Blog. 久石譲 「魔女の宅急便」 インタビュー ロマンアルバムより

Posted on 2014/11/5

1989年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『魔女の宅急便』

映画公開と同年に発売された「ロマンアルバム」です。インタビュー集イメージスケッチなど、映画をより深く読み解くためのジブリ公式ガイドブックです。最近ではさらに新しい解説も織り交ぜた「ジブリの教科書」シリーズとしても再編集され刊行されています。

今回はその原本ともいえる「ロマンアルバム」より、もちろん1989年制作当時の音楽:久石譲の貴重なインタビューです。

 

 

「今回はヨーロッパの舞曲をモチーフにしています」

「風の谷のナウシカ」以来、宮崎作品にはなくてはならない久石さんの音楽。童謡を意識したという「となりのトトロ」につづき「魔女の宅急便」では、ヨーロピアン・エスニックの香りを漂わせます。

 

自然で心地よい音楽

-『ナウシカ』『ラピュタ』『トトロ』そして今回と、4本つづけて宮崎監督と組まれていますが、これまでと比べていかがでしたか。

久石:
「毎回、たいへんさということでいえば変わらないのですが、こんどの場合はスケジュール的に苦労した部分があります。というのは新しいソロアルバムの録音のためにニューヨークへ行ってまして、そちらと『魔女の宅急便』のサントラの録音のスケジュールがかぶってしまったんですね。そういう時間的な面では少しご迷惑をかけてしまいました」

-今回はヨーロッパが舞台ということで音楽的にもそのへんを意識されたと思うのですが。

久石:
「そうですね。架空の国ではあるけれどもヨーロッパ的な雰囲気ということで、いわゆるヨーロッパのエスニック、それも舞曲ふうのものを多用しようということは考えました」

-こちらの勝手な連想なのですが、ヒッチコックの『泥棒成金』に出てきたリビエラのような南欧的なイメージが映画にも音楽にもあって、50年代のハリウッド映画を意識されたのかなとも思ったのですが。

久石:
「それはあまり意識しませんでしたけど、たとえばギリシャふうですとか、そういうニュアンスを出したというのはありましてダルシマ(ピアノの原型となった民族楽器)とかギター、アコーディオンというふうにヨーロッパの香りのする楽器をたくさん使ったりしました」

-今回は『火垂るの墓』の高畑勲監督が音楽演出という形でくわわってらっしゃいますが、宮崎監督と高畑さん、そして久石さんの3人で音楽の構成を考えていったわけですね。

久石:
「ええ。さっきもいったように、今回は僕のほうのスケジュールがつまっていたものですから、高畑さんにはいろいろと助けていただきました。通常ですと、僕が自分で音楽監督も兼ねるわけですが、今回は時間的にむずかしかったので、高畑さんと宮崎さんが打ち合わせてどのシーンに音楽を入れるかというプランを立てて、それをもとにぼくが作曲するという形をとらせてもらったんです。宮崎さんはもちろんですけど、高畑さんも音楽にはたいへんくわしい方ですから、安心しておまかせしました」

-宮崎監督と高畑さんというのは、これまでにも名コンビぶりを発揮していらっしゃいますものね。

久石:
「おふたりのコンビネーションというのは、もう抜群ですね。『ナウシカ』『ラピュタ』のときのプロデューサーと監督という立場にしても、今回の音楽演出と監督という立場にしても、そばで見ていて非常に勉強になりました。おふたりとも、演出に関しては理論的といいますか、理知的な考えをもっていまして、僕もどちらかといえばそうなんです。たとえば、音楽のつけ方にしても感情に流されたつけ方は絶対にしませんから。そういう意味では、意見がくいちがうということはまったくないし、僕もおふたりを尊敬していますからいっしょに仕事をするのは楽しいですね」

-たしかに、映画を拝見しますと音楽のつけ方がはっきりしていて、今回でいえばキキがつぎの場所へ移動するときの、つなぎの部分に音楽が使われているような印象がありました。

久石:
「たとえば悲しいシーンに悲しい曲をつけるとか、アクションシーンに派手な曲をつけるとか、そういうやり方はいっさいしないという前提でやりましたからね。ある意味でそれはすごく徹底していると思います。むしろ感情に訴えかけるよりも、見ている人を心地よくさせるような音楽のつけ方というんですか、そういう点を心がけたということはありますね。わざとらしくない、自然な音楽といいますか……」

 

1年の区切りの仕事

-今回は音楽的に新しい試み、実験のようなものはなさっっていますか。

久石:
「特別なものはありませんが、今回はシンセサイザーを使った曲をぐっと少なくしています。従来ですと半分くらいはシンセサイザーやほかの電子楽器を使ったりするのですが、この作品では内容もリアルなものになっていますから、全体に生の音に近づけてみました。ちがいといえば、そこがちがっていると思いますね。あとはメロディーの部分で、地中海ふうのもの、それも三拍子を使った舞曲的なものが多いというのが今回の特徴でしょう」

-これまでの作品と比べて内容的にちがうなと思われる点は?

久石:
「『トトロ』のときもそうだったんですが、大きなアクション、たとえば戦闘シーンのようなものがないし、ストーリーもグーッとクライマックスに向けて収束していくというタイプの作品ではありませんね。ずっと内面的なものになっていますから、音楽もあまりおおげさなものであってはいけない、音楽だけ浮き上がってしまってはいけない。そういう点に注意しました」

-久石さんのお仕事は澤井信一郎監督と組んだ青春映画の音楽、宮崎作品や安彦良和監督の『ヴイナス戦記』などのアニメーションの音楽、そしてオリジナルアルバム(とくにヴォーカル中心の『ILLUSION』など)に見られるシティ・ポップスと、さまざまなジャンルがあって、それぞれ若者向け、子どもを対象としたもの、おとなを意識した音楽などに分けられると思いますが、そのなかで宮崎作品の占める位置というのはどういうものでしょうか。

久石:
「『トトロ』やこの『魔女の宅急便』の場合は、対象が子どもたち、大きくても中学生くらいまでですから、年齢的には僕の仕事の上では特別なものなんです。そういう意味ではむずかしい部分が多いのですが、宮崎さんの作品はとくに質が高いですから、こちらもそれに見合うものを作らなければいけないという点で苦しみも大きいです。もちろん、作家というのはものを創り出す以上、そこに苦しみがつきものですから、ほかの作品のときは苦しんでいないかといえば、決してそんなことはないわけですが……。でも、それだけにテンションの高い仕事で、このところ毎年一本、宮崎さんの作品をやらせてもらっていますが、自分のなかではいつもエポック・メイキングな仕事になりますね。年間、いろいろな仕事を(作曲だけでなくコンサートもふくめて)こなしているわけですが、宮崎さんの作品はその年ごとに何かしら自分にとって区切りとなる、そんな気がします」

-久石さんが宮崎作品の音楽を創る時にいちばん、心がけることは何ですか。

久石 :
「まず大きな声で歌えること。変にこまっしゃくれたものではなく、徹底して童心にかえってストレートに作るということですね。そしてヒューマン、人間愛にあふれていること。これに尽きると思います。」

(「魔女の宅急便 ロマンアルバム」より)

 

 

「ジブリの教科書 5 魔女の宅急便」(2013刊)にもオリジナル再収録されています。

 

 

あらためてまとめられた本書のなかから高畑勲監督インタビューをご紹介します。

 

音楽演出 高畑勲

「架空の国のローカル色を出す」

-プロデューサーをつとめた『ナウシカ』『ラピュタ』につづいて、今回は音楽演出としての参加ですが、具体的にはどんなお仕事ですか。

高畑:
「何も特別なことをしたわけではないんですよ。ようするに、ふつうの映画で監督が音楽についてする作業を代行しただけの話です。今回の作品が特に音楽的にむずかしいから、こういう特別な役割を設定してというのでもないし、宮さん(宮崎駿監督)から頼まれてお手伝いしただけのことですから、音楽演出なんてオーバーなんですよ」

-挿入歌として荒井由実時代のユーミンの曲が効果的に使われていますが、これはどういう経緯で?

高畑:
「宮さんとしてはタイトルバックに歌を使うというのは最初から計画していたことだったんです。それもラジオから流れてくるという設定でね。そうすると、キキという都会生活に憧れるふつうの女の子が、ふだん聴くとしたらどんな歌だろう、と。そこから発想していって、都会的な気分を代表していて、なおかつ作っているわれわれの世代にもわかるような曲。それはやはりユーミンじゃないだろうかという結論になったわけです」

-最初は新しくオリジナルを作っておらおうという話もあったそうですが。

高畑:
「ええ。でもラジオから流れてくることを考えれば、むしろ既成の曲のほうが合っているし、引用という形になるだろうという話ははじめの段階からあったんですよ。結果的には『ルージュの伝言』と『やさしさに包まれたなら』を使わせてもらうことになったわけですが、とくに後者はイメージとしても映画にぴったりだと、僕らは最初から思っていました。宮崎さんも、むかしのユーミンはよく聴いていましたからね」

-今回の音楽の特徴は、どういうところですか。

高畑 :
「この作品はいわゆるファンタジーではありません。『トトロ』もそうでしたが、大きな意味ではファンタジーに属するものでしょうが、もっと現実に近い物語であると宮さんは考えてつくった。たとえばキキは空を飛びますけど、それはカッコよく飛ぶのとはちがうし、ふつうの女の子の日常的な描写や気持ちが中心になっているんですね。ですから音楽が担当する部分も、世界の異質さとか戦闘の激しさとかを担当するわけではない。むしろふつうの劇映画のような考え方をして、しかもヨーロッパ的ふんいきをもった舞台にふさわしいローカルカラーをうち出そうということだったんです。それと、つらいところ悲しいところに音楽はつけない、とか、歌とは別にメインテーマの曲を設定して、あのワルツですが、あれをキキの気持ちがしだいにひろがっていくところにくりかえし使うとかが、音楽の扱いの上での特徴といえば特徴ではないでしょうか。はじめ、ホウキで空を飛ぶ、というのはスピード感もないし、変な効果音をつけるわけにはいかないので心配だったのですが、久石さんの音楽もユーミンの歌も、いまいったねらいにピッタリだったし、上機嫌な気分が出ていたのでホッとしているところです。」

(「魔女の宅急便 ロマンアルバム」/「ジブリの教科書 5 魔女の宅急便」(再録) より)

 

 

どれだけ久石譲の音楽が、映画の世界観の演出、統一性、ストーリー性を創り出すのに大きく貢献しているかがわかるコメントです。観客を一瞬にしてその世界へ引き込む、そして、架空世界なんだけれども、現実にもありそうなリアリズムを錯覚させ陶酔させてしまう音楽。

後に鈴木敏夫プロデューサーが「久石さんは日本映画界における映画音楽のひとつのかたちを確立した」と語っていたのを思い出しました。

これが約25年前のお仕事とは思えないですね。映画音楽の位置づけや扱われ方、そんな業界においてこのクオリティを仕上げる。そしてそのスタンスをこれからまた『紅の豚』以降もつづけていくことになります。

 

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魔女の宅急便 ロマンアルバム

 

Blog. 久石譲 「となりのトトロ」 インタビュー LPライナーノーツより

Posted on 2014/11/3

1988年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『となりのトトロ』

2014年7月16日「スタジオジブリ 宮崎駿&久石譲 サントラBOX」が発売されました。『風の谷のナウシカ』から2013年公開の『風立ちぬ』まで。久石譲が手掛けた宮崎駿監督映画のサウンドトラック12作品の豪華BOXセット。スタジオジブリ作品サウンドトラックCD12枚+特典CD1枚という内容です。

 

さらに詳しく紹介しますと、楽しみにしていたのが、

<ジャケット>
「風の谷ナウシカ」「天空城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」は発売当時のLPジャケットを縮小し、内封物まで完全再現した紙ジャケット仕様。

<特典CD「魔女の宅急便ミニ・ドラマCD」>
1989年徳間書店刊「月刊アニメージュ」の付録として作られた貴重な音源。

<ブックレット>
徳間書店から発売されている各作品の「ロマンアルバム」より久石譲インタビューと、宮崎駿作品CDカタログを掲載。

そして『となりのトトロ サウンドトラック集』もLPジャケット復刻、ライナー付き。往年のジブリファン、そして久石譲ファンにはたまらない内容になっています。

 

 

そして貴重なライナーは、サントラ制作時期の久石譲インタビューです。制作前、というのが正しいかもしれません。

 

 

宮崎作品はぼくの修行の場

-久石さんは10代から20代にかけては超前衛の現代音楽に属していたしたとお聞きしましたが。

久石 「10代の頃にミニマル・ミュージックを始めてね。テリー=ライリーとか、フィリップ=グラスとか、スティーブ=ライヒとか、それにシュトックハウゼンとか、ジョン=ケージとか、ほとんど現代音楽の人から影響を受けていました。あと学生時代は、勉強として、日本の人でいうと、武満徹さんや三善晃さんであったり──そういう人たちの譜面の分析とかをやっていましたから。」

-もともとはクラシックから出発されたんですね。

久石 「そうですね。もっと最初から言うと、4歳の時からヴァイオリンをやっていた蓄積になっちゃうんでしょうね。クラシックって短期間に身につけようとしても、なかなかむずかしいんです。例えば、ピアニストにしても、みんな4歳や5歳の頃からレッスンを始めているでしょ。バイオリンもそうだし。そうして、ずっとやっていても、なかなか芽の出ない世界ですから(笑)。わりと時間がかかる世界なんですよ。」

-それとは逆に、映画音楽はいかに時間をかけずに仕上げるかが勝負なんじゃないかと思うんですけど。

久石 「あ、それは分かります。ただぼくの場合は吉野家の牛丼みたいな、”早い、安い、うまい”仕事は一切断る。つまり1日で音楽を収録してしまうような仕事はやらずに、フェアライト(生の弦音やヴォーカルを加工して使うコンピューターによるサンプリング・キーボード)など、いろんな機械を使いますから、そのための時間がすごくかかるんですよ。当然それに付随して、費用もかかるし、スタジオにも何日間かカンヅメにならなくちゃいけない。それで最後の仕上げにフルオーケストラも使うから、大変なんですよ。

ただ20代のかけ出しの頃は、そんな仕事なんて来ないし、それこそ、3日で70曲近く書くような仕事もやりましたから、早く書くこと自体は、そんなに問題じゃないんですが、あんまり”早い、安い、うまい”仕事ばかりやっていくと、どんどん状況が悪くなっていきますから。だから、例えば、制作期間に2週間、それに、その期間を支えるだけの予算、そういう条件をクリアできない仕事は、今、全部お断りしている状況なんです。」

-宮崎さんの映画の場合、イメージアルバムから、ひっくるめると、相当な時間が……。

久石 「かかりますよ。もう……大変ですね(笑)。ただ、宮崎さんの仕事は内容的にも非常に素晴らしいものだし、共感できますから、ぼくはとても大切にしているし、宮崎さんの映画をやる場合は、それを優先的にしてスケジュールを空けて、そこからやるしかないと思っています。」

 

直感的に入ってゆきたい「トトロ」の世界

-前回の「天空の城ラピュタ」は、アイルランド民謡を頭において作曲されたそうですが、「となりのトトロ」で、ベースに考えていらっしゃるのは、どんな音楽ですか?

久石 「いやぁ……。むずかしいんですよね。実は「ラピュタ」をやる時は、すごく悩んだんです。あの映画にある、愛と夢と冒険というのは、ぼくとは全然相容れないから(笑)。どちらかというと、ぼくは不純だからね。例えば、マイナーのアダルトなメロディを書く方が楽なんですよ。ところが、メロディ自体が非常に夢を持っていて、優しくて包容力があるものとなると、すごくむずかしいんです。制作中は、えらい騒ぎだった。困ったなと思っていたら、今度はもっと可愛らしい話になって(笑)、「うわぁ、どうしよう」というのが正直な話。しかも「となりのトトロ」のイメージアルバムを作りながら同時進行していたのがセゾン劇場(東京銀座)で上演した、沢田研二さんや役所広司さん出演の「楽劇ANZUCHI」の音楽。かたや、えらくおどろおどろしい悪魔の世界ですからね。それと、あの清純な世界が同時進行していたんだから、ちょっと気が狂いそうだった(笑)。でも、それはある意味で試練であるわけです。」

-ラッシュはご覧になったんですか?

久石 「部分ごとにできたものを、全然脈略なしにつないだフィルムを、先日一度観せていただきました。」

-かなり、手がかりに?

久石 「なりましたね。やはり、また素晴らしい作品になりそう。かなりメロディラインを重要視して、何かとっかかりができるんじゃないだろうかって気がしたんです。いわゆるストーリーらしいストーリーの展開をしていないでしょう。」

-そうですね。「ナウシカ」や「ラピュラ」は、物語のメリハリで見せるというか、緩急自在な展開の映画でしたからね。

久石 「そう。ハッキリと、ストーリーがあったでしょう。でも今度は、田舎の1日というか、ちょっとしたシークエンスが、つながっていく種類のもので、ストーリーが大きく展開するものじゃないからね。その分だけ、こちらも従来のやり方とは、スタンスを変えなきゃいけないという気がするんですよ。まだ具体的には言えないけど、非常に直感的に今回は仕事に入りたいなという気がしてるんです。」

-3本続けて組まれてみて、宮崎さんの映画作りについての印象を。

久石 「宮崎さんは、生きる姿勢というものと、アニメーションを通して表現していくこととが、全部一致してるんですね。映画のための映画、アニメのためのアニメではなくて、自分が生きるという姿勢の中に、ちゃんとアニメーション──アニメーションじゃなくてもいいんですけど、そういう自分の創造物がありますから。非常に姿勢が明確というか、個人的にすごく尊敬しています。

仕事自体は中途半端なことはできないから、メチャクチャ苦しいんですよ。ただ、それをやることによって、こちらも一回りも二回りも大きくなれる。試練の場でもあるし、修行の場でもある。と同時に、自分のアイデンティティを確認できる場でもあるから、とても大切にしています。

ぼくらの場合は、年間にかなりの量の仕事をこなしますでしょう。すると、その中にはビジネスのための仕事があったり、いろいろあるわけですよ。だけど、その中でやっぱり、自分がこれは、という仕事って、年間に何本かあるんです。宮崎さんの映画は、その中でも、ぼくにとっては、特に一番大きな仕事ですね。」

 

〈解説〉

88年4月16日より全国東宝系で公開された宮崎駿監督のアニメ映画「となりのトトロ」。監督の前作「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」に引き続き、音楽を担当したのは久石譲氏。

物語の舞台は昭和30年代の自然と四季の美しい日本、とある田舎に越してきた、小学校6年のサツキと5歳のメイのふたりの女の子と、昔からそこに住むオバケ達(トトロ)との心暖まるふれあいが、日常のエピソードを積み重ねながら、のどかに描かれる。

音楽の制作にあたって、まず10曲のイメージソングが制作された。(イメージソング集として87年11月25日LP、CD、TAPE 発売) これをもとにした宮崎駿監督と久石譲氏、録音演出の斯波重治氏らのディスカッションののち2月25日から3月26日まで、東京・六本木のワンダーステーションスタジオ、にっかつスタジオセンターにおいて録音された。

このアルバムでは映画に使用された曲のほか、メロディが使用されているイメージ曲から「まいご」「風のとおり道(インストゥルメンタル)」の2曲を、リミックス(楽器の音のバランスを変えること)した上で収録した。「さんぽ(合唱入り)」もこのアルバムのために楽器を追加、リミックスしたもの。なお、「メイとすすわたり」「メイがいない」の前半部分、「オバケやしき!」「ずぶぬれオバケ」の後半部分は、映画では演出のため使用されていないが、このアルバムでは完全に収録している。

「ナウシカ」「ラピュタ」とはひと味違ったほのぼのとした暖かさをもつ久石譲氏の音楽を、心ゆくまでお楽しみいただきたい。

(「となりのトトロ サウンドトラック集」 LP(復刻) ライナー より)

 

 

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となりのトトロ LP 復刻

 

Blog. 久石譲 「となりのトトロ」 インタビュー ロマンアルバムより

Posted on 2014/11/2

1988年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『となりのトトロ』

映画公開と同年に発売された「ロマンアルバム」です。インタビュー集イメージスケッチなど、映画をより深く読み解くためのジブリ公式ガイドブックです。最近ではさらに新しい解説も織り交ぜた「ジブリの教科書」シリーズとしても再編集され刊行されています。

今回はその原本ともいえる「ロマンアルバム」より、もちろん1988年制作当時の音楽:久石譲の貴重なインタビューです。

 

 

「日本が舞台でもあえてそれを意識しなかった」

『風の谷のナウシカ』で砂漠と中央ヨーロッパ風の世界を、続く『天空の城ラピュタ』ではイギリス南部の炭鉱町のような渓谷のたたずまいと天空の城というSF的な世界を見事に音楽で描き出してくれた久石さん。

そのルーツはありながらどこか無国籍的な宮崎アニメーションに、素敵な彩りを与えてきた久石さんだが、今回は舞台が日本で、しかも昭和30年代初頭という設定。これまでとはいささか勝手がちがう。そこにどう挑んだのか、そのあたりを中心にインタビューを試みた。

 

土着的ではない作品

-今回は録音前にご病気をなさるなどいろいろ大変だったようですが……。

久石:
「病気のことはおいておくとして、今回の作品は物語性がドラマチックじゃないでしょう。大きなストーリーの流れはあるんだけれども、日常的なシークエンスが並列につながってゆくような形になっている。だから、音楽も強い音楽を書いちゃいけないという気持ちが最初にあったんです。強い音楽だと、画面から遊離しちゃうような気がして。

それと、イメージアルバムを今回も作ったんですけど、普段なら”何々のテーマ”という形で基本的なイメージが出てるんだけれども、今回は歌のイメージアルバムを作ったでしょう。それも、日常的なシークエンスが多いから、インストゥルメンタルの曲よりも歌のほうがそのシーンのイメージがはっきりすると思っていたからです。

それがサントラのほうにもそのまま反映していて、ストーリー性が弱いぶんだけ、どこをどう補強していくか、そこがいちばん悩んだところでしたね。自分としてはドラマ性の強いもののほうがやりやすいし、『トトロ』は対象年齢も少し下がったので、一歩まちがえば童謡の世界になりかねない。ちょっとシンドイなあという気持ちがあったことはたしかでした」

-なるほど。映画のオープニングは、「さんぽ」という曲なんですが、そのはじまりの音が一種バグパイプのような音ですよね。今回の作品は以前の『ナウシカ』『ラピュタ』の無国籍的なイメージとちがって、ちゃんと日本が舞台ということになっていますよね。”日本”ということは意識されましたか?

久石:
「ただ、日本の風土に根ざしたドラマではないでしょう。宮崎さんの作品にはそういう風土感がないと思うんですよ。『トトロ』も日本が舞台ということがわかっているんだけれども、土着的な日本でしか生まれないふんい気というものは感じられなかったんです。そういう点でのこだわりはなかった。バグパイプを出したのも、音楽打ちあわせの時に『バグパイプなんかイントロにあったらどうですか』って聞いたら、宮崎さんが『おもしろいですね』とおっしゃって、それで入れたら、とっても喜んでもらえたんですよ。そうしたら『全部に入れてほしい』と宮崎さんがいいだして(笑)」

-宮崎さんが好きな音色ですよね。

久石:
「まさにそういう感じなんです。だから、宮崎さんの作品の場合、独特のローカリティに根ざしているわけじゃない。そういうものから出てくるふんい気はありませんね」

-映像と音楽に違和感はなかったと思いますが、とくに意識したことは?

久石:
「それはこういう物語のあり方とも関わってくるんだけれど、この作品は中編でしょう? ちょっといい方が難しいけれど、普通のオーケストラだけの曲を書くと、ごくあたりまえの幼児映画になってしまうんですよ。だから『トトロのテーマ』はミニマル・ミュージック的な、ちょっとエスニックなふんい気を持たせています。子どもたちが家の中を駆けまわるシーンでは、メロディー自体がリズミックな感じの曲にして、リズム感を出したり。そういうことはかなり意識的にやったし、BGMの曲数もかなり多く作りましたしね、あとで抜いてもいいようにと思って。

エスニックなものと普通のオーケストラの曲を両方使うということでは『ナウシカ』以来一貫しているんですよ。ただ今回は、『さんぽ』 『となりのトトロ』という歌をメインテーマにして、僕らが”裏テーマ”と呼んでいた『風のとおり道』を木の出てくるシーンに使った。そのへんの構造がうまくいったのでよかったんじゃないかな」

 

宮崎さんの鋭い感覚

-今回のシンセサイザーとオーケストラの曲の割合はどのくらいですか?

久石:
「途中で病気をしちゃったんで、シンセの部分が少なくなったんです。だからオケが6でシンセが4ぐらいかな。本来なら、その割合が逆になったと思いますが、結果として、オケが多くて聞きやすくなったかもしれませんね」

-そのシンセの音がおもしろかったんですが、ススワタリの声も……。

久石:
「あれはアフリカのピグミー族という部族の声で、本来はかなり長いものなんだけど、その最初の”ア”という声だけをサンプリングしたんです」

-それをシンセで加工した?

久石:
「ええ。キーを高くしたりとかね。そういう手法はけっこう使ってますよ。タブラ(打楽器)の音も自分でたたいた音だし……。ああいうものって変に耳に残るでしょう?」

-そうですね。

久石:
「しまった。ほかで使えなくなってしまったな(笑)」

-生(ナマ)のオーケストラを使ったのは、そうすると割とメロディアスな部分ですか。

久石:
「そうですね。それと、一ヵ所ね、三分五十秒ぐらいの曲をオケでやった部分があります。それは、メイがオタマジャクシをみつけて、それから小トトロを発見して、不思議な森の迷路をぬけて、トトロに出会うというシーンなんだけど、この間、五十何ヵ所か、絵とタイミングをピッタリ合わせるという離れ技をやったんです。ゼロコンマ何秒かというタイミングでキッカケ出して。単純になっちゃいけないからというので、倍速にしてリズムをきざんだりとか、いままでのなかでいちばん時間かかったんじゃないですかね。ただ、ダビングの音量レベルが低かったみたい。だからスクリーンで見てもバシッと決まる音が小さいから、いまひとつしまらないというか……」

-劇場のせいもあるかもしれませんね。

久石:
「そうかもしれないですね。ただ、これはアニメ全般にいえることなんだけど、どうしても音楽のほうが小さくなってしまいますね。セリフを聞かせて、効果音も出しているから、音楽の音量をおさえる、というのはどうにもローカルな発想にしか思えないんですよね。

外国映画なんかを観ていると、逆ですものね。音楽が10ならセリフの音量が8ぐらい。それでも充分にセリフは聞こえるんですよね。そのへんの発想を改めないと、世界の映画のレベルに追いついていかないんじゃないかな。やっぱり、テレビで三十分ものをやっている影響じゃないかという気がしますね」

-なるほど。

久石:
「単純に考えてもわかるけれど、どんなにセリフや効果音がうまくいっても、芸術的だといわないんですよ。やっぱり音楽がよかったから、レコードがほしいというふうに、みんな思うわけでね。外国なんかの場合、ここは音楽でふんい気を伝えるんだと考えたら、リアルな効果音なんかとってしまって、音楽だけで聞かせるようなこともやりますでしょ。そういう発想の転換をしてくれないかなあと思うんですよね。そういう点で、宮崎さんなんかはかなりいいほうだと思いますけど、音楽家の立場からいったら、もっと要求したくなりますね」

-宮崎作品なら、それが出来そうですよね。

久石:
「と思います。今回の作品ではね、いままで高畑さんがプロデューサーで音楽を担当してきて、(今回は)宮崎さんが自分で前面に立たなきゃいけなくなったでしょう。そうしたら音楽打ちあわせで『こんなおもしろいものを高畑さんはいままでやっていたのか。ズルイ』といいながら、やってました。でも、これまではどんな音楽があがってくるかわからないから、ダビングに入るまで不安だったけど、今回は頭に入ってたんで『ラクだった』っておっしゃってましたよ。宮崎さんは音楽わからないとかいいながら、けっこうスルドイ」

-たとえば?

久石:
「さっきの『トトロのテーマ』。あれは7拍子なんだけど、少し音が多いかなと思ったら、宮崎さんが『もう少し音減りませんかね』っておっしゃる。そういうのが何ヵ所かあったんですよね。高畑さんは理論的だし、よく知ってらっしゃるけれど、宮崎さんは感覚的に鋭いなという感じ、それで僕の思ってることと、ほとんど同じことを指摘してくるんです。それが、すごくおもしろかったですね」

(となりのトトロ ロマンアルバムより)

 

 

スタジオジブリとしてもロゴやキャラクターとして代名詞となっているトトロ。DVD作品のサウンドロゴも『となりのトトロ サウンドトラック』より「さんぽ」のメロディーが使われています。

そして教科書にも掲載され、子供から大人まで、誰もが一度は大きな声で歌ったことのある「さんぽ」「となりのトトロ」というオープニング曲/主題歌。さらには”裏テーマ”と呼ばれ、まさにもうひとつのメインテーマといっても過言ではない「風のとおり道」。

『となりのトトロ』の音楽には、誰もが心躍る、そして安心する、そんな日本人の心を満たしてくれる、音楽がつまっています。インタビューにもあるように、「でも土着的な日本的音楽」ではない。ここがやはりすごいところだなと思います。

 

 

 

「ジブリの教科書 3 となりのトトロ」(2013刊)にもオリジナル再収録されています。

ジブリの教科書 3 となりのトトロ

 

 

 

あらためてまとめられた本書のなかからいくつかのエピソード(再収録・語り下ろし)をご紹介します。

 

スタジオジブリ物語『となりのトトロ』編 項

音楽と声の出演について

宮崎監督はこの映画に使われる歌について、当初からはっきりとした意向を持っていた。前述の企画書には、「追記 音楽について」として次のように書かれている。

「この作品には二つの歌が必要です。オープニングにふさわしい快活でシンプルな歌と、口ずさめる心にしみる歌の二つです。(中略) せいいっぱい口を開き、声を張りあげて歌える歌こそ、子供達が望んでいる歌です。快活に合唱できる歌こそ、この映画にふさわしいと思います。(後略)」

音楽は『ナウシカ』『ラピュタ』に引き続き、今回も久石譲に決定。そして、これまでの二作と同様に、まずイメージアルバムが作られることになった。映画に実際に使うサントラの音楽を制作する前に、イメージを膨らまし具体化するために生み出される様々な曲をアルバム化したものがイメージアルバムだが、今回は宮崎のこうした意向を受けて、イメージアルバムは歌集として制作されることに。そして歌詞を児童文学作家の中川李枝子に依頼することになった。中川の『いやいやえん』を読んで大きな衝撃を受け、以来ファンとなった宮崎たっての希望であり、中川はこれを承諾。最終的にアルバムは中川作詞の六曲、宮崎他の作詞による四曲のボーカル曲全十曲とインストゥルメンタル一曲の全十一曲の「イメージ・ソング集」として完成した。その中から中川作詞の「さんぽ」が映画のオープニングに、宮崎作詞の「となりのトトロ」がエンディングに使用され、いずれも子供達に広く歌われるスタンダードナンバーとなった。特に「さんぽ」は全国の保育園・幼稚園ではほぼ必ず歌われる歌となり、日本で生まれ育った現在二十歳以下のほとんどすべての人が、この歌を歌ったことがあるのではないだろうか。

サントラ音楽は、久石得意のミニマル・ミュージックの要素を随所に取り入れて制作され、いたずらに神秘的ではなく、不思議でありながら親しみもあるという感じをうまく醸し出し、映画の世界に見事にマッチしていた。また、イメージソング集に入っていたインスト曲の「風のとおり道」はBGMとして劇中のいくつかの場面で使用され、『トトロ』のいわばもう一つのテーマ曲として大変強い印象を残した。なお、前二作は高畑監督がプロデューサーとして音楽の打ち合わせも行ってきたが、『トトロ』は宮崎監督が前面に出て久石と打ち合わせを行った初の作品でもある。

(ジブリの教科書 3 となりのトトロ より抜粋)

 

 

特別収録1
宮崎駿監督ロングインタビュー
トトロは懐かしさから作った作品じゃないんです 項

現実と夢の間で…

宮崎:
「(中略) 久石さんと話してて、音楽のことなんかも随分悩んだけど、つまり神秘性をやたら強調しちゃうと違うしね。かといって、ムジナが隣に出てきましたっていうふうに、やたら親近感を持って作っちゃうと、これも違う。だから、久石さんのミニマル・ミュージックの無性格な感じが、あれが一番よかったですね。あれよりもっと神秘的になっちゃうと、神秘になっちゃうし、どっかで聞いたような音が入ったりして、そこら辺がわかってるけどちょっと違うっていう、そういう感じがちょうどよかったんじゃないかなと思うんです。

不思議だったのは、サツキの横に現われて立っている時にかかってる音楽はね、一回できた音楽を──七拍子の基調のリズムがあるのを──それがずーっと入ってたのを少し多すぎるから抜いてくれっていったんですよ。

それで、一回ごとに久石さんがミキシングの中で抜いたんですよ。”一、二、三、四、五、六、七。フッ”と数を数えて抜いてね。また数を数えて入れたり。そしたら、とてもよくなったんです。それを映画にひょいとあてたらぴったり合ってたんです。不思議なくらいにうまく合っちゃったんです。

サツキが見上げる時にはリズムがなくて、トトロが出てくるとそのリズムがガガンとかかってね。まあ、こんなことも世の中あるんだなって思いました(笑)。あそこの音楽はよかったですねえ。邪魔しないで、性格を決めないで、なおかつ妙な、不思議な感じが出てきて、でもやたらに不思議じゃなくて、妙に親しくて……音つけて、音楽つけて、あのシーンは本当によくなりました。

音楽の制作に関しては、久石さんもずいぶん悩んでましたね。つまり、明るくしなくてはいけないんだと彼は思ってたわけです。でも、明るくしなくてもいいんだってことが、僕自身もはっきりいいきれたのは、映画が終わってからです。途中では、久石さんにはそんなに明るくする必要はない、アッケラカンと音楽を全部につけちゃうとよくないといって、やり直した所もあります。しまった、音楽は僕がもう少し歌舞音曲にくわしければ、こんなことにはならなかったと思う箇所がいくつかあります。音楽というのは、本当にあててみないとわからないというところがあるんですねえ」(後略)

(ジブリの教科書 3 となりのトトロ より)

 

 

最後に、映画『かぐや姫の物語』(2013年)公開時の、高畑勲×久石譲 対談より、高畑勲監督の印象的な言葉を。

「久石さんの音楽で僕が感心したことがあるんです。それは「となりのトトロ」で「風のとおり道」という曲を作られたのですが、あの曲によって、現代人が“日本的”だと感じられる新しい旋律表現が登場したと思いました。音楽において“日本的”と呼べる表現の範囲は非常に狭いのですが、そこに新しい感覚を盛られた功績は大きいと思います。」

まさにこの言葉と解説がすべてを象徴しているように思います。

詳しくは下記関連記事より詳細がご覧いただけます。

 

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となりのトトロ ロマンアルバム

 

Blog. 「考える人 2014年秋号」(新潮社) 久石譲インタビュー内容

Posted on 2014/10/24

2014年10月4日 発売
雑誌「考える人 2014年秋号」(新潮社)

【特集】「オーケストラをつくろう」にて、久石譲の7ページにおよぶインタビューが掲載されています。

たとえば、映画作品や音楽作品発表時などのインタビューでは、その作品への話題に特化しています。今回のロングインタビューでは、”オーケストラ”を切り口に、様々な角度から久石譲の思いや考えを読み解くことができます。

作品や販促宣伝にとわられない、まさに久石譲が今語りたいことを語ったインタビューだと思います。かつ特集テーマを軸に、かなり掘り下げた専門的な内容にもなっています。

作曲家や音楽家はメディアにおいてその多くは「言葉の力」ではなく、発信する”音楽そのもの”で自身を表現することが多いなか、今回のインタビューは大変貴重な言葉の記録です。

要点などはまとめませんので、先入観なしに読んでみてください。

抜粋してご紹介します。

 

 

オーケストラを未来につなげるために僕は”今日の音楽”を演奏する

クラシックから映画音楽までジャンルに囚われることなく幅広い楽曲を作曲し、指揮し、ピアノ演奏する久石譲氏。今日のオーケストラが抱える問題に真摯に向き合い、「アートメント」をきちんとやりたい語る。芸術を「日常にする」ための挑戦を尋ねた。

 

久石 映画音楽を含めて、僕の仕事の八割から九割はオーケストラとの作業です。作曲したものも八割強がオーケストラとの仕事。指揮もする。となると、自分にとってオーケストラは、あえて何かと考える必要がないくらいに、日常的なものなわけです。昔はシンセサイザーで曲の半分を作っていた。でも今は、基本的に生の演奏を中心に考えていますから、ほとんどオーケストラです。

オーケストラについて考えてみると、実は非常に変な組織です。ジプシー音楽を想像してもらえればわかるのですが、本来弦楽器というのは、みんなポルタメント(音から音へなめらかに移動する奏法)を使い自由に弾いていた。それをオーケストラのように十数人の第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリンが、一糸乱れることなくボウイング(弓使い)も揃えて同じように弾く。ビオラもチェロも……となると、弦楽器が持っていたものと全く違うんですよ。本来はそれぞれ心のままに演奏するはずが、全員で一糸乱れぬ演奏をする。そして十八世紀以降、木管や金管も入ってプロの演奏家集団ができ、多くの演奏回数をこなすためにも指揮者を中心に一つの意思で演奏する形態になる。宗教と一緒です。神様、すべて一つに集中させる方式をとっていかないと成立しない。

では、集団で弾くのは個性や意思がないかというと、そうではない。ここからがオーケストラの神髄になる。アンサンブルの本当のおもしろさは、自分がパーツになるという意識は本来ないところ。みんな自分を主張するのが基本です。オーケストラは個人業者が集まっているようなもので、一人一人意見もあれば考えもある。その個人業者の優秀な人たちが八十人とか百人とか集まって成立している。では、思いどおりに演奏させたらどうなるか。一曲だって完成しない。いい例が、ある有名な弦楽四重奏団。一小節を弾いた瞬間、「お前の違う、こうだよ」と、二時間ぐらい議論する。またちょっと弾いては、いやそれは違う、と。一日弾いても一楽章も進まない。そういう演奏家が大勢集まるオーケストラでは、年間百回近いコンサートをこなすために、指揮者を決めて、指揮者を基本にするようになる。

常任指揮者というのは、オーケストラ側の意思を一番反映してくれて、あるいは自分たちを変えてくれる人を任命するわけです。何度もコンサートを重ねていく中で、お互いに音楽をつくりあげていくというリスペクト関係ができる。それで初めて常任としての役割も果たすし、オーケストラも変わっていく。しかし、間違いや乱れのない、音程もしっかりしている音楽をつくったらいい指揮者かというと、そうではない。みんなのメンタリティの部分を全部引き出した上で、どういう音楽をつくっていくかがわかっていることが大事です。ある種、現場監督的なことも指揮者にとって大きな役割です。映画監督と指揮者=音楽監督、それと野球の監督というのは一緒なんです。

この三つに共通しているのは、何もしないこと。指揮者は舞台に上がっていながら唯一音を出さない。野球の監督は、打ちはしないし守りもしない。映画監督は画面に映っていない。ところが、監督がどういうものを目指すかが明確でないと、野球のチームはボロボロになり、映画だって何だかわからないものができてしまう。音楽も一緒。みんなをこっちの方向に引っ張りますということをきちんと言う。ベートーヴェンならどういうベートーヴェンをつくりたいかを明確に示すのがいい指揮者です。

 

古典芸能にしないためには

いま僕が一番考えているテーマは、オーケストラの現状、それを未来につなげるにはどうしたらいいのかということです。現在のオーケストラは問題を多く抱えている。何より収益性。百人以上の団員がいて、一回のコンサートで大体二千人の客が入るとする。一人六千円だとしても収入は一千二百万円です。オーケストラだけのギャランティから言うと収支は合うかもしれないが、練習場や移動費などの諸経費を考えあわせると全くペイしない。

オーケストラの収入は、基本的に三分の一がチケット収入。定期演奏会などオーケストラが主催するコンサートのチケット売り上げですね。それから、歌手のバックやテレビ番組など依頼されて演奏するときの出演料が三分の一。残りの三分の一が、いわゆるスポンサード(後援のついた公演)なんです。この三つがないと、オーケストラは成立しない。

ロックと比べると対照的です。ロックバンドは五~六人でしょう。その人数でもPA(音響)で音を拡大して、二万人、三万人集めることができる。一回のツアーで十億近く稼ぐ。それに比べると効率が悪いですよね、オーケストラは。この問題は日本だけでなく、すべてのオーケストラが抱えている。音楽の本場であるドイツには、地方にもバンベルク交響楽団など非常に素晴らしいオーケストラがいっぱいある。ところが、二百近くあったのが、この十年間でかなり減っている。

最終的に僕が言いたいことは一点。クラシックが古典芸能になりつつあることへの危機感です。そうでなくするにはどうしたらいいかというと、”今日の音楽”をきちんと演奏することなのです。昔のものだけでなく、今日のもの。それをしなかったら、十年後、二十年後に何も残らない。前に養老孟司先生に尋ねたことがあります。「先生、いい音楽って何ですか」。すると、養老先生は一言で仰った。「時間がたっても残る音楽だ」と。

例えばベートーヴェンの時代、ベートーヴェンしかいなかったわけではない。何千、何万人とい作曲家がいて、ものすごい量を書いている。でも、ベートーヴェンの作品は生き残った。今の時代もすごい数の曲が書かれているけれど、未来につながるのはごくわずか。つまらないものをやると客が来なくなる。だが、やらなかったら古典芸能になってしまう。

未来につなげる努力をプログラムに取り入れなければいけないのに、その努力が足りない。年に数回、現代音楽祭という、”村社会”のコンサートのようなものはあるけれど、必要なのはそれではない。通常のプログラムの中で現代音楽を入れていかないといけない。ところが日本では圧倒的に少ない。だから、作曲家であり、指揮する自分のやり方は、必ず現代音楽をプログラムに入れて、接するチャンスを提供することです。例えば、九月二十九日に開催した「Music Future」と題するコンサートでは、ヘンリック・グレツキの「あるポーランド女性(ポルカ)のための小レクイエム」(一九九三年)や、アルヴォ・ペルトの「スンマ、弦楽四重奏のための」(一九七七/九一年)を演奏しました。

ところが、過当競争の中にある日本の指揮者は実験できないのです。多くのオーケストラが公益法人になって赤字を出すことが許されない中で、集客できる古典ばかりを演奏することになる。ベルリオーズの「幻想」が一番新しい曲になってしまう。それ以降のストラヴィンスキーなど組もうものなら集客は難しい。バルトークですら敬遠されていると聞きます。多分、今一番人気があるのはチャイコフスキーやドヴォルザークでしょう。

日本には優秀な指揮者が大勢いるから、みんな本当は新しい曲を演奏したい。でもチャンスがない。常任になると何回かは実験できるけれど、その肩書きがない限り実験はしづらい。ますます保守化する。もちろん、僕がかかわる新日本フィルハーモニー交響楽団をはじめ意欲的に組んでいる楽団はあります。だがトータルで言うと、”今日性”につなげる努力はものすごく少ない。このままだと、先細りすると心配しています。オーケストラのあり方を考えるのは、日本の音楽、文化としての音楽について考えることと一緒だと思うのです。

 

知れば知るほどおもしろくなる

-ある評論家が、日本では演奏人口は多いのに、聴く人口が育たないと問題提起していました。

久石 文化を培うのは、たしかに難しい。加えて、日本が抱えるもうひとつの問題は観客の高齢化です。どのコンサートも、平日の午後二時からがゴールデンタイムなのです。びっくりするでしょう。

-老人中心ということですね。

久石 高齢者の多くは、コンサートに知的な刺激を求めているわけではない。「きょうはモーツァルトを聴いていい一日だったね」。そういう一日のほうがありがたいわけです。だから、ますますプログラムが保守化する。たまたま僕の場合はジブリ映画の影響もあるおかげで、二十代くらいの若い世代も聴きに来てくれるので驚かれます。だけど、高齢化の問題をどうしたらいいかは、僕も簡単には言えない。ただ、アマチュアオーケストラで演奏する人がたくさんいるというのは悪くないことです。なぜなら、クラシックは知れば知るほどおもしろくなる。そのためには、演奏するのが一番いいのです。

-それが、聴く人の増加につながっていません。

久石 これは日本人が直面している結構根の深い問題かもしれない。全ての物事が即物的になっていますから。もしかしたら、アマチュアオーケストラに入っている人たちの目的が、クラシック音楽を知ることではなく、人とのつながりや経験を得ることなのかもしれない。音楽をする喜びを感じたくてオーケストラに参加するなら、聴くことにも喜びがあるし、勉強もする。これも養老先生が仰られていたことですが、今、学生に例えばニーチェについて論文を書けと言ったら、ニーチェの本ばかり二十冊ぐらい読む。本当は、ニーチェの本は一~ニ冊にしてその前後の哲学者も読まなければいけない。幅を広げて読むべきなのに、今の人は棒グラフのようにそれだけを読む、と。

もうひとつ、音楽が十分楽しまれていない背景に、現代人の脳が芸術野ではなく、論理的な方の脳で音楽を聴いている可能性があるかもしれません。つまり、コンピュータのように音楽を「情報」として「処理」している。ならばこれを逆手にとって、交響曲のような長い曲は、言葉を駆使して情報として伝える方策を考えないと普及しないかもしれない。

-何事もそうですが、おもしろさというのは、わかり易さと難しさとのバランスがあってこそ喜びがあり、先へ進むエンジンにもなるのですけれど。

久石 いずれにせよ、妙薬はない。たまたま僕は二十代まで現代音楽、誰も来ないようなコンサートをして、それからエンターテイメントに行った。映画も含めていろいろ担当してきた中で、もう一回クラシックに戻ってきたから客観的に見ているのですが、やはり一番大きな問題は垣根が高いことだと思うのです。それを壊す作業をしなければいけない。

ただ、それは夏休みに子供向けプログラムを提供すればいいとか、そういう問題ではない。日常的に垣根を壊していかなきゃいけない。昔ロンドンでは、ロンドン・シンフォニー・とアンドレ・プレヴィンがテレビでレギュラー番組を持った。あれでロンドン・シンフォニーのファンが増えた。山本直純さんの「オーケストラがやって来た」もそうでしょう。一般の人と触れ合うための、マスコミの使い方も踏まえた垣根の修正作業にもっと努めなければいけない。

僕が今一番思っているのは、「アートメント」をきちんとやろうということです。アートとエンターテインメントを組み合わせた言葉です。知的な喜びを、もっと日常にするということ。町を歩いている女の子のハンカチの模様がフランク・ステラやアンディ・ウォーホルの作品で、「これいいよね」とか言っているような感じ。それはたとえば、片方で「きのう、ゆずのコンサート行ったんだ」という女の子がいたら、隣で「私はベートーヴェンの第九に行った」という子もいて、それが普通の会話になる日常がいい。

芸術を日常にするには、数多く触れるしかない。以前イギリスで流行したのが、エデュケーションとエンターテイメントを合わせた「エデュテインメント」。それと同じです。文学でも、「夏目漱石はおもしろいじゃん」というところから入らないと、「純文学でござい」では敷居が高くて誰も近寄れない。スタンダールの『赤と黒』だって大衆小説でしょう、単純に言えば。でも、あれは純文学とされる。大衆小説と純文学の区分けっておかしいでしょう。ドストエフスキーの『罪と罰』だって、そんなに高邁な文学と呼ばなくていい。おもしろければ誰でも読むし、どんな本だって最初の二十ページは我慢しなきゃいけないわけだから(笑)。

クラシックも同じ。ベートーヴェンってまずおもしろいんですよ、本当に。あのパワーは、恐らく他の作曲家は到達し得なかったものです。金字塔ですよ。何ですごいのかと考えると、本当の意味でキャッチーなのです。ベートーヴェンが持っているのは、通俗的と言っていいほどキャッチーなものをベースに、それを徹底的に組み立てていく意志力でしょう。

大概の作曲家が言うことですが、第九はフォームがよくない。五番や七番に比べると、一、ニ、三楽章はいいけれど、四楽章はバランスが変。交響曲としての完成度で言うと、第九ってどうなの?と、僕を含めて多くの作曲家が疑問を持っていた。それはベートーヴェン自身にもあった。

でも、何回か第九を指揮しているうちに、そんなことは吹っ飛びました。あの四楽章の持っているカタルシス。まるでマリオブラザーズの一面クリア、二面クリア(笑)……という感じの、あの興奮。それから合唱が持つ圧倒的なエネルギーなどを考えていくと、やはり音楽は理屈じゃないのだと最後に気づきますよ。構成だ、論理的構造だとか言っていたことは一体何だったんだというのを最後に感じます。そのぐらい第九はすさまじい。

話は飛びますが、第九は日本人に合うのですよ。あれは演歌です。任侠映画と言ってもいい。耐えに耐えた主人公が、最後の最後で演歌のテーマが流れる中、刀を持って出かけていって、ちょうどワンコーラス終わると、敵相手にたどり着く。で、バーッと全部斬って終わるという。第九にはそのカタルシスがある。要するに、闘争から勝利、苦悩から歓喜へといった耐えた挙げ句のカタルシスです。

-「忠臣蔵」と第九が日本の年末の恒例というのがよくわかりました(笑)

久石 あ、「忠臣蔵」もそうですね(笑)。もともと日本で第九がはやった理由というのは、団員の餅代だったそうです。アマチュア合唱団を使うと、合唱団員一人一人に家族と親戚がついてくる。券を買ってくれる。それで多少のお金を稼いで団員に餅代を払って正月を迎える。それがいつの間にか定着した、と。だが、僕はそれだけではここまで定着しないと思うのです。やはり日本人の心に食い込むものがあったのでしょう。

-第九が持っている、人間の「声」という身体性とか、音楽の原点に訴えかける力でしょうか?

久石 そう思いますよ。これは民族音楽を訪ね歩いた小泉文夫さんという音楽学者が書いた『人はなぜ歌をうたうか』という本にあるのですが、スリランカの奥地で歌を歌う。音程は、高い音と低い音の二つしかないらしい。相手が一生懸命歌うと、その人よりもっと一生懸命大きい声で返す。また返す。こういうやりとりが歌うことの原点であり、小泉さんは感動したというのですね。実はベートーヴェンの方法も同じ気がするのです。きれいなメロディをどう料理して、どう展開するかみたいなことは余り考えてない。余り好きな言い方ではないけど、どの曲も、魂の叫びというか心の叫びというか、自分の考えていることと直裁的につながっている。ベートーヴェンは直裁的で非常に闘争的な男だから、抑圧からの解放が基本にある。

音楽史をたどると、ベートーヴェンの時代は古典派の終わりに当たります。ということは、ベートーヴェンの時代には、物語的(後の交響詩)なものがいっぱいできている。ウェーバーをはじめ、みんなつくっている。そこで音楽に初めて文学が重要になるわけです。それ以前は、純粋にフォームのある音楽を書いてきた。ソナタ形式とか。でも、もうこれ以上やってもベートーヴェンに勝てないとなった瞬間以降は、音楽に文学の要素が入ってくる。ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」のように、向こうから来てあっちに去っていったり、シュトラウスの「アルプス交響曲」のように、夜が明けて嵐が来てみたいなアルプスの一日の情景描写など、構成に文学的な要素が入ってくるのです。この辺りから音楽のあり方が変わった。

これを論じたのが、Th・W・アドルノの『新音楽の哲学』という本で、これは読みづらいけれど読んでおいたほうがいい本です。ストラヴィンスキーとシェーンベルクを論じている本ですが、そこでの警鐘は、二十世紀における芸術音楽のあり方の問題です。要するに、商業化した音楽が主流になる今日の状況でそれが可能なのか? を論じている本ですが、現在はもっと深刻な状況だと僕は思っている。

音楽が抱えている問題は本当に大きい。だからそこで自分は何をするのか、ずっと考えています。

 

おもしろいとは、チャレンジすること

-久石さんがやってこられた映画音楽についてはどうお考えですか?

久石 過去には興味がないんだよね。それは昔の僕が書いた曲であって、今の僕と違うと思うから。

-でも、多くの人が多大な影響を受けたことは疑う余地がないと思います。

久石 もしそういう結果が出ているのだとしたら、本当に幸せなことだと思います。だって、もともと映画のためにつくってきていたわけだから、そういう結果を望んでつくったわけではない。そういう音楽ができたことはすごくうれしいけれど、自分から狙ってつくったことは一度もない。

もちろん、それはもう全身全霊でつくってきました、どの曲もね。ただ、これは作家の性で、「代表作は次だ」という意識は絶えずあるんだよね。過去のものを褒められると照れくさいし、あのときはあのときで一生懸命つくったよという気持ちでいるしかないんですよ(笑)。

ひとつ、わかっていることがあるのです。絶えずチャレンジし続けていないと観客はついてこない。僕のところに来てくれている人たちも、みんなそうです。一回でも気を抜いたコンサートをすると、離れるでしょう。最初の聴衆は自分。自分がおもしろいと思っていないものをやっても、誰にも伝わらない。おもしろいとは、チャレンジすることです。チャレンジすると、観客が一緒に育って、一緒に聴いてくれる。逆に、僕が前と同じことをしているような姿勢を見せた瞬間、観客は見事に離れます。

-怖いですね。

久石 観客って正直ですよ。この夏と秋の二つのコンサート。「World Dream Orchestra」の方は僕の映画音楽中心。すると、二ヵ所四千枚のチケットが発売後五分で完売。一方、現代の音楽を組んだ「Music Future」の方は五百枚が二ヵ月すぎても売り切れませんでした。露骨でしょう。自分がやりたい方が全然売れない(笑)。でも、僕はすごくうれしい。つまり、観客は、僕がやったら何でもオッケーじゃないんですよ。どういう内容か見て、知らないと思ったら引く。ならば、今後我々が取り組まなくちゃいけないのは、これをおもしろいと思う人間を増やしていくこと。急激にやりがいを感じて、これは来年もやるぞ、と思っています。

-「Music Future」では、世界初演の久石作品「Escher」を演奏されました。

久石 これはもう大変だった。弦楽四重奏なんだけど、メンバーに「弾けない」と言われて。「すみません」と言いながら演奏したけれど、楽しかった。僕は作曲家だから、こういう自分のやるべきことを今後もしていくけれども、オーケストラも同じだと思うのです。お客さんは実は知識で聴いていない。頭で聴くのではなくて、「何かわけがわからなかったけどおもしろかった」「今日のは、つまらなかった」と、考え方はこの二種類しかないと思うのです。その段階では、アルヴォ・ペルトであれ、グレツキであれ演奏していいと思う。何だかすごい不協和音だったけど、打楽器をいっぱい使っていておもしろかったとか、そういう感覚は残るでしょう。だから、そういうきちんとしたおもしろいものを提供していけば、今日の音楽を演奏するのは全然マイナスではない。それがアートメントです。でも実際は大変です。たとえば「World Dream Orchestra」で演奏したペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」。演奏も大変。図形楽譜(五線譜でなく図形などで書かれた楽譜)だから。それをバッハの「G線上のアリア」と並べて演奏する。

-二つのギャップがすごいですね。

久石 それを狙ったというか、その化学反応をみたかったんです。ところで、この「広島の犠牲者に捧げる哀歌」に、未来につながるヒントがあると思っています。「超不協和音でおもしろいから聞いてよ」。僕がこう説明すると「そうですね」と言って、百人中九十五人は来ない。でも、「実はこのタイトルは後づけなんだよ。佐村河内と一緒」と言うと、これで二十人ぐらい来る(笑)。さらに、「実はこれは『哀歌 八分二十六秒』ってタイトルだったんだ」と加える。「エレジーという感情的な部分と頭で考える即物的な八分二十六秒がぶつかり合っている曲で、後で松下眞一さんという日本人作曲家の勧めで、日本公演のために『広島の犠牲者に捧げる哀歌』というタイトルをつけたんだ」。そして、こう締めくくる。「ペンデレツキはユダヤ人だから、広島、長崎、そしてアウシュビッツが結びついた。それで、このタイトルでいいと思ったんじゃないか」。これで大体六十人ぐらいが「あ、聴いてもいいわ。一回は」と思う。

-村上春樹さんの小説の中に出てくる音楽を聴きたくなるのと共通していますね。

久石 そう。潜在的にみんな聴きたいんですよ。だけど、どこから入っていいかわからない。だから僕は言葉の力を借りても、まず聴いてもらいたいと思いますね。

(雑誌「考える人 2014年秋号」 新潮社 より)

 

考える人 久石譲

 

Blog. 「クラシック プレミアム 21 ~オペラの時代2 序曲・間奏曲集~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2014/10/20

「クラシックプレミアム」第21巻は、オペラの時代2 序曲・間奏曲集 です。

第16巻にて、オペラの時代1 アリア集 が特集されています。アリア集が声に焦点をあてたものであったのに対して、今号ではオーケストラに的を絞り、序曲・間奏曲・前奏曲やバレエ音楽まで、華やかでオペラを盛りたてる絶品のオーケストラ音楽が収録されています。

 

【収録曲】
ロッシーニ:《セビリャの理髪師》 序曲
クラウディオ・アバド指揮
ヨーロッパ室内管弦楽団

ヴェルディ:《椿姫》 第1幕への前奏曲
カルロス・クライバー指揮
バイエルン国立管弦楽団

ヴェルディ:《アイーダ》 第2幕「凱旋の場」より 〈凱旋行進曲と大合唱およびバレエ音楽〉
ニコライ・ギャウロフ(バス)
クラウディオ・アバド指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

プッチーニ:《マノン・レスコー》 第3幕間奏曲
マスカーニ:《カヴァレリア・ルスティカーナ》 間奏曲
レオンカヴァッロ:《道化師》 間奏曲
マスネ:《タイス》より 〈瞑想曲〉
オッフェンバック:《ホフマン物語》より 〈舟唄〉 編曲:マニュエル・ロザンタル
ポンキエッリ:《ジョコンダ》より 〈時の踊り〉
ヴォルフ=フェラーリ:《マドンナの宝石》 第3幕間奏曲
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

グリンカ:《ルスランとリュドミラ》 序曲
ミハイル・プレトニョフ指揮
ロシア・ナショナル管弦楽団

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第21回は、
視覚と聴覚のズレはどうして起こるのか?

前号からの話つづきになっています。
一部抜粋してご紹介します。

 

「視覚と聴覚から入る情報にはズレが生じる。では何でそういうことが起こるのか?本来映像は光だから音より速い。だとすると映像のほうが先に飛び込んで来るから、音楽を逆に先行させなければ映像にぴったり合うことはない。ところが現実は逆である。」

「そのことに関して養老孟司先生は「おそらくシナプスの数です。意識がどういう形で発生するかわかりませんけど、自分がこういうことを見ているというのと、聞こえてくるのと、脳の神経細胞が伝達して意識が発生するまでの時間が、視覚系と聴覚系とでは違う。だからズレているわけです」と僕との対談本『耳で考える』で語っている。」

「いつも気になることがある。テレビやDVDでクラシックのコンサートを観るとき、特に速いテンポのときなど指揮者の打点とオーケストラの音の出るタイミングが微妙に違うのだ。「まだ点に行き着いてないそこで音は出ないよ」といつも変な感じがするのは音が早く出過ぎているためだ。現場では音声と映像がタイムコードでしっかりシンクロしているはずだが、結果として音が早く感じる。そんなに多くはないが、僕もコンサートのDVDを作るとき、このことが気になってすべてのシーンのタイミングを合わせるために何度も徹夜したことがある。また普通に映画を観ているときでもセリフと映像のタイミング(リップシンク)のズレがとても気になる。このことも視覚と聴覚のズレが関係しているのだろうか?もっとも音声を録る機材と映像を撮る機材の(特にケーブル)問題やそれを家庭で再生するときの装置の問題でズレる場合もある。ブラウン管より液晶のほうが圧倒的に映像は遅れる。僕の家の4Kテレビでは……これは気にならない。何故なら見ている番組のほとんどがアメリカのテレビドラマだから、字幕を見るのに忙しくリップシンクにまで眼が行かない(笑)。まあ普通は気にしないだろうな、こんなこと。」

 

 

その他、ふと耳にした音楽から過去を思い出して胸を熱くすることはあっても、逆に昔の懐かしい場面を思い浮かべて、それから音楽を思い浮かべる人はそういうない、など、なるほどそう言われればそうかもな、と日常生活に置き換えて納得することも多く。

視覚(映像)と聴覚(音楽)のズレ。とても精通している専門家じゃないと気にならないような、視覚と聴覚のズレのようにも思いますが、なるほどそういう感覚なのかと思います。いざコンサートDVDを制作しようとしたときに、こういった点でも水面下の調整、苦労があるとは知りませんでした。

ただ単にLive コンサートで録画したものを編集したらいいわけではないんですね。何十本にも及ぶ録音用マイクで音はバランス調整しているのはわかりますが、映像も十数台のカメラワーク、カット割りの編集のみならず、総合的に視覚(映像)と聴覚(音楽)のズレの微調整まで。

なかなか久石譲コンサートがDVD化されないのは、こういった作曲者・指揮者の繊細な感覚と、やるなら!というこだわりからでしょうか。それでも映像作品として残してほしいことに変わりはないのですが。コンサートはLive感、その臨場感を楽しむものですから。

武道館DVDはこのズレどうなっているんだろう?など、またいろいろと気が散漫してしまいます。いつかゆっくりチェックしてみます。いや、素人よろしく楽しく鑑賞するのが一番いいのかもしれませんね。

 

クラシックプレミアム21 オペラの時代2

 

Blog. 久石譲 「天空の城ラピュタ」 レコーディング スタジオメモ

Posted on 2014/10/18

1986年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『天空の城ラピュタ』

2014年7月16日「スタジオジブリ 宮崎駿&久石譲 サントラBOX」が発売されました。『風の谷のナウシカ』から2013年公開の『風立ちぬ』まで。久石譲が手掛けた宮崎駿監督映画のサウンドトラック12作品の豪華BOXセット。スタジオジブリ作品サウンドトラックCD12枚+特典CD1枚という内容です。

 

さらに詳しく紹介しますと、楽しみにしていたのが、

<ジャケット>
「風の谷ナウシカ」「天空城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」は発売当時のLPジャケットを縮小し、内封物まで完全再現した紙ジャケット仕様。

<特典CD「魔女の宅急便ミニ・ドラマCD」>
1989年徳間書店刊「月刊アニメージュ」の付録として作られた貴重な音源。

<ブックレット>
徳間書店から発売されている各作品の「ロマンアルバム」より久石譲インタビューと、宮崎駿作品CDカタログを掲載。

 

そして『天空の城ラピュタ サウンドトラック 飛行石の謎』もLPジャケット復刻、ライナー付き。

さらには、
●ジャケット特典/パズーとシータの複製セル画付き!

往年のジブリファン、そして久石譲ファンにはたまらない内容になっています。

 

 

そして貴重なライナーは、サントラ制作のレコーディング録音 スタジオメモです。

 

●6月20日(金)オールラッシュフィルム(セリフや音楽のない状態で編集されたフィルム)がほぼ完成。小雨が降り続く、深夜の東京・吉祥寺東映に関係スタッフを集めて映写された。映像のクオリティの高さに、一同息をのむ。

●6月23日(月)『ラピュタ』の制作をしている、スタジオジブリの近くにある喫茶店でBGMの本格的な打ちあわせ。3月に制作したイメージアルバム『空から降ってきた少女』をもとに、監督の宮崎駿さん、プロデューサーの高畑勲さん、音楽の久石譲さんが互いに意見を出し合って決めていく。1曲目からたちまち熱のこもった議論に。シータが捕らわれている飛行船に、海賊たちのフラップターが急襲するシーンに、音楽をつけるのかどうか、それはどんな曲か。熱論2時間、結局この曲は最後にもう一度話し合うことになった。午後4時から場所をジブリ第2スタジオ(実は仮眠室)に移して、深夜まで打ちあわせが行われた。

●6月24日(火)久石さんのワンダーステーション(スタジオ)にてレコーディング開始。「今回は徹底して絵の動きと音楽の流れを合わせることにこだわりたい」と久石さん。ラッシュフィルムのビデオをもとに、絵の動きのポイントの秒数を正確にチェック。『フェアライトIII』というスーパーシンセサイザーにデータを入れて、ベースとなるリズム体を作っていく。タイガーモス号の見張台にいるパズーとシータの曲からスタート。

●7月2日(水)連日徹夜の日が続く。海賊たちとスラッグ渓谷の親方との力くらべのシーンの曲を録る。絵のユーモラスな動きと完全に一致した曲に。楽しいシーンになりそう。

●7月7日(月)作品の最後に流れるテーマ曲『君をのせて』のボーカル録り。イメージアルバムの曲『シータとパズー』のメロディを生かした曲。作詩も宮崎さんとあって、作品にぴったり合ったテーマ曲に。井上杏美の澄んだ声がスタジオに響く。

●7月8日(火)日活スタジオでオーケストラ部分の録り。録るシーンごとに絵をスクリーンに映し、見て感じをつかんでもらってから、レコーディング開始。日活スタジオはじまって以来という総勢50名近くの大編成オーケストラの響きはさすが!

●7月10日(水)クライマックスで使用される児童合唱を録る。『ナウシカ』では4歳の女の子の歌った曲が話題になったが、今回は、杉並児童合唱団の30人の女の子を起用。3声にアレンジされた『シータとパズー』のメロディを歌う。

●7月12日(土)それぞれに録った音をひとつにまとめ上げる作業、トラックダウンを行う。最後まで課題として残っていた、作品の冒頭、フラップターの急襲シーンの曲を入れることに決定。あとはセリフや効果音とのダビング作業を待つばかりとなる。公開まであと1ヵ月弱、『ラピュタ』は4チャンネルドルビーサウンドで公開される。迫力あるラピュタサウンドが楽しめるはずだ。

●『ナウシカ』のサントラ盤を出した時、もう一度『ナウシカ』に、宮崎駿さんに会いたいと書いた。そして今、こうして『ラピュタ』のサントラをお届けできることを大変うれしく思う。あれから2年、自然と人間の調和の中に人間の未来を指し示した『ナウシカ』の叫びが起こした、様々な反響とは裏腹に世相はますます荒れすさんでいくように思える。「おとなから子どもまで、けなげにも非人間的なデジタル的なものにむりやり適応しようと涙ぐましい努力をしている現在、あらゆる面でアナログ的なものこそ人間的であると信じ、徹底してその復権を作品世界の中でめざす熱血漢・宮崎駿の、これは現代人全体への友愛の物語」(企画書の高畑さんの文章より)。という、『ラピュタ』のコンセプトは、このアルバムにも生かされている。そのサウンドに心安らぎ、胸ときめかせてほしい。 (渡辺)

(「天空の城ラピュタ サウンドトラック 飛行石の謎」 LP(復刻) ライナー より)

 

 

Related page

 

天空の城ラピュタ LP 復刻

 

Blog. 久石譲 「長野市芸術館 広報準備号 vol.2」 インタビュー

Posted on 2014/10/15

2015年開館予定の長野市芸術館。その芸術監督に就任した久石譲のインタビューです。10月12日に開催された「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団」コンサート前のメッセージとなります。

このインタビュー内容をふまえて、コンサートレポートもお楽しみください。

こちら ⇒ Blog. 「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団」(長野) コンサート・レポート

 

 

久石譲が考える長野市芸術館のすがた

芸術監督に就任して初めての舞台を前に、東京の事務所にて、開館プレイベント「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団」公演によせる想いと、芸術館の未来について語っていただきました。

■ いま、やるにふさわしいものを。

-芸術監督に就任して初の長野でのコンサート。どんな想いで臨まれますか?

久石 長野で音楽を、とりわけクラシックを聴ける環境をたくさん作っていくことが僕の使命なので、今回のプログラムは僕がやりたいものをきっちりと選んだ。かなりおもしろいコンサートになると思っています。

-「風立ちぬ」第2組曲は、映画で使われた音楽がベースになっているのですか?

久石 そうですね。ただ映画では使われなかった曲もずいぶん入っていて、映画とはまったく別の、その時に書いた素材をもとに新たにオーケストラのための組曲として作り直したものです。初演は今年の5月に台湾。夏に東京でやって、長野は3回目ということになります。

-ベートーヴェンは久石さんにとってどのような存在?

久石 最高の作曲家です。彼の作品は非常に明快なロジックとエモーショナルな部分をあわせもっている。そしてキャッチーでわかりやすい。交響曲第5番や第7番とかは本人の中でも整理されているんだけど、この3番あたりはまだちょっと思いついちゃったから書いちゃった、みたいなところがあって。当時もっている勢いみたいなものが最も表れているし、各楽章のテーマがすごくハッキリしているからね。芸術監督になって最初に選ぶ曲は何がいいかずっと悩んでいたけど、『英雄』がふさわしいと思った。

■芸術監督として僕がやるべきこと

-今後のポイントを教えてください。

久石 とにかく良いプログラムを作ること。方針をもって5年10年の長いスパンで定着していくことをやっていくことですね。生活のなかでコンサートに行くことが日常になってほしい。ふだん聴く音楽のひとつにクラシックがきちんとあってほしい。そのためにも良いものを数多くやって、みなさんの生活のなかで芸術館が中心にあるようになったら、一番良いことですよね。

(長野市芸術館 広報誌準備号 vol.2 より)

 

 

なお、長野市芸術館のFacebookページでは、今回のコンサートのリハーサルから本番の様子まで紹介されています。公演前のコンサートプログラム冊子の作成過程なども。2015年の開館に向けて、いろいろなニュースやリポートも詳細に紹介していく予定になっているそうです。

公式Facebook 》 長野市芸術館 Facebook

長野市芸術館Facebook

 

 

2014年11月には、長野市芸術館 公式ウェブサイトもオープン予定とのことです。公式ウェブサイト 公式Facebookページふくめて、久石譲の最新情報もHOTに更新されるかもしれませんので、随時チェックですね。

「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団」長野公演本番写真を、公式Facebookページより1枚お借りしています。

 

久石譲 ホクト文化ホール コンサート

 

Blog. 「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団」(長野) コンサート・レポート

Posted on 2014/10/15

長野市芸術館 開館プレイベントとして開催された「久石譲&新日本フィルハーモニー交響楽団」 コンサート。

長野市では2015年の完成に向け、新たな文化芸術の拠点となる「長野市芸術館」の整備を進めています。それに伴い、長野市芸術館の運営の中心を担う一般財団法人長野市文化芸術復興財団が発足しました。この財団では、芸術監督・久石譲氏の監修のもと、豊かな文化に支えられた〈文化力あふれるまち 長野市〉をめざします。また、さまざまな文化芸術が身近に感じられるような機会を提供できるよう、開館に向けて準備を進めています。

(コンサートパンフレットより)

 

 

まずはセットリストから。

 

久石譲 × 新日本フィルハーモニー交響楽団

[公演期間]
2014/10/12

[公演回数]
1公演(長野・ホクト文化ホール)

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
バラライカ/マンドリン:青山忠
バヤン/アコーディオン:水野弘文
ギター:千代正行

[曲目]
<第一部>
久石譲:弦楽オーケストラのための「螺旋」
久石譲:バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲

—アンコール—
Summer

<第二部>
ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55

—アンコール—
Kiki’s Delivery Service for Orchestra

 

 

当初予定されていたプログラムから一部変更になり、上記の演奏プログラムとなっています。

 

曲目ごとに。

  • 久石譲:弦楽オーケストラのための「螺旋」

2010年コンサート「久石譲 Classics Vol.2」にて世界初演されて以来、2011年コンサート「久石譲 Classics Vol.4」で二度目の演奏後、幻の曲として沈黙を守ってきた楽曲、14分に及ぶ大作です。

当初プログラムでは「ピアノと弦楽オーケストラのための新作」もしくは「螺旋」の披露予定、どちらを演奏されたにせよ貴重なプログラムだっただけに、これはレアな演目となりました。どういう曲か? は後述の久石譲本人による解説をご参考ください。

 

  • バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲

2014年のコンサート活動を象徴する楽曲です。曲詳細については過去コンサートレビューや、新作CD「WORKS IV」にて紹介しています。

 

  • Summer

第1部のアンコールとして。久石譲の代名詞的な名曲「Summer」をピアノ&オーケストラとの共演で。CD「メロディフォニー」が基調となるシンフォニー・バージョン。

 

  • 交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55

長野市芸術館のコンセプトにもあるように、さまざまな文化芸術が身近に感じてもらえるべく、久石譲作品以外から選曲されたベートーヴェンの「英雄」。第9、第5番「運命」が一般的にはポピュラーですが、「英雄」も引けをとりません。長野市芸術館の開館を前にプレイベントの演目として選ばれているだけに、「新しいなにかが始まる」、幕開け、ファンファーレのような意味合いだったかどうかは、定かではありませんが、そんな気もしています。

 

  • Kiki’s Delivery Service for Orchestra

こちらも新作「WORKS IV」に収録された、2014年今一番ホットな楽曲です。

 

 

Program Notes

久石譲:弦楽オーケストラのための「螺旋」

弦楽オーケストラのための「螺旋」は、2010年2月16日に行ったコンサート《久石譲 Classics Vol.2》のために書いた作品である。作曲は、2010年1月20日より2週間という短い期間で一気に書き上げ、その後直しを含めて時間の許す限り手を加えた。ミニマル・ミュージックの作家としてコンテンポラリーな作品を書きたいという思いが強かったのかもしれない。

曲は、8つの旋法的音列(セリー)と4つのドミナント和音の対比が全体を通して繰り返し現れる。もちろんミニマル・ミュージックの方法論で作曲したが、その素材として上記の12音的なセリーを導入しているため結果として不協和音が全体の響きを支配している。

心がけたことは、感性に頼らず決めたシステムに即して音を選んでいくことだった。もちろんそのシステムを構築する土台は(それが良いと決めたこと自体)個人的な感性である。

曲の構成は日本の序・破・急(※)の形をとり、第1部は遅めのテンポの中で様々なリズムが交差し、第2部では同じセリーのスケルツォ的躍動感を表現している。第3部の前には、もう一度基本セリーによる静かな神秘的な部分があり、その後、急としての激しい空間のうねりが展開される。

曲のタイトルとして Spiral という言葉を最初考えていたが、この急の部分を作曲したときに「螺旋」という日本語が最もふさわしいと確信した。

(※)序・破・急 = 音楽・舞踊などの形式上の三区分。序と破と急と。舞楽から出て、能その他の芸術にも用いる。

(2011年9月7日《久石譲 Classics Vol.4》 曲目解説より一部補筆し転用)

– コンサートパンフレットより –

 

 

この久石譲本人による楽曲解説を見ても、ハテナが頭に浮かぶだけですが、キーワードとしては「ミニマル」「空間のうねり」「序・破・急」、すなわち《螺旋》です。

”不協和音が全体の響きを支配している”とありますが、とはいえミニマル・ミュージック特有のリズムがそこにはあり、躍動感と神秘性をかねそなえた弦の響きがまさにスパイラルしている楽曲。

コンサートで聴いても、その渦を巻いた弦楽オーケストラの響きに圧倒されます。今回3度目の貴重なお披露目となったわけですが、久石譲の現代音楽作品として後世に残るべき重要な作品だと思います。ぜひこれからのコンサートや、またCD作品としても聴きたい大作です。

 

余談。当初予定されていた「ピアノと弦楽オーケストラのための新作」。こちらもいつか聴ける日が来ることを切望していることは、言うまでもありません。

 

長野芸術館の芸術監督を務める久石譲は、「日常の中に音楽が入ってくるための魅力的なプログラムをつくりたい」「出身県でもあり、自分の年齢も考え、少しは世の中に貢献しようと思った」「善光寺での野外コンサートを含んだコンサート週間を柱にし、長野だけでなく全国に発信したい」、自身も毎年コンサートを開催していきたいと語っていて、2015年の開館イベントやその以降、長野から発信される久石譲音楽に期待です。

 

2014年、いろいろな企画・編成・形式でのコンサート活動が行われてきましたが、その最後を飾るファイナルは、「久石譲 ジルベスターコンサート 2014 in festival hall」です。12月31日大晦日のこの日、久石譲の2014年集大成、総決算です。と同時に2015年の何かを予感させてくれるコンサートとなるのでしょうか。

 

久石譲コンサートの歴史はひとつひとつと刻まれています。
こちら ⇒ 久石譲 Concert 2010-

 

 

最後に、今コンサート終演後のメディア情報より。

指揮者久石さん躍動 長野市芸術館開館プレイベント

建設中の長野市芸術館(新市民会館)の開館記念プレイベントとして同館芸術監督の作曲家久石譲さん(63)=中野市出身=が指揮する新日本フィルハーモニー交響楽団(東京)の特別公演が12日、長野市若里のホクト文化ホール(県民文化会館)であった。久石さんの県内公演は4年半ぶり。オーケストラの重厚な演奏が、大ホールを埋めた幅広い世代の約2200人を魅了した。

約2時間の公演で、ともに久石さん作の「弦楽オーケストラのための『螺旋(らせん)』」、昨夏公開の宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」の曲を再構成した組曲のほか、ベートーベンの交響曲第3番「英雄」を演奏。久石さんは全身を躍動させて力強い指揮を披露した。「風立ちぬ」では、指揮の合間にピアノを弾く場面もあった。曲が終わるごとに笑顔で両手を広げ、聴衆の拍手に応えた。

久石さんは公演後、「話ができないほど精いっぱい出し切り、お客さんの反応もすごく良かったので、やってよかったなあと思う」と話した。

(信濃毎日新聞[信毎日web] より一部抜粋 )

 

久石譲 2014長野 コンサートレポート

 

Blog. 久石譲 「天空の城ラピュタ」 インタビュー ロマンアルバムより

Posted on 2014/10/12

1986年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『天空の城ラピュタ』

映画公開と同年に発売された「ロマンアルバム」です。インタビュー集イメージスケッチなど、映画をより深く読み解くためのジブリ公式ガイドブックです。

今では復刻版としても登場していますし、さらに新しい解説も織り交ぜた「ジブリの教科書」シリーズとしても刊行されています。

今回はその原本ともいえる「ロマンアルバム」より、もちろん1986年制作当時の音楽:久石譲の貴重なインタビューです。

 

 

「こんなに密度の濃い音楽打ちあわせは初めてです」

-まず「ラピュタ」の音楽を書くにあたっての、基本的な考え方がどういうものだったのか、聞かせてください。

久石:
「基本コンセプトとしては、やはり映画のイメージというものを基礎にして、愛と夢と冒険の感じられる音楽にしようということでした。具体的にいうと、メロディをキチッと聞かせるものにしよう、それも、子どもたちが聞いて、心があたたかくなるようなものにしよう、というのが基本的な考え方ですね」

-でも、それは意外に難しいことですね。

久石:
「そうなんです。明るくて、しかも胸にジーンとくるような良さを持った曲というのは、なかなか作れませんからね。しかし、今回はそれにどうしても挑まなければならなかったと思います。それと、音とイメージは、あくまでもアコースティックにいこうと、はじめから考えました。『アリオン』の場合は、音のサンプルの数がひじょうに多かったわけで、この『ラピュタ』ではむしろシンプルなアコースティックの音が中心になっています」

-実際に音を聴きますと、かなり大編成のような感じがしますが。

久石:
「ええ。オーケストラは五十人編成でした。これは日本映画の場合、最も大きい編成といえると思いますね。なにしろ録音スタジオに入りきらないぐらいの人数でしたから。それと、シンセサイザーは、フェアライトのIIとIIIという最新型を使用しています。だから、予算的にも、通常の三倍ぐらいかかっていますね」

-今回も「ナウシカ」の場合と同じように、プロデューサーの高畑勲さんと、だいぶ綿密な打ちあわせをなさったようですね。

久石:
「いや、それほどでもなかったと思います。高畑さんとは前回の『ナウシカ』のときの経験がありますから、むしろかなりラフにやっていたと思います。

ただ密度そのものはかなり濃いんです。というのは、実際に映画用の音楽を書くまえに、イメージアルバム(『空から降ってきた少女』)を作っているでしょう。だから、高畑さんの頭にも、ぼくの頭にも、そのイメージアルバムのメロディが鳴っているわけです。たとえばこのシーンではあのテーマ、あのシーンには別のテーマ、というように、きわめて具体性があるんですね。おたがいにそのメロディを鳴らしながら、打ちあわせをしていくわけです。たぶんこんなことは、他の誰もやっていないでしょう。それだけレベルの高い打ちあわせなわけです。だから『ラピュタ』の音楽は、いわば二段階をへて書かれていったわけですね」

-実際の作業は、やはりラッシュ・フィルムのビデオを観ながら進めるわけですか。

久石:
「そうですね。技術的にいうと、音楽を絵にあわせていくのは、コンピューターが発達していますから、0(ゼロ)コンマ何秒というところまで、ピッタリあわせることが可能なんです。だから僕のほうとしては、コンマ何秒単位であわせていき、それを高畑さんと宮崎さんに検討してもらうということでした。

じつは高畑さんも、ここまで音楽の方がピッタリあうことは期待していなかったみたいですね。それと、テレビアニメじゃないので三十秒、四十秒といった短い音楽はつけていないんです。やはり映画は、三分、四分という長さを持った音楽でないと、全体に堂々とした感じになりません」

-今回意外に思ったのは、パズーが早朝小屋の上でトランペットを吹いたときのメロディなんですね。あの、ルネサンス期の音楽のような明るさを持ったメロディというのは、いままでの久石さんのメロディ・ラインになかったものですね。

久石:
「たしかにそうかもしれません。でも、ぼくにとっては身近な音楽なんです。というのは、大学のときに、バロック・アンサンブルの指揮をやっていたことがあったからなんです。それ以降なぜかエスニックな音楽の方へ行ってしまったので、意外と思われるかもしれないけれど、むしろそっちの方がぼくの原点に近いんですよね。

また、ぼくのメロディ・ラインは、スコットランドやアイルランドの民謡のような感じに近いんです。だから『ラピュタ』は、かなりぼくのもともとの持っている音楽に近いところでやれた作品なんです」

-映画のために作った音楽のなかで苦労した曲、あるいは、大変だったシーンなどはありますか。

久石:
「全体にスムーズに行ったんですが、難しいのが一曲だけありましてね。M-37というやつなんですが。パズーとシータが”天空の城”についたあと、気がついて、城の内部へ入っていき、その内部の様子や大樹をあおぎ見て、お墓の前に立つ、というシーンのための音楽なんです。これは解釈がすこしちがっていましたね。ぼくは、大樹やお墓というところから、壮大なそして神秘的な感じの曲を作ってしまったんですが、あそこはむしろ、マイナーでハートにしみいるような曲のほうがよかったんです。もの悲しさが必要だったんですね。

なぜそうなったかというと、ラッシュのビデオのなかに、色のついていない未完成の部分があって、それがだいじなカットだったわけですが、それをつかめていなかったんですね。この部分が唯一難しかったところといえますね。」

-今回は4ch・ドルビーというシステムだったんですが、その点については?

久石:
「高畑さん、宮崎さんをふくめて、ダビングのときにびっくりしましてね。映画はぜったい4chにしなきゃいけないと思いますね。音質とかダイナミック・レンジなんかでも、モノラルとは格段の差があって、この作品を4chとモノラルの両方で見たら別物に見えるぐらいのちがいがあるはずです。こういう作品こそ、ぜったいに4ch・ドルビーであるべきだと思いました。音楽の世界ではあたりまえのことなんですが、映画は音の点ではまだ遅れてますね。」

とにかく、アニメーションで『ラピュタ』以上の音楽は当分書けないでしょうね。そのぐらいの自信作です」

(天空の城ラピュタ ロマンアルバムより)

 

 

スタジオジブリがその手法を築き上げたといってもいい、ひとつの映画に対する音楽のイメージアルバムからサウンドトラックへという流れ。そして当時の映画ならびに映画音楽の位置づけや技術的な環境も垣間見れる貴重なインタビュー内容です。

初期のジブリ作品、とりわけ『ラピュタ』や『トトロ』などでは、生き生きとした映像にあわせて、コンマ何秒まで絵と音楽がシンクロした、躍動感あり、そしてコミカルでもある、音楽が多くつけられています。

『ラピュタ』でいうと、ドーラ一族と鉱夫たちの愉快なケンカシーンでも、そしてあの名場面パズーがシータを救出するシーンでも。M-37のインタビューのくだりは、興味深かったですね。おそらくサウンドトラック収録の「月光の雲海」がそうなのでしょうか。メインテーマが印象的に使用されている、記憶に残る1曲です。

そして、最後のインタビューコメントをいい意味で覆すようですが、この後も『ラピュタ』に並ぶ、『ラピュタ』を超える?!、数々の名曲たちが生まれていきます。

 

 

「ジブリの教科書 2 天空の城ラピュタ」(2013刊)にもオリジナル再収録されています。

ジブリの教科書 2 天空の城ラピュタ

 

 

Related page:

 

天空の城ラピュタ ロマンアルバム

天空の城ラピュタ GUIDE BOOK 復刻版

 

Blog. 久石譲 「風の谷のナウシカ」 レコーディング スタジオメモ

Posted on 2014/10/10

1984年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『風の谷のナウシカ』

宮崎駿と久石譲の記念すべき第1作にして名作です。

2014年7月16日「スタジオジブリ 宮崎駿&久石譲 サントラBOX」が発売されました。『風の谷のナウシカ』から2013年公開の『風立ちぬ』まで。久石譲が手掛けた宮崎駿監督映画のサウンドトラック12作品の豪華BOXセット。スタジオジブリ作品サウンドトラックCD12枚+特典CD1枚という内容です。

 

さらに詳しく紹介しますと、楽しみにしていたのが、

<ジャケット>
「風の谷ナウシカ」「天空城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」は発売当時のLPジャケットを縮小し、内封物まで完全再現した紙ジャケット仕様。

<特典CD「魔女の宅急便ミニ・ドラマCD」>
1989年徳間書店刊「月刊アニメージュ」の付録として作られた貴重な音源。

<ブックレット>
徳間書店から発売されている各作品の「ロマンアルバム」より久石譲インタビューと、宮崎駿作品CDカタログを掲載。

 

 

そして『風の谷のナウシカ サントラ盤 はるかな地へ…』もLPジャケット復刻、ライナー付き。さらには、楽譜付き!

  • シンフォニー版「遠い日々」より、「鳥の人」のメロディー部分 久石譲自筆スコア
  • サウンドトラックに使用された「風の伝説」(メインテーマ)、「ナウシカのテーマ」、「鳥の人」の主題メロ譜

往年のジブリファン、そして久石譲ファンにはたまらない内容になっています。

 

 

このサントラ制作に使用された楽器も掲載されています。

フェアライトCMI・プロフェット5・ヤマハDX7・ローランドSH・ハモンドオルガン
ヤマハグランドピアノ・サウンドドラムマシン・ローランドTR・ローランドMC ほか

ほかにも掲載楽器あったのですが、いかんせん字が小さすぎてメガネをかけても厳しい粒でした。

 

 

そして貴重なライナーは、サントラ制作のレコーディング録音 スタジオメモです。

 

●2月7日、TAMCOスタジオ入り。17日間、全60曲以上にのぼるサントラのレコーディングの始まりだ。映画公開は3月11日だからギリギリのスケジュール。ディレクターの荒川さんの顔もヒキつろうというもの。

●すでに監督の宮崎駿さん、プロデューサーの高畑勲さんとの打ちあわせは終了。基本コンセプトは、前作のイメージアルバム「鳥の人…」でいこうと決定している。このレコードに付属している楽譜をはじめとする、いくつかの主題を、シーンごとに割りふっていく。

●作業はビデオになったラッシュフィルムを観ながら行なわれる。まず曲を入れるシーンの長さをはかり、曲の秒数を決定。これをMC-4というコンピューターに入力すると、秒数にあわせて、「キッコッコッ、カッコッコッ」というリズムガイドが打ち出される。これに合わせて、シーンのイメージを曲にしていくという手順。久石さんの演奏が24チャンネルのマルチレコーダーによって、ひとつずつ重ねられていく。仕上がったところで、ビデオを再生しながら曲のチェック、スタッフどうしで意見を出し、手なおしを加えて完成。

●「たとえ、ラッシュフィルムでも、画面があると、曲作りにすごくプラスになるね」と久石さん。アニメに限らず、現在のサントラの曲づくりでは、画面なしで、シナリオと秒数だけで作曲してしまうケースが多い。ラッシュフィルムのおかげで、メーヴェの飛翔にあわせて曲想を換えていくといった、きめ細かい作業を行うことができた。

●B面の「王蟲との交流」「ナウシカ・レクイエム」に聞かれる女の子の声は、久石さんのお嬢さん、麻衣ちゃん(4歳)。幼年時代のナウシカと王蟲との交流あたたかく表現しようというわけ。電子楽器を中心とした、とかく無機質になりがちなスタジオワークでの曲作りに、ライブな響きが加わった。

●2月15日、C・A・Cスタジオにて、フェアライトCMIを使ってレコーディング。これはコンピューターをフルに活用した万能電子楽器とでもいうべきもの。価格1200万円ナリ。「王蟲との交流」での、コーラスとストリングス系の音がこれ。ウクツシイ!

●2月20日、久石さんの演奏による録音はすべて終了し、にっかつスタジオにてオーケストラ録り。ビデオの画面に合わせて、久石さんから指揮者に細かい指示が送られる。シンフォニー編アルバム「風の伝説」とは、また違った生の迫力をもった曲が仕上がった。

●2月21日から24日まで、一口坂スタジオでミックスダウン。24チャンネルの音を2チャンネルの音に組み上げていく。そして完成!

●久石さんは語る。「ナウシカとは、イメージアルバムから数えると3枚のLP、約8か月間にわたる長いつき合いでした。一つの作品に対して、ここまでじっくり取り組めたことは大変満足しています。しかも、「ナウシカ」という作品のすばらしさ!これは映画を観ていただければ充分に分かっていただけるでしょう。本当に充実した仕事でした」。

●すべての作業を終えて今、我々、音楽スタッフが想うことは、もう一度「ナウシカ」に出会いたいということ。宮崎駿さんが、ふたたび絵コンテ用紙にとりくむ日を夢見つつ…。

(「風の谷のナウシカ サントラ盤 はるかな地へ…」 LP(復刻) ライナー より)

 

 

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風の谷のナウシカ LP復刻