Posted on 2017/12/01
雑誌「DVD&ブルーレイでーた 2017年11月号」より「我が愛しのブレードランナー」リレー・コラムの最終回に登場した久石譲です。
映画「ブレードランナー」に惚れ込んだ理由から、「ブレードランナーの彷徨」(アルバム『illusion』(1988)収録)なんて初期作品まで飛び出し!? 懐かしさと同時に、あぁ覚えてるんだとファンならではのうれしさもあったり。ついついアルバムを聴きかえしたくなります。聴きかえしてしまいます。
「自分のやりたいことがそのままできる機会なんてまずないですからね。それでも『これだけは譲れない』とぶつかったり、譲ったフリをして別の方法で取り返したり。みんなそうやって生き抜くために努力しているのが現実ですよ。」(一部抜粋)
折にふれて語ることのある話題ですが、映画・音楽という異なるジャンルをこえてあぶり出される作家性のようなもの。共鳴し重なりあうことでわかりやすく理解できるのかもしれませんね。
”ブレラン愛”を語り尽くすリレー・コラム
我が愛しのブレードランナー
最終回 久石譲
3号連続でお送りしてきた本連載、満を持して登場してくれたのは、世界的音楽家である久石譲。数々の名曲を生み出してきた彼が『ブレードランナー』に惚れ込んだその理由とは?
「ヴァンゲリスの温かい音楽はSF映画では異質だった」
-初めて『ブレードランナー』(以下BR)を観た時の印象を教えてください。
久石:
「SF映画は好きなので、劇場公開された’82年に映画館で観たと思います。ただ正直に言うと、その時はあまり印象には残らなかったんですよね。『なんか暗い映画だな』くらいで(笑)。でもその後に原作小説(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』)を読んで、それがかなり飛んでる話で『映画もこんな話だったっけ?』と、ビデオでもう一度見観直してみたんです。するとどういうわけか、そこからジワジワと好きになっていったんですよね」
-徐々に良さが分かったということですよね。一体どんなところに惹かれたのでしょうか?
久石:
「ひとつはヴァンゲリスの音楽です。ほとんどシンセサイザーなんだけど、いわゆるシンセ臭くなくて、それが素晴らしいなと。当時僕はフェアライトという何千万もするシンセサイザーを購入して試していた時期なので、『こういうアプローチをするのか』と、作曲家として非常に刺激を受けた部分がありました」
-”シンセ臭くない”というのは、どの辺りから感じたんですか?
久石:
「シンセサイザーは既に映画音楽に浸透していて、当時はちょっとした流行でもあったんです。だからヴァンゲリスがシンセの先駆者というわけではないんだけど、彼はクラシックの素養もあり、それまでのシンセを使った映画音楽とは一線を画していたんですね。ちょっとジャジーなコード使いだったり、スローテンポ感だったりで、音楽全体に温かい雰囲気が漂っていて、それは当時のSF映画の音楽としてはかなり異質なアプローチだったんです。それが『BR』のシリアスな近未来の世界観によく合っていた。ヴァンゲリスの音楽でなかったら、『BR』の雰囲気はもっと重苦しいものになっていただろうし、そういう意味では影から全体を支えていたと思いますね」
-久石さんは1988年に『ブレードランナーの彷徨』(アルバム『illusion』収録)という楽曲を発表されていますよね。しかも、ご自身で歌われて…。
久石:
「それは言わないで。誰も歌い手がいなかったもんだからさ(笑)。でも確かにこの曲のタイトルは『BR』を基にしましたね。当時はバブル期の絶頂で、みんなが孤独な仮面舞踏会状態だったから、まるでレプリカントのようだと揶揄したんです。実は同じアルバムに収録している『オリエントへの曳航』や、その後につくった『MY LOST CITY』も終末的な世界観が『BR』と同じです」
-そうだったんですね。一方で、『BR』の映像についてはどう感じられましたか?
久石:
「素晴らしいです。リドリー・スコットのこだわりが尋常じゃないですよね。近未来という設定を見事に使い切り、ここまでの映像で表現している作品はほかにないですよね。世界観も美術もほぼ到達している感じ。雨を降らし、スモークを焚き、ライティングやカメラ・アングルは徹底的にやって。そりゃあ膨大な時間と手間が掛かりますよ。これは有名な話だけど、リドリー・スコットのあまりのこだわりぶりにスタッフも役者も暴動寸前で、監督を罵る言葉をプリントしたTシャツを着て仕事をするほど、現場の雰囲気は最悪だったらしいよね(笑)。さらに予算が足らずにシーンをかなり削ったり、上層部の意向で監督としては不本意なラストシーンが追加されたりトラブルの絶えない作品だったみたいだけど、結果として、こだわりがいのある映像に仕上がっていましたね」
-そんな苦しい状況下で不朽の名作が生まれたというのは本当に驚きですね。
久石:
「それは結果としてそうなった。カットが減り、シーンの繋ぎが分かりにくくなったことで観客の想像力を刺激することになったとも言えるし。『BR』の成功はどこにあるのかなと考えると、あの映像とヴァンゲリスの音楽、台本も非常にしっかりしていた。色々なシチュエーションが重なって、いつの間にか”不朽の名作”になっていたんじゃないかと。まあ監督としては自分が思う通りのものにならず、悔しい思いをしたでしょうけどね」
-久石さんもリドリー・スコットと同じような苦労を味わったことがありますか?
久石:
「それは僕に限らず、モノづくりしている人みんながそうだと思いますよ。自分のやりたいことがそのままできる機会なんてまずないですからね。それでも『これだけは譲れない』とぶつかったり、譲ったフリをして別の方法で取り返したり。みんなそうやって生き抜くために努力しているのが現実ですよ。リドリーも『BR』で妥協したり踏ん張ったことで、その後素晴らしい作品を生み出すことになったわけですから。それで思い出しましたけど、初めて『BR』の予告篇を観た時は思わず笑っちゃいましたね。アクション&ラブ・ロマンスの大作として大々的にアピールされていて。実際にはアクションもラブ・ロマンスもそんなにないのにね…(笑)。本当、大変だったんだろうなと思います」
-久石さんが最も印象に残っているシーンと言えば、どこでしょうか?
久石:
「やっぱりラストの屋上でのやり取りですね。レプリカントの寿命が尽きて鳩が飛んでいくあのシーンは、もうほとんど哲学的と言っていいくらいだし、映画史に残る名シーンだと思います。エンターテインメントのフリをしながら、最後に”人間とは何なのか”という命題をボーンと突きつけてくる。小難しい問答があるわけではなく、シンプルな形でこれだけ深いテーマを表現できるのはスゴイですよね。それって音楽の在り方としてもまさに理想で、『自分もそういう音楽をつくりたいな』と思った記憶があります」
-では最後に、本作の続編となる『ブレードランナー 2049』への期待についてお聞かせいただけますか?
久石:
「正直、不安と期待が入り混じっていますね。何しろ、続編で『1』を超えるものって、なかなかないんですよね。リドリーの『エイリアン』(’79)でさえ、やっぱり『1』が最高ですし。ただし今回だけは期待してもいいかなとは思っています。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はオリジナルの大ファンみたいですし、リドリー・スコットも彼に全面的に任せているんでしょ? それはすごく正しい選択ですよ。上からコントロールしようとしたら、逆に上手くいかないと思う。『ラ・ラ・ランド』(’16)のライアン・ゴズリングも役になりきれる強さがあるし。それに何より、ハリソン・フォードが出るということは、デッカードという存在についての何がしかの答えを出さざるを得ないということでしょ。ハードルはかなり高いと思うけど、それでも新鮮な驚きを与えてもらいたいし、きっと与えてもらえるんじゃないかなと期待しながら公開を待っています」
(「DVD&ブルーレイでーた 2017年11月号」より)