Posted on 2016/6/12
2001年公開 映画「Quartet カルテット」
監督・音楽:久石譲 出演:袴田吉彦 桜井幸子 大森南朋 久木田薫 他
2001年映画公開直前に行われた「キネマ旬報 2001年10月上旬号 No.1341」での特集およびロングインタビュー内容です。
特集 久石譲
映画に勝負をかけた音楽家
ロングインタビュー
久石譲が初監督を務めた「カルテット」がいよいよ10月6日より公開される。撮影終了を間近に控えた昨年9月、取材の席で漏れた「後悔はない」という言葉は、あれから1年を経た今でも気持ちの上では変わりはないという。「変わらないですね。テクニカルな部分の不満が多少あっても、やりたかったことはほとんどやり遂げましたから満足しています」 すでに現在、日本映画界にとって不可欠な存在である久石譲の野望をここで探ってみたい。
自分の範囲内でできることを語る久石譲のある一面
久石譲の体験が息づく物語だが、”トゥルー・ストーリー”というよりは”リアル・ストーリー”というべき作品であろう。
久石:
「それ、いい言葉だよね。自分の初監督ってせいもあるんですけど、体験していないことを頭で想像して書いた場合、リアリティがないと思ったんですね。起こった事象自体は違うけれど、自分が体験したこと、目で見たものを中心に動かしましたね」
北野武、宮崎駿、大林宣彦など、これまで仕事を共にした監督たちとの記憶が随所に見て取れるが、オーソドックスなドラマ作りに澤井信一郎作品を連想することも可能だ。
久石:
「僕が最初に長編の実写映画でデビューしたのが、澤井さんの『Wの悲劇』でした。澤井さんは若い女優さんを撮るのが特にうまいですよね。で、ラストに必ず振り返る(笑)。振り返って明日に向かって歩いていくっていうシーンが必ずありますね。今回、袴田(吉彦)くんが最後に振り返るときに”あぁ、澤井さん的だ”って思いましたよ(笑)」
青春映画という点でも澤井作品の共通項を見ることができる。
久石:
「青春ドラマってやり方がいくつかあるんです。音楽を絡めるとなると、大林さんの『青春デンデケデケデケ』のようなロックグループもできるんですが、自分がクラシックの音楽大学を出て、ヴァイオリンもやってましたから、クラシックの弦楽四重奏団を選びましたよね。その段階で、いわゆるMTVみたいなやり方は捨てましたね。まず最初にきちんとしたドラマを一回撮りたいと。それをやっておかないとつぎがないだろうと思いましたし。もっとも、最初に書いたプロットはとんでもなくスラップスティックな喜劇でしたけどね。智子(桜井幸子)なんか男を見るとすぐセックスしたくなるような役だった(笑)。ただ、自分の技量でそこまでやりきれるとは思えなかったし、そこまでしなくてもこの内容はできるんじゃないかということで、今のスタンスに落ち着いたんですけれど」
最も扱いやすい題材と最もハンドルの効く音楽で勝負したわけである。
久石:
「ただね、春ごろに大林さんから言われました。”退路を絶ったね”って。つまり音楽家が音楽映画を撮るっていうのは言い訳をきかなくしてしまっている。だから”自分で自分の退路を絶っちゃって、どうするの?”って言われて、あぁそういう考え方もあるなって思いました(笑)。少し前に澤井さんに観ていただいたら、ニコニコ笑いながら”よかったよ”っておっしゃってくださったんですけど」
澤井信一郎の意見が批評的には一番怖いのではないだろうか。
久石:
「だと思います。本当に映画というものを知り抜いている人ですからね。そういう意味で言うと一番厳しくというか、ある程度及第点を越えていたら”うーん、お前いいよ、それで”というところで多くをおっしゃらないか、どちらかだと思いますね」
音楽で生きる者の音楽映画における理想郷に向かって
今回、久石譲は「音楽映画を作る」と宣言して初監督作品を仕上げた。ユニークなのは、現実音としての音楽はあふれていても、ドラマ用の音楽そのものは少ないことだろう。音楽的に饒舌なようでいて、実はそうではないということを確認するべきである。
音楽映画とは、音楽自体がドラマのシチュエーションの中に入り込んでくるものだと思う
久石:
「音楽映画という言葉の定義はハッキリとしていませんが、僕の考えでいうと、一つは音楽がドラマに絡んでくる、音楽自体がドラマのシチュエーションの中に深く入り込むということ。もう一つが台詞の代わりに音楽が重要な要素になることですね。今回すごくこだわったのは、音楽家が出てくる映画だし、弦楽四重奏を皆が演奏していく過程を見せるドラマなのだから、現実の音、いわゆる状況内の音楽がイコール映画音楽として成立するように作ることでした。これって、けっこう実験的な仕掛けなんです。それと、僕としては音楽シーンを格闘技、いわゆるアクションということで考えていましたから、練習シーンなんかは変な説明はしないで、とにかくハードな練習をしている彼らをどう画に撮るか、それに集中していましたよね。ヴァイオリンってこんなに肉体を使うんだとか、そういう汗の感じを感じとってもらえれば幸いですね」
袴田吉彦が皆を叱咤激励する練習シーンは、前半のクライマックスである。
久石:
「練習シーンは1日で撮っちゃったんですよ。2日かける予定だったんだけど、役者さんのテンションが高くて、行っちゃえ! ということで、朝10時ぐらいから夜中の3時半まで撮ったんです。最後の方はみんな完全にイッてましたね。袴田くんなんかは目の焦点が定まらない。ダビングのときにこの半分狂気のような顔を観たとき、あぁもう十分だって、音楽を全部消したんです。みんなは”長いから切りましょう”って言うんだけど”ダメ、これが音楽やる怖さの顔だから使えるだけ使う!”と主張して最後まで延ばしたんです」
その練習シーンがあることで、観客はクライマックスを安心して迎えられるはずだ。
久石:
「タラタラと音楽を流すシーンがあっては絶対、音楽映画にはならないと思いました。一番勝負を賭けたのは冒頭。つぎに袴田くんがオーディションを受けるときのソロのヴァイオリン、つぎに4人が練習しているシーン。そしてラストの袴田くんがオーケストラとやるところと、コンクールを受けるところ。大きく分けるとそこに音楽のシーンを集中させて、あとはドラマに専念しようと」
一度は捨てた映画を監督することの久石譲的意義とは
そんな「カルテット」が公開される2001年は、北野武、宮崎駿との共同作業に加え、オリヴィエ・ドーハンとの仏映画「Le Petit Poucet」が秋にフランスで公開。おまけにコンサート・ツアーも開催される。例えば北野監督との映画音楽をまとめた「joe hisaishi meets kitano films」というアルバムについて、久石はいみじくも「確認の場だ」と定めたが、この21世紀最初の年の動きというのは、試みでありつつ、同時に今後の行く末を考える確認作業のように思えてならない。
久石:
「そうかもしれない。映画を撮ったことが本当によかったのかっていう確認もあるし、その後2本目の監督作品として30分の短編映画『4MOVEMENT』もやりましたよね。1本目が35ミリ・フィルムで、2本目は完全に撮影も合成も編集も上映もデジタルでやった。そういう映像的に引っかかっていたことをこの2、3年でやってみた。音楽的にも自分の映画を含めてやることはやったんです。ある意味で自分の中のものを使い果たしましたね。逆にゼロにする必要があったんだと思います。吐き出して、自分で自分に飽きるというかね。音楽に関しても、正直に言えば、あまりにも自分の和音の使い方とかが確立しすぎちゃってる。自分では一個一個スタンスを変えてるつもりでも、生理的に好きな音が出る。これだけの作品で出しきってみたところで、音楽家としての新たな自分のやり方っていうのを確認したいというのがあったんですね」
90年代半ば、映画の仕事を辞めようとすら思った時代から心機一転、久石譲は映画のために走った。突っ走ってきた。それもこれも映画音楽のよりよい形を求めたためであり、映画監督への挑戦もその延長線上にある。
久石:
「生意気だって言われて、下手をするとあらゆる監督からの音楽の依頼が途絶えてしまうかもしれませんね。僕らは監督の方々に”久石だったら自分の世界を表現してくれるかもしれない”と思っていただいて仕事をいただけるわけじゃないですか。個人的にはそういう仕事は大好きですから、皆さんが組みたいと思う音楽家であることが一番重要です。そのためにはこの誌上を借りて強く申し上げなければいけませんね。決して僕を値段が高いとか思わずに誘ってくださいって(笑)」
音楽と映画って実は、案外近いところにある
では、監督を体験したことで、何が見えてきたのか。何が変わったのか。
久石:
「素直に言えることは、今まで音楽家の目で見たときと全く違う目で脚本を読むようになったということです。前より内容的にも監督の意を汲むようになった。といって、全てがプラスになったということではないんですね。映画音楽って、映像をある程度無視するくらいに強くガーンとやることで相乗効果をあげられるはずなのに、今僕が音楽を付けると監督の気持ちが分かっちゃうために画に寄っちゃうと思う。それに気づいているだけそういうことはやらないでしょうけれど」
音楽を追求した果ての監督挑戦ならば「カルテット」は久石譲という音楽家のソロアルバムと考えてもいいのではないか。
久石:
「かもしれない。音楽と映画っていうのは構造がすごく近いんです。どちらも同じ時間軸の上で作る世界なんですよ。いつも時間に縛られる。例えばシンフォニーを想像してもらえればいいですけど、第1テーマが出る、第2テーマが出る、それが展開されていってクライマックスを迎えて、再び第1、第2テーマが展開されて終焉を迎える。これ完全に映像の世界と一緒ですよね。例えば、振ったら落とせ、つまりモチーフを出したら必ず展開しなきゃいけない。基本的に音楽の構造というのは時間のタイミングなんですよ。構成力がない音楽はつまんないです。映画も絶対、構成力なんですよね」
訊かねばならない。映画監督・久石譲というのは今後も実現するのだろうか。
久石:
「2本撮らせていただいて、映画をやる怖さはよく分かりましたよ。全ての自分が出ちゃうんですからね、薄っぺらなら薄っぺらなりの自分の世界が。自分を磨くなり自分とは何かっていうのをしっかり持ってからでないと、簡単に作っちゃいけないとも思うし……」
し?
久石:
「し(笑)、はい、もう1本だけは撮りたいと思います」
ギリギリの誠意をもって応えてくれた久石譲が次回作でいかなる試みを仕掛けてくれるのか。そのお楽しみのためにも、久石流・音楽映画の成果を決して見逃してはならない。
取材・文:賀来タクト
(雑誌「キネマ旬報 2001.10月上旬号 No.1341」 より)
「カルテット」への思いと出演者が触れた久石監督の素顔
相葉明夫 役
袴田吉彦
親父っ、と信頼できる存在です
他の共演者同様、全くのヴァイオリン初心者だった袴田吉彦。「最初はお断りするつもりだったんですよ。過去に『我が心の銀河鉄道・宮沢賢治物語』でチェロをやったことがあったんですが、3日間だけしか練習せずに痛い目を見ていたので(笑)」
それでもあえて引き受けたのは、「君を忘れない」で一緒に仕事をしたプロデューサーをはじめとしたスタッフの励ましたがあったから。「いろいろ腹を割って話をしてくれたので、ここでやらなきゃ男じゃないなって」それから、正味1ヵ月弱の練習期間が始まった。「辛かったですよ。できなくて泣きながら甲州街道を歩いて帰ったこともありましたね(笑)」ヴァイオリンをケースから出すところから練習し、オフの日も肩からヴァイオリンケースを下げていた。「この作品は、撮影中ほとんど寝ていない」という熱心さで臨んだ。
若かりし頃の久石監督をモチーフに肉付けしていったとされる明夫の役柄については、「最初の設定よりも、だいぶ丸くなっている」のだとか。でも、明夫の性格から「思いっきりカッコつけて弾いてました。こういう感じの役だったらこれくらいやってもいいか、とかヴァイオリンの先生には聞いてましたね」
久石監督の印象については、「ピアノを弾かれるので、想像してたより結構ゴツいんです。この人から『となりのトトロ』が出てくるのか……って(笑)」そんな久石監督とは、かなり話し合いの機会をもったそう。「最初、監督がものすごく遠慮されていて。映画はもういいって思われてしまうのも悲しかったので、できるだけ監督と話をしました」
でもひとつの転機が。「明夫が楽団のオーディションを受けるシーンが難しくて。僕はまた”できない”って泣きながら(笑)楽屋に駆け込んだんです。そのとき”袴田、ちょっと来い!”って監督に。それまで”袴田さん”と呼ばれてたのに、そこから親父みたいな感覚に変わりましたね」
坂口智子 役
桜井幸子
やはり音楽には厳しい方ですね
久石監督作品「カルテット」で、第2ヴァイオリンを担当する芯の強い女性・坂口智子を演じているのは桜井幸子。「最近では珍しい新鮮で清潔感のある話で、安心して読めました。ぜひやってみたいなって」最初に脚本を読んだ時の印象をそう話す彼女。だが出演を決めるに当たってネックになったのは、まだ一度も手にしたことのないヴァイオリンだった。「とにかく心配はそこでしたね。監督に”大丈夫でしょうか?”とお聞きしたら”久木田さん(現役芸大生)以外は皆さん初めてだし、練習期間もあります。撮り方も考えていますから”と言って下さったんです」
撮影前の1ヵ月以上、俳優それぞれが個人コーチについて、徹底的に指と腕の動きを学んだ。そして、「前の日からソワソワしてしまった」という、演奏シーンの撮影日。久石監督はスタジオに入ると、まずその日に撮影するシーンの曲を流した。「監督は、本番までその曲を聞いて馴染ませた方が、私たち俳優が演じやすいと思われたんでしょうね。実際、曲を聞くと手も動くし、意識もそちらに集中するので、とてもやりやすかったですね」
また演奏シーンは他の撮影現場とは異なる独特の緊張感があり、いい意味でピリピリしていたとも。「監督は周りの話し声とか、ちょっとした音にも敏感なんです。演奏場面では、やはり専門分野なので余計な雑音には厳しかったですね。ふだんは温厚な方なんですが」それ以外のドラマ部分に関しては、基本的に自由に演じていたそう。
「監督は、”僕は演出は初めてなので、分からないことも多い。だからいろいろ考えて下さいね”とおっしゃいました。監督がそんな姿勢だったので、皆で一緒に作っていけた、とてもいい雰囲気でした。私自身、智子の気持ちが理解しづらい時などは、”こうだからこうなったんですよね?”と監督に確認しつつ進めていったので、とてもスムーズでした」
完成した作品を観た時は、改めて”映画における音楽の重要さ”を痛感したと話す桜井幸子。「演奏シーンは本当に4人で頑張ったので、注目して下さい」
(雑誌「キネマ旬報 2001.10月上旬号 No.1341」 より)