Posted on 2017/12/15
雑誌「TITLE タイトル 2005年8月号 特集 スター・ウォーズは終わらない。」に掲載された、スター・ウォーズ音楽への久石譲コメントです。
ジョン・ウィリアムズの音楽で映画の格が上がった。
第1作(『EP4』)の当時、僕はシンセサイザーとオーケストラの音を混ぜたスタイルをとっていました。その時代にフルオーケストラを、しかもあれだけ派手に鳴らしたのは相当オールドスタイルに感じましたね。でも、今は僕もオーケストラの指揮もするようになって、クリックに縛られない、映像のエモーショナルによってテンポも変わる、揺れの音楽の良さを再認識しているんです。
ジョン・ウィリアムズの音楽がないと、もしかしたらお子様向け映画に見えてしまったかもしれない。映像の格、画格を上げる音楽だと思います。去年『スター・ウォーズ』や『E.T.』の曲を指揮させてもらったんです。それで改めて思ったのは彼のスコアがすごく良く書けているということ。とくに『スター・ウォーズ』は、あれだけすごい音がするので、相当大きい編成だと思っていた。でも本当はスタンダードな三管の編成。これでこういう音鳴らすの? と驚きました。各パートが几帳面に書いてあって、学ぶことが多いんです。
よく「日本のジョン・ウィリアムズ!」なんて製作発表の時に紹介されたりするんですけど(笑)、違うんですよ。僕はやっぱり東洋人なのでファとシを抜いた5音階をベースに作るんですけど、彼の場合は逆にその2音に特徴がある。違うからこそ逆に彼の良さがよくわかる気がします。
(TITLE タイトル 2005年8月号 より)
あわせて、「スター・ウォーズ」はじめ作曲家ジョン・ウィリアムズに関する過去の興味深いインタビュー内容もご紹介します。いろんな角度から見るとおもしろく、その真意が深く紐解けるかもしれません。作曲家同士だからこそわかる作家性やリスペクトが見え隠れするようです。読めば読むほどに深い内容です。
「何なに風に書いてください、と頼まれると、すぐお断りしますね。たとえば、ジョン・ウィリアムズ風に勇壮なオーケストラ……じゃジョン・ウィリアムズに頼めば……となっちゃうわけですよ。僕がやることじゃない。余談になりますけど、ジョン・ウィリアムズの曲はどれを聞いても同じだ、という風に良く言われますけど、それはまったくナンセンスな話なんですね。つまり、彼ほど音楽的な教養も、程度も高い人になると、あれ風、これ風に書こうと思えば簡単なんですよ。だけど、あれほどあからさまに『スター・ウォーズ』と『スーパーマン』のテーマが似ちゃうのは、あれが彼の突き詰めたスタイルだから変えられないわけですよ。次元さえ下げればどんなものでも書けるんです。だけど、自分が世界で認知されている音というものは、一つしかないんです。大作であればあるほど、自分を出しきれば出しきるほど、似てくるもんなんです」
(Blog. 「キネマ旬報 1987年12月上旬号 No.963」 久石譲 インタビュー内容 より抜粋)
「作品によってあえて違うものを書こうという考えはないんです。前の作品に似ていようと、その映画に合っていると思った自分の正しいメロディを正しい形で書くということに徹したんですよ。ジョン・ウィリアムズも、けっこう何を書いても同じでしょ。すごい技量があって何でもやれるハズの彼が、何故ワンパターンと言われながらもやっているのか。自分に忠実に一所懸命書いたら、同じタイプになっていいと思うんですよ。オリジナリティっていうのは、そういうものでいいんですね」
(Blog. 「CDジャーナル 1991年4月号」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)
「ハリウッドでも、「何でこんな付け方をしたんだ?」というのもありますね。たとえば、スピルバーグなんかが、これは大林さんが言っていたんですけど、音を消してスピルバーグがつないだ絵を見ると、余りよくないんですよ。シーンのつなぎがぎくしゃくしている。でもスピルバーグはやろうと思えば完璧にできるんですよ、すごいテクニックがあるから。なぜそういうことをしているかというと、そのところにジョン・ウィリアムズのオーケストラの音楽がガーンと流れるんですよ。それでつないじゃうんです。逆にきれいにつながった絵にあの太い音楽をつけると流れちゃうんですよ。音楽がガーンと行くから、シーンは少しごつごつのつなぎをした方が、見る側に衝撃が来る。そこまで計算して、わざと荒くつなぐ。音楽を信じている。だからスピルバーグは絶対ジョン・ウィリアムズとしかやらない。あれは正しいやり方です。だから僕らが音楽を頼まれて、監督さんが期待したものを出したら、もうだめですね。えっ、こういうふうにもなるんだな、となるように。監督は音楽のプロじゃないから、その人が想像した範囲内のものを出したら、それは予定調和でしかないから、何もそこからはドラマが生まれないんですよ。」
(Blog. 「ダカーポ 422号 1999.6.2 号」鈴木光司 × 久石譲 対談内容 より抜粋)
「音楽をやっていても、毎回リセットしてゼロから作ってるつもりなんですけど、やはり覚え慣れた方法論というのがいくつかある。それだと大量に作れるのがわかるんですけど、ゼロにしてまだ開けたことのないドアを開けようとする、そこまでが大変ですよね。一番近いドアを開け続けるとやっぱり枯渇していくし、悪いほうへ向かっちゃいますね。昔ジョン・ウィリアムズがやった『スターウォーズ』と『スーパーマン』と『E.T.』は全部同じメロディーじゃないかと言われてたのね。ほとんどの人はそう言った。でも僕はその時擁護したんです。なぜかと言うと、ジョン・ウィリアムズは自分の音楽を突き詰めて、突き詰めて、その結果自分の音楽はこうだと言い切ったんです。自分をきちんと突き詰めていない人間だと、ジャズ風、クラシック風、ロック風と簡単に書き分けることができる。それはオリジナリティがないということです。でも最後まで自分を突き詰めた人は、似ていてもいいんです。そうしないと、彼も音楽家としてのアイデンティティがなくなってしまう。彼は自分の曲がどれも似ているというのを誰よりもよく知っているはずだし、でもそうせざるを得なかったというところに作家性を感じる。毎回違うことをやろうとした結果、同じような音が生まれたとしても、それは次に発展することだからオーケーなんだと思う。」
(Blog. 「秋元康大全 97%」(SWITCH/2000)秋元康×久石譲 対談内容 より抜粋)
「やっぱりオーケストラを扱って映画音楽をやってるから比べられるのはしょうがないと思うし、昨年、ワールド・ドリームでスター・ウォーズのテーマを自分で振ってみてよくわかったんだけど、あれだけのクオリティと内容のオーケストレーションをやれる人はいないですよ。すごく尊敬してるし、僕なんかまだまだだな、と思います。でもね、実際の音楽でいうと、僕と彼の作るものはまるで違うんですよ。僕は東洋人なので、5音階に近いところでモダンにアレンジしてやったりするものが多いんです。でもJ・ウィリアムズはファとシに非常に特徴がある。正反対のことをやってるんです。それはすごくおもしろいなあと思いますね。音楽の内容も方法論も違うけど、僕もあれくらいのクオリティを保って作品を発表し続けたいですね」
(Blog. 「月刊ピアノ 2005年9月号」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)