1994年7月27日 CD発売 PICL-1085
洗練された都会派ポップスとしてのテイスト
ゲストにビル・ブラフォードやビル・ネルソンらを迎え、
クオリティの高いスタンダードなシティポップ・サウンドに。
やっと君に手紙を書く気になったよ。
できたんだ。いや正確に言うともうすぐできそうなんだアルバムが。
覚えているかな? エクスワイアの連載
~それは漠然とした思いであったし、形のない意志でもあった。
「なにかを変えなければ…」。
不満があったわけでもないし(もちろんないわけでもないが)、
作曲家・アーティストとして大きな問題を抱えていたわけでもない。
でももう一人の自分が赤色の信号を点滅させる。
「昨日と同じ自分であってはならない。」と。
そして僕はロンドンに渡った。 (Esquire Paradise Lost 連載より)~
1992年夏の終わり、秋風が吹き始めた頃同時にソロアルバムもスタートした。楽勝だと思った、ほんとに。アルバムのコンセプトは前作の制作中にできていたしね。君が好きだった「マイ・ロスト・シティ」-根なし草の都市生活者、文明社会になじまないで生きる人間の孤独と魂を歌った-より一歩踏み出して、ニヒリズムに走らない前向きなアルバムを作りたかったんだ。「地上の楽園」というタイトルだってできていたんだから。でも、何かを変えようと思ったロンドン生活は返って自分の矛盾を拡大し、分裂しちゃって創作活動ができなくなった。もちろんその間、僕だって黙って何もしなかったわけじゃない。数本の映画を担当し、ロンドン・シンフォニー・オーケストラ(85名)やビッグ・セールスの歌手のプロデュースもやった。内容には満足しているし仕事の量も人の3倍はやったと思う。でもソロ・アルバムだけはできなかった。時として人は自意識が強くなり過ぎて本来しなければならない、あるいは力を発揮しなければならないときに空回りするもんだね。東京とロンドンの異常な往復がそれに拍車をかけたと思う。10数回は往復しているんだから、疲れたよまったく。
早いよね、あれから2年が過ぎ、今僕はロンドン・タウン・ハウス・スタジオにいる。今日は「The Dawn」のミックス・ダウンだ。遅れていたヴォーカルを録り、今リアル・ドラムとマシン関係のリズムの調整中だ。信じられるかい? あのビル・ブラッフォードだぜ!そう君が好きだったキング・クリムゾンのドラマーさ。夜の12時を少し回ったところ、これからミックスだ。そう、もう何日も寝てないんだ。今年に入ってからずっとさ。中毒のことをこちらではホリックっていうんだけど僕なんか正しくスタジオ・ホリックって呼ばれているよ。毎朝11時から明け方4時か5時まで、異常だよまったく、珍しく早く東京に帰りたいよ。でも、ふと考える、曲も書けずにロンドンの街を彷徨った日々を思うとどんなに幸せかと。もちろん今だってトラブル続きで頭に来る毎日だが、それだってあの寒々しい所を誰にも頼れず送った日々に比べたらまるで天国だ。でもやっとわかった。曲が書けなかったんではなくて頭の中で書きたかったテーマに対して僕がついていけなかったんだっていうことに。だから時間がかかった。バリ島にも行ったしアフリカのサバンナにも行った。そして僕は理解したよ。このアルバムは僕自身の楽園を目指すための試練なんだと、ちょっと大袈裟かな。もちろんこれは反意語だ。心の中の楽園を希求するアルバムであって楽園賛歌ではない。フォーク・ソングという言葉がすでに故郷を離れた人からしか言えないように楽園にいる人は楽園を歌うことはない。このアルバムには様々のスタイルの曲が収められて、それは3年かかった僕の心の軌跡であり変化でもある。でも94年の春、覚悟のレコーディングに入って数曲のBasic Recordingを終えたとき僕は悟った。すべては-DEAD 死-人間にとっての死をテーマにしていたと。それは決して恐れるものでも暗いものでもないし、むしろそれを身近に感じることによって死と隣り合わせの生を感じる、生を生きることなのだと。その意味でこれはコンセプト・アルバムだよ。といってもそんなに難しいものじゃない。むしろすごくポップだよ。例えば「HOPE」あのビル・ネイソンが詞を書いて歌ってもいるよ。すごくいい仕上がりだ。きっと君も気に入るはずだ。もともと「HOPE」は19世紀のイギリスの画家ワッツが描いたものなんだけど、地球に座った目の不自由な天女がすべての弦が切れている堅琴に耳を寄せている。でもよく見ると細く薄い弦が一本だけ残っていて、その天女はその一本の弦で音楽を奏でるために、そしてその音を聞くために耳を近づけている。ほとんど弦に顔をくっつけているそのひたむきな天女は、実は天女ではなく”HOPE”そのものの姿なんだって。いいだろう、だからほんとはその絵をこのアルバムのジャケットにしたかったんだよ。何故か無理だったけどね。他のも一見関係なさそうに見える曲がそのテーマのまわりをまるで走馬灯のように、音楽的に言えばロンドのようにぐるぐるまわっているんだ。ミルトンの「失楽園」や坂口安吾の「桜の森の満開の下」などから歌詞のコンセプトを得たのもその為だ。すべてはこの世紀末の価値観が崩れる時代だからこそ必要な表現だった。興奮するよ、僕が作ったんじゃなくて誰かに作らされたような気がする。でもそんなことは僕の問題でしかないのかも知れない。おそらく56分前後の長いアルバムになるはずだ。でもこれは僕と君とのロング・ディスタンスの後としてはあまりに短い。僕はもっと君に語りたい。取りあえずこのアルバムを聞くことから始めてくれないか? そしたら少しは僕たちの間は公園のベンチの隣どうし位は近い存在になれるかも知れない。君の返事を待ってるよ。又、会おうよ、いつかきっと…何処かで。
Joeより愛をこめて
(CDライナーノーツより)
『HOPE』(1885) George Frederic Watts
1. The Dawn
夜明け、魂が最も肉体から離れるとき。
地上をさす光と天井にともる星のイルミネーション。
やがて希望の光が地上を覆い現実の世界が白日のもとに晒される。
そして人々はそれから目を背ける。
2. She’s Dead
あの娘が死んだ。ディンドンとベルが鳴りオレは叩き起こされた。
刑事は疑っている。アリバイ? そんなものはない。
何も覚えてないんだ、何も・・・。
でもオレはやってない、がやってない証拠もない。記憶にないっていうことは・・・
とにかく-あの娘は死んだ。
3. さくらが咲いたよ
山賊は惚れた、女があまりに美しすぎて。やがて自分を失う。
7人の妻を殺し、京に上り毎夜女の為に首を取る。 (坂口安吾「桜の森の満開の下」より)
4. HOPE
その日、僕はテイトギャラリーにある「HOPE」の前に立った。1886年、WATTSが描いたそれはいつもと変わりなく僕を迎える。
地球に座った目の不自由な天女「HOPE」が奏でる音楽を聞きたいと君はいった。
5. MIRAGE
時々砂漠の夢を見る。
都会の(夜も更けた頃)汚れた歩道を歩いているとそれが果てしなく続き、やがては砂漠に辿り着く。
そして僕は口ずさんでいる。
金と銀の鞍をつけたラクダはすでに死に、焼けた砂を踏みしめながらゆっくり僕は歩く。
蜃気楼の地平線をめざして。
6. 季節風 (Mistral)
サウスイーストの季節風にのって君は現れた。
運命的な出会いは案外さりげなくやってくる。仄かな潮の香りが肌から立ち昇る。
忘れていた熱い情熱が蘇る。
いつか終わりが来て、けだるい孤独だけが残ることを僕は知っている。
でも賭けてみようか?
7. GRANADA
ざくろの実が割れたものをじっと見たことがありますか?
すごく鄙猥でいかがわしくて何だか吸い込まれそうで、まるで地獄だ。
その真っ赤な血のような汁の海に人間がのたうち回っている。芥川風に一本の糸が垂れて人々がそれに飛び付く。
それを遥か彼方の上空からたのしそうに見ている天使たち。笑顔の中の瞳は何の感情も浮かんではいない。
そこが世界の始まりかも知れない。
8. THE WALTZ (For World’s End)
「ねえ、一緒に逃げようよ。どこまでもさー、この世の果てまで、なんか追われるって素敵だよね。
そしたら俺達もう一度やり直せるかもしれない。二人しかいないんだ、他にはなにもない、物音一つしない・・・。
ねえ、踊ろうよそこでタンゴを。何なら・・・ワルツだっていいんだ、君さえよかったら」
タキシードの僕は一人で踊った、砂の上で・・・・。
9. Lost Paradise
ミルトンの失楽園は何を問いかけているのか? サタンは最も人間的な存在なのか?
東洋の阿修羅、西洋のサタン、伝説は人の心の裏返し。
「すべてはサタンの誘惑から始まった」
10. Labyrinth of Eden
迷宮への誘い(いざない)。
死-それは一つの終わりであって始まりでもある。
喜びは次に来る悲しみを産み、怒りは自己嫌悪を産む。
哀しみはいつまでも心の片隅に残り、楽しみは突然襲ってくる空しさを産む。
そのすべてから解き放たれたとき、魂は浄化され人間は初めて自由を得る。
永遠の罪を背負って砂漠を旅するアダムとイヴ。
ただひたすら、ラクダに揺られて・・・。
(僕は歩く、魂の砂漠を。たった一人で・・・・。)
11. ぴあの (English Version)
そこには音楽があった。
こわれたおもちゃのピアノ。
ソの音は低く、シの音は限りなくドに近い。
でもそこには音楽があった。やさしく哀しく、
そして、温もりをもって・・・。
(CDライナーノーツより)
「そうですね。今、僕といっしょにやってくれてるブルー・ウィバーは、ビー・ジーズのワールド・ツアーとかを死ぬほどやったひとりだから、歌の伴奏の極致のようなワザを持っていて、ロンドンでやる時は彼と相談しながら作っていったんです。歌モノが中心なので、アレンジは複雑なポリフォニックなリズムとかではなく、もっと直線的な扱いになりましたが、いわゆる日本の歌伴奏的なものではないエレメントが欲しかったので、とてもいい勉強になりましたね。メロディ・ラインをボーカル・ラインに切り換えたことにも通じるんですが、この数年間は弦とピアノのピュアな世界を作ってましたから、今度はカオス…混沌とさせるぐらいにいろんな要素が入ってるサウンドということで、限定する作業から開放する作業に切り換えたんです。」
「バンドネオンという楽器にこだわりがあって、前回の「タンゴ・エクスタシー」に引き続き、今回も1曲やりたいと思ってたんです。あれだけ色の濃い楽器はないでしょ? アコーディオンはシャンソンで象徴されるように比較的洗練された楽器だけれども、バンドネオンはアタックが想像以上に強くてキレがすごいから、鳴ってるだけで世界観がひとつできてしまうようなところがあるし…。ちなみに、この曲「THE WALTZ(For World’s End)」は映画「女ざかり」のテーマに使われています。」
「ドラムで言うと、みんなやっているようにパーセンテージで細かく見ていくとか、ハイハットもベロシティで変化が出るようにする。中でもドラムで難しいのはフィル・インなので、タムやシンバルはローランドのオクタパットでリアルタイムでやるようにしてますね。音に関しては、3、4種類のキックをうまく使い分けていくやり方。ただし、僕は生のシミュレートは時間のムダづかいと思ってるのでやりません。たとえば今回参加してもらったビル・ブラッフォード(キング・クリムゾン)にしても、彼独特のスネアの音とフィーリングが欲しければ彼に頼んだほうがよいわけだから。」
「漂った感じを出したい時やパッド的な扱いの時はシンセ・ストリングス。そのほうが奥ゆき感が出たりするんですよ。僕の場合、フェアライトの音源やK1000とかだけで成り立つぐらいのクオリティの音を作っておいたものに、生の弦を入れるやり方で、いつも両方コンバインしながら作っていくんですが、生弦に関しては今回はロンドン・シンフォニーということもあって、シンセはいっさい足してません。」
「フェアライトIIの時代のいちばん誰も使わない音を、あえて使ってるんです(笑)。ハダカで聴いたらクオリティの悪い音だけれども、実はその音が持ってる不思議なエキゾチックな世界観が僕にとってはすごく大切なんですよ。ただし、あの音を支えるためにかなりのストリングスがユニゾンで鳴っていて、ほとんど聴けないぐらいの状態でM1もなぞってるはず。何を際立たせるかによって、いろんなものを組み合せて考えていく方法を僕はとってます。」
[使用機材]
☆マスター・キーボード
AKAI MX76
☆シーケンサ
Macintosh Quadra 610/Vision Ver 2.02
☆音源
Fairlight SERIES III/SEQUENCIAL CIRCUIT Prophet-5/YAMAHA DX7/YAMAHA DX7 II FD/MIDI MINI/KORG i2/KORG WAVESTATION SR/KORG M1R/KURTZWEIL K1000/KURTZWEIL K1000PX Plus/E-MU Proformance/YAMAHA TX81Z
(Blog. 「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1994年9月号 No.116」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)
1. The Dawn
2. She’s Dead
3. さくらが咲いたよ
4. HOPE
5. MIRAGE
6. 季節風 (Mistral)
7. GRANADA
8. THE WALTZ (For World’s End) (映画「女ざかり」より)
9. Lost Paradise
10. Labyrinth of Eden
11. ぴあの (English Version) (NHK連続テレビ小説「ぴあの」より)
All Composed & Arranged by Joe Hisaishi
(except “Piano” Strings Arranged by Nick Ingman)
Musicians
Iain Ballamy,Bill Bruford,
Hugh Burns,Dabid Cross,Lance Ellington,
Motoya Hamaguchi,Mitsuo Ikeda,Rap Jonzi,
Michel Mondesir,Bill Nelson,Tessa Nile,
Jackie Sheridan,Kenji Takamizu
The London Session Orchestra,Gavyn Wright
Recorded at:
Townhouse Studio,London
Abbey Road Studio,London
Music Inn Yamanakako
Crescente Studio Tokyo
Wonder Station Tokyo
Pre-produced at Blue Weaver Studios, London
Mixing & Recording Engineer:Stuart Bruce
Alan Douglas(3,7)
Mastering Engineer:Tony Cousins(at Metropolice Studio)
Recording Engineer:Richard Evans(Real World)
Darren Godwin(Abbey Road Studio)
Suminobu Hamada, Tohru Okitsu, Eiichi Tanaka
(Wonder Station)
Assistant Engineer:Mark Hayley, Lorraine Francis
(Townhouse Studio)
Tomonori Yamada, Ayato Taniguchi
(Wonder Station)
Shinpachirou Kawade(Music Inn Yamanakako)
Mitsuo Sawanobori(Crescente Studio)