Overtone.第9回 「ヴィオラ協奏曲/ウォルトン」 ~ヴィオラが主役 II~

Posted on 2017/05/22

ふらいすとーんです。

「ヴィオラと管弦楽のためのロマンス ヘ長調 作品85」は聴いてくれましたか?

 

僕はというと。

動画サイトですぐに簡単になんでも聴けてしまうことを推奨しているわけではありません。それをきっかけに何を感じとってどう行動するかのほうが大切なように思います。好奇心旺盛に音楽を浴び、自分のなかの音楽感性が変化していることを実感できる、自分のなかの音楽が豊かになる。そんなきっかけにのひとつになるならこういったツールもすべてが悪だとは思わないと、緩いかもしれませんがそう思っています。

もちろんありがたくも手軽に聴くことができた音楽やアーティストに対して、リスペクトを忘れずに耳を傾ける必要はあります。節度やモラルも大切です。その恩恵をどうアーティストに還元するか。

2017年1月に開設された「久石譲公式チャンネル」で初めて「エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための《室内交響曲》抜粋」を聴いた人も多いと思います。それをきっかけにCD作品「MUSIC FUTURE 2015」を買った人もいるかもしれません、2017年10月開催予定「久石譲 presents ミュージック・フューチャー Vol.4」コンサートに足を運んでみようと胸躍らせチケットを購入した人もいるかもしれません。いや、きっといると思います。このサイクルこそが尊い、音楽がつながっていく大切な循環のような気がします。次回の公式アップ曲も楽しみですね♪

 

 

前回「Overtone.第8回 ヴィオラと管弦楽のためのロマンス/ブルック」 で、作品の魅力はもちろん弦楽器ヴィオラについてお話を進めました。今回はまた全く趣の異なるヴィオラ作品をご紹介します。9枚組CDを買ったことがきっかけで、音楽が運んできてくれた幸運な出逢い、きっと知ることも聴くこともなかったであろう、そんな逸品です。

ウィリアム・ウォルトンという作曲家、僕は初対面でした。エルガーやホルストの影に隠れてしまいがちのようですが、イギリスを代表する音楽家とあります。

「同時代のさまざまな音楽をたくみに吸収・消化し、新鮮かつ大胆なリズム・和声を用いて表情豊かで親しみのある作品を生み出した。豊かな情感と壮大で雄渾多感な表現を好んだこと、明晰な調性感を好んだことから、新ロマン主義の作曲家と見なしうるが、客観的で端正な表現をよしとする新古典主義音楽の発想にも洗礼を受けている。」(ウィキペディアより)

なるほど。

ウォルトンは映画音楽界でも確固たる地位を築いた人で、手がけた映画音楽を抜粋・編曲して別作品へと大きく改作した「スピットファイア 前奏曲とフーガ」が有名とあります。映画『スピットファイア』の音楽は大変高い評価を獲得したことから、公開翌年には演奏会用の編曲を施し作曲者自らの指揮によって初演・録音が行われたそうです。その他、3つの交響曲と、5つの協奏曲、室内楽から合唱作品まで幅広く作品を残している、そんな音楽家ウォルトンです。

なるほど。

なんだか、どなたかのお顔が頭のなかで浮かんできそうですが、もう少しこのまま進めます。

 

 

「ヴィオラ協奏曲」は、ある名ヴィオラ奏者のために作曲されたものの演奏を拒否されてしまい、別の名ヴィオラ奏者パウル・ヒンデミットによって無事初演を迎えることのできた作品。第一候補奏者が拒否した理由が「モダンすぎる」という、なんとも当時としては斬新な作品を象徴するような逸話ですね。先駆的で今では重要なレパートリーとして多くのヴィオラ奏者が取り上げ録音も残している、そんな作品です。

1929年作曲・初演、約30年後の1961年に大きくオーケストレーションが改訂されています。元は三管編成(トランペット3本を含む)だったものを、オーケストラの重厚すぎる部分が改められ、また編成にハープが加えられるなどの変更が施さ、現在多くのCD作品や演奏会も含め聴くことができるのは改訂後の1961年版です。

なるほど。

またまた、どなたかのお顔が頭から離れなくなっていますが、もう少しこのまま進めます。

 

 

「とにかくかっこいい!」、鳥肌が立つほどに、うれしくて体のなかの音楽センサーが湧き躍るような感動。表情豊かで親しみやすい旋律、リズムに特徴があるのか躍動感が時代を越えたところの色褪せないビート。それはまるで生理的・快感的ともいえる本能的に喜ぶ鼓動、なのかな。

全三楽章、緩急緩のような編成になっているこの作品。第1楽章と第3楽章はひとまず置いて、ここでは第2楽章にフォーカスします。ぞくぞく身震いするような躍動感で新鮮な感動を与えてくれる第2楽章。リズムのアクセントがすごく独特でとても惹き込まれます。これが楽章全体のグルーヴ感や高揚感に大きく貢献しているように思います。

「シンコペーション:西洋音楽において拍節の強拍と弱拍のパターンを変えて独特の効果をもたらすことを言う。主に、弱拍の音符を次の小節の強拍の音符とタイで結ぶ、強拍を休止させる、弱拍にアクセントを置く、の3つの方法がある。」(ウィキペディアより)

なるほどー。調べていくとウォルトンのそれは、シンコペーション・リズムというらしく、これによって独特の躍動感(ゾクゾク・ウキウキ・ワクワク)を演出していたんですね。例えば一般的な4拍子の曲であれば、頭の1拍目や3拍目でタン・ウン・タン・ウンと標準的なリズムをとります。それをシンコペーションにすると(2拍目の裏)、タン・ウ・ターン・ウンという感じになります。すごく単純稚拙な例えで申し訳ないですが、わかりやすく言うとそういうことだと思います(^^;) そしてこのシンコペーションがリズムパートだけでなく、旋律そのものや旋律アクセントにも複雑ふんだん絶妙に盛り込まれています。ここが”くすぐりどころ”をグッとつかんだウォルトンの得意技のひとつのように思います。

 

そしてもうひとつが、ヴィオラという中音域楽器を主役に迎え入れたときに、管弦楽はどのような構成をとるのか。ヴィオラを前面に引き出すためにどのようなオーケストレーションが施されているのか。ヴァイオリンとは違い高音の突き抜け感がないヴィオラは、やもするとオーケストラに埋もれてしまいます。響きの異なる金管楽器や木管楽器をうまく配置すること、そしてヴィオラを聴かせるパートとオーケストラを聴かせるパートをうまく切り分けて配置することで、ヴィオラ協奏曲としてどっしりとした存在感を得ています。中音域楽器ヴィオラの絶妙な渋さとひきしまった響きが相乗効果となっていて、大人な嗜みを感じる協奏曲です。

三管編成を聴けていないので比較することはできないですが、作曲者自らが二管編成へと改訂したのはまさに大正解だったんじゃないかなと思えるほど切れ味のよい、そしてシンコペーションリズムの効果をいかんなく発揮したフットワーク軽いリズム、跳ねるような躍動感でやみつきになります。

僕はこの作品を、ひそかに、心のなかで、「久石譲の新作としてもおかしくないシリーズ」と呼んでいます。

 

Yuri Bashmet:The Complete RCA Recordings

Disc1
ウォルトン:『ヴィオラ協奏曲』
1. Andante comodo 8:28
2. Vivo, con molto preciso 4:16
3. Allegro moderato 13:11
アンドレ・プレヴィン(指揮)ロンドン交響楽団
録音: 1994年

(以下略)

 

 

2015年4月TV番組「題名のない音楽会」リニューアルにともない書き下ろされた新テーマ曲「Untitled Music」。新司会者でヴァイオリニスト五嶋龍さんと華々しく共演初披露したのが記憶に新しいところです。ヴァイオリンをフィーチャーし楽器の魅力を最大限に引き出した構成と、バリエーション豊かで技術を駆使した奏法、最高のコラボレーションです。

実は前段階でテレビ番組テーマ曲という先入観があったせいか、はじめて聴いたときは「あれっ、すごいけれど、どこがメロディだったんだろう」ととても難解でつかみどころのない印象だったのを覚えています。あまりにもメインテーマという肩書きとは正反対な、その本格的な楽曲の凄みに圧倒されてしまったのです。うん、こういうのをひと言で言うと”なめてかかっていた”ということになり…ごめんなさい!(><) と誰にともなく謝って…次に進みます。

聴くうちになんとも言えない幸福感に満たされる、どんどん体のなかにしみわたっていくような感動の広がり、個人的にもとても印象深い作品です。それは、今までの久石譲新作を聴いたときとは少し異なる、新しい久石譲を感じとったようなふつふつ湧きあがってくる感動にかわっていきました。

もう少し具体的なレビューは作品紹介ページに書いていますので、興味あったらぜひ読んでみてください。オーケストレーションの特徴なんかも感じとったままに書きとめていたと思います。

 

 

 

このレビューのなかに、「テーマ曲としては約3分半の小品として完成されているが、ここからさらにヴァイオリン・コンチェルト(協奏曲)として発展させていってもおもしろそうな、そんな可能性を秘めた作品である。」──なんてことをいっちょまえに書いているのですが。

2017年4月番組司会者交代にともない、番組テーマ曲「Untitled Music」も使用終了となりました。大きく残念半分、大きく期待半分な心境です。毎週聴けなくなったことと、お茶の間にこの曲の魅力がもっと浸透しつづけてほしかったなという想い。もう一方で、テーマ曲から解放されたその先に、新たな発展の機会を得たんじゃないか?!という希望の光が射しこめた瞬間でもありました。

突っ込んで言うと、エンターテイメント音楽「Untitled Music」からオリジナル作品「Untitled Music」へと昇華する可能性ができたのならすごくうれしい!そんな根拠のないふわふわした期待です。たとえばそれは『ヴァイオリン協奏曲 “Untitled Music”』、『Untitled Music for Violin』、『室内交響曲 Untitled Music for Violin and Chamber Orchestra』なんて、想像がすぎるでしょうか。ついつい勝手な空想がふくらんで破裂してしまう悪いクセです(^^;)

既存の「Untitled Music」が楽章形式をとるオリジナル作品「Untitled Music」のいずれかの楽章に配置されるような。もしくは現段階でも核が見事に結晶化されているそれを、各楽章に主題やモチーフを解き放ち全楽章として大きな広がりをもたせる。ここまでくると改訂や再構成という範疇を越えたところ、まさに”大いなる昇華”なんです!

 

 

リスペクトする演奏家、コラボレーションしたいアーティスト、ソリストのために書き下ろされる作品。「Untitled Music」はもちろん五嶋龍さんを念頭に置いていたからこそ生まれた傑作です。同じように「コントラバス協奏曲」もソロ・コントラバス石川滋さんを念頭に創作された”100年後のレパートリーになりうる”作品です。ウォルトンのヴィオラ協奏曲もスタート地点は同じ、重要なヴィオラ作品レパートリーとして今につながっています。こう考えるとソワソワともワクワクともしれない、とても前のめりな感覚におそわれてしまいますね。

……

少し横道にそれますが、久石さんが近年とっているオーケストラの基本編成は二管編成です。2000年代の三管編成でのゴージャスな作品や大規模コンサートを経て、今は古典派クラシックでも主流だった二管編成。もっと言うとベートーヴェンやブラームスの時代、対向配置を念頭に作曲された作品も多く、久石譲指揮の古典クラシック演奏会はもちろん久石譲作品もこの楽器配置が定着しています。

「ベートーヴェンはピアソ・ソナタをつくり、交響曲を書き上げ、必ずそれらを素材として弦楽四重奏曲に取り組んでいる」—というのはなにかの文献で見た記憶。久石さんの言葉だったような気もするのですが不確かなので断定はできません。つまりはその時期取り組んでいる音楽をピアノソロでつくり、オーケストラで拡大し、弦楽四重奏としてエッセンスを削ぎ落とす。無駄なものを排除しても自分のつくった音楽のなかに強い核(素材・モチーフ・コンセプト)があれば成立する、ということの確認作業のようなものなのでしょうか。自らの音楽性の伸縮拡大をくり返すことで核を振るい磨いて、それでもたしかに存在するコアこそが音楽家としての確固たるオリジナル性。すごいサイクルだ。

久石さんのオーケストラ編成の時代変化もしかり、近年の室内楽作品・アンサンブル作品の新作書き下ろししかり。ナガノ・チェンバー・オーケストラもシンフォニー(交響)オーケストラではなくチェンバー(室内)オーケストラですしね。これは古典クラシック音楽が作曲・演奏されていた当時のコンパクトな編成にあわせている側面もあり(結果作曲家と遺された譜面を尊重した忠実なる再現性、作曲家久石譲としての解釈と指揮者久石譲のアプローチ)、今の久石譲が求めている響きや構成とも合致し、それが自作における楽器編成とも共鳴しているような。

世界をみわたせば活躍する現代音楽家もオーケストラとアンサンブルの境界線をクロスオーバーするような少数精鋭な小編成作品が多い傾向だったり。そこにはより一層の音楽としての核を追求しているような、システマティックなロジックというかエッセンスを活かした機能美というか。楽器や楽器セクションひとつひとつの音や表現をシャープにして立体的浮き彫りにしているというか。

なぜ久石さんが今「ジブリ交響作品シリーズ」に取り組んでいるのか。2008年武道館コンサートでの大規模編成から二管編成へと改訂したときに、あの壮大な世界観と広がりを失うことなく一層豊かな表現にも磨きをかける。そして”日本国内・海外でも演奏したい”という多くのニーズに応えるべく、ベーシックなオーケストラ編成で再構築しておくことが、結果未来につながり100年後も多くの演奏機会を得られる作品になる。大規模編成や特殊編成は、作品の秀でた個性こそあれやはり演奏機会は減ってしまいます。オリジナル版を再現できないがために埋もれてしまう、もしくは未来の他者によって都合よく改変されてしまう。これはそうでもして生き残った恵まれた音楽作品という面もあるかもしれませんし、作曲家からするとやはり複雑な思いを未来の天国から抱くのかもしれません。

W.D.O.2017コンサートで、「Asian Dream Song」や「Summer」「HANA-BI」「Kids Return」といった北野作品が弦楽オーケストラで披露されるプログラム予定であることも。すべてオーケストラ編成としても披露されているこれらの作品が、削ぎ落とされた弦楽器とピアノのみでももちろん成立することの確認なのか、新しい響きを示唆しているのか、隠されたアプローチを試しているのか、はたまた未来の室内楽団・弦楽オーケストラのためなのか。そういえば、一番ホットな「Encounter for String Orchestra」(2月ナガノ・5月台北披露)もその変遷をたどれば…。

いけない、少し横道どころか、大きな別の道に流れでそうなので、ここまで。

 

 

いろいろ見方が右往左往してしまいましけれど、何が言いたかったかというと、時代を越えたところで音楽家たちの”共鳴”を感じるということです。ウォルトンの作品をきっかけに聴き・調べ・思いめぐらせ。ソリストのための作曲、改訂、楽器編成、ベートーヴェン、ウォルトン、久石譲、現代作曲家…時代を越えたところで音楽家たちが辿るある種の必然性。俯瞰的にみることで”時代の音楽家たちが必ずとおる道”、果敢なアプローチと音楽性を極める過程で生みおとされた作品たち。見えない糸でつながり交錯し共鳴しつづけている、音楽という歴史がもつかけがえのない環のようなものを感じます。

たとえば、「Untitled Music/久石譲」-「ヴィオラ協奏曲/ウォルトン」-「コントラバス協奏曲/久石譲」、こんなふうにつづけて聴いたとしても、自然にその響きに納得するだろうな、そう思います。《久石譲の新作としてもおかしくないシリーズ》と心の中で呼んだのはそういう意味を含んでいたりします。似ている似ていない表面的なところではなく、”共鳴” なにか通じるところがあるように感じたからです。「ヴィオラ協奏曲」をまったく名札なしに「これ、久石譲の新作だよ」と言われて聴かされたら、うんそうかもなと思ってしまうような。

おもしろいですね。実際、似ているかと言われたら似ていないと思います。でも、なにが久石譲であってもおかしくないと感じるんだろう、というところを突きつめていくと逆説的に久石譲音楽の核を少しだけ見つけることができるのかもしれません。僕にはムリなんですけれども。うーん、キャッチャーで一度聴いたら印象的な強いモチーフ、躍動感のあるリズム構成、複雑で奥行きのあるオーケストレーション。このあたりの料理の仕方が久石さんとシンパシーを感じるのかなー…なんて思ったら、これ音楽の三要素(メロディ・ハーモニー・リズム)のことを言っているだけで、まったく専門的に深掘りできていない、撃沈。わかりません!でも感じます!

まだお腹いっぱいじゃなければ、「コントラバス協奏曲」の魅力や近年の久石譲音楽の特徴など過去にまとめたものです。まだお腹いっぱいじゃなければ。

 

 

この人のために作品を書きたい、この人なら私の書く技術的な楽器演奏を具現化してくれる、この人なら私の思い描く作品の魅力を伝えてくれる。一方、この人が書く作品なら自分の技術をいかんなく発揮し自分にしか表現できない楽器の魅力をひき出してくれる。作曲家と演奏家のその時代の一期一会な化学反応によって誕生する作品が「ヴィオラ協奏曲/ウォルトン」であり「Untitled Music」「コントラバス協奏曲」なんだと思うと、音楽のもつ力って本当にすごいなと思います。

エンターテイメント音楽からの改作であろうと、タイアップをもたない自作であろうと、久石さんが作品として世に送り出す音楽が、ひとつでも多く未来につながるといいなと思います。大編成な交響作品、ソリストとのコラボレート作品、研ぎ磨かれた室内楽作品、多彩な特殊編成作品など、バリエーションにとんだオリジナル作品を、これからもひとつでも多く大切に残していってほしいなあと心から思います。そこには必ずミニマル・エッセンスがある、それももちろん大きな要素です。でもやっぱり一番は、音楽構成・楽器編成・素材・モチーフ・コンセプトすべてひっくるめてそこにはっ!”久石譲にしか書けないもの”があるんです(キッパリ!)。

名だたるヴァイオリン協奏曲は数知れずありますがそこに久石譲を感じる響きはない、当たり前ですが。当たり前のことなんですけれど、でもこのスペースこそが今の時代を代表する作曲家のために用意されたかけがえのないスペースだとしたら。こんなことを考えだしたらなにともしれず涙がでそうになります。「Untitled Music」ヴァイオリン・レパートリーとして並列してなんら遜色ないどころか、100年後にもその音楽を高らかに響かせているとしたらなんと素晴らしいことかっ!

 

 

あれっ、「ウォルトン:ヴィオラ協奏曲 / ユーリ・バシュメット」この作品も動画サイトで聴けるようになってるもごもご。CDを買ったときには聴けなかったということでほっと安心。いずれにしても、目的をもって探し出会う曲ではなかったので、CDを手にしたことで音楽が運んできた幸運な出逢いに感謝です。「Untitled Music」ファンにはぜひこの作品の第2楽章(約4分)だけでも聴いてみてほしいな~♪

くどいようですが動画サイトで聴けてしまうことを推奨はしていません。でも!この作品を聴いて久石さんファンとして胸躍るゾクゾク・ウキウキ・ワクワク、鳥肌たつような音楽的快感を得られることを強く推奨しています(^^)♪ 

それではまた。

 

reverb.
ゴールドディスクというきらびやかなCD盤、音質もゴールドなのかな?

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Info. 2017/05/31 映画「花戦さ」オリジナル・サウンドトラック/久石譲 発売決定 【5/19 Update!!】

Posted on 2017/03/22

2017年6月3日公開映画「花戦さ」(監督:篠原哲雄)のオリジナル・サウンドトラック発売が決定しました。

 

【2017.5.19 Update!!】
ジャケットおよび収録曲更新しました。 “Info. 2017/05/31 映画「花戦さ」オリジナル・サウンドトラック/久石譲 発売決定 【5/19 Update!!】” の続きを読む

Info. 2017/05/31 映画「家族はつらいよ2」オリジナル・サウンドトラック/久石譲 発売決定 【5/19 Update!!】

Posted on 2017/03/22

2017年5月27日公開映画「家族はつらいよ2」(監督:山田洋次)のオリジナル・サウンドトラック発売が決定しました。

 

【2017.5.19 Update!!】
ジャケットおよび収録曲更新しました。※発売日が変更になっています。 “Info. 2017/05/31 映画「家族はつらいよ2」オリジナル・サウンドトラック/久石譲 発売決定 【5/19 Update!!】” の続きを読む

Disc. EXILE ATSUSHI & 久石譲 『天音』

2017年5月17日 デジタルリリース

 

2017年公開映画『たたら侍』(監督:錦織良成)主題歌

 

EXILE ATSUSHIと久石譲によるコラボレーションは2013年『懺悔』(日本テレビ開局60年「特別展 京都」テーマソング)につづく2作目である。

 

 

EXILE ATSUSHI コメント
■久石譲と楽曲を制作することになった経緯
以前、懺悔という作品でご一緒させていただいた時の衝撃が、いちアーティストとして胸の中にずっと残り続けていて、今回たたら侍の映画の主題歌のお話をいただいた時に、またもう一度、久石さんとご一緒させていただけたら、良いものができるのではないかという想いで、お願いすることになりました。

■久石さんの作った曲を最初に聞いたときの感想
前回の懺悔の時もそうだったのですが、音楽的に卓越し過ぎていて、僕の想像力を遥かに超えたところにゴールがある感じでした。信頼と確信の元に歌詞を綴り始め、その歌を歌ってみた時に初めて、こういう事だったのかと納得させられまして、久石さんの音楽家としての圧倒的な魅力に引き込まれていく感覚でした。

■歌詞に込めた想い
日本独自の文化や歴史など、いろいろなものからヒントを得ています。また音や言葉、記号やマークにはどんな想いが隠されているのか。それらに対する、人間の業や、人々の想い、嘆きは、またどんな意味を持つのか。そして最終的には、人間はどのようにして万物の霊長に成り得ることができるのかを問いかける意味にもなっています。そして何よりも、平和への願いが込めさせていただきました。

■主題歌に決まったときの率直な感想
題材がとても特別なものですし、日本独特なものでしたのですごく責任を感じましたが、同時に使命感みたいなものを感じ制作させていただきました。

■主題歌を通して、映画を観る方に何を感じてほしいか
いりいろなものが便利になった世の中で、僕たち人間たちが、肌で感じて、どんな想いで行動するべきなのか、それを考えなければならない時代が来ているのかもしれないということを、少しでも感じていただけたら、これ以上の幸せはありません。

(公式サイトコメントより)

 

 

 

楽曲を象徴するヴァイオリン。通常の4弦のよりも2本多い6弦エレクトリック・ヴァイオリンである。つややかさとあでやかさをもつその響きは、この作品の崇高で奥深い世界観の核となっている。特徴はアコースティック・ヴァイオリンの優美さに加え、アンプをとおしたディストーション(ひずみ)など表現の豊かさにある。また弦数が多いぶん音域も広くなり、通常のヴァイオリンよりも低い音域が可能となっている。

久石譲が最先端の”現代(いま)の音楽”を発信するコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE Vol.1」(2014)において、ニコ・ミューリー作曲「Seeing is Believing」がプログラムされた。日本では珍しい6弦エレクトリック・ヴァイオリンを独奏に用いた作品で、久石譲はこの演奏会のために楽器を調達している。

翌年「MUSIC FUTURE Vol.2」(2015)では、この楽器に刺激を受け自らの新作「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」を書き下ろし披露。こちらは同名CD作品としてLIVE盤となり、久石譲公式チャンネルでもその斬新な野心作を見て聴いて体感することができる。(※2017年5月現在)

そして、今回ポップス・ミュージックでも響きわたらせてしまった。2014年のそれは同楽器日本初演奏であり、2015年の自作をふくめ6弦エレクトリック・ヴァイオリンを使った作品は世界においても数少ない。ということは、今作「天音」によってPOPS音楽で同楽器をフィーチャーするのは日本初ということになる、と思われる。

 

そんないわくつきの楽器の紹介をしたうえで、「天音」に耳を傾けてみる。

イントロから優美なヴァイオリンの音色、通常のヴァイオリンではなし得ない低音域、そしてザラザラした硬質なディストーション。イントロ数小節で6弦エレクトリック・ヴァイオリンの魅力を伝えきっている。曲の展開は進み中間部ではエレクトリック・ギターと聴き間違うほどの魅惑的なディストーション、エンディングまで一貫して奏でられるその響きは、この作品のもうひとつのコラボレーションと言ってもいいほどである。

そして、対位法的というか対照的なのが、主役であるEXILE ATUSHIの透明感ある包みこむような澄んだ歌声と、久石譲のピアノ。6弦エレクトリック・ヴァイオリンの独特な響きが、結果ふたつの主役を一層引き立たせていて、まさにふたつの白い光のような”天音”を浮かび上がらせているようにすら思う。

付け加えると、6弦エレクトリック・ヴァイオリンはそのものが多重な響きを醸し出している。そのため通常のヴァイオリンと異なり、ビブラートを効かせる奏法をあまりとっていないと思う。太く厚みのある音をまっすぐにのばすことで、ヴォーカルの遠く広がるビブラートとぶつかりあうことがない。ゆっくりと深く波打つヴォーカルのビブラートに改めて感嘆しながら、それを気づかせてくれたのはこの楽器との響きあいゆえ。実は歌曲と相性がいいのか、もちろんそこには表現力に優れた歌い手であることが求められる。それをも見据えた久石譲の音楽構成か、見事である。

小編成アンサンブルも楽曲に彩りをあたえ、アコースティック楽器とエレクトリック楽器の融合は本来容易ではないはずなのだが、そこは上記コンサートもふまえた実演と響きを熟知した久石譲の妙技といえる。

 

ほとんど6弦エレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーしたレビューとなってしまったが、それだけの存在感と重要な役割を担っている。それは”あったから使ってみた”のではなく、この楽器でなければならなかった必然性と久石譲の確信を聴けば聴くほどひしひしと感じる。

6弦エレクトリック・ヴァイオリンの特性を知ることで、聴いたことのない響きだけれど得も言われぬ心地のよい響き、ときに尖りときにしなやかに奏でる音色、広がりと深さをもって大きく包みこむ世界観。今まで体感したことのない新しい響きをきっと受けとることができる。

卓越した表現力をもったヴォーカリストとピアノ、そこに拮抗し独特な距離感と溶け合いをみせるヴァイオリン。それぞれ個の個性が強いからこその凛とした絡み合い。共鳴しあう至福を感じる楽曲である。三位一体なのかもしれない。

 

 

2019.4.26 追記

本楽曲初CD化

『TRADITIONAL BEST / EXILE ATSUSHI』CDライナーノーツより

Word:ATSUSHI
Music, Arranged & Produced by Joe Hisaishi

Conducted by Joe Hisaishi

Electric Violin:Tatsuo Nishie

Flute:Hiroshi Arakawa
Oboe:Satoshi Shoji
Clarinet:Kimie Shigematsu
Bassoon:Toshitsugu Inoue
Horn:Takeshi Hidaka
Trumpet:Kazuhiko Ichikawa
Trombone:Naoto Oba
Bass Trombone:Ryota Fujii
Percussion:Makoto Shibahara, Akihiro Oba
Piano:Febian Reza pane
1st Violin:Nobuhiro Suyama
2nd Violin:Tshkasa Miyazaki
Viola:Shinichiro Watanabe
Cello:Takayoshi Okuizumi
Contrabass:Tsutomu Takeda
Instruments Recorded by Hiroyuki Akita at Bunkamura Studio
Vocal Recorded by Naoki Kakuta at avex studio
Mixed by Suminobu Hamada at Sound Inn Studio
Mamipulator:Yasuhiro Maeda (Wonder City Inc.)

and more..

 

 

 

 

天音(アマオト) / EXILE ATSUSHI & 久石譲
作詞:EXILE ATSUSHI 作曲:久石譲

 

Blog. 「ピアノ音楽誌 CHOPIN ショパン 2011年6月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2017/05/14

「ピアノ音楽誌 CHOPIN ショパン 2011年6月号 No.329」に掲載された久石譲インタビューです。

日常の創作活動のリズムから、作曲するうえでの方法論や姿勢、またちょっとした質問コーナーなど久石譲の音楽論を深く紐解ける内容です。

 

 

「音楽が生まれるまで……」 作曲家、久石譲

日本の音楽界をリードしつづける作曲家、久石譲。CMや映画、ドラマと、彼の音楽を耳にしない日がないほど、その音楽はさまざまなシーンで愛されている。「人を癒したいという気持ちで曲を書いているわけではない」と語る久石さん。しかし、次々と生み出される旋律は、私たちの心に安らぎを与え、明日への希望を持たせてくれる。

天才作曲家は、日々をどのように過ごし、どんなことを感じながら曲を作っているのだろうか? 久石譲の音楽の秘密に迫った。

 

久石譲の1日

1日のスタートは、いつも朝の10時半から11時の間。ベッドから抜け出すと、まずはお湯を沸かしてピアノに向かいます。そして、お湯が沸くまでの5分ほど、指をほぐすために自作の一番難しい曲を弾くんです。その後、ゆっくりコーヒーを飲んで、ごはんを食べてから会社に行きます。仕事を終えて自宅に帰るのが23時ごろ。会社ではもっぱら曲作りに専念しているので、コンサートで指揮する曲を勉強するのは、この後です。

7月に『展覧会の絵』とラヴェルのピアノ協奏曲、8月には『トリスタンとイゾルデ』、9月にマーラーの交響曲5番を指揮することになっているのですが、どれも大曲ばかりでしょう(笑)?

とくにマーラーは複雑でくせがありますから、そういったくせをなんとか解消して、お客さんが聴きやすくしたいなぁなんて考えると、他の交響曲まですべて勉強しなくてはならない。ですから、家に帰るとまずはクラシックのCDをかけて、ビールを飲みながらオンとオフのスイッチを切り替えるんです。最近は、オペラのアリア(とくにソプラノ系)を聴くと、すごく安らぎを感じますね。そうして、朝4時頃まで勉強すると、やっと1日が終わります。

ちなみに、朝会社に向かうときは、いっさい音楽は聴きません。これから音を生み出さなくてはいけないわけですから、何も頭に入れたくないんです。

日曜日は、毎週ジムで汗を流します。最近では空手も始めました。「毒をもって毒を制す」というわけでもありませんが、体を動かすことが僕にとっては一番のリラックス。一生懸命体を使うと、その間は何も考えなくていいですから。

20年間、ほぼ毎日変わらない生活。案外平凡でしょう!?

 

メロディーメーカーがひらめく瞬間

人によって癒しを感じる音楽のジャンルは違うと思いますが、メロディーの奥に、本来の孤独に裏打ちされた前向きな姿勢や、希望が持てるような何かを感じることで、人間は安らぎを感じるのではないでしょうか。

僕は、人を癒したいと思って曲を書いたことは1度もありません。曲を作るときには、どんなものを書こうかを頭の中で組み立てていくのですが、この作業はひたすら自分と向きあっていくしかない。映画音楽のようなメロディー主体の曲は、お風呂に入っているときや打ち合わせの最中に思い浮かぶことが多いです。逆に、しっかりとした構造のオケの曲を書くときは、考えたり組み立てたりする作業もすさまじく膨大なので、かなり時間がかかりますね。

まずモチーフがひらめいたとして、そのひらめきをひとつの曲にしようとしたとき、音と音を連ねて音型を作っていくのですが、どう連ねていくかによってまったく違う曲になってしまうので、非常に気を遣うところです。すごく地味で生みの苦しみを伴う作業ですから、癒しがどうとか、夕日がきれいなんて考えている余裕はありません(笑)。

たとえばベートーヴェンの『運命』も、「だだだだーん」とうメロディーを極限まで使い切っていますよね? ひとつのアイデアがひらめいたところで、そのアイデアをどういう形にすれば説得力がある形で聴かせられるだろうかと考える。そこからは、本当に純粋な作業です。

できるだけ無駄なくきちんと作れれば作れるほど、聴いてくださる方々が癒しを感じたり、イマジネーションが広がる曲になります。そのためには、こちらの変な思い入れを極力なくして、自分がいいなと思った素材や音型に見合うように、フォームを作っていく。そして、音楽的な機能美を追求していくこと。これが一番大事ではないでしょうか。

もうひとつ重要なのは、作家がその作品にどのような想いを込めたいかということ。それは、感情的なものの場合もあれば、非常に理想的で純粋な音楽的自然要求かもしれません。いずれにしても「こういうものを作りたい」という強い意志があるかどうかで、楽曲というものはすごく変わってしまうんです。

 

音楽が湧き出る秘訣!?

「こんなにたくさん曲を作っていて、イメージは枯渇しないのか?」とよく聞かれます。僕は恵まれていることに、〈忘れ方〉がうまいのかもしれません。常に先のことを見ているし、後ろを振り向くこともあまりない。いつもリフレッシュして切り替えることができます。もしかしたら、自分の作品に対しての愛着が薄いのかな!?(笑)作曲をするときはものすごく細かいくせに、作品が手を離れると意外にすこーんと自分の中から抜けちゃう。

一生同じ曲を見ていたって、いつまでも完成しないじゃないですか。今日はこれでいいと思っても、自身の成長に伴って手を加えたり、直したくなってしまうものです。それは仕方のないことですから、どこで見切るかを決めないと難しいですよね。

 

久石譲のいま、そしてこれから

これまでオーケストラ曲の楽譜は出していませんでしたが、今回初めてふたつのCDアルバム『ミニマリズム』と『メロディフォニー』の完全オリジナル楽譜を出すことになりました。4月に発売された『ミニマリズム』は、ミニマル・ミュージックのオーケストラ作品を集めたスタディスコア、そして5月に発売される『メロディフォニー』は、『となりのトトロ』や『おくりびと』などの映画音楽をフル・オーケストラ版にアレンジしたものです。6月からは『ミニマリズム』の楽譜レンタルもできるようになりますので、ぜひたくさんの方に僕の音楽を楽しんでいただければと思います。

また、5月からはポーランドのクラクフ映画音楽祭を皮切りに、東京・大阪で東日本大震災復興支援のチャリティーコンサートをおこないます。また現在、海外でも計画中です。

日々、被災された方々の生き様に勇気をもらっています。皆さんの姿勢を心から尊敬し、いま僕にできることを”一生懸命”努力したいと思います。

 

 

◇久石譲に聞く4つの質問

Q.作曲中に幸せを感じるときは?

A.1日中部屋にこもって曲を書いて、夜になると何がしかの曲が生まれているとき。その瞬間が一番幸せですね。もしかしたらこの曲を、日本中の人がいつか歌ってくれるかもしれない、あるいはずっと語り継がれる曲になるかもしれない。もちろん、認められるまでに思ったより時間がかかる可能性もありますが(笑)。その瞬間の感動に勝るものはありません。

Q.逆に、へこむことはありますか?

A.そんなの1日中です。だめだ、俺才能ないなって(笑)。1日のほとんどがそういう時間。そんな中で、ごくたまに、10回に1度くらい「俺って天才!」と思いますね(笑)。

Q.自作の中で一番気に入っている作品は?

A.ナウシカでおなじみの『風の伝説』ですね。僕の中でエポックになっていて、いつも初心に戻らなくてはと思う曲です。

Q.一番「よくできた!」と思う作品は?

A.それは、次回作でしょう。つねに、今作っているものが一番いい曲だと思いながら作っています。

(「ピアノ音楽誌 CHOPIN ショパン 2011年6月号 No.329」 より)

 

 

 

Info. 2017/05/17 EXILE ATSUSHI & 久石譲「天音」 配信限定リリース! &最新PV公開

映画『たたら侍』(5月20日公開予定)の主題歌「天音(アマオト)」/EXILE ATSUSHI & 久石譲、5月17日に配信限定でリリースされることが決定しました。

EXILE ATSUSHIが作詞とボーカルを務め久石譲が作曲を担当。2人のコラボレーションは2013年10月に発表された「懺悔」以来約3年ぶりです。 “Info. 2017/05/17 EXILE ATSUSHI & 久石譲「天音」 配信限定リリース! &最新PV公開” の続きを読む

Info. 2017/04/24 《速報》久石譲プラハコンサート「THE WORLD OF JOE HISAISHI」プログラム 【5/7 Update!!】

Posted on 2017/04/24

2017年4月21日~23日、チェコ首都プラハ開催「プラハ映画音楽フェスティバル2017(原題:Film Music Prague festival 2017)」。久石譲がゲストとして招かれ23日(日)プラハのフォルム・カルリーンでシンフォニックコンサートが開催されました。久石譲指揮によるプラハ初コンサートです。ガラコンサート「THE WORLD OF JOE HISAISHI」と題しジブリ作品から北野武作品まで、まさにスペシャルなプログラム。 “Info. 2017/04/24 《速報》久石譲プラハコンサート「THE WORLD OF JOE HISAISHI」プログラム 【5/7 Update!!】” の続きを読む

Info. 2017/05/04 「アートメントNAGANO 2017」NCO第4回・第5回定期演奏会 PV公開

【アートメントNAGANO 2017】
「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)第4回定期演奏会」
芸術監督・久石譲が長野市芸術館でプロデュースする室内オーケストラの第4回定期演奏会。前回の演奏会は、一般席がソールドアウトとなり大好評を博しました。久石自らの指揮で、①ベートーヴェン、②ミニマル・ミュージックを中心とした現代の音楽、③バロック以前の古楽曲のリバイバルという3つの軸で展開していきます。 “Info. 2017/05/04 「アートメントNAGANO 2017」NCO第4回・第5回定期演奏会 PV公開” の続きを読む

Overtone.第8回 「ヴィオラと管弦楽のためのロマンス/ブルック」 ~ヴィオラが主役 I~

Posted on 2017/04/24

ふらいすとーんです。

なんだろう、この映画音楽のような美しくて甘いメロディは。

「ヴィオラと管弦楽のためのロマンス ヘ長調 作品85(Romance for Viola and Orchestra In F Major, Op.85)」(ブルック作曲)を初めて聴いたとき、てっきり往年の名作映画メインテーマを聴いているような夢見心地で、すっかり聴き惚れてしまいました。旋律美もさることながら、強く印象に残るキャッチャーでロマンティックなメロディ。

1枚盤CDでも輸入盤を探せばあったような気もしますし、その前に動画サイトでも存分聴きこんでいたんですけれども(うっ…)、せっかくならヴィオラのフルコースをたっぷりご賞味あれ、いい機会なので9枚組のCDを購入しました。9CD-BOX盤で1枚盤CDと同じ価格です(うっ…うれしい)。

 

Yuri Bashmet:The Complete RCA Recordings

Disc1
● ウォルトン:『ヴィオラ協奏曲』
アンドレ・プレヴィン(指揮)ロンドン交響楽団
録音: 1994年

● ブルッフ:ヴァイオリン、ヴィオラと管弦楽のための協奏曲O p.88
● ブルッフ:ロマンツェ Op.85
● ブルッフ:コル・ニドライ Op.47
ネーメ・ヤルヴィ(指揮)ロンドン交響楽団
録音: 1996年

Disc2
● シュニトケ(バシュメット編):トリオ・ソナタ
ユーリ・バシュメット(指揮 &ヴィオラ)モスクワ・ソロイスツ
録音:1990年

● シュニトケ:ヴィオラ協奏曲
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(指揮)ロンドン交響楽団
録音: 1988年

Disc3
● チャイコフスキー:弦楽セレナードハ長調 Op.48
● グリーグ:ホルベルク組曲 Op.40
● グリーグ:2つのノルウェー舞曲 Op.63
モスクワ・ソロイスツ
録音:1989年

Disc4
● レーガー:組曲ト短調
● ブリテン:ヴィオラと弦楽のためのラクリメ Op.48a(ダウランドの歌曲の投影)
● ヒンデミット:ヴィオラと弦楽のための葬送音楽
● シュニトケ:ヴィオラと弦楽のためのモノローグ
モスクワ・ソロイスツ
録音: 1990年

Disc5
● シューベルト (マーラー編):弦楽四重奏曲第14番ニ短調D .810『死と乙女』
● ベートーヴェン(マーラー編):弦楽四重奏曲第111番ヘ短調O p.95『セリオーソ』
モスクワ・ソロイスツ
録音:1991年

Disc6
● ブラームス(バシュメット編):ヴィオラと弦楽のための五重奏曲ロ短調O p.115(原曲:クラリネット五重奏曲)
● ショスタコーヴィチ( A.チャイコフスキー編):ヴィオラと弦楽のためのシンフォニア(原曲:弦楽四重奏曲第13番変ロ短調O p.138)
ユーリ・バシュメット(指揮&ヴィオラ)モスクワ・ソロイスツ
録音:1998年、原盤:Sony Classical

Disc7
● ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調 Op.120-1
● ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第2番変ホ長調 Op.120-2
● ブラームス:2つの歌 Op.91(コントラルト、ヴィオラとピアノのための)
ミハイル・ムンチャン(ピアノ)、ラリッサ・ディアトゥコーヴァ(メゾ・ソプラノ)
録音: 1995年

Disc8
● シューベルト:アルペジオーネ・ソナタイ短調 D.821
● シューマン:おとぎの絵本 Op.113
● シューマン:アダージョとアレグロ変イ長調 Op.70
● ブルッフ:コル・ニドライ Op.47
● エネスコ:演奏会用小品
ミハイル・ムンチャン(ピアノ)
録音: 1990年

Disc9
● グリンカ(ボリゾフスキー版 ):ヴィオラ・ソナタニ短調
● ロスラヴェッツ:ヴィオラ・ソナタ
● ショスタコーヴィチ:ヴィオラ・ソナタハ長調 Op.147
録音:1991年

ユーリ・バシュメット(ヴィオラ &指揮)

 

 

なかなか玄人すぎるラインナップが並んでいます(^^;)

その他の作品はここでは深追いしないとして。ヴィオラが主役な作品をしっかり聴くことってなかなかないように思います。弦楽器であれば、なんといっても花形ヴァイオリンが一番スポットライトを浴び、音域でいうと次はヴィオラのはずなのに、すっと飛び越えチェロが準主役級の扱いをうけますね。

弦楽四重奏の場合、第1ヴァイオリン/第2ヴァイオリン/ヴィオラ/チェロという編成になりますが、ここでもヴィオラは縁の下の力持ち、目で弾いている姿を見ていても、耳ではその音が聴こえてこないような、かもくでつつましいヴィオラです。

ヴィオラは弦楽器のなかでも一番音域が人の声に近いと言われ、聴くと自然に安心してしまう、そんな響きです。実験で弦楽四重奏曲のヴィオラありとなしの弾き比べを聴いたことがあります。テレビのクラシック番組だったと思います。全く違う! なんというか、だしのないみそ汁。みそ汁ですと言われればそうなんだけど、味もそっけないし深みもない。日本食の美や味わいに”旨み”が欠かせないのと同じように、弦楽四重奏の美しさや奥ゆかしい響きに”ヴィオラ”は不可欠、なのです。

ちゃんと音楽的な話をがんばってみようとすると、ヴィオラは内声の役割をはたすことの多いパートです。ヴァイオリンのメロディをもっと引き立たせたいときにはそっと下でハモってあげ、伴奏をもっと豊かに表現したいときにはチェロをサポートしてあげ。全体に目と耳を配らせバランスをとる役割とも言えるかもしれません。音楽三要素のハーモニーとリズム、どちらにも精通したセンスが必要なんですね。そこに三要素のもうひとつメロディも優雅に奏でるとしたら、、すごいぞヴィオラ!

 

 

そんな存在意義を大きく見なおされた(僕のなかで)ヴィオラが、「名脇役はね、深みのある主役もできるんだよ」と舞台にあがり、強い光と深い影をくっきりと浮かびあがらせたかのような作品「ヴィオラと管弦楽のためのロマンス ヘ長調 作品85」です。

絶景を見たときって言葉がでない、大きなため息がもれる。「すごい。きれい。美しい。」ひと言しぼり出すまで少し時間が必要なほどに。──そんな曲です。

たとえばこの曲を聴いてジブリ作品をイメージするなら、「魔女の宅急便」のキキが生まれ育った自然豊かな町、一方で仕事をはじめたコリコの街。「紅の豚」でジーナの待つ庭。「ハウルの動く城」でソフィーが働いていた帽子屋さんのある街風景、ハウルとソフィーだけの秘密の花園。「風立ちぬ」で次郎と菜穂子が再会した軽井沢。──そんな曲です。

ヴィオラのような”でしゃばり”に慣れていない楽器を主役に迎え入れたとき、管弦楽はどうサポートするんだろう。突き抜けた高音でもなく音も強くない楽器がソリストとなったとき、オーケストレーションはどういう構成になるんだろう。そういう楽しみ方もできたらおもしろいですね。もしこれが「ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス」だったなら、おそらく曲想も構成も大きく異なり、まったく表情や響きの違った作品になるんだろうなあ、とイメージできないくせに想像しようとしてしまいます。音が鳴らないイメージでおわるのが残念なところです。ヴァイオリンのような煌めく華麗なドレスアップとはまたちがう、内面からにじみでるようなナチュラルなドレスアップで魅了するヴィオラ。

ヴィオリストのユーリ・バシュメットは、奏者だけでなく近年は指揮者としても活躍しているそうです。2014年開催ソチオリンピック閉会式でもオーケストラを指揮していたそうです。このCDBOXでもヴィオラ&指揮としてクレジットされていますね。

 

 

ヴィオリスト? Violist?!(わざとらしい)

久石さんのオリジナルアルバム『Shoot The Violist ~ヴィオリストを撃て~』(2000)です。イギリスの弦楽四重奏団バラネスク・カルテットを迎え、ミニマル・ミュージックや映画音楽をアンサンブル編成でたっぷり聴かせてくれます。バラネスク・カルテットとは90年代後期のコンサート共演をきっかけに、久石譲コンサートツアーでも一緒に全国をまわるほど充実した信頼関係を築き、その音楽交流は『Asian X.T.C.』(2006)までつづいています。

 

アルバムタイトルについて。

「なぜヴィオラなのか。アンサンブルでもオーケストラでもなかなか目立たない存在だが、とても重要な楽器で、ヴィオラがしっかりしているオーケストラは素晴らしいものになる。そんなヴィオラにも目を向けてもらいたいと”ヴィオリストを撃て”というタイトルにした」

と久石さんが当時語っている記録があります。

 

一生懸命ヴィオラの魅力を伝えたいとつらつら書いてきたところに…この久石譲語録だけで充分でしたね。ヴィオラが主役な楽曲はなかったと思いますが(あるのかな?!)、もちろんバラネスク・カルテットとしても久石譲の音楽構成としても、ヴィオラはいい仕事をしている、はずです!

アンサンブルならではのグルーヴ感で魅せる「DA・MA・SHI・絵」「MKWAJU」などのミニマル・ミュージックに、ソリッドな疾走感で駆けぬける「KIDS RETURN」、マリンバの響きで包みこむ「Summer」、そして《W.D.O.2017 Bプログラム》予定演目の「Two of Us」。この曲は《久石譲ジルベスターコンサート2016》でも数年ぶりに披露されました。CD作品ではチェロ&ヴァイオリン&ピアノという編成になっていますが、コンサート・ヴァージョンはそこに約30名の弦楽オーケストラが深く優しく支えるという贅沢な響きでした。弦楽合奏に6~8名のヴィオラ奏者がいるからこそ、CD版トリオとは味わいの異なる熟成された奥ゆかしい”音の旨み”がいっぱいに広がるんですね。

 

久石譲 『Shoot The Violist〜ヴィオリストを撃て〜』

 

 

「ヴィオラと管弦楽のためのロマンス Op.85」ヨーロッパや昭和レトロまで懐の深い、音楽なんだけれど極上の短編映画を見ているような可憐でドラマティックな作品です。ぜひ10分うっとりしてください。これまで映画/TV/CMなどタイアップがついたことがないならそれが不思議なくらい。ここに書いた曲名をコピペ検索すると、もれなく紹介したCD盤と同じ演奏、ユーリ・バシュメットが奏でるヴィオラを、動画サイトで聴くことができてしまいます(うっ…)。

ただですね♪

音楽が運んできてくれる幸運な出逢いというのは、本当にあるもので。「ヴィオラと管弦楽のためのロマンス」をきっかけに買った9枚組CD、そこにまた幸せな出会いの種がありました。きっと知ることも聴くこともなかったのだろうと思うと、誰にともなく何にともなく「ありがとう!」と叫びたくなる気持ちを抑えることができません。それは「Untitled Music」を聴いたときのような鳥肌と感動に近い。次回は ~ヴィオラが主役 II~ です。

それではまた。

 

reverb.
NHK「ブラタモリ」、久石譲音楽率が高いですね♪ これなんの曲だっけ?番組を置いてけぼりにしてグルグル記憶をたどってしまいます。

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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