Blog. 「久石譲 第九スペシャル」 コンサート・パンフレットより

Posted 2014/12/28

いよいよ2014年12月31日大晦日のジルベスター・コンサートに向けてカウントダウンが始まりました。

先日は、前回のジルベスター・コンサートの内容、「ジルベスター・コンサート2011」について詳細を紐解きました。このときから今年2014年は3年ぶりのジルベスター・コンサート開催となります。

さて、今回は、昨年2013年師走にコンサート開催された「久石譲 第九スペシャル」についてです。

 

 

久石譲 第九スペシャル

[公演期間]
2013/12/13,22

[公演回数]
2公演 東京・NHKホール / 大阪 フェスティバルホール

[編成]
(東京)
指揮:久石譲
管弦楽:読売日本交響楽団
ソプラノ:林正子 メゾソプラノ:谷口睦美 テノール:村上敏明 バス:妻屋秀和
オルガン:ジャン=フィリップ・メルカールト
バラライカ/マンドリン:青山忠 バヤン/アコーディオン:水野弘文 ギター:天野清継
合唱:栗友会と一般公募による

(大阪)
指揮:久石譲
管弦楽:日本センチュリー交響楽団
ソプラノ:林正子 メゾソプラノ:谷口睦美 テノール:村上敏明 バス:妻屋秀和
オルガン:土橋薫
ギター:千代正行 バラライカ/マンドリン:和智秀樹 アコーディオン:都丸智栄(ザッハトルテ)
合唱:大阪センチュリー合唱団 大阪音楽大学合唱団 ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団

[曲目]
久石譲:「Orbis」 ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための~
久石譲:バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための『風立ちぬ』 小組曲
久石譲:『かぐや姫の物語』より 「飛翔」
ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

(アンコール曲なし)

 

 

日本では年末に聴かれるクラシック音楽の定番である「第九」。この交響曲最高傑作とも言われる名曲と久石譲の2013年を代表する2作品、そしてベートーヴェン「第九」に捧げる序曲として書かれた自作曲「Orbis」です。

ここでは当日会場で配布されたコンサート・プログラムより、久石譲自身による楽曲解説および楽曲への想いを紹介します。

 

 

久石譲 《第九スペシャル》を語る

「僕の曲より、《第九》なら振りたい」
コンサートの依頼を受けたとき、何気なく言った言葉が、こんな大きな規模で実現し、その反響に驚いています(笑)。心してこのコンサートに臨みますが、その前に、曲の紹介および作曲家として考えたことを、少しお話します。

「Orbis」 ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための~

曲名はラテン語で”環”や”繋がり”を意味します。2007年の「サントリー1万人の第九」のために作曲した序曲で、サントリーホールのパイプオルガンと大阪城ホールを二元中継で”繋ぐ”という発想から生まれました。祝典序曲的な華やかな性格と、水面に落ちた水滴が波紋の”環”を広げていくようなイメージを意識しながら作曲しています。歌詞に関しては、ベートーヴェンの《第九》と同じように、いくつかのキーワードとなる言葉を配置し、その言葉の持つアクセントが音楽的要素として器楽の中でどこまで利用できるか、という点に比重を置きました。”声楽曲”のように歌詞の意味内容を深く追求していく音楽とは異なります。言葉として選んだ「レティーシア/歓喜」や「パラディウス/天国」といったラテン語は、結果的にベートーヴェンが《第九》のために選んだ歌詞と近い内容になっていますね。作曲の発想としては、音楽をフレーズごとに組み立てていくのではなく、拍が1拍ずつズレていくミニマル・ミュージックの手法を用いているので、演奏が大変難しい作品です。

「Orbis」ラテン語のキーワード

・Orbis = 環 ・Laetitia = 喜び ・Anima = 魂 ・Sonus, Sonitus =音 ・Paradisus = 天国
・Jubilatio = 歓喜 ・Sol = 太陽 ・Rosa = 薔薇 ・Aqua = 水 ・Caritas, Fraternitatis = 兄弟愛
・Mundus = 世界 ・Victoria = 勝利 ・Amicus = 友人

 

バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための『風立ちぬ』 小組曲

本編で使用されたサウンドトラックを出来るだけ忠実に再現しながら、物語の順序に沿って演奏会用の楽曲として構成し直したものです。オーケストラに加えて、バラライカ、バヤン(ロシカのアコーディオン)、ギターなど、映画で用いた楽器をそのまま使用します。キャッチコピーの「生きねば。」が端的に示しているように、人間は何があっても強く生きていかなければならない、というのが『風立ちぬ』の最も重要なテーマだと思います。

 

『かぐや姫の物語』より 「飛翔」

現在公開中の『かぐや姫の物語』からは、本編の中で重要な「飛翔」の場面の音楽を中心に構成しました。かぐや姫という主人公は、月の世界にいる間は人間的な喜怒哀楽も知らず、完全な幸せの中で暮らしている存在です。その彼女が地上に下り、さまざまな人間の感情を経験し、再び月の世界に戻っていく時に、やはり彼女はそのまま地上にとどまっていたいと感じた。つまり、人間というのは日々悩み、苦しむ存在なのですが、それでもやはり生きるに値する価値がある。そのようなことを『かぐや姫の物語』からは強く感じます。

 

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

作曲家という視点から楽譜を見ると、《第九》という作品は各楽章で用いられている要素が非常に少ない。つまり、ベートーヴェンは必要最小限の素材だけで作曲しています。しかも、個々の楽章の長さが比較的に長い。その結果、演奏する側も聴く側も、ある程度の”忍耐”を要求する作品となっています。厳選された素材しか音楽に使わない。無駄なものは用いない。聴きやすい音楽を作るというよりは、感情に流されない理想的な音楽の形(フォーム)を追求するという晩年のベートーヴェンの姿勢が、如実に出ています。

まず、第1楽章ほどソナタ形式のあるべき姿、理想的なフォームをこれほど見事に作り上げた楽章は他にないと言ってよいでしょう。冷静に楽譜を読むと、彼がそのフォームの段取りをきっちりと組み立てていった苦労や格闘の跡がはっきりと見えてきます。

第2楽章は、スケルツォ-トリオ-スケルツォという構成になっていて、スケルツォの部分がソナタ形式(提示部-展開部-再現部)の形をとっています。ベートーヴェンは中間部のトリオの後、スケルツォの部分をそっくりそのまま繰り返していますが、それまでの彼の作曲ならば、同じ音楽をダ・カーポのようにそのまま繰り返してしまう手法は採らなかったはずです。その理由が「厳選された素材を用いているのだから、同じことを繰り返してよいのだ」という”遠観”によるものなのか、あるいは別の理由によるものなのか、いろいろなことを私たちに考えさせる音楽です。

第3楽章は、およそ作曲家が到達し得る最高水準の音楽に仕上がっています。冒頭の美しい旋律が何度も分断しながらエコーのようにリフレインし、それが弦楽器から木管楽器へと受け渡されていくことで、単純に”きれいな旋律”だけでは終わらない、非常に内省的な音楽が作り上げられていく。そこに、作曲家としてのベートーヴェンの技法の粋がすべて詰まっています。我々がどんなに試みても絶対に到達できないような”神の領域”に近い音楽。人類が音楽によってここまで到達し得た、という意味も含めて偉大な楽章です。

第4楽章は、これまで彼が作曲してきた交響曲から見てみると、合唱という”声”の導入が明らかに異質です。しかし、先に触れたような、必要最小限の要素だけで音楽を組み立てていくという発想が、実は第4楽章にも受け継がれています。基本的には「Freude, Schoner Gotterfunken 喜び! 神の天国の乙女たち!」という有名な「歓喜の歌」の旋律と、男声合唱が「Seid umschiungen Millionen! 抱き合おう!  幾百万の人々よ!」と歌う旋律と、この2つのメロディだけでどこまで変奏曲を書き上げていくことが出来るか。そうした発想は、実は先行する3つの楽章と同じです。

歌詞を見ると、ベートーヴェンは、シラーの長大な原詩から冒頭の部分だけを抜粋して使っています。つまり、シラーの詩の意味内容を音楽で伝えようとしているのではない。逆に見ると、ベートーヴェンは自分の中に響いてくる言葉だけを、シラーの中から選び取ったということです。おそらくベートーヴェンはオーケストラの楽器だけでは表現できない要素を”声”を導入することによって解決し、《第九》を締め括ろうとしたのではないか。それが、僕の考えです。

ベートーヴェン自身の性格を踏まえて考えると、《第九》は”苦悩から歓喜へ”あるいは”闘争から勝利へ”という、彼らしい図式を持つ作品です。その意味では《運命》と同じなのですが、作曲時の彼の年齢や境遇を考えると、《運命》のような闘争的音楽と見るべきではないし、単なる”歓喜の歌”と捉えるのも違うと思います。

人間が日々感じている喜びは、単純な嬉しさにとどまらない部分があります。「辛かったけれど、努力して続けてきて良かった」と思うような、ジワっと伝わってくる喜びから全身の細胞が波打つような興奮した喜びまで様々です。たとえ”喜び”の大半が”苦しみ”や”辛さ”を占めているのだとしても、それでも人間は生きるに値する。人類に対しての深い愛、それが、おそらく晩年を迎えた老作曲家・ベートーヴェンが《第九》え伝えようとしている”歓喜”の意味ではないか。そこに、日本人が《第九》をこよなく愛する大きな理由のひとつがあると思います。

今晩のコンサートをお聴きいただく皆様が、4曲の演奏を通じて”生きる勇気”のようなものを感じ取っていただければ、と願っております。

聞き手・構成:前島秀国

(「久石譲 第九スペシャル」コンサート・プログラム より)

 

 

コンサート・プログラム(配布)、コンサート・パンフレット(販売)によって、当日演奏される作品の詳細が解説されているのはとても有意義です。しかも作曲家・演奏家・指揮者である久石譲の言葉によって。

もちろん音楽を聴いてそこから伝わってくるものまたはどう受け止めるかは聴き手に委ねられるわけですが、それでも大変貴重な手引きとなります。なぜこの曲を取り上げるのか?どういう解釈でどういう表現方法を試みようとしているのか?などなど、聴き流すにはもったいない気持ちにさせられ、開演前にこれを熟読して臨めば、姿勢を正して聴くモードになるでしょう。

そしてコンサート後はそんな言葉たちを片手に、まだ記憶に新しい会場で感動した音楽たちの余韻にひたることができます。

 

 

久石譲は、ベートーヴェン「第九」に関して、過去のコンサートインタビューや雑誌取材でも語っています。興味のある方はどうぞ。

こちら ⇒ Blog. 「クラシック プレミアム 12 ~モーツァルト3~」(CDマガジン) レビュー

こちら ⇒ Blog. 「考える人 2014年秋号」(新潮社) 久石譲インタビュー内容

 

 

さて、2013年師走の「久石譲 第九スペシャル」から1年。今年のプログラムには、同じ演目ではありますが、1年を経て進化した、『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』の一大組曲をそれぞれ聴くことができます。

「久石譲 ジルベスターコンサート 2014 in festival hall」

こちら ⇒ Info. 2014/12/31 「久石譲 ジルベスターコンサート 2014 in festival hall」(大阪)

今年は、この2作品を核にしたコンサート活動およびCDリリースだった、と言っても過言ではないでしょう。そのあたりの1年間を総括した経緯と考察は、結構なボリュームでまとめていますので、興味があれば見てください。

こちら ⇒ Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができるまで -まとめ-

こちら ⇒ Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができてから -方向性-

 

 

物事の終わりは、同時に物事の始まりでもあります。2014年の久石譲の集大成は、2015年の久石譲の幕開けです。

第九スペシャル

 

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