Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 48 ~新ウィーン楽派の音楽~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/11/7

クラシックプレミアム第48巻は、新ウィーン楽派です。

 

【収録曲】
シェーンベルク
《浄められた夜》 作品4 (弦楽合奏版)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1973年

ウェーベルン
《5つの楽章》 作品5 (弦楽合奏版)

ピエール・ブーレーズ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1994年

ベルク
ヴァイオリン協奏曲 《ある天使の思い出に》
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
サー・コリン・デイヴィス指揮
バイエルン放送交響楽団
録音/1984年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第46回は、
十二音音楽ってなに?

本号特集と久石譲エッセイ内容が一致するのは全巻とおしても珍しく、特集でも十二音音楽、久石譲も十二音音楽と、頭の中でグルグル回ります。いずれを読んでも、とにかく難しい。難解だと敬遠するつもりはないですが、わかりたいですが、難しい。

一部抜粋してご紹介します。

 

「十二音音楽(技法)についてこれから必要最小限の説明を試みたいのだが、その前にお断りしたい事がある。僕はこの技法を大学時代に独学し、その後、日本の十二音技法の大家、入野義朗先生についていささかレッスンを受けた。まだミニマル・ミュージックの洗礼を受ける前のことだが実は多くの作曲家、アルヴォ・ペルト、ヘンリク・グレツキ、そしてあの前衛中の前衛であるジョン・ケージでさえこの十二音技法を学んでいる。だから自分にとってこの技法を語ることは特別な事ではないのだが、音楽ファンにとってみれば、仮にたくさんのレコードを持ち、カール・リヒターとトレヴァー・ピノックのバッハ作曲《ブランデンブルク協奏曲》の違い(これは村上春樹の本に出てくる描写)が熱く語れるほど音楽に詳しい人であっても、なんだか面倒くさい話になる。理論や法則の話は誰だって好む事柄ではない。人は制限されること、例えば行動を規制させること、指図を受けることなど、自分の意志ではないことを強いられるのは嫌いだ。僕も嫌いなのだが、なぜかこういう話になるのは、たぶん自分の感性を信じていないからで(いや、人間の感覚というもの自体を)、あやふやな自分を確認するものさしとして理論を使っているからだろう。案外、正しい理論や論理との接し方かもしれない。」

「十二音音楽(技法)とは1オクターヴの12の音を使った音列(セリー)で、その音の順番を変えずに音楽を作っていく方法だ。もちろん同じ音を音列の中で2度使用する事はできないし、感覚として他の音の方がよいと思ってもそれは駄目である。ただしその音列にしたがって和音としての使用は可能だ。こうする事によってどの音にも比重が偏る事なく、対等に全部の音を扱う。これは調性音楽が主音や属音を主体に動く事からいかに離脱するか、という事から考えられた。また、その音列の最後の音から頭の音にいくのを逆行型、最初の音から同じ音程分だけ反対方向にいくものを反行型といい、逆行型も反行もいれると全部で4種類のセリーができる。やっぱりわからないね、どこがわかりやすいんだ! という声が聞こえてくるが、もう少し辛抱を。」

「作曲家は絶えず次になんの音を選ぶか悩む。シンプルなメロディーでも前後の関係性でここはソかラを選ぶか考え込む。ソナタ形式や機能和声のようなシステムがあればその基準に沿って、あるいは破壊しようと思って(本人だけ思っていて実は仏様の手の平状態なのだが)音を選んでいく。そう、システムがあれば作曲は助かるのだ。その意味でこの十二音技法は便利なのである。まず12の音を作曲者の感性と論理で配列する。これをオリジナル音列と仮に命名する。すると先ほど書いたように逆行、反行などの4種類x12半音分もの音を選ぶ材料が自然に、あるいはあらかじめ用意されたごとくできる。もちろんもっと細かな決めごとがあるのだが、あとは作曲家がそれに即して音を置いていけば曲は一応できるのである。」

「その時代はトマトが熟しすぎて腐る寸前のような状態、つまり機能和声が半音階を多用してもはや調性はどこにあるのか聴き分けることも不可能になった時代だった。そしてこのような時のトマトはおいしいと聞くが、音楽も同じで後期ロマン派の音楽は味わい深く実においしいのである。ちなみに僕はトマトが大嫌いだ! まあそんなことはどうでもいいのだけれど、そのような時代にこの技法は画期的だった。もちろんなかなか受け入れられなかったことは容易に想像できる。創始者といわれているシェーンベルク自身、十二音技法と調性音楽あるいは単に無調の音楽の間を行ったり来たりしているのである。時代は緩やかなカーブを描いて変遷する。」

「さて「音楽の進化」について書いているのだが、その冒頭でアントン・ウェーベルンの言葉を引用した(39号)。彼はシェーンベルクの弟子であり、その後の現代音楽への影響から考えれば師であるシェーンベルクよりも影響は大きかったと言える。彼はある講義で「あらゆる芸術は…合法則性に基いている」といい、それに続いていかに十二音音楽が歴史の流れの中で必然的な技法であるかを熱く語っている。それは当事者によくある我田引水のような部分もあるのだが、「音楽の進化」を考える場合、傾聴に値する内容だ。」

「つまり、単音の音楽の時代から、線の音楽になり(ポリフォニック)、それがホモフォニー(ハーモニー)になったのだが、音楽以外のもの(物語性)で飽和し限界に来たところで、今一度ポリフォニックになった、それが十二音音楽であると。つまり純音楽に戻ったと彼は言いたいのだろう。確かに十二音音楽は音列を使う分、縦ではなく横の線の動きが重要になる。ではそれがハーモニーの時代を終焉させ、新しい時代を本当に作ったのか? 次回はポップスを含めた20世紀の音楽を考えたい。」

 

 

うーん、非常に難しいですね。言葉で説明されると理屈的にはわかったような気になりますが、わからない。そしてシェーンベルクの十二音技法のピアノ曲なども聴いてみると、さらにわからなくなるという始末。

今鳴っている音楽が、解説や理論でいうところの、どこに当たるのか…耳でも言葉でも照らしあわせてわからない。ただ毛嫌いせずに、音楽の歴史において、そういう動きが起こり、それが今にも引き継がれている部分がある。そう捉えておこうと思います。

 

シェーンベルクの「浄められた夜」は、久石譲も指揮をとったことのある作品です。弦楽六重奏版と弦楽合奏版(1917年版/1943年版)がありこれらは作曲者オリジナル版となりますがそれ以外にもピアノ三重奏版なども作品化されています。

いずれをも聴いたうえで、やはり弦楽合奏版の、うねるような怒涛の弦の響きは圧巻です。歴史的名盤と評価も高い、本号にも収録されたカラヤン盤を久石譲が演奏会で取り上げるとわかってから愛聴しています。

ちなみにこの「浄められた夜」は、シェーンベルク初期作品で、無調音楽でも十二音音楽でもない位置づけになっています。とても聴きやすく詩からインスピレーションを受けた作品ということもあり、弦楽器だけで織りなすドラマティックな構成、展開となっています。神秘的 幻想的 月 生命 慈愛 詩的 こういったキーワードを連想する作品というところでしょうか。

 

2015年5月に久石譲が同作品を指揮するにあたり、ピアノ版を自ら譜面にしたというエピソードがあります。

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「それで今猛勉強中なのだが、とにかく各声部が入り組んでいるため、スコアと睨めっこしても頭に入ってこない。いろいろ考えたあげく、リハーサルの始め頃は連弾のピアノで行うので、そのための譜面を自分で書くことにした。やはり僕は作曲家なので自分の手で音符を書くことが覚える一番の近道だと考えたのだが、それが地獄の一丁目、大変なことになってしまった。」

「《浄められた夜》は室内楽なので、音符が細かい。例えば4/4拍子でヴィオラに6連符が続くと4×6=24、他の声部もぐちゃぐちゃ動いているので一小節書くのになんと40~50のオタマジャクシを書かなければならない(もちろん薄いところもある)。それが全部で418小節あるのである! そのうえ、4手用なので、弾けるように同時に編曲しなければならない。全部の音をただ書き写しても音の量が多過ぎて弾けないので、どの声部をカットするか? もう無理なのだが、どうしてもこの音は省けないからオクターヴ上げて(下げて)なんとか入れ込もうとかで、とにかく時間がかかる。実はこの作業は頭の中で音を組み立てているのだから、最も手堅い、大変だが確実に曲を理解する最善の方法なのだ。」

「もしかしたらこれは多くの作曲家が通ってきた道なのかもしれない。マーラーやショスタコーヴィチの作品表の中に、過去の他の作曲家の作品を編曲しているものが入っている。リストはベートーヴェンの交響曲を全曲ピアノに編曲している(これは譜面も出版されている)。これからはもちろんコンサートなどで演奏する目的だったと思われるが、本人の勉強のためという側面もあったのではないか? モーツァルトは父親に送った手紙の中で、確か「自分ほど熱心にバッハ等を書き写し、研究したものはいない」と書いていたように記憶している。モーツァルトは往復書簡などを見る限りかなり変わった人間ではあるが、天真爛漫な大人子供のイメージは映画『アマデウス』などが作った虚像だったのかもしれない。」

「そんなことを考えながら、何度も書いては消し、書いては消している最中にふと「久石譲版《浄められた夜》を出版しようかな」などと妄想が頭をよぎる。もちろんシェーンベルク協会みたいなものがあったらそこに公認されないと無理だろうけど。」
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Blog. 「クラシック プレミアム 35 ~モーツァルト5~」(CDマガジン) レビュー

 

新・クラシックへの扉・特別編 久石譲 「現代の音楽への扉」 2015年5月5日開催
演奏プログラムと楽曲解説は

Blog. 久石譲&新日本フィル 「現代の音楽への扉」コンサート内容

Blog. 久石譲 「モーストリー・クラシック 2015年2月号」 インタビュー内容

Blog. 「週刊文春 4月30日号」(2015) 久石譲 掲載内容紹介

 

ぜひ《久石譲版 浄められた夜》、聴いてみたいところです。

 

 

……

今号はここで終わりません。

最近よく取り上げている「キーワードでたどる西洋古典音楽史」(岡田暁生 筆)

今号でのテーマは「音楽の終わり方(上)」だったのですが、これがまた思わず唸ってしまうほど感嘆してしまいました。そういう視点はなかったなと、見方や聴き方、音楽との接し方の新しい発見。

一部抜粋してご紹介します。

 

「人はややもすると若い頃、人生が無限に続いていく錯覚を抱きがちである。早くに身近な人を亡くすというような経験があれば事情は違ってこようが、そういうことでもなければ「時の終わり」、すなわち死とは、極めて観念的な存在にすぎない。ただし私のように五十代半ばともなれば話は違ってくる。シューベルトもモーツァルトもショパンもシューマンもメンデルスゾーンも、皆とっくに亡くなっていた年齢である。ベートーヴェンが亡くなったのが56歳。あと数年で私も同じ年代だ。「終わり」が見えてくる。そして残り時間をいろいろ計算する…。」

「音楽を生業とする者にとって、「残り時間の計算」とはシャレではない。絵画や文学なら、鑑賞するスピードを上げることでもって、同じ残り時間で他人より多くの作品を知ることが可能である。しかし音楽はそうはいかないのだ。音楽は万人に平等である。ある交響曲を聴くには、誰でも同じ時間がかかる。残り時間を自分が知りたい作品数で割ると、あと一体どれだけの音楽を聴けるか?限られた量の音楽しか聴けないなら、まだ知らない作品を優先するか、それともすでに知っているお気に入りの音楽を何度も聴くか?ナンセンスな自問自答とは思いつつ、音楽が「時間芸術」と呼ばれるその含意に、思わず眩暈がしてくる。」

「「終わり方」は音楽を創り上げるプロセスにおいて、極めて重要なポイントの一つである。つまり「カッコイイ始まり方」ができる人は結構いるにしても、「然るべき終わり」へと曲を持っていける作曲家は非常に少ないのだ。」

「クラシック音楽の場合、私たちが一般に耳にするほぼすべての曲は、それなりの名曲ばかりである。それらはさも当然のように、然るべき終わり方をする。だから「然るべき終わり」が本当はどれだけの難事であるか、かえってあまり実感できない。しかし現代音楽の新作などを聴くと、ダレずに終わるということがそもそもどれほど技量を必要とすることであるか、瞬く間に明らかになる。」

「とはいえ、新作であっても「始まり方」は、それなりにたいがいがいい。最初からずっこける作品はほとんどない。曲の始まりには皆、並々ならぬ創作のエネルギーを注いでいるということであろう。そして曲の展開というか、盛り上がりについても、悪くないものは多い。しかし、終わるタイミングを見失ってしまう。もはや次の盛り上がりもなければ新しいアイデアも出てこないのに、だらだらとまだ続く。」

「想像するに「筆を置く」というのは、門外漢には思いもよらぬような、途方もない胆力を要するのではあるまいか。すべて言い切る、そして充分語ったと思ったら、もう余計なことはつけ加えず終わる。これはよほど自信がないとできないことなのだ。ここぞというタイミングで過たず終止符を打つ、名曲中の名曲とされてきたものは、さも当然のようにこの条件をクリアしている。しかしそれを自明と思ってはいけない。それは神に祝福された奇跡のごとに瞬間である。」

 

少し補足をすると、

音楽とは「時間芸術」である。

文学や絵画といった芸術は、完成した時点で「作品が生まれる」。一方、音楽というのは、最後の和音に辿りついて完成した瞬間、跡形もなく消える。(楽譜としての音楽ではなく、実際に目の前で鳴り響く音楽)

つまり曲の「曲の終わり」とは「終焉」である。

音楽の終わりとは、「夢から覚める」「祭りの終わり」などと似た時間意識をもたらす。よって、曲の終わり方は重要である。

(と、上記抜粋内容へと循環していきます)

 

「終わり方」というテーマにおいて、実際の曲の終わり方の善し悪しから、哲学的な終焉、芸術作品としてなど多角的に述べられているので変に抜粋するとつかみにくいかもですが、逆に言えば「終わり方」ひとつをとっても、こんなにも広く深い視点があるものなんだなと、感嘆した内容でした。

 

クラシックプレミアム 48 新ウィーン楽派

 

Blog. 「久石譲 PIANO STORIES ’99 Ensemble Night with Balanescu Quartet」インタビュー コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/11/3

久石譲の過去のコンサートから「PIANO STORIES ’99 Ensemble Night with Balanescu Quartet」です。

ここではコンサート・パンフレットより、インタビューをメインにご紹介します。

 

 

PIANO STORIES ’99 Ensemble Night with Balanescu Quartet

[公演期間]24 PIANO STORIES’99
1999/10/21 – 1999/11/11

[公演回数]
12公演
10/21 倉敷・倉敷市民会館
10/23 大阪・フェスティバルホール
10/24 名古屋・愛知厚生年金会館
10/28 盛岡・盛岡市民文化ホール
10/29 仙台・宮城県民会館
10/30 秦野・秦野市文化会館
11/1 広島・広島郵便貯金ホール
11/2 広島・広島厚生年金会館
11/5 福岡・メルパルクホール福岡
11/8 札幌・札幌コンサートホール
11/10 東京・東京芸術劇場
11/11 東京・東京芸術劇場

[編成]
ピアノ:久石譲
バラネスク・カルテット
Bass:斉藤順
Marimba:神谷百子
Percussion:大石真理恵
Wood Wind:金城寛文
Wood Wind:高野正幹

[曲目]
794BDH
Sonatine
New Modern Strings

「MKWAJU」より
MKWAJU
Tira-Rin

EAST (Balanescu Quartet)

Two of Us
太陽がいっぱい
Les Aventuriers

アシタカとサン (Pf.solo)
HANA-BI (Pf.solo)

【DEAD Suite】
Movement 1
Movement 2

DA・MA・SHI・絵
Summer ※Silent Loveモチーフあり
Tango X.T.C
Kids Return

—–アンコール—–
もののけ姫
Madness
DEAD Suite Movement 2 (11/11東京)

 

 

久石譲 PIANO STORIES 99 コンサート P2

 

INTERVIEW

連続(ミニマル)の結実

昨年のツアー「PIANO STORIES ’98 -Orchestra Night-」のライブ盤「WORKS II」をリリースしたばかりだが、今回のツアーはガラッと趣が異なる。昨年がオーケストラとの仕事の集大成なら、今年は久石譲のソロ活動での集大成を目指すという。彼が長年追究してきた音楽とは、どんな世界なのだろうか。

 

久石:
なぜ、今年のコンサートはアンサンブルなのか。答えは単純です。1年置きにオーケストラとアンサンブルのツアーを行っており、今年はアンサンブルの番。そして共演は、昨年、僕が演出を担当したコンサート「京都・醍醐寺音舞台」でセッションをし、非常に相性の良かった、バラネスク・カルテットにお願いしました。その他、マリンバ、ベースなどのメンバーも「音舞台」と基本的に同じです。今回のアンサンブルに最適なメンバーを選んだのですが、加えて、今年のツアーは比較的、キャパシティの大きなホールが多いので、”スペシャルな感じの大きさ”みたいなものも考慮しました。

例えば「音舞台」の時は木管1本だったのを、今度はバリトンサックスまで入れました。マリンバも1台だったのを、2台に増やした。そうすることによってアタックの衝撃度が大きくなり、より立体的な音になると思うんです。やっぱり木管一人だと、どうしてもメロディ扱いになるけど、二人だとセクション扱いになりますから。ただでさえ、ピアノに木管、パーカッションという形態のグループは日本にいないわけですよね。これはかなり衝撃的なサウンドになると思いますよ。

ただ、形態が少し変わったので、「音舞台」の時にも演奏した「Asian Dream Song」なども、またアレンジを変えなければならない。それがちょっと面倒臭いんですけどね(笑)。

内容的には、ミニマル・ミュージックをベースにしたアンサンブルを、と考えています。ミニマルって、ただ同じ音型を繰り返すだけと思われがちですが、実はこの音楽、ミュージシャンを選ぶんですよ。例えば日本人が演奏すると、どんどん音を厚くし、クライマックスに向かっていかなきゃならないような曲調になってしまう。早い話、M・ラヴェルの「ボレロ」とミニマルの何が違うか、ということを理解できる相当知的な人じゃないと、演奏できないと思う。”同じ音型を繰り返す=ミニマル”じゃないですから。

恐らく、技術的にバラネスクより上手いミュージシャンは、日本にいくらでもいるでしょう。でも彼らは、同じミニマルをベースにしている作曲家マイケル・ナイマンの元で演奏もしています。だからミニマル・ミュージックのあり方、繰り返す事の意味を、良く理解しているんですね。

 

21世紀に繋がる音楽を自分なりにアプローチしたい

久石譲は音楽のテーマを追い求める。
ミニマル・ミュージックは長年追究している音楽。
どうしても今、演奏しておかなければならない音楽。
その答えがここに垣間見えるかもしれない。

久石:
もしかしたら今回の試みは、映画音楽の久石しか知らない方にとって、見たくない、聴きたくない音楽かもしれません。以前は自分でもそう、考えていました。自分が描く世界はこうで、映画ではこうと。割と分けていた時期があった。ところが、北野武さんの映画に書いている曲というのは、基本的に自分のソロの世界とあんまり変わらないんです。いずれにしても自分の描く音楽は、自分の世界だと思っています。中でもミニマル・ミュージックは、僕が長年追究しているテーマ。個人的にどうしても今、演奏しておかなければならない音楽なんです。

20世紀の音楽は、リズムの世紀でした。アフリカにいた黒人が米国に連れて来られ、白人と一緒になってジャズという音楽が生まれた。そして今度は、黄色人種と結びついて、ラテン音楽が出来た。19世紀の終わりまでは、我が世の春のように西洋クラシックが絶対的だと思われていたわけですが、リズムに弱かったために、20世紀に入ると急速に影響力がなくなってしまった。つまり現在の、ギター、ピアノというベースがフォーリズムである音楽が支持されるようになった歴史とは、たかだか70年程度しかないわけです。で、アンサンブルの特徴というのも、基本的にはリズムにあります。大半の曲が140~150というすさまじいテンポの中で、機械的にリズムが徐々に変わっていく。つまりミニマルな音楽が主流なんです。僕の中で、もう一度、その70年の歴史を紐解いて、自分なりのアプローチをキッチリとしておきたい。そう、考えました。

選曲に関しても、僕がソロ活動の中で、ずっと以前から追究してきた「孤独」や「死」をテーマにしたものを演奏しようと思っています。自分自身、故郷・長野から東京に出てきたというのもあって、昔から”故郷を捨ててしまった人間の悲哀”に興味がありました。人間の理想の生き方って、朝、日の出と共に目が覚めて、肉体を使った労働をして、日が暮れた時にご飯を食べ、寝る。非常にシンプルなのがいい。その中で培われた共同体や近隣の人たちなど、いろんな人との関わり合いの中で生活しているわけですよね。ところが今、家の方で根を張っているべきところを、皆が離れてしまい、”都会生活者”という根無し草になってしまった人たちが大勢いる。そういう人たちが作る経済状況の中で、兎小屋のような小さい部屋で寝泊まりし、コンビニのご飯を喰い、生きている。やっぱりそれは正しくない生き方だし、すごく苦しい事だと思うんです。で、「根無し草の人たちにとっての自然観って、何なのだろう」。そう、考えるようになった。そうして誕生したのが、「My Lost City」や「地上の楽園」といったアルバムだったのです。その中から何曲かを演奏しようと思っています。

ただ、すごくマズイのは、アルバム発表当時はバブルの絶頂期で、警鐘を込めて作っているんですね。だから今回は、ニヒリズムでやるのではなく、前向きに出来ないかと。アレンジを含めて、本番まで考えなければなりません。

それから新たに1、2曲、このツアーのために新曲を作る予定もあります。実は今回、今までのツアーと全く異なり、ツアー終了後に、バラネスクとのレコーディング企画しているんです。僕はいつも、あまり曲が煮詰まってない時点でレコーディングする事が多いんですね。それを今回は、ツアーを回って完全に完成したところで、メモリアルな意味も込めて、アンサンブルのレコーディングをしようと思っています。実はアンサンブルって3、4年前からやってるのに、珍しくレコードになっていない。だから「DA・MA・SHI・絵」も「MKWAJU」もニューバージョンでのレコーディングとなりそうです。

 

久石譲 PIANO STORIES 99 コンサート P3

 

活動は点ではなく、線でなければいけない

昨年のツアー終了後、久石は自問を繰り返したという。
「自分はなぜ、音楽を創るのか」。その答えはまだ、見つからない。
だが、立ち止まることで見えたもの。走り続けたことで得た、新しい出会いがあった。
久石の音楽に対する姿勢は、確実に変わりはじめている。

久石:
そうした新しい試みに自分自身、期待するものも大きいのですが、不安もあります。それは、昨年のツアー終了後から半年間、ピアノの演奏を観客の前でほとんどやってないということです。僕は、ピアノに向かわないと決めたら、その間、ピアノにも触りもしません。今年の8月8日に、昨年に続いて日本テレコムのイベントで久々に演奏することになり、1週間前から急激に練習を始めたのですが、腰は痛くなるし、もう体はボロボロ(笑)。ブランクが大きいと確実に、まず腕の筋肉が落ちます。その間、一生懸命ジムにも通っていたのですが、無駄だった。「ジムで造る筋肉って実用じゃないんだ」と、身にしみて分かりました(笑)。

その半年間、ピアノを弾かなかったというのは、理由があるんです。「Gene -遺伝子-」(NHKスペシャル「人体III」)などのレコーディングで忙しく、必然的に弾く機会がなかったということもありますが、それ以上に、ちょっと”間”を置きたかったというのが正直な気持ちです。

それは、「自分はなぜ、音楽を創るのか」。そう真剣に自問自答した半年間でした。長い間音楽を創っていると、惰性や習慣である程度のことができてしまう。それを一度壊して、「なぜ自分は音楽を創るのか」、「どういう音楽を創るべきか」、「何を表現したいのか」。音が鳴り出したらそれに流されるのではなく、「なぜ自分が今、この音を弾くか」ということまで。それは音楽だけじゃなく、自分がモノを創るという活動で、何をすべきかまで考えました。

結局、結論は未だに出ていませんが、きっとピアノに向かうと気持ち的に違いがでるでしょう。表現しようとする世界が変わっていくと思います。それがすごく大事な事なんですよね。

新しい映画監督との出会いも、その一環でした。今までわりと、北野武さんや宮崎駿さんなど、すごい大監督さんとやってきた。ここで一つ、世界観を変えてみたいと思って、映画「はつ恋」で篠原哲雄監督と、「川の流れのように」では秋元康監督(共に来春公開予定)と。まだ監督作2、3作品目の方たちとの仕事を経験したわけですが、新しい刺激があって面白かった。

ある意味、今回のバラネスクとの共演も、そうした世界観を変えてみたいと思っての発案だったのかもしれません。それに、活動というのは、絶対点であっちゃいけない。昨年の「音舞台」での出会いを次に生かす、”線”じゃなきゃいけないと思うんです。自分の書斎で考えている世界って小さいですから、いろんな人と出会って、いろんな可能性が広がっていく事を大切にしようと思ってます。

これは常々口にしているのですが、僕はあくまでも作曲家であって、演奏家ではない。では、なぜライブで演奏するか。本音を言えば、僕のような演奏家がもう一人居てくれたら、自分で演奏しようとは思わない(笑)。ただやっぱり、ソロアルバムや自分の世界というのは、パフォーマンスも含めて完成しないと完結しないんですよね。自分の世界というのは、聴衆の前で演奏してくれる人が必要なんですよ。だからそれはもしかしたら、久石譲オーケストラを結成して、表現することも出来るでしょう。たまたま自分がピアノを演奏するのが好きだったから、自分で表現するのがいいのかなと思っています。確かに、すっごくテクニックがある人は山ほどいる。ただ、自分がシンプルなメロディーの中に託したものを、自分の思った通りに弾いてくれる人って、そうはいない。本当は、出来るだけ早く演奏活動を辞めたいのですが(笑)。

いや、やはり、ステージは、自分の音楽の最終形態。まだまだ自分で演奏していきますよ。

(「久石譲 PIANOS STORIES ’99  」 コンサート・パンフレットより)

 

 

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久石譲 PIANO STORIES 99 コンサート P6

 

Blog. 「久石譲 PIANO STORIES ’99 Ensemble Night with Balanescu Quartet」 楽曲解説 コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/11/3

久石譲の過去のコンサートから「PIANO STORIES ’99 Ensemble Night with Balanescu Quartet」です。

「醍醐寺音舞台」(1998)で共演したバラネスク・カルテットとのツアー開催。そして本ツアー終了後にレコーディングするということが事前に企画されたなかで、全国12公演で磨きあげられた楽曲たちを完成版としてセッション録音「Shoot the Violist ~ヴィオリストを撃て~」(2000年CD)へとつながっていきます。

1996年あたりからのアンサンブル形態でのコンサート集大成、そしてCD作品化へと久石譲アンサンブルのひとつの結実をむかえます。

 

 

PIANO STORIES ’99 Ensemble Night with Balanescu Quartet

[公演期間]24 PIANO STORIES’99
1999/10/21 – 1999/11/11

[公演回数]
12公演
10/21 倉敷・倉敷市民会館
10/23 大阪・フェスティバルホール
10/24 名古屋・愛知厚生年金会館
10/28 盛岡・盛岡市民文化ホール
10/29 仙台・宮城県民会館
10/30 秦野・秦野市文化会館
11/1 広島・広島郵便貯金ホール
11/2 広島・広島厚生年金会館
11/5 福岡・メルパルクホール福岡
11/8 札幌・札幌コンサートホール
11/10 東京・東京芸術劇場
11/11 東京・東京芸術劇場

[編成]
ピアノ:久石譲
バラネスク・カルテット
Bass:斉藤順
Marimba:神谷百子
Percussion:大石真理恵
Wood Wind:金城寛文
Wood Wind:高野正幹

[曲目]
794BDH
Sonatine
New Modern Strings

「MKWAJU」より
MKWAJU
Tira-Rin

EAST (Balanescu Quartet)

Two of Us
太陽がいっぱい
Les Aventuriers

アシタカとサン (Pf.solo)
HANA-BI (Pf.solo)

【DEAD Suite】
Movement 1
Movement 2

DA・MA・SHI・絵
Summer ※Silent Loveモチーフあり
Tango X.T.C
Kids Return

—–アンコール—–
もののけ姫
Madness
DEAD Suite Movement 2 (11/11東京)

 

久石譲 PIANO STORIES 99 コンサート P1

 

【楽曲解説】

■北野武監督の代表作『Sonatine』のスリリングなメロディ・ラインでオープニングを飾る今年のアンサンブルは、編成もよりいっそう華やかな、独特なスタイルを組んでいる。プログラムとしては、書き下ろしになる新作をはじめ、初演曲やダイナミクなリアレンジのラインナップで、まったく新しいサウンドを聴くことができる。『794BDH』『Venus』と、その疾走感を生かしたサウンドが続く。

■MKWAJU(ムクワジュ)からの2曲『MKWAJU』『TIRA-RIN』は、ミニマル・ミュージクを”見せる”かのような、視覚的な面白さも味わえるのが聴きどころ。多重リズムが織りなす構造がユニークな、コンサートならではの楽曲。

■『EAST』はバラネスク・カルテットのオリジナル曲。そして『New Modern Strings』、ストリングスの裏アップビートのカッティングが耳に残る、あの『Modern Strings』と、どこかが違う!? 違いはステージにあり。昨年の新譜「NOSTALGIA ~Piano Stories III」で大胆なアレンジが印象的な『太陽がいっぱい』はコンサート初演。『Les Aventuriers』(「PIANO STORIES II ~The Wind of Life」)と共に、ヨーロッパのモダンな空気感を醸し出しつつ、5拍子のスピード感に乗って響くサウンドが心地よい。

■『アシタカとサン』は、宮崎駿監督作品「もののけ姫」でラストシーンをしめくくるピアノの音色が印象深い。そして『HANA-BI』はベネチア国際映画祭グランプリ受賞以来、世界でその音色を響かせてきた。今回は新たにピアノ・ソロというスタイルで。

■『DEAD Suite』はこのコンサートのための書き下ろしの新作。そして、ミニマルの傑作『DA・MA・SHI・絵』は新編成によるアンサンブルの響きを得て、立体的なサウンドを繰り広げていく。

■『Summer』は今年の夏に公開された北野武監督の最新作「菊次郎の夏」のメインテーマ。思わず口ずさみたくなるようなメロディを爽やかに奏でる。ピアノ・ヴァイオリン・チェロによるメロディが甘く切ない『Tango X.T.C』、そしてラストをしめくくる『Kids Return』は、わきあがるようなドライブ感が気持ちの良い、人気ナンバー。ニューバージョンで、そのキレの良いリズムを聴かせる。

 

久石譲 PIANO STORIES 99 コンサート P5

 

DEAD Suite

今回このコンサートのために書いた新曲「DEAD Suite」は、僕がクラシック、現代音楽の世界から離れて19年ぶりに書き上げた楽曲だ。DEAD-英語音名で言う「レ・ミ・ラ・レ」をモティーフにして作曲された楽曲だ。いささかポップスのフィールドを逸脱したかもしれないが、20代後半にポップスの世界に転向して以来初めての本格的な現代音楽作品になる。リズムが移り変わり、不協和音ぎりぎりのところで構成されたこの楽曲は、音楽家として生きてきた、自分のアイデンティティーのための曲である。

なぜ今まで音楽をやってきたのか? を問いつめながら、今世紀末のひとつの区切りとして僕にとって通らなくてはいけない道、なくてはならない楽曲となった。最終的には4曲から成り立つ組曲を考えているが、今回のコンサートえ披露できるのはその内の2曲までになる。後は来年書き足そうと思っている。

久石譲

(【楽曲解説】 ~コンサート・パンフレットより)

 

 

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久石譲 PIANO STORIES 99 コンサート P6

 

Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 47 ~ハイドン~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/10/24

クラシックプレミアム第47巻は、ハイドンです。

 

【収録曲】
交響曲 第101番 ニ長調 Hob. I – 101 《時計》
交響曲 第104番 ニ長調 Hob. I – 104 《ロンドン》
フランス・ブリュッヘン指揮
18世紀オーケストラ
録音/1987年(ライヴ)、1990年(ライヴ)

 

 

前号にひきつづき「西洋古典音楽史」にてテーマとなった「即興演奏」。今号ではその後編ということで、こちらもおもしろかったので、一部抜粋してご紹介します。

 

「そもそも楽譜の一部を演奏家の自由(即興)に任せるというのは、実は18世紀までクラシック音楽では当然のように行われていたことなのであって、文句を言うような筋合いのものではないはずなのだ。伝統的な作品で「好きなようにしてよい」箇所には、「ad libitum」という指示が記される。アド・リビトゥム(自由に)、つまり「アドリブ」の語源である。」

「協奏曲のカデンツァの部分は、演奏家にとって最大の即興の腕の見せどころだった。カデンツァとは協奏曲の第1楽章(そして第3楽章)の終わりのほうに置かれる大規模なソロの部分である。技巧的に他のところより格段に難しく長く華やかなので、聴いていてすぐわかるはずだ。ただしカデンツァは単なる演奏者の技巧披露の場所ではない。単に楽譜をそのまま弾いているだけでは退屈するだろうからと、演奏者自身にも創造のファンタジーを広げるために置かれた、白紙のスペース。それがカデンツァである。」

「演奏者の自由に対する作曲家の管理がカデンツァにまで及び始めるのは、ベートーヴェン以後のことだと言っていいだろう。具体的には有名なピアノ協奏曲第5番《皇帝》である。この作品の第1楽章のカデンツァを、ベートーヴェンは自分で書いた。もちろんカデンツァを自分で書くことは、それ以前もあった。しかし例えばモーツァルトが残したカデンツァは、代用可能である。それを使ってもいいし、別の作曲家が書いたものを使っても、あるいは演奏者自身が自由に弾いてもいい。しかし《皇帝》のカデンツァは違う。それは緊密に前後の流れに組み込まれているので、他のもので代用したりできない。しかも思い切り短い。まるで「演奏者が勝手に自分を見せびらかしたりするな」と言わんばかりである。」

「ベートーヴェン以後、19~20世紀を通して、演奏家に対する作曲家の管理は加速度的に厳格になっていく。18世紀までの楽譜は、ある意味で、極めてアバウトなメモのようなものであった。テンポの指定も強弱の指定もあまりない。細かい装飾などが演奏家の即興に任されていたことも、右に書いたとおりである。バッハに至っては楽器指定がないことすらある。どの楽器を使ってもいいということだ。それに引き替え19世紀後半以後の作曲家、例えばワーグナーとかマーラーとかラヴェルの楽譜を見ていると、そのパラノイアじみた細かさに眩暈がしてくる。テンポの細かい伸び縮み、強弱の微妙なニュアンス、音色変化など、すべてが細部に至るまで指示してあるのだ。」

「パラノイアとは誇張ではない。右に挙げた作曲家たちは皆、自分の作品が-とりわけ自分のいないところ、そして自分の死後において-どう演奏されるか、病的なまでに気にしていたのだと思う。逆に言えば、バッハやモーツァルトの楽譜のアバウトさは、それをどこで誰がどう演奏しようが、彼らがあまり気にしていなかった証かもしれない。いずれにせよ、自分の作品の不滅性に対する近代の作曲家たちの執拗はすさまじいものだったのだろう。自分の作品は永遠である、だから自分の死後もそれは意図したとおりに完璧に再現されなくてはならない-古代エジプトのファラオよろしく、一種の不老不死願望を作品に託するのだ。」

「しかし不滅を希求するからこそ、皮肉にも人は実存の不安に襲われる。自分のあずかり知らぬところで演奏家が勝手に自分の作品をいじるのではあるまいか。あそこのあのパッセージの強弱はああではなくて、こうでなくてはならないのに、一体どうすれば何人にも誤解がないよう、あのニュアンスが伝わるだろうか…。こんな不安にさいなまれ始めるのである。」

「この神経症じみた不安は、バッハやモーツァルトの「お好きにどうぞ」と言わんばかりの大らかさと、あまりにも対照的である。きっとバッハやモーツァルトは、自分の作品を永遠に残そうなどと、あまり考えていなかったのだ。また彼らは他者というものを深く信頼し、敬意を払っていたのだろう。だからこそ「お好きにどうぞ」と言えたのだ。永遠の生命を得ようとして逆に他者への不信にかられる。ロマン派以後の作曲家たちの実存の不安は、今ここ限りで霞のように消えてしまう音楽というはかなき芸術の運命を、敢えてそういうものとして受け入れるところに成立する即興の精神と、あまりにも対照的である。」

(「キーワードでたどる西洋音楽史47 即興演奏再考(下)」 岡田暁生 より)

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第45回は、
ロマン派の音楽と文学の関係

ここ数号を通して音楽形式の話、ベートーヴェン《運命》を題材にした具体的な話が続いています。今号では古典派で確立されたソナタ形式をはじめとした交響曲から、それを超えるために模索したロマン派への話です。

一部抜粋してご紹介します。

 

「もう一度、ベートーヴェンの交響曲《運命》の話に戻る。頭のジャジャジャ、ジャーン(ソソソ、ミー)はIの和音、次のジャジャジャ、ジャーン(ファファファ、レー)はVの和音で、その後もIやIV、Vを中心に和音は進行する。前に書いた機能和声のI-V-I、I-IV-I、I-IV-V-Iの基本にほぼ沿っている(43号参照)。この機能和声とソナタ形式で古典派の音楽はほぼできているのだが、作曲家は同じところに留まらない。もっと新しい和音進行やソナタ形式以外の構造はないかと考える。」

「それはそうだ。創作家は昨日と同じものを作ってはいけない。だから五里霧中の中で一筋の光明を見いだすために日々苦しんでいるのだが、掘り尽くされた炭坑(油田でもいいが)をもう一度掘って新たな石炭を探すことは新しい場所を見つけて採掘するよりもっと難しい。つまりもうぺんぺん草も生えない場所にいるより、新たな地を探す方が賢明である。」

「これがロマン派の作曲家たちが考えたことである。ソナタ形式は前の世代でやり尽くされた。どう頑張っても彼らを超す事はできない。前号に書いたとおり、ソナタ形式では第1主題と第2主題を作った段階で大方の道筋がつくという事は、誰が作ってもある程度まではいけるわけである。その分、実に大勢の作曲家が同じ道を通ったことになる。自分だけの獣道が多くの足に踏まれて道になり、やがてコンクリートの道路になる。そこには個性(これも実はいろいろ問題があるのだが)はない。」

「新しい道、それは文学だった。詩や物語が持っているストーリー(ドラマ性)に即して音楽を構成することで、ソナタ形式からの脱却を試みた。例えばコーカサスの草原を旅するロシア人と東洋人が出会うというテーマで書かれたボロディンの《中央アジアの草原にて》やアルプスの1日を描いたリヒャルト・シュトラウスの《アルプス交響曲》、シェーンベルクの《浄められた夜》だってデーメルの詩に基いて作曲されている。管弦楽曲の場合はそれを交響詩と呼ぶことが多い。この新しい波を先導していたのがフランツ・リストだった。」

「和音進行も、よりエモーショナルになって、微妙な感情の揺れを表現するようになった。つまり、より複雑になっていくのである。その最たるものがリヒャルト・ワーグナーである。もともと「楽劇」なのだからドラマ性があるのは当たり前だ。あの有名なトリスタン・コードのように、もやは和音の進行は最後まで完結せず次々に転調し続ける。それが不安、絶望などの情緒を表現することに貢献した。その彼が交響曲を書かなかった事は暗示的だ。」

「さて、文学に結びつくことがトレンド(懐かしい言葉)だった時代、一方では相変わらず前の時代の方法に固執する作曲家もいた。ヨハネス・ブラームスである(他にも大勢いた)。彼は純音楽にこだわった。純音楽というのは音だけの結びつき、あるいは運動性だけで構成されている楽曲を指す。ウイスキーに例えればシングルモルトのようなもの。シングルモルトというのは一つの蒸留所で作られたモルトウイスキーの事だ。防風林も作れないほど強い風が吹く(つまり作ってもすぐ飛ばされる)、スコットランドのアイラ島で作られるラフロイグは、潮の香りがそのまま染み付いていて個性的で強くて旨い。対してブレンドウイスキーというのは香りや色や味の優れたものをミックスして作るウイスキーだが、シングルモルトほどの個性はない。」

「ロマン派の音楽はブレンドウイスキーだった。新説! ドラマ性という劇薬を使っているから個性的には見えるが、音自体での結びつきではバロック、古典派よりも希薄になった。しかも調性はどんどん壊れていき、形式ももはや情緒的なものに成り果て、なんでもありの今日の世界や音楽と同じ状況になった。歴史は繰り返される。そのことを危惧したシェーンベルクは、音楽史上類のない新しい秩序としての方法論を発表した。十二音音楽である。」

 

クラシックプレミアム 47 ハイドン

 

Blog. 久石譲 「第11回 醍醐寺音舞台 1998」(コンサート・パンフレットより)

Posted on 2015/10/21

1998年に開催された「第11回 JALステージスペシャル 醍醐寺音舞台」久石譲の総合演出によるコンサートステージ。

 

音舞台とは
音舞台シリーズは、様々な日本文化の発祥となり、また長い歴史のなかで日本人の心の”よりどころ”としてあり続けたお寺、その中でも日本を代表する名刹と言われるお寺に”舞台”を設え、「東洋と西洋の出会い」をテーマにした音楽企画。1989年に「金閣寺」で始まったこのシリーズは、「泉涌寺」「三千院」「清水寺」「平等院」「東寺」「延暦寺」「醍醐寺」「大覚寺」「二条城」「法隆寺」「萬福寺」「薬師寺」「仁和寺」「東福寺」「唐招提寺」「東大寺」「西本願寺」と続き、いずれも日本屈指の名刹を”幻の劇場”にした一夜限りの夢の舞台を実現してきた。音舞台では、この特別な空間でしか実現できないスケール感と本物だけがもつ迫真の力を最大限に見せる舞台作りを目指し、オリジナル且つ斬新で人々の心に強く残るステージをお届けする。

毎年9月頃に、京都・奈良の歴史建造建物である寺院を舞台に、国内・海外の一流アーティストを招いて行われるコンサート。主催は京都仏教会、毎日放送。

公式サイト:音舞台 MBS

 

 

第11回 JALステージスペシャル 醍醐寺音舞台

[公演期間]
1公演(総本山醍醐寺境内 国宝・金堂前仮設ステージ)

[公演回数]
1998/9/5

[編成]
総合演出:久石譲
久石譲アンサンブル
(pf 久石譲/wood wind 金城寛文/marimba 神谷百子/bass 斉藤順)
ディープ・フォレスト
バラネスクカルテット
ニューヨーク・シティ・バレエ選抜メンバー
RIKKI(中野律紀)

[曲目]
山伏 法螺貝
EAST
THE ROBOTS
RYDEEN
MODEL
MKWAJU
794BDH
Kids Return
HANA-BI
Madness
Bolero
塩道長浜節
もののけ姫
EKUE EKUE
SWEET LULLABY
MADAZULU
BOHEMIAN BALLET
DEEP WEATHER
DEEP FOLK SONG
FREEDOM CRY
Asian Dream Song

 

 

「PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」コンサート・パンフレットにて特集された音舞台後の久石譲インタビューおよびトピックです。

 

 

聴く人が音楽に入りやすい環境を作る
それが演出の目的だと思っています

うれしいことにパラリンピックでの開、閉会式の演出がとてもうまくいって高い評価をいただいたこともあって、あれ以来、演出を含めた形でのイベント出演のお話が増えています。演出も含めて総合的に関わる仕事というのは、自分の世界をより強烈にアピールできるという意味で、とてもやりがいを感じます。こういうスタンスもいいな、と。

今回の「音舞台」の演出の発想は、特徴ある醍醐寺・金堂の屋根をどう際立たせるか、というところから入りました。いろいろなアイデアのひとつに、途中で雨を降らせるという演出があって大量の水を使いましたが、ある程度の空間以上になるとスペクタクルなダイナミックさは必要だと思います。実際に想像以上にうまくいって、パラリンピックのときと同じくらいのクオリティーを保てたことに、とても満足しています。

ただ、一人の人間のやれる量をはるかに超えてましたね。翌日ピアノを弾くにもかかわらず、寒い中、前日の夜中2時ぐらいまで証明をチェックしたり。これはやっちゃいけないなと反省しました。本当はこう関わるべきなんだろうというのがわかってきたので、今後は演出だけ、ピアノだけというように分けていくと思います。

こうした演出の出発点は、音楽を聴く人たちがより入りやすい環境を作るということです。音楽を聴く環境を作って、総合的に人に訴えることができる。この音楽はこういう環境で聴くのが理想だろうと。そういうところまで自分で演出できることは幸せですね。

(「久石譲 PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」 コンサート・パンフレットより)

 

久石譲 音舞台 醍醐寺

 

1989年から始まり今回で11回目を迎えた「音舞台」は、これまでに金閣寺や清水寺、平等院などの京都の名刹を舞台に”東洋と西洋が出会うとき”をテーマにした数々のステージを創り出してきた。今年は山科屈指の名刹、「醍醐の花見」でも有名な醍醐寺で開催され、久石譲がその総合演出を手がけた。国宝の金堂前に設けられた特設ステージでは、万物を生成する5大要素とされる「地」「水」「火」「風」「空」をイメージモチーフとした構成に基づき、それぞれの出演者ごとのステージなど、約20曲の演奏がくりひろげられた。演出には大量の放水や照明が効果的に使われ、会場の雰囲気が高揚したところで出演者全員のセッションによる最高潮のフィナーレを迎えた。

 

久石譲 音舞台 醍醐寺 1

久石譲 音舞台 醍醐寺 2

(同パンフレット内 特集より)

 

久石譲音楽活動の時系列において注目すべきは、この音舞台でバラネスク・カルテットと同じステージに立ったということ。出会いであり初共演となった音舞台を経て、翌年「PIANO STORIES’99 Ensemble Night with Balanescu Quartet」コンサート・ツアーは一緒にアンサンブル・ステージを展開します。

そしてオリジナル・アルバム『Shoot The Violist ~ヴィオリストを撃て~』(2000)へと結実します。つづく初監督作品『カルテット』の音楽演奏もそうです。やはり久石譲のコンサートは、創作活動の源、一期一会です。こういった単発企画からでさえ、CD作品化までつながっていくのですから。

 

音舞台の出演は、ここから13年後の2011年「西本願寺音舞台」に出演しています。

久石譲 西本願寺 音舞台

 

同コンサート・パンフレットは、ほかにもソロアルバム「Nostalgia」や「交響組曲 もののけ姫」のレコーディング日誌など、ボリューム満点の久石譲活動履歴が記録されています。

 

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Blog. 「久石譲 PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」 コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/10/17

久石譲の過去のコンサートから「PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」です。

1998年はとりわけ多種多彩なコンサートを開催しています。「PIANO STORIES ’98 Best Selection ~Piano Night」ピアノ・ヴァイオリン・チェロによるコンサート、「加藤登紀子日比谷野音コンサート」ゲスト出演にてPiano Nightでのダイジェスト版のような、「JAPAN TELECOM FESTIVAL’98 SUPER SOUND OF JOE HISAISHI」サテライト中継にて、3都市同時演奏、「第11回 JALステージスペシャル 醍醐寺音舞台」総合演出も担当、バラネスクカルテットも出演、「題名のない音楽会」もののけ姫やナウシカなどおなじみの曲をお茶の間に、そして10月から12月にかけて全国9公演にて開催されたのが「PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」です。ピアノ主体からはじまり、多彩なスタイルでコンサートを展開し、オーケストラで締めくくる、そんな1998年です。

 

 

PIANO STORIES’98 Orchestra Night

[公演期間]23 PIANO STORIES’98 Orchestra Night
1998/10/15 ~ 1998/12/16

[公演回数]
全国9公演
10/15 仙台・仙台イズミティ21
10/19 東京・東京芸術劇場ホール
10/27 大阪・ザ・シンフォニーホール
10/29 京都・宇治市文化センター
10/31 大阪・貝塚コスモスシアター
11/1 名古屋・愛知県芸術劇場コンサートホール
12/9 岡山・岡山シンフォニーホール
12/15 広島・広島厚生年金会館
12/16 広島・広島厚生年金会館

[編成]
ピアノ:久石譲
仙台フィルハーモニー管弦楽団 (仙台)
東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団 (東京)
関西フィルハーモニー管弦楽団 (大阪・京都・名古屋)
広島交響楽団 (岡山・広島)
指揮:曽我大介

[曲目]
【Symphonic Poem “NAUSICAÄ”】
Part I
Part II
Part III
(風の谷~遠い日々~レクイエム~メーヴェ~谷への道~鳥の人)

【Nostalgia】
Nostalgia
Cinema Nostalgia
la pioggia
HANA-BI

【交響組曲 もののけ姫】
アシタカせっ記
TA・TA・RI・GAMI
もののけ姫
アシタカとサン

【WORKS・I】
Sonatine
Tango X.T.C
Madness

—–アンコール—–
Friends
Asian Dream Song

 

 

プログラムを見てもわかるとおり、『WORKS・I』『WORKS II』から名曲たちを網羅したような、そんなベスト選曲的プログラムになっています。実際にこのコンサートツアーでの名演を収録したのが、のちに『WORKS II』としてLive CDになりましたので、、そういうことです。

 

 

【楽曲解説】 PROGRAM

Symphonic Poem “NAUSICAÄ”
アルバム「WORKS・I」で書き下ろされた「交響詩曲ナウシカ」。「風の谷のナウシカ」から14年、音楽はこうして演奏時間約18分の大曲となり、新たなシンフォニックの響きにのって、その構想を大きく開花させる。コンサートでは今ツアーが初演となる。

Nostalgia ~Piano Stories III~ より
今秋リリースされたばかりのニューアルバム「Nostalgia」からの5曲を演奏する。「HANA-BI」がベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したときの記者会見で、イタリア人記者によって「イタリア的な音」を見出されて以来、ずっと大切にしてきた「イタリアの唄心」を存分に「唄う」曲が並ぶ。「HANA-BI」は新アレンジ、他4曲は書き下ろしの新曲で、「la pioggia」は映画「時雨の記」のテーマ曲でもある。新譜の曲をライヴで聴かせる初めての機会となる。

交響組曲 「もののけ姫」 より
宮崎駿監督のもつ空気感のようなものが、スラヴ色の強い東欧の音に相通じるのではないか。それがこのアルバムをチェコ・フィルと録音した最大の理由でもあった。今年7月に「交響組曲」としてまとめられたこのアルバムからの5曲も今コンサートが初演となる。映画冒頭でインパクトあるサウンドを聴かせた「アシタカせっ記」から「TA・TA・RI・GAMI」へ、そして広く愛唱されてもいる「もののけ姫」、「黄泉の世界」、エンディングの「アシタカとサン」まで、シンフォニックに綴るドラマが繰り広げられる。

WORKS・I より
宮崎駿、北野武、大林宣彦各監督との作品を厳選し、「JOE meets 3 DIRECTORS」として新たに書き下ろし、ロンドン・フィルと録音したアルバム「WORKS・I」からの3曲。「Sonatine」は北野監督の同名映画(1993)のメインテーマ、「Tango X.T.C.」は大林監督の『はるか、ノスタルジィ』(1992)より、そして大胆なアレンジを聴かせる「Madness」は宮崎監督『紅の豚』(1992)より。それぞれに、この新アレンジでの演奏は、今回のツアーが初演となる。

(【楽曲解説】 ~コンサート・パンフレットより)

※掲載されていた「Casanova」「黄泉の世界」は、プログラムの都合上演奏されていない

 

久石譲 98 コンサート インタビュー

 

ツアー直前インタビュー
煌くとき Brilliant Time

今回のツアーは2年ぶりのオーケストラ・コンサートとなる。「HANA-BI」(ベネチア国際映画祭金獅子賞)以来の”イタリア的な音へのこだわり”が存分に盛り込まれた、「Nostalgia」(今秋リリースのニューアルバム)からも、もちろん何曲か演奏される。なぜ今イタリアなのか。ソロアルバム「Nostalgia」にカヴァー曲を入れたのはどうしてなのだろうか。

 

日本からイタリアに録音に行くってまれなことですよね

久石:
「Nostalgia」は、イタリアで現地のオーケストラとレコーディングしましたけど、オケには機能性よりも『唄』を望みました。多少荒っぽくても、そこには『唄』があるというアルバムを作りたかった。だからイタリアにしたんです。

この2年間で、ロンドン・フィルと「WORKS・I」を作り、それから「もののけ姫」のシンフォニック・ヴァージョンではチェコ・フィルとやりました。ソロアルバムのカッチリした世界を表現できるのは、技術的にもかなり高いものをもっているロンドン・フィルでなければならなかったし、「もののけ姫」ではスラヴ色の強い、朗々として少し暗く重い、土臭さみたいなものがどうしても欲しかったのです。

そして次に自分のソロアルバムを、と考えたとき、根底に『唄』を表現したいということがありました。それは、去年「HANA-BI」でベネチアへ行って、公式記者会見で外国人記者から「音楽がすごくイタリア的なメロディだ」と指摘されて、「ああ、そうなのかな」と思ったのがきっかけです。確かにベネチアで「HANA-BI」を観たとき、自分でも「この音楽、イタリア的に聴こえるなあ」と思いました。そのあたりですね。イタリア的な『唄』を表現しようと思ったのは。

それと、今回のアルバムでは、イタリアというテーマの中でカヴァーをやってみたいと思って、サン=サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」の有名なアリア(アルバムでは「バビロンの丘」)とニノ・ロータの「太陽がいっぱい」を、最もイタリア的な香りのするメロディということで選びました。アレンジという部分も自分の中の大事な要素ですから、人のメロディを借りてきても自分の世界が作れるというところにチャレンジしてみたかったのです。

このようなイタリアで録りたいという発想は、「交響組曲もののけ姫」をスラヴの音でやりたいと思ったのと同じように、すごく大切なことでした。日本で録れば簡単ですし、イギリスのオケならもっとうまい。それは十分わかっているけれど、今度の音楽には何としてもイタリアが必要だったんです。

技術的な面でも現時点で可能な限りの最先端の技術で録るという、徹底的にハードディスク・レコーディングを行いました。ここが大事なところなんだけど、古臭いやりかたでノスタルジックな音を録ったら、本当に古臭くなってしまう。それは僕の欲してる音ではないんですよ。それで、オケがそのレコーディング方式に不慣れだったってこともあって、レコーディングの2日目からは予定外に僕がピアノを弾いて、オケをひっぱるという、同時録音に切り替えざる得なかったんです。でも、そのうちに現場の雰囲気が一変して、オケがピタッとついてくるのがわかりました。そういう意味では柔軟性のある若いオーケストラでよかったですね。

イタリアにはやっぱり、日本のオーケストラにも、またイギリスのオーケストラにもない、独特のおおらかなメロディーの唄い方がありました。結果をみても、これはイタリアに行かなかったら成立しないアルバムだったと、今、改めて思っています。

 

作曲家・久石譲の書いた曲に、ピアニストとして自分がどう追いつくのか。
その繰り返しは決して終わることはない。

作曲、オーケストラアレンジ、レコーディング。連日のスコア書きで、手の疲労が限界に達した頃、ピアノのレコーディングはやってくる。書くことから弾くことへ、その役割は替わっても、過酷なまでの手の酷使は続く。それでも、作曲家として、演奏者である自分に何かを課すかのように、久石さんはピアノに向かう。

 

今回のツアーはオーケストラとの仕事の集大成なんです

久石:
何十人ものオーケストラと一緒に演奏するというのは、自分のピアノとオケとが瞬間、瞬間にどういうふうに格闘するかという、そういう意味での楽しみがあります。しかし一方、技量を試されるという意味では苦しみでもあるわけです。そもそも人前でピアノを弾くということ自体、一般的にとてもしんどいことでしょう。僕自身どこかに、できればやりたくないな、という気持ちがあるんだけれども、でもそれを自分に課すことによって乗り越えられることがあるんです。だから敢えてやっている。避けて通れないから弾いている、というのが正直なところですね。

しかも、弾くときの条件がいつも過酷ですからね。まず作曲で譜面を書き、続いてオーケストラ・スコアをガーッと書くと、手がもうボロボロなんですよ。腱鞘炎寸前になっている。悪いことに、そのころにピアノをレコーディングしなければいけなくなるんです。書くことは、なんとか早め早めにやろうとは思うんですが、どうしてもなぜかそういうタイミングになってしまいますね。もうほとんど体力勝負です。

そんな状況にあって、曲の創りとしては以前に比べ、確実にピアノパートが難しくなってきています。自分でどんどんハードルをあげて、それにチャレンジするというのを、ずっと続けてることになりますね。今回のアルバム「Nostalgia」にしても、ここまで上げなくてもよかったんじゃないかってくらい、ピアノが難しくなっている。演奏テクニック上のハードルは相当高くなってます。

じゃあ久石譲の根底は何なんだと問われたとき、その答えはあくまで作曲家なんです。曲を創るとき、今度の曲ではオケはこうあるべきで、弦はこうあるべきで、自分のピアノもこうあるべきだろうと、そういう視点で創るわけで、演奏する段階になったら、そのハードルの高さに自分がついていかなければならなくなるんです。久石譲というピアニストにあわせて曲は書いていませんから、あくまで作曲家・久石譲が書いた曲に、ピアニストとしての自分がどう追いついていくかという、その繰り返しです。そういう意味で、僕は根本的にあくまで作曲家なんです。

しかし同時に、久石譲という作曲家の曲は自分が弾くのが一番いいと思っていますから、大変だけどピアノに向かう。コンサート前の、あと10分でステージに上がるというときには毎回、”この曲を弾けるのは自分だけなんだ”ということを、自分に言い聞かせていますよ。

今度のコンサートで僕自身が最大の楽しみにしているのは、まだライヴでやってない曲ばかりのプログラムだということです。中には新しいアレンジをした曲もありますが、いずれにしてもまだ、コンサートでオーケストラとやってない。曲を書いて、またはアレンジして、録音して、それをコンサートで聴いてもらう。そこで、はじめて曲が完結すると思っているのですが、今回のツアーでは全国で9回の、いろいろなオケとの共演という形でそれができるのですから、とてもやりがいを感じています。

この2年間にやってきたオーケストラとの仕事の集大成ともいえるこのコンサートを、じっくり聴いていただきたいと思っています。

(久石譲インタビュー 同コンサート・パンフレットより)

 

この公式コンサート・パンフレットは、ほかにも「交響組曲もののけ姫」「Nostalgia ~Piano Stories III」のレコーディング日誌もそれぞれ特集掲載されていました。

 

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Blog. 久石譲 「Nostalgia」 レコーディング日誌 (1998 コンサート・パンフレットより)

Posted on 2015/10/17

久石譲の過去のコンサートから。「PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」のコンサート・パンフレットにて特集された、「NOSTALGIA ~PIANO STORIES III~」のレコーディング日誌。

 

 

Making in Italy 「Nostalgia」

インストゥルメンタルでありがなら『唄』を表現できるオーケストラが欲しい。だからこそ、新譜「Nostalgia」のレコーディングにはイタリアの地が選ばれた。おおらかにメロディを唄うオケの魅力を最大限に引き出しながら収録は進んだ。

 

9月7日
成田から16時間、やっとボローニャに到着。出発の前日に、京都・醍醐寺の「音舞台」コンサートから戻ったばかりという強行軍の上に、イタリアでは荷物が行方不明になる不運のおまけつき。

空港から40分ほどで目的地モデナに着く。リハーサルのDATを聴いた久石さんは、「おぉっ!イタリアだぁ!」と大感激。イメージ通りの音だったに違いない。日本人が海外のオーケストラ・レコーディングでイタリアを選ぶのは、おそらく稀なことだろう。

 

9月8日
レコーディング初日。収録するストロキホールはホテルから歩いて5分ほどのところにある。今日は東京の紀尾井ホールで録ったピアノにオケを合わせる形で録音していく。オーケストラはフェラーラという街の名前のついたフェラーラ・オーケストラで、指揮はイタリア人のレナート・セリオ氏。レコーディング・エンジニアにはドイツ人のステファン・フロック氏が加わった。「Nostalgia」と「Cinema Nostalgia」を録って1セッション目を終了。オケもしだいに調子を上げてはいるが、盛り上がりはいまひとつだ。2セッション目は「バビロンの丘」から「il porco rosso」へ。イタリアのエスプリあふれる仕上がりとなった。

 

9月9日
もう少しオーケストラをピアノで動かすという意味で、急きょ久石さんのピアノを同時録音することになる。連日のスコア書きと醍醐寺のコンサートで腕はかなり疲労している。その最悪な状況を知っているだけに心配ではあるが、止むを得ない状況だ。

まず「HANA-BI」から。ピアノがぐいぐいとオケをひっぱり、迫力が増していくのがわかる。次に映画「時雨の記」(今秋公開)のテーマ、「la pioggia」。オケもさらに充実した音を出してきて、雰囲気の高まりが感じられる。ここで午前のセッション終了。

午後から最後のセッションで「旅情」を録る。これは紀尾井ホールで録ってあったピアノに合わせてオケを録る。オケも慣れてきて順調に進行した。その後編集作業へ。

 

9月10日
午前中にイタリア各紙の新聞の取材を受ける。今回のレコーディングを多くの新聞が取り上げており、両手に抱えるほどの掲載記事を見せてもらった。日本での作業に入るため、早くも美しいモデナの街をあとにして帰国。

久石譲 Nostalgia レコーディング 2

(久石譲 PIANO STORIES ’98 Orchestra Night コンサート・パンフレットより)

 

レコーディング方式を、急きょピアノとの同時録音に切り替えた経緯は、同コンサート・パンフレットでのインタビューでも語られている。

Blog. 「久石譲 PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」 コンサート・パンフレットより

 

久石譲 Nostalgia レコーディング 1

 

Blog. 久石譲 「交響組曲 もののけ姫」 レコーディング日誌 (1998 コンサート・パンフレットより)

Posted on 2015/10/17

久石譲の過去のコンサートから。「PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」のコンサート・パンフレットにて特集された、「交響組曲 もののけ姫」のレコーディング日誌。

 

 

Making in Czech 「交響組曲 もののけ姫」

スラヴ色の強い音。
「もののけ姫」のメロディに合う、土の匂いのする音。
それを求めた「交響組曲 もののけ姫」のレコーディングで、
すでに100年を超える歴史と東欧独特の響きを持つ、
チェコ・フェルハーモニーとのセッションが実現した。

 

6月6日
昨日、20時間かけてプラハへ到着。今年は異常気象とのことで、6月というのに30度を超える暑さだ。今日は市民会館の中にあるスメタナホールでピアノのリハーサル。調律UPが予定より延びたため、有名な火薬塔に通じる部屋などを案内してもらう。

リハーサル後はレコーディング会場である「芸術家の家」内のドヴォルザークホールを下見。ホール内で手でたたいてみると、まっすぐな残響が続く。低音のにごりもなく、やわらかくて繊細な、実にきれいな響きだ。

 

6月7日
録音初日。前の仕事が押して指揮者のマリオ・クレメンス氏の到着が遅れたため、夜からのスタート。録音曲順の打合せ後、「レクイエム」から収録。チェコ・フィルのパターンとして、各セクションに1名ずつ補強メンバーが加わり、弦5部64名、木管12名、金管18名、打楽器4名、ハープ2名というとても厚い編成だ。緊張の中、1曲目をスムーズに録り終え、続いて「アシタカせっ記」。確かなテクニックと重厚な音質が東欧のイメージを醸し出す。指揮のマリオ氏も、久石さんの音楽を楽しんでいるようだ。スタッフ一同、満足のうちに初日終了。

 

6月8日
午前9:30よりセッションスタート。「TA・TA・RI・GAMI」から。事前に打合せていたチャンチキと〆太鼓(日本から持参)を、初めてにもかかわらず打楽器奏者が上手く演奏してくれた。セッションの雰囲気はしだいに盛り上がり、「シシ神の森」、休憩をはさんで「黄泉の世界」「旅立ち」と4曲を無事、録りおえた。それにしても、団員たちの譜読みの速さには驚かされる。当日セットされたばかりのパート譜で一度合わせを行い、二度目からリハーサルテイクになるが、非常に完成度の高い安定した演奏なので、最良のテイクがまとめられた。

 

6月9日
レコーディング最終日。「アシタカとサン」「もののけ姫」の収録で、久石さんのピアノとチェコ・フィルとのセッションが実現。美しいピアノの音とオーケストラとが一体となってホールいっぱいに響きわたり、最終日にふさわしい高揚感のうちにアルバム「交響組曲もののけ姫」のレコーディングを終了。

指揮者のマリオ氏、団員たちからスタンディングで拍手をおくられた。夜、世界一といわれるボヘミアのビールで乾杯。明日は日本でのマスタリング作業のため帰国する。

 

久石譲 スメタナホール

↑ スメタナホールでのピアノリハーサル

 

久石譲 ドヴォルザークホール

久石譲 交響組曲もののけ姫 レコーディング

(久石譲 PIANO STORIES ’98 Orchestra Night コンサート・パンフレットより)

 

 

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Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 46 ~ショスタコーヴィチ~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/10/15

クラシックプレミアム第46巻は、ショスタコーヴィチです。

 

【収録曲】
交響曲 第5番 ニ短調 作品47
ワレリー・ゲルギエフ指揮
マリインスキー劇場管弦楽団
録音/2002年 (ライヴ)

交響曲 第9番 変ホ長調 作品70
ベルナルト・ハイティンク指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1980年

 

 

久石譲のエッセイにいくまえに、こちらも毎号楽しみにしている読み物「西洋古典音楽史」(岡田暁生 筆)。今号はクラシック音楽における「即興演奏」がテーマだったのですが、とても興味深い内容が後半にあったのでご紹介します。

 

「今日において即興が廃れてしまった最大の原因は、おそらく近代の大作曲家たちによる演奏家への過剰干渉である。作曲家というのは隅から隅まで自分の思いどおりにならないと気が済まない人種である。しかもモーツァルトやショパンやリストがそうしたように、自分で作って自分で演奏するのではなく、19世紀後半以後は「専業作曲家」が増えてくる。作るだけで、自分では演奏しない(できない)作曲家たちである。演奏という最終的な完成形まで自分の責任でもっていくことができない、これはつらい。どれだけきちんと楽譜を上げても、最後は演奏家に託さないといけない。だがひょっとすると演奏家は自分の作品を無茶苦茶にしてしまうかもしれない…。」

「19世紀後半以後の作曲家の楽譜は、どんどん緻密になっていく。誤解の余地が生じないように、細かいニュアンスまですべて書き込もうとする。あれだけ細かく楽譜で指定されたら、即興することなど不可能だ。余計なことをせず、ひらすら楽譜どおりに弾くことを、近代の作曲家は強要する。演奏家嫌いでとりわけ名高かったのはストラヴィンスキーで、彼はイタリアの諺を引いて「通訳(トラディトーレ)はいつも裏切り者(トラドゥットーレ)だ」(翻訳に誤訳はつきものという意味)と言い、「自分にとって理想の演奏家は、オルゴールの蓋を開ける人だ」と主張した。演奏家など単なる再生機械(または機械にスイッチを入れる人)でいいということだ。実際彼は一時期、自分のすべての作品をピアノ編曲し、それを自分で自動ピアノに録音することを考えていた。」

「小説家や画家と同じような意味で「作品を仕上げる」ことは、作曲家にはできない。頭の中にどれだけ完璧な形が思い描かれていようとも、実際の演奏会ではどんなアクシデントが起きるかわからない。演奏を他人の手にゆだねるとあっては、なおのことである。それに万が一完璧な演奏を実現することができたとしても、それを常時再現することなどできようはずもない。つまり即興的/偶発的な要素をどれだけ排除したところで、絵画や文学のような意味での「完成形」としては、音楽作品は存在していない。例えばベートーヴェンの《第9》。フルトヴェングラーの録音もカラヤンの録音もバーンスタインの録音も、あるいは○月○日のどこそこでの演奏会もすべて、ユートピアとしての「完成形」になんとか辿り着こうとして夢破れた敗北の記録なのかもしれない。すべての芸術の中で最もはかなく、だからこそ最も美しいのが音楽だとすると、その理由の一つはこのあたりにある。」

(キーワードでたどる西洋古典音楽史 「即興演奏再考(上)」 より)

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第44回は、
ソナタ形式の中の第1主題と第2主題

前回は音楽形式について話が進みましたが、今回はより深く。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を例にあげて、具体的に解説されているのでわかりやくもありますが、いや、やはり難しい。

それでも「第1主題と第2主題」についてというお題のなか、久石譲が音楽分解するベートーヴェン交響曲第5番という見方も。指揮者:久石譲としての一面、さらには作曲家として指揮をするという久石譲の一面、いろんな思考や解釈が垣間見れたような気がします。

 

 

「ホモフォニー(ハーモニー)音楽を支えてきたのは機能和声とソナタ形式であると前回書いた。それをベートーヴェンの交響曲第5番《運命》を例に考えてみる。」

「全4楽章で約35分の長さを持つこの曲は、特に冒頭の4音からなる「ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン」が有名で、本人が弟子に「運営がこのように戸を叩くのだ」と語ったことから《運命》と呼ばれるようになったらしいが、本当のところは定かではない。ちなみに海外ではあくまで交響曲第5番であって《運命》と呼ぶことはまったくない。」

「第1楽章と第4楽章がソナタ形式なのだが、ここでは第1楽章で考えてみる。カルロス・クライバーの演奏が7分22秒、サイモン・ラトル7分29秒、カラヤン、アーノンクールが7分24秒なので、曲の長さとしてはそれほど長くはない。ただここで注目するのは、ふつう演奏時間は指揮者によってまちまちなのだが(1~2分違うケースもある)、この第1楽章はほとんど同じであること。それだけ緻密に作られているということだろう。だが、トスカニーニは6分15秒! これはどういう演奏なのか? 疾風怒濤の攻め技か!と思ったのだが、これは提示部を繰り返さなかったための時間だった。演奏もそれほど速くない。この提示部の繰り返し問題は後で説明する。」

「さて、ここでソナタ形式をもう一度おさらいすると全体は提示部と展開部、そして再現部の3部構成でできている。提示部では第1主題(テーマ)と第2主題があり、その関係は主調とその属調あるいは平行調である。あ~何だか面倒くさいが、大事なことだからわかりやすく説明すると、《運命》の正式名称は交響曲第5番ハ短調なのだが、このハ短調が基本のキー(主調)で、属調とはその5度上のト短調になる。だが、基本のキーが短調の場合、第2主題は平行調になる。この平行調は調号が同じもの(ハ長調とイ短調の関係)を指し、まあ夫婦のようなものである、仲がいいかどうかは別として(笑)、いやこれは冗談ではなく、その対比あるいは対立が大きなエネルギーになっている楽曲もあるからだ。」

「《運命》の場合、第2主題は変ホ長調で優しく始まるのだが、再現部では同主調のハ長調で演奏される。また長調の楽曲でも再現部では属調ではなく、同じ主調で演奏されるのがみそなのだが、聴いてわかるだろうか? 特に東洋人の感覚ではヘテロフォニーといって同じキーの音が微妙にズレるドローン(持続低音のようなもの)的なものがベースにあり、主調と属調の違いが、大きく世界を変えるように感じる西洋人のものとは異なる。絶対音感の問題もあるが、我々の聴き方としてはキーの違いだけではなく、第1主題と第2主題の性格の違いがドラマを生んでいくと思った方が自然である。」

「映画の場合、A、Bそれぞれの登場人物が性格も考え方も同じだったらドラマとしてまったく成立しない。つまり映画にならない。が、A、Bの考え方や性格が違うために軋轢が生じ、対立することによってそこにドラマが生まれる。その対立によって起こるさまざまなドラマが映画なのだ。」

「ソナタ形式の基本も同じで、対立によって生じるドラマ性にあると僕は思っている。《運命》ではこれ以上削れない究極の4音モティーフを核とした激しい第1主題と、うっとりするくらいに優しい気品に溢れた第2主題がドラマ性を生み、音楽史上最も重要な楽曲になったのだが、忘れてはならない事がある。それは作曲的観点から見てどこにも無駄のない完璧な楽曲なのだが、そのうえに誰にでもわかるわかりやすさがある事だ。作曲は論理的な机上のものだけではなく、人々の感性に訴えかける強さも必要だ。そしてその表現を可能にしたのが、機能和声であり、ソナタ形式なのである。極端にいうとこの第1主題と第2主題のそれぞれ数小節をしっかり作ってさえあれば、楽曲完成の道筋はできたといっても過言ではない。あとはソナタ形式のフォーマットに沿って作曲していく。展開部ではそれぞれの主題を変奏し、再現部では先ほどのキーに即して再現する。メインの楽章ができればあとはロンド形式なりスケルツォなり舞曲系の楽曲と歌謡形式の遅い楽章を配置すれば交響曲は完成する。もちろんそんなに簡単に作曲はできないが、このメインのフォーマットがあるからハイドンは生涯106曲もの交響曲を書き、モーツァルトは41曲の交響曲を書いた。ベートーヴェンは9曲と先人より少ないが、それは時代の表現が変わり、よりエモーショナルで巨大になったからである。ロマン派の時代の幕開けだ。」

「提示部の繰り返しについては次回書く事にするが、ふと思う。《運命》の第1主題と第2主題の関係は、ベートーヴェンが生涯求めた(実現しなかったが)夫婦の理想の関係を描いたのではないか?と。これも、また別の《運命》のドラマである。」

 

 

クラシック音楽は形式ばかり重んじていておもしろくない、これはとっつきにくい大きな理由でもあると思います。ただ具体的に譜面が読めなくても、作曲家の意図を読み取れなくても、どういった形式があって、この作品はどの形式で構成されているか。これを予備知識として知っておくだけでも、聴き方はだいぶ変わるかもなと思った今号のエッセイ内容でした。

クラッシック以外の近代音楽が文学的(表現力)だとすると、クラシック音楽は数学的(理論)ということになります。数式を突きつめること、理論を成立させて解答を導くことが美しい。そういえば理系の人に意外にもクラシック音楽好きが多いと聞いたことも。

そういった理論のなかにも、無表情で無機質ではなく、どこか惹きつけられる、感情を揺さぶる魅力があるからこそ、クラシック音楽にハマるとのめり込んでしまうのではないかと。

まあ専門的知識はないので、最終的には、何かわからないけど、何がすごいのかはわからないけど、この作品好きだな、という結論にしかならないのですが。

それでいいとも思うのです。だからこそいろいろな音楽に触れることが、耳を肥やし、解釈や感情を豊かなものにしていく。そして「あ、自分ってこういうの好きなんだな」と新しい発見ができることこそが一番のおもしろさだと思います。

人がなにかを好きになるのは、感情が先、理論が後。好きになった(感情)からこそ、より知りたい(情報/理論)という順番ですね。

 

クラシックプレミアム 44 ショスタコーヴィチ

 

Blog. 「久石譲 PIANO STORIES ’98 Piano Night」 コンサートパンフレットより

Posted on 2015/10/7

久石譲の過去のコンサートから
「PIANO STORIES ’98 Best Selection ~Piano Night」です。

1998年に開催されたピアノを主体とした全国ツアーです。オリジナル・ソロアルバムから、映画人気作品まで。久石譲のピアノによって、久石譲の美しいメロディーが、ヴァイオリン、チェロとのトリオによって、シンプルにそして優美に堪能できる、そんなコンサートでした。

そして全国13公演におよぶツアーとなっていて、編成がシンプルなことも功を奏し各地域の中規模ホールでも開催できた、そんな今となってはありがたいコンサートツアーでした。

 

 

PIANO STORIES ’98 Best Selection ~Piano Night

[公演期間]22 PIANO STORIES’98
1998/04/16 – 1998/06/03

[公演回数]
13公演
4/16 釧路・釧路市生涯学習センター
4/18 札幌・札幌市教育文化会館大ホール
4/24 静岡・長泉市文化センター ベルフォーレ
5/7 佐賀・佐賀市文化会館中ホール
5/8 福岡・ももちパレス
5/12 岡山・倉敷市芸文館
5/14 岐阜・瑞浪市総合文化センター
5/17 島根・松江市総合文化センタープラバホール
5/18 鳥取・米子市文化ホール
5/23 滋賀・滋賀県立草津文化芸術会館
5/28 三重・川越市あいあいホール
5/31 岩手・盛岡キャラホール(都南文化会館)
6/3 宮城・仙台青年文化センター

[編成]
ピアノ:久石譲
ヴァイオリン:キャサリン・キャッシュ
チェロ:諸岡由美子

[曲目]
Friends [Piano solo]
Angel Springs [Piano solo]
Rain Garden [Piano solo]
君だけを見ていた [Piano solo] (I only noticed you)
もののけ姫 [Piano & Violin]
アシタカせっ記 [Piano Trio]
Two of Us [Piano Trio]
Modern Strings [Piano Trio]

-休憩-

The Wind of Life [Piano solo]
Silencio de Parc Güell [Piano solo]
Asian Dream Song [Piano solo]
Fantasia for Nausicaä [Piano solo]
風のとおり道 [Piano & Cello]
HANA-BI [Piano Trio]
Kids Return [ Piano Trio]

—–アンコール—–
Tango X.T.C
アシタカとサン

 

【楽曲解説】 Program

Friends
トヨタ自動車「クラウンマジェスタ」のCMでおなじみのこの曲は、メロディアスなピアノの旋律の美しさが特に印象的で、コンサートでもたびたび取り上げられている。繊細なメロディラインを味わうことができる。
*アルバム『PIANO STORIES II』にも、ピアノ&ストリングスの編成で収録されているが、本日はコンサートバージョン(ピアノ・ソロ)で演奏される。

Angel Springs
こちらも長い間、サントリーウイスキー「山崎」のCMで親しまれてきた。どこかなつかしい郷愁のただようメロディが、寄り添うようにすっと心に響いてくる。
*『PIANO STORIES II』にピアノ&ストリングスの編成で収録されている。この曲もコンサートバージョンでの演奏。

Rain Garden
フランス印象派の作品を彷彿とさせるようなピアノ作品。”~ふと、ラヴェルが弾きたくなった。その響きが心に微かな波紋となって広がっていく。~”(「PIANO STORIES II)メモランダムより)
*『PIANO STORIES II』にピアノ・ソロで収録されている。

君だけを見ていた
ドラマ「大名は判ってくれない」(1992年)のオープニング・テーマ曲。コンサートでもたびたびピアノ・ソロで取り上げられるナンバー。ドラマティクで、たたみかけるようなメロディ・ラインが印象に残る。
*コンサートでのみ聴くことができる。

もののけ姫
主題歌「もののけ姫」は、カウンターテナー米良美一の澄んだ歌声で幅広く親しまれている。作詞は宮崎駿監督自身によるもの。コンサートではピアノとストリングスが、ヴォーカルとは違った雰囲気の魅力を存分に歌う。
*『もののけ姫 サウンドトラック』にインストゥルメンタルとヴォーカルの2バージョンを収録。シングル『もののけ姫』(唄/米良美一)もリリースされている。

アシタカせっ記
宮崎駿監督との作品から、昨年記録的な大ヒットとなった話題作「もののけ姫」より。この曲は映画の冒頭に流れるメインテーマで、力強く広大なスケール感と深いメロディ・ラインが圧倒的な迫力で聴き手に迫ってくる。
*オーケストラ・レコーディングされた『もののけ姫 サウンドトラック』に収録されている。

Two of Us
思わず口ずさみたくなるような、甘く切ないメロディ。ピアノと弦の音色がからみ合い、溶け合って、しだいにテンションを上げていく。映画「ふたり」(大林宣彦監督作品)でそのメロディを聴かせた。
*ピアノ&ストリングスの原曲は『My Lost City』に収録、また『WORKS・I』ではシンフォニック・サウンドで味わうことができる。

Modern Strings
クールなメロディとストリングスの裏アップ・ビートのカッティングな小気味よい1曲。”フランス映画のような”ニュアンスを出した原曲が、大人のムードをかもしだしている。
*『I am』ではサックスがブルージーな気だるさを演出していて、まさにその”フランス映画のような”雰囲気が楽しめる。

The Wind of Life
”~生命の風、人の一生を一塵の風に託す。陽はまた昇り、やがて沈む。花は咲き、そして散る。風のように生きたいと思った”(『PIANO STORIES II』メモランダムより)。そのタイトルの通り、風のようにさわやかなピアノ曲。
*『PIANO STORIES II』にピアノ・ソロの演奏が収録されている。

Silencio de Parc Güell
この曲のタイトル、シレンシオ・デ・パーク・グェールの”パーク・グェール”は、スペインのバルセロナにあるアントニオ・ガウディ作による公園のこと。シューベルトを思わせるような、さわやかさと優しさを合わせもったピアノ・ソロ作品。
*『I am』に収録。

Asian Dream Song
3月に開催された長野パラリンピック冬季競技大会の大会テーマ曲。コンサートでも1昨年から取り上げてきたが今回はピアノ・ソロで演奏される。
*『PIANO STORIES II』にピアノ&ストリングスで収録。ヴォーカル・バージョンはシングル『旅立ちの時~Asian Dream Song』(作詞/ドリアン助川 唄/宮沢和史)と『HOPE NAGANO PARALYMPICS 1998 TRIBUTE』に収録されている。

Fantasia
多くのファンのフェイバリットとなっている「風の谷のナウシカ」(宮崎駿監督作品)のメロディを、作曲者自身のピアノがクラシカルに綴る。どことなく懐かしさの漂う1曲。
*『Piano Stories』に収録されている。

風のとおり道
宮崎駿監督作品「となりのトトロ」より、映画の中でも重要な場面でたびたび流れていた代表的な作品を1曲。”小さな村、大きな楡の木、森の風景-”そんな情景を、物語を語るようにピアノの演奏で。
*ピアノ・ソロは『Piano Stories』に収録(タイトルは「The Wind Forest」)のほか、オリジナルは『となりのトトロ サウンドトラック』に収録されている。

HANA-BI
北野武監督「HANA-BI」のメイン・テーマ。昨年、ベネチア国際映画祭でグランプリ(金獅子賞)を受賞、一躍世界にそのメロディを聴かせた。アコースティック・サウンドが、欧米のジャーナリストが称する”キタノ・ブルー”をより一層鮮やかなものにしている。
*『HANA-BI サウンドトラック』に収録。

Kids Return
リズムの切れのよさと、わきあがるようなドライブ感が心地よい、人気ナンバー。これまでコンサートでもたびたび演奏され、好評を得ている。
*『Kids Return サウンドトラック』にオリジナルが、『PIANO STORIES II』にはピアノ&ストリングスの編成による演奏が、収録されている。

(【楽曲解説】 ~コンサート・パンフレットより)

 

 

この季節にもぴったりな楽曲たちが並んでいます。時代的にコンサート映像が残っていないのがすごく残念な、今となってはとても伝説的な希少なプログラムと編成です。

DVD『a Wish to the Moon -Joe Hisaishi & 9 cellos 2003 ETUDE&ENCORE TOUR-』

このあたりでも同じ楽曲が登場していますので、アコースティックな雰囲気ふくめ楽しめると思います。

 

久石譲 98 コンサート 2