Blog. 「もののけ姫 サウンドトラック」(LP・2020) 新ライナーノーツより

Posted on 2020/08/22

2020年7月22日、映画公開当時はLPでは発売されていなかった「もののけ姫」のイメージアルバム、サウンドトラックが、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売されました。サウンドトラック盤には、前島秀国氏による新ライナーノーツが書き下ろされています。時間を経てとても具体的かつ貴重な解説になっています。

 

 

宮崎駿監督と久石譲の6本目のコラボレーションとなった『もののけ姫』のスコアは、最初の音楽打ち合わせからサントラ完成まで、実に1年半もの歳月を要した大作である。そのサウンドトラック盤を改めて聴き直してみると、久石の音楽が奏でる壮絶なドラマ表現、すなわち不条理な”運命”の中で葛藤する者たちのドラマ表現に深い感銘を受けるであろう。人類が地球的な規模で試練を突きつけられている2020年の現在ならば、なおさらである。

1995年11月下旬、宮崎監督との第1回音楽打ち合わせに参加した久石は、「精神的世界での危機感というテーマを踏まえると、これは『風の谷のナウシカ』以来の構え方で臨まなければいけない作品」と覚悟を決め、宮崎監督が深く尊敬していた司馬遼太郎の著作を読み漁り始めた。その後、久石は宮崎監督の世界観に基づいたイメージアルバムを録音し(本編公開の1年前にあたる1996年7月にリリース)、さらに改めて本編のための音楽を仕上げていく形でスコア全体を完成させている。

まず、サウンド的な面に注目してみると、『もののけ姫』のスコアはいくつかの対立的な要素あるいは音楽語法を意識的に衝突させ、共存させ、融合させることで構成されている。例を挙げると、西洋音楽(クラシック)と民族音楽(エスニック)、伝統的なオーケストラと現代的なシンセサイザー、器楽(インストゥルメンタル)と声楽(ヴォーカル)、あるいは調性音楽的な要素と無調音楽的な要素といった具合だ。このような並置は、物語の中で描かれる対立的な要素──生と死、文明と自然、男性社会と女性社会など──を音楽で強調していると解釈することも可能である。

しかしながら、宮崎監督がこの作品で描いた世界観は、単純な二項対立あるいは敵対関係では描き切れない複雑な要素を抱えている。つまり、久石が言うところの「精神的世界での危機感というテーマ」だ。それを表現するため、久石は以下の3つの音楽テーマを軸にしながらスコア全体を構成している。

《アシタカせっ記》
「『もののけ姫』という映画は、叙情的(リリック)というより、一大叙事詩(エピック)と呼ぶに相応しいスケールを持った作品ですから、それだけの風格に見合ったメロディが絶対に必要。その風格を表現するため、1ヶ月半くらい悩んで書いたのが《アシタカせっ記》です」

あたかも古代の詩人が雄大な叙事詩を語り始めるような荘重な面持ちで奏でられる《アシタカせっ記》は、本編の中で主人公アシタカを象徴するテーマとして何度も登場することになる。このテーマが強く印象に残るのは、単に作品全体の風格やスケールの大きさを表現しているだけでなく、アシタカが背負った悲壮な運命──後述のタタリ神との死闘でもたらされる死の呪い──を内包しているからだ。

物語の中でタタラ場に着いたアシタカは、村の人々を率いるエボシ御前に案内され、石火矢の製造に携わる病者たちと対面する。ハープと琵琶を織り交ぜたような幻想的なシンセサイザーで奏でられる《エボシ御前》の最後、コーラングレ(イングリッシュホルン)、オーボエ、アルトフルートが《アシタカせっ記》のテーマをしみじみと演奏するが、その場面で病者の長が語る本編のセリフを今一度思い出していただきたい。

「お若い方…私も呪われた身ゆえ、あなたの怒りや悲しみはよーく判る。(中略)生きることは、まことに苦しくつらい…世を呪い、人を呪い、それでも生きたい…」(病者の長のセリフ)。

さらに《アシタカせっ記》を変奏した《東から来た少年》が流れてくるシーンの後半部分、本編では次のようなアシタカのセリフを耳にすることが出来るであろう。

「みんな見ろ。これが身の内にすくう憎しみと恨みの姿だ。肉を腐らせ、死を呼び寄せる呪いだ。これ以上、憎しみに身を委ねるな」(アシタカのセリフ)。

つまり久石は《アシタカせっ記》のテーマをアシタカと病者の長に共有させることで、呪いを背負いつつも生きていかなくてはいけない人間の業──”運命”と言ってもいい──を暗に表現しているのである。

《タタリ神》
「イメージアルバムの段階で、最初に書いた曲です。映画として、いきなりあのシーンから始まるなんて、普通は絶対に思いつかない導入の仕方でしょう? まず。ここを作曲しないと次の曲に行けない、という気持ちが強くて」

タタリ神とアシタカが死闘を繰り広げるシーンで流れる《タタリ神》のテーマは、無調音楽のように敢えてメロディアスな要素を排除することで、タタリ神の持つ凶暴性を見事に表現している。だが、それ以上に注目すべきは、このテーマは祭囃子を思わせるリズム・セクションで伴奏されている点だろう。祭囃子は、タタリ神にかけられた呪い(人間に対する憎しみに由来する)が何らかの形で鎮めなければならないということを暗示している。つまり立場は異なれど、タタリ神もアシタカもそれぞれ呪いを抱えた存在なのだ。音楽語法的には《アシタカせっ記》と全く異なるが、実はこのテーマも死の呪いに起因する”運命”を表しているのである。

《もののけ姫》
もののけ姫すなわちサンのテーマである《もののけ姫》は、宮崎監督が第1回音楽打ち合わせの後にイメージを文章化した音楽メモを、歌詞のベースにする形で作曲されている。この主題歌を忘れ難くしているのは、なんと言ってもヴォーカルに起用されたカウンターテナー、米良美一の存在感であろう。

スタジオジブリへの出勤途中、カーラジオを流していた宮崎監督は米良のデビュー・アルバム『母の唄~日本歌曲集』を偶然耳にし、米良の起用を決めた。メイキング映像『「もののけ姫」はこうして生まれた。』で描かれているように、当初、米良は宮崎監督の歌詞をどのような視点で歌うべきか悩み、歌唱表現に苦しんだ。しかしながら、1997年1月に設けられた主題歌録音のセッションにおいて、米良は宮崎監督から「(この歌詞は)アシタカのサンへの気持ちを歌っている」と直々に説明を受け、ようやく納得のいく解決法を見出した。その結果が、本盤に聴かれる米良の歌唱である。

のちに久石はこの主題歌録音を振り返り、次のように筆者に語っている。

「米良さんはカウンターテナーの中でも、ちょっと変わった存在だと思うんです。独特の”運命”のようなものを表出しているような声が、この作品には合っていたんじゃないかな。宮崎監督はそういう微妙な差をとても深く理解される人ですから、普通のカウンターテナーだったらOKを出さなかったと思います。実際に米良さんで主題歌を録音してみて、宮崎さんが『このカウンターテナーで行こう』と言った理由がよくわかりました」

つまり、このテーマにおいても、米良というフィルターを通して”運命”が込められているのである。

もうひとつ、この主題歌で特筆しておきたいのは、久石の絶妙なオーケストレーションによって、まさに”霊妙”としか呼びようのない独特の浮遊感と神秘性を表現している点だ。

イメージアルバムの録音段階で、久石はこの楽曲の伴奏部分にいくつかの邦楽器を用いていた。

「ところが宮崎監督が『邦楽器は外してください』とおっしゃったので、『全部外しまします』と言って外したフリをしたんだけど、実は外していない(笑)。『♪もののけ達だけ~』という箇所の伴奏では、上の旋律線を南米のケーナという楽器が演奏していますが、その3度下の旋律線を篳篥(ひちりき)が演奏しています。単にケーナで2つ(の旋律線を)重ねたら、音楽的にはノホホンとしてしまうのですが、チャルメラ系の篳篥を重ねると不思議な浮遊感が出てくるんです」

しかも、その不思議な浮遊感は、シンセサイザーの前奏が加わることでいっそうの神秘性を獲得し、いにしえの日本を舞台にしながらも時代性や地域性に限定されない、神話的な広がりを生み出すことに成功している。西洋のクラシック音楽だけでなく、エスニックなワールド・ミュージックの語法にも精通する久石ならではの、見事な作曲アプローチと言えるだろう。

以上見てきたように、久石は《アシタカせっ記》《タタリ神》《もののけ姫》の3つのテーマによって、それぞれが抱える”運命”を三者三様に表現している。通常の映画作品や映画音楽なら、3つのテーマのうちのどれかひとつが優勢になることで物語に終止符が打たれるが、そのような安易な解決法では『もののけ姫』という作品が提示している問題提起を裏切ることになってしまう。それぞれが”運命”を抱えて対立し、闘う以上、ひとりの勝者がもたらす単純なハッピーエンドなどあり得ないからだ。

ところが、宮崎監督と久石は物語の最後において、久石のピアノ・ソロを文字通り花咲かせることで、人間と自然の共生への希望を音楽に託すという驚くべき解決法を採った。それが、本編の最後にコーダとして流れてくる《アシタカとサン》である。

「宮崎監督が『すべて破壊されたものが最後に再生していく時、画だけで全部表現出来るか心配だったけど、この音楽が相乗的にシンクロしたおかげで、言いたいことが全部表現出来た』と話されていたことが、とても印象に残っています」

別の言い方をすれば、久石のピアノが希望を奏でる《アシタカとサン》は、呪いの”運命”に終止符を打つ音楽である。そのような結末を迎える『もののけ姫』のスコアは、もはや映画音楽という範疇を超え、さまざまな”運命”の中で葛藤する者たちすべてに希望をもたらす、見事な普遍性を獲得した音楽ということが出来るだろう。

本作のサントラ録音で常設オーケストラ(東京シティ・フィル)を起用し、オーケストラならではの重厚な表現力を十全に引き出しながら、同時に80年代から培ってきたシンセサイザーの夢幻的なサウンドも投入し、文字通り総力戦的な作曲で久石が完成させた『もののけ姫』のサントラは、彼の音楽性そのものを劇的に飛躍させ、その後の彼の音楽活動の展開にも大きな影響を与えることになった。特に本作によって初めて試みられた「スタンダードなオーケストラにはない要素を導入しながら、いかに新しいサウンドを生み出していくか」という実験は、宮崎監督との次作『千と千尋の神隠し』において、さらに押し進められていくことになるだろう。

前島秀国 Hidekuni Maejima サウンド&ヴィジュアル・ライター
2020/5/12

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

もののけ姫/サウンドトラック

品番:TIJA-10025
価格:¥4,800+税
※2枚組ダブルジャケット
(CD発売日1997.7.2)

音楽:久石譲 全33曲

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のフルオーケストラによる、映画版サントラ。
主題歌「もののけ姫」(歌/米良美一)も収録。

 

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