Blog. 「週刊ポスト 1997年9月19日号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/09/08

雑誌「週刊ポスト 1997年9月19日号」にて紹介された記事です。

 

 

パラリンピックのテーマ曲『旅立ちの時~Asian Dream Song~』を手掛けた作曲家・久石譲とBOOMの宮沢和史氏

「もうひとつの長野」を盛り上げるこのふたり

1972年の札幌以来、実に26年ぶりに日本で開催される長野冬季オリンピック。夏が終わったばかりでは、冬のオリンピックの話題で盛り上がるわけがないが、もっと盛り上がらないのがパラリンピック。この冬季パラリンピックは、来年3月の長野冬季オリンピック終了後、同じ会場で開催される。障害者たちが最高の技を競う「もうひとつのオリンピック」ではあるが、日本での認知度は低く、支援体制も乏しい。アトランタ五輪の直後に開かれたパラリンピックで日本チームが14個の金を含む37個のメダルを獲得するという好結果を残したにもかかわらずである。障害者スポーツでも入場料を取り、スポンサー付きの冠大会もあり、プロ選手までいるアメリカや北欧の状況とは雲泥の差。

が、ここで朗報である。長野パラリンピックのテーマソングが完成したのだ。その応援歌『旅立ちの時~Asian Dream Song~』を手掛けたのは、作詞・ドリアン助川、作曲・久石譲、そしてボーカルがTHE BOOMの宮沢和史という強力メンバー。写真は、音部門担当の久石譲と宮沢和史の両氏。久石さんは、長野パラリンピックの式典・文化イベント担当の総合プロデューサーでもある。

「曲を書いた後、ドリアンさんと何度か打ち合わせを重ねて、詞が生まれました。歌は宮沢君の『島唄』を聴いて、アジアを表現できる人だと思いお願いしました。そしたら、パラリンピックなら是非やりたいという返事もらって。すごく嬉しかったですね」

宮沢さんも大会の趣旨に大いに賛同した。

「人間の手や足でできないものをこれ以上作って何のためになるんでしょうか。こういう時代だからこそ、肉体の美しさ、素晴らしさに感動する。もうひとつの肉体の祭典パラリンピックで歌が歌えることを心から喜んでいます。大会には肉声で参加したい」

とはいえ、日本では先日もJOCがパラリンピック選手に五輪選手と同じユニホーム着用を許可しないなどというまったくの愚行が問題になったばかり。久石さんも「僕も含めて、まだ日本は障害者の人々との付き合いがうまくない。自分たちの生活から障害者を切り離して、自分たちのリズムを壊さないようにしている感じがある。日常生活の中で、共に生きる意識を持たなくては」と指摘する。アジアの雄大さを訴えるこの歌が、日本の障害者が置かれた状況改善に、少しでも寄与してくれるよう祈りたい。

(週刊ポスト 1997年9月19日号 より)

 

 

旅立ちの時 久石譲

 

 

 

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