Overtone.第20回 なぜ『交響組曲 もののけ姫』(2016) はリリースされないのか?

Posted on 2018/10/15

ふらいすとーんです。

そわそわザワザワしそうなお題です。

なぜ『Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE / 交響組曲 もののけ姫』(2016・世界初演)はリリースされないのか? スタジオジブリ作品の音楽を手がけてきた久石譲が、自ら交響作品化するプロジェクトを始動したのが2015年。第1弾『Symphonic Poem NAUSICCÄ 2015 / 交響詩 風の谷のナウシカ 2015』は同年W.D.O.2015コンサート世界初演、翌年Live盤CDリリースされました。順当にいけば『交響組曲 もののけ姫』もこの流れをとると思われていたなか、、、飛び越えて第3弾『Symphonic Suite “Castle in the Sky” / 交響組曲 天空の城ラピュタ』がW.D.O.2017世界初演、2018年の今年新たにレコーディング音源としてCDリリースされました。『交響組曲 もののけ姫』はW.D.O.2016世界初演で止まっている。

ここに導き出すのはひとつの回答です。正解か不正解かと言われると困ってしまいます。だから僕の回答を押しつけもしませんし、あるいは遠慮もしません。言い逃げではいけない、きちんと向き合って思い考え巡らせています。あぁ、そういう見方もあるかもね、いや違うんじゃない。最終的には、あなたの回答を導き出すきっかけ材料にしてもらえたらうれしいです。

 

 

バッハの「マタイ受難曲」を聴いてみたいと思いながらずっと素通りしていました。約3時間もある、これはなかなか根気がいるというのが理由です。深掘りはできないけれど、まずは一旦通して聴いてみようよ、やっと手をのばしました。

厳かな世界だなあ、すると、どこかで聴いたことあるフレーズが流れてくる。あれ、これ何だったかなあ、疑問をすえおき聴き進める、また同じフレーズが登場する。合唱による美しい旋律、合わせて鼻歌で歌いながら記憶をめぐらせる。

久石さんの作品にあったよね!

『THE EAST LAND SYMPHONY』「5. The Prayer」です。えっ、旋律そのままだけど!?なんで?!……待てよ、そういえばバッハが云々あったかも。CDライナーノーツを取り出します。

 

「5.The Prayer」は今の自分が最も納得する曲です。ここのところチャレンジしている方法だいうことです。最小限の音で構成され、シンプルでありながら論理的であり、しかもその論理臭さが少しも感じられない曲。すべての作曲家の理想でもあります。もちろん僕ができたということではありません。まあ宇宙の果てまで行かないと実現できそうもないことなのですが、志は高く持ちたいと思っています。ソプラノで歌われる言葉はラテン語の言諺から選んでいます。もちろん表現したかったこと(それは言わずもがな)に沿った言葉、あるいは感じさせる言葉を選んでいます。後半に現れるコラールはバッハ作曲の「マタイ受難曲第62番」からの引用です。このシンフォニーを書こうと考えたときから通奏低音のように頭の中で流れていました。

久石譲

(CDライナーノーツより抜粋)

 

ちゃんと書いてあります「後半に現れるコラールはバッハ作曲の「マタイ受難曲第62番」からの引用です」と。僕はこれ、てっきり歌詞や言葉を引用したんだろうと勘違いしていたんですね。だからこの時「マタイ受難曲」原曲を確認しようとすることを怠った、反省。

 

from Youtube

 

この旋律を聴いて「5.The Prayer」の間奏部だとすぐにつながった人は『THE EAST LAND SYMPHONY』をよく聴いていますね。曲全体のソプラノによる歌唱パートは久石譲作によるもの、後半に1度だけ顔をのぞかせるオーケストラパートが「マタイ受難曲 第62番」からの引用です。

このコラールの旋律は第15番・第17番・第54番・第62番に登場します。そして「マタイ受難曲」では合唱編成でしか奏でられません。器楽のみ演奏はない。約3時間がんばった甲斐ありました!? 原曲の雰囲気と全体像を知って聴き比べる。久石さんは器楽パートとして切り換え引用した。そして自ら書き下ろした旋律との融合が見事としか言いようがないことに気づきます。つながりもスムーズで違和感ないし、引用することで共鳴したり広く深くなる世界観。同じコラール旋律なのに、あえて第62番からの引用と言ったのか…第15番などじゃダメだったのか…それは「マタイ受難曲」の音楽作品を深く紐解くとストーリーとしての位置づけと重なるのかもしれません。僕の手には負えないので、タイトルだけ書き留めておきます。

第15番  コラール「われを知り給え、わが守り手よ」(合唱)
第17番  コラール「われはここなる汝の身許に留まらん」(合唱)
第54番  コラール「おお、血と涙にまみれし御頭」
第62番  コラール「いつの日かわれ去り逝くとき」(合唱)

 

 

もののけ姫は?

忘れていません。

「5.The Prayer」を聴きながら、ずっと不思議だったんです。どうして曲が終わって観客の拍手が入ってるんだろう? 音楽作品としてならあの静謐な終結部、音がゆっくり消えていき静寂の余韻にひたりたいところに拍手が入ってくる。否応なく現実に引き戻される。あえてそうしたのはなぜ??

僕はこれを”あえて”と思っています。あの拍手を聴くたびに「これはLive盤だからね」「きちんとした完成版・レコーディング版じゃないからね」というサインのように聞こえます。近年の久石譲Live盤はW.D.O.を筆頭にまるでセッション・レコーディングしたかのようなハイクオリティ録音です。オーケストラの各楽器に配置された集音マイクはおそらく計40本以上。それらをステージに設置してのコンサート演奏とホール空気ごと封じ込めた音源化。指揮者や奏者の呼吸や足音、譜めくりの音も観客の咳払いも一切の会場音を排除できている。Live盤であることを銘打たないとわからないほどです。だからリリース時Live盤のときはきちんとそう告知されていますし、逆に告知されていなくて実はLive盤だったというようなことは、ないように思います。いろいろ危惧される諸事情ふくめて。

それはさておき、ここで一番大事なことは、久石譲オリジナル作品に声によるソリストを迎え入れた作品がかつてなかった、ということです。合唱を除くヴォーカルをフィーチャーしたもの。久石譲作品に見合う声なのか?久石譲が求める声質や歌唱なのか? 合唱と異なり声が大きなカラーとなってしまう扱い方には、作品の世界観にも大きな影響を及ぼします。まだめぐり逢えていないのか、答えが出ていないのか、とても慎重に熟考しているような気がします。

結論。

だから『THE EAST LAND SYMPHONY』はLive盤だった。「コンサートで世界初演したものを音源化しました。今回はこうなりました。」それがあの拍手のように思えてなりません。はっきり言えば「この時の演奏においては」という枕詞的サインです。ハイクオリティ録音でやもすると完全なるレコーディング版と思う人もいる。パフォーマンスのクオリティに納得していないわけではなく、コンサート・ソリストに納得していないわけでもなく、あくまでもレコーディング完結としたときのソリスト選定、現在進行系・吟味中の作品であること、めでたく結実しましたとはまだ言えない。そんな気がしています。

作品を生みおとす通過点のひとつとしてLive盤として音源化はしてくれた。映画音楽やCM音楽で起用するヴォーカルとは違います。映画の世界観に合う声として選ばれた場合は、当たり前に堂々とレコーディングできます。それだけに久石譲オリジナル作品として”声”を扱うというのは、とても神経を尖らせるデリケートなこと。かつ、そのリスクを背負ってでも、この作品は「3. Tokyo Dance」ふくめ言葉による世界観の構築とソプラノ歌唱による表現が必要だった。そんな新しい挑戦と覚悟が見え隠れする渾身の大作です。

 

 

順ぐりやっと「もののけ姫」です。

もうなんとなく僕の言いたいことは察しがつきますか。さて、散らかした考えをどうする…Q&Aでいきます。Q&Aはどちらも自問自答です。

 

 

Q.なぜ『交響組曲 もののけ姫』はリリースされないんですか?

A.「もののけ姫」「アシタカとサン」がソプラノ歌唱で構成されています。これを誰に歌ってもらうか、どんな声を求めているのか、ポイントになっているように思います。

 

Q.過去にもCD化されてますよね?

A.『交響組曲 もののけ姫』(1998)はチェコフィルハーモニー管弦楽団と共演した作品。プラハでレコーディングされました。全八章に及ぶ壮大な組曲は主題歌「もののけ姫」含むすべてインストゥルメンタル版です。『WORKS II』(1999)はここから4曲をセレクト忠実に再現したLive盤です。『真夏の夜の悪夢』(2006)はさらに3楽曲に絞り込み再構成した約8分半の作品。主題歌「もののけ姫」はヴァイオリンをフィーチャーしています。一夜限りのW.D.O.コンサートを収録したLive盤です。

 

Q.「もののけ姫」ヴォーカル版もありますよね?

A.『久石譲 in 武道館』(2008)は久石譲ジブリコンサートとしてDVD人気定着しています。このスペシャルコンサートは映画『崖の上のポニョ』公開年、映画オープニング「海のおかあさん」を歌った林正子さんが「もののけ姫」もコンサート歌唱しました。一期一会のコラボレーションです。「アシタカとサン」も新たに歌詞がつけられコーラス編成で披露されました。

A.『The Best of Cinema Music』(2011)は東日本大震災チャリティコンサートを収録したLive盤です。「アシタカせっ記」「TA・TA・RI・GAMI」も合唱あり再構成した武道館ヴァージョンが継承されています。「もののけ姫」は武道館にひきつづき林正子さんによるソプラノ歌唱(英語詞)でした。

 

Q.『交響組曲 もののけ姫』(2016)は?

A.こんがらがってきます。2016年版の音楽構成は最後を見てください。「もののけ姫」「アシタカとサン」がソプラノ歌唱されています。深掘りすると「アシタカとサン」はソプラノを迎え入れるタイミングで転調しました。「World Dreams」コーラス版と同じように。ソプラノのために必要だったと思うのですが、個人的には転調しないコーラス版と同じ構成がよかった、「アシタカとサン」はオリジナルキーで通してほしいと当時ひっそりメモしています。

A.『THE EAST LAND SYMPHONY』と同時初演された『交響組曲 もののけ姫』。考え方によっては、『THE EAST LAND SYMPHONY』でのソプラノ編成が主軸にあって、『交響組曲 もののけ姫』はその編成を活かした。合唱編成のないコンサートで「アシタカとサン」はどう披露できるか?となった。そんな見方もできますね、できませんか…?

A.「もののけ姫」「アシタカとサン」ふたつの楽曲は、歌と言葉による精神性、世界観を表現する重要な核になっているとも言えます。だからこそ誰が歌うか、どう表現するか、独唱なのか合唱なのか、はたまたオーケストラのみで築きあげるのか…。悩ましい。

 

Q.『交響詩 風の谷のナウシカ 2015』はCD化されています。

A.『The End of the World』(2016)にLive収録されています。『WORKS・I』(1997)から大きく進化した完全版です。独唱はありませんがコーラスが作品全体とおして大きな役割を担っています。「遠い日々」は合唱版になっていますが、理想は独唱+合唱という推察もできます。そこにはナウシカが歌っているという世界観。『風の谷のナウシカ サウンドトラック』(1984)版は麻衣、『WORKS・I』版はボーイ・ソプラノ、そしてジブリコンサートも多彩なヴォーカリストです。

 

Q.『The End of the World for Vocalists and Orchestra』も同アルバム収録です。

A.『Minima_Rhythm』(2009)から進化した久石譲オリジナル作品です。追加楽章となった「III. D.e.a.d」「久石譲編:The End of the World (Vocal Number)」はカウンター・テノールによる歌唱です。そしていみじくもこの作品もLive音源収録です。そこには、作品として現在進行系な何かが潜んでいるのか、声によるものなのか、久石譲作ではないスタンダードナンバーを組み込んでいるからなのか…。『Another Piano Stories ~The End of the World~』(2009)でもレコーディングされたこの曲、そこで歌っているのは久石譲本人です。

 

Q.『THE EAST LAND SYMPHONY』ちょっとうがった見方じゃないですか? Live盤にはよくある拍手です。

A.そこに戻るんですね。ラストを飾る曲が「Kids Return」「Madness」「Asian Dream Song」のような作品であれば、観客の高揚感と会場の臨場感を拍手まで完全収録して-完-、と素直に思ったかもしれません。「5.The Prayer」だったからこそ、ちょっと待てよと考えめぐらせるきっかけになっています。

A.『The End of the World for Vocalists and Orchestra』には拍手入っていません。辻褄はあいません。がんばって言うと、DISC1に収録されています。DISC1が終わってそこに拍手を入れるのか、そうするとDISC2にも入れるのか…。いろいろな考え方はありますね。

A.ヴォーカル・ソリストをフィーチャーした『The End of the World for Vocalists and Orchestra』『THE EAST LAND SYMPHONY』はLive音源になっている。『TRI-AD for Large Orchestra』『ASIAN SYMPHONY』はセッション・レコーディング収録されている。これは偶然…?!

A.『Minima_Rhythm III ミニマリズム 3』(2017)に収録された『TRI-AD for Large Orchestra』と『THE EAST LAND SYMPHONY』。ひとつのCDアルバムにレコーディング音源とライヴ音源が並列している。一般的にあまりないように思います。考察をめぐらせる価値は十分にある提示だと思います。

 

Q.都合のいいものだけ並べて言ってませんか?!

A.すべての作品を洗い出しても整合性はとれません。発表当時の時代や作品コンセプトも影響します。無理やり辻褄合わせをしようとも思っていません。ここでフォーカスしているのは、久石譲オリジナル作品/スタジオジブリ交響組曲、このふたつの大きな柱でプログラムされるようになる、世界初演に恵まれる作品も多いW.D.O.コンサート、「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」を起点にしています。

 

Q.久石さんを袋小路にしたいんですか?!

A.とんでもないです!むしろ逆です。思い考え巡らせることで、いまだ『交響組曲 もののけ姫』がリリースされていないこと何か理由があると考えたい。正解や理由が知りたいというよりも、そこには気分や気まぐれでリリーススケジュールを決めているわけじゃない、忘れているわけじゃない、タイミングを失ってるわけじゃない(言いたい放題 失礼しました)、そう思えるなにかを自分のなかで考えてみたい。近年の作品に対する信念やどう音源化できるかの指針が”リリースするかたち”として現れているように思っています。ひとつのものさしです。

 

Q.『交響組曲 もののけ姫』もLive盤としてリリースしたら?

A.久石譲オリジナル作品なら「今回はコンサートで披露してこうなったよ」で通過点にできるかもしれません。その先にある新たな進化やレコーディングもふくめて。一方ジブリ交響作品化として始動したものを「今回はこのバージョンね」と幾度リリースすること、いくつもの盤を並列させてしまうというのはちょっと考えにくいかなあと思っています。(ファンとしてはうれしいですよ!)

 

Q.だから慎重を期してTV放送もされていない?

A.TV放送だけしてCD音源化は見送る方法もありますね。TV放送もCD音源化もしない方法もありますね、今の時点では世の中にいかなるかたちでも出さないと。コンサートにはステージ集音マイクはもちろん収録カメラも入っていたはずです。『THE EAST LAND SYMPHONY』はCD化された。そういえばW.D.O.2016はABプロでソリスト違います。カメラが入った会場はどこだったのか(把握していません)、TV放送とCD音源でソリスト違いとなるのは混乱する…この先は推して測るべし。

A.とにもかくにも、コンサートTV放送だ!コンサートCD化だ!と当たり前の恩恵のように思ったらいけないですね。そこへたどり着くまでにどれほどの検討と葛藤と苦悩があるのか。考えめぐらせながら改心しながら。

 

Q.ほかにもリリースしない理由はあるのでは?

A.コンサート収録がうまくいかなかった。コンサートパフォーマンスに納得していない。組曲化の構成やオーケストレーションに納得していない。レコーディングスケジュールが組めない。……いろいろあるかもしれません。ほかにも到底考えが及ばないこともきっとある。でも、ここに書いた4つの理由はないかなと思っています。なぜ?と聞かれても困ってしまいます、なんとなく、いや直感です。

 

Q.これからの交響組曲化シリーズは?

A.『交響組曲 天空の城ラピュタ』はオーケストラ編成でした。そして注目すべきは『交響組曲 千と千尋の神隠し』もすべてオーケストラによるものでした。この音楽構成の意味するところは大きいと思っています。「あの夏へ」「ふたたび」ヴォーカル版も人気高いなか、武道館・世界ツアーでも展開中のジブリコンサート版とは線を引いた。開催地の多彩なヴォーカル・コラボレーションで華やかになる歌曲たちと、完全版として君臨することを目論む交響組曲化プロジェクト。今後『交響組曲 もののけ姫』が編成を変えて再演されるのか、また『崖の上のポニョ』(海のおかあさん/vo)や『となりのトトロ』といった作品がどんな交響組曲になるのか、ひとつの指標になると思っています。

 

Q.じゃあ結局どうしろと言いたいんですか?

A.『交響組曲 もののけ姫』(2016年版)をLive盤としてリリースしてほしい。そこに説明はいらない。ファンなら誰しも聴きたい!また聴きたい!早く聴きたい!

A.『交響組曲 もののけ姫』(1998年版)のように全編オーケストラのみインストゥルメンタル版。この場合、「もののけ姫」でヴァイオリン(コンサートマスター)&ピアノ(久石譲)が聴けたり、「アシタカとサン」も久石譲ピアノがたっぷり聴ける。ジブリコンサート版と線を引いて、『交響組曲 千と千尋の神隠し』と同じようにふたつのバージョンを楽しむことができる。かつ、2016年版は「旅立ち」「コダマ達」も追加されている。早く聴きたい!

A.「もののけ姫」(vo)、「アシタカとサン」(vocal or chorus)版。映画『もののけ姫』の精神性や世界観を表現できる歌い手さんにめぐり逢えますように。それは日本人じゃなくてもいいかもしれませんね。「Stand Alone」(坂の上の雲)もサラ・ブライトマンさんが歌うからこそ先入観なく入ってくる歌声、イメージ広がる世界観になった強みもあります。

A.たとえば、世界ツアーのジブリコンサート。各開催地で多彩なソプラノ歌手やヴォーカリストが華をそえています。これがソリストを射止めるオーディションだったとしたら?!世界各国を巡るなかコラボレーションするなかで、この人だっ!という歌い手さんにめぐり逢えたら?!妄想もここまでくると…。内心、半分真面目に本気です。

A.多彩なヴォーカル版がCDになってもいいと思うんです。テーマを根底から覆すつもりはないです。言いたいのはベストヴォイスを聴く人に委ねてもいいんじゃないかということ。もし仮に主題歌や歌手の扱いがネックになっていたとして、それゆえリリースされないというのはあまりにももったいない。スタジオジブリ作品、宮崎駿監督作品という大きく揺るぎない世界観があるからこそ、聴き手を少し信じて委ねてくれるならうれしく思います。早く聴きたい!

 

Q.あなたの言ってることは本当に信憑性あるんですか?

A.わかりません。わかりませんが、全力考察しました。意外にその答えは。世界初演されたその時すでに布石を打たれていたのかもしれません。

 

本日世界初演される「Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE」は、昨年初演された「Symphonic Poem NAUSICCÄ 2015」に続き、宮崎監督作品の音楽を交響組曲化していくプロジェクトの第2弾。楽曲構成は次の通り。まず、アシタカが登場するオープニング場面の「アシタカせっ記」。アシタカがタタリ神と死闘を繰り広げる場面の「TA・TA・RI・GAMI」。大カモシカのヤックルに跨ったアシタカが、エミシの村から西の地に向かう場面の「旅立ち」(ここで「もののけ姫」のメロディーが初めて登場する)。負傷した村人を背負って森の中を進むアシタカが、森の精霊コダマと遭遇する場面の「コダマ達」。傷ついたアシタカを森のシシ神に癒やしてもらうため、サンがアシタカをシシ神のもとに連れて行く場面の「シシ神の森」。サンの介抱によって体力を回復したアシタカが、人間と森の共生をめぐり、犬神のモロの君と諍う場面で流れる主題歌「もののけ姫」(本日は、ソプラノ歌手によって歌われる)。エボシ御前とサンの争いを仲裁したアシタカが、自ら負った瀕死の重症を顧みず、サンを背負って森に向かう場面の「レクイエム」。そして、久石のピアノ・ソロが登場する「アシタカとサン」は、シシ神の消えた森に緑がよみがえり、アシタカとサンが互いの世界で生きていくことを誓い合うラストの音楽である。

(楽曲解説:前島秀国 ~「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2016」コンサート・パンフレットより)

 

それではまた。

 

 

reverb.
『交響組曲 千と千尋の神隠し』は今年TV放送あるのかなあ、情報を待ちわびる日々。ちっとも改心していない。(^^;) ☆彡

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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