Posted on 2015/6/21
クラシックプレミアム第38巻はヴァイオリン・チェロ名曲集です。
まったくの余談ですが、久石譲が初めて習った楽器がヴァイオリン、4歳から鈴木鎮一ヴァイオリン教室に通っていました。ちなみに今やピアニストとしても独特の世界観を響かせていますが、実はピアノをきちんと習い始めたのは30歳を過ぎてから。コンサートなどでの演奏に必要になってきたためという理由からだそうです。意外といえば意外ですね。
【収録曲】
タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタ 第4番 ト短調 《悪魔のトリル》 (クライスラー編曲)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ジェイムズ・レヴァイン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1992年
ベートーヴェン:《ロマンス》 第2番 ヘ長調 作品50
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
チョン・ミュンフン指揮
フィルハーモニア管弦楽団
録音/1996年
サン=サーンス:《ハバネラ》 作品83
ジャニーヌ・ヤンセン(ヴァイオリン)
バリー・ワーズワース指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音/2003年
ドヴォルザーク:《ユモレスク》 変ト長調 作品101の7
アルテューユ・グリュミオー(ヴァイオリン)
イシュトヴァン・ハンデュ(ピアノ)
録音/1973年
サラサーテ:《ツィゴイネルワイゼン》 作品20
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ジェイムズ・レヴァイン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1992年
エルガー:《愛の挨拶》 作品12
クライスラー:《愛の喜び》 《愛の悲しみ》
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
フィリップ・モル(ピアノ)
録音/1985年
カタロニア民謡:《鳥の歌》 (カザルス編曲)
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
パーヴェル・ギリロフ(ピアノ)
録音/1987年
シューマン:《アダージョとアレグロ》 変イ長調 作品70 (グリュツマッハー編曲)
ピエール・フルニエ(チェロ)
ラマール・クラウソン(ピアノ)
録音/1969年
フォーレ:《エレジー》 作品24
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
セミヨン・ビシュコフ指揮
パリ管弦楽団
録音/1991年
フォーレ:《夢のあとに》
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
ダリア・オヴォラ(ピアノ)
録音/1999年
「久石譲の音楽的日乗」第37回は、
指揮者のような生活
前号では、4月に開催されたイタリアでのスペシャルコンサートのお話でした。前々号で、指揮者ドゥダメルの演奏会のことを記していたのですが、そこからの続きになります。5月に開催された富山コンサートのことにも触れていて、演奏会を聴いて感じていたことが、謎が解けました。そんなお話になっています。詳細は順を追って。
一部抜粋してご紹介します。
「先日、一連の指揮活動が終了した。イタリアから始まり、すみだトリフォニーホールでのシェーンベルク《浄められた夜》、アルヴォ・ペルトの交響曲第3番を経て、リニューアルされた富山県民会館でのこけら落としコンサート(日本での演奏はいずれも新日本フィルハーモニー交響楽団)まで、なんだか指揮者のような生活を送ってきた。」
「演奏するのはまあ嫌いではないのだが、前にも書いたようにまったく作曲ができなくなるのは痛い。それはそうだ、頭の中で《浄められた夜》のような凄まじく難しい楽曲が鳴りまくっていたら、自分の音符なんて浮かんで来るわけがない。作曲のために徐々に減らしていこうと思うのだが、夏からまたコンサートが始まる。ありがたいことではあるが……複雑な心境だ。」
「富山ではドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》を演奏した。最もポピュラーなクラシック曲だ。オーケストラのレパートリーとしても演奏頻度が高く、場合によってはゲネプロ(当日の全体リハーサル)のみで、本番に臨むというケースさえあるらしい。だからといって易しいとは限らない。シンプルで力強い美しいメロディーの後ろで、各楽章とも変化に富んでいるうえにしっかり構成されていて、思いのほか手強い。前々回に書いたドゥダメル&ロサンゼルス・フィルでも演奏されていたが、その明確な構成力と躍動感に溢れるリズムに圧倒された。スケジュールが込んでいてなんとなく選んだ《新世界より》がまったく別の楽曲に聞こえ、思わず客席で背筋が伸びた。それから合間を縫って今までの方法を改め、猛特訓、いや猛勉強したのだが、スコア(総譜)を読めば読むほど、スルメのように味が出てくる。ドヴォルザーク本人もそれほどの大作に挑んだ(もちろん45分以上かかる楽曲だから大変な労力を必要とするが)と思っていなかったようだが、だからこそ力が抜けて音たちはとても自由に動いている。このことは重要だ。他の芸術でもスポーツでも思い入れが強すぎたり、気合いが入りすぎると力は発揮できない。指揮でいうと力んだ腕をどんなに一生懸命に振ってもスピードは出ないし、他の筋力を巻き込んで軸がぶれたり、頭を前後に大きく振ったりで、自分が頑張っていると思うほど演奏者には伝わっていない。ゴルフでいうところのヘッドアップと同じだ。力みをとる-あらゆる分野で最も大切で、最もできないことかもしれない。」
「だが、それより重要なことがある。結局のところ、どういう音楽を作りたいか明確なヴィジョンを持つことに尽きる!と僕は考える。」
「NHKのクラシック番組で、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、NHK交響楽団の演奏でショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏を聴いた。この楽曲については前にも触れているので多くは書かないが、一応形態は苦悩から歓喜、闘争から勝利という図式になっているが、裏に隠されているのはまったく逆であるというようなことを書いたと思う。パーヴォ・ヤルヴィの演奏はその線上にあるのだがもっと凄まじく、この楽曲を支配しているのは恐怖であり、表向きとは裏腹の厳しいソビエト当局に対する非難であると語っていた。第2楽章がまさにそのとおりでこんなに甘さを排除したグロテスクな操り人形が踊っているような演奏は聴いたことがなかったし、第4楽章のテンポ設定(これが重要)がおこがましいが僕の考え方と同じで、特にエンディングでは、より遅いテンポで演奏していた。だから派手ではないが深い。」
「彼はエストニア出身、小さい頃はソビエト連邦の支配下にあったこの国で育った。父親は有名な指揮者でショスタコーヴィチも訪ねてきたときに会ったくらいだから、この楽曲に対する思いは尋常ではない。明確なヴィジョンを持っている彼にNHK交響楽団もよく応え、炎が燃え上がるような演奏だった。」
「ついでにいうと作曲家アルヴォ・ペルトさんも同じエストニア出身だ。若い時は十二音技法やセリー(音のさまざまな要素を音列のように構築的に扱う作曲技法)で作曲していたがソビエト当局の干渉で禁止され、教会音楽などを研究していく中で今の手法を考えだした。今では世界中で最も演奏される現代の作曲家なのだがCDも多く出ていて、その中で一番おすすめなのがパーヴォ・ヤルヴィだ。同じ国の出身、深い共感が良い音楽を作る。」
「以上数回にわたって指揮活動を中心にした音楽的日乗を綴ってきた。」
「それにしても、クラシック音楽はいい。目の前でオーケストラが一斉に音を出すのを聴いていると(これは指揮者の特権)、人類は偉大なものを作り上げたと驚嘆する。そのクラシック音楽は、いやクラシックだけではなく他の分野の音楽も含めて、我々はどういう進化を遂げてこういう形態に至り、これからどういう音楽を作り上げていくのか考えてしまう。つまり画家のゴーギャン風にいうと「我々はどこから来て、どこへ行くのか!」ということだ。次回からはいよいよ本題「音楽の進化」について書く。」
補足しますと、指揮者パーヴォ・ヤルヴィさんは、2015年9月からNHK交響楽団の首席指揮者に就任予定です。それもあって2014年あたりから歴代の作品が一気にCD再発売されています。2000年録音のアルヴォ・ペルト:「スンマ」「交響曲第3番」を収めたものなど多数あります。
せっかくなので、久石譲も過去に取り上げたことのある、この「スンマ」「交響曲第3番」が収録された、CDを買って聴いてみたいと思っています。久石譲の解説で俄然興味も湧いたアルヴォ・ペルト(作曲)×パーヴォ・ヤルヴィ(指揮)という組み合わせで。
もうひとつ。ドヴォルザーク 交響曲第9番 《新世界より》について。5月開催コンサート「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団 富山特別公演」での演奏を聴いたときに、えらく緩急のメリハリがしっかりした構成になっていたということはレポートで書きました。
こちら ⇒ Blog. 「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団 富山特別公演」 コンサート・レポート
コンサートに臨む前に、予習もかねて名盤と評されているCDをいくつか聴いていたのですが、もちろん久石譲もCD作品化していますが、聴いていたどの盤にもないテンポ感だったので、非常に強烈に印象に残り、レポートにそのことを記した記憶があります。
その後、このクラシックプレミアム・エッセイにてドゥダメル指揮の《新世界より》を聴いてきたという久石譲の話があったので……
こちら ⇒ Blog. 「クラシック プレミアム 36 ~ビゼー~」(CDマガジン) レビュー
もしや!と思い、ドゥダメル指揮の同楽曲音源を探しに探して聴くことができたのですが・・やっぱりっ!という結論でした。久石譲も今号エッセイにてはっきりと綴っているので、疑問から推測が確信へと変わりました。ドゥダメル盤新世界よりと、最新の久石譲盤新世界より。
こうやっていろいろなキーワードやパズルのピースのようなものをたよりに、推測したり時系列で整理したりするのは非常に楽しいですね。おかげで「交響曲第9番 新世界より」はここ数ヶ月のあいだに、何十パターン(指揮者違い,オケ違い,録音年違いなど)聴いただろうと思います。そして自分だけのお気に入りの盤を見つけたときの喜びです。
ほんとうにクラシック音楽って、指揮者、演奏者、録音年代、録音場所などで、同じ楽曲でもまたと同じものはないというくらい、全然響きも印象も感動も違います。そして一番感動するのは、どんな名盤をCDなどで聴くことよりも、実際にコンサート会場で体感することだな、ということを痛切に感じているのも事実です。
だいぶんクラシック音楽に対する見方が変わってきたのは、このクラシックプレミアムのおかげなのか、久石譲の同雑誌内エッセイのおかげなのか、はたまた久石譲コンサートでクラシック音楽を聴くことが定着したからなのか…全50巻、2年越しの「クラシックプレミアム」も、7-8合目くらいです。