Posted on 2015/01/16
2007年3月5日に行われた「久石譲 アジアオーケストラツアー ファイナルコンサート」。2006年アジア4都市5公演で開催された「Joe Hisaishi Asia Orchestra Tour 2006」を経てその集大成および凱旋コンサートとして東京で開かれました。
アジアオーケストラツアーファイナルコンサート
[公演期間]
2007/3/5
[公演回数]
1公演 (サントリーホール 東京)
[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽団:新日本フィルハーモニー交響楽団
[曲目]
第1部—–
水の旅人
For You(Theme)
NAUSICAÄ 2006
組曲「もののけ姫」
交響変奏曲「メリーゴーランド」
第2部—–
Piano Solo
あの夏へ
Summer
アシタカとサン
Dawn of Asia
Hurly-Burly
Monkey Forest
Asian Crisis
HANA-BI
Tango X.T.C.
Kids Return
アンコール—–
A Chinese Tall Story
Oriental Wind
となりのトトロ
Zai-Jian(Pf.Solo)
そのコンサート・プログラムより、楽曲解説からアジア現地レポートまで、ボリューム満点で紐解いていきます。
◎第一部
水の旅人
1993年、大林宣彦監督『水の旅人~侍・KIDS』より。
末谷真澄原作の「雨の旅人」を映画化、水の精霊と少年の交流を描いた勇気と優しさのSFXファンタジー。弱虫の小学生・悟が、身長17cmの侍・墨江少名彦と出会うことで様々なことを学び成長していく。テーマ曲である本作品は、重厚なオーケストレーションでコンサートの幕開けを飾るのにふさわしい楽曲である。
For You (Theme)
1993年、大林宣彦監督『水の旅人~侍・KIDS』より。
「For You」は中山美穂が歌う主題歌「あなたになら…」をオーケストラバージョンにアレンジした楽曲。木管楽器のソロをはじめとしたメロディが印象的な作品。
NAUSICAÄ2006
1984年、宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』より。
高度な古代文明が滅びて千年あまり、疹気(有毒ガス)が充満する「腐海」と呼ばれる森に棲む巨大な蟲(むし)に人々は脅かされながらも逞しく生きていた。そんな世界で自然を愛し、虫と語る風の谷の少女ナウシカが未来の地球を酷い争いからたった一人で救う姿を描く。NAUSICCÄ2006は『風の谷のナウシカ』の世界を壮大なスケールで描いた作品。
組曲『もののけ姫』
1997年、宮崎駿監督『もののけ姫』より。
”たたり神”に呪われた少年アシタカと、山犬に育てられた少女サンの二人をとおし、自然と人間の関係を象徴的に描いた作品。楽曲は「アシタカとサン」「TA・TA・RI・GAMI」「もののけ姫」と続く。
交響変奏曲『メリーゴランド』
2004年、宮崎駿監督『ハウルの動く城』より。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズの著書『魔法使いハウルと火の悪魔』をもとに、魔法で90歳の老婆に変えられてしまったソフィーと、魔法使いのハウルとの恋をとおして、生きる楽しさや愛する歓びを描いた作品。映画では、テーマ曲を様々に変奏してそれぞれの場面に個性的な楽曲が付いている。この曲は映画のテーマ曲を核に、一つの長大な交響変奏曲として書かれた。
◎第二部
Piano Solo 数曲
2006年、アルバム『Asian X.T.C.』収録曲より。
Dawn of Asia
亜細亜の夜明けは神秘的だ。まるで山水画のようなモノトーンから赤や黄色や緑の剥き出しの陽中に変貌していく。その力の前に人間なんて小さいものだと気づく。いい日もあれば落ち込む日もある。善も悪もミジンコも宇宙もすべては僕の中にあり、外にある。また新しい夜明け(Dawn)が始まる。
Hurly-Burly
台北の雑踏はエナジーに満ち溢れている。富と貧、老若、病と健康、喜びや悲しみ、笑い泣き、怒鳴り合う人々の顔は生命そのものだ。目の前を50ccのバイクが通り過ぎた。そこにはX’masツリーのように6人の子供を乗せたお父さんの逞しい姿があった。
Monkey Forest
モンキーフォレスト通りを歩いていたとき天が裂けたとした思えないほどの雨が降り注いだ。軒先の濡れたみやげ品を何事もなかったかのように片付けている少女を見て僕は意味のない傘を捨てた。
Asian Crisis
長い間封印していたことがある。青春の蹄鉄の中で描いて来たものに立ち向かうほど僕は強くなれたのだろうか?
HANA-BI
1997年、北野武監督『HANA-BI』より。
追われる身の刑事とその妻の逃亡劇を、これまで北野監督の乾いた視点から一転して、叙情的に描写した作品。ヴェネチア国際映画祭にて金獅子賞を受賞。テーマ音楽は非常に叙情的で、映画のエモーショナルな部分を深く表現している。
Tango X.T.C.
1992年、アルバム『My Lost City』収録曲より。
映画『はるか、ノスタルジィ』でもアレンジを変え使用されたこの楽曲は、官能的でありながらどこか悲哀感が漂う作品。久石作品の中でも様々なアレンジで演奏されているが、今回演奏されるオーケストラバージョンは秀逸を極めている。
Kids Return
1996年、北野武監督『Kids Return』より。
ボクサーを目指す青年と、ラーメン屋で出会ったヤクザの若頭のもので極道の世界にはいった青年二人が、汚い大人の世界に踏み込み、過酷な現実を味わう模様を描いた作品。疾走感のあるリズムと、どことなく悲壮感漂うメロディが印象的なテーマ曲をオーケストラにアレンジした作品。
歓待、熱狂、アンコール! アジア各地で行ったコンサート
◎台北シンフォニエッタ
今回のツアーは3管フル編成(約90名)なのだが、ここは室内オケのためエキストラの数が多くアンサンブルをまとめるのが難しかった。しかし、ひたむきで熱心な演奏と熱狂的な観客の歓迎ぶりで自分がSMAPかと勘違いするほどだった。ただしリハーサル時間に遅れてきても悪びれない様子には驚かされた(実は他のオケも同じだったことが後で判明する)。
◎香港フィルハーモニー
リハーサル会場に入った瞬間にこのオケは他とは何かが違うとわかった。普通オケはどこでも台所事情は悪く、コンサートだけではやって行けない(あの大人数を考えると分かると思うが)。そのため様々な助成金や企業のスポンサーを獲得するため苦労するのだが、ここの団員の6割を白人が占めるという事実だけで金銭的余裕があるのが分かる(わざわざ欧米から呼ぶ余裕がある)。それに団員の顔のしわが少ない。やっぱりゆとりなのだろうか。主に木管金管に白人が多く、そのためヨーロッパのオケのようにバランスの取れたアンサンブルを聴かせてくれるが、弦の鳴りは円形ホールのせいもあるのか少し物足りない。
◎チャイナフィルハーモニー
中国で一番のオーケストラ。日本のNHK交響楽団的存在だ。僕とは2回ほどサウンドトラックのレコーディングをやっているため気心が知れている。ここの弦はすばらしい。特にビオラが良いため弦全体の響きが豊かでしかも音がデカイ。1曲目の「水の旅人」でシンバル、大太鼓のffに負けないほどの音量で僕もオケも飛ばし過ぎたが、それほど思い切りが良いのは信頼関係が厚いからだろう。
◎上海交響楽団
チャイナフィルとライバル関係にあるオーケストラで小澤征爾さんを始め世界の一流指揮者が振っている名門。コンサートマスターのパンさんとは旧知の間柄で(スタジオミュージシャンとして「菊次郎の夏」など多くのサントラをレコーディングした)団員とのコミュニケーションにも一役買ってくれた。初日のコンサートでは多少もたついた部分もあったが、二日目は僕の炎の(?)指揮もあり満員の聴衆を沸かせた。
各地とも一週間以内でチケットは完売し聴衆は熱狂的に受け入れてくれた。アンサンブルとしてはやはり日本のオーケストラのほうが一日の長がある。が最初はもたついていても何日かのリハーサルの後、ツボにハマった瞬間の凄まじいエネルギーはやまり大陸的でスケールが違うと感じた。
◎関西フィルハーモニー
大晦日のジルベスターコンサートとして4年ぶりに指揮者の金洪才さん&関西フィルと共演した。金さんは僕の指揮の先生でもある。後半ピアノに専念できるためアップテンポの曲(MADNESSなど)を演奏することができ、金さんと関西フィルとのコンビネーションも相まって一年を締めくくるには最高の夜だった。アンコール5曲というのも過去最多だが控室に戻ってきてからもお客さんの拍手が鳴り止まず、もう一度着替えて舞台に出たのも初めてだった。その熱さはカウントダウンに行ったUSJの野外の凍てつく寒さの中でも残っていた。
(出典:宝島『久石譲の35mmダイヤリーズ』 より)
アジアオーケストラツアー 現地レポート
2006年末、その郷愁溢れる音楽でアジアを魅了した久石譲。
台北、香港、北京、上海、そして大阪。
熱狂に包まれた公演を、現地コンサートスタッフが振り返ります。
台北 Taipei
2006/11/20
2006年11月20日夜7時30分、国家音楽庁に「水の旅人」が流れ始めたその瞬間から、久石さんの音楽は台湾ファンの心を魅了し、その場にいる3000人の観客は心底感動し、彼のエネルギーを感じました。その夜の観客を一字で表すならば、まさに「狂」。
この公演は2006年の台湾音楽界で一番盛り上がり、最も忘れられない出来事となりました。来場した人々は今でもよくあの夜の感動を話しています。ただのコンサートではなく、豊かな人生体験のひとつとして。
事実、年が明けてからも、台湾では久石さんの話題がつきません。この十年の間、久石さんは国際的にも活動の幅を広げてきました。しかし、台湾のファンは長い間、久石さんの音楽に直接触れ合う機会がありませんでした。久石さんが台湾へ来る可能性がある…という話が出ると、ファンから毎日のように問い合わせがあり、誰かが久石さんの名前を語ったのではないか?という噂さえも出たほどでした。来台の事実が発表された後は、台湾音楽業界全体が喜びで溢れていました。そして、その興奮は久石さんのあの夜の爆発力で最高潮に達し、その場にいた誰もが満足することになりました。最後の曲が終わってからも観客の熱狂は冷めやらず、連続3回のアンコールを繰り返し、楽団メンバー、スタッフ全員が、感動のあまり呼吸すら出来なくなりました。
客席にいた私はこのすべてが脳裏に焼き付いています。現場にいた全ての人々も、あの時の感動を忘れることはできないでしょう。久石先生が再度来台され、その音楽で忘れられない感動と幸せが続くならば、それは素晴らしいことだと思います。
香港 Hong Kong
2006/11/23
まず初めに、Emperor Entertainment Groupを代表して、アジアツアーのご成功を心よりお祝い申し上げます。久石さんならではのパフォーマンスを香港で行うことができ、また、音楽で異なった文化を持つ香港の人々に一体感をもたらしたこの素晴らしいツアーに参加できた事を大変嬉しく思っています。
このプロジェクトの始めからずっと、久石さんはコンサートのための演奏曲目の計画やアレンジなどに並々ならぬ力を注いでくださいました。このコンサートの成功は、久石さんの音楽に対する情熱と専門的知識を惜しみなく注いでいただいた結果です。この久石さんと香港フィルの初の共演は、音楽愛好家にとって壮大で官能的なパフォーマンスをもたらし、このような異文化間の協力によりみごとな音楽の力の融合を示しました。ピアノを前にする時も、オーケストラを指揮する時も、久石さんのあふれる才能は観客を幾度となく魅了しました。彼のピアノソロ演奏は多くの人の心を動かし、エネルギッシュな指揮により生まれる躍動的な音楽は、聴くものを歓喜で包み込みました。
チケットが早々と売り切れたことも、コンサートに訪れた観客の熱狂的な反応も、久石さんの音楽があの夜いかに香港の聴衆を魅了したかを如実に物語っています。久石さんが再びお越しになるのを心から楽しみにしております。これからもずっと私たちの温かい支援がある事をここに記します。
北京 Beijing
2006/12/2
北京で久石さんのコンサート運営に携わり感じたことは、久石さんは実力で北京の観客を魅了したということです。同時に、良い音楽には国境がないということを証明しました。私自身も北京保利劇場で真剣に久石さんのコンサートを聴き、美しいメロディ、多彩なハーモニー…様々な相乗効果に強い印象を受けました。久石さんの音楽は文化的な豊かさ、高いレベルの芸術性が備わっており、人々の心に深く染みわたる音楽です。久石譲さんはその実力で、年末の北京音楽界に奇跡をもたらしました。
上海 Shanghai
2006/12/15,16
久石さんの上海コンサートは私にとって、とても特別なプロジェクトでした。中国で私の会社が手がける初めてのプロジェクトで、数多くのリスクがあり、判らないことだらけでした。元々、プロジェクトは宮崎さんのアニメ映画音楽を特集する上海Symphonyからのものでした。このプロジェクトを通して、私は、久石さんが映画のためだけに作曲するのではなく、非常に興味深いひとりの作曲家であることがわかりました。彼の新しいアルバム、Asian X.T.C.は、ユニークなリズムとアジア特有のメロディのフュージョンによって、非常に興味深いものとなっています。このアジアンツアーのプログラムは、久石さんの過去の作曲と現在の作曲を融合させ、幅広い音楽の才能を表現することに成功しています。
久石さんの音楽の中で私が最も心惹かれるのは、人々の心を感動させる彼の手腕です。上海のコンサートは疑いようのない大成功でした。私はこれらのコンサートを非常に誇りに思っています。なぜなら、他のすべての都市が一度しか出来なかった公演を上海では2度もできたのです! 上海における2度目のコンサートは特に印象的でした。私たちは、すべてのチケットが売り切れていることを既に観客の方々にお知らせしましたが、コンサートの始まる2分前でも多くの方々がチケットを求めて長い列を作っていました。コンサートが終わっても、聴衆は絶叫と喝采でアンコールを求め、いつまでも帰ろうとはしませんでした! 「クール」な態度で知られる上海の聴衆にとって、これは極めて異例なことでした。
このツアーで、私は久石さんをよりよく知ることができました。彼はオーケストラの演奏者に大変良く知られており、私の知るオーケストラのメンバーは皆、彼の音楽を愛し、共に仕事のできることを喜びとしています。私は彼の暖かい性格、ユーモラスな人柄、および類い稀な音楽の才能を賞賛します。そんな久石さんと今後とも末永く、お仕事でご一緒できることを望むとともに、またごく近い将来に、今回のようなツアーでもご一緒できる機会を持ちたいと願っております。
大阪 Osaka
2006/12/31
「大阪かぁ、、。」
念願だったジルベスターコンサートを、アジアツアーの一環として行っていただくことが決定した時、久石さんをはじめスタッフ全員での第一声は「よし、できる!」。そして第二声がこれでした。関西の観客は演奏への反応がストレート、演奏者にも逐一伝わってきます。アジアツアーの真只中日本に戻っての公演とはいえ、黙って温かく迎えてくれる場所ではありません。そんな気持ちがこの言葉に表れました。大阪担当の私も、喜んでばかりはいられないなと身の引き締まる思いでした。
そしてコンサート当日、前半を終え後半に入っても観客はかなり静か。最後までこのまま緊迫した雰囲気なんだろうか、と思った矢先、突然客席がはじけました。我慢していた感情を噴き出すかのような拍手、歓声、口笛、スタンディングオベーション、三回に及ぶアンコールの後ようやく久石さんは楽屋へ戻られました。いつもとは違う客席の反応は、ジルベスターコンサートならではのものですね、などと話をしているところへ舞台ディレクターが飛び込んできて「お客さんが帰らないんです!」。急いで戻って久石さんから観客の皆さんへご挨拶していただきました。
この瞬間、「大阪かぁ、、。」は「大阪最高!」にかわったと私は確信しています。すばらしい時をつくってくださった、観客の皆さんと久石さんに感謝いたします。
(久石譲 アジアオーケストラツアー ファイナルコンサート コンサート・プログラムより)