Blog. 「君たちはどう生きるか」(LP・2024)新ライナーノーツより

Posted on 2024/09/15

2023年7月公開スタジオジブリ作品『君たちはどう生きるか』のサウンドトラックがいよいよアナログ盤で発売!ジャケットの絵柄も新しく、書き下ろし解説には、英文も掲載。アナログ盤ならではの音をお楽しみください。

全37曲 ダブルジャケット2枚組
三つ折りライナー、前島秀国氏の解説(日本語・英語)掲載。

Ⓒ2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli

(メーカーインフォメーションより)

 

 

『君たちはどう生きるか』サウンドトラック
ライナーノーツ

前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)

 宮﨑駿監督と久石譲のコラボレーション最新作『君たちはどう生きるか』(2023、英語タイトルは『The Boy and the Heron』)は、両者が初めてタッグを組んだ『風の谷のナウシカ』(1984)から数えて11本目の劇場用長編映画、前作の『風立ちぬ』(2013)以来10年ぶりの顔合わせとなった作品である。映画監督と作曲家が約40年もの長期間にわたってコラボレーションを継続している例は、スティーヴン・スピルバーグ監督とジョン・ウィリアムズのコンビをのぞいて世界的にほとんど例がないし、そのスピルバーグ作品でさえ、いくつかの映画ではウィリアムズ以外の作曲家が音楽を手がけている。ひとりの映画監督が40年にわたって作り上げてきたすべての長編映画のスコアを、たったひとりの音楽家が作曲し続けている例は、映画音楽史上ほとんど皆無だと言っていいだろう。その事実ひとつだけに注目してみても、『君たちはどう生きるか』はまさに驚嘆に値する作品だと言える。しかしながら、この作品の真の凄さは、宮﨑監督と久石の継続性そのものにあるのではない。今回の作品を手がけるにあたり、宮﨑監督と久石はこれまでふたりが確立してきた方法論をほぼ完全に放棄した。つまり『君たちはどう生きるか』の音楽は、『風立ちぬ』までの宮﨑作品とは大きく異なるアプローチで作られているのである。宮﨑監督と久石ほどの業績を残している芸術家が、これまでの比類なき業績に胡座をかくことをせず、なおも新たな方法論を模索しチャレンジしていく姿に、筆者は何よりも深い感銘を受けた。この作品の音楽そのものが、映画のタイトル『君たちはどう生きるか』が投げかけている問いかけのひとつの解答なのではあるまいか。

 久石のファンならすでにご存知のように、『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』までの宮﨑監督の長編映画においては、映画本編の制作中から宮﨑監督と久石が音楽打ち合わせを開始し、宮﨑監督から提示されたコンセプトやキーワード、それにストーリーボード(絵コンテ)を参照しながら、久石がいくつかのテーマを作曲していくことで、音楽制作が開始されるのが通例だった。その段階で作曲されたテーマのほとんどは、最終的に完成した映画本編のスコアの中でも大きな役割を果たすことになる。しかしながら、その前にもうひとつ重要なプロセスを踏んで音楽が練り上げられるのが、これまでふたりが培ってきた方法論の非常にユニークな点である。具体的に説明すると、久石は本編のためのスコアの作曲に着手する前に、それらのテーマを用いて宮﨑監督の世界観を表現したイメージアルバム(一種のコンセプト・アルバム)をあらかじめ録音し、映画の公開日よりかなり前のタイミング(短い場合で公開日の約2ヶ月前、最長で1年前)でそのイメージアルバムをリリースする(『風立ちぬ』の時は諸般の事情でイメージアルバムのリリースが見送られた)。その後、映画が完成段階に近づくと(通常は映画公開日の約2ヶ月前)、久石が本編の尺に合わせて作曲したスコアを録音し、最終的にサウンドトラックの音楽が完成する。つまり、久石は『崖の上のポニョ』(2008)までの宮﨑作品の音楽を担当するたびに、作曲の作業を事実上2回おこなってきたことになる。そうした複雑な手順を踏むことで、当然のことながら音楽もそれだけ完成度の高いものに仕上がるわけだが、非常に興味深いのは、イメージアルバムの存在が宮﨑監督の作画にも影響を与える場合が少なからずあったという点である(宮﨑監督作品の制作過程を撮影したドキュメンタリー番組などで、宮﨑監督がイメージアルバムを聴きながら作画する様子がたびたび描かれている)。そして忘れてはならないのが、『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』(1986)でプロデューサーを務め、この2作品で(宮﨑監督の負担を減らすために)イメージアルバムを土台にしながら久石と共に音楽の構成を練り上げていった高畑勲の存在である(高畑はクラシックの譜面が読めるほど音楽に精通していたので、具体的なやりとりが詳細をきわめたと久石は回想している)。

 以上、これまでの宮﨑監督と久石が築き上げてきた方法論を簡単にまとめたが、先述のように、今回の『君たちはどう生きるか』においては、その方法論がほぼ完全に放棄されることになった。本作の具体的な作曲過程に関しては、『熱風』2023年10月号および『君たちはどう生きるか』公式ガイドブックに掲載されたインタビューの中で久石本人が詳細に述べているので、その要点を以下に紹介する。

 2021年11月、久石は宮﨑監督から『君たちはどう生きるか』の作曲を正式に依頼されたが、翌年の夏ぐらいまでにほぼ映像ができあがる予定なので、それを先入観なしに観てほしい、それまでは絵コンテも読まないほうがいいと宮﨑監督から伝えられ、映画の内容に関する具体的な話は出なかった。次に久石が宮﨑監督と会ったのは年明けの2022年1月5日、すなわち宮﨑監督の誕生日である。毎年、久石は監督への誕生日プレゼントとしてピアノ曲を作曲・録音し、それを本人に届けるのが恒例となっているが、2022年の誕生日プレゼントとして書かれた新曲《Ask me why》を久石から贈られた宮﨑監督はこの曲を大変気に入り、宮﨑監督の希望でこの映画のテーマ曲に用いられることになった。それから7ヶ月後の同年7月7日、久石はようやく本編映像の試写に臨み(その段階で映像は95%以上完成していたという)、本作の内容を初めて知る。しかしながら、これまでの作品で必ずおこなわれてきた宮﨑監督との音楽打ち合わせはいっさいなく、「あとはよろしく」の一言だけで久石は宮﨑監督から音楽の作曲を一任された。試写で受けた衝撃を消化するのに数ヶ月を要した久石は、海外ツアーの合間にデモ曲の作曲に着手すると同時に、これまで宮﨑監督の誕生日プレゼントとして作曲したピアノ曲のいくつかをサウンドトラックに用いるという決断をした。11月15日、久石は映画の主要なシーンに10曲ほど仮付けしたものを宮﨑監督と鈴木敏夫プロデューサーに聴かせ、両者の了承を得る。そして11月後半から本格的な作曲作業に入り、翌2023年1月21日からオーケストラの収録がスタートし、その後まもなくサウンドトラックが完成した。

 つまり『君たちはどう生きるか』の音楽は、久石がイメージアルバムの制作で音楽のコンセプトを明確にしてから実際のサウンドトラックに着手するという、これまでの宮﨑作品の作曲に見られた手順をすべて省略し、ほぼ完成した映像に対して久石がいきなりスコアを作曲するという手法で作られている。ある意味では、通常の長編映画の作曲の手法にも近いと言えるが、だからと言って、世の中にありふれているような映画音楽のスタイルに近くなったかと言えば、むしろ逆である。久石はこの作品に見合うだけの高い音楽性を担保するため、つぎの2点に留意しながらスコアを作曲している。

(i)主人公・眞人が暮らす現実世界すなわち「上の世界」を描いた前半部と、眞人が足を踏み入れた塔の中で体験する「下の世界」を描いた後半部で映画の内容が大きく変わるので、前半部の音楽は眞人の心情に寄り添う形でピアノ・ソロもしくはピアノ・トリオのような最小限の編成で音楽を付け、後半部に入ってから初めてオーケストラを使用する。かつ、前半部も後半部もミニマル・ミュージックのスタイルを用いて作曲し、スコア全体の統一感を生み出す。

(ii)これまで久石が宮﨑監督の誕生日プレゼントとして書いたピアノ曲(いくつかはジブリ美術館のBGMとして使用されている)を本編の音楽に用いることで、映像と音楽が対等の関係を結ぶような効果を生み出す。音楽用語のアナロジーを用いれば、画と音がユニゾンでべったり進んだり、どちらかがホモフォニカルに従属したりするのではなく、ポリフォニックな関係によって互いの存在を引き立たせるということである。その際、宮﨑監督の画に対するカウンターポイントとして対置される久石の音楽は、もともと久石が宮﨑監督を念頭に置いて作曲した曲なので、宮﨑監督の自伝的要素が少なからず含まれる本作の内容から著しく逸脱することはない。そして、スタンリー・キューブリック監督が『2001年宇宙の旅』(1968)でクラシックの既成曲を選曲て大きな効果をあげたように、久石自身がそれらのピアノ曲を選曲し、スコアの中で使用することで、映像と音楽が織りなす予想外の対位法的効果をもたらすことができる。

 本盤に収録された『君たちはどう生きるか』のスコアを聴くにあたっては、これまで述べてきた解説以上の情報は、おそらく不要だろう。『君たちはどう生きるか』という映画が全編にわたって暗喩的・象徴的・多義的な表現がこめられている以上、リスナーは誰かの考察に頼ることなく、自分自身で久石の音楽が意味するところを考え、咀嚼し、味合うべきであるし、それがこの音楽に最もふさわしい鑑賞法ではないかと思う。以下に記す楽曲解説は、あくまでも筆者という映画の一観客の拙い考察であって、作曲者自身の公式見解ではない。それどころか、久石の作曲意図と大きく食い違っている可能性も高いので、それをあらかじめお断りしておく。

 

I.既存の楽曲から選曲された音楽

《Ask me why(疎開)》《Ask me why(母の思い)》《Ask me why(眞人の決意)》

 上述のように久石が本編の試写を観る前、すなわち2022年1月はじめに宮﨑監督の誕生日祝いとして書かれた楽曲で、宮﨑監督の希望により、映画全体のメインテーマとなった。曲のイメージのインスピレーションは宮﨑監督に由来しているが、久石がインタビューで述べているところによれば、本編の内容と全く関係ない形で作曲したわけではないという。曰く、「宮﨑さんが新作の制作に入ってからは、青サギが出てくるらしいということやインスピレーションを得た小説の話などは知っていましたが、具体的な内容はわからないけど、ちょっと心に引っかかりを持った少年の話になるみたいだと聞いてはいたんですね。頭にそれがあるから、5日に曲を書くとき、素直に宮﨑さんに聴いてもらいたいとい気持ちと同時に、そのイメージが入ってくるんですよ、なんとなく」。この《Ask me why》は、久石自身が述べているように”眞人のテーマ”の役割を担っているが、それにもかかわらず、本編の中ではわずか3回しか登場しない。すなわち《Ask me why(疎開)》は「戦争の3年目に母さんが死んだ」という眞人のセリフが入るシーン、《Ask me why(母の思い)》は母が残した吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』を眞人が偶然発見し、それを読み進めるうちに涙を流すシーン、そして《Ask me why(眞人の決意)》は「君の塔を築くのだ、悪意から自由な王国を…」という大伯父の懇願に対し、眞人が「夏子母さんと自分の世界に戻ります」と拒否の意思を示すシーンとなっている。このテーマの旋律が初めて完全な形で演奏されるのは《Ask me why(母の思い)》のシーンだが、そのシーンはこの映画のタイトル、すなわち『君たちはどう生きるか』と直接結びついている。

 

《祈りのうた(産屋)》

 原曲は2015年1月5日、すなわち宮﨑監督74歳の誕生日に献呈されたピアノ曲《祈りのうた》で、もともとは三鷹の森ジブリ美術館のBGMとして作曲された。同年夏に開催された久石指揮新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)のツアーで初演され(本盤と同じピアノ、弦楽合奏、チューブラーベルズのためのヴァージョンで演奏された)、その際、「Homage to Henryk Górecki(ヘンリク・グレツキへのオマージュ)」という副題が附された。その副題が暗示しているように、《祈りのうた》は久石が(ポーランドの作曲家グレツキの音楽で知られる)ホーリー・ミニマリズムの様式を強く意識して作曲し、東日本大震災の犠牲者追悼の意味を込めた作品である。曲の構成は、ピアノだけで演奏される主部、弦楽器が加わった中間部、そして主部の再現という三部形式で作られているが、中間部の終わりに聴こえるチューブラーベルズは弔鐘、つまり追悼の鐘にほかならない。出産を控えた夏子と眞人が産屋で再会するシーンにおいては、そのチューブラーベルズが鳴り響く瞬間、音楽は感情的に最も激しいクライマックスを迎えるが、そのシーンの映像と《祈りのうた》の音楽が生み出す、いわば”生”と”死”が隣り合わせになった凄絶な表現は、もはや筆舌に尽くしがたい。

 

《聖域》《墓の主》《別れ》

 宮﨑監督の誕生祝いとして書かれた《祈りのうたII》(2016)が原曲。本編のスコアにおいては、眞人が降りていく「下の世界」のテーマとみなすことができる。エストニアの作曲家アルヴォ・ペルトに代表されるティンティナブリ様式(鈴鳴り様式、鐘鳴り様式)の三和音の分散音型で書かれており、ゆるやかな3拍子のリズムと合わさり、永遠に回転運動を続けていくような印象をもたらす。その独特な時間感覚が、「下の世界」を支配する時間の流れ、つまり現実の「上の世界」とは異なる時間の流れを象徴していると考えることができる。

 

II.なんらかのテーマと見なしうる音楽

《青サギ》《青サギII》《青サギIII》《青サギの呪い》

 これら4曲は、いずれも青サギを表す短いモティーフに基づいて書かれている。最初の《青サギ》に聴かれるように、このモティーフはミと4度下のシのたった2音だけで構成されているので、実際の青サギの鳴き声を模したわけではないにせよ、鳥の鳴き声のような音型で青サギを象徴していると考えることができる。映画の前半部において、この2音のモティーフは青サギが登場するたびに反復され、伴奏が付加され、オーケストレーションが厚みを増していく。したがって、これら4曲を続けて聴けば、それ自体がミニマル・ミュージックのような展開で作曲されていることに気づくだろう。しかも興味深いことに、この青サギのモティーフは、青サギが塔の中でサギ男として正体を現してからは全く登場しなくなる。言い換えれば、最終的に眞人の友達になるサギ男のキャラクターと、青サギのモティーフはいっさい関係を持たない。あくまでも塔の中に眞人を誘う不気味な存在としての青サギのテーマと捉えるべきである。

 

《火の雨》《炎の少女》《回廊の扉》

 ヒミのテーマに基づく音楽だが、女声コーラスの歌声(歌唱は麻衣&リトルキャロル)が端的に示しているように、母性そのものを象徴した音楽と捉えるのが自然である。

 

《大伯父》《大伯父の思い》《大崩壊》

 大伯父の比類なき存在感を、ピアノの厚い和音で表現したテーマ。場面の状況に応じて伴奏音型が加えられるが、大伯父をピアノの和音で象徴する作曲コンセプトは3曲とも同じである。このテーマで注目すべきは、大伯父を表す和音の動きが、《Ask me why》、すなわち眞人のテーマの冒頭で弾かれるピアノの和音をかすかに連想させるという点である。つまり、眞人と大伯父はキャラクター設定の上でも音楽の上でも、文字通りの血縁関係で結ばれた存在と解釈することが可能である。

 

《ワラワラ》《転生》

 本作のスコアの中でもとりわけユーモラスな音楽として書かれた、ワラワラのテーマ。日本の観客ならば、メロディの曲調から日本の伝統的な「わらべ歌」を即座に連想するであろう。宮﨑監督がワラワラというキャラクター名を「わらべ」から発想したと仮定するならば、久石がそのテーマとして一種の「わらべ歌」を作曲したのは、非常に納得がいく。メロディの合間に聞こえてくるサンプリング・ヴォイスの掛け声も、おそらくはこの曲の「わらべ歌」な性格を強調するための隠し味であろう。ベートーヴェンの《月光ソナタ》を思わせるアルペッジョで始まる《転生》は、《ワラワラ》と全く異なる詩情豊かな音楽として書かれているが、熟したワラワラたちが夜空に飛び始めると、ワラワラのテーマが断片的に聴こえてくる。

 

《黄昏の羽根》《回顧》

 これら2つのミステリアスな曲は、オーケストレーションの違いを除き、実質的に同じ音楽として書かれている。比較的小さな編成で書かれた《黄昏の羽根》は、眞人が初めて塔の中に足を踏み入れるシーンの音楽。そして、より厚みのあるオーケストラで演奏される《回顧》は、眞人の父・勝一がばあやのひとりから塔の正体を教えられるシーンの音楽。つまり、塔のテーマとみなすことができる。

 

《矢羽根》《急接近》

 いずれも、眞人が折畳式ナイフで工作をするシーンで流れてくる。流れるような3拍子で書かれた軽やかな曲調が、工作に熱中する眞人の純真さを表現していると解釈することも可能だが、ここで注目すべきは、《矢羽根》が流れてくるシーンにおいては眞人が青サギを仕留めるために矢羽根を作っているのに対し、《急接近》のシーンでは飛べなくなったサギ男の窮状を救うため、眞人が嘴に空いた穴(眞人が放った矢が原因)を塞いでやるというように、同じテーマが使われていてもシーンの状況が真逆に変化しているという点である。そうした点を踏まえると、実は眞人と青サギの友情(の芽生え)を表現したテーマのようにも思われる。

 

a.《追憶》《静寂》および
b.《陽動》《巣穴》《隠密》《大王の行進》

 実はこれら6つの楽曲に、本作の謎めいた象徴表現を読み解く重要な鍵が隠されていると、筆者は考えている。便宜的にa.とb.のふたつのグループに分けて分析していくと、まずa.の《追憶》と《静寂》は、いずれも眞人が自室のベッドで横たわっているシーンで流れてくる楽曲。2曲とも、同音反復を特徴とするミニマルなモティーフと静かな和音が交互に登場する形で始まる。物語の状況に沿って聴くならば、ミニマルなモティーフは外から眞人の様子を伺っている青サギの気配を、静かな和音は眞人の孤独な心情を代弁していると言えるかもしれない。そして、ミニマルなモティーフと和音が繰り返された後、ピアノがリズミカルなモティーフを新たに導入する。そのモティーフが何を意味するのか、《追憶》と《静寂》が流れてくる時点ではわからない。しかし物語が後半部に入ると、このリズミカルなモティーフはb.のグループの4曲において、全く予想外の形で再登場する。b.の4曲は、「下の世界」にあふれかえったインコのテーマとして書かれているが、その楽想は弦楽器がピツィカートで演奏するユーモラスなモティーフ──ここでは仮にインコのモティーフと呼んでおく──を中心にして構成されている。そのピツィカートのモティーフ、すなわちインコのモティーフこそ、実はa.の2曲に出てきたリズミカルなモティーフにほかならない。なぜ、インコのモティーフが、物語前半部の眞人のシーンの音楽にも登場するのか? 作曲者の久石がインコのモティーフをa.の楽曲の中に意識的に仕込んだことは間違いないが、その真の理由は、作曲者以外に誰もわからないし、おそらく本人もそれを明かすことはないだろう。答えは観客ひとりひとりの解釈に委ねられている。

 

III.その他の楽曲

 上に述べた楽曲以外に、どちらかといえば物語の状況に寄り添って書かれたと推測される音楽が存在する。ここで注目すべきは、たとえそれらの楽曲がそうした目的で書かれていたとしても、上記の楽曲と音楽のスタイルや作曲の語法を共有しているので、全体としてミニマル・ミュージックとしての統一感が保たれているという点である。例えば、眞人とキリコが塔の中に入っていくシーンの《ワナ》は、ふたりの状況を過度にドラマティックな音楽で強調することはせず、ミニマルなフレーズを繰り返すうちに緊張感を高めていくという手法で作曲されている。さらに眞人とヒミがヒミの家で食事をするシーンで流れる《眞人とヒミ》は、《祈りのうたII》と同じく、ピアノの左手の伴奏部が三和音の分散音型を繰り返す形で書かれている(したがってこの楽曲も「下の世界」を表現した楽曲のひとつとみなしうる)。そして《最後のほほえみ》は、ピアノが旋律の断片とおぼしきフレーズを演奏するものの、実質的にはアルペッジョの反復と木管楽器のパルスだけで構成された楽曲であり、つまりはミニマル・ミュージックのエッセンスだけで書かれた音楽と言っても過言ではない。

 

 以上、『君たちはどう生きるか』のスコアを主要曲を中心に概観してきた。では、なぜ久石はここまでミニマル・ミュージックにこだわってスコアを作曲したのか? 作曲のプラグマティックな側面に即して言えば、これまで述べてきたように、前半部と後半部でオーケストレーションが変わるのでスコア全体に統一感を与えるためである。そして、久石譲という音楽家に即して言えば、『風の谷のナウシカ』で宮﨑監督に出会う以前から世界的な指揮者となった現在に至るまで、彼がミニマル・ミュージックにこだわり続けてきた作曲家だからである。だが、それだけが理由ではないだろう。

 大雑把に言えば、ミニマル・ミュージックとはひとつのフレーズやリズムや和音を繰り返しながら、それらを徐々に変化させ、聴き手にその「差異」を強く意識させることで、既存の音楽のあり方に疑問を投げかけるような音楽である。同じであると思っていたものが実は違う、常識であると思っていたことが実は違う。そうした疑問の投げかけにこそ、ミニマル・ミュージックを聴く意義が存在し、聴く楽しみが存在する。

『君たちはどう生きるか』という映画も、ある意味では同じである。青サギと思われていた鳥がサギ男であり、「上の世界」で老婆だったキリコが「下の世界」で若い働き手であるというように、この映画で描かれている「同一性」と「差異」のさまざまな例をあげていけば、キリがない。だからこそ、この映画の音楽がミニマル・ミュージックで書かなければいけなかった必然性が生まれてくる。ひとつのキャラクターに特定のメロディを記号的に与えていくような、エンタテインメント作品でおなじみの映画音楽のやり方では、この映画のユニークな特徴を埋もれさせてしまうからだ。

『君たちはどう生きるか』の真に驚くべき点は、そうした「同一性」と「差異」という問題意識を、音楽の制作そのものにまで徹底させたところにある。この映画の音楽は、久石が宮﨑作品のために書いたスコアという点では、これまでの10本の長編映画のスコアと「同一性」を保っている。だが、当然のことながら、それら10本はすべて異なった音楽として書かれている。つまり、これまでの作品はすべて「差異」を含んでいるのである。ならば、イメージアルバムを制作してから本編の作曲に取り組むような、これまでのやり方を捨て去ったとしても、つまり作曲の方法論そのものに大幅な「差異」をもたらしたとしても、久石のスコアは宮﨑作品のための音楽という「同一性」を保てるのか? たとえ、ふたりが意識的に方法論を変えなかったとしても、つまり「差異」を自ら受け入れなかったとしても、「差異」はひとりでにやってくる。この映画に登場する大伯父のモデルとされる高畑勲──彼がこれまでの方法論の礎を築き上げた──が2018年に亡くなってしまったからだ。高畑の生前と高畑の死後という「差異」を受け入れざるを得なくなった現在、ふたりはどのように進んでいくべきなのか。その誠実な解答がすなわち『君たちはどう生きるか』という作品であり、その音楽なのである。

 

『君たちはどう生きるか』アカデミー賞長編アニメ映画賞受賞が報道された『風の谷のナウシカ』日本公開40周年の記念日、日本時間2024年3月11日に。

前島秀国(Hidekuni Maejima)

 

参考文献:
久石譲「宮﨑さんが行こうと思っているんだったら僕もそこに行く。こんなの見たことないよねということを、一緒にやると決めたんです」『熱風』2023年10月号 スタジオジブリ
久石譲「宮﨑さんのすべてがつまった映画」『君たちはどう生きるか』ガイドブック 東宝

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

君たちはどう生きるか サウンドトラック (2枚組アナログレコード)

音楽:久石譲
主題歌:米津玄師
価格:5,280円(税込)
発売日:2024年7月3日 (水)
品番:TJJA-10063
レーベル : 徳間ジャパンコミュニケーション
発売国:日本
フォーマット:2枚組アナログレコード

 

 

カテゴリーBlog

コメントする/To Comment