Posted on 2014/08/28
「クラシックプレミアム」第16巻は、オペラの時代1 アリア集 です。
第21巻がオペラの時代2 序曲・間奏曲集 として登場予定です。ロッシーニ、ヴェルディからビゼー、プッチーニまで、19世紀半ばから20世紀初頭にかけて聴衆を熱狂させた名作オペラ。その極め付きのアリアを、パヴァロッティ、カレーラス、ドミンゴの3大テノールをはじめ、グルベローヴァやフレーニなど当代きっての名歌手たちの輝かしい歌声で。今号では収録された全16曲の各解説のみならず、歌詞対訳(イタリア語歌詞 / 日本語訳詞)がきれいに収められています。
【収録曲】
ヴェルディ
《リゴレット》より〈女心の歌〉
ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)
リッカルド・シャイー指揮 / ボローニャ市立歌劇場管弦楽団
《リゴレット》より〈慕わしい人の名は〉
エディタ・グルベローヴァ(ソプラノ)
ジュゼッペ・シノーポリ指揮 / サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団
《椿姫》より〈乾杯の歌〉
イレアナ・コトルバス(ソプラノ) / プラシド・ドミンゴ(テノール)
カルロス・クライバー指揮 / バイエルン国立管弦楽団 バイエルン国立歌劇場合唱団
《アイーダ》より〈清きアイーダ〉〈勝ちて帰れ〉
プラシド・ドミンゴ(テノール) / カーティア・リッチャレッリ(ソプラノ)
クラウディオ・アバド指揮 / ミラノ・スカラ座管弦楽団
ドニゼッティ
《愛の妙薬》より〈人知れぬ涙〉
ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)
リチャード・ボニング指揮 / イギリス室内管弦楽団
ロッシーニ
《セビリャの理髪師》より〈私は町の何でも屋〉
ドミトリー・ホロストフスキー(バリトン)
イオン・マリン指揮 / フィルハーモニア管弦楽団
ビゼー
《カルメン》より〈ハバネラ〉〈花の歌〉
アグネス・バルツァ(メゾ・ソプラノ) / ホセ・カレーラス(テノール)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 / パリ・オペラ座合唱団
《真珠採り》より〈耳に残るは君の歌声〉
プラシド・ドミンゴ(テノール)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 / ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団
プッチーニ
《トスカ》より〈歌に生き、恋に生き〉〈星は光りぬ〉
ミレッラ・フレーニ(ソプラノ) / プラシド・ドミンゴ(テノール)
ジュゼッペ・シノーポリ指揮 / フィルハーモニア管弦楽団
《蝶々夫人》より〈ある晴れた日に〉
ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)
ジュゼッペ・シノーポリ指揮 / フィルハーモニア管弦楽団
《ジャンニ・スキッキ》より〈私のお父さん〉
ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)
ロベルト・アバド指揮 / フェニーチェ歌劇場管弦楽団
《トゥーランドット》より〈誰も寝てはならぬ〉
プラシド・ドミンゴ(テノール)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 / ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ヴェルディ
《ナブッコ》より〈行け、わが思いよ、金色の翼に乗って〉
クラウディオ・アバド指揮 / ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団
「久石譲の音楽的日乗」第16回は、
「《広島の犠牲者に捧げる哀歌》を指揮する」
8月9日,10日開催コンサート「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2014」での演奏曲目でもあるペンデレツキ:《広島の犠牲者に捧げる哀歌》。この現代音楽の譜面について、そして、W.D.O.コンサートで選曲された経緯など、読み応え満点です。
一部抜粋してご紹介します。
「1960年に書かれたこの曲はまあ図形楽譜と言っていいと思うけれど、特殊奏法満載の弦楽器のみで演奏される。音楽を伝える、ということでの楽譜として興味深いので、今回はこの曲を取り上げる。」
「冒頭から黒塗りの三角形印が各パートに現れ、それに線が右にずっと続いている。これは一番高い音をずっと弾き延ばすということだ。次に現代アートを思わせる図形が現れ(これが特殊奏法)打楽器のような音やおもちゃ箱をひっくり返したような変わった音がしたかと思うと、今度は黒く塗りつぶされた太めの線が現れ、突然たんこぶのように大きく盛り上がり、また線に戻っていく。弦の各パートがそれを繰り返すのだが、これはいわゆるトーン・クラスターといって、ある音域を半音の半分のピッチまですべて埋め尽くす不協和音の何とも強烈な音のする書き方なのだ。以後もずっと左向き三角形などが続いていて、視覚的に実におもしろいと思うが演奏するのは大変だ。ただ意外に音の指定ということではしっかり書いてあり、音価(音の長さ)に対しては不確定だが、後半にはそれも書いてあるところが出てくる。本人はそれを電子音楽の制作で学んだと言っている。僕は大学時代にその譜面の一部を観たことがあり、前衛的な書き方に大きく共感したが、いざ自分で演奏することになった今、少ないリハーサルで団員にいかに効率よく伝えるか、それと作曲家が振るということで、より高い解釈を求められるのではないか?などとどうでもいいことを考えてしまう。経験を積むということは良いことばかりではない。」
「この曲は8月に3年ぶりに新日本フィルハーモニー交響楽団と行う「ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)」で演奏することになっている。おかげさまでというべきかチケットは発売5分で2回分4000枚が完売したそうだ。ありがたいと思っている。だが同時に発売した9月のミュージック・フューチャー Vol.1は現代の音楽のせいか500の席が売り切れない。まことに観客は正直である。日本初演の曲も多く、まさに現代を知るには本当におもしろいと思うのだけれど……今日の音楽、未来につながる音楽を伝える道は厳しい。」
「話を戻して今年のW.D.O.はノルマンディー上陸70周年、来年は戦後70周年と、ともすれば忘れがちな戦争の傷跡をこの平和ボケした国で、そうしてまたまたきな臭くなってきたこの国で、もう一度しっかり考えたいということで鎮魂というテーマのコーナーを設けた。このコーナーでは他にバッハの《G線上のアリア》、僕の《私は貝になりたい》という曲を選んだ。その音楽的意図は強力な不協和音のペンデレツキから天国のようなバッハの曲に繋がるとき、どんな化学変化が起きるか?つまり曲の順番によってそれぞれの曲の意味が変わってくるのでそれがどうなるか?恣意的な目論みは全くないので実際のコンサートで体感することを楽しみにしている。他の曲はまあ自分の映画音楽が中心なので、交響曲を振るほど勉強しないでいいかと高をくくっていたのだが、この曲があるせいで何だか大変になってしまった。」
現代音楽の図形楽譜の話から、W.D.O.コンサートの構成とプログラム、はたまたチケット売れ行き状況の裏話まで。とても濃いエッセイ内容でした。
「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2014」に関しては、いろいろな情報をお伝えしていますので、BlogやInformationをご覧いただくか、検索窓で『W.D.O. 2014』などで検索してみてください。たくさんの記事がHitすると思います。