連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第23回:「ふたりが残った」
クライマックス曲の変更という最大の難関を乗り越えた久石譲は、あらためて2日目の録音に取り組んだ。1日目で大編成のオーケストラ曲がほぼ終了していたことから、この日は主に小編成の曲を録音した。
映画音楽は交響曲と違い、あくまで場面に合わせて作曲するため、編成や長さが多岐に渡る。なかには、10秒ほどで終わってしまう曲もある。
しかし、どれも場面を支える重要な曲だ。一つ一つが満足いく演奏をするには、映画音楽ならではの苦労も生まれる。
終盤、トランペットと大太鼓の2人だけとなった録音で、こんなことがあった。
カットナンバー500。夕暮れの街を、戦意高揚のためにビラまき隊が行進する場面の曲。絵コンテに、トランペットと太鼓を使って、「プップクプップップー、ドンドン」と記されていたことから、久石はそのニュアンスを生かした曲を用意していた(サウンドトラック盤には未収録)。
演奏前、久石が奏者たちに説明した。「できるだけ下手に弾いて下さい」
奏者たちには慣れない要請だったが、わずか数秒の曲でもあり、あっさり終わるだろうと演奏が始まった。
ところが、これがなかなかうまくいかなかった。
小さい頃から、誰よりも上手に弾くことを求められてきた「エリート」の彼らが、いくら「下手」に弾いても、どうしてもなめらかさが残ってしまうのだ。
それでも何度か繰り返すうちに、少しずつ様になってきた。久石が「このくらいでどうでしょう?」と客席中央を振り返ると、監督は「プロの演奏家でない役所の用務員が、仕方なく演奏しているという設定なので、もっと下手にお願いします」と要求してきた。
音楽家である久石にとっての「下手」も、まだまだ上手すぎたようだ。
監督がこだわったのには理由がある。短いが、戦時下の暗い街を象徴する大切なカット。用務員が嫌々演奏していることで、その雰囲気を出したいという演出意図があったのだ。
この言葉で火がついた奏者たちは、微妙に音程を外すなど、持ち前の技術で「素人らしさ」を表現。何とか「下手な演奏」を実現した。監督と久石は、あたたかい拍手を送った。
こうして、オーケストラの演奏はすべて終了。最後に久石のピアノ録音が残された。
久石は、「さぁ、演奏家に戻らなくちゃ」と腕を回す。
ピアノのセッティングが完了した頃には、オーケストラのメンバーはすべて引き上げ、監督の姿も見えなくなっていた。静まり返ったホール内で、1人、鍵盤に向かった。
映像をバックに、静かにテーマ曲「人生のメリーゴーランド」のピアノバージョンの演奏が始まる。
何度も繰り返し登場した旋律が、やっと久石本人の手で奏でられた。数々の宮崎作品で鳴っていたのと同じ、あの音色が、場内を包み込んだ。
演奏が終わり、顔を上げた久石は、思わず「あっ」と声をあげた。いつの間にか監督が客席に戻っていたのだ。久石が「帰っちゃったのかと思っていましたよ」と言うと、監督は「聴いていきます」とにこやかに笑った。
監督が録音に最後まで付き合うのは、2人の長いコンビのなかでも、初めてのことだった。
ホールの中には、いつの間にか誰もいなくなっていた。残ったのは、2人だけだった。
監督はシートに深く体を沈めながら、じっと久石のピアノを聴いた。舞台裏のコントロール・ルームのテレビモニターに映し出されたその光景は、いつまでも、いつまでも続くように見えた。
回り続けるメリーゴーランドのように。(依田謙一)
(2004年7月23日 読売新聞)