Blog. 「週刊 司馬遼太郎 8」(2011) 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2016/10/28

週刊朝日MOOK「週刊 司馬遼太郎 8」に掲載された久石譲インタビューです。NHK『坂の上の雲』の音楽担当にまつわるエピソードになります。

 

 

3部はコーラスを入れた「救済の音楽」

私が司馬さんの作品を徹底的に読んだのは1996年ごろだと思います。宮崎駿監督が映画「もののけ姫」の構想をしていたときに、司馬さんと小説家・堀田善衞さんの話を私たちに盛んにしていた。宮崎さんは、これからの日本はどうなってしまうのか心配されていた。何か社会的に意味のある仕事をやりたいと考えていたのだと思います。

私は司馬さんの作品に何かヒントがあるかもしれないと、1年間で司馬さんの作品を60冊ぐらい読みました。その中でいちばん衝撃を受けたのは『坂の上の雲』でした。幕末から近代国家としての日本がどうやって這い上がってきたのかよくわかった。当時、帝政ロシアは世界から反感を買っていた。日本のような小さな国がロシアと戦争をやって勝つとは思っていなかった。それが軍資金もないのに言うべきことを言って戦った。海外のほとんどが日本を応援していた。ロシアの国内事情も重なって、たまたま勝った。それを日本は勘違いして、太平洋戦争にまで突入する。司馬さんも最初はその後のノモンハン事件なども描こうとしたと思いました。

-久石さんは、宮崎監督の映画作品の音楽担当でも有名。司馬さんは宮崎作品が好きで、亡くなる前年に本誌で対談をしている。

私がNHKの知り合いのディレクターから「坂の上の雲」の音楽担当を依頼されたのは、もうずいぶん前のことです。大好きな作品だし、ぜひやりたいと思った。2011年で放映3年目。司馬さんは他の作品にも通じますが、秋山好古、真之兄弟のように、本当のエリートではなく2番手3番手に光を当てるのがとてもうまいですね。最初の第1部は青春期、第3部は二◯三高地の戦いと日本海海戦と決まっていましたから、第2部は少し心配していたんですが、子規の死にポイントをあててうまくいった。渡辺謙さんのナレーションと、よく合っていました。番組の最後に流れるテーマ曲「スタンドアローン」は、第1部はサラ・ブライトマンのスキャット、第2部は森麻季さんの歌、第3部はコーラスを入れました。第3部は「救済の音楽」。希望の見える音楽をテーマにしています。

-久石さんは東日本大震災のチャリティーコンサートを東京、大阪、パリ、北京で行った。

コンサートの前に、実際に現場を訪れないといけないと思って、宮城県石巻など被災地を4ヵ所回りました。福島第一原発のメルトダウンでは、日本政府や東京電力がほとんど情報を公開せずに、世界からあきれられてしまいましたが、コンサートでは各地から支援の声が上がり感動しました。それにしても復興は遅れていますね。まだ瓦礫の処理は3割です。日本は規模は小さいのだから、それに合った生活をすればいいのに、原発をはじめ、さまざまなところで無理をして、便利さや快適さを求めた。その結果がこの事態です。こんな状況を司馬さんが見ていたら、どのように思うでしょうね。福島のあの豊かな土地が十数年は使えないと思うと悲しいですよ。

(「週刊 司馬遼太郎 8」より)

(初出:週刊朝日 2011年8月5日 増大号)

 

週刊朝日MOOK 週刊 司馬遼太郎 2011年10月7日 発売

公式サイト:朝日新聞出版 | 別冊・ムック 週刊 司馬遼太郎 8

 

 

映画「もののけ姫」(1997)製作時期に、司馬遼太郎の関連本を読みあさったエピソードは過去にも語られていましたね。

 

「いま子供たちに向けて何をテーマに作るべきなのかが見えて来ない」という発言もしています。そんなとき、宮崎さんの尊敬する作家、司馬遼太郎さん、堀田善衛さんとの鼎談が実現しました。その鼎談によって、宮崎さんは今後、作家として何をやるのか、見えてきた部分があったのではないでしょうか。実は、僕は司馬さんの本をあまり読んでいなかったので1年間で100冊近く読みました。『もののけ姫』の奥深いところに司馬さんの見方、考え方があるのでは、と思ったからです。

Blog. 「文藝春秋 2013年1月号」 久石譲、宮崎駿を語る より抜粋)

 

「もののけ姫」では、当時宮崎さんと司馬遼太郎さんの対談集が出版されたこともあり、1年間で『坂の上の雲』他ほぼすべての本を読破した。宮崎さんがこの映画に込めた思考の過程を少しでも知るための参考になれば、と考えたからだ。で、そのことを宮崎さんに話したら「そんなに読まなくてもいいですよ」と苦笑いされた。

Blog. 宮崎駿 × 高畑勲 × 鈴木敏夫、久石譲音楽を語る 『久石譲 in 武道館』より より抜粋)

 

 

ほとんどTVドラマの音楽を手がけることがなくなった久石譲が、なぜこの作品は引き受けたのか、またひとつの作品に携わるときの姿勢など、いろんな面が垣間見れるインタビュー内容です。

 

週刊 司馬遼太郎 8

 

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