Info. 2010/10/22 [ラジオ]「久石譲のLIFE is MUSIC」第2回 放送

2010年10月22日
久石譲のLIFE is MUSIC
毎週土曜20:30~放送中!

『久石譲のLIFE is MUSIC』、10月は「旅」をテーマにお送りしています。
第2回は、「アビーロード・スタジオで生まれた名曲たち」と題して、
昨年、今年とレコーディングしたアビーロード・スタジオの話と
そこから生まれた名曲をお送りしました。

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Info. 2010/10/15 [ラジオ]「久石譲のLIFE is MUSIC」第1回 放送

2010年10月15日
久石譲のLIFE is MUSIC
毎週土曜20:30~放送中!

今週から始まりました『久石譲のLIFE is MUSIC』、
10月は「旅」をテーマにお送りします。
1回目は、「イギリス〜水の旅」、昨年、今年とレコーディングで訪れた
ロンドンの話を中心にお送りしました。

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Info. 2010/10/23 [ラジオ] TBSラジオ「土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS」出演

番組名:土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS
放送日:2010年10月23日(土)朝5:30 –
放送局:TBSラジオ(954kHz)

今月23日、堀尾正明さんがパーソナリティをつとめる「土曜の朝イチエンタ。」に
久石がゲスト出演いたします!
ぜひ早起きをしてお聞きください♪

番組公式サイト>>

(久石譲オフィシャルサイト より)

 

Info. 2010/10/13 ベストアルバム「メロディフォニー」を発売 久石譲さんに聞く(読売新聞より)

久石譲 『メロディフォニー』

ベストアルバム「メロディフォニー」を発売 久石譲さんに聞く

音楽家の久石譲さんがアルバムCDを精力的にリリースしている。クラシック曲を指揮した「JOE HISAISHI CLASSICS」シリーズをはじめ、10月27日にはロンドン交響楽団を率いて録音したベストアルバム「メロディフォニー」を出す。(依田謙一) “Info. 2010/10/13 ベストアルバム「メロディフォニー」を発売 久石譲さんに聞く(読売新聞より)” の続きを読む

Info. 2010/09/14 [TV] フジテレビ系「笑っていいとも!」出演

明日、フジテレビ「笑っていいとも!」テレフォンショッキングに久石が出演することが決まりました!!
タモリさんとどんな楽しいトークを展開してくれるのでしょうか?
是非お見逃しなく!!

番組名:「笑っていいとも!」テレフォンショッキングコーナー
放送日時:9月14日(火)12:00~13:00

(久石譲オフィシャルサイト より)

 

Info. 2010/09/04 [TV] 日本テレビ 24時間テレビ「オーケストラ企画」 特番放送

番組名:「感動の舞台裏90日! 24時間テレビTOKIOと241人の大コンサート!!完全版」
放送日時:2010年9月4日(土)15:30~17:00
放送局:日本テレビ

先月29日に放送された日本テレビ「24時間テレビ」の大コンサート。
その舞台裏に密着したドキュメンタリー特別番組が放送。
音楽監督・指揮者として参加した久石譲も登場。

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Disc. 久石譲 『悪人 オリジナル・サウンドトラック』

久石譲 『悪人 オリジナル・サウンドトラック』

2010年9月1日 CD発売 SRCL-7360

 

2010年公開映画「悪人」
原作/吉田修一 監督/李相日 出演/妻夫木聡 深津絵里 他

 

 

INTERVIEW

事前に手の内を明かさないように、
ニュートラルな位置から映画を推進していきたかった。

-久石さんの音楽が、映画を観る手助けをしてくれていると感じました。特に、祐一に対して。なぜか、やさしい気持ちで祐一を見つめていられる。でも、簡単に救いを与えているわけではなくて。負担を軽減してくれるというか、高度な音楽作用だと思いました。

久石:
祐一は殺人者だけど、誰もがなりえてしまう。若くて、思い通りに生きられない、大勢いる人たちのなかのひとりでもある、でも、それを音楽が肯定してもいけない。やっぱり罪を犯しているわけですから。距離はとる。けれども、彼が持っている孤独感や共感できる部分は、この映画のメインテーマになるだろうと思いました。あまり饒舌にもならず、たえず揺れる祐一の気持ちとシンクロしていくために、同じ音階を繰り返すミニマルな曲調を選びました。

-映画と音楽の距離感が絶妙です。

久石:
気持ちを煽ってしまうと、すごく安っぽくなってしまうから。あと、難しかったのが、この映画は後半、群像劇になる。房枝にしても、佳男にしても、それぞれがシチュエーションのなかで自分を乗り越えていく。一方、(祐一と光代の)ふたりの主人公は、逃避行がはじまってから、ドラマがなくなる。でも、最後には、祐一のテーマをメインにした、少しメロディアスなふたりの愛のほうに焦点を絞っていったほうが結果、観る側はこの映画にストレートに入れる。あの夕陽を見て終わっていく瞬間に、「これはふたりのラブストーリーだったんだ」ということが明確になってくれれば、観やすくなるんじゃないかと。そこに神経を使いました。

-だから、あのラストが効くのだと思います。

久石:
ラストの曲は、救い、じゃないんです。レクイエムでもない。ある種の救済的なぬくもりはある-でも、あったかいわけじゃない-それがあることで音楽的な構造は非常に明確になるんじゃないかと思いました。

-あのラストが、いわば「到着」の感慨をもたらすのは、序盤で流れる音楽が、それこそ山道の急カーブを祐一が駆る車の走りのように、どこに連れて行かれるかわからない、あらゆる「予感」だけが乱れ絡み合うドライブ、つまり多様なファクターの集積になっているからだと思います。

久石:
ある種のサスペンス。どうなっていくの? というニュアンスは絶対必要。でも、メロディアスに「これはラブロマンスですよ」と伝えるのもまったくの嘘。悲劇性が強すぎても駄目。つまり、事前に手の内を明かすような真似をしたらいけない。たえず、何かが繰り返されている。気持ちが増幅されていくかもしれないし、不安も増強されていくかもしれない。どちらにもいない、ニュートラルな位置から映画を推進していきたかったんです。

-あの雑多な「予感」は、全体に流れていますね。

久石:
李(相日)監督も(あの曲を)すごく気に入ってくれて。結果、今回は、ギリギリまで無駄をはぶいた構成になりました。

-徹底された?

久石:
そうですね。日本映画でここまで(曲のトーンを)抑えて作ったのは久しぶりですね。自分としても、「いつもだったら、こうしてしまうな」というところも全部、抑えて抑えて作った。結果的に、いままでやったことのないかたちにチャレンジができました。たいていの場合、音楽は、ある部分の感情だけを刺激するのはものすごく得意。でも、(それが何か)はっきりとは言わないで、押し上げていくようなことは難しい。音楽はどうしても、色を決めてしまうのが速い。でも今回はそこを極力避けるようにしましたね。あとは、音楽が映像と共存しつつも、映像から一歩退いたところで支えていく。たぶん、映像と音楽が(ドンピシャと)ハマってる箇所は一個もない。唯一の笑顔であるラストカットへのアプローチもやはりそうです。

-音楽そのものの可能性を追求された結果、日本映画というより世界映画と呼ぶべき作品が完成したと思います。

久石:
最も重要なのはクリエイティヴィティ。とにかく徹底的に「ほんもの」を作る。それだけです。我々はもっと危機感を持つべき。たえず挑戦するべき。この映画は間違いなく、世界に向かって放つことができるレベルの作品になったと思います。

-最後に。『悪人』というタイトルをどう捉えましたか。

久石:
人間。そう解釈しました。

(取材・文/相田冬二)

Blog. 映画『悪人』(2010) 久石譲インタビュー 劇場用パンフレットより

 

 

 

映画『悪人』の音楽制作の模様を少しだけお届けします。2月末におこなった音楽打ち合わせの内容をもとに、2週間足らずで全曲ラフスケッチを書き終えた久石は、2回目の音楽打ち合わせに臨みました。しかし、そこで重大な問題に直面することになります。久石と、監督、そしてプロデューサー、三者の音楽に対する考え、イメージ、音楽のつける対象の方向性が微妙に違うのです。また、ラフスケッチをシンセサイザーでラフに創りこんだものを元に話し合いを進める方法をとったので、そのシンセサイザーの音源から、オーケストラで演奏しているものを想像するのが難しかったらしく、また、それが方向性のずれへと発展してしまったように今考えれば思えます。

いずれにせよ、この打ち合わせの翌日から、監督が毎日久石の元へ通うという、今までにおそらくなかった事態になりました。打ち合わせの次の日から久石、監督は久石のプリプロルームに揃ってこもり、久石がラフの音楽を書き、その音楽を予定の映像箇所にあててみて、それを監督と二人でその場で話し合い、また久石が微修正をかけ、仕上げる。監督は決して口数の多い方ではないのですが、ピンポイントで要望をいう、それに久石が応える。または、監督の要望とはさらに違ったアプローチで結果、監督の要望に応える。などというやり取りが、時間のなか張りつめた状況の中続きます。久石はもちろんのこと、監督も絶対妥協はしないので、双方納得、というところにたどり着くまでとてつもない時間と労力がかかります。そのような作業が連日深夜まで繰り返されました。

また、そのようなやりとりはレコーディング後も状況は変わらず続き、トラックダウンの微修正、主題歌のアレンジの方向性、主題歌の歌手選定など全てのことが紆余曲折。気がつけば通常の倍くらいの労力をかける結果となりました。

5月8日、最後のレコーディング及びトラックダウンが都内某スタジオで行われました。今回は、久石が描き下ろした主題歌「Your Story」を歌っていただくことになった福原美穂さんの歌入れと、そのトラックダウン。実は、この『悪人』プロジェクトでのトラックダウンはこれで3回目、ちなみに最初のレコーディングは3月16日に行われています。音楽打ち合わせのときから、完成まで相当難航することがおおよそ予測はできたのですが、久石の作曲、アレンジ期間を入れると、およそ3ヶ月。早いときは、映画1本の音楽を作曲からトラックダウンまでだいたい一月くらいでこなしてしまう久石にしては珍しいくらい、長期間を要したプロジェクトとなりました。

しかし、久石、監督共々、信念にもとづき最大限の労力を結集したため、時間がかかったわけで、映画(我々としては特に音楽)の出来は、前回作品『ウルルの森の物語』とは全く違う世界観で、とてもすばらしいものとなっています。二人の天才が、妥協することなく作り上げたことを考えると当たり前と言えば当たり前なのですが、本当にみごとな仕上がりになっています。

(映画『悪人』制作レポート ファンクラブ会報 JOE CLUB vol.13 2010.06 より)

 

 

 

今までの映画音楽とは違った新しい印象を受ける。壮大ともメロディアスともミニマルとも違う佇まい。もちろんそれらの要素がないわけではないが、そのどれもが全面には出ておらず主張していない。

楽器にしても、オーケストラやピアノに加えて、アコースティックギターや、少しシンセサイザーも使わている。おそらく製作過程で通常では稀なほど監督と密にコミュニケーションを図り、シーンごとの音楽や楽器まで監督と意見交換しながら作り上げられたからゆえだろう。

物悲しい音楽が並ぶようだが、ある種人間の深い感情から祈りまで、アンビエントのような感情の揺れを巧みに表現している。(16)の主題歌は福原美穂が担当。英語歌詞。(13)では同曲のヴォカリーズ・ヴァージョンとなっているがこれが名曲。ボーカルとアンビエントなシンセサイザー伴奏のみの包み込むような音楽。まさに祈りの曲、一寸の光が射しこむような希望の曲。

(6)ではこの主題歌をモチーフにアコースティックギターやチェロがメロディーを静かに奏でている。またもうひとつの主要テーマ曲といえる(1) (4) (11) (15)などでは、ピアノの儚くも静かなメロディーが流れるように響いている。

奥深く切ない音楽、深い感動をおぼえる。自身の映画音楽としても新境地を開拓したとも言える秀逸な作品。

別のCD作品「The Best of Cinema Music」では、『(11)Villain (映画『悪人』より)』が、フルオーケストラでのライブ音源で、約11分に及ぶ組曲として映画のストーリー展開に沿って構成されている。

 

 

 

久石譲 『悪人 オリジナル・サウンドトラック』

1.深更
2.焦燥
3.哀切
4.黎明
5.夢幻
6.彷徨
7.悪見
8.昏沈
9.侮蔑
10.何故
11.彼方
12.追憶
13.Your Story ~Vocalise~ (久石譲 × 福原美穂)
14.再生
15.黄昏
16.Your Story (久石譲 × 福原美穂)

All Music and Composed, Arranged and Produced by Joe Hisaishi

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by Tokyo New City Orchestra
Performed by Shinozaki Strings (M-13,16)
A.Guitar:Masayoshi FUrukawa
Piano:Ichiro Nagata (M-13,16)

Recorded at Sound City, Bunkamura Studio
Mixed at azabu-O Studio, Bunkamura Studio

 

Akunin

1.Shinkou
2.Shousou
3.Aisetsu
4.Reimei
5.Mugen
6.Houkou
7.Akken
8.Konchin
9.Bubetsu
10.Naze
11.Kanata
12.Tsuioku
13.Your Story – Vocalise –
14.Saissei
15.Tasogare
16.Your Story

 

Disc. 久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 2 』

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 2 』

2010年9月1日 CD発売 WRCT-2002

 

久石譲「クラシックス・シリーズ」第2弾

久石譲指揮 クラシックでありながら新しい!
作曲家ならではの”血の共感”なくしてはあり得ない
伝統にとらわれない新たなクラシックがここに生まれる…

 

 

久石さんのブラームスとモーツァルトの指揮に寄せて

昨年2009年の夏、シュトックハウゼン作曲「グルッペン」の演奏会場で久石さんの姿をお見かけした時は、本当にびっくりした。3群のオーケストラと3人の指揮者が同時に演奏する「グルッペン」は、いわば独墺系オーケストラ音楽の極北に位置するような作品で、欧米でも滅多に演奏されない。驚くべきことに、久石さんは35年前の「グルッペン」日本初演にも足を運んでいたのだった。かつてシュトックハウゼンをはじめとする現代音楽の先人たちと真剣に格闘し、今もなお、その情熱を保ち続けている”永遠の音楽学生”の興奮が、久石さんの表情から伝わってきた。

本盤に収録されたブラームス「交響曲第1番」の久石さんの指揮には、”ブラームスの先人との格闘”が、これ以上望むべくもない明瞭な姿で刻みこまれている。その”先人”とは、久石さん自身の楽曲解説にもあるようにベートーヴェンだ。ブラームスの第1楽章主部全体を貫く「タタタ」あるいは「タタタ・ター」という三連のリズム。これがベートーヴェンの「運命」の有名なリズムに由来することは言うまでもない。それを実証するため、久石さんはブラームスの代名詞というべき濃厚なロマンティシズムからやや距離を置き、ブラームスがスコアの中に散りばめた運命リズムを、ひとつの洩れもなく丁寧に叩いていく。ブラームスの演奏で、これほど運命リズムを強調した解釈も珍しい。その結果、ブラームスがいかにベートーヴェン流の作曲原理を咀嚼し、それを自らの養分としていったか、その格闘のドラマがヴィヴィッドに伝わってくる。こういう解釈は、作曲家ならではの”血の共感”なくしては不可能だろう。

モーツァルト「交響曲第40番」の演奏も、最初の一音から久石さんのコンセプトは明瞭だ。つまり、バス(低音)声部と内声部の強調である。モーツァルトが得意としたポリフォニー音楽は、西洋音楽の調性と和声進行の原理を最大限に利用したものだった。その土台となるのが、言うまでもなく和音の構成音である。それをしっかり認識しなくては、モーツァルトの本当の凄さがわからない。だから久石さんは、一点の曇りもなく、バス声部と内声部を堂々と鳴らしていく。「第40番」が、これほど巨大な建築物のように聞こえたことは、久しくなかったのではあるまいか。

かつてシュトックハウゼンがモーツァルトを演奏し、ブラームスがベートーヴェンの作曲技法を嘆賞したように、作曲家たちは常に先人たちの仕事を振り返り、自らの音楽を豊かにしていく新古典主義(ネオ・クラシシズム)の運動を繰り返してきた。久石さんも、実はそうした作曲家のひとりに他ならない。2009年に久石さんが初演した「シンフォニア~弦楽オーケストラのための~」の明快この上ない形式感は、明らかに久石さんの新古典主義的関心を示すものであった。そして今、久石さんは指揮者として、先人たちの偉大なクラシック作品と格闘する、壮大な”ネオ・クラシック”の冒険を始めようとしている。

前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)

(CDライナーノーツより)

 

 

【楽曲解説】

ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68

ブラームスはまさに地上の音楽である。例え天地創造を謳ったとしても、この北ドイツのハンブルクで生まれた天才の音楽には、悩み苦しみ希望に向かって生きていく、地に足をつけた人間の姿がそこにある。だからこそ人はその音楽に共感し感動するのではないだろうか。

交響曲第1番は構想から完成まで20年近い歳月を要した。1855年にシューマンの《マンフレッド》序曲を聴いて若きブラームスは大きな感銘を受け、自らも交響曲の構想を練りはじめた。ところが、第1楽章の原型が完成をみたのは1986年の夏のことであったという。その後も長い放置状態が続くが、1874年頃からようやく集中して作曲が進められるようになり、1876年ブラームスが43歳のときに全曲が完成した。

ブラームスがこれほど用心深く交響曲の作曲にあたったのは、ベートーヴェンを強く意識していたからに他ならない。第1楽章のハ短調に対して第2楽章は長三度上のホ長調、第3楽章は変イ長調、第4楽章はハ短調-ハ長調と、楽章が進むにつれて長三度ずつ上方へ進行し、終楽章において主調に戻っている。これはすでにベートーヴェンに見られたものであり、両端1・4楽章が長・短調の関係をもって明暗のコントラストを持つこともベートーヴェンの第5番(運命)に類似している。

だが、この第1番の初演のとき終楽章の主題がベートーヴェンの第9交響曲〈合唱付き〉と似ているという指摘に対してブラームスは「そんなことは驢馬(ろば)にだってわかる」と言ってのけている。つまりベートーヴェンの影響下にあることは織り込み済みの上で彼にはもっと大きな自信があったのだろう。実際リストやワーグナー派が主流になった当時のロマン派的風潮の中で、ブラームスはむしろ時代と逆行して形式を重んずるバロック音楽やベートーヴェンを手本として独自な世界を作っていった。本来持つロマン的な感性と思考としての論理性の葛藤の中で、ブラームスは誰も成し得なかった独自の交響曲を創作していったのである。

第1楽章は、序奏を持つソナタ形式。序奏では重厚なハーモニーがティンパニによって導かれ、全曲を統一する主要動機が次々に現れ緊迫感を高めていく。主部はアレグロ ハ短調 8分の6拍子。ヴァイオリンによるエネルギッシュな第1主題が提示され展開された後、第2主題が木管によって柔和に歌いだされ、激しく展開されていく。

第2楽章はアンダンテ・ソステヌート ホ長調 4分の3拍子で三部形式である。ヴァイオリンが美しい第1主題を提示するのだが、その背後にファゴットが同じテーマをユニゾンで演奏している。この辺りは北の大地ハンブルク生まれのブラームス特有の分厚いオーケストレーションの特徴となっている。その後オーボエが表情豊かに第2主題を奏でるのだが、第3部では同じ主題が独奏ヴァイオリンによって極めて印象的に演奏される。

第3楽章も三部形式で、ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ 変イ長調 4分の2拍子。第1主題はクラリネットで牧歌風に始まるのだが、10小節から成るこの主題は前半の5小節のフレーズがそのまま反転して後半の5小節を形成している。この辺りはブラームスのユーモアに満ちた遊びということだけでなく、論理的なこだわりという意味で細部まで徹底するのに十数年という歳月を要した原因ではないかと考える。中間部ではブラームスが生涯好んで用いた2つの動機が現れる。〈運命の動機〉が管楽器に現れ、弦楽器による〈死の動機〉がそれに応える。なおこの2つの動機はリズムの核として全編を通して登場する。

第4楽章、アダージョ ハ短調の序奏と、アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ ハ長調 4分の4拍子で展開部の無いソナタ形式。再現部で展開部を兼ねさせているのが大きな特徴だ。重々しい序奏とまるで嵐のような激しい弦のパッセージの後、ピウ・アンダンテ ハ長調の美しいアルペンホルン風の旋律は、ブラームスが愛するクララ・シューマンに贈った歌曲から引用されている。そして歓喜のコラールともいえる第1主題がヴァイオリンによって歌いだされ、様々な変奏の後、経過句的な第2主題が提示される。それと同時に音楽は熱を帯び、輝かしいクライマックスへと向かっていく。そしてこの「勝利のフィナーレ」が発想のすべてのもとであり、最初に構想されたのではないかと僕は考える。

初演は、1876年11月にカールスルーエの宮廷劇場でオットー・デッソフの指揮によって行われ、直後にはブラームスの指揮によりマンハイム、ミュンヘン、ウィーンでも演奏された。

 

モーツァルト/交響曲 第40番 ト短調 K.550

「モーツァルトの三大交響曲」と呼ばれる第39番から第41番までは、死の3年前にウィーンで書き上げられた。第39番が1788年の6月26日、続いてト短調の第40番が7月25日、第41番(ジュピター)が8月10日という驚くべき速さである。それぞれの交響曲が1ヶ月足らずで作曲され、そのうえこの3曲が音楽史に燦然と輝く不朽の名作なのだから畏れ入る。だが、どういった目的で作曲されたのか、つまり委嘱を受けて書いたのか、コンサートのためなのか自発的に書きたいから書いたのか(当時の状況からするとあり得ない)判明せず、実際に演奏されたのかでさえ疑わしいのである。

が、ト短調の第40番は演奏された確率が高い。その根拠は原曲にはクラリネットが入っていないのだが、改訂版には入っている。つまり何らかの必要に迫られて改訂されたのだから、用途(演奏)はあったということになる。

曲の美しさと完成度は人類が到達できる最高峰のものであることは間違いない。しかし、この名曲は同時に当時では考えられない調性の実験をしている。

第1楽章の展開部はなんと半音下の嬰ヘ短調から始まりさらに下降するという不安定な調性が続いていくのである。美しさと裏腹のこの不気味さがいっそうこの曲の神秘さを増している。

第2楽章は、まれに見る高雅で気品ある緩徐楽章である、と言われているがそれは表面だけ、これほど完璧な方程式のような無駄のない書法は、情緒的なものなど寄せ付けない厳しさがある。第3楽章のメヌエットは、ヴァイオリン群の強い2拍子系とヴィオラ・チェロ・コントラバスの3拍子系という上下2つの声部に分割され、対位法的な鋭い緊張とエネルギーをはらんで絡み合う。これに対してトリオ部では、なだらかな旋律が優しく歌いかわされるのだが、それが救いではある。

終楽章は、強弱対比の著しい第1主題で始まり激烈なパッセージが続き、一気に我々をデモーニッシュな世界へ連れて行く。ここでも展開部では刺激的な転調を重ねながら対位法的な声部の交差で劇的なクライマックスへと上り詰める。ブラームスが地上の音楽であるとするならば、モーツァルトはすべてを超越した、まさに天上の音楽である。

 

最後にこの2曲を指揮するにあたって、僕が考えたことはできるだけスコア(総譜)から読み取れる情報をそのまま再現すること、ブラームス、モーツァルトが作曲するにあたってどこに苦心したか、どう響いてほしいかを作曲家としての眼で読み取ることであった。だから、ドイツ的、ウィーン的なヨーロピアンな響きということには重きを置いていない。それはベルリンフィル、ウィーンフィルの演奏を聴いたほうがいい。常々考えることがある。我々、亜細亜人がクラシックを演奏するということは、そして少しでも価値があるとするならば、伝統にとらわれない自由な解釈(それもまっとうな)をする、あるいは徹底的に譜面を読み込み、別の視点で再構築することしかないのではないか。それが古典芸能ではなく、現代に通じるクラシック音楽のあり方ではないかと僕は考える。

久石譲

(【楽曲解説】 ~CDライナーノーツより)

 

 

「ブラームスの交響曲第1番。作曲家として譜面に思いを馳せると圧倒されて、自分の曲作りが止まってしまった。20年近くかけて作られただけあって実によく練られている。あらゆるパートが基本のモチーフと関係しながら進行していくのに、そのモチーフが非常に繊細で見落としやすく、読み込むのに相当な時間を要した。バーンスタインがマーラーに取り組むと3か月間は他のことができないと言っていたそうだけど、分かる気がした。その分、強い精神力が養われたけどね。ただ、あんまり突き詰めたもんだから、今度は多くの人に届くような曲がもう一度作れるだろうかという不安な気持ちも出てきた。芸術家は「自分はアーティストだ」と宣言した瞬間に成立するけど、エンターテインメントの世界でやっていくには、受け手の支持がないと始まらない。そういう時にたまたまSMAPの曲(「We are SMAP!」)を依頼されて、「遠慮せず行けるところまで行ってみよう」と振り切ることができたんだ。」

Info. 2010/10/13 ベストアルバム「メロディフォニー」を発売 久石譲さんに聞く(読売新聞より) 抜粋)

 

 

 

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 2 』

Brahms Symphony No.1 in C minor Op.68
ブラームス / 交響曲第1番 ハ短調 作品68
1. I. Un poco sostenuto-Allegro
2. II. Andante sostenuto
3. III. Un poco allegretto e grazioso
4. IV. Adagio-Più andante-Allegro non troppo, ma con brio
Mozart Symphony No.40 in G minor K.550
モーツァルト / 交響曲第40番 ト短調 K.550
5. I. Molto allegro
6. II. Andante
7. III. Menuetto:Allegretto
8. IV.Finale:Allegro assai

指揮:久石譲
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
録音:2010年2月16日 東京・サントリーホール

 

Info. 2010/08/28 [TV] 「24時間テレビ33・愛は地球を救う」 久石譲 コンサート出演

番組名:「24時間テレビ33・愛は地球を救う」
放送日時:8月28日(土)18:00~翌29日(日)20:54
放送局:日本テレビ

久石譲が、「24時間テレビ」のコンサート企画
「あの感動を再び!障害を乗り越え200人の大コンサート」企画に参加。

12年前の「24時間テレビ」で企画された、オーケストラコンサートが復活!
その当時の演奏メンバーや、メインパーソナリティを担当していたTOKIO、そして久石譲等が再び大集合。