Disc. 久石譲 『もののけ姫 サウンドトラック』

1997年7月2日 CD発売

1997年公開 スタジオジブリ作品 映画「もののけ姫」
監督:宮崎駿 音楽:久石譲

 

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のフルオーケストラによるサントラ盤。録音は1997年5月。映画本編の楽曲を米良美一の主題歌も含め完全収録。本作の主題歌で久石は日本レコード大賞作曲賞を受賞、アルバム自体も企画賞を受賞している。

 

 

寄稿

雑誌の編集者という自分の仕事のテリトリーに則した比喩で恐縮であるが、エディトリアル・デザインと久石さんが仕事の中心にしているサウンド・トラックは似ているような気がしている。日本には優秀なデザイナーがたくさん居るが、エディトリアル・デザイン、つまり本や雑誌などの編集デザインをする人は少ない。理由は簡単で、報われる事の少ない仕事だからだ。広告デザインをやれば大きなお金になるし評価をする賞もたくさんある。しかしエディトリアル・デザインはお金にならないし、評価される場もない。仕事が簡単ならばいいが、ある意味で広告よりも才能と労力を要求される場合が多い。サウンド・トラックも同じだ。大きな才能と労力を要求されながら、報われる事の少ない仕事である。それこそ久石さんほどの才能があれば、それをお金に変える方法はポップ・ミュージックのフィールドにたくさんある。しかし久石譲はサウンド・トラックの仕事にこだわり続け、僕達はそのおかげで数多くの幸福な映像体験を持つことができた。

サウンド・トラックとエディトリアル・デザインの似ているところは他にもある。欧米における地位の高さだ。ジョン・ウィリアムズやエンニオ・モリコーネ、あるいはヘンリー・マンシーニなど巨人として知られている人は無論の事、若手にも優秀な才能が続々と現れている。そして、そういう才能はすぐに引っぱりダコになる。エディトリアル・デザインの世界もそうだ。例えば、イタリアン・ヴォーグやローリング・ストーンといった雑誌のAD(アート・ディレクター)が変わったりすると、編集長交替以上に話題になる。実際、ADが交替して売り上げが激減なんて事もあったりするのだから、当然だろう。同じ事がサウンド・トラックにも言える。ジョン・ウィリアムズの音楽なしの”スター・ウォーズ”は考えられないし、久石譲のない”風の谷のナウシカ”は考えられない。だから、もっともっと久石譲は評価されていい。僕も音楽評論家なんだから、余り客観的な事ばかり言っていてはいけないのだけれど。

では、何故にそういう貧しいエディトリアル・デザイン状況と、サウンド・トラック状況が生まれてしまったのか。理由は簡単だ。編集者と演出家が駄目だからだ。金がないの、余裕がないの、といった言い訳はいくらでもできるが、結局はそういう事だと思う。そんな中でも久石譲が存在する事ができたのは、宮崎駿を筆頭に優れた演出家が彼の仕事を理解したからだ。澤井信一郎、北野武、という日本映画のトップとの仕事がほとんどなのは、偶然ではなく、必然である。ゲーム業界の広井王子から宮崎駿まで、久石譲がいかにコラボレーションの対象を慎重に選んでいるかがよく分かる。

久石譲と宮崎駿の最新作は”もののけ姫”である。まだ作品は観ていないが、サウンド・トラックの出来は素晴らしい。いつも久石さんの仕事で感心するのは、テーマに相当するメロディーの許容量の大きさだ。サウンド・トラックの場合、ただ単にメロディーがポップ・ミュージックとしてキャッチーであればいい、というものではない。このCDを聞いても分かるように、このテーマのメロディーはいろいろなシチュエーションで反復される。ある一定の情緒しか呼び起こさないメロディーだと、状況変化の反復に耐えられないのだ。悲しいだけのメロディー、楽しいだけのメロディー、といったものでは駄目なのである。その点、この”もののけ姫”のテーマは、実に広いレンジの情緒に対応する力を持っている。まさにサウンド・トラックとして理想的だ。こうした点だけを考えても、いかにサウンド・トラックを作りあげていく作業が大変であるか分かると思う。

僕は演出家、宮崎駿も大好きだし、音楽家、久石譲も大好きである。この2人の共同作業を体験できる限り、日本映画も捨てたもんではないという気がして来る。そして僕も編集者としていい仕事をしなくちゃ、と改めて襟を正す気持ちになってくる。

渋谷陽一

(CDライナーノーツより)

 

 

「この映画の件で、初めて宮崎さんとお話した時に、直感的に今回、一番ベースになるのはオーケストラだろうと感じました。ですから二管編成の、六十六人によるオーケストラに、ほとんど全ての曲に入ってもらい、そこにエスニックな民族楽器と、隠し味的な電気楽器系をプラスするという形で作っていきました。こんなに大編成でやったのは、宮崎作品では初めてですよ。つまり非常に骨太の世界を望んだんです」

「自分にとって日本は非常に大切な要素だったので、もちろん積極的に取り入れました。ただ琵琶や尺八のように、その音がした瞬間に侍が出てきそうな音は極力引っ込めて、本当に音楽の骨格の中での日本的なものを相当意識して、五音音階と言いますか、西洋的なコード進行よりは、むしろアイルランド民謡に近い感じのものをベースに置きました」

「極力『これが戦闘シーンだ』というようなものは避けましたね。戦闘シーンの後で、そうならざるを得ないんだというような心境を歌うというような方向に考えて、レクイエムのように心情を表現するために音楽があるという考えを基本に作りました」

「イメージアルバムの1曲目の『アシタカせっ記』という曲です。『幸せは来ないかもしれないけど、自分から生きろ』というような、のたうちまわっている登場人物たちを俯瞰して見ているような音楽として、映画の冒頭とラストに流れています。そうなると、この曲の方が本当のメインテーマとしての重みを持っていると僕は思いますね」

Blog. 久石譲 「もののけ姫」 インタビュー 劇場用パンフレット(1997)より 抜粋)

 

 

「今までの作品は、イメージアルバムの段階で既に、作品のテーマが出ていたと思うんです。でも、今回は全然別ですね。イメージアルバムから残っている曲は、重要なやつを数曲…メインテーマの『もののけ姫』と『アシタカせっ記』、エンディングシーンに使う『アシタカとサン』。それ以外はほとんど変わりました。イメージアルバムというのは、絵がない状態で作品の世界を表現しようとしますよね。『もののけ姫』は、ストーリーがあまりにも劇的で強烈じゃないですか。だから、それを音楽で表現してしまったところがある。大作映画の力感のようなものを主眼において作ったわけです。ところが、実際に映画のなかで使う音楽を作ろうとしたときに、そういう部分は映像で十分表現されているから、登場人物の気持ちや宮崎さんの精神世界を表現しようと思ったんです」

Blog. 久石譲 「もののけ姫」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)

 

 

「もののけ姫」に関しては、宮崎監督から「覚悟を決めた映画を作るから」ということを聞いていました。「人がたくさん死ぬような映画だけど、この時代はこういうものを作らなくてはならない」という決意表明があったんです。そんな話をしていて、今回はフル・オーケストラで行こうということになりました。

宮崎さんの仕事は、とにかく丁寧さが別格です。この作品でも、最初にイメージ・アルバムを作って、そのアルバムを元にして綿密な打ち合わせを行った上でサウンドトラックを作っていったんです。映像を見て、映像のために本当に細かく作っている、まさにサウンドトラックといえる音楽ですよ。どれくらい細かい作業をしているかというと、例えば2分半とか3分程度の曲の中でも、その中で20箇所くらい絵と音楽をシンクロさせたりしているんです。それも1/30秒などの単位で。ですから、曲中でテンポもどんどん変わりますし、そのテンポも80,28とか、そこまで細かく設定しています。

ただし、あとで編集して合わせ込むなんてことは絶対にしません。テンポ・チェンジがプログラムされたクリックに合わせて生で演奏するんです。もちろん、演奏する人間にテクニックと能力がないと合いません。こういう手法に関しては「もののけ姫」がひとつのピークと言えるんじゃないでしょうか。

Blog. 「キーボードマガジン Keyboard Magazine 1999年8月号」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

下記インタビュー記事でも、抜粋できないほどたっぷりと語られている。

 

 

書籍「折り返し点 1997~2008」/宮崎駿・著に、詩が収載されている。これは監督から久石譲へ作品イメージを伝えるために書いた音楽メモのようなもの。「もののけ姫」「アシタカせっ記」「失われた民」「タタリ神」「犬神モロの君」「エボシ御前」「コダマ達」「ヤックル」「シシ神の森」。イメージアルバムのほとんどの曲がそろっていることがわかる。

*初出:『THE ART OF The Princess MONONOKE もののけ姫』徳間書店

 

 

 

音楽は今回も久石譲が担当した。久石の作業は、恒例のイメージ アルバム作りから始まった。まずは、いつもの宮崎のキーワードとそれにまつわる詩が手渡された。宮崎は「ひとつのメロディで、 猛々しくもあり、優しくもあり、象徴的なメロディを」と困難な注文を出し、しかも自身も物語に頭を痛めていたためか、「早く音を聞きたい」と要請した。

96年7月、異例の早さで全10曲で構成されたイメージアルバムが発売された。久石はこのアルバムで、大作にふさわしいスケール感を追求し、同時に琵琶・二胡・能管・龍笛などを駆使し、雅楽や中国音楽を意識した音作りを試みている。

しかし、本番で採用された楽曲はヴォーカル曲「もののけ姫」、メインテーマ「アシタカせっ記」、ラストのピアノ曲「アシタカとサン」 の3曲だけで、残り7曲はほとんど使われなかった。久石が映像の凄まじいまでの緊張感にそぐわないと判断し、もっと深い精神性を重視した楽曲がふさわしいと判断したためである。久石は一から新譜をおこし、66人・二管編成のフルオーケストラを使用、そこに篳篥・龍笛・和太鼓などをさり気なく挿入させ、シンセサイザーも併用した。前二曲は様々に変奏され、全編で使用されている。

当初挿入歌の予定はなかったが、モロの棲む洞窟の静かなシーンに歌が入ることになり、イメージアルバムの「もののけ姫」が採用となった。歌手は、宮崎がラジオで歌声を聞いて惚れ込んだというカウンター・テナーの米良美一に決定。特異の澄んだ声量で圧倒的な存在感を示し、主題歌としてラストのタイトルロールで再使用されることとなった。宮崎が久石に渡した短い詩がそのまま歌詞となっているため、歌は一番しかなく、二番はスキャットのみの変わった構成。レコーディングの際、米良は「感憤を抑制して」との指示により、誰の立場の歌か分からずに困惑したが、宮崎の「この歌は、アシタカがサンへの気持ちを歌ったもの」というアドバイスを基に歌い上げ、OKとなった。また、タタラ場の女たちが踏み糖を踏むシーンにもヴォーカル曲「エボシタタラうた」が作られた。こちら も宮崎の詩に久石が曲をつけたものだ。

主題歌のシングルCDは60万枚の大ヒット、「サウンドトラック」も過去最高の50万枚を売り上げた。97年11月に発表された「第39回日本レコード大賞」では、久石譲が「もののけ姫」で作曲賞を受賞。また、アルバム企画賞も「もののけ姫サウンドトラック」が受賞した。

大ヒットが一段落すると、「「アシタカせっ記」をスラブ色の強い一流オーケストラで聴いてみたい」という久石の発案で、交響組曲に仕立て直した楽曲が作られた。演奏は、歴史あるチェコ・フィルハーモニー管弦楽団、指揮はマリオ・クレメンスが担当した。録音は 98年6月6日から8日まで、プラハのドヴオルザーク・ホールで行われ、アルバムは「交響組曲もののけ姫」として98年7月に発売された。これも前例のない快挙であった。

(書籍「宮崎駿全書」より 抜粋)

 

 

 

 

2020.07 Update!!

2020年発売LP盤には、新しく書き下ろされたライナーノーツが封入された。時を経てとても具体的で貴重な解説になっている。

 

宮崎駿監督と久石譲の6本目のコラボレーションとなった『もののけ姫』のスコアは、最初の音楽打ち合わせからサントラ完成まで、実に1年半もの歳月を要した大作である。そのサウンドトラック盤を改めて聴き直してみると、久石の音楽が奏でる壮絶なドラマ表現、すなわち不条理な”運命”の中で葛藤する者たちのドラマ表現に深い感銘を受けるであろう。人類が地球的な規模で試練を突きつけられている2020年の現在ならば、なおさらである。

1995年11月下旬、宮崎監督との第1回音楽打ち合わせに参加した久石は、「精神的世界での危機感というテーマを踏まえると、これは『風の谷のナウシカ』以来の構え方で臨まなければいけない作品」と覚悟を決め、宮崎監督が深く尊敬していた司馬遼太郎の著作を読み漁り始めた。その後、久石は宮崎監督の世界観に基づいたイメージアルバムを録音し(本編公開の1年前にあたる1996年7月にリリース)、さらに改めて本編のための音楽を仕上げていく形でスコア全体を完成させている。

まず、サウンド的な面に注目してみると、『もののけ姫』のスコアはいくつかの対立的な要素あるいは音楽語法を意識的に衝突させ、共存させ、融合させることで構成されている。例を挙げると、西洋音楽(クラシック)と民族音楽(エスニック)、伝統的なオーケストラと現代的なシンセサイザー、器楽(インストゥルメンタル)と声楽(ヴォーカル)、あるいは調性音楽的な要素と無調音楽的な要素といった具合だ。このような並置は、物語の中で描かれる対立的な要素──生と死、文明と自然、男性社会と女性社会など──を音楽で強調していると解釈することも可能である。

しかしながら、宮崎監督がこの作品で描いた世界観は、単純な二項対立あるいは敵対関係では描き切れない複雑な要素を抱えている。つまり、久石が言うところの「精神的世界での危機感というテーマ」だ。それを表現するため、久石は以下の3つの音楽テーマを軸にしながらスコア全体を構成している。

《アシタカせっ記》
「『もののけ姫』という映画は、叙情的(リリック)というより、一大叙事詩(エピック)と呼ぶに相応しいスケールを持った作品ですから、それだけの風格に見合ったメロディが絶対に必要。その風格を表現するため、1ヶ月半くらい悩んで書いたのが《アシタカせっ記》です」

あたかも古代の詩人が雄大な叙事詩を語り始めるような荘重な面持ちで奏でられる《アシタカせっ記》は、本編の中で主人公アシタカを象徴するテーマとして何度も登場することになる。このテーマが強く印象に残るのは、単に作品全体の風格やスケールの大きさを表現しているだけでなく、アシタカが背負った悲壮な運命──後述のタタリ神との死闘でもたらされる死の呪い──を内包しているからだ。

物語の中でタタラ場に着いたアシタカは、村の人々を率いるエボシ御前に案内され、石火矢の製造に携わる病者たちと対面する。ハープと琵琶を織り交ぜたような幻想的なシンセサイザーで奏でられる《エボシ御前》の最後、コーラングレ(イングリッシュホルン)、オーボエ、アルトフルートが《アシタカせっ記》のテーマをしみじみと演奏するが、その場面で病者の長が語る本編のセリフを今一度思い出していただきたい。

「お若い方…私も呪われた身ゆえ、あなたの怒りや悲しみはよーく判る。(中略)生きることは、まことに苦しくつらい…世を呪い、人を呪い、それでも生きたい…」(病者の長のセリフ)。

さらに《アシタカせっ記》を変奏した《東から来た少年》が流れてくるシーンの後半部分、本編では次のようなアシタカのセリフを耳にすることが出来るであろう。

「みんな見ろ。これが身の内にすくう憎しみと恨みの姿だ。肉を腐らせ、死を呼び寄せる呪いだ。これ以上、憎しみに身を委ねるな」(アシタカのセリフ)。

つまり久石は《アシタカせっ記》のテーマをアシタカと病者の長に共有させることで、呪いを背負いつつも生きていかなくてはいけない人間の業──”運命”と言ってもいい──を暗に表現しているのである。

《タタリ神》
「イメージアルバムの段階で、最初に書いた曲です。映画として、いきなりあのシーンから始まるなんて、普通は絶対に思いつかない導入の仕方でしょう? まず。ここを作曲しないと次の曲に行けない、という気持ちが強くて」

タタリ神とアシタカが死闘を繰り広げるシーンで流れる《タタリ神》のテーマは、無調音楽のように敢えてメロディアスな要素を排除することで、タタリ神の持つ凶暴性を見事に表現している。だが、それ以上に注目すべきは、このテーマは祭囃子を思わせるリズム・セクションで伴奏されている点だろう。祭囃子は、タタリ神にかけられた呪い(人間に対する憎しみに由来する)が何らかの形で鎮めなければならないということを暗示している。つまり立場は異なれど、タタリ神もアシタカもそれぞれ呪いを抱えた存在なのだ。音楽語法的には《アシタカせっ記》と全く異なるが、実はこのテーマも死の呪いに起因する”運命”を表しているのである。

《もののけ姫》
もののけ姫すなわちサンのテーマである《もののけ姫》は、宮崎監督が第1回音楽打ち合わせの後にイメージを文章化した音楽メモを、歌詞のベースにする形で作曲されている。この主題歌を忘れ難くしているのは、なんと言ってもヴォーカルに起用されたカウンターテナー、米良美一の存在感であろう。

スタジオジブリへの出勤途中、カーラジオを流していた宮崎監督は米良のデビュー・アルバム『母の唄~日本歌曲集』を偶然耳にし、米良の起用を決めた。メイキング映像『「もののけ姫」はこうして生まれた。』で描かれているように、当初、米良は宮崎監督の歌詞をどのような視点で歌うべきか悩み、歌唱表現に苦しんだ。しかしながら、1997年1月に設けられた主題歌録音のセッションにおいて、米良は宮崎監督から「(この歌詞は)アシタカのサンへの気持ちを歌っている」と直々に説明を受け、ようやく納得のいく解決法を見出した。その結果が、本盤に聴かれる米良の歌唱である。

のちに久石はこの主題歌録音を振り返り、次のように筆者に語っている。

「米良さんはカウンターテナーの中でも、ちょっと変わった存在だと思うんです。独特の”運命”のようなものを表出しているような声が、この作品には合っていたんじゃないかな。宮崎監督はそういう微妙な差をとても深く理解される人ですから、普通のカウンターテナーだったらOKを出さなかったと思います。実際に米良さんで主題歌を録音してみて、宮崎さんが『このカウンターテナーで行こう』と言った理由がよくわかりました」

つまり、このテーマにおいても、米良というフィルターを通して”運命”が込められているのである。

もうひとつ、この主題歌で特筆しておきたいのは、久石の絶妙なオーケストレーションによって、まさに”霊妙”としか呼びようのない独特の浮遊感と神秘性を表現している点だ。

イメージアルバムの録音段階で、久石はこの楽曲の伴奏部分にいくつかの邦楽器を用いていた。

「ところが宮崎監督が『邦楽器は外してください』とおっしゃったので、『全部外しまします』と言って外したフリをしたんだけど、実は外していない(笑)。『♪もののけ達だけ~』という箇所の伴奏では、上の旋律線を南米のケーナという楽器が演奏していますが、その3度下の旋律線を篳篥(ひちりき)が演奏しています。単にケーナで2つ(の旋律線を)重ねたら、音楽的にはノホホンとしてしまうのですが、チャルメラ系の篳篥を重ねると不思議な浮遊感が出てくるんです」

しかも、その不思議な浮遊感は、シンセサイザーの前奏が加わることでいっそうの神秘性を獲得し、いにしえの日本を舞台にしながらも時代性や地域性に限定されない、神話的な広がりを生み出すことに成功している。西洋のクラシック音楽だけでなく、エスニックなワールド・ミュージックの語法にも精通する久石ならではの、見事な作曲アプローチと言えるだろう。

以上見てきたように、久石は《アシタカせっ記》《タタリ神》《もののけ姫》の3つのテーマによって、それぞれが抱える”運命”を三者三様に表現している。通常の映画作品や映画音楽なら、3つのテーマのうちのどれかひとつが優勢になることで物語に終止符が打たれるが、そのような安易な解決法では『もののけ姫』という作品が提示している問題提起を裏切ることになってしまう。それぞれが”運命”を抱えて対立し、闘う以上、ひとりの勝者がもたらす単純なハッピーエンドなどあり得ないからだ。

ところが、宮崎監督と久石は物語の最後において、久石のピアノ・ソロを文字通り花咲かせることで、人間と自然の共生への希望を音楽に託すという驚くべき解決法を採った。それが、本編の最後にコーダとして流れてくる《アシタカとサン》である。

「宮崎監督が『すべて破壊されたものが最後に再生していく時、画だけで全部表現出来るか心配だったけど、この音楽が相乗的にシンクロしたおかげで、言いたいことが全部表現出来た』と話されていたことが、とても印象に残っています」

別の言い方をすれば、久石のピアノが希望を奏でる《アシタカとサン》は、呪いの”運命”に終止符を打つ音楽である。そのような結末を迎える『もののけ姫』のスコアは、もはや映画音楽という範疇を超え、さまざまな”運命”の中で葛藤する者たちすべてに希望をもたらす、見事な普遍性を獲得した音楽ということが出来るだろう。

本作のサントラ録音で常設オーケストラ(東京シティ・フィル)を起用し、オーケストラならではの重厚な表現力を十全に引き出しながら、同時に80年代から培ってきたシンセサイザーの夢幻的なサウンドも投入し、文字通り総力戦的な作曲で久石が完成させた『もののけ姫』のサントラは、彼の音楽性そのものを劇的に飛躍させ、その後の彼の音楽活動の展開にも大きな影響を与えることになった。特に本作によって初めて試みられた「スタンダードなオーケストラにはない要素を導入しながら、いかに新しいサウンドを生み出していくか」という実験は、宮崎監督との次作『千と千尋の神隠し』において、さらに押し進められていくことになるだろう。

前島秀国 Hidekuni Maejima サウンド&ヴィジュアル・ライター
2020/5/12

(LPライナーノーツより)

 

 

 

久石譲 『もののけ姫 サウンドトラック』

1.アシタカせっ記
2.タタリ神
3.旅立ち -西へ-
4.呪われた力
5.穢士(えど)
6.出会い
7.コダマ達
8.神の森
9.夕暮れのタタラ場
10.タタリ神 II -うばわれた山-
11.エボシ御前
12.タタラ踏む女達 -エボシ タタラうた-
13.修羅(しゅら)
14.東から来た少年
15.レクイエム
16.生きろ
17.シシ神の森の二人
18.もののけ姫 インストゥルメンタルバージョン
19.レクイエム II
20.もののけ姫 ヴォーカル
21.戦いの太鼓
22.タタラ場前の戦い
23.呪われた力 II
24.レクイエム III
25.敗走
26.タタリ神 III
27.死と生のアダージョ
28.黄泉の世界
29.黄泉の世界 II
30.死と生のアダージョ II
31.アシタカとサン
32.もののけ姫 ヴォーカル エンディング
33.アシタカせっ記 エンディング

映画「もののけ姫」主題歌
もののけ姫
歌:米良美一 作詞:宮崎駿 作編曲:久石譲

エボシ タタラうた
作詞:宮崎駿 作編曲:久石譲

 

演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
指揮:熊谷 弘

作曲・編曲・演奏:久石譲
プロデュース:久石譲

録音:1997年5月17日、18日
アバコクリエイティブスタジオ (早稲田)
ワンダーステーション

ミュージシャン:
ヴォーカル:新倉芳美/木村真紀/下成佐登子
ケーナ:旭孝
和太鼓:梯郁夫
龍笛:竹井誠
篳篥:西原祐二

 

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