Blog. 「クラシック プレミアム 31 ~ムソルグスキー / リムスキー=コルサコフ~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/3/14

クラシックプレミアム第31巻は、ムソルグスキー / リムスキー=コルサコフです。

 

【収録曲】
ムソルグスキー
組曲 《展覧会の絵》 (ラヴェル編曲)
クラウディオ・アバド指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1993年(ライヴ)

リムスキー=コルサコフ
交響組曲 《シェエラザード》 作品35
フレデリック・ラロウ(ヴァイオリン・ソロ)
チョン・ミュンフン指揮
パリ・バスティーユ管弦楽団
録音/1992年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第30回は、
コンサートマスターってどんな人?

オーケストラ楽団のなかにおいて重要や役割とポジションのコンサートマスターについてわかりやすく、そして普段わからない裏側をのぞくことができます。コンサートマスターを理解したうえで、さらに指揮者との関係性ややり取りも読み進めることができます。

一部抜粋してご紹介します。

 

「前回、コンサートマスターの素晴らしい力演でいい演奏会ができたことを書いた。ところで、コンサートマスター(第1ヴァイオリンの一番前、客席側に座っている、いわばオーケストラのリーダー的存在)の具体的な役割などについて、ご存じのかたは意外に少ないのではないだろうか。」

「まず、僕が常々不思議だと思っているのは、コンサートマスターを務める人は、最初からコンサートマスター、あるいはその候補者としてオーケストラに入ってくることが多いことだ。普通はヴァイオリンの後ろの席から始めて、オーケストラの経験を十分に積んで、徐々に上りつめてコンサートマスターになると考えそうだが、そういうケースはあまり聞かない。オーケストラ経験のない若いヴァイオリニストでも、オーケストラの顔であるコンサートマスターとして白羽の矢が立つ。」

「では何をもってコンサートマスターの資質としているのだろうか。ヴァイオリンのうまさは当然だが、人をまとめる力があるというのも大きな条件になるのだろう。テクニック、統率力、人格、あるいは「華」とでもいうものなのか……。オーケストラ団員から見れば、あの人だから安心してついていけると思える人、もし若い人だとしても、この人なら育てようと思わせる人ということか。そして、あるオーケストラのコンサートマスターが、ほかのオーケストラに移る時、その場合もほとんどはコンサートマスターとして移籍するのだ。」

「舞台の裏からいうと、楽屋に指揮者の控室があるように、コンサートマスターの控室もある。ちなみにオーケストラ団員の個別の控室はない。つまり、コンサートマスターはオーケストラの中でも、特別なポジションなのだ。」

「ではその仕事。僕が初めてオーケストラを指揮したときのこと。木管楽器の奏者たちに合図をしようと思ったとき、当然、目が合うと思っていたのだが、なんと奏者たちの目が泳いでいるのだ。僕を見ていない。視線の先をたどると、みんな僕の左下あたり、コンサートマスターに目を向けていた。つまりオーケストラの人は、極論すると指揮者の僕を見ていなかったのだ!」

「なぜそんなことが起こるのかというと、そのオーケストラにあまり慣れていない指揮者の場合、コンサートマスターがまず指揮者の意図を理解し、それに他の奏者がついていくというのがオーケストラの基本のパターンだからなのだ。それだけコンサートマスターの役割は大きい。まさにオーケストラの顔だ。」

「僕は指揮をしていて気分が乗ってくるとついテンポを速めたくなることがあるのだが、お互い理解し合っている気心の知れたコンサートマスターだと、そんな時にはわざとテンポを遅らせてくる場合がある。そして目で「ここままだ急がずに」と合図を送ってきて、僕も目で応える。演奏中の阿吽の呼吸での会話だ。」

「どんなに大きな楽器編成で複雑な曲の場合でも、指揮者が一度にできることは限られている。手が8本もあれば細かく指揮できるのだが、そうはいかない。全体的なことや音楽の表情などの指示はもちろんするが、そこから先の細かいところまではできないこともある。そこで奏者は、音を出す細かいタイミングを、コンサートマスターの弓の動きに合わせることになる。」

「それはオーケストラの活動のあり方にも関係がある。ひとつのオーケストラの年間演奏数を100回として、それを何人の指揮者が振るのかを考えてみればわかっていただけると思う。少なく見積もっても数十人。次々に違う指揮者と限られたリハーサル時間だけで本番の舞台に立たなければならない。そういう状況の中で、オーケストラの奏者全員が指揮者だけを見ていたら、アンサンブルが成立しない。特に指揮の打点(拍の頭を示す指揮の動きのポイント)がわかりにくい場合などは、コンサートマスターに合わせることになる。」

「時には、オーケストラでも事故が起こる。だんだんアンサンブルが乱れてきて、このままいくと事故につながるというとき、いい指揮者はそこで危険を察知して回避する。そして、コンサートマスターもそれをいちはやく察知し、弓のボウイング(上げ下げ)を大きくして、オーケストラ全員にどこが拍の頭かを知らせるなどして事故を回避しようとするのだ。そうした数々の場面で、この人ならついていける、と思わせるものがあるから、コンサートマスターが務まるのだろう。やはり途轍もなくたいへんな役割なのだ。」

 

 

具体的でとてもわかりやすい内容でした。

オーケストラ演奏会を体験するときには、指揮者・コンサートマスターにも注目しながら聴くと、また違った味わいや感動を得ることができるかもしれませんね。

久石譲の上記エッセイでは、とても論理的に関係性や役割が書かれていましたが、先日紹介したバックナンバーでは、巻末の「西洋古典音楽史」コラムより、『なぜ指揮者がいるのか?(上)(下)』を2回にわたり特集していました。もっと具体的に、もっと辛辣に!?オーケストラ団員と指揮者の関係が語られていて、どの楽団も同じ、日本も海外も同じ、ということがよくわかります。

興味のある方はあわせて読むと、よりオーケストラの舞台裏がわかっておもしろいと思います。いや、結果、指揮者の重要性と名指揮者とは何か? がわかる内容です。

こちら ⇒ Blog. 「クラシック プレミアム 28 ~ピアノ名曲集~」(CDマガジン) レビュー

こちら ⇒ Blog. 「クラシック プレミアム 29 ~ブラームス2~」(CDマガジン) レビュー

 

クラシックプレミアム 31 ムソルグスキー

 

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