Blog. 「クラシック プレミアム 29 ~ブラームス2~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/2/13

クラシックプレミアム第29巻は、ブラームス2です。

第13巻にてブラームス1として、交響曲 第4番、悲劇的序曲などが特集されていました。久石譲もこよなく愛するブラームスの交響曲。ベートーヴェンの後継者とも評されていたブラームスが、完成までに20年余りをかけた渾身の交響曲第1番。

ベートーヴェンを尊敬しその偉大さを讃えていただけに、なかなか交響曲を書き上げることができなかったブラームス。けれども完成後、この交響曲 第1番は、ベートーヴェンの《交響曲 第9番》に続く”第10交響曲”であるとも評され、絶大な人気を誇る作品となっています。

 

【収録曲】
交響曲 第1番 ハ短調 作品68
クリスティアン・ティーレマン指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/2005年(ライヴ)

《大学祝典序曲》 作品80
リッカルド・シャイー指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音/1987年

 

 

前号巻末の西洋古典音楽史での、「なぜ指揮者がいるのか?(上)」にて、指揮者と楽団員の関係やその実態、修羅場な環境!?を一部取り上げて紹介しました。今号では、「なぜオーケストラに指揮者がいるのか?(下)」ということで、どんなお話が飛び出すのか楽しみにしていました。

一部ご紹介します。

 

「指揮者とは「タイムキーパー&サイン出し係」であると同時に、「何か」を持ってさえいれば、何もせずとも、ただそこに居るだけでいい商売だ、前回こう書いた。」

「偉大な指揮者というものは、作品を隅から隅まで掌握し尽くしているからこそ、あれこれ指示を出さずとも、ただ居るだけでメンバーを落ち着かせることができるのだと思う。今、どの楽器とどの楽器がどういうハーモニーを奏でているか。そのハーモニーは次にどちらの方向へ転調するか。次に入ってくるあの楽器が吹く音は、どんなニュアンスの不協和音か等々。」

「例外はあろうが、オーケストラ・プレーヤーたちは実は驚くほど作品の全体像を知らないケースが多い。次から次へといろいろなレパートリーをこなさなければならず、その中には少なからぬ新曲も交じっているだろう。だから自分のパートを無難にこなすことだけで精いっぱいになってしまうのは、当然といえば当然だ。自分が吹いているそのメロディーは、どういうモチーフを展開しているか。そこのその音はどちらの方向へ転調するのか。そういうことはほとんど知らずに、ただ(もちろんプロだから立派に)吹いている、そういうケースはかなりあるはずだ。」

「近代のオーケストラとは、いわば超大型空母である。4人乗りの漁師船とは違う。弦楽四重奏ではない。後者であったなら、4人全員が船の仕組みを熟知し、航海のルートもしっかり把握していて、いざとなれば誰もが船長の役割を果たすことができるということもあり得るであろう。しかし大型空母の乗務員は基本的に、自分の小さな小さな持ち場のこと以外、ほとんど何も知らない。全体像が見えていない。だからこそ、すべてを鳥瞰図的に把握している艦長の役割が桁違いに重要になってくる。そして艦長が頼りなければ、組織全体が浮足立つ。」

「想像するに、指揮者にとって最も重要な要素の資質の一つは、タイミングの勘であると思われる。指揮者とプレーヤーの関係を、異性を口説く場合に喩えるとわかりやすいかもしれない。「あの人ってタイミング悪いのよね~」という時のあれである。異性が「このタイミングでこう来てほしい」と思っている、まさにその図星の瞬間に、過たず相手にさっと手を差し出す。プレイボーイとはそういうものなのだろう。」

「多くの名指揮者は猛烈にセクシーだ。単にハンサムだとか好色だとかそういう話ではなくて、そこしかないというタイミングを過たずに衝き、そうやって思うがままに相手を操る野性的な本能のようなものが、彼らに独特の官能的な相貌を与えているのだと思う。大指揮者の相貌にはしばしば、こうした「恐怖が持つ官能」とでもいうべき魔術が宿っている。カラヤンなどはこうしたタイプの典型である。」

「何度も書いてきたように、オーケストラのプレーヤーとはいわばピラニアの群れのようなものである。ちょっとでも隙を見せたらあっという間に攻撃してくる。だからといって怖がって下手に出るとなめられる。ある意味で指揮者に必要なのは、どんな手を使ってもいいから、まずはオーケストラが絶対に自分に逆らえないようにしてしまう力なのかもしれない。芸術的な独創性がどうのなどといった高尚な事柄は、その後の話だ。ではどんな手段を使って支配するか。恐らく最も合理的な方法は、機能の圧倒的な高さでもって統率することだろう。指揮技術の高さといったものである。そしてタイミングを自在に操る駆け引きの術。これが官能に通じる。だが恐怖による支配だって、指揮者の重要な資質だ。「こいつに逆らったら何をされるかわからない」という独裁者の恐怖である。」

 

 

特に、前半の空母に喩えた、指揮者とオーケストラとの関係性が、わかりやすく、おもしろかったですね。その中での、オーケストラ(団体)と弦楽四重奏(4名)の比較もありましたが、これはプレーヤーだけではなくて聴き手にも影響を与える要素のような気がします。

たとえば交響曲を聴きながら、全楽器、全パートを聴きとってみせよう!とはあまり思いません。よっぽどスコアを片手に見聴きしない限りは。逆に四重奏や小編成、アンサンブルなどになると、全楽器、全パートの旋律が鮮明に聴こえてきます。すると、旋律のかけあいやタイミング、プレーヤー同士の呼吸まで、聴きとることができる気がしてきます。

そして「ここのかけあいがいいよね、ここの入り方が絶妙!」「あっちがこうきたから、こっちはこうきたか!すごい!」そんなことを思いながら作品の奥深くに耳を傾ける。これが小編成の醍醐味だなと思います。

それは上にも書いていたように、プレーヤーたち自身が、他の楽器や他の旋律を聴きながら、意識しながら自分の旋律を奏でているからではないか、ということにハッとつながったのです。

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第28回は、
映画『卒業』をめぐるあれこれ

視覚と聴覚の話から、空間軸と時間軸の話になり、さらにはユダヤというキーワードがクローズアップされ、前号ではマーラーを掘り下げていたエッセイ。今回は、往年の名作映画『卒業』を取り上げていますが、これもまた冒頭の数珠つなぎからの関連性のようです。

一部抜粋してご紹介します。

 

「映画『卒業』は1967年に製作されたアメリア映画だ。僕はこの映画を高校時代の終わりか大学1年生の時に観た。フランスのヌーヴェルヴァーグからフェリーニ、パゾリーニなどのイタリア映画を経て、その頃はアメリカン・ニューシネマにはまっていた。『俺たちに明日はない』『イージー・ライダ』『明日に向かって撃て!』『真夜中のカーボーイ』『ファイブ・イージー・ピーセス』などの作品は間違いなく自分自身がテーマや主人公に同化していたし、まさに『卒業』もそういう映画の一つだった。音楽はポール・サイモンとデイヴ・グルーシンが担当していた。ポール・サイモンはヴォーカル・グループ「サイモンとガーファンクル」のメンバーで、この映画は〈サウンド・オブ・サイレンス〉〈ミセス・ロビンソン〉〈スカボロー・フェア〉など後世に残る名曲が使われた。僕としては主題歌サイモンとガーファンクル、音楽担当がデイヴ・グルーシンとしたいのだが、劇中でかなり歌を使用していたので、この場合の音楽担当は両者ということになる。このこだわりは映画音楽に携わっている僕だけなのかもしれない(笑)。」

「だが、この青春映画の傑作も内田樹氏から観ればまったく別のものになってしまう。「あれはユダヤ人のブルジョア家庭の話なのです。主演のダスティン・ホフマンはユダヤ人だし、監督のマイク・ニコルズもユダヤ人だし、主題歌を歌っているサイモン&ガーファンクルもユダヤ人。あれはユダヤ人の映画なんです」ということになる。」

「いやー驚いた、確かにこの日本で、僕の知る限りそういう見方をする人はいなかった。内田氏は続けて「アメリカにおけるユダヤ人のあいまいな立場が伏線になっていることは(日本人には)理解できない。そういう人種的な記号を日本人は解読する習慣がありませんから」と強調する。そして極めつけは「ラストシーンはキリスト教の教会からユダヤ人青年が花嫁をさらってゆくわけで、これは宗教的にはかなりきわどいストーリーなのです。そういうニュアンスは日本人の観客にまず伝わりませんよね」。」

「同じ映画でも観る人によってまったく感じ方が違う。それは当たり前なのだが、あらゆる人種や宗教が入り交じる海外での見方と、この極東の島国「日本」での捉え方がこうも違うのか?もちろんこのようなユダヤ的視点で海外の人が全員観ているとは思わないが、少なくとも国内の映画評論その他でこのような意見を僕は聞くことも見たこともなかった。日本には多様な意見はないのだろうか?」

「第二次世界大戦の後70年間まったく戦争がなく、平和の中で暮らしてきた我々は、グローバルという言葉を経済用語だと勘違いしている。真のグローバルとは思いっきりドメスティックであり、多様な考えを受け入れるということである。」

「内田氏の文章を読んで、早速DVDを買って観た(ただしこれは2年前のことだが)。確かにそう見えなくはない。慣れ親しんだ、あるいは記憶の中で整理されている物事が実は別のものでもあると感じる体験は新鮮だ。ダスティン・ホフマンが若いなあ、などと思っているうちにユダヤ人の映画として観るより、段々音楽の入りかたが気になってきた。」

「デイヴ・グルーシンはフュージョン音楽が全盛の頃に活躍した作曲家、ピアニスト、アレンジャーでサックスの渡辺貞夫氏とのコラボレーションでも有名だ。映画音楽では『コンドル』『恋に落ちて』などで、とてもクリアで無駄のないスコアを書いている。」

「その彼の音楽は問題ないのだが、とにかく使われている歌の箇所が多すぎる。歌には歌詞があるので、劇中での使用はなるべく避けたほうがいい。なんとなればその歌詞がセリフを食うし、変に安っぽくなる危険もある。もちろんエンドロールは別であるが(それも個人的には好まないが)、もう少し効果的にサイモンとガーファンクルの歌を使用してほしかった、つまり使う箇所を少なくするべきだった。これはあくまでも僕の考えであって、当時はこのような使用法が斬新だったのだろう。物事は時間が経ってみなければわからない。」

 

 

クラシックプレミアム 29 ブラームス2

 

Blog. 英国ニュースダイジェスト Web 「ミニマリズム」「メロディフォニー」久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/2/11

2010年の久石譲Webインタビュー内容です。

「ミニマリズム」と「メロディフォニー」という、久石譲の芸術性と大衆性の両輪をそれぞれ表現した名盤。この二作品の制作を終えて語ったインタビュー、この内容は両作品のCD初回特典としてDVDにも収録されています。

世界屈指とも言える最高のレコーディング環境と、世界最高峰とも言われるオーケストラとの演奏録音。なぜイギリスだったのか?なぜ海外のオーケストラ楽団と共演する必要があったのか?渾身の大作をつくりあげたその過程や想いが、当時のインタビュー内容から伝わってきます。

 

 

2 December 2010 vol.1278

「音楽家」と「エンターテイナー」
2つの自分を両輪にして駆け抜ける 久石譲

日本の映画音楽を、芸術の領域へと押し上げた音楽家、久石譲氏。「となりのトトロ」「菊次郎の夏」「おくりびと」といった、同氏が手掛けた映画音楽の名作を集めたアルバム「メロディフォニー」が、10月末に発売された。同アルバムの録音は、ロンドンで実施。過密日程を縫ってまでして、なぜ彼はこの地に来ることを選んだのか。その素朴な疑問に対する答えの中に、音楽家としての久石氏の思想が凝縮されていた。 (本誌編集部: 長野 雅俊)

 

7月16日、ロンドン北部、アビー・ロード・スタジオ。ビートルズのアルバム名に使われたことでロンドンの観光名所となった通りの前に立つ録音スタジオだ。久石譲氏はこのスタジオにて、英国が誇る名門オーケストラであるロンドン交響楽団と、最新作アルバムの録音を終えた直後だった。

ビートルズの4人が練り歩くジャケット写真が撮影された有名な横断歩道を渡り、白い建物の中へと入って受付を済ませると、地下の第一スタジオへ。優に数十メートルは奥行きがあると思えるホールの中央には、椅子と照明器具、そしてテレビ・カメラが設置されている。あとは、カメラの位置や配線の具合を確認しているスタッフが数人。ここで、日本で販売される予定の、久石氏のインタビューを内容とするDVDの収録が行われることになっていた。そのインタビューの場に同席することが許されたのだ。

収録開始の時間が近付くにつれて、久石氏のマネージャーや今回の録音作業に関わるコーディネーターといった人々の姿が揃い始めた。それまでしんとしていたスタジオに、足音や話し声が響くようになる。最後にジャケット姿の久石氏が現れると、DVDの取材班に軽くねぎらいの言葉をかけた後、用意された中央の椅子に腰掛けた。準備が整い、取材班が周囲の人間に携帯電話の電源を切るよう促す。一瞬の沈黙。その静寂の中に、久石氏の言葉が響き始めた。

 

シビアな環境に身を置けば、 客観的な自分が見える

あまり広くは知られていないが、久石氏は、ロンドンという都市と縁が深い。生まれて初めての海外訪問でロンドンを訪れたのが、25歳のとき。このときは、世界の名作映画音楽を集めたレコードの制作に関わるために1カ月半滞在した。また40代の頃には、約2年間にわたりこの地で生活を送っている。

久石:
ある時期は、本当にロンドンでばかりレコーディングを行っていましたね。それから10年ぐらいの期間を置いて、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」の映画音楽を手掛けた際に、またロンドンに戻ってきました。「ハウルの動く城」は、まずプラハでチェコ・フィルハーモニーとの録音作業を行ってから、ロンドンのアビー・ロード・スタジオでリミックスして。ここ4、5年は、大事な仕事はロンドンで仕上げているんですよ。

久石:
今回は、録音の段階からロンドン交響楽団にお願いしました。日本のオーケストラだって、すごく優秀です。レコーディング作業そのものだけに限って言えば、日本で行っても何ら問題はないでしょう。ただ海外で、肌が違う、言葉が違う人と接していると、自分のテンションが上がるんです。言葉も宗教も違う人たち、さらには世界有数の音楽家の人たちに、自分の音楽をどういう風に受け止めてもらえるか。そして、自分が今どういうポジションにいるか。日本にいたら、世界の人々にどのように受け止めてもらえるか、分かりずらいですよね。こういうシビアな環境に身を置けば、客観的な自分が見えてくる。

久石:
あとはやっぱり、英国って、音楽のレベルが高い国なんです。僕らは音楽家なので、それが一番ですよ。例えば日本の電化製品は優れているって言われますよね。確かにわりと一般的な、安い商品に関してはレベルが高いかもしれない。でも音楽の世界におけるレコーディングの機材って、ほとんどが英国製なんですよ。「英国製」って聞いただけでは、とてもいい加減な代物に思えてきますけどね。でも、実はみんな英国製なの。

久石:
そんな機材を作ってしまう英国人たちがまたすごいと思う。あんまり英国人って働かないっていう印象がありますよね。でも音楽業界では、世界で最高峰の機材を英国人たちが作っているんですよ。「ロード・オブ・ザ・リング」も「ハリー・ポッター」も、サウンド・トラックはロンドンで録音していますよね。ハリウッド映画だって、一番大事な音楽はほとんどロンドンで録ってるんですよ。すると、やはりここは世界で一番良い音楽環境ということになる。ロンドンでのレコーディングを続けていると、そのレベルを絶えず意識させられます。

 

難しいものを難しく演奏せず、あくまでも音楽的に表現する

「25歳で初めて渡英したときには、夢のまた夢だったと思いますよ」と言う、ロンドン交響楽団を指揮しての録音作業。同作業に立ち会った関係者によると、久石氏はすべて英語で指示を出しながら、非常に和やかな雰囲気の中で作業を進めていたという。

久石:
ロンドン交響楽団とは、15年くらい前に、「水の旅人 侍KIDS」という映画のテーマ音楽を録ったんですね。また昨年には、前作となる「ミニマリズム」の録音も行いました。日本以外で音楽を表現できる場として、ロンドンでの活動がまた復活したというのがうれしいですね。

久石:
去年の「ミニマリズム」のときと全く同じように、演奏あるいは指揮をしながらロンドン交響楽団の皆さんに指示を出していくわけです。今年は一段二段と高いレベルでできました。非常に良い協調というか、お互い理解し合えた。演奏はやはり、1回目より2回目の方が、音楽上のコミュニケーションが増えるんですよね。例えば前作と同様に、マリンバの演奏で、非常に難しいところがあるんです。その部分に出くわすと、皆で「ああ、去年のデジャブだ」なんて言いながら、楽しみながら演奏していました。そういう意味では、コミュニケーションが上手くなっているんだと思います。

久石:
セッションは、1曲につき大体1時間半くらいの時間で仕上げていかなければなりません。その時間枠で仕上げるものとしては、今回、演奏する曲は難易度が高い。それをこのレベルでこなしてしまうロンドン交響楽団は、本当に豊かな力を秘めていると思います。難しいものを難しいように演奏するのではなくて、それをあくまでも音楽的に表現する。やはりこの辺は、さすが世界最高峰のオーケストラなのかなと感じましたね。

 

ときに難解とも受け取られる現代音楽の代表格であるミニマル・ミュージックに、音大時代からずっとこだわってきた。そのこだわりは、昨年にロンドン交響楽団との録音に臨んだアルバム「ミニマリズム」でついに具現化。そして今回、今度は映画・CM音楽の集大成となる「メロディフォニー」の録音を、再びロンドンで行った。

久石:
私には、大きな夢が2つありました。一つは、芸術家としての自分が追い求める、ミニマル・ミュージックをテーマとしたアルバムを完成させること。この目標は、昨年の時点で「ミニマリズム」というアルバムを完成させることで実現しました。ただそれだけではなくてもう一つ、これもやはり自分が長年続けてきた映画音楽やテレビ・ドラマのサウンド・トラックに代表されるメロディアスな音楽を、オーケストラを使って録りたいと去年からずっと思っていたんですよ。つまり、作家としての自分と、メロディー・メーカーとしての自分の両方を生かしたいというか。去年の「ミニマリズム」の録音時に書いていたノートを引っくり返してみると、両方の種類の音楽についてのメモを残しているんですね。年が明けて考えてみて、やはりこれは両方あってこそ自分の姿ではないか、と強く思うようになって。「ミニマリズム」と「メロディフォニー」の2つを持って、自分をすべて表現できるという気持ちです。

 

私にとっては、両方あって車の両輪みたいなものだから

勝手な思い込みであることは承知しながらも、久石氏にとっての2つの大きな夢がここロンドンで実現したことに、ロンドン在住者としての小さな喜びを感じた。同時に、「作家としての自分」と、「メロディー・メーカーとしての自分」という自身の2つの側面を、他人を分析するかのように、冷静に見つめているということに少し驚いた。その両極端な2つの側面を演出しようとするのであれば、対照性をより出すために、2つのアルバムを違う場所で、違うオーケストラを使って制作するという考えは浮かばなかったのだろうか。

久石:
いや、同じオーケストラを使って異なる音楽を演奏するからいいんですよ。というのも、私にとっては、ミニマル・ミュージックと、映画やテレビ・ドラマ、CMで使われることを念頭に置いて作曲した音楽の関係は、車の両輪みたいなものだから。作家性のある音楽をきちんと追求していきたいと思う自分と、エンターテインメントというか、大衆性を持つ音楽を皆さんに聴いていただきたいと願う2つの異なる自分は、いわば車の両輪なんです。ミニマル・ミュージックだけを作曲していたら、ロンドンでレコーディングする立場を築くのは正直言って非常に難しいですよ。ある意味では、エンターテインメントの分野で一般の方々からの支持をいただいているからこそ可能なことでしょう。

「メロディフォニー」収録曲の選定に際しては、インターネットでの一般投票を呼び掛けた。収録曲には、「となりのトトロ」や「菊次郎の夏」といった日本映画の名作で使われた、おなじみの作品が並ぶ。メロディー・メーカーとしての久石氏の真骨頂だ。

久石:
ほぼベストに近い音楽ができたと思います。ただ昔の作品ばかりを並べただけではおもしろくないので、できるだけ去年、今年までに作曲してきたものも網羅しようと試みました。オーケストラ演奏における楽器の色々な使い方は年々上手くなっているのに、昔の作品は、オーケストラの編成が小さいままなんです。だから、そうした部分を変えたりしました。また映画音楽として作曲したときに、映画のサイズになったままの曲があるんです。それを今回まとめて、一つの音楽作品として聴けるようにするのも狙い。例えば「坂の上の雲」といった現在進行形でオンエアされているテレビ・ドラマの曲も、11~12分の曲としてまとめ直しました。あるいは「魔女の宅急便」。個人的には1回もきちんとレコーディングしていないんですね。けれども今回は、ロンドン交響楽団と合体する形で録音し直すことができました。

 

疲れが限界を超えたときは、変に休まないで続ける

ビートルズの曲名にかけて、ロンドンでの日々を「『A Hard Day’s Night』だった」と振り返るほどの過密日程。録音作業は、文字通り、朝から晩まで続けられた。その中でも久石氏は、寸暇を惜しんでピアノの練習を行っていたという。

久石:
レコーディングでこちらに来る直前まで編曲作業などを行っていたので、ピアノを触る時間が1日に1時間もなかったんですよ。ピアノは間違いなく練習量が比例してくる楽器ですから。通常だと1日7、8時間は練習するのに、今回は1時間くらいしかできなかった。

久石:
3日間にわたってオーケストラとのレコーディングがあり、その後に迎えたピアノ演奏の収録の日は、朝から別の録音作業を始めて、午後は50人くらいのコーラスを指揮して、疲労もピーク。それからピアノの演奏をするのは少し厳しいんじゃないかと思っていたんですが、その中でも実は起きていたんで。限界を超えているときは、変に休まない。確か夜中に4時間くらいぶっ通しでピアノを弾いてました。疲れているときは、ピークを超したらひたすら集中する。休まずにもうひたすらそこに向かったのが、良い結果になったのではないかと思いますね。

作曲家であり、指揮者であり、演奏家でもある久石氏は、ときに一人で何役をも同時にこなすことを求められてしまう。そうした音楽活動を、何十年にもわたって続けてきたのだ。朝早くからのレコーディング作業を終えた後、夜10時過ぎになってもピアノを弾き続ける久石氏の姿を見ていたというDVD取材班の一人が、「その意欲はどこから生まれるのですか」と尋ねた。

久石:
それは、あの、やりたいことがあるから。そして、一つやりたいことができたと思うと、必ずその次に何かが起きるんです。あそこがもうちょっとだったなあとか。そう思ったときに、コマーシャル音楽や映画音楽の作曲だったり、コンサートだったりといった仕事を利用しながら、自分のやりたいことを追求できる。たぶんコンサートを成功させることを目的としてやっていても、個人的に自分が音楽家として抱えている問題を解消しようともしているんですよ。

久石:
だから、休む必要がないんじゃないですかね。例えば今回のロンドン録音でも、僕はピアノのレコーディングが終わったら2日間お休みになったんですね。でも、休んでなんかいません。あれはもう、数カ月後に行われるクラシックのオーケストラ演奏の準備のための時間だと思っていましたから。次にやらなければいけないことを時間的に逆算すると、今はどの位置にいるかという目安が常に見えるし、今回はここを絶対にクリアするという課題は絶えずありますよね。それをこなす、チャレンジしていくという気持ちの方が強い。

久石:
もっと完成されたものを考えたい、もっとレベルの高いものをという思いはいつも根底にはあるのですが、結局はディテールの積み重ねなんですよ。一つひとつの仕事を区切りにしながら、一個一個調整をしていく。指揮者としてもきちんとしたものができるようになりたい。もちろん作曲家としても。そういうようなことを僕は考えちゃいますね。

DVD取材班によるインタビュー収録を終えた久石氏は、束の間のコーヒー・タイムを取った後、またすぐに別のスタジオへと向かっていった。そして、改めて挨拶をしようと私たちがこの場所を訪れたときにはもう、同氏はレコーディングの編集作業に取り掛かっていた。自身の音楽活動を車の両輪に例えた彼は、その車輪をフルスロットルで回転させて、次の地点へと走り始めていた。

(出典:英国ニュースダイジェスト 久石譲インタビュー より)

 

 

「Melodyphony」
Melodyphony世界最高峰のオーケストラ、ロンドン交響楽団の演奏で収録した久石譲のベスト・アルバム。インターネットの人気投票を参考に収録曲を久石氏自身が選んだ。「メロディー+シンフォニー」から生まれたタイトル「メロディフォニー」の通り、メロディアスな美しい楽曲がラインナップ。昨年発表した現代音楽の作家としてミニマル・ミュージックを強く意識したアルバム「ミニマリズム」の対とも言える作品。

1. Water Traveller
(映画「水の旅人」メイン・テーマ)
2. Oriental Wind
(サントリー「伊右衛門」)
3. Kiki’s Delivery Service
(映画「魔女の宅急便」より「海の見える街」)
4. Saka No Ue No Kumo
(NHKスペシャル・ドラマ「坂の上の雲」)
5. Departures
(映画「おくりびと」)
6. Summer
(映画「菊次郎の夏」メイン・テーマ/トヨタ「カローラ」)
7. Orbis
(サントリー1万人の第九)
8. One Summer’s Day
(映画「千と千尋の神隠し」より「あの夏へ」)
9. My Neighbour TOTORO
(映画「となりのトトロ」 より「となりのトトロ」)

 

 

久石譲 『ミニマリズム』

Disc. 久石譲 『ミニマリズム Minima_Rhythm』

 

久石譲 『メロディフォニー』

Disc. 久石譲 『メロディフォニー Melodyphony ~Best of Joe Hisaishi〜』

 

 

久石譲 英国ニュース

 

Blog. 「冊子/Web R25 2009年9月17日付 Vol.248」 久石譲 「30年来の夢のアルバム」ロングインタビュー

Posted on 2015/2/10

Web R25 にて特集された久石譲インタビューです。2009年9月17日付 Vol.248 にて久石譲のロングインタビューが掲載されました。同時に冊子(無料)掲載もされています。

ちょうどオリジナル・アルバム『ミニマリズム Minima_Rhythm』(2009/8/12)が発表され、それをひきさげてのコンサート・ツアー「久石譲 Orchestra Concert 2009 〜ミニマリズムツアー〜」(2009/8/15-2009/9/3)終演後のインタビューという時期になります。

 

 

ロングインタビュー
Vol.251
BREAKTHROUGH POINT ~つきぬけた瞬間

人生の壁にぶつかった時、彼らは何を思ったか?
あの人の25歳のころと今をインタビュー。

 

Profile

1950年長野県生まれ。国立音楽大学在学中よりミニマル・ミュージックに興味を持つ。81年『MKWAJU』を発表。82年には『INFORMATION』でソロアーティストとして活動。『Piano Stories』をはじめ、多数のソロアルバムをリリース。一方で84年の 『風の谷のナウシカ』 以降、宮崎 駿監督9作品の音楽を担当。北野 武監督の諸作やアカデミー賞外国語映画賞受賞作『おくりびと』など、多数の映画音楽を手がける。09年1月にはクラシックの指揮者デビュー。そしてこの8月、ルーツに立ち返った新作『ミニマリズム』をリリース。さらにアグレッシブな活動を展開する。

 

その名を見るだけで脳裏に甦る。

ピアノと弦ととても叙情的なメロディ。

それだけでグッとつかまれて、不覚にも泣きそうになる。

でも、べつに泣かせるメロディが得意なわけではない。

音楽づくりの根っこにあるのは高い理想とクールな理論。

クラシックの作曲家が軸足をポップスに移し、活躍してきた。

そして今また、クラシックの側から音楽を作った。

そんな、不安と努力と戦いと理論と、少しの満足のお話。

 

 

インタビュー INTERVIEW

「30年来の夢のアルバム」

9月2日夜、サントリーホール。

舞台上の久石譲は何度か小さくガッツポーズをしていた(ように見えた)。コンサートマスターやソリストと握手し、“オーケストラに拍手を”と腕を広げる。満面の笑み。

8月にリリースされたソロアルバム『ミニマリズム』をフィーチャーしたコンサートツアー。開演の直前、舞台に現れた久石譲は「30年来の夢のアルバムです」と言った。

1950年生まれ。スタジオジブリ作品や北野映画の映画音楽、数々のCM音楽を手がける…というか、すでに頭に何らかの久石メロディが流れてるでしょ? だがそれらはたぶん、彼がポップスに転じてからの作品である。

そもそもは現代音楽の作曲家だ。

 

ポップスのフィールドへ。クラシックへの回帰を

久石:
「20代のときには、いわゆる芸術家をやってたわけですよ(笑)。“音楽ってなんなんだ”って絶えず問い続けていて── 。論理的な構成に基づいて音楽を作っていきたいという気持ちがずっとあった。今もそうなんです」

現代音楽は、西洋クラシック音楽の流れを汲むものだ。ベートーヴェンやモーツァルトなど、いわゆるクラシックの作曲家たちが、彼らの時代での新しいことを音楽で成し遂げようとしていたのと同様、現代音楽の作曲家たちも様々なやり方で、現代の作曲家としてなすべきことを追究していた。

久石譲が実践していたのはミニマル・ミュージック。短いパターンをほんの少しずつ変化させながら反復することで曲を構成する。そのわずかな変化を劇的に感じさせる音楽である。

久石:
「そういう前衛的なところに身を置いていたから、曲を作ったときも、どんなコンセプトを作ったかが重要だった。つまり音楽より言葉で表現することの方が多くなるわけ。“こういう意図でナニナニで~時間軸に対するどうたら~”とかって(笑)。どんどん高じていくと、それは果たして本当に音楽をやっていることになるのだろうかと、疑問を持ち始めたんです」

音大でミニマルと出会い、20代は、作品づくりとその表現に費やした。

久石:
「あるとき、ふとポップスの世界に目を向けたら、イギリスではフィル・マンザネラとかブライアン・イーノが活躍しててね。こっちが現代音楽という枠に囚われて動けなくなってるのに、彼らはパターン的なものをポップスに取り入れて自由にやっていました」

イーノの『ミュージック・フォー・エアポーツ』(78年)は空港で流すことをコンセプトとしたアルバム。場内アナウンスを想定し、曲はどこで切れてもいいように作られ、人間の会話を邪魔しない周波数で構成されていた。

久石:
「すばらしい作品でしたね。そういうのを見ると、自分もこのままではダメだ、そろそろなんとかしなければと」

そしてポップスの音楽家に。82年にワンダーシティ・オーケストラ名義で『INFORMATION』をリリース。これが実質的なソロデビュー作。

久石:
「ポップスのフィールドっていうのは、そもそも論理的ではないから何をやってもいいんですね。売れたら正義、つまり観客がいて初めて正義になるわけだから、理屈だけでやってた世界とは決別したということでしたね」

『INFORMATION』をきっかけに宮崎 駿監督と出会い、84年には『風の谷のナウシカ』で、初めての映画音楽を手がけている。

久石:
「ナウシカも聴いてもらうとわかるんですが、ほとんどワンコード。映画のなかの音楽は、オープニングからテリー・ライリー(ミニマルの創始者)のようなオルガンだけ。あんまり器用じゃないということもありますが、実は自分のスタンスはあんまり変えてなかったんですけどね(笑)」

でもそこには大きな差があった。

久石:
「クラシックのフィールドに立つと、“作品”を書かなくてはならない。それ自体が音楽として成立するような作品を絶えず書き続ける必要があります。でもポップスに身を移してからは、作品を一切書かなくなりました。もちろん、折々にアプローチはしてきました。ポップスのフィールドにありながらギリギリ許せる範囲でミニマルに寄った曲を作ってきました。でもそれはクラシック的な意味あいでの“作品を作る”ことではなかった」

おおよそ27年が過ぎ、この夏、『ミニマリズム』が生まれた。その最も重要な背景は「自分のなかのクラシックを見つめ直すこと」。

久石:
「このごろ、よくクラシックの指揮をします。僕は大学時代、ほとんどいわゆる“クラシック”を勉強してこなかったんです。やりたい現代音楽に夢中だった。たとえばベートーヴェンの『運命』なんてのは、当然アナリーゼ(楽曲分析)の授業でやりましたけど、“ああ、クラシックね、はいはい”っていう意識しかなくて(笑)。でもいざ自分で振るとなるとまったく別なんですね。ひとつのシンフォニーを指揮するには、3カ月は譜読みをします。同じ曲なのに、大学時代とは違うものが見えます。 ある仕掛けが生み出す効果や、“なるほど”と思うことが非常に多くて。それで、僕は自分のなかのクラシックをもう一度見てみたいと思うようになったんです」

20代で煮詰まり、見えなかったものが50代も終わりにさしかかり、見えるようになるのではないか、と。

久石:
「だから今回は、今までの立ち位置ではなく、もう一度完全にクラシックに自分を戻して書いたんです。そういう意味では、これは僕の“作家宣言”といっていいでしょうね」

 

20代へのメッセージ、満面の笑みの意味

「基本的に感性は信用しない」という。新しい恋や、刺激的な体験によって内面から音楽がわき上がるのならば、逆にいうと、そういうものがない限り新しい音楽はつくれないことになる。

久石:
「感性に頼って曲をつくるところには、自分に対する課題がないんですよ。自分をどうやって高めていくかを考えていない。音楽っていうのは、96%まで技術です。やりたいものがあってもそれをかたちにするには徹底した技術力が必要です。それは日々の努力で確実に身につく。技術を背景に、頭のなかで分析して作る。ギリギリまで理論で押し通し、最後の最後、曲が曲として完成するときには、“1+1=2”にならない部分が出てくるんです。だから、芸術なんですよね。そのときに“これしかない”と思えるものに出会って曲は完成するわけです。最後に出てくる要素がなんなのかがわかったら、ものすごく楽なんですけど、これは一生わからない(笑)。追究していくしかないんですよね」

最近上梓された対談本『耳で考える』に、「若いうちから理論でがんじがらめになってのたうち回るくせをつけろ」という一文があった。ときに理論は、自分の理想と違う方向の音を強要することがあるらしい。そこで葛藤が生まれる。

20代へのメッセージをもらった。

久石:
「20代ってとくに“自分が特別だ”“社会のシステムの中に自分を置きたくない”って絶えず考えてますよね。僕は今でも、曲を作るときには葛藤します。単純な意味での自由なんて、どこまでいってもないんですよ。だから、そのことを早い段階で自覚した方がいい。そのうえで会社を利用し、たくましく自分なりの人生を組み立てていく方がいいと思うんです」

ただそれには自分を強く信じる必要がある。そしてそのためには、乗り越えるべき壁のような存在に、早いうちに出会っておくこと。

久石:
「その壁へのアンチテーゼから、人は自分の生き方を探し始めるわけだから。本来なら、父親がたぶん人生の一番最初の壁だったはずなんだが…何せ今、親が弱くなっちゃったから。乗り越えるべき壁ではない。お友だち感覚でしょ。会社も同様ですよね。上司もみんなお友だち状態でね(笑)」

日本の若者は、社会に対する怒りがないという。フランスではすぐにデモが起こる。若者が騒ぐのだが…。

久石:
「目的が見つからないし、みんな頭がよくなって、先のことがわかってるのかな。大学を出るころに55歳まで見えちゃってるのかもしれない(笑)」

久石譲は、30年越しの夢のアルバムを完成させた。若かりし日には思いもよらなかったことだ。そしてコンサートで満面の笑み。

久石:
「音楽をしているときは一番楽しい。ただオーケストラには、自分や各パートの動揺は瞬時に伝わります。100人いるから、アクシデントや間違いは起きる。でも曲はその時点で終わりじゃない。瞬間瞬間が過去になるんです。“心配しないでいいよ、まだ先があるぜ”ってカラダで表現して、最後まで行かなきゃなんない。それと観客の反応。僕にはホールのテンションを最高ものにする役割もある。その日はオケを初めて聴く人がどのぐらいの割合なのか、どうすればあまり固くならずに聴いてもらうことができるかを瞬時に判断しながらやっていくんですよ。すごく燃えていながらも、これ以上ないほどクール。舞台での2時間半のあいだ、起こることにはすべて責任をとるつもりで振っています」

最高のカタルシス。でも冷徹にオノレを見つめる目はあるのである。

 

編集後記

若者たちの未来への目線に「ロマンがない」とダメ出ししつつ、彼自身も決してバラ色の未来を夢見ていたわけではなかった。ただ、覚悟だけはあった。「音大生っていうのは教職を取るんですよ。僕はとらなかった。ウチの父親は高校の先生で、僕も実は教えるの得意です(笑)。でもそういうの(教員免許)をもってれば、ホントに食えなくなったらどこかで教えようってなっちゃうから、退路を断つ意味もあって取らなかった。思い込みはすごく激しかった」

(出典:Web R25 BREAKTHROUGH POINT 久石譲 ロングインタビュー より)

 

 

 

from 冊子版

 

 

久石譲 モノクロ

 

Blog. 「作家で聴く音楽」 JASRAC 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/02/9

2007年の久石譲インタビューです。

インタビュー掲載当時の紹介プロフィールをご覧いただくとその時期の音楽活動内容も垣間見ることができます。ちょうどオリジナル・アルバム「Asian X.T.C」を発表した時期です。

 

 

「作家で聴く音楽」 JASRAC会員作家インタビュー

– PROFILE –

1950年長野県生まれ。国立音楽大学在学中から現代音楽に興味を持ち、コンサート、演奏、プロデュースを数多く行う。1982年、ファーストアルバム「INFORMATION」を発表し、ソロアーティストとして活動を開始。以降、「Piano Stories」、「My Lost City」、「地上の楽園」、「WORKS」、「Shoot The Violist」、「ENCORE」、「ETUDE~a Wish to the Moon~」、「Asian X.T.C.」など多数のソロアルバムを生み出す。

映画「風の谷のナウシカ」以 降、宮崎駿監督の「となりのトトロ」、「もののけ姫」や、北野武監督の「HANA-BI」、「菊次郎の夏」など50本以上の映画音楽を担当し、これまで数度にわたる日本アカデミー賞音楽賞最優秀音楽賞をはじめ、第48回芸術選奨文部大臣新人賞(大衆芸能部門)、淀川長治賞など、数々の賞を受賞。また、サントリーCM「伊右衛門」の音楽で第45回ACC広告大賞の最優秀音楽賞を受賞するなど、CM音楽の分野でも活躍している。

1998年に開催された「長野パラリンピック冬季競技大会」式典・文化イベントでは、プロデューサーとして総合演出を担当。2001年には「Quartet カルテット」で自らも映画監督としてデビュー。音楽・脚本(共同)をも手がけ、高い評価を受けたほか、同年に福島県で開催された「うつくしま未来博」でもメインイベントの総合演出を手がけ、日本初のフルデジタルムービー「4MOVEMENT」を監督第2作目として発表するなど、多方面にわたりその才能を発揮している。

2004年には、“新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ”の初代音楽監督に就任。現在までに4回の全国コンサートツアーを敢行している。また近年は、韓国映画「トンマッコルへようこそ」での音楽監督、香港映画「A Chinese Tall Story」での音楽監督、中国映画「叔母さんのポストモダン生活」、「The Sun Also Rises」の音楽を担当するなど、アジアでの活躍も多彩。

最近では、公開中の映画「マリと子犬の物語」、宮崎駿監督作品「崖の上のポニョ」(2008年夏公開予定)、キム・ジョンハク監督による韓国ドラマ「太王四神記」の音楽制作を手がけるなど、その活躍はとどまるところを知らない。

「千と千尋の神隠しBGM」で2003年JASRAC賞金賞、「ハウルの動く城BGM」で2007年JASRAC賞金賞を受賞。1980年3月からJASRACメンバー。

 

作曲家を志すまで

僕は信州中野の出身です。信州中野は、作曲家の中山晋平さんや、作詞家としても知られる国文学者・高野辰之さんなどを輩出した土地なのですが、音楽教育が特に熱心な土地というわけではないと思います。僕の場合、たまたま「鈴木慎一バイオリン教室」が近くにあったので通い始めたんです。4歳の頃でしたから詳しいことは憶えていませんが、おそらく自分から言い出したんだと思います。

音楽をやっていこうというのは、その頃から思っていましたね。考えるというよりも、それが当然だと。ただ、中学生くらいになって、具体的に音楽でどの道に進もうかと考えたときに、自分は演奏に興味があるほうではなかった。トランペットは結構上手かったんですけどね(笑)。でも、トランペットを演奏して誉められるよりも、下手なアレンジでも一生懸命譜面を書いて、それをみんなに聴かせるときのほうがずっと楽しかった。それで、中学2年生くらいのとき、作曲家になろうと思ったんです。

 

尖っていた大学時代

上京して東京の音大に進んでからは現代音楽にのめり込み、武満徹さんやクセナキス、シュトックハウゼンなど様々な作家の作品を聴きあさりました。また、自分の曲を発表する場をつくるため、5、6人の作曲家の新作展みたいなものを自分でプロデュースして開いたりもしていましたね。学生とはいえ、発表会程度で済ませるのは絶対に嫌でした。ちゃんとしたホールで、一流の演奏でコンサートを開きたいと思って、有名な作曲家に作品を依頼したり、すごく安い謝礼でNHK交響楽団の人たちに演奏をお願いしたりしていました。大学の先生が売り込みに来たこともありましたよ。「次は僕の曲をやってほしい」とか(笑)。まあ、そんなやり方をしていたから学校では目立っていたし、傍から見たら尖った学生だったと思いますね。

 

知的な興奮のない音楽には興味がない

大学在学中に、現代音楽の新しいジャンル、ミニマル・ミュージックに出会いました。ミニマル・ミュージックとは、非常に短いフレーズをわずかに変化させながら繰り返すことで、微細な変化がとても重大な変化に感じられるようになる、いわゆる前衛音楽です。僕はこの音楽に魅せられ、20代の大半はミニマルの作曲家として活動していました。小規模の映画やテレビの仕事のほか、レコードのアレンジなどはしていましたが、メインは現代音楽でしたね。30代前半くらいからはポップスの領域にもフィールドを広げて今に至るわけですが、僕のベーシックな部分は、驚くほど当時と変わっていません。映画音楽などを手がけるようになったことで、作品にメロディという要素が加わりましたが、基本的に自分は現代音楽の作曲家だと思っています。知的な興奮のない音楽には興味がないんですね。ですからクラシックに凝り固まるのも好きではないし、単にポップスっぽいものにも何だかあまり興味がない。自分のスタイルを模索していく中で、表現したい音楽に近い方法を選んできたということです。

 

1枚のCDを介したリスナーとのコミュニケーション

若い頃は、文化に立ち向かうような気持ちで、客が誰もいないところで前衛音楽をやっていましたから(笑)、もっと尖っていきたい、もっとアートに突っ走ってしまいたいという欲求は今でも持っています。ただ僕は、久石譲のそういう側面を理解してくれている人たちのためだけに音楽をつくっているわけではありません。僕の音楽を聴いてくれる人たちには、『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』から入った人もたくさんいるわけです。それは言わば、久石譲の全国区的な、NHK的な側面ですよね。そういった一般の人たちに「あれ?」って思わせてしまうのは失礼かな、という思いはある。ですから、尖りすぎたアルバムをつくった後には比較的わかりやすいものをつくるとか、その辺りのリスナーとのコミュニケーションの取り方というのは常に考えてアルバムを制作しています。

そういう意味では、昨年リリースした『Asian X.T.C.』は、方法論として良かったのかどうか、まだ自分の中で結論が出ていない作品です。この作品では、ちょっとポップス寄りのメロディアスな作品と、ミニマルの攻撃的な姿勢の作品を、昔のレコードのようにA面とB面で完全に分けてしまうという方法をとりました。音楽家の意図としては非常に明快ですし、作品としてもすごく納得しているつもりなんですが、あのような形式が本当にリスナーとコミュニケーションを取れる方法だったのか。それを考えると、まだちょっとクエスチョンマークが付いていますね。

 

本当に気に入った作品を、まだ書いていない

納得がいく作品というのはなかなかないんですよ。例えば、1本の映画で30曲ほど書くわけですが、メインテーマについてたとえ皆が「すごくいい」と喜んでくれたとしても、その30曲のうち5、6曲は「こんなはずじゃなかった」という気持ちがある。弦の書き方とか、メロディラインにインパクトが少ないとか、いろいろ引っかかるんですね。ソロアルバムを制作しても、収録した10数曲の中にはそういう曲が何曲かあって、でもまあいいかと思って入れてしまったものが、やっぱり自分の中で引っかかっていたりします。あるいはアルバムのコンセプト自体、もうちょっと尖ればよかった、ちょっと迎合しちゃったかな、とか。そうすると、できなかったことを次の仕事で確実にクリアしたいという思いが強くなる。でも、それをクリアすると、また別の課題が出る。どんな場合でも満足することがないから、次の可能性に向けてチャレンジができるんです。経験したり勉強することで身につくことが必ずありますから、表現するということは一にも二にも勉強だと思います。

納得のいく作品をあえて挙げるとすれば、1992年に発表した『My Lost City』というソロアルバムと、2003年の『ETUDE』というピアノのソロアルバムでしょうか。この2枚は、世間での評価とは関係なく、あのときにあの作品ができたことがすごく良かったと思える作品ですね。

 

映画監督を経験してわかったこと

映画音楽は今までたくさん手がけてきましたが、2001年に、弦楽四重奏団を題材にした映画『カルテット』を自分で監督したときには、映画を撮るということはこんなに怖いことかということを痛感しましたね。映画監督の場合、例えば主人公が何を着るのかまで全部決めなければなりません。いくつか選択肢がある中で、自分が選んでいるものというのは、結局自分が好きなものなんですよ。黒いTシャツに黒めの服とか、気づいたら普段自分が着るものなんです。音楽というものは抽象的ですから、作品を聴いてもその音楽家の人格まではわかりませんが、映画の場合、いいと思うことを素直にやっていくと、そのままの自分が出てしまう。「これはいやだな」と思いましたね(笑)。おそらくプロの監督の方だったらまた違うんでしょうけれども。撮影はとにかく大変でしたが、映画監督を経験して得たものは、その後の映画音楽の制作にも非常に役立っています。

 

音楽家にとって日本人であることとは

僕の音楽は、宮崎駿さんや北野武さんの映画に使われていることもあり、世界中で流れていますし、たくさんの国から作曲のオファーが来ます。仕事をするうえで、日本を背負っているという意識はありませんが、日本人であることの誇りは持っていますね。ただ、音楽家にとって重要なのは国籍ではなく、“どういう曲をどういうレベルで書けているか”ということ。ですから、日本の映画音楽を1本手がけるとしても、そこで書く音楽、たとえば弦の書き方は、それ自体は絶対にジョン・ウィリアムスには負けたくない、負けちゃいけないという志を持っています。クラシックの作曲家のスコアを見てもわかるとおり、弦の書き方ひとつとっても、精度を極めた緻密な書き方が世の中にたくさんあるわけです。自分はそれと比べ、どのくらいのレベルに達しているか。そういうことはすごく考えますね。そして、考え抜いていった先の個性という段階で、自分が日本で生まれ育ったという、この環境で育まれた良さがきっとあるだろうと考えます。ですから、自分が日本人であるとかアジア人であるというのは非常に深い部分で出てくるべきことであって、安易にアジアのエスニック楽器を使ってしまうとか、そういうようなレベルでの仕事のし方は良くないと思っています。

とはいえ、近年はアジアでの仕事も増え、以前よりも自分がアジア人であることを意識するようになりました。日本人は、長い間欧米を見習いながらやってきましたから、殊に音楽の面では、アジアは遠い存在になっているところがある。けれども、自分たちがアジア人であることは間違いないわけですから、そこでのアイデンティティのあり方というのは大いに考える必要があると思っています。

 

国によって違う著作権の意識

著作権法は国によって微妙な違いがありますよね。日本で上映されることを前提に制作した映画音楽が外国で使われた場合、どちらの国の著作権の考え方を適用するかなどでは、僕は外国とも結構闘ってきたつもりです。宮崎駿さんの映画以前には、邦画が海外で本格的に上映されることはほとんどありませんでしたから、そうした権利主張をしたのは、おそらく僕が最初だったのではないかと思います。そうした経験から言えば、もうちょっと世界で統一されたルールがあればいいな、とは思います。ただ、日本の法律の考え方を曲げてまで、中途半端に外国に媚びを売る必要はない。「日本はこうやって作家を保護している」というやり方があるなら、それをきちんと主張していくべきだと思いますね。

アジアの国々の「著作権の意識の低さ」もよく指摘されるところです。でも、ついこの前まで日本も同じようなものでしたから、偉そうなことは言えないと思いますね(笑)。著作権というのは、オリンピックを開催する頃から意識が高まってくるんです。オリンピックを成功させるためには、スポーツだけではなく、知的な部分も含めたコミュニケーションを世界的に図れる体制をつくらなければいけませんから。韓国が著作権について意識しだしたのはソウルオリンピックの頃だと思いますし、日本だって、新しい著作権法が施行されたのは東京オリンピックの後でしょう。来年は北京ですから、中国に関しては少しずつ良くなっていくのではないでしょうか。

北京などでは、僕のCDは数年前に発売されたばかり。ところが、去年コンサートを開いたところ、チケットは即日完売で、ものすごい人なんです。しかも、全員僕の曲を知っているんですよ。発売されていないものまでインターネットで聴いている。だったら、「聴くな」という統制をするのではなく、きちんと流通させたうえで著作権を保護した方がよほどいい。人々の「聴きたい」という気持ちに歯止めをかける理由はどこにもないですよね。

 

僕にとって音楽とは

一般の方は、作曲家というのはルーティンワークからは一番縁遠い職業のひとつだと思っているでしょうが、僕などはむしろ、サラリーマンの方より規則正しい生活をしているかもしれません。サラリーマンの方とは6時間くらいずれていますが(笑)、それはもう判で押したような生活ですね。朝起きてシャワーを浴びて、食事をとる。13時くらいから曲づくりを開始して、夜中まで。帰ってきて、ちょっとお酒を飲んで寝る。こんな日常の中で、ルーティンワークのように延々と同じことを繰り返していると、やっぱり苦しくなって、逃げたくなるときはありますよ。それでも音楽を続けるのは、僕にとって音楽は、生きることそのものだから。今までずっと、僕は音楽を通して世の中を見て、音楽を通して生きるということを考えてきました。そして、これからもそうするでしょう。「音楽」というのは、イコール「生きること」なんです。僕にとってはね。

(「作家で聴く音楽」 JASRAC会員作家インタビューより)

出典:「作家で聴く音楽」 久石譲

 

久石譲 JASRAC

 

Blog. 「久石譲 サマースペシャル2010」 コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/2/8

2010年8月に開催された久石譲コンサート「久石譲 サマースペシャル2010 ~子供たちとかつて子供であった大人のコンサート~」

聴き馴染みのあるクラシック音楽と、久石譲ジブリ音楽を中心に、親しみやすいオーケストラ・コンサートとして企画された構成です。楽曲解説を見てもわかりますが、ちょうどこの年の9月に最新オリジナル・アルバム「メロディフォニー」が発売されています。

その発売記念と先行のお披露目ふくむ、久石シンフォニーとなっています。「KIKI’S DELIVERY SERIVE」「Oriental Wind」、そしてアンコールで演奏された「One Summer’s Day」。日本初演、改訂初演を多く盛り込んだ、まさにひと夏のスペシャルなコンサートプログラム。

 

 

久石譲 サマースペシャル2010 〜子供たちとかつて子供であった大人のコンサート〜

[公演期間]
2010/08/06,07

[公演回数]
2公演
8/6 長岡・長岡市立劇場大ホール
8/7 東京・すみだトリフォニーホール

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
語り:志茂田景樹
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コーラス:リトルキャロル

[曲目]
歌劇 「ウィリアム・テル」 序曲 (夜明け~嵐~牧歌~スイス独立軍の行進)
天空の城ラピュタ (トランペット:David Herzog)
バレエ組曲 「くるみ割り人形」 より
(小序曲~行進曲~こんぺい糖の踊り~トレバック~アラビアの踊り~中国の踊り~あし笛の踊り~花のワルツ)

オーケストラストーリーズ となりのトトロ (語り:志茂田景樹 コーラス:リトルキャロル)
亡き王女のためのパヴァーヌ
Kiki’s Delivery Service
Oriental Wind

—アンコール—
One Summer’s day (for Piano and Orchestra)
崖の上のポニョ (コーラス:リトルキャロル 英語詞)

 

 

 

当日配布されたコンサート・プログラムより、各楽曲解説をご紹介します。

 

天空の城ラピュタ

1986年のスタジオジブリ制作、宮崎駿監督作品「天空の城ラピュタ」より。
「天空の城ラピュタ シンフォニー編~大樹」に収録されている「プロローグ~出会い」をベースに、ワールド・ドリーム・オーケストラのために書き下ろしたアレンジ。サウンドトラックよりもさらにスケールアップされ、シンフォニーの壮大な響きとともに、トランペット・ソロが大きな聴きどころのひとつとなっている。冒頭から高らかに奏でられるトランペット・ソロの「ハトと少年」と、おなじみのメイン・テーマ「君をのせて」の、2つのテーマから成る。トランペットとオーケストラの掛け合いは、ときには勇ましく、ときには懐かしく哀しく、血湧き肉躍る冒険活劇の世界を十二分に楽しませてくれる。

 

オーケストラストーリーズ となりのトトロ

初めてオーケストラに接する子供たちと大人たちのために、オーケストラの入門編としてつくられた作品。宮崎駿監督作品「となりのトトロ」を素材にした、親しみやすいシンプルなメロディと、ストーリー性に富んだ展開は、オーケストラ組曲としても高い完成度を誇り、2002年に作曲されて以降、人気を博している。導入部の「さんぽ」では、オーケストラに登場する各楽器の音色や特徴をわかりやすくナレーションで解説。そのほか、「五月の村」「ススワタリ~お母さん」「トトロがいた!」「風のとおり道」「まいご」「ネコバス」「となりのトトロ」と、8つの小曲から構成されている。今回、3管編成としてアレンジされた楽曲に、「となりのトトロ イメージ・ソング集」に収められていた宮崎駿監督と中川李枝子さんの歌詞を新たに加え、一層魅力溢れるものに生まれ変わった。また、「風のとおり道」も、本コンサート用に、コーラスとピアノをフィーチャーした曲として再構成してお届けする。

 

KIKI’S DELIVERY SERVICE

1989年制作、宮崎駿監督作品「魔女の宅急便」より。
秋に発売が予定されている久石のソロアルバム「メロディフォニー(仮題)」のために書き下ろされた「KIKI’S DELIVERY SERVICE (海の見える街)」を日本初演する。愛くるしさいっぱいの軽やかなリズムと、可憐なメロディ、そして中間部の大人びたジャジーな洗練された香りは、大人へと成長していく、映画の主人公・魔女のキキそのもののように、様々な表情を魅せてくれる。ピアノとヴァイオリン、弦楽オーケストラを主体に贈る本楽曲は、小編成ながらも魅力満載である。

 

歌劇 「ウィリアム・テル」 序曲

イタリアの作曲家ロッシーニは主にオペラの作曲家として有名で、生涯で39作のオペラを残した。オペラ全曲も数多く上演されるが、序曲はそれ以上にコンサートで演奏されている。「ウィリアム・テル」はロッシーニのオペラでは最後の作品であり、1826年にパリで書かれている。内容は13世紀スイスの独立運動におけるひとりの勇者を描いたもので全曲上演すると5時間はかかる長大な作品だが、全体の雰囲気は〈夜明け~嵐~牧歌~スイス独立軍の行進〉という4部構成のこの序曲で感じることができる。

 

バレエ組曲 「くるみ割り人形」 より

ロシアの代表的作曲家チャイコフスキーがバレエのために1891年から1982年にかけて書いた作品で、原作はホフマンの「くるみ割り人形と二十日間」である。本日演奏するコンサート用組曲はバレエの初演に先駆けて演奏されたもので、「小序曲」「行進曲」「こんぺい糖の踊り」「トレパック」「アラビアの踊り」「中国の踊り」「あし笛の踊り」「花のワルツ」で構成されている。どれをとってもメロディ・メーカーのチャイコフスキーの面目躍如といったところで、現在世界中で愛され続けているのもうなずける。

 

亡き王女のためのパヴァーヌ

「ボレロ」や「マ・メール・ロワ」などで有名なフランスの作曲家モーリス・ラヴェルが1899年にもともとはピアノのために書いた作品であるが、本人の手により管弦楽用に編曲された。編曲されたのは今からちょうど100年前の1910年のこと。「パヴァーヌ」というのは16世紀イタリアを起源とする宮廷舞曲である。ホルンのソロによる愛しく、哀愁漂うメロディーが印象深く、現在でも頻繁に演奏されている。

 

Oriental Wind

2004年より放映中のサントリー・京都福寿園「伊右衛門」CM曲より。
こちらも新作ソロアルバム「メロディフォニー(仮題)」用に書き下ろされたオーケストラ・ヴァージョンをお披露目する。今や、お茶の間のおなじみとなった美しい旋律は、黄河の悠々とした流れをイメージしてつくられたとも。しかし、朗々とした格調高い優雅なメロディの裏には、繊細なリズムや激しいパッセージの連続があり、とても複雑な内声部によって支えられている。オーケストラ泣かせとも言えるほどの難易度の高い曲でもあるが、それ故、聴く者の心に刻み込まれ、何度も聴きたくなるのである。

(「久石譲 サマースペシャル2010」 コンサート・パンフレット より)

 

 

久石譲 サマースペシャル 2010

 

Blog. 「シネマトゥデイ」 Web 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/2/6

2013年6月9日付 Web 「シネマトゥデイ」に掲載された久石譲インタビューです。

2013年公開 映画「奇跡のリンゴ」監督:中村義洋 音楽:久石譲 出演:阿部サダヲ 菅野美穂 他この映画公開に合わせて行われたインタビュー内容になります。

 

 

久石譲が語る映画音楽の極意…「映画音楽ほど、映画的なものはない」

絶対不可能といわれていたリンゴの無農薬栽培をめぐる実話を基にした映画『奇跡のリンゴ』の音楽を手掛けた久石譲が、映画音楽についての持論を展開した。久石はこれまで宮崎駿、北野武、大林宣彦など、日本を代表する映画監督の作品に多く関わり、国内外で映画音楽の大家として知られているが、「いまだに映画音楽は難しい」と意外な胸中を打ち明けている。

映画音楽を制作する際、久石が何よりも大事にしているのは、脚本、そして監督の意図。だが、「音楽を言葉で表現すること自体が難しいじゃないですか。その最も抽象的である、音楽言語というまったく別の言語について、監督とイメージを共有しないといけないんですよ」と語る通り、それは決して簡単な作業ではないという。そうしたことから、久石は少なくとも一度は撮影所なりロケ地なりに顔を出し、現場の雰囲気にじかに触れることを大切にしているそうだ。

本作でも、舞台となっている青森の撮影現場を訪れたが、そこで最も印象に残ったのはビル脇の物陰で脚本を広げ、これから撮るシーンを考えている中村義洋監督の姿だった。「もともと音楽打ち合わせのときから、監督とは音楽に対する意見や考え方がほぼ一致していて、似たイメージを持っている方だと感じていたんですが、それを見たときにすごく真面目な、良い人……と言ったら変だけど、とても親近感が湧きました」と初タッグとは思えないほどのやりやすさがあったと語る。

そのように脚本や監督の意図を重視する一方で、「役者に合わせて音楽を付けることは百パーセントあり得ません」と役者ではなく、劇中の登場人物としての役割や立ち位置に重きを置いていることを明かした。長いキャリアを振り返ると「僕が担当させていただいた作品に結構出ていらっしゃるんだけど、一度も音楽を付けたことのない俳優はいますが……」と例外もある様子だったが、それについても意図的なものではなく、「たぶん、音楽を付けないでも成立する方なんだと思います」と分析。「実際にスクリーンに映っているのは役者なので、知らずに影響を受けているかもしれませんが、気にしたことはありませんね」。

では、そんな久石の映画音楽の秘訣(ひけつ)はというと、「エンターテインメント性が強い作品はできるだけ音楽を多く、実写としてのリアルな作品には極力付けない」ことだという。それは「映画音楽は虚構中の虚構なんです。リアルなこの現実世界で、恋人とワインを飲んでいたからといって音楽は流れてくれないでしょう? 音楽は実際には見えない心情を語るのが得意な分野で、だからこそ、これほどうそくさいものはないと思うんですよ」という自身の哲学にのっとってのことだ。

「でも、映画自体がフィクションですから、僕は『一番映画的であるというのは、映画音楽だ』とも思っています」と話す久石からは、自身の仕事に対する誇りもうかがうことができた。「どうやってクリエイティブに内容を良くするか。次はどういうふうな方法を取るのか、どのように精度を上げていくのかということしか考えていませんね」と笑う彼の顔には活力がみなぎっていた。(編集部・福田麗)

映画『奇跡のリンゴ』は6月8日より全国東宝系にて公開

(出典:シネマトゥデイ 久石譲が語る映画音楽の極意 より)

 

久石譲 シネマトゥデイ

 

Blog. 「東洋経済オンライン」Web 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/2/5

2013年6月8日,14日付 「東洋経済オンライン」に掲載された久石譲インタビューです。

2週間にわたって掲載されたインタビューは読み応え満点です。時期的には、2013年公開 映画「奇跡のリンゴ」この映画公開に合わせて行われたインタビューです。もちろん同映画のことも語られていますが、映画音楽の制作プロセス、仕事哲学、リフレッシュ法など、久石譲のいろいろな顔が垣間見れるインタビュー内容です。

 

 

interview 映画界のキーパーソンを直撃

「世代なんて関係ない」久石譲の仕事哲学とは
久石譲は「蹴落とす」タイプ?

『奇跡のリンゴ』。2006年にNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介され、大きな反響を集めた実在のリンゴ農家・木村秋則氏の実話だ。その後、そのエピソードが書籍化され、そして映画化。6月8日から全国東宝系で公開される。

絶対不可能だと言われたリンゴの無農薬栽培を成功させるために、試行錯誤を繰り返し、周囲からは白い目で見られ、そして妻や3人の娘たちにも十分な食事を与えられないような極貧の生活を強いられる日々。想像を絶する苦闘と絶望の果てに見つけた奇跡とは……?

『ゴールデンスランバー』の中村義洋監督がメガホンを執り、阿部サダヲ、菅野美穂、池内博之、原田美枝子、山崎努ら実力派が集結した本作。早くもハリウッドでリメイク企画が進行中であるなど、注目を集めている作品だ。

この映画作品で音楽を担当するのは、日本を代表する作曲家の久石譲だ。彼の音楽が、奇跡を信じ、あきらめなかった男の物語に、深みを与える。今回は久石氏に、映画音楽を生み出す際のプロセスについて聞いた。

 

―久石さんは国立音楽大学で招聘教授を務められていますが、最近の若者と接して感じることはありますか?

久石:
「若者をどう見ているか、そういった話題にはあまり興味がありません。それは、高齢者の方も含めて、世代なんて関係なく、どの世代でも対等である、と考えているからです。若いときは、経験がなくて実力もない代わりに、情熱でカバーできる面がある。それとは逆に、ある程度、年齢がいって経験値を積んで、転ばぬ先の杖のような部分が発達して、かえって発達を邪魔してしまう部分もあります。人間に与えられた条件って、どの世代もプラスマイナスで同じだと思っているのです。強いて言うなら、今の若い人は海外留学をする人が少なくなっていますよね。外に出て行く姿勢がないというか。そういった無関心さが少し気になるくらいでしょうか。」

 

僕はどちらかというと蹴落とすタイプ

―今回の映画では、山﨑努さん演じる父親が、無農薬栽培でリンゴを育てたいという義理の息子に対して、「お前の好きなようにやれ」と全面的に信頼するくだりがあります。そうした話について思うことはありますか?

久石:
「「理想の上司」といったテーマを好む人が多いかもしれませんが、僕は上司も人によると考えています。たとえば自分のレベルを絶対に下げないで、付いて来られない者は蹴落とす人間と、自分からできない人のレベルまで下がって、相手を褒めてあげるような人間がいます。僕はどちらかというと蹴落としてくほうですね。」

―それは、師匠の背中を見て学べ、というようなことですか?

久石:
「それとは違う。人との関係性でしかものを見られなくなっている人に対して、もうちょっと賢くなろうよ、と思っています。たとえば音楽を志すなら、音楽でどれだけいいものを作るか、映画の世界に入るのなら、映画でどれだけいいことができるか。隣の人間や、上司の顔色をうかがうのではなく、自分が勉強すればいいんですよ。そこを失って、すべて人との関係性でしかものを測れないのは、人間としてあまりにも貧しいですよね。つまり、音楽をやっているならば、音楽業界でどう生きていくのか、ということを考えるのではなく、自分が考えるいい音楽とは何なのかを追求し、勉強していくべきだと思うのです。」

 

楽曲作りは釣りのようなもの

―撮影だとロケハン、シナリオだとシナリオハンティングという言葉があります。久石さんの場合は、音楽のインスピレーションを得るためにどこか行かれますか?

久石:
「撮影現場の空気感は知っておきたいので、できるだけ1回か2回は顔を出すようにしています。そしてあとはひたすら考えるしかないです。」

―こういう感じでやりたいというのがあって、それに関連したCDなどを集めて、インスピレーションを湧かせるために聞き込むとったことはあるのでしょうか?

久石:
「基本的にはほとんどしませんね。むしろ考えるだけです。こちらのイマジネーションがどこまで出てくるのかが問題で、そちらのほうが大事。それにはすごく時間をかけます。楽器を弾くなど、いろいろしている中で、ふっと浮かぶヒントをひたすら待ちます。釣りをしているようなものかもしれません(笑)。」

久石:
「仕事がいくつも立て込んでいて、作品作りが同時に進行していますから、合間合間にひらめくという感じです。とにかく考える時間を長く取りたいなと、いつも思っています。書き始めたら非常に早いというのがありますので。」

―依頼があってから、作業はどれくらいの期間かけるのでしょうか?

久石:
「映画の場合、実作業としては基本的に1カ月から1カ月半。ただ、その前に打ち合わせや台本を読み込むという段階があって、そこからは絶えず曲について考えています。最低半年ぐらいはほしいですね。」

―同時進行で仕事されているとのことですが、手掛けている作品同士が互いに影響することはないのでしょうか?

久石:
「やはりできるだけ同タイプの映画や、同タイプの作品は受けないようにしています。題材が似ていて、考える音楽も似てくると、楽しみも半減してしまいますし、できるだけ違うタイプのものを受けるように心掛けています。」

―久石さんの著作には、とにかく曲を作り続けると書かれていました。

久石:
「映画でも自分の曲でもコンサートでもそうですが、点で考えるのはよくない。線にしなくてはいけない。だから『奇跡のリンゴ』だけがポツンとあるわけではないのです。この時期は他にもいくつかの作品を同時進行で担当していました。2~3カ月の間に3本取りかかっている状況。これは性格的な問題もあると思いますが、立ち止まって考えるよりは、走りながら考えたほうがやりやすいんですよ。」

―忙しい久石さんのリフレッシュ法は?

久石:
「毎日仕事をするのは絶対体によくないです。だから僕は週1日、日曜日だけは絶対に休むと決めています。でも、日曜は日曜でスコアの指揮の勉強のために、ブラームスのシンフォニーとか、重たい曲をずっと読んだりしています。そもそも一日中、音楽漬けかもしれません。夜中に家に帰ってきて、明け方まではクラッシックの勉強をしていますから。」

久石:
「それからコンサートがあれば、まず朝にピアノを弾かなくてはいけません。10時前に起きて2時間ぐらいピアノを弾いて、1時過ぎから夜中の10時か11時ごろまで作曲。そして帰ってから明け方の4時ごろまでクラシックの勉強。それを延々と繰り返していますね。そして、日曜日もずっと夕方まで勉強していますから、日曜の夜にジムに行くときだけが唯一、自分の時間ですね。」

 

忘れることも得意だから、長く続けられる

―久石さんはいわゆる仕事人間なのでしょうか?

久石:
「はたから見ればそう見えますよね。僕はただやりたいことを、徹底的にやりたいだけなのです。できないのがすごく嫌だから。そうすると人より努力しなくてはいけないし、予習復習を含めて一生懸命やるようにしています。」

久石:
「こんな話だけ聞くとずいぶんまじめな人間に思われるかもしれませんが、忘れることも得意かもしれませんね。だいたい夜帰ってきたときには自分の書いた曲はすでに忘れていますよ。」

―ある意味、リセットできているということなのでしょうか?

久石:
「頭の容量は決まっていますからね。翌日になったら、「昨日何書いたっけ?」といった状態になっています。もちろん譜面をちょっと見れば思い出しますけど。そういう意味では、リセットがうまい人間が、多分いちばんいいと思うんですよ。それが長く続けられる秘訣かもしれませんね。」

(出典:東洋経済オンライン 久石譲 6月8日付 より)

 

東洋経済オンライン 久石譲1

東洋経済オンライン 久石譲2

 

 

「記憶に残る映画音楽が減っている」
久石譲が抱く音楽への危機感

2006年にNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介され、大きな反響を集めた『奇跡のリンゴ』。実在のリンゴ農家・木村秋則氏の実話が映画化され、全国東宝系で公開中だ。

年に十数回も散布する農薬の影響で皮膚がかぶれ、何日も寝込んでしまう妻のために、無農薬でリンゴ栽培を行うことを決意した秋則。しかし、気の遠くなるような手間暇をかけて育てないと実らないというデリケートなリンゴ栽培において、無農薬を敢行するのは「神の領域」と言われるほどに、絶対不可能な栽培方法であった。何度も失敗を重ね、周囲からの猛反発を受け、さらには家族に極貧生活を強いてしまうほどに壮絶な日々が11年も続くが……。

この映画で音楽を務めるのは久石譲。ロケ現場で本作のモデルとなった木村氏に出会い、その明るい人柄に触れたという久石氏は、本作の作曲のコンセプトを「津軽のラテン人」に設定。マンドリンやウクレレなどを組み合わせて、感動的でありながらも、どこかユーモラスな味わいのする曲を生み出している。

そんな久石氏に映画音楽を作る際のこだわり、そして音楽業界の現状について聞いた。

 

ムードで映画音楽が作られている

―久石さんは子供の頃に映画をたくさん見られていたそうですが、映画を見たことが今の映画音楽を作ることに役立っていることはありますか?

久石:
「あると思います。今まで、映画音楽はどうしたら書けるのかと悩んだことがありませんでした。小さいときから多くの映画を見てきたという蓄積があったおかげで、シーンに合わせて自然に音楽が生みだせるようになった気がします。」

―山田洋次監督は国立音楽大学での久石さんとのトークセッションで、「映画音楽概論」といった講義を作るべきだと言っていました。

久石:
「確かに、多くの人が映画音楽をムードで作ってしまっています。本来はちゃんとした理論が作れるはずですが、そういうのがまったくありません。なんとなくのイメージでやっている。それでも通用できてしまう世界でもあるから、問題なんですけどね。」

―今回の『奇跡のリンゴ』だと、前半に音楽が多く流れ、後半になると状況音が中心となり、音楽が極端に減っているように思います。自分の音楽をどこに使う、ということは監督と相談されるわけですよね。

久石:
「それはいちばん重要なところです。映画を2時間で構成するとなると、どこに音楽を入れ、どこに音楽を入れない箇所を作るかが重要になります。今回は、冒頭はエンターティメントでいかなければいけません。中盤は、(主人公の状況が悪い方向に)落ちていく。ただ、落ちたときに悲しげな音楽を入れてしまうと、その音が救いになってしまいます。だから音楽は抜くことにしました。普通なら「ここに音楽が入るな」という箇所もありましたが、あえて「抜きましょう」という話になって。そういう設計的な部分の考え方に関しては、中村義洋監督とも一致しました。だから、とてもやりやすかったですね。」

―阿部サダヲさん演じる主人公の木村さんの笑顔がなくなるにつれ、音楽もだんだんなくなっていきました。

久石:
「そうですね。どんな場合でも音楽を入れると、どこかで浄化させる機能を果たしてしまいます。それよりは、悲しさをずっとため込むために、あえて音楽を流さないほうがいいということになったんです。」

 

24分の1コマまで全部計算して音楽を作る

―音楽を映像に合わせる際、いくつかやり方があると思います。たとえば長い楽曲を渡して、映像に合わせて切ってもらう方法と、1分1秒、映像に合わせてそのつど作曲していく方法がある。久石さんの場合はどちらですか?

久石:
「僕は基本的に全部、1秒のうち、(フィルムの)24分の1コマまで、全部計算して作ります。だから僕の場合は、映画の編集が終わらないと作業は始められないですね。」

―じゃあ、尺(場面の長さ)の流れに合わせて勝手に音をフェードアウトされるなんてありえない?

久石:
「選曲屋が作曲家の意図とは無関係に音楽を切り貼りしてしまう。テレビが苦手な理由はそこなんですよ(笑)。その点、映画音楽は監督と綿密な打ち合わせをして、すべて緻密な計算で構築しています。映画音楽は作品だと思って作っていますからね。そのスタイルを崩そうとは思いません。ただ、選曲屋でも、本当に才能がある方が出てきたら、委ねてもいいかなとは思いますけど、それは人によるでしょう。」

―もちろん監督と相談しながらだとは思いますが、久石さんが携わる映画に関しては久石さんが「ここに入れる」と、責任をもって決められているということですね。

久石:
「それは当然のことです。当然のことですが、今はそうではない作品が多くなっている気がします。結果、ものすごく中途半端な感じの作品ばかりになっています。最近のハリウッドの映画の効果音がそういう状況で、この十数年間のハリウッドで、記憶に残る映画音楽がほとんどなくなってきています。それは、音楽に対して作曲家がコントロールできなくなったからです。確かに映像とは密接ですが、音楽作品としてのトータルの力がなくなっています。だから映画音楽はこれからどんどん衰退していくでしょう。それは基本的に憂うべき事態です。」

久石:
「でも、もうそういう流れは止められない。ハリウッド映画をしっかり見る人が減っているし、CDを聴く人間も映画を観る人間も減っています。ではみんな、何をやっているのだ?と思えてくる。何のために楽しみを得てるのかが、わからない状況。しかし、そこをちゃんと見極めないといけない時代に入っているのですが、答えは見つかりづらいですね。」

 

「情報」になってしまったから音楽が売れなくなった

―映画ではフィルムがなくなるということが象徴的です。変化は必要だと思いますが、一方で昔ながらのよいものをそこまで変えなくていいのに、と思う面もあります。音楽業界でもそういうことが起こっているのでしょうか?

久石:
「クリエイティブの現場でも、絶対残さなければならないというラインが、崩れてしまった。山田洋次監督は、フィルムがなくなることに対して本当に困っていらっしゃいます。映画を撮るのはフィルムにこだわっていても、フィルムで上映できる映画館がなくなってきていますからね。」

久石:
「フィルムの深度だからこそ出てくる深みというのがあると思います。クリアであればOKというものでもないです。イマジネーションというか、見る側にイメージをかき立てさせるために、考えさせる余白が必要。フィルムのときは映像がボケていたから許されていたものが、クリアになるとそうではなくなります。クリアになることと、クリエイティブであることが、まだ一致できていないのです。」

久石:
「便利になるということと、そうじゃないことをちゃんと分けていかないと、非常に厳しいと思っています。音楽がなぜ売れなくなったかといえば、「情報」になってしまったからです。コンピュータで聞いても、メロディは覚えられるかもしれないけど、そこに感動なんてありません。すべて情報化してしまうからです。今、情報が大事なんて言うのは、とんでもない大ウソです。情報化するところにクリエイティブなんてないんですよ。」

久石:
「情報化するということは、怖いことなのです。みんなiPhoneでちょっと聴いて「こういう曲ね」とわかった気になっています。それはまずいしょう。メロディは覚えられても、そこで「ああ、いいな。涙がでるな」なんてものはありません。やはり自分の家でしっかり聴くなりして努力しないと、感動は得られないでしょう。」

―アルバムを買う人も少なくなっています。ダウンロードだと曲順も関係なくなります。

久石:
「サントラを出すたびに苦しい思いをしています。誰が買うのだろうかと、考えながら作っていますよ(笑)。」

久石:
「僕は、ちゃんとスタジオで録音して、マスタリングもちゃんとしています。曲順もしっかりと考えている。CDは、手をかけたら手をかけた分だけよくなっていきます。この『奇跡のリンゴ』の映画と一緒ですよ。こういうときだからこそ、逆に1個1個アナログの極みみたいに五感で仕上げていくことが大事になるんじゃないですかね。」

(出典:東洋経済オンライン 久石譲 6月14日付 より)

 

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Blog. 「文藝春秋 2013年1月号」 久石譲、宮崎駿を語る

Posted on 2015/2/4

「文藝春秋 2013年1月号」は創刊90年記念号の新年特別号となっていました。

特集が『激動の90年 歴史を動かした90年』あらゆる分野、あらゆる時代、各界から、日本の歴史を動かした90人が紹介されています。その特徴として、選ばれた90人に対して、それぞれの人と関係の深い人が紹介、およびその人を語る、という内容です。

90人のなかの一人として映画監督の宮崎駿さんが挙げられ、その人物について語ったのが久石譲です。

 

 

宮崎駿 タフな少年 / 久石譲(作曲家)

世界的なアニメーション作家、宮崎駿(71)と作曲家、久石譲(62)との出会いは、関係者をして「幸せな事件だった」と言わしめている。宮崎を「人生の兄」と慕う久石氏が芸術家同士の関係を語る。

(以下、全文 久石譲 談)

『風の谷のナウシカ』に始まり、『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』など、僕は宮崎さんに多くの音楽を書いてきました。

宮崎さんとは1983年夏、阿佐ヶ谷にあった「ナウシカ」準備室で初めてお会いしました。少年のような目をしている人だ、というのが第一印象です。映画のシーンの説明に入ると、「これが腐海で、これが王蟲で」と夢中になって熱く語るので、こちらも熱くなったことを覚えています。

一人の監督と音楽家が長く続くケースは珍しいのですが、宮崎さんと僕は30年続いています。ほとんど、奇跡だと思います。

長続きしている理由として一つ思うのは、宮崎さんと僕は過去の作品の話を一度もしたことがない、二人ともいま作っている作品にしか興味がないという点です。

また宮崎さんのファンタジーなところと、自分の書く音楽は最初から一致しているところがありました。『トトロ』にしても『もののけ姫』にしても舞台は日本なのですが、宮崎さんは日本をそのまま再現するようなことはしません。必ず宮崎さんのフィルターを通した世界を表現しています。どこの国ともいえない、どこかなつかしい世界ですが、その部分と僕の書いている音楽が一致したようです。一致させようとしなくてもストレートにマッチングしたのだと思います。

プロデューサーの鈴木敏夫さんは、こんなことを言っています。

「あの二人が長く続く理由は、一緒に飯食ってない、飲みにも行っていないからだ」

僕は宮崎さんと個人的なつきあいをしたことがありません。飲んだり、食べたりという、いわゆる”人間的なつきあい”をせず、ひたすら仕事で関わってきました。クリエイティブな仕事に関わる人間ほど、精神的なスタンスを取る必要があるのかもしれません。『もののけ姫』を構想していたころの宮崎さんは、社会のあり方に最も憤っていた時期でした。

「いま子供たちに向けて何をテーマに作るべきなのかが見えて来ない」という発言もしています。そんなとき、宮崎さんの尊敬する作家、司馬遼太郎さん、堀田善衛さんとの鼎談が実現しました。その鼎談によって、宮崎さんは今後、作家として何をやるのか、見えてきた部分があったのではないでしょうか。実は、僕は司馬さんの本をあまり読んでいなかったので1年間で100冊近く読みました。『もののけ姫』の奥深いところに司馬さんの見方、考え方があるのでは、と思ったからです。

ものを創る仕事をしていて一番難しいのは、人に見てもらうエンターテイメントの部分と、作家性の部分にどう折り合いをつけるか、ということです。宮崎さんは人に見てもらうということを絶えず意識したうえで、作家性を出す、このせめぎ合いが実に絶妙なバランスで成り立っているんですね。

映画を作っていく過程には膨大な作業があります。例えば東京を背景にする場合、実写だとどうしても余計な看板や電柱が入りますが、アニメーションはそれらを消すことができます。そこに自分の持っている心象風景を作り込むわけですが、その分、ありとあらゆることに神経を張って作らなくてはいけない。そのプレッシャーたるや相当なものだと思います。なおかつ、これだけ世界中の人に注目されている。そのプレッシャーの中で毎日、こつこつと絵コンテを書いてやっていく。それも2年という時間をかけて。この精神的なタフさみたいなものを考えると、僕にはとてもできません。

宮崎さんとは30年間、ずっと同じスタイルでやってきました。会えば必ず宮崎さんが少年のような目をして、この作品をどうしようか、ということを熱く語ってくれます。『ポニョ』のときはその話を聞きながら「ソーミ、ドーソソソ」と、『ポニョ』のエンディングテーマのメロディが浮かんだこともあります。

多くの人は僕と宮崎さんは「コンビを組んでいる」と勘違いをしているようですが、そうではありません。僕は一作、一作、全力投球して曲を書き、宮崎さんが新しい作品をつくるときに「音楽は誰にするか」を考え、たまたま指名してもらっているだけです。

いまこうして宮崎さんのことを話していても、意識の中ではずっと宮崎さんとつながっています。この緊張が切れたら一緒に仕事をしていけなくなってしまうでしょう。4年間に一度ずつの仕事ですが、絶えず次に何が来るか。そのとき音楽家として選ばれたいという気持ちがあります。そのためには勉強しなくてはならない。これだけの緊張をして、自分の全生涯を賭けても追いつけない大変な監督です。

(「文藝春秋2013年1月号」より)

 

文藝春秋 2013年1月号

 

Blog. 「文藝春秋 2008年10月号」「ポニョ」が閃いた瞬間 久石譲インタビュー

Posted on 2015/2/2

「文藝春秋 2008年10月号」に久石譲インタビューが掲載されていました。

2008年 映画 『崖の上のポニョ』公開直後だけあって、もちろん話題の中心はポニョのお話です。そのなかにも久石譲の作曲家としてのスタンスや、創作するということの奥深さを感じることができる内容です。

 

 

「ポニョ」が閃いた瞬間  久石譲(作曲家)

2年前の秋、武蔵野の緑に囲まれたスタジオジブリの一室。宮崎駿監督が映画の構想を熱く語っている。その言葉に耳を傾けていると、僕の頭に突然メロディが浮かんだ。

ソーミ、ドーソソソと下がっていくシンプルな旋律。今夏公開され、大ヒットしている映画『崖の上のポニョ』のエンディングテーマだ。シンプルであるがゆえに、強い印象を残す曲になるだろうという予感は的中した。

多くの人から「あの『ポーニョ、ポニョポニョ』が頭から離れない」との感想を頂戴した。メロディも「ポニョ」という言葉も実に単純なものだ。ところが、それが一体になったことで、二乗、三乗、いや三十乗くらいの力を持って、誰の耳にも入りこんでいったのだろう。こんな奇跡のような出来事が起きたことは、音楽家として本当に幸せだ。

宮崎監督との最初の打ち合わせを思い出す。

台本の裏側に五線譜を引き、あの旋律を残した。

しかし僕はこのメロディをいったん忘れ、しばらく寝かせておくことにした。本当にこれが主題歌にふさわしいのか自信がなかったし、いろいろな可能性を検討してみたかったからだ。情感豊かなバラードはどうかと考えてみたり、二ヶ月ほど試行錯誤を繰り返した。しかし、最初に閃いたあの旋律が一番だという結論に至った。

ソーミ、ドーソソソの六音からなるこのフレーズは単純だけれども、だからこそさまざまにアレンジすることができる。この機能性は映画音楽では最高の武器だ。困ったらこのメロディに戻ればいいわけで、水戸黄門の印籠のようなものである。この瞬間、迷いは霧散した。

僕はこれまで50本を超える映画音楽を担当し、多くの監督と仕事をしているが、第一感がベストだったというケースが結果的には多い。

しかし、確信を持てないまま悩みに悩み、譜面を前にひたすら格闘しているうち、「あ、これでいいんだ」と腑に落ちる感覚が訪れる。この瞬間こそが僕にとって何ものにも代えがたい喜びであり、作曲という仕事の醍醐味でもある。

僕はソロでの活動も行っているが、その楽しさは映画音楽のそれとは大きく異る。ソロ活動は広いサッカー場に一人で佇んでいるようなもので、何の制約も受けないが、すべての判断を自分で下さなければならない。ところが、映画では座の中心に監督がいて、その意見は絶対だ。周囲には多くのスタッフがおり、音楽もさまざまな制約を余儀なくされる。しかし、彼らと時に激しく意見の交換をするうち、予定調和に終わらない、思わぬ発想を得ることもしばしばである。そこに共同作業ならではの面白さを感じるのだ。

また、私はこんなふうに尋ねられることがある。

「まったく作風の異なる監督(たとえば北野武と宮崎駿)の音楽を、なぜ作り分けることができるのか」、と。

しかし、僕からすれば、似たような音楽ばかり作ることのほうが難しいと思う。つねに目の前の作品に全力を尽くしていると、同じタイプの仕事を続けても、二番煎じの出しがらしか出て来なくなるものではないだろうか。

僕たちが日夜、心血を注いでいる作業は、一般に「創作」と呼ばれる。その言葉には無から有を生み出すようなイメージがある。だが、文字通りの無から有を生み出すことなどできるだろうか。

聞いたもの、見たもの、読んだもの。そうした経験を創り手の個性を通過させ、新たにできあがった結晶が作品と呼ばれるものなのだと思う。僕は自分の創作の多様性を担保するために、将来の仕事を見据えた勉強を欠かさないようにしている。

『崖の上のポニョ』は、世に送り出されたばかりなので、まだ冷静に総括できる状況にはない。しかし、この映画が提示する世界は、五歳の子どもからお年寄りまで、誰もが何かを感じることができる深いものだ。そこに音楽というかたちで自分も関与できたことが、とても嬉しい。宮崎駿監督に書いた僕の音楽の中で現時点で最高の作品だと思っている。

(「文藝春秋 2008年10月号」より)

 

文藝春秋 2008年10月号

 

Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」(キネ旬ムック) 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/1/31

2010年4月2日発売 ムック(書籍)
キネ旬ムック キネマ旬報特別編集 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇」

映画情報誌としても有名なキネマ旬報の特別編集版ムックです。「オールタイム・ベスト 映画遺産200 《外国映画篇》」「オールタイム・ベスト 映画遺産200  《日本映画篇》」というそれぞれの書籍と同様に別枠で1冊にまとめられたのが「オールタイム・ベスト 映画遺産200 映画音楽篇」です。

 

300ページにおよぶ映画音楽年鑑のようになっています。

  • 映画音楽が心にし残る映画 1位~20位紹介
  • ジャンル別映画音楽ベスト10
  • 心に残る映画歌曲・テーマ曲ベスト
  • 好きな映画音楽作曲家ベスト
  • 映画音楽の歴史

 

目次からの一部抜粋だけでもこういった感じです。もちろん洋画・邦画を総合的に扱っていますので、やや洋画が多い。錚々たる映画音楽作曲家が1ページごとに紹介されている項もあります。国内外問わず、そして年代を問わず、オールタイムな映画音楽の事典。

その中で、映画音楽作曲家インタビューで2人だけ取り上げられています。一人は冨田勲、そしてもう一人が久石譲です。8ページに及ぶロングインタビューです。

映画音楽のみならずTV・CM、そして現代音楽など、多岐にわたる作曲家としての顔をもつ久石譲ですが、ここでは《映画》そして《映画音楽》にフォーカスしてのインタビューですので、かなり映画音楽家としての久石譲に迫った内容になっています。

読み応えも満点です。感覚的に映画および映画音楽を楽しむのはもちろんのこと、「いろいろな背景や考えで、ここにこの音楽か」と作曲者の意図や思考に思いを馳せながら聴くのもまたおもしろいです。

70本以上の映画音楽を手がけてきた久石譲だからこそ、邦画からアニメーションまで、さらには海外作品まで手がけてきた久石譲だからこそ、語れる【映画音楽論】になっています。派生してインタビューで紹介されている、久石譲が印象に残っている映画や映画音楽も気になってきてしまいます。

 

 

別頁にて、同書籍より「映画音楽の歴史 ミニマルミュージック」も紹介しています。

Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」 【映画音楽とミニマルミュージック】 コラム紹介

 

 

 

映画音楽 作曲家インタビュー 久石譲
いちばん重要なのは、映像と音楽が対等であること

(取材・文:前島秀国)

 

映画音楽とはいったい何か

「風の谷のナウシカ」(84)から今年公開予定の最新作「悪人」(10)まで、常に日本映画の最前線で音楽を手がけてきた久石譲。作曲家としての活躍に加え、指揮者・ピアニストとしても映画音楽に深く関わり続ける彼に、まずは映画音楽の本質について訊ねてみた。

久石:
「これまで70本近い映画音楽を書かせていただきましたが、自分の中で『映画音楽とはいったい何か?』という疑問が未だに続いています。そもそも、映画音楽というものは、映像に付くものです。ところが、映像の中で展開している日常のドラマでは、本当は音楽が鳴っていないのですよ。それに敢えて逆らうような、いちばん不自然な形で音楽が流れてくる。観客の情緒を煽るためかというと、そうでもない。オーケストラで素晴らしいスコアを書いたら、それがいい映画音楽になるとも限らない。『パリ、テキサス』(84)のように、ライ・クーダーが奏でるギター1本のほうが、オーケストラよりもずっと心に沁みる場合もあります。このように、映画音楽の定義は非常に難しいのですが、基本的な作曲スタンスとしては、やはり映像と音楽の新鮮な出会いを追い求めていくことではないかと。毎回新しい発見がありますし、今でも答えを探し続けているというところでしょうか」

 

映画音楽は大きく分けて3つのタイプに集約できる

久石によれば、映画に音楽が付くケースは、大きく分けて3つのタイプに集約することができるという。

久石:
「第1のタイプは、ハリウッド映画に象徴される”テーマ主義”。『スター・ウォーズ』(77)のように、登場人物ごとにテーマをあてはめながら、画面をわかりやすくしていく手法です。テレビの場合にも言えますが、万人に訴えかけるエンターテインメントを作ろうとする時、この方法は決して悪い手法ではないんですよ。第2のタイプは”メインテーマ方式”あるいは”ライトモティーフ方式”と呼ばれるもの。このタイプには2つのサブタイプがあって、ひとつは『ティファニーで朝食を』(61)を例に挙げると、『ムーン・リバー』のような主題曲を作ることで映画全体のイメージを凝縮してしまう手法。『あ、この曲が流れる。とてもよかったね』と観客を納得させる方法です。もうひとつは、音楽を”第三の登場人物”のように鳴らしていく方法。本編の中で流れる回数は少なくても、あるいは劇の動きと合っていなくても、『なぜこの映画に、このモティーフが鳴るのか?』と観客が違和感を覚えるくらい明確に音楽を鳴らし、台本の求めている世界を表現していく。これは、どちらかというと社会性を帯びた作品、あるいは知的レベルの高い作品に多い手法です。第3のタイプは、音楽なのか効果音なのかわからない、いわばトータルで映像と音楽の関係を問い直す手法。これは、むしろアートに近いですね。昔のATG映画のように商業路線から距離を置いた作品か、あるいは作曲家がよほど監督の信頼を得ていないと使えない手法です。以上の3つのタイプに付け加えるものがあるとすれば、場所の状況の中で鳴る音楽、つまり喫茶店や酒場で流れているBGMの類ですが、これが実は非常に重要だったりします。このように映画音楽のタイプを論理的にカテゴライズした上で、いま頂いている台本に対し、どのようなスタンスで書いたらいいのか、それを絶えず意識しながら作っているところがありますね」

ちなみに、かつて久石は『ムーン・リバー』を、”理想的な映画音楽”として挙げたことがある。

久石:
「あれが映画音楽のひとつの理想形だと思うのは、映画全編がひとつのメロディで有機的に結合しているからです。まず、冒頭のタイトルバックでコーラスが『Moon river, wider than a mile…』といきなり歌い始めるでしょう? そのメロディを劇中でオードリー・ヘップバーンが歌いますが、あのギターの弾き語りのシーンなど、永遠に頭に残りますよね。よく言うのですが、良い映画には”良い映画音楽”と”悪い映画音楽”がある。ところが、悪い映画には”悪い映画音楽”はあっても”良い映画音楽”は絶対にない。残念ですが、元の本編が悪かったら、音楽だけ生き残ることはないのです。映画音楽というものは、あくまでも映像との相乗効果で力を発揮してくものですから」

 

メロディは映画音楽を象徴する”顔”

その『ムーン・リバー』のように、主題歌や主題曲のメロディは映画音楽の代名詞といっても過言ではない。作曲家の視点から見て、映画音楽のメロディとはどういうものだろうか。

久石:
「メロディは”コンセプト”と同義語です。例えば、最初に台本を頂いた段階で『この作品は、どのような音楽でいこうか』と考えるとします。オケが合うのか、室内音楽が合うのか、あるいはエレキギター1本だけでいくのか、打楽器だけでいくのか。そうしたアイディアを練り上げていくうちに、自分の考えのいちばん象徴的な部分、人間の部位で言うと”顔”に当たる部分が、メロディの形を採ってくるのです。『崖の上のポニョ』(08)の場合ですと、ポニョのメロディが浮かんだ瞬間、バックの音もこういうオケの音が合う、というのが必然的に決まりました。多くの場合、観客の記憶にいちばん強く残るのは、作曲家のコンセプトが表面に出てきたメロディです。そのメロディの持っているムードが画面に合うか合わないかで、映画音楽の良し悪しが決まると言っても良いでしょう」

久石が、自身の音楽的ルーツであるミニマルミュージックの語法を用いて映画音楽を作曲する場合にも、基本的には同じことが言えるという。

久石:
「ミニマル系の短いリズムパターンを主体にして書く時も、そのパターン自体がひとつの音形というか、メロディです。いわば、いちばん短い形のライトモティーフ。そのパターンが、音楽の核となる最も重要な部分です。そうしたセンターに来る要素を、初めにきっちり捕まえておかないと、周りからじわじわ攻めていっても肝心なものを逃してしまうことになります。このようにメロディやミニマルのリズムパターンは、映画音楽を考えている時のいちばん象徴的な部分ですね」

 

映画音楽の95パーセントはテクニックで決まる

そうしたメロディに加え、映画音楽では歌やオーケストラ、バンドなど、さまざまなスタイルが重要になってくる。

久石:
「先ほども例を出したライ・クーダーは非常に優秀な音楽家ですが、ギター1本という彼の特殊な方法論は『パリ、テキサス』のような作品に対して有効なのであって、すべての映画に対応できるわけではない。そうすると、彼を果たして映画音楽家と呼んでよいのか、という問題が出てきます。映画音楽家という看板を掲げる以上は、いろいろな作品に対応しなければならない。自分固有の音楽スタイルを持つことは絶対に必要ですが、そのスタイルの中からシリアスなもの、コミカルなものを書いていかなければならない」

画面と音楽を合わせていく時、その95パーセントはテクニックで決まると久石は断言する。

久石:
「例えば、2時間の映画を手がける場合、1本につき30数曲、ややシリアスな作品で曲数を減らしても15~16曲を書かなければなりません。それらの曲を本編のどの部分に付けるのか。いわば、音楽が流れない沈黙の部分も含めた、2時間の交響曲を書くようなものです。メインテーマがひとつ、サブテーマが複数あるとして、それらのテーマをどのように配置していくか。同じテーマを悲劇的に使ったり、軽く流したりする場合も、画面と呼吸を合わせていかなければならない。それらをすべて構成し、組み立て、全体のスコアをどう設計していくか。その95パーセントは、テクニックで決まります」

まず、どの段階で作曲を始めるのか。台本を読んだ段階から始めるのか、それともラッシュを見た上で作曲するのか。

久石:
「その時の状況にいちばん左右されますね。どちらが難しいというものでもないです。例えば宮崎監督の場合は、先にイメージアルバムを作らなければいけませんから、画を見るまで待ってから書くというわけにはいきません。自分である程度予想しながら考えていかなければならない。『おくりびと』(08)の場合には、台本を読ませていただいた段階で、主人公がチェロ奏者だとわかっていましたから、おそらく彼が弾くチェロがメインテーマになるだろうと予測し、台本を読んだだけで曲を書き、結果的にそれが非常にいい結果を生み出したケースです。逆に、監督のラッシュを少しずつ見ながら、テンポやその他の情報を全部自分の中にインプットして書いたほうがいいケースもあります。『私は貝になりたい』(08)の場合がそうですね。ああいう作品の場合は、ラッシュを見てからでないと全く作れないですね」

映画音楽のテクニックで最も難しいのは、映像と音楽を合わせるタイミングだが、それは一般に”映像と音楽がぴったり合う”と考えられているような、単純なものではないという。

久石:
「最初の頃は楽譜も全部手書きで、ストップウォッチ片手に『ここは何秒くらい』とフィルムの尺の長さを計っていったのですが、実は誤差が激しいんですよ。当時はまだ若かったから『タイミングもきっちり合わせなければ』と相当無理をしました(笑)。その後(シーケンサー機能とサンプリング機能を備えた)フェアライトのような電子楽器が出てきて、予めフレーム単位の細部までシミュレーションしてからレコーディングに臨めるようになったことは大きいです。そうすると、合わせる必要のあるものと必要のないものの違いが、はっきりわかるようになる。若い頃は、俳優が驚いて表情がパッと変わった瞬間、音楽も同じタイミングで変える、というようなことをやっていたわけです。ところが実際には、表情の変化と同時に音楽を変えるよりも、少し時間が経ってから音楽を変えた方が、インパクトが強くなってカッコいいんですよ。後出しジャンケンみたいなものですね(笑)。そういうことをいろいろ経験していくうちに、なんでもかんでもフレーム単位で合わせるのではなく、音楽的な流れを事前に計算した上で、本当に合わせる必要のある箇所以外は逆に無視することができるようになる。そういう意味でも、映画音楽の95パーセントはテクニックだと思うのです」

特に久石が重視するのは、最後の仕上げ段階の微調整だという。

久石:
「監督と事前の話し合いをしっかり行い、シンセサイザーで作ったラフな段階で音を確認していただきます。実はその後、音楽をガラッと変えることもあるんですが(笑)。つまり、最後の仕上げ段階で、微調整にじっくり時間をかけていく。監督にシンセ音源で確認をとった後、何度も見直していくうちに『ここはまだテンポが早い』と感じたら、ほんの数小節削り、全体のテンポをゆったりさせながら、画に馴染ませていくのです。録音当日、そこまで監督が気づくことは、まずありませんが。あとはきちんとした譜面を書いておけば、録音そのものは早いです。書いてしまえば、それをオーケストラが演奏するだけですから。現場対応でなんとかするのではなく、すべて前もって周到に準備しておかないとダメですね。」

 

映画監督と作曲家の理想的なスタンス

映画音楽が他の音楽活動と決定的に異なるのは、音楽の最終決定権が監督もしくは製作サイドに属するということだろう。久石の場合はどうだろうか。

久石:
「普段、ひとりで音楽をやっている時は、他人の意見が介入してくると音楽が成立しなくなる可能性が出てきます。ところが映画音楽の場合は、幸運なことに、発想の基準は常に監督の頭の中にある、というのが僕の考えです。特に、映画は監督に帰属するという意識が強い邦画の場合は、そうですね。例えば、僕らが映画音楽を書く場合、その期間は長くて半年か1年くらいです。ところが監督に関しては、その人が職業監督でない限り、自分で台本を書く場合にせよ、脚本家に注文をつけながら撮影稿を練っていく場合にせよ、ひとつの作品にだいたい2、3年の時間を費やすわけです。それだけの時間をかけた強い思いが、監督の頭の中にある。その意図を考えながら作曲していくというのが、僕のスタンスですね。監督から注文されたことに対し、明らかにそれは違うと感じた場合は意見を申し上げますけど、それ以外は、監督の意図を自分なりに掴み、音楽的にそれを解決しようと努力します。すると、ひとりで音楽をやっている時には予想もつかなかった、新たな自分が出てくるんですよ。『俺にはこういう表現ができるんだ』という。もっとダークなやり方でも音楽がいけそうだとか、メインテーマさえしっかり書いておけば、30曲あるうちの5、6曲は実験しても大丈夫そうだ、といったことが見えてきます。そういう意味で、映画音楽というのは、普段気になっている方法を実験する機会を監督に与えていただく場所でもあるのです。自分にとっては、非常に理想的なスタンスですね」

そうした監督の中でも、特に宮崎監督は別格だという。

久石:
「やはり、いちばん大きな影響を受けた監督ですね。凄まじいです。知識としての音楽ではなく、ある音楽が自分の映像に合うか合わないか、それを瞬時に判断する感覚がずば抜けているのです。もちろん、今までご一緒させていただいた監督も、皆さん聡明な方ばかりですよ。僕は基本的に、映画監督という存在をリスペクトしています」

 

日本映画の作曲と海外作品の作曲の違い

21世紀以降、久石は「Le Petit Poucet」(01)、「トンマッコルへようこそ」(05)、「おばさんのポストモダン生活」(06、映画祭上映)など、海外作品にも活躍の場を広げてきた。

久石:
「邦画でも洋画でも、作家としての基本姿勢は一貫して保つようにしています。つまり、台本を読ませていただいて監督が描きたい世界を把握し、単に相手側の注文に即して書くのではなく、自分が何を音楽で書きたいのか、はっきり掴むこと。この姿勢は実写でもアニメーションでも、あるいは映画でもCMでも常に同じです。ただし、方法論的な違いは存在しますが」

その最大の違いは、非常に基本的な事柄だが、台本が書かれた言語にあるという。

久石:
「中国映画の台本を頂いた時は、最初に読むと3時間くらいの長さに感じるのですが、実際には本編が2時間以内に収まるのです。つまり、言葉の情報量が日本語の台本に比べて非常に多いのですね。英語の台本も、やはり文字の分量が圧倒的に多いです。ところが、英語の場合は言語の性質のせいか、文字の分量の割に読み手に伝わる速度が速いのですよ。英語は、26文字のアルファベットしかありませんよね。その26文字を組み換えていきますから、基本的に構成力で成り立っている言語なのです。ですから、英語の台本の場合、音楽を全編に付けたとしても、音楽があんがい邪魔にならない。ところが日本語の場合、言葉を独自に作り出すところがありますから、観客は1音1音を注意深く聴きとならければならない。しかも、俳優が台詞に感情をこめたりすると、なおさら言葉が聴きとりにくくなるという面もあります。そうした台詞を聴き取れるように音楽を作っていくと(英語に比べて)自然と制約が多くなってくるのです。その意味でも、映画音楽の95パーセントはテクニックだと思うのですよ」

 

指揮者・演奏家の視点から見た映画音楽

映画音楽の作曲活動に加え、ここ10年あまりの久石が精力的に取り組んでいるのが、オーケストラの指揮活動。特に2004年、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ音楽監督に就任してからは、自作に加え、他の作曲家の映画音楽やクラシックの古典曲までレパートリーの裾野を広げている。

久石:
「映画音楽がクラシックと同じように演奏され、後世に残るかどうかは、実は非常に難しい問題です。原則的には残ると思いますが、そもそも映画音楽には多くの制約があります。これまで申し上げてきたように、映画音楽は映像から生まれますから、映像と一体化した時に初めて力を100パーセント発揮するものでないといけない。ですから、映画音楽を映像から切り離し、コンサート楽曲として演奏することが、必ずしも正しい在り方とは言いきれないのです。映像と独立した形で演奏が成立する音楽もあれば、そうでない音楽もありますから」

映画音楽をコンサート楽曲として成立させるために、久石が採っている解決法はアレンジという手段である。

久石:
「そもそも、楽曲にならないような素材を映画に使っても、決していい映画音楽には仕上がりません。映画音楽に限らず、どんな場合でもいちばん大切なのは、先ほど申し上げたメロディや、ミニマルのリズムパターンといった音楽的要素です。ですから、映画音楽は潜在的に、独立した音楽作品として成立し得ると思っています。ただし、本編で用いた楽曲をそのままコンサートにかけられませんから、核となるモティーフを使って新たにオーケストレーションを施し、作品として形を成すように努力します。一度作曲したものに手を加えるのは二度手間になりますから、大変な作業ですね。もともと、過去の作品を振り返ることに、あまり関心がないのです。コンサートの準備に3ヶ月を費やすと、その間、自分の曲が書けなくなってしまいますから、だんだんフラストレーションが溜まってくるのですよ。早く作曲に戻りたくて(笑)」

 

映画音楽作曲家を志す若手へのアドバイス

久石のような映画音楽作曲家を志す若い読者は、何を心がけ、勉強したらよいのだろうか。

久石:
「まず、映画音楽を書く書かないに関わらず、音楽家として多くを勉強し、自己の音楽スタイルを掘り下げて確立していく。その上で、映画音楽が書きたいのならば、映画を”仕事”として見るのではなく、とにかく映画を好きになって、出来るだけ多くの本数を見ることです。映画音楽のCDをたくさん聴いて、実際に本編で使われた曲とCDの収録曲がどのように異なるか、徹底的に分析することも必要でしょう。それから、本をたくさん読むこと。映画音楽というのは、やはりドラマが重要ですから、ドラマが理解できない人には無理なのです」

ただし、いくら努力しても映画音楽作曲家になれない側面が、ひとつだけ決定的に存在するという。

久石:
「残念ながら、その人の書いた音楽が映像を換起できる資質を持っていないと、映画音楽作曲家には向いていないかもしれません。鳴った瞬間に映像に寄り添える音と、そうではい音の違いは、決定的に存在します。それは仕方ないことですね。プロゴルファーに向いていても、野球選手に向いていないことだってありますから(笑)。誰でも野球選手になれるわけではない。同じように、クラシックの現代音楽に進むのか、あるいはジャズやポップスに進むのか、それとも映画音楽の作曲に進むのか、早いうちに見極める必要があります。非常に難しい問題ですけどね」

自己の音楽スタイルに関して言えば、久石自身は現在もミニマルミュージックの現代音楽を作曲している。

久石:
「ミニマルをやってきて今でも良かったと思っているのは、音楽を持続させるために『あれもこれも』とてんこ盛りにせず、ある一定の方向で統一感をとろうとする神経が強く働くようになったことです。その方向の中で許せる、ギリギリの変化というのは『風の谷のナウシカ』(84)以降、相当やってきましたね」

「ナウシカ」のテーマ曲『風の伝説』の冒頭部分は、ポップスのようにコード進行を頻繁に変えず、単一のコードを頑なに守っているが、これなどはミニマリストとしての久石の側面が顕著に表れた例と言えるだろう。

久石:
「例えば、ひとつのシークエンスで主人公の感情が高まっていく時、音楽がミニマルの語法で微細に変化していくと、大きな効果を生み出すことは事実です。だからといって、ミニマルの語法を映画音楽に用いるのは、自分が本気でミニマルに取り組んでいない限り、バーゲンセールに並ぶ大量生産品と同じで、非常に危険なことだと思います。よく、ラヴェルの『ボレロ』は同じパターンが続くから、あれもミニマルだと勘違いしてしまう人がいますよね。『ボレロ』はオスティナートで書かれていて、ミニマルとは違うのです。オスティナートの音楽が行きつく先は(ある種のカタルシスをもたらす)クライマックスですが、ミニマルはオスティナートではない。その違いがわかっていないと、最悪の結果をもたらしてしまう。フィリップ・グラスやマイケル・ナイマンといった人たちは、自分の本籍がミニマルにあることを充分認識した上で、映画音楽のメロディを書いていますから、そこに本物の自分が投影させているのです。グラスの『めぐりあう時間たち』(02)のスコアでも、彼は自分のコンサート楽曲と同じパターンを真剣勝負で出していますね。そのくらいの意気込みでやらないといけない。ミニマルの表面だけ見て、ひとつの音形を繰り返してズラせばいい、というのは単なるファッションに過ぎません」

 

迷った時はキューブリックに戻る

最後に、久石が好きな映画音楽もしくは影響を受けた作品について訊ねてみた。

久石:
「個別のケースを挙げていくとキリがないんですよね。『ブレードランナー』(82)の頃のヴァンゲリスが素晴らしいとか、『冒険者たち』(67)のピアノと弦楽カルテットなんて、それだけで音楽的に価値がありますよね。最近では『グラン・トリノ』(08)が圧倒的に素晴らしかった。あのテーマの旋律、だいたい流れが予測できるのですが、何度も繰り返されていくうちに、最後は『やられた!』と思って。いつも三管編成のオーケストラで音楽を書いていると、こういうシンプルな手法がすごく新鮮ですね」

久石が映画音楽の”教科書”として挙げるのは、なんとキューブリック作品であるという。

久石:
「キューブリックの全作品は、もう本当に衝撃的ですね。既成曲を映画の中できっちり使っていくのが彼の方法論ですが、音楽の意味が100パーセント発揮されるような音の使い方をしています。『2001年宇宙の旅』(68)や『アイズ・ワイド・シャット』(99)のワルツにしても、あるいはジョルジ・リゲティ現代音楽にしても。ただし、彼の方法論をそのまま採用すると、現役の映画音楽作曲家を否定してしまうことにも繋がりかねません。我々がキューブリックから学ぶべきいちばん重要な本質は”映像と音楽が対等であること”。対等であるということは、必ずしも音楽がしゃしゃり出ることを意味しません。僕は世間で俗に言う”劇伴”という言葉が大嫌いなのですが、映画音楽は、単に劇を伴奏するだけの”劇伴”であってはならない。精神的なレベルも含め、映画音楽はキューブリック作品のように映像と音楽が対等に渡り合う”劇音楽”であるべきです。ティンパニーが細切れに『トン・トン……』と叩くだけの場合でも、映像と音楽が対等であるかどうか。それが良い映画音楽の判断基準だと僕は思っています。単に『いいメロディが書けたから、スコアできれいにまとめよう』と安易な方法に走るのではなく、どうしたらそのメロディが各々のシーンと新鮮な出会いが出来るのか、それを毎日探し求めながら『おお、こんな表現が生まれた』と実験を重ねていくのが、おそらく映画音楽の正しいやり方だと思うのです。その意味で、迷えばいつもキューブリックに戻る、という感じですね」

(キネ旬ムック キネマ旬報特別編集 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇」 より)

 

 

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