Info. 2022/12/09 「第28回 四人組とその仲間たち」コンサート 久石譲ゲスト出演 LIVE配信!! 【3/8 Update!!】

Posted on 2022/12/06

2022年12月9日開催「第28回 四人組とその仲間たち」コンサートです。今回のゲスト作曲家として久石譲出演予定です。当日はYouTubeにて無料配信が決定しています。 “Info. 2022/12/09 「第28回 四人組とその仲間たち」コンサート 久石譲ゲスト出演 LIVE配信!! 【3/8 Update!!】” の続きを読む

Info. 2022/06/05 [ゲーム]「王者栄耀 オナー・オブ・キングス」(中国)久石譲楽曲提供 【3/4 Update!!】

Posted on 2022/06/05

中国ゲーム「王者栄耀(おうじゃえいよう) オナー・オブ・キングス」、久石譲が楽曲提供することが発表されました。主人公をテーマにした新曲の書き下ろしです。このたび久石譲インタビュー動画が公開されました。このゲームは中国史上最大のヒット作とも呼ばれ、2018年には日本でも配信開始しているとあります。 “Info. 2022/06/05 [ゲーム]「王者栄耀 オナー・オブ・キングス」(中国)久石譲楽曲提供 【3/4 Update!!】” の続きを読む

Info. 2023/03/01 舞台版『となりのトトロ』英国演劇界最高峰「ローレンス・オリヴィエ賞」最多9部門ノミネート(Webニュース各種より)

Posted on 2023/03/01

舞台「となりのトトロ」英国演劇賞の最高峰オリヴィエ賞にノミネート!

英国演劇界で最も権威のある「ローレンス・オリヴィエ賞」のノミネート作品が2月28日(現地時間)に発表され、スタジオジブリのアニメーション映画を舞台化した「My Neighbour Totoro」(「となりのトトロ」)が、演出賞、主演女優賞、作・編曲賞など最多の9部門にノミネートされました。 “Info. 2023/03/01 舞台版『となりのトトロ』英国演劇界最高峰「ローレンス・オリヴィエ賞」最多9部門ノミネート(Webニュース各種より)” の続きを読む

Info. 2023/06/01 映画『天空の城ラピュタ』(1986)中国本土公開決定

Posted on 2023/03/01

1986年公開映画『天空の城ラピュタ』(監督:宮崎駿/音楽:久石譲)が中国本土で公開されることが決定しました。公開日は中国で「こどもの日」にあたる6月1日です。

スタジオジブリの代表作は2018年に『となりのトトロ』、2019年に『千と千尋の神隠し』が中国公開されています。芸術性なポスタービジュアルも話題になり、映画も高い興行収入を記録しています。 “Info. 2023/06/01 映画『天空の城ラピュタ』(1986)中国本土公開決定” の続きを読む

Blog. 「久石譲指揮 日本センチュリー交響楽団×九州交響楽団 ジョイントツアー」コンサート・レポート【2/27 update!!】

Posted on 2023/02/22

2月16,17,18日、久石譲指揮 日本センチュリー交響楽団×九州交響楽団によるジョイントツアーが福岡・大阪・一宮で開催されました。両楽団のシーズンプログラムから定期演奏会や特別演奏会のスケジュールにあたる3公演です。久石譲は2021年に日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者に就任して以来数多くの公演を行っていますが、このたび関西を越えて九州のオーケストラとの合同演奏会が実現!100名以上のラージオーケストラは大迫力と歓喜です。

 

 

2023.02.27 update
九州交響公式Facebookにアップされた写真7枚を追加しました。

 

 

特別演奏会 九響×日本センチュリー響

[公演期間]  
2023/02/16

[公演回数]
1公演
福岡・アクロス福岡 シンフォニーホール

 

日本センチュリー交響楽団 定期演奏会 #270

[公演期間]  
2023/02/17

[公演回数]
1公演
大阪・ザ・シンフォニーホール

 

久石譲、日本センチュリー交響楽団×九州交響楽団が奏でる 春の祭典 愛知特別公演 in 一宮

[公演期間]  
2023/02/18

[公演回数]
1公演
愛知・一宮市民会館

 

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:九州交響楽団/日本センチュリー交響楽団(合同演奏)
コンサートマスター:西本幸弘

[曲目] 
久石譲:Metaphysica(交響曲 第3番)

—-intermission—-

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
マルケス:Danzón 第2番

—-encore—-
となりのトトロ

[参考作品]

久石譲指揮 東京交響楽団 『ストラヴィンスキー:「春の祭典」』

 

 

まずは会場で配られたコンサート・パンフレットからご紹介します。

 

 

久石譲/Metaphysica(交響曲 第3番)

Metaphysica(交響曲第3番)は新日本フィル創立50周年を記念して委嘱された作品。新作は2021年4月末から6月にかけて大方のスケッチを終え、8月中旬にはオーケストレーションも終了し完成した。前作の交響曲第2番が2020年4月から2021年4月と1年かかったのに比べると約4ヶ月での完成は楽曲の規模からしても僕自身にとっても異例の速さだった。楽曲は4管編成(約100名)で全3楽章からなる約35分の長さで、この編成はマーラーの交響曲第1番とほぼ同じであり、それと一緒に演奏することを想定して書いた楽曲でもある。

Metaphysicaはラテン語で形而上学という意味だが、ケンブリッジ大学が出している形而上学の解説を訳すと「存在と知識を理解することについての哲学の一つ」ということになる。要は感覚や経験を超えた論理性を重視するということで、僕の場合は音の運動性のみで構成されている楽曲を目指した。

I. existence は休符を含む16分音符3つ分のリズムが全てを支配し、その上にメロディー的な動きが変容していく。

II. where are we going? は26小節のフレーズが構成要素の全て。それが圧縮されたり伸びたりしながらリズムと共に大きく変奏していく。

III. substance は ド,ソ,レ,ファ,シ♭,ミ♭の6つの音が時間と空間軸の両方に配置され、そこから派生する音のみで構成されている。ちなみにこれはナンバープレースという数字のクイズのようなゲームからヒントを得た。

久石譲

作曲/2021年 初演/2021年9月11日、東京

編成/フルート4(ピッコロ2持替)、オーボエ4(イングリッシュ・ホルン持替)、クラリネット4(E♭管クラリネット、バスクラリネット2持替)、ファゴット2、コントラ・ファゴット、ホルン6、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、ドラムセット、大太鼓、合わせシンバル、吊るしシンバル、小太鼓、トライアングル、タンバリン、クラベス、ウッドブロック、シェイカー、鈴、ボンゴ、タムタム、グロッケンシュピール、ヴィブラフォン、鐘、ハープ、ピアノ(チェレスタ)、弦楽5部

使用楽譜/未出版

(「月刊九響 2023年1・2・3月号」プログラムノートより)

 

*「春の祭典」「ダンソン第2番」の解説は割愛

*「春の祭典」「ダンソン第2番」の解説は九州交響楽団/日本センチュリー交響楽団がそれぞれ発行している冊子よりプログラムノートの音楽評論家・筆者は異なる

*「Metaphysica(交響曲第3番)」の編成は福岡公演で配布された九州交響楽団「月刊九響 2023年1・2・3月号」プログラムノートには明記

 

 

 

ここからはレビューになります。

 

 

久石譲:Metaphysica(交響曲 第3番)

約35分の作品。2021年新日本フィルハーモニー交響楽団と世界初演して以来2度目の登場となります。「マーラー:交響曲 第1番」とプログラムを並べたこの作品は、楽器編成も同じように4管編成16型(約100名)を想定して書かれています。

「ストラヴィンスキー:春の祭典」はさらに上をいって5管編成16型です。わかりやすいところで言うと、テューバもティンパニも2奏者を必要としています。これらの楽器はふつう各オーケストラとも1奏者、なかなか楽団単体の演奏会にはあがらなさそうです。

 

~おさらい~ 16型は弦16型のことです。第1ヴァイオリン16人、第2ヴァイオリン14人、ヴィオラ12人、チェロ10人、コントラバス7-8人などと少しずつ減っていきます。単純に弦楽5部で約60人になりますね。

~おさらい~ 10型は弦10型のことです。第1ヴァイオリン10人、第2ヴァイオリン8人、ヴィオラ6人、チェロ4人、コントラバス2-3人などと少しずつ減っていきます。単純に弦楽5部で約30人になりますね。

弦16型と弦10型でなんとストリングス2倍近く違うんです。このポイントをおさえると数字も体感も変わってきます。

 

日本センチュリー交響楽団は現在2管編成10型のオーケストラを基本としています。まず「久石譲:Metaphysica(交響曲第3番)」をプログラムしたかったら客演を呼びたい。そして「ストラヴィンスキー:春の祭典」、そこへ九州交響楽団との合同演奏会が実現することにより単純2倍(違うけど)!テューバやティンパニも解決できる!そう、ジョイントコンサートだからこそのプログラムになっています。クラシックファンのあいだでも「春の祭典聴くの2回目」なんて声もレア感があることがよくよくわかります。「久石譲:Metaphysica(交響曲第3番)」でいうと、WDOや新日本フィルなど(同じじゃないか)大所帯なオーケストラでできる、貴重なプログラムだということはぜひ覚えておこう(だから行こう)。

会場ごとに聴いただけでも、ホールの反響・座席の場所などもあって、聴こえてくる音・強調される音が違ったりします。こんなところでこんな楽器鳴ってたっけ?と変わって聴こえてくることもたくさんあります。2度目となったこの作品は全体構成は同じだったと思います。もしかしたら改訂とはいわない範囲の細かい修正はあるのかもしれません。上のプログラムノートを見たときに、初演の編成にはなくて今回の編成にある楽器に「ボンゴ」が明記されていました。ただボンゴってラージオーケストラでその音を掴み取るのはなかなか難しい、舞台奥で視認も難しい。「ボンゴ」が記載ミスとかでなければ(失礼しました)、このたびその楽器は追加されている可能性はあります。それにともなうパーカッション群の微調整もあるのかもしれません。とにもかくにも複雑に構築された交響曲です。2回聴いたくらいでわかるわけないじゃないかわかられてたまるか。レコーディング版を届けられるまで、スコアが出るまで、答え合わせは楽しみに待ちたいと思います。

初演時の前回感想にはメモ程度のことを書いていました。興味あったら下にあります、そこに編成も明記しています。今回もさほど変わらず、むらなくこの作品について語ることはできず、印象に残った点だけ記します。だからこれを見ても作品の全体像はわかりません、いつか聴くチャンスをつかんでください。

 

I. existence
ライブ演奏では大太鼓のパンチがとても効いていてティンパニと合わせてすごかったです。パーカッション炸裂する第1楽章、リズムも旋律も入り乱れてカオスです。前回はマーラー交響曲とのプログラムもあってホルンのベルアップ(楽器を高く掲げて演奏する)もありましたけれど、今回はなかったかも気づけませんでした。舞台スペースもぎっしりですし。ちょっとしたフレーズやハーモニー感に「TRI-AD for Large Orchestra」を連想できたりもして、いつかその序曲と交響曲第3番を並べて聴いてみたいです。

II. where are we going?
きびしく美しい楽章です。急緩急をとる第3番で緩徐楽章ともいえるこの第2楽章の印象もまた変わりました。ストリングスの重厚さがすごい。第1楽章と第3楽章の激しさに挟まれて少し落ち着きそうな印象だったのに、後半の迫りくるエモーショナルパートも一層分厚く感じて、全3楽章ともに肩を並べるほどの力強さを感じました。これはうれしい。

中間部に弦楽四重奏(+パーカッション)になるパートは、「I Want to Talk to You」などにも見られる近年の久石譲特徴のひとつです。新しく取り入れたアプローチが、室内楽と交響曲をまたいでどちらにも採用されている。単旋律の手法が室内楽作品にはじまり交響曲第2番にまで取り入れられたように。作品を線で追える楽しさです。

III. substance
久石譲楽曲解説にもある基本モチーフが幾重にも炸裂する楽章です。強烈な印象を残します。個人的なヴィオラ贔屓を差し引いても、ヴァイオリンたちよりも一番休みなくそして起点となってずっと動いている勇姿を見ることができました。これが音源だけだときっとわからない。ぜひお気に入り楽器の勇姿をしかと見届けてほしいところです。

視覚的にもおもしろい発見があったので、ここではそこにフォーカスします。久石譲のオーケストラ・フォーメーションは対向配置をとっています。このおさらいは下リンクをご参照ください。

 

対向配置(左)、一般配置(右)

 

 

交響曲第3番の第3楽章でとくに目立ったのは、対向配置の上をいくオーケストレーションです。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが両翼に分かれている配置です(図1)。この作品に限ったことではないですが、第1ヴァイオリンの全員が同じ旋律を弾く以外にも、第1ヴァイオリンのなかで何パートかに分かれて違う旋律を演奏(例えばハモリ)したり、必要な人数分だけ演奏することもあります。

今回、扇のようにステージ奥から前方にかけて、各セクションが分かれて演奏するさまがありました(図2)。チェロまでやってたか自信はない。第1・第2ヴァイオリンとヴィオラは、各2パートくらいに分かれて速いパッセージの旋律をディレイするようにリレーしています。

同じように、ヴィオラ、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンの順番だったと思う(図3)。今度は前方・中方・後方の分け方で速いパッセージをこだまさせるようにつないでいく。各3-4パートくらいだったと思います。そう、野球やコンサートで客席ウェイブが起こるような動きを弦楽で見ることができるんです。この動きに気づいたり魅了されたファンはきっといたはず。これから音源になって聴いたときには、なんとでも加工技術のある昨今驚かないかもしれませんが、生演奏の時点からこのステレオ感や立体的な音響をつくっているということは、ぜひおさえておきたいポイントです。

最後にもうひとつ気づくことがあります。(図3)をみると第1ヴァイオリンで4パートに分かれています。実際は4-5だったかもしれません。もしこれが弦10型だったら、、2人ずつくらいになって、たぶんフレーズが浮き立ってきません。弦16型だったら、4人ずつで演奏することができてバチッと鋭く鳴らせる聴こえる(16人=4パートx4人)。第2ヴァイオリンやヴィオラはさらに人数が減っていくから切実以下同文。ああ、弦16型を想定して書くということは、こういうことができる如何にも関わってくるのか、と震えた次第です。

 

対向配置 図1

出典:Daxter Music

対向配置 図2

対向配置 図3

 

 

「久石譲:Metaphysica(交響曲 第3番)」2021年新日本フィルハーモニー交響楽団との世界初演のライブ映像から第2楽章などが公開されています。次のチャンスを楽しみにしながら聴いてみてください。

 

 

世界初演レポート(2021)

 

 

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

めったにプログラムにあがらないことは上の編成規模で書きました。久石譲作品ではティンパニやテューバは1奏者でしたがここからは2奏者です。九州交響楽団・日本センチュリー交響楽団のファンや定期会員も多く集まるコンサート、反響もすごかったです。僕だったら、大迫力ですごかったです!くらいしか言えないところ、コンサート後のSNS感想もおのおの想い想いに賑わっていました。

今まで聴いたハルサイのなかで一番よかったとか、具体的なパートや楽器のところをさして感想があったり、とても楽しく眺めていました。なかには、久石譲交響曲とハルサイで同じアプローチをしているとか、クラシックファンからみた久石譲交響曲の解釈もあったりして、とても興味深かったです。自分にはない見方や聴こえ方を知れるっておもしろいです。

もし僕から何か追加で言えるとしたら、、『YAMATO組曲(男たちの大和)』や『坂の上の雲』もこのくらい派手にバーン!とやってほしいな、聴いてみたいな、以上です。

 

マルケス:Danzón 第2番

けっこう人気のある作品で楽しみにしていた観客も多かったみたいです。僕はこの公演のプログラム発表で知ったくらい、周りを見渡せば「やっぱりこの曲いいよね!」ホットな空気を感じました。序盤では第2ヴァイオリンらがまるでマンドリンやウクレレのような楽器の抱え方でピッツィカートを奏でていたり、視覚的にもラテンのおもしろさが伝わってきます。リズム音楽でありながら一本調子じゃない、めまぐるしく変わるテンポや転調そして展開に惹き込まれます。艶のある上品なラテン・クラシックは、聴かせどころのツボもいっぱい、構成もしっかりしていてクラシックファン納得なのもうなずける。シンフォニックなダンスでいうと「ウエストサイドストーリー」が有名ですが、ダンソンのほうがクラシカルな印象です。ヨーロッパの伝統ならハンガリー舞曲とかになるし、ラテンの伝統ならダンソンとかになる感じ。

久石譲指揮のリズムコントロールもいつもながら絶妙です。メロディ以外のパートを歌わせたり緩急自在。ラテンならではの軽快さのなかに、久石譲らしい重心の効いた弾力感のあるリズムはたまりません。バン!バン!じゃなくてバン!ぶぁん!

 

 

-アンコール-

久石譲:となりのトトロ

大編成だし「World Dreams」かクラシック音楽からかなと予想していたところ、なんととなりのトトロでした。演奏が始まった瞬間、そうか!「舞台 となりのトトロ 5冠」の祝福なのかもしれない、そんなふうにも思いました。ちょうどタイムリーにロンドンから飛び込んできていたニュース、久石譲もきっと喜んでいることでしょう。そうであってもそうでなくても、みんなが明るく笑顔になるお祭りのフィナーレにふさわしい一曲です。

ダブルティンパニだし『久石譲 in 武道館』を連想してしまうほどの大迫力、この演奏を聴けた観客はとても得した気分だと思います。今回のティンパニは左右対称に演奏していたのもおもしろかったです。下の写真の最後のほうを見たらわかるかもしれませんが、太鼓の配置が鏡のように反転しているんですね。だから左奏者が一番左を鳴らしているとき、お隣の右奏者は一番右を鳴らしています。おそらく太鼓の数が多いし振動や反響なんかの影響もあるのかもしれません。そういう動きが見れるだけでも楽しいです。

本公演は大掛かりな舞台配置もあって中央にピアノを置けるスペースはありません。中間部のピアノパートはオケ奏者です。いつもならピアノを弾いているその時に、久石譲指揮は第1ヴァイオリンの流れるような対旋律を「もっと聴かせて」と誘導するようにタクトを振っている姿も、なんだか貴重でうれしい。

 

 

2時間ぎっしりです。定期演奏会ベースの雰囲気と観客なのでなかなかスタオベまではいきませんが、それでもカーテンコールの拍手は演奏に負けないくらい大きいものでした。ハルサイやダンソンでブラボー言えないなんて、そんな観客も多かったかもしれません。その想いを拍手に力いっぱい込めていました。

久石譲コンサートは、ほかの公演に比べて若者層・女子層・カップル層・海外層が高いのは周知のことですね。大阪公演では、客席中央の通路なんかに補助席がずらっと並ぶほどの満員御礼でした。こういった客層をみながら、若い人が初めて聴けるジブリ音楽、海外観光客が来日期間の幸運で聴けるジブリ音楽、ああたしかに「となりのトトロ」はあってよかったと思います。

そして、それ以上に感じたこと。アンコールに違和感のないというリスナー空気感です。クラシックファンのSNS感想をみても「となりのトトロ」がそぐわないとか浮いてるみたいな感想を一切見なかった。ほら、クラシック通ならハルサイやダンソンの余韻のまま終わりたいみたいな、なんかありそうでしょ。ハルサイもダンソンも聴けてとなりのトトロまでこの振り幅がすごい、むしろそんな印象でした。これは久石譲指揮コンサートでしかできない最大の魅力です。選ぶクラシック・プログラムもいいし本家本元の自作も聴ける、そんな空気感に変化していると感じました。大切だからもう一回言いますね。プログラムの振り幅こそ久石譲指揮演奏会の魅力!バラエティに富む古典・現代・自作・映画を同じクオリティに高めて観客を大満足させてしまう!どうぞお見知りおきを。

久石譲交響曲第3番で堂々の幕開け!そしてハルサイ!ラテンも満載!大喝采!九州交響楽団×日本センチュリー交響楽団のジョイントだからこそできたプログラムはホント祭典。またやってほしい企画です。これからも久石譲指揮だからこそ振り幅いっぱいのコンサートを楽しみにしています。

 

 

ふたつの楽団が並ぶだけあってSNSも活発に発信してくれていました。ここでご紹介するリハーサル風景や公演風景のほか、楽団員リレーインタビュー動画や公演休憩時間の舞台早替え動画などもあります。盛りだくさんです。ぜひ好きなオーケストラのSNSをフォローチェックしてみてください。

 

リハーサル風景(福岡)

ほか

リハーサル風景(大阪)

公演風景(大阪)

ほか

from 久石譲本人公式インスタグラム
https://www.instagram.com/joehisaishi_composer/

 

 

リハーサル風景(福岡)1日目

2日目

3日目

当日 ゲネプロ

 

公演風景(福岡)

from 九州交響楽団 Kyushu Symphony Orchestra 公式ツイッター
https://twitter.com/KyushuSymphony

 

ほか 全10枚

from 九州交響楽団/Kyushu Symphony Orchestra 公式Facebook
https://www.facebook.com/TheKyushuSymphonyOrchestra

 

 

リハーサル風景(福岡)

 

公演風景(福岡)

 

リハーサル風景(大阪)

 

公演風景(大阪)

 

公演風景(一宮)

from 日本センチュリー交響楽団 公式ツイッター
https://twitter.com/Japan_Century

plus 日本センチュリー交響楽団 公式Facebook
https://www.facebook.com/JapanCentury

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

Info. 2023/06/02,03 「久石譲 シンフォニック・コンサート スタジオジブリ宮崎駿作品演奏会」(ストックホルム) 開催決定!! 【中止 2/23 Update!!】

Posted on 2019/11/29

2020年6月12,13日、久石譲によるスタジオジブリ宮崎駿監督作品演奏会がスウェーデン・ストックホルムにて開催決定!

2017年6月パリ世界初演、「久石譲 in パリ -「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで 宮崎駿監督作品演奏会-」(NHK BS)TV放送されたことでも話題になりました。 “Info. 2023/06/02,03 「久石譲 シンフォニック・コンサート スタジオジブリ宮崎駿作品演奏会」(ストックホルム) 開催決定!! 【中止 2/23 Update!!】” の続きを読む

Overtone.第90回 長編と短編と翻訳と。~村上春樹と久石譲~ Part.8

Posted on 2023/02/20

ふらいすとーんです。

怖いもの知らずに大胆に、大風呂敷を広げていくテーマのPart.8です。

今回題材にするのは『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』(2019)です。

 

 

村上春樹と久石譲  -共通序文-

現代を代表する、そして世界中にファンの多い、ひとりは小説家ひとりは作曲家。人気があるということ以外に、分野の異なるふたりに共通点はあるの? 村上春樹本を愛読し久石譲本(インタビュー記事含む)を愛読する生活をつづけるなか、ある時突然につながった線、一瞬にして結ばれてしまった線。もう僕のなかでは離すことができなくなってしまったふたつの糸。

結論です。村上春樹の長編小説と短編小説と翻訳本、それはそれぞれ、久石譲のオリジナル作品とエンターテインメント音楽とクラシック指揮に共通している。創作活動や作家性のフィールドとサイクル、とても巧みに循環させながら、螺旋上昇させながら、多くのものを取り込み巻き込み進化しつづけてきた人。

スタイルをもっている。スタイルとは、村上春樹でいえば文体、久石譲でいえば作風ということになるでしょうか。読めば聴けばそれとわかる強いオリジナリティをもっている。ここを磨いてきたものこそ《長編・短編・翻訳=オリジナル・エンタメ・指揮》というトライアングルです。三つを明確な立ち位置で発揮しながら、ときに前に後ろに膨らんだり縮んだり置き換えられたり、そして流入し混ざり合い、より一層の強い作品群をそ築き上げている。創作活動の自乗になっている。

そう思ったことをこれから進めていきます。

 

 

今回題材にするのは『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』(2019)です。

この本は、一般的には小説家ふたりの対談本といえます。が、タイトルにあるとおりインタビューする人とされる人の立ち位置を明確にしたかたちをとっています。村上春樹さんは、その理由を”質問する側と答える側それぞれに役割と責任が明確になる”からだと語っています。”ちょっとつかのま席を一緒にしたような、ちょっと顔合わせをしたような対談の場合には、「まあいろいろありますよね」みたいなお茶を濁したような曖昧な会話に終始しがちでそれが嫌だ”からだと、どこかにありました。

世代の異なる作家、村上春樹本で育った若い作家がインタビュアーだから、細部まで記憶が詳しいし質問も切り込む攻め込む。同じ分野で活躍するプロとプロの濃密な対話になっています。こういうかたちで同じ土俵にあがる、いいなあ、表には現れない白熱した胸のうちが伝わってくるようです。

 

自分が読んだあとなら、要約するようにチョイスチョイスな文章抜き出しでもいいのですが、初めて見る人には文脈わかりにくいですよね。段落ごとにほぼ抜き出すかたちでいくつかご紹介します。そして、すぐあとに ⇒⇒ で僕のコメントをはさむ形にしています。

 

 

 

“そうですね。例えば『東京奇譚集』という短編集では、まさにキーワードを三つずつ選んで、五編書いたんですよね。短編だとそういう遊びみたいなことができて楽しいです。あそこに入った短編小説はそういう感じで、一気にまとめて書いています。”

~(中略)~

⇒⇒
音楽をつくるときにも同じことが言えますね。コントラバスという楽器のために作った曲、三和音をコンセプトに作った曲、など。また映画音楽にも制約(セリフとかぶらない・曲尺など)がありますが、制約をアイデアとすることで楽しめたり、新しい切り口のきっかけになることもたくさんあるんだろうと思います。自らゲームルールを作ってプレイ楽しめる人は強いです。

 

 

”それは、僕にはわからないなあ。僕は翻訳を、できるだけ実直に、原文通りにやろうと思って、それを第一義に考えて翻訳しているんだけどね。うーん、もしそうだとしたら、それはあくまで無意識にしていることですね。自分ではわからないね。僕としては、ありのままに素直に、英語を日本語に移し替えているつもりなんだけど。短いセンテンスとかパラグラフで見ると、そんなに目立たないけど、全体で見ると、僕の味みたいなのがじわっと滲み出ているのかもいれないですね。そういうのを意識したことはあまりないけど。”

~(中略)~

⇒⇒
どうしてもにじみ出てしまうオリジナリティというのはあります。翻訳をするにしても、ひとつの英単語からどの日本語を選ぶか、たくさんある日本語候補のなかから。どのようにして単語と単語をつなげてひとつひとつの文章にしていくか。小さな選択のなかにオリジナリティが含まれ、それが全体のなかに蓄積されていきます。いい意味で、忠実にしようとしても隠せないものってあると思います。隠せないものそれこそが、翻ってその人の作家性といえるのかもしれませんね。

見方を変えて、久石譲の手がけた編曲って気づくものは多いです。作曲じゃないのに編曲だけでその人とわかってしまう。いかに強固なオリジナリティの現れかと思います。編曲や指揮という間接的なもののはずなのに、自身のシグネチャをのこせるってすごいです。

 

 

“それは僕の場合、まずリズムじゃないかな。僕にとっては何よりリズムが大事だから。たとえば翻訳をする場合、原文をそのまま正確に訳すことは訳すんだけど、場合によってはリズムを変えていかなくちゃいけない。というのは英語のリズムと日本語のリズムとは、そもそも成り立ちが違うものだから。英語のリズムを日本語のリズムに、自然にうまく移行しなくてはなりません。そうすることで文章が生きてくる。文章技術はそのために必要なツールなんです。”

~(中略)~

⇒⇒
よく語られていることで同旨あります。

 

 

“で、そこで何より大事なのは語り口、小説でいえば文体です。信頼感とか、親しみとか、そういうものを生み出すのは、多くの場合語り口です。語り口、文体が人を引きつけなければ、物語は成り立たない。内容ももちろん大事だけど、まず語り口に魅力がなければ、人は耳を傾けてくれません。僕はだから、ボイス、スタイル、語り口ってものすごく大事にします。よく僕の小説は読みやす過ぎるといわれるけど、それは当然のことであって、それが僕の「洞窟スタイル」だから。

うん。目の前にいる人に向かってまず語りかける。だから、いつも言ってることだけど、とにかくわかりやすい言葉、読みやすい言葉で小説を書こう。できるだけわかりやすい言葉で、できるだけわかりにくいことを話そうと。スルメみたいに何度も何度も噛めるような物語を作ろうと。一回で、「ああ、こういうものか」と咀嚼しちゃえるものじゃなくて、何度も何度も噛み直せて、噛み直すたびに味がちょっとずつ違ってくるような物語を書きたいと。でも、それを支えている文章自体はどこまでも読みやすく、素直なものを使いたいと。それが僕の小説スタイルの基本です。結局そういう古代、あるいは原始時代のストーリーテリングの効用みたいなところに戻っていく気がするんだけど。”

~(中略)~

⇒⇒
難しい言葉や言い回しで武装する難解な小説は、同じく難解で聴く人を無視した現代音楽に近いのかもしれませんね。メロディはシンプルに、ハーモニーやリズムは技術を駆使して聴きごたえのある曲に。聴いても聴いても飽きのこない、また新しい魅力に出会えるような曲。そして人の心をつかみやすいメロディだからこそ、すっとその曲に入っていける。

 

 

“うん。文体はどんどん変化していきます。作家は生きているし、文体だってそれに合わせて生きて呼吸しています。だから日々変化を遂げているはずです。細胞が入れ替わるみたいに。その変化を絶えずアップデートしておくことが大事です。そうしないと自分の手から離れていってしまう。

そうそうそう。文章というのはあくまでツールであって、それ自体が目的ではない。ツールとして役に立てばいいんです。だから完成形なんてあり得ない。僕も、昔は書けなかったものごとが今ではわりに自由に書けるようになりました。今は書きたいものはもうだいたい書けるかな。”

~(中略)~

⇒⇒
村上春樹さんは毎日机に向かって文章を書いているそうです。久石譲さんも毎日なにかしら曲をつくっているそうです。そうやって自分のスタイルを常に磨きながら更新していく。書きたいものを書ける技術力あってこそ創造性は花開くんだ、と言うは易し大変なことです。

ツールというのは小説家にとっては言葉、村上春樹さんの場合は言葉を道具として使う。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、実はそんなことありません。言葉を創造するというやり方もあるからです。美しい文章を書こうと凝る人や、言葉をつくろうとする人もいます。言葉に込めるものが多い、言葉そのものが独創性のあるものになっている。詩なんかもそうですね。で、村上春樹さんは、シンプルなツール(言葉)の組み立てで文章を表現する。ふだん誰でも使う道具(言葉)を使っている。

音楽でも同じですね。

ツールというのは、作曲家にとって楽器とも言えるかもしれません。一般に広く普及している生楽器を使って作曲するのか、あるいはシンセサイザーなどで自分の音色を作り込んで表現するのか。音響機材を駆使してそれらがないと鳴らせないもの。どちらが良い悪いではないですね。ただひとつ言えるのは、音色や音響に独創性(替えのきかないもの)を持たせるということは、それだけ再現性のむずかしい音楽になるということはいえます。生楽器にしても、尺八、篳篥や世界各国の民族楽器なんかは、楽器や演奏者の希少性もあって演奏機会が限られる、はたまた国を越えて演奏しにくいということも出てきます。時間(未来)と空間(接点)に広がりと普遍性を担保するということは、作品をのこす条件としてとても大切なことなのかもしれません。

 

 

“僕の場合、昔書いたことってほとんど忘れちゃってるから、そんなに気にならないというところはあります。「二世の縁」は土の中から即身仏を掘り出す話で、そこを起点に小説を書きはじめたわけだから、必然的に穴が出てくる話になってしまう。だから、これはもうしょうがないだろうと。やっぱり人間には思考パターンがあってね、どう変えてみたって、同じようなシチュエーションって必ずどこかに出てくるものだし、そのたびに少しずつ違う書き方をすればいいんじゃないか、と僕は思うけど。

うん。角度を変えたり、描き方を変えたり。道具立てが同じじゃないかと詰め寄られたら、まあ確かに同じなんだけど、でも、僕の感覚としては同じじゃないんです。そのたびに新しい。アップグレードされているとまでは言わないけど。しかし僕はなぜか穴とか井戸とか、そういうものに惹きつけられるところがあるみたいですね。自分でも不思議だけど。”

~(中略)~

⇒⇒
別の本ではこのように語っていました。”「詩人が書きたいことというのは、一生のあいだに五つか六つしかない。私たちはそれを違うかたちでただ反復しているだけなんだ」と。そういわれてみると、たしかにそうかもしれないと思う。僕らは結局、五つか六つのパターンを死ぬまで繰り返しているだけなのかもしれない。ただ、それを何年かおきに繰り返しているうちに、そのかたちや質はどんどん変わってきます。広さも深みも違ってきます。”(出典忘れ…)

僕はこの作家性やオリジナリティの考え方はもっと尊重されてほしいなと思います。あまのじゃくな何々風な作品群よりも、一本筋の通ったものから、作品ごとにテイスティングを味わう機微のようなものを大切にしたい。ラッセンがいきなりイルカじゃなくて恐竜を、海じゃなくてジャングルを描きだしたらびっくりします。イルカと海ばかりな作品たちに見えるけれど、ひとつひとつ目を凝らせば同じ作品や構図はありません。好きな人はあのテイストに魅了されているんです、きっと。

 

 

“そう、文章。僕にとっては文章がすべてなんです。物語の仕掛けとか登場人物とか構造とか、小説にはもちろんいろいろ要素がありますけど、結局のところ最後は文章に帰結します。文章が変われば、新しくなれば、あるいは進化していけば、たとえ同じことを何度繰り返し書こうが、それは新しい物語になります。文章さえ変わり続けていけば、作家は何も恐れることはない。文章さえ更新されていれば、血肉をもって動き続けていれば、すべてが違ってきます。

そうですね。響き、リズム、そういうものが自分の中で、前とは違っているという確信がなければ、やっぱり怖いんじゃないかな。文章が違ってくれば、同じ話でも進む方向性が変わってきます。作家はそうやって前進していくしかない。”

~(中略)~

⇒⇒
これは、、とても深く深く考えてしまう内容です。ひとつの考え方として、文章を「アプローチ、オーケストレーション、楽曲構成」としてみました。すぐに久石譲だとわかる久石メロディであっても、常にそのときのアプローチなんかによって楽曲はやっぱり最新版の久石譲になっている。それはオーケストレーションの違いなのか、構成の違いなのか、演奏アプローチも違うのかもしれない。いろいろ考え方はありますよね。とにかく、作家は止まっていないということです。

 

 

”四十代の半ばくらいまでは、例えば「僕」という一人称で主人公を書いていても、年齢の乖離はほとんどなかった。でもだんだん、作者の方が五十代、六十代になってくると、小説の中の三十代の「僕」とは、微妙に離れてくるんですよね。自然な一体感が失われていくというか、やっぱりそれは避けがたいことだと思う。”

~(中略)~

⇒⇒
次の引用がわかりやすくなるようにとひっぱってきました。次へ進む。

 

 

“もちろんそんなに簡単に文体を総ざらいして、新たなものをつくって、みたいなことはできません。そんなに急に、これまで使っていない筋肉を使うことはできないから。ただ気持ちとして、新しい方向性に文体を転換して行こうということです。新しい文体が新しい物語を生み、新しい物語が新しい文体を補強していく。そういう循環があるといちばんいいですね。”

~(中略)~

⇒⇒
具体的にいうと、一人称から三人称への転換などがあります。「僕は~」で書いていた小説のもつ同化や説得力から、物語や人を俯瞰的にみる三人称へ。登場人物が少ないときや主役がはっきりしているときに有効な一人称と、登場人物が多いときや対等に扱いたい複数人のときに有効な三人称、など。一人称から三人称へ、そうしないと書けない物語がある。書きたいことを書きたいように、あるいはこれまで書いたことのない世界を書きたいときに変化を遂げる。

ベートーヴェンも、ピアノソナタをつくって交響曲へと大きく拡大して弦楽四重奏曲に削ぎ落とす。こういった時代ごとの作風のサイクルに区切りをつけながら次に進んでいます。そしてその作風は決して終わったわけでも決別したわけでもなく、行きつ戻りつ、ときに確認して見つめなおしたりをくり返しながら。(久石譲語録の記憶から….)

久石譲もシンセサイザーからオーケストラへの転換などがあります。シンセサイザーでは映画の世界観を表現しきれないと、フルオーケストラへと舵を切る。そうやって軸はオーケストラに置きながらも、今もってシンセサイザーサウンドを排除したわけではない。

村上春樹はこの本の別頁でこんなふうにも語っています。”書けることだけを書いて、それはそれでまうまく機能していたんだと思う。でもそれは僕の本当に書きたかったこととは少し違うんです。自分の書きたいものがある程度書けるようになってきたのは、もっとずっとあとのほうですね”

 

 

“この前も言ったけど、僕は『ノルウェイの森』で、リアリズム小説を書き切るという実験をやりました。『スプートニク』は、これまでの文体の総決算をやってしまおうと思って書き始めました。それから『アフターダーク』では、ほとんどシナリオ的な書き方をしました。そういうふうに、「少し短めの長編」ではいつも自分なりの実験みたいなことをやっています。今回はこういうことを試してみよう、という挑戦をやっているわけです。『多崎つくる』も僕としてはわりに実験的というか、いうなればグループを描く小説です。そういうものは以前には書いたことがなかった。あれぐらいの長さの小説って、書き手としては一番実験がしやすいんです。

短編だとある程度のまとまりが必要になってくるし、長い長編だと生半可なことはできない。中途半端に実験的なことをやると収拾がつかなくなりますから。でも『スプートニク』とか『国境の南、太陽の西』とか、それから『アフターダーク』、『多崎つくる』、あのぐらいの一冊本だと、そういうわりに突っ込んだ実験ができます。感覚を思い切って解放し、新たなシチュエーションを試してみることができます。だから、僕にとってはすごく大事な容れ物なんです。でもあのサイズの小説って、おおむね読者の評判がよくないんですね。

わからない。なんでだろう(笑)。短編は短編で、ある程度評価してもらえるし、長い長編は長編として評価してもらえるんだけど、あの中くらいの小説というのは、少なくとも出した時点では、なぜか酷評されることが多いみたいですね。手を抜いているとか、これまでと同じだとか、あるいは逆に新しいことをやろうとして失敗しているとか。”

~(中略)~

⇒⇒
うーん、読者として不完全燃焼な感じがあるのでしょうか、中くらいなサイズ感もあいまって。短編のほどよい軽食感とも、長編のフルコースな満足感とも少し違う、なにか居心地のさだまらない感覚なのかもしれません。

そう言われると、久石譲『ミュージック・フューチャー・コンサート』で披露される作品って、第一印象でそういうところもあるかもしれません。時間の長さも楽器編成も中くらいな作品が多いです。そこに、そのとき旬な実験性みたいなものも含まれていて、どう受け取っていいのか、どう反応したらいいのか、まったく免疫のなかった聴衆は戸惑ってしまうような感じ。

でも不思議なもので、そういった中くらいの作品が、次の大きな作品につながっていたり、あとから振り返ったときにはおさまりよく据わっているような気もします。ああ、あの作品が節目や布石だったんだなと、余裕をもった心持ちで受け止めるときがきっと訪れることでしょう。だから、ひとつひとつの作品に愛着がある。

 

 

“小説的な面白さとか、構築の面白さとか、発想の面白さというのは、生きた文章がなければうまく動いてくれません。生きた文章があって初めて、そういうのが動き出す。でも多くの作家は、発想とか仕掛けが先にあって、文章をあとから持ってくる。意識が先にあって、身体があとからついてくる。僕の感覚からすれば、同時にあるものではなくて、まず文章がなくちゃいけない。それが引き出していくんです、いろんなものを。”

~(中略)~

⇒⇒
例えば、楽器や音色といった飛び道具を先に決めてしまって、それを使うことが最優先になってしまっている音楽ってありますよね。使うことが最大の目的になってしまっている。それが悪いわけではないんでしょうけれど、なんというか発想勝負、仕掛けの珍しさだけで突っ切ろうとしている感じ。奇をてらったものには、それなりの芯も持ち合わせていないとぐらぐら倒れてしまいます。

 

 

少し追加します。

同書からですが、テーマ(短編・長編・翻訳)からはそれるんですけれど、とても伝わる語り口だったのでぜひとご紹介します。

 

”朗読に使ったりするとき以外は読み返さない。もちろん自分の書いたものについて「くだらない」とか「つまらない」とか思っているわけじゃないですよ。ベストを尽くして書いたという手応えは僕の中にまだ残っているし、そのことに誇りのようなものだって持っているし、褒められればもちろん嬉しい。僕の小説が三十年経っても絶版にもならずに書店の棚に並んでいるのを目にすれば、ありがたいなと思うし、読者に感謝したいなと思う。それは当たり前のことです。作家だから。でもそれはそれとして、自分で自分の書いた小説を改めて読み返したいという気持ちにはなかなかなれない。

自分の書いたものはむずかしいね。カーヴァーのたとえば「大聖堂」とか、パン屋の話とか、「足もとに流れる深い川」とかは、今読んでもやっぱりすごいなと、手を入れるところもないよなと思うけど。自分の小説というのは、まあ、僕が書いた短編のベスト3なんてとても選べないけど、もし選べたとしても、読んだらやっぱりイライラするんじゃないかな。同じ話も、今だったら違うふうに書くと思う。

ただ、もし今僕がその自分の短編を、今の感覚と今の技術で書き直したとしても、読んだ人がよくなったと思うかというと、そうとは限らないと思う。それはあくまで僕自身の感覚の問題だからね。だからあまり読み直さないようにしているんです。読むとどうしても手を入れたくなっちゃうから。”

~(中略)~

⇒⇒
作家の思考が覗けておもしろいです。

 

 

”そういう書き方ももちろんあるわけだけど、僕はそういう書き方はしないというだけで。僕が自分の昔書いたものをまず読み返さないのは、だいたいにおいて自分の書いた文章に不満を感じるんです。でもそれは良いことだと思う。だって同じことを書いてたら、誰も読まなくなるよね。また同じかと。バージョンアップして自分を磨いて上げていかなちゃいけない。やっぱり世界は広いし、自分よりうまい人はたくさんいるし、日本のマーケットの中だけに留まっていたら、自己改革ってなかなかやるのは難しいと思う。ついつい締切りに追われたりしてね。

それから、いいところも一緒にある程度捨てていかないとね。でも、なかなか難しい話です。僕の読者でも初期の作品のほうがずっと好きだって人はたくさんいる。『ノルウェイの森』を今書いたら、もっともっとうまく書けると思うけど、きっとあればあれぐらいの段階で書いといて一番良かったんじゃないかって……。

今読むとね、青臭いなと思うとこあるんだけど、やっぱりああいうのはある程度青臭くないと、人の心は打たない。”

~(中略)~

⇒⇒
”いいところも一緒にある程度捨てていかないと”という部分が特に印象的でした。宮崎駿監督でいうと「トトロ2は作らない」になるだろうし、久石譲でいうと「過去は忘れる」になるだろうし。自身の完成モデルにすがらないということもあるんですけれど、文章を読んでいて、あの時だからこそ最も輝けるかたちで完成したことを作家が一番よくわかっている、だから捨てないといけないという逆説につながるのかもしれない、と思った次第です。

 

 

 

今回とりあげた、『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』。村上春樹さんの本を読んだことある人なら、もちろん楽しめる本です。そうじゃなくても、本を読むことが好きな人には興味をそそられる視点ばかりです。そして、今度本を読むときには、もっとぐっと近づけて、もっと深く楽しめるようになりたい。そう思わせてくれる本です。

 

 

-共通むすび-

”いい音というのはいい文章と同じで、人によっていい音は全然違うし、いい文章も違う。自分にとって何がいい音か見つけるのが一番大事で…それが結構難しいんですよね。人生観と同じで”

(「SWITCH 2019年12月号 Vol.37」村上春樹インタビュー より)

”積極的に常に新しい音楽を聴き続けるという努力をしていかないと、耳は確実に衰えます”

(『村上さんのところ/村上春樹』より)

 

それではまた。

 

reverb.
いろんな分野からクロスして学べるって楽しい。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Info. 2023/02/19,26 [ラジオ]「現代の音楽」四人組コンサート 久石譲ゲスト出演 放送

Posted on 2023/02/15

「現代の音楽」は、作曲家・西村朗さんの分かりやすい解説で現代音楽の魅力を紹介しています。2月5日、12日は、シリーズ「日本の作曲家」。5日は、カトリックの信仰に基づく独自の死生観が特徴的な権代敦彦の作品を、12日は、演奏家の身体と脳の可能性を広げることで実現される、独自のテンションや時間構造を追求し続けている原田敬子の作品をご紹介。2月19日、26日は「最近の公演から」。2022年12月9日に東京文化会館・小ホールで開催された「四人組とその仲間たち」をお送りします。1994年にスタートした池辺晋一郎、新実徳英、西村朗、金子仁美の4人による新作を初演する演奏会。2022年の公演はゲスト作曲家として久石譲を加え、5つの作品が披露されました。 “Info. 2023/02/19,26 [ラジオ]「現代の音楽」四人組コンサート 久石譲ゲスト出演 放送” の続きを読む

Info. 2023/02/13 舞台版『となりのトトロ』英国の演劇賞「WhatsOnStage Awards」5冠の快挙(Webニュース各種より)

Posted on 2023/02/13

舞台版『となりのトトロ』英国演劇界で権威ある「WhatsOnStage Awards」5冠の快挙

スタジオジブリのアニメーション映画『となりのトトロ』(1988年)を舞台化し、昨年10月~今年1月までイギリス・ロンドンで上演されていた舞台『My Neighbour Totoro』が、イギリスの舞台作品・産業を讃える「第23回WhatsOnStage Awards」で5冠に輝く快挙を成し遂げた。

現地時間12日に行われた授賞式で、ベストセットデザイン、ベストサウンドデザイン、ベストミュージカルディレクター・スーパービジョン、ベストライティングデザイン、ベストディレクションの5つの部門で受賞。同舞台は、9部門にノミネートされていた。

同映画の音楽を手がけた作曲家の久石譲氏が「この作品に本当の意味で普遍性があるなら――僕はあると思っていますが――まったく違うカルチャーで育った人たちが違う言語でやっても、きっと世界中の人に伝わるはず」と発案し、エグゼクティブ・プロデューサーを務め、イギリスの名門演劇カンパニー、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)と日本テレビが共同製作した。

昨年5月にチケットが発売開始されると、初日だけで約3万枚が売れ、ベネディクト・カンバーバッチ主演『ハムレット』(2015年)の数字を抜いて、バービカン劇場の初日販売記録を更新。その後もチケットが取りにくい状態が続き、開演初日の翌日(10月9日)付けの現地日刊紙「THE TIMES」では、「My Neighbour Totoro: why this RSC show is the hottest ticket in town」という見出しで、“ウェストエンドで最もチケットが売れている公演”と報じられた。連日チケット完売の盛況ぶりの中、先月21日に千秋楽を迎えていた。

出典:ORICON NEWS|舞台版『となりのトトロ』英国演劇界で権威ある「WhatsOnStage Awards」5冠の快挙 | 
https://www.oricon.co.jp/news/2267610/full/

 

 

舞台「となりのトトロ」英国の演劇賞WhatsOnStage Awardsを席巻!

英国の権威ある演劇賞「第23回WhatsOnStage Awards」の授賞式が2月12日にロンドンで行われ、スタジオジブリのアニメーション映画を舞台化した「My Neighbour Totoro」(「となりのトトロ」)が、最優秀演出賞など最多の5冠を獲得しました。

映画で音楽を手掛けた作曲家の久石譲が舞台化を提案し、宮﨑駿監督がこれを快諾したことで始まったプロジェクト。久石譲がエグゼクティブ・プロデューサーを務め、イギリスの名門演劇カンパニー、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)と日本テレビが共同製作し、舞台化しました。昨年10月8日~今年1月21日までロンドンのバービカン劇場で上演した舞台は、久石譲の音楽、原作を尊重した世界観、そしてRSCならではの作劇力で観客の心をつかみ、13万3,000枚のチケットは完売。連日万雷の拍手とスタンディングオベーションが続き、ガーディアン紙をはじめ多くの劇評で五つ星を獲得するなど、高評価を得ていました。

最優秀演出賞を受賞したフェリム・マクダーモットは授賞式で「原作の精神に導かれるように、皆で一丸となって作り上げたショーです。パンデミックで街に人がいない中、バービカン劇場で様々なトライを続けました。キャストは卓越したアンサンブルでこのショーを育み、お客様の気持ちが加わって完成しました。私はこの賞を、個人としてではなく、チームとして受け取りたいと思います」と喜びを語りました。

受賞したのはほかに、舞台美術、照明デザイン、音楽監督、音響デザインの各賞。ノミネートも最多の9部門でした。4月には英国演劇界で最も注目されるローレンス・オリヴィエ賞も控えており、さらなる受賞も注目されています。

My Neighbour Totoro 第23回WhatsOnStage Awards 受賞一覧
◆Best Direction(最優秀演出賞)- Phelim McDermott(フェリム・マクダーモット)
◆Best Musical Direction/Supervision(最優秀音楽監督賞)- Bruce O‘Neil(ブルース・オーネリ) and Matt Smith(マット・スミス)
◆Best Set Design(最優秀舞台美術賞)- Tom Pye (トム・パイ)and Basil Twist(バジル・ツイスト)
◆Best Lighting Design(最優秀照明デザイン賞)- Jessica Hung Han Yun(ジェシカ・ハン・ハンユン)
◆Best Sound Design(最優秀音響デザイン賞)- Tony Gayle(トニー・ゲイル)

 

メインスタッフと上演データ

エグゼクティブ・プロデューサー:久石譲
原作:宮﨑駿「となりのトトロ」
音楽:久石譲
脚本:トム・モートン=スミス
演出:フェリム・マクダーモット
製作:ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー/日本テレビ

美術:トム・パイ、衣装:中野希美江、照明:ジェシカ・ハン・ハンユン、ムーブメント:山中結莉、舞台にはバジル・ツイストによって創られたパペットが登場。さらに誰もが知る久石譲の音楽をウィル・スチュアートが新たにオーケストレーションし、ライブ演奏の音響デザインをトニー・ゲイルが担当。

会場:ロンドン・バービカン劇場
日程:2022年10月8日(土)~2023年1月21日(日) ※全118回で133,000人を動員(完売)

出典:PR TIMES|舞台「となりのトトロ」英国の演劇賞WhatsOnStage Awardsを席巻!|日本テレビ放送網株式会社のプレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000096921.html

 

 

from My Neighbour Totoro Twitter
https://twitter.com/totoro_show

 

 

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Info. 2023/03/18 「NHKアカデミア」第14回 久石譲 公開収録

Posted on 2023/02/10

「NHKアカデミア(3月18日)」公開収録

誰もがあこがれる各界のトップランナーたちが講師となり“今こそ共有したい”をテーマに語りつくす講座番組「NHKアカデミア」。第14回・久石譲さん(作曲家・指揮者・ピアニスト)のオンライン講座の参加者を募集します。 “Info. 2023/03/18 「NHKアカデミア」第14回 久石譲 公開収録” の続きを読む