Blog. 「崖の上のポニョ サウンドトラック」(LP・2021) 新ライナーノーツより

Posted on 2021/05/24

2021年4月24日、映画公開当時はLPでは発売されていなかった「崖の上のポニョ」「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」の3作品に、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売されました。各サウンドトラック盤には、前島秀国氏による新ライナーノーツが書き下ろされています。時間を経てとても具体的かつ貴重な解説になっています。

 

 

宮崎駿監督と久石譲のコラボレーション第9作目『崖の上のポニョ』は、それまで2人が築き上げてきた方法論の集大成的な作品と位置づけることが出来る。スコア全体の出発点となっているのは、『となりのトトロ』と同様、宮崎監督が希望した「誰もが口ずさめる歌」であり、宮崎監督との音楽打ち合わせから生まれた楽曲(ヴォーカル曲6曲とインストゥルメンタル4曲)が、まずは『崖の上のポニョ イメージアルバム』として録音された。その後、改めて本盤に収録されているサウンドトラックの作曲と録音が行われている。

ヴォーカル・パート以外に3管編成のオーケストラと混声4部合唱を要する巨大な編成で演奏された『崖の上のポニョ』の音楽は、疑いもなく日本映画音楽史上最大規模を誇るスコアのひとつであり、実際、本作の組曲が2008年8月開催のコンサート『久石譲 in 武道館』で世界初演された時は、マーラーの《千人の交響曲》世界初演時の編成を凌ぐ1160余名の大編成で演奏された。また、藤岡藤巻と大橋のぞみが歌ったエンディング主題歌は、2008年7月21日付オリコンデイリーシングルランキング第1位、同年8月4日付から4週連続でオリコン週間シングルランキング第3位を記録し、藤岡藤巻と大橋がNHK紅白歌合戦出場を果たすなど、『崖の上のポニョ』の音楽はひとつの社会現象となった。

さらに、映画公開時に久石が受けた取材のコメント、すなわち「(『崖の上のポニョ』は)死後の世界、輪廻、魂の不滅など哲学的なテーマを投げかけている。でも、子供の目からは、冒険物語の一部として、自然に受け入れられる。この二重構造をどう音楽で表現するかそこからが大変でした」(2008年7月30日付読売新聞インタビュー)は、現在ではこの作品を評する上で必ずと言っていいほど引用される、最も重要な発言のひとつとして知られている。

このように『崖の上のポニョ』は音楽的、社会的、文化的にも大きなインパクトを与えた作品として記憶されているが、なぜ、本作の音楽がこれほどの成功を収めたのか、さらには久石が実際に「二重構造をどう音楽で表現」したのか、それを解き明かした論考は、現在に至るまでひとつも存在しないと言っても過言ではない。本解説は、公開当時から現在に至るまで必ずしも充分に探査されているとは言えない深海、すなわち『崖の上のポニョ』のスコアという深海に潜水を試みた、ささやかな記録である。

まず強調しておきたいのは、有名な主題歌を書き下ろす最初の段階から、久石がきわめて論理的な作曲アプローチを貫いていたという点である。これに関しては、久石自身が本作の作曲着手から約1年が経過した2007年夏に執筆したエッセイが存在するので、それを引用する。

”宮崎さんとの最初の打ち合わせは昨年の秋(=2006年秋)だった。「子供から大人まで誰もが口ずさめるような歌を作ってほしい」という依頼だった。そのとき最初に浮かんだのは、「となりのトトロ」の「さんぽ」を作曲したときのことだった。声を張り上げて元気に歌える曲を、という依頼だったと思うが(20年前のことなので不確かだが)今回も同じ世界観なのだろうか? と考えた。「さんぽ」は幸運なことに最初の打ち合わせのときに、「あるこう あるこう わたしは げんき」のメロディが浮かんだ。密かに絵コンテの裏に5線を引いて書きつけた覚えがある。絵本『ぐりとぐら』で知られる児童文学作家の中川李枝子さんが書いた詞、その言葉の持つ力強さが自然にメロディを喚起したのだと思う。(中略)ところが、「となりのトトロ」から20年経った今、新しいアプローチでこの作品に挑もうと思った矢先、本当に幸運なことに今回もメロディが浮かんできたのである。それも宮崎さんと鈴木(敏夫プロデューサー)さんの目の前で。「ポニョ」という言葉は新鮮で独特のリズムがある。”ポ”は破裂音で発音時にアクセントが自然につくし”ニョ”へはイントネーションが下降しているので、メロディラインも上昇形ではなく下がっていくほうが自然だ。基本的にボクは言葉のリズムやイントネーションには逆らわない方法をとる。(中略)「ポニョ、ポニョ、……」と何度か呟いているうちに自然にメロディの輪郭が浮かんできた。もちろんこの2音節だけではサビのインパクトには欠けるので何度か繰り返す方法をとった。(中略)和音の進行もシンプルなものを使用することにした。(中略)後はリズムなのだが、それは先ほど書いたように言葉のイントネーションを採用する。” (久石譲「今、誰もが”口ずさめる歌”をつくるということ」 スタジオジブリ『熱風』2007年8月号)

このような論理的なアプローチに裏打ちされていたからこそ、主題歌のメロディを「誰もが口ずさむ」ことが可能となり、その結果、あれだけの大ヒットに繋がったという点を見逃してはならないだろう。

歌に関してはもう1曲、より声楽曲的なアプローチで書かれたオープニング主題歌《海のおかあさん》が、本作の世界観を構築する上できわめて重要な役割を果たしている。その作曲については、久石が本作の初号試写を鑑賞した直後、筆者との取材に応じた記録があるので、以下にご紹介する。

”日本で”海”の歌というと、「♪うみはひろいな 大きいな」の童謡くらいしか頭にパッと思い浮かびませんよね。宮崎監督との最初の打ち合わせの段階で、監督が「なにかもうちょっと、文部省唱歌じゃない”海”の歌が日本にもあってもいいですよね」という話をされていたので、「では、何かそういうものをひとつ作りましょうか」と。覚和歌子さんの詩をもとにしたイメージ・ポエムを宮崎監督から頂いた時に、”海”の詩に近いものがあったので、それを用いて作曲したのが《海のおかあさん》なんです。でも、これを普通のポップス歌手に歌わせても、あまり面白くない。そこで「今回は、ちょっとクラシックのテイストもアリですよね」と宮崎監督にお断りしてから、ソプラノ歌手の林正子さんに歌っていただいたら、すごく良かったんです。もともとはイメージアルバムに収録する予定だったのですが、曲を聴いていただいた鈴木(敏夫)プロデューサーの独特の嗅覚で、「映画でこの曲が出ると、凄いぞ」と。そこで、ソプラノの歌をオープニング主題歌で使うことが決まり、イメージアルバムでは敢えてヴァイオリンのインストゥルメンタル版を収録したんです。「こんなことは今まで誰もやっていないぞ」という意外性を演出するために、ソプラノのことは公開ギリギリまで伏せていた感じですね。” (2008年6月25日の筆者との取材)

これら2つの歌、すなわち《崖の上のポニョ》(ポニョのテーマ)と、《海のおかあさん》(グランマンマーレのテーマ)を主軸としながら、本作のスコアはオーケストラというパレットから豊かな色彩を存分に引き出した、正統的なクラシックの音楽語法で作曲されている。これに関しても、久石は非常に論理的なアプローチを貫いているので、再び久石との取材記録を引用する。

”簡単に言うと、この作品の内容はピュアなラブストーリーです。人間がある程度年齢を積み重ねながら、いろいろな経験をしていくと、「本当はこうだけど……」とか、いろんな思いが錯綜していきます。ところが、5歳ぐらいの子供というのはそういうものが全くない。「好きは好き」と、ポーンと気持ちを出すわけです。その潔い感じが、今回、宮崎監督がどうしても描きたかった部分のひとつだと思うんですね。では、そういう場合に音楽はどうするか? 音楽って、人間の気持ちが揺れ動いているときに一番入りやすいんです。例えば「好き」といったら、どういう感じで好きなのか、その感情のヒダを出すために音楽が効果を発揮します。だけど、この作品の主人公たちは果汁100%のジュースみたいなものだから、気持ちが揺れていない。つまり、葛藤というものがないんです。これほどストレートな”直球”だと(音楽でヒダを表現しようとしても)あんまり意味がないんですよ。もうひとつ、この映画で圧倒的に凄いのは、どのシーンを見てもムダなカットがひとつもない。つまり、本当に必要な長さだけを、必要な配分できっちり徹底的に切り詰めて作っている作品なんです。こういう場合は、音楽を相当激しく書いて、映像とぶつかっていっても大丈夫です。つまり、抑えて抑えてという書き方よりは、作曲家としてある程度やりたいことを全部出して映像にぶつけていかないと、かえって音楽が足を引っ張る恐れがある。そこで、音楽を書くための方法論としては、純正なクラシックのスタイル、つまりエスニックや(シンセサイザーのような)飛び道具を使わず、クラシックの王道という”直球”だけで極力行けるところまで行くことにしました。宮崎監督は、どちらかというとフランス印象派的な音楽の扱い方はあまりお好きではないので、こちらもずっと避けてきた部分でもあるのですが、今回は”海”を舞台にしたファンタジーですし、これだけイマジネーション豊かな世界が展開しますからね。今日、初号試写を見たら、単音でメロディを鳴らしているところから、オーケストラがすごく分厚いところまで、非常にヴァリエーションが豊かなので、その起伏の大きさがこの作品ではうまくいったと実感しています。” (2008年6月25日の筆者との取材)

以上のような方法論で作曲されたスコアは、あたかもそれ自体が”海”であるかのようにドラマティックなうねりを生み出しながら、物語の中で重要な役割を果たすいくつかのテーマを海原の小舟のように運んでいく。「ポニョのテーマ」と「グランマンマーレのテーマ」に関してはすでに触れてきたので、それ以外のテーマと、対応する本盤収録曲を以下に列挙する(テーマ名は、筆者が暫定的に付けたもの。「」はテーマ名、《》は本盤収録曲を示す)。

「宗介のテーマ」
「ポニョのテーマ」と共に、本作の物語を担っていくテーマ。《ポニョと宗介》の中で「ポニョのテーマ」の対旋律として初めて登場した後、《からっぽのバケツ》《ポニョと宗介 II》《ディプノリンクスの海へ》《宗介の航海》《宗介のなみだ》《いもうと達の活躍》で登場し、シーンの状況に応じてヒロイックに鳴り響いたり、あるいは(《ポニョと宗介 II》に聴かれるように)旋律の一部が断片的に展開されたりする。特に最後の《いもうと達の活躍》の前半部においては、「宗介のテーマ」に基づく勇壮なファンファーレとコーラスがバレエ音楽のクライマックスのように活躍し、本作が宗介の壮大な冒険物語として閉じる結末を予告している。

「リサのテーマ」
イメージアルバムおよび本盤で《発光信号》として演奏されているテーマで、《リサの家》や《リサの決意》でも登場する。物語終盤に混声4部合唱で歌われる《母の愛》が端的に示しているように、母親としてのリサの愛情を表現した美しいテーマである。

「フジモトのテーマ」
イメージアルバムでは藤岡藤巻が歌っていた《フジモトのテーマ》。本編では《浦の海》で最初に登場する。さらに《フジモト》では、木管楽器のソロをユーモラスに用い、どこか間の抜けた楽曲として演奏される。

「いもうと達のテーマ」
イメージアルバムで女性コーラス・グループのリトルキャロルが歌っていた《いもうと達》のオーケストラ・ヴァージョン。お姉ちゃん、すなわちポニョに対する愛情をストレートに表現したテーマ。

「ポニョの子守唄」
イメージアルバムでは大橋のぞみが歌っていた《ポニョの子守唄》を、オルゴールを思わせるチェレスタなどで演奏したもの。

「海のテーマ」
イメージアルバムで《サンゴ塔》として演奏されていたテーマ。本編冒頭の《深海牧場》、グランマンマーレが初めて姿を現すシーンの《グランマンマーレ》、《母と海の讃歌》のコーダ部分、そして《いもうと達の活躍》の後半部に聴くことが出来る。大海原と深海の神秘を表現したテーマであると同時に、グランマンマーレを表現したもうひとつのテーマでもある。

「船団マーチ」
海軍マーチと大漁節の2つの性格を併せ持つ。歌詞こそ付いていないが、人間(主として海洋で働く男性たち)が海を崇め奉る勇壮な歌、という側面を持っている。

「ひまわりの家のテーマ」
イメージアルバムでは麻衣が歌うヴォーカル曲《ひまわりの家の輪舞曲》として収録されていたテーマ。本編においては、木管セクションのニュアンス豊かな表現が印象的な《嵐のひまわりの家》と、麻衣がヴォカリーズで歌った《水中の町》の形で登場する。メイキングビデオ『ポニョはこうして生まれた。~宮崎駿の思考過程~』をご覧になったリスナーならば、宮崎監督が《ひまわりの家の輪舞曲》を何度も聴き返しながら、「♪おむかえは まだ来ないから その間に 一寸だけ歩かせて」という歌詞(作詞は宮崎監督)に涙ぐむ場面をご記憶だろう。このように、《ひまわりの家の輪舞曲》には明らかに死を意識した心境が反映されている。ただし、本編で流れる《水中の町》においては歌詞を敢えて削除し、あたかもセイレーン──ギリシャ神話に登場する、甘美な歌声で船乗りたちを死へ誘う半人半鳥の怪物──が歌いかけるようなヴォカリーズにすることで、水没したひまわりの家が生の世界に属しているのか死後の世界に属しているのかわからないような、幻想的な表現を獲得している。

「生のものと火を通したもののテーマ」
本稿執筆時点でも適当なテーマ名が思い浮かばないので、人類学者レヴィ=ストロースの神話分析の名著『生のものと火を通したもの(Le Cru et le Cuit)』をもじってテーマ名を暫定的に付けた。久石の言う「二重構造」の秘密を解く鍵とも言える、非常に多義的な性格を備えたテーマである。

このテーマが最初に登場するのは《リサの家》の後半、すなわちテーブルの上に足を乗せたポニョが、人間とは思えないほど──この時点ではまだ人間になっていないから当然なのだが──自由に足の指を動かす場面である。同じトラックの最後、再びこのテーマが登場すると、ポニョはあたたかいハチミツミルクを──人間の宗介を真似しながら──飲み干す。つまりポニョは、食(正確には火を通した飲み物)を通じて初めて人間の文化を学んでいくのである。

さらにこのテーマがファゴットで導入される《船団マーチ》前半の場面では、赤ちゃんにスープを飲ませようとしたポニョが、そのままでは赤ちゃんが飲めないこと、つまりスープを飲んだお母さんのおっぱいとして赤ちゃんが栄養を摂取できると知る。つまりこのテーマは、ポニョが人間の文化や生態に触れることで、人間というものを体得していく過程を表現していると考えることが出来る。

たいへん驚くべきことに、このテーマは短3度の上行音程を繰り返す形で構成されている。なぜ驚くべきかと言えば、それは他ならぬ「ポニョのテーマ」の出だし──「♪ポーニョ ポニョポニョ」の最初の「ポーニョ」──が短3度の下行音程で書かれているからだ。それにならってこのテーマを記せば、「♪ニョーポー ニョーポー ニョポニョポー」ということになる。このことから、このテーマは、人間ならざるもの(=さかなの子)が人間になろうとしている過程を象徴したテーマと解釈することが可能だろう。

さらに興味深いことに、このテーマは《新しい家族》の後半部分、すなわち夫・耕一の身を案じるリサが庭先にアマチュア無線用のアンテナを立てるシーンでも流れてくる。「リサ みんな沈没しちゃったのかな」という宗介のセリフが示唆しているように、この時点では耕一が生の世界に属しているか死の世界に属しているのかわからない。つまり、生(=人間である)と死(=もはや人間ではない)の曖昧な境界の中で、耕一に再び生の世界への帰還を強く願う家族の絆、すなわち家族愛をも象徴していると言える(その意味では、家族のテーマと解釈することも可能である)。そうした家族愛を知ることも、人間になるための重要なステップのひとつなのである。

以上分析してきたように、本作のスコアは”歌”を出発点としながら、正統的なクラシックのスタイルと、キャラクターや事象や哲学的問題を象徴するテーマを用い、冒険物語と生命の神話の二重構造を表現した音楽と考えることが出来る。これに近い音楽表現が他に存在するとすれば、それは間違いなく、伝説や神話を題材にした交響詩や楽劇だろう。それほどまでに、壮大なスケールを持つスコアを、映画音楽という枠組みの中で実現してしまったところに、久石の並々ならぬ意欲と作曲家としての矜持が感じられるのである。

最後に、本作の製作中に宮崎監督が愛聴し、物語の中にも影響が現れているワーグナーの楽劇《ワルキューレ》について。

”実は、ポニョが津波に乗ってやってくるシーンのために書いた曲も出来上がっていたのですが、《ワルキューレ》で思い切り行きたいという宮崎監督の意向を尊重し、《ポニョの飛行》という曲を新たに書きました。もちろん、ワーグナーをそのままコピーする気はありませんし、あくまでも僕のオリジナルとして書いているのですが、このシーンに関しては、《ワルキューレ》のような世界観でガーンと行くような音楽を書かなければいけないと。” (2008年6月25日の筆者との取材)

本作が公開された2008年の時点で、ある作曲家が既存のクラシック作品を素材に用いながら、その作曲家のオリジナリティを発揮していくリコンポーズ(再作曲)という概念は、一般にはほとんど知られていなかった。それから10年以上が経過した現在の時点から聴き直せば、《ポニョの飛行》が他ならぬ《ワルキューレ》のリコンポーズだということに気がつくはずだ。このように、既存のクラシック曲を宮崎作品の世界観に即した形で書き改めていく手法は、本作公開の2年後に宮崎監督が発表した短編『パン種とタマゴ姫』において、久石がヴィヴァルディの《ラ・フォリア》をリコンポーズしたスコアでさらなる実験が試みられることになる(文中敬称略)。

2020年12月6日、久石譲の誕生日に
前島秀国 サウンド&ヴィジュアル・ライター

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

崖の上のポニョ/サウンドトラック

品番:TJJA-10032
価格:¥4,800+税
※2枚組ダブルジャケット
(SIDE-A,B,Cに音楽収録 SIDE-C裏面はキャラクターのレーザーエッチング加工)
(CD発売日2008.7.16)
音楽:久石譲 全36曲

新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏に加え、本作では栗友会合唱団による大編成のコーラスが加わり、“海と生命”をダイナミックに表現している。林正子、藤岡藤巻と大橋のぞみの主題歌も収録。

 

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