Info. 2023/08/29 米津玄師、宮﨑駿との日々から得た「創作の祝福と呪い」(GQ JAPANより)

Posted on 2023/08/29

米津玄師、宮﨑駿との日々から得た「創作の祝福と呪い」

いまや国民的アーティストとなった、米津玄師。彼が宮﨑駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』の主題歌「地球儀」を制作したのは広く知られるところだ。約4年にもわたる制作期間に何があったのか? 巨匠・宮﨑駿と向き合うという一世一代の仕事を終えた現在の心境、そしてこれからの展望とは。窓の外に蝉の声が響く部屋で、目の前に座る米津玄師に尋ねた。

By 照沼健太

 

この4年間、『君たちはどう生きるか』を意識しない日はなかった

「絵コンテは精神的にも肉体的にも重たかった」と、米津は苦笑いしながら当時を振り返る。

映画『君たちはどう生きるか』主題歌の制作は、宮﨑駿本人が書き上げた5冊にもおよぶ絵コンテを受け取ったところから始まった。

「今までの宮崎さんの作品とは一線を画する、100人いれば100人が違う感想にたどり着く内容だと感じました。だから、『これにどういう音楽をつければいいんだろう……』と途方に暮れましたね。ポップミュージックを作ってきた人間として、『今までのようなやり方では到底通用しない』という予感ばかりがそこにありました」

全員が違うものを感じる映画。それはつまり、「観客の心情に寄り添う主題歌」を作ることはほぼ不可能、ということだ。

さらに本作の場合、絵コンテのト書き(注:セリフ以外の演出指示や意図を伝える文章)がヒントになることもなかったという。

「書いてあるのはほとんどが作画に関する技術的な指示で、そのカットの真意やキャラクターの心情を補足する説明はほぼありませんでした。とくに、劇中でファンタジー世界に行ってからは宮﨑さんのイマジネーションの連続なので、ト書きがあるから楽曲制作がたやすくなる、というようなものではありませんでした」

木製の椅子と床が軋む小さな部屋で、米津は当時を回想しながら困惑の表情を浮かべる。

「最初に宮﨑さんと鈴木(敏夫)さんと打合せをしたとき、宮﨑さんがこれまで映画で見せてこなかった『今まで隠してきたもの、自分の中にある暗くドロドロした部分』をすべて描くと伺ったんです。自分は書籍や映画を通しての彼しか知らない。『彼のすべてを理解することは絶対不可能だろう』と思いました」

『君たちはどう生きるか』の主題歌とどう向き合うのか、という問いは、宮﨑駿の影響を多大に受けて育った人間としてだけでなく、プロのミュージシャンとしても、米津玄師にとってかつてない試練になった。

実際、2019年以降の米津は、アルバムリリースやツアー、数々の大型タイアップに取り組む多忙な日々を過ごす中でも、『君たちはどう生きるか』について考えない日はなかったという。

「4年間、ずっと頭の片隅にこの映画のことがありました。何をするにしても、関係ない曲を作っていても、日常生活を送っている時も、ずっと視界に薄い膜が張っていて、『君たちはどう生きるか』と書かれている感じというか。確かに重たいプレッシャーだったし、常にそこに向けて準備しているような意識がありました」

 

「スコットランド民謡」という選択に見る、映画との深いシンクロ

約2年間コンテに向き合い続けた米津は、次の2年をかけて「地球儀」という楽曲のかたちを探すことになる。

「いろんな変遷がありましたが、最初は映画のタイトルに対し『私はどうやって生きてきたか』を表現しようと考え、もっとデジタルなアレンジで行こうと思いました。自分の音楽活動の原点はボーカロイドであり、自分にとって音楽とは『パソコンの画面から流れてくるもの』でした。だから、自分が歩んだ道のりを表現するには、打ち込みのトラックがふさわしいと思っていたんです」

だが、米津は『君たちはどう生きるか』とより深く向き合うなか、「自らの文脈」としてのデジタルサウンド導入を思いとどまったという。

「絵コンテを読み込んでいくうちに『自分がやろうとしていることは、あまりにも行き過ぎたエゴだ』と感じて、絵コンテから得られるインスピレーションだけで楽曲を構築すべきだと思い直しました。それが『宮崎駿とはどういう人間なのか』『宮﨑駿と私の関係性はどういうものなのか』という視点や、『新しくも古くもない、長く聴けるもの』という楽曲のイメージにつながっていきました」

楽曲のイメージは固まり、さらにトライ&エラーが続けられていく。

「『ジョニ・ミッチェルみたいな曲を作ろう』とか、連想するイメージを次から次へと試していきました。使う楽器もピアノにしたり、ギターにしたり。最初はカホンを叩いたこともあったのですが、タイ料理屋さんでかかっていそうな音楽になって、作品とあまりに合わないのでやめました。で、そういうことを繰り返していくうちに、『スコットランド民謡を作ろう』というアイディアが出てきたんです」

「なぜスコットランド民謡なのかと訊かれると、『宮﨑さんの映画から感じるものがそれだった』としか言えないのですが、スコットランド民謡は日本でも馴染み深いもので、「蛍の光」など日本の童謡もそれが原点だったりするので、この映画においてもそれは適用されるだろうという予感がありました」

米津はそう話すが、“西洋由来の日本文化”であるアニメーションと、ルーツとは無縁の文脈で日本人に親しまれているスコットランド民謡との間に、無意識のうちに共通するものを感じ取っていたのかもしれない。

アメリカのディズニーが日本のアニメ文化の成り立ちに大きな影響を与えたのはもちろん、宮﨑駿と故・高畑勲が大きな影響を受けたアニメ映画『やぶにらみの暴君』がフランスの作品であるように、アニメの根底には西洋文化が横たわっている。宮﨑駿がそういったアニメのルーツに自覚的で、日本人としてある種の逡巡すら持っていたことは、自らの影響源である作品群に触れた数々の発言や、ジブリ美術館の一連の企画展、『千と千尋の神隠し』の油屋を「擬洋風」として描いたことなどから読み取ることができる。

そして、米津玄師もまた、「J-POP」という、西洋文化を大きな参照点としながら日本独自の進化を繰り返してきた音楽をメインフィールドとする作家である。そこで得た何かしらの体感が、宮﨑駿とアニメーションの関係性を「スコットランド民謡」という選択で無意識的に表現させたとしても、決して不思議なことではないだろう。

 

『君たちはどう生きるか』のクライマックスに見た「創作の本質」

米津が設定した「宮崎駿とは」「宮﨑駿と私の関係性とは」という視点は、歌詞にもはっきりと見て取れる。そのうえで注目したいのは、米津にしては珍しく劇中のシーンをストレートに描写した「一欠片握り込んだ 秘密を忘れぬように」という一節だ。

「『劇中のワンシーンを盛り込もう』という意識があって書いた歌詞ではないのですが、確かにそうですよね……。そうとしか考えられない。実際、ここはすごく好きなシーンなんです」

映画の終盤で、異世界から現実に帰還した主人公・眞人は、向こうでの記憶を保持していることを青サギに問い詰められ、異世界から持ち帰った石をポケットから取り出す。

この場面は、エンドロール直前のラストシーンでも繰り返される。控えめな描写ではあるが、東京へ戻るための荷造りをしている眞人がふとポケットの中にある石を取り出し、再びポケットに戻す様子が描かれているのだ。

「あのシーンから僕は『創作の本質』のようなものを感じて、それを受け取った気がしたんです。何かを見て、体験して、その欠片を拾い込んで、形として持っておく。それを見るたびに、何かを思い出し、それを思い出せなくなったとしても、決してなくなりはしない、という。『千と千尋の神隠し』の最後のシーンにもそんなセリフがありましたけど、そこに自分は『祝福のようなもの』を感じるんですよね」

そのうえで米津は、そこにあるのは祝福ばかりではない、とも指摘する。

「最後に青サギは、まるで眞人を脅すような口ぶりで、持ち帰った石について説明する。そこに、すごく感じ入るものがありました。それは『祝福でありながら、同時に呪いでもある』。そういうものを見てしまった、感じてしまったという事にずっと囚われながら生きていかざるを得ないという事なんですよね」

祝福と、呪い。

「これは自分が音楽を作る人間だから抱く感想だと思うのですが、得てしてそういう人間って、幼少の頃、感性が豊かだった時代に、どういう体験をして、何を見たか。それは、見てしまったかと言ってもいいのですが、そういうものにずっと追いかけられながら生きていくものだと思うんですよね。新しいものを作ることを繰り返していくうちに歳をとって、時代も変わっていって。そこから、より新しいものを作ろうとしていったところで、自分の後ろからその頃の記憶や体験、その頃の自分みたいなものがどんどん追いかけてくる。そこから逃げおおせることは不可能なんです。だからそれは祝福でありつつ、呪いでもありつつという事を、このシーンから感じました」

8月上旬に米津のYouTubeチャンネルで公開された「米津玄師 × 菅田将暉 – 僕たちはどう生きるか 対談」では、青サギを演じた菅田将暉と対談している。米津が幼少期に『もののけ姫』を映画館で鑑賞した際に、その前後の記憶を細部まで覚えていると話していたが、あれも米津にとって「見てしまった」経験のひとつなのかもしれない。

「よくインタビューで『この曲で伝えたいことは?どう聞いて欲しいですか?』といったことを訊かれるんですよ。都度、その場の思いつきで答えたりもするのですが、なんでしょうね……。正直、『そんなこと考えて作ってねえよ』と思うんですよ。その人にとって豊かな体験であって欲しいというふうには思うんですけど、自分の中を遡っていった時に最終的に残るのは、『子どもの頃に、何かを見てしまった』ってことに尽きるんじゃないかって。

たとえば、もし子どもの頃にUFOみたいなものを見てしまったら、大人になっても『UFO見たことあるんだよ』って話をするじゃないですか。突き詰めれば、創作の本質というのは、そうした『見てしまった』というところにあって、それ以上でも以下でもないんじゃないかと。あのシーンや、『一欠片握り込んだ 秘密を忘れぬように』という歌詞には、なにかそういったものが表れている気がします」

 

再び問いかけられる『どう生きるか』

さまざまな試行錯誤を経て「地球儀」は完成し、『君たちはどう生きるか』とともに公開された。約4年間をかけたこのプロジェクトを終えた今、米津はどんなフェーズにいるのか。

「映画が公開されて1カ月くらい経ちましたけど、『燃え尽き症候群とはこのことなんだろうな』という感じがしています。宮﨑さんの映画にずっと触れて育ってきて、光栄の最上級の体験だな、これ以上に光栄と思えることはこの先ないだろうなということだけが今確かという感じがして。

『これから先、どのように音楽を続けていくのか』とか『それ相応に歳をとってきた自分とどうやって向き合っていくのか』といったことに対して、部屋の中を掃除するみたいに、ひとつひとつ取捨選択する必要があるんだろうなと思いながら、今はぼーっと過ごしている状態ですね」

まさに金字塔。文化的な視点から見ても、米津玄師の個人史としても「地球儀」はあまりにも大きな仕事だ。

そのうえで、今回ぜひ訊いておきたいことがもうひとつあった。

それはこの「地球儀」も含め、近年の米津玄師について高まり続けている評判のひとつが、提供楽曲における「解釈力」であるという点だ。その能力は、米津がOP主題歌「KICK BACK」を提供したアニメ『チェンソーマン』の劇中の言葉になぞらえて、「解釈の悪魔」と一部で呼ばれているほどである。

「最近、そういうことを急に言われるようになってきて、自分でも『何でだろう?』って考えたんですよ。明確な答えはないけれど、思い当たるとしたら、『日記』なんです。自分は毎日、その日に感じたことをざっと日記に書いていて、そこでは最近触れた音楽や漫画、映画について言語で分解して再構築することを試みています。それを15年くらい欠かさずにやってきたのですが、その経験が歌詞の面で良い反応を生むようになってきたのかなという気はしています」

この話を聞いて連想したのは、「地球儀」のアートワークとして使用されている、『君たちはどう生きるか』の眞人が机に向かうシーンのレイアウト原画だ。また、「地球儀」初回版の写真集に宮﨑駿と米津玄師がそれぞれ机に向かう写真が対比されるように並べられていたこと、そして先日発表された米津とロエベとのコラボキャンペーンビジュアルが、米津の「創作空間」をイメージしたセットだったことを思い出さずにいられない。

最後に、米津自身が創作を行う部屋について尋ねてみた。

「暗い部屋であって欲しいというのはありますね。光を遮断する遮光カーテンはまず絶対あって欲しいし、真っ暗にしてスタンドライト一個だけで作業するのが自分はいちばん捗るので。

できることならアルバム1枚作るごとに引っ越したいと思っていて、実際、頻繁に引っ越しをするので、『今回のアルバムはここで作る』という仮暮らし。放浪するような感じでスタジオを作っている気はしますね」

街から街へ。それは住環境から得るインスピレーションのためか、それとも気持ちの切り替えのためなのか。

「両方ありますね。街から受けるインスピレーションってすごく大きくて、自分が思っている以上に、住んでいる街に音楽が影響されている感じがします」

陽が傾き始めた夏の午後、新しい暮らしについて話す米津の佇まいから、何度目かの新しい風が吹く気配が感じられた。

32歳の若さにして、米津玄師は人生における大きな仕事を成し遂げた。しかし、これは終わりではない。

「地球儀」と『君たちはどう生きるか』、そして宮﨑駿と対峙し続けた日々は、彼にとって新たな“一欠片”となるはずだ。祝福と呪い、両方の力を持つ、自分だけの大切な秘密として。

 

出典:米津玄師、宮﨑駿との日々から得た「創作の祝福と呪い」 | GQ JAPAN
https://www.gqjapan.jp/article/20280829-yonezu-kenshi-hype

 

 

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