Blog. 「キネマ旬報 1987年12月上旬号 No.963」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/1/30

遡ること約30年前。

映画雑誌「キネマ旬報 1987年12月上旬号 No.963」表紙からもわかるように、洋画でいえば『バトルランナー』や『スーパーマン4』の時代。邦画でいえば『私をスキーに連れてって』や『ビー・バップ・ハイスクール』。

そんな時代の久石譲インタビューです。久石譲音楽活動でいうと『風の谷のナウシカ』から『となりのトトロ』まで。邦画では『Wの悲劇』 『めぞん一刻』 『恋人たちの時刻』 『漂流教室』など。

 

ディスコグラフィーではこのあたりです。
Discography 1980-

 

インタビューでも映画名などが登場しますのでわかるかと思います。今となっては大変貴重な年代物インタビュー内容となります。見開き4ページに及ぶロングインタビュー。当時の映画業界、映画音楽業界、そして久石譲のスタイル。いろいろな歴史が垣間見れる内容になっています。

 

 

スペシャル・インタビュー 久石譲
つねにスペシャル・ブランドでありたい

一度、話を聞いてみたかった。
日本映画から〈映画音楽〉がほとんど忘れ去られようとしていたとき、この人の旋律が、再び映画の中の〈音〉の必要性を主張した気がする。というのも、この〈久石メロディ〉は、旋律が映画そのもののある部分を語る、という、本来の、由緒正しい映画音楽のあり方を提示しているように思うからだ(もちろん、〈音〉に優れて理解を示す映画監督との出会いがあったことを見逃すわけにはいかない)。

映画各賞の〈映画音楽〉部門の立ち遅れ(このことが映画音楽が公に認知されない最大のネックになっている!)、音楽製作費のロゥ・バジェット化……そうした、厳しい現実の中で〈音〉に何を託し、何を伝えようとするのか? あれこれと聞いてみた。

 

●映画音楽は、もっと格調のある分野

-映画音楽の道に進むようになったきっかけは?

久石:
「父親が大の映画好きだったので、幼稚園時代から、かなりの量の作品を見ていたんです(笑)。日本映画の全盛時代でしたから、週替りで三本立て、五社ともちゃんとやってましたからね。たいへんな量を見ました。親父が高校の教師をやってまして、当時高校生は映画を見てはいけない!というムードがあったらしく、親父は他の先生の分まで見回りと称しては僕を連れて見に行ったんです(笑)。月24本ぐらいは軽く見てましたね。そんな生活が、3~4年は続きました。たぶん、その体験が原点になっているんじゃないですか」

1950年生まれ。5歳からバイオリンを習い、国立音楽大学の作曲科を卒業。在学中、アメリカのフィリップ・グラスらによるミニマル・ミュージックに大きな影響を受け、作曲活動に入る。卒業したその年、テレビ「はじめ人間ギャートルズ」(74年)の音楽を担当。注目を集める。翌年には日本フィルハーモニーのコンサートのために、数かずの映画音楽の名曲をオーケストラ用に編曲した(自作フィルモグラフィーは別項を参照)。

大学の先輩に黒澤映画で知られる佐藤勝氏がいる。氏に就いて何本か手がける一方、ドキュメンタリー映画の音楽も数本、担当している。「現場でのキャリアはそうとうなもんですよ」と言う。

-〈映画音楽〉って、わりとポピュラー・ラインの世界だと思うのですが……

久石:
「本来はポピュラーの領域ですけど、基本はやはりクラシックに属しますね。クラシックの書き方ができないと、映画音楽はできません。ベース、ドラム、ギター、ピアノがあって、メロディがあって……ということでしか音楽を考えられない人は〈歌〉は書けるけど、映画音楽は絶対書けないでしょうね。理想はポップスを良くわかっていて、いちばん新しい感性を持ちつつ、クラシックの技術をキッチリ身につけていることですよ」

-最も影響を受けた作品は?

久石:
「なんでも好きになってしまうから、かなりむずかしい質問ですね(笑)。映像的に影響を受けているものと、音楽的に影響されたものとはぜんぜん別ですからね……『サテリコン』や『王女メディア』だっていいと思うし、『スター・ウォーズ』だって素晴らしいしね。小津さんの映画にだって、のめり込んでしまうし(笑)。こだわらないで、いかに自由にいられるか……そのことのほうが大切だと思う」

-久石さんというと、すぐに思い浮かぶのが『風の谷のナウシカ』なわけですが、どういういきさつで担当するようになったのですか?

久石:
「ドキュメンタリーやテレビなどをこなしてきて、一時欲求不満に陥ったんです。劇伴録りって、短時間で仕上げなければならないし、録音はモノラルでしょ。完成度を求めるのがむずかしくなって、それで欲求不満になった。そのため仕事の質をレコードのほうに切り替えたんです。映画と少し距離をおいたわけです。ですから、久しぶりに手がけたのが、あの『風の谷のナウシカ』だった。映画に入る前にイメージ・アルバムというものを作り、その中から宮崎監督が各場面に合うようにチョイスしていったわけです」

-そのイメージ・アルバムは、久石さんが、原作からイメージしたモティーフを、自由にふくらまして作ったものですか?

久石:
「その通りです。ただ、何とかのテーマという風に作ったものが、宮崎監督の希望で他の場面に使われましたけど、基本的には映画もイメージ・アルバムのままです」

-宮崎監督とは、とくに綿密な打合せを持ったわけですか?

久石:
「初めての経験といっていいぐらい、そりゃもう細かかったですね(笑)。二日二晩続けて、ああでもない、こうでもない、と話し合いましたよ。こんなに細かいことをやっている人はいないんじゃないか、と思ってきたほどですからね。自分で自分に感動しちゃいました(笑)」

-『風の谷のナウシカ』のあと、澤井監督の『Wの悲劇』を担当しましたね。『風の谷のナウシカ』とはかなり違う音楽世界のように思うのですが?

久石:
「そうですか、僕は逆に『風の谷のナウシカ』と同じように仕上げたつもりですけど……僕のメロディ・ラインはイギリスのフォーク・ソングっぽい、アイルランド民謡を含めて。それが僕の音楽の原点なんです。そういう意味で、『Wの悲劇』のテーマも、『風の谷のナウシカ』のテーマもまったく同じモードなんですよ」

-『Wの悲劇』の中で、薬師丸ひろ子がアパートに帰ってきて、カレンダーに◯をつける場面がありますね。あのあたりからピアノの独奏曲が展開されていく……

久石:
「僕自身、あの場面が好きだったので、どうしてもピアノ・ソロでやりたかった。ご存じのように、『風の谷のナウシカ』のテーマもピアノ独奏で入っています。できるだけ僕自身のスタイルを変えない方向で、『Wの悲劇』の音楽を作ったわけです。というのは、日本の映画音楽をやられる方って、スーパー・マーケット的な考え方をするでしょ。あれもできる、これもできるっていうのが、いいと思っている。こう言っちゃなんですけど、古い方って、みんなそうだと思う。ジャズっぽく行こうとか、クラシック的に行こうとかね。僕はまったくそういう考え方持っていませんから……何をやろうと自分は自分だから同じスタイルで通す、というのをかなり強く考えていますね。見せ物小屋にしたくない。つねにスペシャル・ブランドでありたいわけです。レコーディングの仕事をかなりやっていることもあって、器用貧乏っていうのが、いちばんイヤな言葉なんです(笑)。ですから自分がやるものはすべてブランド品にする!という気持ちが強いんです。『風の谷のナウシカ』はスペクタクルな物語、片や『Wの悲劇』は非常に日常的な女の子の話……。当然、表現の幅にダイナミックなものと、かなり抑えたものという差はありますが、根本的な音楽の書き方と変える必要はないと思っていました」

-スコットランドやアイルランド民謡は小さい頃から聞きなれていたわけですか?

久石:
「僕に限らず、たいていの日本人の方はそうではないでしょうか。〈蛍の光〉とか、〈ロンドンデリーの歌〉とか、みんなあちらの民謡ですよね。文部省の教科書がほとんどそうだから、日本人は意外なくらい、あちらの旋律線というものを持っている。共通項はかなりありますよ。『風の谷のナウシカ』のテーマは、アイルランドやスコットランド民謡を意識して作りました。理論的にではなく、雰囲気としてね……シンプルで、どこか懐かしい感じを出したかったわけです。あのあたりが、自分の世界なんだなあと思います」

-『Wの悲劇』の劇中劇のバックに流れる曲、あれは?

久石:
「エリック・サティです。〈ジムノペディ〉だったと思います」

-日本映画の悪いところは、そうした、映画で使われたクラシックの曲名をちゃんとタイトル表示しないことだと思うのですが?

久石:
「おっしゃる通りですよ。使ったものは、必ず表示すべきなんです」

-澤井監督は音楽に細かく注文をつけられる人ですか?

久石:
「細かい方だと思います。サティの〈ジムノペディ〉はもともとはピアノ曲なんですけど、澤井監督の希望もあって、オーケストラ用にアレンジしなおしたわけです。音楽に理解の深い人です、澤井監督は」(著者注=澤井信一郎監督はハーモニカの名人として、知る人ぞ知る!の存在である)

-アイルランド、スコットランド民謡ということで、ふとひらめくのが、『天空の城ラピュタ』ですね。

久石:
「そうですね、かなり近いメロディ・ラインを持っていますね。『早春物語』のテーマ曲もそうですし、蔵原監督の『春の鐘』もそうですね。そうした一貫性というのが、僕のブランドなんです。素直に自分のメロディで書いたもので通したいということです。何なに風に書いてください、と頼まれると、すぐお断りしますね。たとえば、ジョン・ウィリアムズ風に勇壮なオーケストラ……じゃジョン・ウィリアムズに頼めば……となっちゃうわけですよ。僕がやることじゃない。余談になりますけど、ジョン・ウィリアムズの曲はどれを聞いても同じだ、という風に良く言われますけど、それはまったくナンセンスな話なんですね。つまり、彼ほど音楽的な教養も、程度も高い人になると、あれ風、これ風に書こうと思えば簡単なんですよ。だけど、あれほどあからさまに『スター・ウォーズ』と『スーパーマン』のテーマが似ちゃうのは、あれが彼の突き詰めたスタイルだから変えられないわけですよ。次元さえ下げればどんなものでも書けるんです。だけど、自分が世界で認知されている音というものは、一つしかないんです。大作であればあるほど、自分を出しきれば出しきるほど、似てくるもんなんです」

-『天空の城ラピュタ』からですか、フェアライトという楽器を使われてましたね……

久石:
「いえ、『Wの悲劇』でも、『風の谷のナウシカ』でも使っています」

-どういう楽器なんですか?

久石:
「生の音……どんな音でもいいんですけど、それをデジタル信号で記憶させて出すわけです。ですから、そのままの、それこそ生の音で得られるわけです。どんな場面で使われているかほとんど気づかないと思いますよ」

-フェアライトを使って音楽をつけている人はけっこういるわけですか?

久石:
「歌の世界、ヒット・ラインでは普通に使われてますけど、お金と時間がかかるから、映画音楽の世界ではまだまだですね」

-日本映画って、その点で音楽にあまりお金をかけないんじゃないですか?

久石:
「そうだと思いますよ……だけど、僕は普通の人の4倍は貰いますし、期間もそれなりに貰わなければ作りません。誰かがツッぱらなければ、本当に、単なるアホな劇伴になっちゃうんですよ。僕のやり方を見てて、俺だったら6、7時間で全部録っちゃうし、3日もあれば作曲しちゃうのになぁ……あいつは作曲に1~2週間、録音にも1週間かけやがって……って、昔流の人はよく言うんですよ。でもそれこそとんでもない話で、僕は20代の頃4時間に70曲も録音するという悲惨なレコーディングを死ぬほどやってきているんですよね。早く書こう、早くやろうと思ったら、いくらでも出来るんです。だけど、それはスーパー・マーケットみたいなもんで、バーゲン・セールばかりじゃどうしようもないわけです。映画が本当の意味でも高級な芸術で、大衆のものであって、高度なエンターテインメントであるならば、このシーンにはこの音楽しかない!単に一シーンの一音楽のために、録音に3日間かかった、製作費100万円をかけた、でも、価値があったら、それでいいじゃないですか。誰かが、そういうハイブロウなところをやっておかなかったら、みんなで劇伴屋になり下がっていっちゃう。そういうことで、僕はメチャクチャつっぱるし、お金がないんですって言われたら、じゃ他の人に頼んでください、というしかない。どうしても僕が欲しかったら、都合つけてください、と返事するしかないんですよ。映画を制作する人に本気を出してほしい。ドルビーでなければやりません……とか、いろいろ条件を出すべきなんです。誰かが言わなければ、本当に悲惨なものになりますよ、この世界は。日本の映画音楽は安くて当然と思われているし、もしそういうことがあたり前とするならば、その中からいい作品を誕生させようなんてとんでもない話ですよ。もっと格調のある分野だと思うんですけどね」

 

●トータルなコーディネートをめざして

-作曲するときに、いつも心がけていることは?

久石:
「つねにどんな場合でも、映像と対等であるということ。以前は、出来るだけ映画の進行を邪魔しないようにつけていたんですけど、最近はもっと雄弁に語ろうと心がけていますね。やり方としては、台本の段階で60~70%ぐらい仕上げ、ラッシュを見せてもらって監督さんのテンポをつかみます。数回見せてもらいますね。そうすると、台本の段階でたとえば4分間の音楽を書いていても、そのシーンの呼吸と音楽の呼吸を無理なく合わせられるわけなんです。ムラがなくなるんです」

-『Wの悲劇』『早春物語』『恋人たちの時刻』では主題歌ということで、エンディングに久石さんの音楽じゃない歌がかかりますね。『めぞん一刻』ではギルバート・オサリバンの”ゲットバック”が挿入歌として使われ、”アローン・アゲイン”がエンディングに流れます。そういう音楽の扱い方と、音楽プロデューサーと呼ばれるスタッフの存在など、映画音楽をめぐる状況は変化しつつあるのではないですか?

久石:
「それは最近の私の活動と一致してくることなんですけど、一時期アメリカ映画でサウンドトラックの作曲者と最後に流れるテーマソングの作曲者が別のスタイルがありましたよね。それが日本の角川映画等に影響をあたえた。でも、アメリカはとっくにその傾向が終わっているのに日本映画はまだ続けている。レコード会社にとっておいしいのは、サントラじゃなくて、主題歌のほうなんですね。そのスタイルが定着しすぎてしまったために、映画音楽のトータル・コーディネート、トータル・プロデュースが非常にしづらいんです。だから主題歌は完全に切り離して考えざるを得ないんです。主題歌といっても、レコード会社が勝手にヒットを狙うために映画にくっつけ、宣伝にさえなってくれればいいや、ぐらいにしか考えていませんからね。実際問題、映画と主題歌は全然合ってないですよ。レコード会社と映画関係者の仲というのは、本当ひどいですよ。何回やってもそう思うけど、絶対に合い入れない。『めぞん一刻』ぐらいまでは、僕がタッチする以前にすでにビジネス・パッケージが組まれていましたから、どうすることもできなかったですね」

-その『めぞん一刻』では、それまでの音楽タッチとはガラリ変わった感じを出していましたね。

久石:
「それまではクラシックをベースにしたものを考えていたんです。あるとき、このまま行くとオジン臭くなるんじゃないか(笑)と危惧を持って、去年は音楽のアバンギャルドをしてみようと思ったんです。『熱海殺人事件』ではアート・オブ・ノイズばりのいちばんナウいところに挑戦したわけです。僕はレコーディング・アーティストとしては、非常に前衛っぽいことをやってますから。それに素直なラインで作ってみようと考えたんです。『めぞん一刻』でも、澤井監督が、それでいきましょう、と言ってくれたので、目いっぱいいってしまったわけです(笑)」

-でも、続く『恋人たちの時刻』では、再び『Wの悲劇』のようなラインに戻ったと思うのですが?

久石:
「戻りましたね。いちばんまとまってしまった作品になったようですね。あの頃からいろいろ考えまして『恋人たちの時刻』以降、テーマソングを含めて、僕自身がすべてタッチするという方向でやるようになったんです。映画をトータルに考えるためには、いまのようなビジネス的背景では仕事がしづらいと思いましてね……劇伴ではなくレコード業界でもやれて、映画界もよく知っている人間……ということで、そろそろ自分がそういう役割をしなきゃならないんだなあ、と考えたわけです。『漂流教室』で今井美樹を起用したのも僕です。こうなると、プロデューサー活動が主になる。でも、そうまでしなきゃ、いまの現状はなかなか変えることができない」

-『天空の城ラピュタ』でも、〈君をのせて〉という主題歌を井上あずみにうたわせていますね。

久石:
「まあ、あの作品あたりからプロデューサー的な立場で音楽にタッチしていったわけです。注文作曲家じゃない!という姿勢で全部やるようにしていますからわずらわしいことにもかかわって、いいスタッフになろうと努力しているんです」

-『この愛の物語』では、またガラリ変わったラインでやってましたね。

久石:
「これはビジネスにからんでくることなんです。アメリカ映画が『フラッシュダンス』以降、ミュージック映画として何曲かどんどん曲を入れて、そこからヒット曲を出しましたよね。それがきっかけで、映画の内容に関係なく、映画に使ってほしいと持ち込んで、一本の作品に何人もの作曲家が参加して、いくつものレコード会社が合乗りでやっていますね。そういう新しいマーケットが出来たことに、日本映画も注目すべきなんですよ。『この愛の物語』でその先兵をやってみたかった。現在、サントラ盤というものはまったく売れていないんです。ところが、映画音楽の製作費は、映画の製作費ではまかなえないんです。ですから、レコード会社に製作費を出させて、サントラ盤を出すというパッケージしか組めないんです。でも、サントラ盤は売れない。そうなると、誰かがサントラ盤は売れるんだ!ということをやってみせなければ、もっと悲惨な状態になってしまう。僕としては、ここでどうしてもサントラ盤を売るということをやって見せたかった。そのため、トータルなコーディネートを目ざしたんです。あの映画の中には11曲、そのうち8曲は映画のためのオリジナルです。台本の段階でそのシーンのイメージに近い曲を既製の楽曲から集める。それを監督に聞いてもらう。撮影中もその曲を流してもらった。次にそのシーンに合う曲を作り、歌詞を発注する。アレンジされた曲をもとに、もう一度、歌手、歌手選びと歌詞をやり直す。音楽が自然に流れていたはずです。血のにじむ努力ですね、あれは。3ヵ月、レコーディング時間はトータル350時間を超えましたからね」

-確かに、『この愛の物語』では全篇に歌が流れていたような印象が強いですね。

久石:
「一つひとつテーマを決めて、その中で自分がいまどんな活動をしなきゃならないか、ということをハッキリさせる必要があった。本来、映画音楽というものは、インストゥルメンタルできっちりやるのが正しい方法なんです。必ずそうありたいし、だけど現状ではそれをやっても誰も見向きもしてくれない。その現状の中で、少しでも良くできることがあったら、まずそれをすべきです。いろんな人たちから目を向けてもらう必要がある。映画が、音楽的な背景でいちばん立ち遅れているんです。昔は、映画館がいちばんいい音を持っていたのにね……。いまは、ほとんどの人がCDを聞いているのに、古臭い音を依然引きずっているのは映画館だけですよ。『アリオン』をやったとき、日本にはもっとドルビー館が必要だなあと思いましたね。この一年のあいだに、ドルビー館がすごく増えましたでしょ、遅まきながらでも。これがあたり前なんです。映画がよりエンターテインメントできる環境作りが出来上がってきたわけですね。その中で、自分の手でやれる範囲というのは、なにも自分の曲だけに限ったことじゃないと思う。少しずつでも改革できればなあ、と思いますね」

-ここ2年間ぐらいは映画音楽を作る人たちにとっては、いい環境になってきているわけですね?

久石:
「上映する環境としては整備されてきましたよね。でも、製作サイドが音楽作りに理解を示してきているかといえば、必ずしもそうではありませんね。日本はやっぱり活字文化なんですね、目に見えるものにはお金は出すけど、見えないものには出しませんよ。それはもう見事なくらいですね(笑)。遅れてますよ。必要以上に言葉で説明しすぎます。言葉の数が多すぎますよね。そのあたりのことは、毎回口すっぱく言っていかないと、どうにもならないでしょうね。『漂流教室』をやったとき、あの映画はほとんどが英語のダイアローグだったでしょ、だから日本語に比べて60%以内でセリフが終わっちゃうんです。その分、空白の部分がたくさん作れたわけですよね。まあ、そういう作品がもっともっと作られるべきじゃないでしょうか」

久石音楽の最近作は『ドン松五郎の大冒険』である。

久石:
「立花理佐が歌う主題歌とメインテーマが、いちばんうまい形でからんだ作品になりました。ファミリー映画ですからね、メリハリをつけて、明るく、あいまいさ抜きで、素直にダイナミックにつけましたね」

今後は、「なんとしても、外国の作品をやれるまで、ガンバリたいですね」と、抱負を語る。これまで映画の中で手がけたピアノ・ソロ曲をアルバムにする計画もあるとか。

久石:
「自分の作品が評価されるのは監督さんとのコミュニケーションがうまく取れたからだと思います。映画って、結局のところ監督のものなんですね。スタッフのものじゃないんです。監督を頂点としたピラミッドの中で作りますから、監督と僕のコミュニケーションが取れるということは、レコード会社を含めたビジネスに集約されていくんです」

現在、日本の映画音楽の最先端に位置する人だけに、その活動とともに、作品ごとに仕掛けてくる音楽のあり方にも相当の話題を呼びそうだ。「映画の中で音楽が占めている割合って、それなりに大切だと思います。しかし、何をつけても一応サマになっちゃう可能性もあるんですね。本物をきっちりおさえていく作業が、これからはいっそう求められると思います。自分が先兵となって、多少でもツッぱってみたい……」と語ってくれたその言葉が、じつに印象深い。

取材・構成 田沼雄一

(「キネマ旬報 1987年12月上旬号 No.963」より)

 

キネマ旬報 1987 12

 

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