Blog. 久石譲「Orchestra Concert 2009 Minima_Rhythm tour」コンサート・パンフレットより

Posted on 2016/1/17

久石譲過去のコンサートより、2009年開催「ミニマリズム・ツアー」です。

 

久石譲 Orchestra Concert 2009 ミニマリズム・ツアー

[公演期間]47 久石譲 Orchestra Concert 2009
2009/08/15 – 2009/09/03

[公演回数]
12公演
8/15 神奈川・ミューザ川崎シンフォニーホール A
8/16 東京・すみだトリフォニーホール B
8/18 愛知・愛知県芸術劇場 コンサートホール A
8/19 広島・広島ALSOKホール A
8/20 福岡・福岡シンフォニーホール B
8/22 新潟・新潟市民芸術文化会館 りゅーとぴあ B
8/24 北海道・札幌コンサートホールKitara 大ホール A
8/26 宮城・東京エレクトロンホール宮城 A
8/28 大阪・ザ・シンフォニーホール A
8/30 大阪・河内長野市立文化会館 ラブリーホール B
9/2 東京・サントリーホール A
9/3 東京・サントリーホール B

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:
新日本フィルハーモニー交響楽団
関西フィルハーモニー交響楽団
コーラス(Program B):
栗友会合唱団
九響合唱団、九州大学混声合唱団、福岡教育大学混声合唱団、有志
河内長野ラブリーホール合唱団

[曲目]
【Program A】
Minima_Rhythm
I. Links
II. MKWAJU 1981-2009
III. DA・MA・SHI・絵

Sinfonia for Chamber Orchestra
I. Pulsation
II. Fugue
III. Divertimento

The End of the World
I. Collapse
II. Grace of the St. Paul
III. Beyond the World (without mixed Chorus)

Departures
Prologue~Theme
Prayer
Theme of Departures

Kiki’s Delivery Servise

Water Traveler

—–アンコール—–
Wave
Ponyo on the Cliff by the Sea

【Program B】
Minima_Rhythm
I. Links
II. MKWAJU 1981-2009
III. DA・MA・SHI・絵

Sinfonia for Chamber Orchestra
I. Pulsation
II. Fugue
III. Divertimento

The End of the World
I. Collapse
II. Grace of the St. Paul
III. Beyond the World (with mixed Chorus)

Ponyo on the Cliff by the Sea (with Chorus)
Movement. 1
Movement. 2
Movement. 3
Movement. 4

—–アンコール—–
おくりびと メインテーマ (大阪B)
Wave
風の谷のナウシカ 2009

 

 

2009 久石譲 in London
ABBEY ROAD STUDIOS &LONDON SYMPHONY ORCHESTRA

2009年6月、久石譲の新作アルバム「Minima_Rhythm」のレコーディングがロンドンで行われた。アビー・ロード・スタジオ、ロンドン交響楽団の演奏、このレコーディングには”或るストーリー”があった。

 

-アビー・ロード・スタジオへの想い

久石:
僕がロンドンに住んでいた頃、アビー・ロード・スタジオにマイク・ジャレットというとても親しいチーフエンジニアがいたんです。一緒にレコーディングをすることも多く、本当に信頼の置ける人物だったのですが、惜しいことに若くしてガンで亡くなってしまった。彼の最後のセッションが僕との仕事で、ロンドン交響楽団演奏による『水の旅人』のメイン・テーマのレコーディングだったんです。そのときはエアー・スタジオのリンドハース・ホールで録ったんですが。そしてマイクは亡くなり、僕はロンドンを引き払った。そのあたりのことは『パラダイス・ロスト』という本にかなり詳しく書いています。その後、ロンドンでのレコーディングは何度もしたんだけど、アビー・ロード・スタジオでのレコーディングは避けた。ちょっと行くのがきつかった……。

数年前、『ハウルの動く城』のとき、チェコ・フィルハーモニー交響楽団でレコーディングしたものを、アビー・ロード・スタジオでサイモン・ローズとMixしたんです。それが久しぶりでしたね。そのとき、このスタジオに戻ってきたなぁという感慨があって、スタジオの隅、地下のレストラン、どこもマイクの遺していった匂いのようなものが感じられた。イギリス人独特のユーモアや品の良さ、クリエイティブな匂いとでもいうのかな。

そして今回、僕としては最も大切なレコーディングになるので、それはアビー・ロード・スタジオ、そしてロンドン交響楽団しか考えられなかったのです。マイクの亡き後も、アビー・ロード・スタジオでは伝統がきちんと引き継がれています。マイクのアシスタントだったサイモンは、今はジョン・ウィリアムズ等を録る一流のエンジニアになっているし、今回のエンジニアのピーター・コビンは、マイクの抜けた穴を埋めるべく、オーストラリアのEMIからスカウトされた。高い水準を維持するために。

今回ついたアシスタントも非常に優秀で、何にも指示されなくても動けちゃうんですよ。たぶんまた5年後、10年後になると彼らが素晴らしいチーフエンジニアに成長していくんだろうと、そういう人や技術の継承をとってもても、やっぱりナンバーワンのスタジオですね。

 

-ロンドン交響楽団との再会

久石:
今回で二度目だったんですが、ロンドン交響楽団を指揮するのは、正直とても緊張しました。最近は様々なオーケストラを指揮する機会が増えたとはいえ、今回は言葉の壁もあって、予想以上に大変でしたね。

というのも、実はロンドンに行く直前、夜中の2時か3時くらいまで曲を書いていて、そのまま徹夜で飛行機に飛び乗ってしまったんです。だから、譜面の勉強がまったくできていなくて。要するに、作曲家モードと指揮者モードは別物なんだけど、ギリギリまで作曲家として粘っていたぶん、指揮者への切り替えができていなかった。ロンドンに到着してからも一歩も部屋から出ずにずっと書き込みや譜面の勉強に時間を費やしていたんだけど、全然足りない!レコーディングはできるだけ平静を装っていましたけど、内心は結構きつかったですね(笑)。

(「久石譲 Orchestra Concert 2009 Minima_rhythm tour」コンサート・パンフレット より)

 

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『Minima_Rhythm tour』
interview ~久石譲~

原点への回帰

-「Links」で与えた現代音楽家・久石譲のインパクト

ロンドン・レコーディングでは、「Links」を初日の1曲目に録ったんですが、それが非常に良かった。どちらかというと僕は映画音楽の作曲家だと認知されていて、ロンドン交響楽団の人たちも「”Spirited Away(『千と千尋の神隠し』” is fantastic!!」などと、僕の映画音楽はたくさん知ってくれていたんです。今回もその延長線上のレコーディングだとイメージして臨んでいたところに、僕は超難度の高いミニマル・ミュージックを引っ提げていったというわけ。この「Links」を振り始めた途端、みんなの目つきが一瞬にして変わって、これは大変だ!となったんです。「この曲はチャレンジだ!新しいオーケストラ曲だ!」とね。ファースト・コンタクトにこの曲をもってきたのは大正解だったと思います。

「Links」は、2007年のCoFesta(JAPAN国際コンテンツフェスティバル)からの委嘱作品なんですが、作品を書きたくなっていた時期にたまたまオファーが来たので、CoFestaのことはほとんど知らないで引き受けたんです(笑)。実は、この「Links」を作る前に「Winter Garden」というヴァイオリンのために書いた曲があって(※ヴァイオリニスト・鈴木理恵子のソロアルバム「Winter Garden」に書き下ろした楽曲)、その作曲で、自分の世界が作れるきっかけを掴めた。「ああ、そうか。こういう形で自分はミニマル・ミュージックに戻れるんだ」と。メロディアスなフレーズを素材に、変拍子などの特殊リズムを加えることで独自の世界を表現するというものだったのですが、それと同じ方法論をさらに発展させてオーケストラ作品にしたものが「Links」です。この「Links」を書いたことによって、徐々に自分の中でミニマル・ミュージックに戻るウォーミング・アップができたわけです。

 

-2009年、ミニマリズム宣言。

ツアータイトルにもなったソロアルバムの「Minima_Rhythm」というタイトルは、ミニマル・ミュージックの「Minimal」とリズムの「Rhythm」を合わせた造語なんですが、リズムを重視したミニマル・ミュージックの作品を作りたいという思いからつけています。

かつて僕が現代音楽の作曲家だった頃、ずっと書いていたのがミニマル・ミュージックだった。そのミニマル・ミュージックにもう一度向き合って、僕自身の中できちんと作品という形にしたい。そんな作家の思いを込めています。僕の大学時代は、現代音楽と言えば不協和音でスコアが真っ黒になるような、半音ずつぶつけたものばかりをみんな書いていたのですが、その当時の現代音楽は、様々な特殊奏法を含めて響きを重視することばかりに偏ってしまったんです。作曲家は自己満足のようにどれだけ緻密なスコアを書くかということに走ってしまい、結果、人間が聴いて理解する範囲を超えてしまう譜面が多くなってしまった。僕もその一人だったんだけれど、いつしかこの方法では何かが違う、自分の目指すものではないと感じ始めていて。そんなときに出会ったのがミニマル・ミュージックでした。

不協和音ばかりに偏重してしまった現代音楽の中でも、ミニマル・ミュージックには、調性もリズムもあった。現代音楽が忘れてしまったものを、ミニマル・ミュージックは持っていたんです。

 

-封印を解き、再びミニマルの世界を志向する

30歳くらいのときに僕は現代音楽を封印し、その後映画音楽やポップス・フィールドで仕事をしてきました。言うまでもなく、ポップスの基本はメロディとリズムにあって、衰退の一途を辿る現代音楽とは対照的にポップスはどんどん隆盛していった。そんな両者を知る僕にとっては、ポップス・フィールドで培ってきた現代的なリズム感やグルーヴ感をきちんと取り入れて両立させ、独自の曲を作れるのではないかと考えたんです。もう一度作品を書きたいという気持ちが強くなったとき、自分の原点であるミニマル・ミュージックに戻ること、それと同時に、新しいリズムの構造を作ることが自分の辿るべき道だと思ったのです。それはごく自然なことでした。

前述した「Winter Garden」や「Links」といった最近の僕の作品には、11拍子や17拍子といった特殊拍子が必ず出てくるのですが、そういう変拍子なのだけれどもグルーヴを感じさせるリズムの使い方が、現在の自分にとって気に入っているパターンです。

 

1981↔2009 久石譲の原点と現在

-「Minima_Rhythm」では、初期のミニマル・ミュージック作品をオーケストラ楽曲として改めて書き直した

その一つが「MKWAJU 1981-2009」です。

東アフリカの草原に、理由もなくポツンと生えているものすごく大きな木、あの木のことをムクワジュと言うんですよ。素材にしたのは、東アフリカの民俗音楽。♪タンタンタカタカタカタカタッタッと、永遠に彼らが繰り返しているその多重的なリズム要素の音型をもとに作品にしたのが「MKWAJU」なんです。

1981年に発表した小編成から、今回のオーケストラ作品に書き直すにあたって、分厚くなりすぎないように清涼感を残す工夫を凝らしています。加えて、発表当時に表現しきれなかった部分をしっかり聴かせられる作品に仕上げられたらと思いますね。個人的なことなんですが、発表当時は素材を上手く使いきれていなくて、色々仕掛けをしていたはずなのにどこかうまくいかない。本当は曲の途中でフレーズが半拍ずつズレていくところを、ちゃんと聴かせるだけの技術力が足りなかったわけです。

ミニマル・ミュージックのような繰り返しの音楽は、実はものすごく難しい。単に同じ素材を繰り返すだけでは当然飽きてしまいますから。だから、微妙にアングルを変えていき、ちょっとずつ変化をさせて、聴いている人には繰り返しているように聴かせることがとても重要。つまりその微細な変化を無意識の世界に訴えかけているんです。二つ目にもっと大事なことは、素材が良いこと。ミニマル・ミュージックが成立するかしないかは、この二点に係ると言ってもいかもしれませんね。

その意味では、この「MKWAJU」は本当に良い音型と出会えて幸運でした。この♪タンタンタカタカタカタカタッタッというフレーズを、オーケストラの人たちがお茶を片手に廊下を歩きながら口ずさんでいるのを聞いたときには、ヤッタ!と思いましたね(笑)。

もう一つが、「DA・MA・SHI・絵」。

これも初期の頃の作品で、コマーシャルのために書いた曲です。日本のCMにミニマル・ミュージックのパターンを導入した初めての楽曲で、15秒、30秒というCM用に書いたキャッチーな素材ですから、十分に楽曲になり得るだけの要素はありました。その音型をもとに作品として再構成したものです。

1985年のアルバム「α-BET-CITY」に収録してから、その後も何度かアンサンブルに編曲しているんですが、今回オーケストラにする段階では、メイン音型と7つから成るフレーズの組み合わせを一新して(オリジナル音型は残したまま)組み替えたので、結局ゼロから作り直したような新しいイメージに仕上がっています。

ミニマル・ミュージックの基本音型というのは、組み合わせ一つでも方法論を変えると、すべて作り直さなくてはいけなくて、一部分だけ直すということはあり得ない。ある日これでいいと思っていても、翌日ここが違うと感じて直しだすと、それ以降全部パターンが変わってしまうんです。要するにいつまでたっても、八割方できた気がしても、ちょっと違うと思って手を入れると、またゼロからの作業になるというその繰り返し。普通、映画作品などの音楽を作曲するときなんかは、時間をかけて作った分だけ必ずレベルがアップして良くなっていく場合が多いのだけれど、ミニマル・ミュージックに関しては、完成に近づくまでの試行錯誤が本当に大変で。真っ暗闇の中で、遠くに見える微かな灯りを目指すように、何かありそうだと思って感覚を頼りに手探りで進んでいくだけなんですが、そのぶん、曲が本来求めている形に出会えたときの嬉しさといったらないですよね。喜怒哀楽って振り子のようなものだと思うのですが、苦しみが大きいぶん、喜びもひとしおなんです。

 

”古典的”と”現代的”を融合させた新しい”スタイル”

-音楽的な構造を突きつめていった機能的な作品「Sinfonia」

「Sinfonia」は、本当に久しぶりに作品を作ると決めたときの出発点と言ったらいいんでしょうか。逆に言うと、30年近い空白を埋めるための個人的に非常に重要な位置づけの作品になります。もちろん今までもコンサート用にミニマル・ミュージックをベースにした曲を作ったりしてきました。が、やはりそれは半分ポップス・フィールドに自分の片足を残して、一般の人に聴いてもらうことが前提となっていた。そのためCDセールスといった制約や妥協しなくてはいけないことが多々発生し、僕の中では完全に作品とは言い切れない部分があったんです。

この「Sinfonia」は、自分の中のクラシック音楽に重点を置いて構築したもので、音楽的な意味での、たとえば複合的なリズムの組み合わせであるとか、冒頭に出てくる四度、五度の要素をどこまで発展させて音楽的な構築物を作るかということを純粋に突きつめていった作品です。”クラシカル・ミニマル・シンフォニー”と副題をつけたいくらいなんですが、それはクラシック音楽が持っている古典的な三和音などの要素をきちんと取り入れたミニマル・ミュージックということ。そのため編成も非常にオーソドックスな2管編成を採用して、クラシカルなニュアンスを出しています。

第1楽章の「Pulsation」という曲は、僕がまだ現代音楽家だったときに最後に書いた「パルゼーション」という曲の構造を発展させたもの。リズムというよりも機械的なパルスの組み合わせで、四分音符、八分音符、三連音符、十六分音符などを複合的に組み合わせ、五度ずつ調を上げて、全部の調に展開していきます。

第2楽章の「Fugue」は、雲のように霞がかったり消えたりするようなコード進行と、いわゆるバッハなどの古典派的なフーガの要素で構成しています。これも第1楽章と同じで五度ずつハーモニーが上昇し、全部の調で演奏されて終わります。

第三楽章の「Divertimento」は、5月のクラシックのコンサート(※2009年5月24日、久石譲Classics vol.1)で初演をしたんですが、そのときは弦楽オーケストラのために作った曲を、今回は管楽器などを加えて書き直しました。ティンパニやホルンなどが入ったおかげで、より一層古典派的なニュアンスが強調され、初演の弦楽オーケストラとは一味違う作品になったかな。

 

-強烈なメッセージ性を込めた情緒的な作品「The End of the World」

僕はどちらかと言うと、音楽は純粋に音楽で表現するべきだと捉えているんですが、この「The End of the World」は社会的なメッセージを込めた数少ない作品の一つです。

その数少ない作品の中でも、1992年に作った「My Lost City」というアルバムがあるんですが、それは1930年代の世界大恐慌のときに、狂乱の日々を送って破壊的な人生を歩んだ米国の作家F・スコット・フィッツジェラルドを題材に、日本のバブルに対する警鐘を鳴らしていた。日本人、こんなに浮かれていたら大変なことになるぞ!と。案の定、バブルは崩壊して日本は本当に漂流を始めてしまったわけですが。

この「The End of the World」は「After 9.11」をテーマに扱った作品です。「9.11 (アメリカ同時多発テロ)」を契機に、世界の価値観は完全に狂っておかしくなってしまった。混沌とした時代の中で人々はどっちに向かえば良いかわからない。指針のない不安な世の中を生き抜くには、自分自身をしっかり見つめて見失わないように生きるしかない。利益追求型の社会システムが崩壊し、そんなことでは人々は幸せになれないとするならば、自らの手で自分自身を、そして周りを変えていく意志を持っていこうと、ある意味では非常にポジティブなメッセージでもあるんです。

前作のアルバム「Another Piano Stories~The End of the World~」では最終楽章にスタンダード・ソングの「The End of the World」という歌曲を入れて全四楽章で発表したんですが、今回は三楽章で成立する交響曲のように作り直そうと考えた。そして、オリジナルの12人のチェロ、ハープ、パーカッション、コントラバスとピアノの小編成だったものからオーケストラに書き直したので、よりイマジネーションが広がり、2年ほど前の構想段階で考えていたコーラスを復活させようと思いついたんです。では、言葉は何にしようか?と考えたときに、ラテン語で「世界は終わる」という単語と、そして「悲しみと危機は愛によって去る」という言葉を歌詞として当てはめたんですが、ロンドン・ヴォイシズのコーラスを聴いたとき、この曲が本来行くべきところにやっと辿り着いたんだという感動が込み上げてきましたね。数年前に作った曲がついに完成したのだと。

 

-言葉をある種記号化させたコーラス譜

実は、僕はコーラス曲を書くのはあまり好きではなかった。というのも、言葉の問題と折り合いをつけることがどうしても難しかったからなのですが。でも、何年か前の「Orbis」(※2007年12月、サントリー1万人の第九の第25回記念序曲としての委嘱作品)でコーラスに取り組み、散文的な幾つかのキーワードを用いることで楽曲として成立させることが可能だとわかった。それからミュージカル『トゥーランドット』を経て、『崖の上のポニョ』でもコーラスを使っています。それと昨年の武道館コンサートでは200名のオーケストラと800名の混声合唱団で全開にしていますし、今では”オーケストラ+コーラス”は僕の定番みたいになっていますね(笑)。

今回の「Beyond the World」では、ロンドン・ヴォイシズからコーラス譜の書き方を誉められたんです。「ジョー、お前はどこで勉強してきたんだ?ジュリアードかパリのコンセルバトワールか?」「いや、ジャスト日本!」「アンビリーバブル!こんなに上手くコーラス譜を書ける奴はいないよ!」と。これはちょっと嬉しかったですね。

 

-新たな作品の誕生とスタート地点

今夏のツアーでは、(Bプロに)コーラスを入れたのも大きな特徴で、『崖の上のポニョ』をコーラス入りのオーケストラ組曲として初披露します。ちょうど北米公開も始まるし(※2009年8月14日公開)、映画の要素を凝縮したオーケストラ・ストーリーとして楽しめると思います(笑)。Aプロでは、米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと(Departures)』を、これもオーケストラは初演となるので、オリジナルのチェロ・アンサンブルとの違いを楽しめるじゃないかな。

そして、A・Bと両プログラムで「Minima_Rhythm」を全曲演奏する。もう本当に全エネルギーを注ぎ込むようなエキサイティングなプログラム。「Minima_Rhythm」の個々の曲は長編で重たい作品なので、1プログラムですべて網羅してしまっていいものかどうか迷ったんですが、やっぱりすべてお客さんに聴いて欲しかった。そのくらい、僕の中で思い入れのある作品となったことは確かです。だからこそこれがすべてであるとはっきり言えるし、また同時に、それは出発点でしかないとも強く思っています。

(「久石譲 Orchestra Concert 2009 Minima_rhythm tour」コンサート・パンフレット より)

 

久石譲 『ミニマリズム』

 

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