Info. 2017/11/10 [ゲーム]「二ノ国II レヴァナントキングダム」発売予定!! & 3rdトレーラー公開!!

人気ゲームソフト「二ノ国」の最近作「二ノ国 II レヴァナントキングダム」が2017年11月10日発売予定であることが発表されました。また最新PV動画となる3rdトレーラーもあわせて公開されました。

「二ノ国 漆黒の魔道士」(Nintendo DS / 2011)、「二ノ国 白い聖灰の女王」(PlayStation 3 / 2013)にひきつづき、久石譲が音楽を担当しています。 “Info. 2017/11/10 [ゲーム]「二ノ国II レヴァナントキングダム」発売予定!! & 3rdトレーラー公開!!” の続きを読む

Info. 2017/06/11 《速報》「久石譲 シンフォニック・コンサート Music from スタジオジブリ宮崎アニメ」(パリ) プログラム 【6/12 Update!!】

Posted on 2017/06/11

2017年6月9日、10日、久石譲によるスタジオジブリ公式コンサートがパリにて開催されました。2008年「久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間」コンサートから9年、待望の海外公演です。プログラムや構成も武道館公演を継承しバージョンアップ、壮大なオーケストラサウンドと巨大なスクリーンによってジブリの世界へ誘うスペシャルなコンサート。 “Info. 2017/06/11 《速報》「久石譲 シンフォニック・コンサート Music from スタジオジブリ宮崎アニメ」(パリ) プログラム 【6/12 Update!!】” の続きを読む

Info. 2017/11/25 「久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会」(三重) 開催決定!! 【6/2 Update!!】

Posted on 2017/03/23

三重県文化会館と新日本フィルハーモニー交響楽団が地域拠点契約20周年を迎える今年、地域拠点契約20周年プログラム第3弾として2017年11月25日「久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会」開催が決定いたしました。

 

【2017.6.2 Update!!】
演奏曲目が決定しました。プログラムは予告なく変更になる場合があります。 “Info. 2017/11/25 「久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会」(三重) 開催決定!! 【6/2 Update!!】” の続きを読む

Disc. 久石譲 『花戦さ オリジナル・サウンドトラック』

2017年5月31日 CD発売 UMCK-1568

 

2017年公開 映画「花戦さ」
監督:篠原哲雄 音楽:久石譲 出演:野村萬斎、市川猿之助、中井貴一、佐藤浩市 他

 

 

久石譲コメント

花に命を懸けた池坊専水さんという人の気持ちが、観客に伝わるようにするにはどうしたら良いかを一番に考えました。結果的に琴を使うというイメージが核になりましたが、ただ和風なものを取り入れるだけでは底が浅いものになる。琴とオーケストラを融合した、新しい世界が出来ないかと考えました。そして脚本では、花が題材でもあるので、アート的にも仕上げられるとワクワクしましたね。篠原監督、プロデューサーとも、今までやったことないことをやろうと話して、お二人とも何度かご一緒したことがあったのでその点では安心感がありました。僕は映画音楽も書きますが、ミニマル・ミュージック(音の動きを最小限に抑えて同じパターンで反復させる音楽の手法)も作っています。映画ではあまりアプローチされない手法ですが、『花戦さ』では、琴を使った日本独特のミニマル・ミュージックにチャレンジできるんじゃないかと、作曲家としての野望を抱いてしまいまして。こちらのやりたいことを、エンタテインメントの世界でどうやってやるかを気を付けながらチャレンジさせていただきました。

今回の音楽は「静と動」という捉え方をしています。映像とは距離を取り、通常だと音楽が入りそうなところを外したり、台詞の邪魔にならないように、いるか分からないくらいに馴染むものと、はっきり琴を使うところに分けて作りました。琴を2本使っていますが、1本だといかにも「和風に入れました」となってしまう。効果音のようになるのは寂しいので、伴奏もメロディも主体的に琴を使って、そこに弦などが入ってくる作り方をしています。映画音楽はすごく難しくて、音が入ると音楽が鳴ってるよね、となってしまうんです。芝居の台詞の間合いと、そこに音楽が入っても崩れないフォームをずっと研究していて、特に静のほうは自分でも納得する感じに仕上がっているかなと思います。

音楽は流行りのサウンドを使うと、今はウケるのですが、今の時代だけにフィットさせると10年後には古くなってしまうんです。流行りのやり方に寄り添いすぎると、本物になりきれなくなる。今の時代であることは大切ですが、その中に普遍的なテーマを見つけることが大事なんだと思います。

(映画「花戦さ」劇場パンフレットより)

 

 

 

 

以下レビュー

A.メインテーマ・モチーフ
映画「花戦さ」のメインテーマで何が画期的かといえば使われているモチーフ。Aメロ・Bメロと展開するわけでもない、たった数小節たらずの短いモチーフ(基本音型としては2小節!)。これがありとあらゆる手法で変幻自在に奏でられている。通常であればどんどん曲想が展開し旋律がうたい盛り上がりへと向かう、それとはまったく正反対のことを堂々とやってのけ、当たり前のように高い完成度をもって成立しているところがすごい。

「2. 花僧・専好登場!」「4. 野花の囁き」「6. 京の町、花の町」「12. れんと専好」「14. こらまた…」「19. 当然の報い」などの楽曲でモチーフを聴くことができる。

変幻自在その一、琴はもちろんピアノ・弦楽・ハープといったバリエーション豊かな楽器で奏でられている。変幻自在その二、休符が巧みに奏でられている。《音と沈黙、躍動と静止、継続と断絶》というように、モチーフが流れ沈黙がおとずれまた流れる。基本的には変拍子になっている箇所は少なく、一般的な4拍子のなかで巧みに音を配置することで音と沈黙を実現している。違和感がないどころか余白の心地よさをおぼえるほどに。

確信犯なメインテーマ・モチーフ。それは8分音符で書かれ数小節たらずであること。琴という楽器は音が持続しない、弦をはじいて音が減衰していく。8分音符という粒の細かい音符を刻むことで効果的に奏でることができる。同じ効果を発揮できる楽器がピアノ、弦楽ピッチカート、ハープなどとなる。《琴とオーケストラの融合》を実現するのに大きく貢献しているのがピッチカートとハープ。「弦をはじく楽器および奏法」を絶妙に配置しブレンドすることにより、琴の音色がうまく溶け込み調和しているように思う。とりわけ、ハープを通常よりも強くはじく奏法をしているように聴こえ、ハープにしては尖った響きになる一方、琴が少し丸みを帯びたような響きにも聴こえてくる。そこにピッチカートも加わり、よくよく聴かないかぎり何の楽器か区別が難しくなるほどに「弦をはじく楽器」たちが共鳴し、結果融合と調和を実現させているように思う。ここにグロッケンなどの打楽器を混ぜあわせ、管楽器もふくめて音粒の細かい響きを飛び交わせている。(ここまでが変幻自在その一補足)

琴にしろピアノ、ピッチカート、ハープにしろ、音が持続しない楽器ということは、《音と沈黙、躍動と静止、継続と断絶》といった音楽構成を築くことにも効果を発揮する。もっというと楽器本来の響きがそうなのだから、沈黙がおとずれたとしても違和感がない。あれ、急に止まったという感覚にさせないので、結果音と沈黙が心地よさをもたらす。(ここまでが変幻自在その二補足)──だから確信犯なメインテーマ・モチーフなのである。このモチーフ基本音型が書き下ろされた時点で久石譲の勝ち(勝負ごとではないけれど)、数小節たらずの旋律で映画「花戦さ」の映画音楽はほぼ完成されていると言っても過言ではない。

 

B.天下人と対峙するモチーフ
物語のなかで天下人と対峙するおよび象徴するシーンで流れるモチーフ。「5. 織田信長」「13. 太閤殿下の大茶会」「15. 花、笑う」「22. 花をもって」。映画も鑑賞しサウンドトラックをくり返し聴きながら、なんでここであのモチーフなんだろう?と思って書き出すと意味あいがわかることもある。ということで、ここでは便宜上”天下人”というキーワードでくくっている。ここでも久石譲の映画音楽設計の職人技をみることができる。あとは映画を鑑賞して糸がつながっていただければ。

 

C.利休のモチーフ
映画「花戦さ」において重要な登場人物である利休、こう整理してみるとモチーフの登場は少ない。「9. 利休と専好」ピアノとハープによるつつましいミニマル・ミュージックのあと静謐な弦楽へと流れていく。この楽曲はとても重要で、メインテーマ・モチーフの変奏もしくはそこから派生したバリエーションと聴くこともできる。特殊拍子(5拍子と6拍子)によって奏でられるミニマル音型。主人公と利休に相通じるものがある、また互いに心通い合い感情や人物そのものが交錯するようである。利休のモチーフとしているが、楽曲タイトルとおりの「利休と専好」を巧みに描きだしている。

 

D.メインテーマ「花戦さ」エンドクレジット
結論からいうと、この楽曲は上に述べてきたA-B-C-Aで構成されている。短いメインテーマモチーフがたたみかけ織り重なるような冒頭から度肝を抜かれる(A)。そして天下人とのやりとりを象徴した(B)へと進み、利休への想いをはせ(C)、ふたたびメインテーマへ(A)。つまり約4分半の楽曲で映画本編をフラッシュバックし、もう一度振り返りながらストーリーを凝縮したもの、それが「23. 花戦さ」である。久石譲の凄みとしかいいようがない。映画音楽設計の極みであり、論理性の結晶ともいえる。そしてまたそれを理屈っぽくなくエンタテインメント性として成立させていること。ひとつの楽曲として心躍らせ、また聴きたいしっかり聴いてみたいと思わせる音楽。普段あまり耳馴染みのない強烈なモチーフ、やみつきになるほどのインパクトと余韻で貫禄の響き。久石譲がやりたいことと観客の高揚感が見事にフィットし結実したことは、各媒体映画レビューや感想での観客の映画音楽への反応、コメント、人気からもうかがえる。

 

少しひとり言、どうもこの映画の音楽は似た空気や雰囲気をもつ楽曲が多く(当然といえばそう)なかなか掌握ができず結構な時間対峙することになった。楽曲をそれぞれ整理しモチーフをセグメントした過程が(A)~(C)であり、それによって(D)に辿り着けたときには、そういうことか!とちょっとうれしい気分にもなった。特に(C)は曲想が大きく異なるのですぐには気づけなかった…。利休の想い・利休への想いが万感に奏でられている。私の推測があっていたらの場合ではあるけれど……。分析してわかった気になりたいのではなく、分析してその音楽に向き合って新たな発見ができることはとてもおもしろい。

 

E.静謐なミニマル・ミュージック
全編をとおしてミニマル要素が盛り込まれた本作品であるが、そのなかでも明確かつ際立つのが「3. 天に昇る龍の如く」。静謐なミニマル音楽が包みこむ。ミニマルとは相反するはずの情緒を感じさせるのはズレを念頭においた緻密なハーモニーの構成ゆえだろうか。日本の美・和の心を感じさせてくれる佇まい。

映画本編でも印象的なシーンで使われるこの音楽、「18. 梅の花」でピアノやハープを主軸として再登場する。これはストーリーにおける伏線の演出だと思うが、一見結びつかないシーンでこの音楽が使われているというところに、久石譲の映画音楽設計の緻密さと配慮を感じる。言葉では語らない、説明はしないけれど、音楽がそれを示唆している。それはそのときの登場人物の感情なのかもしれないし、これから起こるであろう展開を予感させるものかもしれない。映像やストーリーにおける音楽の重要性を感じさせる。

 

F.静の音楽
久石譲コメントにあった映画音楽における「静と動」について。サントラ盤を聴きながら思ったのは、それは”空気のような音楽”や”表情のような音楽”なのかもしれないということ。映像を補間するもしくは盛り上げるための映画音楽でもなく、感情を表現するための音楽でもない。ちょっとした空気の動き、ちょっとした表情の動き、それをふと音にしたらそう奏でられたというような音楽ではないだろうか(と勝手に推察している)。旋律としての音楽と散在する音の狭間のようなもの。「7. れんの瞳に」「10.一輪にて」などを聴いて。楽曲として成り立たせたいならばメロディを奏でたほうがもっともでありらしくもなる。正反対に位置しているのが「静の音楽」とするならば、これはなかなか難易度が高い。浅いところでやれば陳腐な効果音のようなものになるし、なくてもいい・いらないものともなりかねない。ある(鳴っている)ことを主張しないけれど、ある(鳴っている)ことが重要な音楽。

よくよく耳をすますと、「10.一輪にて」はメインテーマ・モチーフの限りなく音をぬいた音運びと聴くこともできる。もしそのように映画の核となるモチーフを素材としているならば、それは”なくてもいい・いらないもの”とはなるはずもなく、ある(鳴っている)ことが重要な静の音楽となる。

注)久石譲が意図する「静の音楽」が、どの楽曲・手法・範囲を示唆しているのかは定かではないので、ここで挙げた2楽曲はひとつの解釈として。

 

G.華道・茶道 ~時間と空間~
日本伝統の美しさを感じるこの映画は、花も茶も絵もその道の精神を注ぎこんだような作品になっている。花も茶も「つかのまのひととき」である。いけばなも生けては枯れ、お茶も淹れては呑む。音楽もまた奏でては終わる。

映画インタビューで主演の野村萬斎さんが「花は時間と空間を映す」と言われているのをみて、なるほどそうかと思った。華道には生けて朽ちるまでの時間軸と表現し景観となる空間軸。茶道には淹れて呑むまでの時間軸と作法と間を共有する空間軸。そういった捉え方をしてみると、音楽には旋律が流れる時間軸と響く空間軸がある。久石譲も常々「音楽は時間軸と空間軸で成立する」という格言をのぞかせる。見方や捉え方は道により人によりそれぞれだろうが、なにかしらの共鳴を感じる。

華道・茶道・音楽などアートの世界に共通するもの、日本伝統の奥ゆかしさに共通するもの、それが”諸行無常”。そうであるならば、「つかのまのひととき」であるからこそその瞬間がかけがえのないもの、美しいものである。諸行無常の心をさとすような「16. 最期のもてなし」「21. 赦し」。そっと手をさしのべられるような、言葉少なにそっと寄り添ってくれるような、慈愛に包まれた楽曲。悠々と感情たっぷりに歌うのではなく、弦楽の弦のすすりが聴こえる涙腺の解放。

 

映画作品としてはもちろん映画音楽としてもあらゆる賞の受賞を予感させる。

 

 

 

2017.8 追記

「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」にて「ASIAN SYMPHONY」の一楽章として「赦し」(Track-21)が組み込まれ世界初演。

ASIAN SYMPHONY
1. Dawn of Asia
2. Hurly-Burly
3. Monkey Forest
4. Absolution
5. Asian Crisis

久石譲コメント

「ASIAN SYMPHONY」は2006年におこなったアジアツアーのときに初演した「アジア組曲」をもとに再構成したものです。新たに2017年公開の映画『花戦さ』のために書いた楽曲を加えて、全5楽章からなる約28分の作品になりました。一言でいうと「メロディアスなミニマル」ということになります。作曲時の上昇カーブを描くアジアのエネルギーへの憧れとロマンは、今回のリコンポーズで多少シリアスな現実として生まれ変わりました。その辺りは意図的ではないのですが、リアルな社会とリンクしています。

 

レビュー

2006年初演から長い沈黙をまもってきた大作、ついにその封印がとけた瞬間でした。久石譲解説に「メロディアスなミニマル」とあります。当時の言葉を補足引用すると「僕の作曲家としての原点はミニマルであり、一方で僕を有名にしてくれた映画音楽では叙情的なメロディー作家であることを基本にした。ただそのいずれも決して新しい方法論ではない。全く別物の両者を融合することで、本当の意味でも久石独自の音楽を確立できると思う。ミニマル的な、わずか数小節の短いフレーズの中で、人の心を捉える旋律を表現できないか…」(CD「Asian X.T.C.」ライナーノーツより)、久石譲が現代の作曲家として強い意志をもって創作した作品「アジア組曲」改め「ASIAN SYMPHONY」です。

めまぐるしいアジアの成長と魅惑を時代の風でかたちにした2006年版「アジア組曲」、それはまさに天井知らずのエネルギーの解放であり同時に先進国が辿ってきた発展後にある危機(Crisis)を警鐘したものとなっていました。それから11年、現代社会におけるアジア、世界におけるアジアは、今私たちがそれぞれ感じとっているすぐ隣にある現実です。

久石譲が「ASIAN SYMPHONY」への進化でリコンポーズしたもの。既出4楽曲は大きな音楽構成の変化はありません。それでも当時の「アジア組曲」の印象とは変わった空気を感じる。溢れ出るエネルギーのなかに無機質な表情で鼓動する怒涛のパーカッション群、パンチの効いた鋭利な管楽器群。躍動的で快活なのに決して手放しで笑ってはいない。そんなシリアスな変化を感じとったような気がします。

そしてもうひとつ注目すべきは、映画『花戦さ』のために書かれた音楽から「4. Absolution」として組み込まれた楽曲。映画サウンドトラック盤では「赦し」(Track-21)として収録されています。そっと手をさしのべられるような、言葉少なにそっと寄り添ってくれるような、慈愛に包まれた楽曲。悠々と感情たっぷりに歌うのではなく、弦楽の弦のすすりが聴こえる涙腺の解放。”罪を赦す”というように、過去の過ちをも包みこみ苦しまなくていい安らかな気持ちで生きていきなさい、そんな意味あいになるのかなあと思います。”相手を赦す・自らを赦す”、そして前向きに未来へ歩んでいく。映画音楽のために書き下ろされた、誤解をおそれずにいえば「エンターテインメントのための楽曲」がこうやって「久石譲オリジナル作品の一部」として組み込まれる。これはこれまでにはなかったことで、とても重要なポイントなのかもしれません。それだけに「4. Absolution / 赦し」という楽曲に対する久石譲の納得と確信を感じます。見方をかえれば、映画音楽の一楽曲としては時とともに流れてしまう可能性のあるものが、オリジナル作品の一楽章として新しい命を吹きまれた、そして未来へとつながっていくもうひとつの機会を得ることのできた楽曲。そう思いめぐらてみるとこの楽曲が加えられたことに深い感慨をおぼえます。

そして、赦しのあとの警鐘。同じ過ちをくり返す危機(Crisis)、今までになかった新しい危機(Crisis)。そんな現実を僕たちは力強く生きていかなければいけない。久石さんは、当時のインタビューで「危機(Crisis)の中の希望」というフレーズを口にしています。危機を警鐘するだけではない、その中から希望をつかんで切り拓いていく、そんなエネルギーを強く打ち響かせる作品です。

壮大な大作「ASIAN SYMPHONY」の「アジア組曲」からの変遷は、時系列でまとめていますので、ぜひ紐解いてみてください。どんな音楽が気になった人はCD作品「Asian X.T.C.」でアンサンブル版を聴いてみてください。2016年「THE EAST LAND SYMPHONY」につづき2017年「ASIAN SYMPHONY」。こうやって久石さんの”シンフォニー”がひとつでも多く着実に結晶化している喜びをひしひしとかみしめながら聴きいっていました。そして1年後には…CD化が実現してくれることを強く願っています。

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」 コンサート・レポート より抜粋)

 

 

 

2018.8.1 追記

2017年国内5都市と韓国ソウルにて開催された「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」コンサートツアーで初演された、2大作品が待望のCD化。「Symphonic Suite “Castle in the Sky”」「ASIAN SYMPHONY」収録。

 

 

 

 

1. 戦国ラプソディー
2. 花僧・専好登場!
3. 天に昇る龍の如く
4. 野花の囁き
5. 織田信長
6. 京の町、花の町
7. れんの瞳に
8. 花の力や
9. 利休と専好
10. 一輪にて
11. 黄金の茶室
12. れんと専好
13. 太閤殿下の大茶会
14. こらまた…
15. 花、笑う
16. 最期のもてなし
17. どないならはるんやろ
18. 梅の花
19. 当然の報い
20. 吉右衛門の最期
21. 赦し
22. 花をもって
23. 花戦さ

 

All Music Composed, Arranged and Produced by Joe Hisaishi
Conducted by Joe Hisaishi

Performed by
Flute & Piccolo:Hiroshi Arakawa
Oboe:Ami Kaneko
Clarinet:Yusuke Noda
Clarinet & Bass Clarinet:Yurie Honda
Bassoon:Takaaki Tsuboi
Horn:Jonathan Hammill, Yuta Ohno
Trumpet:Kenichi Tsujimoto
Trombone:Shinsuke Torizuka
Bass Trombone:Ryota Fujii
Timpani:Akihiro Oba
Percussion:Harumi Furuya, Shinya Matsushita
Harp:Ayano Kaji
Piano & Celesta:Takehiko Yamada
Koto:Akemi Yamada, Miho Jogasaki
Strings:E”K”S Masters Orchestra

Recorded at Victor Studio
Mixed at SOUND INN

Recording & Mixing Engineer:Suminobu Hamada(Sound Inn)
Manipulator:Yasuhiro Maeda

and more…

 

Disc. 久石譲 『家族はつらいよ2 オリジナル・サウンドトラック』

2017年5月31日 CD発売 UMCK-1567

 

2017年公開 映画「家族はつらいよ2」
監督:山田洋次 音楽:久石譲 出演:橋爪功 吉行和子 他

 

 

オープニングから喜劇舞台の幕開け、まるで舞台の緞帳があがっていくようなどっしりとこぶしの効いた「はじまり はじまり 2」。観客たちを呼び集めはじまりを告げ、どんな物語がくり広げられるのか期待を膨らませるメインテーマのモチーフ。

前作ではホンキートンク・ピアノが効果的に使われていたメインテーマ、今作ではその役割がイリアン・パイプスという楽器になっている。アイルランドの民俗音楽などに使われるこの楽器が、今作では強烈なアクセントとなり、新しいカラーとしてメインテーマを新調している。

バグパイプの一種であるイリアン・パイプス。調べてみると、一般的なバグパイプに比べて音量が小さく室内での演奏や他楽器との合奏もしやすい楽器とある。また他のバグパイプは音を止めることができないのに対し、イリアン・パイプスは音を止めることができるため、スタッカートや休符など音楽表現の幅も広いという特徴をもっている。

メインテーマのバリエーションも多彩に収録され、ここまで広がりのある旋律であったことに感嘆してしまう。前作が管楽器やパーカッションを巧みに使用していたのに対し、今作では弦楽器・ハープ・チェレスタといった楽器が表情を豊かにしている。

前作主要テーマ曲のひとつ(前作:「ためらい」「孫」「周造の告白」のモチーフ)は、今作でも引きつがれ装い新たに奏でられている(今作:「憲子と周造」「とちった」「若い二人」)。

映画音楽としては本編の約3分の1につけられた音楽ということで少なめではあるが、その分鳴ったときの相乗効果も高い。またフィクションでありながらファンタジーやラブストーリーとは趣の異なる、リアリティのある喜劇であり起こりうる日常。このあたりも考慮して音楽をあえて減らしていると思われる。物語のリアリティ追求と、音楽によるドラマティックな効果(それによる非現実的効果)を意図的に排除することがこの映画における映像と音楽の合意形成のように。逆説的に考えると、それだけにピンポイントに求められる音楽への要求も高いということになり、それが山田洋次監督の久石譲への確固たる信頼の現れと見ることもできる。

また前作にひきつづきオーケストラ・サウンドではない、アンサンブル・サウンドとなっている点も上に書いた音楽の役割を具現化したときの音楽構成なのだと思う。そんななかでも、前作のホンキートンク・ピアノや管楽器・パーカッションをメインとした編成よりも、今作はより一層の多重奏、多彩なアンサンブルを奏でている。主要役者8名のアンサンブルが前作以上に絡み合い、絶妙なブレンドをみせるように、音楽においても。

ひとつ付け加えておきたいこと。「家族はつらいよ」「家族はつらいよ2」において、久石譲の凄みを感じるのは、映画音楽と効果音の一体化である。映像にマッチングした音楽、動きにシンクロした音楽というものから進化したところ。音楽であり効果音でもあるという映像に必要な音の境界線をとっぱらったような音楽構成。これは旋律というよりも、音そのものや楽器奏法によるところが大きく、またそこにどの楽器を選んでいるかというのが久石譲の凄みである。前作でなぜあそこまで管楽器やパーカッションにこだわった音楽づくりだったのか、それが今作ではどのようにバリエーション豊かに変化しているのか。サンプラーの音も効果的なアクセントとなっている楽曲もある。

最後に。古き良き時代、往年の名作映画を思わせるようなメインテーマ。シンプルでありながら変幻自在な顔をもち、1作目・2作目それぞれ本編にあった表現をしている。役者のアンサンブルと音楽のアンサンブル、シリーズごとの変化を楽しめるのはそう多くないこと。そんな佇まいをもったメロディがこれからパート3以降など新たな装いで聴くことができるなら、まだまだ楽しみのつきない音楽である。

 

追記
CD盤には実際にクレジットにないトラック21が収録されている。これはボーナストラックやシークレットトラックの類と思われる。映画予告編で使われていた音楽をボーナストラックとして収録したのではないかと推測している。トラック20「家族はつらいよ2」の曲のあと約8秒間無音があり、トラック21へとつづいていく(CD盤:トラック20 [3:50]/トラック21 [0:58])。配信版には収録されておらずトラック20も無音時間がないためタイムが異なっている。公式発表は今のところ確認できないが、トラック21は「予告編用音楽」をボーナスとして収録してくれたものでCD盤のみの特典である。ちなみに、メインテーマと主要テーマをあわせた構成でアレンジとしてもどの楽曲とも同一のものではない。

 

 

1. はじまり はじまり 2
2. 日常の朝
3. 夫婦の生き甲斐
4. 車買うの?
5. 父さん怒った
6. 憲子と周造
7. 崩壊!
8. 独身貴族
9. ダンプカー
10. とちった
11. お出掛け
12. 若い二人
13. 旧友
14. 丸田の死
15. 取り調べ
16. 大騒動終了
17. 丸田の部屋
18. 出発
19. 丸田くん、さいなら
20. 家族はつらいよ2
21.

 

All Music Composed, Arranged and Produced by Joe Hisaishi
Conducted by Joe Hisaishi

Performed by
Flute & Piccolo:Jiro Yoshioka
Oboe:Satoshi Shoji
Clarinet:Hidehito Naka
Clarinet & Bass Clarinet:Yuki Sudo
Bassoon:Takaaki Tsuboi
Horn:Chie Matsushima
Trumpet:Masato Sawada
Trombone:Hisato Yamaguchi
Percussion:Tomohiro Nishikubo
Percussion:Mitsuyo Wada
Percussion:Akihiro Oba
Harp:Ayano Kaji
Piano:Febian Reza Pane
Celesta & Sampler:Fuyuka Kusa
Uilleann Pipes:Akio Noguchi
Strings:WATARU MUKAI with friends strings

Recorded at Victor Studio
Mixed at Bunkamura Studio

Recording & Mixing Engineer:Suminobu Hamada(Sound Inn)

and more…

 

Info. 2017/07/21 「NHKスペシャル ディープ オーシャン 潜入! 深海大峡谷 光る生物たちの王国」DVD/Blu-ray 発売決定

2016年8月TV放送された「NHKスペシャル ディープ オーシャン 潜入! 深海大峡谷 光る生物たちの王国」のDVD/Blu-ray発売が決定しました。

 

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Blog. 久石譲ソロアルバム『ETUDE』 音楽制作秘話 (久石譲著書より)

Posted on 2017/05/25

久石譲オリジナル・ソロアルバム『ETUDE』(2003)の音楽制作秘話です。エチュード(練習曲)をコンセプトにした渾身のピアノソロアルバム。

映画音楽などは各メディアインタビューも多く音楽についてのエピソードや想いを語った記録も豊富です。それだけにソロアルバムについての貴重な音楽制作エピソード。「35mm日記」(2006・久石譲著)に収められた秘話です。

 

 

「ETUDE」

02年の4月から、およそ1年間かけて完成させたのが「ETUDE」というアルバムだ。

13曲書いたが、最終的に3曲をボツにして10曲。それを週に1回、2曲ずつ東京オペラシティに通ってレコーディングした。これはボクにとって特別な作品で、ソロアルバムとしては、「My Lost City」と並んで自分の代表作だと思っている。その後に手がける「ハウルの動く城」や「ワールド・ドリーム・オーケストラ」(WDO)などにも影響を及ぼすことになったわけで、音楽的な面でも意味の大きいアルバムだ。

「ETUDE」は、それまでのいわゆる「久石メロディ(?)」とは異なり、ポップスフィールドに入るかどうかという意味ですら、ギリギリに位置する音楽と言える。

このアルバムを完成させたとき、はっきり自覚したことは、作曲家として「作品として形を残そう」という意識が自分の中で強くなってきている、ということだった。作家性を意識しながらも商業音楽のベースを外さず仕事をしていた作曲家が、「作品を残したい」という意識を強く持つことは、ある意味レールの外にはずれてしまうのかもしれない。

しかしボクは、またもとの道へ戻ることを拒否することで、新しい音楽的境地へ向かった。そうして誕生したのが後に続く「WORKS III」の「組曲DEAD」や「ハウルの動く城」だった。

アルバム「ETUDE」は、すべてオリジナルの10のピアノ曲で構成されている。「エチュード」とは「練習曲」とう意味だ。ショパンの「エチュード」が24曲で構成されているように、本来、すべての調(全24調)で書かれて「エチュード」は完成となる。だから、このアルバムは未完成で、現在10曲あるからあと14曲、書かなければならない(これはいずれ近いうち、発表したいと思っている)。

なぜ、この楽曲が「ぎりぎりのポップス」だとボクは思うのだろうか? それについて少し説明すると、ピアノにおける「ポップス・ミュージック」はたいていの場合、右手でメロディ、左手で和音というスタイルをとる。それは、アンドレ・ギャニオンであろうと、リチャード・クレイダーマンであろうと基本は同じだ。ただ、そのやり方だと、多少上等なコードやメロディを使ったとしても、ワンコーラス、ツーコーラスと進むにつれて、ストリングスやフルートなど他の楽器の助けが必要になってくる。自分自身、そうした「もたせる」楽曲づくりは随分やってきたが、それには抵抗があった。

そこで、クラシカルな方法論である「エチュード」を導入することで、たとえば半音階やスタッカートなど、ピアノの技術そのものを追求する、明快な基本コンセプトが出来る。その上で小さなモチーフを変奏していくことでワンコーラス、ツーコーラスというメロディのくり返しではない一貫した世界も表現できる。たとえば「MONOCHROMATIC」は、半音階が続く曲。それによっていわゆるポップスらしいピアノとは一線を画することになる上、楽曲としてはより音と音との結びつきが強固になる。ただコンセプトは明快なのだが、ピアノの技術がより難しくなり、演奏者(ボク自身)のことを考えず欲しい音を書いたこともあって、レコーディングを含めた完成までには実に1年がかりの作品となった。

ここまでは技術面での話だが、そうした技術、手法を含めて、全体として何を言いたいのか、という内容の問題がある。この時代に、いったい何を言うのかという問いだ。

「ETUDE」は、非常に孤独な世界観のアルバムとなった。つくり手と聴き手が1対1で対峙するようなギリギリの精神世界だ。

このときのボクは、グレン・グールドのように白と黒だけの世界に浸っていた。曲を書こうと思っている意識の世界から、次第に無意識の世界に引き込まれていく。

頭でこうしたい、というのではなく、あるフレーズが積み重なるとき、楽曲が自然に動かされていく。そして自分はただの媒介者になる。修行と同じく、自分を消していく作業だ。1日8時間、10時間とピアノを弾きながら、ひたすら自分を消していくのだ。「いつか、夢は叶う」というコンセプトは、苦しんだ作曲の過程で、それも5、6曲出来たころに、初めて浮かんできた。

もちろんそこには反語的表現が含まれている。夢は、切ない願望であって、必ずしも叶うものではないことをボクは知っている。だからこそ、叶うと信じて努力する過程に何かが見えてくるという、孤独な現代人への励ましのメッセージでもある。

物事をやっていくうちに初めて、大切なことが見えてくる、分かってくるということが、ボクの場合は少なくない。たとえ、当初思い描いていた構想や計画が変わっていくことがあっても、そこでつかんでいく世界には、重いリアリティがある。

こうして、ピアノの技法追求を縦軸に、楽曲の意味を横軸にして、初めて「ETUDE」の全体のコンセプトは完成した。ポップス・ミュージックとしては随分高度なものになったが、自分の作品をつくりたいという思いの確認を含めて大きな転機となったアルバムだ。

(久石譲 35mm日記 より)

 

 

Info. 2017/05/20 《速報》「久石譲&ミッシャ・マイスキー コンサート」(台北)プログラム 【5/25 Update!!】

2017年5月18日,19日、台北にて「久石譲&ミッシャ・マイスキー / JOE HISAISHI and MISCHA MAISKY」コンサートが開催されました。久石譲指揮・ピアノと世界的チェリスト・ミッシャ・マイスキーのコラボレーションという、日本ではお目にかかれない豪華なスペシャルコンサートです。

 

【2017.5.25 Update!!】
下記でも紹介していますコンサート主催:MNA 牛耳藝術の公式Facebookページにて、「Departures for cello and piano」のコンサート演奏動画が公開されました。久石譲(ピアノ)とミッシャ・マイスキー(チェロ)による「おくりびと」。世紀のコラボレーションをお見逃しなく!お聴き逃しなく!ぜひご覧ください。(フルサイズ 約3分45秒) “Info. 2017/05/20 《速報》「久石譲&ミッシャ・マイスキー コンサート」(台北)プログラム 【5/25 Update!!】” の続きを読む

Blog. 一つのテーマ曲で貫いた『ハウルの動く城』「人生のメリーゴーランド」誕生秘話 (久石譲著書より)

Posted on 2017/05/24

久石譲著書「感動はつくれますか?」(2006年)に収められた映画『ハウルの動く城』の音楽制作秘話です。メインテーマ「人生のメリーゴーランド」が生まれた瞬間のお話。貴重なエピソードです。

 

 

一つのテーマ曲で貫いた『ハウルの動く城』

メインのテーマ曲が登場する箇所は、普通それほど多くない。ところが『ハウルの動く城』は、それぞれアレンジを加えているものの、全三十三曲中の十八曲にメインテーマが登場する。

これは宮崎さんの意向だった。音楽打ち合わせのときに、僕が宮崎さんに言われたことは「徹底的に一つのテーマ曲でいきたい」という新たな注文だった。

すでにイメージアルバム『交響組曲 ハウルの動く城』が出来上がってからのことだ。『交響組曲 ハウルの動く城』は、名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団が演奏し、トラックダウン(音の仕上げ)はロンドンのアビーロード・スタジオ。あのビートルズで有名なアビーロード・スタジオで録ったのである。しかも、エンジニアは、かつて僕の録音のアシスタントエンジニアだったが、その後出世して今ではジョン・ウィリアムズの『ハリー・ポッター』などをレコーディングしているサイモン・ローズなのである。その豪華メンバーにもかかわらず注文が出た。僕は少ししょげた。

二時間を一曲のテーマで引っ張っていく? これは大変な冒険である。確かに、メインテーマがそれ自体喜びにも悲しみにも聞こえるように作曲し、これをいろいろ変奏していこう、というやり方はある、それにしても、音楽全体からすれば三分の一がいいところだ。

宮崎さんが一番気にされていたのは、ソフィーが十八歳から一気に九十歳という年齢になる点だった。一足飛びに歳をとる。しかも、シーンによって微妙に若返ったり老けたりと、顔が変わる。それを、観る人にも一貫して同じソフィーの気持ちが持続するように、音楽に一貫性を持たせたいと仰った。明快である。『交響組曲 ハウルの動く城』ではソフィーのテーマも録音していたのだが……。僕はだいぶしょげた。

だが、音楽を担当する僕がどんなに長く一本の映画と関わっても、半年から一年くらいがいいところ。しかし、監督というのは企画の段階から関わっていると、短くても二年とか三年。宮崎さんの場合だと、四年も五年もその映画のことを考えてきている(アイディアからだと十-二十年ということもある)。その映画のことを最も知り抜いているのは、やはり監督なのである。それに対する尊敬もあるし、信頼もあるから、監督の求めるものは最大限に尊重すべきだというのが僕の映画音楽に対する基本姿勢だ。

だから、このときも気を取り直して、全体を貫くモチーフとなるメロディーを新たに作曲した。

この話し合いをしたのが二〇〇三年十一月。年が明けて二月、僕は三曲の候補を胸に、宮崎さんのアトリエに出向いた。いつもはデモテープで聴いてもらうのだが、このときは自分でピアノを弾いて聴いてもらうことにした。そのほうが良いと直感が告げた。

宮崎さんの仕事場である「豚屋」には、宮崎さんをはじめ鈴木敏夫プロデューサー、音楽担当の稲城さんたちが待ち構えていた。僕はものすごく緊張した。しかもあろうことか、宮崎さんがイスをピアノのそばまで持ってきて座ったのである。心臓の音が聞こえるのではないかと心配になった。

で、まずは一曲め。弾き終わると宮崎さんは大きく頷いて微笑んだ。鈴木さんもまあまあの様子。ほっと胸を撫で下ろす。ちょっと勢いのついた僕は三番目に弾く予定だった曲の順番を繰り上げた。

「あのー、ちょっと違うかもしれませんが、こういう曲もあります」

宮崎さんたちの目を見ることもできず、ピアノの鍵盤に向かって弾き出した。

そのワルツは、そんなに難しくはないのだが、僕は途中でつっかえて止まってしまった。まるで受験生気分なのである。最高の緊張状態で弾き終えたとき、鈴木敏夫プロデューサーがすごい勢いで乗り出した。眼はらんらんと輝いている。「久石さん、面白い! ねえ、宮さん、面白くないですか?」宮崎さんも戸惑われた様子で「いやー」と笑うのだが、次の瞬間、「もう一度演奏してもらえますか?」と僕に言った。が、眼はもう笑ってはいなかった。

再び演奏を終えたとき、お二人から同時に、「いい、これいいよー!」「かつてないよ、こういうの!」との声をいただいた。

その後、何回かこのテーマを弾かされたが、この数か月本当に苦しんできたことが、ハッピーエンドに変わる瞬間だったので、ちっとも苦ではなかった。

僕はこれまで何作も宮崎さんの映画音楽をつくらせてもらっているが、一度でもつまらない仕事をしたら、次に僕に声がかからないことは知っている。いつもそういう切羽詰まった気持ちで引き受けている。毎回が真剣勝負。苦しいのだが、この至上の悦びが全てを救ってくれるのである。

(「感動をつくれますか?」/久石譲 著 より)

 

 

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Overtone.第9回 「ヴィオラ協奏曲/ウォルトン」 ~ヴィオラが主役 II~

Posted on 2017/05/22

ふらいすとーんです。

「ヴィオラと管弦楽のためのロマンス ヘ長調 作品85」は聴いてくれましたか?

 

僕はというと。

動画サイトですぐに簡単になんでも聴けてしまうことを推奨しているわけではありません。それをきっかけに何を感じとってどう行動するかのほうが大切なように思います。好奇心旺盛に音楽を浴び、自分のなかの音楽感性が変化していることを実感できる、自分のなかの音楽が豊かになる。そんなきっかけにのひとつになるならこういったツールもすべてが悪だとは思わないと、緩いかもしれませんがそう思っています。

もちろんありがたくも手軽に聴くことができた音楽やアーティストに対して、リスペクトを忘れずに耳を傾ける必要はあります。節度やモラルも大切です。その恩恵をどうアーティストに還元するか。

2017年1月に開設された「久石譲公式チャンネル」で初めて「エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための《室内交響曲》抜粋」を聴いた人も多いと思います。それをきっかけにCD作品「MUSIC FUTURE 2015」を買った人もいるかもしれません、2017年10月開催予定「久石譲 presents ミュージック・フューチャー Vol.4」コンサートに足を運んでみようと胸躍らせチケットを購入した人もいるかもしれません。いや、きっといると思います。このサイクルこそが尊い、音楽がつながっていく大切な循環のような気がします。次回の公式アップ曲も楽しみですね♪

 

 

前回「Overtone.第8回 ヴィオラと管弦楽のためのロマンス/ブルック」 で、作品の魅力はもちろん弦楽器ヴィオラについてお話を進めました。今回はまた全く趣の異なるヴィオラ作品をご紹介します。9枚組CDを買ったことがきっかけで、音楽が運んできてくれた幸運な出逢い、きっと知ることも聴くこともなかったであろう、そんな逸品です。

ウィリアム・ウォルトンという作曲家、僕は初対面でした。エルガーやホルストの影に隠れてしまいがちのようですが、イギリスを代表する音楽家とあります。

「同時代のさまざまな音楽をたくみに吸収・消化し、新鮮かつ大胆なリズム・和声を用いて表情豊かで親しみのある作品を生み出した。豊かな情感と壮大で雄渾多感な表現を好んだこと、明晰な調性感を好んだことから、新ロマン主義の作曲家と見なしうるが、客観的で端正な表現をよしとする新古典主義音楽の発想にも洗礼を受けている。」(ウィキペディアより)

なるほど。

ウォルトンは映画音楽界でも確固たる地位を築いた人で、手がけた映画音楽を抜粋・編曲して別作品へと大きく改作した「スピットファイア 前奏曲とフーガ」が有名とあります。映画『スピットファイア』の音楽は大変高い評価を獲得したことから、公開翌年には演奏会用の編曲を施し作曲者自らの指揮によって初演・録音が行われたそうです。その他、3つの交響曲と、5つの協奏曲、室内楽から合唱作品まで幅広く作品を残している、そんな音楽家ウォルトンです。

なるほど。

なんだか、どなたかのお顔が頭のなかで浮かんできそうですが、もう少しこのまま進めます。

 

 

「ヴィオラ協奏曲」は、ある名ヴィオラ奏者のために作曲されたものの演奏を拒否されてしまい、別の名ヴィオラ奏者パウル・ヒンデミットによって無事初演を迎えることのできた作品。第一候補奏者が拒否した理由が「モダンすぎる」という、なんとも当時としては斬新な作品を象徴するような逸話ですね。先駆的で今では重要なレパートリーとして多くのヴィオラ奏者が取り上げ録音も残している、そんな作品です。

1929年作曲・初演、約30年後の1961年に大きくオーケストレーションが改訂されています。元は三管編成(トランペット3本を含む)だったものを、オーケストラの重厚すぎる部分が改められ、また編成にハープが加えられるなどの変更が施さ、現在多くのCD作品や演奏会も含め聴くことができるのは改訂後の1961年版です。

なるほど。

またまた、どなたかのお顔が頭から離れなくなっていますが、もう少しこのまま進めます。

 

 

「とにかくかっこいい!」、鳥肌が立つほどに、うれしくて体のなかの音楽センサーが湧き躍るような感動。表情豊かで親しみやすい旋律、リズムに特徴があるのか躍動感が時代を越えたところの色褪せないビート。それはまるで生理的・快感的ともいえる本能的に喜ぶ鼓動、なのかな。

全三楽章、緩急緩のような編成になっているこの作品。第1楽章と第3楽章はひとまず置いて、ここでは第2楽章にフォーカスします。ぞくぞく身震いするような躍動感で新鮮な感動を与えてくれる第2楽章。リズムのアクセントがすごく独特でとても惹き込まれます。これが楽章全体のグルーヴ感や高揚感に大きく貢献しているように思います。

「シンコペーション:西洋音楽において拍節の強拍と弱拍のパターンを変えて独特の効果をもたらすことを言う。主に、弱拍の音符を次の小節の強拍の音符とタイで結ぶ、強拍を休止させる、弱拍にアクセントを置く、の3つの方法がある。」(ウィキペディアより)

なるほどー。調べていくとウォルトンのそれは、シンコペーション・リズムというらしく、これによって独特の躍動感(ゾクゾク・ウキウキ・ワクワク)を演出していたんですね。例えば一般的な4拍子の曲であれば、頭の1拍目や3拍目でタン・ウン・タン・ウンと標準的なリズムをとります。それをシンコペーションにすると(2拍目の裏)、タン・ウ・ターン・ウンという感じになります。すごく単純稚拙な例えで申し訳ないですが、わかりやすく言うとそういうことだと思います(^^;) そしてこのシンコペーションがリズムパートだけでなく、旋律そのものや旋律アクセントにも複雑ふんだん絶妙に盛り込まれています。ここが”くすぐりどころ”をグッとつかんだウォルトンの得意技のひとつのように思います。

 

そしてもうひとつが、ヴィオラという中音域楽器を主役に迎え入れたときに、管弦楽はどのような構成をとるのか。ヴィオラを前面に引き出すためにどのようなオーケストレーションが施されているのか。ヴァイオリンとは違い高音の突き抜け感がないヴィオラは、やもするとオーケストラに埋もれてしまいます。響きの異なる金管楽器や木管楽器をうまく配置すること、そしてヴィオラを聴かせるパートとオーケストラを聴かせるパートをうまく切り分けて配置することで、ヴィオラ協奏曲としてどっしりとした存在感を得ています。中音域楽器ヴィオラの絶妙な渋さとひきしまった響きが相乗効果となっていて、大人な嗜みを感じる協奏曲です。

三管編成を聴けていないので比較することはできないですが、作曲者自らが二管編成へと改訂したのはまさに大正解だったんじゃないかなと思えるほど切れ味のよい、そしてシンコペーションリズムの効果をいかんなく発揮したフットワーク軽いリズム、跳ねるような躍動感でやみつきになります。

僕はこの作品を、ひそかに、心のなかで、「久石譲の新作としてもおかしくないシリーズ」と呼んでいます。

 

Yuri Bashmet:The Complete RCA Recordings

Disc1
ウォルトン:『ヴィオラ協奏曲』
1. Andante comodo 8:28
2. Vivo, con molto preciso 4:16
3. Allegro moderato 13:11
アンドレ・プレヴィン(指揮)ロンドン交響楽団
録音: 1994年

(以下略)

 

 

2015年4月TV番組「題名のない音楽会」リニューアルにともない書き下ろされた新テーマ曲「Untitled Music」。新司会者でヴァイオリニスト五嶋龍さんと華々しく共演初披露したのが記憶に新しいところです。ヴァイオリンをフィーチャーし楽器の魅力を最大限に引き出した構成と、バリエーション豊かで技術を駆使した奏法、最高のコラボレーションです。

実は前段階でテレビ番組テーマ曲という先入観があったせいか、はじめて聴いたときは「あれっ、すごいけれど、どこがメロディだったんだろう」ととても難解でつかみどころのない印象だったのを覚えています。あまりにもメインテーマという肩書きとは正反対な、その本格的な楽曲の凄みに圧倒されてしまったのです。うん、こういうのをひと言で言うと”なめてかかっていた”ということになり…ごめんなさい!(><) と誰にともなく謝って…次に進みます。

聴くうちになんとも言えない幸福感に満たされる、どんどん体のなかにしみわたっていくような感動の広がり、個人的にもとても印象深い作品です。それは、今までの久石譲新作を聴いたときとは少し異なる、新しい久石譲を感じとったようなふつふつ湧きあがってくる感動にかわっていきました。

もう少し具体的なレビューは作品紹介ページに書いていますので、興味あったらぜひ読んでみてください。オーケストレーションの特徴なんかも感じとったままに書きとめていたと思います。

 

 

 

このレビューのなかに、「テーマ曲としては約3分半の小品として完成されているが、ここからさらにヴァイオリン・コンチェルト(協奏曲)として発展させていってもおもしろそうな、そんな可能性を秘めた作品である。」──なんてことをいっちょまえに書いているのですが。

2017年4月番組司会者交代にともない、番組テーマ曲「Untitled Music」も使用終了となりました。大きく残念半分、大きく期待半分な心境です。毎週聴けなくなったことと、お茶の間にこの曲の魅力がもっと浸透しつづけてほしかったなという想い。もう一方で、テーマ曲から解放されたその先に、新たな発展の機会を得たんじゃないか?!という希望の光が射しこめた瞬間でもありました。

突っ込んで言うと、エンターテイメント音楽「Untitled Music」からオリジナル作品「Untitled Music」へと昇華する可能性ができたのならすごくうれしい!そんな根拠のないふわふわした期待です。たとえばそれは『ヴァイオリン協奏曲 “Untitled Music”』、『Untitled Music for Violin』、『室内交響曲 Untitled Music for Violin and Chamber Orchestra』なんて、想像がすぎるでしょうか。ついつい勝手な空想がふくらんで破裂してしまう悪いクセです(^^;)

既存の「Untitled Music」が楽章形式をとるオリジナル作品「Untitled Music」のいずれかの楽章に配置されるような。もしくは現段階でも核が見事に結晶化されているそれを、各楽章に主題やモチーフを解き放ち全楽章として大きな広がりをもたせる。ここまでくると改訂や再構成という範疇を越えたところ、まさに”大いなる昇華”なんです!

 

 

リスペクトする演奏家、コラボレーションしたいアーティスト、ソリストのために書き下ろされる作品。「Untitled Music」はもちろん五嶋龍さんを念頭に置いていたからこそ生まれた傑作です。同じように「コントラバス協奏曲」もソロ・コントラバス石川滋さんを念頭に創作された”100年後のレパートリーになりうる”作品です。ウォルトンのヴィオラ協奏曲もスタート地点は同じ、重要なヴィオラ作品レパートリーとして今につながっています。こう考えるとソワソワともワクワクともしれない、とても前のめりな感覚におそわれてしまいますね。

……

少し横道にそれますが、久石さんが近年とっているオーケストラの基本編成は二管編成です。2000年代の三管編成でのゴージャスな作品や大規模コンサートを経て、今は古典派クラシックでも主流だった二管編成。もっと言うとベートーヴェンやブラームスの時代、対向配置を念頭に作曲された作品も多く、久石譲指揮の古典クラシック演奏会はもちろん久石譲作品もこの楽器配置が定着しています。

「ベートーヴェンはピアソ・ソナタをつくり、交響曲を書き上げ、必ずそれらを素材として弦楽四重奏曲に取り組んでいる」—というのはなにかの文献で見た記憶。久石さんの言葉だったような気もするのですが不確かなので断定はできません。つまりはその時期取り組んでいる音楽をピアノソロでつくり、オーケストラで拡大し、弦楽四重奏としてエッセンスを削ぎ落とす。無駄なものを排除しても自分のつくった音楽のなかに強い核(素材・モチーフ・コンセプト)があれば成立する、ということの確認作業のようなものなのでしょうか。自らの音楽性の伸縮拡大をくり返すことで核を振るい磨いて、それでもたしかに存在するコアこそが音楽家としての確固たるオリジナル性。すごいサイクルだ。

久石さんのオーケストラ編成の時代変化もしかり、近年の室内楽作品・アンサンブル作品の新作書き下ろししかり。ナガノ・チェンバー・オーケストラもシンフォニー(交響)オーケストラではなくチェンバー(室内)オーケストラですしね。これは古典クラシック音楽が作曲・演奏されていた当時のコンパクトな編成にあわせている側面もあり(結果作曲家と遺された譜面を尊重した忠実なる再現性、作曲家久石譲としての解釈と指揮者久石譲のアプローチ)、今の久石譲が求めている響きや構成とも合致し、それが自作における楽器編成とも共鳴しているような。

世界をみわたせば活躍する現代音楽家もオーケストラとアンサンブルの境界線をクロスオーバーするような少数精鋭な小編成作品が多い傾向だったり。そこにはより一層の音楽としての核を追求しているような、システマティックなロジックというかエッセンスを活かした機能美というか。楽器や楽器セクションひとつひとつの音や表現をシャープにして立体的浮き彫りにしているというか。

なぜ久石さんが今「ジブリ交響作品シリーズ」に取り組んでいるのか。2008年武道館コンサートでの大規模編成から二管編成へと改訂したときに、あの壮大な世界観と広がりを失うことなく一層豊かな表現にも磨きをかける。そして”日本国内・海外でも演奏したい”という多くのニーズに応えるべく、ベーシックなオーケストラ編成で再構築しておくことが、結果未来につながり100年後も多くの演奏機会を得られる作品になる。大規模編成や特殊編成は、作品の秀でた個性こそあれやはり演奏機会は減ってしまいます。オリジナル版を再現できないがために埋もれてしまう、もしくは未来の他者によって都合よく改変されてしまう。これはそうでもして生き残った恵まれた音楽作品という面もあるかもしれませんし、作曲家からするとやはり複雑な思いを未来の天国から抱くのかもしれません。

W.D.O.2017コンサートで、「Asian Dream Song」や「Summer」「HANA-BI」「Kids Return」といった北野作品が弦楽オーケストラで披露されるプログラム予定であることも。すべてオーケストラ編成としても披露されているこれらの作品が、削ぎ落とされた弦楽器とピアノのみでももちろん成立することの確認なのか、新しい響きを示唆しているのか、隠されたアプローチを試しているのか、はたまた未来の室内楽団・弦楽オーケストラのためなのか。そういえば、一番ホットな「Encounter for String Orchestra」(2月ナガノ・5月台北披露)もその変遷をたどれば…。

いけない、少し横道どころか、大きな別の道に流れでそうなので、ここまで。

 

 

いろいろ見方が右往左往してしまいましけれど、何が言いたかったかというと、時代を越えたところで音楽家たちの”共鳴”を感じるということです。ウォルトンの作品をきっかけに聴き・調べ・思いめぐらせ。ソリストのための作曲、改訂、楽器編成、ベートーヴェン、ウォルトン、久石譲、現代作曲家…時代を越えたところで音楽家たちが辿るある種の必然性。俯瞰的にみることで”時代の音楽家たちが必ずとおる道”、果敢なアプローチと音楽性を極める過程で生みおとされた作品たち。見えない糸でつながり交錯し共鳴しつづけている、音楽という歴史がもつかけがえのない環のようなものを感じます。

たとえば、「Untitled Music/久石譲」-「ヴィオラ協奏曲/ウォルトン」-「コントラバス協奏曲/久石譲」、こんなふうにつづけて聴いたとしても、自然にその響きに納得するだろうな、そう思います。《久石譲の新作としてもおかしくないシリーズ》と心の中で呼んだのはそういう意味を含んでいたりします。似ている似ていない表面的なところではなく、”共鳴” なにか通じるところがあるように感じたからです。「ヴィオラ協奏曲」をまったく名札なしに「これ、久石譲の新作だよ」と言われて聴かされたら、うんそうかもなと思ってしまうような。

おもしろいですね。実際、似ているかと言われたら似ていないと思います。でも、なにが久石譲であってもおかしくないと感じるんだろう、というところを突きつめていくと逆説的に久石譲音楽の核を少しだけ見つけることができるのかもしれません。僕にはムリなんですけれども。うーん、キャッチャーで一度聴いたら印象的な強いモチーフ、躍動感のあるリズム構成、複雑で奥行きのあるオーケストレーション。このあたりの料理の仕方が久石さんとシンパシーを感じるのかなー…なんて思ったら、これ音楽の三要素(メロディ・ハーモニー・リズム)のことを言っているだけで、まったく専門的に深掘りできていない、撃沈。わかりません!でも感じます!

まだお腹いっぱいじゃなければ、「コントラバス協奏曲」の魅力や近年の久石譲音楽の特徴など過去にまとめたものです。まだお腹いっぱいじゃなければ。

 

 

この人のために作品を書きたい、この人なら私の書く技術的な楽器演奏を具現化してくれる、この人なら私の思い描く作品の魅力を伝えてくれる。一方、この人が書く作品なら自分の技術をいかんなく発揮し自分にしか表現できない楽器の魅力をひき出してくれる。作曲家と演奏家のその時代の一期一会な化学反応によって誕生する作品が「ヴィオラ協奏曲/ウォルトン」であり「Untitled Music」「コントラバス協奏曲」なんだと思うと、音楽のもつ力って本当にすごいなと思います。

エンターテイメント音楽からの改作であろうと、タイアップをもたない自作であろうと、久石さんが作品として世に送り出す音楽が、ひとつでも多く未来につながるといいなと思います。大編成な交響作品、ソリストとのコラボレート作品、研ぎ磨かれた室内楽作品、多彩な特殊編成作品など、バリエーションにとんだオリジナル作品を、これからもひとつでも多く大切に残していってほしいなあと心から思います。そこには必ずミニマル・エッセンスがある、それももちろん大きな要素です。でもやっぱり一番は、音楽構成・楽器編成・素材・モチーフ・コンセプトすべてひっくるめてそこにはっ!”久石譲にしか書けないもの”があるんです(キッパリ!)。

名だたるヴァイオリン協奏曲は数知れずありますがそこに久石譲を感じる響きはない、当たり前ですが。当たり前のことなんですけれど、でもこのスペースこそが今の時代を代表する作曲家のために用意されたかけがえのないスペースだとしたら。こんなことを考えだしたらなにともしれず涙がでそうになります。「Untitled Music」ヴァイオリン・レパートリーとして並列してなんら遜色ないどころか、100年後にもその音楽を高らかに響かせているとしたらなんと素晴らしいことかっ!

 

 

あれっ、「ウォルトン:ヴィオラ協奏曲 / ユーリ・バシュメット」この作品も動画サイトで聴けるようになってるもごもご。CDを買ったときには聴けなかったということでほっと安心。いずれにしても、目的をもって探し出会う曲ではなかったので、CDを手にしたことで音楽が運んできた幸運な出逢いに感謝です。「Untitled Music」ファンにはぜひこの作品の第2楽章(約4分)だけでも聴いてみてほしいな~♪

くどいようですが動画サイトで聴けてしまうことを推奨はしていません。でも!この作品を聴いて久石さんファンとして胸躍るゾクゾク・ウキウキ・ワクワク、鳥肌たつような音楽的快感を得られることを強く推奨しています(^^)♪ 

それではまた。

 

reverb.
ゴールドディスクというきらびやかなCD盤、音質もゴールドなのかな?

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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