Blog. 久石譲 『WORKS IV』 発売記念インタビュー リアルサウンドより

Posted on 2014/11/14

WEB 「REAL SOUND」に掲載された久石譲インタビューです。新作『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』のロング・インタビューとなっています。

  • 久石譲のなかの「WORKS」シリーズの位置づけとは
  • 「WORKS IV」に収録された楽曲への想い
  • クラシック、現代音楽、エンタテインメント音楽の現状と課題
  • 人に聴いてもらう(CD/コンサート/文章 etc…あらゆるメディア発信)ことの大切さ
  • 2014年の仕事のスタンスと来年への展望

こういったことがじっくりと語られています。

 

 

久石譲、エンタテインメントとクラシックの未来を語る「人に聴いてもらうことは何より大事」

日本を代表する映画音楽の作曲家であり、近年はクラシックの指揮者としても活躍する久石譲。これまで多岐にわたる作品を発表してきた彼が、『WORKS』シリーズとしては約9年ぶりとなる新作『WORKS Ⅳ』を完成させた。映画やドラマなどに提供した楽曲を今一度フルオーケストラ作品へと昇華させるというコンセプトを持つ本作では、宮崎駿監督『風立ちぬ』や高畑勲監督『かぐや姫の物語』、山田洋次監督『小さいおうち』などの音楽がより一層格調高く、ドラマチックに演奏されている。クラシック音楽やミニマル・ミュージックを出発点としつつ、エンタテインメント分野で大きな足跡を残してきた久石は今、どんなビジョンを持って音楽を生み出そうとしているのか。今回リアルサウンドで行ったインタビューでは、収録曲のコンセプトから、現代音楽やクラシックへの問題意識、さらには“ポピュラーミュージックの勘所”といったテーマまで、じっくりと語ってもらった。

 

「宮崎さんとの仕事を、きちんとした形で残していこうという意図はありました」

―久石さんにとって『WORKS』シリーズの位置づけとは?

久石:映画など他の仕事でつくった音楽を「音楽作品」として完成させる、という意図で制作しています。映画の楽曲であれば、台詞が重なったり、尺の問題があったりとさまざまな制約があるので、そうした制約をすべて外し、場合によってはリ・オーケストレーションして音楽作品として聴けるようにする。『WORKS』シリーズはそうした位置づけの作品です。

―映画音楽は、音楽作品としての完成形を描いた上でつくられているのでしょうか。

久石:ものによっては音楽作品にするときのアイデアが浮かぶこともありますが、映画をつくっているときは、全体を見通すほどの余裕はありません。曲づくりが終わったあとに、客観的な視点を持って音楽作品になるかならないかを“点検”することが多いですね。

―『WORKS IV』では、冒頭に宮崎駿監督の『風立ちぬ』の音楽を組曲化した作品が収録されています。

久石:この曲の特徴としては、バラライカなどロシア系の民族楽器を使っていることが挙げられます。その民族楽器と、小編成のオーケストラとの協奏曲スタイルをとれば成立するのではないかと思ってつくりました。

―映画バージョンとはまた違う作品性があり、これは色々な場所で演奏されそうですね。

久石:そうなってほしいですね。一度こうして作品として形にすれば、きちんとした譜面を出すことになりますので、「もし演奏したい人がいればどうぞ」という思いです(笑)。手にしづらい民族楽器を使ってはいますが、バラライカはマンドリンで、バヤンはアコーディオン系で代用できます。アマチュアのオーケストラでも再現できる可能性はありますね。

―こうして作品化された背景には、ひとつの芸術作品として長く聴き継がれていくものを、というお考えもあるのでは?

久石:そうですね。たとえば宮崎さんとの担当作は数えて10作、30年間に及びます。それを多くの方が聴き、それぞれに評価してくれました。そして『風立ちぬ』が最後の(長編)作品になるということですから、きちんとした形で残していこうという意図はありました。

― 一方、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』の音楽は、アニメーションと連動した躍動的でドラマチックな展開が印象的でした。再構成するにあたっては、どのような点を特に重視されましたか。

久石:これはかなり苦しみました。何度もトライして、うまくいかないからやめたりもして(笑)。でも、しばらく経つと、挫折したような感覚が嫌になり、再びチャレンジするんです。その繰り返しで、最終的にはコンサートの一ヶ月くらい前に完成しました。

―特に苦労された点とは?

久石:まず、本作の音楽としては「わらべ唄」という高畑さんご自身が作られた本当にシンプルな歌が基本にあるんです。それが重要なシーンに使われているから、僕の書く音楽にも五音音階を取り入れないとバランスが取れない。つまり、「ドミソラドレ」とか「ドレミソラド」というものですね。さらにこれをひとつ間違えると、すごく陳腐になり、不出来な日本昔話のようになってしまう(笑)。それをなんとか高畑さんのイメージに合うように工夫するのですが、高畑さん自身が音楽に詳しい方なので、細かい要求がたくさん出てくるんです。そのひとつひとつに応えていったことで、いろいろなスタイルの音楽が混在してしまうことになり、まとめるのが難しくなりました。

『風立ちぬ』でロシアの民族楽器を使ったように、「『かぐや姫の物語』は日本を題材とした映画だから、和製楽器の琴とオーケストラでやろう」というアイデアも出ました。ところが、そうすると逆にトリッキーになってしまう。一度聴く分には面白いんだけれど、きれいにはまとまらないんです。それで他の楽器を足すなど試行錯誤しましたが、オーケストラだけのシンプルな構成のほうが統一感がある、というところに行き着いて。そこに至るまでにけっこうな時間がかかりました。

また「天人の音楽」(天人が天から降りてくるときの音楽)は、もともとサンプリングのボイスなどを入れていたので、オーケストラとの整合性がうまくとれずに苦戦しましたね。ただ、それが現代的にかっこよく響いてくれれば成功するだろうという狙いが根底にありましたし、高畑さんも実験精神旺盛な方ですから、とがったアプローチをしても快く受け入れてくれました。「五音音階を使っているのに何故こんなに斬新なの?」と思わせるラインまではすごく時間がかかりましたが、結果として納得いくものができました。

―今作には山田洋次監督の『小さいおうち』をベースにした楽曲もあり、全体を通して昭和モダン的な雰囲気が伝わってきます。

久石:『風立ちぬ』や『小さいおうち』は戦時中、昭和の時代の話なので、その雰囲気は出てくればいいなと思います。ただ、僕は昭和25年生まれなので、戦争のことはもちろん、こうした作品の時代性や雰囲気はまったく知らない。知っているのは、高度成長期以後の昭和の雰囲気や、当時のポップスや歌謡曲なので、その雰囲気を出そうとは意識しました。

 

「モーツァルトだってハイドンだって、発注があってしか書いてない」

―今年3月に、今作のジャケットも手がけたデザイナー・吉岡徳仁さんとの対談番組(Eテレ『SWITCH』)があり、「発注がある仕事」の楽しさ、難しさについてのお話がとても印象的でした。

久石:彼はデザイナーだから、基本的には商業ベースでつくることになります。ただ吉岡さんにも自分のやりたいことがあるし、自分のつくりたいものと発注されるものは違うので、ある種の葛藤は持っています。そこの共通項ありましたね。

―どういった葛藤ですか?

久石:アーティストというのは、モーツァルトだってハイドンだって、発注があってしか書いていないんです。発注なしで作っていたのは、シューベルトとプーランクくらいじゃないかな。「浮かんだら書く」なんてそんな呑気な話はありません(笑)。

依頼は、作品をつくる手がかりにもなります。「お金がない」と言われたらオーケストラではなく小編成にするし、「アクション映画だ」と言われたらラブロマンスみたいな曲を書くわけにはいかない。このように、どんどん限定されていきますよね。そういった制約は決してネガティブなことではなく、「何を書かなければいけないか」ということがより鮮明に見えてくるだけなので、僕は気にしていません。

大事なのは、映画のために書いているふりをして、実は本当に映画のためだけではないこと。つまり、自分がいま書きたいものと発注をすりあわせていくんです。アーティストが書きたいと思っているものでなければ、人は喜んでくれない。いま自分が良いなと思っている音楽の在り方──それは幅広いジャンルにあるので、その中で、いま発注の来ている仕事と自分の良いと思うものとを照らし合わせるんです。

―それはご自身が30年以上このお仕事される身につけていったマナーですか。それとも、最初からお持ちの考えなのでしょうか。

久石:どうなんでしょう。その都度、一生懸命やっていることは確かで、基本的にはそういう姿勢です。頭で考えてスムーズにいく仕事はひとつもないので、毎回ああだ、こうだとやっていますよ。

―先の対談でもう一つ印象的だったのは、久石さんの「音楽をつくるには論理的でなければいけない」という趣旨の発言です。

久石:感性に頼って書く人間はダメですね。2~3年は書けるかもしれないけれど、何十年もそれで走っていくわけにはいきません。自分が感覚だと思っているものの95%くらいは、言葉で解明できるものなんです。最後の5%に行き着いたら、はじめて感覚や感性を使っていい。しかし、いまは多くの人が出だしから感覚や感性が大事だという。それだけでやっているのは、僕に言わせると甘い。ムードでつくるのでなく、極力自分が生みだすものを客観視するために、物事を論理的に見る必要があります。

―面白いですね。ご自身の中では、自らの音楽を解析していくプロセスは常に踏んでいると。

久石:そうですね。とはいえ、言葉で説明できる段階というのは、まだ作曲にならないんです。無意識のところまでいかないと、作品化するのは難しい。ある程度はつくっているけどピンと来ない、ほぼできているけど納得できない…というものが、一音変えただけでこれだ!という曲もあるし、どこまでやっても上手くいかないから、ゼロからもう一度、という場合もある。「残りの5%」のような解明できないところ、つまり無意識の領域にまでいかないと、作品にするのは難しいです。

―発表されている曲は、すべてそういうプロセスを経ていると。

久石:そういうことになります。

―久石さんのキャリアを振り返ると、ミニマル・ミュージックや現代音楽分野での創作活動を経て、ポピュラリティのある映画音楽の世界で広く活躍されてきました。二十世紀の実験音楽へのご関心は、今も継続して持っておられるのでしょうか。

久石:ミニマル・ミュージック以降の、ポストミニマルやポストクラシカルなどのジャンルでいうと、自分はポストクラシカルの位置にいると認識しています。そういう作品はいまも書き続けていくべきだと考えているし、力を注いでいる部分でもあります。現在つくっている音楽も、やはりベーシックはすべてミニマルです。それの発展系ですね。

 

「メロディは意外と古くならないけど、言葉は真っ先にダメになる」

―久石さんからご覧になって、ミニマル・ミュージック以降で、新しいことをやっているなと思うポピュラーミュージックはありますか。

久石:ありますよ。しかし残念ながら、ポップスの構造というのは単純なんです。和音も似たり寄ったりだし、リズムにも凄まじい変化があるわけではなく、どうしてもメロディラインが基準になってしまう。メロディに対してコード進行をつけるけど、皆が歌えることが前提になるので、複雑化させることが良いとは言えません。ポップスの面白みやすごさは、メロディと言葉が一体化したときに独特のものが出てくることです。特に言葉は、時代が反映されるから厳しいですね。多くのポップスミュージシャンやシンガーソングライターがコケてしまうのは、言葉なんですよ。すぐに時代に合わなくなってしまうから。

その点、メロディは意外と古くならないんです。良いメロディに時代に合うリズムを取り入れれば、一応形になるはずなのですが、真っ先にダメになるのが言葉です。言葉の表現は、作り手がある年齢に達したとき、若い人たちに「これは自分の歌じゃないな」と思われてしまう。響く範囲がものすごく狭いから、可哀想だなと思いますね(笑)でも、たまにものすごく衝撃的なことが起こることがあります。昨年ATSUSHIさんとのコラボ曲(「懺悔」)なんかは、商業ベースをすべて無視してつくったから、意外といい作品ができました(笑)。

―ポピュラーミュージックはつまるところ、言葉であると。

久石:基本は、歌ですよね。言葉とメロディが一体になったときに、理屈じゃないところで世界がずんと重く感じられるときがある。それがポップスの持っている圧倒的な力なんだと思います。

―他方で、現在ご自身がオーケストラ音楽に注力されているのは、クラシック音楽を多くの人に届けようという意図もあるのでしょうか?

久石:あります。ポップスをやっている人間から見たクラシックの最大の問題は、「古典」になってしまうこと。要するに、過去から繋がってきて現代があって、その先に未来がなければいけないのに、まるで過去しか存在しないような排他的な世界になりやすいことです。「ベートーヴェンは神様」みたいな人たちとやっていると、一般の人が入れない世界に入っていってしまう。

二十世紀の後半は現代音楽が盛んでしたが、いまは多くの音楽家が十分に活動できなくなっています。すると、みんな集客力の高い古いクラシックの曲を演奏するしかなくなって、音楽の流れが途切れてしまう。途切れると、未来はありません。だから僕は、クラシックのプログラムにも必ず現代音楽の要素を入れます。未来に繋がる新しい音楽を提供していかないと、クラシックはただの古典芸能になってしまう。それに対する危機感は、強く持っています。

―二十世紀後半に盛んだった現代音楽が行き詰まったのは、作曲者や演奏家を支援する体制がなくなったからでしょうか。

久石:それもありますが、もうひとつ「脳化社会」というか、ほとんどみんな頭でつくりあげたような作品ばかりになったことも大きいと思います。十何音の不協和音が飛び交うような音楽では、多くの人の理解を得るのは不可能だろう、ということです。机上で書いた空論ばかり。プロでも違いのわからない、勝手に頭のなかで組み立てた音楽だけになってしまうと、観客はいなくなり、希望に燃えてつくっているものが頭打ちになってしまう。

それに対してアルヴォ・ペルトという作曲家などは、不協和音も書いていたけれど、「原点に戻らないと音楽がダメになる」と先陣を切り、多くの音楽家がその方向に向かいました。その大きい動きの中に自分もいるという気がします。いま日本にいる、いわゆる「現代音楽」の作曲家と同じことをするのではなくて、僕がやりたいのは「現代“の”音楽」。エンタテインメントの世界にいるから、人に聴いてもらうことを何より大事に思っているんです。だから、現代にあるべき音楽というのを一生懸命紹介したり、書いたりしていきたいですね。

―未来につないでいきたいというのは、どういった場に向けてですか。

久石:基本的にはコンサートとCD、できるだけあらゆるメディアを使って表現していく必要があると考えています。場合によっては文章でもいい。そのために、いろんなスタイルで発信していくつもりでいます。

 

「ウケなければ正義じゃない、というエンタテインメントの鉄則が好きなんです」

―先ほどもお話に出ましたが、久石さんが刺激を受けるクリエイターを何人か挙げていただけますか。

久石:最近だと、アメリカの32歳のニコ・ミューリー。彼はいいですね、完全にポストクラシカルの人間で、ビョークのプロデュースをしたり、メトロポリタンオペラというアメリカで一番大きな歌劇場でも曲を書いています。技術力もある。こういう新しい世代がガンガン出てきています。セルゲイ・プロコフィエフの孫にあたるガブリエル・プロコフィエフも面白いと思います。

また、最近気になっているのは、スウェーデンの『ブリッジ』というテレビドラマの音楽です。ノルウェーとスウェーデンには橋があり、そのど真ん中に死体が出て、どっちの警察が処理すべきかわからないから特別編成チームができる。しかし、お互いに自分の国の進め方があるから喧嘩しながら捜査していくことになる。そこに猟奇的な連続殺人事件が起きて…という物語で、いまちょっとハマっているんですよ(笑)。そして、エンディングに流れている北欧独特の音楽が非常に良い。シンプルに見せておいて、ふとした切り口がすごいんです。「これは俺たちが20分かけてフルオーケストラでやっても表現できないな」という音楽に出会うことがあります。

―久石さんは今後、ポピュラーミュージックの分野でもお仕事をされますか。

久石:そうですね。仕事を選んではいますが、決してエンタテインメントなことをやめたわけではないんです。客観的になることは、自分にとっては大事なこと。作品ばかり書いていると自分のことしか考えなくなります。それに、エンタテインメントの鉄則が、僕は好きなんですよ。それは、「ウケなければ正義じゃない」ということ。自分がいいと思うのが正義ではなく、売れたものが正義。ウケなくなったらまずいので、絶えず自分と時代について考えなければならない。それは続けていこうと思っています。

―日本のエンタテインメント音楽の現状についてはどう思われますか。

久石:そもそもCDが売れていませんからね(苦笑)。音楽という文化的なもので感動する下地を、みんなできちんと考えなければ、先は厳しいなと思う。あとは、情報化の行きすぎが気になりますね。音楽はそれなりの装置やプロセスを経て作品と対峙しないと厳しい。音楽をただの情報として捉えるようになってしまうと、音楽への感動はなくなるのではないかと思うんです。ポップスのアルバムで10曲入れようとすると、コマーシャルの音だけじゃなくて、「今やりたい音」も入れることで、トータルで本人のやりたいことが見える。それを、一曲ごとのダウンロードを主流として考えていたら、単発のコマーシャリズム狙いになってしまいます。すると結果的に自分たちが疲弊していくし、音楽にパワーがなくなっていく。クラシックの話でも同じことを言いましたが、新しいことをやらないと先はないんです。重要なのは、その音楽にオリジナリティがひとつでもあるかないか──CDを買ったら、まずはそれをきっちり聴くという作業をしてほしいですね。

―作り手も、自分のやりたい領域を確保していく必要があると。

久石:そうです。僕もかつて一生懸命にポップスをやっていましたが、ひとつのベースの音をつくるのにシンセサイザーを組み合わせたりして、5時間かかったりするわけです。でも、いまはプリセットでも簡単に作れてしまう。当然ながら、誰でも作れる音にお金を払う価値はなくなります。日本のJ-POPといわれるものを聴いたら、みんな音が同じだもん。歌もみんなピッチを変えて(笑)、修正ばかりでつまんないですよ。

僕が思うのは、ひとつのものをつくるには手間暇をしっかりかける必要があるということです。「みんな使っている音では嫌だから、自分でつくろう」という気持ちは大切です。たとえばハイハットの音だって、自分でつくれば人に届くんですよ。ポップスの場合は音をわかりやすくするために分厚くできないから、ベースやドラムの音ひとつで世界観をつくる、というレベルまでつくりあげないと、聴く価値には行き着かないと思います。

―ご自身でも、J-POP的な楽曲にチャレンジしようという気持ちは?

久石:いえ、今のところはありません(笑)。ただ、面白いことだったらもちろんやりたいから、アイデアが出れば挑戦したい。可能性はなくはないですね。

―精力的に演奏活動をされていますが、じっくりと作曲する時間はどう確保されているのですか?

久石:難しいですね。まずは来年など、ずいぶん先に委嘱されているものをきちんとつくらなければいけないし、それにはやはり手間暇がすごくかかるんです。自分の作品を書くことと、エンタテインメントの仕事と、そのあたりの時間の配分はかなり考えないといけない。だから、いつも落ち着かないですね。あれもこれもやんないと…と思いながら、深夜にはアメリカのテレビドラマを見ちゃうんですけど。見だすと止まらなくなるから、テレビのない世界に行きたい(笑)。

―最後に、久石さんが常に休まず、クリエイトし続ける理由とは?

久石:僕は走りながら考えるタイプなんです。立ち止まって考えると、逆になにもできなくなってしまう。だから、つくりながら考え、修正を加えていく、というのが性格的に向いていると思います。ただ、今年は依頼をほとんど断って、よく立ち止まるようにしているんです。来年からはもう一度、しっかりやりたいと思っていますよ。

(取材・文=神谷弘一)

 

記事はこちらからご覧いただけます>>>
リアルサウンド 久石譲、エンタテインメントとクラシックの未来を語る「人に聴いてもらうことは何より大事」

 

 

『未来へつなげる』というキーワードがインタビュー中に出てきます。これがどうも2015年以降のひとつの軸となっていきそうです。

それは、

  • 自身の作品を自らによって人に聴いてもらう機会 = CD / コンサート / メディア発信
  • 自身の作品を他者によって人に聴いてもらう機会 = 楽譜出版による他者演奏機会
  • 他者の作品を自らによって人に聴いてもらう機会 = クラシック音楽 / 現代音楽

その根幹は久石譲が未来につなげたい音楽作品を、ということになります。かつ、2014年現在、久石譲は自らの肩書き=作曲家 ということを大事にしています。もちろんこれまでもそうですが、こういうコメントをしています。

「僕は肩書きで言ったら作曲家ですから。指揮もピアノもしますが、基本は曲を書く人です。それがないと自分の音楽活動は成立しません。だから作曲というのはどこまでも大事にしたいですね。」

 

これまでの久石譲作品でWORKSシリーズのように昇華されていく名曲たち、はたまた新しく書き下ろされることになる”未来につなげだい新作”の誕生か!?どういう音楽活動に発展していくのかますます楽しみですね。

 

Related page: 《WORKS IV》 Special

 

久石譲 リアルサウンド1

久石譲 リアルサウンド2

 

Blog. 「クラシック プレミアム 22 ~メンデルスゾーン / シューマン~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 20014/11/12

「クラシックプレミアム」第22巻は、メンデルスゾーン / シューマン です。

ロマン派を代表するふたりの作曲家が特集されています。ロマン派についてわかりやすく解説されていましたので少し長文ですがまとめておきます。

 

「ロマン派とは、古典派に続いて現れた音楽史上の一つの時代であり、1790年頃から1910年頃までを指すというのが一般的で、中心的には19世紀の芸術活動を指すことになる。ロマン派というのは、ロマン的なるものを徹底して追求した芸術上の思潮であり、それは、感情的な営みが、秩序や理性といった原理・原則以上に優先された、そんな時代を指すということができよう。」

「すなわち、ロマン主義とは、理性に対して本能が、形式に対して想像力が、頭脳に対して心が、アポロ的なるものに対してディオニュソス的なるものが優先される、そんな時代の芸術活動ということができよう。これは、一つ前の啓蒙主義の時代には抑圧されていたものであったし、古典主義的な価値観、つまり、何よりも秩序を理想としていた時代とは明らかに異なるものであった。理性的で説明可能な世界から、何よりも自由で、神秘的で、超自然的な営みへの願望が強くなってきた時代思潮なのであり、それは未来への憧れと夢想とが混在する、そんな時代の営みということもできよう。」

「当然、こうした考え方は、音楽に対する期待感を変えることにもなってきた。それは、まず形式や構成に対する変化となって表れてきたし、音色も、音量も貪欲に追求されてきた。その結果、作品の規模が拡大されてきたし、オーケストラ編成も拡大されてきた。そして協奏曲は、人間の能力をほとんど超えるかと思わせるほどに超絶技巧がちりばめられるようになり、パガニーニやリストらの演奏が人々を感動させたのである。」

 

 

【収録曲】
メンデルスゾーン
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64
ヴィクトリア・ムローヴァ(ヴァイオリン)
サー・ネヴィル・マリナー指揮
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
録音/1990年

シューマン
ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮
ロンドン交響楽団
録音/1979年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第22回は、
音楽は時間軸と空間軸の上に作られた建築物?

前号以前からの「視覚と聴覚」についての内容が続きます。

今回はとりわけとても難しい内容だったのですが、ある意味において久石譲が数十年前から語っていること、音楽論における自身の核心的な内容を含んでいます。

とてもどの一部を抜粋するかに悩んだ末…これだけ核となっている今号エッセイ内容であり、抜粋したがために書き手の伝えたかったことの意図に反してしまっては…と思い、いつもよりも容量多めに紹介します。

 

「養老孟司先生が言うには、「人間は脳が進化して意識が生まれた。動物の脳みそは小さいが、人間の脳みそは大きくなって目にも耳にも直属しない分野『連合野』ができた」……なるほど、目と耳から違う情報が入ってきても、どちらも同じ自分だよ、と言い聞かせる機能が必要になったというわけだ。それで「目からの情報と耳からの情報、二つの異質な感覚を連合させたところにつくられたのが『言葉』。人間は『言葉』を持つことで、世界を『同じ』にしてしまえたんです」。いやー、『耳で考える』で対談したときよりも少しは頭が良くなったと思っている僕でも、今読み返すとブラームスの交響曲第1番第4楽章の雲間から光が差し込むようなホルン、あるいは暗闇に走る稲妻のごとき衝撃的かつ啓示的な言葉だ。」

「言葉は目で見ても耳で聞いても同じである。だがそれを結合させるためにはある要素が必要になる、と養老先生はおっしゃる。もう少し引用するのをお許し願いたい。「視覚にないものは何か、それは『時間』です。写真を撮ってもそこに時間は映らない。絵にも時間は描けない。目にとって、時間は前提にならないんです。その代わり、空間が前提になる。一方、聴覚にないものは何か、『空間』です」と言い切っておられる。そして聴覚にないものの「空間」について、デカルト座標は視覚、聴覚は極座標で距離と角度しかなく、どのくらい遠くから聴こえるからと、どっちから聴こえるか、それだけです、と補足している。」

「その上で「目が耳を理解するためには、『時間』という概念を得る必要があり、耳は目を理解するためには、『空間』という概念をつくらなきゃいけない。それで『時空』が言葉の基本になった。言葉というのはそうやって生まれてきたんです」。 さあ、いよいよ出ました「時空」という言葉!」

「音楽は時間軸と空間軸の上に作られた建築物である──久石譲」なんてね。

「いずれこの連載で書くであろう音楽の3要素、すなわちメロディー、リズム、ハーモニーは時間軸と空間軸の座標上の建築物であり、その中のハーモニーは空間的表現であると解釈されている。と続けたいがその前に「時空」という言葉をウィキペディアで調べると「時間と空間を合わせて表現する物理学の用語、または、時間と空間を同列に扱う概念のことである」……?」

「要約すると、人間は視覚と聴覚から入る情報にズレがあり、それを補うために言葉を発明し、その言葉の前提は時空にある、ということだ。そしてその時空は音楽の絶対的基本概念でもあるわけだ。」

「時間が絡むと、そこには論理的な構造が成立する。つまり言葉は「あ」だけでは意味がなく「あした」とか「あなた」などと続いて初めて意味を持つ。その場合、どうしても「あした」と読むために時間経過が必要である。このように時間軸上の前後で関係性が決まるものは論理的構造をもつ。音楽でも「ド」だけでは意味がなく「ドレミ」とか「ドミソ」などと続けて初めて意味を持つ。だからこれも論理性が成立する。」

「一方、絵画は論理的構造を持たない。絵を観るのに時間がかかったというのは本人の問題であって表現自体に時間的経過は必要ない。よって絵画は論理的構造を持たない。「百聞は一見に如かず」。見えちゃうんだからしょうがないだろうということはやはり論理性は感じられない。断っておくが絵が単純だと言っているわけではない。だからこそ論理を超えた体感という何かを感じるわけだ。」

「多くの人たちは音楽を情緒的、あるいは情動的なものと捉えているが実は大変論理的な構造をもち、それこそが音楽的ということなのである。」

 

 

以前より久石譲がインタビューなどでも語っている音楽についてのこと。「ド」だけでは意味がなく「ドレミ」とか「ドミソ」などと続けて…あたりもそうです。そしてそんな具体例の核にあるのが、『時空』であり『時間軸と空間軸』です。

実はこれ、1997年の映画『もののけ姫』に関するインタビューでも登場します。ちょうどつい先日そのインタビュー内容は掲載しています。

こちら ⇒ Blog. 久石譲 「もののけ姫」 インタビュー ロマンアルバムより

 

久石譲の作曲活動において、とても核心的な部分であったため、今号のエッセイは一部だけを抜粋してしまうことに躊躇してしまったわけです。少し多めにご紹介しました。まさに久石譲の音楽的思考が凝縮された内容でした。

 

クラシックプレミアム 22 メンデルスゾーン シューマン

 

Blog. 宮崎駿監督 アカデミー賞 名誉賞 スピーチ&記者会見

Posted on 2014/11/11

世界的なアニメーション映画の巨匠、宮崎駿監督にアメリカの映画芸術科学アカデミーから「アカデミー名誉賞」が贈られ、2014年11月8日、授賞式が行われました。日本人が受賞するのは、黒澤明監督以来、2人目です。

 

アカデミー賞 名誉賞 授賞式スピーチ

「私の家内は『おまえは幸運だ』とよく言います。ひとつは、紙と鉛筆とフィルムの最後の50年に私が付き合えたことだと思います。それから、私の50年間に私たちの国は一度も戦争をしませんでした。戦争で儲けたりはしましたけれど、でも戦争はしなかった。そのおかげが、僕らの仕事にとってはとても力になったと思います。でも、最大の幸運は今日でした。モーリン・オハラさんに会えたんです。これはすごいことです。こんなに幸運はありません。美しいですね。本当によかった。どうもありがとうございました。」

 

記者会見

-受賞の印象と出席した感想について

「ジョン・ラセターの友情に負けて来ました。」

-アニメーション、映画、芸術に関しての自身の貢献について

「あと100年ぐらい経たないとわからないのではないでしょうか。」

-引退の理由と現在の活動について

「紙と鉛筆は手放していません。フィルムがなくなっただけです。今フィルムが世界から消えてしまったんです。ちょうどいい時でした。」

-授賞式の感想

「一番驚いたのは、同じく名誉賞を受賞したアイルランドの女優、モーリン・オハラに会えたこと。94歳です、すごい。だいたい僕は、モーリン・オハラさんが生きているなんて、自分が会えるなんて夢にも思わなかった。これが今日の一番、生きているととんでもないことが起きるんだ、という感想です。」

-オスカー像を持った感想

「重いんですよ。ちょっと持ってみてください。どれだけ重いかわかるから。(手に持ってみる質問者の記者)これしかも箱をくれないんですよ。モーリン・オハラさんが車椅子で出てきたんですけど、これを手に持ったら、金が銀でできてればいいのにと言ってました(笑)」

-受賞したこと、式への出席に関して

「ジョン・ラセターさんの陰謀ではないかと。相当運動したに違いないとか色々思っているんですけど、わかりません(笑)(今回は受賞式に出席したのも)ジョン・ラセターの脅迫です。怖いんですよ。これはもう行くしかないという感じだったんです。それで陰謀説を僕は思ってるんですけども。いや、本当に友情が厚いんです。もうなんでこんなに友情が厚いだろうというふうな男ですね。だから仕方がないと。」

「これ(タキシード)は家内と二人でデパート行って買ってきたんですけど、生涯1回しか着ないもんだけど、まあそういうこともあるだろうということで。初めて蝶ネクタイもして、これホックで留めればいいやつなんですけど、似合うも似合わないもないですね、はい(笑)」

-宮崎監督にとってアカデミー賞というものは

「本当のことを言っていいなら言いますけど、関係ないんです。つまりアカデミー賞ってのはね、モーリン・オハラとかですね、そういう人たちのものであって。アニメーションをやろうと思った時に、アカデミー賞に関わりのあることをやることになるだろうなんて思ってもみないです。それは目標でもないしね、視界に入っていない出来事でしたから。」

-モーリン・オハラさんに挨拶した時のことについて

「とにかく何が驚くって、モーリン・オハラさんに会うなんて、僕はもう本当に思ったこともなかったから。車椅子で来られたんですけど、始まる前に挨拶にちょっと伺ったら、向こうは僕のこと何もわかるはずないですからね、お孫さんが世話をされてて、その方が声をかけてくださったんですけど。振り向いた時にね、こういうふうに(仕草を真似してみせる)、シルエットが昔のまんまなんですよ。ハッ!と思いました。」

「直接やりとりしたというほどのことはないですけど、「『わが谷は緑なりき』のあなたが素敵だった」と僕は言いました。そうしたら、「ジョン・フォードは本当におっかない監督だった」って仰ってましたけど、それ以上とやかく言う時間はないですからね。すごいですね、生きてるといろんなことがあるだと本当に思いました。」

-今後のアニメとの関わりについて

「もう大きなものは無理ですが、小さなものはチャンスがある時はやっていこうと思っています。ただ無理してもダメなんで、もう。だから出来る範囲でやっていこうと思っています。僕らはジブリの美術館があるものですから、お金に関係なしに、つまりどれだけ回収をできるかっていうのをなしに公開することができるんですよ。そうすると、今もう9本できてるのですけど、1本につき1年間に一ヶ月以上やることになるわけです。その時に来てくださったお客さんはみんな見ていってくれますから、けっこうお客さんの多い映画になるんですね。つまり、売れなくていいわけですから、こんなにいいチャンスはないんですね。ジブリ美術館の短編映画は作れる限り作っていこうと思っています。」

-現役であるかについて

「現役じゃないでしょう?現役っていうのはもう少し仕事やると思うんですけどね(笑)あんまり自分を「現役」って叱咤激励してやったところで無駄だから、出来る範囲でやっていこうということでいいと思いますけどね。今日94歳とか87歳とかそんな人ばかりに出会ったものですから、本当に小僧だなと思ってね。僕、73なんですけど、恐れ入りましたという感じでね。リタイアとかなんとかあまり声を出さず、やれることをやっていこうと思いました。」

-ジブリ美術館の短編映画について

「(美術館の展示は)1年で展示替えになるんです。そうすると、もう次のことを考えなきゃいけないんですよね。これもけっこう手間がかかって大変ですね。この次の企画は、もし今はなしている企画が決まるとしたら、あんまりお子様へのプレゼントじゃないですね。(どのような企画かとの質問に)それはまだ発表できないです。だってやるかやらないかまだ決まってないんだもん。」

-創作へのモチベーションについて

「(中継を見ている多くの視聴者から、短編期待しているとの声に)ありがとうございます。されない方が楽なんですが(笑)モチベーションは毎回衰えるんです。それで、ある日突然、こんなことではいかんと力を取り戻そうと思うんですけど、そういうことの繰り返しです。僕の歳になったらそうだと思います。そうじゃない人もいると思うんですけどね。でもまあ、あんまり齢をとって仕事仕事といってるのもみっともないし、あんまりぽーっとしててまわりに迷惑をかけてもいけないから、ほどほどのところで。自分の仕事場に入って、途端に机にかじりつくってよりも、そのまま寝てしまうことのほうが多いから。まあ起きますけどね。疲れが出るテンポが緩やかなんですよ。若い時は半年くらいで疲労がピークを越えて回復に向かうんですけど、それが出てくるのが遅くなる、なおるのも遅くなるという風に、どんどん後ろにずれてきて。歳をとると、たとえば山登りをして、筋肉が二日くらい痛くならないんですよね、なんともないやーなんて思ってる途端に、階段のぼれくなったりするんです。それと同じような感じを今味わっていますね。これは前の作品のせいなのか、今までの悪業の報いなのかわかりませんが。初めてのことだから、やってみないとわかりません。ただ、美術館の展示については、可能な限り噛んでいきたいとは思っていますけども。」

-出席した式の感想を改めて

「鈴木Pはずいぶん面白がってましたね。僕はラセターが横に座ってて、しょっちゅう握手したりハグしたりいろんなことされて、冗談じゃないですよね(笑)あんまり大体得意じゃないんです、そういうものが。でもまあ、できるだけにこやかにやってきたつもりです。氷の微笑みみたいに、こう。(と顔をゆがめてみせる)」

「賞ってね、もらえないと頭にきますよ。でも貰って幸せになるかっていったら、ならないんですよ。なんにも関係ないんです、実は。それで自分の仕事が突然よくなるとかね、そういうことないでしょ。もうとっくに終わっちゃった仕事ですからね。それで、その結果を一番よく知ってるのは自分です。あそこがダメだったとか、あそこは失敗したとか、誰も気が付かないけどあそこは傷だとかね、そういうもの山ほど抱えて映画って終わるんですよ。だから、お客さんが喜んでくれたっていっても、そのお客は本当のことをわかってない客だろうとかね、だいたいそれくらいの邪推をする類の人間なんです僕は。だから、自分で映画は終わらせなきゃいけない。賞をもらえれば嬉しいだろうと思うけど、賞によって決着はつかないんです。むしろ、それなりに翻弄されますから、ドキドキするだけ不愉快ですよね。不愉快って変な言い方ですけど。僕、審査員には絶対ならないつもりなんです。順番は絶対つけない!答えになってないですかね?(笑)」

-ラセターさんや鈴木さんや奥田さんに祝福された時間は楽しかったのでは

「いや、ご飯食べる暇もないですからね。いろんな人が来て、「俺はナントカで、前にジブリに行ったことがある」とかね、覚えてないですよ。それで、しょうがないから握手してどうもありがとうとか言って、そんなことばっかりやってなきゃいけなくて。」

「(ハリー・ベラフォンテは良かったですよね、と鈴木P)ハリー・ベラフォンテさんも受賞されたんです。この人は、87?88で大演説ぶってましたね。人種差別を。人種差別と戦い続けてきた人ですから。それでシドニー・ポワチエが…(87歳、と鈴木P)、80代ですからね、こっちは小僧ですよ。それでなんせ、モーリン・オハラさんが94でいるんですからね、どうしていいかわからないですよね。隅っこの方で小さくなるしかない。」

-モーリン・オハラさんについて

「(記者から、宮崎監督が一番若い受賞者で、受賞者の平均年齢が84歳であるといわれ)モーリン・オハラさんが稼いでるんです(笑)もちろん、年齢がもたらすものを十分モーリン・オハラさんも抱えていたけど、お孫さんがついてて、お子さんたちは既にお亡くなりになっているかなっていないかわからないけどね、そういう齢ですよね。でも、素敵でしたね。僕は堂々とね、こっそり言ったんです、「とても綺麗です」って!本当にそう思ったから。」

(ここで記者、レッドカーペットでモーリン・オハラさんに「今日、宮崎監督が来たのはモーリン・オハラさんに会うためなんですよ」と伝えたら「私も会うのを楽しみにしているわ」と言っていたというエピソードを話す)

「それはもう、大女優をずっと続けてきた人だもんね、それくらいのさばきはできますよ。だってミヤザキなんてわけのわかんない奴、知ってるわけないじゃないですか。あのね、ちょっと会場で映像を流しても、モノクロ時代のスターって本当にスターなんですよ。映画はモノクロ時代は本当にそういう意味を持っていたんですね。それだけでもう、ヤバイですよね。スゴイ!って(笑)」

-1980代の受賞者に会って、また長編を作りたいというパッションは湧いてきたか

「そういう上手な結論にはいきません、話まとめるにはいいでしょうけど(笑)その部分は変わらないです。自分に何ができるかということと、何ならやるに値するのかということ、これなら面白そうだということが一致しないといけない。それから、製作現場を作っていく時に条件がありますから。お金の条件だけじゃないんです、人材の条件もですね。それを満たすことができるかとか、そいうことを考えなければいけませんから。」

「美術館の短編というのは10分ですけども、世界を作るという意味では1本分のエネルギーがいるんです。
ただ、人間が喋らない映画にしたいと思っていますから、台詞がない映画にね。そういう点では楽ですけど。もう年寄りは何やってもいいんですよ。無声映画だってやっていいと僕は思ってるんです。今モノクロでやろうとするとかえって大変だから、それはやりませんけど。」

「自分がやりたいこと、でも同時にスタッフにとっても、一度はやっても意味があるだろうという仕事でなければならないと思ってるんです。なんとなくワーッとやって手伝ってたら終わっちゃったじゃなくね、そういう仕事のやり方や現場が作れないかなとは夢見ますね。そうじゃないと毎日行きたくなくなるもんね。そういうことは思いますけど、なんか時間がかかりそうでヤバイですね(笑)」

「むかし僕はものすごく手が速かったんですよ。だんだん遅くなるんです。1日に14カットの原画をチェックしなきゃいけないっていうノルマを自分で組み立てた時があったんですけど、それがトトロの時に6カットになったんです。1日6カットだけやればいいんだ、なんて楽なスケジュール!って思ったのに、もう全然6カットがいかないんです。中身が変わってくるのと自分が歳をとっていくのでどんどん遅くなるんです。最後の作品では、1日3カットやってればよかったんですけど、3カットができないんです(笑)」

-黒澤明監督以来、2人目の受賞については

「いや僕は、黒澤さんももらいたくなかったんじゃないかなと。今までのことをね、功労しますみたいな賞ってもらったってしょうがないですよ。もっと生々しいものだと思うんですよ、映画をつくるって。作った!見てみろ!でドドッと賞が来たらいいけど、ずいぶん長くやってましたねってこう、ご苦労さん賞みたいなね、そういうのでしょうやっぱり。(オスカー像は)重いですけど。もっと軽いものつくりゃいいのにと思うけど(笑)」

「さっきも言いましたように、賞で何も変わらないんですよ本当に。だからこれはもう、もらう時はありがとうございますって受け取るけど、それからラセターたちの友情は本当に、本当に感動的な、本当に忠実な友というのはこういう人たちを言うんだなと思いますけどね。で、そういう人に出会えたっていうのが幸いだと思うんですけど、もう忠実過ぎて、「これが最後だから俺んち来い、俺の汽車に乗せる、ヨセミテにつれてく」ってもう、チョー辛いなって思ってるんですけど、(鈴木P、日本テレビ奥田Pのほうを見て)あそこらへんも一緒に行く羽目になるから(笑)辛いなって言えないですよもう。「わかった、これが最後だ」って。最後が続くんじゃないかなと思ってるんですけど(笑)それで、ヨセミテ寒いぞって言われたから、防寒具とかいろんなもの持ってきたのに、暑いでしょここ。エアコン入ってるじゃないですか、着るものがなくてね。下着が冬物を持ってきてしまって、今僕も暑いんです。なんだかわけわかんないですね(笑)」

-ラセター氏が、宮崎監督はウォルト・ディズニーに次ぐ人材と言っていたことについて

「まあ、贔屓の引き倒しだと思っていたほうがいいと思いますよ。僕はウォルト・ディズニーという人は、プロデューサーとして優れていると。途中からプロデューサーとして優れている、初めはアニメーターでしたよね。それで昨日、ディズニーランドの中にある…(鈴木P&奥田Pに)あれなんていうクラブでしたっけ?(カーセイサークルと答える両者)カティーサークではないんですね。…というクラブがあって、それは仕事終わった後アニメーターたちが寄れるようなクラブを作りたいと思ってただけらしいんですけど、そのクラブをラセターたちが考えて作って、そこに古い写真を引きのばして飾ってあるんですよ。それを見るとね、本当に若いアニメーターたち、ウォルト・ディズニーも若い。それで打ち合わせしてるんだけど誰も煙草吸ってないから、おかしいなと思ったら、こう手に持ってるのを消してあるんですね、修正で。そんなことありえないですよ、絶対にこうやって(吸ってた)はずなんで、面白かったですね。」

「でも、そこにあるのはね、やっぱりなんか、これから時代を切り開く、というよりも自分たちの時代を作ろうと思ってる、作れるんじゃないかと思っている人間たちが集まってるものが、その写真にありますよ。それで、みんなネクタイ締めてやってる。きちんとしてやってるんですよ。夏はどうしたんだろうと思うんだけど。夏の写真じゃないと思いますけどね。そういう時代が確実にあって、その時にディズニーやウォルトナインズと呼ばれたアニメーターたちが、自分たちは新しい意味あることをやっていると思って仕事をしたんですね。それに対しては、本当に僕は敬意を感じます。企業としてね、ディズニープロダクションがどうやって生き残っていくかっていうことについては、殆ど僕は関心がありませんけど、あの瞬間のあの写真を見ると、ああこれはいい連中だなと本当に思いますね。そういう意味では僕らも共通する瞬間を何度か実際に持っていますから、それから推測するしかありません。」

-式典終わってホッとしているか

「ホッとできないんですよね。明日朝9時に朝食会があって、それからどっかに飛ばされて…だからなるべく早く寝なきゃいけない(笑)ホッと…ホッとはしてませんよ。けっこう感動するところでは感動しているんですよ。モーリン・オハラさんに会ったんですよ!僕、手まで握ってきたんですから!まわりが気が付かないうちに(笑)そういう興奮は本当に残っています。ハリー・ベラフォンテも素敵だったけど、やっぱりあの美女が振り向いた時に…本当にね、シルエットは昔のモーリン・オハラだったんです。僕もうそれを見たときは息をのみましたからね。あとはシワがあろうがシミがあろうが関係ない。そんなの自分にもいっぱいあるからそんなのどうでもいいんですけど。やっぱり大した時代を生きてきた人だと僕は思います。」

-今回のアカデミー名誉賞にあまり価値や意味を見いだせないものか

「あらゆる賞に対して僕はそうなんで、何もこれだからペケだとかそう思ってません。さっきも言いましたように、賞っていうのは相手にされないと悔しいし、もらって幸せかっていうとそれも幸せじゃないんですよ。だから、なきゃ一番いいもんなんです。わかりません?(笑)」

※ここで奥田Pより、宮崎監督の式典でのスピーチ内容について説明がある。

奥さんに、あなたは運がいいと言われた。
1つめ、鉛筆と紙とフィルムの時代の最後の50年に立ち会えたことの幸運。
2つめ、その50年間、日本では戦争が一度もなかったことも幸運だった。戦争で儲けたりはしたけど、戦争はしなかった。

「(戦争で儲けたりたりはしたけど、という点は)プロデューサーがそういう話を来る飛行機の中でしたもんですから、ちょっと付け足さなきゃいけないと思ったんです。正確に言うと、70年近くしてないんですね。それは、なぜそういうことを言うかといいますと、僕らの先輩よりもうちょっと上の、戦前にアニメーションをやりたいと思った人たちは、本当に戦争によってどつきまわされているんです。戦時中に企画が立てられて、桃太郎の…海鷲だっけな荒鷲だっけな、という映画(※「桃太郎の海鷲」と思われる。1943年に公開された日本初の国産長編アニメ)なんかも、これ力作なんですけど、出来た時はもう負けに瀕してる時で、映画を公開してすぐ戦争が終わってしまって、そのままお蔵入りになってしまうというね。それでその後、仕事なくなるという。そういう風な目にあって、「桃太郎の海鷲」を作った人なんかは、結局本に出せなかったけど、アニメーションの入門書のゲラを僕は見せてもらったことがあるんですが、本当にわかってる。こんなにどうしてわかったんだろうというようなことを。アニメーターの勘というのはね、修行じゃなくてものの観察の中から生まれてくるんで、本当にたちまちのうちに理解する人は理解するんですね。それを見てひどく、「この人たちは結局、戦争終わった後アニメ―ションを続けることはできなかった」と。しばらくしてから復活しますけど、本当に巷に仕事がなかったんです。」

「それで、僕にも影響を与えてくださった大先輩は、アニメーションやるって言ったらバカかと言われながらやってきた人間です。大塚康生さんという人が僕の直接のお師匠さんなんですけど、十歳年上ですが、彼は厚生省の役人を27歳までやって、麻薬Gメンで、それでもアニメーションをやりたくて辞めて東映動画っていう会社に入ったんですよね。その結果、給料は1/3になってしまったんです。彼は、やっぱりその何年間かを失っているんです。それは努力もし勉強もしていたかもしれないけども、二十歳から始めていたらね、その7年間て物凄く実りの多い期間だったはずなんです。それはその後も努力をして色々な成果を残してくれた人ですけど、「ルパン三世」を最初にやった人ですよね。だから戦争の影っていうのは、戦時中に大人でなくても、いっぱいいろんなところに影を残してるんです。」

「僕は、ちょうど「鉄腕アトム」が始まった1963年にアニメーターになったんです。アトムをやったんじゃありませんが。1964年にオリンピックです。高度成長経済が始まってる時です。その後ね、色々あってもとにかくアニメーションの仕事を続けてこれたっていうのは、やっぱり日本の国が70年近く戦争をしなかったということは物凄く大きいと思っています。特にこの頃ひたひたと感じます。もちろん、特需で儲けたりとか朝鮮戦争で、それで経済を再建したとかね、そういうことはいっぱい起こってるんですけど、でもやっぱり戦争をしなかったっていうのは、日本の女たちが戦争をしたくないってそういう気持ちを強く持って生きていたこと。だいぶ歳をとって亡くなってる方も多いですけど。それから原爆の体験を本当に子供たちにまで…僕も本当にいっぱい、そのケロイドだらけの人が家を訪ねてきて、物乞いのためにケロイドを見せるというようなことを体験しています。それで、1952年に被爆地の物凄く生々しい最初の写真が出版されるんですけど、(それまで)占領軍が許可しなかったからですね、でもその前に聞いてました。原爆がどういうことになったかというのを。」

「話が飛ぶようですけど、「ゴジラ」というのが出てきたときに、僕はあの時中学生だったのか小学生だったのか覚えてないですけど、怪獣ものを観に行くというような気楽さじゃないんですよ。水爆実験の結果、ゴジラがやってくるというね。ただごとじゃないインパクトを感じていたんです。それで、同時にニュースフィルムでやっていたのはビキニ環礁の水爆実験のフィルムですからね。これは物凄く恐ろしかったです。そういう戦争と原爆から繋がる記憶を持ってたから、やっぱり戦争してはいけないという風に、それが国の中心として定まっていたんだと僕は思いますよ。それが70年過ぎるとだいぶあやしくなって来たってことだと思うんです。それについて今僕はとやかく言いませんけど、やっぱり自分が50年この仕事をずっと続けてこられたのは、日本が色々あっても経済的に安定していたこと、安定していたのはやっぱり戦争をしなかったことだっていう風に、僕は思っています。それを喋ったんです。こんな長くは喋りませんよ。」

奥田P「最後に、3番目はモーリン・オハラさんに会えたことが幸せだったというお話でした」

「今日来て一番嬉しかったは、モーリン・オハラさんにお会いできたことです。やっぱり美しいと思いましたね。怖そうな人ですよね。ああいう人を生身で自分の彼女にできた男は大変でしょうね。ね、鈴木さん。アイルランドの女性ですからね、ピシッとなんか通ってるんですよ。今日の僕の大収穫は、モーリン・オハラさんにお会いできたこと。それを率直に言いました。」

-アカデミー賞の新規会員にノミネートされているが受ける気は?

「あれは黙ってればそのまま立ち消えになるんです。前もそういうことあったんですけど、静かにしてると別に。何千にいるんですよ、だからそういうのいるんじゃないですかね。そういう対応の仕方に迷いはないですから。だってそうなったらいっぱい映画見なくちゃいけないじゃないですか、やですよそんなの。」

-日本の若いアニメーターにエールは何かあるか

「アニメーターだからとかじゃないですね。大事になってしまうからやめますが、えっと…まあ貧乏する覚悟でやればなんとかなりますよ、本当に。僕らはアニメーターになった時に、アニメーターなんて言っても誰にも通じないですよね。漫画映画っていっても、ん?ポパイか?といわれるくらいで。わかんないでしょ?そういう仕事があること自体がまわりが認知してなかったけど。それはですね、画工っていう言葉があるんですけど、それで絵描きっていう風に「草枕」では漱石が使ってますけど、職業で絵を描く人間ですよね。芸術的な何かで絵を描いてるんじゃなくて、職業で絵を描く人間を画工と呼ぶんです。それになるわけですから、目の前に広々とした道なんか広がりっこないんです。そう思ってやると、つまり、アニメの仕事っていう道路があるんじゃなくて、結局何もないところを歩くことになるから、その覚悟を一所懸命持ってやるしかないんだと思いますね。それはいつもそうなんだと思います。大丈夫ですよ、何も安定しないから他の仕事も(笑)そういう時期に来たんだと思いますから。みんな同じだと思っていいと思いますから。」

鈴木Pより質問「宮さん、5年ぶりですよねアメリカ。ポニョ以来、久しぶりに来たんです。どうですかアメリカは?」

「炭酸ガスの問題真剣に感じてないですよね。別に何とも。ホテルでエアコンが効いてる、寒い。外は熱い。なのに外に、煙草吸えるところ見つけたんですけど、暖炉が燃えてるんですよ。壁が凹んでてね、奥に暖炉が作ってあって。いま消せばいいじゃないね。部屋ん中エアコン入れてる時は消せばいいのに。消すくらいならつけといた方が楽だっていう発想でしょ。難しいですね、こりゃ大変だなと…」

鈴木P「オスカーが嬉しくないんですか?」

「鈴木さんは前貰った時うれしかった?」

鈴木P「たぶんね、これ最後になるんですよ。アメリカでこの賞いただくと、もう二度といろんな賞出ませんので」

「いいよそれで。」

鈴木P「いや、そのことが嬉しいんじゃないかなって」

「いや、そんなことじゃなくて。長編を作って物凄くお金をかけてね、今から準備して5年後だってなったら、そりゃ死にもの狂いで回収しなければいけないと思うじゃないですか。そうじゃないから、僕楽なんです(笑)」

-オスカ―像はどこに飾るか?

「飾らないです。一応、家族には見せますけど。鈴木さんの部屋に…」

鈴木P「いやこれは…(笑)最後だから、ちゃんと自分で持っててください。前のやつはね、僕のところにあるんですよ」

「ジブリの美術館に寄付してしまうという手もあるね。」

鈴木P「あ、それがいいですね。それが一番良い案ですね」

「こんなの地震のとき倒れておっこってきたら危ないですよ。」

-生涯アニメを作ると仰っていたが

「ええ、それはそうです。絵を描くのやめましたということにはなんないと思いますよ。だから紙と鉛筆は、絵具も絵筆もねずっと、それから実はペンもインクも含めてなんですけど、やっていくと思います。できなくても、とうとうとやろうとするだろうと思います。そういう風に生きようと決めてますんで。でもそれは仕事としてなるか、ただの道楽になってしまうか、そこらへんはまだ判断つきません。」

「美術館の仕事で、クルミ割り人形について半年くらいバタバタしましたけど。それ仕事かっていわれたらね、仕事でこんなことできるかっていうね。じゃ道楽かっていうと、いや…仕事です…っていうよくわからない領域にあるんです(笑)」

鈴木P「性格ですね。ずっとたぶんね、死ぬまで働くんですね」

「そうすると死ぬのが早くなるだろうと思うんですけど(笑)モーリン・オハラさんくらいまではいけないよね、これは。」

「ちょっと今日は本当に素敵なものを見ましたね、僕は。指、太かったです。本当、大柄なんですよ。」

鈴木P「生活の中で形作られた手足なんですかね」

「うーん…なんちゅう話してるんですかね(笑)そんなこと実現するなんて夢にも思わないじゃないですか。人生何が起きるかわからないですよ本当に。」

鈴木P「というわけで興奮の記者会見でした」

奥田P「オスカー像はジブリ美術館に贈られるということで、宮崎さん本当におつかれさまでした。みなさん、夜遅くまで本当にありがとうございました」

これで名誉賞受賞の記者会見を終わります、おつかれさまでした」(会場、拍手)

(席を立つ宮崎監督、記者たちに)このためにわざわざ、ここに来たんですか?

奥田P「ずっと待っておられたんですよ」

「かわいそうに!飛行機大変ですよね。」

鈴木P「ロス在住の方も多いんで」

「ああそうですか」

奥田P「ちなみに日本から来た方は?」

「(手を上げた記者たちに)来てよかったと思いました?なんかサービスしましょうか?」

鈴木P「どうぞ」

「いや、何をしていいか(笑)あ、ちょっと持ってみてください、どれだけ重いか。」

(以降、各社オスカー像の重さを持って体験、撮影会となり、会見は終了する)

 

宮崎駿 アカデミー名誉賞

 

Blog. 久石譲 「もののけ姫」 インタビュー ロマンアルバムより

Posted on 2014/11/9

1997年公開 スタジオジブリ作品 映画『もののけ姫』
監督:宮崎駿 音楽:久石譲

映画公開と同年に発売された「ロマンアルバム」です。インタビュー集イメージスケッチなど、映画をより深く読み解くためのジブリ公式ガイドブックです。最近ではさらに新しい解説も織り交ぜた「ジブリの教科書」シリーズとしても再編集され刊行されています。(※2014.11現在「もののけ姫」は未刊行 2015年以降予定)

今回はその原本ともいえる「ロマンアルバム」より、もちろん1997年制作当時の音楽:久石譲の貴重なインタビューです。

 

 

「こんなに全身全霊をかけて理解しようとしていて、まだどこか判っていないような感覚がつきまとう仕事というのは初めてですよ。」

「宮崎さんとは、めぐりあわせ、のようなものを感じますよ」と久石譲さんは言った。『風の谷のナウシカ』(84年)、『天空の城ラピュタ』(86年)、『となりのトトロ』(88年)、『魔女の宅急便』(89年)、『紅の豚』(92年)、そして『もののけ姫』。久石さんが宮崎駿監督作品の音楽を手掛けるのは、これで6作目となるのだが、どんな”めぐりあわせ”が…!?そして、実は同じ頃、宮崎監督も、「これはもう、さだめですね」と言っていたのである──。

 

宮崎さんの精神世界と登場人物の気持ちを表現した

スタジオジブリ作品では、劇場公開の約1年前に、「イメージアルバム」が作られる。『もののけ姫』も96年7月、久石さん作曲、プロデュースにより発表された。しかし、それと実際に映画の中で使われた音楽とでは、ずいぶん異なっているようだが。

久石 「今までの作品は、イメージアルバムの段階で既に、作品のテーマが出ていたと思うんです。でも、今回は全然別ですね。イメージアルバムから残っている曲は、重要なやつを数曲…メインテーマの『もののけ姫』と『アシタカせっ記』、エンディングシーンに使う『アシタカとサン』。それ以外はほとんど変わりました。イメージアルバムというのは、絵がない状態で作品の世界を表現しようとしますよね。『もののけ姫』は、ストーリーがあまりにも劇的で強烈じゃないですか。だから、それを音楽で表現してしまったところがある。大作映画の力感のようなものを主眼において作ったわけです。ところが、実際に映画のなかで使う音楽を作ろうとしたときに、そういう部分は映像で十分表現されているから、登場人物の気持ちや宮崎さんの精神世界を表現しようと思ったんです」

『もののけ姫』の場合、映像と音楽の関係が、今までの作品とは特に異なるということなのだろうか。

久石 「たとえば、映像では戦闘シーンをやっていたとしても、登場人物たちの気持ちとしては、実は止むに止まれぬことがあるとか、押し殺している感情があるとしたら、そっちの気持ちを表現していくのが今回の音楽では最も重要だと思ったんです。でも、こういうスタンスって、『もののけ姫』だったからとしか言いようがないね」

確かに今回の物語は、葛藤や思惑…登場人物のの感情がとても複雑である。そして、沈黙も多い。

久石 「そういう精神的なことというのは、セリフでいちいち説明するものじゃないでしょう。”私はこんなに大変なんです”なんて言えない。でも、そこに音楽が流れることによって、その人物の複雑な気持ちというものが表現できるんですよ。そういう意味でいうと、今回の音楽は、『もののけ姫』に託した宮崎さんの思いに寄って作っているという感じなんでしょうね。だから今までの作品とはアプローチが変わったという気がします」

そしてもう一つ、今回特に気をつかったことがあるという。

久石 「実は、映画に一番近い構造を持っているのは音楽なんです。どちらも、時間の軸の上に作る建築物である、と。似ているために、僕らはどうしてもすべてを音で表現したくなっちゃって、つけすぎてしまうという危険があるんです。たとえば、ふっと誰かの表情が変わったりとか、映像がそういう繊細な動きをしている時に、音楽がドーンといってしまうと、単に”活劇”みたいな感じで一気に先に行ってしまう。映像と音楽が似ているがために生じる”音楽が持っている怖さ”ですね」

音楽が持っている怖さ。「登場人物の気持ちや宮崎さんの精神世界を表現しようと思った」という今回は、いつにも増して、その部分が出ないように気をつかったのだそうだ。

久石 「だいたい、日常生活の中で音楽なんて鳴らないでしょう。誰かが冗談言ったら、チャチャチャとか音楽が鳴るわけじゃないし(笑)。それがとたえ映画の中であっても、音楽が鳴るというのは本当は不自然なんですよ。すごく不自然だと、いつも思ってる。でもそれを、不自然じゃないところできちんとして、しかも、控えめにやるというのではなく、別の意味でのリアリティを映画の中で構築したいと思っているんです」

 

宮崎さんとの不思議なめぐりあわせ

今回、久石さんは、ラッシュフィルムに一度音楽をつけたものを宮崎監督とのディスカッションの場に出している。その話に触れると、「あれはミスッたね(笑)。やるんじゃなかった」と言って、ちょっと苦笑い。

久石 「今までは、オーケストラを録る時に来てもらって、”これでどうだ”っていう感じでやっていたんです。でも今回は、効果音も何も入っていない状態で音楽だけかぶせたビデオを作ってわたしたんですよ。そんなものを何度も聴いていたら、宮崎さんとしてはいろいろ変更したくなるじゃないですか。戦法としてはしくじったなと思っているんですけど(笑)。」

しかしそれは、映像と音楽をうまく調和させるための、より慎重な方法論をとった、その一つであるようだ。

久石 「今回の作品は、今まで自分がやってきた音楽の作り方や考え方ではやり切れないだろうという予感があったので、やり方を全部変えちゃったんです。そうしないと、もう一つ上にいけそうにない気がして…。なんてバカな真似をしたんだろうと思うんですけど(笑)。でも、そのチャレンジがあったから、今までとは違う表現になれたような気がするところがありますね」

一般に”久石節”といわれるようなものを破ろうという気持ちもあったのだろうか。

久石 「(笑)。いや、でもね、確実に変わりましたよ。去年、パラリンピックのメインテーマを作った頃から、日本的なものとか、五音音階の音の響きをものすごく意識していて、それがここ2~3年の僕の最大のテーマなんです。『もののけ姫』は、それに見事に乗った。なんか宮崎さんとは”めぐりあわせ”というのがあって、『紅の豚』の時もそうだったんですが、やろうとしていることが不思議なくらい似てくるんですよねぇ。」

久石さんが言う”めぐりあわせ”、宮崎監督が言っていた”さだめ”とは、こういうことだったのだ。

久石 「この時代に自分が曲を作っていくときに、単にきれいなメロディを書こうとか、そんな意識はあまりないんですね。何が今、自分にとって課題なのかということが肝心なのであって。そういう僕自身の節目節目に、宮崎さんはなぜかいつもいて、僕が自分なりの音楽活動をやってきていても、宮崎さんとやるときに、その節目ですごく苦しむわけ。でも、それが終わった瞬間、二つぐらい音楽的なハードルをちゃんと越えられるんですよね。そのときに、自分が今の時代を歩んで、自分なりの課題を追求していなかったら、絶対に応えられないじゃないですか。それから、変な話なんですが、『もののけ姫』で6作目なんだけど、まるで初めてやるような感じがするんですよね。こんなに全身全霊をかけて理解しようとしていて、まだどこかわかっていないような感覚がつきまとう仕事というのは、初めてですよ。腹八分目でこなそうなんて真似は絶対にできない。そういう作品でしたね」

(もののけ姫 ロマンアルバム より)

 

 

本格的なオーケストラ曲を書くことになった本作品は、久石譲の音楽活動・作曲活動において大転換点と言われています。フルオーケストラによる作品がこれ以降増えていくことになります。

同時に作曲に際して、クラシックのスコアを改めて学びだしたきっかけであり、後に指揮活動、そしてクラシック音楽のコンサート活動などへと発展していきます。

2014年現在の久石譲の音楽活動スタイルとなっている”作曲家”というもっとも大切にしている肩書きがあるうえでの『オーケストラ 指揮者 クラシック』というキーワードは、実はこの1997年の『もののけ姫』という作品によって進化していった延長線上です。

 

このことについては、こじつけでもなく、2014年2月発売「クラシックプレミアム 2」内のエッセイでも久石譲自身が語っています。

最後にこれを紹介します。

 

クラシック音楽を指揮するようになるまで

「映画音楽を書きだすと、はじめはシンセサイザーを使っていたのだが、だんだん、弦楽器やオーケストラなど生の楽器を使う機会が増えてきた。特に『もののけ姫』(1997年公開)のころから、フルオーケストラで映画音楽を書くようになった。フルオーケストラの見本はクラシック音楽にたくさんあった。多くの作曲家が命をかけて作った交響曲など、長い年月のなか生き残ってきた名曲が山ほどある。そこにはオーケストラ曲を書くためのコツ、秘密が満載されていたのだ。大学時代にクラシックをもっと勉強しておけばよかったと、つくづく後悔したものだ。」

「スコア(総譜)をながめるだけでも、その秘密は探れる。だが、ほんとうに自分の血となり肉となるには、みずからその作品を指揮するのが一番だと思う。自分でオーケストラに指示し、音を出させるのだから。これが、僕がクラシック音楽を指揮してみようとしたきっかけだった。あくまで、自分の作曲活動の役に立つと思って始めたのだ。でも、そこから僕のクラシック音楽との新たな関係が生まれることになっていくのだった。」

(CD付マガジン「クラシックプレミアム 2 ~モーツァルト1~」 久石譲の音楽的日乗 より)

 

 

-追記-

『もののけ姫』の音楽を語るにあたって、その逸話は豊富です。

  • 「アシタカのサン」の音楽について宮崎監督が語ったこと
  • 映画エンドロールに絵がなくクレジットと音楽だけが流れる宮崎監督の想い
  • 映画冒頭のアシタカ旅立ちの音楽制作秘話

などなど、書ききれないほどの貴重は秘話は、
下記リンクをご参照ください。

 

Related page:

 

もののけ姫 ロマンアルバム

 

Blog. 久石譲 「魔女の宅急便」 レコーディング スタジオメモ

Posted on 2014/11/6

1989年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『魔女の宅急便』

2014年7月16日「スタジオジブリ 宮崎駿&久石譲 サントラBOX」が発売されました。『風の谷のナウシカ』から2013年公開の『風立ちぬ』まで。久石譲が手掛けた宮崎駿監督映画のサウンドトラック12作品の豪華BOXセット。スタジオジブリ作品サウンドトラックCD12枚+特典CD1枚という内容です。

 

さらに詳しく紹介しますと、楽しみにしていたのが、

<ジャケット>
「風の谷ナウシカ」「天空城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」は発売当時のLPジャケットを縮小し、内封物まで完全再現した紙ジャケット仕様。

<特典CD「魔女の宅急便ミニ・ドラマCD」>
1989年徳間書店刊「月刊アニメージュ」の付録として作られた貴重な音源。

<ブックレット>
徳間書店から発売されている各作品の「ロマンアルバム」より久石譲インタビューと、宮崎駿作品CDカタログを掲載。

 

そして『魔女の宅急便 サントラ音楽集』もLPジャケット復刻、ライナー付き。往年のジブリファン、そして久石譲ファンにはたまらない内容になっています。

 

 

そして貴重なライナーは、サントラ制作のレコーディング録音 スタジオメモです。

 

 

魔女の宅急便 STUDIO MEMO

このサントラ音楽集は4月10日にリリースされている魔女の宅急便イメージアルバムの中の曲をバリエーション化して、映画の各シーンの長さ、ドラマの起伏に合わせて音楽担当の久石譲さんが編曲しまた新たに曲を作り足したりしながら出来上がった。

宮崎監督と久石さんのコンビはこれで4作目、イメージアルバムをもとに映画音楽を練り上げると云う作業もこの二人が作り上げたシステムだ。今回は二人の中に音楽プロデューサーとして、高畑勲さんが参加し、’88年7月25日の第1回目の打合せから始まって、なんとほぼ1年後の’89年7月10日、マスターリング作業(バラバラに録音してある曲を曲順に並べ直し、最終的に音のトーンを整え、後はプレス工場へ行くだけ……)は完了した。

●’89年5月6日(土)、世間では9日間の大型連休、まさにゴールデンウィークと大騒ぎしている最中、吉祥寺にあるスタジオジブリでサントラの打合せが始まった。ここでは、今までの打合せの様にイメージだけ語り合うものではなく、ラッシュフィルムをビデオにタイムコードを打ってコピーしたもの、つまり映像を見ながら具体的に音楽をつけるタイムを計りつつ打合せは進んだ。昼の12時から始まって延々夕方の6時までブッ通しで続いた。まだラッシュが全体をA・B・C・Dと4つに分けたうちのA・Bパートしか上がっていなかったので、幸いにも「本日はここまで」と云う事で終わったのである。

●6月19日(月)、残りのC・Dパートの打合せである。東京もすっかり梅雨に入ってしまい、毎日鬱陶しい天気が続いている。

何故、A・Bパートの打合せからこんなに次まで日々が開いたのか?C・Dパートの絵がまだ上がっていなかった。そればかりでなく、久石さんがこの大事な時期にニューヨークで自身のソロアルバムのレコーディングの為1ヶ月以上も日本に居なかったのだ。7月6日までに音を音響さんに渡さなければ映画のダビング作業にも間に合わない。音関係スタッフは、この1ヶ月間に及ぶ久石さんの不在を梅雨の鬱陶しさも加わって弱感イライラと過ごしていたのだった。

打合せは順調に高畑さんの進行、高畑メモを中心に進んだ。絵の動きに、登場人物の感情にと多彩な注意が飛び交う。

打合せが終わった時、久石さんはちょっとお疲れの様子、それもそのはず昨日ニューヨークから帰って来て、時差ボケなのだ!

●6月22日(木)~6月24日(土)、打合せから中2日開けてレコーディングに突入。(この2日間で久石さんは、新たに曲の書き下しとアレンジの構成etc…やってしまったのだ!すごい!)この3日間は、ワンダーステーションスタジオでビデオの絵に合わせながら、シンセサイザー(フェアライトIII)を駆使しての作業になった。

絵の動き、タイムコードに正確に合わせる為何度もくり返し演奏する。全40曲余りのレコーディングのうち半分位をこのスタジオで作業、残りはオーケストラ録り、と云う事に方針を決めた。この3日間のレコーディングはあまりにもすんなりと進み、恐い位順調であった。レコーディングにつきものの徹夜作業は1日も無く、健全レコーディングだ!

●7月3日(月)、六本木・日活スタジオ。残りの20曲余りをオーケストラ録り。夕方5時からの開始だが、4時過ぎにはミュージシャンが続々とスタジオ入りして来る。映像を見ながら演奏する為、大きなスクリーンに映写のテストも始まった。4時30分頃久石さんがスタジオ入り、今日録る分の譜面の最終チェックをする。親しくしているミュージシャンが挨拶をして行く。いつもながら礼儀正しく、やさしい笑顔を返して「いやー、どうもよろしくネ」と愛想がいい、久石さん調子が良さそうだ。5時前、宮崎監督と高畑音楽プロデューサーが到着、久石さんと簡単な打合せをした後、久石さんが、「では、始めましょうか」とキューを出して大編成のオーケストラから、映画の冒頭のシーンの音が響いた…

(「魔女の宅急便 サントラ音楽集」 LP(復刻) ライナー より)

 

 

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魔女の宅急便 LP 復刻

 

Blog. 久石譲 「魔女の宅急便」 インタビュー ロマンアルバムより

Posted on 2014/11/5

1989年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『魔女の宅急便』

映画公開と同年に発売された「ロマンアルバム」です。インタビュー集イメージスケッチなど、映画をより深く読み解くためのジブリ公式ガイドブックです。最近ではさらに新しい解説も織り交ぜた「ジブリの教科書」シリーズとしても再編集され刊行されています。

今回はその原本ともいえる「ロマンアルバム」より、もちろん1989年制作当時の音楽:久石譲の貴重なインタビューです。

 

 

「今回はヨーロッパの舞曲をモチーフにしています」

「風の谷のナウシカ」以来、宮崎作品にはなくてはならない久石さんの音楽。童謡を意識したという「となりのトトロ」につづき「魔女の宅急便」では、ヨーロピアン・エスニックの香りを漂わせます。

 

自然で心地よい音楽

-『ナウシカ』『ラピュタ』『トトロ』そして今回と、4本つづけて宮崎監督と組まれていますが、これまでと比べていかがでしたか。

久石:
「毎回、たいへんさということでいえば変わらないのですが、こんどの場合はスケジュール的に苦労した部分があります。というのは新しいソロアルバムの録音のためにニューヨークへ行ってまして、そちらと『魔女の宅急便』のサントラの録音のスケジュールがかぶってしまったんですね。そういう時間的な面では少しご迷惑をかけてしまいました」

-今回はヨーロッパが舞台ということで音楽的にもそのへんを意識されたと思うのですが。

久石:
「そうですね。架空の国ではあるけれどもヨーロッパ的な雰囲気ということで、いわゆるヨーロッパのエスニック、それも舞曲ふうのものを多用しようということは考えました」

-こちらの勝手な連想なのですが、ヒッチコックの『泥棒成金』に出てきたリビエラのような南欧的なイメージが映画にも音楽にもあって、50年代のハリウッド映画を意識されたのかなとも思ったのですが。

久石:
「それはあまり意識しませんでしたけど、たとえばギリシャふうですとか、そういうニュアンスを出したというのはありましてダルシマ(ピアノの原型となった民族楽器)とかギター、アコーディオンというふうにヨーロッパの香りのする楽器をたくさん使ったりしました」

-今回は『火垂るの墓』の高畑勲監督が音楽演出という形でくわわってらっしゃいますが、宮崎監督と高畑さん、そして久石さんの3人で音楽の構成を考えていったわけですね。

久石:
「ええ。さっきもいったように、今回は僕のほうのスケジュールがつまっていたものですから、高畑さんにはいろいろと助けていただきました。通常ですと、僕が自分で音楽監督も兼ねるわけですが、今回は時間的にむずかしかったので、高畑さんと宮崎さんが打ち合わせてどのシーンに音楽を入れるかというプランを立てて、それをもとにぼくが作曲するという形をとらせてもらったんです。宮崎さんはもちろんですけど、高畑さんも音楽にはたいへんくわしい方ですから、安心しておまかせしました」

-宮崎監督と高畑さんというのは、これまでにも名コンビぶりを発揮していらっしゃいますものね。

久石:
「おふたりのコンビネーションというのは、もう抜群ですね。『ナウシカ』『ラピュタ』のときのプロデューサーと監督という立場にしても、今回の音楽演出と監督という立場にしても、そばで見ていて非常に勉強になりました。おふたりとも、演出に関しては理論的といいますか、理知的な考えをもっていまして、僕もどちらかといえばそうなんです。たとえば、音楽のつけ方にしても感情に流されたつけ方は絶対にしませんから。そういう意味では、意見がくいちがうということはまったくないし、僕もおふたりを尊敬していますからいっしょに仕事をするのは楽しいですね」

-たしかに、映画を拝見しますと音楽のつけ方がはっきりしていて、今回でいえばキキがつぎの場所へ移動するときの、つなぎの部分に音楽が使われているような印象がありました。

久石:
「たとえば悲しいシーンに悲しい曲をつけるとか、アクションシーンに派手な曲をつけるとか、そういうやり方はいっさいしないという前提でやりましたからね。ある意味でそれはすごく徹底していると思います。むしろ感情に訴えかけるよりも、見ている人を心地よくさせるような音楽のつけ方というんですか、そういう点を心がけたということはありますね。わざとらしくない、自然な音楽といいますか……」

 

1年の区切りの仕事

-今回は音楽的に新しい試み、実験のようなものはなさっっていますか。

久石:
「特別なものはありませんが、今回はシンセサイザーを使った曲をぐっと少なくしています。従来ですと半分くらいはシンセサイザーやほかの電子楽器を使ったりするのですが、この作品では内容もリアルなものになっていますから、全体に生の音に近づけてみました。ちがいといえば、そこがちがっていると思いますね。あとはメロディーの部分で、地中海ふうのもの、それも三拍子を使った舞曲的なものが多いというのが今回の特徴でしょう」

-これまでの作品と比べて内容的にちがうなと思われる点は?

久石:
「『トトロ』のときもそうだったんですが、大きなアクション、たとえば戦闘シーンのようなものがないし、ストーリーもグーッとクライマックスに向けて収束していくというタイプの作品ではありませんね。ずっと内面的なものになっていますから、音楽もあまりおおげさなものであってはいけない、音楽だけ浮き上がってしまってはいけない。そういう点に注意しました」

-久石さんのお仕事は澤井信一郎監督と組んだ青春映画の音楽、宮崎作品や安彦良和監督の『ヴイナス戦記』などのアニメーションの音楽、そしてオリジナルアルバム(とくにヴォーカル中心の『ILLUSION』など)に見られるシティ・ポップスと、さまざまなジャンルがあって、それぞれ若者向け、子どもを対象としたもの、おとなを意識した音楽などに分けられると思いますが、そのなかで宮崎作品の占める位置というのはどういうものでしょうか。

久石:
「『トトロ』やこの『魔女の宅急便』の場合は、対象が子どもたち、大きくても中学生くらいまでですから、年齢的には僕の仕事の上では特別なものなんです。そういう意味ではむずかしい部分が多いのですが、宮崎さんの作品はとくに質が高いですから、こちらもそれに見合うものを作らなければいけないという点で苦しみも大きいです。もちろん、作家というのはものを創り出す以上、そこに苦しみがつきものですから、ほかの作品のときは苦しんでいないかといえば、決してそんなことはないわけですが……。でも、それだけにテンションの高い仕事で、このところ毎年一本、宮崎さんの作品をやらせてもらっていますが、自分のなかではいつもエポック・メイキングな仕事になりますね。年間、いろいろな仕事を(作曲だけでなくコンサートもふくめて)こなしているわけですが、宮崎さんの作品はその年ごとに何かしら自分にとって区切りとなる、そんな気がします」

-久石さんが宮崎作品の音楽を創る時にいちばん、心がけることは何ですか。

久石 :
「まず大きな声で歌えること。変にこまっしゃくれたものではなく、徹底して童心にかえってストレートに作るということですね。そしてヒューマン、人間愛にあふれていること。これに尽きると思います。」

(「魔女の宅急便 ロマンアルバム」より)

 

 

「ジブリの教科書 5 魔女の宅急便」(2013刊)にもオリジナル再収録されています。

 

 

あらためてまとめられた本書のなかから高畑勲監督インタビューをご紹介します。

 

音楽演出 高畑勲

「架空の国のローカル色を出す」

-プロデューサーをつとめた『ナウシカ』『ラピュタ』につづいて、今回は音楽演出としての参加ですが、具体的にはどんなお仕事ですか。

高畑:
「何も特別なことをしたわけではないんですよ。ようするに、ふつうの映画で監督が音楽についてする作業を代行しただけの話です。今回の作品が特に音楽的にむずかしいから、こういう特別な役割を設定してというのでもないし、宮さん(宮崎駿監督)から頼まれてお手伝いしただけのことですから、音楽演出なんてオーバーなんですよ」

-挿入歌として荒井由実時代のユーミンの曲が効果的に使われていますが、これはどういう経緯で?

高畑:
「宮さんとしてはタイトルバックに歌を使うというのは最初から計画していたことだったんです。それもラジオから流れてくるという設定でね。そうすると、キキという都会生活に憧れるふつうの女の子が、ふだん聴くとしたらどんな歌だろう、と。そこから発想していって、都会的な気分を代表していて、なおかつ作っているわれわれの世代にもわかるような曲。それはやはりユーミンじゃないだろうかという結論になったわけです」

-最初は新しくオリジナルを作っておらおうという話もあったそうですが。

高畑:
「ええ。でもラジオから流れてくることを考えれば、むしろ既成の曲のほうが合っているし、引用という形になるだろうという話ははじめの段階からあったんですよ。結果的には『ルージュの伝言』と『やさしさに包まれたなら』を使わせてもらうことになったわけですが、とくに後者はイメージとしても映画にぴったりだと、僕らは最初から思っていました。宮崎さんも、むかしのユーミンはよく聴いていましたからね」

-今回の音楽の特徴は、どういうところですか。

高畑 :
「この作品はいわゆるファンタジーではありません。『トトロ』もそうでしたが、大きな意味ではファンタジーに属するものでしょうが、もっと現実に近い物語であると宮さんは考えてつくった。たとえばキキは空を飛びますけど、それはカッコよく飛ぶのとはちがうし、ふつうの女の子の日常的な描写や気持ちが中心になっているんですね。ですから音楽が担当する部分も、世界の異質さとか戦闘の激しさとかを担当するわけではない。むしろふつうの劇映画のような考え方をして、しかもヨーロッパ的ふんいきをもった舞台にふさわしいローカルカラーをうち出そうということだったんです。それと、つらいところ悲しいところに音楽はつけない、とか、歌とは別にメインテーマの曲を設定して、あのワルツですが、あれをキキの気持ちがしだいにひろがっていくところにくりかえし使うとかが、音楽の扱いの上での特徴といえば特徴ではないでしょうか。はじめ、ホウキで空を飛ぶ、というのはスピード感もないし、変な効果音をつけるわけにはいかないので心配だったのですが、久石さんの音楽もユーミンの歌も、いまいったねらいにピッタリだったし、上機嫌な気分が出ていたのでホッとしているところです。」

(「魔女の宅急便 ロマンアルバム」/「ジブリの教科書 5 魔女の宅急便」(再録) より)

 

 

どれだけ久石譲の音楽が、映画の世界観の演出、統一性、ストーリー性を創り出すのに大きく貢献しているかがわかるコメントです。観客を一瞬にしてその世界へ引き込む、そして、架空世界なんだけれども、現実にもありそうなリアリズムを錯覚させ陶酔させてしまう音楽。

後に鈴木敏夫プロデューサーが「久石さんは日本映画界における映画音楽のひとつのかたちを確立した」と語っていたのを思い出しました。

これが約25年前のお仕事とは思えないですね。映画音楽の位置づけや扱われ方、そんな業界においてこのクオリティを仕上げる。そしてそのスタンスをこれからまた『紅の豚』以降もつづけていくことになります。

 

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魔女の宅急便 ロマンアルバム

 

Blog. 久石譲 「となりのトトロ」 インタビュー LPライナーノーツより

Posted on 2014/11/3

1988年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『となりのトトロ』

2014年7月16日「スタジオジブリ 宮崎駿&久石譲 サントラBOX」が発売されました。『風の谷のナウシカ』から2013年公開の『風立ちぬ』まで。久石譲が手掛けた宮崎駿監督映画のサウンドトラック12作品の豪華BOXセット。スタジオジブリ作品サウンドトラックCD12枚+特典CD1枚という内容です。

 

さらに詳しく紹介しますと、楽しみにしていたのが、

<ジャケット>
「風の谷ナウシカ」「天空城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」は発売当時のLPジャケットを縮小し、内封物まで完全再現した紙ジャケット仕様。

<特典CD「魔女の宅急便ミニ・ドラマCD」>
1989年徳間書店刊「月刊アニメージュ」の付録として作られた貴重な音源。

<ブックレット>
徳間書店から発売されている各作品の「ロマンアルバム」より久石譲インタビューと、宮崎駿作品CDカタログを掲載。

そして『となりのトトロ サウンドトラック集』もLPジャケット復刻、ライナー付き。往年のジブリファン、そして久石譲ファンにはたまらない内容になっています。

 

 

そして貴重なライナーは、サントラ制作時期の久石譲インタビューです。制作前、というのが正しいかもしれません。

 

 

宮崎作品はぼくの修行の場

-久石さんは10代から20代にかけては超前衛の現代音楽に属していたしたとお聞きしましたが。

久石 「10代の頃にミニマル・ミュージックを始めてね。テリー=ライリーとか、フィリップ=グラスとか、スティーブ=ライヒとか、それにシュトックハウゼンとか、ジョン=ケージとか、ほとんど現代音楽の人から影響を受けていました。あと学生時代は、勉強として、日本の人でいうと、武満徹さんや三善晃さんであったり──そういう人たちの譜面の分析とかをやっていましたから。」

-もともとはクラシックから出発されたんですね。

久石 「そうですね。もっと最初から言うと、4歳の時からヴァイオリンをやっていた蓄積になっちゃうんでしょうね。クラシックって短期間に身につけようとしても、なかなかむずかしいんです。例えば、ピアニストにしても、みんな4歳や5歳の頃からレッスンを始めているでしょ。バイオリンもそうだし。そうして、ずっとやっていても、なかなか芽の出ない世界ですから(笑)。わりと時間がかかる世界なんですよ。」

-それとは逆に、映画音楽はいかに時間をかけずに仕上げるかが勝負なんじゃないかと思うんですけど。

久石 「あ、それは分かります。ただぼくの場合は吉野家の牛丼みたいな、”早い、安い、うまい”仕事は一切断る。つまり1日で音楽を収録してしまうような仕事はやらずに、フェアライト(生の弦音やヴォーカルを加工して使うコンピューターによるサンプリング・キーボード)など、いろんな機械を使いますから、そのための時間がすごくかかるんですよ。当然それに付随して、費用もかかるし、スタジオにも何日間かカンヅメにならなくちゃいけない。それで最後の仕上げにフルオーケストラも使うから、大変なんですよ。

ただ20代のかけ出しの頃は、そんな仕事なんて来ないし、それこそ、3日で70曲近く書くような仕事もやりましたから、早く書くこと自体は、そんなに問題じゃないんですが、あんまり”早い、安い、うまい”仕事ばかりやっていくと、どんどん状況が悪くなっていきますから。だから、例えば、制作期間に2週間、それに、その期間を支えるだけの予算、そういう条件をクリアできない仕事は、今、全部お断りしている状況なんです。」

-宮崎さんの映画の場合、イメージアルバムから、ひっくるめると、相当な時間が……。

久石 「かかりますよ。もう……大変ですね(笑)。ただ、宮崎さんの仕事は内容的にも非常に素晴らしいものだし、共感できますから、ぼくはとても大切にしているし、宮崎さんの映画をやる場合は、それを優先的にしてスケジュールを空けて、そこからやるしかないと思っています。」

 

直感的に入ってゆきたい「トトロ」の世界

-前回の「天空の城ラピュタ」は、アイルランド民謡を頭において作曲されたそうですが、「となりのトトロ」で、ベースに考えていらっしゃるのは、どんな音楽ですか?

久石 「いやぁ……。むずかしいんですよね。実は「ラピュタ」をやる時は、すごく悩んだんです。あの映画にある、愛と夢と冒険というのは、ぼくとは全然相容れないから(笑)。どちらかというと、ぼくは不純だからね。例えば、マイナーのアダルトなメロディを書く方が楽なんですよ。ところが、メロディ自体が非常に夢を持っていて、優しくて包容力があるものとなると、すごくむずかしいんです。制作中は、えらい騒ぎだった。困ったなと思っていたら、今度はもっと可愛らしい話になって(笑)、「うわぁ、どうしよう」というのが正直な話。しかも「となりのトトロ」のイメージアルバムを作りながら同時進行していたのがセゾン劇場(東京銀座)で上演した、沢田研二さんや役所広司さん出演の「楽劇ANZUCHI」の音楽。かたや、えらくおどろおどろしい悪魔の世界ですからね。それと、あの清純な世界が同時進行していたんだから、ちょっと気が狂いそうだった(笑)。でも、それはある意味で試練であるわけです。」

-ラッシュはご覧になったんですか?

久石 「部分ごとにできたものを、全然脈略なしにつないだフィルムを、先日一度観せていただきました。」

-かなり、手がかりに?

久石 「なりましたね。やはり、また素晴らしい作品になりそう。かなりメロディラインを重要視して、何かとっかかりができるんじゃないだろうかって気がしたんです。いわゆるストーリーらしいストーリーの展開をしていないでしょう。」

-そうですね。「ナウシカ」や「ラピュラ」は、物語のメリハリで見せるというか、緩急自在な展開の映画でしたからね。

久石 「そう。ハッキリと、ストーリーがあったでしょう。でも今度は、田舎の1日というか、ちょっとしたシークエンスが、つながっていく種類のもので、ストーリーが大きく展開するものじゃないからね。その分だけ、こちらも従来のやり方とは、スタンスを変えなきゃいけないという気がするんですよ。まだ具体的には言えないけど、非常に直感的に今回は仕事に入りたいなという気がしてるんです。」

-3本続けて組まれてみて、宮崎さんの映画作りについての印象を。

久石 「宮崎さんは、生きる姿勢というものと、アニメーションを通して表現していくこととが、全部一致してるんですね。映画のための映画、アニメのためのアニメではなくて、自分が生きるという姿勢の中に、ちゃんとアニメーション──アニメーションじゃなくてもいいんですけど、そういう自分の創造物がありますから。非常に姿勢が明確というか、個人的にすごく尊敬しています。

仕事自体は中途半端なことはできないから、メチャクチャ苦しいんですよ。ただ、それをやることによって、こちらも一回りも二回りも大きくなれる。試練の場でもあるし、修行の場でもある。と同時に、自分のアイデンティティを確認できる場でもあるから、とても大切にしています。

ぼくらの場合は、年間にかなりの量の仕事をこなしますでしょう。すると、その中にはビジネスのための仕事があったり、いろいろあるわけですよ。だけど、その中でやっぱり、自分がこれは、という仕事って、年間に何本かあるんです。宮崎さんの映画は、その中でも、ぼくにとっては、特に一番大きな仕事ですね。」

 

〈解説〉

88年4月16日より全国東宝系で公開された宮崎駿監督のアニメ映画「となりのトトロ」。監督の前作「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」に引き続き、音楽を担当したのは久石譲氏。

物語の舞台は昭和30年代の自然と四季の美しい日本、とある田舎に越してきた、小学校6年のサツキと5歳のメイのふたりの女の子と、昔からそこに住むオバケ達(トトロ)との心暖まるふれあいが、日常のエピソードを積み重ねながら、のどかに描かれる。

音楽の制作にあたって、まず10曲のイメージソングが制作された。(イメージソング集として87年11月25日LP、CD、TAPE 発売) これをもとにした宮崎駿監督と久石譲氏、録音演出の斯波重治氏らのディスカッションののち2月25日から3月26日まで、東京・六本木のワンダーステーションスタジオ、にっかつスタジオセンターにおいて録音された。

このアルバムでは映画に使用された曲のほか、メロディが使用されているイメージ曲から「まいご」「風のとおり道(インストゥルメンタル)」の2曲を、リミックス(楽器の音のバランスを変えること)した上で収録した。「さんぽ(合唱入り)」もこのアルバムのために楽器を追加、リミックスしたもの。なお、「メイとすすわたり」「メイがいない」の前半部分、「オバケやしき!」「ずぶぬれオバケ」の後半部分は、映画では演出のため使用されていないが、このアルバムでは完全に収録している。

「ナウシカ」「ラピュタ」とはひと味違ったほのぼのとした暖かさをもつ久石譲氏の音楽を、心ゆくまでお楽しみいただきたい。

(「となりのトトロ サウンドトラック集」 LP(復刻) ライナー より)

 

 

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となりのトトロ LP 復刻

 

Blog. 久石譲 「となりのトトロ」 インタビュー ロマンアルバムより

Posted on 2014/11/2

1988年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『となりのトトロ』

映画公開と同年に発売された「ロマンアルバム」です。インタビュー集イメージスケッチなど、映画をより深く読み解くためのジブリ公式ガイドブックです。最近ではさらに新しい解説も織り交ぜた「ジブリの教科書」シリーズとしても再編集され刊行されています。

今回はその原本ともいえる「ロマンアルバム」より、もちろん1988年制作当時の音楽:久石譲の貴重なインタビューです。

 

 

「日本が舞台でもあえてそれを意識しなかった」

『風の谷のナウシカ』で砂漠と中央ヨーロッパ風の世界を、続く『天空の城ラピュタ』ではイギリス南部の炭鉱町のような渓谷のたたずまいと天空の城というSF的な世界を見事に音楽で描き出してくれた久石さん。

そのルーツはありながらどこか無国籍的な宮崎アニメーションに、素敵な彩りを与えてきた久石さんだが、今回は舞台が日本で、しかも昭和30年代初頭という設定。これまでとはいささか勝手がちがう。そこにどう挑んだのか、そのあたりを中心にインタビューを試みた。

 

土着的ではない作品

-今回は録音前にご病気をなさるなどいろいろ大変だったようですが……。

久石:
「病気のことはおいておくとして、今回の作品は物語性がドラマチックじゃないでしょう。大きなストーリーの流れはあるんだけれども、日常的なシークエンスが並列につながってゆくような形になっている。だから、音楽も強い音楽を書いちゃいけないという気持ちが最初にあったんです。強い音楽だと、画面から遊離しちゃうような気がして。

それと、イメージアルバムを今回も作ったんですけど、普段なら”何々のテーマ”という形で基本的なイメージが出てるんだけれども、今回は歌のイメージアルバムを作ったでしょう。それも、日常的なシークエンスが多いから、インストゥルメンタルの曲よりも歌のほうがそのシーンのイメージがはっきりすると思っていたからです。

それがサントラのほうにもそのまま反映していて、ストーリー性が弱いぶんだけ、どこをどう補強していくか、そこがいちばん悩んだところでしたね。自分としてはドラマ性の強いもののほうがやりやすいし、『トトロ』は対象年齢も少し下がったので、一歩まちがえば童謡の世界になりかねない。ちょっとシンドイなあという気持ちがあったことはたしかでした」

-なるほど。映画のオープニングは、「さんぽ」という曲なんですが、そのはじまりの音が一種バグパイプのような音ですよね。今回の作品は以前の『ナウシカ』『ラピュタ』の無国籍的なイメージとちがって、ちゃんと日本が舞台ということになっていますよね。”日本”ということは意識されましたか?

久石:
「ただ、日本の風土に根ざしたドラマではないでしょう。宮崎さんの作品にはそういう風土感がないと思うんですよ。『トトロ』も日本が舞台ということがわかっているんだけれども、土着的な日本でしか生まれないふんい気というものは感じられなかったんです。そういう点でのこだわりはなかった。バグパイプを出したのも、音楽打ちあわせの時に『バグパイプなんかイントロにあったらどうですか』って聞いたら、宮崎さんが『おもしろいですね』とおっしゃって、それで入れたら、とっても喜んでもらえたんですよ。そうしたら『全部に入れてほしい』と宮崎さんがいいだして(笑)」

-宮崎さんが好きな音色ですよね。

久石:
「まさにそういう感じなんです。だから、宮崎さんの作品の場合、独特のローカリティに根ざしているわけじゃない。そういうものから出てくるふんい気はありませんね」

-映像と音楽に違和感はなかったと思いますが、とくに意識したことは?

久石:
「それはこういう物語のあり方とも関わってくるんだけれど、この作品は中編でしょう? ちょっといい方が難しいけれど、普通のオーケストラだけの曲を書くと、ごくあたりまえの幼児映画になってしまうんですよ。だから『トトロのテーマ』はミニマル・ミュージック的な、ちょっとエスニックなふんい気を持たせています。子どもたちが家の中を駆けまわるシーンでは、メロディー自体がリズミックな感じの曲にして、リズム感を出したり。そういうことはかなり意識的にやったし、BGMの曲数もかなり多く作りましたしね、あとで抜いてもいいようにと思って。

エスニックなものと普通のオーケストラの曲を両方使うということでは『ナウシカ』以来一貫しているんですよ。ただ今回は、『さんぽ』 『となりのトトロ』という歌をメインテーマにして、僕らが”裏テーマ”と呼んでいた『風のとおり道』を木の出てくるシーンに使った。そのへんの構造がうまくいったのでよかったんじゃないかな」

 

宮崎さんの鋭い感覚

-今回のシンセサイザーとオーケストラの曲の割合はどのくらいですか?

久石:
「途中で病気をしちゃったんで、シンセの部分が少なくなったんです。だからオケが6でシンセが4ぐらいかな。本来なら、その割合が逆になったと思いますが、結果として、オケが多くて聞きやすくなったかもしれませんね」

-そのシンセの音がおもしろかったんですが、ススワタリの声も……。

久石:
「あれはアフリカのピグミー族という部族の声で、本来はかなり長いものなんだけど、その最初の”ア”という声だけをサンプリングしたんです」

-それをシンセで加工した?

久石:
「ええ。キーを高くしたりとかね。そういう手法はけっこう使ってますよ。タブラ(打楽器)の音も自分でたたいた音だし……。ああいうものって変に耳に残るでしょう?」

-そうですね。

久石:
「しまった。ほかで使えなくなってしまったな(笑)」

-生(ナマ)のオーケストラを使ったのは、そうすると割とメロディアスな部分ですか。

久石:
「そうですね。それと、一ヵ所ね、三分五十秒ぐらいの曲をオケでやった部分があります。それは、メイがオタマジャクシをみつけて、それから小トトロを発見して、不思議な森の迷路をぬけて、トトロに出会うというシーンなんだけど、この間、五十何ヵ所か、絵とタイミングをピッタリ合わせるという離れ技をやったんです。ゼロコンマ何秒かというタイミングでキッカケ出して。単純になっちゃいけないからというので、倍速にしてリズムをきざんだりとか、いままでのなかでいちばん時間かかったんじゃないですかね。ただ、ダビングの音量レベルが低かったみたい。だからスクリーンで見てもバシッと決まる音が小さいから、いまひとつしまらないというか……」

-劇場のせいもあるかもしれませんね。

久石:
「そうかもしれないですね。ただ、これはアニメ全般にいえることなんだけど、どうしても音楽のほうが小さくなってしまいますね。セリフを聞かせて、効果音も出しているから、音楽の音量をおさえる、というのはどうにもローカルな発想にしか思えないんですよね。

外国映画なんかを観ていると、逆ですものね。音楽が10ならセリフの音量が8ぐらい。それでも充分にセリフは聞こえるんですよね。そのへんの発想を改めないと、世界の映画のレベルに追いついていかないんじゃないかな。やっぱり、テレビで三十分ものをやっている影響じゃないかという気がしますね」

-なるほど。

久石:
「単純に考えてもわかるけれど、どんなにセリフや効果音がうまくいっても、芸術的だといわないんですよ。やっぱり音楽がよかったから、レコードがほしいというふうに、みんな思うわけでね。外国なんかの場合、ここは音楽でふんい気を伝えるんだと考えたら、リアルな効果音なんかとってしまって、音楽だけで聞かせるようなこともやりますでしょ。そういう発想の転換をしてくれないかなあと思うんですよね。そういう点で、宮崎さんなんかはかなりいいほうだと思いますけど、音楽家の立場からいったら、もっと要求したくなりますね」

-宮崎作品なら、それが出来そうですよね。

久石:
「と思います。今回の作品ではね、いままで高畑さんがプロデューサーで音楽を担当してきて、(今回は)宮崎さんが自分で前面に立たなきゃいけなくなったでしょう。そうしたら音楽打ちあわせで『こんなおもしろいものを高畑さんはいままでやっていたのか。ズルイ』といいながら、やってました。でも、これまではどんな音楽があがってくるかわからないから、ダビングに入るまで不安だったけど、今回は頭に入ってたんで『ラクだった』っておっしゃってましたよ。宮崎さんは音楽わからないとかいいながら、けっこうスルドイ」

-たとえば?

久石:
「さっきの『トトロのテーマ』。あれは7拍子なんだけど、少し音が多いかなと思ったら、宮崎さんが『もう少し音減りませんかね』っておっしゃる。そういうのが何ヵ所かあったんですよね。高畑さんは理論的だし、よく知ってらっしゃるけれど、宮崎さんは感覚的に鋭いなという感じ、それで僕の思ってることと、ほとんど同じことを指摘してくるんです。それが、すごくおもしろかったですね」

(となりのトトロ ロマンアルバムより)

 

 

スタジオジブリとしてもロゴやキャラクターとして代名詞となっているトトロ。DVD作品のサウンドロゴも『となりのトトロ サウンドトラック』より「さんぽ」のメロディーが使われています。

そして教科書にも掲載され、子供から大人まで、誰もが一度は大きな声で歌ったことのある「さんぽ」「となりのトトロ」というオープニング曲/主題歌。さらには”裏テーマ”と呼ばれ、まさにもうひとつのメインテーマといっても過言ではない「風のとおり道」。

『となりのトトロ』の音楽には、誰もが心躍る、そして安心する、そんな日本人の心を満たしてくれる、音楽がつまっています。インタビューにもあるように、「でも土着的な日本的音楽」ではない。ここがやはりすごいところだなと思います。

 

 

 

「ジブリの教科書 3 となりのトトロ」(2013刊)にもオリジナル再収録されています。

ジブリの教科書 3 となりのトトロ

 

 

 

あらためてまとめられた本書のなかからいくつかのエピソード(再収録・語り下ろし)をご紹介します。

 

スタジオジブリ物語『となりのトトロ』編 項

音楽と声の出演について

宮崎監督はこの映画に使われる歌について、当初からはっきりとした意向を持っていた。前述の企画書には、「追記 音楽について」として次のように書かれている。

「この作品には二つの歌が必要です。オープニングにふさわしい快活でシンプルな歌と、口ずさめる心にしみる歌の二つです。(中略) せいいっぱい口を開き、声を張りあげて歌える歌こそ、子供達が望んでいる歌です。快活に合唱できる歌こそ、この映画にふさわしいと思います。(後略)」

音楽は『ナウシカ』『ラピュタ』に引き続き、今回も久石譲に決定。そして、これまでの二作と同様に、まずイメージアルバムが作られることになった。映画に実際に使うサントラの音楽を制作する前に、イメージを膨らまし具体化するために生み出される様々な曲をアルバム化したものがイメージアルバムだが、今回は宮崎のこうした意向を受けて、イメージアルバムは歌集として制作されることに。そして歌詞を児童文学作家の中川李枝子に依頼することになった。中川の『いやいやえん』を読んで大きな衝撃を受け、以来ファンとなった宮崎たっての希望であり、中川はこれを承諾。最終的にアルバムは中川作詞の六曲、宮崎他の作詞による四曲のボーカル曲全十曲とインストゥルメンタル一曲の全十一曲の「イメージ・ソング集」として完成した。その中から中川作詞の「さんぽ」が映画のオープニングに、宮崎作詞の「となりのトトロ」がエンディングに使用され、いずれも子供達に広く歌われるスタンダードナンバーとなった。特に「さんぽ」は全国の保育園・幼稚園ではほぼ必ず歌われる歌となり、日本で生まれ育った現在二十歳以下のほとんどすべての人が、この歌を歌ったことがあるのではないだろうか。

サントラ音楽は、久石得意のミニマル・ミュージックの要素を随所に取り入れて制作され、いたずらに神秘的ではなく、不思議でありながら親しみもあるという感じをうまく醸し出し、映画の世界に見事にマッチしていた。また、イメージソング集に入っていたインスト曲の「風のとおり道」はBGMとして劇中のいくつかの場面で使用され、『トトロ』のいわばもう一つのテーマ曲として大変強い印象を残した。なお、前二作は高畑監督がプロデューサーとして音楽の打ち合わせも行ってきたが、『トトロ』は宮崎監督が前面に出て久石と打ち合わせを行った初の作品でもある。

(ジブリの教科書 3 となりのトトロ より抜粋)

 

 

特別収録1
宮崎駿監督ロングインタビュー
トトロは懐かしさから作った作品じゃないんです 項

現実と夢の間で…

宮崎:
「(中略) 久石さんと話してて、音楽のことなんかも随分悩んだけど、つまり神秘性をやたら強調しちゃうと違うしね。かといって、ムジナが隣に出てきましたっていうふうに、やたら親近感を持って作っちゃうと、これも違う。だから、久石さんのミニマル・ミュージックの無性格な感じが、あれが一番よかったですね。あれよりもっと神秘的になっちゃうと、神秘になっちゃうし、どっかで聞いたような音が入ったりして、そこら辺がわかってるけどちょっと違うっていう、そういう感じがちょうどよかったんじゃないかなと思うんです。

不思議だったのは、サツキの横に現われて立っている時にかかってる音楽はね、一回できた音楽を──七拍子の基調のリズムがあるのを──それがずーっと入ってたのを少し多すぎるから抜いてくれっていったんですよ。

それで、一回ごとに久石さんがミキシングの中で抜いたんですよ。”一、二、三、四、五、六、七。フッ”と数を数えて抜いてね。また数を数えて入れたり。そしたら、とてもよくなったんです。それを映画にひょいとあてたらぴったり合ってたんです。不思議なくらいにうまく合っちゃったんです。

サツキが見上げる時にはリズムがなくて、トトロが出てくるとそのリズムがガガンとかかってね。まあ、こんなことも世の中あるんだなって思いました(笑)。あそこの音楽はよかったですねえ。邪魔しないで、性格を決めないで、なおかつ妙な、不思議な感じが出てきて、でもやたらに不思議じゃなくて、妙に親しくて……音つけて、音楽つけて、あのシーンは本当によくなりました。

音楽の制作に関しては、久石さんもずいぶん悩んでましたね。つまり、明るくしなくてはいけないんだと彼は思ってたわけです。でも、明るくしなくてもいいんだってことが、僕自身もはっきりいいきれたのは、映画が終わってからです。途中では、久石さんにはそんなに明るくする必要はない、アッケラカンと音楽を全部につけちゃうとよくないといって、やり直した所もあります。しまった、音楽は僕がもう少し歌舞音曲にくわしければ、こんなことにはならなかったと思う箇所がいくつかあります。音楽というのは、本当にあててみないとわからないというところがあるんですねえ」(後略)

(ジブリの教科書 3 となりのトトロ より)

 

 

最後に、映画『かぐや姫の物語』(2013年)公開時の、高畑勲×久石譲 対談より、高畑勲監督の印象的な言葉を。

「久石さんの音楽で僕が感心したことがあるんです。それは「となりのトトロ」で「風のとおり道」という曲を作られたのですが、あの曲によって、現代人が“日本的”だと感じられる新しい旋律表現が登場したと思いました。音楽において“日本的”と呼べる表現の範囲は非常に狭いのですが、そこに新しい感覚を盛られた功績は大きいと思います。」

まさにこの言葉と解説がすべてを象徴しているように思います。

詳しくは下記関連記事より詳細がご覧いただけます。

 

Related page:

 

となりのトトロ ロマンアルバム

 

Blog. 「考える人 2014年秋号」(新潮社) 久石譲インタビュー内容

Posted on 2014/10/24

2014年10月4日 発売
雑誌「考える人 2014年秋号」(新潮社)

【特集】「オーケストラをつくろう」にて、久石譲の7ページにおよぶインタビューが掲載されています。

たとえば、映画作品や音楽作品発表時などのインタビューでは、その作品への話題に特化しています。今回のロングインタビューでは、”オーケストラ”を切り口に、様々な角度から久石譲の思いや考えを読み解くことができます。

作品や販促宣伝にとわられない、まさに久石譲が今語りたいことを語ったインタビューだと思います。かつ特集テーマを軸に、かなり掘り下げた専門的な内容にもなっています。

作曲家や音楽家はメディアにおいてその多くは「言葉の力」ではなく、発信する”音楽そのもの”で自身を表現することが多いなか、今回のインタビューは大変貴重な言葉の記録です。

要点などはまとめませんので、先入観なしに読んでみてください。

抜粋してご紹介します。

 

 

オーケストラを未来につなげるために僕は”今日の音楽”を演奏する

クラシックから映画音楽までジャンルに囚われることなく幅広い楽曲を作曲し、指揮し、ピアノ演奏する久石譲氏。今日のオーケストラが抱える問題に真摯に向き合い、「アートメント」をきちんとやりたい語る。芸術を「日常にする」ための挑戦を尋ねた。

 

久石 映画音楽を含めて、僕の仕事の八割から九割はオーケストラとの作業です。作曲したものも八割強がオーケストラとの仕事。指揮もする。となると、自分にとってオーケストラは、あえて何かと考える必要がないくらいに、日常的なものなわけです。昔はシンセサイザーで曲の半分を作っていた。でも今は、基本的に生の演奏を中心に考えていますから、ほとんどオーケストラです。

オーケストラについて考えてみると、実は非常に変な組織です。ジプシー音楽を想像してもらえればわかるのですが、本来弦楽器というのは、みんなポルタメント(音から音へなめらかに移動する奏法)を使い自由に弾いていた。それをオーケストラのように十数人の第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリンが、一糸乱れることなくボウイング(弓使い)も揃えて同じように弾く。ビオラもチェロも……となると、弦楽器が持っていたものと全く違うんですよ。本来はそれぞれ心のままに演奏するはずが、全員で一糸乱れぬ演奏をする。そして十八世紀以降、木管や金管も入ってプロの演奏家集団ができ、多くの演奏回数をこなすためにも指揮者を中心に一つの意思で演奏する形態になる。宗教と一緒です。神様、すべて一つに集中させる方式をとっていかないと成立しない。

では、集団で弾くのは個性や意思がないかというと、そうではない。ここからがオーケストラの神髄になる。アンサンブルの本当のおもしろさは、自分がパーツになるという意識は本来ないところ。みんな自分を主張するのが基本です。オーケストラは個人業者が集まっているようなもので、一人一人意見もあれば考えもある。その個人業者の優秀な人たちが八十人とか百人とか集まって成立している。では、思いどおりに演奏させたらどうなるか。一曲だって完成しない。いい例が、ある有名な弦楽四重奏団。一小節を弾いた瞬間、「お前の違う、こうだよ」と、二時間ぐらい議論する。またちょっと弾いては、いやそれは違う、と。一日弾いても一楽章も進まない。そういう演奏家が大勢集まるオーケストラでは、年間百回近いコンサートをこなすために、指揮者を決めて、指揮者を基本にするようになる。

常任指揮者というのは、オーケストラ側の意思を一番反映してくれて、あるいは自分たちを変えてくれる人を任命するわけです。何度もコンサートを重ねていく中で、お互いに音楽をつくりあげていくというリスペクト関係ができる。それで初めて常任としての役割も果たすし、オーケストラも変わっていく。しかし、間違いや乱れのない、音程もしっかりしている音楽をつくったらいい指揮者かというと、そうではない。みんなのメンタリティの部分を全部引き出した上で、どういう音楽をつくっていくかがわかっていることが大事です。ある種、現場監督的なことも指揮者にとって大きな役割です。映画監督と指揮者=音楽監督、それと野球の監督というのは一緒なんです。

この三つに共通しているのは、何もしないこと。指揮者は舞台に上がっていながら唯一音を出さない。野球の監督は、打ちはしないし守りもしない。映画監督は画面に映っていない。ところが、監督がどういうものを目指すかが明確でないと、野球のチームはボロボロになり、映画だって何だかわからないものができてしまう。音楽も一緒。みんなをこっちの方向に引っ張りますということをきちんと言う。ベートーヴェンならどういうベートーヴェンをつくりたいかを明確に示すのがいい指揮者です。

 

古典芸能にしないためには

いま僕が一番考えているテーマは、オーケストラの現状、それを未来につなげるにはどうしたらいいのかということです。現在のオーケストラは問題を多く抱えている。何より収益性。百人以上の団員がいて、一回のコンサートで大体二千人の客が入るとする。一人六千円だとしても収入は一千二百万円です。オーケストラだけのギャランティから言うと収支は合うかもしれないが、練習場や移動費などの諸経費を考えあわせると全くペイしない。

オーケストラの収入は、基本的に三分の一がチケット収入。定期演奏会などオーケストラが主催するコンサートのチケット売り上げですね。それから、歌手のバックやテレビ番組など依頼されて演奏するときの出演料が三分の一。残りの三分の一が、いわゆるスポンサード(後援のついた公演)なんです。この三つがないと、オーケストラは成立しない。

ロックと比べると対照的です。ロックバンドは五~六人でしょう。その人数でもPA(音響)で音を拡大して、二万人、三万人集めることができる。一回のツアーで十億近く稼ぐ。それに比べると効率が悪いですよね、オーケストラは。この問題は日本だけでなく、すべてのオーケストラが抱えている。音楽の本場であるドイツには、地方にもバンベルク交響楽団など非常に素晴らしいオーケストラがいっぱいある。ところが、二百近くあったのが、この十年間でかなり減っている。

最終的に僕が言いたいことは一点。クラシックが古典芸能になりつつあることへの危機感です。そうでなくするにはどうしたらいいかというと、”今日の音楽”をきちんと演奏することなのです。昔のものだけでなく、今日のもの。それをしなかったら、十年後、二十年後に何も残らない。前に養老孟司先生に尋ねたことがあります。「先生、いい音楽って何ですか」。すると、養老先生は一言で仰った。「時間がたっても残る音楽だ」と。

例えばベートーヴェンの時代、ベートーヴェンしかいなかったわけではない。何千、何万人とい作曲家がいて、ものすごい量を書いている。でも、ベートーヴェンの作品は生き残った。今の時代もすごい数の曲が書かれているけれど、未来につながるのはごくわずか。つまらないものをやると客が来なくなる。だが、やらなかったら古典芸能になってしまう。

未来につなげる努力をプログラムに取り入れなければいけないのに、その努力が足りない。年に数回、現代音楽祭という、”村社会”のコンサートのようなものはあるけれど、必要なのはそれではない。通常のプログラムの中で現代音楽を入れていかないといけない。ところが日本では圧倒的に少ない。だから、作曲家であり、指揮する自分のやり方は、必ず現代音楽をプログラムに入れて、接するチャンスを提供することです。例えば、九月二十九日に開催した「Music Future」と題するコンサートでは、ヘンリック・グレツキの「あるポーランド女性(ポルカ)のための小レクイエム」(一九九三年)や、アルヴォ・ペルトの「スンマ、弦楽四重奏のための」(一九七七/九一年)を演奏しました。

ところが、過当競争の中にある日本の指揮者は実験できないのです。多くのオーケストラが公益法人になって赤字を出すことが許されない中で、集客できる古典ばかりを演奏することになる。ベルリオーズの「幻想」が一番新しい曲になってしまう。それ以降のストラヴィンスキーなど組もうものなら集客は難しい。バルトークですら敬遠されていると聞きます。多分、今一番人気があるのはチャイコフスキーやドヴォルザークでしょう。

日本には優秀な指揮者が大勢いるから、みんな本当は新しい曲を演奏したい。でもチャンスがない。常任になると何回かは実験できるけれど、その肩書きがない限り実験はしづらい。ますます保守化する。もちろん、僕がかかわる新日本フィルハーモニー交響楽団をはじめ意欲的に組んでいる楽団はあります。だがトータルで言うと、”今日性”につなげる努力はものすごく少ない。このままだと、先細りすると心配しています。オーケストラのあり方を考えるのは、日本の音楽、文化としての音楽について考えることと一緒だと思うのです。

 

知れば知るほどおもしろくなる

-ある評論家が、日本では演奏人口は多いのに、聴く人口が育たないと問題提起していました。

久石 文化を培うのは、たしかに難しい。加えて、日本が抱えるもうひとつの問題は観客の高齢化です。どのコンサートも、平日の午後二時からがゴールデンタイムなのです。びっくりするでしょう。

-老人中心ということですね。

久石 高齢者の多くは、コンサートに知的な刺激を求めているわけではない。「きょうはモーツァルトを聴いていい一日だったね」。そういう一日のほうがありがたいわけです。だから、ますますプログラムが保守化する。たまたま僕の場合はジブリ映画の影響もあるおかげで、二十代くらいの若い世代も聴きに来てくれるので驚かれます。だけど、高齢化の問題をどうしたらいいかは、僕も簡単には言えない。ただ、アマチュアオーケストラで演奏する人がたくさんいるというのは悪くないことです。なぜなら、クラシックは知れば知るほどおもしろくなる。そのためには、演奏するのが一番いいのです。

-それが、聴く人の増加につながっていません。

久石 これは日本人が直面している結構根の深い問題かもしれない。全ての物事が即物的になっていますから。もしかしたら、アマチュアオーケストラに入っている人たちの目的が、クラシック音楽を知ることではなく、人とのつながりや経験を得ることなのかもしれない。音楽をする喜びを感じたくてオーケストラに参加するなら、聴くことにも喜びがあるし、勉強もする。これも養老先生が仰られていたことですが、今、学生に例えばニーチェについて論文を書けと言ったら、ニーチェの本ばかり二十冊ぐらい読む。本当は、ニーチェの本は一~ニ冊にしてその前後の哲学者も読まなければいけない。幅を広げて読むべきなのに、今の人は棒グラフのようにそれだけを読む、と。

もうひとつ、音楽が十分楽しまれていない背景に、現代人の脳が芸術野ではなく、論理的な方の脳で音楽を聴いている可能性があるかもしれません。つまり、コンピュータのように音楽を「情報」として「処理」している。ならばこれを逆手にとって、交響曲のような長い曲は、言葉を駆使して情報として伝える方策を考えないと普及しないかもしれない。

-何事もそうですが、おもしろさというのは、わかり易さと難しさとのバランスがあってこそ喜びがあり、先へ進むエンジンにもなるのですけれど。

久石 いずれにせよ、妙薬はない。たまたま僕は二十代まで現代音楽、誰も来ないようなコンサートをして、それからエンターテイメントに行った。映画も含めていろいろ担当してきた中で、もう一回クラシックに戻ってきたから客観的に見ているのですが、やはり一番大きな問題は垣根が高いことだと思うのです。それを壊す作業をしなければいけない。

ただ、それは夏休みに子供向けプログラムを提供すればいいとか、そういう問題ではない。日常的に垣根を壊していかなきゃいけない。昔ロンドンでは、ロンドン・シンフォニー・とアンドレ・プレヴィンがテレビでレギュラー番組を持った。あれでロンドン・シンフォニーのファンが増えた。山本直純さんの「オーケストラがやって来た」もそうでしょう。一般の人と触れ合うための、マスコミの使い方も踏まえた垣根の修正作業にもっと努めなければいけない。

僕が今一番思っているのは、「アートメント」をきちんとやろうということです。アートとエンターテインメントを組み合わせた言葉です。知的な喜びを、もっと日常にするということ。町を歩いている女の子のハンカチの模様がフランク・ステラやアンディ・ウォーホルの作品で、「これいいよね」とか言っているような感じ。それはたとえば、片方で「きのう、ゆずのコンサート行ったんだ」という女の子がいたら、隣で「私はベートーヴェンの第九に行った」という子もいて、それが普通の会話になる日常がいい。

芸術を日常にするには、数多く触れるしかない。以前イギリスで流行したのが、エデュケーションとエンターテイメントを合わせた「エデュテインメント」。それと同じです。文学でも、「夏目漱石はおもしろいじゃん」というところから入らないと、「純文学でござい」では敷居が高くて誰も近寄れない。スタンダールの『赤と黒』だって大衆小説でしょう、単純に言えば。でも、あれは純文学とされる。大衆小説と純文学の区分けっておかしいでしょう。ドストエフスキーの『罪と罰』だって、そんなに高邁な文学と呼ばなくていい。おもしろければ誰でも読むし、どんな本だって最初の二十ページは我慢しなきゃいけないわけだから(笑)。

クラシックも同じ。ベートーヴェンってまずおもしろいんですよ、本当に。あのパワーは、恐らく他の作曲家は到達し得なかったものです。金字塔ですよ。何ですごいのかと考えると、本当の意味でキャッチーなのです。ベートーヴェンが持っているのは、通俗的と言っていいほどキャッチーなものをベースに、それを徹底的に組み立てていく意志力でしょう。

大概の作曲家が言うことですが、第九はフォームがよくない。五番や七番に比べると、一、ニ、三楽章はいいけれど、四楽章はバランスが変。交響曲としての完成度で言うと、第九ってどうなの?と、僕を含めて多くの作曲家が疑問を持っていた。それはベートーヴェン自身にもあった。

でも、何回か第九を指揮しているうちに、そんなことは吹っ飛びました。あの四楽章の持っているカタルシス。まるでマリオブラザーズの一面クリア、二面クリア(笑)……という感じの、あの興奮。それから合唱が持つ圧倒的なエネルギーなどを考えていくと、やはり音楽は理屈じゃないのだと最後に気づきますよ。構成だ、論理的構造だとか言っていたことは一体何だったんだというのを最後に感じます。そのぐらい第九はすさまじい。

話は飛びますが、第九は日本人に合うのですよ。あれは演歌です。任侠映画と言ってもいい。耐えに耐えた主人公が、最後の最後で演歌のテーマが流れる中、刀を持って出かけていって、ちょうどワンコーラス終わると、敵相手にたどり着く。で、バーッと全部斬って終わるという。第九にはそのカタルシスがある。要するに、闘争から勝利、苦悩から歓喜へといった耐えた挙げ句のカタルシスです。

-「忠臣蔵」と第九が日本の年末の恒例というのがよくわかりました(笑)

久石 あ、「忠臣蔵」もそうですね(笑)。もともと日本で第九がはやった理由というのは、団員の餅代だったそうです。アマチュア合唱団を使うと、合唱団員一人一人に家族と親戚がついてくる。券を買ってくれる。それで多少のお金を稼いで団員に餅代を払って正月を迎える。それがいつの間にか定着した、と。だが、僕はそれだけではここまで定着しないと思うのです。やはり日本人の心に食い込むものがあったのでしょう。

-第九が持っている、人間の「声」という身体性とか、音楽の原点に訴えかける力でしょうか?

久石 そう思いますよ。これは民族音楽を訪ね歩いた小泉文夫さんという音楽学者が書いた『人はなぜ歌をうたうか』という本にあるのですが、スリランカの奥地で歌を歌う。音程は、高い音と低い音の二つしかないらしい。相手が一生懸命歌うと、その人よりもっと一生懸命大きい声で返す。また返す。こういうやりとりが歌うことの原点であり、小泉さんは感動したというのですね。実はベートーヴェンの方法も同じ気がするのです。きれいなメロディをどう料理して、どう展開するかみたいなことは余り考えてない。余り好きな言い方ではないけど、どの曲も、魂の叫びというか心の叫びというか、自分の考えていることと直裁的につながっている。ベートーヴェンは直裁的で非常に闘争的な男だから、抑圧からの解放が基本にある。

音楽史をたどると、ベートーヴェンの時代は古典派の終わりに当たります。ということは、ベートーヴェンの時代には、物語的(後の交響詩)なものがいっぱいできている。ウェーバーをはじめ、みんなつくっている。そこで音楽に初めて文学が重要になるわけです。それ以前は、純粋にフォームのある音楽を書いてきた。ソナタ形式とか。でも、もうこれ以上やってもベートーヴェンに勝てないとなった瞬間以降は、音楽に文学の要素が入ってくる。ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」のように、向こうから来てあっちに去っていったり、シュトラウスの「アルプス交響曲」のように、夜が明けて嵐が来てみたいなアルプスの一日の情景描写など、構成に文学的な要素が入ってくるのです。この辺りから音楽のあり方が変わった。

これを論じたのが、Th・W・アドルノの『新音楽の哲学』という本で、これは読みづらいけれど読んでおいたほうがいい本です。ストラヴィンスキーとシェーンベルクを論じている本ですが、そこでの警鐘は、二十世紀における芸術音楽のあり方の問題です。要するに、商業化した音楽が主流になる今日の状況でそれが可能なのか? を論じている本ですが、現在はもっと深刻な状況だと僕は思っている。

音楽が抱えている問題は本当に大きい。だからそこで自分は何をするのか、ずっと考えています。

 

おもしろいとは、チャレンジすること

-久石さんがやってこられた映画音楽についてはどうお考えですか?

久石 過去には興味がないんだよね。それは昔の僕が書いた曲であって、今の僕と違うと思うから。

-でも、多くの人が多大な影響を受けたことは疑う余地がないと思います。

久石 もしそういう結果が出ているのだとしたら、本当に幸せなことだと思います。だって、もともと映画のためにつくってきていたわけだから、そういう結果を望んでつくったわけではない。そういう音楽ができたことはすごくうれしいけれど、自分から狙ってつくったことは一度もない。

もちろん、それはもう全身全霊でつくってきました、どの曲もね。ただ、これは作家の性で、「代表作は次だ」という意識は絶えずあるんだよね。過去のものを褒められると照れくさいし、あのときはあのときで一生懸命つくったよという気持ちでいるしかないんですよ(笑)。

ひとつ、わかっていることがあるのです。絶えずチャレンジし続けていないと観客はついてこない。僕のところに来てくれている人たちも、みんなそうです。一回でも気を抜いたコンサートをすると、離れるでしょう。最初の聴衆は自分。自分がおもしろいと思っていないものをやっても、誰にも伝わらない。おもしろいとは、チャレンジすることです。チャレンジすると、観客が一緒に育って、一緒に聴いてくれる。逆に、僕が前と同じことをしているような姿勢を見せた瞬間、観客は見事に離れます。

-怖いですね。

久石 観客って正直ですよ。この夏と秋の二つのコンサート。「World Dream Orchestra」の方は僕の映画音楽中心。すると、二ヵ所四千枚のチケットが発売後五分で完売。一方、現代の音楽を組んだ「Music Future」の方は五百枚が二ヵ月すぎても売り切れませんでした。露骨でしょう。自分がやりたい方が全然売れない(笑)。でも、僕はすごくうれしい。つまり、観客は、僕がやったら何でもオッケーじゃないんですよ。どういう内容か見て、知らないと思ったら引く。ならば、今後我々が取り組まなくちゃいけないのは、これをおもしろいと思う人間を増やしていくこと。急激にやりがいを感じて、これは来年もやるぞ、と思っています。

-「Music Future」では、世界初演の久石作品「Escher」を演奏されました。

久石 これはもう大変だった。弦楽四重奏なんだけど、メンバーに「弾けない」と言われて。「すみません」と言いながら演奏したけれど、楽しかった。僕は作曲家だから、こういう自分のやるべきことを今後もしていくけれども、オーケストラも同じだと思うのです。お客さんは実は知識で聴いていない。頭で聴くのではなくて、「何かわけがわからなかったけどおもしろかった」「今日のは、つまらなかった」と、考え方はこの二種類しかないと思うのです。その段階では、アルヴォ・ペルトであれ、グレツキであれ演奏していいと思う。何だかすごい不協和音だったけど、打楽器をいっぱい使っていておもしろかったとか、そういう感覚は残るでしょう。だから、そういうきちんとしたおもしろいものを提供していけば、今日の音楽を演奏するのは全然マイナスではない。それがアートメントです。でも実際は大変です。たとえば「World Dream Orchestra」で演奏したペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」。演奏も大変。図形楽譜(五線譜でなく図形などで書かれた楽譜)だから。それをバッハの「G線上のアリア」と並べて演奏する。

-二つのギャップがすごいですね。

久石 それを狙ったというか、その化学反応をみたかったんです。ところで、この「広島の犠牲者に捧げる哀歌」に、未来につながるヒントがあると思っています。「超不協和音でおもしろいから聞いてよ」。僕がこう説明すると「そうですね」と言って、百人中九十五人は来ない。でも、「実はこのタイトルは後づけなんだよ。佐村河内と一緒」と言うと、これで二十人ぐらい来る(笑)。さらに、「実はこれは『哀歌 八分二十六秒』ってタイトルだったんだ」と加える。「エレジーという感情的な部分と頭で考える即物的な八分二十六秒がぶつかり合っている曲で、後で松下眞一さんという日本人作曲家の勧めで、日本公演のために『広島の犠牲者に捧げる哀歌』というタイトルをつけたんだ」。そして、こう締めくくる。「ペンデレツキはユダヤ人だから、広島、長崎、そしてアウシュビッツが結びついた。それで、このタイトルでいいと思ったんじゃないか」。これで大体六十人ぐらいが「あ、聴いてもいいわ。一回は」と思う。

-村上春樹さんの小説の中に出てくる音楽を聴きたくなるのと共通していますね。

久石 そう。潜在的にみんな聴きたいんですよ。だけど、どこから入っていいかわからない。だから僕は言葉の力を借りても、まず聴いてもらいたいと思いますね。

(雑誌「考える人 2014年秋号」 新潮社 より)

 

考える人 久石譲

 

Blog. 「クラシック プレミアム 21 ~オペラの時代2 序曲・間奏曲集~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2014/10/20

「クラシックプレミアム」第21巻は、オペラの時代2 序曲・間奏曲集 です。

第16巻にて、オペラの時代1 アリア集 が特集されています。アリア集が声に焦点をあてたものであったのに対して、今号ではオーケストラに的を絞り、序曲・間奏曲・前奏曲やバレエ音楽まで、華やかでオペラを盛りたてる絶品のオーケストラ音楽が収録されています。

 

【収録曲】
ロッシーニ:《セビリャの理髪師》 序曲
クラウディオ・アバド指揮
ヨーロッパ室内管弦楽団

ヴェルディ:《椿姫》 第1幕への前奏曲
カルロス・クライバー指揮
バイエルン国立管弦楽団

ヴェルディ:《アイーダ》 第2幕「凱旋の場」より 〈凱旋行進曲と大合唱およびバレエ音楽〉
ニコライ・ギャウロフ(バス)
クラウディオ・アバド指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

プッチーニ:《マノン・レスコー》 第3幕間奏曲
マスカーニ:《カヴァレリア・ルスティカーナ》 間奏曲
レオンカヴァッロ:《道化師》 間奏曲
マスネ:《タイス》より 〈瞑想曲〉
オッフェンバック:《ホフマン物語》より 〈舟唄〉 編曲:マニュエル・ロザンタル
ポンキエッリ:《ジョコンダ》より 〈時の踊り〉
ヴォルフ=フェラーリ:《マドンナの宝石》 第3幕間奏曲
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

グリンカ:《ルスランとリュドミラ》 序曲
ミハイル・プレトニョフ指揮
ロシア・ナショナル管弦楽団

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第21回は、
視覚と聴覚のズレはどうして起こるのか?

前号からの話つづきになっています。
一部抜粋してご紹介します。

 

「視覚と聴覚から入る情報にはズレが生じる。では何でそういうことが起こるのか?本来映像は光だから音より速い。だとすると映像のほうが先に飛び込んで来るから、音楽を逆に先行させなければ映像にぴったり合うことはない。ところが現実は逆である。」

「そのことに関して養老孟司先生は「おそらくシナプスの数です。意識がどういう形で発生するかわかりませんけど、自分がこういうことを見ているというのと、聞こえてくるのと、脳の神経細胞が伝達して意識が発生するまでの時間が、視覚系と聴覚系とでは違う。だからズレているわけです」と僕との対談本『耳で考える』で語っている。」

「いつも気になることがある。テレビやDVDでクラシックのコンサートを観るとき、特に速いテンポのときなど指揮者の打点とオーケストラの音の出るタイミングが微妙に違うのだ。「まだ点に行き着いてないそこで音は出ないよ」といつも変な感じがするのは音が早く出過ぎているためだ。現場では音声と映像がタイムコードでしっかりシンクロしているはずだが、結果として音が早く感じる。そんなに多くはないが、僕もコンサートのDVDを作るとき、このことが気になってすべてのシーンのタイミングを合わせるために何度も徹夜したことがある。また普通に映画を観ているときでもセリフと映像のタイミング(リップシンク)のズレがとても気になる。このことも視覚と聴覚のズレが関係しているのだろうか?もっとも音声を録る機材と映像を撮る機材の(特にケーブル)問題やそれを家庭で再生するときの装置の問題でズレる場合もある。ブラウン管より液晶のほうが圧倒的に映像は遅れる。僕の家の4Kテレビでは……これは気にならない。何故なら見ている番組のほとんどがアメリカのテレビドラマだから、字幕を見るのに忙しくリップシンクにまで眼が行かない(笑)。まあ普通は気にしないだろうな、こんなこと。」

 

 

その他、ふと耳にした音楽から過去を思い出して胸を熱くすることはあっても、逆に昔の懐かしい場面を思い浮かべて、それから音楽を思い浮かべる人はそういうない、など、なるほどそう言われればそうかもな、と日常生活に置き換えて納得することも多く。

視覚(映像)と聴覚(音楽)のズレ。とても精通している専門家じゃないと気にならないような、視覚と聴覚のズレのようにも思いますが、なるほどそういう感覚なのかと思います。いざコンサートDVDを制作しようとしたときに、こういった点でも水面下の調整、苦労があるとは知りませんでした。

ただ単にLive コンサートで録画したものを編集したらいいわけではないんですね。何十本にも及ぶ録音用マイクで音はバランス調整しているのはわかりますが、映像も十数台のカメラワーク、カット割りの編集のみならず、総合的に視覚(映像)と聴覚(音楽)のズレの微調整まで。

なかなか久石譲コンサートがDVD化されないのは、こういった作曲者・指揮者の繊細な感覚と、やるなら!というこだわりからでしょうか。それでも映像作品として残してほしいことに変わりはないのですが。コンサートはLive感、その臨場感を楽しむものですから。

武道館DVDはこのズレどうなっているんだろう?など、またいろいろと気が散漫してしまいます。いつかゆっくりチェックしてみます。いや、素人よろしく楽しく鑑賞するのが一番いいのかもしれませんね。

 

クラシックプレミアム21 オペラの時代2