Posted on 2018/01/15
音楽雑誌「CDジャーナル 1991年4月号」に収められた久石譲インタビューです。
この頃の作品というと、ソロアルバム「I am」、映画「タスマニア物語」や映画「仔鹿物語」などがあります。映画音楽論としても興味深く、当時の映画音楽のポジションと久石譲の揺るがない芯を見ることができる貴重な内容です。
「映画音楽というのはとてもプライドのある仕事」「交響曲のフルスコアを書けるくらいのクラシックの素養と、同時にチャートにヒット曲を送り込めるだけのポップス性の両方を持っていないと本来できない」など、「自分に忠実に一所懸命書いたら、同じタイプになっていいと思うんですよ。オリジナリティっていうのは、そういうものでいいんですね」「メロディをいくつか作っておいた方が楽なんです。メロディが一個だと、ものすごく、緻密に作らないと持たないし、本格的にそういう作り方をしようと思ったら、時間とお金が膨大に必要なんですよ」などなど。ぜひ前後の文脈もかみしめながら理解を深めたい、とっておきの内容になっています。
日本のポップスを創る人たち 最終回
日本の映画音楽とポップシーンに大いなる刺激を与える男 久石譲
映画音楽はとてもプライドのある仕事だ
アメリカにおける映画とポップ・ミュージックの関係は、レコード会社の中に映画会社の関連会社がかなりあることからもうかがえるように、伝統的にも非常に密接なものがある。しかし、日本のポップ・シーンに映画音楽が占めるポジションは、アメリカとは比較にならないほど小さい。それは、わが国のポップ・ミュージック史の欠落部分とさえ言えるのではないかと思うくらいだ。
そんな状況の中で、存在感のある日本の映画音楽を作りだしている数少ない作家のひとりが久石譲だ。自らのピアノとストリングスだけで彼のメロディアスな音楽性のエッセンスを描き出した新しいソロ・アルバム『アイ・アム』にも、昨年公開された「タスマニア物語」や今年公開される「仔鹿物語」のメイン・テーマのメロディも収められており、彼の活動の中で映画音楽のポジションが、けして小さくはないことが感じられる。
「『風の谷のナウシカ』の音楽を手掛けるまでは自分がメロディ作家とは思ってなかったんですよ。それまで、日本人が映画音楽をやると、ヘンリー・マンシーニ風だったりジョン・ウィリアムズ風だったり、必ずナニナニ風だったんですが、『ナウシカ』の音楽にはナニナニ風というのがなかったんです。それは、後で人に言われて気がついたんで、狙ってやったことじゃないんですけど、結果的にオリジナルなメロディを作ることができた。その後も、宮崎駿さんの作品とか『Wの悲劇』などで、自分に素直に音楽を書いていくうちに、いつの間にかみんなが久石メロディと言うようになって、自分はメロディ・メーカーだったということを気づかせてくれた。それは映画の仕事をやらなかったら気がつかなかったと思うんですね。」
ともあれ多くのリスナーにとっても、久石譲の登場が日本の映画音楽に初めて関心を持つきっかけとなったことは間違いないだろう。しかし、それは逆に言えば、日本の映画音楽の地位が非常に低いままに置かれてきたということの裏返しでもあるだろうと思う。
「ぼくは映画音楽というのはとてもプライドのある仕事だと思うんです。だけど、日本の映画音楽は劇伴ですよね、はっきり言えば。テレビの2時間ドラマとどこが違うんだ、みたいな映画音楽が多すぎます。それは映画自体もそうですね。映画音楽というジャンルは、交響曲のフルスコアを書けるくらいのクラシックの素養と、同時にチャートにヒット曲を送り込めるだけのポップス性の両方を持っていないと、本来できないと思うんです。ところが日本映画の場合は、現代音楽の作家が手がけるか、そうでなければコードネームでしか音楽ができない人が書いちゃったりとか。バランスが悪すぎるんです。その両方を持ちながらキチンとした作品として仕上げられているものが、あまりに少ないと思うんです。」
それが、日本の映画音楽がポップ・シーンから縁遠いものになっている大きな理由でもある。しかし、ある意味でハリウッドをお手本にしてきたハズの日本映画界が、映画音楽をここまでおろそかにしてしまったというのも、ちょっと不思議な気はする。
「日本映画はヨーロッパの真似をし過ぎたと思う。本当にアメリカ映画主流にしていれば、もっとエンターテイメントが重要視されるハズだけれど、もっとプライベートな、もともとお金がなくて作っているようなヨーロッパ映画を変形させたATGみたいな形で発達しちゃったために、監督個人の青春記みたいなところで作る映画が多すぎたと思うんですよ。ぼくは、本来、映画のまん中に置かれるのは、ありとあらゆる人が楽しめるエンターテイメントだと思うんです。その一方で、映画が追求すべき芸術性をちゃんと表現する作品もあるというふうに、ちゃんとしたピラミッドを作らなきゃいけない。でも、日本では、それが出来なかったために、映画音楽家も育たなかったと思いますよ」
一本の映画にはひとつのメロディしかない
という自覚のもとに、久石譲は映画音楽に取り組んでいる。では、彼がその作品を作る時には、どんなことを考えているのだろう。
「ぼくにとっては、映画は台本なんです。台本を読んだところで仕事のかなりの部分は終わり。というのは、映画っていうのは、非常に論理的なものだと思うんです。この映画を通じて何を言いたいのか、という論理的なところから構成を作っていくものですよね。だから、シリアスな問題を扱っている映画だとすれば、ラブ・シーンでも甘い音楽は流さない方がいいとか、音楽の使い方でシーンをより効果的に表現できる。そういうふうに組み立てていくのが映画音楽です。ぼくは映画音楽の仕事は音楽監督として受けてますから、必ず映像と対等の立場で発言するようにしています。それが映画に臨む姿勢ですね」
「単に映画に音楽を提供するということではなく、少なくとも、自分の作品でもあるという意識は持つようにしています。もちろん、最終的には監督の世界です。でも、大林宣彦さんのような方は別ですけど、たいていの監督は音楽に対しては素人で、イメージは持っているけど、どう言葉で表現していいかわからない場合が多いんです。ですから、その人になり替わって自分がやるんだ。ということは考えますね」
「作品によってあえて違うものを書こうという考えはないんです。前の作品に似ていようと、その映画に合っていると思った自分の正しいメロディを正しい形で書くということに徹したんですよ。ジョン・ウィリアムズも、けっこう何を書いても同じでしょ。すごい技量があって何でもやれるハズの彼が、何故ワンパターンと言われながらもやっているのか。自分に忠実に一所懸命書いたら、同じタイプになっていいと思うんですよ。オリジナリティっていうのは、そういうものでいいんですね」
「去年『タスマニア物語』をやった時に、一本の映画にはひとつのメロディしかないというのが正しいということにしたんです。たとえば、『ティファニーで朝食を』という映画には、当然いくつもの音楽が使われていたわけですけど、結局『ムーンリバー』しかないですよね。だったら、メインテーマですべてを押さえなければいけないということにして、それに徹したんです。実は、メロディをいくつか作っておいた方が楽なんです。メロディが一個だと、ものすごく、緻密に作らないと持たないし、本格的にそういう作り方をしようと思ったら、時間とお金が膨大に必要なんですよ。『タスマニア』ではじめてそれが出来たんです」
「だからプレッシャーもすごくあります。そこまで言いきって、予算も用意させて”なに、このくらいの音楽?”って言われたら、その瞬間が自分の終わりですから、そのためにはこちらも命をかけなきゃいけない」
アーティストとしてのポジションをキチンと確立したい
いい作品を作ろうとするのはアーティストとして当然のことだが、久石譲は同時にポピュラリティ、ポップス性を非常に重要視している作家だ。そして、興味深かったのは、彼が久石譲というブランド・イメージを本気で売りだそうとしていることだった。
「先日、自分のコンサートをやってみて気づいたんです。これだけたくさんの人が待っていてくれて、感動してくれた。だから今後も、『アイ・アム』というアルバムからの流れをも大切にして、自分のアーティストとしてのポジションをキチンと確立した上で、それを映画に返していくという作業をすることが、自分がやるべき仕事じゃないかなと思っているんです。そうやって映画音楽の土壌をなんとか引き上げること、それから日本のポップス・シーンを、もう少し大人の音楽をキチンと聴けるようにすること。それが僕が戦わなきゃいけないことだという気が、すごくするんですよ」
客観的に見れば、現在の日本の映画界では彼の存在は特例に過ぎないだろうとも思う。しかし”やっぱりポップスは売れなきゃ正義じゃないと思うんです”という久石譲の覚悟が、日本の映画音楽およびポップ・シーンに大いなる刺激を与えることを、彼の音楽のファンとして、僕は期待しているのだ。
(CDジャーナル 1991年4月号 より)