Blog. TBSラジオ「辻井いつ子の今日の風、なに色?」久石譲ゲスト出演 番組内容

Posted on 2018/08/28

ピアニストの辻井伸行さんを育てられた辻井いつ子さんがパーソナリティを務めるラジオ番組「辻井いつ子の今日の風、なに色?」に、8月のゲストとして久石譲が出演しました。

全4回の放送は、映画音楽について、CM音楽について、指揮活動について、現代的アプローチ、音楽になるということ、などなど。普段からあまりメディアやインタビュー登場することないだけに、とても濃く深い貴重なお話ばかりとなりました。一挙書き起こしご紹介します。

 

 

「辻井いつ子の今日の風、なに色?」
放送局:TBSラジオ(AM954kHz、FM90.5MHz)
放送日:2018年8月 毎週日曜日 朝7:15頃-7:25

 

◇第1回:8月5日 ~映画音楽の話~

プロフィール紹介

-映画音楽をはじめたきっかけは?

久石:
「『風の谷のナウシカ』のイメージアルバムをレコード会社から言われてつくって、それを宮崎さん高畑さんが気に入られて、そのまま映画のほうもやらないかという話ではじめたということですね。高畑さんは音楽に詳しいので、音楽プロデューサーとしての立場も兼務して、それで音楽の話をしてたんですけれども。ナウシカのときはたしか2日間か3日間毎晩夜中まで喧々諤々話した覚えがありますね。」

-映画音楽をつくるときのはじまりは?

久石:
「依頼受けて台本読んで、「あ、こういう世界だったらこうしようかなあ」とかっていうイメージはもって。それから撮影の途中ラッシュ(まだ完成していないシーンごとのフィルム)を見せてもらって。監督のテンポってあるんですね。ドアを開けて入って椅子に座るだけでも、監督によって全然違うんですよ。すごい遅い人と、もうドア開けたら全部カットして座ってればいいという人と、いっぱいいますから。監督の生理的なリズムというのがあるので、それをまず掴むというのが僕にとっては大事かもしれないね。それで打ち合わせをして、だいたいこういう世界にしましょうという話。それでオケでいくのかもうちょっと小さい編成でいくのかその段階で決めまして。あとは2、3回ラッシュを見て仕上げていくっていう感じですかね。ファンタジーだとやっぱり音楽の量っているんです。これ実写系でも同じなんですね、どうしても音楽の量がいる。ところが非常にシリアスな現実に起こっていることあるいはそれに近いことをリアルに表現したい、その場合音楽の量はものすごく減らします。音楽が入ると嘘っぽくなっちゃうから極力少なく、あまりメロディも出さずにとかね。それはもう内容によってアプローチは全く変わります。」

ー映画音楽と出会ったのはいつ頃?

久石:
「4歳くらいのときに年間300本くらい映画観てたんですよ。5-6年かな、ずっと観てまして。うちの父親が学校の先生で、当時高校生は映画館行っちゃいけなかったから、その補導に幼稚園の僕はくっついて行ってた。当時映画盛んだったですから、僕が育った町も映画館2つあったんですね。週替りなんですよ、3本立ての週替りということは週6本ですよね、そうすると月に24~25本。あとは巡回映画とかも来ますから一年でだいたい300本ですよね。それを観てたんで、映画音楽を書くことになったとき、どうやって書こうとか、HOW TO、映画音楽の作り方みたいな、そういうものは一切やった覚えがない。当然書けるもんだと思ってやってたから、映画音楽をやるための書き方のお勉強なんてしたことがない。当時実は一番音がよかったのも映画館だったんですよ。家庭にそんな大きなステレオがある家なんてないですからね。だから映画館の暗いなかに座って何時間か過ごすということが、今のベースをつくったんじゃないかなと思います。絶えず接していたというのがすごく強かったと思いますね。」

-じゃあ、お父様に感謝ですね

久石:
「そうですね(笑)」

-むずかしいことはなんですか?

久石:
「本を読んで一番おもしろいアイデアが出た時が最高なんですね。で、仕事を進めていくにしたがってどんどんそれは落ちてくるんです。これは僕が言った言葉じゃなくて、アメリカで最も売れてる映画音楽の作曲家が「映画の仕事はとにかく日々落ちていく仕事である」と言ってるのね。それはよくわかる、そのとおりだと思うし。逆に映画音楽がクリエイティブであり続けるのは今の時代すごく難しいと思います。デジタル機材が発達するでしょ、そうすると簡単にみんなシミュレーションしてくるわけだから。今までは素人の人は口が出せなかった。だからある程度作曲家に任せないと出来なかった。だけど今は誰でも適当に音楽くっつけて、映像だって自分たちで編集ができる時代になってる。そうすると、こんな感じでいいんじゃないいいんじゃないみたいなことが多くなるから、映画の音楽も効果音の延長のような、効果音楽、走ったら速い音楽、泣いたら悲しい音楽、とかね、ものすごいバカみたいに単純な音楽が増えているから。あんまり明るい未来はないなあと思ってます。まだ自分のなかではクリエイティブであってほしいから、そういう努力はつづけますけど、世界的にやっぱり非常に映画音楽の状況はどんどん悪くなってますね。」

(書き起こし)

 

補足)
別の機会に語っていたことです。

映像編集の段階で音楽を仮でつけている。自分が思うイメージに合うものとかを。そうすると編集作業をしながらその音楽もすり込まれてしまっているなかで、こちらが曲を書くと、何か違うあまり釈然としないような、非常にやりにくくなる。以前もこんなイメージでと既存の曲を挙げられることはあったけれど、デジタル機器の発達で自分たちで音楽も簡単に当てはめてみることができるようになった弊害のひとつ。(要約)

シーンごとに音楽を付ける。そのシーンだけ切り取れば効果的な音楽かもしれないが、映画全体から見たときには一貫性のないちぐはぐな音楽構成になってしまう。(要約)

 

 

◇第2回:8月12日 ~作品づくりについて~

-いつ頃から作曲家になろうと?

久石:
「中学生のときですね。吹奏楽とかいろいろやっていた時に、自分で譜面を書いて持って行ってみんながそれを演奏その音を出してくれるとすごくうれしかったんですね。だから、自分で演奏することよりは、自分が作ったものをみんなが音を出してくれるほうが好きな自分をおもいっきり発見しまして。あっ、それって作曲家だね、ということですね。それで作曲を志しました。」

-楽器はなにを?

久石:
「その時は、最初はトランペットで、結構ね県予選大会とかでソロ吹いたりとかね、2年生の時には完全にソロを吹いてましたから。あのー、うまかったんですよ(笑)。中学生の後半ぐらいから現代音楽を聴くようになっちゃって、だからいつかそういう作曲家になるんだと思ってたから。ただ、問題なのはある時期から(現代音楽は)人に聴いてもらうというベーシックなラインを忘れちゃったんですね。自分の頭の中だけで作る自己満足の世界になっちゃった。当然お客さんは離れる。ポピュラー音楽っていうのは、もともと多くの人が喜んでもらうための音楽です。こちらは基本的にメロディ・和音・リズムなんですね。ポップスはもっとそれが象徴的に非常にわかりやすくメロディとリズムと和音と。なおかつ20世紀に入ってからは、アメリカにアフリカのリズムが入りました。ジャズ、それがロックだとかいろんなポップス音楽のベースになった。ものすごくわかりやすい方法論なんですね。で、今でもそれがそのまま続いている。ですから、多くの人が敷居が高くないので誰でも入れる、それが良さなんです。現代音楽はまったくそれを忘れた。そのために誰も聴かないと(笑)。」

-CMと映画音楽の作曲の違いは?

久石:
「映画は約2時間ぐらいだとすると、音楽を入れるところと入れないところをつくることも仕事なんですよ。2時間でひとつのまとまった世界をつくるのが自分の仕事になるんですね。コマーシャルっていうのは15秒なんですよ、基本は。しかも映画館というのは自分でお金を払って来て観る態勢に入っている。だけどテレビは茶の間ですから、嫌だったらすぐ替えちゃうし。主婦の方はお仕事してる時に、どうやって振り向かせるか、はっ?!って振り向かせるには頭7秒が勝負なんです。7秒でキャッチャーに、耳をこっちに持ってこさせる。そうやるにはどうするかなあ、というのが一番神経を使ってるところですね。つまり、15秒ぐらいっていうことは、メロディをたっぷり聴かせることはできないんです。1フレーズとか2フレーズぐらいになってしまう。そうすると、もっと耳に瞬間で飛びつくキャッチーな方法、キャッチコピーみたいなものですよね、音楽の。その能力がコマーシャルでは必要ですね。だから(映画音楽とは)やり方が全然変わっちゃう。」

-伊右衛門の音楽はどういうふうに?

久石:
「あれはね、大河、大きい川が流れているようにゆったりしたメロディの曲を書こうっていうのがコンセプトにしてて。お茶ですからね。そうするとこれも出だし勝負なんですよね。「タリラリラン、タリラリラン」っていってしまえば、耳に残ればこっちが勝つからという。だから細かいことごちゃごちゃやるよりは、ドッ!と大きいメロディでまずつかもうというのがあの時のコンセプトでしたね。(MC:どのぐらいで?) 20分ぐらいだと思います。えっと、何をやろうかなって考えるのはすごくかかるんですが、作りだすと早いんで。20分、でオーケストレーションしてだから一日仕事ですかね。(MC:それがこれだけ知らない人がいない曲になっていく) それを言ったらもうナウシカだって30分ですからね、作ったのはね。ラピュタの「君をのせて」にいたっては15分だった。(MC:逆に出てこなかったというような曲もあるんですか?) ん、あの、すさまじくあります(笑)。出てこない時は1ヶ月かかってもダメですね。おそらくボタンを最初にかけ違えちゃったんですね。そうすると、しばらくそれでもいいやと思って進むんだけど、行けば行くほど見えなくなってきて。で、もう1回じゃあ入口まで戻る勇気ってなかなかないんですよ。ある程度出来ちゃってるから。なんとかそれをつじつま合わせようとやりだすと、これは泥沼のような作業になる(笑)。これも、ほんとにイヤですけどあります、よく、よくでもないけど、ありますねえ、うん。」

-一日のスケジュールは?

久石:
「すごく決まってます。僕は作曲家としてはミニマル・ミュージックの作曲家なんで。ミニマル・ミュージックってこうパターンですからね。例えば、今ツアーがあるから、この時期って朝ピアノ弾かなきゃいけないでしょ。あのう、ピアノだけはねえ、困ったことに。僕のように季節ピアニストって言ってるんですけど(笑)、必要に迫られたら弾かなきゃいけない。そうすると朝10時ぐらいから、12時半、13時ぐらいまで弾いて、それからご飯食べて、夏場は毎日泳いで(笑)、それから仕事場に行って夜の場合によっては0時近くまで作曲します。できたら21時ぐらいには終わりたいんですが、それから帰ってきて一呼吸置いてから、明け方の4時ぐらいまで振らなきゃいけない曲のクラシックの勉強。ベートーヴェンとかね。特に現代曲振らないといけないケースが多いんで、これはもうお勉強にものすごい時間かかるんですよね。だいたいそういう感じですね。」

(書き起こし)

 

 

◇第3回:8月19日 ~作曲家以外の音楽活動について~

-映画「羊と鋼の森」辻井伸行さんとの共演について

久石:
「ほんとに楽しかったです。ストイックなまでしっかりと覚えられて、演奏してても呼吸が合うというんですかね、とってもいい経験でしたね。辻井くんは非常にメリハリの効いたいい演奏で、想像した以上素晴らしかったと思います。」

-呼吸が合うというのは大事?

久石:
「たとえばコンチェルトをやるにしても、ピアニストが腕を振り下ろすのを見て指揮をやってたら、これもう0.0何秒以上完全に遅れてますから。それはもう見ないでも合うぐらいな、なにかこうあうんの呼吸みたいなものがないと音楽ってなかなか成立しないんですよね。最初は、自分の曲もかなり現代曲としてミニマル・ミュージックなんで難しいんで完璧に振りたいなあと思ってて。だけど80人とか100人のオケを指揮するんだったら、せめて「運命」「未完成」「新世界」ぐらいは振れたほうがいいよなあみたいな、非常に軽い気持ちで始めたんです。だけど思った以上に大変で、大勢の人をまとめるというのはこんなに大変なことかと。それがだんだんわかってきたときに、正当な指揮の勉強をしたいと。だから結構歳をとってから秋山和慶先生に3年ぐらいずっとついて一から全部教わって。」

「それから、作曲家としてもう一回クラシック音楽を再構築したいっていうふうになるわけですね。どういうことかというと、指揮者の人が振る時の指揮の仕方って、やっぱりメロディだとかフォルテだとかっていうのをやっていくんだけど、僕はね作曲家だから、メロディ興味ないんですよ。それよりも、この下でこうヴィオラだとかセカンド・ヴァイオリンがチャカチャカチャカチャカ刻んでるじゃないですか。書くほうからするとそっちにすごく苦労するんですよ。こんなに苦労して書いてる音をなんでみんな無視してんだコラっ!みたいなのがある。そうすると、それをクローズアップしたりとか。それから構成がソナタ形式ででてるのになんでこんな演奏してんだよ!と。たとえばベートーヴェンの交響曲にしてもね。そうすると、自分なら作曲家の目線でこうやるっていうのが、だんだん強い意識が出てきちゃったんですよね。そして、それをやりだしたら、こんなにおもしろいことないなあと思っちゃったんですよ。たとえば、ベートーヴェンをドイツ音楽の重々しいみたいな、どうだっていいそんなもんは、というふうに僕はなっちゃうんですよ。だって書いてないでしょ、譜面に書いてあることをきちんとやろうよ、っていうことにしちゃうわけです。そうするとアプローチがもうまったく違う。ドイツの重々しい立派なドイツ音楽で聴きたいなら、ベルリン・フィルでもウィーン・フィルでも聴いてくれよと。僕は日本人だからやる必要ないってはっきり思うわけね。そういうやり方で迫っていっちゃうから。」

「それともう一個あったのは、必ず自分の曲なり現代の曲とクラシックを組み合わせてるんです。これは在京のオーケストラでもありますね、ジョン・アダムズの曲とチャイコフスキーとかってある。ところが、それはそれ、これはこれ、なんですよ、演奏が。だけど重要なのは、ミニマル系のリズムをはっきりした現代曲をアプローチした、そのリズムの姿勢のままクラシックをやるべきなんですよ。そうすると今までのとは違うんです。これやってるオケはひとつもないんですよ。それで僕はそれをやってるわけ。それをやることによって、今の時代のクラシックをもう一回リ・クリエイトすると。そういうふうに思いだしたら、すごく楽しくなっちゃって、やりがいを感じちゃったもんですから、一生懸命やってる(笑)。」

「(MC:久石譲指揮のベートーヴェン交響曲第7番・第8番を聴いたんですけど、もうロックなんですね、まさに) はははっ(笑)もしかしたら当時もこうだったんじゃないかっていう。今みたいに大きい編成じゃなくてね、非常に明快にやってたはずなんですよ。だから、ある意味ではベートーヴェンが目指したものを、今という時代にもう一回実現する方法として、長い間クラシックの人がいっぱい演奏してきたそのやり方を全部捨てて、新たな方法でやれれば一番いいかなとちょっと思いましたね。(ナガノ・チェンバー・オーケストラは)在京のN響・読響・都響・東フィル、全部の首席あるいはコンサートマスターがどっと集合してて、もうスーパー・オーケストラですね。ここで僕もすごく育ててもらったんだけど。すごくね毎回やっぱり怖いんですよね、イヤなこともあって。イヤなことっていうのは、たとえば自分のミニマルの現代曲とベートーヴェン一緒にやりますね、チャイコフスキーでもいいです。そうするとね、長い時代を経て生き残った曲って名曲なんですよ。もう本当に永遠の名曲。それに対して自分ごときの曲が一緒にやるってなった時に、ほんとにつらいですよね。うあ、すまないなあって気持ちにいつもなるんですよ(笑)。逆にいうと、作曲家としてもっとがんばれよっていう、ほんとにそう思いますよね。」

-ワールド・ドリーム・オーケストラは?

久石:
「今年は『千と千尋の神隠し』やったりしますね、はじめて、本格的に。ワールド・ドリーム・オーケストラは新日本フィルさんとやってるやつなんですけど、これはもうベージック・エンターテインメントなんですよ。ですから映画だったり、それからやっぱり前半にはいくつかこういう音楽もあるんだよというのをお客さまに見てほしいから、ちょっとミニマル的なものがある。でもトータルでいうと、これはエンターテインメント。で、ミュージック・フューチャーは、アメリカ系のミニマル・ミュージックだとか、ニューヨークなんかすっごい若くて優秀な人大勢いるんだが、まったく日本では演奏されないんですよ。そういう曲を日本で初めて演奏したりとか、それを通じてそれを演奏できる人を日本で育てなきゃいけないと思って。」

(書き起こし)

 

 

◇第4回:8月26日 ~人の育て方について~

-人を育てるアプローチとは?

久石:
「一緒に考えるということですよね。たとえばミニマル系の現代曲をといっても、実は譜面どおりに弾くなら日本の人はうまいんですよ。すごくうまいんですよ、その通りに弾く。たぶん外国のオケよりもうまいかもしれない。だが、それを音楽にするのがね、もう一つハードル高いんですよね。たとえば、非常にアップテンポのリズムが主体でちょっとしたズレを聴かせていくってなると、リズムをきちんとキープしなければならない。ところが、このリズムをきちんとキープするっていうこと自体がすごく難しいんですよ。なおかつオーケストラになりますと、指揮者と一番後ろのパーカッションの人まで15メートル以上離れてますね。そうすると、瞬間的にザーンッ!だとかメロディ歌ってやるのは平気なんだが、ずっとリズムをお互いにキープしあわないと音楽にならないっていうものをやると、根底からオーケストラのリズムのあり方を変えなきゃいけなくなるんですね。もっとシンプルなことでいうと、ヴァイオリンを弾いた時の音の出る速度と、木管が吹くフルートならフルートが吹く音になる速度、ピアノはもう弾いたらすぐに出ますね、ポーンと出ますよね。みんな違うんですよ。これをどこまでそろえるかとかっていう。これフレーズによってもきちっとやっていかなきゃいけない。ところがこれって、そういうことを要求されてないから一流のオケでもアバウトなんですよ。だからミニマルは下手なんです。で、結局これって言われないと気がつけませんよね。0.0何秒でしょうね。こういうふうにもう全然違っちゃうんですよ。そういうことを要求されたことがない人たちに、いやそれ必要なんだよって話になると、自分たちもやり方変えなきゃいけなくなりますよね。で、その経験を積ませないと、この手の音楽はできない。ということを、誰かがやってかなきゃいけないんですよ。と思って、それでできるだけ、日本にもそういう人がいるっていうのを育てなきゃいけない、そういうふうに思ってます。」

「でね、これはリズムの話で今こういう話をしました。もう一つあるんですよ。たとえば日本の優秀なオーケストラでやってても、すごく宮崎さんの映画音楽のようなシンプルなもの、彼らなら楽に弾けます。ところがね、そういう音楽は中国のオーケストラだったりヨーロッパのオーケストラのほうが上手いんですよ。歌うんですよ。先週か先々週、伊右衛門の話がでましたね。「タリラリラ~ラリラ~リラ~」(出だしのメロディ)というのを、日本のオーケストラはそこそこ上手いです。ほんとにリズムも縦もちゃんと合うし。ところが中国のオケでやったときに、ほんとにリズム悪いし、もうほんとに指揮棒投げつけて帰ろうかなと思うぐらいに下手なんだが。2、3日のリハーサルの後「タリタリラ~」って歌ったのが、ほんとにこう中国の黄河が流れてるように、メロディが大っきいんですよ。これ指導してできることじゃないんですよ。そうすると、あっやっぱりこう大きい国で育ったこの人たちの大きいなにか出ちゃうんだなあ。と思うと、うーん音楽ってむずかしいって思っちゃうんですよね。その瞬間って、日本は何をしてきたんだろうって思っちゃうんですよ。教育が、音楽をする喜びとか、なにか歌うってこういうことだ、みたいなことの前に、縦をそろえなさい音程をそろえなさい絶対音があったほうがいいよとかさ、いろいろやってきた教育は一体何をしたんだって、思いません? (辻井:思います。ピアノだったらもう絶対ハノンとバイエルからっていう。もう決まりがありすぎですよね。) ありすぎます。そうすると、大半の人はその段階でめげてやめちゃいますよね。 (辻井:はい、私もそうでした。バイエルでも挫折して。ですから、息子にはバイエルさせなかったです。) 偉い!そりゃ素晴らしいですね。これはお世辞でもなんでもなくて、伸行くんがいい点は、彼音出す喜びが絶えずあるんですよ。これが日本の演奏家に少ないんです。音が出た瞬間から、さっき音楽になるっていう言い方しました、音が出ることの喜びみたいなもの僕らに伝わるんですね。で、オーケストラも実はそうでなきゃいかん!、のだがあ、足りないんですよ。」

「そう、5月の頭に香港フィルハーモニー、香港フィルって非常に優秀なオケで半分以上は白人系の外国人なんですね。だからヨーロッパのオケですね、基本。でここがアンコールでやったトトロがね、もう今までやったなかのベストでしたね。もうあの、僕が書いた譜面が音になるんじゃなくて、もう別ものなんですよ、生きてて。うあ!そこまでいくんだ!みたいに。もうこっちは指揮しながら、こんな楽しいことないなあ、って思えた。なんかそういうことを一緒に体験していけたらいいかなあ、とかって思ってますね。」

-作曲家としてはどうですか?

久石:
「僕は全部ひとりで自分でやってきたと思ってるんで。ちゃんとした先生についてるとは思ってない。ただ一番良かったのは、音大で島岡譲先生って和声の理論で世界的な権威なんですけど、この人はがちがちな理論家ですから、そのがちがちの理論家から教わったことっていうのは、自分のなかでも実は今でもあります。理論は絶対理論としてやんなきゃいけない。で、それから感覚でやる部分の作曲っていうのを、だから基本ができてなかったらムードでやるなってことですかね。それはすごい教わったね。」

(書き起こし)

 

 

 

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