Blog. 「ストレンジ・デイズ 2015年12月号」 久石譲 MF Vol.2 コンサート紹介

Posted on 2015/12/19

2015年10月21日発売 雑誌「ストレンジ・デイズ 2015年12月号 No.193」

2015年9月24、25日開催「久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.2」コンサート・レポート記事が掲載されていました。執筆家によるプロ目線でのそのレポート内容をご紹介します。

 

 

コンテンポラリー・ミュージック
MUSIC FUTURE VOL.2

「JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE VOL.2」というコンサートがよみうり大手町ホールで、2015年9月24日(木)、25日(金)、2日にわたって行われた。演奏されたのは以下の5曲。

スティーヴ・ライヒ 《エイト・ラインズ》 (1983)
ジョン・アダムズ 《室内交響曲》 (1992)
ブライス・デスナー 《Aheym》 (2009)
久石譲 《Single Track Music 1》 (2014-15)
久石譲 《室内交響曲》 (2015)

久石譲が映画の音楽で知られた人物であることは、あらためて言うまでもないだろう。北野武の作品や宮崎駿のアニメーションで特に多くの人びとに記憶されているし、ほかにもフランス映画『プセの冒険 真紅の魔法靴』(監督:オリヴィエ・ダアン)、香港映画『海洋天堂』(監督:シュエ・シャオルー)、中国映画『スイートハート・チョコレート』(監督:篠原哲雄)といった海外作品にも参加している。

わたしにとっては、しかし、映画の音楽は後からのものだ。「久石譲」と名のる以前、本名の藤澤守での作品を70年代、記憶が間違っていなければ、ふれたことがある。そしてアルバム『MKWAJU』(81年)のインパクトは、赤ーとオレンジのあいだくらいの色だろうか?ーとグリーンとがコントラストをなす色鮮やかなジャケット・デザインとともに、大きい。すでに上記のライヒやフィリップ・グラスなどの「ミニマル・ミュージック」が、都会的な洗練とシステマティックなつくりになったことに対し、アフリカの大地に根差したような力強さを回復する、というようなことが謳われていたのではなかったか。一度デジタル・マスタリングされ再発してはいるが、そちらは手にしていないので、確認してはいないのだけれども。

久石譲のオフィシャル・サイトをみると、81年の『MKWAJU』が「初の作曲・プロデュース作品」としてある。そして翌82年がファースト・アルバム『INFORMATION』、83年が映画公開に先がけてのイメージ・アルバム『風の谷のナウシカ』とつづく。そして以後、数々の映画の音楽が年ごとに並ぶことになる。そしてそれぞれのなかには『MKWAJU』で響いていた音色が、反復される音型が、いつも、というわけではないかもしれないが、垣間みられた。特にその親しみやすいメロディの背景に。

話をMUSIC FUTUREに戻す。

久石譲はここで、新たに自らが同時代と感じ、親しみを持ってきた音楽を、自らの手であらためてプログラミングしている。それは、映像とともにある音楽とは別の、映像がないことで成りたつ、音楽のみでのコンサートで体験される音楽であり、それはヨーロッパ由来ではあるかもしれないが、現在は世界に広がっている「コンサート音楽」だ。そして、久石譲自身とほかの作曲家の作品が、照応されるべく、組みたてられている。

確かに作曲家たちは親近性のある作品を自ら企画するコンサートで並べてきたし、いまでもそういうことは多い。だが、それが多くの聴き手を集めることは難しい。たとえどれかの作曲家に興味があっても、情報そのものがその聴き手まで届かないことだってありうる。おそらく、ライヒやアダムズ、デスナーを並べて2回のコンサートを開き、聴き手を集めることができる人物はけっして多くない。久石譲が「presents」してこそこれだけの人びとが集まると言ってもいいだろう。それは大きな意味がある。わざと意地悪な言い方をするなら、もしかしたら聴き手のなかにはそれぞれの作曲家の名は知らない人がいるかもしれない。それぞれの作品が持っているいろいろなテクニカルだったり思想的だったりすることはぴんとこないかもしれない。それでも、そこで響く音楽は、いわゆる「難解な現代音楽」ではなく、それなりにノれ、楽しめることがわかる。久石譲が企画するコンサートで名を知ることになって、それが少しずつでも、広まっていくかもしれない。

コンサートのことだけではなく、久石譲の作品についても紹介しておこう。「VOL.2」で初演された2作品は、楽器編成も構成も大きく異なっている。

《Single Track Music 1》はサクソフォン・クァルテットとパーカッションのための作品だが、全5人の演奏者がいて、同時に音を発しながらも、和音というか重音というか、になることがなく、タイトルどおり、響いている音は「シングル」。だから、聴く側からすると、何が起きているのかはっきりと耳で追っていくことができる。だが同時に、ホケット(=分奏)とみなすなら、それは初期ライヒの作品にあったような、音の受けわたし、メロディの生成するプロセスそのものが音楽作品化しているのであり、また、奏者同士の音を「聴きあう」ものとして提示されている。似たような試みは清水靖晃の『ペンタトニカ』に見いだすことができるけれども、ここではパーカッションによる音色の変化やアクセントが加えられるおもしろさもある。

《室内交響曲》は、作曲者自身が「エレクトリック・ヴァイオリンのための協奏曲」と呼ぶべきかもしれないとMCで語っていたもので、6弦のエレクトリック・ヴァイオリンが小編成のアンサンブルにソロとして加わる(ソロは西江辰郎)。この楽器は通常のヴァイオリンの音域よりも低い方が広くなっていること、また、アンプリファイアとして、シーケンサーのような「重ね」方が可能になっている。アンサンブルの書法として特に珍しいことではないけれど、金管楽器の3人はところどころでマウスピースだけを楽器本体からはずし、声を重ねることで特殊な効果を生みだしもする。

久石譲のコンサートは、もちろん映画の音楽を演奏するコンサートもあるし、それらをもとにしながら別のかたちに組みかえた『WORLD DREAM ORCHESTRA』のコンサートがあり、《第九》を指揮するものもある。より多くの聴き手を動員できるコンサートに隠れ、ともすれば「MUSIC FUTURE」は地味に、また「色もの」のようにみてしまう人もいるかもしれない。だが、これらを全体を見渡してみたときにこそ、現在の、久石譲の方向性が浮かびあがってくる、あるいは、より広い音楽の世界のなかでのこの音楽家の位置がみえてくる、のではないだろうか。

小沼純一

(雑誌「ストレンジ・デイズ 2015年12月号 No.193」より)

 

ストレンジ・デイズ 2015年12月号

 

Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 50 ~ガーシュウィン/バーンスタイン~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/12/10

クラシック・プレミアム第50巻は、ガーシュウィン / バーンスタインです。

アメリカを代表するジャズとクラシックを融合した作曲家たち。バーンスタインは名指揮者としても有名です。

 

【収録曲】
ガーシュウィン
《ラプソディ・イン・ブルー》
ルイ・ロルティ(ピアノ)
ロバート・クロウリー(クラリネット)
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団
録音/1988年

《パリのアメリカ人》
小澤征爾指揮
サンフランシスコ交響楽団
録音/1976年

バーンスタイン
《ウエスト・サイド・ストーリー》より 〈シンフォニック・ダンス〉
小澤征爾指揮
サンフランシスコ交響楽団
録音/1972年

《キャンディード》 序曲
デイヴィッド・ジンマン指揮
ボルティモア交響楽団
録音/1996年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第48回は、
音楽はどこに行くのだろうか?
世界はどこに向かうのだろうか?

いよいよ最終号です。

(全50号中2回は編集部によるコンサート・ルポルタージュのためエッセイ全48回です)

2014年1月創刊「クラシック・プレミアム」も全50巻をこの号で終え、2年間にわたる久石譲のエッセイもここに完結です。しかも最終回は予想もしていなかったうれしいプレゼント、いつもの倍、見開き2ページにわたるぎっしりと詰まった言葉たち。

”久石譲によるエッセイ連載”、久石譲の日常や音楽制作の進捗などがわかるかも!ということで読むことをライフワークとしてきましたが、改めて全号とおしていい内容だったなあと思います。久石譲の音楽制作過程なども垣間見れましたし、コンサートの準備段階から終演後の想いなども。もちろん「音楽の進化」というテーマを掲げた音楽講義は非常に難しいものでしたが、一度で理解できるものではありません。自分の中に理解できないまでもストックして記憶しておくことで、いつかどこかで「ああ、あの時のあのことか」と繋がることもあるのではと思っています。

なによりもここまでクラシックにどっぷりハマる日常生活もなかなかなかったですから、音楽的懐がとても広がったようが気がしています。さらに久石譲が発するキーワード(クラシック作品、作曲家、指揮者、映画、アーティストetc)から数珠つなぎで興味が広がり、同時に久石譲を形成しているバックボーンに少し近づけたような思いです。好きな作曲家の音楽だけを愛するよりも、その人の奥深い背景を少しでも知ったほうが、より作品の聴き方が変わってきますし、新しい響き方を体感することができます。

さて、さすがにその多くは書ききれない今号の内容です。前半「音楽の進化」、中盤社会的メッセージ、後半結びとあとがき、という構成になっているのですが、ここで取り上げるのは一部冒頭と後半のみにします。特に中盤では現在の社会情勢をふまえて、世界や日本で起こっているさまざまな事柄に警鐘を鳴らし、具体的に自分の意見をはっきりと述べていることも珍しいかもしれません。これまでももちろんありますが、その事象が多岐にわたっているという点で。ただ、あくまでも作曲家であり社会を論する評論家ではありません。なので、ここで書いてしまってその一部分だけが抜粋されて四方に泳いでいってしまうのは本意ではありませんので、読者の特権ということで胸に秘めておきます。

そんなに過激は発言をしているわけではもちろんなく「久石譲の意見」として、多くの人に知ってもらいたい、考えてもらいたいからこそ、ご本人は書いてるとは思うのですが、それを広めるのはこの場でなくてもいい、ということです。

最終号です、見開き2ページです、そのほかにも(こっちが本題)人気のあるガーシュウィンやバーンスタインの音楽。久石譲も作品化している「パリのアメリカ人」や、直近で”音楽としてのアメリカ”を語っている久石譲にもつながる、アメリカ発クラシック音楽です。その空気感、たしかに「室内交響曲」などにも通じるものがあるなあと聴きながら。ぜひ最終号記念として手にとってみてください。

一部抜粋してご紹介します。

 

「音楽の3要素でるメロディーと和音にアフリカ系のリズムが加わることで、ポピュラー音楽は20世紀を席巻した。一方、クラシック音楽の分野ではもう調整のあるメロディーは書き尽くされた、と多くの作曲家は考え(実際、過去の偉大な作曲家のメロディーを超えることは難しい)わかりやすいメロディーを書くことを止めた。それはより複雑化した和音とも関係するのだが、その和音(調性)も十二音音楽で捨てた。また20世紀の音楽の幕開けにふさわしいストラヴィンスキーの《春の祭典》のようなバーバリズム(原始主義)のリズムも、わかりやす過ぎるせいか捨てた。」

「つまりシェーンベルク一派が始めた十二音音楽以降の音楽は、弟子であったウェーベルンの点描主義(音がポツポツと鳴るだけでどこにもメロディーは出てこない)やそれの影響を受けたピエール・ブーレーズ、シュトックハウゼンなどのいわゆる現代音楽の道に繋がっていくのである。それらの多くはメロディーも無く、和音も無く(不協和音という和音ではあるのだが、むしろ特殊奏法を含む響きとして捉えたほうがいいかもしれない)、拍節構造(4/4拍子などの)も意味を持たなくなり、リズムも消えた。メロディーとリズムで多くの聴衆を獲得したポピュラー音楽と、音楽の3要素を否定していった現代音楽。結果は一目瞭然、聴衆は難解で作家の観念の世界(自己満足)に陥った現代音楽を捨てた。それでもまだ時代がよかった。」

 

「話を戻して、音楽も混迷している。いつの時代も”時代の語法”があった。バロック、古典派、ロマン派、十二音音楽、セリー、クラスター、ミニマル・ミュージックなどそれぞれの時代にそれぞれの作曲の語法があった。むろんそれを否定する人、無視する人などさまざまだが、少なくとも時代をリードする語法はあったが、この21世紀にはない。多くの作曲家は自分の殻に閉じこもり、自分独自と思い込んでいる作風に執着している。これもオンリーワンである。そして聴衆不在の音楽(聴き手のことを考えない)が聴衆不在の場所(そういうものを好むいつも同じ面子はいるらしい)で粛々と行われている。だが、考えてみてほしい。モーツァルトだってベートーヴェンだってもっと作曲は日常的な行為だったはずだ。生活の糧だったともいえる。それが作曲と社会が繋がる唯一の道なのである。だからモーツァルトに至ってはオーボエの協奏曲を別の楽器の協奏曲にすぐ手直ししたりする。時代が違うと言えばそれまでだが、絶対忘れてはいけないことがある。作曲したものはそれだけでは意味が無く、それを演奏する人がいて、聴き手がいなければ成立しないということである。聴いてもらうということが大切なのである。作曲という行為は単独では成立しない、このことを作曲家は肝に銘じなければならない。」

「音楽はどこに行くのだろうか?世界はどこに向かうのだろうか?」

「1人の作曲家としてこの時代に何ができるのだろうか? いつも自分に問うてはいるのだが、答えは出ない。ただ言えることがある。自分は作曲家である。まだ、はなはだ未熟で作品の完成度は自分が満足するには至らず、日々精進して少しでも高みに登る努力をしているのだが、同時に今までの経験を生かし、現代の音楽(現代音楽ではなく)を紹介し、新しい新鮮な体験をする場を提供し、そして過去から現代、現代から未来に繋がる音楽がどういうものなのかを聴衆と分かち合い一緒に作っていきたい、そう考えている。2年にわたるこの連載はこれで終わる。まだ書きたいことはいろいろあるがそれはいずれどこかで。」

勝手なあとがき

「いやー、勝手なこと小難しいことなど色々書いてしまいました。本当はですます調で優しく書きたかったのですが、なぜか最初に、「である」とか、「なのだ!」の断定口調になったため、随分偉そうな書き方になりました。この2年、2週ごとに原稿を書かねばならなかったのは大変苦痛でした。というのは作曲の締め切りなどのピークと原稿の締め切りがほぼ一致し、何日も寝ていない日の明け方にこの原稿を書かなければならなかったことが多かったからです。昔流行ったマーフィーの法則と一緒ですね。」

「特に後半は作曲の量が半端ではなく、また指揮する楽曲の難度も凄まじく、生きた心地がしなかった(苦笑)。ざっとみると《Single Track Music 1》約6分、《The End of the World》全5楽章約30分、《Untitled Music》3分半、《交響詩 風の谷のナウシカ》改訂完全版約30分、《室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra》約30分、《コントラバス協奏曲》約30分などの作品を書き、その間CMなどのエンターテイメントの音楽の作曲も行った。わずか半年である。また指揮もシェーンベルクの《浄められた夜》やアルヴォ・ペルトの《交響曲第3番》、ジョン・アダムズの《室内交響曲》、カール・オルフの《カルミナ・ブラーナ》など難しい楽曲や大規模な作品を振らせていただいた。」

「その間の原稿はあまりに余裕が無く、ひたすら「音楽の進化」について書き続けた、日乗に触れたら本当にしんどいのが実感してしまうから。だが、まだきつい日々は続く。もうすぐベートーヴェンの《第9交響曲》と共に演奏する自作《オルビス》の第2楽章も書かなければならない。やれやれ。」

「それでも本当はこの原稿を書くことによって、自分の考えをまとめることができ、かつ音楽の本質を考えることで自分の立ち位置、自分の中の音楽観をまとめることができたことを深く感謝している。人間は言葉で考える。だから文章を書くことがいかに大切か実感した。」

「あれ、いつのまにか断定口調に戻っている。やっぱりこれが自分の言葉なのか(笑)。古代ギリシャのピタゴラス派が考える音楽観についても書くつもりでいたが本当に紙面が尽きた。機会を与えていただいた小学館の河内さん、読んでいただいた皆さんにも心から感謝、今度はコンサートで会いましょう。」

 

クラシックプレミアム 50 ガーシュウィン バーンスタイン

 

Blog. 「月刊ぴあの 2015年12月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/12/6

11月20日発売「月刊ぴあの 2015年12月号」に久石譲のインタビューが掲載されました。

今年の活動の総決算として、8月に発表した新作「ミニマズム2」のこと、1年間の多種多彩なコンサート、TV・CM音楽のこと、日常生活リズム、これを読めば久石譲の凝縮した一年間がわかる、そんな内容になっています。来年に届けられるであろうCD作品のことも。(個人的感想も、いっぱい書かせてもらいました)

 

 

曲を書き続けていないとわからないことがある。
ある時、パッと何かが吹っ切れる瞬間がくるんです。

アルバム『ミニマリズム』から約6年を経て、『ミニマリズム 2』を発表した。久石にとってミニマル・ミュージックは、国立音楽大学在学中に興味をもち、現代音楽の作曲家として活動を始めるきっかけにもなった音楽だ。改めてその魅力、そして今後の活動について語ってくれた。

 

現在のミニマルは無限の可能性があるんです

-『ミニマリズム 2』は約6年ぶりのミニマル・ミュージックのアルバムですね。ミニマルを作り続けることは久石さんにとって重要なことなのでしょうか。

久石:
「学生時代から30代前半まではミニマルをベースにした現代音楽をやっていましたからね。そのあとはずっと映画音楽やCMなどエンタテインメントの世界でいろいろ書いてきましたけど、オーケストラの指揮をするようになって、自分の中で、もう一回クラシックというものを見つめ直し始めたのです。学生時代には前衛音楽に傾倒していて、純粋なクラシック音楽には見向きもしなかったのですが(笑)。でも、指揮をするからには、ベートーヴェンの「運命」や、ドヴォルザークの「新世界より」などといった作品もちゃんと振ってみたほうがいいだろうと思って。実際に振ってみると、作曲家がどうやって作っているのかがよくわかります。クラシックにきちんと取り組むからこそ、まずは、自分のベースになっている、ミニマルに立ち返ってもう一度作ろう、と思ったのです。」

-アルバムを聴いて、改めて、ミニマルのおもしろさを感じました。マリンバ2台の曲「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas」は、元々はギター2台のための曲だったんですよね。

久石:
「ギターで演奏すると、この曲はすごくエモーショナルになるんです。でも、ミニマルはリズムが命ですから、打楽器で演奏しても成立するなと思って書き直したんです。ミニマル・ミュージックの作業というのは元々、スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリー、フィリップ・グラス、ラ・モンテ・ヤングの4人だけ。あとは、全部ポストミニマルや、ポストモダン、ポストクラシカルなどと呼ばれる(次世代の)音楽で、ある意味、まったく違う表現になっていったんです。現在のミニマルは、表現の形が広がっていて、無限の可能性がありますね。」

-現在、ポストミニマルの最先端にはどんなアーティストたちがいるのでしょうか。

久石:
「今、アメリカの30代前半の若い作曲家が、ミニマルの影響を受けた新しいスタイルを作り出しています。クロノス・カルテットがずっと委嘱している元ロック・ミュージシャンのブライス・デスナー、そしてビョークと共演したり、メトロポリタンのオペラを書いたりしているニコ・ミューリーとかね。彼らはいわゆるポストクラシカルの作曲家で、僕の姿勢と同じなんです。ミニマルをベースに、新しく、表現することに対して、ジャンルというものにこだわっていない。彼らの世代は日常的に聴いてきた音楽でもあるから、あえて”ミニマル”なんて言う必要もないんです。」

-久石さんご自身もミニマルをやり続けながら、若いアーティストの紹介もすることで、新たなリスナーが増えそうですね。

久石:
「彼らのことは日本ではまだあまり知られていない現状があるので、僕が伝えていく役目かなとも思っていて。今年の9月に「ミュージック・フューチャー」という、ミニマル、ポストクラシカルの先端を紹介するコンサートシリーズの2回目を行ったんです。さきほどの作曲家のほかにジョン・アダムズや僕の書き下ろしの曲、6弦のエレクトリック・ヴァイオリンのための「室内交響曲」も初演しました。このシリーズは続けていきたいですね。」

 

毎年、正月に宮崎駿監督に曲を届けています

-今回のアルバムの中の「WAVE」という曲は三鷹の森ジブリ美術館でも流れていますし、「祈りの歌 for Piano」はだれもが聴きやすい、美しい曲です。ミニマル・ミュージックだという意識は特別必要なく、だれもが楽しめる曲が多い印象を受けました。

久石:
「宮崎駿監督とはもう長い付き合いですからね。年に一回、宮崎さんのために正月に曲を書いて持って行くんです。持って行かない年は1年を通して調子が悪くて(笑)。ゲン担ぎみたいなものですね。「祈りの歌 for Piano」は今年の正月に持って行った曲です。正月の3日に作って、4日にレコーディングしてその日に持って行って。なんだか出前みたいですけど(笑)。この年頭の習慣が、意外と大事なんですよ。お正月だから、暗い曲を持って行くことはしないし(笑)、新年最初に心休まる曲を一曲作る、というのは、すごくいいなと思っていて。ジブリ美術館では、僕の曲を今でも使ってくれているみたいですね。」

-今後は、8月に行ったワールド・ドリーム・オーケストラのコンサートのライヴ盤がリリースされる予定だそうですね。

久石:
「はい。「The End of the World」という曲は5、6年前に作った曲で、全楽章合わせて20分くらいの長さだったものを、今回新たに全部書き直し、楽章を増やして、30分近い曲に完全にリニューアルしたのです。これは音源として残さなくてはと思って録音しました。あと「風の谷のナウシカ」も徹底的に交響作品として作り直しました。今回のナウシカは、譜面として、どこのオーケストラも演奏できるように、スタンダードなスコアとして出版する予定なんです。当然、海外でも出す予定ですよ。」

-純粋にご自分の作品を作る割合と、映画音楽などのエンタテインメント作品を制作する割合はどれくらいなんですか?

久石:
「年によって比重が変わります。今年はどちらかというと、自分の作品が多いですね。でも、CMやゲーム音楽も作っていますね。あとは五嶋龍君が司会になった『題名のない音楽会』の新テーマ曲も書かせてもらいました。この「Untitled Music」という曲は自分でもすごく気に入っています。テーマ曲というだけでなく、作品としても聴いていただけると思うのですが、リズムが相当難しくて、絶対に自分では振りたくないなぁ(笑)と思ったくらい(実際は初回放送時に五嶋と共演)。でも、あの曲を書いたことで一つ吹っ切れたところがありました。」

-何が吹っ切れたのでしょうか?

久石:
「それは書き続けていないとわからないことだと思います。何かを求めて求めて、でもなかなか上手くいかなくて、ちょっと上手くいったと思ったら、またダメだったり、それを繰り返す中で、パッと吹っ切れる瞬間がくるんです。自分でも、僕の生活はどうなっているんだ(笑)と思うようなスケジュールですけど、大量に仕事をこなしている中で、あの曲を書いた時に、何か、吹っ切れた。ハードな毎日があるからこそ、できた曲ですね。立ち止まってしまうとわからないんですよ、そういうのって。」

-年内の今後のご予定は?

久石:
「今年も12月にベートーヴェンの「第九」を演奏します。「第九」に捧げる序曲として書いた「Orbis」も楽章を足すつもりなんです。すごくいい曲だというお声をいただいているんですけど、10分くらいの長さなので、もう終っちゃうの?とオケの人も物足りなく感じるみたいで(笑)。「第九」の前に演奏するのにちょうどいいくらいの尺に仕上げようと思っています。」

-ジャンルの幅が広く、本当に膨大な仕事量ですが、普段はどのようなペースで取り組まれているのでしょうか?

久石:
「作曲のスタイルは、統一していますからね。あれ風、これ風、というのはまったく考えていなくて、自分のやりたいことを自分のやり方のまま、その範疇にエンタテインメントの要素もミニマル的なものもあると思うので。基本は、昼の2時から夜10時頃まで作業して、ご飯を食べたあとに明け方の6時頃までクラシックの勉強。ひたすらスコアを読んでいます。そんな感じがずっと続いていますね。しんどいですけど、ある程度、自分を追い込まないと新しいものは出てこないから。今までの語法にのっとって仕事をこなす、みたいになってしまうと、2、3年はそれでもつかもしれないけど、そのあと何も生まれてこなくなりますよ。気晴らし?夜中に観るアメリカのテレビドラマ(笑)。あとはジムで体を動かしたり、泳ぐことかな。」

(「月刊ぴあの 2015年12月号」より)

 

 

いろいろと今年の活動内容のことが触れられています。

これなんのことだろう?と気になる事柄もあるかもしれません。ただ、ここでなぞって振り返って説明すると足りないので、バイオグラフィーにて年表からその項目を紐解いてみてください。

 

補足をふたつ。

宮崎駿監督に持って行っているという年1回の楽曲。これは宮崎駿監督の誕生日が1月5日で、それに合わせてのプレゼント・献呈というのが事の始まりです。それが結果、年1回、一年の始まりに、ジブリ美術館BGMに、という流れになって現在に至るまで習慣化されているというわけです。その日にレコーディングにしてその日に届ける。なんとも贅沢でうらやましい限りです。

ジブリ美術館関連のBGM情報に関しては下記まとめています。

Disc. 久石譲 三鷹の森ジブリ美術館 展示室音楽 *Unreleased

 

補足ふたつめ。

「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas」について。

たしか久石譲はいつかのインタビューにて、「ミニマル・ミュージックはプロの演奏家でも難しい」「ミニマル・ミュージックがわかっているいないでの演奏は全く異なる」そんなことを言っていたと記憶しています。だからこそ、リズムが肝となるミニマル・ミュージックにおいて、あえてギターのための作品を打楽器マリンバのために書き直したのだと思います。

ギター版はたしかにエモーショナルです。でもリズムを刻む以外にも音の強弱(弦を弾くタッチ)や、奏法ゆえの一つ一つの音の長さや残響にムラが生じます。弦の上で指をスライドさせて演奏することが基本のため音の均一化は難しく(音程や何弦を使い分けるかにもよる)、弦のスライド音も発生します。もちろんそれがギターの生き生きとした楽器としての実演の強みでもあります。

ただし、規則正しい音型・音価・リズムを刻んでこそ、そこから意図的に微細にズレていく音楽がミニマル・ミュージック。その核心があったうえで、それを具現化しやすい、マリンバという楽器を選んだということなのでしょうか。別の機会でのインタビューでも、自分の作品において、「ミニマル色に欠かせないのはハープ、マリンバ、グロッケンなど…」そんなことを言っていたとも思います。

あとは…詳しくないので中途半端に触れたくない触れていはいけないのですが、倍音構造がちがうはずです。残響音やユニゾンから発生する倍音がちがう。ギター版とマリンバ版、同じ楽曲とは思えない印象を受けるのは、楽器の音色そのものだけでなく、その倍音の響きも影響しているのでは、と。久石譲は初期(それこそMKWAJU作品など)から、マリンバは自分の作品を作るうえでの武器として熟知していますので、おそらく、、そういうことではないのかなぁと、、。マリンバの倍音構造は、同じ音を弾く際にも、叩く場所によってその音の倍音の鳴りやすい音が違うそうです。

例えば、基本ドの音の倍音は、2オクターヴ上のドとその上のミの音とのこと。なので基本ドをずっと叩きつづけるとその倍音も自然と響いてくることになります。さらに基本ドの叩く場所が違うと、2つの倍音のうち2オウターヴ上のドの音が鳴りやすくなる、もしくはその上のミの音が鳴りやすくなる、ということになります。しかも、この楽曲では「2台のマリンバのための」となっていますので、よりユニゾンによる倍音効果は発揮されるはずで、、うーん、奥が深いですね。

以前にも一度だけ「倍音」については触れたことがあると思うのですが(クラシックプレミアム・レビューにて)、久石譲音楽のひとつの核心に迫れるキーワードなのかもしれない、と最近よく思っています。なぜ、一聴して久石譲音楽と気づくのか、説明がつかない感情的に残るひっかかり、旋律や楽器の音色だけではない、直接耳もしくは脳に訴えかけてくる響き。いつか研究してみたい項目です、蛇足でした。ひとつの聴き方・とらえ方として、聞き流してください。

 

最後に。

食い入るようにインタビュー内容を何度も読み込み、久石譲の言葉じり(ちょっとしたキーワードや言い回し方)を、透けるくらい凝視し心理を推測するような感じで、…結果、やはり今後は”作品”を手がけていくつもりなのだろう!という結論です。

宮崎駿監督の長編映画引退に伴う、4-5年に1度続けてきたジブリ音楽制作が一旦休止。宮崎作品を手がけることとそこで完成された音楽は、自身音楽活動のエポック的な位置づけとしてきていました。宮崎駿×久石譲のコラボを繰り返すことで、同じように久石譲音楽もどんどん次の次元にという過程においても。そのマイルストーン的通過点がない今、自分の作品に向き合うのは自然な流れです。

そして、今年の活動のなかでも、いろいろな「発注されて作った作品」があります。それはいわば断片でしかない楽曲群です。単発ものですから、”今の久石譲”の一部は透けてみえたとしても、そこには大きな作品としてのテーマとまでは完成できない。

だからこそ、「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」「Untitled Music」「コントラバス協奏曲」などを通過して、おそらく全体として統一された作品を作っていくのではないかと。これらを1枚のアルバムにまとめるということではなく、あるいは延長線上にある別の新作なのかもしれません。

 

さらに突っ込む!

もうひとつは、そのような作品の創作活動において、いい意味で”もうミニマルにはこだわらないんじゃないか”とも推測しています。上記インタビューで語っている、とある箇所が印象的でした。

 

「クラシックにきちんと取り組むからこそ、まずは、自分のベースになっている、ミニマルに立ち返ってもう一度作ろう、と思ったのです。」

「現在のミニマルは、表現の形が広がっていて、無限の可能性がありますね。」

「ミニマルをベースに、新しく、表現することに対して、ジャンルというものにこだわっていない。彼らの世代は日常的に聴いてきた音楽でもあるから、あえて”ミニマル”なんて言う必要もないんです。」

 

……

無限の可能性がある、かつ、一方で一般的にも浸透しきった、それがミニマル・ミュージックだとしたときに、もう”ミニマル・ミュージック”を謳い文句として前面に押し出すことも、ミニマル・ミュージックのなかの一部の表現方法に固執することも、今はナンセンスだ、そういう括りはもう必要ない段階にきている、そんなことをご本人は思っているのではないかと…。

久石譲が自作を創作するうえで、どんな作品になろうともそこには必ず多かれ少なかれのミニマル・エッセンスが盛り込まれます。だからこそミニマル・ミュージック=リズムを基調に、楽曲全体を統一して構成するというところから、一歩先の”普遍的な作品”への追求段階に入ったのではないかと。それが少し垣間見れたのが、上の3つの作品群です。第1主題、第2主題、提示部、展開部、コーダ、楽章…よりクラシックの語法にのっとった形式にて楽曲構成していく。リズムの動きを止めるパートを配置した緩急ある作品構成。

つまりは、ミニマル・ミュージックという狭義のジャンルや語法を突き詰める段階から、より広義なクラシックの語法を用いた普遍的な作品を目指す段階に入った。個人的に辿り着いた答えはそこでした。あくまでも一個人の勝手な見解と受け止め方です。いちファンとして、日常会話的表現方法で言うならば、「ミニマリズムは2で終っちゃうんじゃない?!次は別の新シリーズが!?」そんな言い回しがわりとわかりやすく伝わりやすいのかもですが、意図しているところとしては、そういうことです。

あえて言うまでもなく、これは、シンセサイザー、アンサンブル、オーケストラという楽器編成の変化を経ながら、その時代ごと楽器編成ごとのミニマル・ミュージックを突きつめ極めてきた。今日ではシンフォニックで構成するミニマル・ミュージックまで昇華した久石譲だからこその、次への道という自然な流れだとも思っています。

”自然な流れ”と表現してしまうと、成り行きのような軽い印象を受けてしまいそうですが、それは久石譲のあくなき創作性と新しい次元への挑戦の流れである、と補足しておきます。

 

本インタビューを読んで読んで読んで、ひっかかりをもった部分を自分の中で幾重にも迷走したうえでの一解釈ですので、当たっていなくても、、すいません。

やはり「Untitle Music」はお気に入りの渾身作か!とか、やはり「The End of the World for Vocalists and Orchestra」は録音を残しておきたいほどの完成度か!とか、そうでしょうそうでしょう!と頷きながら読みふけ。

 

2015年の久石譲音楽に感謝するとともに、2016年の久石譲音楽も期待が膨らむばかりです。少し長い時間軸で少し離れて俯瞰的に見るよう努めて…2016年ではないかもしれませんが、着実に久石譲の次のステージの音楽が待ち構えている!その片鱗が見え隠れしだした2015年だった!そう確信している(したい)ところです。

今年最後の目玉「新orbis ~混声合唱 オルガンとオーケストラのための~」新たに第2楽章が書き下ろされ改訂されたその演奏を聴いた日には、さらに確信に近づくかもしれません。(12月3公演にて初演予定)

シンプルにひとつわかっている一大企画!

2014年からスタートしたジブリ作品の交響作品化シリーズがあります。「交響詩 風の谷のナウシカ」改訂完全版で華々しく幕を開けた同企画。音楽担当したジブリ全11作を交響曲や交響詩として作品化することを始動させています。次は順当に「ラピュタ」がくるとも限りません。どの作品であってもどういう交響作品になろうとも、楽しみでしかありません。

今年の久石譲音楽活動の総括は、このインタビュー記事に関連して、派生してしまいしたので、これにて。

久石さんの誕生日にお祝いと感謝の気持ちを込めて 記

 

そういえば昨年2014年は『WORKS IV』に関連して一年を総括していました。一年ぶりに読み返してみて、当たっているところもあるような、ないような。そのときの思考や想いをまとめておくことに意義があると思っているのでご愛嬌ということでお許し下さい。

Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができてから -方向性-

 

月刊ピアノ 2015 12月号 1

 

Blog. 『スタジオジブリの歌 -増補盤-』発売に思う「音楽:久石譲」の凄み

Posted on 2015/12/3

2015年11月25日『スタジオジブリの歌 -増補盤-』CDが発売されました。

内容説明を一気に言いますと、

スタジオジブリ設立30周年記念!ジブリ映画24作品の主題歌/挿入歌を網羅した究極のアニバーサリー盤。2008年リリース「崖の上のポニョ」までのを網羅したオムニバス『スタジオジブリの歌』から、以降公開された「借りぐらしのアリエッティ」「コクリコ坂から」「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」「思い出のマーニー」の5作品を追加した30周年増補盤にして完全版。高音質のHQCDとして登場。全ての世代に愛されるスタジオジブリの永久保存版として一家に一枚。同内容のオルゴール盤『スタジオジブリの歌オルゴール -増補盤-』も同時発売。

早期購入特典や早期同時購入特典(歌盤とオルゴール盤)もありますが、いつまで入手可能かどうかはショップにてご確認ください。特典内容や詳細はディスコグラフィーにて収載しています。

 

Disc. V.A. 『スタジオジブリの歌 -増補盤-』
Disc. V.A. 『スタジオジブリの歌オルゴール -増補盤-』

 

【収録楽曲】

[DISC.1]
01. 風の谷のナウシカ(風の谷のナウシカ) 安田成美
02. 君をのせて(天空の城ラピュタ) 井上あずみ
03. さんぽ(となりのトトロ) 井上あずみ
04. となりのトトロ(となりのトトロ) 井上あずみ
05. はにゅうの宿(火垂るの墓) アメリータ・ガリ=クルチ
06. ルージュの伝言(魔女の宅急便) 荒井由実
07. やさしさに包まれたなら(魔女の宅急便) 荒井由実
08. 愛は花、君はその種子(おもひでぽろぽろ) 都はるみ
09. さくらんぼの実る頃(紅の豚) 加藤登紀子
10. 時には昔の話を(紅の豚) 加藤登紀子
11. 海になれたら(海がきこえる) 坂本洋子
12. アジアのこの街で(平成狸合戦ぽんぽこ) 上々颱風
13. いつでも誰かが(平成狸合戦ぽんぽこ) 上々颱風
14. カントリー・ロード(耳をすませば) 本名陽子
15. On Your Mark (On Your Mark) CHAGE and ASKA
16. もののけ姫(もののけ姫) 米良美一
17. ケ・セラ・セラ(ホーホケキョとなりの山田くん)山田家の人々ほか
18. ひとりぼっちはやめた(ホーホケキョとなりの山田くん) 矢野顕子

[DISC.2]
01. いつも何度でも(千と千尋の神隠し) 木村弓
02. 風になる(猫の恩返し) つじあやの
03. No.Woman, No Cry (ギブリーズepisode2) Tina
04. 世界の約束(ハウルの動く城) 倍賞千恵子
05. テルーの唄(ゲド戦記) 手嶌葵
06. 時の歌(ゲド戦記) 手嶌葵
07. 海のおかあさん(崖の上のポニョ) 林昌子
08. 崖の上のポニョ(崖の上のポニョ) 藤岡藤巻と大橋のぞみ
09. The Neglected Garden [荒れた庭](借りぐらしのアリエッティ) セシル・コルベル
10. Arrietty’s Song (借りぐらしのアリエッティ) セシル・コルベル
11. 夜明け~朝ごはんの歌(コクリコ坂から) 手嶌葵
12. 上を向いて歩こう(コクリコ坂から) 坂本九
13. さよならの夏~コクリコ坂から~ (コクリコ坂から) 手嶌葵
14. ひこうき雲(風立ちぬ) 荒井由実
15. いのちの記憶(かぐや姫の物語) 二階堂和美
16. わらべ唄(かぐや姫の物語)
17. 天女の歌(かぐや姫の物語)
18. Fine On The Outside (思い出のマーニー) プリシラ・アーン

 

 

圧巻の主題歌・挿入歌完全網羅となっています。

久石譲にフォーカスします。

宮崎駿監督作品全10作+高畑勲監督作品1作の、計11作品にて音楽を担当している久石譲。ですが、上の収録楽曲全36曲中、久石譲が作曲(編曲)したのは7曲。なんとも少ないという印象です。太文字になっている楽曲が該当曲ですが、「世界の約束」(ハウルの動く城)は編曲のみの担当です。『かぐや姫の物語』挿入歌「わらべ唄」「天女の歌」作曲は高畑勲監督です。それが久石譲作曲の劇中音楽と絶妙に織り重なって構成されているのですが。

全11作品中、7曲しか歌曲がないということは、当たり前ながら本編音楽は担当していても主題歌は別作曲家によるもの、ということになります。それなのに…なんで久石譲=ジブリというイメージが強いんだろう?それは簡潔かつ決定的に言ってしまえば、本編で流れる久石譲の劇中音楽が強烈に印象に残っているからです。

 

これまた当たり前のことだと言われてしまいそうですが、いやこれは一般的に考えてもすごく稀で特筆すべき点です。今でこそ映画音楽というジャンルは確立され一定の立場として扱われていますが、その功績の一因として数えられるのが、間違いなくジブリ音楽です。

 

”ナウシカ”と聞いて浮かんでくるメロディーは?

「海の見える街」「あの夏へ」という曲で浮かぶ映画は?

「人生のメリーゴーランド」の華麗なワルツはどの作品?

 

曲名を聞いてピンとこなくても、そのメロディを聴いた瞬間に、すぐにどのジブリ映画か即答できる人は少なくないと思います。主題歌や挿入歌ではない、歌詞や歌声のない、楽器だけが奏でるインストゥルメンタル楽曲で、強烈な印象を残すことは容易なことではありません。

一般的に記憶している楽曲を思い出して歌えるのは、メロディーに歌詞が乗っているという言葉の力による記憶補佐も大きいと思います。だから鼻歌でもなんとなくメロディを口ずさめる。それをピアノやオーケストラが奏でる旋律を、同じように鼻歌で歌えるほど人の記憶にインパクトを与える旋律の力。

久石譲コンサートでも「ナウシカが聴けた!」「千尋をやってくれた!」と大満足な感想をさしているその楽曲は、もちろん主題歌ではなく劇中音楽です。これが結構な大多数の人に認知されている、それこそがジブリ映画の『音楽:久石譲』たる凄みだと思っています。

ジブリ映画の音楽が担う役割の比重、ジブリ映画はTV放送など鑑賞回数が多い、そんな他の要因ももちろんあるかもしれませんが、…でも『耳をすばせば』という映画作品が好きだったとして、「カントリー・ロード」以外に、思い浮かぶ劇中音楽やメロディがあるか、と言われればなかなか難しいかもしれません。

 

今回発売された『スタジオジブリの歌 -増補盤-』それ自体ももちろん素晴らしいです。ここまで正規に・公平に・正統に網羅されるベスト・アルバムはどんなジャンルにおいてもなかなかありません。まさに出し惜しみしないスタジオジブリの真摯な姿勢が現れているというところでしょうか。

収録楽曲を聴いても、各々ジブリ映画の世界へと一気に誘ってくれます。プレゼントにも喜ばれている逸品のようで、まさに世代を越えた、老若男女に愛されるジブリソングがぎっしり詰まっています。映画のために書き下ろされた楽曲がほとんどで、そこにもスタジオジブリの歌や音楽に対する力点を感じますし、そういった楽曲たちが後のスタンダード曲となって引き継がれていくんだろうなあと改めて思います。

「ここまで網羅するなら3枚組にしてBGMを集めた音楽集もつけてほしかった」そんなコメントもちらほら見かけるほどで、やはりそこには久石譲音楽がジブリ作品と切っても切れないほどお茶の間に浸透している証拠なのではと思います。

 

今回はたまたま本作品の発売に際して、収録楽曲のラインナップを眺めていて思った、いや再認識した「音楽:久石譲」の凄みについてでした。

残念ながら、今企画と同類の純粋な「スタジオジブリ サウンドトラック ベスト・アルバム」のような作品は発売されていません。それでも『ジブリ・ベスト ストーリーズ』(2014)というベストアルバム作品はあります。同作品は、久石譲名義で初のジブリ・ベスト盤ですが、全曲サウンドトラック盤からではなく、久石譲が音楽作品として再構成した自身のソロ・アルバムに収録された楽曲群です。詳しいレビューは下記ご参照ください。

Blog. 久石譲 初ジブリベスト 宮﨑駿 x 久石譲 30周年 CD発売決定!
Disc. 久石譲 『ジブリ・ベスト ストーリーズ』

 

入門編としては太鼓判の作品です。もっと奥深くジブリ作品「音楽:久石譲」の世界へとのめり込みたい方は、ディスコグラフィーにてカテゴライズしています。イメージアルバム、サウンドトラックから、久石譲がオリジナル・ソロアルバムで再構成したもの、ピアノ・ソロ、オーケストラ。映画公開から数年~数十年の時が流れ久石譲によるジブリ音楽は今もなお進化しつづけていることがわかります。

ちょうど2014年久石譲はジブリ作品の交響組曲化を始動させ、記念すべき第1弾「交響詩 風の谷のナウシカ」完全版が同年コンサートでお披露目されました。久石譲が現在においても30年以上の時を越えて手を加えて、さらに完成度の高い音楽作品へと昇華する活動をしている。裏を返せば、30年以上の時を越えて、今でも聴かれつづけている、聴きたい聴衆がいつづける、色褪せることのない新鮮な魅力を保ちつづけている。ジブリ映画のおける「音楽:久石譲」はすでに未来へのスタンダード軌道に入っているのです。

Studio Ghibili ディスコグラフィー

 

スタジオジブリの歌 増補版

スタジオジブリの歌 オルゴール 増補版

 

Blog. 久石譲×今井美樹 極上コラボレーションの軌跡

Posted on 2015/11/29

久石譲と今井美樹。

90年代に一緒に仕事をしている二人ですが、なぜ今このタイミングで取り上げるかというと、「季節 ~冬~」と「オールタイムベスト盤発売」というふたつです。

最初に結論を言ってしまうと、”ぜひ「遠い街から」という隠れた名曲をこの冬聴いてください!”

 

 

出会い編

1987年公開映画「漂流教室」(監督:大林宣彦 音楽:久石譲)

この作品の劇中音楽を担当していたのが久石譲です。そしてその主題歌を歌ったのが今井美樹です。

「野性の風」
作詞:川村真澄 作曲:筒美京平 編曲:久石譲

今井美樹の2作目のシングルにしてなんとも豪華な制作陣です。ちなみにサントラ盤に収録されていたとも思いますが、今井美樹は同楽曲を英語(劇中)、日本語(エンドロール)で歌っています。

 

 

プロデュース編

そして満を持して久石譲x今井美樹のコラボレーションが実ったのが7枚目のアルバム「flow into space」(1992)です。

今井美樹オフィシャルサイトでの、作品コメントには、

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「全く新しい今井美樹」を探して、久石譲プロデュースで、東京とロンドンで録音。人気曲「The Days I Spent With You」「amour au chocolat」の2曲は布袋寅泰さんから初めての楽曲提供でした。「Blue Moon Blue」での美しいストリングスアレンジや、「かげろう」「雪の週末」など個人的にも大好きな楽曲がいっぱいです。
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とあります。

 

 

収録楽曲
1.Blue Moon Blue Re-mix (4:31)
作詞:岩里祐穂 作曲:上田知華 編曲:久石譲
2.amour au chocolat (5:25)
作詞:今井美樹 作曲:布袋寅泰 編曲:久石譲
3.素敵なうわさ (5:13)
作詞:岩里祐穂 作曲:柿原朱美 編曲:浦田恵司
4.The Days I Spent With You (5:47)
作詞:岩里祐穂 作曲:布袋寅泰 編曲:久石譲
5.かげろう Re-mix (5:48)
作詞:今井美樹 作曲:MAYUMI 編曲:久石譲
6.永遠が終わるとき (5:26)
作詞:川村真澄 作曲:久石譲 編曲:久石譲
7.雪の週末 (5:04)
作詞:岩里祐穂 作曲:柿原朱美 編曲:久石譲
8.flow into space (3:52)
作詞:今井美樹 作曲:上田知華 編曲:浦田恵司
9.遠い街から (5:24)
作詞:今井美樹 作曲:久石譲 編曲:久石譲

今井美樹 flow into space

 

久石譲が作品プロデュースを担当し、収録全9曲中、作曲2曲、編曲7曲と、久石譲カラーが強くでています。今井美樹の音楽方向性においても大きな分岐点となった作品と言われています。より透明感のある大人な女性、そして布袋寅泰との共同作業へ。

「Blue Moon Blue」はシングル曲なので、聴いたことある方もいるかもしれません。アコースティック・サウンドでとてもお洒落な仕上がりです。久石譲寄り目線で見るならば、間奏の久石譲によるピアノの旋律が、同時期作品「ぴあの」(NHK朝の連続テレビ小説 主題歌)を彷彿とさせ、聴いているだけでニンマリしていしまいます。

 

 

そしてなんといっても隠れた名曲といえば、

 

「遠い街から」

アルバムの最後を飾る「遠い街から」です。

イントロのピアノの調べから、徐々に重なりあうストリングス、透きとおった歌声。今井美樹による歌詞も遠く恋人を待ちわびる女性と冬の情景が広がる世界。久石譲プロデュース作品としては、このアルバム1作のみで、その後シングルとしてもコラボレーションは現在に至るまでないです。それだからこそ、1992年のこの作品を残してくれたことが素晴らしいの一言に尽きます。楽曲提供をしたうちのひとつになるので、久石譲としては忘れているとしても致し方ないのですが、

……

なんと2007年に久石譲自身のコンサートで取り上げています。「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ There is the Time」全国7公演中、3公演プログラムにて、ヴォーカルは林正子さん。忘れていなかったんですね、名曲を。

 

 

オールタイム・ベスト

2015年10月7日発売
「Premium Ivory -The Best Songs Of All Time-」 今井美樹

今井美樹デビュー30周年目のアニバーサリーイヤーに、彼女のシンガーとしての足跡を辿る全レーベルの垣根を越えたオールタイム・ベストアルバムをリリース。

数々の大ヒット曲はもちろん最新作「Colour」からも選曲、これまでとこれからの代表曲を選りすぐったCD2枚組で全31曲を収録。全曲新たにリマスタリングを行い、エンジニアには日本音楽界の至高・オノセイゲン氏を迎え、ジャケット写真には巨匠・篠山紀信氏の撮り下ろしが決定。

通常盤はCD2枚組で2,980円(税抜)というスペシャル・プライスを設定。コアファンからライトユーザーまで完全に網羅したパッケージで発売。まさにアニバーサリーイヤーを飾るに相応しい、究極のプレミアム・ベスト。 【通常盤/2CD】

(Amazon商品説明より)

●DISC 1
1. PIECE OF MY WISH
2. 瞳がほほえむから
3. Miss You
4. 遠い街から
5. Goodbye Yesterday 6. PRIDE
7. 卒業写真
8. 春の日
9. Blue Moon Blue
10. 愛の詩
11. 陽のあたる場所から
12. 雨のあと
13. 野性の風
14. 夕陽が見える場所
15. 太陽のメロディー (New Recording)

●DISC 2
1. Anniversary
2. ふたりでスプラッシュ
3. SATELLITE HOUR
4. 彼女とTIP ON DUO
5. オレンジの河
6. Boogie-Woogie Lonesome High-Heel
7. FLASH BACK
8. 氷のように微笑んで
9. ホントの気持ち
10. 夏をかさねて
11. 汐風
12. 夢
13. 中央フリーウェイ
14. 微笑みのひと
15. DRIVEに連れてって
16. 幸せになりたい

今井美樹

 

 

30周年という長い音楽活動の総決算でもありますから、おそらく候補曲もシングルからアルバムと多かったと思います。久石譲関連作品としては、「野性の風」「Blue Moon Blue」「遠い街から」の3曲が収録されています。先の2曲はシングル曲としても、「遠い街から」は過去アルバム収録曲の1曲です。30年という時間を越えて選ばれた!名曲たる所以が証明されたのではないでしょうか。

選ばれたことがうれしいというよりも、正直なところ一番おいしいのは何と言っても音質の向上です。1992年オリジナル盤と2015年オールタイム・ベスト盤、久石譲作品3曲を聴き比べもしましたが、新たにリマスタリングされたその音質のクリアさは素晴らしい!まさに甦る名曲たち!です。

約20年を経ての音響技術の進歩はすごいです。原曲が加工されるということではなく、より制作当時の、制作陣たちが聴いて作っていた音、つまりマスターテープの音質に近い音響で聴くことができる。作り手と聴き手の耳に響くサウンドがより近くなる。

この点においては、パッケージ化しておくことの、現代社会、技術発展の恩恵のひとつではとも思います。久石譲寄りばかりで申し訳ないですが…久石譲のピアノも、ほどこしたアコースティックな編曲も、すべてが生き生きと透明感たっぷりに堪能できます。もちろん、久石譲全面プロデュースによる「flow into space」を1枚まるまる聴いてみてほしいところもありますが、そのきっかけとしても、この最新オールタイム・ベスト盤は一聴の価値ありです。

そして当サイトのディスコグラフィーには、オリジナル盤「flow into space」を収載していますので、このオールタイム・ベスト盤はラインナップから外れる、ということもあり、ブログにて紹介させていただきました。

 

 

番外編

1990年代は、久石譲がJ-POP界でも活躍していた時代です。初期のアーティスト楽曲提供や編曲担当ともまた違い、どっぷりと腰を据えて、アーティスト・プロデュースをしていた時代です。今井美樹のほかにも、純名里沙、西田ひかる、本名陽子 etc…

そのほとんどは今井美樹などと同じく、自らが音楽を手がけた映画やTVドラマなどでの出会いがきっかけです。そういった『久石譲プロデュース』および『久石譲楽曲提供』はディスコグラフィー内にカテゴリーあります。ぜひご覧ください。

久石譲 プロデュース | Produce Work

 

 

「野性の風」も「Blue Moon Blue」も、久石譲のアレンジ極意をたっぷりと味わうことができます。やっぱり久石譲だな、久石譲の音だと思った、と。作曲ではないのに、編曲だけでそう思わせてしまう、やはり強烈な音楽性なのだと思います。今井美樹の歌声も素敵です。

これから寒くなる12月に聴く「遠い街から」も、クリスマスを目前に聴く「遠い街から」も、一番寒さのきびしい1-2月に聴く「遠い街から」も、温かいサウンドとぬくもりに包まれる名曲です。いつしか、シンフォニック・インストゥルメンタル・ヴァージョン、夢のまた夢で聴いてみたいと願いをこめて。

 

Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 49 ~ブルックナー~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/11/20

クラシックプレミアム第49巻は、ブルックナーです。

 

今回は長いです、所感が。

久石譲のエッセイに際して、いろいろ数珠つなぎとなってしまい、久石譲が指揮をしたドヴォルザーク作品から、はたまたベートーヴェン「第九」のことまで。(そして、おまけつき)

 

【収録曲】
ブルックナー
交響曲 第9番 ニ短調 (ノヴァーク版)

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1988年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第47回は、
「商業化された大量生産」の音楽の台頭と行く末

音楽の進化をテーマに、楽典さながらの音楽講義もまじえながら、進んできたエッセイもいよいよ現代、今日の音楽のお話です。おそらく音楽業界に携わる多くの人が問題意識として、危惧していること、警鐘していること、そして久石譲の考えが正面からストレートに語られています。

 

「T・W・アドルノが書いた『新音楽の哲学』という本がある。その序文で「音楽現象そのものが商業化された大量生産に組み込まれることによってこうむる内的変化を立証し、同時に標準化された社会で起きている一定の人類学的変位がいかに音楽聴取の構造にまで入り込んでいるか……」などと、何回読んでも僕には意味がつかめない難しい言い回しが続く。この本自体はシェーンベルクとストラヴィンスキーを比較しながら(大雑把に言って)20世紀の音楽のあり方を論じているのだが、作者はユダヤ人でその論理的明晰さに脱帽したくなるが、読むにはかなり重度の忍耐が必要だ。」

「彼の言うように20世紀は「商業化された大量生産」の音楽が著しく台頭した時代だった。レコードの発達である。それまではホールなどに出向き、いくばくかのお金を払い、一期一会の音楽を楽しんでいたのだが、家で好きな時に好きなだけ聴けるようになった。音楽はレコードというパッケージになり、商品として流通経済の1アイテムになったわけだ。そこで誕生したのがポピュラー音楽だった。ちなみにウィキペディアで検索してみると「広く人々の好みに訴えかける音楽のことである」と書いてあった。なるほど、人々の好みか……?」

「その土台となった音楽は奴隷としてアメリカに渡った黒人と白人のあいだで生まれたデキシーランド・ジャズだということは前に書いた。それがロックンロールになり、ロックになり今日のエンターテインメント音楽になったのだが、その論理的な構造はいたってシンプル、機能和声で述べたとおりメロディーと伴奏の和音が主体である。だが小学校の教科書に載っている音楽の3要素はメロディー、和音、リズムとあるように、これほどまでにポピュラー音楽が世界を席巻したのは実はリズムの力である。先ほどのアフリカから来た黒人のリズムが入ることによって、ヨーロッパ系の機能和声中心の歌曲(一部のフォークソングを含む歌謡形式)から大きく変貌した。4リズムという編成がある。これはドラム、ベース、ギター、ピアノ(キーボード)のことをいうのだが、見事に音楽の3要素そのものではないか。これをバックにメロディーの象徴であるヴォーカルが入るのだから完璧である。だからドームを埋め尽くすコンサートライヴも小さなライヴハウスのバンドもベーシックは同じ編成なのである(もちろん弦を入れたり管楽器を入れたりコーラスを入れたりするが)。シンプル・イズ・ベスト、だが!である。目にあまる商業主義の中で、音楽は本当に豊かになったのか? プロとアマチュアの境も無く人気者が余興のように歌う音楽で(もちろんそうではない本物の歌い手もいるが)、人々は「人々の好みに訴えかける」というポピュラー音楽を心から楽しんでいるのか? 感動はあるのか? コンピューターでは音楽を情報化して定額料金で聴き放題などというふざけた話がある。それは音楽の尊厳を踏みにじる行為である。「商業化された大量生産」の音楽の行く末がこれなら、世界から本物の作曲家が消えていくだろう(食べられなくなるから)。もうこちら側に未来はないのかもしれない。」

「話を戻して、レコードの発達は一方のクラシック界にも影響を与えた。例えばソナタ形式の提示部の繰り返し(前に説明すると約束した)だが、レコード化されるときにカットされることが多くなった。レコードは片面約15~20分、両面で交響曲がやっと入る長さなのでその時間の制約が大きかった。もちろんそれだけではない。時代はたらたらした長いものより、よりコンパクトでスピードのあるもの、そして大掛かりなもの、つまりオーケストラの編成も巨大化したものを求めていった。その象徴がカラヤン、ベルリン・フィルだった。もちろん他のオーケストラも同じ道を辿っていった。」

「ソナタ形式の繰り返しは今のことから逆に辿っていくとわかる。ソナタ形式の重要なことは第1主題と第2主題にある。それが提示され、どのように展開され、またどのように再現されるか、それを聴き分けるためには第1主題と第2主題を印象づけなければならない。だから繰り返すのである。当時はホールでしか聴かなかったから(家では聴けない)繰り返す必要があった。それが提示部についているリピートマークの意味だと僕は考えているのだが、今の時代でもそのことは有効であると思っている。だから指揮をする時、提示部は繰り返すようにしている。」

「「商業化された大量生産」のパッケージはレコードからCDになり、今ではダウンロードが主流になりつつある。手軽に便利はいいことなのだろうか?」

「人の生活はものや情報で豊かにはならない。爆買する中国人を見て豊かだと思うだろうか? 我々はどこかに置いてきてしまった大事なものをもう一度取り戻さなければならない。」

 

 

なかなか重い問題提起であり、おそらく多数決でも答えのでない永遠のテーマのような気もします。そこには時代の流れ、芸術の社会的地位、そして時代が今求めているもの、いろいろな側面があるからです。

たしかに大量生産というのは、みんなが同じものを、同じ品質で、同じように、得ることができる。つまり平等で均一な満足感。

一方では、大量に存在することでの価値の低下、過度な需要供給バランス、有り難みを感じない浪費、つまり商品サイクルを短くします。希少性がない、価値が低いと感じられるモノは、流行り廃りが早いのは当然です。裏を返せば「飽きる」ということは、「入れ替わり」がいかようにでもきくという環境にあるということです。それは音楽であっても物質的なモノであっても。

 

久石譲の言葉を何回も読み返しながら思った結論としては、、ご本人の意図とは違うかもしれないという注釈をしたうえで、レコード化されて家でも簡単に聴けちゃうことでもなく、大量生産され商業化され音楽の尊厳を踏みにじられることでもなく、”ホンモノとしての音楽がしかるべき扱いをうけられない時代”ここなのかなと思いました。

 

レコード化すること、コンピューターを駆使して、オケを束ねて、あらゆる手段で音楽を作り出すこと、パッケージに残すことは、これまで音楽家にしかできなかったことです。そこには膨大なお金も時間も資源も必要だったからです。それが誰でも簡単にできるようになった。できるようになったことが悪なのではなく、そこでプロとアマの区別化が正常にされなくなってしまった。それはプロとしては精進するべきことであり、一方では聴衆側にも求められることがあります。目利き耳利きといった正常な区別をできること。

膨大なソース(人,金,資源)を使って、音楽を作り続け、伝え続けるプロ。作ることにも、伝えること(演奏披露)にも、同じように膨大なソースが必要ということです。反比例して、音楽というものはあらゆる芸術の中でも、とりわけ日常生活に密接に関わっているもの。手軽さや便利さを求めることもまたしかり。そこで登場するアマに関しては、プロほどのソースが必要なく、また手軽に音楽をつくることも伝えることもできる。

 

また別の角度からの音楽のパッケージ化は、受け手側からすると喜ばれることもまたしかり。・・発信側の多様化と、受け手側のニーズの多様化と・・これらの事象が分別なく交錯しすぎているからではないかと。

 

プロはすごい、技術力が上、アマはダメ、技術力が乏しい、のではなく、アマは一発勝負やビギナーズラックでもOK、しかしプロは継続してプロなわけです。だから同じ土俵で天秤にかけること自体がそもそも違うような気もしますね。

プロに対する正当な評価として対価を払うこと。CD、楽譜、コンサートなどお金を払って手にする対価、演奏会など足を運んで時間を払って手にする対価、その両軸のサイクルによって、聴かれつづけ、演奏されつづけ、残っていく音楽。瞬間的にアマが台頭する現代社会が仮にあったとしても、やはり長い目で見たときには、プロの作品が引き継がれていくのでは、自然と。と思ったりもします。残るものとしてカタチにすることも、一般社会に浸透させていく対マスの力も、やはりプロが優っているわけですから。

 

ということで、結論としては、

”ホンモノとしての音楽がしかるべき扱いをうけられない時代”

”プロに対して瞬間的な実績や評価が求められてしまう時代”

流行り廃りのサイクルが過剰な現代社会も時間の尺度として音楽家や芸術家には負のスパイラルというわけです。だからプロとしての音楽家が生き残っていけない。クラシック音楽の巨匠たちは、ひとつの作品をつくるのに、少なくとも数年、長い人で十年以上かけもしていたわけですから。これも現代と古典を同じ土俵では比較できないのです。

 

堂々巡り。それを現すように書いている自分も支離滅裂、収拾ついてない。答えがないですね、だから。唯一の答えがあるとするならば、それは未来にしかわからないということです。

今から300-500年以上も前の音楽が今でも愛され続けている。ベートーヴェンやモーツァルト、バッハのようなクラシック音楽です。今から300年後に、今聴かれている音楽の何が残っているか。もしくはそうなるために、これから300年間、聴かれ、演奏され続けなければいけないということです。

そう考えると、クラシック音楽(宗教音楽から19世紀まで)以外はすべて20世紀の音楽です。ジャズもロックもポップスも。そこから派生したボサノヴァもタンゴもサンバもヘヴィメタもテクノも、すべて。だからこの約100年間で繁栄してきた今の音楽が、これからどう進化するか、現代人にはわからなくて当然かもしれません。

 

長くなったのでこの辺にしておかないと。

 

 

そういえば、本文中に「僕は提示部を繰り返すようにしている」と書かれています。たしかにそのとおりです。今年の5月演奏会での「ドヴォルザーク 交響曲第9番 新世界より」(富山公演)のこと。

聴いたときに、あれ、なんかバージョンが違うと不思議に思った第1楽章。曲の途中でジャン!と鳴って、また聴きなじみのテーマが流れだしたので。あれは提示部を繰り返していたんですね。なかなかこの”提示部の繰り返し”ですが、名盤と呼ばれる名指揮者、名門オケのCDでも聴くことはできません。ほとんど繰り返していないからです。

だからコンサートで聴いたときに、普段耳馴染みがなかったので、一瞬で気づいてしまうインパクトだったんですね。この作品が収録されているCDをおそらく10枚以上は聴き比べました。単純に作品にハマって自分好みの1枚を探していたんです。”提示部の繰り返し”があったのは1枚でした。

それも久石譲のコンサート後に聴いた1枚からだったので、そこで”久石譲編曲!?”(そんなことするはずはありません)ではなく、あっ、これは”提示部の繰り返し”だったのか、と初めて気づいたわけです。

 

これに関しては、もう少し突っ込みたいところもあり、それはあらゆるクラシック音楽の作品には、スコアの版(バージョン)が複数存在するということなのです。

うーん、これを書き出すと、止まらないのですが、例えば有名なベートーヴェンの第九も、スコアが複数あるんですね。編曲されているということではなく、採譜に携わった人が違うという。

年末、第九をいろいろな指揮者によって公演する楽団は多く、12月は第九のオンパレードだから練習が楽かと思いきや、指揮者によって使用するスコアが違うと結構大変なようです。

X日 Xさん指揮の第九はX版だけど、
Y日 Yさん指揮の第九はY版なんだよね、と。

いくら演奏する音が同じであったとしても、見慣れない譜面に対応するのは、膨大な交響曲では大変なことです。さて、久石譲の「第九スペシャル 2015」では、どのスコア版が使用されるのでしょうか。

聴いてわかるわけがない!

 

(おまけ)

久石譲の音楽活動の歴史を見ても、久石譲の警鐘することの片鱗は見えなくもないのです。

初期はシンセサイザーを駆使していた久石譲が、ある時期を境に生音、オーケストラ楽器に移行していきます。これにもいろいろ伏線や理由はあるのでしょう。

でもひとつ言えることは、当時シンセサイザーを使うこと、そしてそこから鳴る音も含めて、アーティストとしてのオリジナリティとして扱われたわけです。何のシンセサイザーやシーケンサーを駆使しているか、どんな音をプログラムして作っているか、これもアイデンティティであり、音楽家の個性だったわけです。

それが無くなってしまった、簡単に模倣できるようになってしまった。あるいは、今後残っていかない、その時だけ鳴らすことのできる”音”。だからデジタル楽器からは距離を置いたところで、奏者と楽器と演奏技術が不可欠な生楽器へと移行していった。

これも久石譲の音楽と現代社会に対するひとつの答えゆえのような気もするのですが。どうなのでしょうか。

……

新鮮味のある音、意表をつく音、奇抜な音、ここで勝負できなくなったということは、裸にされた楽曲は残るメロディや旋律だけでの勝負となるわけです。そこで久石譲は勝負することを決意した。(推測)

そして古典クラシックを学びなおすこと、指揮すること。次に磨きをかけたことが楽曲の構成力とオーケストレーション。もちろん裸にされても核として強い旋律を突きつめ、削ぎ落としても貧弱にはならないメロディとなる。

同時にそれは短いモチーフからなる原点のミニマル・ミュージックをさらに進化させることにもつながる。そうして今の久石譲音楽があるような気がします。

 

だから、数年前からクラシック音楽に傾倒していることも、シンセサイザーを全面的には使わなくなってしまったことも、過去から見れば名残惜しいと思えることも、未来から見ればあながち正統な道なのかもしれません、よ。

過去のシンセサイザーは今や古びれて使われませんが、オーケストラ楽器や生楽器は何百年と続いています。久石譲の音楽が300年後に演奏されているとしたら、おのずと、、そういうことなのかもしれませんね。

 

今回は持論が溢れ出てしまいました。

この素材だけで「久石譲論文」が書けそうですが、それはまたゆっくりと腰を据えたときにでも。

 

クラシックプレミアム 49 ブルックナー

 

Blog. 久石譲 「千と千尋の神隠し」 インタビュー 劇場用パンフレットより

Posted on 2015/11/19

2001年公開 スタジオジブリ作品 映画『千と千尋の神隠し』
監督:宮崎駿 音楽:久石譲

映画公開に合わせて劇場で販売されたパンフレットより、久石譲の音楽制作インタビューです。

 

 

音楽・久石譲

千尋の心情が引き立つように全体を構成

根底にあるのは素朴で懐かしい感じ

-今回の音楽はガムランであったり、沖縄民謡的なものであったり、エスニック的なものなどさまざまなものが使われている中で、メインはフルオーケストラでしっかり押さえているという印象がありますが、映画音楽全体の構成はどのように考えられていたんですか?

久石:
「実はこの作品のテーマを表現するためにオーケストラが必要かどうかっていうのは、よくわからないんですよ。主人公の心情だけを追っていくことを考えたらピアノ一本でも充分なわけだから。だけどあの世界観を表現するにはやはりフルオーケストラぐらいの広がりがないとダメだと思ったんです。それで宮崎さんもすごくその場の空気感を大事にされる方だから、今回はスタジオで収録するのではなくて、コンサートホールでライブで録ったんです。それはすごく成功していると思う。それでエスニックやガムラン、バリ島の音楽、沖縄民謡、中近東やアフリカのものまでいろんなものを使っているんだけど、それらは料理でいう飾りつけみたいなもので、実はそこにはあまり意味がないんです。意味があるとすれば、それは作品自体が限定した空間のリアリティを求めているものじゃないですから、いろんなものを使うことによって閉じた感じをなくしてどんどん広がりを出す。そのための手段として使った。それだけです。

僕がこの作品の音楽をつける時に一番考えたことは、最後まで等身大の十歳の女の子を表現するにはどうしたらいいかということだけでしたから。例えばピアノと弦楽器だけの曲であるとか、単音のピアノでメロディを弾いている曲の持つ静けさを大事にしたつもりです。そしてその千尋のテーマ曲ともいえる曲が静かな分だけ、他の楽曲をやかましくして、千尋の心情が引き立つように全体を構成していったんです」

 

-その辺りについてもう少し伺えますか?

久石:
「映画の後半に千尋が海の上を走る電車に乗って銭婆のところへ向かうシーンがあるんですけど、僕はあのシーンが宮崎さんが今回一番やりたいところだったと思っているんです。それでイメージアルバムの中にある『海』という曲が、そのシーンにすごく合うんですよ。宮崎さんもイメージアルバムを作った時にその曲を真っ先に気に入ってくれたんですけどね。だからそれが千尋のテーマ曲の根底なんです。非常に素朴で懐かしい感じ。ひとりぼっちなのに前向きに生きるひたむきさ。そしてその中にある優しさ。つまりこの映画は誰の中にもあるそういうものを表現した作品なんですよ。それでこれは宮崎さん特有のものだけど、最後に主人公を救っていない。突き放しているんです。つまり宮崎さんは子ども向けの映画の体裁をとっているんだけど、大人も含めたいろんな人に向けて自分のメッセージを発しているんですよ。その根底にあるのが、イメージアルバムの中にある『海』という曲であり、その曲が使われるシーンだと思います」

 

宮崎さんの私的な心情が色濃く出ている作品

-今回の音楽には、湯婆婆やカオナシといったキャラクターのテーマ曲も作られている感じがありますが。

久石:
「僕は登場人物それぞれに音楽をつけるのはあまり好きではないんですけどね。今回は音楽のスタンスをどこにとるかを考えた時に、最初から最後まで千尋に降りかかる災難と彼女の心の動きだけを追っていくにはあまりにエキセントリックにいろんなことが起きすぎていましたからね。彼女の周りで起こる状況にも音楽をつけざるを得なかったんです。そうすると当然、千尋の周りに出てくる個性的なキャラクターの音楽も必要になったわけです。

でもその中で、湯婆婆だけは最後までキャラクターがつかみきれなかったですね。宮崎さんの作品っていうのは複雑で、善人が悪を抱えていたり、クールなキャラクターなのにその裏には優しさがあったり、必ず二律背反している。しかもその両方を宮崎さんは求めますから。そういう意味で湯婆婆のテーマ曲は最後まで手こずりましたね。オーケストラのスコアを書いてる途中で、もう一回ベーシックから全部作り直しましたから。それで結局どういうものにしたのかというと、ピアノの一番高い音と低い音が同時になるような、通常の楽器を使っているのに通常の音がしないような、そんな感じを湯婆婆のキャラクターサウンドにしたんです。個人的には気に入っています」

 

カオナシについてはいかがですか?

久石:
「カオナシは影の主人公ですよね。短く頻繁に登場する。彼の動きをずっと見ていくと、ある意味そのキャラクターは主人公より明解なんですよ。だから逆にカオナシのテーマ曲はかなり真剣に作りました。でもそれがどういうものかというのは、言葉で説明してもしようがないので、映画を見て下さいとしか言えません」

 

-音楽作業をほぼ終えられた今、久石さんのこの作品に対する印象は?

久石:
「根底にあるものはこれまでの作品と一緒だと思うんですけど、宮崎さんの私的な心情が色濃く出ている作品だなって感じます。”豚”が登場していますが、その作品と作家としての宮崎監督の距離が近づいている印象がありますよね。そういう意味ではこの映画には宮崎さん自身が経験したことや体験したことがかなり入っているんじゃないかと思います。だからこそこの映画は宮崎さんの作品の中でも今までにない大傑作になった。そう感じています」

2001年6月6日/スタジオ ワンダーステーションにて

(映画「千と千尋の神隠し」劇場用パンフレット より)

 

 

なお、「ジブリの教科書 12 千と千尋の神隠し」(2016刊)にも再収録されています。

 

 

そのなかには下記のようなエピソードも収録されています。

 

Part 1映画『千と千尋の神隠し』誕生
スタジオジブリ物語 空前のヒット作『千と千尋の神隠し』 項より

主題歌には宮崎作詞、久石譲作曲で『あの日の川へ』という曲が予定されていた。しかし宮崎の作詞作業が難航。二週間かかっても作詞をすることができなかった。そんな折、『いつも何度でも』を思い出した宮崎は、これ以上のものは自分にはできないと、この歌を主題歌にすることを提案し、そのように決まった。

(「ジブリの教科書 12 千と千尋の神隠し」より 一部抜粋)

 

 

千と千尋の神隠し パンフレット

 

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Blog. 久石譲インタビュー「米の作曲家を見習うべき」日本経済新聞 掲載内容

Posted on 2015/11/14

日本経済新聞 10月26日付 夕刊 / Web に久石譲のインタビューが掲載されました。

短い記事ではありますが、”今の久石譲”が色濃く表れ、これからの久石譲もうっすらと見えてくるような、そんなインタビュー内容になっています。

長い音楽活動のなかで、自身ソロ活動において、ヨーロッパ、イタリアなどを題材にしたことはありましたが、ここにきて”アメリカ”。たしかに直近の新作「ミニマリズム2」収録曲や、室内交響曲、コントラバス協奏曲などは、アメリカの匂いが漂っているなと、伏線がつながった気がします。「ポスト・クラシカル」という位置づけから、”アメリカ”を捉える。とても今後が楽しみです。

 

 

2015/10/26付 日本経済新聞 夕刊

「欧州よりも米国を見習うべきだ」。西洋クラシック音楽の流れをくむ現代の音楽を作曲する上で、米国を重視するようになった。「日本と同様、西洋音楽の長い伝統がない。ガーシュインやバーンスタインら米国の作曲家から学べる」

現代の音楽の演奏会「ミュージック・フューチャー」の第2弾を9月に東京都内で開いた。自作2曲と米国の作曲家の3曲を、自らの指揮による特別編成の管弦楽団などで演奏した。「自作を含めベースにあるのは、1960年代米国で生まれたミニマル・ミュージック」。最小限の音型を微妙に変化させながら延々と反復する音楽だ。大御所のスティーブ・ライヒらの作品を精緻に再現した。

自作ではエレクトリック・バイオリンの独奏を入れた「室内交響曲」を世界初演した。「エレキバイオリン自体が電気的に作られたアメリカンな楽器」と話す。エレキギター並みにエフェクター機能も使うなど「欧州の伝統音楽にはない新しい響きを感じてほしかった」と言う。

「現代の音楽」にこだわるのは、「同じような古典作品を毎回演奏するクラシック界の現状を変えたい」からだ。「かつてリゲティらの20世紀の作品にはパワーがあった。ロックでもセックス・ピストルズやルー・リードを聴いて人生が変わった人も多い。衝撃があるべきだ」

自らを「ポスト・クラシカル」と位置付ける。ミニマルから発展し、クラシックとポップスの垣根を越える作品を書く。「ポップス発祥の地の米国に学ぶ」のが理由だ。新CD「ミニマリズム2」に続き、10月29日には新作「コントラバス協奏曲」を世界初演する。看板だったアニメの映画音楽も超えて新たな世界を切り開く。

(ひさいし・じょう=作曲家)

 

久石譲 日本経済新聞 2015

※有料会員限定記事 (無料会員登録でも閲覧は可能)

公式サイト:日本経済新聞 Web より

 

Blog. 雑誌「モーストリー・クラシック 2015年12月号」久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/11/14

クラシック音楽誌「MOSTLY CLASSIC モーストリー・クラシック 2015年12月号 vol.223 」(10月20日発売)に久石譲のインタビューが掲載されています。今年2015年に発表した待望の最新ソロアルバム「ミニマリズム2」のことから、8月、9月、10月、そして12月へとコンサート活動もふまえて語られています。

 

 

多忙な活動の中、CD「ミニマリズム 2」をリリース
「自分の原点のミニマルをベースに、小さい編成でコンセプトが明快なら楽しいと思って作りました」

8月には自らが立ち上げた「ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)2015」の全国6回のツアー、9月には現代作品だけで構成される演奏会「Music Future」両プロジェクトを指揮。10月に初演する新作コントラバス協奏曲の作曲、「題名のない音楽会」の新テーマ曲やCM楽曲などの作曲と、多忙を極める中で、8月にソロアルバム「ミニマリズム 2」を発表した。

久石:
「前作の『ミニマリズム』は、それまで作ってきたミニマル的な作品や『ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド』や『シンフォニア』などをロンドン交響楽団とレコーディングしたものです。ただ、全体的にポップスの枠内でやろうとしている部分がちょっとありましたが、今回は自分が”作品”として作ったものを集めました」

今回は、室内楽中心の編成で、2009年に宮崎駿監督に贈り、特別な機会にしか演奏されずに”幻のピアノ曲”と呼ばれた「WAVE」、戦後70周年に書かれた「祈りのうた」、マリンバ2台の「Shaking Anxiety and Dreamy Globe」、4本のサクソフォンと打楽器の「Single Track Music 1」、「弦楽四重奏曲第1番」などが収録されている。

久石:
「今回はできるだけ小さい室内楽、マリンバ2人とか、サクソフォン4人とか。コンセプトが明快だったら、楽しく聴きやすいと思って作った曲が多いです。ただ、2台マリンバの曲は、2本のギターのために書いた作品を、マリンバ用に書き直したもので、変拍子が多くとても難しい。『シングル・トラック』は、線路の単線という意味で、それぞれが単旋律のユニゾンを演奏しますが、音域やズレが様々な音風景を生んでいます」

アルバムは、ミニマル・ミュージック(最小限に抑えられた音階とパターン化された音型を反復させる音楽)のソリッドなサウンドに貫かれている。

久石:
「僕の作曲の原点がミニマル・ミュージックで、若い頃はそれをベースに作曲していましたが、長い間、エンターテインメントの方で活動して封印状態だったんです。それが、2004年にW.D.O.を始めて、もう一度クラシック音楽をやり出したとき、ベースのミニマル・ミュージックに戻ろうと」

久石:
「世間で『ミニマルは古いよ』と言われていたのが、実情は違っていて、オペラをMETで上演したニコ・ミューリーやロックバンドとクラシックの両方で活躍するブライス・デスナー(いずれの作品も『Music Future』で紹介されている)といった作曲家や、テクノ系やクラブ・ミュージックまでに影響を及ぼし、『ポスト・クラシカル』と呼ばれているけれど、元々僕がずっとやってきたようなものだから、今の活動をやる意義が自分でも明快になりましたね」

10月には読売日響で自作のコントラバス協奏曲とオルフ「カルミナ・ブラーナ」を指揮、その模様は、日本テレビで収録され、「読響シンフォニックライブ」(日テレ、BS日テレ)の枠で放送される。(放送日:「カルミナ・ブラーナは12月予定、「コントラバス協奏曲」は16年1月予定)

(雑誌「モーストリー・クラシック 2015年12月号」より)

 

モーストリー・クラシック 2015年12月号

 

Blog. 雑誌「CDジャーナル 2015年11月号」久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/11/14

10月20日発売 雑誌「CDジャーナル 2015年11月号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。

これからの予定も少し垣間見れる内容です。

WDO2015CD化決定!
読響シンフォニックライブのTV放送予定!

どちらも詳細はこの段階では未確定となっています。今年後半の活動から、来年以降の展望を楽しく想像、期待したくなるようなインタビューです。

 

 

自分の原点と”内なるアメリカ”をめぐって
取材・文/前島秀国

久石譲の破竹の勢いが止まらない。8月は最新アルバム『ミニマリズム 2』リリースと同時に、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラとのツアーを全国6ヵ所で開催し、「Symphonic Poem “NAUSICCÄ” 2015」を世界初演(CD化決定。詳細は後日発表)。9月は久石自身がセレクトした現代の優れた音楽を紹介する”Music Future Vol.2”を開催し、新作「Single Track Music 1」(サクソフォン四重奏+打楽器版)と「室内交響曲」を世界初演。10月は『題名のない音楽会』5代目司会者・五嶋龍のために書き下ろした新テーマ曲「Untitled Music」のオンエア開始と、新作「コントラバス協奏曲」(日本テレビ委嘱作品、読響シンフォニックライブで2016年1月放送予定)の世界初演。そして年末12月には混声合唱、オルガン、管弦楽のための「Orbis」新ヴァージョン初演を含む”久石譲 第九スペシャル 2015”開催と、目にも留まらぬ速さで作曲/演奏活動に打ち込んでいる。

 

音楽に入りやすいこと、身近に感じてもらうこと

まずは、久石の原点であるミニマル・ミュージックをアルバム・コンセプトに据えた『ミニマリズム 2』について。小編成の室内楽で密度を高めた本作には、久石のソロ・ピアノ曲「WAVE」と「祈りのうた」が収録されているのも、ファンにはたまらないポイントだ。

「2曲とも宮崎駿監督の誕生祝いとして書いた作品です。〈WAVE〉(2009年作曲)は”メロディ”と”ミニマル”という2つの要素をシンプルな形で結びつけた曲ですが、当初収録を予定していたピアノ・ソロアルバムがなかなか完成せず、リリースの機会を逸してしまいました。一方の〈祈りのうた〉(2015年作曲)は、戦後70年の節目を意識して書いた曲。以前から音数(おとかず)の少ない、内省的な作品を書きたいと思っていたのですが、これもなかなか機会に恵まれなくて。ところがここ数年、ペルトやグレツキの作品を(指揮者/ピアニストとして)演奏したことで、ホーリー・ミニマリズムと呼ばれる彼らのスタイルから刺激を受けました。”なるほど、できるだけ切り詰めた要素で作曲していくには、こういう方法もあるのか”と」

『ミニマリズム 2』収録の「Single Track Music 1」は、単音から24音まで増殖していく音列をユニゾンだけで演奏しながら、ヴァーチャル的にミニマル特有のズレを感じさせる新しい手法にチャレンジしている。

「基本的にはリズム中心の作品ですが、リズムというわかりやすい要素を作曲のベースに置くことで、聴き手の拒否反応を無くすことができます。つまり書く側が8分の7のような変拍子を使い、複雑な音の並べ方を試みたとしても、聴く側はリズムの勢いで音楽に入っていけるので、トータルとしては縁遠いものではなくなる。音楽に入りやすいこと、身近に感じてもらうことが、いま、自分の中でもっとも重視している要素なんです」

そこには、いち早くミニマル・ミュージックの演奏・紹介に取り組んできた、久石自身の体験が色濃く反映されているという。

「70年代から80年代にかけて、多くの演奏者がライヒ、グラス、ライリー、ヤングという4人のミニマリストの作品を何らかの形で体験しました。演奏したことがない人は、ほとんどいないと言ってもいいくらい。ただし、ほとんどの場合、みんな嫌気がさしてミニマルから離れてしまった。その気持ちは、よくわかります。今回、”Music Future Vol.2”でライヒの〈エイト・ラインズ〉を指揮しましたが、譜面を見ると自分でも嫌になりますよ。”こんなの弾くなんて、冗談じゃない”みたいな(笑)。ライヒの場合、モーダルなジャズ、コード進行というのが発想のベースに必ずあります。それを、寝食を共にするような共同体の中で少しずつ変化をつけながら、音楽を作り上げていくというのが彼の方法論なので、3~4回のリハーサルで演奏すること自体、無理があるんです。演奏者の心が入りにくい。30年前、もしも的確に指導できる人間がいれば、ミニマルと聞いただけで演奏者が溜息を洩らすような、現在の状況にはならなかったでしょう。ミニマルに欠点があるとすれば、おそらくそれが最大の欠点です。作曲家が演奏者の生理を考慮し、譜面の書き方を見直して欠点を克服していかなければなりません」

 

”ニューヨークの夜”のような世界観

”Music Future Vol.2”で久石が紹介したブライス・デスナーの弦楽四重奏曲「Aheym」(日本初演)や、ジョン・アダムズの「室内交響曲」(久石が指揮)には、そうした欠点を克服していく姿勢が感じられるという。

「デスナーの曲に聴かれるCマイナーのコード感、あれはクラシック専門の作曲家には書けないでしょうね。ロックやそのほかの音楽のエネルギーを取り込み、クラシックの書き方を勉強し直した人間でないと書けない強さがある。アダムズに関しては、リズムをわかりやすく刻むことで聴きやすい音楽を作っていますが、じつは3つか4つの雑多な要素を同時に盛り込んでいる。そうしたカオスのような多様性が、彼らアメリカの作曲家たちが持つ強みだと思うんです」

同じ”Music Future Vol.2”で世界初演された久石の新作「室内交響曲」にも、じつは”アメリカ”という要素が濃厚に現れている。

「昨年の”Music Future Vol.1”で、6弦エレクトリック・ヴァイオリンを独奏楽器に用いたニコ・ミューリーの〈Seeing Is Believing〉を指揮したのが、作曲のきっかけです。せっかくこの楽器に出会ったのだから、ひとつ自分でも曲を書いてみようと。ところが、これは予想外だったのですが、あの電気的なサウンドは間違いなく”アメリカ”ですね。気が付いたらロック・ギターのようなディストーションを使ってみたり、スコアの中にサクソフォンもフィーチャーしたりしていました。そうすると、自然と”ニューヨークの夜”のような世界観になっていく。そこで、はたと気が付いた。今回の”Music Future Vol.2”はライヒ、アダムズ、デスナー、自分の曲と、完全に”オール・アメリカン”ではないかと。これほど見事なコンセプトでプログラムが統一されているとは、自分でも驚きました」

現在作曲中の最新作「コントラバス協奏曲」も、同様に”アメリカ”が重要なキーワードになるという。

「コントラバスを独奏楽器としてイメージしてみた時、真っ先に思い浮かぶのがロン・カーターのようなジャズ・ベーシストなんですよ。そうすると、これも当然”アメリカ”になってくる。よくよく考えてみると、今年の作曲活動のポイントは、じつは”自分の内なるアメリカ”を確認し直すことだったのかと。それが必然的な流れならば構わないし、結果的に良い作品が生まれればいい。チェロ協奏曲の延長として作曲しても面白くないですから。これはすごく面白い曲に仕上がると思いますよ。期待してください」

(雑誌「CDジャーナル 2015年11月号」より)

 

CDジャーナル 2015年11月号