Blog. 「FMステーション No.7 1998年4月5日号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/03/14

音楽雑誌「FMステーション No.7 1998年4月5日号」に掲載された久石譲インタビューです。映画音楽論について日本映画界・ハリウッド映画もふくめてたっぷりと語られています。

 

 

サウンドトラックの誘惑 SPECIAL INTERVIEW

久石譲

メインテーマはシンプルないいメロディを書きたい

昨年大ヒットした宮崎駿監督の『もののけ姫』や国際的に話題になった北野武監督の『HANA-BI』など、最近の邦画の話題作を一手に引き受けているサントラ界のヒットメーカーが、映画音楽に対する思いを語った。

 

武満徹、伊福部昭、坂本龍一など、これまでも多くの日本の作曲家が映画音楽に挑戦、世界的な成功を収めてきた。そして現在、日本の映画音楽界の頂点に君臨しているのが、久石譲である。昨年大ヒットした『もののけ姫』などの宮崎駿監督作品をはじめ、最近ではベネチア映画祭で金獅子賞を受賞した北野武監督作品『HANA-BI』なども彼の音楽によるもの。そしてそのどれもが、映像と音楽の結びつきを大切にしている久石だからこそ作ることのできる美しい旋律だ。このインタビューではそんな彼の映画音楽家としてのスタンスが熱く語られている。

 

-映画音楽を手がけることになったきっかけは?

久石:
「従来の音楽マーケットってボーカルものを中心に動いてますよね。ボーカルものに興味がないわけではないんですが、それまで自分がやってきたクラシック音楽や現代音楽の流れからいうと、こういった仕事のほうが、自分に向いていたというか…。ですから、いまでもこの仕事は気に入ってますね。」

-子供のころから映画はたくさん観ていたんですか?

久石:
「いっぱい観ましたよ。年間で300本くらい。」

-とすると、現在のお仕事には就くべくして就かれたという…。

久石:
「そうですかね。確かに、あまり苦労はなかったです(笑)。」

-映画音楽のほかにソロワークもされていますが、ご自身のなかで双方の位置づけの違いってありますか。

久石:
「映像がないと成り立たない音楽ってある意味では弱いと思っているので、ソロアルバムはできるだけピュアに、映像とは無関係に音楽として作品世界が成立することを目指しています。映画というのは、ご存じのように、自分のほかに大勢スタッフがいます。そこに音楽というポジションで参加するわけですから、自分だけで作業を進めても成り立たないわけですよね。監督の意向もあるし。逆にいえば、映画音楽のほうが自分の才能の新しい面を引き出してくれるという楽しみがありますね。」

-久石さんは、大林宣彦、北野武、宮崎駿といった日本を代表する監督の作品の音楽を手がけられていますが、3人の監督の作業の進め方や考え方の違いがあれば教えてください。

久石:
「最近、大林監督の作品は手がけていないので、ちょっとよくわかりませんが、やっぱりそれぞれ個性がありますよ。北野監督と宮崎監督はある意味で共通しているところがあるんですが、表現方法が全然違います。ボクにとっては自分が持っている幅というものがあるとしたら、お2人はその両極端に位置しているので、その点ではすごくやりやすい場合があるんです。ようするに、宮崎作品用に書いた作品を引きずりながら北野作品にはいるってことは絶対にないってことですね。」

-アニメと実写作品の作曲法の違いはありますか。

久石:
「それほどないですね。アニメだから、実写だからということは関係なく、基本的なスタンスは一緒だと思ってやってます。」

-映画音楽を担当するのに、撮影に立ち会ったりはするのですか。

久石:
「基本的にはすべての台本を読んで、フィルムが上がってから作ります。とはいっても、現場の空気感であったり、その場面のロケが設定的に作品のなかで重要だったりするときには撮影の段階から極力参加するようにしています。」

-北野武監督の『HANA-BI』の音楽は、どのような過程で作られたのでしょうか。

久石:
「通常、北野監督は、あまり注文を出さないんです。ある意味でおまかせ状態。それが、この『HANA-BI』では、「暴力シーンとかいろいろあるけど、それとは無関係にアコースティックな弦などのキレイな旋律を流したらどうかな」というようなことを初めていわれて…。ですから、今回はその言葉がキーワードになっています。いままでの北野作品では、同じフレーズを繰り返すような曲を主体にやっていたんですが、今回は、弦を使うということで、曲調がメロディアスになったり、いままでよりもエモーショナルなサウンドになるかなって。そのあたりを監督に確認しながら作りました。」

-映画音楽を作るうえでのこだわりはありますか。

久石:
「単音で弾いても成立するようなシンプルでいいメロディ、それをメインテーマにして作りたいという欲求はありますね。あとは、それぞれの監督の世界があるから、監督の言葉から誘発された自分というもの、あくまでもそういう自分を見失わないようにして書いているつもりです。」

-たしかに久石さんが手がけた映画のメインテーマは、一度聴いたら忘れられないくらいの美しさがありますね。キャッチーというか…。

久石:
「たとえば、『太陽がいっぱい』といわれたら、すぐにニーノ・ロータのメロディが浮かんできますよね。本来はそれくらい映画音楽って重要なものだったのに、いまはそれがなくなってきているんですよ。最近のハリウッド映画を観ていても、いいメロディを書ける人がどんどん減っているという感じがします。アクションシーンのバックに流れているのは、いつもドタバタした音楽しかなくて、この映画だから、この音楽っていうのをいまでもキッチリやっている人って…ジョン・ウィリアムズくらいじゃないですかね。たしかにハンス・ジマーや、ジェームズ・ホーナーといった人たちもいい音楽をいっぱい書いていますけど、全体的に考えると減っている。ハリウッドの人と話していても、「そのへんがいまいちばん弱いんだよねぇ」ということをいっています。」

-映像に音楽を付けるということで難しいことはなんでしょうか。

久石:
「映像と音楽ってつねに対等でいるべきだと思うんです。たとえば登場人物が走ったら速い音楽、泣いたら悲しい音楽のような、単に映像の伴奏でしかない曲の付け方、それっていわゆる世間でいう劇伴ですよ。それではまったく意味がない。いったいそのシーンで何が描かれているのかを判断したうえで、あくまでも音楽監督という立場からキッチリと構成していかなくてはいけない。」

-音楽がたんに添え物になっているのはいけないということですよね。

久石:
「そうです。映画にとって音楽ってものすごく危険なんですよ。扱いを間違えると映画のシーンよりも先に、これから起こることを予感させてしまう。こういったミスは作品の質を落としたりしますし、安っぽくなりますから。とくに最近のハリウッド映画の音楽を聴いていると、あまりにも画面と寄り添いすぎちゃうというか、画面の描写に徹しすぎる。あるいは、それを要求されすぎているという感じはしますね。」

-これまでおっしゃった点を踏まえて、最近の映画音楽家で成功しているな、と思える方はいますか。

久石:
「やっぱりジェームズ・ホーナーですかね。いい仕事しているなって思いますよ。『ブレイヴハート』など、すごく詩的なものを作るので好きですね。あと、少し前の作品ですけど、『ブレードランナー』もよかったな。あのころのヴァンゲリスはよかったですね。いい映画って音楽なんて気にならなくなっちゃいますよね。そういう意味でいうと、これらの作品は構成要素としてきちんと音楽が映画に参加しているなって感じがします。それがいちばん大事なんじゃないですかね。」

-日本の映画音楽はどうでしょう。

久石:
「どうなんでしょう。日本映画って自分がかかわった作品しか観ないですからね。ただ、映画音楽というものは、ギター、ベース、ドラムとキーボードがないと曲が書けないという人が作っちゃいけないと思うんですよ。たとえば弦だけだとか、メロディがないといった状況でも音楽が書ける…つまりクラシックの技術が最低限は必要ということです。とくに日本の映画音楽というのは、現代音楽やクラシック育ちの人が、いままで長い間、手がけてきました。ところが映画ってエンターテインメントですから、実はそのクラシックの技術と同じくらい、一方で普通のチャートにも入れられるくらいのポップスセンスを持っていないといけないんです。両方を持ち合わせている人が、映画音楽を作る…それが理想的なんですが、そういう条件を考えると、すごく限られちゃう。絶対数が少ない。アメリカ映画も最近はひどいといいましたが、そうはいってもアメリカで映画音楽家の地位がすごく高いのは、両方の才能を持ち合わせている人が貴重だということ。日本の映画音楽はいまひとつ主張しきれなくて、どうしても劇伴扱いになっている。作曲家の技術の問題が大きいと思いますね。」

-作曲家の育つ環境が整っていないということではないんですか。

久石:
「たしかにそれもあると思います。ある程度、数をこなしたり、優れた監督と一緒にやって苦労しなければ身についてこないですからね。」

-最後に、久石さんにとって、映画音楽とはなんでしょうか。

久石:
「もちろん、ライフワークであるという以上に、映像と音楽の関係というのは、ボクにとって最高に興味深いことでもあります。たとえばモーツァルトなどの時代でも、シンフォニーやソナタなどのほかにオペラも作っているんですよ。時代は違いますけれど、ボクにとって映画音楽は、モーツァルトがオペラを書くのと同じ。そういう気持ちで映像に融合する音楽を作っていきたい。これからもずっと、この仕事は続けていくだろうと思います。」

(FMステーション No.7 1998年4月5日号 より)

 

 

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