Blog. 「紅の豚 サウンドトラック」(LP・2020) 新ライナーノーツより

Posted on 2020/04/11

2020年3月11日、映画公開当時はLPでは発売されていなかった「魔女の宅急便」「紅の豚」の2作品のイメージアルバム、サウンドトラックに、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売されました。「魔女の宅急便」「紅の豚」各サウンドトラック盤には、前島秀国氏による新ライナーノーツが書き下ろされています。時間を経てとても具体的かつ貴重な解説になっています。

 

 

宮崎駿監督と久石譲の5本目のコラボレーション『紅の豚』の音楽は、それまでの4作品と同様、最初に久石が宮崎監督の音楽メモとイメージボードからインスピレーションを得てイメージアルバムを制作し、その後、改めて本編のサントラを作曲するという方法論で制作された。しかしながら、実際の制作過程では、それまでの4本の方法論には見られなかった2つの大きな要素が加わることで、スコア全体にユニークな特徴がもたらされた。ひとつは、ジャズという要素。もうひとつは、久石が制作した(映画と直接関係ない)オリジナル・ソロ・アルバムに宮崎監督が注目し、その収録曲をスコアの中に用いたという要素。そしてその2つは、本作の時代設定でもある1920年代という時代と密接に関わっている。

まず、イメージアルバムの段階で作曲され、本編にもそのまま登場することになったテーマとしては、《帰らざる日々》の原型にあたる《マルコとジーナのテーマ》(イメージアルバム)、《Flying boatmen》の原型にあたる《ダボハゼ》(イメージアルバム)、そして《ピッコロの女たち》の原型にあたる《ピッコロ社》(イメージアルバム)などがある。その中で最も重要な楽曲は、『紅の豚』のメインテーマとなった《帰らざる日々》、すなわち主人公の飛行士ポルコ・ロッソ(=マルコ・パゴット)とホテル経営者マダム・ジーナとの関係を表現したジャズ・ピアノのテーマだ。

オーケストラを駆使する映画音楽作曲家にして前衛的なミニマル・ミュージックの作曲家、というイメージが強い久石ではあるが、学生時代からマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、マル・ウォルドロンの音楽を愛聴していた久石は、実はジャズ的な語法を活かした音楽も得意としており、とりわけウォルドロンのピアノから受けた影響は非常に大きい。

『紅の豚』の物語は、1920年代のイタリア・アドリア海を舞台にしながら展開していく。当時は”ジャズ・エイジ”と呼ばれるほどジャズが隆盛を極めていたので、久石が主人公マルコとジーナを表すテーマをジャズ・ピアノで表現したのは、時代考証的にも理に適った選択だと言えるだろう。実際このテーマは、酒場のピアノが演奏するジャズという設定で、本編の中で初めて流れてくる。それが本盤に聴かれる《帰らざる日々》だ。

ただし、このテーマがジャズ・ピアノで書かれた理由は、それだけではない。

ジーナは戦死した夫の戦友でもあるポルコに想いを寄せ、ポルコも彼女の感情を気付いてはいるが、さまざまな要因によって、ふたりが一線を越えることはない。ふたりの関係を仮に”ロマンス”と呼ぶにしても、その”ロマンス”は決して成就することはない。少なくとも、それがポルコにとっての男の美学であり、彼のダンディな生き方でもある。

ある程度、名作映画をご覧になっているファンならば、そうした男のダンディズムの原型を『カサブランカ』でハンフリー・ボガートが演じた主人公に見出すことが出来るだろう(ポルコが着ているトレンチコートは、明らかにボガートを意識しているし、物語の最後、ポルコが17歳の設計技師フィオを”カタギの世界”に戻すシーンは、『カサブランカ』の有名なラストへのオマージュとみなすことも可能である)。そして『カサブランカ』と言えば、ジャズのスタンダード・ナンバーとしてもおなじみの主題歌《時の過ぎ行くままに(アズ・タイム・ゴーズ・バイ)》だ。

つまり《帰らざる日々》のジャズ・ピアノのテーマは、『カサブランカ』の映画的記憶を音楽で呼び覚ます役割も担っているのである。ただし久石は、このテーマを《時の過ぎ行くままに》風に書くのではなく、あくまでも宮崎監督の世界観に即しながら、彼らしい音楽、すなわち”久石メロディ”に基づくテーマとして書いてみせた。そこがこのテーマの素晴らしい点であり、ひいては『紅の豚』を『紅の豚』たらしめている最も重要なポイントと言っても過言ではない。

イメージアルバムから生まれた他の曲について簡単に触れておくと、空賊マンマユート団のテーマ《Flying boatmen》は、軍隊行進曲の一種のパロディとして書かれている。勇敢なようで、どこか間の抜けた空賊たちのキャラクターを巧みに表現した楽曲だ。ピッコロ社で働く女工たちの陽気なテーマ《ピッコロの女たち》は、途中からマンドリンが演奏に加わるが、その楽器の選択がイタリアという舞台設定を反映しているのは言うまでもない。

『紅の豚』のイメージアルバム制作とほぼ並行する形で、久石は自身のソロ・アルバム『My Lost City』を1992年2月にリリースした。当時久石が愛読していたF・スコット・フィッツジェラルドの作品にインスパイアされ、フィッツジェラルドが描いた1920年代、つまり”ジャズ・エイジ”の時代をテーマにした作品である(アルバム名もフィッツジェラルドのエッセイ集のタイトルに由来)。『紅の豚』も同様に1920年代を舞台にしているが、『My Lost City』の時代設定はあくまでもフィッツジェラルドに由来するものであって、決して『紅の豚』から着想したわけではない。にも拘らず、自分のソロ・アルバムと宮崎監督の最新作が偶然にも同じ時代を扱っていることに、久石は「とても運命的なものを感じた」という。

『My Lost City』リリース後、久石は完成したばかりの『紅の豚』のイメージアルバムと共に、自分の最近の音楽活動の例として『My Lost City』を宮崎監督に贈った。『My Lost City』を聴いた宮崎監督はその音楽を気に入ったばかりか、「あの曲が欲しい。全部『紅の豚』に欲しい」「イメージアルバムと『My Lost City』を取り替えてください」と自分の希望を久石に伝えた。ここから、『紅の豚』のサントラが大きな発展を遂げ始める。

物語中盤、ポルコは秘密警察から逃れるため、まだテスト飛行も終えていない飛行艇サボイアをアクロバティックに操縦し、ミラノの運河から離陸を試みる。そのシーンにまだ音楽が付いていなかった段階で、宮崎監督の提案により、『My Lost City』収録曲のひとつ《Madness》をテスト的に当てはめてみると、まるで初めからこのシーンのために書かれていたかのように映像と音楽が見事にハマり、スタッフ全員が驚嘆した。それが本盤に聴かれる《狂気 ー飛翔ー》である(サントラ収録に際しては、オリジナル音源に若干の編集が施されている)。

《狂気 ー飛翔ー》すなわち《Madness》は、ピアノ・ソロが正気の沙汰とは思えない(=Madness)速いパッセージを演奏する、一種のトッカータとして書かれている。なぜ久石がそのような音楽を書いたかと言えば、『My Lost City』制作当時、日本のバブル経済が達していた崩壊寸前の”狂乱”状態と、1929年の世界大恐慌直前まで人々が浮かれていたジャズ・エイジの”狂騒”が重なり合うのではないかと、アーティストとしての久石の本能が敏感に反応したからである。わかりやすく言えば、《Madness》は「こんな綱渡りみたいな曲芸に浮かれているなんて、日本のバブルは正気の沙汰じゃないよ」と警鐘を鳴らした音楽だ。その音楽が表現している”曲芸”の危うさを、宮崎監督は文字通りアクロバティックな飛行シーンのスリルに読み替えたのである。宮崎監督の眼識の鋭さ、久石の音楽に対する理解の深さが現れた一例と言えるだろう。

さらに『My Lost City』からはもう1曲、《1920~Age of Illusion》と題されたトラックが骨格となり、ポルコが空賊退治に出かけるオープニングシーンの楽曲《時代の風 ー人が人でいられた時ー》が生まれた。原曲にはなかった、激しく上行と下行を繰り返すミニマル風の音形を弦楽器が演奏することで、映画全体の要となる”飛翔感”が見事に表現されている。

この他、本編においては、フルートとマンドリンでイタリア的な情緒を表現したフィオのテーマ《Fio-Seventeen》、ポルコとフィオが飛行艇から見下ろす、アドリア海沿岸の牧歌的な風景をクラリネットのワルツで表現した《Friend》、ジーナの最初の夫ベルリーニが天空の雲に吸い込まれていく幻想的な光景をフェアライトの儚いシンセサイザーで表現した《失われた魂 ーLOST SPIRITー》など、いくつもの忘れ難い楽曲が登場する。しかしながら、基本的には先に述べた2つの要素、すなわちジャズと『My Lost City』という要素が、『紅の豚』を単なる飛行機アクションに終わらせず、映画としての深みをもたらすことに貢献した最大の音楽的要素ではないかと筆者は考えている。

本盤の最後には、本編でジーナの声を担当した歌手・加藤登紀子のヴォーカル曲が2曲収録されている。まず、先に触れた酒場のシーンで、ジーナが歌うシャンソンの《さくらんぼの実る頃》。パリ・コミューンの一員だったジャン=バティスト・クレマンが書いた詞に歌手アントワーヌ・ルナールが曲を付けたもので、クレマンはこの曲をコミューンの女性衛生部隊員に捧げた。クレマンの歌詞は、表面的にはさくらんぼの実る頃、つまり春に経験した恋煩いとその苦い結末を振り返った内容となっているが(ジーナもその歌詞に自分の心情を託している)、パリ・コミューン崩壊後、このシャンソンは”革命の挫折”という文脈でパリ市民たちに歌われるようになった。そしてエンドロールで流れる《時には昔の話を》は、1987年の加藤のアルバム『MY STORY/時には昔の話を』収録曲がオリジナル。偶然かもしれないが、歌詞の中にはスタジオジブリの社名の由来にもなった「熱い風」(イタリア語ではGhibli=ジブリ)という言葉が出てくる。

前島秀国 Hidekuni Maejima サウンド&ヴィジュアル・ライター
2020/1/10

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

紅の豚/サウンドトラック

品番:TJJA-10023
●主題歌「さくらんぼの実る頃」、エンディング・テーマ「時には昔の話を」歌:加藤登紀子
アコースティックなサウンドにこだわって約70名のフルオーケストラで録音。(初版1992.7.25)

SIDE-A
1. 時代の風 -人が人でいられた時-
2. MAMMAIUTO
3. Addio!
4. 帰らざる日々
5. セピア色の写真
6. セリビア行進曲
7. Flying boatmen
8. Doom-雲の罠-
9. Porco e Bella
10. Fio-Seventeen
11. ピッコロの女たち
12. Friend
13. Partner ship
SIDE-B
1. 狂気 -飛翔-
2. アドリアの海へ
3. 遠き時代を求めて
4. 荒野の一目惚れ
5. 夏の終わりに
6. 失われた魂-LOST SPIRIT-
7. Dog fight
8. Porco e Bella-Ending-
9. さくらんぼの実る頃
10. 時には昔の話を

音楽/久石譲
歌/加藤登紀子(SIDE-B M9 & M10)

 

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