Info. 2023/07/13 連載 鈴木家の箱「音楽の神様」(Webちくま より)

Posted on 2023/07/13

連載 鈴木家の箱

音楽の神様

鈴木麻実子

『千と千尋の神隠し』の挿入歌「ふたたび」の作詞にまつわるエピソードです。久石譲さんの仕事のすごみが伝わってきます。

 

 私が久石譲さんと初めてお会いしたのは、『千と千尋の神隠し』の挿入歌「ふたたび」の作詞を担当したときだった。

 ある日れんが屋で映画を見た日、帰りに父に「ここに電話して」とCDと電話番号を渡された。なんのことだかさっぱりわからず、「何? 誰? なんで電話するの?」と質問ばかり浮かんでくる私(当たり前だが)に父は「なんか仕事を頼みたいみたい。パパはわからないからとにかく電話してみて」と最小限の情報しかくれなかった。

 父はいつもそうなのだ。説明というものをしてくれない。これ以上聞いても無駄だと思った私は、とにかく電話するしかないと思った。仕事と言われても検討もつかなかった。雑用のアルバイトなんかが足りなくて、頼まれるのかもと思った。それにしても急に他人の私にそんなことを頼むだろうか。考えても謎が謎を呼ぶばかり。この謎を解くには電話してみるしかないのだ。そして私は、女性かも男性かも分からないその人に電話をしてみることにしたのだ。

 人見知りの私は、電話一本するのも一苦労だ。誰ともわからない人にどんな話し方をしたらいいのか。相手は私を知っているのだろうか。父とはどんな関係なのだろうか。考えてもしょうがないことを一瞬のうちに頭に張り巡らせながら電話をかけた。

 出た方は女性だった。「鈴木敏夫の娘の麻実子です」と自己紹介をすると、相手はすぐに「麻実子さん! ご連絡ありがとうございます。○○と申します。」と自己紹介したあとに矢継ぎ早に「早速ですが打ち合わせに来ていただけますか?」と続けた。私はその一瞬ですべてを察した。父とはもう話が決まっているのだ。「パパわからない」はやっぱり嘘だった!

 しかしこんな丸腰の状態で打ち合わせなどというものに行くわけにはいかない。さすがに何の打ち合わせか聞かないと無理だ。そもそも打ち合わせなんてものは人生で一度もしたことがない。どうやって挑めばいいものか想像もつかなかったのだ。

 私は恐る恐る「すいません……実は父から何も聞いてないんですが、今回の事はどんなお話なんでしょう」と聞いてみた。相手の女性は「あ、そうなんですね。大変失礼しました」と焦り気味。彼女は何も悪くないので申し訳ない気持ちでいっぱいになった。はっきりとは覚えていないが「実は今度『千と千尋の神隠し』の挿入歌に歌詞をつけることになり、久石がぜひ麻実子さんに作詞をということだったので鈴木さんにお願いした次第です」というようなことを言われた。

 カントリーロードのときに引き続き、頭の中ははてなでいっぱいだ。まずできあがっている映画の挿入歌に歌詞をつけるってどういうことだ。そして久石さんとは? そして一番は、なぜ私に作詞を頼もうと思ってくれたのか。私の職業ってなんだっけ? 人違いなんじゃないかな? と疑問だらけだった。

「私、作詞ってほとんどやったことないんですけど、本当に私でしょうか?」と聞き返すのが精一杯だった。女性は「もちろんです。麻実子さんです。とりあえず一度お話を聞きに来ませんか?」と言ってメールアドレスを教えてくれた。

 電話を切ると私はすぐに久石さんのことを調べた。ジブリの音楽を作っている作曲家の先生。どうやらとてもすごいお方だ。顔は見たことがなかったので多分面識はない。こんな私がそんなすごい方の曲に作詞なんてしていいんだろうか? もっと適任な方がいるに違いない。これは丁重にお断りするべきだ。そう思った。

 しかし、久石さんはなぜ私にと言ってくださったんだろう。そして私はこれを断ってあとから後悔しないだろうか? 面白い経験になるかもしれないというワクワクと、それに伴う重圧から逃げたいという思いが私の中でせめぎ合った。なにより一番嫌だったのは「打ち合わせ」という未知のものだ。そんなきちんとした場所に行ってきちんとした人たちと話し合うなんて考えただけで吐きそうだ。それから逃げたい一心で断りたいと思った。

 でも私は、やりたくないと思うことをやってみると必ず大きな快楽を得れるということを知っている。やりたくないと思えば思うほど、やったほうがいいのだ。初めてのことでやりたくないと思うこと。それは私にとってやってみるべきというセンサーが働いているようなものなのだ。

 数分悩んだのちに考えるのが面倒くさくなり、「とりあえず何も考えずに行ってみよう」と決意した。行って嫌だったら途中でやめればいいだけだ。そう思うとすぐに、先ほど聞いたメールアドレスに「とりあえず話を聞いてから考えたいので打ち合わせに伺います」とメールを書いた。

 打ち合わせ当日、女性の方に案内され部屋に入ると久石譲さんがいた。久石さんは「初めまして。いつもお父さんにお世話になってます。こないだもね……」と気さくに話しかけてくれた。久石さんを初めて見た印象は、想像していたものとはまったく違っていた。もっと貫禄があってオーラ全開の方で鋭い目をしているイメージだったんだけれど、実際はニコニコして眉毛が下がり、思っていたより細身で、軽々と動くおじさまだった。柔らかい声で丁寧に話す話し方に私は一瞬で好感を持った。

 そして久石さんは「今回ね、千と千尋の神隠しの挿入歌のふたたびっていう曲に歌詞をつけることになってね。誰に作詞お願いしようかなって思ったときに、あ、鈴木さんの娘さん作詞やってるじゃんって思い出して頼んでみようと思ったんだ」と話してくれた。思ったより軽い感じで決まったんだと思い、驚くと同時に少し心が軽くなった。こんな感じならできないと思ったときに断りやすいかもと思った。この方なら私が断っても「そうだよね。じゃあ今回は違う人に頼むよ」と軽く受け入れてくれそうだ。まずは話だけ聞いてみようと思った。

 しかし話を聞いてみると言っても何を聞いたらいいのかよくわからなかった。テーブルには「ふたたび」と書いた楽譜が置いてあったので、それを手に取ってなんとなく眺めていた。まずはでも自分の現状を先にはっきり伝えておいたほうがいいような気がして、私は恐る恐る「私素人なので何もわからないんですが、それでも作詞ってできるものなのでしょうか?」と久石さんに聞いてみた。

 が、聞いた瞬間に深い後悔に包まれた。今までニコニコしていた久石さんの表情が一瞬変わり、空気が変わったのだ。「何言っているの君は? 素人も何もないでしょ?」と言っているような、驚きと呆れが混じったような微妙な表情をしていた。ほんの一瞬であったが、場違いなことを言うのは許さないという気迫を感じた。

 この部屋に入った瞬間、私はプロの作詞家なのだ。そうでなければいけない。そうでないと、巨匠である久石さんの忙しい時間を割いてもらってこんなふうに打ち合わせすることなんてできないのだ。一瞬でそれを悟った私は、自分には断るという選択肢などないことを知った。話を聞いて考えてみるなんておこがましい。もうこのプロジェクトは動き出しているのだ。

 その後久石さんは再び笑顔に戻り、「大丈夫。相談しながらやりましょう。きっと素晴らしい歌詞ができますよ」というようなことを言い、「曲はもう聞きました? ちなみに歌うのは平原綾香さん。ご存じです?」と話を続けた。平原綾香? どこかで聞いたことがある。「Jupiter」の人だ。すごく歌がうまい人だ。いやその前にプロの歌手の人だ。平原綾香が私の書いた歌を歌う? どういうこと?

 頭の中が真っ白になっていた私は、口先だけで受け答えをしていた。しかしなぜだろう。不思議とそんなときのほうが、言葉がスラスラと出てくる。平原綾香が歌うことにもなんの動揺もせず、ドラマや映画で聞いたような言葉をつなぎ合わせて、「どんなコンセプトで書けばいいですか? 何か入れたほうがいい言葉はありますか?」などといっぱしの作詞家のような言葉が口をついて出るのだ。実際の私は幽体離脱してそんな私を部屋の天井の隅から見ている感覚だった。私は緊張が過ぎるといつも幽体離脱してしまうのだ。

 久石さんは、すべて私に任せると言った。とにかく思うように書いてみてと言い、どのくらい時間がかかるかと聞いてきた。さっぱり見当がつかない。作詞って普通どれくらいの期間でするものなんだろう。「普通はどのくらいかかるものなんですか?」と聞き返したいところだが先ほど失敗したので憚られる。カントリーロードはすぐに書けたが、あんなふうにすぐ書けるものなんだろうか? 私が答えを出せずに黙っていると久石さんが「まあじゃあとりあえず一週間くらいかな?」と促してくれたので「そのくらいを目指します」と答えた。

 久石さんの事務所からの帰路、タクシーの中で私は「大変なことになった。もう逃げられない。どうしよう」と焦燥感にかられていた。なんで父はもっとちゃんと説明してくれなかったんだろうなんて恨みの気持ちも浮かんだが、あの父にそんな普通のことを求めても仕方ない。説明してくれていたとしても、私はこの打ち合わせに来ていたかもしれない。

 とにかくもう動き出してしまった。先のことは考えず、今やれることをやっていくしかない。恐るべきことに立ち向かわなければいけないとき私は、自分の足元だけを見るようにしている。高い崖から飛び出た板の上を歩くとき、先を見たら足がすくんで動けなくなってしまう。「忘れる」のが特技な私は、先がどうなっているかをひとまず忘れて、足元だけを見て歩くのだ。家に着くころには「とりあえず忘れよう」といつもの口癖をつぶやき、まず帰ったら何をしようかを考えた。

 

 帰宅してすぐに『千と千尋の神隠し』を見た。見たことはあったのだが、ほとんど覚えていなかった。「ふたたび」がどのシーンで流れるのかもわからなかったので、まずはそれを確認しようと思った。

 制約のない作詞ほど難しいものはない。こんなイメージでとか、こんな言葉を入れてと言われたほうがよっぽど楽だ。自由に書いてみるなんて、どこからどう手をつけていいかわからなかった。まずはイメージから自分で作らなければいけない。そのイメージが、久石さんがイメージしているものと合うのかもわからない。すべて任せるというのは何でもいいよということではきっとないだろう。

 まずは共通のイメージであろう『千と千尋の神隠し』を見まくろうと思った。そして私は千になろう。「ふたたび」の詞は、千が書くのだ。千が書いた詞はきっと久石さんの心を打つに違いない。私は千の想いを言葉にするだけだ。そう考えると少し気持ちが楽になった。

 正直ジブリ映画になじみのない私にとって、『千と千尋の神隠し』を何度も見ることは少し苦痛な作業だった。「ふたたび」が流れるシーンだけ見ればいいかもとも思ったが、きっとそれではイメージはつかめない。少なくとも3回は見ようと思い、連続で3回見た(正直3回目は早送りしまくった)。

 3回も連続で見てみると、今まで思いもしなかった感想がたくさん出てくる。まずキャラクターの造詣が素晴らしい。湯婆婆、カオナシ、坊、オオトリ様、坊ネズミ、釜爺、宮﨑さんの頭の中はどうなってるんだろう。そしてこんなに主役級のキャラクターがたくさんいるのに、すべてのキャラクターが邪魔をし合わずにそれぞれものすごい躍動感で生きている。それでいてすべてのキャラクターが少し切なく、哀愁があるのだ。素晴らしい映画じゃないか。

 見れば見るほど『千と千尋の神隠し』が好きになった。私はこのたくさんの魅力的なキャラクターたちに囲まれて千になり、ハクと手を繋いで大空を飛ぶのだ。目をつぶるとなんとなくイメージが湧いてきた。書けるかもしれない。

 イメージができたら、後は曲に言葉を乗せていく作業だ。まずは曲を完璧に覚えなければいけない。そして、詞の文字数と音符の数をしっかり合わせたいと思った。カントリーロードを書いたときはお手本で書くだけだと思っていたので、文字数をあまり気にせず字余りを連発していたのだ。でも今回は仕事として請け負うのだから、字余りにならないように美しく書かなければならないと思った。

 そこでまず私がやったのは楽譜から音符を抜き出し、詩を書くときのように並べだす作業だ。こんなこと作詞家さんはやらないのかもしれない。でも私にとっては音符を読むよりもカタカナの羅列のほうが、イメージがつきやすいのだ。そのとき私が書いたものがこれだ。

 

こんな感じで音符を書き出して並べた。すごくわかりやすい。この形で詞を書けばいいのだ。そして私はこのカタカナの羅列を見ながら何度も歌う。さっきのイメージと融合させて頭の中で歌えばフレーズが思いつくはずだ。何か決め手になるフレーズが浮かんでくるはず……。

 浮かんでこなかった。さっぱり、どう言葉にしていいかわからない。カントリーロードのときのようにぱっと思いつくような気がしたのに、できない。頭の中にイメージはあるのにうまく言葉にできなくてもどかしかった。どうやらこの方法じゃダメらしい。方法を変えよう。

 次に私が考えたのは、歌のことを忘れて普段自分が詞を書くときのように書いてみようということだった。とにかく今頭にあるイメージが消えないうちに詞にしたい。そこで私が書いたのがこの詞だ。

ふたたび イメージ 完

瞼を閉じれば胸の中 あたたかい手で包む人
ずっとずっと昔に 触れたことのあるぬくもり

暗い道に迷い込んで 泣いていた私
あたたかい光で いつも照らしてくれた

導いてくれたのは いつの日もあなただった
臆病な私の背中を押して ここまで連れてきてくれた

信じてみようと決めた時 たくさんの扉が開いた
前に進むと決めた時 その先に光を見つけた

導いてくれたのは いつの日もあなただった
臆病な私の背中を押して ここまで連れてきてくれた

あなただけが 一筋の光
つないだこの手を離さないで

あなたが照らした道を 私は一人歩いていこう
まっすぐ前を向いて 立ち止らずに
忘れないでいれば いつかまた会える その日のために

 

 久石さんに依頼を受けて2日目のことだったと思う。我ながらいい詞だ。気に入った。私は千になってハクのことを書いた。しかし気に入ったところで、これは歌詞ではない。さあどうする?

 でもこの詞が気に入ったので、まずはこのままの形で誰かに見てほしいという思いもあった。そこで何を思ったか、私はこの詞を久石さんに送ろうと思ったのだ。「相談しながらやっていきましょう」久石さんはそう言っていたじゃないか。1人でその先に進むのが難しいときは相談してもいいはず。と自分に言い聞かせながら、勇気を出して久石さんにメールを送った。

 久石さんとのメールは久石さんの本名の「藤澤守」さんという名前宛てのやり取りだった。なんだか久石さんにメールする気がしない。会ったこともない別の方にご意見を聞く気分だった。でもそれが私にとってはよかった。「王様の耳はロバの耳」と洞穴に叫んだ家来のように、存在があやふやな「藤澤守」という人にならなんでも言える気持ちになった。

「ふたたびのイメージで詞を書いてみました。でも私はこれを曲に当て込むことができません。この詞が好きになってしまったので、どこを省いていいかわかりません。どうしましょう」プロらしからぬメールを藤澤守さん宛てに送ったのだ。

 送ってすぐに久石さんから電話がかかってきた。一瞬出るのに躊躇した。藤澤守さんにメールをしたのに久石さんから電話がかかってきてしまった。急に現実感が襲ってきて、何を言われるんだろうと恐かった。恐る恐る電話に出ると、久石さんは興奮気味に「これは素晴らしい。素晴らしい詞ですよ。たった2日でこれを書いたなんて麻実子さんに頼んで良かった!」とまさかの大絶賛をしてくれたのだ。曲に当て込むことができないなんてまるでどうでもいいことのように。

 私は頭を何かで殴られたような、強い、衝撃的な感動を覚えた。久石さんと私が共鳴してお互いに感動し、ほかのことがどうでもよくなる瞬間。なんて素晴らしい瞬間なのだろう。気持ちが高まって、すべてがうまくいくような気がした。今この気持ちのまま書けば完璧ないい詞が書けそうだ。私はいてもたってもいられなくなり、「ちょっと書きたくなってきたのでまた連絡します」と言い、すぐに電話を切った。

 そしてもう一度カタカナの音符表を見ながら、先ほど書いた詞をイメージしながら少し短い詞を朗読した。何も考えず、ただ美しい言葉を吐き出す。どこを省くなんて考えない。新しい詞を作る。それで歌詞ができる気がした。

 

 短くはできたものの何かが違う、どこかが合っていない、しっくりこない。私は音符を見ながら歌ってみた。いい歌詞ができたのだがやはり何か違う、合っていない、字余りだ。

 そこからは事務的な作業だった。一旦歌詞へのこだわりは忘れて、とことん事務的に作業してみようと思った。カタカナに歌詞を一つひとつのせてみる。ここはこっちの言葉のほうがいいかも。「信じてみようと」は「信じて進むと」に変えよう。ハクは暗い道で泣いていた千を光のほうへ導いてくれた。その道筋を進む姿を表現したかったのだ。

 微調整を繰り返し、なんとか最終の歌詞ができあがり、すぐに久石さんに連絡した。また久石さんから電話がかかってきて、「すごくいい。でもハクが千を導くのが少し唐突だ、イメージ文の中に「暗い道に迷い込んで」というフレーズがあったからあれを最初の方に入れたらどうか? 暗い道から手をひいて光の方に導いて連れていくというイメージがすごくわかりやすくなる」と言われた。そう話す久石さんは、とても興奮しているように、ワクワクしているように、「暗い道に迷い込んだ私が導かれて光のほうへ進む。いいじゃない? すごくいい」と熱を持って語ってくれた。

「暗い道に迷い込んで」というフレーズは私も本当は入れたかった。でもそれを入れてしまうと他のどれか一つを消さなきゃいけない。他が好きすぎてひとつも消したくないのだ。次の日に仕上がったものを持って打ち合わせに伺うことを約束し、「もう少し考えてみます」と言って電話を切った。

 それから私はどこを削るかを悩みに悩んだ。他のフレーズは絶対に消したくないのだ。しかし、久石さんに唐突だと言われたので「暗い道に迷い込み」のフレーズは入れたほうがいいのだろう。でも入れるスペースがないのだ。こんなふうにフレーズを消さなきゃいけないならもうこの仕事を断わりたい。とまで思った。

 自分の書いた気に入ったものを消すのはとてもストレスだった。好きなことは仕事にするもんじゃないなんてことを考えながら、結局何時間考えても答えは出ず、最後はもう投げやりになった。とりあえず明日行ってから相談しよう。私には決められない。最終的にどこを消すかは久石さんに決めてもらえばいい。しいて言うなら「青空にはばたこう~」の部分かもしれない。でも「つないだその手をはなさないで」はすごくいいフレーズだ。歌うときにも力を入れて盛り上がれる部分だ。悩みに悩んだが答えは出ず、私は結局曲を完成しないまま、次の日の打ち合わせに向かったのだ。

 

 次の日久石さんは賛辞の言葉とともに私を迎えてくれた。「こんなにすぐにあんなにいい曲ができあがるなんて驚きました。あのイメージの詞もすごく良かった。あれを見たときにいい曲ができると確信した」というようなことを言ってくださった。

 すごく嬉しい、嬉しいのだが、私の心は曇っていた。今日最終の歌詞が決まる。私が書いた詞のどこかのフレーズが消される。悲しくてしょうがなかったし、どこを消してどんな歌詞ができあがるのか想像も付かなかった。とりあえず、自分では消せなかったことを話そうと思い、書いてきた歌詞を出して、久石さんに見せた。

「「暗い道に迷い込み ひとりぼっちで泣いてたあの日」という歌詞を作りましたが、そのフレーズを入れるとサビ部分が一つ増えちゃうからどれか消さなきゃいけないんです。私の中で消していいと思えるフレーズがなくて、選べませんでした。「青空にはばたこう~」の部分かなと思ったんですが、そこも羽ばたくイメージがすごく良くて迷ってます」と正直に言った。

 そのときの久石さんの言葉を私は一生忘れない。久石さんは私の書いた詞を見て、「すごくいい詞だからどこも消したくないよね。青空にはばたくところは消しちゃだめだよ。僕が曲を変えればいいだけ。この詞に合うように曲を変えましょう」と言ってくれたのだ。とてもあったかい話し方で、心にすーっと染み入る台詞だった。そしておもむろに楽譜を出し「ここにサビをもう1フレーズ加えればいいかな?」とすぐにペン入れをしてくれた。

 私は放心状態のまま、ポーッとしながら「はい……」と気の抜けた声で答えたのを覚えている。何を言われているのかよくわからなかった。私の書いた詞に合わせて久石さんが曲を変えてくれるなんて、万にひとつも考えていなかった。あまりの感動に今にも溢れだしそうな涙をこらえるのに精いっぱいで、言葉が出なかった。

 久石さんのようなすごい音楽家は、私のような素人に毛が生えた作詞家が書いた1フレーズをもこんなに大切に扱ってくれるのだ。久石さんが音楽の神様のように見えた。音楽を愛し、曲を愛し、歌詞の1フレーズを愛す人だからこそ、類まれなる才能に恵まれたのだと思った。

 

 

こうして「ふたたび」の歌詞はできあがった。久石さんの娘さんの麻衣さんがテスト歌入れをした完成曲を聞いたときは、涙をこらえることができなかった。久石さんは「本当に素晴らしい曲です。いい歌詞だ」と何度も褒めてくださった。私は心から嬉しかった。

 

 

 そして「ふたたび」は「久石譲 in 武道館~宮﨑アニメと共に歩んだ25年間」というコンサートで初披露されることになった。

 オーケストラが聞きなれたイントロを奏で、ステージの上で平原綾香さんが私の作った歌詞を歌いはじめた時は、世界が止まって見えるような感覚がした。言いようのない興奮と感動で、全身の血が逆流して鳥肌が立ち、一歩も動けず、とめどなく流れる涙をぬぐうこともできず、ただただ目の前の信じられない光景に釘付けになっていた。恍惚という言葉はこんなときに使うのだろうか。

 コンサートが終わってしばらくしたあと、平原綾香さんのアルバムに「ふたたび」が収録されることが決まりレコーディングに立ち会う機会があった。コンサートのときに一度お会いしていた平原綾香さんは、レコーディングではひときわオーラを放っていて、触れたら壊れてしまいそうな繊細さをまとっているように見えた。

 レコーディングスタジオの隅の床にうずくまり、1人でアカペラで、いろんな奇妙な声を出し、発声練習をしていた。その発声練習だけでひとつのアルバムができるんじゃないかと思うほど美しい声で、この世に存在しない妖精の楽器のようだと思った。

 レコーディング本番で平原綾香さんは、久石さんの言うことを瞬時に汲み取り、妖精の楽器を巧みに奏でていた。プロの歌手の方はこんなに何種類もの声を持っているんだと驚いた。

「「ひ」が違う。もっと強いけれど切なくもあるんだよ」なんて要求にも即座に対応し、何種類もの「ひ」を歌いこなしていたのだ。

 そのたびに私は心の中で「すごい……一瞬で声が変わった。本当に切なくなった!」と声を出さんばかりだった。

 ここにもまた1人、妖精の楽器を持つ音楽の神様がいたのだ。

 2人の音楽の神様の競演は、この世のものとは思えない天国のような空間だった。そして私はそれを、また幽体離脱して部屋の天井の隅からずっと見ていた。

 

出典:音楽の神様|鈴木家の箱|鈴木 麻実子|webちくま
https://www.webchikuma.jp/articles/-/3141

 

 

コメントする/To Comment