Posted on 2018/09/10
映画情報誌「CREA クレア 1998年12月号 創刊9周年記念特大号」に掲載された久石譲インタビューです。
北野武監督映画の話から、オリジナルソロアルバム『NOSTALGIA ~PIANO STORIES III~』まで、当時の現在進行系の話を織り交ぜながら、芯のはっきりした映画論・映画音楽論がいっぱいに詰めこまれた内容になっています。
Real Voices 09
久石譲
音楽のない『HANA-BI』や『もののけ姫』を想像してほしい。衝撃の瞬間に、あるいは悲しみや寂しさと一枚の布を織り上げるように、流れてくるメロディ。久石さんが最初に出会う映画は、それらが一切ない静寂の世界だ。
「まず台本をじっくり読んで監督が描こうとする世界観をつかむ。日本の場合は映画は監督のものだから、監督が何を表現したいかがすべての基礎になります」
ただし監督の思いははっきりとした言葉で出てくるとは限らない。
「そこで『監督、これ何ですか』って聞いたら終わっちゃう。僕も物を作る立場だから、監督が音を聴いてどういうふうに感じたか敏感にわかる。それは3時間語られるよりきついんです。精神的には監督との闘いだけど、もめるのとは違う。たいへん静かですよ」
たとえば北野武監督との熱く静かなるバトル。
「北野さんの映画は完全な台本がないことが多い。撮影の現場でもどんどん変わっていくから、音楽を完全に作ってしまうとズレてくる。でも、いい映画は5分見ればわかります。北野さんの映画もラッシュを20分見れば、タッチは明快。個性的だから。映像自体に語らせようとする監督ですね。たいがいの日本の映画はくどい。あるシーンをビジュアルでもセリフでも音楽でも訴えようとする。北野さんは不必要なところを省いてしまう。彼と仕事をするときは、音楽からなるべく情緒を外して、感情表現ではない方向で音をつけるやり方をしますね」
強烈な俳優の存在が音楽の方向性を決定することも?
「いや、役者さんに影響を受けることは全然ありません。主人公のテーマ曲なんてナンセンスだと思う。映画の部品でしかない役者が泣いたり笑ったりしているのに合わせて作ったら、映画音楽は低俗なものになってしまう。メインテーマが決まっていて、中の音楽だけ書いてくれという仕事も断っています。映画の顔を他人に明け渡して胴体だけ作るのでは、音楽の主張が不明確になるから」
久石さんの主張はひとつの音やイメージから始まる。
「精神状態がフラットな、朝の布団の中とかシャワー浴びているときに、この映画、このアルバムにはコレが絶対必要だと確信を抱く瞬間があるんですね。音でもフレーズでもイメージでも、それが決まればもうできたも同然なんです。あとは技術で仕上げるだけだから」
『もののけ姫』では『アシタカせっ記』のフレーズが出てきたときに「いける!」と思った。
「でも初めはあのフレーズはウケが悪くてね。『あの夏、いちばん静かな海。』のように、メインテーマとして僕が予定していたものと違う曲を監督が取り上げることもある。たいていは監督の考えのほうが正しいですよ。僕は音楽が専門だから逆に音楽が見えない。ドビュッシーでも自分で代表作と思う楽曲と世間が評価している音楽は違っていたりする。本人が気に入っている音楽はマニアックなことが多い。そこで自分が正しいと思っちゃいけないんです。僕は芸術家じゃなくて、他人が聴いてはじめて成り立つ仕事をしているんだから」
他からの評価といえば、国内外での高い評価が悪い効果を生むことも。つまりパクられちゃう。
「テレビをつけると1時間に4曲は僕の曲が流れてる。腹が立って訴えようかと思うこともあるけど、朝になるとおさまってるね」
ところで久石さんは子供の頃、年間300本も見ていた生粋の映画ファンだ。さすがに今は超多忙ゆえ、映画はビデオで。
「自宅の130インチのプロジェクターで観ます。僕はどうやら、映像中毒なんですよ。1週間ビデオや映画を見ないとイライラする。深夜まで仕事をして、朝4時頃から映画を見始めたりします」
公開される映画はほぼ網羅する。
「なるべく素人っぽく見るようにしている」とはいえ、音楽の使い方はどうしても気になって……。
「ああエンニオ・モリコーネも終わったな、とかね。ハリウッド映画は最初から最後まで音楽をつけますから、音楽が主張しているようでしていない。ヨーロッパ映画は音楽を入れる量が多くないから、かえって印象に残る。想像以上に音楽が映画に与える影響は大きいですよ。映像が記憶に残るときは音と一緒になっていることが多いでしょう。日本の映画はもっと音楽を大事にしないと、しんどいだろうと思いますね」
一方で、映像と音楽の密接な関係は音楽家としては「怖い」とも。
「映像の怖さをわかっているから、僕は映画のために作った音楽をソロアルバムにはなるべく持ち込まない。夕日を思い浮かべながら作曲しました、なんていうのは信じられないですね。ただ映画で仕事をしてきたおかげで構成を練るようになった。始まりがあって、何かが起こって、終焉に向かうというような。CD1枚で映画とはいわなくても40分の映像を1本見終わったぐらいの充実感が欲しい」
10月に発売された『ノスタルジア』は郷愁をテーマに、イタリアを舞台に構成を組み立てた。
「イタリアは『歌』なんですよ。カンツォーネのように強く大きなメロディがあれば成立してしまう。僕はサウンドを緻密に組み立てたいほうだから、そういう世界はあまり好きじゃなかったんだけどね」
しかし今回は『歌』をていねいに作った。ときに大地を、ときに風を想わせる歌。歌うのは歌手ではなく、久石さんのピアノであり、イタリアのオーケストラだ。
「僕の理想はメロディラインがきっちり作られている音楽。メロディができあがっていれば、アバンギャルドなアレンジや音楽性を裏に押し込んでも、音楽をよく知らない人から詳しい人まで楽しんでもらえると思う」
メロディが心の何かを揺り起こす。それは記憶の底にある、自分自身が編んだ映像かもしれない。
(CREA クレア 1998年12月号 創刊9周年記念特大号 より)