Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE II』

2017年11月22日 CD発売 OVCL-00640

 

『久石譲 presents MUSIC FUTURE II』
久石譲(指揮) フューチャー・オーケストラ

久石譲主宰Wonder Land Records × クラシックのEXTONレーベル夢のコラボレーション第2弾!未来へ発信するシリーズ!

久石譲が“明日のために届けたい”音楽をナビゲートするコンサート・シリーズ「ミュージック・フューチャー」より、アルバム第2弾が登場。

2016年のコンサートのライヴ・レコーディングから、選りすぐりの音源を収録した本作には、“現代の音楽”の古典とされるシェーンベルクの《室内交響曲第1番》に加え、アメリカン・ミニマル・ミュージックのパイオニアであるライヒの人気作《シティ・ライフ》、そして久石譲の世界初演作《2 Pieces》が並びます。新旧のコントラストを体感できるラインナップと、斬新なサウンド。妖・快・楽──すべての要素が注ぎこまれた究極の音楽を味わえる一枚です。

日本を代表する名手たちが揃った「フューチャー・オーケストラ」が奏でる音楽も、高い技術とアンサンブルで見事に芸術の高みへと昇華していきます。レコーディングを担当したEXTONレーベルが誇る最新技術により、非常に高い音楽性と臨場感あふれるサウンドも必聴です。

「明日のための音楽」がここにあります。

ホームページ&WEBSHOP
www.octavia.co.jp

(CD帯より)

 

 

解説 小沼純一

2016年におこなわれた「MUSIC FUTURE」、久石譲が始めたこのシリーズ、第3回目のコンサートで演奏された3作品を収録したのがこのアルバムとなります。初回が2014年で、「Vol.1」はヨーロッパの作品を、「Vol.2」ではアメリカ合衆国の作品を、そして今回、「Vol.3」ではヨーロッパの20世紀音楽の「古典」と、20世紀の終わりから21世紀現在のアメリカ、そして久石譲の作品をプログラムしています。

「MUSIC FUTURE」では、コンサート・ステージにはなかなかのらない「現代」の作品がプログラムされています。もしかしたら動画サイトなどで聴くことができる音楽もあるでしょう。でも、たくさんの音源がならんでいるなかから、ひとつの楽曲を選び、聴く、ことは容易ではありません。いえ、聴くことはできるでしょうが、何らかの見取り図のなかで聴いてみる、ある歴史性のなかで聴いてみる、というのはコンサートだからできる、コンサートという90分から2時間の「枠」のなか、誰かコーディネイトをする人がいてこそ、単独の楽曲がランダムにならぶだけではない、立体的な構成ができることではないでしょうか。そして、演奏する人たちの表情、姿、しぐさ、ナマでむこうやこっちからやってくる音とともに、そばにいる人たちが感じているもの、反応が、空気を媒介にして肌に届いてくる、そんななかで「聴く」ことが新しい体験になる。「MUSIC FUTURE」にはそんな意図があるようにおもえます。そして、ただコンサートで終わるだけではなく、ひとつの記録としてのCDアルバムができ、そういえばこの前のコンサートでおもしろかったあの曲を、とホールで手にとることができ、自宅で聴くことができれば、どうでしょう。コンサートでとはまた異なった体験が得られるかもしれないし、はじめてではわからなかったことに気づけるかもしれません。コンサートがあり、録音がある、とは、こうした体験の輻輳化が可能になることです。

アルバムでは、「Vol.3」のコンサート当日に演奏された5作品のなかから、3曲を収録しています。演奏された楽曲の数と、CDでの録音の数とは、「Vol.2」とおなじです。

ちょっと耳にすると小難しい、とりとめがない、そんな「現代音楽」を最初につくったといわれているひとり、シェーンベルク(1874-1951)の初期の作品から、21世紀も10年代になって発表された久石譲(1950-)の新作、最後に、20世紀もすぐ終わりといった時期のライヒ(1936-)の作品へ。

小難しい、とりとめのなか、そんな「現代音楽」という言い方をしました。でも、このアルバムに収められているシェーンベルクの作品は、そうした小難しさやとりとめのなさはありません。そんなふうになる「以前」の作品なのです。そして、その意味では、ほぼ110年の広がりを持つヨーロッパ・アメリカ合衆国・日本で生まれた作品ではありますけれど、ひとつの調性システム、ドレミファを基本に据えた音楽のさまざまなかたち、ということができるでしょう。「現代音楽」と呼ばれながらも、その広がりもまたかなりある。そんなことがこのコンサート、アルバムから知ることができるのです。

 

シェーンベルク:
室内交響曲第1番 ホ長調 作品9

「室内楽」ということばがあります。「交響曲」ということばもあります。その両方がくっついたような「室内交響曲」がここにあります。それほど多くはありませんが、いまでは「室内オーケストラ(管弦楽団)」もあります。ところが、20世紀になるまで、このフォーマットの作品はなかったのです。いえ、ダンスの音楽やソングの伴奏などにはあったのです。しかし、シリアスな作品がならぶコンサートではありませんでした。シェーンベルクは「室内交響曲」を2曲つくっていますが、これはその「第1番」で、その意味では世界ではじめて「室内楽」としてはちょっと大きい、「オーケストラ」としてはかなり小さい楽器編成で、代替のきかない音楽作品を生みだしたのです。「MUSIC FUTURE」は、(1管編成の)室内オーケストラに拘ったプログラミングをしてきていますから、そうした室内オーケストラの原点といえるシェーンベルク《室内交響曲第1番》をとりあげているのはひじょうに意味があります。

編成はピッコロ/フルート、オーボエ、コーラングレ、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン2、弦楽四重奏(ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ)、コントラバスの15人。ただ人数が少ない、というだけではありません。それぞれの演奏家はアンサンブルの一員であるとともに、ソリストとしての責任を課されています。そこも新しいところです。そして、作曲者自身というところの音色旋律(Klangfarbenmelodie)を用いて、通常のメロディーとは違った、音色の変化そのものがメロディーとして認識されるといった手法が用いられています。シェーンベルクがここまで試してきたさまざまな作曲上の技法が、ここでは綜合されている、とみる人もいます。

全体はひとつの楽章からなっていますけれども、提示—スケルツォ—展開—アダージョ—終曲の5つの部分からなっています。いわば、1楽章のソナタのかたちと多楽章のかたちとをひとつに集約したとみられ、モデルとしてはフランツ・リストの《ピアノ・ソナタ》を挙げられます。

作曲は1906年。翌1907年にウィーンで作曲者自身の指揮で初演。1913年にも自身が指揮し、そのときは弟子のアントン・ヴェーベルン《6つのバガテル》とアルバン・ベルク《アルテンベルク歌曲集》の一部もプログラムにあって、一種のスキャンダルになりました。またアメリカ合衆国に亡命後、1935年にはより大きな編成のオーケストラに改変、「作品9-b」としてロスアンジェルスで演奏しています。

 

久石譲:
2 Pieces for Strange Ensemble

「MUSIC FUTURE Vol.3」、2016年10月に初演された作品です。タイトルをみると、それだけで「?」となるかもしれません。「Strange Ensemble」って何だろう?と。2つの対照的な楽曲がならびます。はじめは休止のはいり方、音のなくなり方で、ちょっとどきっとします。休止符は、そう、ときに、とても聴き手を驚かせるものなのです。〈Fast Moving Opposition〉は、まさにそうした休止を、反復音型のあいまになげこむことで、「聴き始め」のショックを与えます。そこからふつうのリズム・パターンになりますが、すると逆に、変化のないパターンに足で1拍1拍をとりながら、べつの音型の出現や休止、音色の変化などに上半身で反応してゆく、といったふうになります。〈Fisherman’s Wives and Golden Ratio〉は、画家サルバドール・ダリの作品からタイトルをとっていて、しかも、曲そのものとはつながりがない、と久石譲はプログラムノートに記していました。ここでは複数のリズムと、楽器「以外」の音色とがないまぜになります。ある意味、先のシェーンベルク《室内交響曲第1番》での音色旋律を現代風に踏襲しているといえるかもしれません。

 

スティーヴ・ライヒ:
シティ・ライフ

1936年生まれのスティーヴ・ライヒは、ここであらためて紹介するまでもなく、現代アメリカ合衆国を代表する作曲家というだけでなく、1960年代に生まれた「ミニマル・ミュージック」の創始者のひとりです。振り子が行ったり来たりするなかでスピーカーがハウリングをおこす作品や、2人のピアニストがおなじ音型を反復しながら少しずつずれてゆく作品といった、ひじょうにラディカルな「ミニマリズム」から、ほぼ50年、その音楽は、反復性を基本としながらも、大きく変化してきました。そして《シティ・ライフ》は、狭義の「ミニマル・ミュージック」では測りきれない独自性をもった作品です。

タイトルどおり、この作品は、都市での生活がテーマになっています。作曲者自身が住むニューヨークの街の音、環境音がサンプリングされ、作品のなかでひびきます。ピアノやマリンバといった楽器によるリズムは人びとの歩いたり生活したりするリズムを、管楽器や弦楽器による持続音はビル街の存在感や活気のある街の空気を、そしてサンプリングされた音は、楽器音のなかにより具体的な都市間をつくりだす──そんなふうにみることもできるでしょう。でもそうだとしたら、サンプリングされた都市の音はただの素材にすぎません。それだけではなく、ここにあるのは、聴く人が、コンサートホールで演奏を聴いたり、自室のステレオで録音を聴いたりという環境と、一歩外にでて街のなかを歩くことがパラレルになっている、その二重三重の、いわばヴァーチャルな音環境が「作品」化されているところになります。《シティ・ライフ》は心地良い音楽です。他方、こういう環境があたりまえで、かつ心地良いというのはどういうことなのか、人が生きている、生活しているときにかかわる音や音楽はどうあったらいいのか、そんなことも作品は問い掛けてきます。つまりは、カナダの作曲家、マリー.R.シェーファーが提起した、「サウンドスケープ」という概念を、音楽作品をとおして、喚起している──そんなふうに言ったら、うがちすぎでしょうか。

1995年、3つの国の現代音楽アンサンブル(ドイツのアンサンブル・モデルン、イギリスのロンドン・シンフォニエッタ、フランスのアンサンブル・アンテルコンタンポラン)からの共同委嘱により作曲。全体は5つの部分からなります。奇数の楽章には声のはいったサンプリングが用いられるのも特徴です。

編成はフルート2、オーボエ2、クラリネット2、ピアノ2、サンプリング・キーボード2、パーカッション3または4、弦楽四重奏、コントラバス、です。

(こぬま・じゅんいち)

(「MUSIC FUTURE II」CDライナーノーツ より)

 

 

~「MUSIC FUTURE Vol.3」コンサートプログラムより

挨拶 久石譲

今年で3回めを迎えることができて、主催者として大変うれしい限りです。本来インディーズとして小さな集いでしか発表できない現代の楽曲をこの規模で行えることは、評論家の小沼純一さん曰く「世界でもあり得ないこと」なのだそうです。徐々に皆さんからの支持をいただいていることは、多くの優れた演奏家から出演してもいいという話をいただくことからも伺えます。新しい体験が出来るこの「MUSIC FUTURE」をできるかぎり継続していくつもりです。

自作について

《2 Pieces for Strange Ensemble》はこのコンサートのために書いた楽曲です。当初は「室内交響曲第2番」を作曲する予定でしたが、この夏に《The East Land Symphony》という45分を超す大作を作曲(作る予定ではなかった)したばかりなので、さすがに交響曲をもう一つ作るのは難しく、それなら誰もやっていない変わった編成で変わった曲を作ろうというのが始まりでした。

ミニマル的な楽曲の命はそのベースになるモチーフ(フレーズ)です。それをずらしたり、削ったり増やしたりするわけですが、今回はできるだけそういう手法をとらずに成立させたい、そんな野望を抱いたのですが、結果としてまだ完全に脱却できたわけではありません、残念ながら。発展途上、まだまだしなくてはいけないことがたくさんあります。

とはいえ、ベースになるモチーフの重要性は変わりありません。例えばベートーヴェンの交響曲第5番「運命」でも第7番でも第9番の第4楽章でも誰でもすぐ覚えられるほどキャッチーなフレーズです。ただ深刻ぶるのではなく、高邁な理念と下世話さが同居することこそが観客との唯一の架け橋です。

ベートーヴェンを例に出すなどおこがましいのですが、今回の第1曲はヘ短調の分散和音でできており、第2曲は嬰ヘ短調(日本語にすると本当に難しそうになってしまう、誰か現代語で音楽用語を作り替えてほしい)でできるだけシンプルに作りました。しかし、素材がシンプルな分、実は展開は難しい。どこまでいっても短三和音の響きは変わりなくさまざまな変化を試みるのですが、思ったほどの効果は出ない。ミニマルの本質はくり返すのではなく、同じように聞こえながら微妙に変化していくことです。大量の不協和音をぶち込む方がよっぽど楽なのです。その壁は沈黙、つまり継続と断絶によって何とか解決したのですが、それと同じくらい重要だったのはサウンドです。クラシカルな均衡よりもロックのような、例えればニューヨークのSOHOでセッションしているようなワイルドなサウンド(今回のディレクターでもあるK氏の発言)を目指した、いや結果的になりました。

大きなコンセプトとしては、第1曲は音と沈黙、躍動と静止などの対比、第2曲目は全体が黄金比率1対1.618(5対8)の時間配分で構成されています。つまりだんだん増殖していき(簡単にいうと盛り上がる)黄金比率ポイントからゆっくり静かになっていきます。黄金比率はあくまで視覚の中での均整の取れたフォームなのですが、時間軸の上でその均整は保たれるかの実験です。

というわけで、いつも通り締切を過ぎ(それすらあったのかどうか?)リハーサルの3日前に完成? という際どいタイミングになり、演奏者の方々には多大な迷惑をかけました。額に険しいしわがよっていなければいいのですが。

1.〈Fast Moving Opposition〉は直訳すれば「素早く動いている対比」ということになり、2.〈Fisherman’s Wives and Golden Ratio〉は「漁師の妻たちと黄金比」という何とも意味不明な内容です。

これはサルバドール・ダリの絵画展からインスピレーションを得てつけたタイトルですが、すでに楽曲の制作は始まっていて、絵画自体から直接触発されたものではありません。ですが、制作の過程でダリの「素早く動いている静物」「カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽」が絶えず視界の片隅にあり、何かしらの影響があったことは間違いありません。ただし、前者の絵画が黄金比でできているのに対し、今回の楽曲作りでは後者にそのコンセプトは移しています。この辺りが作曲の微妙なところです。

日頃籠りがちの生活をしていますが、こうして絵画展などに出かけると思わぬ刺激に出会えます。寺山修司的にいうと「譜面(書)を捨てて街に出よう」ですかね(笑)

いろいろ書きましたが、理屈抜きに楽しんでいただけると幸いです。

(ひさいし・じょう)

(「MUSIC FUTURE II」CDライナーノーツ より)

 

 

フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

2014年、久石譲のかけ声によりスタートしたコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE」から誕生した室内オーケストラ。現代的なサウンドと高い技術を要するプログラミングにあわせ、日本を代表する精鋭メンバーで構成される。”現代に書かれた優れた音楽を紹介する”という野心的なコンセプトのもと、久石譲の世界初演作のみならず、2014年の「Vol.1」ではヘンリク・グレツキやアルヴォ・ペルト、ニコ・ミューリーを、2015年の「Vol.2」ではスティーヴ・ライヒ、ジョン・アダムズ、ブライス・デスナーを、2016年の「Vol.3」ではシェーンベルクのほか、マックス・リヒターやデヴィット・ラング等の作品を演奏し、好評を博した。”新しい音楽”を体験させてくれる先鋭的な室内オーケストラである。

(CDライナーノーツ より)

 

 

 

久石譲:2 Pieces for Strange Ensembleについて

編成は、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ヴィブラフォン、パーカッション、ドラムス、ピアノ 2、サンプリング・キーボード、弦楽四重奏 チェロ、コントラバス、だったと思います。こちらもスティーヴ・ライヒ作品にもあったような、アコースティック楽器(アナログ)とサンプラー(デジタル)の見事な融合で、至福の音空間でした。デジタル音は低音ベースや低音パーカッションで効果的に使われていたように思います。一見水と油のような特徴をもったそれらが、よくうまく溶け合った響きになるものだと感嘆しきりでした。CDならば、ミックス編集などでバランスは取りやすいかもですが、コンサート・パフォーマンスで聴けたことはとても貴重でした。

例えば、ピアノを2台配置することで、ミニマル・フレーズをずらして演奏している箇所があります。ディレイ(エコー・こだま)効果のような響きになるのですが、CDだと、コンピューターで編集すれば、ピアノ1の音色をそのまま複製して加工すればいい、などと思うかもしれません(もちろん割り振られたフレーズが完全一致ではないとは思いますが)。そういうことを、アコースティック・ピアノ2台を置いて、互いに均一の音幅と音量で丁寧にパフォーマンスしていたところ、それを直に見聴きできたことも観客としてはうれしい限りです。

1.「Fast Moving Opposition」は、前半12拍子と8拍子の交互で進みます。これも指揮者を見る機会じゃないとおそらく聴いただけではわかりません。この変拍子によって久石譲解説にもあった今回の挑戦である「音と沈黙、躍動と静止、継続と断絶」という構成をつくりだしているように思います。中盤からドラムス・パーカッションが加わり、4拍子独特のグルーヴ感をもって展開していきます。

2.「Fisherman’s Wives and Golden Ratio」は、こちらも指揮者を見ても拍子がわからない変拍子でした。「黄金比率の時間配分で構成」についてはまったくわかりませんでした、難しい。管楽器奏者が口にマウスピースのみを加えて演奏するパートもありました。声なのか音なのか、とても不思議な世界観の演出になります。

言うなれば、贅沢な公開コレーディングに立ち会っている感覚すら覚えたほどです。アコースティック楽器とデジタル楽器、スタジオ・レコーディングならば、1パートずつ録音していくようなそれを、一発勝負で響かせて最高のテイクを奏でるプロたち。スコアを視覚的に見て取るように「あ、今のこの音はこの楽器か」とわかるところも含めて、贅沢な公開レコーディングに遭遇したような万感の想いです。

おそらくとても難解、いやアグレッシブな挑戦的なこと高度なことをつめこんでいる作品だろうと思います。一聴だけでは、第一印象と目に見えた範囲のことでしか語れないので、あまり憶測やふわっとした印象での見解は控えるようにします。1年後?CD作品化された暁には、聴けば聴くほどやみつきになりそうな、味わいがにじみ出てくるような作品という印象です。

 

素早く動いている静物
《素早く動いている静物》 (1956年頃) サルバドール・ダリ

 

カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽
《カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽》 (1928年頃) サルバドール・ダリ

 

Blog. 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.3」 コンサート・レポート より所感抜粋)

 

 

 

CD鑑賞後レビュー追記

全編をとおして、耳が喜ぶ刺激、そんな音楽です。レコーディングとしても非常にクオリティの高い最高音質には脱帽です。よくぞここまで刻銘に記録してくれました!という言うことでしか表現が浮かびません。

コンサートで聴いたときとはまた違う、収まりのいい録音という音響だからこそ、見えてくる緻密さや聴こえてくる前後左右からの音、新しい発見がたくさんあります。小編成コンサートのシャープでソリッドで立体的な響き、作品の特性もあるのかときにむきだしなほどに鋭利な楽器の音たちは、それだけでも一聴の価値があるほど、ふだんの日常生活ではまた日常音楽では聴くことのできないものです。

 

久石譲作品について。

重厚でパンチの聴いたサンプリング・ベースがかっこいい。この作品を支配する大きな軸になっていると思います。クラブ・ミュージックを彷彿とさせながらも、音と沈黙によって一筋縄ではいかない、踊り流れておわってしまうことのない不思議な世界観を醸しだしています。またこの作品で追求した構成やサンプリング音(低音や金属音の種)は、その後「ダンロップCM音楽」(2016)やNHK「ディープ・オーシャン」(2016-2017)といったエンターテインメント音楽へも派生していきます。そういう点においても、実験的な試みをしただけにとどまらず、今久石譲が求める音を追求したワイルドなサウンドまで。具現化した完成度の高さでこの作品が君臨したからこそ、その先へつながっていると思うと、重要なマイルストーンとなる作品です。なにはともあれ、理屈うんぬんかっこいい!聴けば聴くほどに味がでる、今までに聴くことのできなかった新鮮で刺激的な音楽に出会えたことはたしかです。これがこれから長い時間をかけて聴きなじみ自分のなかへ吸収されていくとしたら、それはまさに快楽といえるでしょう。

 

 

 

アルノルト・シェーンベルク
Arnold Schönberg (1874-1951)
1. 室内交響曲 第1番 ホ長調 作品9 (1906)
 Chamber Symphony No.1 in E major, Op.9

久石譲
Joe Hisaishi (1950-)
2 Pieces for Strange Ensemble (2016) [世界初演]
2. 1. Fast Moving Opposition
3. 2. Fisherman’s Wives and Golden Ratio

スティーヴ・ライヒ
Steve Reich (1936-)
シティ・ライフ (1995)
City Life
4. 1 Check it out
5. 2 Pile driver / alarms
6. 3 It’s been a honeymoon – can’t take no mo’
7. 4 Heartbeats / boats & buoys
8. 5 Heavy smoke

久石譲(指揮)
Joe Hisaishi (Conductor)
フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

2016年10月13日、14日、東京、よみうり大手町ホールにてライヴ録音
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 13, 14 October, 2016

 

JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE II

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by Future Orchestra
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 13, 14 October, 2016

Produced by Joe Hisaishi
Recording & Mixing Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Assistant Engineer:Takeshi Muramatsu
Mixed at EXTON Studio, Tokyo
Mastering Engineer:Shigeki Fujino (UNIVERSAL MUSIC)
Cover Desing:Yusaku Fukuda

and more…

 

Blog. 「久石譲 in パリ」に想う ~風の生まれる音~

Posted on 2017/11/17

6月にパリで開催された久石譲コンサート「JOE HISAISHI SYMPHONIC CONCERT: Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki」。スタジオジブリによるコンサートのための公式映像と久石譲による指揮・ピアノ、オフィシャルジブリコンサートは久石譲だからできるスペシャル・プログラム。「久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間」コンサート(2008)を継承し映画「風立ちぬ」(2013)も加えた宮崎駿監督作品全10作品としてスケールアップ。オーケストラはパリの名門、ラムルー管弦楽団。巨大なスクリーンに映し出される映画の名シーンと共に奏でられるオーケストラの迫力の音楽が、フランス・パリの聴衆を感動の渦に巻き込みました。

その模様は「久石譲 in パリ ~「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで 宮崎駿監督作品演奏会~」と題し9月NHK BSで放送され大きな反響を呼びました。そして早くも11月再放送決定。

 

音楽に耳を澄ませ、そのとき頭に浮かんだこと、想いめぐらせたことを、しかるべき長さの文章にまとめる。とても個人的で私的なものですが楽しい時間です。もしこれから書くことに意見が合わなかったとしても、あまり深追いしないでくださいね。もしうまく伝わることができて、ぬくもりのようなものを感じてもらうことができたら。見えないたしかなつながりを感じることのできる幸せな瞬間です。

 

 

久石譲 in パリ 「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで 宮崎駿監督作品演奏会
JOE HISAISHI SYMPHONIC CONCERT:
Music from the Studio Ghibli Films of Hayao Miyazaki

[公演期間]  久石譲 パリ コンサート JOE HISAISHI SYMPHONIC CONCERT 2017
2017/6/9,10

[公演回数]
3公演 (パリ パレ・デ・コングレ・ド・パリ)
Palais des Congrès de Paris

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ラムルー管弦楽団
合唱団:ラムルー合唱団/ラ・メトリーズ・デ・オー・ドゥ・セーヌ

Conducted by Joe Hisaishi
Orchestre et Choeur Lamoureux

[曲目]
I. 風の谷のナウシカ
風の伝説
ナウシカ・レクイエム
メーヴェとコルベットの戦い
遠い日々 (Vo: 麻衣)
鳥の人

I. Nausicaä of the Valley of the Wind
The Legend of the Wind
Nausicaä Requiem
The Battle between Mehve and Corvette
The Distant Days (Chant: Mai)
The Bird Man

II. もののけ姫
アシタカせっ記
タタリ神
もののけ姫 (Vo: エレーヌ・ベルナディー) *日本語詞

II. Princess Mononoke
The Legend of Ashitaka
The Demon God
Princess Mononoke (Soprano: Hélène Bernardy) *Japanese Lyrics

III. 魔女の宅急便
海の見える街
傷心のキキ
おかあさんのホウキ

III. Kiki’s Delivery Service
A Town with an Ocean View
Heartbroken Kiki
Mother’s Broom

IV. 風立ちぬ
(マンドリン: マチュー・サルテ・モロー)
旅路(夢中飛行)
菜穂子(出会い)
旅路(夢の王国)

IV. The Wind Rises
(Mandoline: Mathieu Sarthe-Mouréou)
A Journey (A Dream of Flight)
Nahoko (The Encounter)
A Journey (A Kingdom of Dreams)

V. 崖の上のポニョ
深海牧場
海のおかあさん (Vo: エレーヌ・ベルナディー) *日本語詞
いもうと達の活躍 - 母と海の賛歌
崖の上のポニョ  *フランス語詞

V. Ponyo on the Cliff by the Sea
Deep Sea Pastures
Mother Sea (Soprano: Hélène Bernardy) *Japanese Lyrics
Ponyo’s Sisters Lend a Hand –
A Song for Mothers and the Sea
Ponyo on the Cliff by the Sea  *French Lyrics

VI. 天空の城ラピュタ
(マーチング・バンド)
ハトと少年
君をのせて  *日本語詞
大樹

VI. Castle in the Sky
(Marching Band)
Doves and the Boy
Carrying You  *Japanese Lyrics
The Eternal Tree of Life

VII. 紅の豚
帰らざる日々

VII. Porco Rosso
Bygone Days

VIII. ハウルの動く城
シンフォニック・バリエーション “人生のメリーゴーランド+ケイヴ・オブ・マインド”

VIII. Howl’s Moving Castle
Symphonic Variation «Merry-go-round + Cave of Mind»

IX. 千と千尋の神隠し
あの夏へ
ふたたび (Vo: 麻衣)

IX. Spirited Away
One Summer’s Day
Reprise (Vo: Mai)

X. となりのトトロ
風のとおり道
さんぽ  *英語詞
となりのトトロ  *日本語詞

X. My Neighbor Totoro
The Path of the Wind
Hey Let’s Go  *English Lyrics
My Neighbor Totoro  *Japanese Lyrics

—–encore—-
Madness from Porco Rosso
Ashitaka and San from Princess Mononoke  *English Lyrics

 

 

 

さて、今回は「久石譲 in パリ」へのいろいろな想いを綴りたく、各楽曲の感想は一口コメントです。きっと一人一人に大好きなジブリ作品ジブリ音楽があると思います。語り尽くせないものがあると思います。溢れだしたらとまらないと思います。

 

開演前
会場で流れていた音楽は、久石譲が宮崎監督へ献呈し三鷹の森ジブリ美術館でのみ展示室BGMとして聴くことができる楽曲たちです。2008年武道館の時もそうでした。そして、久石譲登場とともに観客総立ちスタンディング・オベーションでお出迎え。待ち焦がれたパリファンのボルテージはすでに最高潮。

I. 風の谷のナウシカ
冒頭のティンパニが鳴り響いた瞬間そこはもうナウシカの世界が広がります。宮崎駿×久石譲のコラボレーションはここから始まった、歴史が動きだした瞬間と思うと。

II. もののけ姫
海外オーケストラのパーカッション奏者が日本の和楽器を演奏することも、海外ソプラノ歌手が日本語で披露することもとても貴重です。メイド・イン・ジャパン100%の純度で作品が尊重されている証。

III. 魔女の宅急便
さすがヨーロッパの名門オーケストラ、横揺れする旋律の歌心は流れるような調べ、気品のある演奏。思春期の繊細でこまやかな感情の揺れ動き、音色への表現は日本でもパリでも。

IV. 風立ちぬ
プログラム追加された最新作。これまでに披露された「風立ちぬ 組曲」「風立ちぬ 第2組曲」とも音楽構成は異なります。なんといってもマンドリンのあのどこまでもレガートな奏法にはうっとり。

V. 崖の上のポニョ
2008年は公開記念もあって大きな構成だった作品。「崖の上のポニョ」主題歌はフランス語による大合唱。もしかしたらこのパートは、これから先開催地ごと母国語で歌われるのかもしれませんね。世界何十カ国語で歌われるジブリの歌、ジブリのメロディ。

VI. 天空の城ラピュタ
プロ・アマ問わず、大人・子ども問わず、音楽を奏でる人たちにジブリの種が蒔かれる瞬間。マーチングバンドによる演奏は、世界中にジブリの根が広がっていく、未来へジブリ音楽をつないでいく原石たち。いつまでも輝きを失うことのないあの石のように。

VII. 紅の豚
アンサンブルによるJAZZYで大人な世界。鈴木敏夫プロデューサーと宮崎駿監督のコメントも巨大スクリーンで紹介されました。

VIII. ハウルの動く城
2008年版の「人生のメリーゴーランド」ステージを空撮したその映像は、管弦楽が弧を描き楽器を弾く手振りがまるで華麗な舞踏会で踊っている姿のようで印象的でした。パリ公演の話ではないですが。見事にハマってしまうヨーロッパならではの優雅で華麗な響きは最良の装い。

IX. 千と千尋の神隠し
「One Summer’s Day」久石譲ピアノソロ、演奏後そっと目頭の涙をぬぐうような仕草が印象的でした。こみあげてくるものがあったのか、特別な雰囲気と特別な演奏に久石譲自身なにか感じるものがあったのか。これぞまさに、久石さんの言葉を借りれば「音楽が音楽になる瞬間」です。(詳しくは書籍「音楽する日乗」にて)

V. となりのトトロ
指揮者もオーケストラも観客も、自然と顔がほころび体弾み心躍る。会場いっぱいに夢と笑顔が溢れるとき、この一瞬だけは誰もが未来の平和と幸せを願う、今の幸せを実感する。そんな日本が誇るアンセムとして響きわたっていきますように。

*未放送
「II. 崖の上のポニョ」より「深海牧場」、「VI. 天空の城ラピュタ」より「大樹」、アンコール「Madness」「アシタカとサン」

終演後
ラムルーから久石譲へのサプライズ。舞台裏で「君をのせて」日本語大合唱プレゼント。現地動画で少しだけ紹介されていましたが、興奮と達成感に満ちた空気のなか、何度も浮かべた涙をぬぐう久石さんの姿が印象的でした。

 

6月公演直後のインフォメーションでも、会場の様子や鈴木敏夫プロデューサー、宮崎駿監督のコメントなどご紹介しています。

 

 

 

もうひとつの宮崎アニメ交響作品全集

2015年から始動した一大プロジェクト、ジブリ交響作品化シリーズ。「風の谷のナウシカ」(2015)、「もののけ姫」(2016)、「天空の城ラピュタ」(2017)とコンサート初披露されています。今のところ年1回で交響組曲化されているということは、全10作品が出そろうのは!?

パリ公演で披露されたのは2008年版を継承したもので、新しい交響作品としてスケールアップしたものは反映されていませんでした。ちゃんと考えてみるとそれは当然なことかもしれません。映像と音楽による演出・プログラム構成のため、30分近くに及ぶ交響組曲を持ってくることはできません。また組曲内の同じ楽曲であっても、スケールアップしたオーケストレーションを組み込むこと、部分的な修正はすでに完成された作品世界と音楽構成を歪めてしまうのかもしれません。

細かいことをいうと、すべての作品において2008年版と全く同じものはありません。微細なオーケストレーションの修正やテンポの抑揚などなど着実に進化しています。ここで言っているのは、新しい交響組曲から大きく持ちこむことはしていないとうことです。

すでに完成された作品世界と音楽構成、そうですね、もうひとつの宮崎アニメ交響作品全集は、ここにもうあるんです。「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで全10作品。もちろんシンフォニー(交響)ではない編成の作品もあります。ソプラノ・合唱・独奏楽器・マーチングまで多彩な編成でバリエーション豊かに堪能できるジブリの世界。私たちは、映像と音楽による交響全集、音楽による長大壮大な新交響全集。ふたつの交響作品全集を受けとることができる、幸せなオーディエンスです。

 

 

みんなジブリで育った

小さい頃からジブリ映画を観て育った。楽器をはじめてジブリの曲を弾いてみた。鼻歌で口ずさんでみた、みんなで大合唱した。こんな経験に当てはまらない人は、いないと言い切れるほどでしょう。そのなかから音楽の道を選んだ人たちが、今度は届ける側に立っている。「昔から大好きだったジブリの作品を久石さんの指揮で演奏することができて幸せ」と語る奏者も日本ではよく耳にします。

これは日本だけの現象でしょうか?まったく同じことがパリでも世界中どこでも起こっている。そして音楽人たちは、いつか自分が聴き育った音楽を多くの人へ届けたいと願う。新しい交響作品化シリーズも世界中で演奏したいニーズをうけて、久石譲自ら音楽作品として再構成しているプロジェクトでもあります。

どこで開催されようとも、そこにはジブリ音楽を聴き育った人たちによる最高のパフォーマンスが約束されている。合唱団やマーチングバンドには将来音楽をつないでいく子供たちもたくさん参加します。「久石譲 in パリ」それはまさに花開き、芽吹き、新しい種が蒔かれるとき。

 

 

超ドメスティックはインターナショナルになる

この言葉は久石譲さんが時折語る格言のひとつ。ここに託され象徴されています。

 

「「もののけ姫」は日本にとどまらず、これから世紀末を迎える、世界中のすべての人々に向けて作られるものだと思う。その音楽を手がけることになって、いま一番考えていることは、日本人としてのアイデンティティーをどう保ち、どう表現するか。非常に深いところでのドメスティックさ、日本人であるということが、かえって世界共通語になるんじゃないかと思う。ではどうすればいいか。映画の公開まで、宮崎監督との豪速球のキャッチボールが続きそうだ。」

(CD「もののけ姫 イメージアルバム」(1996)ライナーノーツ より)

 

「シンセも入っていますよ。あと、ひちりきとか和太鼓などの民族的なニュアンスのある和楽器も使っています。日本初の世界同時公開の映画なので、何らかの形でドメスティックなものを出すべきだと思ったんです。それで”超ドメスティックはインターナショナルになる”という考えを持ち込みました。富士山と芸者のようなあいまいなイメージではなくて、本当の日本的な音の感性が核にあれば、インターナショナルとしての価値が出ると思ったんです。だから和楽器を使って、なおかつイメージを限定しない使い方を目指しました。これはすごく悩みましたね。」

(「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1997年9月号」久石譲インタビュー より)

 

「言葉の問題はあると思うんですけど、本来は、インターナショナルを狙うという発想は違うんですよね。ある意味では超ドメスティックにやることで、どこまでも掘り下げていき、深いところで理解すると、それが結果、インターナショナルになる。だからその辺が、たとえば今度の北野さんの映画(『菊次郎の夏』。この対談は99年4月に収録)でも、あれは絶対日本の空間でしか成立しない話なのに、外国の観客にもかえって分かり合えたというところがありますよ。」

(「ダカーポ 422号 1999.6.2 号」鈴木光司×久石譲 対談内容 より)

 

「第二次世界大戦の後70年間まったく戦争がなく、平和の中で暮らしてきた我々は、グローバルという言葉を経済用語だと勘違いしている。真のグローバルとは思いっきりドメスティックであり、多様な考えを受け入れるということである。」

(書籍「音楽する日乗」(2016) より)

 

「一番良かったと思うのは、中途半端なインターナショナルとか中途半端なグローバリゼーションとか一切無関係で、超ドメスティックに作り続けてきた。それで、超ドメスティックであることが、実は超インターナショナルだった。結果、そうだったような気がします。」

(「NHK WORLD TV」(2016)番組内インタビュー より)

 

 

宮崎駿監督の言葉にも。

「つい最近まで『日本が世界に誇れるものは?』との問いに、大人も子どもも『自然と四季の美しさ』と答えていたのに、今は誰も口にしなくなりました。(中略)この国はそんなにみすぼらしく、夢のない所になってしまったのでしょうか。国際時代にあって、もっともナショナルなものこそインターナショナルのものになり得ると知りながら、なぜ日本を舞台にして楽しい素敵な映画をつくろうとしないのか。(中略)忘れていたもの 気づかなかったもの なくしてしまったと思い込んでいたもの でも、それは今もあるのだと信じて、『となりのトトロ』を提案します。」

(映画「となりのトトロ」企画書 より)

 

 

ジブリ音楽は日本オーケストラの財産

優雅で華やかさの際立った「久石譲 in パリ」。どこかで「なにかこぶしが足りないなあ、もうひとつグッと迫るものがなあ」と感じた瞬間があったとして。

モーツァルトのような作品を日本オーケストラが演奏しても、どうしてもなにかしっくりこない越えられない一線があると聞いたことがあります。そこにはヨーロッパの培われてきた特有のニュアンスや精神性があって音楽に込める何かがあるからです。外国人が日本民謡や演歌を上手に歌ったとしても小節回しにどうしても違和感を覚えてしまうのと同じです。

西洋発祥のクラシック音楽にはひとつのハンディキャップがあるならば、日本発祥のジブリ音楽は一転大きなアドバンテージがある。これは日本のオーケストラにとって最大の強みであり、未来へ大きな財産になっていくのかもしれない、と。

モーツァルトを聴くならやっぱり本場のオーケストラ・音がいいよねとあれば、ジブリ音楽を聴くならやっぱり本場日本のオーケストラ・音がいいよね、となる。日本で培われた特有のニュアンスや精神性、音楽に込める何かは、これから先もずっとずっと世界中のファンを魅了する。日本オーケストラの未来は明るい!—と安直なことは言えません、でも明るい未来へと受け継がれるべきものは、ここにしっかりある。これは今を生きる私たちが思っている以上に、ジブリが遺した偉大なる音楽遺産なのかもしれません。

 

 

風の生まれる音

宮崎アニメの魅力のひとつ、空を飛ぶ風を感じる。青い空を蒼い海をいっぱいに飛ぶ登場人物たち。そして風景や身にまとうものはもちろん、感情の変化や表情の動きに髪の毛まで揺れ動く、まさに風が立つ。

久石譲がつくりだす音楽にも共通点があるような思います。「久石譲 in パリ」を観ながら、どの作品にも風を感じる。「風の谷のナウシカ」冒頭ティンパニが鳴った瞬間に谷を流れる風の音が聞こえてきそうですし、「ハウルの動く城」ハウルとソフィの空中散歩の瞬間も、「となりのトトロ」トトロが高く高く登っていく瞬間も、いろいろな風が表情豊かに響いています。

映像やストーリーとリンクしているから、という話ではありません。風が起こる、風を感じる。風とは心なのではないか。気持ちの芽生えや気持ちの変化。一瞬自分のなかに吹く風、たしかに感じるなにか。久石譲が紡ぎだすジブリ音楽は、まさに風の生まれる音。聴く人を魅了してやまない、世界中で愛されつづづけるのは、心の生まれる音そのものだから。

 

 

そして、これから

パリ公演のような宮崎駿監督作品演奏会は、ワールドツアーとして今後も世界各地で開催予定のようです。開催地のアーティスト(オーケストラ・ソリスト・合唱・マーチング)で演奏することも重要なひとつであるならば、準備期間には相当の時間を要します。いつか日本でも凱旋公演を!とも期待してしまいます。

「久石譲 in パリ」がいつかDVD/Blu-rayやCDとしてその映像や音楽がパッケージ化されることも強く望みます。今回TV放送されなかったプログラム完全版として、準備期間やリハーサル風景をまじえたドキュメンタリーとして、現地の反応やインタビュー、公演前後の舞台裏をも鮮明に記録した保存版として。そうしてできたパッケージが、待ち焦がれる世界中のファンへ、コンサートには行くことの叶わない世界中のファンへ届けられる。その先には、ひとりひとりの日常生活とともにある音楽、日常生活で出会える感動・勇気・心の変化。素晴らしい音楽の力、広がりつながり螺旋を描き、そして個へ帰る。

こんなスペシャルなコンサートが開催されるとひと言で「お祭り」企画です。でも、そう簡単には片づけられないなにかがある。エンターテインメントの姿をまとい、ジブリ映画を久石譲音楽を未来にてわたす壮大な一大プロジェクトとしたら。ジブリの根が世界中に広がる、そのどっしりとした根のうえにはどんな樹が空高く立ち、どんな花を咲かせ、どんな実がなっているのか。「久石譲 in パリ」はそんな大切な大切な過程のひとつ。

 

 

「久石譲 in パリ」を観ながら、満足感と幸福感いっぱいに感動しながら、余韻はそれだけでは終わりませんでした。私的に受けとったものめぐらせる想い、テーマごとに綴ってきました。あぁこうやって未来につながっていくんだろうなあ、と。まるで未来への過程をまのあたりにしている生き証人のように。「久石譲 in パリ」、それは今まさに、歴史をつくっている瞬間です。

 

 

パリ公演の歩み ~開催決定から「久石譲 in パリ」放送まで~

 

 

2018.11 追記

ジブリコンサートの映像と音楽のバランス。

久石譲は武道館コンサート(2008)のときにこう語っています。「スクリーンが大きすぎると映像に音楽がくっついてる感じになるし、小さすぎると映像がオマケになってしまう」。そこから88m x 162mの巨大スクリーン、映像と音楽のバランスがいいと導き出した。オーケストラと合唱の大編成、ステージの大きさと大人数が与える視覚的インパクト。それらと対等になるスクリーンの大きさがあの特注スクリーンです。

映像に合わせて音楽をシンクロさせる手法もとっていません。スクリーンに映し出される本編映像とそのとき奏でられる音楽は映画とコンサート違います。でも、観客はその世界観に違和感なく映像と音楽にどっぷりひたることができる。映画ワンシーンの”そのためだけの音楽”ではないからこそ、自由に羽ばたくイマジネーションの広がり。”作品の世界観に音楽をつける”その結晶です。

映画シーンとLive映像を織り交ぜることも。フィルムはフィルムでずっとダイジェスト映像ではなく、今その瞬間ステージLive映像と交錯させることで、臨場感や高揚感、観客の満足度は最高潮に達します。そして映像のつながりや切り替えもなめらかな職人技が光ります。

「映像と音楽は対等であるべき」久石譲の映画音楽に対する信念の象徴、見事に具現化したものそれがジブリコンサート、ひとつのコンサートのかたちです。サービス精神に付随しただけのフィルムコンサートとは一線を画するもの、Concert for Film & Music です。

Info. 2018/11/04 《速報》「久石譲 シンフォニック・コンサート スタジオジブリ宮崎駿作品演奏会」(ニューヨーク) プログラム より抜粋)

 

 

 

 

Overtone.第13回 ピアノの響きについて考える (雑誌コラム紹介)

Posted on 2017/11/15

ふらいすとーんです。

今回はちょっと音楽的にがんばって掘り深めていきたいと思います。ピアノの音のつくり方、響きのつくり方です。ピアノに限らずどの楽器にも言えることですが、たとえ同じ楽器でたとえ同じ楽曲を演奏したとしても、弾く人によってその音・響きは大きく異なります。なぜそうなるのか?それを言葉で説明することはとても難しい、説明する以前にどこまで本質的に理解しているかというステップもあり。

久石さんのピアノもまさに説明不可能な領域を多く含んでいて、たとえ自分が作曲したものでなかったとしても、久石さんがピアノを弾けば、やっぱりそこには久石譲独特の音や響きが広がります。この魔法はどうやってかけられるのか?

CDを聴くたびに、コンサートで体感するたびに、いつもこの不思議な魔法に魅了されます。そんなところに、とてもわかりやすいコラムを読むことができたので、それをもとに学びを深めていきたいと思います。クラシック音楽専門誌「モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2017.2 Vol.237」に連載されている小山実稚恵さん(ピアニスト)によるエッセイです。

 

 

クラシック音楽専門誌「モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2017.2 Vol.237」

ピアノと私 第33回 小山実稚恵

他の楽器・声との共演 ”合わせもの” ②

声楽、そして弦・管楽器で出来るのに、ピアノで出来ない2つの大きなことがあります。それはビブラートをかけること、そして音程を作ることです。この2つをピアノでも自由に使うことができるなら、ピアノの演奏ももっともっと自在になるのにと、声楽家や他の楽器の奏者を羨ましく思うことがあります。

ビブラートは音楽表現の大切な手段。声楽家が言葉に感情を込める時、ビブラートを上手く使うことができるかどうかで、感情表現はずいぶん違ってきます。限られた母音の中に、如何に自分の気持ちを託すことができるか。それが個性となり、音楽の表現手段となるのです。ビブラートのかけ方ひとつで、歌詞が胸に飛び込んできたり、感情が揺さぶられたり。

ビブラートの振れ幅、細かさ、長さやタイミング、音楽性がそこから見えてくると言っても過言ではありません。大胆で劇的なビブラートもあれば、品格の高いビブラートもある。時には、全くビブラートを使わないほうが良い場合だったあるわけですから。声楽家、弦楽器や管楽器の奏者が使うビブラートは、自分の気持ちを表現するための大きな手段なのです。

残念ながらピアノはビブラートをかけることができません。一度出してしまうと音の修正は効かない。無念に思いますが、その分、気持ちでビブラートをかけようと思います。「ここでビブラートをかけたい」と強く願って鍵盤をタッチするなら、ピアノから出るさまざまな倍音が、多少であってもビブラートをかけてくれる、そんな気がするのです。タッチは気持ちで作る、というのが私の持論ですが、「こんな音を出したい」とタッチに気持ちを込めるなら、指(というよりも身体)はそういう音を作ってくれると信じています。

そしてもうひとつ、音程について。現代のピアノは平均律で調律されています。1オクターブは12音で、音は鍵盤通り。ドの鍵盤を弾いたらド、レならレの音が鳴ります。ところが声楽や弦楽器は、自分自身で音を作るから、全ての音と音との間に音が存在する。音程は無限大なのです。音程を取る(作る)難しさがある代わりに、最高に美しい音程を作り出すこともできる。偉大な声楽家や演奏家たちの、何とも言えない音程感覚を耳にすると、私はいつも痺れてしまいます。平均律にはない響き、ハッとするような美しいハーモニーを感じた瞬間に鳥肌が立ち、そういう音程を何とかピアノでも作り出せないかと思うわけです。

一般的にはピアノの音程は決まっているものなのですが、私はピアノであっても、演奏次第で微妙な音程調整ができる気がしています。鍵盤にふれる時に、どの倍音を強く出すかを意識してタッチし、ペダルを踏むタイミングやペダリングの工夫をすれば、物理的にも音程は微妙に変化します。また和音を弾く場合でも、どの音に力点を置くのか、そして、それぞれをどのような音色バランスで鳴らすのか等、倍音の響き具合を上手に利用すれば、美しい音程を作り出すことができると思うのです。音程の決まっているピアノであっても、音程を作ろうと努力することは大切なことなのです。

合わせものをする時には、ソロとは違う判断力が必要となります。タッチを変え、相手の音程との関係を探る。バランスよく、相手と素敵な響きで音程を合わせることができると、最高の感覚に包まれます。共演者の方は、ピアノの音を聴きながら自分の音を判断して音程を作っているはずです。こちらもビブラートを感じ、音程を感じて、お互いを聴き合い、感じ合う。”合わせもの”をすると、音楽の初心に戻ることができるのです。

(「モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2017.2 Vol.237」より)

 

 

いかがでしたか?

このお話を何回も何回もくり返し読むと、なにかわかったような見えてくるものがあるような気がしてきます。なるほど、ビブラートと音程に対するピアノの制約があったとして、それを克服し表現しようとするペダリングやタッチの強弱、そこから生まれる響きと倍音。

このあたりが掘り下げていくキーワードになりそうです。

 

 

お題1. ドビュッシーにみる和音と響き

ドビュッシーの和音はとても緻密に計算されています。左右両手の和音が乱れることなくピッタリ合うと、きれいな倍音が鳴るようにできています。ショパンやドビュッシーなどペダルや響きにこだわりの強かった作曲家は、楽譜に細かいペダル奏法の指示も残していたと言われます。ピアノという楽器の発達も影響しているのですが(バッハの時代はペダルがなかった、だから音を伸ばす効果をピアノは持っていなかった、トリルという隣り合うふたつの音を連打するのは、音を伸ばす代替とも言われています)、以降の印象派ロマン派においてもペダルを獲得したこと、イコール響きの可能性や多彩な表現力の追求へとつながっていきます。

ピアノ曲ではないですが、「牧神の午後への前奏曲」/ドビュッシー という管弦楽作品について。久石さんがTV音楽番組「読響シンフォニックライブ」(2012)で演奏したときのインタビューでもドビュッシーについて興味深く語られています。

 

「この曲は小節数にするとそんなに長いものではないんですが、この中に今後の音楽の歴史が発展するであろう要素が全部入っていますね。音楽というのは基本的に、メロディー・ハーモニー・リズムの3つです。メロディーというのはだんだん複雑になってきますから、新しく開発しようとしてもそんなに出来やしないです。そうすると「音色」になるわけです。この音色というのは現代音楽で不協和音をいっぱい重ねて特殊楽器を使ってもやっぱり和音、響きなんですね。そうするとそっちの方向に音楽が発達するであろう出だしがこの曲なんだと思います。20世紀の音楽の道を開いたのはこのドビュッシーの「牧神」なんじゃないかなと個人的にすごく思いますね。」

(読響シンフォニックライブ より)

 

 

お題2. 倍音

ここは通りたくないけれど通らないと進めない。久石さんの力を存分にお借りしたいと思います。

 

「まず音の問題。音とは空気の振動である。もう少し厳密にいうと、空気の圧力の平均(大気圧)より高い部分と低い部分ができて、それが波(音波)として伝わっていく現象である(『音のなんでも小事典』日本音響学会編)。まあ太鼓を叩くとそれが振動し、周りの空気も振動し、それが我々に伝わるということだ。」

「そして楽音を含め自然界の音はすべて倍音というものを持っている。それも限りが無いくらい。」

「では実験。今あなたはピアノの前に座っている。ちょうどおへその辺りにあるドの鍵盤を右手で音が出ないように静かに押さえる。そしてオクターヴ低いドの音を左手で強く弾いて、あるいは叩いてみよう。すると、あら不思議!強くて低いドの音が消えた後に弾いていない上のドの音がエコーのように聞こえるではないか!これは下のドの音に含まれている倍音と上のドの音が共鳴したために起こることである。つまり下のドの音には、第2倍音としてのオクターヴ上のドの音、第3倍音のオクターヴと5度上のソなど、限りなく色々な音が鳴っているのだ。もちろん上に行くほど音は小さくなり音程の幅も小さくなる。」

「実は人類はこの倍音を長い年月をかけながら発見していくのだ。例えば真ん中のドの音を男の人と女の人がユニゾンで歌うと、この段階でもうオクターヴ違うのであり、先ほどの第2倍音の音を歌ったことになる。これは整数比で1対2だ。そして500年くらいかけて(という人もいるが定かではない)人類は第3倍音であるソを発見する(整数比で2対3)。」

(講義はまだまだつづく…)

Blog. 「クラシック プレミアム 39 ~ドビュッシー~」(CDマガジン) レビュー より抜粋)

*この音楽マガジンに2年間連載された久石譲エッセイは再構成・加筆され「音楽する日乗」(小学館)として書籍化されています。

Book. 久石譲 「音楽する日乗」

 

TV音楽番組「題名のない音楽会 久石譲が語る歴史を彩る6人の作曲家たち」(2016年5,6月2週連続)に出演した際にも、実際にピアノに座って倍音の作り方を実演されていました。百聞は一見に如かず、とてもわかりやすかったですね。

 

 

お題3.ピアノと調律

現在久石さんが愛用しているピアノはスタインウェイ。初期の頃はベーゼンドルファーに比重が大きく、このふたつの銘器を楽曲ごとに使い分けていたほどです。

 

「レコーディングには約3年程かかりました。1986年秋、ロンドンのサームウェストスタジオで、Resphoina、Lady of Spring、Green Requiem、そしてInnocentの4曲をベーゼンドルファーのピアノで、残りの曲はその後1988年1月、東京でスタインウェイのピアノで録音することが出来ました。」

久石譲 『piano stories』

 

「ストリングスはロンドン・シンフォニーとロンドン・フィルのメンバーに協力してもらいました。ロンドンの──特に弦の音は、僕の求めている音に合うんです。録音はアビィ・ロード・スタジオ。あそこはね、ルーム・エコーが非常にいいんですよ。ピアノのパートは日本で録音しました。ピアノはベーゼンドルファー・インペリアル。低音部分にこだわってみたので」

久石譲 『i am』

『I am』(1991)

 

 

ピアノの好みの響きについて、こんな興味深いインタビューもあります。

 

「僕のスタジオにあるスタインウェイがすごく気に入っています。今のスタインウェイってペダルがきつくて、カクンカクンと持ち上がるんですが、今僕が使っているモデルは、どちらかというと昔のタイプなので、ペダルのスプリングがすごく弱いんです。だから自然にペダル操作ができる。あと、音もきらびやかじゃなくて、ホワンとしています。僕がアルバムでピアノを弾くときは、ほとんどそのピアノですね。ただ、楽曲によってもっと派手な音が欲しいときは、別のスタインウェイを用意してもらうこともあります。あと、好きなのはアルバム『ETUDE』などで使ったオペラシティのスタインウェイ。あそこのピアノはすごくいいですよ。最近はベーゼンドルファーを全然弾かなくなっちゃいました。低音鍵盤があるモデルではその分響きが豊かだから、昔は好きだったんですけどね。理想のピアノは真ん中から低い音がベーゼンで、高い音がスタインウェイ(笑)。」

Blog. 「キーボード・マガジン 2005年10月号 No.329」 久石譲 インタビュー内容 より抜粋)

 

 

ここまでこだわってます!

 

「やはり僕はピアノがメインなので、”これしかない”という響きのピアノに出会いたいといつも思ってます。「アシタカとサン」では生ピアノのマイキングに凝って録りました。マイクの位置をミリ単位で変えてみたり、蓋を外したりしていろいろ実験してみたんです。ピアノは譜面台を外すだけでも音は変わりますからね。調律師には”果物が腐る直前のような音”にしてくれと頼みました。ピッチがズレる直前というギリギリの感じですね。」

Blog. 「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1997年9月号」久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

ほかにもピアノにまつわるエピソードはたくさんあるのですが、お題「ピアノと調律」に振り返ると、楽器選びから、演奏や録音時のセッティングやマイキング、調律による音のニュアンス。自分の求める音に対して、自分のなかで響いている確固たる音に対して、実際の音や響きを近づけようとする過程を読みとることができますね。音程がつくれないピアノに対して、久石さんならではの音程のつくり方、生まれる響きや倍音の土台づくりとも言えるのかもしれません。奥が深い。

 

 

お題4. 久石譲ピアノは再現できるのか?

たとえば、久石さんの演奏CDを機械を介して数値化できたとします。音の強さも音の伸ばし方も音符ごとにすべてきれいな数値に表されたとします。じゃあこのとおり弾けば久石譲と同じピアノの響きになるかと言われると、近づくことはできるかもしれませんが、きっと同じにはならないですね。それは上に書いたピアノという楽器選びもあります。同じブランドであったとしてもグランドピアノは一台一台に性格があり個性としての響きがあります。

もっと大切なこと、それはやはり弾く人そのものが音として表れるからです。根本的にいえば、手の大きさ・手のかたち・指の曲げ伸ばし、このあたりが鍵盤のタッチに影響してきます。指使い・姿勢・椅子の高さ・体と鍵盤の距離感、このあたりが強弱や力のかけ方に影響してきます。それにペダルなどを加えると響き方や倍音に影響してきます。、、と勝手に思っています。

つまり弾く人に注目したとしても、いろいろな要素が絡み合って、素性・テクニック・感性の集合体として一音が生まれる。その人の音をつくっている。僕はこれを総称して”手クセ”と言っています。久石さんの指10本のそれぞれの指力の差、指使いのクセによるメロディの強弱、ドミソという和音を弾くにしても、3つの音のどの音にアクセントを置きたいかで、響き方や倍音の強弱にも影響してくる。一番強く叩かれた音が倍音効果も高いからです。

指使いのクセと書くとなんだか染みついてしまったもののように聞こえるかもしれません。それもあります。もうひとつ大切なのは、メロディーラインからみて模範的な指使いがあったとしても、ここの音でこんなニュアンスを出したいから、この音は小指が適している。といった、自分の指1本1本のタッチの特徴や長所を知っていいるからこその、”手クセ”です。

 

今回題材とさせてもらっているコラムにもわかりやすくありましたね。おさらいでもう一度。

 

「タッチは気持ちで作る、というのが私の持論ですが、「こんな音を出したい」とタッチに気持ちを込めるなら、指(というよりも身体)はそういう音を作ってくれると信じています。」

「一般的にはピアノの音程は決まっているものなのですが、私はピアノであっても、演奏次第で微妙な音程調整ができる気がしています。鍵盤にふれる時に、どの倍音を強く出すかを意識してタッチし、ペダルを踏むタイミングやペダリングの工夫をすれば、物理的にも音程は微妙に変化します。また和音を弾く場合でも、どの音に力点を置くのか、そして、それぞれをどのような音色バランスで鳴らすのか等、倍音の響き具合を上手に利用すれば、美しい音程を作り出すことができると思うのです。音程の決まっているピアノであっても、音程を作ろうと努力することは大切なことなのです。」

(「モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2017.2 Vol.237」より)

 

 

深い、深すぎる。

自ら作曲した楽曲だからこそ、つくりたい音・つくりたい響きが明確にある。そしてCDやコンサートでも、ピアノをフィーチャーしたい楽曲は必ず久石譲自ら演奏する。伴奏やパートのひとつに徹している管弦楽作品や、指揮との両立で指揮台とピアノの行き来やタイミングが難しい場合などをのぞいて。

CDによる演奏も、コンサートによる演奏も、ニュアンスの違いこそあれ、楽曲を大きく包む響きはまさに久石譲ピアノそのものです。作曲当時の演奏と時を経て今の演奏、そのときどきの想いや年を重ねてきた年輪によっても紡ぎ出される音は変化しています。ライブであれば、観客の反応やその場の特別な雰囲気によって一期一会の音楽がうまれます。

「One Summer’s Day」の最後、たっぷりと響かせた低音の上に、高音がやさしくかけ上がっていきます。もともと久石さんは低音をたっぷり聴かせることが多い奏法だと思います。土台としてどっしり安定するからというのもあるでしょうし、低音の響きや倍音効果もあるのだと思います。作曲家としてピアノのみならずオーケストラ楽器やオーケストレーションを熟知した久石さんだからこその奏法であり響きです。

広がる水面に大きな音滴(低音)がどっぷり沈みこみ緩やかで厚みのある波形を生みだす。そこに小さな音滴(高音)が降りそそぎ細かい波形が幾重にも広がる。そして大小さまざまな波形がおり重なり交錯しまたぶつかり新しい波形をつくる。こうやってできた水面のゆらぎの瞬間こそが響きであり、倍音である。──というのは僕のイメージの世界です。

 

 

お題5. 管弦楽における響きと倍音 *宿題

ラヴェル「ボレロ」は、同じメロディーが楽器構成を変化させ、繰り返され徐々に盛り上がりクライマックスへむかう名曲です。この楽曲にも倍音効果を巧みに意図したオーケストレーションが施されているとなにかで読んだことがあります。

ベートーヴェン「交響曲第7番」第4楽章では、従来ベース伴奏のような役割の多かったコントラバスという低音弦楽器、ベース伴奏ではなく独立した旋律をあたえ、そのフレーズがくり返されることで独特なうねりとなって、緊張感や高揚感をもった響きとなっている。とこれもなにかで読んだ記憶です。

とすると、ミニマル・ミュージックというのは、フレーズを反復させる・フレーズをずらすわけですから…。同じ音がくり返される、同じ音の倍音もどんどん増幅されていくことになり…。和音じゃないにしても響きがかさなりハーモニーのようになり、倍音をうみやすい、それが独特の響きやうねりという覚醒効果をもたらし…。

これ、宿題です。いつかまた、いつかきっと。

 

 

今回は、だいぶん役不足なお題に足を踏み入れてしまいました。結局答えは導き出せたのか?と言われたらもちろんそんなことはありません。小さな、でもたしかなきっかけをひとつ学んだような気はしています。答えは見つからなくても学びや好奇心がもらたすもの、今まで聴こえていた音にも変化が起こっている、そう思える瞬間がきっとあります。

僕は最近思うんです。久石譲音楽についてリスト的な資料的なことであれば紙平面上である程度把握できたとして。それってあまり大切なことではない。情報を知るのと知識を深めることの差のように。ひとつを掘り深めること、たくさんに広がりを持たせること、深さ広さその両方が音楽の豊かさを二次元から三次元へ、平面から立体へとかたちづくられていくように。

久石譲とはこういう音楽だ、こういう傾向だ、と軽くかんたんに手で丸めてしまえるものではない。もっと知りたい、もっと感じとりたい、なにか新しい発見があるのかもしれない。このほうが楽しいですね♪

わかった気になることはそこで学びや感受性の限界をつくってしまうことになる。それはとてももったいないことです。そんな安易なものでは決してないのが久石譲音楽だとも思っています。わかった気になること、わからないとさじを投げること、好奇心の最大の敵だ!──と言い聞かせながら。久石さんの音楽の魅力を語りたい、でも言葉でうまく表現できない、このやきもき感が得も言われぬ醍醐味なのかもしれません(マニアックなファン心理 笑)。果てしないフィールド、これからも四方八方紆余曲折Overtoneしていこうと思います♪

それではまた。

 

reverb.
「久石譲 in パリ」(11/18再放送・NHK-BS)で聴くことのできる「One Summer’s Day」久石譲ピアノソロ極上の響き、今の久石さんだからこそ紡ぎだされる音。とびきりの魔法をぜひ♪

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

Blog. 「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1997年9月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2017/11/13

音楽雑誌「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1997年9月号」に掲載された久石譲インタビューです。

この年1997年公開されたばかりの映画「もののけ姫」の音楽についてたっぷりと語っています。”超ドメスティックはインターナショナルになる” ”オーケストラの圧倒的な表現力” ”環境ループ” ”果物が腐る直前のような音” …!! 音楽制作における貴重な宝庫、音楽が生まれる瞬間の永久保存版です。

 

 

超ドメスティックはインターナショナルになる

この7月に全世界同時上映が始まったアニメ映画「もののけ姫」。宮崎駿監督が描くこの空前のスケールの作品は室町時代の山里を舞台にした歴史活劇だ。サウンドトラックを担当したのは宮崎監督の作品ではおなじみの久石譲。監督との意見のキャッチボールでは最初から豪速球でやりあったという。壮大なオーケストレーションで作られたこのサントラは久石譲の記念碑的な作品となるだろう。

 

サントラは控え目であることを美徳とする必要もない

-このサントラを作るにあたって、宮崎監督とはどのようにコミュニケーションを取っていきまっしたか?

久石:
「この話を頂いたのは一昨年なんです。その時にこの映画の大体の内容、登場人物のことなどを聞いたんです。絵コンテも少ししかできてなかったけど、今まで以上の意気込みで作ろうとしていることが伝わってきましたね。話を聞いている段階で、直感的にこれはフル・オーケストラのサウンドでやるしかないと思ったんです。

宮崎さんの仕事では毎回、イメージ・アルバムというのを作るんです。まず作品のキーワードを10個くらいもらって、それからイメージを広げてまず10曲作ってしまうんです。今回のアルバムも既に『もののけ姫 イメージアルバム』(徳間ジャパン:TKCA-70946)として1年前にリリースされています。そして、その音を基にサントラを作りました。」

 

-今回はどういうキーワードだったんですか?

久石:
「タタリ神、犬神モロ、シシ神の森……などでした。さすがに宮崎さんもこれだけではマズイと思ったんでしょうね、言葉に対して自分の思いや説明を長く書いてくれたんです。その中に「もののけ姫」というタイトルでポエムのような言葉が綴られたものがありました。それを見たとき、これは歌になるなと思ったんです。タイトル曲にならなくても、イメージ・アルバムならあってもいいんじゃないかという軽い気持ちで「もののけ姫」という曲を書いたんです。」

 

-今回オーケストラ・サウンドを使おうと思った理由は?

久石:
「オーケストラのサウンドはそんなに色があるものではないんです。だから、こういう時代ものアニメでも、その匂いや日本的情緒を出すことができるんです。全世界公開のサントラなので豊かな弦の音がいちばん合うと思いましたね。」

 

-サントラは生のオーケストラのみですか?

久石:
「シンセも入っていますよ。あと、ひちりきとか和太鼓などの民族的なニュアンスのある和楽器も使っています。日本初の世界同時公開の映画なので、何らかの形でドメスティックなものを出すべきだと思ったんです。それで”超ドメスティックはインターナショナルになる”という考えを持ち込みました。富士山と芸者のようなあいまいなイメージではなくて、本当の日本的な音の感性が核にあれば、インターナショナルとしての価値が出ると思ったんです。だから和楽器を使って、なおかつイメージを限定しない使い方を目指しました。これはすごく悩みましたね。」

 

-具体的にはどういう部分に注意したんですか?

久石:
「例えばひちりきなんですが、すごく個性的な音なんです。だからこの音が単独で鳴ると見ている人の注意がそっちに向いてしまう。すると音としては面白いけど、劇の流れを止めてしまうんです。それで、ほかの楽器とハモらせたりして何とも言えない音にする。ソフィスティケートされるので個性も残り、画面の流れも止まらない。」

 

-サントラならではの試行錯誤ですね。

久石:
「今回の映画では、2時間15分の長さに対する作曲をするわけです。だから音を付けないところも含めてどこで何のテーマが出て、どういう形で宮崎さんが言いたいテーマを浮かび上がらせるかがポイントなんです。そういう設計をして論理的に作ることが大事ですね。黒澤明さんの言葉で「映画は時間の流れの中に作るものだから、音楽ととても構造が似ている」というのがあるんですが、本当にそう思いますね。だから、自分も映画を撮っている感覚で作ります。単純に画面が速くなったからといって、速い音楽にはしたくないんです。時間軸と空間軸の中で作るものですから、音楽が主張し過ぎても問題が起こる。また、控え目であることを美徳とする必要もないんです。」

 

生のオーケストラの圧倒的な表現力

-サントラを作るときにイメージの基本となるような、既成のサウンドなどはあるんですか?

久石:
「直接ではないですが、例えばオーケストラのサウンドをイメージするときに、アビーロードの1スタジオの音というのは定着しているんです。だから、その世界観に近い音を国内で録ろうとしますね。そういうイメージの基本はあります。」

 

-プリプロの作業ではどのような機材を使ったんですか?

久石:
「AKAI S3000XLなどのサンプラーを5台使いました。これらはほとんど弦と管の音で使いましたね。サンプラー1台で2音色くらいしか使わないようにして、オーケストラを入れないでも十分なクオリティのものが、プリプロの段階でできたんです。でも、それらの弦の音は全部生のオーケストラと入れ替わりました。生き残ったのは特殊な音だけですね。」

 

-結局は生オーケストラに替わってしまったという一番の理由は何だったんでしょうか?

久石:
「やっぱり、ニュアンスやアーティキュレーションですね。最後にオーケストラを録ってみたら、やっぱりオーケストラの方が圧倒的に良かった。シンセではやはり限界があります。サンプリングを人との会話にたとえると、”同じ顔でずっと話す”ということなんです。やはり、表情が変わらない顔では会話に無理がある。何も生だけが最高だと言っているわけではなくて、サンプリングにはサンプリングの良さがある。ただ、今回のオーケストラ・サウンドに関してはやはり、生にかなわない。弦のピチカートなどはサンプリングだと安定しててきれいなんですけどね。」

 

-ほかにどんな機材を使っているんですか?

久石:
「YAMAHA VP1を使いました。最近は一番好きな楽器ですね。前面には出てこないけど、このアルバムでは隠し味としていろいろな部分で使っているんです。VP1は、まず音が太くてクオリティが高い。そして、普通のシンセ特有のプリセットのピアノとか弦のような音が入っていないところがいいですね。それで、かえって個性が出てくる。あとシシ神の森というのが映画に出てくるんですけど、その場面ではちょっと特殊な響きがほしかったんです。それで生の弦と、以前に自分で作った”環境ループ”と名付けている音を混ぜました。そこでもっと神秘性が出ましたね。」

 

-環境ループ!

久石:
「耳につくようなしっかりしたメロディがあるわけではないけど、それが流れているかないかでは大違いという音なんです。空間を広げるようなスーっと鳴っている感じです。簡単に言うと、ブライアン・イーノのループ・サウンドのようなものですね。」

 

-ほかに興味がある楽器はありますか?

久石:
「やはり僕はピアノがメインなので、”これしかない”という響きのピアノに出会いたいといつも思ってます。「アシタカとサン」では生ピアノのマイキングに凝って録りました。マイクの位置をミリ単位で変えてみたり、蓋を外したりしていろいろ実験してみたんです。ピアノは譜面台を外すだけでも音は変わりますからね。調律師には”果物が腐る直前のような音”にしてくれと頼みました。ピッチがズレる直前というギリギリの感じですね。」

 

宮崎監督との仕事は倍々返しできつくなる

-主題歌「もののけ姫」を歌っている米良美一さんの歌声も男性にしてはかなり高いですよね。

久石:
「宮崎監督も初めラジオで聴いてびっくりしたそうです。この映画には二重性のようなものもストーリーに含まれていて、例えば善悪を決めつけない部分などもそうなんですが、そういう二重性を米良さんの声にも感じるんです。だから、この映画にはぴったりの声ですね。」

 

-全体の仕上りに関してはどうですか?

久石:
「すごく満足しています。宮崎さんとの仕事は6作目になるんですが、慣れてくるというよりも、倍々返しにきつくなっていくんです。同じ手は使えないですからね。だから、きついけど初心に返ったようなつもりで作業できました。しかも宮崎さんとそうとう深い部分でコミュニケーションできたんです。それが収穫でしたね。今回はストレートな音楽表現は、極力抑えたんです。普通、戦闘シーンなんかは派手に音を使いますよね。だけど、そういうところは抑えて、戦いが終わったあとに心が痛んでいるところに音楽を付けるようにしたんです。結果的にこの方法は成功しましたね。そういう意味で全然悔いはないし、これでだめだったら仕方ないと思えますよ。ミックス・ダウンは最終的に十何日間もかけました。これは一部の劇場ではデジタル6チャンネルで再生されるんです。レフト、センター、ライト、後方のレフトとライト、そしてスーパー・ウーファーなんですが、ハリウッドと違って、日本ではほとんどこの分野のノウハウがない。観客の入り方によっても音は変わるので、音を決めるのには苦労しましたね。」

 

-今後の予定は?

久石:
「北野武さんの新作映画のサントラをちょうど仕上げました。8月中旬にはロンドン・フィルハーモニーと僕のピアノでソロ・アルバムを作ります。これは10月15日の発売予定です。9月は台湾でコンサートをやって、10月はツアーをやります。」

 

(「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1997年9月号」より)

 

 

Related page:

 

 

 

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」 コンサート・レポート 【11/10 Update!!】

Posted on 2017/08/23

8月2日から8月16日まで国内5都市と韓国ソウルを廻る「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」コンサートツアー。2014年から2016年までの「鎮魂3部作」テーマが完結し今年は。久石譲による新作書き下ろし初演をふくむAとBふたつのプログラムを引きさげ壮大なスケールで各地を魅了しました。宮崎駿監督作品の楽曲を交響組曲にするプロジェクトは第3弾「交響組曲 天空の城ラピュタ」、さらに「オーケストラストーリーズ となりのトトロ」も披露するなど、今年のW.D.O.も出し惜しみなしの熱い夏。

 

 

2017.11.10 追記
スカパー!放送後、レビューを追記しました。主に交響組曲「天空の城ラピュタ」の構成についてです。文末に記しています。(BSスカパーは11/11放送です)

追記へジャンプ

 

 

まずは演奏プログラム・アンコールのセットリストから。

 

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017
Joe Hisaishi & World Dream Orchestra 2017

[公演期間]  
2017/08/02 – 2017/08/16

[公演回数]
7公演
8/2 広島・上野学園ホール A
8/3 大阪・フェスティバルホール A
8/4 神奈川・ミューザ川崎シンフォニーホール B
8/6 福岡・アルモニーサンク北九州ソレイユホール B
8/8 韓国 ソウル・ロッテ コンサートホール B
8/9 韓国 ソウル・ロッテ コンサートホール A
8/16 東京・東京国際フォーラム ホールA A

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ

B オーケストラストーリーズ「となりのトトロ」ナレーター
養老孟司(解剖学者)(神奈川)
鈴木敏夫(スタジオジブリ・プロデューサー)(福岡)
藤井美菜(女優)(ソウル)

[曲目]
【Program A】 All Music by Joe Hisaishi
TRI-AD for Large Orchestra

ASIAN SYMPHONY
1. Dawn of Asia
2. Hurly-Burly
3. Monkey Forest
4. Absolution
5. Asian Crisis

—-intermission—-

【mládí】for Piano and Strings
Summer
HANA-BI
Kids Return

交響組曲「天空の城ラピュタ」
Original Orchestration by Joe Hisaishi
Orchestration by Chad Cannon

【Program B】 All Music by Joe Hisaishi
TRI-AD for Large Orchestra

Deep Ocean
1. the deep ocean
2. mystic zone
3. trieste
4. radiation
5. evolution
6. accession
7. the origin of life
8. the deep ocean again
9. innumerable stars in the ocean

—-intermission—-

【Hope】for Piano and Strings
View of Silence
Two of Us
Asian Dream Song

オーケストラストーリーズ「となりのトトロ」

—-encore—-
Dream More (大阪・韓国A・東京)
World Dreams

 

 

さて、個人的な感想はひとまず置いておいて、会場にて販売された公式パンフレットより紐解いていきます。

 

 

W.D.O.の夏がきた

W.D.O.の夏がきました。今年のテーマはエンターテインメントです。2014年から始まった鎮魂3部作が去年の「THE EAST LAND SYMPHONY」をもって完結し(いや、心情としては続いていますが)次は楽しいコンサートにしたいと思ったわけです。

前半はミニマル・ミュージック(僕のライフワークです)をベースにした楽曲ですが楽しめるものを、後半は最近あまり演奏していなかった曲を含めてメロディー中心の楽曲を選びました。

また弾き振り(ピアノを弾きながら指揮もする)もおこないます。これは昨年の大阪ジルベスターコンサートで初めて実践し、今年もチェコのプラハ等で好評だったのでW.D.O.としても初めて試みます。ちなみに今までは指揮の合間にピアノを弾いていたのですが今回はピアノの合間に指揮をする? ややこしいですね、その違いをぜひご覧ください。以下は各楽曲についての一口コメントです。

A・Bプロ共通の「TRI-AD」は3和音を基本コンセプトにした祝典序曲です。金管楽器のファンファーレは幾十にも重なって微妙なハーモニーを作り出します。とにかく元気な楽曲です。タイトルの「TRI-AD」は3和音という意味です。

「ASIAN SYMPHONY」は2006年におこなったアジアツアーのときに初演した「アジア組曲」をもとに再構成したものです。新たに2017年公開の映画『花戦さ』のために書いた楽曲を加えて、全5楽章からなる約28分の作品になりました。一言でいうと「メロディアスなミニマル」ということになります。作曲時の上昇カーブを描くアジアのエネルギーへの憧れとロマンは、今回のリコンポーズで多少シリアスな現実として生まれ変わりました。その辺りは意図的ではないのですが、リアルな社会とリンクしています。

「Deep Ocean」は同名のNHKドキュメンタリー番組のために書いた曲をコンサート楽曲として加筆、再構成したものです。去年の大阪ジルベスターコンサートで初演しましたが、今年の夏に最終シリーズとしてオンエアーされる楽曲を新たに加えてリニューアルしています。ミニマル特有の長尺ではないので聴きやすいと思いますし、ピアノ2台を使った新しい響きをお楽しみください。

弾き振りの「HOPE」はフィギュアスケートの羽生結弦さんが昨シーズンの演目で採用していた楽曲が2曲含まれています。また「mládí」は北野武監督映画に作った楽曲を構成したものです。チェコ語で青春という意味でヤナーチェクにも同名のタイトル曲があります。

オーケストラストーリーズ「となりのトトロ」の目玉はナレーターです。僕が最も敬愛する養老孟司先生、ジブリの鈴木敏夫さん、それに若手の藤井美菜さんというなんとも豪華な顔ぶれです。同じ楽曲がナレーターによって別の世界が生まれる。個人的には一番楽しみなコーナーです。

最後に「天空の城ラピュタ」について。先日高畑勲監督と『かぐや姫の物語』の上映前にトークイベントをおこなったのですが、このラピュタについての話題がもっとも長かった。それだけ思い入れがあったわけです。考えてみれば宮崎監督、高畑勲プロデューサーという両巨匠に挟まれてナウシカ、ラピュタを作っていたわけですから、今考えれば恐ろしいことです。

今回すべてのラピュタに関する楽曲を聴き直し、スコアももう一度見直して、交響組曲にふさわしい楽曲を選んで構成しました。約28分の組曲ができました。

以上、長くなりましたが、楽しいコンサートになれば幸いです。そしてコンサート会場を出たあと、満面の笑顔があらんことを。

久石譲

(「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」コンサート・パンフレット より)

 

 

 

さて、久石譲本人による楽曲解説で充分にコンサートの雰囲気は伝わると思います。補足程度に感想や参考作品、アンコールもまじえてご紹介していきます。いや、とことん長い!はりきっていきましょう。今回はBlog.とOvertone.のはざまのテンションで書き進めていきます。(Blog.は「久石譲、私」、Overtone.は「久石さん、僕」、文章の書き方やくずし方など微々たる線引きがあったりします。)

 

各会場特設販売コーナー、今年は久石譲最新ソロアルバム「ミニマリズム3」とパンフレットのセット販売ということで、いつもCDを手にとらない人も聴くきっかけになったかもしれませんね。ファンのなかには、先にCDを買っていて2枚になっちゃったという人も!?(はい、僕もその一人です)。そんな人は、久石譲音楽を聴いてほしい人にCD1枚プレゼントしてはいかがでしょうか♪

 

 

 

TRI-AD for Large Orchestra 【A / B】
全公演でオープニングを飾った曲です。「トライアド」と読みます。”3和音を基本コンセプトにした祝典序曲”とあるとおりとても華やか幕開けにふさわしい快活な管楽器の咆哮が印象的です。最新CD作品「Minima_Rhythm III ミニマリズム3」にもレコーディング音源初収録されています。演奏しているのは本公演と同じ新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラです。フル・オーケストラの魅力がつまったこの作品は、これから始まるオーケストラ・イントロダクションとしても期待を高める圧巻の響きと臨場感。CDやコンサートで聴けば聴くほど、いろいろな音が新しく顔を出してくるおもしろさ。ぜひいつの日かスコアを眺めながら聴き楽しみたい作品です。読めません、でも耳では聴こえてこなかった楽器やパートを総譜で追いながら耳をすませる。そんな至福の音楽時間です。

「TR-AD」のもう少し詳しい久石譲解説、また2016年長野初演から計4-5回コンサートで聴いてきた立体音空間(音がまわる・音がうねる)、オーケストラ楽器配置(対向配置)の魅力など感想も一緒に下記CD作品ページにて記しています。ぜひ最新の久石譲を感じとってください。

 

 

ASIAN SYMPHONY 【A】
1. Dawn of Asia / 2. Hurly-Burly / 3. Monkey Forest / 4. Absolution / 5. Asian Crisis
2006年初演から長い沈黙をまもってきた大作、ついにその封印が解けた瞬間でした。久石譲解説に「メロディアスなミニマル」とあります。当時の言葉を補足引用すると「僕の作曲家としての原点はミニマルであり、一方で僕を有名にしてくれた映画音楽では叙情的なメロディー作家であることを基本にした。ただそのいずれも決して新しい方法論ではない。全く別物の両者を融合することで、本当の意味でも久石独自の音楽を確立できると思う。ミニマル的な、わずか数小節の短いフレーズの中で、人の心を捉える旋律を表現できないか…」(「Asian X.T.C.」CDライナーノーツより)、久石譲が現代の作曲家として強い意志をもって創作した作品「アジア組曲」改め「ASIAN SYMPHONY」です。

めまぐるしいアジアの成長と魅惑を時代の風でかたちにした2006年版「アジア組曲」、それはまさに天井知らずのエネルギーの放出であり同時に先進国が辿ってきた発展後にある危機(Crisis)を警鐘したものとなっていました。それから11年、現代社会におけるアジア、世界におけるアジアは、今私たちがそれぞれ感じとっているすぐ隣にある現実です。

久石譲が「ASIAN SYMPHONY」への進化でリコンポーズしたもの。既出4楽曲は大きな音楽構成の変化はありません。それでも当時の「アジア組曲」の印象とは変わった空気を感じる。溢れ出るエネルギーのなかに無機質な表情で鼓動する怒涛のパーカッション群、パンチの効いた鋭利な管楽器群。躍動的で快活なのに決して手放しで笑ってはいない。そんなシリアスな変化を感じとったような気がします。

そしてもうひとつ注目すべきは、映画『花戦さ』のために書かれた音楽から「4. Absolution」として組み込まれた楽曲。映画サウンドトラック盤では「赦し」(Track-21)として収録されています。そっと手をさしのべられるような、言葉少なにそっと寄り添ってくれるような、慈愛に包まれた楽曲。悠々と感情たっぷりに歌うのではなく、弦楽の弦のすすりが聴こえる涙腺の解放。”罪を赦す”というように、過去の過ちをも包みこみ苦しまなくていい安らかな気持ちで生きていきなさい、そんな意味あいになるのかなあと思います。”相手を赦す・自らを赦す”、そして前向きに未来へ歩んでいく。映画音楽のために書き下ろされた、誤解をおそれずにいえば「エンターテインメントのための楽曲」がこうして「久石譲オリジナル作品の一部」として組み込まれる。これはこれまでにはなかったことで、とても重要なポイントなのかもしれません。それだけに「4. Absolution / 赦し」という楽曲に対する久石譲の納得と確信すら感じます。見方をかえれば、映画音楽の一楽曲としては時とともに流れてしまう可能性のあるものが、オリジナル作品の一楽章として新しい命を吹きまれた、そして未来へとつながっていくもうひとつの機会を得ることのできた楽曲。そう思いめぐらてみるとこの楽曲が加えられたことに深い感慨をおぼえます。

そして、赦しのあとの警鐘。同じ過ちをくり返す危機(Crisis)、今までになかった新しい危機(Crisis)。そんな現実を僕たちは力強く生きていかなければいけない。久石さんは、当時のインタビューで「危機(Crisis)の中の希望」というフレーズを口にしています。危機を警鐘するだけではない、その中から希望をつかんで切り拓いていく、そんなエネルギーを強く打ち響かせる作品です。

壮大な大作「ASIAN SYMPHONY」の「アジア組曲」からの変遷は、時系列でまとめていますので、ぜひ紐解いてみてください。どんな音楽が気になった人はCD作品「Asian X.T.C.」でアンサンブル版を聴いてみてください。2016年「THE EAST LAND SYMPHONY」につづき2017年「ASIAN SYMPHONY」。こうやって久石さんの”シンフォニー”がひとつでも多く着実に結晶化している喜びをひしひしとかみしめながら聴きいっていました。そして1年後には…CD化が実現してくれることを強く願っています。

  • Disc. 久石譲 『アジア組曲 ~ ASIAN SYMPHONY』 *Unreleased

 

久石譲 『 Asian X.T.C.』

 

 

Deep Ocean 【B】
1. the deep ocean / 2. mystic zone / 3. trieste / 4. radiation / 5. evolution / 6. accession / 7. the origin of life / 8. the deep ocean again / 9. innumerable stars in the ocean
2016年から2017年にかけて全3回シリーズで放送される「NHKスペシャル シリーズ ディープオーシャン」のために書き下ろされた楽曲を演奏会用にまとめたものです。2016年大晦日ジルベスターコンサートで事前予告なく初披露されサプライズとなりましたが、今回「3.trieste」「7.the origin of life」が追加され9つの小品からなる作品へと再構成されています。久石譲の最も旬ソリッドなミニマル・ミュージックが堪能できる作品です。

小編成オーケストラとピアノ2台という大掛かりなステージ配置変更をしての演奏は、楽器ひとつひとつの微細な音、普段なかなか見聴きできない打楽器群、特殊奏法による音色のおもしろさ、ミニマル特有のズレをあますことなく体感できる贅沢な音空間です。冒頭から一瞬で神秘的な深海の世界へと誘ってくれます。

気になる追加された2楽曲は、どうもコンサートで初めて聴くような。7月にオンエアされたばかりの第2集からの音楽ではなく、8月にオンエア予定の第3集からのものかもしれません。「3.trieste」は明るく清らかなミニマル音楽だった印象で、「7.the origin of life」は生命の起源にふさわしく音楽の起源バロック音楽まで遡ったような優美な旋律だった印象。第2集はTV放送後何回もリピートしています、たぶん流れていなかったと思います。

その答えは8月27日放送、第3集「超深海 地球最深(フルデプス)への挑戦」(NHK総合21:00)で確認したいと思っています。それまで曲の印象を覚えていられるか心配ですけれども。

エンターテインメント音楽(TV番組メインテーマ)としては贅沢なほどに作り込まれた完成度、楽器編成としても意欲作。久石譲オリジナル作品という位置づけでもまったくおかしくない最新の久石譲がたっぷりつまったメインテーマをはじめ、久石譲独特のミニマル・グルーヴを感じる楽曲群。TVでなんとか耳をすませ、コンサートで臨場感たっぷりに体感し、それでファンとして終われるはずがありません。もしオリジナル・サウンドトラックが発売されたとき、それは久石譲ミニマルアルバムという肩書きでもおかしくない逸品ぞろいです。「これサントラのクオリティ超えてるよね!久石さんのオリジナルアルバムかと思った!」なんて言いたい、そんな日がきっと訪れますように。

久石さん、サントラ出してくれますか? NHKさん、尽力してくれますか? どうかよろしくお願いします!

 

 

【mládí】for Piano and Strings 【A】
Summer / HANA-BI / Kids Return
久石譲弾き振り(ピアノを弾きながら指揮もする)コーナーです。Aプログラムでは北野武監督作品からおなじみのメインテーマをセレクトし久石譲ピアノと弦楽オーケストラによる演奏です。おなじみでありながらここ数年のコンサートでは聴く機会のなかった「HANA-BI」「Kids Return」というプログラムには多くのファンが歓喜したはずです。

「Summer」はピアノとヴァイオリン・ソロの掛け合いがみずみずしく爽やかで、弦楽もピチカートではじけています。きゅっと胸をしめつけられるような思い出の夏、日本の夏の代名詞といえる名曲です。この曲が生演奏で聴けただけで、今年の夏はいいことあった!と夏休みの絵日記に大きなはなまるひとつもらえた、観客へのインパクトと感動は超特大花火級です。

「HANA-BI」は一転して哀愁たっぷりでしっとりななかに内なるパッションを感じる演奏。特に後半はピアノで旋律を弾きながら、低音(左手)で重厚に力強くかけおりる箇所があるのですが、今回それを弦楽低音に委ねることでより一層の奥深さが際立っていたように思います。ピアノも同フレーズ弾いていましたけれど、従来のようなメロディを覆ってしまうほどの激しい低音パッションというよりも、ぐっとこらえたところにある大人の情熱・大人の覚悟のようなものを感じるヴァージョンでした。渋い、貫禄の極み、やられちゃいます。

「Kids Return」は疾走感で一気に駆け抜けます。弦のリズムの刻み方が変わってる、と気づきかっこいいと思っているあっという間に終わってしまいました。そして今回注目したのが中音楽器ヴィオラです。相当がんばってる!このヴァージョンの要だな、なんて思った次第です。ヴァイオリンが高音でリズムを刻んでいるときの重厚で力強い旋律、一転ヴァイオリンが歌っているときの躍動感ある動き、かなり前面に出ていたような印象をうけます。管弦楽版にひけをとらない弦楽版、フルオーケストラ版では主に金管楽器の担っている重厚で高揚感あるパートをストリングス版ではヴィオラが芯を支える柱として君臨していたような、そんな気がします。これはスカパー!放送でじっくり確認してみたいところです。

ピアノとストリングスで3曲コーナーか、なんて安直なこと思ったらいけません。こんなにも楽曲ごとに色彩豊かに表情豊かにそれぞれ異なる世界観を演出してくれる久石譲音楽。メロディは違っても楽器編成が同じだからみんな同じように聴こえる、そんなことの決してない三者三様の巧みな弦楽構成。清く爽やかで、憂い愛のかたち、ひたむき疾走感。それは誰もが歩んできた「mládí」(青春)のフラッシュバックであり、少年期・円熟期・青年期いつまでも青春そのもののようです。

 

【Hope】for Piano and Strings 【B】
View of Silence / Two of Us / Asian Dream Song
約30名の弦楽オーケストラと久石譲ピアノの共演にて。往年の名曲たちが極上の響きとなって観客を陶酔させてしまったプレミアム・プログラムです。あまりにも素晴らすぎて、語ることがありません。

「View of Silence」や「Asian Dream Song」は、「a Wish to the Moon -Joe Hisaishi & 9 cellos 2003 ETUDE&ENCORE TOUR-」の楽曲構成・ピアノパートをベースにしていると思いますが、9人のチェリストから約30人のストリングスへ、豊かな表現と奥ゆかしさで、たっぷりねかせた&たっぷり待ったぶん熟成の味わい。

「Two of Us」は、コンサートマスター(ヴァイオリン)&ソリスト(チェロ)&久石譲(ピアノ)を中心に、バックで弦楽が包みこむ贅沢なひととき。楽曲構成・ピアノパートは「Shoot The Violist ~ヴィオリストを撃て~」収録バージョンに近いと思います。そこに弦楽(ストリングス)が大きく包みこむイメージです。

(【HOPE】レビュー 「ジルベスターコンサート2016 in festival hall」コンサート・レポートより)

 

Bプログラムでの3曲もまた往年ファンにとってはたまらない選曲です。そして2016年フィギュアスケート羽生結弦選手が「Hope&Legacy」というフリープログラムで「View of Silence」と「Asian Dream Song」を採用したことは大きな話題となり一躍注目を浴びました。そんなきっかけで久石譲ファンになった人もいるでしょうし、懐かしい名曲へのスポットライトに感動をおぼえたかつての久石譲ファンも。久石譲ファンが時代を越えてクロスオーバーするエポック的作品になっていくのかもしれません。楽曲としてもファンの広がりとしても、間違いなく過去と現在をつないだ記念碑的な象徴。いい音楽は何度でも甦る、いつでも命をふきかえす、おそらく立ち会えない未来においても、廻りつづける尊いサイクル。そんな音楽のもつ力を肌で感じ、まざまざと証明してみせた名曲です。コンサートではオリジナル・フルサイズをいまの久石譲の音楽構成とピアノによって演奏された、そのことに大きな価値がある、そんな楽曲たちです。

 

【A・B】あわせて「for piano and Strings」について。近年のコンサートを振り返ると「ジルベスターコンサート2016」から初の試みとなり観客の反応と久石譲の手応えでW.D.O.としてもプログラミングされたコーナー。フルオーケストラコンサートのなかに久石譲ピアノ+弦楽オーケストラ、バラエティ豊かというより、それは音世界のコントラスト変化を感じとることができる至福のときです。一気に会場の空気がかわる。管弦楽と弦楽でこんなにもオーケストラってかわるんだと観客はひとつのコンサートで二度得したような気分に陶酔してしまいます。なんとも贅沢なコンサート構成、ぜひこれからもつづいてほしいコーナーです。

【A・B】あわせて久石譲ピアノについて。やっぱりいい、としか言いようがないんです(って、これどこかでも同じ言い回しを使った記憶)。論理で解決できること、それは作曲家自らによる演奏だから。でもそれだけじゃ到底説明することができないなにかがあるんです。特に最近の久石さんの奏でるピアノの音色は円熟味を感じます。とてもやわらかい、凛とたった、ピュアで無邪気な、悟ったような慈しみのある、いくつもの矛盾する表現が浮かびますでもそれが音を多面的につくっている。

プログラムが前後します「となりのトトロ」から「まいご」も「Dream More」もピアノが旋律を奏でます、W.D.O.楽団奏者によるたしかな演奏です。あっ、ピアノの音が鳴っているなと思います。でも、このコーナーでたっぷり聴くことができるピアノや、「天空の城ラピュタ」から「君をのせて」、「風のとおり道」「となりのトトロ」で顔をのぞかせるピアノ、それは仮に目をつぶって聴いていたとしても、久石さんが弾いてるんだとわかる。あっ、久石譲の音が鳴っているなと思います。音を聴くだけで誰が弾いているかわかるピアニスト日本に何人いるんだろう? と僕なんかは思います。そのくらい指揮をする手も音を紡ぎ出す手も、かけがえのない宝物です。同じ時代に生きて同じ空気のなかで聴けてほんとうによかった。

久石譲 『Shoot The Violist〜ヴィオリストを撃て〜』

 

 

交響組曲「天空の城ラピュタ」 【A】
ジブリ交響作品シリーズ第3弾です。どんなイントロで始まるのかなと楽しみにしていました。CD「天空の城ラピュタ シンフォニー編 大樹」から「プロローグ~出会い」をベースとした導入部になっていました。ほかにも「Gran’ma Dola」などがたっぷり聴けました。

ちょっとわかりやすく解説するのが難しいのです。

1.「交響組曲 天空の城ラピュタ」はストーリーの展開に大枠では即したラピュタ音楽のダイジェスト、いやオールハイライトのような贅沢な音楽構成になっています。

2.オーケストラ+シンセサイザーで編成され本編シーン尺にあわせた「サウンドトラック盤」からではなく、オーケストラ編成で音楽作品として制約なしに成立している「シンフォニー編」をベースにしているパートもあります。

3.2002年北米公開に合わせてリコンポーズ、リオーケストレーションされた「天空の城ラピュタ USAヴァージョン・サウンドトラック」からの楽曲やオーケストレーションがふんだんに盛り込まれています。

この大きな3つの土台があり、久石譲解説に「今回すべてのラピュタに関する楽曲を聴き直し、スコアももう一度見直して、交響組曲にふさわしい楽曲を選んで構成しました。約28分の組曲ができました。」という、巨渦に入り乱れ再構築された大迫力のラピュタの世界が姿を現していました。約28分ですか、あっという間だったな。

さて、話を冒頭に戻すと、どんなイントロからはじまるのか楽しみにしていた本作品。シンフォニー編の「プロローグ~出会い」をベースとしながらも、オープニングのクライマックスはUSA盤が踏襲されていました。どういうことかというと…USA盤では「シータが空から降ってきて飛行石が光るその瞬間」に音楽が盛り上がってバーンッ!といくようにオリジナルサントラ盤にはない数小節のタメが加筆されはさまれていますそのヴァージョンを聴くことができて超感動!86年公開ラピュタは飛行石が光る瞬間と音のピークが数秒ずれていますでも数小節をはさむほどの長い秒数ではないそうUSA盤はそこにいくまでの前半のテンポが微妙に速くなっているそして映像と音楽が見事にシンクロする最高潮へ向かうべく計算しつくされたっぷりためた(rit.)高揚感でもってこのバーンッ!とメロディが解き放たれる(息つぎしていない)…ふうっ、トランペットをフィーチャーしたW.D.O.版のクライマックスもこれが継承されています…そうお祭り状態です。

ストーリーを再現しているパートもあるので、たとえばシータを救出するシーンも、音楽ステージを見ているのか劇場スクリーンを見ているのか錯覚するほどありありと目に浮かぶわけです。そしてオリジナルサントラ盤ではオーケストラ+シンセサイザーとなっていたものが、USA盤をベースにしたフルオーケストラで聴ける、そうお祭り状態です。

USA盤は久石譲が加筆・楽曲追加してオーケストレーションも手を加えたラピュタファンにはたまらないCDです。ですが、指揮が久石譲自らによるものじゃないんです。だからちょっと淡白な印象を持っていた僕としては、シンフォニー編+USA盤が継承されフルシャッフル・パワーアップしたラピュタ完全版、久石譲指揮によってコンサートで聴けること、音源化されるであろうことに、「ここに極まる!」このひと言につきます。

はじめて耳にするオーケストレーションももちろん随所にありました。これはもうスカパー!で確認するまでは全貌を語ることができません(覚えている箇所だけしゃべってこの量か、これは大変なことになる)。

 

音楽作品として成立した楽曲で構成されているので、純粋にストーリの展開にそった(曲の長さとしての尺度/曲の順番)ものにはなっていません。だから「交響組曲」なんですね。振り返れば「風の谷のナウシカ」は《交響詩 Symphonic Poem》、「もののけ姫」「天空の城ラピュタ」は《交響組曲 Symphonic Suite》、シリーズ開始前でいうと「となりのトトロ」は《オーケストラストーリーズ》、「かぐや姫の物語」は《交響幻想曲 Symphonic Fantasy》などなど。このあたりの作品ごとの立ち位置というか音楽構成のコンセプトについても、いつか久石さんから聞いてみたいですね。

そうです!大切なことを忘れていました!

「君をのせて」が久石譲ピアノでフルコーラス堪能できます。しっとりとしたピアノをオーケストラが優しく寄り添うイメージ。これはもう抜粋してアンコールピースなど聴ける機会をふやしてほしい、そう思ってやまないラピュタの結晶です。そしてクライマックス「大樹」ダイナミックなオーケストラサウンドへつづいていきます。ここのティンパニもかっこよかった!どっしりと根をおろした鼓動。

回想。

「天空の城ラピュタ」それは僕が久石譲音楽に出会った特別な作品です。9歳くらいの頃、お小遣いを握りしめてはじめて買ったCDが主題歌「君をのせて」のシングルCDです。はやる気持ちで自転車駆けた行き道帰り道、町の小さなCD屋さんの店内、家に帰ってその日ずっとスピーカーの前から離れず何回も聴いていたあの日。ありありと思い起こせます。なんてないCDショップの包装袋までいっとき大切にしまっておいたくらい、おもちゃよりも目を輝かせた子どもの大切な宝物です。

約30年の時をこえて、同じ曲が今こうやって目の前で奏でられている。久石譲という作曲した人自らの指揮とピアノで。ステージから「ここまでがんばって生きてきたね」と言われているような、からだ全体を包みこむ音楽から抱きしめられているような、おおげさかもしれませんがそんなかけがけのない瞬間。ファンサイトのペンネーム「ふらいすとーん」と名乗っています、やっぱりラピュタは順位づけできない選ぶ選択肢を超えたところにある特別な存在です。

僕の話はここまで、ぜひ久石譲ファンのみなさんに、久石譲ファンだからこそ、そんな自分だけのとっておきの久石譲音楽、歩んできた人生をやさしく包んでくれるようなやさしく認めてくれるような、そんな感覚におそわれることができる(日本語がおかしい)久石譲音楽に出会ってほしいなあと思います。コンサートで聴ける日を夢みてほしいなあと思います。

久石譲 『天空の城ラピュタ サウンドトラック』

久石譲 『天空の城ラピュタ シンフォニー編 大樹』

久石譲 『Castle in the sky 天空の城ラピュタ・USAヴァージョン』

 

 

オーケストラストーリーズ「となりのトトロ」 【B】
大人から子供まで楽しめる「となりのトトロ」オーケストラの世界。「さんぽ」ではオーケストラ各楽器紹介をまじえた音楽構成になっていて、はじめて生のオーケストラに触れる子供はきっと好奇心旺盛に身をのり出し体を動かすそんな光景が浮かんできます。この作品版としてCDにもスコアにもなっているので、多くの人に聴かれ演奏され愛されつづけている永遠のスタンダード作品です。

スタジオジブリ作品交響組曲化シリーズとして、第1弾「風の谷のナウシカ」(2015)、第2弾「もののけ姫」(2016)、第3弾「天空の城ラピュタ」(2017)となりました。今回「となりのトトロ」を聴きながら、もうこの作品は交響作品化としても完成しているじゃないか!と改めて納得させられる完成度の高さです。合唱あり、ソプラノあり、多彩な交響作品が新しい輝きで命を吹きこまれていますが、ナレーションありの交響作品というバリエーションとインパクトとしても充分、スタジオジブリ×久石譲のコラボレーションとしてこれだけジブリカラーをおしあげ作品世界の相乗効果その最高峰はない、と言い切れてしまうほどです。

じゃあCD作品「オーケストラストーリーズ となりのトトロ」(2002)のままでいいのか、と言ったらそんなことはないんです。音楽構成は変わっていませんが、オーケストレーションは緻密大胆豊かに変化しているからです。CDを聴く回数が多いせいか、すぐに気づいてしまいます。「五月の村」も軽快なメロディに管楽器の明るいフレーズが呼応し一層のこれからはじまる新しい生活と冒険に胸わくわくさせてくれます。そして今回コンサート後も耳から離れないのが「ネコバス」。あのおなじみのメロディを管楽器が歌っているんですが、その後ろで弦楽が楽しそうにかけ合っています。タラ、ラタタタタタタタ~♪というふうに。あれっ、こんな好奇心くすぐる旋律あったかな?とCDを聴き返すとやっぱりない。ほかにもネコバスの愛らしくもどっしりしたキャラクター、金管楽器の厚みでパワーアップしていたような印象もあったり。

満場一致拍手喝采!圧巻の「となりのトトロ」を聴いて、音楽再構成の必要ない交響作品完成度の高さを感じながら無邪気に音を楽しみストーリーの世界に浸っていました。映画と同じくらい聴き終わったあとにトトロにふれあえた満足感、これはすごいことですね。そして、最新のオーケストレーションでCD盤が届けられる日が待ち遠しいなあとも思いました。いつもなら”久石譲の緻密なオーケストレーションは見事”と言いたいところです、「オーケストラストーリーズ となりのトトロ」は大人も子供もピュアな心になれる”久石譲の童心オーケストレーション”です。絵本ならぬオーケストラによるトトロ読み聴かせタイム。ぐっすり眠れていい夢がみれそうですね。また会いたい、また聴きたい。

久石譲 『オーケストラストーリーズ となりのトトロ』

 

 

—–アンコール—-

Dream More 【大阪・韓国A・東京】
サントリービール「ザ・プレミアム・モルツ マスターズ・ドリーム(Master’s Dream)」のために書き下ろされた楽曲をコンサート用に再構成したフルオーケストラ版です。久石譲のノスタルジックかつ心躍る旋律美に、今の久石譲だとこうなるというソリッドで立体的なオーケストレーション。華やかでつややかな気品をまとった作品です。

直訳すると「もっと夢をみる」(になるのかな?)、本公演が終わって夢見心地の観客へ夢の余韻のプレゼント。はたまた、コンサートでいっぱいのエネルギーをもらった僕たち観客へ、新しい夢を追い求めることへ背中をおしてくれるような。コンサートの前と後で、自分のなかでなにかが変わったそんな変化を感じとれるなら、そのコンサートは一生ものですね。

 

 

World Dreams 【全公演】
久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラのアンセムです。プログラム予定を見ながらこの曲がアンコールかな?とうっすらわかっていても、やっぱり聴いてたちまちうれしい不朽の名曲です。聴けないとしたらその落胆は大きく、これを聴かないとW.D.O.コンサートは終われない、大きな声で「コンサートごちそうさまでした!」と言えないそんな楽曲です。2004年に発足したW.D.O.、ファンのなかにはもう十数回コンサートで聴いた人もいるかもしれません。それでも飽きたという声を聞いたことがない。今年もここに帰ってきた、今年もまた会えた、そんなシンボルとして高らかに悠々と響き流れつづけるW.D.O.と観客のかけ橋です。

久石譲 『WORLD DREAMS』

 

 

 

今年は例年以上にコンサートパンフレットの写真をよく見たような気がします。コンサート後のSNS書きこみでツイッター、インスタグラム、フェイスブックなどパンフレットをコンサートのアイコンとして被写体にしているものが多かったです。ということは、CDもコンサート余韻にひたりながら聴いた人もたくさんいますね。知って楽しむ音楽、聴いて楽しむ音楽。生音で楽しむ音楽、個人空間で楽しむ音楽。音楽の楽しみ方っていろいろあるからこそパーソナルでありコミュニティなんですよね。

今年は例年以上に海外の人を会場で見たような気がします。そりゃあもう日本にいるんだから久石譲のコンサート行かないとバッドだよね!なんてことかもしれませんし、はるばる日本旅行のプランのなかにコンサートを組みこんだ!なんてクールな人もいるかもしれません。ワールドツアーとしては「ジブリコンサート」が2016年パリ公演からスタートしたばかりですが、W.D.O.公演としてもきっと世界各国で待ち望まれているでしょう。中国公演のリベンジもふくめて、久石譲コンサートがもっと世界中で平和に開催されますように!そしてコンサートに行けないけれど待ち焦がれている日本国内・世界中の人へ、久石譲音楽があらゆる機会・メディア・パッケージを通じて響きわたりますように!

 

 

お礼が最後になってしまいました。

W.D.O.2017 特別企画&連動企画としてはじめてファンサイトで参加型イベント「久石譲ファンのためのチャット」「久石譲ファンのためのアンケート」を開催しました。多くの人に参加してもらって充実したものになりました。このファンサイトへ日々数百・数千のアクセスがあったとして、多くの人に見てもらっているうれしさは日々あります。それにくわえて、つながったと実感できるチャットのひと声、アンケートの一票は、その”1”がまた違ったものとして心の底から染みわたる喜びを感じていました。気軽に楽しく参加ご協力してくれた久石譲ファンのひとりひとりに心から感謝します。本当にありがとうございました。

特集「久石譲ファンのためのチャット」「久石譲ファンのためのアンケート」についてはまた近いうちに結果をまとめて書き記したいと思っています。

⇒ ⇒  2017.8.30 追記

 

 

そして10月には「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」東京公演の模様が早くもTV放送されるうれしいニュースです。このコンサート・レポートもスカパー!後に追記追記の嵐になるかもしれません(うーん、それも良し悪しかな)。コンサートだけではかなわない気づきや発見がきっとたくさんあると楽しみにしています。こうやって映像として記録に残してくれることも、コンサートの感動再びも、コンサートに行けなかった人のためにも、とてもうれしい収録映像です。音楽はいろんな楽しみ方でどんどん豊かにつながっていきますね。

リアルに共感共鳴できるコンサート数千人規模の感動体験。これが一番大切です。でも、これだけにとどめておくのはもったいないのが久石譲音楽。記録として刻まれ発信されること、それは感動が数千人から数十万人、あるいはボーダレスに数億人規模に届けられる可能性を秘めているということです。いま現在でも日常生活のなかで「2008年武道館コンサート」のDVD映像を見ながら感動し日々のエネルギーや勇気をもらっている人たくさんいます。SNSをみわたせば日本で海外でごくごく日常的パーソナルなワンシーンとして。こんなに素晴らしいたしかな幸せ、稀有な現象ってないですよね。より多くの人がそれぞれの日常においてもっと豊かに久石譲からの感動ギフトにふれる機会にめぐまれますように。

 

 

 

2017.11.10 追記

スカパー!放送にてコンサートの感動ふたたびです。完全ノーカット、アンコール含む完全版で「W.D.O.2017」最終日東京公演の模様が映像美と音響美で甦ります。コンサートではわからなかったこと気づかなかったことも、こうやって多数のカメラによる複数アングルと、多数の収録マイクによる各楽器の鮮明なステレオ音響で、あの日の感動がより深く広く溢れますね。

さて、各楽曲ごとに記したい発見や思いもあるのですが止まらなくなりますので、それはコンサート直後上のレビューに譲りたいと思います。多くのカメラとそのアングルのおかげで、どの楽曲も今演奏している楽器にカメラがよってくれて、まるで視覚的に譜面を見ているようで、目と耳が喜ぶひとときです。

 

交響組曲「天空の城ラピュタ」について

ようやくその全貌をつかむきっかけができましたので、しっかり紐解いていきたいと思います。思っていた以上にほぼ映画本編ストーリーに沿ったパート構成になっていました。おそらくコンサートで聴いたときには、あ、この楽曲はシンフォニー編だな、これはUSA盤だな、と頭の記憶が入り乱れていたので、ストーリーに関係なく音楽的に再構成した度合いが強いのかなと思ってしまっていました。

この傾向から「サウンドトラック盤」を基にして、便宜上パート名もサントラ楽曲名に準ずるかたちで整理しました。そして「サウンドトラック」「シンフォニー編」「USA盤サウンドトラック」それぞれどの楽曲にあたるかを挙げ、交響組曲版の音楽構成・オーケストレーションに近いものに下線をしました。

 

~~~~~~~~~~

ちょっとわかりやすく解説するのが難しいのです。

1.「交響組曲 天空の城ラピュタ」はストーリーの展開に大枠では即したラピュタ音楽のダイジェスト、いやオールハイライトのような贅沢な音楽構成になっています。

2.オーケストラ+シンセサイザーで編成され本編シーン尺にあわせた「サウンドトラック盤」からではなく、オーケストラ編成で音楽作品として制約なしに成立している「シンフォニー編」をベースにしているパートもあります。

3.2002年北米公開に合わせてリコンポーズ、リオーケストレーションされた「天空の城ラピュタ USAヴァージョン・サウンドトラック」からの楽曲やオーケストレーションがふんだんに盛り込まれています。

この大きな3つの土台があり、久石譲解説に「今回すべてのラピュタに関する楽曲を聴き直し、スコアももう一度見直して、交響組曲にふさわしい楽曲を選んで構成しました。約28分の組曲ができました。」という、巨渦に入り乱れ再構築された大迫力のラピュタの世界が姿を現していました。

~~~~~~~~

と、コンサート直後のレビューに記していましたが、その理由と今回改めて整理できた結果を見て、なんとなく伝わっていただけたら幸いです。

 

交響組曲「天空の城ラピュタ」

O:『天空の城ラピュタ サウンドトラック 飛行石の謎』
S:『天空の城ラピュタ シンフォニー編 大樹』
U:『Castle in the Sky ~天空の城ラピュタ・USAヴァージョン・サウンドトラック~』

A. 空から降ってきた少女
O:1.空から降ってきた少女
S:1.プロローグ~出会い ※前半
U:2.The Girl Who Fell from the sky (Main Theme) ※後半

B. 愉快なケンカ(~追跡)
O:3.愉快なケンカ(~追跡)
S:6.大活劇
U:7.A Street Brawl 8.The Chase ※オーケストレーション

C. ゴンドアの思い出
O:4.ゴンドアの思い出
S:4.ゴンドア(母に抱かれて)
U:9.Floating with the Crystal 10. Memories of Gondoa

D. 失意のパズー
O:5.失意のパズー
S:4.ゴンドア(母に抱かれて)
U:12.Disheartened Pazu

E. ロボット兵(復活~救出)
O:6.ロボット兵(復活~救出)
U:13.Robot Soldiers 〜Resurrection – Rescue〜

F. タイガーモス号にて
O:9.タイガーモス号にて
S:2.Gran’ma Dola
U:14.Dola and the Pirates

G. 天空の城ラピュタ
O:12.天空の城ラピュタ ※後半部
S:8.時間(とき)の城
U:18.The Forgotten Robot Soldier

H. 君をのせて
*「サウンドトラック盤」に準ずれば「11.月光の雲海」「13.ラピュタの崩壊 (合唱/杉並児童合唱団)」「14.君をのせて (歌/井上あずみ)」で聴かれるメインテーマ。(USA盤「15. Confessions in the Moonlight」「22. The Destruction of Laputa (Choral Version)」)交響組曲の構成と並べてみたときに、ここは久石譲ピアノをフィーチャーした「君をのせて」交響組曲版スペシャルパート、と、思っています。

I. 天空の城ラピュタ
O:12.天空の城ラピュタ ※前半部
S:5.大いなる伝説
U:23.The Eternal Tree of Life

 

 

 

Related Page:

 

お気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

Info. 2017/11/09 文春ジブリ文庫「ジブリの教科書 15 崖の上のポニョ」発売

宮崎駿が原作・脚本・監督の全てを担当した『崖の上のポニョ』は、人間になることを願うさかなの女の子ポニョと、人間の男の子の宗介の物語。藤岡藤巻と大橋のぞみの歌う主題歌の大ヒットも話題となる。海を舞台に、波の表現などの高い技術が求められた作品を、吉本ばなな、横尾忠則、のんなどの多彩な顔ぶれが読み解く。 “Info. 2017/11/09 文春ジブリ文庫「ジブリの教科書 15 崖の上のポニョ」発売” の続きを読む

Blog. 「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.4」 コンサート・レポート

Posted on 2017/10/31

10月24,25日に開催された「久石譲 presents ミュージック・フューチャー Vol.4」コンサートです。2014年から始動した同コンサート・シリーズ(年1回)、今年で4回目を迎えます。

今年も意欲的なプログラムと久石譲新作、初の試みとなる若手作曲家の新作オリジナル作品の公募、選ばれた優秀作品の演奏という、まさに今を走り抜ける現在進行系の音楽たちの響宴です。

 

まずは、コンサート・プログラム(セットリスト)および当日会場にて配布されたコンサート・パンフレットより紐解いていきます。

 

 

久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.4

[公演期間]  
2017/10/24,25

[公演回数]
2公演
東京・よみうり大手町ホール

[編成]
指揮:久石譲、太田弦
チェロ:古川展生
バンドネオン:三浦一馬
管弦楽:フューチャー・オーケストラ、西江辰郎(コンサートマスター)

[曲目]
デヴィット・ラング:pierced (2007) *日本初演
David Lang:pierced *Japanese premiere
(チェロ:古川展生)

『Young Composer’s Competition』優秀作品受賞作
門田和峻:きれぎれ (2017) (10/24)
Kazutaka Monden:Kiregire
(指揮:太田弦)

フィリップ・グラス / 久石譲 編:Two Pages (1968) (10/25)
Philip Glass / Arranged by Joe Hisaishi:Two Pages

—-intermission—-

ガブリエル・プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第2番 (2006)
Gabriel Prokofiev:String Quartet No. 2

久石譲:室内交響曲第2番《The Black Fireworks》〜バンドネオンと室内オーケストラのための〜 *世界初演
Joe Hisaishi:The Chamber Symphony No.2 “The Black Fireworks” Concerto for Bandoneon and Chamber Orchestra *world premiere
1. The Black Fireworks
2. Passing Away in the Sky
3. Tango Finale
(バンドネオン:三浦一馬)

 

 

ご挨拶

今年で4回目をむかえるミュージック・フューチャー(MF)は内容を充実させるべく、より深いあるいは衝撃力のある作品を選びました。

例えば、デヴィッド・ラングの《pierced》における執拗にくり返されるリズムとフレーズはまるでストラヴィンスキーの《春の祭典》のように原始的な力を感じさせる一方、強い人間の性、衝動、哀しみといった人間的な感情をも刺激します。フィリップ・グラスの《Two Pages》も加算されていくフレーズ(これも執拗にくり返します)の向こうに人間的な感情の起伏を感じます。それは去年彼の日本でのコンサートで、僕が彼のピアノ曲を演奏したときにも強く感じました。ミニマルはエモーショナルでもいいんだ!そう思ったものです。同時に音楽を変えよう、あるいは新しい音楽に出会いたいという強い信念もこの曲にはあります。このような楽曲が1968年に書かれていたことは奇跡です。そして今でも斬新です。

ガブリエル・プロコフィエフの《弦楽四重奏曲第2番》もクラブシーンの影響を受けながらも祖父譲りの強い音の構成力と感情を揺さぶる強い力があります。そう、今年は「くり返す」ということと「揺さぶられる感情」あるいは「揺れ動く感情」がテーマです。

このお三方とは今年ニューヨークやロンドンで直接お会いしてそれぞれの楽曲へのアドバイスをいただきました。また作曲家どうしの話題はとても刺激的で至福の時間でもありました。

そしてもうひとつ今年の挑戦としては「Young Composer’s Competition」として若い作曲家の作品を公募したことです。期間が短かったにもかかわらず海外を含め約20作品の応募がありました。到着順にすべて番号を振り(年齢、国籍、出身学校などの付加情報に左右されないためです)足本憲治氏と僕で5作品に絞り込み、それを審査員の先生方に採点していただきました。だから選ばれた優秀作品の《きれぎれ》の作曲家が門田和峻さんという名前であることは最近知ったわけです(笑)

またこのようなコンペでは作曲関係者が審査員を務めるケースが多いのですが、MFでは映画監督の高畑勲氏、作家の島田雅彦氏のように異分野の先達に審査をお願いしました。もちろん音楽にも詳しい方々です。これは作曲関係者のごく狭い世界だけで完結するのではなく、広く創作に関わるアーティストの目を通すことで、観客との接点を大切にしたいという思惑です。もちろん日本を代表する作曲家西村朗氏と音楽評論家の小沼純一氏にも加わっていただき、たくさんの助言をいただきました。諸先生方には心より感謝いたします。

さて、今年のMF 多少の忍耐はいると思いますが、聴き終わって何かを感じていただければ幸いです。

久石譲

 

 

PROGRAM NOTES

デヴィッド・ラング (1957-)
pierced 約15分
《pierced》はチェロ、パーカッション、ピアノのリアル・クワイエット(Real Quiet)というアンサンブルと弦楽合奏のための協奏曲として委嘱された。伝統的なスタイルにならないよう、ソリストと弦楽合奏が関連性を持つよう工夫した。両者間にある正反対な性格はいいアイデアだと思ったが、伝統的な協奏曲スタイルによくあるソリストがオーケストラと戦うような競い合いは避けたかった。私が思いついたアイデアは、両者を隔てる透明な布のような壁があり、各々の世界にあるすべての音・音符・調がしばしば自由にその壁を行き来し、音が片方から他方へ移動するときに、演奏家たちを分ける布が穴を開けられたり、切り裂かれたりすることだった。

初演は2007年6月12日にリアル・クワイエットとミュンヘン室内管弦楽団、クリストフ・アルフテッドの指揮。ソロ弦楽バージョンはリアル・クワイエットとフラックス・カルテット、アラン・ピアソン指揮によって初演された。

作曲者によるプログラムノートより

 

フィリップ・グラス (1937-)
Two Pages 約16分
調性のないリズミカルなミニマリズムと《1+1》(1967年フィリップ・グラス・アンサンブルにより初演)に見られる即興形態は、グラスに単旋律の主要構想をもたらし、彼の最初のミニマル作品として《Two Pages》は完成するに至った。最初の主題に音を足したり引いたりすることでメロディが伸び縮みし、曲全体の輪郭が作られていく。曲の構造を圧縮して表現できるシステマチックな乗数を用いた省略法で記譜した初の曲として《Two Pages(2つのページ)》というタイトルが付けられた。

参考文献:『フィリップ・グラス自伝 音楽のない言葉』ほか

 

ガブリエル・プロコフィエフ (1975-)
弦楽四重奏曲第2番 約17分
《弦楽四重奏曲第2番》はガブリエルの作曲形式の雄大さが顕著に表れている。メカニックなテクスチャーやテクノ音楽のエネルギーに多いに影響を受け、かの有名な作曲家である祖父のセルゲイ・プロコフィエフとは対照的な作曲形式である。

ガブリエルはあるインタビューの中で、「《第2番》のカルテットは《第1番》の残り香から始まった。より迫力があり、リズミカルでエッジが効いていてメロディックだ。《第1番》で引用したダンスミュージック(テクノ、ハウス、ヒップホップ)をさらに掘り下げたいと思った。目まぐるしく動くヨーロッパの大都会で生きるスピード感を与えたかった。」と語っている。

《弦楽四重奏曲第2番》は2006年、エリシアン・カルテットによって委嘱された作品で、《第1番》を初演した彼らによって、この《第2番》も引き続き初演された。

 

久石譲 (1950-)
室内交響曲第2番《The Black Fireworks》
~バンドネオンと室内オーケストラのための~ 約24分
バンドネオンでミニマル!というアイデアが浮かんだのは去年のMFで三浦くんと会ったときだった。ただコンチェルトのようにソロ楽器とオーケストラが対峙するようなものではなく、今僕が行っているSingle Trackという方法で一体化した音楽を目指した。Single Trackは鉄道用語で単線ということですが、僕は単旋律の音楽、あるいは線の音楽という意味で使っています。

普通ミニマル・ミュージックは2つ以上のフレーズが重なったりズレたりすることで成立しますが、ここでは一つのフレーズ自体でズレや変化を表現します。その単旋律のいくつかの音が低音や高音に配置されることでまるでフーガのように別の旋律が聞こえてくる。またその単旋律のある音がエコーのように伸びる(あるいは刻む)ことで和音感を補っていますが、あくまで音の発音時は同じ音です(オクターヴの違いはありますが)。第3曲の「Tango Finale」では、初めて縦に別の音(和音)が出てきますが、これも単旋律をグループ化して一定の法則で割り出したものです。

そういえばグラスさんの《Two Pages》は究極のSingle Trackでもあります。この曲から50年を経た今、新しい現代のSingle Trackとして自作と同曲を同時に演奏することに拘ったのはそのためかもしれません。

全3曲約24分の楽曲はすべてこのSingle Trackの方法で作られています。そのため《室内交響曲第2番》というタイトルにしてはとてもインティメートな世界です。

また副題の《The Black Fireworks》は、今年の8月福島で中高校生を対象にしたサマースクール(秋元康氏プロデュース)で「曲を作ろう」という課題の中で作詞の候補としてある生徒が口にした言葉です。その少年は「白い花火の後に黒い花火が上がってかき消す」というようなことを言っていました。その言葉がずっと心に残り、光と闇、孤独と狂気、生と死など人間がいつか辿り着くであろう彼岸を連想させ、タイトルとして採用しました。その少年がいつの日かこの楽曲を聴いてくれるといいのですが。

久石譲

(「ミュージック・フューチャー Vol.4」コンサート・パンフレット より)

 

Message for MUSIC FUTURE vol.4

夕食時、私の音楽が日本で演奏されることを家族に話しました。23歳、21歳、18歳の3人の子どもたちがいつも歌うのは大好きな久石譲さんのメロディ。それは美しくてとても幸せな瞬間です。今日のコンサートで私の曲が久石さんの指揮で演奏されるのを光栄に思います。ありがとう。皆さんに楽しんでもらえますように。

-デヴィッド・ラング

《弦楽四重奏曲第2番》はエッジの効いたリズムによって構成されています。エレクトロニックダンスミュージック(テクノ、ハウス、ヒップホップなど)からインスピレーションを得たほか、ヨーロッパの都市が急速に動いていることにも影響されています。現代的でありながらクラシックな方法でレイヤーを重ねています。

-ガブリエル・プロコフィエフ

(「ミュージック・フューチャー Vol.4」コンサート・パンフレット より)

 

注)
「きれぎれ」作曲者によるプログラムノート、および審査員評もパンフレットに掲載されていますが割愛しています。こちらでご覧いただけます。

受賞結果の詳細はこちら>>>
https://joehisaishi-concert.com/competition/

 

 

 

以上、ここまでがコンサート・パンフレットからの内容になります。

 

ここからは、感想をふくめた個人的コンサート・レポートです。

 

パンフレットの久石譲挨拶に「より深いあるいは衝撃力のある作品」、「”くり返す”ということと”揺さぶられる感情”あるいは”揺れ動く感情”がテーマ」とあるとおり、とてもディープで刺激的な作品たちばかりです。それでいて無機質ではないパッションやエモーショナルな躍動を感じる。10分以上にも及ぶくり返しが奏されたとしてもまったく飽きを感じることのない、どんどん引き寄せられていく感覚。それはおそらく作品の持っている力もあるでしょうし、今この場で生身の人間が演奏しているという生きた音楽を肌で感じることができたからかもしれません。

デヴィッド・ラング「pierced」のチェロの力強いフレーズと弦楽合奏やパーカッションが創り出す独特な世界観にはただただ圧倒されるばかり。覚醒的で揺れ溺れる危険なグルーヴ感。フィリップ・グラス「Two Pages」はエレクトリック・オルガンと木管四重奏、マリンバという編成。久石譲編となっていたのはこの編成によるところもあるのかもしれません。というのも、この作品いろいろな編成で演奏されることの多いようで、ピアノ2台(もしくは連弾形式)、バンド編成(ベースやギターなどさながらロックバンドのような)、あるいはマリンバ。いかなる楽器にも置換可能でありながら作品世界観を失わない究極のミニマル(最小)音楽とも言えるのかもしれません。久石譲編のそれは、オルガンと木管が不思議なほど溶け合い、ユニゾンを奏でる楽器が集まってひとつの音・旋律になり、なんともいえない揺らぐ音色の変化。ガブリエル・プロコフィエフ「弦楽四重奏曲第2番」は、コンサートマスター西江辰郎さんのヴァイオリン、体全体を使って大きなアクションでフレーズを体現するその姿や、弦楽四重奏の一糸乱れぬ合奏とリズム。

こんなにもクオリティの高い演奏を生で聴くこと目で見ること肌で感じることができるだけで幸せな時間です。まったく音楽専門知識がないなかで、作品のなにがすごいのかどこが聴きどころなのか、そんなことは正直わかっていません。作品や演奏から浴びせられる半分くらいも受け取れていないのかもしれませんが、新しい体験をしたという自信、これまでにはなかったものに出会えたという感動はしっかりとあります。

今回特に強く感じたのは「むきだしの音・むきだしの音楽」という感覚です。血がどくどくと脈うっているような音楽、生身の音楽。もしCD盤など録音されたものだけを聴いていたら、いくぶん耳に馴染まない音楽で終わっていたかもしれません。あるいは執拗なくり返しに飽きる。ちょっとした先入観やイメージで拒絶するのが「食わず嫌い」だとしたら、まさにミュージック・フューチャーで聴くことのできる音楽たちは「聴かず嫌い」をはらんだ濃い作品たちです。だからこそ、どれだけ言葉をならべても実際に生で聴かないと感じることのできないなにかがあります。

たとえば、フル・オーケストラ・コンサートであればその壮大な響きに大きく包まれ感動します。この小ホールで開催されどの作品も4人、7人、約15~20人という小編成アンサンブルおよび小編成オーケストラで構成されるコンサート。奏者一人一人の息づかいや鼓動がダイレクトに伝わる生身の演奏、生々しいほどのリアルな音楽と最高品質の演奏。畑に入って採れたての野菜をその場でかじる格別の美味しさと同じように、楽器そのものの音や今発せられたばかりの新鮮な音色と会場いっぱいに広がる響き。そんな贅沢な音楽空間こそこのミュージック・フューチャー・コンサートです。

 

 

1曲目「pierced」演奏後、ステージのセットチェンジの時間を使って久石譲MCがありました。一問一答形式インタビュー形式によるものです。主にパンフレットに書かれている各作品解説で10分もなかったかな5分くらいでしょうか。デヴィッド・ラングは今一番注目している作曲家であること、「Two Pages」とは実際に2ページの楽譜でできているということ、ガブリエル・プロコフィエフと会った時のエピソードなど、パンフレットを補完するような貴重な語りを聞くことができました。

そして、自作の新作については、興味深いコメントも。これは自分が勝手にそう思ったそう捉えたということだがとことわったうえで、サマースクールでの生徒の言葉が副題となった「白い花火の後に黒い花火が上がってかき消す」、東日本大震災を経験した彼の発したこの言葉にいろいろと思いずっと心に残っていた、というようなことをおっしゃっていました。また、パンフレットでは約24分となっていますが、おそらく27分くらいあります、とも。サマースクールについては下記インフォメーションも発信していますのでぜひご覧ください。

 

 

さて、久石譲新作「室内交響曲第2番《The Black Fireworks》~バンドネオンと室内オーケストラのための~」について。単旋律の音楽ということで、約27分全3曲一貫した単旋律で構成されています。

単旋律というキーワードを掘り下げたときに、「Single Track Music 1」(吹奏楽版・2014年)「Single Track Music 1」(サクソフォン四重奏と打楽器版・2015年/「Minima_Rhythm II」CD収録)があります。この作品を聴いたときに、なにか新しい挑戦がはじまった布石のような作品かもしれない、と少し時間が経過してから思った記憶があります。このSingle Track(=単旋律の音楽、線の音楽)が久石譲のなかでも大きなテーマのひとつになっていることを今回パンフレットでも感じとることができました。

単旋律について多くを語ることができません。なにが醍醐味でなにが組み立ての妙で、という専門的なことがまったくわからないからです。パンフレット久石譲解説と、「Singe Track Music 1」の吹奏楽版久石譲解説、CD作品「ミニマリズム2」評論家による専門的解説の項を読んでいただき、理解を深めていただければ幸いです。

 

今言えること。約27分にも及ぶ長大な単旋律にもかかわらず、決して単調とも単純とも思うことの絶対にない豊かで広がりのある作品。この先どんな展開をしていくのか気になって仕方のないあっという間の時間。単旋律ながら広がり奥ゆき厚みのある立体的な音楽。不思議な迫力です。

三浦一馬さんのバンドネオンも相当な演奏難易度だったと思います。張り詰めた緊張感と真剣なる熱演。久石譲指揮とオーケストラ奏者、ステージ全体が気迫に包まれそのエネルギーだけでも圧倒されてしまうほど。「今自分たちが届けたい音楽はこうだ!」と野心と確信にみなぎったオーラで、それはまさに狂気。

なにか不思議な魅力を感じます。とても個人的な解釈だけでもって言葉にすることを許されるならば。始点と終点がわからない魅力、待ちうける展開の魅力。単旋律ということはハーモニーがない、和声がないということですよね(ここが間違っていると根底から覆される)。どこまでも1本の旋律であり多声の伴奏や対旋律のない音楽。メロディやコード進行がはっきりしているということはその音楽の起承転結がわかりやすいということです。小学校の「起立・礼・着席」をピアノで伴奏することもコード進行のひとつです。全3曲ともにパートが展開しているはずなのですが、どこが始点かどこが終点かわからない。次につながる展開もよめない。フィリップ・グラス「Two Pages」は4-5音からなる基本音型(モチーフ)があってそれが伸縮展開していくわけですが、久石譲作品は単旋律が様々な装いでおり重なっているように聴こえます。実に入りくんでいる、実に難しい、としか言えないのです。

実際に鳴っている楽器や音色はとても緻密で細かく配置され豊かな世界を構築しているのだけれど、別の見方をすると全体を大きく太い線1本で貫かれているような。そして、普段耳にする多くの音楽が複旋律・多声音楽(ポリフォニー)であり、それぞれが独立した旋律をもつことで音楽三要素のメロディ・ハーモニー・リズムがつくられ、メロディと異なる伴奏や対旋律によって奏でられているとしたときに。これはすごい!と思うわけです。単旋律でメロディ(モチーフ)を奏でることはもちろん、分散和音のように音を散らすことやおり重なって交錯する単旋律がハーモニー的響きを錯覚させ、ズレや変化によってグルーヴ感のあるリズムを生み出す。もしあまりにも見当違いな勘違いをしていないのならば、これはすごい!と思うわけです。

こういう音楽って聴き飽きることがないだろうな、とまたすぐにでも聴きたい衝動にかられます。ループのようでありエンドレスのようであり、でも同じところをぐるぐる廻っているわけではなく螺旋のように上昇下降と展開をもった音楽。単旋律って日本固有の響きとしても親和性があるのかなあ、そんなことも頭をかすめたりしますが、今感覚だけで語るのはここまで。ぜひ1年越しにCD化されるならば、そのときにまたしっかり向き合って聴き楽しみたい作品です。

 

さて、三浦一馬さんについて。以前音楽番組で聴いた作品が強く印象に残っています。バンドネオン協奏曲「TANGOS CONCERTANTES」すぐにCDを探したのを覚えています。全3楽章からなる作品でテレビではたしか第3楽章(抜粋もしくは編集)でした。師匠でありバンドネオンの世界的権威でもあるネストル・ マルコーニ作曲とあります。これがすごくかっこいい!バンドネオンとオーケストラによるタンゴでありながら新しい響き。全楽章とおして聴いてみたいと探したのですが、まだ録音はされていないんですね。とても大切な作品なのだろうと思うのですが、いつの日かその全貌を聴いてみたいです。また11月には久石譲が芸術監督を務める長野市芸術館でもリサイタル公演があります。今回のミュージック・フューチャー・コンサートのリハーサル風景も公式Facebookに掲載されていました。ぜひチェックしてみてください。

 

 

コンサート終演後の観客の拍手も鳴り止むことがなく、何度も舞台袖から久石譲はじめ奏者の皆さんが再登場し大盛況で幕をとじました。決してポピュラーでも馴染みのある音楽でもない前衛的・実験的・意欲的なこのようなコンサートで、ここまでの拍手(もちろん満員御礼)って珍しいと思います。それだけに真剣勝負の選曲・演奏に感動し、そんな貴重な時間を提供してくれたことへの感謝と感動の拍手だったのかもしれません。言葉にならない感動、まだ消化できていないなにかを表すこと、それが体全体で表現する拍手しかなかったように。たしかに観客にも忍耐を必要とするプログラムかもしれません。とするなら忍耐を通って得た解放が、あの瞬間ステージとオーディエンスをつないだのだと思います。なにかが伝わった、なにかを受けとった、音楽のもつかけがえのない瞬間です。

コンサート会場には献花もたくさんありました。これから先の久石譲活動をうかがわせるような献花もあるのかなあと、ついつい順を追って見してしまいます。ただ札だけではわからないものもありますからね、なにつながりだろうと。そして、今年vol.4は例年以上に若い観客が多かったようにも思います。もし毎年恒例夏W.D.O.コンサートを聴いて、それとは異なる志向のコンサートがすぐ秋にあるなら行ってみたいと思ったり、いろいろな久石譲を感じとってみたいと思う人がふえているなら、とても素敵なことだと思います。またシリーズが定着し、今年こそはと楽しみにしていた音楽ファンもきっといると思います。

 

同コンサートの様子については、下記Webニュースでも詳しく取り上げられていますので、より音楽的な理解はこちらのほうが最適だと思います。ぜひご覧ください。

 

 

 

最後になんともうれしいサプライズ。コンサートにあわせて会場でのみ先行販売されたのが11月22日発売予定の新譜CD「MUSIC FUTURE II」。昨年2016年開催「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.3」ライヴ音源化です。なんの予告もなかっただけに会場に着いてのサプライズ、約1ヶ月以上も先行して手に取ることができる喜びです。

さらには「MUSIC FUTURE II」会場購入者の先着特典として、コンサート終演後久石譲によるサイン会参加券付き!久石譲がコンサートにあわせてサイン会を実施するなんてかなり希少です。両日あわせると80-100人以上はサイン会の列を作っていたのでは。終演直後の安堵と疲労のなか、この人数だとかなりの時間も要するなか、そんな機会に恵まれた観客にとってはうれしい記念です。

コンサートで新しい音楽を体感し、同じシリーズである昨年のCD盤をいち早く入手でき、さらにサインや握手までしてもらえた日には。もちろん来年以降、サイン会まで実施してもらえるかはわかりませんが、コンサート・シリーズがつづくかぎり、必ず毎回新しい音楽を受けとることができるミュージック・フューチャーです。なによりも回を重ねしっかりとその足跡を残しつづけていること、音源化され多くの人が聴くことができること、そしてCDとして未来へ手渡していけることが、素晴らしいことだと思います。

 

 

 

”現代(いま)の音楽”を伝える──ナビゲーターでありクリエーターである「久石譲 presents ミュージック・フューチャー」コンサートシリーズ。毎年1回2公演とはいえ、企画からプログラミング、自作創作から入念なリハーサルまで。とてつもないエネルギーと集中力をすでに4年間も続けている。そして観客もしっかり入り刺激的な大盛況でカーテンコール。来年以降も新旧入り乱れたディープな音楽を届けてくれることへ期待が高まります。うまく言えませんが、ミュージック・フューチャー・コンサートそれは「今を生きているんだ」と改めて感じさせてくれるのかもしれません。

 

Related Page:

and

 

 

Info. 2017/10/28 「文藝別冊 大林宣彦」(河出書房新社)発売 久石譲コメント掲載

映画作家・大林宣彦の軌跡を辿るムック、文藝別冊『大林宣彦 「ウソからマコト」の映画』が10月28日に河出書房新社より発売。実験映画、コマーシャルフィルム、角川映画、尾道三部作、戦争や日本の「古里」と向き合った近作群――他に類を見ない独自の世界観を築き上げてきた映画作家・大林宣彦の軌跡を振り返る。 “Info. 2017/10/28 「文藝別冊 大林宣彦」(河出書房新社)発売 久石譲コメント掲載” の続きを読む

Info. 2017/10/26 「久石譲 ミュージック・フューチャーVol.4コンサート開催」(Webニュースより)

久石譲 ミュージック・フューチャーVol.4コンサート開催、3部構成の新曲は観客も息を呑む圧倒的な凄まじさ

久石譲の【ミュージック・フューチャーVol.4コンサート】が10月24日、25日の2日間、東京・よみうり大手町ホールにて行われた。 “Info. 2017/10/26 「久石譲 ミュージック・フューチャーVol.4コンサート開催」(Webニュースより)” の続きを読む