Posted on 2022/02/27
TV番組情報誌「テレパル TeLePAL 1994年 6.25-7.8」に掲載された久石譲インタビューです。 NHK連続テレビ小説「ぴあの」とソロアルバム『地上の楽園』についての内容になっています。
ボクはもうヒットじゃ許されない。最低でも2塁打は打たなきゃ
日本映画の不振ぶりは、いまや話題にもならない。が、宮崎アニメや大林映画などここ10年ほどの日本映画の話題作の音楽をほぼ独占している久石譲は、ひとり気を吐く活躍ぶりだ。その彼が、NHKの朝の連続テレビ小説『ぴあの』の主題歌から劇中音楽までを手がけている。
インストゥルメンタルでも歌でも楽しい曲が理想です
日本映画界を代表する映画音楽作家・久石譲がNHK朝のテレビ小説『ぴあの』を手がけていることを知ったときは、新鮮な感動とともにほんのちょっぴり驚かされもした。
久石:
「いちばん驚いたのはボク自身じゃないですか。じつは以前、朝ドラの音楽を依頼されたことがあるんです。そのときは、朝8時台はボクにとって真夜中(笑)、見ることのできないドラマの音楽なんて付けられませんって(笑)、断ったんです。そのあとドリカムが主題歌をヒットさせ朝ドラの音楽が注目を集め出したでしょ、それからですね興味を持つようになったのは」
今回は主題歌込みのすべての劇中音楽を手がけてほしいと依頼され、「ムクムクとヤル気が出た」そうだ。
久石:
「でも最初はね、主題歌を創るつもりはなかったんです。ピアノソロで押し通すつもりだった。それがなにかの拍子にインストゥルメンタルでも歌でも楽しめる曲もイイなぁと思ったのね。たとえば『ティファニーで朝食を』の〈ムーンリバー〉みたいな曲ね。インストゥルメンタルでも歌でも楽しめる曲って音楽の中でももっともインパクトをあたえるものなのに、最近めっきり少なくなっているでしょ。これは挑戦しがいがあると思い直して詞を付けて主題歌を創ったわけなんです」
〈ニュー久石〉音楽の誕生!新アルバムで歌メロめざす
テレビは、映画のように、観客が入場料を払って、積極的にが、画面に向かってくれるわけではない。「半年間、毎朝聴いてもらって飽きない音楽」が『ぴあの』で「自分に課したテーマ」だったという。
久石:
「映画は脚本を読んで曲を考えることができますが、テレビの場合は脚本があるといってもせいぜい最初の2週分ぐらいでしょ。脚本の細部を読みながら曲を創ることはまず無理ですから、登場人物の性格設定や作り手の意図などを説明してもらい、そこから曲を構想するしかないんですね」
「ヘビーな仕事だった」と振り返る。
久石:
「最初の10週間は収録画を見ながら付けるんです。細かい場面の音まで付けますからね…月曜から土曜までの分、1回15分が6回、1時間30分でしょ。それが10週間。これはもう毎週1本ペースで映画に音を付けるのと変わらない。しばらくたってからです、あっこれテレビの仕事だったんだ、と思ったのは(笑)。ノリは映画のときの、それも大林宣彦組に就いたときのようで、もう修羅場でした」
『ぴあの』の久石音楽はちょっとしたディティールショットにまで付いている。「場面と場面のつなぎを計算してすみずみまでビシッと付けた」そうだ。『ぴあの』の音の量は最近のテレビドラマの中では群を抜いて多い。そんな超多忙をきわめた中、ソロアルバム『地上の楽園』のレコーディングも進めた。音楽家・久石譲は疲れを知らない。
久石:
「じつは3年前、今井美樹のアルバムのプロデュースが終わったあとロンドンのスタジオにこもって『地上の楽園』というコンセプトで何曲か創ったんですけど、どうも納得できない部分があってアルバム作りを中断したんです。あの時期は自分の中ではっきりと音への志向性が変わっていきつつあることが感じられて…一時期、ボクは完全にスランプに陥っていましたね。映画やテレビのスタッフワークの中からはいくらでもアイデアは出るんですけれど、ソロアルバムとなると自分の中にたまったものが勝負になる。それがあのときの自分には少なかった」
何年もつねに第一線を走ってきた。アメリカの作家フィッツジェラルドをテーマにしたソロアルバム『マイ・ロスト・シティ』で「やっとやりたいものができた」という手ごたえを感じた。ひとつの到達点を見た。次なるステップへ自分を持っていこうと意欲が出てきた。それで「壁にぶつかった」。幻と終わった最初の『地上の楽園』はその過渡期にあった。「なにかのきっかけがつかめれば…」という思いで東京、ロンドンを往復する生活が1年8か月続いた。そんな中から待望のソロアルバム『地上の楽園』はじょじょにスタイルを固めていった。『地上の楽園』は7割がボーカルナンバーで、まさに久石譲の〈変身〉を物語っているアルバムだ。
久石:
「器楽のメロディーアーティストとしては日本でナンバーワンになったという自負はあります。仕事の量も多く、映画でも大作が多くなって、周囲の人たちの自分に対する期待は単なるヒットでは許してくれないところまできたわけですよね。最低でも2塁打、できれば3塁打かホームラン。責任の重いところに自分はいるんだという認識で、そろそろ自分が変えなければならないものが出てくる…そう思い始めたとき、ボーカルのメロディーに積極的に取り組むことに気づいたんです」
器楽のメロディー作家からボーカルの歌メロ作家へ。「自分の中にあるリズムをもう一度見直す必要があった」ともいう。それで『地上の楽園』はまるまる3年を費やしてしまったのだ。『ぴあの』の主題歌創りとボーカル7割の『地上の楽園』制作。ふたつは密接に結びついた、〈ニュー久石〉音楽を創造する作業だったと言ってもいいだろう。
インストゥルメンタルでも、歌を付けても楽しめる、耳に残るメロディーが「究極の音楽」だという。そうした音に一歩でも近づくため「ボクが考えうる最高で完璧な音創り」をめざすのが今後の課題だともいう。
久石:
「歌メロをやっていく中で、これまでのインストゥルメンタルの活動がいかに重要だったか痛感させられましたね。というのも、たとえば歌詞で簡単に〈愛してる〉と歌うところをインストゥルメンタルだとかなり細かく、かつ量も豊富にメロディーを積み重ねて聴いてくれる人を説得するわけですよね。細かい音創りが求められるわけです。そうした経験がどんな内容の歌詞が乗ろうと十分に聴きごたえのある音創りに生かされる。ボクはつねづね日本でもデイヴィッド・フォスターやクインシー・ジョーンズのようなメロディー作家が出てくるべきだと思ってた。彼らは自分で作詞も演奏もしなくてもでき上がってきたアルバムには彼らの個性が貫かれている。ひとつにまとまったプロジェクトを組んでアルバム作りをしているからなんですけど、そうしたスタイルをボクは日本でも定着させたいんですよ」
『ぴあの サントラ1、2』『地上の楽園』は〈JOE’S PROJECT〉として発表される。いまの彼自身の個性を前面に押し出したアルバムだ。
久石:
「ただ歌メロはいい曲、いい歌詞、いい編曲がそろっても歌手に左右されたりもして、必ずしも耳に残るいい音楽になるとは限らない。奥深く難しい世界です」
と結ぶ。もちろん「それでも自信はありますよ」と会心の笑みは浮かんでいた。
(「テレパル TeLePAL 1994年 6.25-7.8」より)