連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第15回:「降りる!」—後編
「そんなことをするなら降りる!」
打ち合わせの席で、久石譲が叫んだのには理由があった。
第57回カンヌ国際映画祭で招待上映されるバスター・キートンの無声映画「キートン将軍」(1926年)に音楽を付ける試みのため、フランスの映画会社が送ってきたDVD映像と、実際に上映されるフィルムの長さが違うことが判明したのだ。
「やっと編曲が完成しようという矢先で、目の前が真っ暗になった」と久石は振り返る。
日本では映画をDVD化した際、映像の長さは変わらないが、ヨーロッパで作られたDVDは、映画よりも約4%スピードが速い。日本で採用されているNTSC方式と、ヨーロッパや中国で採用されているPAL方式の違いのために起こる現象だ。
映画のフィルムは、1秒間あたり24コマ。映画館でもっとも滑らかに動いて見えるために決められたコマ数で、世界標準となっている。対して、テレビの場合、数百本の走査線を連続して表示しているので、コマ数を増やさないと滑らかに見えない。
1秒間あたり30コマのNTSC方式では、フィルムと同じ速度を再現するために、調整が行われる。しかし、25コマのPAL方式は、フィルムのコマをそのまま当てはめるので、再生すると1秒間に1コマ分ずつ「早送り」されてしまう。
久石が渡された「キートン将軍」のDVDは、PAL方式。75分だと思っていた長さが、フィルム版では80分だったのだ。
このため、久石が準備していた“すべての動きに付き合う曲”をそのまま演奏すると、タイミングがずれてしまう。これでは、1コマ単位でタイミングを決め、丁寧に曲を作ってきた意味がない。
久石は、テンポが遅くして合わせることを求められたが、断固拒否。冒頭の「降りる!」という発言が飛び出したのだった。
「無声映画として完成した作品だったからこそ、音楽面で妥協したくなかった」──どんなに忙しくとも、過酷な条件でも、一度引き受けた仕事は決して手を抜きたくない。久石の意思は固かった。
PAL方式では、なぜフィルムと「別作品」になってしまうことを許容してきたのか。久石の拠点スタジオ「ワンダーステーション」のエンジニア浜田純伸は、こう話す。「ヨーロッパではまだまだ映画は映画館で見るものだという意識が強く、DVDを重要視していないのかも知れません」
議論の末、久石の要望どおり、カンヌでは75分版での上映が決定。予定通り編曲を完成させ、2004年4月10日、東京・早稲田の「アバコクリエイティブスタジオ」で録音に挑んだ。
久石とオーケストラは、2日間で22曲を録音。時間に追われていたものの、切迫した中で行われた演奏が、かえってキートンのせわしない動きと合った。無声映画であったことを忘れさせるほどの一体感だ。
コントロール・ルームでは、音楽に合わせたかのように転んだり走ったりするキートンの姿に、スタッフからも自然に笑みがこぼれていた。
「オーケストラのメンバーは、映像を見ずに演奏しているから、突然、別のフレーズが舞い込んだりする編曲に、不思議そうな顔をしていたよ」と久石は笑う。
無声映画である「キートン将軍」が、久石の音楽によってどう生まれ変わったのか。5月22日、久石の指揮によるライブ演奏で、すべてが明らかになる。(依田謙一)
(2004年4月22日 読売新聞)