Posted on 2015/9/14
1996年の宮崎駿×久石譲 対談より。
1996年開催「久石譲 PIANO STORIES II ~The Wind of Life」オーケストラ、アンサンブル、ピアノソロ、という3編成にて、3ヶ月間にわたって全国で開催されたコンサート・ツアーです。
Blog. 「久石譲 PIANO STORIES II Part.1-3」 コンサート・パンフレットより
同じパンフレット内での対談になります。
1996年というと映画「もののけ姫」(1997)の公開前年にあたり、イメージアルバムが完成した段階の頃です。この対談では「もののけ姫」の話というよりも、「となりのトトロ」制作当時の話や、その他ざっくばらんな内容になっています。
対談:宮崎駿 × 久石譲
音楽が映像を生かし、映像が音楽を生かした。
名作は、観る人すべでの心にしみて、送り手たちのもとを離れながら
いつまでも、いつまでも生きつづける。
久石:
はじめにお会いしたのは「風の谷のナウシカ」のときで83年ですから、もう13年も前ですね。以来、何本かやらせてもらってますけど、当時から宮崎さんのお仕事のスタンスって、基本的に変わらないですね。
宮崎:
そう、制作しながらなかなか結末が見えない。シナリオを作らないのは僕の悪いクセなんですよ。
久石:
最初お会いしたときも阿佐ヶ谷の仕事部屋に背景になるセルが張ってあって、で、宮崎さんはいきなり夢中になって説明をはじめて、僕はまだなにも把握してないんで、ハッ、ハッ、って言いながら全部聞いてる。それはもう、毎回同じ(笑)。
宮崎:
シナリオがないからこういう感じの世界ですって説明するしかないんですよね。本当ならアニメーションの場合は、とにかく絵コンテを全部揃えて、さぁこれを作るぞってみんなに示して、そこから準備期間がはじまるわけなんです。ある作業の段階を完結させてから次のステップにいくほうがたぶん生産性もいいし混乱もないでしょうけど、そうはいかないんですよね。
久石:
それはありますね。僕のケースだと、曲が全部書き終わってアレンジも決まって、それからレコーディングをスタートするのが理想なんですけど、たいがい1、2曲しか決まってないままワッと始めるんで、やりながら右往左往してるって感じです。その段階で僕が一番大切にすることは、”モノを作るときに視点がずれないように作りたい”ということなんですよね。日本では、アクションものの中にホームドラマ的要素が入ったりして、変わってしまうような映画やドラマが多いと思いますが、それだと本当の意味のリアリティがなくなっちゃうと思うわけです。だから音楽は絶対にそうならないようにしようと思っています。その場合、全体が見えないと5倍か10倍苦しむ感じがします。
宮崎:
ましてやこっちの方向でいいだろうと思ってレールを敷いて、方向を間違えてたらこれは深刻だしね。だからこの方向で間違ってないかどうかってのは、日々さいなまれながらやってますよね。
◆
久石:
「もののけ姫」のイメージアルバムを作ったんですが、いつもなら考えるのに1ヶ月、制作に1ヶ月だったのが、今年のアタマから考えて実際に3月からレコーディングに入って6月までかかってしまった。今の自分が提供できる音楽的なラインはこれだろうと決めて、日本的な要素などを考えながら視点がずれないように音楽を作っていくと、5、6曲まではすぐいけますが、残りが非常に厳しいんです。
宮崎:
それは、僕が思うにCDなんぞができたせいですね。つまりね、音楽を作るっていうのと、CDの容量と関係あるでしょ。
久石:
ええ、大いにありますね。
宮崎:
だからみんなレコード時代よりも量的にいっぱい作んなきゃいけないでしょ。漫画でいうと、週刊で描いてる人がホントにのめり込むとね、それでパーになっちゃう。眠くならないアンプル飲んで5日間寝ないで描いたっていうんですね。これはね、才能の”大根おろし状態”というかね、そういう感覚になるんじゃないかなと思いますね。
久石:
CDだと1枚の収録時間が今はもう70分くらいですし。このままDVDになったら、音だけならものすごい容量ですからね。
宮崎:
そんなもん作ったら死んじまうんじゃない? どんどん多消費になって、そのことがホントにいろんな人の才能を脅かしてるって思うんですね。
久石:
だからそういうものに使われちゃわないで、いろんなアイデア出すしかないんですね。たとえばDVDがコンピューターとうまく連動できるならば、素材の音をそのまま全部入れてしまってユーザーが自分でミックスできるとか、映像の方でも未編集のものを入れておいて、これは監督の考えた編集、あなたはあなたの編集で映画を作ってください、というように。みんないろいろ新しい手を考えるでしょうね。
◆
久石:
今年ずいぶん宮崎さんの本を読ませてもらったんですが、「時代の風音」という対談集では司馬遼太郎さん、堀田善衛さんとお話されてましたね。
宮崎:
ええ。司馬さんと堀田さんってぜんぜん違う人なんですよ。堀田さんは、日本人という視点からじゃなくて人間とか歴史とかいう視点で世界を見ていて、その中で日本も見ている。でも司馬さんという人は逆に、日本人であるというところから世界を眺める。徹底的に日本人であろうとすることにこだわってきた人です。
久石:
僕がふっと思ったのは堀田さんと司馬さんと宮崎さん、どなたも私小説と縁のない人だなってことです。日本の文学ってどうしても私小説がメインで始まっているじゃないですか。そういう意味でいうと堀田さん、司馬さんの作品に日本的な私小説の感覚はないし、宮崎さんの作品も私小説じゃない。もしかしたら僕のやってる音楽もあんまり私小説的な世界にこだわってないな、と思ったんです。
宮崎:
音楽をそういうふうに見る努力を僕はぜんぜんしてないから、音楽に関して言葉がないですね。
久石:
でも言葉といえば音楽って抽象的すぎて、音で何か言いたいと思っても無理ですよね。僕のようにピアノだとか弦だとか、インストゥルメンタルでやっている人間が、たとえばこの時代に対して僕の意見を言いたいと思ったら、ベートーヴェンのように1時間ぐらいの作品を書かなきゃならない。でも、それはエンターテイメントやポップスというフィールドから逸脱して、芸術家の方にいってしまう。それは僕のフィールドとは違うと思ったときに、インストゥルメンタルで音楽をやっていくことにすごく限界を感じますね。
宮崎:
仕事に関していうなら、僕は自分たちの仕事を駄菓子屋の商売だと決めてるんです。それはどういうことかというと、子供に一瞬”買い食い”の楽しみを与えられればそれでいいんだということです。ただ、駄菓子屋といってもいろんなものがある。売れりゃなんでもいいんだって、いいかげんな色素とか保存料とかじゃかじゃかつっこんで作っちゃうんじゃなくて、とにかく”駄菓子屋として一生懸命作りました”という駄菓子屋です。そういうことじゃなくて、名の通った、うまくはないんだけどすごいんだっていう和菓子を作りたいのなら、この場所は違うって思うんですね。
宮崎:
若いときはもう少し青くさく、「この映画さえできれば世の中変わる」なんて本気で思ってましたけどね、出来上がってみると何も変わらないんですよ。そういうときに自分たちのつっかえ棒はなんだろうと考えたら、この仕事の過程で自分たちがどれだけのことを手に入れたかってことくらい。メッセージを伝えるために映画を作るんだったら、書きゃいいんですもんね。
久石:
あっ、そうですね。
宮崎:
久石さんもそうでしょうけど、インタビューなんかでね”この作品のメッセージはなんですか”なんて聞かれるでしょ、黙って見てくれとしか言いようがないですよね。つまんなかったら途中で帰っていいし。もし少しでも心にひっかかることがあったら、それはなんだろうと感じたり、ときどき思い出してみてくれたらいいわけで。「テーマは? メッセージは? どこが見どころですか?」って言うけど、見どころ以外のとこは見どころじゃないのかって(笑)。
久石:
どんなことを思って作られましたか、というたぐいの質問は僕もよく受けますけど、言葉で説明するんじゃなくて、音楽を聴いてわかってもらいたいですね。
宮崎:
「紅の豚」のときね、お金もいっぱいかけちゃったし、罪ほろぼしにキャンペーンに協力しますって、日本全国を歩いたんです。そうすると1日に何回も、「なぜ主人公は豚なんですか?」「いつも空を飛ぶんですね」って聞かれるんで(笑)、だんだんハラがたってきてみんな違う答えをしたりしてね。
久石:
ハハハハッ! 大きなお世話ですよね。
◆
久石:
「となりのトトロ」では、”トトロ”が登場するシーンで7拍子の音楽から音を抜いたことがありましたね。宮崎さんが「ここもう少し音うすくなりませんか」とか「少なくなりませんか」とかおっしゃって。僕もなんだかちょっと、”too much”だと感じてて、あのときにそれを指摘する宮崎さんて、すさまじいなあと思いました。
宮崎:
いやいや、久石さんの技術ですよ。久石さんがあの機械がいっぱいならんでる部屋にすわって、「音を1個ずつ抜きましょう」って、ひとつおきに抜いたんでしたね。それでトトロが現れてくる絵にあわせたら、余韻があって不思議にピッタリだった。こんなこともあるんだって思いましたよね。
久石:
あのとき、いったんは”音楽なし”ってことになったのが、ミーティングの翌日に電話をいただいて、まだ悩んでいらしたんですよね。やっぱり音楽を考えてほしいって。でも入れない可能性もあるけどいいですか、とおっしゃってた。それだけすごく難しいシーンでしたね。
宮崎:
トトロでは、打合せのとき確か”子供たちが歌ってくれる歌をぜひ作りたい”って話をしたんでしたね。
久石:
ええ。実は「さんぽ」は教科書に載るようになったんですよ。僕の唯一の、子供公認曲です(笑)。
宮崎:
それはすごいなぁ。この前ね、僕が時々行く山小屋の近くで「ラピュタ」の映画会をやった人たちがいるんですよ。最後に「君をのせて」の大合唱になって主催者が感動してました。おまけに蛍が飛んできたりして!
久石:
うれしいですねぇ。僕は、自分の子供が小さい時期にギンギンの現代音楽をやっていて、3、4歳の自分の子を見ながらアイデアが出る一番重要なときに子供の曲を作れなかったんです。それを今でもすごく後悔してるんですけど、トトロをやらせてもらったことで、その世界の仕事を残せたことが特にうれしいんです。
宮崎:
子供のいい歌が作られて残っていくというのはいいことですよね。
久石:
はい。ぜひ「もののけ姫」もいいものにしたいです。その制作がピークのときに、こうしてお話させていただいて、今日は本当にありがとうございました。
(PIANO STORIES II ~The Wind of Life 1996 コンサート・パンフレットより)
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