Blog. 「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1988年8月号」久石譲 『Piano Stories』紹介内容

Posted on 2019/07/01

音楽雑誌「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1988年8月号」に掲載された内容です。オリジナル・アルバム『Piano Stories』発売の紹介になっています。

 

 

自分の音楽の原点に戻りピアノでアルバムを作った

ZTTの本拠地サーム・ウェストと東京の大平スタジオでレコーディングされた久石譲のアルバムがリリースされた。タイトル通り、ほとんどの部分がピアノで演奏されているこの作品のコンセプトは、「フェアライト等を使ってサウンド・クリエイターとして仕事をしていると、そんなに良くない楽曲でもそれなりに聴かせられてしまう……それに自分としてもやや食傷気味だったし、音楽の”シン”の部分、原点にもどってみようと思った」ことで、シンプルなピアノの響きの美しさが印象的だ。このアルバムを聴きはじめて感じるのは”タッチの強さ”。アルバム中4曲はサーム・ウェストのMIDI付きベーゼンドルファー(MIDIは使用していない)を使用しており、このピアノは非常にタッチの重いものらしいのだが、彼は元来タッチの強いタイプで、ピアノやエレピをガタガタにしたこともあるそうだ。彼の「バルトークのようにピアノを打楽器としてとらえている」タッチは、友人から譲り受けた古いCPで養成されたという。「普通の人だとスケールを弾けないような重さの鍵盤で作曲をしていたら、自然にタッチが強くなった」そうで、メロディとしての表情を追求するためにも、もっとピアノを練習したいとのこと。アルバムで演奏されている曲は、「Wの悲劇」、「Laputa」、「Nausicaä」…などの、サントラ用に制作されたもので、”架空のサウンド・トラック”というイメージでそれらが集められ、再構成されている。これらサントラの曲は「台本を読んだときに6割ぐらいはできあがっている」そうで、「その映画のカット割りのテンポ感を読み間違えなければ、映像と音が対等でいられる」というのが彼のサウンドの秘密のひとつでは? ただし結果的に映像が浮かびやすい音楽にはなっているとしても、映像を浮かべて曲を書く姿勢はとったことはないそうで、「音楽は音楽だけで雄弁に物を語らなくてはいけない。映像がつなかいと持たないような音楽は音楽とは思っていない」と断言していた。いわゆるニュー・エイジ・ミュージックも、「主役のいない音楽のようで好きではない。もともとニュー・エイジというのは意味が違う……完全なヤッピーのための、ビタミン剤の横に置かれる音楽ということですからね」と否定的だ。彼のこのアルバムに聴かれる強烈なタッチは、あるいは彼のこうした姿勢を反映しているのかもしれない。

このアルバムは、IXIAレーベル第1弾としてリリースされる。このレーベルは、「日本に欠けている良質のポップス、家で聴ける音楽の提供」をテーマにしており、8月にリリースされるCDでは、彼のボーカル(!)も聴ける。「普通のポップスのラブ・ソングで、OLのお姉さんが聴いても”素敵ね”っていわれて、プロが聴くと実はものすごく高度なことやっている」という音楽を理想としたということで、これはかなり面白そうだ。この作品には多数のゲストもフィーチャーされ、ジャンルの枠を越えたものになりそう。彼の得意とする弦のアレンジも「意識的に欠けた部分を作り、全体のサウンドの中に入ったときに良く響くようにした」そうで、彼の従来の作品とも一味違うサウンドが期待できる。このレーベルからは、これからも「アッと驚くようなアーティストが登場します!」ということなので、こちらの方も期待したい。

(キーボード・マガジン Keyboard magazine 1988年8月号 より)

 

 

久石譲 『piano stories』

 

 

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