Posted on 2013/11/06
スタジオジブリ 宮崎駿監督の突然の引退発表と引退会見。それから早2ヶ月が経とうとしています。当時もこのビッグニュースに対してはいろいろと思うところがありました。「なんで もったいない まだやってほしい お疲れさまでした ありがとう……」いろんな思いがいちファンとして交錯していました。そして時間が経ちまたそのことをふと考えたりしていると、あの決断はすごいことだったのかもしれない、と思うようになってきました。
引退会見で記者から「なんで引退会見をするという経緯になったのか?」という質問に、「引退会見なんてそんな大々的にするつもりはなかった。自分はジブリの社員たちに引退を伝えたかっただけ。」だと。
確かにそのとおりです。今まで一緒に働いてきたジブリの仲間たちにまずは宣言をする。するとそこで終わることはなく、情報は外部に出てしまい、憶測だけが飛び交う。そうなるならいっそ引退会見という場を設けて自分の言葉で説明するほうがいい、という流れになるのはしごく普通です。
それなら、ジブリスタッフにも引退を宣言しなければいい。濁したままにすることもできたはず。
それもまた違うんだろうなと思います。そのままの延長線上で在籍し続けるということは、周りにも変な期待が滞留し続けます。いつかまた長編つくりだすのかな、次はどんな作品やるんだろう、という身内でもその思いが常に念頭にあってしまいます。
引退を身内に宣言するということは、一区切りであり、今までジブリを引っ張ってきた人が事実上身をひく、つまりジブリスタッフにも危機感を煽るという効果をもたらします。そうすることで意識的にも無意識的にもあまりにも大きな存在である「宮崎駿」がいなくなる、新しい血が入り、新しい活力がみなぎるきっかけになる。そう思われたんじゃないかと思います。
そしてあの引退会見を開くという流れに。
もうひとつ思うのは。
あえて「引退宣言」をすることは芸術家としても賭けであり冒険だと思うのです。芸術家、クリエーター、アニメーターは、一生涯現役であり、死ぬ間際まで芸術家なのです。だからこそあえて「引退宣言」を公の場ですることは、自分の一部を切り取られたような、なにか失ってしまうような思いだったんじゃないかとも思います。まだ人生が終わっていない今の時点で、自分でその烙印を押してしまうような。
だからこそ、これからどういうクリエイトな活動をされようが、もし仮に長編映画をつくるとなったにしても、誰にも避難される所以はないはずです。だって芸術家は一生芸術家です。しいて言えば、今回の引退宣言で、宮崎駿監督は、スタジオジブリの宮崎駿から、一人の人間宮崎駿になったんじゃないかと。シンプルに、まっさらに、生まれたてのように。
エンターテインメント、大衆文化、興行成績、ジブリの発展……すべてを支え先頭で走り続けた監督宮崎駿から、真っ白から純粋無垢に創作活動に向き合える一人の芸術家に。
そう思うと、「引退宣言」をしないといけなかったのは、今の時代背景であり、そうなってしまった宿命を背負いながらも、自らの言葉で伝えた引退会見、時代に一石を投じた出来事だったように、振り返って思います。
これからどんな創作活動をされるか楽しみであり期待していますが、それは世間の、ファンの思いであり、勝手にこちらが思うこと。だからこれから、どんなことをされようと、どんな活動をされようと、ひとつの宮崎駿には区切りをつけたわけですから、受け手側も今までの延長線上で捉えずに批評せずに、新しいクリエーター宮崎駿さんとして受け入れていくことができる環境になることが一番いいんじゃないかなと思います。
長編であれ、短編であれ、また違った創作活動であれ、次に私たちが触れることのできる宮崎駿作品は、きっと新しい感動を与えてくれること、笑顔や温かいぬくもりをくれること、生きる今とこれからの未来に希望の光を射してくれることは、間違いないですから。
こういう思いもまた負荷になるのかもしれませんね。すいません。
芸術と大衆文化の境界線がなくなってしまっているようなこの時代、いち芸術家に時代のすべてを背負わせることは酷だと思います。宮崎駿監督の引退会見で印象的だった言葉「私は自由です」。そうですよね。やるやらないも自由、どういうものをやるかも自由。そして受け手の解釈に一人一人の自由があるのと同じように、本来つくりだす芸術家にも表現の自由はもちろんあるわけです。その対等さを忘れてしまっているように思ってしまいます。
いつの時代も芸術家は、自分の表現したいものと時代との接点を探りながら、ひとつの作品として完成させて表現しているわけです。それに対して決して時代の拷問を受けるべきではない。
同じ時代に生きているからこそ、同じ時代の芸術家と一般社会、作品をとおしてつながり、感動し、共鳴できる喜びはかけがえのないもの。そういったシンプルなことに純粋な心を持ち感動をわかち合う。これが芸術と大衆文化を育てていける時代への布石になるんじゃないかと思います。