Blog. 「クラシック プレミアム 15 ~ベートーヴェン3~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2014/08/26

「クラシックプレミアム」第15巻は、ベートーヴェン3です。

第1号はベートーヴェン1にて、交響曲《第5番》 《第7番》 ほか、第9号はベートーヴェン2にて、交響曲《第3番》 《エグモント》ほか、収録されています。

今号に収められたピアノ協奏曲 第5番 《皇帝》。ベートーヴェンはこの作品において従来のピアノ協奏曲の概念を打ち破る新機軸を打ち出し、文字どおりピアノ協奏曲の歴史を大きく変えたと言われています。

それは雄大なるスケール感と色彩感が圧倒的であり、聴き手の度肝を抜く斬新な演奏手法も画期的、第1楽章を行進曲を思わせる逞しい作風とするなど、まさに新しい時代の幕開けを告げるかのように作曲された作品。

 

【収録曲】
ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73 《皇帝》
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)
ホルスト・シュタイン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1970年

ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲 ハ長調 作品56
マーク・ゼルツァー(ピアノ)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ヨーヨー・マ(チェロ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1979年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第15回は、「伝統か人口的かということ」

今号では、新しい中国映画の音楽を担当することになり、そのロケ地である上海から車で2時間くらいのことろにある烏鎮(ウーチン)を訪れた際のエピソードや思いを中心に書かれています。

人工的でありながら自然に近づけた町烏鎮、そこで暮らす人々のこと。バリ島のケチャダンス、「ラーマーヤナ」の歴史、伝統を発展させて今のケチャとなったエピソードなど、伝統を人工的でこそあれ継承していくことの背景やその意味。そういったことが今回の訪問先での出来事を織り交ぜて進みます。

一部抜粋してご紹介します。

 

「随分昔ではあるが、アフリカの中西部にあるマリ共和国に行ったときのことだ。ここでも伝統を人工的に作り替える試みがされていた。~中略~ マリの北部、中部、南部にはそれぞれ別の民族音楽があり、使われる楽器も異なっている。僕が会ったマリ大学の音楽教授はこの異なる3つの民族音楽を一つにしようと研究し、学生たちに楽器の改良や実際の演奏をさせていた。」

「僕はやや疑問を持って彼に質問した。「伝統はあるがままの方が良くないですか?」もちろん通訳を介してである。すると「いや、伝統は放っておいたらすぐに廃れます。誰も演奏も聴くこともしなくなります。時代に合わせながら3つの伝統芸能を一つにする。それがマリの生き残る道です。」」

「この言葉にはもう一つの意味がある。マリ共和国はフランス植民地時代を経て独立したのだが、その後ずっと内戦が続いている。長い軍事独裁体制や2012年の北部紛争など現在に至っても治安は悪化し続けている。21世紀は大同団結ではなく、違いを主張する時代だ。この国の中で、異なる伝統を一つにすることで国が一つになる手助けをしたい、彼にはおそらくその当時からそんな思いがあったのではないか。」

 

エッセイのなかには、こんなことも書かれていました。

「ガムラン、ケチャの発祥の地、バリ島のウブドゥは世界で最も好きな場所の一つである。だから《モンキー・フォレスト》という曲まで作っている(ケチャのことをモンキーダンスともいうことがある)。突然降りだす激しい雨は文字通りバケツをひっくり返したようであり、夜の闇は本当に漆黒なのである。食べ物はおいしく、人々の笑みには謎があり……まさにストレンジャー・ザン・ウブドゥなのだ。」

 

《モンキー・フォレスト》2006年発表作品『Asian X.T.C.』に収録されています。アジアをテーマにした壮大なコンセプトのソロ・アルバムです。同曲はまさしくミニマル・ミュージックとガムランのリズムが織り交ざった魅惑の曲。

思わずベートーヴェンを傍らに置いて、久しぶりに聴く『Asian X.T.C.』から「Monley Forest」に聴き入ってしまいました。ちょうど真夏のこの季節にもぴったりでしたね。

 

クラシックプレミアム 15 ベートーヴェン3

 

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