Posted on 2019/09/16
雑誌「GOETHE ゲーテ 2013年7月号」に掲載された久石譲インタビューです。映画『奇跡のリンゴ』公開にあわせての内容になっています。
「24時間仕事バカ!」の熱狂人生 vol.48
作曲家:久石譲
『奇跡のリンゴ』から聞こえる旋律
追い詰められた先に必ずある、人の心を動かす仕事
1984年の『風の谷のナウシカ』以降、常に手がける作品のヒットを支えてきた男が、次に挑んだのは、極限状態に陥りながらも、世界で初めてリンゴの無農薬栽培を成功させた男を描く映画『奇跡のリンゴ』だ。本作の原作者である作家・石川拓治が、常に自分を追い詰めながら生みだすという久石の奇跡の旋律に迫る。
「だいたい映画のなかで音楽が流れるなんて嘘ですから。現実生活では、愛を語ったからって音楽は流れてくれないでしょう」
そう言って、彼は笑う。
「映画音楽は、つまり虚構中の虚構なんです。けれど、そもそも映画自体がフィクションなわけです。フィクションだからこそ真実を語れる。それが映画の面白さ。そういう意味ではもっとも映画的なのが映画音楽ともいえる。映画の構造自体が、音楽と密接に関わっている」
彼以外の人から、同じ話を聞いても、それほど納得はできなかったと思う。この人が言うからこそ、腑に落ちる。虚構なはずの彼の音楽に、幾度も、数え切れないくらい心を動かされてきたからだ。この人が音楽を担当した映画は、音楽の鳴っていない部分までが音楽的だ。
例えば今回彼が曲を書いた中村義洋監督の映画『奇跡のリンゴ』でも、阿部サダヲ演じる主人公が、悲惨な目に遭い続ける15分ほどの長い印象的な場面に、音楽がまったく入っていない。聞こえるのは登場人物の苦しげな息づかいや、慌てた足音だけ。映画である以上その足音も作りものなのだが、とてもそうとは思えない。妙な言い方だけれど、彼の美しい音楽が流れていないことが緊迫感を生み、真実と錯覚させるのだ。
そういう錯覚も、この人が音楽を担当した映画を観るひそかな喜びだ。長い息の詰まるような音楽的沈黙のあと、突然楽器が鳴る。ある時は頬を撫でる風のようにそっと、またある時は高らかなファンファーレのように誇らしげに。そして観客の感情は、激しく揺さぶられる。感動させられ、物思いに耽させられ、あるいは涙腺をゆるませられる。悔しいくらいに。
映画監督が映画の世界を創造する神だとしたら、彼はその世界に命を吹きこむ魔術師だ。
感動させようと思って、曲を書いたことはない
久石譲。世界にその名を知られた作曲家であり、指揮者にして、ピアニストである彼の経歴について、ここで繰り返し述べることはしない。今回のインタビューでは、どうしても聞きたいことがあった。
どうして、毎回あんなにも人の心を掴む音楽が作れるのだろう。1984年の宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』に始まり、北野武、滝田洋二郎、李相日、チアン・ウェンと、国内外の映画監督の作品のために、彼は音楽を書き続けてきた。
そのすべての音楽に感動させられた。どうしたら、そんな完璧な仕事ができるのか、人の心を動かす作品を作り続ける秘訣があるのだろうか。
「いや、感動させようなんて考えたことはありません。そこにきちんとした、本当の音楽を存在させたい、というだけの気持ちなんです。その映画に必要な音楽が、そこにきちんと存在してくれればいい。それだけを考えて曲を書いている。観客を泣かそうと思って曲を書いたことは一度もないです」
感覚や情緒で、作曲することはないという。そういうやり方では長続きしないからだ。
「ものを作る人間は、クリエイティヴであろうとすると、まず失敗するんです。自分の単純な好き嫌いとか、感情とか感性と呼ばれているような曖昧なものに頼ってはいけない。それではアイデアはすぐに枯渇してしまいます。そうではなく、できるだけ論理的に物事を考え、きちんと枠組みを捉える。今回の『奇跡のリンゴ』でも、これはどういう映画なのか、どういう音楽が必要かを、最初に徹底的に考えました」
中村義洋監督との仕事は初めてだった。打ち合わせは長時間に及んだらしい。
「驚いたことに、『どこに音楽を入れるべきか』という意見が僕と監督でほとんど完璧に一致したんです。映画音楽を深く理解している監督で、一緒に仕事をするのは楽しかった。だから僕も一所懸命にやってしまいましたよ(笑)」
そして最終的に、この映画には3つのテーマが必要だという結論に達したという。
「まず第一は、リンゴのテーマですね。人類が何千年にもわたって苦労して栽培してきた、普遍的な果物としてのリンゴのテーマ音楽。それからもうひとつはこの映画の主題である愛のテーマ。木村さんと奥さんの夫婦の愛、それを包みこむ愛のテーマが必要です。本来ならこのふたつで行きたかったんですが、映画の撮影現場を訪ねた時に、映画のモデルになった木村秋則さんというとんでもなく個性的な方に会ってしまったんです。それですぐに気づいた。この人にリンゴのテーマだけでは太刀打ちできないなと」
そして、生まれたのが木村秋則さんのテーマ音楽だった。
「たどりついたのは『津軽のラテン人』というコンセプトでした。マンドリンとウクレレと口琴というあり得ない編成で、木村さんの天真爛漫で明るい雰囲気を出せないかと考えたんです。それでちょっと奇妙でコミカルなテーマ音楽が生まれた。ただ、雰囲気で決めたわけではない。この映画にはどういう音楽が必要なのかを考え抜き、詰め将棋のように緻密に、必要な音楽を作って組み立てる作業のなかで、あのテーマもできあがっている。映画音楽は大変ですから、1本作り上げようとすると、魂を入れるような作業が必要なんです。だから、あまり本数をやるべきじゃないと思っているんですけど(笑)」
音楽とは本来、ピタゴラスを虜にしたほど論理的なのだ。にもかかわらず、映画音楽には確立した理論がないと嘆く。
「映画音楽にも、しっかりした論理を構築しなければいけないと思う。そのひとつが、状況外音楽と状況内音楽。先ほど話に出た、愛を告白すると流れる音楽は状況外音楽です。観客にしか聞こえない虚構の音楽。これに対して状況内音楽は、例えば映画の登場人物が弾くピアノの曲だったり、劇中の商店街の拡声器から流れてくる音楽だったり。登場人物にも聞こえている音楽。この両者を、映画音楽ではきちんと分けて考える必要がある。他にも対位法とか考えるべきいろんな手法がありますが、そういうことを体系的に説明した理論もなければ本も何もない。世界中のどこにもないんです。音楽は言葉では表現しづらいから、非常にムードに流されやすい。『このシーンにはこんな音楽つけたらかっこいいんじゃない?』というレベルで作っている。だから、映画音楽がジャンクフードになってしまっている。これが一番の問題ですね」
そういう理論を何も知らなくても、観客は映画を観て、その音楽が理にかなっているかどうかを無意識に感じる。久石さんの映画音楽が世界中で愛される理由も、おそらくはそこにあるはずだ。
「観客はそういう意味で非常に賢いと思います。いつの時代だって、生き残るのは本当にいい音楽です。いい音楽だけが選ばれていく。我々の仕事で必要なのは、その視点を絶対に失わないということです。その視点を失ったら、単に消費されるのみですから、いいものができない。それは映画音楽以外のものでも同じですよね」
クオリティを上げるには、努力し続けるしかない
平均すると、1年間に2作品の映画音楽を手がける。実際の作曲にかける期間は、ひとつの作品について1ヵ月くらい。曲を書き始めれば仕事は早い。ただし、書き始めるまでに可能な限り時間をかける。
「作曲の作業に入るまで、悩み続けます。撮影の現場に行ってみたり、本を読んだり。必ずしも映画に直接関係のある本だけとは限らない。作品について考えるのに必要だと思う本や資料を、片っ端から読みます。宮崎駿さんの映画の音楽を考えるのに、司馬遼太郎さんの本ばかり読んでいた時期もある」
周到に準備をして、考え抜いて仕事に取り組む。けれど、最終的に仕事の質を維持するのは努力の二文字しかないと語る。その言葉を、彼から聞くとは思わなかった。スマートで天才肌で、人知れず努力をしていようと、それを他人には見せないタイプだと思っていたのだが。
「結局、クオリティを上げるのは努力しかないんですよ。一にも努力、二にも努力。自分が納得するまで、これでいいと思うまでやり続けるしかない。それだけです。だから絶えず不安です。書けなくなるんじゃなうかとか、今回は本当にできるのかとか、いつも不安を抱えている。でも、そうするとどこかでアドレナリンがぶわっと出て、意欲が湧き上がってくれる。それで仕事をなんとか乗り切ってる。かっこいいことなんか何もない。いつもギリギリ。でも仕事って、そういうものじゃないですか。のた打ち回れば、のた打ち回っただけ少しはよくなるだろう。そう信じて、最後の最後まで粘り続けられるかどうか。それで作品の質は決まるのだと思う」
美しい音楽の数々が彼の苦闘の産物であると知って、身が引き締まる思いがした。
「今取りかかっているのは宮崎駿さんの新作『風立ちぬ』の音楽なんだけど、宮崎さんはよくあのプレッシャーのなかで生きているなと尊敬します。『風の谷のナウシカ』からここまで世界中の人が彼の映画を注視している。僕がその立場だったら、プレッシャーで潰されている」
そう言う久石さんも、『風の谷のナウシカ』以来完璧な音楽を作り続けている。彼こそ、プレッシャーに押し潰されそうになることはないのか。辞めたいと思ったことはないのか。
「それはあります。というかこれからの3作品の映画音楽(宮崎駿監督『風立ちぬ』、高畑勲監督『かぐや姫の物語』、2014年公開の山田洋次監督『小さいおうち』)の制作が終わったら、自分が本当にやりたいことを、もう一度見直したいと思っています。まず自分の作品を書きたい。それからクラシックの指揮。若い頃は現代音楽ばかりでクラシックは見向きもしなかった。でも指揮をするようになると、『新世界』くらい振れないとまずいと思うようになって。それで振ったら、素晴らしく奥が深いんです。今僕が一番燃えるのは、クラシックの指揮をしている時かもしれないですね。作曲の勉強にもなるし、これからは集中して取り組んでみたいと思っているんです」
Rules of Wisdom
常に危機感を持てばやがてアドレナリンとなって意欲に変わる
石橋を叩きすぎるくらい慎重でいい。自らが抱く危機感に追いこまれ、のた打ち回っていれば、仕事の質は上がる。
クリエイティヴであろうとするのではなく論理的に仕事を捉える
感性だけに頼っているとアイデアはすぐに枯渇する。論理的に考え、物事の枠組みを捉えようとすればイメージは広がる。
対象に寄り添いすぎず常に自分の頭で考える
音楽を担当する映像作品は基本は一度しか見ない。映像やストーリーにひっぱられることなくまず自分の頭で対象のことを考え捉える。
(ゲーテ GOETHE 2013年7月号 より)
久石さんと出会って、僕がうけた職業上のショック
映画『奇跡のリンゴ』監督・中村義洋
映画監督になって14年ですが、そのうち少しは楽できるようになるって思ってたんです。今まで毎作品、これが駄目なら次はないという危機感に追い立てられ、自分が納得するまで妥協せず何度でも脚本を書き直し、撮り直しをして映画作りをしてきました。でも、晩年まで素晴らしい映画を撮り続けた大島渚監督は一発OKで撮り直しをしなかった。クリント・イーストウッドはテストもしない。そういう名監督もいるわけで、自分も経験を重ねれば、もう少しは楽に映画が撮れる日が来るかもしれないと、淡い期待を抱いていた。でも久石さんと仕事をさせていただいて、それが甘い考えだと気づきました。久石さんの仕事があまりにも完璧なんです。例えば、音符がセリフにかからない。音楽がセリフにかぶって聞こえにくいから、セリフの音量を上げることがよくあるんだけど、久石さんの場合は1ヵ所たりともそれがない。音符のひとつもセリフにぶつからない。これは驚異です。そして、その音楽が身震いするくらい美しいんだから……。「これで完璧だと思ったら、それはもう完璧ではない。この世に完璧というものは存在しない。ただ、完璧を求める姿勢だけが存在する」という僕の好きな言葉があるんだけど、久石さんはその言葉を地で行く人でした。20歳年上の久石さんがそうなんですから。仕事が楽になることなんて、未来永劫あり得ないと悟りました。職業上のショックでしたね、これは(笑)。
(ゲーテ GOETHE 2013年7月号 より)