Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年1月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2017/07/01

音楽マガジン「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年1月号」に掲載された、4ページに及ぶ久石譲インタビューです。

 

 

HARDBOILED SOUND GYM by 久石譲

第1回 熱烈OPEN記念インタビュー
「久石譲のPOP断章」

ボクたちにとって音楽には好きな音楽と嫌いな音楽、この2種類しかない。どうでもいい音楽…? それはどうでもいい。要は、好きな音楽をもっと楽しむためには、そしてもっと好きになれる音楽を自分でどう創り出すか。そのためにはまだ獲得できないでいるいろんなテク、これをなんとか手に入れたい。そこでっ!当編集部では、スーパー・コンポーザー久石譲氏の門を叩くことにした。今回はそのイントロダクション。久石氏の音楽観を伺ってみることにした。

 

■久石さんの音楽的な姿勢
それまでの流れを変えるような音楽を作りたい

-久石さんがミニマル・ミュージック以前に影響を受けた作曲家、お好きな作曲家というと、どんな人たちなんですか。

久石:
「それはもう大勢いるんだけど……、たとえばブラームスも好きだったし、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンも好きだったし。日本人で言えば武満徹さん、松村禎三さん、三善晃さん…みんな研究したからね。過去、勉強で深く聴いた場合もあるし、この楽曲が好きだからと研究したこともあって、影響ということでいうと、ほんとにいろいろある。でも、ミニマル以前で、まぁ、けっこう好きだったりした人と言えば、ジョン・ケージだろうね。思想的な影響を受けたのはケージ。シュトックハウゼンには、そんなにのめり込まなかったね。非常に理論がはっきりしていてそれを前に押し出すというか、それによって変革している人たちは好きだった。それは、今、ロック/ポップスに対しても変わらないのね。ボクがポップスでやりたいことっていうのは、それまでの音のあり方が変わっていく人が好きなわけで、変わるようなことをやりたい。

すごく身近な例で言えば、ザ・パワー・ステーションによってドラムの音が変わったでしょ。理論的にはたいしたことないんだけど、変わった。あるいは、YMOが出たことによって、テクノ・ポップという感じで変わった。あのベースになっていたものがクラフトワークであろうとなんだろうとね。ボクはクラフトワークにもすごいショックを受けたけどね。

ともかく一つのエポックになってスタイルを変換できる力のある音楽というのがすごく好きなんだ。その姿勢は現代音楽にいたときも現在も変わらない。」

 

-その姿勢が基本にありながら、でも、たとえば映画のサウンドトラック、アニメーションのサウンドトラックなどの場合はどうなんですか。

久石:
「歌ものでない限りまったく同じ。まったく規定するものはない。いつもフリーな気持でやってるよ。」

 

■作曲家の領域、聴き手の可能性
音楽は理論だけでは説明つかないけれど…

-音が頭の中で鳴るというのはどういうことなんでしょうか。ボクらはいつも、実際にレコードから聴こえてくる音を追ってアーティストの頭の中まで入り込み、それをなんとか言葉に置き換えようと考える。でも、いつも、言葉や譜面からこぼれ落ちているものがあり、それに気づきながら、それをフォローする方法を模索し続けているようなところがあるんですね。

久石:
「まず、”その瞬間”ボクらの頭の中に浮かぶものって、ボクらの頭の中でも不定形だよね。しかもそれが毎回同じ要領で浮かんでくるわけじゃない。これは言葉に置き換えられるような作業とは別のところで動いているものだと思う。すると、やっぱり何か伝え切れない、ボクらにしても。この曲のこのかんじが浮かんだ核はと考えたとする。でもその浮かんでる瞬間というのは何も考えてない、真空状態と同じ。ただ、ある瞬間、たとえば指がアルトに触れた瞬間、シンセで音を捜しているとき、たまたま鳴ったその音をおもしろく思ったそのとき。これを後でなら、その瞬間のことを思い出して理論は組み立てられる。高い音があって低い音がこうあって、真ん中はなかった。だからちょうどその音でサウンドが構築できた、とか。でも作ってるときというのは、もっと違うところで動いていると思う。」

 

-たぶんそういうものでしょうね。でも、理論で説明できそうなことや、テクニカルな点から解明できそうな部分がまだまだそのままの状態にあるような気もするんです。

久石:
「はっきり言ってテクニカルなことでこなせる部分でできなくって、思ってる音に行きつけない。そういうものに対しては完全にアドバイスできるよね。」

 

-そういう点をボクらはもっと開拓して行きたい、と考えているんですが…。

久石:
「作家のフィールドというのがある。それは作家一人一人の独占的な部分だけど、本来それは言葉に置き換えるのはラクなんだよね。ボクなんかは理論的なタイプのほうだから、説明しやすい。でも、ふつうのメロディー・メイカーの多くは、何も言えないかもしれないかもしれないけどね。

それと、創作の上で、絶対言葉で表現できないことってあるんだ。絵にしろ何にしろ。でもそこは、だから作家の領域だと言って聖域視してそのあいまいな部分をそのままにしていたら何も始まらないんでね。だから、理論的であるっていうことは、絶対言葉に置き換えられるってことだし。かなりの部分。自分なりにつきつめているつもりでいるから、それはできると思う。」

 

-歌になるとどうでしょう。ポップスの名曲に関する普遍的な要素をファイルしていくようなことができないかとも考えるんですが。

久石:
「うん、歌ものっていうことになると、比較的理論が成り立ちづらい。というのは、まず音楽というのは、完成度が高くて次元が高ければ、やっぱりいい音楽なんだ。」

 

-インストゥルメンタル、器楽曲ですね。

久石:
「ん。ところが、歌になると、プラス詞の要素、歌う歌手のキャラクターが入ってくる。すると、優秀な楽曲と詞があって、歌手もうまい。それじゃヒットするかといったらそうじゃない。もっと別な要素が入ってくる。だから音楽理論だけでは説明できないことも出てくるんだよね。」

 

■コード・ネームの限界
コード・ネームは響きの可能性を規制する?

-まず手始めに、コード・ネームと和音の関係をどう考えればいいのかを教えてください。ポップスのフィールドでは、コード・ネームを手がかりに作られていく音楽がたくさんありますね。そしてそれらの現場では、コード・ネームによって実際に鳴らされる和音はさまざまである、と。

久石:
「ボクもずっとコード・ネームは使ってるけどね。でもボクは、コード・ネームと和音は違うと思っている。Cはドミソだけど、そのCと書いてしまうドミソとドとミとソは違うんだ。だから、それは確実に使い分けている。

コード・ネームというのはそもそも両刃の剣で、単なる記号としてはいいんだけど、記号性があるものほどニュアンスはふっとばしてしまう。

たとえば弦のアンサンブルで考えてみようか。弦の場合、ドミソという和音はくっついて団子になった状態だと鳴りが悪い。だから当然一番低いド、オクターブ上のド、5度上のソを鳴らして、それから6度上のミを鳴らす。

これは確かにコード・ネームで言えばCなんだけど、ふつうのCでくくられるCとは意味が違ってくるよね。もっと言えば、そこに同じCでも”レ”を入れておいてもいいわけなんだ。それでもCなんだ。ふつうはレが入れば9thとか+2とか言うけれど、でも、それは、ただたんに9thと言った場合の9thと、この場合に”レ”が入るというのとはほんとは違うんだ。ドードーソーレーミと鳴らして、Cの”鳴り”を作ったとしても、Cというコード・ネームはそういうニュアンスまで伝え切れないでしょ。」

 

-そういうふうに音を配分することは、なんて呼ぶんですか?

久石:
「単に”音の配置”。だからコード・ネームでしか書けない人は、その程度の音しか出せないから、つまんないよね。」

 

-とすれば、1つのコード・ネームから、いかに豊かな音を鳴らせるかが、プロとアマの分かれ目ということになる…?

久石:
「ところが、たとえばCーFーG7ーCというのがあったとする。それは、実はそういうふうに行かなくてもいいんだ。基本的には。だって目の前には茫洋といろんな音がある。なのにそれをいつのまにか理論によって規定されたところで使っていることになる。

ところが、理論というのは、それをとっぱらったところにも面白味はあるわけだ。すると、コード・ネームというのは便利なもので、音楽が商業ビジネス化していく上で大きな功績はあったんだけど、切り捨てたものも大きいという気がするね。

だから、今でもボクが大切にするのは手クセなんだ。Cと書いてあったら、もう自然に右手の配置がシーレーミーソと弾くことが当たり前になってたり、あるいはシーレーミーラになってたりとか……。で、これは、単純にモードと片づけて欲しくない部分っていうのが出てくる。難しい問題だけどね。一人ひとりの感覚でえらく違っていいと思うし。

ボクはスタジオ・ミュージシャンの人をあまり使わないんだけど、それは、そういうことまで指定しきれないから。つまり、けっきょく自分でシンセでやっていったほうが、そういうニュアンスが出やすいということになる。」

 

-そのニュアンスを出すのは手クセ…、つまりその音の配置というのはその人の好みということでしょうか。

久石:
「響きに対する好み、だよね。ただ、ボクの場合は今、リズムを主体にしていてコード・ネームにはほとんどこだわってないから、譜面にはCーFーG7としか書いてなくて、ただし、素直にその音を弾く人は使わない、とか、そういう非常に単純なことしか考えていないんだけどね。」

 

■ストリングス・アレンジについて
弦というのはひと筋なわではいかないけれど

-ボクらはつい一言でストリングス・アレンジと呼んでしまうんですが、そのとき、生のストリングスを使うときと、シンセのストリングスを使うときでは、どのくらい考え方が違うんですか。

久石:
「うーん。共通する部分もあるし、違う部分もあるね。」

 

-その両者の使い分け方はどういうふうに決めるんですか。

久石:
「シンセがいいと思えばシンセ、生がいいと思えば生にするし……。フル・オーケストラがいいと思えば、日フィルとか東フィルを使うこともあるし、あるいは弦のスタジオ・ミュージシャンを使うこともある。そして、サンプリング楽器で弦をやるときもあれば、プロフィット5でやるときもあるし。それはもうどういう音楽を望んでいるかで全然変わるからね。」

 

-それぞれ持味があって別のものだ、と。

久石:
「うん。というか、パレットだからね。何種類あってもいいよね。それを全部同じパターンで書くヤツがいたら、それはたまんなくイモということになるよね(笑)。」

 

-となると、久石さんに生のストリングス・アレンジの秘訣を教えてもらったとしても、それをそのままシンセ・ストリングスのアレンジ法には応用しにくいということになりますか?

久石:
「うーん…。その前に、生のストリングス・アレンジをする上で、どうしてもうまくいかないポイントがあったとしたら、その解決法は教えてあげられると思う。」

 

-漠然としていては答えられない、と。

久石:
「ケースが変わると全部音が違ってくるからね。それと、ボクは生まれてこの方、生のストリングスをダビングで2回重ねて作っていったことは1回もないからね。全部”生”!」

 

-1発!?

久石:
「ただ、とっておきの話があるんだ。以前、ある仕事でスタジオに弦を仕込んだらどこかで間違えて、ダブル・カルテットが入っちゃってね。ほんとはもっと大きな編成を頼んでたんだけど、えらく人数が少なくなっちゃった。でも、その編成が鳴らした音はまったく大きな編成でやったものと変わらなかった。そのときのスタッフはみんな、6 – 4 – 2 – 2の編成で、盛大に人がいる、と思ってた。」

 

-そういうテクニックもある!?

久石:
「うん。書き方なんだけどね。ただこういうのは、ボクなんか4歳か5歳の頃からバイオリンをやってるから、弦の響きの良さを出すポイントがどこにあるか知ってるわけ。

たとえばCーdurで良く鳴る配置(音符の配置)を単純にDーdurに上げたら、もう鳴らない。全然ダメなんだ。開放弦の問題も出てくるしね。開放弦にいかに引っかけるか。」

 

-開放弦を音の配置の中にいかに組み込むか、ですね。そうなってきたとき、たとえば数ページのマニュアルでポイントを押さえるというのはちょっと難しい。

久石:
「KBをやってると単純だからね。半音ずつずり上げていけば同じ音がすると思っちゃう。ところがとんでもない。弦というのはとんでもないよ。

だから、おそらく優秀な人がボクのところに弟子みたいに入ってきても、3年やっても無理でしょう。裏返せば、すっごい素質のある人なら半年で一丁前に書けるかもしれないけどね。」

 

■オーケストレーションとは
オーケストラには、なぜいろんな楽器が使われるのか

-すると、それが管弦楽にまで発展させようとしたらもっとたいへんになっちゃうでしょうね。でも、たとえば、ラベルの管弦楽曲は、もともとはピアノ曲という場合が多いと思うんです。それならば、ラベルのピアノ曲と管弦楽曲を対比させて、彼の管弦楽法から、シンセ・ストリングスや、シンセ・ブラス”鳴らす”コツをいくつか引き出せないか、などと考えているんですが……。

久石:
「だいたい作家というのは自分に手になる楽器で曲を作っていく。ボクらはKBで先に曲を作る。ラベルにしても、あの人はピアノの達人だからピアノから作っているだろうね。で、ムソルグスキーの「展覧会の絵」を管弦楽曲に仕上げた。といっても、そこには、その作品がいい作品だ、という以外にそんなに深い理由はないと思うんだ。しかも、その”いい作品”というのも、自分の管弦楽の色彩をバッと人に聴かせるのに都合のいい曲だ、と。むしろあれほどのナルシストだからほんとに自分のことしか考えていなかったんじゃないかな。だから平気で「ボレロ」なんか作るわけ。

「ボレロ」というのは単純でしょ。メロディーが単純で繰り返していくから耳はどうしても音色にいく。う~んときれいなメロディーで盛り上がるわけじゃないから、もうオーケストラの技術で盛り上げるしかない。で、そういう圧倒的な自信があったから、ああいうチャレンジをし、しかも応えてしまった。」

 

-すると、オーケストレーションというのは、音色の組合せ方と、音の配置の仕方ということになる…。

久石:
「いいオーケストレーションというのは、ピアノとまったく違うんだ。これはもうボクらもそうだけど、学生時代に、たとえばベートーベンのピアノ・ソナタをオケにするという課題がある。そして、そのときピアノの音をオケに移し変えるということをする。そうすると鳴るハズがないんだ。オーケストラになぜ木管があり、金管があり、弦があるのか? ただ、ピアノの音域を移しただけだったら、鳴らない楽器さえ出てくる。」

 

-鳴りが悪いというか、場合によっては音を出せない楽器もでてくるわけですね。

久石:
「オーケストラには小さな音もあれば大きな音もある。独特の音の世界の重ね合いなんだ。そこが難しいところでね。」

 

-まず、そういう大前提を踏まえていないと話にならないというところですね。

久石:
「だから、KBをやってる人は、なんでもいいから、生楽器をひとつマスターしておくといいね。」

注)
Durは長調の意味。C-durはハ長調、D-durはニ長調。

(「KB SPECIAL キーボードスペシャル 1988年1月号」より)

 

 

Blog. 久石譲ソロアルバム『ETUDE』 音楽制作秘話 (久石譲著書より)

Posted on 2017/05/25

久石譲オリジナル・ソロアルバム『ETUDE』(2003)の音楽制作秘話です。エチュード(練習曲)をコンセプトにした渾身のピアノソロアルバム。

映画音楽などは各メディアインタビューも多く音楽についてのエピソードや想いを語った記録も豊富です。それだけにソロアルバムについての貴重な音楽制作エピソード。「35mm日記」(2006・久石譲著)に収められた秘話です。

 

 

「ETUDE」

02年の4月から、およそ1年間かけて完成させたのが「ETUDE」というアルバムだ。

13曲書いたが、最終的に3曲をボツにして10曲。それを週に1回、2曲ずつ東京オペラシティに通ってレコーディングした。これはボクにとって特別な作品で、ソロアルバムとしては、「My Lost City」と並んで自分の代表作だと思っている。その後に手がける「ハウルの動く城」や「ワールド・ドリーム・オーケストラ」(WDO)などにも影響を及ぼすことになったわけで、音楽的な面でも意味の大きいアルバムだ。

「ETUDE」は、それまでのいわゆる「久石メロディ(?)」とは異なり、ポップスフィールドに入るかどうかという意味ですら、ギリギリに位置する音楽と言える。

このアルバムを完成させたとき、はっきり自覚したことは、作曲家として「作品として形を残そう」という意識が自分の中で強くなってきている、ということだった。作家性を意識しながらも商業音楽のベースを外さず仕事をしていた作曲家が、「作品を残したい」という意識を強く持つことは、ある意味レールの外にはずれてしまうのかもしれない。

しかしボクは、またもとの道へ戻ることを拒否することで、新しい音楽的境地へ向かった。そうして誕生したのが後に続く「WORKS III」の「組曲DEAD」や「ハウルの動く城」だった。

アルバム「ETUDE」は、すべてオリジナルの10のピアノ曲で構成されている。「エチュード」とは「練習曲」とう意味だ。ショパンの「エチュード」が24曲で構成されているように、本来、すべての調(全24調)で書かれて「エチュード」は完成となる。だから、このアルバムは未完成で、現在10曲あるからあと14曲、書かなければならない(これはいずれ近いうち、発表したいと思っている)。

なぜ、この楽曲が「ぎりぎりのポップス」だとボクは思うのだろうか? それについて少し説明すると、ピアノにおける「ポップス・ミュージック」はたいていの場合、右手でメロディ、左手で和音というスタイルをとる。それは、アンドレ・ギャニオンであろうと、リチャード・クレイダーマンであろうと基本は同じだ。ただ、そのやり方だと、多少上等なコードやメロディを使ったとしても、ワンコーラス、ツーコーラスと進むにつれて、ストリングスやフルートなど他の楽器の助けが必要になってくる。自分自身、そうした「もたせる」楽曲づくりは随分やってきたが、それには抵抗があった。

そこで、クラシカルな方法論である「エチュード」を導入することで、たとえば半音階やスタッカートなど、ピアノの技術そのものを追求する、明快な基本コンセプトが出来る。その上で小さなモチーフを変奏していくことでワンコーラス、ツーコーラスというメロディのくり返しではない一貫した世界も表現できる。たとえば「MONOCHROMATIC」は、半音階が続く曲。それによっていわゆるポップスらしいピアノとは一線を画することになる上、楽曲としてはより音と音との結びつきが強固になる。ただコンセプトは明快なのだが、ピアノの技術がより難しくなり、演奏者(ボク自身)のことを考えず欲しい音を書いたこともあって、レコーディングを含めた完成までには実に1年がかりの作品となった。

ここまでは技術面での話だが、そうした技術、手法を含めて、全体として何を言いたいのか、という内容の問題がある。この時代に、いったい何を言うのかという問いだ。

「ETUDE」は、非常に孤独な世界観のアルバムとなった。つくり手と聴き手が1対1で対峙するようなギリギリの精神世界だ。

このときのボクは、グレン・グールドのように白と黒だけの世界に浸っていた。曲を書こうと思っている意識の世界から、次第に無意識の世界に引き込まれていく。

頭でこうしたい、というのではなく、あるフレーズが積み重なるとき、楽曲が自然に動かされていく。そして自分はただの媒介者になる。修行と同じく、自分を消していく作業だ。1日8時間、10時間とピアノを弾きながら、ひたすら自分を消していくのだ。「いつか、夢は叶う」というコンセプトは、苦しんだ作曲の過程で、それも5、6曲出来たころに、初めて浮かんできた。

もちろんそこには反語的表現が含まれている。夢は、切ない願望であって、必ずしも叶うものではないことをボクは知っている。だからこそ、叶うと信じて努力する過程に何かが見えてくるという、孤独な現代人への励ましのメッセージでもある。

物事をやっていくうちに初めて、大切なことが見えてくる、分かってくるということが、ボクの場合は少なくない。たとえ、当初思い描いていた構想や計画が変わっていくことがあっても、そこでつかんでいく世界には、重いリアリティがある。

こうして、ピアノの技法追求を縦軸に、楽曲の意味を横軸にして、初めて「ETUDE」の全体のコンセプトは完成した。ポップス・ミュージックとしては随分高度なものになったが、自分の作品をつくりたいという思いの確認を含めて大きな転機となったアルバムだ。

(久石譲 35mm日記 より)

 

 

Blog. 一つのテーマ曲で貫いた『ハウルの動く城』「人生のメリーゴーランド」誕生秘話 (久石譲著書より)

Posted on 2017/05/24

久石譲著書「感動はつくれますか?」(2006年)に収められた映画『ハウルの動く城』の音楽制作秘話です。メインテーマ「人生のメリーゴーランド」が生まれた瞬間のお話。貴重なエピソードです。

 

 

一つのテーマ曲で貫いた『ハウルの動く城』

メインのテーマ曲が登場する箇所は、普通それほど多くない。ところが『ハウルの動く城』は、それぞれアレンジを加えているものの、全三十三曲中の十八曲にメインテーマが登場する。

これは宮崎さんの意向だった。音楽打ち合わせのときに、僕が宮崎さんに言われたことは「徹底的に一つのテーマ曲でいきたい」という新たな注文だった。

すでにイメージアルバム『交響組曲 ハウルの動く城』が出来上がってからのことだ。『交響組曲 ハウルの動く城』は、名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団が演奏し、トラックダウン(音の仕上げ)はロンドンのアビーロード・スタジオ。あのビートルズで有名なアビーロード・スタジオで録ったのである。しかも、エンジニアは、かつて僕の録音のアシスタントエンジニアだったが、その後出世して今ではジョン・ウィリアムズの『ハリー・ポッター』などをレコーディングしているサイモン・ローズなのである。その豪華メンバーにもかかわらず注文が出た。僕は少ししょげた。

二時間を一曲のテーマで引っ張っていく? これは大変な冒険である。確かに、メインテーマがそれ自体喜びにも悲しみにも聞こえるように作曲し、これをいろいろ変奏していこう、というやり方はある、それにしても、音楽全体からすれば三分の一がいいところだ。

宮崎さんが一番気にされていたのは、ソフィーが十八歳から一気に九十歳という年齢になる点だった。一足飛びに歳をとる。しかも、シーンによって微妙に若返ったり老けたりと、顔が変わる。それを、観る人にも一貫して同じソフィーの気持ちが持続するように、音楽に一貫性を持たせたいと仰った。明快である。『交響組曲 ハウルの動く城』ではソフィーのテーマも録音していたのだが……。僕はだいぶしょげた。

だが、音楽を担当する僕がどんなに長く一本の映画と関わっても、半年から一年くらいがいいところ。しかし、監督というのは企画の段階から関わっていると、短くても二年とか三年。宮崎さんの場合だと、四年も五年もその映画のことを考えてきている(アイディアからだと十-二十年ということもある)。その映画のことを最も知り抜いているのは、やはり監督なのである。それに対する尊敬もあるし、信頼もあるから、監督の求めるものは最大限に尊重すべきだというのが僕の映画音楽に対する基本姿勢だ。

だから、このときも気を取り直して、全体を貫くモチーフとなるメロディーを新たに作曲した。

この話し合いをしたのが二〇〇三年十一月。年が明けて二月、僕は三曲の候補を胸に、宮崎さんのアトリエに出向いた。いつもはデモテープで聴いてもらうのだが、このときは自分でピアノを弾いて聴いてもらうことにした。そのほうが良いと直感が告げた。

宮崎さんの仕事場である「豚屋」には、宮崎さんをはじめ鈴木敏夫プロデューサー、音楽担当の稲城さんたちが待ち構えていた。僕はものすごく緊張した。しかもあろうことか、宮崎さんがイスをピアノのそばまで持ってきて座ったのである。心臓の音が聞こえるのではないかと心配になった。

で、まずは一曲め。弾き終わると宮崎さんは大きく頷いて微笑んだ。鈴木さんもまあまあの様子。ほっと胸を撫で下ろす。ちょっと勢いのついた僕は三番目に弾く予定だった曲の順番を繰り上げた。

「あのー、ちょっと違うかもしれませんが、こういう曲もあります」

宮崎さんたちの目を見ることもできず、ピアノの鍵盤に向かって弾き出した。

そのワルツは、そんなに難しくはないのだが、僕は途中でつっかえて止まってしまった。まるで受験生気分なのである。最高の緊張状態で弾き終えたとき、鈴木敏夫プロデューサーがすごい勢いで乗り出した。眼はらんらんと輝いている。「久石さん、面白い! ねえ、宮さん、面白くないですか?」宮崎さんも戸惑われた様子で「いやー」と笑うのだが、次の瞬間、「もう一度演奏してもらえますか?」と僕に言った。が、眼はもう笑ってはいなかった。

再び演奏を終えたとき、お二人から同時に、「いい、これいいよー!」「かつてないよ、こういうの!」との声をいただいた。

その後、何回かこのテーマを弾かされたが、この数か月本当に苦しんできたことが、ハッピーエンドに変わる瞬間だったので、ちっとも苦ではなかった。

僕はこれまで何作も宮崎さんの映画音楽をつくらせてもらっているが、一度でもつまらない仕事をしたら、次に僕に声がかからないことは知っている。いつもそういう切羽詰まった気持ちで引き受けている。毎回が真剣勝負。苦しいのだが、この至上の悦びが全てを救ってくれるのである。

(「感動をつくれますか?」/久石譲 著 より)

 

 

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Blog. 「ピアノ音楽誌 CHOPIN ショパン 2011年6月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2017/05/14

「ピアノ音楽誌 CHOPIN ショパン 2011年6月号 No.329」に掲載された久石譲インタビューです。

日常の創作活動のリズムから、作曲するうえでの方法論や姿勢、またちょっとした質問コーナーなど久石譲の音楽論を深く紐解ける内容です。

 

 

「音楽が生まれるまで……」 作曲家、久石譲

日本の音楽界をリードしつづける作曲家、久石譲。CMや映画、ドラマと、彼の音楽を耳にしない日がないほど、その音楽はさまざまなシーンで愛されている。「人を癒したいという気持ちで曲を書いているわけではない」と語る久石さん。しかし、次々と生み出される旋律は、私たちの心に安らぎを与え、明日への希望を持たせてくれる。

天才作曲家は、日々をどのように過ごし、どんなことを感じながら曲を作っているのだろうか? 久石譲の音楽の秘密に迫った。

 

久石譲の1日

1日のスタートは、いつも朝の10時半から11時の間。ベッドから抜け出すと、まずはお湯を沸かしてピアノに向かいます。そして、お湯が沸くまでの5分ほど、指をほぐすために自作の一番難しい曲を弾くんです。その後、ゆっくりコーヒーを飲んで、ごはんを食べてから会社に行きます。仕事を終えて自宅に帰るのが23時ごろ。会社ではもっぱら曲作りに専念しているので、コンサートで指揮する曲を勉強するのは、この後です。

7月に『展覧会の絵』とラヴェルのピアノ協奏曲、8月には『トリスタンとイゾルデ』、9月にマーラーの交響曲5番を指揮することになっているのですが、どれも大曲ばかりでしょう(笑)?

とくにマーラーは複雑でくせがありますから、そういったくせをなんとか解消して、お客さんが聴きやすくしたいなぁなんて考えると、他の交響曲まですべて勉強しなくてはならない。ですから、家に帰るとまずはクラシックのCDをかけて、ビールを飲みながらオンとオフのスイッチを切り替えるんです。最近は、オペラのアリア(とくにソプラノ系)を聴くと、すごく安らぎを感じますね。そうして、朝4時頃まで勉強すると、やっと1日が終わります。

ちなみに、朝会社に向かうときは、いっさい音楽は聴きません。これから音を生み出さなくてはいけないわけですから、何も頭に入れたくないんです。

日曜日は、毎週ジムで汗を流します。最近では空手も始めました。「毒をもって毒を制す」というわけでもありませんが、体を動かすことが僕にとっては一番のリラックス。一生懸命体を使うと、その間は何も考えなくていいですから。

20年間、ほぼ毎日変わらない生活。案外平凡でしょう!?

 

メロディーメーカーがひらめく瞬間

人によって癒しを感じる音楽のジャンルは違うと思いますが、メロディーの奥に、本来の孤独に裏打ちされた前向きな姿勢や、希望が持てるような何かを感じることで、人間は安らぎを感じるのではないでしょうか。

僕は、人を癒したいと思って曲を書いたことは1度もありません。曲を作るときには、どんなものを書こうかを頭の中で組み立てていくのですが、この作業はひたすら自分と向きあっていくしかない。映画音楽のようなメロディー主体の曲は、お風呂に入っているときや打ち合わせの最中に思い浮かぶことが多いです。逆に、しっかりとした構造のオケの曲を書くときは、考えたり組み立てたりする作業もすさまじく膨大なので、かなり時間がかかりますね。

まずモチーフがひらめいたとして、そのひらめきをひとつの曲にしようとしたとき、音と音を連ねて音型を作っていくのですが、どう連ねていくかによってまったく違う曲になってしまうので、非常に気を遣うところです。すごく地味で生みの苦しみを伴う作業ですから、癒しがどうとか、夕日がきれいなんて考えている余裕はありません(笑)。

たとえばベートーヴェンの『運命』も、「だだだだーん」とうメロディーを極限まで使い切っていますよね? ひとつのアイデアがひらめいたところで、そのアイデアをどういう形にすれば説得力がある形で聴かせられるだろうかと考える。そこからは、本当に純粋な作業です。

できるだけ無駄なくきちんと作れれば作れるほど、聴いてくださる方々が癒しを感じたり、イマジネーションが広がる曲になります。そのためには、こちらの変な思い入れを極力なくして、自分がいいなと思った素材や音型に見合うように、フォームを作っていく。そして、音楽的な機能美を追求していくこと。これが一番大事ではないでしょうか。

もうひとつ重要なのは、作家がその作品にどのような想いを込めたいかということ。それは、感情的なものの場合もあれば、非常に理想的で純粋な音楽的自然要求かもしれません。いずれにしても「こういうものを作りたい」という強い意志があるかどうかで、楽曲というものはすごく変わってしまうんです。

 

音楽が湧き出る秘訣!?

「こんなにたくさん曲を作っていて、イメージは枯渇しないのか?」とよく聞かれます。僕は恵まれていることに、〈忘れ方〉がうまいのかもしれません。常に先のことを見ているし、後ろを振り向くこともあまりない。いつもリフレッシュして切り替えることができます。もしかしたら、自分の作品に対しての愛着が薄いのかな!?(笑)作曲をするときはものすごく細かいくせに、作品が手を離れると意外にすこーんと自分の中から抜けちゃう。

一生同じ曲を見ていたって、いつまでも完成しないじゃないですか。今日はこれでいいと思っても、自身の成長に伴って手を加えたり、直したくなってしまうものです。それは仕方のないことですから、どこで見切るかを決めないと難しいですよね。

 

久石譲のいま、そしてこれから

これまでオーケストラ曲の楽譜は出していませんでしたが、今回初めてふたつのCDアルバム『ミニマリズム』と『メロディフォニー』の完全オリジナル楽譜を出すことになりました。4月に発売された『ミニマリズム』は、ミニマル・ミュージックのオーケストラ作品を集めたスタディスコア、そして5月に発売される『メロディフォニー』は、『となりのトトロ』や『おくりびと』などの映画音楽をフル・オーケストラ版にアレンジしたものです。6月からは『ミニマリズム』の楽譜レンタルもできるようになりますので、ぜひたくさんの方に僕の音楽を楽しんでいただければと思います。

また、5月からはポーランドのクラクフ映画音楽祭を皮切りに、東京・大阪で東日本大震災復興支援のチャリティーコンサートをおこないます。また現在、海外でも計画中です。

日々、被災された方々の生き様に勇気をもらっています。皆さんの姿勢を心から尊敬し、いま僕にできることを”一生懸命”努力したいと思います。

 

 

◇久石譲に聞く4つの質問

Q.作曲中に幸せを感じるときは?

A.1日中部屋にこもって曲を書いて、夜になると何がしかの曲が生まれているとき。その瞬間が一番幸せですね。もしかしたらこの曲を、日本中の人がいつか歌ってくれるかもしれない、あるいはずっと語り継がれる曲になるかもしれない。もちろん、認められるまでに思ったより時間がかかる可能性もありますが(笑)。その瞬間の感動に勝るものはありません。

Q.逆に、へこむことはありますか?

A.そんなの1日中です。だめだ、俺才能ないなって(笑)。1日のほとんどがそういう時間。そんな中で、ごくたまに、10回に1度くらい「俺って天才!」と思いますね(笑)。

Q.自作の中で一番気に入っている作品は?

A.ナウシカでおなじみの『風の伝説』ですね。僕の中でエポックになっていて、いつも初心に戻らなくてはと思う曲です。

Q.一番「よくできた!」と思う作品は?

A.それは、次回作でしょう。つねに、今作っているものが一番いい曲だと思いながら作っています。

(「ピアノ音楽誌 CHOPIN ショパン 2011年6月号 No.329」 より)

 

 

 

Blog. 「キーボード・マガジン 2005年10月号 No.329」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2017/04/12

「キーボード・マガジン 2005年10月号 No.329」に掲載された久石譲インタビューです。

どの時期の話かはすぐにわかると思います。楽曲制作における譜面やデモ音源の工程、指揮者としてピアニストとしてレコーディングするときの難しいところ、かなり深いところまで読みごたえ満点です。またピアノの響きの好みや、影響を受けたピアニストまで。

 

ひとつだけ先に書いてしまいます。

 

久石:
「メロディは記憶回路なんですよ。記憶回路であるということは、シンプルであればあるほど絶対にいいわけです。メロディはシンプルでもリズムやハーモニーなどのアレンジは、自分が持っている能力や技術を駆使してできるだけ複雑なものを作る。表面はシンプルで分かりやすいんだけど、水面下は白鳥みたいにバタバタしてるんです。」

 

このお話はTV番組「笑っていいとも!」テレフォンショッキング出演時にも、CM中タモリさんと話していた内容です。時期は異なります。エピソードとしてJOE CLUB会報にあったように記憶しています。

久石譲音楽が久石譲音楽たらしめる、ひとつの核心のような気がします。感覚だけに流されない計算しつくされた緻密な音楽構成、久石譲が言うところの「論理が95%」というところなのでしょうか。凄みで身震いします。

 

それではご紹介します。

 

 

久石譲 Joe Hisaishi  interview

宮崎駿、北野武監督作品などの映画音楽を手掛けたことで幅広く知られる久石譲。彼が映画やCMのために提供した楽曲を中心にオーケストラで再演するという”WORKS”シリーズの第3弾、『WORKS III』がリリースされた。昨年公開された大ヒット映画「ハウルの動く城」のテーマ曲「Merry-go-round(人生のメリーゴーランド)」や、CMでおなじみの「Oriental Wind」、バスター・キートンのサイレント映画に久石が新たに音楽を加えカンヌ映画祭で話題となった「GENERAL」など、久石ワールドを堪能できる1枚だ。ここでは新作について、さらには作曲やピアノについて久石本人に大いに語ってもらった。また、P.134からは「Birthday」のピアノ・スコアも掲載しているので、そちらも併せてチェックしてほしい。

 

メロディはシンプルでもリズムやハーモニーなどのアレンジは自分が持っている能力や技術を駆使してできるだけ複雑なものを作るんです

 

映像と対でしか存在しない映画やCM音楽がしっかり作られているのを確認してほしい

-”WORKS”シリーズではCM音楽や映画のために書いた楽曲を中心に取り上げていますが、映画などとは独立した作品としてレコーディングを行ったのでしょうか?

久石:
「そうですね。作られた目的が映画でもCMでも構わないんですけど、それを独立した楽曲として成立させるということは音楽家としてやらなきゃいけないことなんです。どうしても映像と対になってしか存在しないという映画音楽やCM音楽が、実はしっかり作られているというのを確認してもらうには、こういうシリーズが必要なんですね。」

 

-アレンジもオリジナルとは変えていますね。

久石:
「全体的にサウンドを少し厚くゴージャスにしています。映画の場合、音楽にいろいろな要素を入れ過ぎてしまうとセリフとぶつかってしまうんです。オリジナルでは主旋律だけしかない曲に、オブリガートのメロディを足すなどの作業はしていますね。」

 

-今回の『WORKS III』で新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラを選んだ理由を教えてください。

久石:
「もう長い付き合いなんですが、現在はワールド・ドリーム・オーケストラの音楽監督もやっているので、一番表現しやすい最高のオーケストラなんです。」

 

-オーケストラのアレンジは譜面に書いていくのですか?

久石:
「今はコンピューターで打ち込んだものを、譜面作成ソフトのメイク・ミュージック!Finaleなどで譜面に起こしていますね。ここ3年くらいは、やらなきゃいけない量が膨大なので、全部譜面を手書きしている時間がないんですよ。」

 

-ラフに打ち込んでいく感じですか?

久石:
「譜面になるギリギリのところまで緻密にやります。シンセだとやっぱり最終的に人間が演奏したときとは違いますが、それにしてはクオリティはめちゃくちゃ高いですよ。弦もフォルテ、ピアノ、ピチカート、デタシェ、トレモロなど細かいところまで表現しますね。あんまりラフだと次のアイディアが出てこないでしょ? 僕が作ったデモは、だいたい”このままで完成ですよね?”って言われるんですけど、そこから全部生の演奏に差し替えるんです。」

 

-以前のインタビューで、サウンドトラックなどでは生のストリングスにシンセのストリングスを混ぜることもあると話されていましたが、最近でもそうなのでしょうか?

久石:
「最近はフルオーケストラがものすごく好きなので、基本的にはオーケストラだけで成立するようにしていますね。ただ、つい最近やった韓国映画「ウェルカム・トゥ・トンマッコル」の音楽では、リズム・ループやサンプリング音源などを結構使っています。レコーディングは沖縄に行ったんですが、おかげでエスニックなリズムとオーケストラ・サウンドの融合みたいな感じに仕上がっていますね。”何で寒い冬場の戦争シーンで沖縄音階が流れるんだ”っていう(笑)。」

 

-『WORKS III』では久石さんがピアノを弾いているのですか?

久石:
「「人生のメリーゴーランド」のメロディなど、ソロの部分はだいたい僕が弾いてますね。それ以外はオーケストラのピアニストに弾いてもらっています。」

 

-レコーディングで使用したピアノは?

久石:
「すみだトリフォニーホールのスタインウェイです。響きを大事にしたかったので、スタジオではなくホールで録音しました。」

 

-一発録音ですか?

久石:
「指揮しながらピアノを弾いていると、そこが難しいんですよね。まず、オーケストラを録って、リズムがちゃんと感じられる部分はあとでピアノをかぶせようと思うんですが、なかなかニュアンスが一緒にならない。相手が出す音に対してこっちが反応し、こっちが出した音に相手が反応するのが音楽なのに、ダビングするとその双方向のコミュニケーションがなくなってしまう。「DEAD」の第4楽章は最初にオーケストラと録ったときにうまくいかなかったので、”すみません”って言って、翌日もう1回オケと一緒に録り直しました。自分で指揮をしているから分かってるつもりなんですけど、実際に自分が弾いた音にオケが反応するのと、別々で録音するのでは全然違いますね。クリックを使っていないので、オーバーダビングするにしても簡単じゃないですし。本当は同時録音がいいんですが、指揮とピアノを両方やっているとどちらも中途半端になりがちなんです。その辺をいつもレコーディングの直前までどうするか悩んでいるんですよ。」

 

低音がベーゼンドルファーで高音はスタインウェイが理想のピアノ

-小さいころはバイオリンを習っていたそうですね。

久石:
「4歳から12~3歳くらいまで習っていました。」

 

-最初にピアノを弾いたのはいつでしょうか?

久石:
「同じころです。そんなにピアノをメインにやってはいなくて、触ってたくらいですね。」

 

-では、ピアノをメインに演奏するようになったのは?

久石:
「音大を受験するためにピアノをやらなきゃいけなかったので、それからだと思いますね。」

 

-ピアノの響きの好みを教えてください。

久石:
「僕のスタジオにあるスタインウェイがすごく気に入っています。今のスタインウェイってペダルがきつくて、カクンカクンと持ち上がるんですが、今僕が使っているモデルは、どちらかというと昔のタイプなので、ペダルのスプリングがすごく弱いんです。だから自然にペダル操作ができる。あと、音もきらびやかじゃなくて、ホワンとしています。僕がアルバムでピアノを弾くときは、ほとんどそのピアノですね。ただ、楽曲によってもっと派手な音が欲しいときは、別のスタインウェイを用意してもらうこともあります。あと、好きなのはアルバム『ETUDE』などで使ったオペラシティのスタインウェイ。あそこのピアノはすごくいいですよ。最近はベーゼンドルファーを全然弾かなくなっちゃいました。低音鍵盤があるモデルではその分響きが豊かだから、昔は好きだったんですけどね。理想のピアノは真ん中から低い音がベーゼンで、高い音がスタインウェイ(笑)。」

 

-普段からピアノの練習をしていますか?

久石:
「僕は季節労働者ですね(笑)。コンサートがないと練習しない。映画音楽の制作に入ってしまうと、時間がないので全然弾かないこともあります。コンサートと近くなってくると1日8~10時間練習することもあるんですが、今年の夏のコンサートはオーケストラの指揮が大変なので、弾けても1日2時間くらいがやっとですね。」

 

-どういう練習をしているのでしょうか?

久石:
「人には聴かせられないけど、ハノンの鬼って言われるくらいにハノンをやってますね(笑)。」

 

-ピアニストとして影響を受けた人はいますか?

久石:
「大学時代はジャズのマル・ウォルドロンが大好きだったんです。彼は音色のニュアンスに富んだ人じゃないんだけど、しっかりした素朴なタッチがいいでしょ。耳コピで「レフト・アローン」なんかを弾いてましたからね。」

 

-マル・ウォルドロンとは意外ですね。

久石:
「かもしれないですね。『Piano Stories』の直線的にカンと弾くピアノの弾き方ってほとんどマル・ウォルドロン的ですよ。最近ちょっとうまくなったので、もう少し細かいニュアンスも表現できるようになりましたけど、あのころはストレートな演奏が好きだったんです。シンプルであるって強いですよね。最近好きなピアニストはミシェル・カミロ。トマティートというギタリストと共演した『スペイン』という作品を、毎晩聴いていた時期もりました。あとは、キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』もいいですよね。」

 

人間の体で言うとメイン・テーマは顔 その世界観に合わせて手足を作っていくんです

-久石さんの作品は、いずれもメロディはシンプルでありながらオリジナリティを強く感じるのですが、曲作りで意識していることはありますか?

久石:
「メロディは記憶回路なんですよ。記憶回路であるということは、シンプルであればあるほど絶対にいいわけです。メロディはシンプルでもリズムやハーモニーなどのアレンジは、自分が持っている能力や技術を駆使してできるだけ複雑なものを作る。表面はシンプルで分かりやすいんだけど、水面下は白鳥みたいにバタバタしてるんです。」

 

-メロディから曲を作ることが多いのですか?

久石:
「毎回違いますね。ポーンとメロディが浮かぶこともあれば、最初にリズムが出てきたり、ハーモニーからメロディをひっぱり出すこともある。あえてパターン化しないようにしています。」

 

-映画とCMの音楽制作はどこが違うのでしょうか?

久石:
「映画は2時間でストーリーを組み立てるから、全体の構成力が一番重要です。一方、CMは15秒くらいで終わってしまうので、どうやって瞬間的に見ている人の心をつかむかが大事。映画はお金を払って見に行くから、いやが応でもジッと見ていますけど、テレビだとトイレに行ったりビール飲んだり、つまらなければチャンネルを変えられてしまいますからね。」

 

-映画では映像が出来上がってから、曲を合わせるのですか?

久石:
「脚本を読んで監督がどういうものが作りたいのかを把握した上で音楽の方向性を決めて先にテーマを作っていくケースや、全部映像が完成してから一気に作っていくケースなど、これもあまりパターン化しないようにやってますね。」

 

-やはりメイン・テーマの制作には一番力が入るのでしょうか?

久石:
「人間の体で言うとメイン・テーマは顔みたいなもの。これをまずしっかり作って、あとはその楽曲の世界観に合わせて手足を作っていくんです。ある程度メイン・テーマができちゃうと楽ですね。最初にテーマを作るのが理想なんですけど、できないときもあるんですよ。」

 

-CMの場合はいかがでしょうか?

久石:
「CMは頭の7秒ぐらいが勝負。その場合はメロディよりもむしろサウンドが大事だったりすることもあるので、音色選びには時間をかけます。あとは、新鮮なネタみたいなものはすごく意識しています。ピアノ1台でも印象に残るフレーズってありますしね。」

 

(「キーボード・マガジン 2015年10月号 No.329  Keyboard Magazine October 2005」より)

 

 

 

Blog. NIKKEI STYLE「1日2食、鉄人の流儀 久石譲さん」インタビュー内容

Posted on 2017/04/01

3月31日付、NIKKEI STYLE「あの人が語る 思い出の味」にて、久石譲のインタビューが掲載されました。普段あまり語られることのない音楽以外のお話、私生活の一面をのぞかせる興味深い内容です。

 

 

あの人が語る 思い出の味
1日2食、鉄人の流儀 久石譲さん
食の履歴書

妥協は絶対に許さない。他人にも厳しいが、自分にはもっと厳しい。常に全力投球。そんなストイックで孤独な音楽活動を支えてきたのが普段、意識していなかった妻の家庭料理。「1日2食」と決めてから43年。「小さな病気一つしない」と健康の原動力になっている。

 

■深夜まで仕事場にこもる夜型人間

音楽の鉄人の朝は遅い。

「深夜まで仕事場にこもってひたすら作曲に取り組む夜型人間」だから、家族と一緒に朝食を取ることはほとんどない。妻が作り置いてくれた朝・昼兼用の手料理を電子レンジで温め直し、自宅のキッチンで独りで黙々と食べる。

食卓にのぼるのは繊維質や海産物が多いメニュー。ワカメやホウレンソウがたっぷり入った味噌汁に七分づき米のご飯、そして焼いたシャケやサバの味噌煮が添えられる。

ゴボウやニンジン、シイタケなどを酢飯に混ぜたちらしずしも大好物。「余計な塩分や油分をなるべく減らした健康食材ばかり。特にこだわりはないので食卓に出されるまま何も考えることなく料理を食べてきた」と振り返る。

1歳下の妻とは国立音大で出会った。生まれ育った環境の違いから価値観が衝突することも多かったが、売れない時代を支えてくれた恩人だ。卒業と同時に結婚。それ以来、「1日2食」というリズムはまったく変えていない。

 

■「食事のことを考えている余裕はない」

「音楽というのはそんなに生易しいものじゃない。正直、食事のことなんて考えている余裕はほとんどないよ」

「しっかり食べれば1日2回で十分。3回も食べていたら過食になってしまう」

84年の「風の谷のナウシカ」から「となりのトトロ」「魔女の宅急便」などアニメ映画の音楽をずっと任せてくれた宮崎駿監督とも一度も食事をしたことがないそうだ。

自分を究極まで追い込み、絞り出したメロディーを鍛え、全身全霊で1つの作品に磨き上げる。そんな求道者のような音楽活動が続けられるのは「毎日、健康食を食べてきたおかげ」と実感している。

長野県北部で生まれ育った。少年時代を過ごした中野市はリンゴやエノキダケなどの有名な産地。「シャボン玉」「あの町この町」を作曲した中山晋平や「故郷」「朧月夜」を作詞した高野辰之らの出身地としても知られている。

実は筆者も少年期を中野市で送った信州人である。だが故郷の話に触れると即座に不愉快そうな表情を浮かべ、こちらをジロリとにらんだ。

「僕の音楽を信州と結びつけたがる記者が多くてね」

母の料理もやたらに味が濃くて好きではなかったという。野沢菜やたくあん、煮詰めた濃い味噌汁、焼き魚とご飯……。子供心にあまりおいしいとは思えなかったらしい。

 

■小学校時代に見た膨大な映画、音楽活動の原点

だがこの時期に映画やジャズ、バイオリンなど音楽と出合う。高校教師の父に連れられて映画館によく出かけた。

「小学校時代はまさに映画の黄金期。公開される映画はほとんど見ていた。東映のチャンバラ劇も日活のアクション映画も大好きだった」

このころ見た膨大な映画の蓄積が今の音楽活動の原点になっている。4歳から習い始めたバイオリンで楽器に目覚め、ピアノ、吹奏楽、ギターを学び、高校時代には月2回、作曲家を目指して東京の先生のもとへ和声学や対位法などのレッスンに通い続けた。

体力的にはかなりきつかったが、信越線の横川駅で買った駅弁の釜めしの味が何とも懐かしい。列車の旅の中間点でちょうど腹がすく時刻。ウズラの卵、鶏肉、シイタケ、タケノコ、紅ショウガ……。益子焼の容器にしょうゆで味付けした炊き込みご飯に舌鼓を打った。「青春の味。懐かしいから今でも時々、食べている」と顔をほころばす。

2016年に長野市芸術館の芸術監督を引き受けたのは「自分の音楽経験をそろそろ故郷に還元してもいいかな」と感じたから。国内外で活躍している演奏者約40人を集めて「ナガノ・チェンバー・オーケストラ」を立ち上げた。目下、7月15.17日予定の演奏会の準備に余念がない。

2月の演奏会では本番直前に転倒して左手を骨折するアクシデントに見舞われた。「結構痛かった」が、2時間も指揮棒を振り続け「気がついたら左手がパンパンに腫れ上がっていた」と豪快に笑う。

頑固でコワモテ。理屈屋で負けず嫌いのへそ曲がり。だが決して冷たくはない。この記事を読んだら本人は怒るかもしれないが、音楽の鉄人にはやはり典型的な信州人の血が流れている気がする。

 

■焼き鳥で仲間と乾杯

30年近く通っているのが東京・西麻布の交差点に近い焼鳥屋「鳥とも」(電話03・3409・9808)。22席のこぢんまりとした店だが「気取らない雰囲気が気に入っている」。

ねぎま・ぼんちり・つくね・ぎんなん・手羽先・かわ・砂肝の7本の「焼き鳥コース」(1750円税抜き)、錦サラダ(1050円)、煮込み(700円)が必ず頼む定番メニュー。

キュルキュルした食感のかわや焦げ目が香ばしいぼんちりなどが美味。紀州備長炭を使い「1981年の開店以来、メニューはほぼ変えていない」と店長。

カウンターの一番奥が久石さんの指定席で仕事仲間や友人らと愉快に酒杯を傾け、最後は鳥スープめん(500円)で締める。店内にはビルの所有者だった写真家、故・秋山庄太郎さん直筆の看板も飾られている。

 

久石さんお気に入りの錦サラダ、焼き鳥(東京都港区の鳥とも)

 

■最後の晩餐

もちろん洋食も嫌いじゃないけど、日本人だからやはり最後は和食がいいかな。頭に浮かぶのは、いつも食べ慣れている女房の手料理。豆腐と薄味の味噌汁に温かい白米か炊き込みご飯、そこにお新香や焼き魚、煮魚が付いているような普通の朝食が落ち着きます。

(編集委員 小林明)

(NIKKEI STYLE より)

 

Blog. 「久石譲 オーケストラ・コンサート with 九州交響楽団」コンサート・レポート

Posted on 2017/03/25

3月20日開催「久石譲 オーケストラ・コンサート with 九州交響楽団」コンサート・レポートです。久石譲が初めて訪れる地、本公演前にはロビーコンサートが開催されるなど、開演前から並々ならぬ熱気と期待感に包まれたコンサート会場でした。

 

まずは演奏プログラムのセットリスト・アンコールから。

 

久石譲 オーケストラ・コンサート with 九州交響楽団

[公演期間]  
2017/03/20

[公演回数]
1公演
宮崎・都城市総合文化ホール 大ホール きりしま

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:九州交響楽団

[曲目]
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
チェロ/長谷川彰子(九州交響楽団 首席奏者)

—-intermission—-

久石譲:TRI-AD ~for Large Orchestra~
久石譲:Symphonic Poem NAUSICAÄ (交響詩「風の谷のナウシカ」2015)

—-encore—-
久石譲:Kiki’s Delivery Service for Orchestra

 

 

さて、個人的な感想やレビューはあとまわし、当日会場で配られたコンサート・パンフレットから、本公演を紐解いていきます。

 

 

都城の皆さん、こんにちは。
都城は初めて訪れますが、ここで演奏することを心より楽しみにしています。本日は自作曲を2曲と、ドヴォルザークを演奏します。まず私から、自作曲の解説をさせていただきます。

 

久石譲 TRI-AD ~for Large Orchestra~
作曲にあたって、最初に決めていたことは3つです。まず祝典序曲のような明るく元気な曲であること、2つめはトランペットなどの金管楽器でファンファーレ的な要素を盛り込むこと。これは祝祭感を出す意味では1つめと共通することでもあります。3つめは6~7分くらいの尺におさめたいと考えました。

そして作曲に取りかかったのですがやはり旨くいきません。コンセプトが曖昧だったからです。明るく元気と言ったって漠然としているし、金管をフィーチャーするとしてもどういうことをするのかが問題です。ましてや曲の長さは素材の性格によって変わります。

そんなときに思いついたのが3和音を使うことでした。つまりドミソに象徴されるようなシンプルな和音です。それを複合的に使用すると結果的に不協和音になったりするのですが、どこか明るい響きは失われない。ファンファーレ的な扱いも3和音なら問題ない。書き出すと思ったより順調に曲が形になっていきました。そこで総てのコンセプトを3和音に置きました。それを統一する要素の核にし、約2週間で3管編成にオーケストレーションしました。

「TRI-AD」とは3和音の意味です。曲は11分くらいの規模になりましたが、明るく元気です。この曲は2016年5月8日に長野市芸術館のグランドオープニング・コンサートで世界初演されましたが、その後関西フィルハーモニー管弦楽団などで演奏されています。今回、九州交響楽団のみなさんと演奏する事をとても楽しみにしています。

 

久石譲 Symphonic Poem NAUSICAÄ (交響詩「風の谷のナウシカ」2015)
1984年に公開された『風の谷のナウシカ』は宮崎さんのために最初に書いた音楽です。ですから人一倍思い入れがあります。1997年アルバム「WORKS・I」として初めて交響組曲にまとめ、ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団でレコーディングしました。2015年に宮崎作品を全曲組曲化するプロジェクトをW.D.O.(ワールド・ドリーム・オーケストラ)と開始してこれがその第2弾となりました。以下は今回の音楽ディレクターK氏の書いたコメントですがおもしろいので以下に掲載します。

「2015年夏に久石が音楽監督をつとめるワールド・ドリーム・オーケストラのため、自身の手で交響詩として生まれ変わらせた。地雷のごとく叩かれる冒頭のティンパニ。ピッコロの悲痛な叫びは大地を焦がす大爆発を導く。その後におとずれる後悔と悲しみは弦楽器に引き継がれ大地の嘆きを奏でる。トランペットのファンファーレに続き、バロック風モチーフが木管楽器と低音楽器群で奏でられる。まさにナウシカへのレクイエムである。最後はナウシカの再生を喜び合う人々が「生きている」ことを実感する壮大な音楽で結ばれる」

なるほど、人それぞれの感じ方があります。聞いていただいた人の中で新たなストーリーができたら幸いです。

久石譲

 

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
チェロ協奏曲としてはもっとも多く演奏され、もっとも愛されている曲である。作曲技術においても内容面においても非常にすぐれており、ブラームスをして「こんなチェロ協奏曲が人間の手で書けるということを、私はどうして気がつかなかったのだろう」と嘆息せしめた。

ニューヨーク・ナショナル音楽院校長としてのアメリカ滞在中(1982-95)の作品である。アメリカの黒人音楽やネイティヴ・アメリカンの音楽から想を得た親しみやすい旋律が多く、それらは主題としてだけでなく、主題間のつなぎのためのパッセージなどにおいても現れる。このことは同じアメリカ時代の作品《交響曲第9番「新世界より」》においても同じである。

第1楽章はロ短調、アレグロ、協奏的ソナタ形式(提示部が管弦楽のみとそれに独奏が加わった2つの部分から成る)。冒頭、クラリネットで演奏される第1主題は、多様な変奏に耐え得る明確な特徴を持つきわめて魅力的なものである。第2楽章はト長調、アダージョ、三部形式。冒頭の木管合奏による主旋律が美しい。その対比で中間部での管弦楽総奏による短調の主題が情熱的に迫ってくる。第3楽章はロ短調、アレグロ・モデラート。独奏チェロによって提示される主要主題が何回か循環的に現れる点でロンド形式と見なすことができる。が、そうした形式把握よりもこの主題を含むいくつかの主題の多様で魅力的な音楽に耳を傾けたい。

[解説] 中村滋延(作曲家・九州大学名誉教授)

(「久石譲 オーケストラ・コンサート with 九州交響楽団」コンサート・パンフレット より)

 

 

さて、冒頭でもお話したように本公演前のロビーコンサートの様子からお伝えします。

本公演に入場できない小さなお子さん向けに企画された無料ロビーコンサートにしてオール・ジブリ・プログラム。もちろん誰でも聴くことができ、たくさんの方が早くから来場しにぎやかな空間となっていました。

 

特別企画 九響の弦楽アンサンブルによるロビーコンサート

14:00~14:30 1Fマルチギャラリー

久石譲 となりのトトロ (「となりのトトロ」より)
久石譲 風のとおり道 (「となりのトトロ」より)
久石譲 もののけ姫 (「もののけ姫」より)
木村弓 いつも何度でも (「千と千尋の神隠し」より)
久石譲 いのちの名前 (「千と千尋の神隠し」より)
久石譲 君をのせて (「天空の城ラピュタ」より)
木村弓、久石譲 世界の約束~人生のメリーゴーランド (「ハウルの動く城」より)

第1ヴァイオリン/扇谷泰朋、齋藤羽奈子
第2ヴァイオリン/佐藤仁美、荒川友美子
ヴィオラ/猿渡友美恵、田邉元和
チェロ/石原まり、重松恵子
コントラバス/井上貴裕

 

広い1Fロビー空間の奥にステージが準備されていました。

 

 

何がすごかったか。通常ロビーコンサートは本公演前のウェルカムコンサート、来場した観客をお出迎えといった感じの雰囲気なのですが、今回の特別企画はもうひとつのコンサートと言ってもいいくらい熱気と拍手に包まれた空間でした。

また、個人的にびっくりしたのは、その弦楽アンサンブルにコンサートマスターも参加されていたことです。通常ロビーコンサートは四重奏や五重奏などのアンサンブルが多いなか、9名で奏でる弦楽合奏なうえに第1ヴァイオリンにコンサートマスターというなんとも贅沢なもの。たくさんの人に音楽を楽しんでもらいたい、子供から大人まで本物の音を届けたい、そして本公演へのムードづくり。久石譲にとっても観客にとっても”お出迎え”となった、素晴らしい主催者企画ですね。

 

200人?300人?多くの説明を必要としない光景です。

 

 

 

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
交響曲ばりの迫力ある作品です。紅いドレスに包まれたソリスト、小柄な可愛らしい印象とは対照的な重厚で流麗なチェロの響きでした。張りつめた緊張感と放たれたオーラで、一瞬にして観客を別世界へと誘ってくれました。

第1楽章後に観客からの拍手が起こるというハプニングもありましたが、それほどに拍手せざるを得ない空気があったのだと思います。地響きがするほどの臨場感で圧倒されてしまった。もちろん開演前のお決まりのアナウンス(楽章間の拍手はご遠慮ください)はありましたけれど、それを作法ととるのかルールとしてしまうのか。指揮者もオーケストラも楽章間の呼吸を整えるのに大変だったとは思いますが、何が起こるかわからない一期一会な演奏。お互いに空気を感じとりながらみんなで最高のコンサート空間をつくりあげていく、そんなことを感じた心あたたまる瞬間でした。

 

久石譲 TRI-AD ~for Large Orchestra~
よく響くホールに元気なオーケストラ。どの楽器セクションも浮き出るほどの大迫力な演奏。何度聴いても新しい発見のある作品です。オーケストラも変われば、座席も変わります。今回も目に耳に忙しく集中しながら、「あっ、ここでこの楽器たちはこんなことやってたんだ」と目に入ってこないと耳にも聴こえてこない音もたくさんあります。最後までワクワク感の止まらない万華鏡のようです。

 

久石譲 Symphonic Poem NAUSICAÄ (交響詩「風の谷のナウシカ」2015)
本公演では合唱なし編成、アルバム「The End of The World」でも聴くことができない貴重なヴァージョンです。たとえば「蘇る巨神兵」パート、管弦楽だけの迫りくるグリッサンドから醸される不協和音と鼓動も迫力満点でしたし、「遠い日々」のコーラスとはまた違った弦楽ピッチカートやグロッケンシュピールの響き。そこから金管楽器などに流れ発展していく様は、まるでバロック音楽のような一層の厳かささえ感じ、とても得した気分です。オーケストレーションは同じ、合唱なしでも成立してしまう音楽構成になっているというすごさです。久石譲と九州交響楽団による壮大なシンフォニー。大きな動きで演奏する管弦楽を見て、ナウシカを演奏することを心から楽しんでいる、そんな想いが十二分に伝わってきました。

 

—-encore—-
久石譲 Kiki’s Delivery Service for Orchestra
ナウシカの余韻で拍手喝采のなか、「もう1曲やる?」とジェスチャーで観客に合図を送り、笑顔で指揮台にあがる久石譲。コンサートプログラムとしてもアンコールとしても人気の「魔女の宅急便」です。弾むような躍るようなシンフォニー。今日というこの日の特別なお届けもの。会場全体がぱっと明るくなる響きに、指揮者もオーケストラも観客も笑顔のたえない至福の音楽でカーテンコールとなりました。

 

 

 

今年は海外公演も多く予定されている久石譲です。日本各地で久石譲音楽を久石譲コンサートを待ちわびている人がたくさんいる、改めてそんなことを感じた1日でした。学生服姿から普段着まで「うちの街に来るなら、そりゃー行くでしょ!せっかくなら聴きたい!よし行こうか!」と聞こえてきそうな日常生活の装い。音楽が身近にある風景、しかもそこで体感できるのは極上の音楽。これから今年一年、どんな土地でどんなプログラムを演奏してくれるのか、楽しみです。

 

コンサートに行かれた方!行けなかった方!次こそはと誓った方!どしどしコメントやメッセージお待ちしています♪ 響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

 

Blog. 「月刊ピアノ 2005年2月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2017/02/25

「月刊ピアノ 2005年2月号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。

オリジナルアルバム『FREEDOM PIANO STORIES 4』を発表した時期になります。

 

 

 

こんな時代だから、作家はどうしても発言を”きちん”としたい。でも今回、なんかそれはちがうかなって予感はしていた。

2004年はまさに久石譲によって怒涛の1年となった。『ハウルの動く城』、無声映画『キートン将軍』、ポップス・オーケストラ”World Dream Orchestra”、『FREEDOM』ツアー、そしてソロアルバム制作。彼はこれからの活動や作品を通して、何を感じ、何を思い、そして何を我々に伝えようとしたのだろうか。日々進化を遂げる”久石ワールド”に深く迫った。

 

僕にとってこの『FREEDOM』は過渡期だったと思うんですよ

-新作『FREEDOM』のタイトルに込められた思いをうかがたいのですが。

久石:
「実は、サブタイトルに”心の自由を求めて”ってつけようかなって思ってたくらい、最近、なんとなく世の中に閉塞感があって生きづらくなってると思うんです。たとえば”なにかやろう”って思っても、結果がなんとなくわかっちゃうんですよね。そうすると”これやっても仕方がない””これもやっても先が見えてる”みたいな感じで自分のほうで壁を作っちゃってなにもやらなくなってきてる気がしてて。僕自身もそうだし、周りの人たちなんかを見ててもすごくそういうのを感じていて。だから、自分の中のそういうバリアをはずしてやったらもっと生きやすくなるんじゃないかなぁって。そんな思いからこういうコンセプトになったんです」

 

-前作の『ETUDE』は”夢はいつか叶う”というもっとシリアスなテーマでしたが。

久石:
「やっぱりね、『ETUDE』までいっちゃうと一般に聴いてくれる人たちとどんどん自分が離れていっちゃうんだよね。個人的にはあの延長が好きではあるんだけど、内面的に深くなりすぎるっていうことは作家の自己満足にも陥りやすいと思うから、一回きちんとコミュニケーション取れるラインまで戻す必要があったんだよね。だから、このアルバムのメロディアスで美しい感じとは裏腹に、制作現場は悲惨なくらい悩んだけどね。まあとにかく”肩の力抜いて!”っていう感じなんです。だから曲目も『伊右衛門』とか『進研ゼミ』とかすごくわかりやすいでしょ? 自分でもちょっと恥ずかしいなぁって思うくらい(笑)。今回は気楽に、朝とか昼間の光を浴びながら聴いてくれ!っていう感じかな」

 

-リリースも予定よりかなり遅れたそうですね。

久石:
「そう。予定ではツアーの前だから10月には出したかったんです。でも、いろんな仕事が重なってしまって。バスター・キートンの無声映画をやって、ワールド・ドリーム・オーケストラの夏のツアーがあって、アルバムも作って、『ハウルの動く城』でしょ? もう、はっきりいってくたびれ果ててしまって(笑)。それで、ふと我に返っちゃったんですね。こんなやり方でいいのかってね」

 

-結果的にはじっくり制作期間をもってよかったということですね?

久石:
「そうですね。僕にとってこの”FREEDOM”は過渡期だったと思うんですよ。いまの世の中みたいに価値観がボロボロに崩れだした時代は、作家ってどうしても発言をきちっとしたいんですよ。自分が感じる世の中だったりとか、僕もそうしたくなってたんですけど、でもなんかそれは違うなっていう予感だけがあって。それで悩んだんです。でも、結果的に宮崎さんの『ハウルの動く城』も、たとえば『もののけ姫』のときのような壮大な、”人間とは?”っていう問いかけはしていないですよね。決して重い作品ではないし。きっとこの時代に、シリアスな発言しても疲れきってる人間にそれ言ってなんになる? っていうことなんです。それだったら、隣の人とつながってるんだとか、一日一日の思いを大切にするんだとか、もっと身近なことを言うくらいがせいぜいかなって。だから僕にとっても、宮崎さんにとっても次のための準備期間でありオアシス的作品になったんじゃないかな」

 

-アーティストは、時代背景を意識するべきだとお考えですか。

久石:
「この時代に生きてるから影響は受けないはずないよね。ただ、その時代の断面を切り取って見せるだけだと、数年後に古びますよね。だからこの時代の状況をふまえて、そこからどう普遍的なモノを探すかっていうことなんですよ。なんかいまのちょっとカッコよかったね(笑)」

 

2004年はワルツの年だった。それが”ハウル”にも不思議とハマったんだね。

 

”芸術家”の生き方は、僕の性格に合ってなかったんだ(笑)

-映画『ハウルの動く城』では、公開に先立って制作されたイメージ・アルバムを10日間で書き上げられたと聞きました。

久石:
「はじめ、全然曲が書けなくて苦しんでたんですよ。でも、チェコ・フィルでやるのは決まってて日程は迫ってくるし。そこで、とりあえず八ヶ岳のスタジオにこもったんです。そうしたら、なんか急にパッと雲が晴れちゃって、100人編成のフルスコアが1日1曲、10日間で10曲書けちゃって。あれはちょっと異常でしたね。完全になにか降りてきたっていう感じ。なにがそうさせたのかは自分でもわからないんだ。ただ、あれを基準に考えないでってスタッフには言ってるよ(笑)」

 

-映画『ハウルの動く城』では、メインテーマ「人生のメリーゴーランド」の華麗なワルツが非常に印象的でした。

久石:
「あのね、僕にとって2004年はワルツの年だったんですよ。実は『ハウル~』だけじゃなくて、バスター・キートンもテーマがワルツだったし、ワールド・ドリーム・オーケストラでもショスタコーヴィチのワルツを演奏したし。すごくワルツに凝った1年だったなぁって。なんかね、ワルツのあのリズムっていうのが、前作の『ETUDE』なんかでちょっと行き過ぎちゃった自分をもう一回戻してくれたんだよね。それが『ハウル~』の映像にも不思議とハマったんだよね」

 

-そして、もうひとつ非常に驚いたのが、その「人生のメリーゴーランド」が、シーンごとにさまざまなバリエーションとなって流れてきたことです。

久石:
「あれは、実は宮崎さんの意図なんです。今回はソフィーというヒロインが90歳から18歳の間でどんどん表情が変わっていく。そこで一貫してこれはソフィーであるということを印象づけるために、そのときに必ず流れる音楽がほしいって要望があって。それは、宮崎さんの中でとっても重要だったんです。それで、実は劇中の全30曲中18曲がこのテーマのヴァリエーションなんです。これは作曲家にとっては、非常につらいんですよ。だって作曲の技術を駆使しなくちゃならないから(笑)。あるときは、ラブロマンス的なもの、あるときは勇壮で、あるときはユーモラスで。でも、大変ではあったけど仕上がりを観て、こういう意図を要求された宮崎さんはあらためてスゴイと思いましたね」

 

-宮崎さんとは、数多くの作品でご一緒されてますが、常に観客に新鮮さを与えてくれるのはなぜでしょうか?

久石:
「それはあくまで作曲家と映画監督という関係で、作ったものを中心に置いての対峙関係でずっとやってるから。たとえば、普段一緒にゴハンを食べたりも一切しないしね。でも、もう何十年も一緒にやってるからお互いの性格もよくわかるし、お互いに甘えとか妥協は絶対に許さないから。だから、一回そういう慣れ合ったやり方を提示したら次はないと思ってる。毎回まっさらになって取りかかるっていうことですよね。そして、2~3年後に宮崎さんの作品が来るころ、自分がどれだけ成長してるかなんだよね。だから大変ですよ(笑)。でも、宮崎さんは人間的にも素晴らしい人だから、一緒に仕事ができる喜びのようが強いんだよね」

 

-いまや、久石さんの音楽は世代を超えて幅広く愛されていますが、もともとは前衛的な現代音楽に傾倒されていたと聞きました。どんな心境の変化が?

久石:
「そう。もう観客なんてどうでもいいっていう音楽を死ぬほどやってましたから(笑)。20代は芸術家だったんですよ。聴衆とか関係なく、自分のやりたいこと、新しいことを求めてて。ただ、あるとき、理屈っぽい世界のありかたに疑問をもってしまって。でも、もちろん価値はあるんですよ。ただね、芸術家であろうという生き方と、大衆性をもった生き方があった場合、自分の性格が大衆性の方に合ってたんですよ。それが一番の理由かな」

 

-昨年も、本当に多忙を極めた1年となりましたが、今年はどんな活動を?

久石:
「ナイショ(笑)。いろいろやりたいことはあるけど、いつも先を決めちゃってこなさなきゃいけなくなるケースが多いから、今年は自分でまず何をやりたいかを見つめたい。だから、いまはいっさい宙ぶらりんって感じかな(笑)」

 

補)
掲載インタビューページ内、インタビュー撮影写真下のひと言コメントより。

久石:
「『ハウル~』のイメージアルバムは、自分で言うのもなんだけど後世に残らなきゃいけない作品だと思う。いつか絶対フルオーケストラでコンサートを実現させたいね」

久石:
「ワールド・ドリーム・オーケストラでは、世界中にある美しく素晴らしい曲を、どんどん皆さんに届けていきたいね」

(「月刊ピアノ 2005年2月号」より)

 

 

ちょうどこの頃の久石譲活動詳細は、書籍「35mm日記」にも綴られています。忙しい日々、『FREEDOM PIANO STORIES 4』の喧々諤々な制作現場、何が大変だったのか?!ぜひ本を手にとってみてください。

目次は下記作品ページでご紹介しています。

 

Book. 久石譲 「久石譲 35mm日記」

 

 

bonus photo

 

 

 

Blog. 「NCAC Magazine Opus.4」(長野市芸術館) 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2017/1/11

長野市芸術館 広報誌 「NCAC Magazine Opus.4」(2016年12月15日発行)にて、久石譲インタビューが掲載されています。巻頭2ページにわたって、「ナガノ・チェンバー・オーケストラ ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス」について語られています。

定期演奏会のプログラムについて、ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)が追求するベートーヴェンとは、第1-2回公演を振り返って。そして2月に迫った第3回公演に向けて。読み応えあるだけでなく、メディアを通して語ることが少ないぶんだけ、久石譲のダイレクトなメッセージを受けとれる貴重なインタビューです。

 

 

作曲当時の編成で ロックのようなベートーヴェンを!
~ナガノ・チェンバー・オーケストラの比類ない魅力

文:柴田克彦(音楽ライター)

クラシックの最高峰を軸にしたかつてないプログラミング

長野市芸術館オープニング・シリーズの柱ともいうべき「ナガノ・チェンバー・オーケストラ ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス」の第3回の公演が、2月に開催される。クラシック音楽の金字塔であるベートーヴェンの9曲の交響曲を、2年半・全7回で演奏するのがこのシリーズ。まずは、今なぜベートーヴェンなのか?を、ツィクルスの指揮者である当ホールの芸術監督・久石譲の口から語ってもらおう。

「ベートーヴェンはやはりクラシック音楽の最高峰。何をどう頑張っても最後はここに行き着くんです。別の音楽を何回か経験した後に挑む方法もありますが、最初にベートーヴェンの交響曲全曲演奏を経験し、あるときにまた挑戦すればいい — 僕はそう考えました。演奏者もベートーヴェンをやるとなれば気持ちが違いますし、新たにスタートしたナガノ・チェンバー・オーケストラでも、メンバーの結束の強さが変わってきます。これはとても重要なことだと思っています」。

大きな特徴は、毎回「現代作品」がカップリングされている点。そこには、”作曲家”久石譲の明確な意志が示されている。

「現代に作られた曲と古典的な音楽を組み合わせるのが、僕の基本的な考え方。これは長野でも変わりません。クラシック音楽は、ほっておくと古いものばかり演奏されてしまいます。しかしそれでは古典芸能になってしまう。そうしないための唯一の方法は、今日作られている作品を演奏して、未来に繋げていくことです。また自分が一生懸命取り組んでいる音楽を、皆に聴いて頂きたいとの思いもあります。多くの現代音楽は、一部のファンだけを集めた特殊なコンサートで演奏されていて、普通のクラシック好きには届いていませ ん。今我々が生活している世界の動きの中で作られている作品を、理屈抜きに感じる意味においても、通常のコンサートで必ず現代曲を演奏すべきだと考えています」。

清新なアプローチと 類のない豪華メンバー

2016年7月に行われた第1回(第2回も翌日に開催)の公演を聴いて、生気に充ちた演奏に感銘を受けた。プログラムは、前半がヴィヴァルディ(久石譲編曲)の「ラ・フォリア」 とグレツキの「あるポルカのための小レクイエム」、後半がベートーヴェンの交響曲第1番という、見たことのない組み合わせ。これ自体がすこぶる新鮮だ。「ラ・フォリア」のソリストを長野市出身のメンバー3名が務めるのも、第1回の開幕に相応しい配慮。前半は普段聴く機会のない、しかしそれでいて明快な音楽が、シリアスかつ優しく耳に届けられる。後半は、小綺麗に整った模範的な演奏ではなく、各奏者の表現意欲が束になって前進するような、ビート感やライヴ感のあるベートーヴェン。オーボエをはじめとする各楽器のソロも表情豊かで、メインに置かれることの少ない第1番が、エネルギーと躍動感に溢れた力作であることを再認識させられた。

このベートーヴェン演奏には、久石の音楽観が強く反映されている。

「我々の演奏は、日本の人たちが通常やっているベートーヴェンではないんですよ。アプローチは完全にロックです。さらに言うとベートーヴェンが初演したときの形態でもあります。現代のオーケストラは、ワーグナー以来の巨大化したスタイルであり、ドイツ音楽は重く深いものだと思われています。しかしベートーヴェンが初演した頃は、ナガノ・チェンバー・オーケストラくらいの編成なんです。巨大なオーケストラが戦艦やダンプカーだとすれば、ナガノ・チェンバー・オーケストラは、モーターボートやスポーツカー。小回りが効くし、ソリッドなわけです。我々は、ベートーヴェンが本来意図した編成を用いながら、現代の解釈で演奏します。なぜなら昔と違ってロックやポップスを聴いている今の奏者は、皆リズムがいいからです。そのリズムを前面に押し出した強い音楽をやれば、物凄くエキサイティングなベートーヴェンになる。我々のアプローチはそういうことです」。

奏者たちもそれに応えている。

「何十回もやって慣れてきたスタイルと全く違うので、メンバーも興奮していますよ。別に特別な細工をしたわけではありません。先に申し上げたように、編成はオリジナルに近づけて、リズムなどは現代的な解釈を採用しただけです。皆が色々な音楽を聴いている今は、その感覚で捉えなかったら、ベートーヴェンをやる意味はないと思うのです。ですから本当に、だまされたと思って一度聴きに来てください」。

ナガノ・チェンバー・オーケストラは、何しろメンバーが素晴らしい。第1、2回に続いて参加する主な顔ぶれをみても、コンサートマスターの近藤薫(東京フィル・コンサートマスター)をはじめ、ヴァイオリンの遠藤香奈子(都響首席)、水鳥路(東京フィル首席)、ヴィオラの中村洋乃理(N響次席)、加藤大輔(東京フィル副首席)、チェロの渡邉辰紀(東京フィル首席)、向井航(関西フィル特別契約首席)、コントラバスの弊隆太郎(シュトゥットガルト放送響)、オーボエの荒絵理子(東響首席)、ファゴットの福士マリ子(東響首席)、ホルンの福川伸陽(N響首席)、日比野美穂(ドレスデン国立歌劇場管)、トランペットの長谷川智之(N響)、ティンパニの岡田全弘(読響首席)等々、各楽器屈指の名手が目白押し。これに今回初登場となるフルートの荒川洋(新日本フィル首席)、ファゴットのチェ・ヨンジン(東京フィル首席)、ホルンの豊田美加(神奈川フィル首席)などを含めて、著名オーケストラの首席クラスの奏者がズラリと顔を揃え、海外一流楽団からも参加し、フリーの名手や長野県出身者も複数いる。しかも若い世代の実力者が中心を成しており、気力と意欲に充ちた奏者たちが、久石の清新なアプローチのもとで生き生きとした音楽を聴かせてくれる。実はこのオーケストラ、東京でも聴くことができない唯一無二の豪華精鋭アンサンブルなのだ。

本格化の幕開けを告げる傑作が登場

第3回のプログラムの「現代曲」にあたる部分は、久石譲の新作の世界初演。これもまた豪華メンバーゆえに実現した。

「本当は別の曲を予定していたんです。でもオーケストラが物凄く優秀で、次世代を担う人たちが結集している。夏の第1、2回のコンサートも、メンバーたちが喜んでくれて、僕も嬉しかった。なので作曲家たる自分がこのオーケストラのために作品を書かないのは間違いだろうと思い、今回新作を作ることにしました」。

まだ内容は未定だが、「おそらく弦楽を主体にした作品になるだろう」との由。ナガノ・チェンバー・オーケストラのサウンドと技量を想定した初の作品だけに、大きな注目が集まる。

ベートーヴェンの交響曲は、第4番と第3番「英雄」。第4番は、「二人の巨人(第3番『英雄』と第5番『運命』)に挟まれた美しいギリシャの乙女」というシューマンの形容で知られる佳品にして、第1楽章の加速しながら主部へ移る手法や第2楽章の幻想的なロマンなど、古典的造作の中に新たな方向性を見出した意欲作である。それに楽曲の性格上、ナガノ・チェンバー・オーケストラの編成や持ち味が生きるのは間違いない。ここは若干隠れた名作の真髄を体感する好機となるであろう。

第3番「英雄(エロイカ)」は、かつてない巨大な構成で、交響曲の歴史を変えた作品。第2楽章の「葬送行進曲」は広くおなじみだし、第1楽章の大胆な開始と無限の推進力、第3楽章のホルン3本の効果(強力メンバーを揃えた今回の演奏は期待大!)、第4楽章の変奏曲の採用など、画期的要素が満載されている。しかもこの曲は、2014年10月の長野市芸術館開館記念プレイベントで、久石が新日本フィルを指揮して披露した演目でもある。彼は「『エロイカ』は、“ 崇高さと下世話”が同居しているので、大変なんですよ。本当に立体的に届けようと思ったら、正月も休めないくらいです」と話すが、今回はそれを踏まえた久石のアプローチとナガノ・チェンバー・オーケストラの清新な熱演に期待がかかる。

久石は、こう語る。

「ナガノ・チェンバー・オーケストラを、”おらが街のオケ”と思ってもらえるよう、何とか努力したい。僕の理想は、駅前の飲み屋にチラシが置いてあって、『昨日行ってきたけど、これがいいんだよ』といった話が日常会話になること。自分の街がオーケストラを持っているのは自慢できることだし、『長野には善光寺プラスこういうのがある』といわれるためにも、『敷居は高くない。聴いたら絶対楽しい』ことをどんどん発信していきたいと思っています。それに ホールでの生の舞台には、格別な感動があります。とにかくこのオーケストラを、できる限り多くの人に聴いてもらいたいですね」。

ベートーヴェン中期“傑作の森”の幕開けを告げる名作を2曲聴ける今回は、ビギナーも音楽通も“おらが街のオーケストラ”に足を運 ぶ格好の機会だ。

(長野市芸術館広報誌「NCAC Magazine Opus.4」より)

 

 

◆長野市芸術館 広報誌 Vol.4(NCAC Magazine)12月15日発行
※広報誌は長野市芸術館の公式サイト内からどなたでもご覧いただけます。

長野市芸術館公式サイト>>>
https://www.nagano-arts.or.jp/ダウンロード/
こちらのページの「NCAC Magazine」の「ダウンロード」をクリック。
PDFファイルとして閲覧およびダウンロードできます。

 

 

Blog. 「久石譲 ジルベスターコンサート 2016 in festival hall」 コンサート・レポート

Posted on 2017/01/07

毎年恒例の久石譲ジルベスターコンサート。2014年から3年連続、2016年も大晦日に開催されました。1年間の総決算であり、久石譲自身もこのジルベスターコンサートには特別な思い入れがあると思います。その年の書き下ろし作品やコンサート演目からの集大成、往年の名曲も盛りこまれ、さらには来年以降の方向性ものぞかせるような、とびきりスペシャルなコンサート、それが「久石譲ジルベスターコンサート」です。

 

まずは演奏プログラム・アンコールのセットリストから。

 

久石譲 ジルベスターコンサート 2016 in festival hall

[公演期間]
2016/12/31

[公演回数]
1公演
大阪・フェスティバルホール

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:安井陽子

[曲目]
TRI-AD for Large Orchestra

Deep Ocean *世界初演
1.the deep ocean
2.mystic zone
3.radiation
4.evolution
5.accession
6.the deep ocean again
7.innumerable stars in the ocean

—-intermission—-

~Hope~
View of Silence
Two of Us
Asian Dream Song

Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE

—-encore—-
Dream More
My Neighbor TOTORO

 

 

例年にも増してスペシャルなプログラムですね。なかなかこれだけの過去(名曲)、現在(2016年発表)、未来(世界初演)が一堂に会することは、近年の久石譲コンサートでも稀です。1年間の締めくくりにふさわしい、出し惜しみなしの、サービス満点スペシャル・コンサート。

さて、個人的な感想やレビューはあとまわし、当日会場で配られたコンサート・パンフレットから、本公演を紐解いていきます。

 

 

一口コメント ~大阪ジルベスターコンサートに寄せる~

2016年の大晦日になりました。その大晦日に行われるコンサートをジルベスターコンサートといいます。これはドイツ語で大晦日(SILVESTER = 聖ジルベスターの日)から由来したとウィキペディアに載っています。どうりで英語の辞書を引いても出てこないわけです。

暮れは大阪で!もう僕の体内時計にはセットされています。
さあ1年を締めくくるコンサート、張り切っていきましょう、開演です。
が、そのまえに簡単な解説を。

一口コメント
前半はミニマル・ミュージック(僕のライフワークです)をベースにした祝典序曲と映像作品で、後半は最近あまり演奏していなかった曲を含めてメロディー中心の楽曲を選びました。

また弾き振り(ピアノを弾きながら指揮もする)に初挑戦します。そのためこのコーナーはすべて新しくオーケストレーションし直しました。

あれ、今までもピアノと指揮を同時に行っていたではないか?という声が聞こえますが、いや違うのですよ!今までは指揮をしている合間にピアノを弾いていたのです(笑)。その違いをぜひご覧ください。

二口コメント
その弾き振りの「HOPE」というコーナータイトルは長野パラリンピックのときに作った応援アルバムのタイトルからとりました。折しもフィギュアスケートの羽生結弦さんが今年の演目で採用している楽曲が2曲含まれます、お楽しみに。

三口コメント
「Deep Ocean」は今夏NHKでオンエアーされたドキュメンタリー番組のために書いた曲を今回のジルベスターのためにコンサート楽曲として加筆、再構成しました(リハーサルの10日前に完成、相変わらず遅い)。ですから世界初演です。7つの小品からできており、ミニマル特有の長尺でもないので聴きやすいと思いますし、ピアノ2台を使った新しい響きは僕自身ホールで聴いてみたかったのです。でも真冬になぜ深海?寒そうなどといってはいけない、あと半年で夏がきます。

かんたんなコメントのはずが長くなってきました。以下はCDまたは初演のときの解説などの抜粋を載せますが、そのまえに一口ではなく一言、関西フィルハーモニーの皆さん、ソプラノの安井陽子さん(今夏W.D.O.ツアーでも共演)と演奏するのがとても楽しみです。会場の皆さまにも楽しんでいただけたら幸いです。

久石譲

 

Program Note

「TRI-AD」 for Large Orchestra
タイトルの「TRI-AD(トライ・アド)」のとおり「三和音」をコンセプトに書かれた、シンプルで立体感あるミニマル作品。祝典序曲のような明るく華やかな曲調と、冒頭のファンファーレが、これからはじまる「何か」をそこはかとなく期待させてくれる。2016年5月8日、久石が芸術監督を務める長野市芸術館のグランドオープニング・コンサートにおいて世界初演された。

Deep Ocean *世界初演
2016年夏に放送されたNHKスペシャル『ディープ・オーシャン』のために書きおろした曲。2013年の「ダイオウイカ」に次ぐ新・深海シリーズ。

 

~HOPE~

View of Silence
1989年のアルバム「PRETENDER」に収録され、その美しいメロディーから、根強い人気を誇る名曲として知られている。
*ベスト盤「THE BEST COLLECTION」収録

Two of Us
1991年の大林宣彦監督作品『ふたり』より。思わず口ずさみたくなるような甘く切なく、どこか懐かしいメロディーは、聴く人の心に強い印象を与えてくれる。
*アルバム「My Lost City」(ピアノ&ストリングス版)、「WORKS・I」(オーケストラ版)収録

Asian Dream Song
1998年、長野パラリンピック冬季競技大会のテーマソングとして作曲された。「世界の中の日本」をイメージしてつくられ、アジアの風土を想起させる荘厳なメロディーと、日本の情緒的な音階の中に力強さが感じられる曲。
*「PIANO STORIES II」(ピアノ&ストリングス版)、「WORKS II」(オーケストラ版)収録

 

Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE
1997年公開、宮崎駿監督作『もののけ姫』より。アシタカが登場するシーンのメインテーマ「アシタカせっ記」からはじまり、タタリ神と死闘を繰り広げる「TA・TA・RI・GAMI」に加え、「旅立ち」「コダマ達」「シシ神の森」「もののけ姫」「レクイエム」、そしてラストは久石のピアノ・ソロが登場する「アシタカとサン」と、いずれも物語の印象的なシーンを彩るモティーフにより壮大な物語が紡がれる。

今回演奏される交響組曲は、宮崎監督作品の音楽を作品化するプロジェクトの第2弾として、「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2016(W.D.O.2016)」で初演された作品。主題歌でおなじみの「もののけ姫」と、「アシタカとサン」はソプラノ・安井陽子によって歌われる。

(一口コメント/楽曲解説 ~「久石譲ジルベスターコンサート2016」 コンサート・パンフレットより)

 

 

コンサート・パフレットを開演前の客席で読みふけりながら、オケの皆さんの直前音出しを耳にしながら(これはなんの曲のどこだろう?  ひとりクイズする感覚)、期待いっぱいに胸は高鳴っていきます。ここからは、感想・レビューを記していきます。

 

と、その前に、関西フィルハーモニーについて。「エンター・ザ・ミュージック」(毎週月曜日夜11時BSジャパン)に出演しています。クラシックから映画音楽、多彩なゲストや楽器とのコラボレーションと、趣向をこらした音楽番組です。つい先日は「ニューイヤースペシャル」特集、新年にふさわしい優雅なプログラムでした。「鍛冶屋のポルカ」では、鍛冶職人の鉄を打楽器として使い、見ていても楽しいユーモアな演出で、ぐっと音楽が身近になります。

次回(1月9日放送)は、「ピアノ協奏曲第3番/ラフマニノフ」特集です。ちょっとしたトークや楽曲解説もあるので、オーケストラや楽器のこと、クラシック音楽のことをわかりやすく学びたい、まさに私のような初心者でも楽しめる番組です。ぜひ興味のある人は、チェックしてみてください。

いつも観ているせいか勝手に親近感をもってしまい、そののびやかで勢いのある演奏、テレビで観るおなじみの皆さんに、客席から「毎週楽しいプログラムをありがとうございます!」と心のなかでお辞儀して強い拍手でお出迎え、いざ開演の時間です。

 

 

「TRI-AD」 for Large Orchestra
2016年に書きおろした作品のひとつです。「三和音」をコンセプトにしていますが、とても演奏難易度の高い曲だと思います。あらためて聴いてこの作品の末恐ろしさを感じました。ミニマル・ミュージックとしても大作ですし、祝典序曲のような華やかさと躍動感もすごいです。さらに今回、ひしひしと感じたのがうねりです。「音がまわる」立体音空間です。とりわけ、ラストの螺旋状に昇っていくような各セクションの音の織り重なりは圧巻です。ファンファーレ的な金管楽器に、弦楽器や木管楽器が高揚感をあおり、粒きれいに弾ける打楽器・パーカッション。オーケストラの音がステージから高くスパイラルアップして響き轟く立体的な音空間。これはぜひコンサートで生演奏を体感してほしい、臨場感を味わえる楽曲です。

オーケストラも対向配置なので各セクションが輪郭シャープに、メリハリある前後左右の音交錯を体感できます。近年久石譲コンサートはそのほとんどが対向配置をとっています。ただ、それに輪をかけて、秘めたる潜在パワーをもった作品のような気がします。長野公演から半年以上経って、今回新しく感じたこと。これは久石譲の楽曲構成とオーケストレーションの強烈なマジックなのかもしれない、と。独特なうねりです。

 

左が「対向配置」、右が「通常配置」です。主に弦楽器(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)の楽器配置が異なります。コントラバスの位置や、管楽器・打楽器の配置は、「対向配置」においても「通常配置」においても、作品意図によってバリエーションはさまざまです。

超浅い知識で補足します。久石譲の緻密なオーケストレーションは、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが違う旋律やリズムを奏でることが多いです。なので、隣あわせの「通常配置」よりも、対称に位置する「対向配置」のほうが、それぞれのパートがくっきりシャープに、空間的にも立体的響きになる。かつ、管弦打楽器配置を活かした絶妙なパート構成やオーケストレーションの進化。そんな感じじゃないかなあ、わかりませんよ、でも弓の動きを見てると違います(超素人 笑)。

なんて、えらそうなことを書いていますが、ここ数年ではじめて知ったことです。せっかくの久石譲コンサート、最大限に満喫したいですよね!もっともっと教えてもらいたいこともたくさん、もっともっと学んで分かち合いたいこともたくさん、そんな心境です。余談でした。

 

Deep Ocean *世界初演
本公演のサプライズ的演目でした。まさかこの作品が聴けるとは、しかも小編成オーケストラとピアノ2台という大掛かりなステージ配置変更をしての演奏です。「ミュージック・フューチャー vol.3」でも別新作をピアノ2台と室内アンサンブル編成で聴かせてくれたばかりです。ここは小ホールとは違い大ホール。ステージ前面ギリギリのところでセッティング、指揮者も奏者も前面中央に密集、少しでも微細な響きが客席奥や2、3階席まで届くようにと配慮されてのことかもしれません。

ミニマル・ミュージックの心地よいグルーヴ感と、神秘的な世界観。多彩な打楽器や管楽器の特殊奏法などで、目をとじて耳をすませたくなる深海の世界が広がっていました。かなり忘れたくない余韻で気になったので、録画していたTV番組を見返してみました。「ダイオウイカ」シリーズからではなく、「ディープオーシャン」として新しく書きおろした音楽は、ほぼ演奏されたんじゃないかなあ、と記憶をふりしぼっています。2017年夏には第2回以降のTV放送も予定されています。サウンドトラック発売も待ち遠しい作品です、いやホントしてくれないと困る作品です(強く)。

 

~HOPE~
View of Silence
Two of Us
Asian Dream Song

約30名の弦楽オーケストラと久石譲ピアノの共演にて。往年の名曲たちが極上の響きとなって観客を陶酔させてしまったプレミアム・プログラムです。あまりにも素晴らすぎて、語ることがありません。

「View of Silence」や「Asian Dream Song」は、『a Wish to the Moon -Joe Hisaishi & 9 cellos 2003 ETUDE&ENCORE TOUR-』での楽曲構成・ピアノパートをベースにしていると思いますが、9人のチェリストから約30人のストリングスへ、豊かな表現と奥ゆかしさで、たっぷりねかせた&たっぷり待ったぶん熟成の味わい。

「Two of Us」は、コンサートマスター(ヴァイオリン)&ソリスト(チェロ)&久石譲(ピアノ)を中心に、バックで弦楽が包みこむ贅沢なひととき。パンフレットにもCD紹介はされていましたが、どちらかというと楽曲構成・ピアノパートは、『Shoot The Violist ~ヴィオリストを撃て~』収録バージョンに近いと思います。そこに弦楽(ストリングス)が大きく包みこむイメージです。

久石譲初挑戦の弾き振り(ピアノを弾きながら指揮もする)。どの楽曲もピアノパートが多くほとんど弾きっぱなしです。ピアノ奏者として座ったままの状態で、オーケストラに目を配らせ、ときおり身振り手振りで指揮者の役割も果たす。なるほど納得です。

2016年は、フィギュアスケート羽生結弦選手が久石譲の楽曲を採用したことでも話題になりました。そんな羽生選手ファンもこのコンサートを楽しみに来られていたと思います。きっと大満足で久石譲の音楽に、羽生選手の残像に、胸いっぱいの余韻だったのではないでしょうか。

 

Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE
W.D.O.2016コンサートツアーで日本各地と台湾を湧かせたばかりの「交響組曲 もののけ姫」です。ソプラノ・安井陽子さんはW.D.O.2016【Bプログラム】のほうで共演していました。この作品はなんといっても弦楽器も管楽器も打楽器・パーカッションも、重厚です。関西フィルの演奏もパワフルでエネルギッシュ、この作品にふさわしい大迫力でした。

楽曲詳細やレビューは「W.D.O.2016」にて書いていますのでそちらをご参照ください。

 

—–アンコール—–

Dream More
W.D.O.2015、W.D.O.2016でも演奏されている「サントリー プレミアムモルツ マスターズ・ドリーム」CM曲です。すっかり定着してきた感のある優美なメロディーで、今年一年に乾杯!そして大晦日のこの日新年にむけて乾杯!そんな久石譲のサービス心を感じる艷やかで華麗なシンフォニー。
(アルバム「The End of the World」収録)

 

My Neighbor TOTORO
「もう1曲やるよ」とジャスチャーで合図して、舞台袖から再び指揮台にあがった久石譲。永遠のメロディー、トトロです。楽しそうに演奏するオーケストラも、自然にからだを揺らしてしまう観客も、みんなで音楽を楽しんでいると感じる瞬間です。中間部の久石譲によるピアノ演奏もあって、幸せと名残惜しさをかみしめながらのクライマックス。鳴り響く最後の一音とバズーカークラッカーによる紙テープで盛大にフィナーレ!
(アルバム「メロディフォニー Melodyphony」収録)

 

舞いあがったテープと総立ちスタンディング・オベーションはほぼ同時の出来事でした。久石譲も、オーケストラも、観客も満面の笑みで、至福の会場は包まれました。その決定的瞬間は久石譲オフィシャルFacebookで写真におさめられています。

公式サイト:久石譲オフィシャルFacebook | ジルベスターコンサート2016

 

久石譲も何回袖から出てきたでしょうか。そのたびに楽団をねぎらい、奏者たちから讃えられ、そして観客の拍手とブラボーの波は大きくなる一方。やむことのない拍手喝采に、久石譲は手で”静かに”と合図して、一瞬で会場は沈黙、そのとき久石譲の生声で「よいお年を」という一言、また割れんばかりの大喝采、最高潮のまま観客総立ちでコンサートは終わりをつげました。

 

会場客席に舞ったテープを記念にもらうお客さんも多かったですね。もちろん私も大切に持ち帰りました。

 

 

久石譲コンサートに足を運ぶことの多い近年、新しい作品を聴くことを楽しみに、それらが大変強く印象に刻まれます。が、不覚にも!?今回は往年の名曲たちが心からよかった。久石譲にしか出せないピアノの音ってあるんですよね。あれはテクニックや技術とはちがうところ、魔法です。そんな久石譲の魔法は「View of Silence」「Two of Us」「Asian Dream Song」、もののけ姫より「アシタカとサン」、そしてアンコール「となりのトトロ」の中盤で光輝き、すっかり酔いしれてしまいました。やっぱりいい、いいものはいい、としか言いようがないんです。

久石譲のピアノの音色でよみがえってくるもの、こみあげてくるものが、あまりにも大きすぎて、ちょっとやられちゃいましたね、ノックアウトです。これからも少しでもいいので、久石譲のピアノを聴かせてほしいと心から願うばかりです。あの手から紡ぎだされる音は唯一無二、みんなが待ちのぞむ音の魔法です。今回初挑戦の弾き振り(ピアノを弾きながら座って指揮もする)も、いつもの弾き振り(指揮台とピアノを往来する)も、どちらも大歓迎です!

「サイコー!ブラボー!」──これだけでコンサート・レポートとしたいところです(笑)が、そんな弾け飛びそうな気持ちを、少しずつほぐしてほぐして、書きおわりました。いつも読んでいただきありがとうございます。

 

コンサートに行かれた方!行けなかった方!次こそはと誓った方!どしどしコメントやメッセージお待ちしています♪ 響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントを残す” からどうぞ♪

 

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