのシーンの呼吸と音楽の呼吸を無理なく合わせられるわけなんです。ムラがなくなるんです」

-『Wの悲劇』『早春物語』『恋人たちの時刻』では主題歌ということで、エンディングに久石さんの音楽じゃない歌がかかりますね。『めぞん一刻』ではギルバート・オサリバンの”ゲットバック”が挿入歌として使われ、”アローン・アゲイン”がエンディングに流れます。そういう音楽の扱い方と、音楽プロデューサーと呼ばれるスタッフの存在など、映画音楽をめぐる状況は変化しつつあるのではないですか?

久石:
「それは最近の私の活動と一致してくることなんですけど、一時期アメリカ映画でサウンドトラックの作曲者と最後に流れるテーマソングの作曲者が別のスタイルがありましたよね。それが日本の角川映画等に影響をあたえた。でも、アメリカはとっくにその傾向が終わっているのに日本映画はまだ続けている。レコード会社にとっておいしいのは、サントラじゃなくて、主題歌のほうなんですね。そのスタイルが定着しすぎてしまったために、映画音楽のトータル・コーディネート、トータル・プロデュースが非常にしづらいんです。だから主題歌は完全に切り離して考えざるを得ないんです。主題歌といっても、レコード会社が勝手にヒットを狙うために映画にくっつけ、宣伝にさえなってくれればいいや、ぐらいにしか考えていませんからね。実際問題、映画と主題歌は全然合ってないですよ。レコード会社と映画関係者の仲というのは、本当ひどいですよ。何回やってもそう思うけど、絶対に合い入れない。『めぞん一刻』ぐらいまでは、僕がタッチする以前にすでにビジネス・パッケージが組まれていましたから、どうすることもできなかったですね」

-その『めぞん一刻』では、それまでの音楽タッチとはガラリ変わった感じを出していましたね。

久石:
「それまではクラシックをベースにしたものを考えていたんです。あるとき、このまま行くとオジン臭くなるんじゃないか(笑)と危惧を持って、去年は音楽のアバンギャルドをしてみようと思ったんです。『熱海殺人事件』ではアート・オブ・ノイズばりのいちばんナウいところに挑戦したわけです。僕はレコーディング・アーティストとしては、非常に前衛っぽいことをやってますから。それに素直なラインで作ってみようと考えたんです。『めぞん一刻』でも、澤井監督が、それでいきましょう、と言ってくれたので、目いっぱいいってしまったわけです(笑)」

-でも、続く『恋人たちの時刻』では、再び『Wの悲劇』のようなラインに戻ったと思うのですが?

久石:
「戻りましたね。いちばんまとまってしまった作品になったようですね。あの頃からいろいろ考えまして『恋人たちの時刻』以降、テーマソングを含めて、僕自身がすべてタッチするという方向でやるようになったんです。映画をトータルに考えるためには、いまのようなビジネス的背景では仕事がしづらいと思いましてね……劇伴ではなくレコード業界でもやれて、映画界もよく知っている人間……ということで、そろそろ自分がそういう役割をしなきゃならないんだなあ、と考えたわけです。『漂流教室』で今井美樹を起用したのも僕です。こうなると、プロデューサー活動が主になる。でも、そうまでしなきゃ、いまの現状はなかなか変えることができない」

-『天空の城ラピュタ』でも、〈君をのせて〉という主題歌を井上あずみにうたわせていますね。

久石:
「まあ、あの作品あたりからプロデューサー的な立場で音楽にタッチしていったわけです。注文作曲家じゃない!という姿勢で全部やるようにしていますからわずらわしいことにもかかわって、いいスタッフになろうと努力しているんです」

-『この愛の物語』では、またガラリ変わったラインでやってましたね。

久石:
「これはビジネスにからんでくることなんです。アメリカ映画が『フラッシュダンス』以降、ミュージック映画として何曲かどんどん曲を入れて、そこからヒット曲を出しましたよね。それがきっかけで、映画の内容に関係なく、映画に使ってほしいと持ち込んで、一本の作品に何人もの作曲家が参加して、いくつものレコード会社が合乗りでやっていますね。そういう新しいマーケットが出来たことに、日本映画も注目すべきなんですよ。『この愛の物語』でその先兵をやってみたかった。現在、サントラ盤というものはまったく売れていないんです。ところが、映画音楽の製作費は、映画の製作費ではまかなえないんです。ですから、レコード会社に製作費を出させて、サントラ盤を出すというパッケージしか組めないんです。でも、サントラ盤は売れない。そうなると、誰かがサントラ盤は売れるんだ!ということをやってみせなければ、もっと悲惨な状態になってしまう。僕としては、ここでどうしてもサントラ盤を売るということをやって見せたかった。そのため、トータルなコーディネートを目ざしたんです。あの映画の中には11曲、そのうち8曲は映画のためのオリジナルです。台本の段階でそのシーンのイメージに近い曲を既製の楽曲から集める。それを監督に聞いてもらう。撮影中もその曲を流してもらった。次にそのシーンに合う曲を作り、歌詞を発注する。アレンジされた曲をもとに、もう一度、歌手、歌手選びと歌詞をやり直す。音楽が自然に流れていたはずです。血のにじむ努力ですね、あれは。3ヵ月、レコーディング時間はトータル350時間を超えましたからね」

-確かに、『この愛の物語』では全篇に歌が流れていたような印象が強いですね。

久石:
「一つひとつテーマを決めて、その中で自分がいまどんな活動をしなきゃならないか、ということをハッキリさせる必要があった。本来、映画音楽というものは、インストゥルメンタルできっちりやるのが正しい方法なんです。必ずそうありたいし、だけど現状ではそれをやっても誰も見向きもしてくれない。その現状の中で、少しでも良くできることがあったら、まずそれをすべきです。いろんな人たちから目を向けてもらう必要がある。映画が、音楽的な背景でいちばん立ち遅れているんです。昔は、映画館がいちばんいい音を持っていたのにね……。いまは、ほとんどの人がCDを聞いているのに、古臭い音を依然引きずっているのは映画館だけですよ。『アリオン』をやったとき、日本にはもっとドルビー館が必要だなあと思いましたね。この一年のあいだに、ドルビー館がすごく増えましたでしょ、遅まきながらでも。これがあたり前なんです。映画がよりエンターテインメントできる環境作りが出来上がってきたわけですね。その中で、自分の手でやれる範囲というのは、なにも自分の曲だけに限ったことじゃないと思う。少しずつでも改革できればなあ、と思いますね」

-ここ2年間ぐらいは映画音楽を作る人たちにとっては、いい環境になってきているわけですね?

久石:
「上映する環境としては整備されてきましたよね。でも、製作サイドが音楽作りに理解を示してきているかといえば、必ずしもそうではありませんね。日本はやっぱり活字文化なんですね、目に見えるものにはお金は出すけど、見えないものには出しませんよ。それはもう見事なくらいですね(笑)。遅れてますよ。必要以上に言葉で説明しすぎます。言葉の数が多すぎますよね。そのあたりのことは、毎回口すっぱく言っていかないと、どうにもならないでしょうね。『漂流教室』をやったとき、あの映画はほとんどが英語のダイアローグだったでしょ、だから日本語に比べて60%以内でセリフが終わっちゃうんです。その分、空白の部分がたくさん作れたわけですよね。まあ、そういう作品がもっともっと作られるべきじゃないでしょうか」

久石音楽の最近作は『ドン松五郎の大冒険』である。

久石:
「立花理佐が歌う主題歌とメインテーマが、いちばんうまい形でからんだ作品になりました。ファミリー映画ですからね、メリハリをつけて、明るく、あいまいさ抜きで、素直にダイナミックにつけましたね」

今後は、「なんとしても、外国の作品をやれるまで、ガンバリたいですね」と、抱負を語る。これまで映画の中で手がけたピアノ・ソロ曲をアルバムにする計画もあるとか。

久石:
「自分の作品が評価されるのは監督さんとのコミュニケーションがうまく取れたからだと思います。映画って、結局のところ監督のものなんですね。スタッフのものじゃないんです。監督を頂点としたピラミッドの中で作りますから、監督と僕のコミュニケーションが取れるということは、レコード会社を含めたビジネスに集約されていくんです」

現在、日本の映画音楽の最先端に位置する人だけに、その活動とともに、作品ごとに仕掛けてくる音楽のあり方にも相当の話題を呼びそうだ。「映画の中で音楽が占めている割合って、それなりに大切だと思います。しかし、何をつけても一応サマになっちゃう可能性もあるんですね。本物をきっちりおさえていく作業が、これからはいっそう求められると思います。自分が先兵となって、多少でもツッぱってみたい……」と語ってくれたその言葉が、じつに印象深い。

取材・構成 田沼雄一

(「キネマ旬報 1987年12月上旬号 No.963」より)

 

キネマ旬報 1987 12

 

Blog. 「クラシック プレミアム 28 ~ピアノ名曲集~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/1/29

クラシックプレミアム第28巻は、ピアノ名曲集です。

偉大な作曲家たちのピアノ名曲たちを、現代を代表するピアニストたちの名演奏で楽しむことができます。聴きなれたおなじみの曲ばかりですが、屈指の名演奏により新しい印象をうける楽曲も多いです。

 

【収録曲】
ベートーヴェン
《エリーゼのために》
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)
録音/1961年

シューベルト
即興曲第1集より 第3番・第4番
内田光子(ピアノ)
録音/1996年

シューマン
《子供の情景》より〈見知らぬ国より〉 〈トロイメライ〉
ラドゥ・ルプー(ピアノ)
録音/1993年

ブラームス
ハンガリー舞曲 第1番・第5番
カティア&マリエル・ラベック(ピアノ)
録音/1981年

ラフマニノフ
前奏曲《鐘》
ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
録音/1975年

ドビュッシー
《ベルガマスク組曲》より〈月の光〉
アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)
録音/1985年

《前奏曲集》第1巻より 〈亜麻色の髪の乙女〉
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)
録音/1978年

ラヴェル
《夜のガスパール》より 〈オンディーヌ〉 〈スカルボ〉
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
録音/1974年

サティ
《3つのジムノペディ》より 第1番、《おまえが欲しい》
パスカル・ロジェ(ピアノ)
録音/1983年

 

 

巻末の西洋古典音楽史では、「なぜ指揮者がいるのか?(上)」がテーマでおもしろかったです。なかなか業界人でなければわからない実態?!なども具体的な事例をふまえて辛辣に紹介されていました。

少し要点を抜粋してご紹介します。

 

「昔日本のオーケストラのコンサートマスターの方が、自分の楽団の常任指揮者のことをいつもくそみたいにこき下ろしていたのを思い出す。オーケストラと指揮者は敵対関係にあるのが常で、そもそもオーケストラの団員が自分のところの指揮者をほめることなど滅多になく、いずれにしても指揮者とはことほどさように憎まれ役であって、オーケストラから「あんなやつならいないほうがマシ」と思われていない指揮者を探すほうが、実は難しいと言っても過言ではないようなところがある。」

「個々の楽器の「入り」(特にソロのパッセージ)の指示も、指揮者の大事な仕事である。特に金管楽器などは、何十小節、特に何百小節も休みがあってから、いきなりソロが回ってくるということも珍しくない。そういう時はプロであっても入る時に「本当にここで合っているんだろうか…」とプレッシャーがかかる。だから指揮者に「はいどうぞ」とやってもらえると助かる。逆に言えば、ある指揮者がきちんとサインを出せるかどうかの見極めはオーケストラのプレーヤーの最大の関心事の一つであって、サインを出すのが難しいところで「指揮者いじめ」をやったという話も時々聞く。例えばヴァイオリンに非常に複雑なリズムが出てきて、それに指揮者がかかりっきりにならざるをえないような箇所で、金管のプレーヤーがわざと「そこはこっちも難しいので、僕にもサインくださ~い」などと言って嫌がらせをするといった類のことである。こういうときに涼しい顔をして「いいよ」と答え、右手でヴァイオリンを振りながら、左手で金管にサインを出したりできれば、その指揮者の株は大いに上がるだろう。オーケストラ・プレーヤーが何より恐れるのは自分だけが恥をかくこと、つまり「落ちる(今どこにいるかわからなくなる)」ことなのである。」

「超一流のオーケストラともなれば、実は指揮者なしでもたいがいのレパートリーは、自分たちで演奏できてしまうはずである。「こいつはダメだ」とばかりに指揮者を見限ると、もう彼の意向は無視して、コンサートマスターに合わせて自分たちだけで勝手に弾き切ってしまうこともある(もちろん彼らはそんな内幕をばらしたりはしないだろうが、客席で聴いていて明らかにそうだとわかるケースは確かにある)。」

「わかりきっていることをわざわざ指示する指揮者は逆に嫌われる。指揮者は余計なことは何もせず、ただそこに居てくれるだけでいい、ということになる。そもそもオーケストラのプレーヤーたちは、指揮者が何もせずただ目の前に居るだけでも、彼が音楽を隅々まで掌握しているかどうか、あっという間に見破ってしまうはずだ。そして「こいつは何か持っている」と思えばついてくるし、「こいつはダメだ」と思うと無視を決め込む。」

「知人のあるオーケストラ・プレーヤーが言っていた。指揮者が何かを持っているか持っていないか、3分もあればわかる、と。「本当に?」と問う私に、彼は言った。「60人以上のプロが120以上の目でもって、たった一人の人間の一挙手一投足を凝視しているんだよ!彼が言っていること、彼がやっていることが本物か付け焼き刃かなんて、あっという間にわかるよ!」」

「思うに指揮者に究極のところ何が要求されているかといえば、技術もさりながら、「何か言いたいことを持っている」という点に尽きるのであろう。団員に自分たちだけでは到達できない何らかの啓示を与えられるかどうか。「この曲をこうやりたい!」というコンセプトと情熱。ちなみに「あいつは何がやりたいのかわからない」というのは、オーケストラ・プレーヤーがしょっちゅう口にする、指揮者に対する悪口の定番である。口で言っていることと、指揮棒でもってやっていることとが違う。テンポが練習の度に違う。何のためにその練習をさせているのかわからない等々。まったく指揮者というのは、よほどのカリスマか、さもなくばよほど鈍感な鉄面皮の自信家でなければ務まらない、こわいこわい商売である。」

 

 

かなり辛辣で厳しい指揮者という立場が浮き彫りにされていますが、(上)となっていますので、次号の(下)に期待です。「とはいっても…」という感じで、指揮者の役どころや指揮者が必要な理由を解き明かしてくれるはずです。

もしくは名指揮者たちが名指揮者と言われる所以などプラス面でも同じような具体的事例をふまえた話があるとおもしろいですね。そういった意味で次号も合わせて「指揮者」の話は完結すると思っています。

 

補足)
このコラムで例えや実話で出てきたオーケストラ団体は海外オケでした。どこのオケのことだろう?と思われるかもしれませんが。世界各国で活躍されている日本人オケ・プレーヤーはたくさんいますので。

また国内外問わずどのオーケストラでもあり得るお話なのかもしれません。久石譲が振っている楽団も?久石譲と楽団もそんな関係?いえ、久石譲は常任指揮者ではありませんので。久石譲の演奏会では会場ごとにその地域のオーケストラ楽団と共演することが多いです。

まあ常任指揮者であれ客演指揮者であれ、指揮者と楽団の円滑なコミュニケーションにより、最高のパフォーマンスを披露してほしい、そんな演奏会を期待します。

 

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第27回は、
マーラー作品の中の「永遠の憂情」

マーラー第5番の話をユダヤの思考にからめて進みます。それにしてもクラシック音楽の奥深さ、解釈の多様さや複雑さ。そういったものを最近のエッセイを読みながら感じます。

一部抜粋してご紹介します。

 

「マーラーの交響曲第5番を指揮したのは数年前に遡る。全5楽章、70分くらい演奏にかかる大作なので、スコア(総譜)は辞書並みの厚さだ。これを覚えるのか、と思うと随分プレッシャーがかかり、日々の作曲を終えて家に帰り、毎晩明け方まで勉強した事を思い出す。」

「第1楽章の葬送行進曲と第2楽章はとても関連性があり、この二つを一つに括ると通常の4楽章形式とも取れる。また第4楽章のアダージェットは映画『ベニスに死す』に使われ、甘美なメロディーと相まってとても人気があり、僕もこの曲だけ単独で何度も演奏した事がある。」

「初演の1年後に出版したがその後も4~5年かけて妻のアルマや後輩のブルーノ・ワルターの意見を取り入れ補筆あるいは加筆している。このことは前に書いているので省略するが、この出版ということが現代ではピンと来ないかもしれないので説明すると、20世紀初頭ではまだテレビやCD(レコードを含む)、DVDがなかったので、音楽を聴くためにはコンサート、サロン、オペラハウス、街角の辻芸人の演奏、ビアホールなどに出向くしかなかった。作曲家はそれらの場所の初演を目指し曲を書くのだが、その一回限りではなく、やはり多くの人にその曲の存在を知ってもらいたいと思う。」

「その場合が、出版なのである。まだ交通の便も悪く、今日のように情報が溢れているわけでもないので、多くの音楽家や愛好家たちは譜面を買い求め、楽器で演奏し、歌ってその曲を想像し楽しんだ。何だかとてもクリエイティブな感じがするが、今日ではそれが自宅でも聴けるCD、DVDに変わった。もちろん譜面の出版も行われているが、視覚(譜面を見て)から聴覚的情報に変換する作業より、直接聴覚に訴えかけるほうが手っ取り早いので多くの人はCD、DVDを楽しむ。もちろん演奏しようと思われる方は譜面を入手する。」

「とにかく譜面を出版するということは当時の作曲家にとってとても重要なことだった。いや、実は今でもそれは重要なことだと僕は思っている。」

「話を戻すと、マーターの本質は歌曲的な旋律にある。その旋律を複数、対位法的に扱うものだから、どっちが主旋律だかわかりづらい箇所も多い。しかも超一流の指揮者だったからオーケストラを知り抜いているため、トゥッティ(全楽器が鳴っているところ)でも各楽器に音量やニュアンスが細かく書かれている。だから何だかごちゃごちゃしているように見えるため、頭の中で把握しづらい。」

「また美しい旋律が朗々と歌ったかと思うと、小さい頃に聞いた軍楽隊のフレーズが現れ、突然オーケストラが咆哮したりで曲想がコロコロ変わる。そのため楽曲の構成がわかりにくいとされる。中には思いついたことをそのまま書いているだけじゃないか、と毒舌を吐く人もいるのだが前回書いたとおり、意外に伝統的なソナタ形式を踏まえている。」

「その「ほとばしり出る心情」を僕はちょっと持て余した。作曲家的分析だけではとても理解できない何かがあった。見方を変えて徹底的に旋律を歌わせる方向でその時は乗り切ったが、腑に落ちない部分も多かった。むろんこのような大曲は何度も振ってみないと、およそ表現に至らないのだが、それでも何か大きく引っかかるものがあった。」

「しばらくして、内田樹氏の『私家版ユダヤ文化論』や養老孟司先生の著作に触れ、「ユダヤ的なもの」に興味を抱いた。その時わかったのである。あのえも言われぬ感情は一作曲家のものではなく、連綿と続くユダヤ人独特の感性なのだと。その「永遠の憂情」のようなものは、崇高な理念とやや下世話な大衆性(エンターテインメント)が同居し、あるいは瞬時に入れ替わって複雑なプリズムを生む。単眼的な視点ではなかなか理解できないのだが、複眼的に彼のバックボーンなども考え合わせると、わかるのではなく、納得する。あるいは腑に落ちるのである。マーラーに多くの指揮者がはまるわけである。この崇高な理念と大衆性はメンデルスゾーンの作曲した楽曲にもあり、バーンスタインにもある。」

「あの時、それがわかっていれば。今更言ってもしょうがないのだが演奏は間違いなく変わっていた。まあ、人生ってこういうものだと思い直し、次回に期す今日この頃である。」

 

 

クラシックプレミアム 28 ピアノ名曲集

 

Blog. 「久石譲 大阪ひびきの街 スペシャル・コンサート」 コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/1/28

「大阪ひびきの街」誕生を記念して委嘱された「大阪ひびきの街 オリジナルテーマ曲 『Overture -序曲-』」。祝典序曲にふさわしい6分に及ぶ圧巻のフルオーケストラなのですが、残念ながら記念コンサートや久石譲自身のコンサートで数回演奏されたのみでCD化はされていない未発売曲です。どういう企画とコンサートだったかというと、当時のWeb記事よりご紹介します。

 

 

「大阪ひびきの街」市民参加演奏イベント-音楽家・久石譲さんが指揮

オリックス不動産(東京都港区)など4社は7月29日、大阪・西区の新町北公園(大阪市西区新町1)とオリックス劇場(同)で音楽家の久石譲さんの指揮による市民参加演奏イベント「大阪ひびきの街 スペシャルコンサート」を開催した。

今年4月にリニューアルオープンしたオリックス劇場と、それに隣接する超高層タワーマンションで構成される街区「大阪ひびきの街」の誕生を記念したもので、同区を文化発信拠点として、地域と一体となって盛り上げることを目的に開いた。

指揮を務めたのは宮崎駿監督作品の音楽などを担当する久石さんで、日本センチュリー交響楽団や一般公募により選ばれた約500人が演奏を行った。

メーン会場の劇場とサブ会場の公園を中継映像でつなぎ、サブ会場にいる演奏者はその映像を見ながら、久石さんが作曲した「ひびきの街」のテーマ曲などを披露した。

(なんば経済新聞 2012年8月1日付 より)

 

 

 

そんなスペシャル・コンサートにて配布されたコンサート・プログラムより、久石譲のメッセージをご紹介します。

 

 

- ご挨拶 -

旧大阪厚生年金会館は、1968年(昭和43年)の誕生以来、大阪を代表するホールとして、数々の国内外のアーティスト達が演奏活動を行ってきたホールです。当時より、アーティストにとって大切な活動の場の一つであったと受け止めていますが、閉館時には、一時16万人をも超える地域の方々のホール存続を求める署名活動が行われたとも聞いており、それだけ地元の方々の思い入れが強く、地域にとっても大変意義のある音楽施設であったと思います。今回、リノベーションを経て『オリックス劇場』としての復活を果たし、53階建てて超高層タワーマンションと一体となった新たな街区として、再び皆様に音楽に親しんでいただけるエリアが生まれること、そして、それを記念するイベントに指揮・作曲という形で参加できるということは意義深いものだと考えています。今回のイベントを通じ、地域の皆様と音楽を通じてふれあい、大阪の音楽文化の新たな活性化につながる機会となることを願っています。

 

- Overture -序曲- の由来 -

新街区の誕生を記念する祝の序曲として作曲しました。新しい街、暮らし、人々が交わり響き合う”交響都市”をイメージしています。

(久石譲 大阪ひびきの街 スペシャル・コンサート コンサート・パンフレットより)

 

 

大阪ひびきの街スペシャルコンサート

[公演期間]
2012/7/29

[公演回数]
1公演(大阪 オリックス劇場)

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:日本センチュリー交響楽団

[曲目]
第1部
指揮:福里大輔
吹奏楽:箕面自由学園高等学校吹奏楽部

和田信/行進曲「希望の空」
R.シュトラウス/「アルプス交響曲」より (編曲:森田一浩)
高島俊男 編/「シャンソン・メドレー ~モンマルトルの小径~」

第2部
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:日本センチュリー交響楽団

久石譲/Overture-序曲- (大阪ひびきの街 オリジナルテーマ曲)
R.ワーグナー/歌劇「タンホイザー」序曲
O.レスピーギ/交響詩「ローマの松」

アンコール
久石譲/ One Summer’s Day (映画『千と千尋の神隠し』より)
久石譲/Symphonic Variation ”Merry-go-round” (映画『ハウルの動く城』より)
久石譲/Overture-序曲- (大阪ひびきの街 オリジナルテーマ曲)

 

 

 

このスペシャルコンサートの模様は後にCMとしても起用されました。オリックス不動産株式会社のプレスリリースでは、CMカット集(画像)やイベント当日の様子(画像)やエピソードをPDF計8ページにて閲覧可能です。

こちら ⇒ 大阪ひびきの街 ザ・サンクタスタワー CM プレスリリース

 

 

以下、要点のみ抜粋紹介。

 

オリックス不動産株式会社(本社:東京都港区、社長:山谷 佳之※以下、オリックス不動産)他 4 社は、2012 年 8 月 25 日(土)より、西日本最大級となる地上 53 階建て、高さ約 190m、総戸数 874 戸の超高層タワーマンション「大阪ひびきの街 ザ・サンクタスタワー」のテレビ CM(15 秒・30 秒)を近畿 2府 4 県にて放映します。

本 CM は、2012 年 7 月 29 日(日)に開催された、音楽家・久石譲氏指揮による約 500 人の市民参加演奏イベント「大阪ひびきの街 スペシャルコンサート」の模様を収め、当日のダイナミックで臨場感溢れる、久石氏と一般楽団員の 1 日限りの共演の様子をお届けします。

「大阪ひびきの街 スペシャルコンサート」は、大阪厚生年金会館跡地の文化発信拠点として、新街区「大阪ひびきの街」の誕生を祝うために開催されたイベントです。当日は、久石譲氏により作曲された「大阪ひびきの街テーマ曲 Overture-序曲-」を、オリックス劇場で日本センチュリー交響楽団が久石氏指揮のもと演奏、劇場に隣接する新町北公園では真夏の陽差しの中、一般公募で選ばれた約 500 人が中継映像の久石氏の指揮のもと同時に演奏しました。

「大阪ひびきの街」は、16 万人を超える存続署名活動があった大阪厚生年金会館跡地に『オリックス劇場』(今年4月8日リニューアルオープン)と、西日本最大級の超高層マンション『大阪ひびきの街 ザ・サンクタスタワー』(地上 53 階・高さ約 190m・総戸数 874 戸)で構成される新街区です。本街区の名称「大阪ひびきの街」は、今年 1 月 16 日から約 1 ヵ月半に渡り実施した一般公募により、応募総数 3,067 通の中から決定しました。

「大阪ひびきの街 スペシャルコンサート」の模様を『大阪ひびきの街 ザ・サンクタスタワー』のCM 素材として活用することで、「大阪ひびきの街」に暮らす楽しさと本物件のスケール感をお伝えします。

 

【久石 譲氏の感想(イベントを終えて)】
「(一般楽団員の)500 名のみなさん、本当にいい演奏でした。素晴らしかった。(一緒に演奏した)日本センチュリー交響楽団も素晴らしいオーケストラで、一生懸命やってくれました。オーケストラは文化です。参加してくれた人たちが、その文化をこれから応援していく人達ですが、みんなで盛り上げていければいいなと思います。」

 

【一般楽団員の感想(イベントを終えて)】
世界的な音楽家である久石譲氏ご本人による指揮のもと演奏に参加できた喜びと、大勢の方達と一緒になって演奏することの一体感や、普段なかなか機会の無い真夏の屋外で演奏することの解放感など、貴重な経験ができたとの声が多く聞かれました。

「久石さん指揮のもと、こんなに大勢で、しかもこんなに暑い日に演奏をする経験はなかなか無いので心に残る一日でした。」

「少しの人数でも、たくさんの人と一緒に一つのことができる、しかも真夏に演奏することは、なかなか無いので貴重な経験でした。」

「緊張したけれども、憧れの久石先生の指揮で演奏ができて楽しかったです。初対面の人達の中で、いろんな方面の方達と演奏できていい経験になりました。心が一つになれたんじゃないでしょうか。」

 

【「大阪ひびきの街テーマ曲 Overture -序曲-」について】
新街区の誕生を記念する祝いの序曲として作曲いただきました。新しい街、暮らし、人々が交わり響き合う”交響都心”をイメージしています。

 

【イベントエピソード(現場スタッフメモ)】
① プロジェクトスタート時から雨天の場合はどうするのかの議論が繰り広げられていました。荒天の場合は中止という危険性を伴いながらも、ただひたすら好天を願い、スタッフ全員が祈る気持ちで本番当日を迎えました。雨天に備え、大型テントのスタンバイも開催当日のギリギリまで準備していましたが、幸いにも好天に恵まれ、イベントを大成功で終えることができました。

② 実施日程が決定した当初から、真夏の屋外イベントの為、熱中症などの危険性を想定していましたが、想像を遥かに上回る猛暑日が続いていたため、本番の2日前から、水や、熱中症対策グッズの追加発注など、万全の暑さ対策を目指しました。一定時間で休憩を取っていただくローテーションも組んだことにより、重い熱中症症状の方も出ず無事に終了しました。思い思いの楽器を手に集まった一般楽団員の皆さんが、強い陽射しの下であるにも関わらず、良い演奏をしようと、休憩時も水分を補給しながら休まず練習に励んでいらっしゃる姿に、その場にいたスタッフ全員が心を打たれ、本番終了時には感動で涙ぐむスタッフもいました。

③ 一回限りの本番撮影となる為、チャンスを見逃さず、できる限り多くの素材を集めるために、撮影用カメラは記録用カメラを含め総計 20 台(スチール含む)にも及びました。

④ 公園の蝉の鳴き声で演奏の音が聞こえなくなるのでは?という懸念があり、蝉対策を迫られました。本番時にあまりにも鳴き声がうるさい場合は、虫取り網で追い払う等の対応も真剣に検討していました。本場 2 週間前のロケハンでは、公園内の木々に蝉が殆どいなかったため安心していたのですが、前日の設営時には蝉の鳴き声が非常に大きく、本番時の撮影を心配しました。しかしながら、本番の時間帯はなぜか蝉が鳴くことは殆ど無く、撮影に影響しなかったため安堵しました。蝉もイベントに協力してくれたようです。

⑤イベント開催が主体ですので、 1日限りのイベント風景を撮影してCMにするという、通常のCM撮影とは異なる全体進行に、想定外のことも多く発生しました。イベント当日も、一般楽団員の参加グループが予定より早く会場に到着するなど、参加者が多いため、撮影を調整することが大変難しく、困難を極めました。また、公園内のイベント進行係員の他に、楽器別の音楽演奏指導員を 20 名近く配置し、参加者が演奏しやすい環境を作り出すのに注力しました。その結果が素晴らしい演奏につながったと思います。

⑥当日のサブ会場(新町北公園)には、イベント開始直前に久石さんがサプライズとして登場。「お暑い中、集まっていただきありがとう。すごい練習したの?せっかくだから一回聞かせてもらおうかな。」と、突然の演奏リハーサル。演奏を聴き終えて、「すごい!!頑張って一緒にやりましょうね。すごい元気をもらった気がする。頑張ろう!」と、誰もが予想していなかった展開に、会場は一気に盛り上がり、皆のテンションも更に上がった様子でした。

(以上、オリックス不動産 プレスリリースPDF より)

 

 

また2012年9月12日付産経新聞にも久石譲インタビューが掲載されていました。すでに紹介していますので、興味のある方はこちらもあわせてご覧ください。

こちら ⇒ Blog. 「Overture -序曲-」 久石譲 新聞掲載インタビュー

 

大阪ひびきの街コンサート

 

Blog. 「久石譲 3.11 チャリティーコンサート」(2011) コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/1/25

日本のみならずパリ・北京など世界をまたいで4公演開催された「久石 譲 3.11 チャリティーコンサート〜ザ ベスト オブ シネマミュージック〜」

2008年のジブリ25周年武道館コンサートさながら舞台には巨大スクリーンが設置され、ジブリ作品だけでなく北野武監督作品から海外映画まで、久石譲の手がけた映画音楽の名曲オンパレード。

 

 

久石譲 3.11 チャリティーコンサート 〜ザ ベスト オブ シネマミュージック〜

[公演期間]  57 久石 譲 3.11 チャリティーコンサート〜ザ ベスト オブ シネマミュージック〜
2011/06/18 – 2011/07/09

[公演回数]
4公演
6/9 東京・東京国際フォーラムホールA
6/18 大阪・大阪城ホール
6/23 パリ・Zenith de Paris
7/9 北京・The National Indoor Stadium, Beijing

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
ソプラノ:林 正子(東京・大阪)、Hélène Bernardy(パリ)、Sarah Zhai(北京)
管弦楽・合唱:
ニューシティ管弦楽団、特別編成合唱団、東京少年少女合唱隊(東京)
関西フィルハーモニー管弦楽団、兵庫県立長田高等学校音楽部、大坂成蹊学園コーラス部、大坂学芸高等学校コーラス部、大阪市立三津屋小学校子ども会音楽クラブ(大阪)
スターポップスオーケストラ、COGE, TF Gospel, CHAM de Saint Maur/Chœur des CHAM de Saint Maur(パリ)
中国歌劇舞劇院歌劇団、China Opera and Dance-Drama Company Opera troupe/Central Youth Broadcasting Chorus(北京)

[曲目]
NAUSICAÄ (映画『風の谷のナウシカ』より)
Princess Mononoke (映画『もののけ姫』より)
THE GENERAL (映画『久石譲 meets THE GENERAL キートンの大列車追跡』より)
Let The Bullets Fly (映画『譲子弾飛』より)
The Sun Also Rises (映画『太陽照常升起』より)
Raging Men (映画『Brother』より)
HANA-BI (映画『HANA-BI』より)
Kids Return (映画『Kids Return』より)
Howl’s Moving Castle (映画『ハウルの動く城』より)
Departures (映画『おくりびと』より)
One Summer’s Day (映画『千と千尋の神隠し』より)
Summer (映画『菊次郎の夏』より)
Villain (映画『悪人』より)
Ponyo on the Cliff by the Sea (映画『崖の上のポニョ』より)
Ashitaka and San (映画『もののけ姫』より)
My Neighbour TOTORO (映画『となりのトトロ』より)

 

 

このコンサート企画はタイトルのとおり、東日本大震災のチャリティーコンサートとして開催され、コンサート収益は、【東日本大震災で楽器を失った子どもたちの為に寄付】されています。

またコンサートLive録音として、『The Best of Cinema Music』 CDも発表されています。

久石譲 『THE BEST OF CINEMA MUSIC』

 

 

コンサート会場にて配布されたコンサート・プログラムより久石譲のこの企画への想い、インタビュー内容をご紹介します。

 

 

もう今は夢を語るときではない
- 東日本大震災に寄せて -

4月9日サントリーホールで「久石譲 Classics vol.3」として、ベートーヴェンの交響曲5番「運命」と7番とともに新作「5th Dimension」を発表した。「運命」のモティーフを使って新たなミニマル曲を作る構想だったが、その作曲期間中に東日本大震災が起こり、その影響が色濃くでた悲痛な楽曲に仕上がった。癒し、安らぎと決定的に違うその曲を演奏していいのかコンサートの前日まで悩んだ。

多くのコンサート・イヴェントが自粛で中止している最中のコンサートは大勢の人たちから賞賛の言葉をいただき、自分の震災に対する考え、行動は終えたはずだった。

音楽家は音楽で伝えればいい、僕はそう考えていた。

そして東日本大震災から2ヶ月が過ぎた。

未曾有の危機の中で多くの人々が温かい視線で被災地、及び被災者を見守り、一人一人ができることを献身的に行い、我々はひとりではない、皆繋がっていると呼びかけ、このゴールデンウィークには大勢のボランティアが東北に集まった。日本人のマナーの良さは世界から称賛を浴び、2000億円もの義援金が集まった。だが、だからといって事態は良い方向に向かっているとは言いがたいと僕は考える。

地震、津波は自然の猛威であるが原発は人災だ。かつて広島に投下された原子爆弾で我々は世界で初めてその脅威にさらされた。多くの人を失い、今なお苦しんでいる人たちが大勢いる。その国で原子力を扱うなら世界のどの国よりも神経質なまでに注意を払うべきだった。が、東電、政府関係者、学者と言われている人たちは「想定外」という。では想定内はどこまで指していたのか、そもそもその想定内のこととは何を基準に決定されていたのか?

日本国を沈没させかねないこの総てを自分に都合良く解釈し、目の前の出来事を都合よく説明するこの日本人はどこから来たのか?

震災の夜、西麻布の交差点で見た渋谷の駅を目指し整然と歩く人たちに驚いた。隊列を組んだように従順に歩くその姿は羊の群れのようで、この国の人たちはいつからこんなに飼いならされたのかと悄然とした。

例えば若者は言葉が通じない海外に行くことを嫌がり草津の温泉で足湯につかり、男たちは場所もわきまえずキャンキャンと居酒屋しゃべりに熱中する。かつての男たちはあんなに甲高くベラベラと喋っていたのだろうか?海外の大学生はそれぞれの国の問題に対してデモなりで抗議の意思表示をするが、日本の学生のデモは久しく聞いていない。

一事が万事、このような国の今のあり方に僕は憂慮する。今半分しか動いていない日本の経済はこの秋、そして1年後にボディーブロウのように効いてきて想像を絶するダメージが我々を襲うと考える。

もう夢や安らぎ、癒しを語っているときではない。

震災があったためにこの国がどうなるかではなく、もともとこの国はどうなるのかが問題だったのだ。

怒れ、日本人!
自分の意思を鮮明にしろ!

原発の内部で作業する人たちは本当に死を賭して頑張っているし、避難所の人たちは家族や友人、身内の大事な人を失っても健気に生きている。彼らの姿勢から非被災者である我々は本当に多くのことを学ばなければならない。

音楽家は音楽で伝えればいい、僕の考えはそうである。が、社会の一員である自分ができることはまだまだ沢山ある。個人で寄付するだけではなく、もっと社会に貢献できることがあるはずだ。例えば、楽器を失った子どもたちにもう一度皆で演奏する喜びを取り戻してもらいたい。そのための楽器購入支援ができないか。そう考えていた矢先に多くのチャリティーコンサートがポップスやクラシックで組まれていることを知った。まるで免罪符のようにチャリティーをうたったコンサートの多くは、癒しや安らぎをテーマにしているものが多かった。

それでいいのか?という疑問を持った。今は、そんな時ではない。

その瞬間コンサートを行うことを決めた。

折しもポーランドのクラクフで行われる映画音楽祭のために作った自作の映画音楽のプログラムをベースにして、音楽と映像の本格的で大規模なコンサートを行う。そして本物の感動を伝えたい。場所は東京と大阪、それにパリと北京も決定した。

4月の末に気仙沼と陸前高田市、それに大船渡を訪れた。空気感を伴ったその惨状のまえで、自分のやろうとしていることは砂丘の一粒にもならないことを実感した。しかし、立ち止まってはいけない。できることがある人は、それをやらなくてはいけない。被災された方々のためにも、被災地の復興のためにも、我々は音楽、もっと言えば経済を止めてはいけない。

昔から日本人はこの美しい国で自然災害に見舞われながら力強く生きて来た、自然と共生して来た、その力を信じたいと考えた。

映画「もののけ姫」のラストで「ともに生きよう」というセリフがある。それはお互いの痛みを分かち合いながら、希望を持ってそれぞれの場所でしっかり行動せよという意味にも僕には取れる。

慣れ合いのぬるま湯から、真の心の独立を目指し、僕は僕の場所でできることを精一杯行っていく覚悟である。

2011年5月11日
久石譲

(久石 譲 3.11 チャリティーコンサート〜ザ ベスト オブ シネマミュージック〜 コンサート・パンフレットより)

 

 

ザ・ベスト・オブ・シネマ・ミュージック チャリティーコンサート 久石譲

 

Blog. 「久石譲 ニューイヤー・コンサート 2010」 コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/01/22

2010年の幕開けを飾った「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ ニューイヤー・コンサート」

新年早々、長野・東京にて3公演開催されました。2004年に創立した久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)その活動も軌道にのっている時期を象徴して、久石譲作品のみならず海外の映画音楽作品からクラシック音楽まで、新年を彩るにふさわしい華やかな楽曲たちが並んでいます。

 

 

久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ ニューイヤーコンサート

[公演期間]
2010/01/06,07,09

[公演回数]
3公演
1/6 長野・ホクト文化ホール
1/7 東京・サントリーホール
1/9 東京・Bunkamuraオーチャードホール

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
演奏:新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ

[曲目]
バレエ組曲 「火の鳥」1919年版 (ストラヴィンスキー)
序曲~火の鳥とその踊り~火の鳥のヴァリエーション
王女たちのロンド
カスチェイ王の魔の踊り
子守唄
終曲

Winter Garden (ソロ・ヴァイオリン:豊嶋泰嗣)
1st movement
2nd movement
3rd movement

「坂の上の雲」組曲
時代の風
旅立ち
青春
戦争の悲劇
Stand Alone

久石譲 with W.D.O
ロシュフォールの恋人たち (作曲:ミシェル・ルグラン 編曲:山下康介)
24 Theme (作曲:シーン・カラリー 編曲:宮野幸子)
Adventure of Dreams
World Dreams
Mission Impossible (作曲:ラロ・シフリン 編曲:久石譲)

—アンコール—
あの夏へ (for Piano and Orchestra)
Runner of the Spirit

 

 

2015年の今現在から振り返りますと、演奏プログラムのなかに希少な作品たちを見ることができます。

「Winter Garden」は、2014年ジルベスター・コンサートにて再び全3楽章が演奏され、いまだCD化もされていないレア作品です。

「Adventure of Dreams」は、2009年日清カップヌードルCM曲として書き下ろされ、こちらもコンサートでも数回しか披露されておらず、同じくCD化もされていない現時点で幻の一品のひとつ。

「Runner of Spirit」は、2009年第85回箱根駅伝テーマソングとして書き下ろされ、その後毎年正月にお茶の間で聴くことのできる楽曲ですが、こちらもCD化されていません。さらにこの楽曲は、久石譲初の吹奏楽作品であり、このコンサートにおいては、オーケストラバージョンとして披露された、オリジナル版としてもコンサート版としてもすべてにおいて希少な作品です。

そんなことからも現時点では伝説的な作品が堪能できたプログラムです。

 

 

当日配布されたコンサート・プログラムより各楽曲解説を紐解いていきます。

 

Word Dreams

ワールド・ドリーム・オーケストラ(以下W.D.O.)のテーマ曲。2004年、新日本フィルハーモニー交響楽団とのこの共同プロジェクトをスタートさせるにあたり、久石譲が”祝典序曲”のコンセプトのもと書き下ろした。シンプルで朗々とうたうメロディは、国家のような格調をも感じさせる。
*W.D.O.のファースト・アルバム『WORLD DREAMS』、『W.D.O. BEST』収録

 

Winter Garden
・1st movement
・2nd movement
・3rd movement

ミニマル・ミュージックの手法をベースに、ヴァイオリンとピアノのために書き下ろした2006年の作品『Winter Garden』を、今回はヴァイオリン・ソロとオーケストラの小協奏曲に改訂、新たに第3楽章が付け加えられた。8分の15拍子の軽快なリズムをもった第1楽章、特徴ある変拍子のリズムの継続と官能的なヴァイオリンのメロディによる第2楽章。そして初披露となる第3楽章は、8分の6拍子を基調とし、ソロパートとオーケストラが絶妙に掛け合いながら、後半はヴィルトゥオーゾ的なカデンツァをもって終焉へと向かっていく。W.D.O.コンサートマスターの豊嶋泰嗣のヴァイオリン・ソロでおくる。
*2006年版の『Winter Garden』は、ヴァイオリニスト鈴木理恵子のアルバム『Winter Garden』に収録されている。

 

バレエ音楽「火の鳥」(1919年版)
・序曲~火の鳥とその踊り~火の鳥のヴァリエーション
・王女たちのロンド
・カスチェイ王の魔の踊り
・子守唄
・終曲

1910年から1919年にかけてパリ・オペラ座のために書かれた『火の鳥』(全曲)はロシアの作曲家ストラヴィンスキーの代表作のひとつである。本日演奏される1919年版というのは組曲として構成されたもので、この版以外にも1911年、1945年版があるが、最もよく演奏されるのがこの1919年版である。ストラヴィンスキーは今でこそ20世紀の重要な作曲家のひとりとして挙げられるが、この作品が書かれた当時は全くの無名の新人作曲家と言ってよい存在だった。先に依頼した同じくロシアの作曲家リャードフがなかなか作曲にとりかからなかったからとは言え、その代替案として無名のストラヴィンスキーに作曲を委嘱したロシアバレエ団率いるディアギレフにとっては大きな賭けとなったわけだが、見事ストラヴィンスキーは彼の期待に応え、バレエ公演は成功、そして作曲家自身も一躍スターとなった。

物語はイワン王子が魔王カスチェイに囚われたツァレーヴナ姫と恋に落ち、ふたりの危機を伝説の火の鳥が救う、というもの。組曲は1序奏~火の鳥とその踊り~火の鳥のヴァリエーション 2王女たちのロンド 3カスチェイ王の魔の踊り 4子守唄 5終曲から成り、音楽は途切れることなく演奏される。各シーンの音楽自体は勿論だが、組曲としてそれぞれの音楽の切り替え、つながりは見事としか言い様がない。『火の鳥』はその後、やはりロシアバレエ団のために書かれた『ペトルーシュカ』、『春の祭典』とともに現代オーケストラの重要なコンサート・レパートリーである一方、ディズニーの映画『ファンタジア』にも取入れられるなどバレエ以外のヴィジュアルとのコラボレーションに多用されるのはこの作品が持つ特別なエネルギーに強く惹きつけられるからだろう。

 

「坂の上の雲」組曲
・時代の風
・旅立ち
・青春
・戦争の悲劇
・Stand Alone

司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』が初の映像化。同名のNHKスペシャルドラマとして2009年11月から放送を開始した。音楽を担当した久石は、「史実・そこに立ち向かう人々の”凛とした”生き様を描きたかった」という。今回はその作品群の中から『時代の風』『旅立ち』『青春』『戦争の悲劇』『Stand Alone』と5つのテーマを選りすぐり、組曲形式に再構築した。あえて日本の五音階と西洋のモダンな音階を融合させることにより、独特の世界観を引き立たせている。明治時代、近代国家として新しく生まれ変わろうとする「日本」。純粋さやひたむきさだけでなく、高み=”坂の上”を目指そうとする人々の強い志と貪欲さが時代を動かす風となっていく。世界の歌姫サラ・ブライトマンが歌う『Stand Alone』は、明治の人々の”凛として立つ”美しき姿をイメージしたというメインテーマ。今回はオーケストラとピアノのバージョンで演奏する。自然と口ずさんでしまいような普遍的なメロディと壮大なオーケストレーションが秀逸。
*NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』オリジナル・サウンドトラック収録

 

久石譲 with W.D.O.

ロシュフォールの恋人たち

監督ジャック・ドゥミ、音楽ミシェル・ルグラン、主演カトリーヌ・ドヌーヴのゴールデン・トリオが生み出した、フランス・ミュージカル映画の傑作の一つ。お祭りにわきたつロシュフォールの街を舞台に、さまざまな恋が展開されてゆく1965年の作品。小気味よいリズムが生み出すグルーヴ感と、ストリングスの優美なハーモニーが、いっそう華やかさを盛り立てる。
(『パリのアメリカ人』 ライナーノーツより一部転用)

 

24 Theme

アメリカで2001年に放送開始されたキーファー・サザーランド主演のテレビ・シリーズ「24-TWENTY FOUR-」の主題曲。W.D.O.では2007年の「There is the Time」で初演された。冒頭から手に汗を握る緊迫感あふれる音楽は、『ニキータ』『ミディアム 霊能者アリソン・デュボア』等のテレビ・シリーズを手掛けるショーン・キャラリーによって作曲された。〈シーズン7〉に至るも依然人気は衰えることを知らない。

 

Adventure of Dreams

日清カップヌードルのCF 『DREAM! 夢こそが、明日をつくる』シリーズのテーマ曲としてつくられた。2009年の第4弾「ベーリング海峡篇」からこのCFに参加し、第5弾「北米大陸篇」、そして現在は第6弾の「南米大陸篇」が放映中。人類の歴史を辿るその壮大なスケール感と高揚感をそのままに、重厚感溢れるサウンドが心を打つ。当初よりフル・オーケストラ曲として制作されたが、冒頭に繊細で印象的なピアノ・ソロが書き加えられ、さらにドラマチックなオーケストラ作品として生まれ変わった。

 

Mission Impossible

『スパイ大作戦』のテーマ曲。アメリカで1966年から1973年にかけて放映された人気テレビ・シリーズ同様、トム・クルーズ主演で映画化された『ミッション:インポッシブル』も有名。一瞬で映画を彷彿させるオープニングとエンディング。特徴的な5拍子のリズムは、スリルと爽快さを味あわせてくれる。作曲を手がけたラロ・シフリンは、『ダーティー・ハリー』シリーズや『燃えよドラゴン』等の映画音楽でも名高い。

(久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ ニューイヤーコンサート コンサート・パンフレット より)

 

 

ニューイヤーコンサート

久石譲 ニューイヤー・コンサート 2010 プログラム

 

Blog. 「久石譲 ジルベスター・コンサート 2007」 コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/01/19

2007年大晦日に開催された「久石譲 ジルベスター・コンサート 2007」です。

念願の初ジルベスターコンサートにして、3回ものアンコールという興奮につつまれた2006年につづいて2回目です。演奏プログラムも前年よりもパワーアップ、ほぼリアルタイムな作品群や世界初演など、まさに2007年を象徴する楽曲たちが並んでいます。これがツアーではなく、一夜限りのジルベスターコンサートでのお披露目ですから、なんと贅沢な至福の時間だったことか、と思います。

 

 

久石譲ジルベスターコンサート2007

[公演期間]
2007/12/31

[公演回数]
1公演
大阪・ザ・シンフォニーホール

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
指揮:金洪才
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団

[曲目]
[第1部]
Orbis
組曲「マリと子犬の物語」 (全4楽章) ~「ふるさと」「奇跡の再開」 他2曲~
組曲「太王四神記」 (全4楽章) ~「タムドクのテーマ」「スジニのテーマ」(Pf.Solo) 「勝利へ」「運命」~

[第2部]
Links

[オーケストラストーリーズ となりのトトロ2007]
さんぽ
五月の村
ススワタリ~お母さん
トトロがいた!
風のとおり道
まいご
ネコバス
となりのトトロ

HANA-BI
Tango X.T.C.

—–アンコール—–
あの夏へ (for Piano and Orchestra)
Oriental Wind
夢の星空 (Pf.solo)

 

当日会場で配布されたコンサート・プログラムより各楽曲解説をご紹介します。

 

 

Orbis

今年で25回目を迎えた『サントリー1万人の第九』の記念委嘱作品。本年12月2日、大阪城ホールとサントリーホールとを結び同時衛星中継により世界初演され話題となった。パイプオルガンとオーケストラ、1万人の合唱団からなるこの楽曲を、今回のコンサートのためにフルオーケストラバージョンに書きかえた。華やかさがよりいっそう増すこととなった祝典序曲である。生命の起源となる水の小さな水泡が繋がって、やがて大きな環となる…。Orbisとはラテン語で”環” ”輪”などの意。

 

組曲『マリと子犬の物語』(全4楽章)

12月8日に全国一斉に劇場公開された映画『マリと子犬の物語』のために書かれたオリジナル・サウンドトラックより抜粋。今回はその中から、ブラスによる牧歌的なメロディが印象的なメインテーマを含め、物語を構成する主要な楽曲を再構成、組曲とした。世界初演。物語は2004年の新潟中越地震直後、全村避難の際に村に取り残された犬たちと村の人々との実話をもとにした心温まる感動ストーリー。音楽が作品をより起伏の富んだものへと彩りを添えている。
(『マリと子犬の物語』オリジナル・サウンドトラック収録)

 

組曲『太王四神記』(全4楽章)

12月4日より、NHK BS-hiによって放映が開始され話題となっている、ペ・ヨンジュン主演の韓国歴史ドラマ『太王四神記』おために書き下ろされた楽曲の中より、メインテーマを含む4曲を抜粋、世界初演の演奏となる。久石はこのドラマのために50曲以上もの楽曲を提供、フルオーケストラ編成の壮大なスケールの楽曲はダイナミックなドラマの世界観をより一層際立たせている。
(『太王四神記』オリジナル・サウンドトラック収録)

注)4曲とは、「タムドクのテーマ」 「スジニのテーマ」 「勝利へ」 「運命」

 

-休憩-

 

Links

Japan国際コンテンツフェスティバル(CoFesta)のテーマ曲としての委嘱作品。ミニマルミュージックのスタイルを多分に踏襲した楽曲で、冒頭に現れる8分の15拍子のリズミックで特徴的なフレーズをほぼ一貫して全曲中に使用。一つのテーマをオーケストラという可能性の中で様々な形に発展・展開してゆく妙は必聴。曲は後半にいくにつれ、緊張感と共に盛り上がっていく。15拍子という変拍子の中にグルーヴさえをも感じさせるスピード感溢れる楽曲。

 

オーケストラストーリーズ となりのトトロ2007

初めてオーケストラに接する子供たちと大人たちのための入門的作品。おなじみの「さんぽ」では楽器の音色や役割、特徴をわかりやすく解説。一つのオーケストラ作品としても完璧なまでに完成され、ストーリーの展開もさることながら、聴く者を飽きさせることのない内容に富んだ作品である。今回、新たに3管編成に編曲。
(『オーケストラストーリーズとなりのトトロ』収録)

 

HANA-BI

第54回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した映画『HANA-BI』のメインテーマ曲。アルバム〈Nostalgia〉に収録され、レコーディングを行ったイタリアを感じさせる哀愁漂う作品である。3拍子と4拍子のセクションが交互に置かれ、その上に乗る官能的なメロディーが印象的である。
(アルバム『WORIS II』等に収録)

 

Tango X.T.C.

華やかなこの楽曲はコンサートで演奏される機会が多く、「HANA-BI」同様、久石本人が大切にしている楽曲の一つでもある。映画『はるか、ノスタルジィ』のテーマ曲で、1992年にTango X.T.C.(エクスタシー)と名付けられ、アルバム〈My Lost City〉に収録された。その後オーケストラのために新たに書き直され、前作とはひと味違った作品に生まれ変わっている。
(アルバム『WORKS II』等に収録)

(久石譲 ジルベスターコンサート 2007 コンサート・プログラムより)

 

 

ジルベスター・コンサート 2007

 

Blog. 「久石譲 アジアオーケストラツアー ファイナルコンサート」(2007) コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/01/16

2007年3月5日に行われた「久石譲 アジアオーケストラツアー ファイナルコンサート」。2006年アジア4都市5公演で開催された「Joe Hisaishi Asia Orchestra Tour 2006」を経てその集大成および凱旋コンサートとして東京で開かれました。

 

 

アジアオーケストラツアーファイナルコンサート

[公演期間]
2007/3/5

[公演回数]
1公演 (サントリーホール 東京)

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽団:新日本フィルハーモニー交響楽団

[曲目]
第1部—–
水の旅人
For You(Theme)
NAUSICAÄ 2006
組曲「もののけ姫」
交響変奏曲「メリーゴーランド」

第2部—–
Piano Solo
あの夏へ
Summer
アシタカとサン

Dawn of Asia
Hurly-Burly
Monkey Forest
Asian Crisis
HANA-BI
Tango X.T.C.
Kids Return

アンコール—–
A Chinese Tall Story
Oriental Wind
となりのトトロ
Zai-Jian(Pf.Solo)

 

 

そのコンサート・プログラムより、楽曲解説からアジア現地レポートまで、ボリューム満点で紐解いていきます。

 

 

◎第一部

水の旅人
1993年、大林宣彦監督『水の旅人~侍・KIDS』より。
末谷真澄原作の「雨の旅人」を映画化、水の精霊と少年の交流を描いた勇気と優しさのSFXファンタジー。弱虫の小学生・悟が、身長17cmの侍・墨江少名彦と出会うことで様々なことを学び成長していく。テーマ曲である本作品は、重厚なオーケストレーションでコンサートの幕開けを飾るのにふさわしい楽曲である。

For You (Theme)
1993年、大林宣彦監督『水の旅人~侍・KIDS』より。
「For You」は中山美穂が歌う主題歌「あなたになら…」をオーケストラバージョンにアレンジした楽曲。木管楽器のソロをはじめとしたメロディが印象的な作品。

NAUSICAÄ2006
1984年、宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』より。
高度な古代文明が滅びて千年あまり、疹気(有毒ガス)が充満する「腐海」と呼ばれる森に棲む巨大な蟲(むし)に人々は脅かされながらも逞しく生きていた。そんな世界で自然を愛し、虫と語る風の谷の少女ナウシカが未来の地球を酷い争いからたった一人で救う姿を描く。NAUSICCÄ2006は『風の谷のナウシカ』の世界を壮大なスケールで描いた作品。

組曲『もののけ姫』
1997年、宮崎駿監督『もののけ姫』より。
”たたり神”に呪われた少年アシタカと、山犬に育てられた少女サンの二人をとおし、自然と人間の関係を象徴的に描いた作品。楽曲は「アシタカとサン」「TA・TA・RI・GAMI」「もののけ姫」と続く。

交響変奏曲『メリーゴランド』
2004年、宮崎駿監督『ハウルの動く城』より。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズの著書『魔法使いハウルと火の悪魔』をもとに、魔法で90歳の老婆に変えられてしまったソフィーと、魔法使いのハウルとの恋をとおして、生きる楽しさや愛する歓びを描いた作品。映画では、テーマ曲を様々に変奏してそれぞれの場面に個性的な楽曲が付いている。この曲は映画のテーマ曲を核に、一つの長大な交響変奏曲として書かれた。

 

◎第二部

Piano Solo 数曲

2006年、アルバム『Asian X.T.C.』収録曲より。
Dawn of Asia
亜細亜の夜明けは神秘的だ。まるで山水画のようなモノトーンから赤や黄色や緑の剥き出しの陽中に変貌していく。その力の前に人間なんて小さいものだと気づく。いい日もあれば落ち込む日もある。善も悪もミジンコも宇宙もすべては僕の中にあり、外にある。また新しい夜明け(Dawn)が始まる。

Hurly-Burly
台北の雑踏はエナジーに満ち溢れている。富と貧、老若、病と健康、喜びや悲しみ、笑い泣き、怒鳴り合う人々の顔は生命そのものだ。目の前を50ccのバイクが通り過ぎた。そこにはX’masツリーのように6人の子供を乗せたお父さんの逞しい姿があった。

Monkey Forest
モンキーフォレスト通りを歩いていたとき天が裂けたとした思えないほどの雨が降り注いだ。軒先の濡れたみやげ品を何事もなかったかのように片付けている少女を見て僕は意味のない傘を捨てた。

Asian Crisis
長い間封印していたことがある。青春の蹄鉄の中で描いて来たものに立ち向かうほど僕は強くなれたのだろうか?

 

HANA-BI
1997年、北野武監督『HANA-BI』より。
追われる身の刑事とその妻の逃亡劇を、これまで北野監督の乾いた視点から一転して、叙情的に描写した作品。ヴェネチア国際映画祭にて金獅子賞を受賞。テーマ音楽は非常に叙情的で、映画のエモーショナルな部分を深く表現している。

Tango X.T.C.
1992年、アルバム『My Lost City』収録曲より。
映画『はるか、ノスタルジィ』でもアレンジを変え使用されたこの楽曲は、官能的でありながらどこか悲哀感が漂う作品。久石作品の中でも様々なアレンジで演奏されているが、今回演奏されるオーケストラバージョンは秀逸を極めている。

Kids Return
1996年、北野武監督『Kids Return』より。
ボクサーを目指す青年と、ラーメン屋で出会ったヤクザの若頭のもので極道の世界にはいった青年二人が、汚い大人の世界に踏み込み、過酷な現実を味わう模様を描いた作品。疾走感のあるリズムと、どことなく悲壮感漂うメロディが印象的なテーマ曲をオーケストラにアレンジした作品。

 

 

歓待、熱狂、アンコール! アジア各地で行ったコンサート

◎台北シンフォニエッタ
今回のツアーは3管フル編成(約90名)なのだが、ここは室内オケのためエキストラの数が多くアンサンブルをまとめるのが難しかった。しかし、ひたむきで熱心な演奏と熱狂的な観客の歓迎ぶりで自分がSMAPかと勘違いするほどだった。ただしリハーサル時間に遅れてきても悪びれない様子には驚かされた(実は他のオケも同じだったことが後で判明する)。

◎香港フィルハーモニー
リハーサル会場に入った瞬間にこのオケは他とは何かが違うとわかった。普通オケはどこでも台所事情は悪く、コンサートだけではやって行けない(あの大人数を考えると分かると思うが)。そのため様々な助成金や企業のスポンサーを獲得するため苦労するのだが、ここの団員の6割を白人が占めるという事実だけで金銭的余裕があるのが分かる(わざわざ欧米から呼ぶ余裕がある)。それに団員の顔のしわが少ない。やっぱりゆとりなのだろうか。主に木管金管に白人が多く、そのためヨーロッパのオケのようにバランスの取れたアンサンブルを聴かせてくれるが、弦の鳴りは円形ホールのせいもあるのか少し物足りない。

◎チャイナフィルハーモニー
中国で一番のオーケストラ。日本のNHK交響楽団的存在だ。僕とは2回ほどサウンドトラックのレコーディングをやっているため気心が知れている。ここの弦はすばらしい。特にビオラが良いため弦全体の響きが豊かでしかも音がデカイ。1曲目の「水の旅人」でシンバル、大太鼓のffに負けないほどの音量で僕もオケも飛ばし過ぎたが、それほど思い切りが良いのは信頼関係が厚いからだろう。

◎上海交響楽団
チャイナフィルとライバル関係にあるオーケストラで小澤征爾さんを始め世界の一流指揮者が振っている名門。コンサートマスターのパンさんとは旧知の間柄で(スタジオミュージシャンとして「菊次郎の夏」など多くのサントラをレコーディングした)団員とのコミュニケーションにも一役買ってくれた。初日のコンサートでは多少もたついた部分もあったが、二日目は僕の炎の(?)指揮もあり満員の聴衆を沸かせた。

各地とも一週間以内でチケットは完売し聴衆は熱狂的に受け入れてくれた。アンサンブルとしてはやはり日本のオーケストラのほうが一日の長がある。が最初はもたついていても何日かのリハーサルの後、ツボにハマった瞬間の凄まじいエネルギーはやまり大陸的でスケールが違うと感じた。

◎関西フィルハーモニー
大晦日のジルベスターコンサートとして4年ぶりに指揮者の金洪才さん&関西フィルと共演した。金さんは僕の指揮の先生でもある。後半ピアノに専念できるためアップテンポの曲(MADNESSなど)を演奏することができ、金さんと関西フィルとのコンビネーションも相まって一年を締めくくるには最高の夜だった。アンコール5曲というのも過去最多だが控室に戻ってきてからもお客さんの拍手が鳴り止まず、もう一度着替えて舞台に出たのも初めてだった。その熱さはカウントダウンに行ったUSJの野外の凍てつく寒さの中でも残っていた。

(出典:宝島『久石譲の35mmダイヤリーズ』 より)

 

 

 

アジアオーケストラツアー 現地レポート

2006年末、その郷愁溢れる音楽でアジアを魅了した久石譲。
台北、香港、北京、上海、そして大阪。
熱狂に包まれた公演を、現地コンサートスタッフが振り返ります。

 

台北 Taipei
2006/11/20

2006年11月20日夜7時30分、国家音楽庁に「水の旅人」が流れ始めたその瞬間から、久石さんの音楽は台湾ファンの心を魅了し、その場にいる3000人の観客は心底感動し、彼のエネルギーを感じました。その夜の観客を一字で表すならば、まさに「狂」。

この公演は2006年の台湾音楽界で一番盛り上がり、最も忘れられない出来事となりました。来場した人々は今でもよくあの夜の感動を話しています。ただのコンサートではなく、豊かな人生体験のひとつとして。

事実、年が明けてからも、台湾では久石さんの話題がつきません。この十年の間、久石さんは国際的にも活動の幅を広げてきました。しかし、台湾のファンは長い間、久石さんの音楽に直接触れ合う機会がありませんでした。久石さんが台湾へ来る可能性がある…という話が出ると、ファンから毎日のように問い合わせがあり、誰かが久石さんの名前を語ったのではないか?という噂さえも出たほどでした。来台の事実が発表された後は、台湾音楽業界全体が喜びで溢れていました。そして、その興奮は久石さんのあの夜の爆発力で最高潮に達し、その場にいた誰もが満足することになりました。最後の曲が終わってからも観客の熱狂は冷めやらず、連続3回のアンコールを繰り返し、楽団メンバー、スタッフ全員が、感動のあまり呼吸すら出来なくなりました。

客席にいた私はこのすべてが脳裏に焼き付いています。現場にいた全ての人々も、あの時の感動を忘れることはできないでしょう。久石先生が再度来台され、その音楽で忘れられない感動と幸せが続くならば、それは素晴らしいことだと思います。

 

香港 Hong Kong
2006/11/23

まず初めに、Emperor Entertainment Groupを代表して、アジアツアーのご成功を心よりお祝い申し上げます。久石さんならではのパフォーマンスを香港で行うことができ、また、音楽で異なった文化を持つ香港の人々に一体感をもたらしたこの素晴らしいツアーに参加できた事を大変嬉しく思っています。

このプロジェクトの始めからずっと、久石さんはコンサートのための演奏曲目の計画やアレンジなどに並々ならぬ力を注いでくださいました。このコンサートの成功は、久石さんの音楽に対する情熱と専門的知識を惜しみなく注いでいただいた結果です。この久石さんと香港フィルの初の共演は、音楽愛好家にとって壮大で官能的なパフォーマンスをもたらし、このような異文化間の協力によりみごとな音楽の力の融合を示しました。ピアノを前にする時も、オーケストラを指揮する時も、久石さんのあふれる才能は観客を幾度となく魅了しました。彼のピアノソロ演奏は多くの人の心を動かし、エネルギッシュな指揮により生まれる躍動的な音楽は、聴くものを歓喜で包み込みました。

チケットが早々と売り切れたことも、コンサートに訪れた観客の熱狂的な反応も、久石さんの音楽があの夜いかに香港の聴衆を魅了したかを如実に物語っています。久石さんが再びお越しになるのを心から楽しみにしております。これからもずっと私たちの温かい支援がある事をここに記します。

 

北京 Beijing
2006/12/2

北京で久石さんのコンサート運営に携わり感じたことは、久石さんは実力で北京の観客を魅了したということです。同時に、良い音楽には国境がないということを証明しました。私自身も北京保利劇場で真剣に久石さんのコンサートを聴き、美しいメロディ、多彩なハーモニー…様々な相乗効果に強い印象を受けました。久石さんの音楽は文化的な豊かさ、高いレベルの芸術性が備わっており、人々の心に深く染みわたる音楽です。久石譲さんはその実力で、年末の北京音楽界に奇跡をもたらしました。

 

上海 Shanghai
2006/12/15,16

久石さんの上海コンサートは私にとって、とても特別なプロジェクトでした。中国で私の会社が手がける初めてのプロジェクトで、数多くのリスクがあり、判らないことだらけでした。元々、プロジェクトは宮崎さんのアニメ映画音楽を特集する上海Symphonyからのものでした。このプロジェクトを通して、私は、久石さんが映画のためだけに作曲するのではなく、非常に興味深いひとりの作曲家であることがわかりました。彼の新しいアルバム、Asian X.T.C.は、ユニークなリズムとアジア特有のメロディのフュージョンによって、非常に興味深いものとなっています。このアジアンツアーのプログラムは、久石さんの過去の作曲と現在の作曲を融合させ、幅広い音楽の才能を表現することに成功しています。

久石さんの音楽の中で私が最も心惹かれるのは、人々の心を感動させる彼の手腕です。上海のコンサートは疑いようのない大成功でした。私はこれらのコンサートを非常に誇りに思っています。なぜなら、他のすべての都市が一度しか出来なかった公演を上海では2度もできたのです! 上海における2度目のコンサートは特に印象的でした。私たちは、すべてのチケットが売り切れていることを既に観客の方々にお知らせしましたが、コンサートの始まる2分前でも多くの方々がチケットを求めて長い列を作っていました。コンサートが終わっても、聴衆は絶叫と喝采でアンコールを求め、いつまでも帰ろうとはしませんでした! 「クール」な態度で知られる上海の聴衆にとって、これは極めて異例なことでした。

このツアーで、私は久石さんをよりよく知ることができました。彼はオーケストラの演奏者に大変良く知られており、私の知るオーケストラのメンバーは皆、彼の音楽を愛し、共に仕事のできることを喜びとしています。私は彼の暖かい性格、ユーモラスな人柄、および類い稀な音楽の才能を賞賛します。そんな久石さんと今後とも末永く、お仕事でご一緒できることを望むとともに、またごく近い将来に、今回のようなツアーでもご一緒できる機会を持ちたいと願っております。

 

大阪 Osaka
2006/12/31

「大阪かぁ、、。」
念願だったジルベスターコンサートを、アジアツアーの一環として行っていただくことが決定した時、久石さんをはじめスタッフ全員での第一声は「よし、できる!」。そして第二声がこれでした。関西の観客は演奏への反応がストレート、演奏者にも逐一伝わってきます。アジアツアーの真只中日本に戻っての公演とはいえ、黙って温かく迎えてくれる場所ではありません。そんな気持ちがこの言葉に表れました。大阪担当の私も、喜んでばかりはいられないなと身の引き締まる思いでした。

そしてコンサート当日、前半を終え後半に入っても観客はかなり静か。最後までこのまま緊迫した雰囲気なんだろうか、と思った矢先、突然客席がはじけました。我慢していた感情を噴き出すかのような拍手、歓声、口笛、スタンディングオベーション、三回に及ぶアンコールの後ようやく久石さんは楽屋へ戻られました。いつもとは違う客席の反応は、ジルベスターコンサートならではのものですね、などと話をしているところへ舞台ディレクターが飛び込んできて「お客さんが帰らないんです!」。急いで戻って久石さんから観客の皆さんへご挨拶していただきました。

この瞬間、「大阪かぁ、、。」は「大阪最高!」にかわったと私は確信しています。すばらしい時をつくってくださった、観客の皆さんと久石さんに感謝いたします。

(久石譲 アジアオーケストラツアー ファイナルコンサート コンサート・プログラムより)

 

 

アジア ファイナル 久石譲 2007

 

Blog. 久石譲 雑誌「AERA」(2010.11.1号 No.48) インタビュー

Posted on 2015/1/15

遡ること5年前、2010年の雑誌インタビュー内容です。

雑誌「AERA」 2010年11月1日号 No.48 より

とても独特なタッチで書かれている久石譲論で、さらに掘り下げ方もおもしろい引き込まれる内容です。本文中にもありますが、時期的には、ミニマル・ミュージックを軸にフルオーケストレーションで華やかに昇華、新たな境地を開拓した『ミニマリズム』(2009年)から、ファン投票も募って親しみある久石メロディをシンフォニーとして彩った『メロディフォニー』(2010年)あたり。

この芸術性の『ミニマリズム』と大衆性の『メロディフォニー』の両軸をもって音楽活動をしている久石譲にぐっと迫った内容です。それは久石譲というペンネームから藤澤守という本名。名前や人格においても音楽活動で見え隠れする両軸。そして線引させたい本人の意向。いろいろな当時の模索や葛藤が見えてくる内容です。

 

 

芸術と大衆性のはざまで闘う全身音楽家

最新アルバム「メロディフォニー」では、自らの代表曲をロンドン交響楽団が演奏した。私たちの知っているあの歌が、まったく別の印象をまとって立ち上がる。作曲、編曲、指揮、ピアノ演奏-音楽のすべてに貪欲に、進化を続ける。

『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に久石譲(59)が出ていた。ご覧になった読者も多いだろう。映画『悪人』でモントリオール世界映画祭最優秀女優賞を受賞した深津絵里の紹介である。『悪人』の音楽を担当していたのが久石だ。所狭しと並んだ花輪の贈り主の中に同映画監督の李相日、主演の妻夫木聡、ほかにスタジオジブリの鈴木敏夫、SMAPなどの名前があった。

国民的作曲家である。宮崎アニメや一時期の北野映画はもちろん、最近の話題作『おくりびと』『坂の上の雲』といった映画、ドラマの作曲も手掛けている。『となりのトトロ』や『崖の上のポニョ』の主題歌♪ポーニョポーニョポニョ~も彼の作曲。SMAPの『We are SMAP!』にも楽曲を提供している。

一方、今年の彼はモーツァルトやブラームス、ドヴォルザークなどの交響曲を東京フィルハーモニー交響楽団で指揮し、母校の国立音楽大学で弦楽四重奏の講義を開催。去年発表したのが自ら作曲し、ロンドン交響楽団で収録したミニマル音楽のアルバム『Minima_Rhythm(ミニマリズム)』だった。そう、久石には強くエンターテインメントを志向する一面と、クラシックと現代音楽を深く掘り下げたいというコアな一面があるのだ。しかも彼の場合、その二面は相反していない。『笑っていいとも!』出演直後、久石本人から話を聞くことができた。

「音楽にはたぶん、いい音楽とそうでない音楽しかないんですよ。いい音楽はシンプルです。ベートーヴェンは最大のキャッチーな作曲家ですね。タタタターンでしょ。彼の『運命』は究極のミニマル音楽です」

-天才ですか。

「うん。閃きが傑出している」

-自分のことを天才と思うことは?

「まったくない。努力型ですよ、ぼくは」

 

理詰めと直感の試行錯誤でたどりつく「シンプル」

朝起きてコーヒーを飲んでからピアノの練習を始め、午後1時から深夜の12時まで作曲の仕事。家に帰って早朝までクラシックの研究をし、4時間寝た後、コーヒーを飲んでピアノの練習……と、久石はほぼ24時間音楽漬けの生活を送っている。

「いつもフル回転です」というのはユニバーサルミュージックの寺舘京子だ。「休んでるところを見たことがない。彼の音楽的な二面の一面がフル回転している間に片面は休む。そうやって交互に休んでいるとしか思えない。せっかちですよ。キキキキッと分刻みで移動する」

1990年代初頭、久石は3年ほどロンドンに住んでいたのだが、そこへ出張したレコーディングエンジニアの浜田純伸は「絶対ズルをしているはずだ」と思い、久石の生活を観察したことがある。「でもほんとに音楽漬けでした」と浜田。「人に厳しい人です。でもそれ以上に自分に厳しい」。同僚の秋田裕之が合いの手を入れる。「論理的。怒るときも論理的」。浜田「詰め将棋で詰まされるようなもんですね。それにとにかくタフ。納得するまで絶対諦めない。周りはヘトヘトです」。

久石によると「作曲の95%はテクニック」であるらしい。95%までは理詰めで緻密に構築していく。残りの5%が、いわば直感の領分なのだが、論理を超えた何かを掴むまで自分を追い込み、まだ形にならないアイデアを頭の底に泳がせておく。すると思わぬところでブンと、たとえばトレイや布団の中でメロディや音の形が浮かぶ。その後は95%の枝葉をばっさり切ったり、1音の上げ下げに何日も悩んだり、あらゆる試行錯誤を繰り返し、「これだ」と確信できてはじめて曲の誕生となる。2週間徹夜することもざらである。それだけの複雑を経由して久石はようやく自分の「シンプル」を手に入れるのだった。

-休まないんですか。

「休むと作曲の回路を再起動させるのが大変なんです」と久石。「それなら休まない方がいい」

作家性にこだわる人だだろう。『悪人』(2010年)で久石の胸を借りた監督の李相日は久石とがっぷり組んだ組み心地を「開きながらもプライドの高い方です」と語ってくれたが、そのプライドが彼の作家性である。「映像と音楽は対等」という構えを崩さない。注文通りの作曲なら95%ですむ。しかしそんな予定調和の仕事からは何のダイナミズムも生まれない。対等な関係で「監督のテーマをむき出しにする」のが彼の仕事であり、その作家性を担保しているのが彼の5%だった。

ミニマル音楽というのは最小限の音形を反復しながら微妙にズラしていく音楽だ。最初から最後まで主旋律がシンプルな四つの音だけで展開される「運命」が究極のミニマル音楽だというゆえんである。1960年代にアメリカで起こった。情感を催促しないそのスタイルは都会的で知的だが、民族音楽の影響も多分に受けている。その方法論は今では定着し、映像と両立した活動をしている世界的なミニマル音楽出身者として、たとえば『ピアノ・レッスン』のマイケル・ナイマンや『Mishima』のフィリップ・グラスがいる。久石もその一人だ。映画『キッズ・リターン』や『菊次郎の夏』の音楽といえばわかりやすいと思う。

バイオリンを習い始めた4歳のときから将来は音楽家になろうと決めていた。中学2年のときに作曲家になると決意。大学は作曲科に入ったが、すでにクラシックには興味が持てず、不協和音の多い難解な現代音楽にのめり込んでいた。そんな20歳の彼を圧倒したのがミニマル音楽であり、「ここはまだ音楽の可能性がある」と久石は直感した。

久石譲の名前を付けたのは21歳のころだ。友だちと酒を飲みながら、当時活躍していたクインシー・ジョーンズに漢字を当てて命名した。「特別好きなミュージシャンというわけでもなかったし、深い意味は何もないんですよ」と久石。

自分の音楽だけを探究する「芸術家」生活は20代の終わりまで続いた。理論と理屈にがんじがらめになって行き詰まるのだが、やるだけやった久石は迷わず商業ベースに転身し、CMや映画音楽、アルバム制作を少しずつ手掛けていた、そんな1983年のある日、『ナウシカ』準備室から声がかかったのだった。

 

宮崎、北野映画に与えた「5%の魔法」

すぐ彼に決まったわけではない。候補者には坂本龍一、細野晴臣、高橋悠治、林光といった錚々たる名前が並んでいた。前年に徳間グループ系列からアルバムを出していたので、その関係者の推薦でほとんど無名だった久石に声がかかったのだ。絵の作業に忙殺されていた宮崎駿監督の代わりにプロデューサーの高畑勲が音楽監督を務めていた。

「ずいぶん悩んでましたが、結局高畑さんの決め手は性格でしたね」と語るのはスタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫である。「久石さんのそれまでに作った曲を聴いて、この人は高らかに人間信頼を歌い上げることのできる人だって見抜いたんです。賭けでした」

そこで高畑が久石に依頼したのがイメージレコードの制作だ。宮崎の書いたタイトルと詩に近いメモをもとにテーマ曲を書いてくれという宿題。

「届いたメインテーマを聴いて不安は吹っ飛びました」と鈴木。「間違ってなかったと思った。本人は否定していますが、だから、久石譲という作曲家を発見したのは高畑さんなんですよ。宮崎も絵を描きながらその曲を何度も何度も聴いていた」

それが『風の谷のナウシカ』(84年)のメインテーマとなった「風の伝説」である。それまでの久石のすべてが入っていてすべてが始まっている曲だ。映画は大ヒットした。この一作で久石は世に出た。

北野武監督との第1作は『あの夏、いちばん静かな海。』(91年)。こちらは請われて参画した。セリフのない映像に淡々と音楽が流れ、その映像と音楽の平行線が観客の頭の中で次第に交わっていく作品だ。その後に『ソナチネ』(93年)、『キッズ・リターン』(96年)、『HANA-BI』(98年)、『菊次郎の夏』(99年)と続く。いずれも北野映画の代表作である。北野映画では久石が20代のころ目指していた音楽がストレートに出ている。「偶然ミニマル同士が出会ったんですよ」。映画音楽ライターの前島秀国は言う。「北野さんも削ぎ落としていくミニマルな作風。北野ブルーといわれる空の色と久石さんの音楽のトーンがユニゾン(同調)するように、二人のミニマリストがユニゾンしていた」

北野は論理の前提に意識的な作家だ。「赤信号みんなで渡れば」式に、立てた論理の前提をひっくり返す。映画の外から来た彼は次々に映画の「前提」をひっくり返した。構造主義と時代的・手法的に通底しているミニマル音楽も西洋音楽、もっというと西洋中心主義・人間中心主義の前提を疑い、その袋小路から脱するための方法だったのではないか。前提に意識的な二人が組んだのだからあの数本の名作は成立していた。しかし、二人のコラボは『Dolls〈ドールズ〉』(02年)を最後に見られなくなった。

「最近の記事で北野さんが一種の音楽不要宣言をしていた」と前島は言う。「『自分は情緒とかいったものを音楽に任せないし、頼らない』と。だったら音楽家と上手くいくわけがない。しかし久石さんと別れたのは北野映画にとってすごい損失でしたね。久石さんの5%、つまり魔法の力を失ったわけですから」

 

「音楽が見えなくなった」時代の混迷に敏感に反応

一方『ナウシカ』以降、四半世紀以上続いているのが宮崎・久石コンビだ。個別に取材した話をもとに、ここで架空のシンポジウムを一つ組んでみたい。題して「久石譲と宮崎アニメの現場」。

宮崎駿 「久石さんには無礼の限りを尽くしました。『主題歌は別の人のを使います』とか。『ぼくは音楽家なんだから』と彼が言ったのを覚えている。『21世紀に新しい旋律なんて残ってないんだから前のでいいんじゃない』と言ったこともある。腹の中は煮えくり返りながら久石さんは笑ってごまかし、こっちも笑ってごまかしながら平気で言ってきた」

-『天空の城ラピュタ』(86年)のときはほかの候補者がいたとか。

宮崎駿 「その方は色数が少なかった。長編アニメは一種のカーニバルですからね。その側面は外せない。『となりのトトロ』(88年)のとき、久石さんの曲を聴いて『せわしいです』といったら、すぐその場で彼が一括りずつ音を抜いていった。すると見事に気分が合ったんです。そういう経験が何度かある。彼とはどこかで同期している」

高畑勲 「『風のとおり道』はどこか懐かしい、しかし古臭くない、これぞ日本的なものと現代人が思いたくなる曲です。歌謡曲で少しずつ市民権を得ていた二・六抜き短音階を、理想的な『自然』と結びついた新感覚として定着させたんじゃないでしょうか」

鈴木敏夫 「歌に関して言うと『トトロ』の主題歌は難産でした。久石さんは有線放送で子どもの歌を一日中聴いてたみたいですが、それでも出来なくて七転八倒していた。半年以上かかりましたね。『さんぽ』とともに今では教科書にも載っている名曲です。『ポニョ』は打ち合わせの場で閃いてパッと書きとめていた。本当です。でもすぐ発表すると否定されるからって隠していた(笑)」

宮崎アニメでは草木国土悉皆(そうもくこくどしっかい)が生きている。宮崎駿はアニミズムの作家だ。アニメーションのアニメート(生命を吹き込む)力を極限まで使ってカーニバルする宇宙を一つアニメートする。その映像と緊張をはらみながら交響するのが久石の音楽だった。

「しかし21世紀になって音楽が見えなくなるんですよ」。久石は言う。「その前は時代時代の語法があったんだけど、世界の混迷とリンクするように音楽も向こうが見えなくなった。時代を追いかけてもしょうがない、じゃあ確実に見えるところからやろうと、ぼくの原点であるミニマル音楽とクラシックに戻った。9.11も大きかった。それまで社会現象とは無関係に音楽を追究していたんですが、このままだと世界は大変なことになると思うようになって作ったのが弦楽合奏のための『DEAD』。エンターテイメントだけじゃ満足できなくなったんです」

いま彼がもっとも意識している作曲家はミニマル出身者でクラシック音楽とオーケストラを知り抜いているジョン・アダムズだ。「いつか彼のオペラ『ドクター・アトミック』を日本で指揮し、条件さえ整えば数年かけてじっくり自分のオペラを書きたい」

微妙にズレながら久石の音楽観は大きくグルッと一回転したのである。ミニマル音楽の可能性を掘り下げ、作曲家の視点でクラシックの交響曲を分析・解読し、実際にタクトを振るという作業が始まった。クラシックの巨匠たちがいかにカオスから秩序のミニマル(最小限)なパターンを発見し、織りなしていったかを読み込んでいく作業といってもいい。

前島によると久石の大転換点は『もののけ姫』(97年)だったらしい。宮崎監督の重い世界観を表現するために複雑なオーケストラ曲を本格的に書いたのがクラシック回帰のきっかけになったと。その後『千と千尋の神隠し』(01年)でユーラシア大陸をまたぐワールドミュージックを展開し、再びクラシックに戻ってシンプルなワルツのテーマ曲を変奏していたのが『ハウルの動く城』(04年)であり、ポニョの旋律を変奏していたのが『崖の上のポニョ』(08年)だった。ポニョの本名はブリュンヒルデだから、あの映画は宮崎版『ニーベルングの指環』といえなくもない。

「久石さんとは同じ時代を生きてきたと思う」。宮崎が語る。「作るに値する映画はいつの時代にもあるだろうという仮説のもとにやってきました。そのたんびにいっしょにやろうと。ここまで来たら最後までいっしょにやると思う。彼の音楽はぼくの通俗性と合っているんですよ。彼の音楽の持ち味は”少年のペーソス”です。それは彼のミニマルの底流にもあるし、『ナウシカ』のときからあった。映画によって隠したり、ちょっと出したり、うんと乾いて見せたり。手を替え品を替えやりながら生き残ってきた人だから、そう簡単に手札を見せるわけがない。でも”少年のペーソス”はずっと変わっていない。そこがたぶんぼくと共通している」

たぶんそれは北野とも共通していたと思う。彼の映画にはシャイな少年が隠れている。似ているから離れ、似ているから続く。似たもの同士、しかもそれぞれの5%で生き残ってきた作家たちの間ではそのどちらかしかないのだろう。

 

作曲、編曲、指揮、演奏 音楽の可能性を信じて

久石の少年時代は久石ではない。久石譲は20歳過ぎに付けた、いわば「芸名」だ。そう、地元・長野で高校教師をしていた父の映画館巡回に付き添って年間300本の映画を観たり、バイオリンからピアノにトランペット、サキソフォン、トロンボーン、打楽器までマスターし、アレンジに優れ、中高時代から難解な現代音楽に挑み、20歳のときにミニマル音楽を聴いて「ここにはまだ音楽の可能性がある」と叫んだのは久石ではない。本名の藤澤守だ。彼がそっくり久石の少年時代を占めている。久石は自分と藤澤守の関係についてこう語る。

「人間って元に戻りますね。ぼくはやっぱり藤澤守なんですよ。去年『ミニマリズム』を作るときに作曲者名は全部、藤澤守でやろうと思った。エンターテイメントは久石でやっているけど、作品は藤澤だろうと。2日に一遍はそのことを考える。今度の曲は絶対藤澤守で出してやるぞと」

-でもそうしたら売れない?

「うん。いつか作曲・藤澤守、指揮・久石譲でやりたい。それが理想ですね、ぼくの」

久石は二人分の人生を生きているのだった。時間が足りないわけである。

(雑誌「AERA 2010年11月1日号 No.48 文:岩切徹 より)

 

久石譲 アエラ 2010.11.1

 

 

*この本文は、時を経て『人のかたち ノンフィクション短篇20/岩切徹』(平凡社・2015刊)にて連載をまとめて書籍化のなかにも収載されました。