第9回:「ちゃんと彼に引き継がれていたよ」

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第9回:「ちゃんと彼に引き継がれていたよ」

プラハ録音最終日の翌日、2003年10月21日。久石譲は息つく間もなく、ロンドンへ向かった。

かつて、ロンドンに居住していた経験がある久石は、ヒースロー空港に到着すると、懐かしい空気をいっぱいに吸い込んだ。「ホームタウンに戻った気分だね」

ミックスダウンとマスタリング(CDにするための曲間の長さや音量の調整)を行うのは、アビー・ロードスタジオ。ビートルズが録音拠点としていたことで知られる、名門スタジオだ。

入り口には、これまで同スタジオで録音やマスタリングを行ったアーティストのレコードやCDが並んでいるが、この中には過去に久石が録音した作品もある。「あそこで録音したものがすべて飾られているわけじゃないから、見つけた時はとても感激したよ」──この話になると、久石は子供のように微笑む。

アビー・ロードを使うのは、約10年ぶりだという。当時、親しくしていたチーフ・エンジニアのマイク・ジャレット(ビートルズの「赤盤」「青盤」のエンジアとして知られる)が亡くなってから、足が遠ざかっていた。「なかなか気が進まなくてね。でも、そろそろいいかなと思って」

今回のエンジニアは、そのマイクのアシスタントだったサイモン・ローズ。現在は映画「ハリー・ポッター」シリーズのサウンドトラックなどを手掛ける売れっ子だ。「感慨があったね。しかも、シリアスな時ほどジョークを忘れないアビー・ロード独特の文化も、ちゃんと彼に引き継がれていたよ」
アビー・ロードスタジオの入り口
プラハで息を吹き込まれた音が、サイモンの手によってロンドンで成熟した。一層の重厚感を得たことで、久石が目指した「通常の映画音楽とは違う、音楽だけで築き上げた世界観」が完成した。

曲順も決定。録音エンジニアの江崎友淑と、トランペット奏者のミロスラフ・ケイマルのドラマがつまった「ケイヴ・オブ・マインド」は、アルバムの最後を飾ることになった。久石は言う。「実際に演奏してもらい、“こんなにいい曲だったんだ”と驚かされることってあるんだよね。いい演奏者というのは、そうやって曲の持っている力を引き出してくれる。『ケイヴ』はまさにそういう曲だった」

マスタリングした原盤を聴き終えた久石は、それまで「イメージアルバム」としていたタイトルに、「交響組曲」という文字を入れる必要があるのではないかと思い始めていた。「これは単なるイメージアルバムじゃない」──チェコ・フィルハーモー管弦楽団によって演奏された音は、旅の過程で久石の心を突き動かしていた。タイトルは、後にスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーと話し合った上で、「イメージ交響組曲 ハウルの動く城」となる。

ロンドンで無事に作業を終えた久石は、意気込みの結晶を持って帰国。さっそく宮崎駿監督にできあがったばかりの音を届けた。初めて「ハウル」の「動く音」を耳にした監督は、さっそく「この部分はあの場面に合いそうだ」と思いを巡らしていたという。

アルバムに詰まった原石が、作品にどう反映されるのか。久石が臨んだ「第1楽章」の終わりは、本編のサウンドトラック制作という「第2楽章」の始まりでもあった。(依田謙一)

(2004年3月8日 読売新聞)

 

第8回:「上手いだけのオーケストラは世界中にある」

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第8回:「上手いだけのオーケストラは世界中にある」

2003年10月20日。いよいよ録音の最終日だ。

実は、この前日にトラブルがあった。2日目の録音を終え、夕方から編集作業に入った瞬間、ドボルザークホールの周辺一帯が、停電に見舞われたのだ。

録音データが消えてしまっては、2日間の録音が水の泡となる。スタッフに緊張が走ったが、ホールの職員や、何度もプラハで録音しているエンジニアの江崎友淑は、まったく動揺していない。「いつものことなんですよ」と江崎。「むしろ録音中でなくてよかった。休憩にしましょう」と慣れた態度で煙草を取り出す。ホールの外に出てみると、町の人々も慌てていないから驚きだ。

こうなると、できることは待つだけだ。

一方、必ずしも“プラハ慣れ”していないはずなのに、なぜか冷静沈着に見える男がいた。スタジオジブリの音楽担当の稲城和実だ。実際は顔に出ないだけなのかも知れないが、「いやぁ、大変ですね」と言う稲城を、久石譲は「君が言うと、全然大変だって気がしないんだよ」とからかった。

停電は、何ごともなかったように、数時間後に復旧した。幸い、データは完全な形で残っていたものの、日本のスタジオでは考えられないおおらかさだ。

最終日は、停電のおかげで前夜遅くまで編集作業をこなしていたため、久石とスタッフの疲労はピークに達していたが、残された時間を精一杯使い、録音に取り組んだ。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の集中力も、最後まで途切れることはなかった。

終了後、久石と指揮者のマリオ・クレメンスが固い握手を交わす。多くを語り合わずとも、この握手が録音の成果を何よりも雄弁に物語っていた。

久石はチェコ・フィルの演奏をこう評価した。「スラブ系特有の土の匂いがする粘り強い演奏は、やはり『ハウルの動く城』の世界観にぴったりだった。マリオの指揮による演奏も期待以上のものになり、満足している。ただ、以前『交響組曲 もののけ姫』を録音した時に比べると、少しずつ演奏が均一化されてきていて、“お仕事”っぽくなりつつある印象も受けた。チェコ・フィルには、素朴さを失わずにいてほしいんだけどね。演奏が上手いだけのオーケストラは世界中にあるから」

終わってみればあっという間だったプラハ録音を終え、翌日にはミックスダウンとマスタリング(CDにするための曲間の長さや音量の調整)を行うため、ロンドンへ旅立った。(依田謙一)

(2004年3月1日 読売新聞)

 

第7回:「ベリー・バッド・サウンド!」—後編

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第7回:「ベリー・バッド・サウンド!」—後編

「なんて大きな音を出す人だろう!」

少年は、興奮のあまり、コンサートが終了するや否や、無謀にも楽屋に押しかけた。出迎えた奏者は、突然の来訪に驚きながらも、少年にやさしく微笑みかけた──。

「イメージ交響組曲 ハウルの動く城」で録音エンジニアを務めた江崎友淑が、同アルバムに収録されている「ケイヴ・オブ・マインド」でトランペットソロを吹いているミロスラフ・ケイマルと出会ったのは、10歳の時だった。父親に連れられて行ったチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演で、雷に打たれたような衝撃を受けた。

9歳からトランペットを吹いていた江崎は、当時、チェコ・フィルの首席奏者だったケイマルの音と出会ったことで演奏にのめり込んだ。「自分のラッパを、ケイマルに聴いてもらいたい」──その一心で、練習を続けた。

12歳になった江崎は、自分のことなどもう覚えていないだろうと思いながら、再びチェコ・フィルの来日公演を訪ねた。ケイマルは前回と同じようにやさしく微笑みかけ、こう言った。「あの時の子じゃないか」。江崎のことを覚えていたのだ。

ケイマルは、江崎が手にしていたトランペットに注目した。「ちょっと吹いてみないか」

江崎は、迷うことなくその場で演奏を始めた。「若さってすごいでしょ」。江崎は当時を振り返り、照れくさそうに笑う。

演奏を気に入ったケイマルは、以降、毎月のようにダンボール一個分もの教則本を送ってきた。「ケイマルが教えてくれているんだ」──そう思うと、江崎は夢中で練習した。

高校生になり、三度、チェコ・フィルの来日公演を訪ねた江崎は、突然、その日の公演でトランペットを吹くことを依頼された。奏者の一人が急病で倒れてしまったのだ。

この時、すでにトランペット奏者としての腕前は相当なレベルに達していた。ケイマルの教則本で鍛えた腕と、家にあった床が抜けそうなほどの数のレコードを聴いて培った耳によって、12歳でケイマルの前で吹いた若さとは違う武器を手に入れていた。

見事に代打を務めた江崎は、高校2年生の夏、チェコ・フィルのツアーに同行することになる。エキストラとして演奏に参加しながら、オーケストラのメンバーと親交を深めた。江崎は言う。「当時のチェコにおいて、オーケストラというのは、一種の“特権階級”でしたから、メンバーは、本当に音楽のことだけを考えて過ごしている余裕のある人々ばかりでした。今は、政治体制が変わったのはいいけど、サラリーマンに近くなっていて寂しいですね」

大学卒業後、江崎は、正式にケイマルに師事するため、プラハへ旅立った。しかし、これで思う存分ケイマルから学ぶことができると思った矢先、江崎は歯を痛め、長期治療のため、帰国を余儀なくされる。音楽を続けていくのは、厳しい状況だった。江崎は、この辺りの状況について多くを語ろうとしない。

結局、江崎は一旦、音楽から離れることを決意する。しばらくはテレクラでアルバイトをしたり、テレビ番組の制作会社に飛び込んだりしていた。

その過程で、音楽番組にスタッフとして参加する機会を得た江崎は、演奏とは違っても音楽を届けることができる喜びを知る。

同時に、音楽制作の現場に疑問も生まれていった。「日本では、スタッフはあくまで黒衣。でも、それじゃいつまで経ってもいい音楽はできない」──そう感じた江崎は、音楽制作会社「オクタヴィア・レコード」を立ち上げることを決意。音楽家と対等の関係を目指し、CD制作に取り組み始めた。

江崎が関わる現場では、日本ではタブーになりがちな音楽家への注文も遠慮なく出す。久石譲に、「ケイヴ」のソロをケイマルが吹くよう推薦したのも江崎だ。しかし、30年近くチェコ・フィルで首席奏者を務めたケイマルも、今では三番奏者。過去の実績だけでは簡単に推薦できない。それでも、この曲のソロは、ケイマルに合うという確信が江崎にはあった。「もちろん、口を挟むということは、それだけリスクを負うことになります。でも、そこで結果を残すのがプロだと思うんです」

江崎が久石と最初に仕事した時には、次々と注文を出すので周囲のスタッフが青ざめていたという。「でも、今も久石さんと仕事をしている。それが答えではないでしょうか」

久石の話になると、江崎はケイマルの話と同様に熱くなる。「久石さんの音楽は、ヨーロッパの人々に対する説得力がある。チェコ・フィルの演奏が何よりの証拠です。彼らは本気でした。久石さんには映画音楽の範ちゅうにとどまらない交響曲を、時間をかけて作ってほしい。それが実現したら、僕はそのCDをどこにでも売って歩きますよ」

江崎は、「ケイヴ」の録音中に、ケイマルの演奏を聴いて思わず涙を見せた。「あんなふうに感傷的な姿を見せてしまったのは、恥ずかしい限り」と前置きした上で、こう言った。「少年の頃に身震いした、あのトランペットの音が鳴ったんです。久石さんの曲には、それを実現できるエネルギーがあった。その時に思ったんです。僕はこういう音が録りたかったんだって」

「ケイヴ」の録音後、江崎がケイマルに満面の笑みで言った言葉が、再び頭をよぎった。

「ベリー・バッド・サウンド!」(依田謙一)

(2004年2月25日 読売新聞)

 

第6回:「ベリー・バッド・サウンド!」—前編

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第6回:「ベリー・バッド・サウンド!」—前編

2003年10月19日。録音2日目。久石譲は、前日と同じ午前9時30分にドボルザークホールに入った。初日に比べるとずいぶん穏やかな表情だ。「今日は、気楽に話しかけてよ」の一言に、記者も一安心。

この日、最初に録音されたのは「暁の誘惑」。久石によれば、「290小節もあるのに、なぜか5分で終わってしまう」という激しい曲だ。

チェコ・フィルハーモニー管弦楽団による演奏が始まった。メロディー、ハーモニー、リズムがうねりながらめまぐるしく展開していく。「この曲に限らず、今回のアルバムは、短期間で集中して書いた分、勢いがあるよね」と久石。

この日録音された4曲のうちの一つ、「ケイヴ・オブ・マインド」にドラマがあった。

悲しくも美しいメロディーをトランペットが奏でるこの曲で、ソロを吹くのはミロスラフ・ケイマル。アルバムの録音エンジニアである江崎友淑が師事した、チェコ・フィルの前首席トランペット奏者だ。楽譜を見た江崎が、「彼が吹くべきだ」と久石に推薦したことで、今回のソロが実現した。

江崎によれば、ケイマルは「とにかく音が大きい奏者。でも、単に大きいだけじゃない。彼のトランペットは、聴く者を包み込んでくれる。楽譜を見た瞬間、合うと思った」という。

「ケイヴ」の演奏が始まった。予想以上の素晴らしさに、久石が、「ホールで聴きたい」とコントロール・ルームを飛び出していた頃、テレビモニター越しに聴きながら涙ぐんでいる男がいた。江崎だ。久しぶりに聞く師匠の名演奏にノックアウトされていたのだ。

録音後、久石とともにケイマルがコントロール・ルームに戻ってきた。感激の対面かと思いきや、江崎の口から出た言葉は「ベリー・バッド・サウンド!(なんてひどい音だ)」。

久石も周囲も一瞬戸惑ったが、ケイマルを見ると、笑っている。しかも、満面の笑みで。すぐに、2人の長年の付き合いによる「最大級の褒め言葉」だと分かり、今度はスタッフの目に涙が浮かんだ。

江崎とケイマルについてもっと知りたい──そう思った記者は、じっくり話を聞くために、帰国後、江崎を訪ねることにした。(依田謙一)

(2004年2月14日 読売新聞)

 

第5回:「疲れるけど、疲れていられない」

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第5回:「疲れるけど、疲れていられない」

2003年10月18日。録音1日目。この日は、3時間のセッションを2度行い、3曲を録音するのが目標だ。

午前9時過ぎ、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーが、プラハ市内のドボルザークホールに集い始めた。指揮者のマリオ・クレメンスも登場し、久石譲とあいさつ。笑顔を見せながらも、久石の眼差しは鋭い。

オーケストラのメンバーが楽器の調整を始めた。場内に色とりどりの音色が優しく反射する。

ドボルザークホールは、チェコ・フィルの本拠地。1200名程度収容の小規模ホールだが、天井が高いため“魔法の音が生まれる場所”と評されるほど音場が優れている。ステージの真下にコントロール・ルームがあるのも特徴だ。

午前10時。3管編成、85人のフルオーケストラが勢揃いした。久石が中央の座席に楽譜を持って陣取ると、ホール全体を、張り詰めた空気が覆った。

マリオが指揮棒を振り下ろし、「ミステリアス・ワールド」の演奏が始まった。響き渡る高らかなトランペットの音色。「ハウルの動く城」の音が初めて地上に舞い降りた瞬間だ。

チェコ・フィルの面々は、ほぼ初見のスコアであるにも関わらず、歌い上げるように演奏する。東欧独特の地を這うような粘り強い演奏と、ホールの響きが絶妙に絡み合い、それまで険しい顔が続いた久石に、確かな手応えを感じる笑みがこぼれた。

「ミステリアス・ワールド」を聞き終えた久石はコントロール・ルームヘ。「いいよね」と満足した様子を見せながらも、「ただ、グロッケンの音が前に出すぎているように聴こえる。こっちではどうだった?」と、録音エンジニアの江崎友淑に問いかける。「確かに少し前に出ていますね。マイクのセッティングを変えてみましょう」──江崎はそう答えると、コントロール・ルームを飛び出し、あっという間にマイクの位置を変えた。年に何度もドボルザークホールで録音している江崎だからこそできる“早業”だ。

マリオがメンバーに幾つか指示を出し、録音が始まった。まだ2度目であるにも関わらず、すでに演奏はほぼ完璧だ。

終了後、汗を拭きながらマリオがコントロール・ルームに現れた。久石は「演奏はとても良い」とマリオを迎えた上で、「いくつか確認したいことがあるんだけど」と楽譜を広げ、細かい希望を伝え始めた。

録音は、常に時間との戦いだ。5分の曲を演奏し、聴き直すだけで、すぐに10分が経過してしまう。しかも、オーケストラのメンバーを90分に一度休ませなければならないなど、「決まり」もあるため、一時も無駄にできない。短い時間で、2人は簡潔かつ確実に意思を交換する。

録音再開。久石もホールに戻り、耳を研ぎ澄ませる。今回はピアノ演奏がないため、曲の合間に何度もホールとコントロール・ルームを行き来しながら、細かい指示を出していく。

「疲れるけど、疲れていられないよね」と苦笑い。

この日は、予定通り3曲を録音した。順調な滑り出しだ。

しかし、録音が終了したからといって、ホテルに戻れるわけではない。引き続き、コントロール・ルームで、演奏したデータの編集作業などをこなす。

途中、データのコピーを作るバックアップ作業が行われることになり、久石が散歩に出た。コントロール・ルームには、江崎以下、久石の拠点スタジオ「ワンダーステーション」のエンジニア浜田純伸、秋田裕之と記者の4人が残された。

1日目の録音が無事に終了し、若干緊張が解けたせいか、雑談が始まった。互いの「カップラーメン観」など、他愛もない会話が続く中、このところCD全般の売れ行きが芳しくないという話が出た。

日本レコード業界の調べによると、1999年以降、国内のCD売り上げは5年連続で減少しており、一時は乱発されたミリオン・ヒットも、現在ではほとんどなくなった。音楽業界には、ここ数年「冬の時代」が続いている。

記者が、デジタルコピーの氾濫などを例に、CDが売れなくなった理由を尋ねると、浜田が打って変わって神妙な面持ちで答えた。

「売れないからといって、何かのせいにしてはいけないと思うんです。良い音楽を作り続けていれば、ちゃんと届くはずですから」

江崎と秋田が頷く。音楽業界には、まだまだ魂が息づいているようだ。

久石が戻ってきた。編集を再開。結局、初日から午前0時過ぎまで作業を行った。

「無事に10曲録れるといいんだけど」──さすがに疲れた様子の久石は、そう言ってホテルに吸い込まれていった。(依田謙一)

(2004年2月9日 読売新聞)

 

第4回:「ねぇ、順調なの?」

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第4回:「ねぇ、順調なの?」

2003年10月17日。午前9時30分、久石譲は、翌日から録音が行われるプラハ市内のドボルザークホールに向かった。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者、マリオ・クレメンスと打ち合わせをするためだ。

2人が会うのは、1998年にチェコ・フィルが演奏したアルバム「交響組曲 もののけ姫」の録音以来。久しぶりの再会に、固く握手する。「オーケストラが早く学ぶよう、私が最大限の努力をする」とマリオ。

さっそく楽譜を広げ、打ち合わせが始まった。

まず、3日間で4セッションを行うことを確認。1セッションは3時間だから、12時間で全10曲を録音しなければならない計算だ。

クラリネットから始まる曲がある。「チェコ・フィルのクラリネット奏者は?」と聞く久石に、マリオは「安心して。とても素晴らしいよ」。久石は「よかった。この曲は冒頭のクラリネットが大切だから」と胸をなでおろす。

2人は、気になる部分があると1音たりとも曖昧にしない。普通なら行き詰まってしまう部分も、限られた時間の中でベストの結論を導き出す。一流の現場で様々な経験をしてきた2人だからこそ可能な「プロの打ち合わせ」だ。まるで、会話そのものが演奏のようだった。

午前11時30分。打ち合わせ終了。久石は集中して臨んだせいか、一度、天井をあおいだ。この打ち合わせ中、出されたコーヒーには一度も手をつけなかった。

午後、ホテルで最後の譜面直し。作業を終え、ロビーに現れた久石は、ずいぶん穏やかな表情になっていた。「疲れているだけだって」と笑う。
プラハ城内にある聖ビート大聖堂
「せっかくだからプラハ城へ行こう」と久石が言い出した。ホテルから見える城の景色が気になっていたようだ。

プラハ城は、9世紀に建設が始まった歴史的建造物。ゴシック様式の聖ビート大聖堂などをはじめ、様々な建築様式で増築されてきた。

久石は、アール・ヌーヴォー画家アルフォンス・ミュシャが制作した2万枚もの色ガラスを使ったステンドグラスに見入っていた。「すごい。圧倒されるね」

プラハ城を出たところで、名物のビールを堪能。笑顔が絶えない。休暇が設定されていないこの旅で、唯一の気分転換となったようだ。

ホテルに帰ると、プラハ市街に効果音の採集に出かけていたスタジオジブリの稲城和実、津司紀子が戻っていた。稲城らは、「ハウルの動く城」で音楽に限らず音に関するすべての作業を担当しているため、合間を見て時計台の鐘や雑踏の音を採取しているのだ。

ジブリ作品は、効果音にもこだわることで知られている。必要であれば、既成のライブラリー音源に頼らず、様々な場所に足を運び、音を採取する。「ハウル」では、物語の舞台となるヨーロッパの空気を表現するために、稲城ら以外にも、フランスやスイスに録音部隊が飛んでいるという。稲城は「雑踏の音を豊富に取れました」と満足そう。

ホテルに、今回の録音でエンジニアを務める江崎友淑がやって来た。江崎は以前、チェコ・フィルでトランペットを吹いていた経験があり、現在はエンジニアとして年に何度もチェコを訪れている。チェコ・フィルを知り尽くした強い味方だ。

夜はプラハ市内の日本料理の店へ。寿司からラーメンまで、日本料理というよりも、“日本人が好きそうな料理”を出す店。味は……様々な意見があったとだけ記しておこう。

「ところで」と久石が稲城に切り出す。「ねぇ、順調なの?」。もちろん「ハウル」の進行状況のことだ。しかし稲城はすかさず「何がですか?」ととぼける。「何がって、決まってるじゃない」とさらに久石が突っ込むと「分かっているんですけど、いや、まぁ」と煮え切らない。「だからどうなのよ」と久石が笑う。稲城は「順調に」と前置きした上でこう答えた。「遅れています」

プラハの夜が更けていく。いよいよ明日から録音が始まる。(依田謙一)

(2004年2月1日 読売新聞)

 

第3回:「眠い!」

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第3回:「眠い!」

2003年10月16日。アルバムの録音が行われるチェコ・プラハへの出発日。久石譲は、フライトの1時間前に成田空港に到着した。開口一番「眠い!」。前日も遅くまで譜面に向かっていたようだ。

この日まで、オーケストラ用の譜面制作のために、午後1時ごろにスタジオ入りし、翌朝までこもりきりの毎日が続いていた。編曲にまだ納得していない様子で、機内で3曲を手直しするという。

ここで、プラハ行きのメンバーを紹介したい。久石、スタジオジブリの音楽担当の稲城和実と津司紀子、徳間ジャパンコミュニケーションズの小林潔、スーパーバイザーの大川正義、久石の拠点スタジオ「ワンダーステーション」のエンジニア浜田純伸と秋田裕之、そして記者の8人。現地の気温が摂氏0度前後と予想されるため、皆、すっかり冬装備だ。

「できれば機内で少し眠りたいけど、緊張して無理かも知れない」と久石。午前11時35分、定刻通り成田を出発。

チェコへは直行便がないため、ドイツ・フランクフルトでトランジット。飛行機から降り立った久石は、まだ険しい顔のままだった。「直しはあと少し。でも、終わりは見えてきたよ」

トランジットの合間も、空港のカフェで修正を続ける。ノートを取り出し、メロディーを口ずさんでは、メモを書き込んでいく。周囲の喧騒はまったく耳に入らないようだ。

修正が一段落し、ワインを口に運ぶ。表情に穏やかさが戻ってきた。「やっとお酒が飲めたよ。いつもの旅なら、飛行機に乗るとすぐに気持ちよくなっているはずなのに」と笑う。
同じくプラハ市内の旧市庁舎広場に面して立つティーン教会
お酒も入ったためか、それまで寡黙だった久石が、にこやかに語り始めた。近々、解剖学者の養老孟司と対談本を出すという。以前、ラジオで話して興味深い話ができたため、もう少し広げてみようということになったそうだ。「養老さんは、難しいことをちゃんと分かるように話してくれる人だよね」

例えばこんな話。「映画音楽の場合、音は絵とジャストのタイミングじゃ駄目なんだ。ジャストだと絵と一緒になった時に早すぎるように聞こえてしまう。1秒間24コマのうち、実際は2、3コマ遅らせてちょうどいいんだ。僕はそれを経験で知っていた。養老さんにその話をしたら、脳の知覚から考えても正しいと言っていたね。視覚情報というのは感覚的で、聴覚情報は論理的だからって」

「音楽というのは、時間と切り離して考えられない。話し言葉と一緒だよね。だから論理的になるんだって。それに対して、絵のような視覚情報というのは、時間と関係なく存在するから感覚的なんだね」

「そうそう、養老さんの書いた『バカの壁』は面白かった。みんなに勧めたよ」

休日の話題に移る。「日曜日はできるだけ休むようにしている。ジムに行って、夜はかみさんと寿司を食べるのが日曜日の大切な行事。世田谷の寿司屋はほとんど開拓したよ」

さて、そろそろ時間だ。プラハへ向かうため、再び、荷物を持つ。

1時間あまりのフライトを終え、現地時間16日20時10分(日本時間17日午前3時)、チェコのルズィニェ国際空港に到着。思った通りの寒さだ。摂氏2度の気温の中、一行を乗せた車は、夜のプラハ市街に滑り込んでいく。(依田謙一)

 

第2回:「何かが降りてきたのかも知れないね」

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第2回:「何かが降りてきたのかも知れないね」

2003年9月。久石譲は、8月に宮崎駿監督とイメージアルバムの打ち合わせをして以来、絵コンテなどをもとに様々な思いを巡らせていたが、まだ1曲もできていなかった。

しかし、悠長に構えているわけにはいかない。録音までに残された時間は、あと1か月となっていた。

時間だけが過ぎていくなか、久石はスタッフに「静かな場所にスタジオを手配できないか」と持ちかけた。都心を離れ、気分を変えるのは、没頭したい時の「恒例行事」だ。

山梨・小淵沢のスタジオが確保されると、久石は自らハンドルを握り、東京を発った。

道中、渋滞につかまったため、疲れもあったが、到着するなりスタジオに入った。ピアノの前に座り、一息つく。

次の瞬間、音が鳴り出した。まるで知っている曲を弾くように、滑らかに指が動く。監督との打ち合わせ以来、頭の中で巡らせていたイメージが、小淵沢の静寂によって、一気に溢れ始めていた。

作曲のために用意された期間は、14日から24日までの11日間。オーケストラ用の譜面制作などを考えると、なんとしてもこの期間で書き上げなければならないはずだが、久石は「時間はなかっだけど、できなくても仕方ないと思って、構えずに臨んだ」と振り返る。

アイデアを冷静にまとめるために、合宿中は規則正しく過ごした。9時45分に起床し、10時から約1時間の散歩。11時30分にブランチを取り、12時30分にスタジオ入り。以降、18時まで、トイレ以外一歩も出ることなく作曲。夕食後、19時から再開し、午前0時過ぎまで取り組む。これが毎日続いた。

最終的に、久石は10曲の「動く音」を生んだ。それぞれモチーフの違うオーケストラ用の曲をこれだけの期間で作るのは、驚異的なペースだ。自分でも「奇跡だ!」と興奮する集中力だった。

コンピューターに打ち込まれた音は、すでに豊かな響きを獲得しており、どれも短期間で作られたとは思えないクオリティーに達していた。

小淵沢は、一般に観光地として知られているが、実際に訪れると、南アルプスや八ヶ岳が目前に迫り、あまりの迫力に、美しさへの感嘆より、畏敬の念を抱く。実は、宮崎監督もこの周辺の風土を愛し、近くに別荘を所有している。

スタジオを後にする頃、久石はこうつぶやいた。「こんなに順調に進むなんて、何かが降りてきたのかも知れないね」──。(依田謙一)

(2004年1月18日 読売新聞)

 

第1回:「そろそろチェコ・フィルでいかがですか?」

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第1回:「そろそろチェコ・フィルでいかがですか?」

宮崎駿監督作品の魅力を語る上で、決して欠かせないものがある。

久石譲の音楽だ。

2人がコンビを組んだ最初の作品「風の谷のナウシカ」(1984年)は、久石の音楽と宮崎監督の紡ぎ出した世界が絶妙に絡み合い、冒頭から一気に引き込まれる。

以来、その「習慣」は変わらない。2人はいつも、最初の3分で、とてもつない映画が始まったことを教えてくれる。

そんな2人が取り組んだのが、2004年11月公開の新作「ハウルの動く城」だ。

同作の音楽打ち合わせが初めて行われたのは、03年8月。まず、これまでの作品と同様に、イメージアルバムを作ることが確認された。

イメージアルバムとは、本編のサウンドトラック制作前に、監督によるイメージ詩やキャラクター設定、作品への思いなどが書かれた手紙をもとに作られる、デモテープ的アルバム。監督はこのアルバムを聴きながら作業を続け、サウンドトラック制作時に、「この要素をもっと広げてほしい」などの要望をする。「ナウシカ」以降、2人が組んだ作品はすべてこの方法で作られてきた。

打ち合わせで、監督は久石に対し「客観的な音楽を」と求めた。日頃、登場人物ごとに「いかにも」なテーマ曲をつけるハリウッド映画的な音楽に疑問を抱き続けていた久石は、この言葉に共感した。

宮崎監督は、決して音楽に詳しいわけではない。楽譜も読めない。しかし、スタジオジブリの音楽担当の稲城和実はこう話す。「勘がいいし、鋭い。音楽に精通した人間でもはっとさせられることがしばしばある」

打ち合わせが終わると、稲城が不意にある提案をした。「そろそろチェコ・フィル(ハーモニー管弦楽団)でいかがですか?」

チェコ・フィルは、ヨーロッパを代表する名門オーケストラ。19世紀末にドボルザークの指揮でコンサートを行って以来、結成100年を超える。日本にもファンが多く、機械的でない「歌心」のある演奏には定評がある。

久石も以前から一目置いており、「もののけ姫」(97年)公開後には、サウンドトラックとは別に、楽曲としての完成度を追求した「交響組曲 もののけ姫」を録音している。

稲城の提案は、そのチェコ・フィルにイメージアルバムで演奏してもらってはどうかというものだった。

このところオーケストラとの共演が続いていた久石は、作曲時に自然とフルオーケストラを想定することが多く、素直にこの提案を受け入れた。何より、「ハウル」の世界観を表現するには、ヨーロッパの正統派オーケストラが演奏するような曲が合うと思っていたのも、決断した大きな理由となった。

久石の依頼を、チェコ・フィル側も快諾。すぐに準備が始まった。しかし、録音日に選ばれた10月中旬までに残された時間は、2か月を切っていた──。

「ハウル」に臨む久石を追った。(依田謙一)

(2004年1月11日 読売新聞)