Overtone.第99回 通常配置と対向配置、誰が決める?

Posted on 2024/12/20

ふらいすとーんです。

今回はオーケストラの楽器配置です。

久石譲は本格的にクラシック音楽の指揮活動を始めた2010年代前半から、コンサートもレコーディングもそのほとんどを対向配置(古典配置/両翼配置)というフォーメーションで臨んでいます。ベートーヴェンはじめ古典派の時代にも主流だったものです。この配置の特徴に、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右対称に位置すること(だから両翼)や、コントラバスとテューバの低音が左と右とで拮抗することなどがあります。

一方の通常配置(一般配置)は、20世紀に入ってから音響的に高音から低音へと固めて流れるように、楽器群も高音楽器(左)から低音楽器(右)に固めて配置したものです。録音する際にも合理的だったのがそのきっかけとも言われています。どんどん広いホールで演奏されるようになる時代の変化ともリンクしています。大きな音の塊やうねりとなりやすい通常配置から生まれる音響と、より掛け合いやアンサンブルのさまを感じやすい対向配置から生まれる音響、それぞれにメリットあります。

 

対向配置(左側)と通常配置(右側)

 

 

久石譲音楽の対向配置の魅力、コンサートで体感してほしいところ。ぜひハマってください。

 

それからそれから、久石譲ファンおなじみ「World Dreams」「DA・MA・SHI・絵」や、交響組曲になった「ラピュタ」「もののけ姫」なども、オリジナル盤の通常配置と最新録音の対向配置、音源で耳をすませてほしいところ。聴きどころ満載です。

 

 

 

通常配置と対向配置、どっちが多い?

今、クラシックはじめオーケストラ演奏会では、どうなっているでしょうか。コンサートに行ったとき、テレビや動画で見るとき、気にしてチェックしてみてください。感覚値では半々くらいじゃないかなと思います。もしアーカイブされている過去映像まで遡るなら通常配置のほうが少し多いかもしれません。

ベートーヴェンもブラームスも対向配置を想定して作曲した。なのに楽器配置はどちらでも演奏される。久石譲も対向配置を想定して作曲している。なのに通常配置で演奏されることもある。なんで?──ずっと素朴な疑問でした。古典音楽はともかくとしても、現代作品であれば作曲家の意思は直に尊重されないものなのかな?、、なんならオリジナルスコアに「この作品は対向配置を推奨している」くらい明記してもいいことじゃないのかな?

 

通常配置と対向配置、誰が決める?

作曲家の意思はあまり尊重されないのか、じゃあ決定権は指揮者が握っているのか、そう思案していたところ違う発見もありました。クラシック音楽誌「レコード芸術」にあった音楽評論家のお話から紹介します。

 

 

連載 Viewpoint 70

今月のテーマ・ディスク
シューベルト:交響曲第8番《未完成》&第9番《ザ・グレイト》

 

③「古典配置」が「対話」を促進

通常配置か対向配置かそれが問題だ

舩木:
それにしても、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管はずいぶん変わりましたね。私が実演で初めて聴いたのは、マズアに率いられて来た1987年の来日公演。ちょっと雑味を含んだ、渋くて重量のある響きで。それが今は、本当に洗練されたオーケストラになりました。

満津岡:
それにまず古典配置になったのも大きいですよね。

舩木:
同感です。ブロムシュテットは、本来は古典配置、つまり第2ヴァイオリンが客席からみて右側にいる「対向配置」でやりたい人でしょう。サンフランシスコ響でもやっていましたか。シュターツカペレ・ドレスデンでは通常配置でした。

満津岡:
ドレスデンは伝統があり「私たちは通常配置で」と言われてできなかったそうです。ゲヴァントハウス管は、シャイーの時代も古典配置で演奏していましたし、アンサンブルの作り方がじつに巧みです。

舩木:
対向配置で、プレイヤーたちも腕を上げたと思います。

満津岡:
ブロムシュテットは、第2ヴァイオリンも第1ヴァイオリンと同じぐらいうまくなくていはいけない、と言っています。パーヴォ・ヤルヴィも、通常配置だと第2ヴァイオリンが完全に伴奏になってしまうと話していましたが、同じ考え方ですよね。

舩木:
ブロムシュテットが古典配置を実施したことと、彼のスコアの読みが変わってきたことの間には、関連があると思いますか?

満津岡:
大いにあると思います。ブロムシュテットは、自伝の中で対向にする根拠として「19世紀までの音楽は、それを前提に書かれているから」と話していましたし、それによってスコアの読み方、バランスのとり方も変わって来るのは当然だと思います。

舩木:
今回の録音でも、内声部の扱いが非常に丁寧ですね。ABABAの構造で書かれた第2楽章で、Bがイ長調で再帰してくるところ【第267小節~】。ここの第2ヴァイオリンとヴィオラは、本当に見事です。連続する16分音符でユニゾンで動いているのですが、ちょっとしたクレッシェンド/デクレッシェンドが、寄せては返す波さながらで、とても美しい。

満津岡:
確かにそこは見事。古典配置では、ヴィオラと第2ヴァイオリンが一緒に動くところも一つのポイントですね。

舩木:
シューベルトのスコアをよく見ると、第2ヴァイオリンは、他の楽器とこのように組になって音色を作ることもあれば、対話をするところもあり、とても繊細に書かれていますね。対向配置の方が、これら二つの状況の違いがはっきりと出やすい。

満津岡:
《ザ・グレイト》は、通常配置では「対話」が分かりづらく、となるとあとはテンポをぐらぐら揺らしてクライマックスをつくるしかやりようがない(笑)。ブロムシュテットはそういう演奏に対して非常に否定的なことを言っています。自伝の中でも「対話の原則」という言い方をしていて、そのことは、ことにこの《ザ・グレイト》のような作品だと非常によくわかりますし、実際とても効果的です。

舩木:
まさに。各パートがどんなバランスと言葉遣いでもって対話するか。そこをみるのは、この音楽を聴く醍醐味でしょう。

(「レコード芸術 2022年10月号 Vol.71 No.865」より抜粋)

 

 

答えは「オーケストラ楽団の伝統」という決定権もあるということでした。一般的に、指揮者と楽器配置はイコールです。対向配置をとっている指揮者であれば古典~近代クラシック~現代音楽も対向配置で臨むことが多いと思います。オーケストラ側が共演指揮者に合わせて臨機応変に対応している。そんな中でも、かたくなに通常配置を死守したいオーケストラ楽団もあるんですね。もしかしたら「この作品は」だったのかもしれませんけれど。ウィーン・フィルも通常配置のほうが感覚的に多い気はしますが、指揮者の要望に応えて対向配置をとる演奏会もあります。

オーケストラも「音をつくる」と言われます。それぞれの楽団で音像や雰囲気に特徴があります。普段と演奏配置が変わればパートの呼吸が合わせにくかったり、アイコンタクトがしづらかったりと、いろいろあるでしょう。音の距離もあるから、楽器の距離が変わるだけで0コンマ何秒で合わせるタイミングも変わってくるとか、いろいろあるでしょう。なるほどなるほど。だからリハーサルもすごく大切ですね。なるほどなるほど。

上のお話では、対向配置の魅力や特徴を伝えるキーワードも満載でしたね。「アンサンブルの作り方がじつに巧み」「第2ヴァイオリンも第1ヴァイオリンと同じぐらいうまくなくてはいけない」「プレイヤーたちも腕を上げた」「対話」、なるほどなるほど。

 

 

久石譲=対向配置です。話題にあがったシューベルト交響曲もあります。上の解説のポイント箇所をおさえながら、久石譲版も聴いてみよう。

 

 

 

話は変わって。

通常配置の魅力も知りたい。また別のクラシック音楽誌「モーストリー・クラシック」ではこんなことが触れられていました。オーケストラの楽しみかた?オーケストラを楽しむポイント?、そんなコーナーだったと思います。

 

 

弦楽器の通常配置は、客席から見て左(下手)から、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロだ。チェロの音をより明瞭に聴衆に届けたいときはチェロを内側にしてヴィオラを外側にする。いずれの配置でもチェロの後方にコントラバスが控える。

もう1つのタイプは、第2ヴァイオリンが上手外側に来て第1ヴァイオリンと向かい合う左右両翼配置(対向配置)だ。これもチェロが上手奥、または下手奥の2タイプがあり、下手奥のときはコントラバスも一緒に来る。

左右両翼型は古い時代に慣例だった配置で、例えばベートーヴェンの交響曲第4番、第6番『田園』、チャイコフスキーの第6番『悲愴』等にはヴァイオリンのステレオ音響効果を聴かせる箇所があるので、この配置が活きる。

だが、新しい時代になると、この形では対応できない作品も書かれるようになった。例えば、ショスタコーヴィチの交響曲第5番の第3楽章は、ヴァイオリンが2部ではなく3部に分かれ、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのそれぞれのパート譜に3つのパートが書き込まれているため、ヴァイオリン奏者は1ヵ所にまとめられていないと3分割が不可能、もしくはとてつもなく困難になる。

そうしたことから、指揮者のストコフスキーが提唱して現在の通常配置がおこなわれるようになったようだ。しかし、左右両翼配置を偏愛する指揮者も少なからず存在するし、曲によってはその方が映える。だから、いかなる配置をとるのかを見極め、そのメリットが果たして発揮されているかを聴きとるのが大きな楽しみとなる。

数を数えるというのは編成規模をみることだ。第1ヴァイオリンが16なら「16型」といい、原則的にそこから2ずつ減じて、第2ヴァイオリン14、ヴィオラ12、チェロ10、コントラバス8となる。「14型」なら12、10、8、6、「12型」なら10、8、6、4が基準だ。

(「モーストリー・クラシック 2023年1月号 vol.308」より抜粋)

 

 

これを見ていくと、通常配置にも対向配置にも基本型とさらに細かい配置パターンがあること、対向配置で映える作品があること、通常配置でないと対応しづらい作品があることなど、またいろいろなことが見えてきて好奇心も生まれてきます。

これ、だから、なおさら予めスコアに楽器配置を推奨してたほうがいいんじゃない?って素人はついそう思うのですが。そうかあ、でもそうするとプログラムが組みづらくなる。同じ演奏会で前半はベートーヴェン交響曲を対向配置で、後半はショスタコーヴィチ交響曲を通常配置でなんて出来ない。休憩時間に大掛かりなセットチェンジにもなるし、そもそもリハから大変になるし、演奏者の楽器と音の距離感も対応がとても難しいはず。

久石譲の場合、古典音楽と現代音楽を並べる、クラシック音楽と自作品を並べるプログラム。そして同じアプローチで臨む、だから一貫して対向配置をとっているんですね。はっきりしてる。

 

 

進化。

これはもう時効でいいかな、今思えばで感想を振り返ってもいいかなと思うこと。久石譲が対向配置に切り替えた頃の演奏会は弦が薄いと感じることがありました。過去から聴き親しんでいた久石譲の音楽、たとえばナウシカやなんかで。その時は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが分かれたから塊としての音圧が無くなったのかなと心ひそかに抱いていました。同じタイミングで大規模だった編成から一般的な2管編成へとぐっと絞られたこともあったのかもしれません。なんか迫力がないと思った演奏会がいくつかありました。

今となってしまえば、そんな記憶も吹き飛ぶくらい久石譲指揮の音像は充実しています。楽器配置が違うということは、楽器の鳴らし方も変えていかないといけないのかもしれません。今、久石譲コンサートを聴いても、あるいは一番小さい編成(室内オーケストラ)のFOCコンサートを聴いても、迫力が足りないなんて思うことは決してないと思います。つまり久石譲は私たちに内緒で勝手に進化している。手放しで音を楽しみ、ワクワクやゾクゾクを味わえるのは、対向配置を採用して約10年以上になる指揮:久石譲の優れた技芸です。

 

 

メモ。

今回のことで少し過去コンサートの映像を振り返り。WDO2014なんと通常配置の衝撃、WDO2015以降は盤石の対向配置、いや2013年の読響シンフォニックライブも対向配置、いやいや2011年の西本願寺音舞台もその前のチャリティーコンサートも対向配置。そうです、移行期はこの2011年「3.11 チャリティーコンサート 〜ザ ベスト オブ シネマミュージック〜」前後じゃないかなと思っています。アルバム聴いてもジャケットを見ても対向配置になっています。

「ミニマリズム」(2009)や「メロディフォニー」(2010)までは通常配置です。2009年から2011年にまたがる「坂の上の雲」もそうです。そこから2015年前後くらいの作品は移行期で入り乱れてるかもしれません。録音時期やライヴかなどにもよるでしょう。

 

 

むすび。

通常配置と対向配置、いろんなことがわかりました。わかりましたが、久石譲=対向配置です。最新録音版の「World Dreams」「DA・MA・SHI・絵」や交響組曲になった「ラピュタ」「もののけ姫」などを聴いても対向配置の効果は絶大です。当初から対向配置想定して書いていた?と思うくらいぴしゃっとハマっています。もともとあったフレーズたちでそう感じてしまうサラウンドに耳の幸せ広がっていく。

これからますます久石譲作品は世界中で演奏されていきます。通常配置と対向配置のどちらでも聴ける機会は増えていくでしょう。通常配置で違う魅力が聴けるならそれは楽しいし半減したら残念に思う。今人気のある作品たちが音源とスコアと両輪で世に出てきている流れはうれしいことです。対向配置で演奏する効果を多くの指揮者や演奏者の皆さんが掴んでくれたらうれしい。

未来の音楽評論家・評はきっとこうなる。「久石譲の”DA・MA・SHI・絵”は第1Vnと第2Vnがミニマルなフレーズをステレオに掛け合う対向配置の魅力と快感だ」「久石譲の”交響曲第2番”も”第3番”も対向配置でないと作曲家の意図やスコアに潜む仕掛けを再現することは難しいだろう」「アニメーション音楽だと甘くかかっていると観客に見透かされてしまう。スタジオジブリの今にも飛び出してきそうな立体的な絵と同じように、この交響組曲の立体的な音楽を描くのに対向配置はマストだ。作曲家の久石譲は、自ら指揮を振るコンサートでも、アップデートされてきた交響組曲そのすべてで対向配置をとっている。資料となる音源もある。~~」なんて言われてたらほんとうれいしい。

 

それではまた。

 

reverb.
対向配置フリーク集まれ!!

 

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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