Blog. 「久石譲 PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」 コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/10/17

久石譲の過去のコンサートから「PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」です。

1998年はとりわけ多種多彩なコンサートを開催しています。「PIANO STORIES ’98 Best Selection ~Piano Night」ピアノ・ヴァイオリン・チェロによるコンサート、「加藤登紀子日比谷野音コンサート」ゲスト出演にてPiano Nightでのダイジェスト版のような、「JAPAN TELECOM FESTIVAL’98 SUPER SOUND OF JOE HISAISHI」サテライト中継にて、3都市同時演奏、「第11回 JALステージスペシャル 醍醐寺音舞台」総合演出も担当、バラネスクカルテットも出演、「題名のない音楽会」もののけ姫やナウシカなどおなじみの曲をお茶の間に、そして10月から12月にかけて全国9公演にて開催されたのが「PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」です。ピアノ主体からはじまり、多彩なスタイルでコンサートを展開し、オーケストラで締めくくる、そんな1998年です。

 

 

PIANO STORIES’98 Orchestra Night

[公演期間]23 PIANO STORIES’98 Orchestra Night
1998/10/15 ~ 1998/12/16

[公演回数]
全国9公演
10/15 仙台・仙台イズミティ21
10/19 東京・東京芸術劇場ホール
10/27 大阪・ザ・シンフォニーホール
10/29 京都・宇治市文化センター
10/31 大阪・貝塚コスモスシアター
11/1 名古屋・愛知県芸術劇場コンサートホール
12/9 岡山・岡山シンフォニーホール
12/15 広島・広島厚生年金会館
12/16 広島・広島厚生年金会館

[編成]
ピアノ:久石譲
仙台フィルハーモニー管弦楽団 (仙台)
東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団 (東京)
関西フィルハーモニー管弦楽団 (大阪・京都・名古屋)
広島交響楽団 (岡山・広島)
指揮:曽我大介

[曲目]
【Symphonic Poem “NAUSICAÄ”】
Part I
Part II
Part III
(風の谷~遠い日々~レクイエム~メーヴェ~谷への道~鳥の人)

【Nostalgia】
Nostalgia
Cinema Nostalgia
la pioggia
HANA-BI

【交響組曲 もののけ姫】
アシタカせっ記
TA・TA・RI・GAMI
もののけ姫
アシタカとサン

【WORKS・I】
Sonatine
Tango X.T.C
Madness

—–アンコール—–
Friends
Asian Dream Song

 

 

プログラムを見てもわかるとおり、『WORKS・I』『WORKS II』から名曲たちを網羅したような、そんなベスト選曲的プログラムになっています。実際にこのコンサートツアーでの名演を収録したのが、のちに『WORKS II』としてLive CDになりましたので、、そういうことです。

 

 

【楽曲解説】 PROGRAM

Symphonic Poem “NAUSICAÄ”
アルバム「WORKS・I」で書き下ろされた「交響詩曲ナウシカ」。「風の谷のナウシカ」から14年、音楽はこうして演奏時間約18分の大曲となり、新たなシンフォニックの響きにのって、その構想を大きく開花させる。コンサートでは今ツアーが初演となる。

Nostalgia ~Piano Stories III~ より
今秋リリースされたばかりのニューアルバム「Nostalgia」からの5曲を演奏する。「HANA-BI」がベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したときの記者会見で、イタリア人記者によって「イタリア的な音」を見出されて以来、ずっと大切にしてきた「イタリアの唄心」を存分に「唄う」曲が並ぶ。「HANA-BI」は新アレンジ、他4曲は書き下ろしの新曲で、「la pioggia」は映画「時雨の記」のテーマ曲でもある。新譜の曲をライヴで聴かせる初めての機会となる。

交響組曲 「もののけ姫」 より
宮崎駿監督のもつ空気感のようなものが、スラヴ色の強い東欧の音に相通じるのではないか。それがこのアルバムをチェコ・フィルと録音した最大の理由でもあった。今年7月に「交響組曲」としてまとめられたこのアルバムからの5曲も今コンサートが初演となる。映画冒頭でインパクトあるサウンドを聴かせた「アシタカせっ記」から「TA・TA・RI・GAMI」へ、そして広く愛唱されてもいる「もののけ姫」、「黄泉の世界」、エンディングの「アシタカとサン」まで、シンフォニックに綴るドラマが繰り広げられる。

WORKS・I より
宮崎駿、北野武、大林宣彦各監督との作品を厳選し、「JOE meets 3 DIRECTORS」として新たに書き下ろし、ロンドン・フィルと録音したアルバム「WORKS・I」からの3曲。「Sonatine」は北野監督の同名映画(1993)のメインテーマ、「Tango X.T.C.」は大林監督の『はるか、ノスタルジィ』(1992)より、そして大胆なアレンジを聴かせる「Madness」は宮崎監督『紅の豚』(1992)より。それぞれに、この新アレンジでの演奏は、今回のツアーが初演となる。

(【楽曲解説】 ~コンサート・パンフレットより)

※掲載されていた「Casanova」「黄泉の世界」は、プログラムの都合上演奏されていない

 

久石譲 98 コンサート インタビュー

 

ツアー直前インタビュー
煌くとき Brilliant Time

今回のツアーは2年ぶりのオーケストラ・コンサートとなる。「HANA-BI」(ベネチア国際映画祭金獅子賞)以来の”イタリア的な音へのこだわり”が存分に盛り込まれた、「Nostalgia」(今秋リリースのニューアルバム)からも、もちろん何曲か演奏される。なぜ今イタリアなのか。ソロアルバム「Nostalgia」にカヴァー曲を入れたのはどうしてなのだろうか。

 

日本からイタリアに録音に行くってまれなことですよね

久石:
「Nostalgia」は、イタリアで現地のオーケストラとレコーディングしましたけど、オケには機能性よりも『唄』を望みました。多少荒っぽくても、そこには『唄』があるというアルバムを作りたかった。だからイタリアにしたんです。

この2年間で、ロンドン・フィルと「WORKS・I」を作り、それから「もののけ姫」のシンフォニック・ヴァージョンではチェコ・フィルとやりました。ソロアルバムのカッチリした世界を表現できるのは、技術的にもかなり高いものをもっているロンドン・フィルでなければならなかったし、「もののけ姫」ではスラヴ色の強い、朗々として少し暗く重い、土臭さみたいなものがどうしても欲しかったのです。

そして次に自分のソロアルバムを、と考えたとき、根底に『唄』を表現したいということがありました。それは、去年「HANA-BI」でベネチアへ行って、公式記者会見で外国人記者から「音楽がすごくイタリア的なメロディだ」と指摘されて、「ああ、そうなのかな」と思ったのがきっかけです。確かにベネチアで「HANA-BI」を観たとき、自分でも「この音楽、イタリア的に聴こえるなあ」と思いました。そのあたりですね。イタリア的な『唄』を表現しようと思ったのは。

それと、今回のアルバムでは、イタリアというテーマの中でカヴァーをやってみたいと思って、サン=サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」の有名なアリア(アルバムでは「バビロンの丘」)とニノ・ロータの「太陽がいっぱい」を、最もイタリア的な香りのするメロディということで選びました。アレンジという部分も自分の中の大事な要素ですから、人のメロディを借りてきても自分の世界が作れるというところにチャレンジしてみたかったのです。

このようなイタリアで録りたいという発想は、「交響組曲もののけ姫」をスラヴの音でやりたいと思ったのと同じように、すごく大切なことでした。日本で録れば簡単ですし、イギリスのオケならもっとうまい。それは十分わかっているけれど、今度の音楽には何としてもイタリアが必要だったんです。

技術的な面でも現時点で可能な限りの最先端の技術で録るという、徹底的にハードディスク・レコーディングを行いました。ここが大事なところなんだけど、古臭いやりかたでノスタルジックな音を録ったら、本当に古臭くなってしまう。それは僕の欲してる音ではないんですよ。それで、オケがそのレコーディング方式に不慣れだったってこともあって、レコーディングの2日目からは予定外に僕がピアノを弾いて、オケをひっぱるという、同時録音に切り替えざる得なかったんです。でも、そのうちに現場の雰囲気が一変して、オケがピタッとついてくるのがわかりました。そういう意味では柔軟性のある若いオーケストラでよかったですね。

イタリアにはやっぱり、日本のオーケストラにも、またイギリスのオーケストラにもない、独特のおおらかなメロディーの唄い方がありました。結果をみても、これはイタリアに行かなかったら成立しないアルバムだったと、今、改めて思っています。

 

作曲家・久石譲の書いた曲に、ピアニストとして自分がどう追いつくのか。
その繰り返しは決して終わることはない。

作曲、オーケストラアレンジ、レコーディング。連日のスコア書きで、手の疲労が限界に達した頃、ピアノのレコーディングはやってくる。書くことから弾くことへ、その役割は替わっても、過酷なまでの手の酷使は続く。それでも、作曲家として、演奏者である自分に何かを課すかのように、久石さんはピアノに向かう。

 

今回のツアーはオーケストラとの仕事の集大成なんです

久石:
何十人ものオーケストラと一緒に演奏するというのは、自分のピアノとオケとが瞬間、瞬間にどういうふうに格闘するかという、そういう意味での楽しみがあります。しかし一方、技量を試されるという意味では苦しみでもあるわけです。そもそも人前でピアノを弾くということ自体、一般的にとてもしんどいことでしょう。僕自身どこかに、できればやりたくないな、という気持ちがあるんだけれども、でもそれを自分に課すことによって乗り越えられることがあるんです。だから敢えてやっている。避けて通れないから弾いている、というのが正直なところですね。

しかも、弾くときの条件がいつも過酷ですからね。まず作曲で譜面を書き、続いてオーケストラ・スコアをガーッと書くと、手がもうボロボロなんですよ。腱鞘炎寸前になっている。悪いことに、そのころにピアノをレコーディングしなければいけなくなるんです。書くことは、なんとか早め早めにやろうとは思うんですが、どうしてもなぜかそういうタイミングになってしまいますね。もうほとんど体力勝負です。

そんな状況にあって、曲の創りとしては以前に比べ、確実にピアノパートが難しくなってきています。自分でどんどんハードルをあげて、それにチャレンジするというのを、ずっと続けてることになりますね。今回のアルバム「Nostalgia」にしても、ここまで上げなくてもよかったんじゃないかってくらい、ピアノが難しくなっている。演奏テクニック上のハードルは相当高くなってます。

じゃあ久石譲の根底は何なんだと問われたとき、その答えはあくまで作曲家なんです。曲を創るとき、今度の曲ではオケはこうあるべきで、弦はこうあるべきで、自分のピアノもこうあるべきだろうと、そういう視点で創るわけで、演奏する段階になったら、そのハードルの高さに自分がついていかなければならなくなるんです。久石譲というピアニストにあわせて曲は書いていませんから、あくまで作曲家・久石譲が書いた曲に、ピアニストとしての自分がどう追いついていくかという、その繰り返しです。そういう意味で、僕は根本的にあくまで作曲家なんです。

しかし同時に、久石譲という作曲家の曲は自分が弾くのが一番いいと思っていますから、大変だけどピアノに向かう。コンサート前の、あと10分でステージに上がるというときには毎回、”この曲を弾けるのは自分だけなんだ”ということを、自分に言い聞かせていますよ。

今度のコンサートで僕自身が最大の楽しみにしているのは、まだライヴでやってない曲ばかりのプログラムだということです。中には新しいアレンジをした曲もありますが、いずれにしてもまだ、コンサートでオーケストラとやってない。曲を書いて、またはアレンジして、録音して、それをコンサートで聴いてもらう。そこで、はじめて曲が完結すると思っているのですが、今回のツアーでは全国で9回の、いろいろなオケとの共演という形でそれができるのですから、とてもやりがいを感じています。

この2年間にやってきたオーケストラとの仕事の集大成ともいえるこのコンサートを、じっくり聴いていただきたいと思っています。

(久石譲インタビュー 同コンサート・パンフレットより)

 

この公式コンサート・パンフレットは、ほかにも「交響組曲もののけ姫」「Nostalgia ~Piano Stories III」のレコーディング日誌もそれぞれ特集掲載されていました。

 

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Blog. 久石譲 「Nostalgia」 レコーディング日誌 (1998 コンサート・パンフレットより)

Posted on 2015/10/17

久石譲の過去のコンサートから。「PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」のコンサート・パンフレットにて特集された、「NOSTALGIA ~PIANO STORIES III~」のレコーディング日誌。

 

 

Making in Italy 「Nostalgia」

インストゥルメンタルでありがなら『唄』を表現できるオーケストラが欲しい。だからこそ、新譜「Nostalgia」のレコーディングにはイタリアの地が選ばれた。おおらかにメロディを唄うオケの魅力を最大限に引き出しながら収録は進んだ。

 

9月7日
成田から16時間、やっとボローニャに到着。出発の前日に、京都・醍醐寺の「音舞台」コンサートから戻ったばかりという強行軍の上に、イタリアでは荷物が行方不明になる不運のおまけつき。

空港から40分ほどで目的地モデナに着く。リハーサルのDATを聴いた久石さんは、「おぉっ!イタリアだぁ!」と大感激。イメージ通りの音だったに違いない。日本人が海外のオーケストラ・レコーディングでイタリアを選ぶのは、おそらく稀なことだろう。

 

9月8日
レコーディング初日。収録するストロキホールはホテルから歩いて5分ほどのところにある。今日は東京の紀尾井ホールで録ったピアノにオケを合わせる形で録音していく。オーケストラはフェラーラという街の名前のついたフェラーラ・オーケストラで、指揮はイタリア人のレナート・セリオ氏。レコーディング・エンジニアにはドイツ人のステファン・フロック氏が加わった。「Nostalgia」と「Cinema Nostalgia」を録って1セッション目を終了。オケもしだいに調子を上げてはいるが、盛り上がりはいまひとつだ。2セッション目は「バビロンの丘」から「il porco rosso」へ。イタリアのエスプリあふれる仕上がりとなった。

 

9月9日
もう少しオーケストラをピアノで動かすという意味で、急きょ久石さんのピアノを同時録音することになる。連日のスコア書きと醍醐寺のコンサートで腕はかなり疲労している。その最悪な状況を知っているだけに心配ではあるが、止むを得ない状況だ。

まず「HANA-BI」から。ピアノがぐいぐいとオケをひっぱり、迫力が増していくのがわかる。次に映画「時雨の記」(今秋公開)のテーマ、「la pioggia」。オケもさらに充実した音を出してきて、雰囲気の高まりが感じられる。ここで午前のセッション終了。

午後から最後のセッションで「旅情」を録る。これは紀尾井ホールで録ってあったピアノに合わせてオケを録る。オケも慣れてきて順調に進行した。その後編集作業へ。

 

9月10日
午前中にイタリア各紙の新聞の取材を受ける。今回のレコーディングを多くの新聞が取り上げており、両手に抱えるほどの掲載記事を見せてもらった。日本での作業に入るため、早くも美しいモデナの街をあとにして帰国。

久石譲 Nostalgia レコーディング 2

(久石譲 PIANO STORIES ’98 Orchestra Night コンサート・パンフレットより)

 

レコーディング方式を、急きょピアノとの同時録音に切り替えた経緯は、同コンサート・パンフレットでのインタビューでも語られている。

Blog. 「久石譲 PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」 コンサート・パンフレットより

 

久石譲 Nostalgia レコーディング 1

 

Blog. 久石譲 「交響組曲 もののけ姫」 レコーディング日誌 (1998 コンサート・パンフレットより)

Posted on 2015/10/17

久石譲の過去のコンサートから。「PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」のコンサート・パンフレットにて特集された、「交響組曲 もののけ姫」のレコーディング日誌。

 

 

Making in Czech 「交響組曲 もののけ姫」

スラヴ色の強い音。
「もののけ姫」のメロディに合う、土の匂いのする音。
それを求めた「交響組曲 もののけ姫」のレコーディングで、
すでに100年を超える歴史と東欧独特の響きを持つ、
チェコ・フェルハーモニーとのセッションが実現した。

 

6月6日
昨日、20時間かけてプラハへ到着。今年は異常気象とのことで、6月というのに30度を超える暑さだ。今日は市民会館の中にあるスメタナホールでピアノのリハーサル。調律UPが予定より延びたため、有名な火薬塔に通じる部屋などを案内してもらう。

リハーサル後はレコーディング会場である「芸術家の家」内のドヴォルザークホールを下見。ホール内で手でたたいてみると、まっすぐな残響が続く。低音のにごりもなく、やわらかくて繊細な、実にきれいな響きだ。

 

6月7日
録音初日。前の仕事が押して指揮者のマリオ・クレメンス氏の到着が遅れたため、夜からのスタート。録音曲順の打合せ後、「レクイエム」から収録。チェコ・フィルのパターンとして、各セクションに1名ずつ補強メンバーが加わり、弦5部64名、木管12名、金管18名、打楽器4名、ハープ2名というとても厚い編成だ。緊張の中、1曲目をスムーズに録り終え、続いて「アシタカせっ記」。確かなテクニックと重厚な音質が東欧のイメージを醸し出す。指揮のマリオ氏も、久石さんの音楽を楽しんでいるようだ。スタッフ一同、満足のうちに初日終了。

 

6月8日
午前9:30よりセッションスタート。「TA・TA・RI・GAMI」から。事前に打合せていたチャンチキと〆太鼓(日本から持参)を、初めてにもかかわらず打楽器奏者が上手く演奏してくれた。セッションの雰囲気はしだいに盛り上がり、「シシ神の森」、休憩をはさんで「黄泉の世界」「旅立ち」と4曲を無事、録りおえた。それにしても、団員たちの譜読みの速さには驚かされる。当日セットされたばかりのパート譜で一度合わせを行い、二度目からリハーサルテイクになるが、非常に完成度の高い安定した演奏なので、最良のテイクがまとめられた。

 

6月9日
レコーディング最終日。「アシタカとサン」「もののけ姫」の収録で、久石さんのピアノとチェコ・フィルとのセッションが実現。美しいピアノの音とオーケストラとが一体となってホールいっぱいに響きわたり、最終日にふさわしい高揚感のうちにアルバム「交響組曲もののけ姫」のレコーディングを終了。

指揮者のマリオ氏、団員たちからスタンディングで拍手をおくられた。夜、世界一といわれるボヘミアのビールで乾杯。明日は日本でのマスタリング作業のため帰国する。

 

久石譲 スメタナホール

↑ スメタナホールでのピアノリハーサル

 

久石譲 ドヴォルザークホール

久石譲 交響組曲もののけ姫 レコーディング

(久石譲 PIANO STORIES ’98 Orchestra Night コンサート・パンフレットより)

 

 

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Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 46 ~ショスタコーヴィチ~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/10/15

クラシックプレミアム第46巻は、ショスタコーヴィチです。

 

【収録曲】
交響曲 第5番 ニ短調 作品47
ワレリー・ゲルギエフ指揮
マリインスキー劇場管弦楽団
録音/2002年 (ライヴ)

交響曲 第9番 変ホ長調 作品70
ベルナルト・ハイティンク指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1980年

 

 

久石譲のエッセイにいくまえに、こちらも毎号楽しみにしている読み物「西洋古典音楽史」(岡田暁生 筆)。今号はクラシック音楽における「即興演奏」がテーマだったのですが、とても興味深い内容が後半にあったのでご紹介します。

 

「今日において即興が廃れてしまった最大の原因は、おそらく近代の大作曲家たちによる演奏家への過剰干渉である。作曲家というのは隅から隅まで自分の思いどおりにならないと気が済まない人種である。しかもモーツァルトやショパンやリストがそうしたように、自分で作って自分で演奏するのではなく、19世紀後半以後は「専業作曲家」が増えてくる。作るだけで、自分では演奏しない(できない)作曲家たちである。演奏という最終的な完成形まで自分の責任でもっていくことができない、これはつらい。どれだけきちんと楽譜を上げても、最後は演奏家に託さないといけない。だがひょっとすると演奏家は自分の作品を無茶苦茶にしてしまうかもしれない…。」

「19世紀後半以後の作曲家の楽譜は、どんどん緻密になっていく。誤解の余地が生じないように、細かいニュアンスまですべて書き込もうとする。あれだけ細かく楽譜で指定されたら、即興することなど不可能だ。余計なことをせず、ひらすら楽譜どおりに弾くことを、近代の作曲家は強要する。演奏家嫌いでとりわけ名高かったのはストラヴィンスキーで、彼はイタリアの諺を引いて「通訳(トラディトーレ)はいつも裏切り者(トラドゥットーレ)だ」(翻訳に誤訳はつきものという意味)と言い、「自分にとって理想の演奏家は、オルゴールの蓋を開ける人だ」と主張した。演奏家など単なる再生機械(または機械にスイッチを入れる人)でいいということだ。実際彼は一時期、自分のすべての作品をピアノ編曲し、それを自分で自動ピアノに録音することを考えていた。」

「小説家や画家と同じような意味で「作品を仕上げる」ことは、作曲家にはできない。頭の中にどれだけ完璧な形が思い描かれていようとも、実際の演奏会ではどんなアクシデントが起きるかわからない。演奏を他人の手にゆだねるとあっては、なおのことである。それに万が一完璧な演奏を実現することができたとしても、それを常時再現することなどできようはずもない。つまり即興的/偶発的な要素をどれだけ排除したところで、絵画や文学のような意味での「完成形」としては、音楽作品は存在していない。例えばベートーヴェンの《第9》。フルトヴェングラーの録音もカラヤンの録音もバーンスタインの録音も、あるいは○月○日のどこそこでの演奏会もすべて、ユートピアとしての「完成形」になんとか辿り着こうとして夢破れた敗北の記録なのかもしれない。すべての芸術の中で最もはかなく、だからこそ最も美しいのが音楽だとすると、その理由の一つはこのあたりにある。」

(キーワードでたどる西洋古典音楽史 「即興演奏再考(上)」 より)

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第44回は、
ソナタ形式の中の第1主題と第2主題

前回は音楽形式について話が進みましたが、今回はより深く。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を例にあげて、具体的に解説されているのでわかりやくもありますが、いや、やはり難しい。

それでも「第1主題と第2主題」についてというお題のなか、久石譲が音楽分解するベートーヴェン交響曲第5番という見方も。指揮者:久石譲としての一面、さらには作曲家として指揮をするという久石譲の一面、いろんな思考や解釈が垣間見れたような気がします。

 

 

「ホモフォニー(ハーモニー)音楽を支えてきたのは機能和声とソナタ形式であると前回書いた。それをベートーヴェンの交響曲第5番《運命》を例に考えてみる。」

「全4楽章で約35分の長さを持つこの曲は、特に冒頭の4音からなる「ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン」が有名で、本人が弟子に「運営がこのように戸を叩くのだ」と語ったことから《運命》と呼ばれるようになったらしいが、本当のところは定かではない。ちなみに海外ではあくまで交響曲第5番であって《運命》と呼ぶことはまったくない。」

「第1楽章と第4楽章がソナタ形式なのだが、ここでは第1楽章で考えてみる。カルロス・クライバーの演奏が7分22秒、サイモン・ラトル7分29秒、カラヤン、アーノンクールが7分24秒なので、曲の長さとしてはそれほど長くはない。ただここで注目するのは、ふつう演奏時間は指揮者によってまちまちなのだが(1~2分違うケースもある)、この第1楽章はほとんど同じであること。それだけ緻密に作られているということだろう。だが、トスカニーニは6分15秒! これはどういう演奏なのか? 疾風怒濤の攻め技か!と思ったのだが、これは提示部を繰り返さなかったための時間だった。演奏もそれほど速くない。この提示部の繰り返し問題は後で説明する。」

「さて、ここでソナタ形式をもう一度おさらいすると全体は提示部と展開部、そして再現部の3部構成でできている。提示部では第1主題(テーマ)と第2主題があり、その関係は主調とその属調あるいは平行調である。あ~何だか面倒くさいが、大事なことだからわかりやすく説明すると、《運命》の正式名称は交響曲第5番ハ短調なのだが、このハ短調が基本のキー(主調)で、属調とはその5度上のト短調になる。だが、基本のキーが短調の場合、第2主題は平行調になる。この平行調は調号が同じもの(ハ長調とイ短調の関係)を指し、まあ夫婦のようなものである、仲がいいかどうかは別として(笑)、いやこれは冗談ではなく、その対比あるいは対立が大きなエネルギーになっている楽曲もあるからだ。」

「《運命》の場合、第2主題は変ホ長調で優しく始まるのだが、再現部では同主調のハ長調で演奏される。また長調の楽曲でも再現部では属調ではなく、同じ主調で演奏されるのがみそなのだが、聴いてわかるだろうか? 特に東洋人の感覚ではヘテロフォニーといって同じキーの音が微妙にズレるドローン(持続低音のようなもの)的なものがベースにあり、主調と属調の違いが、大きく世界を変えるように感じる西洋人のものとは異なる。絶対音感の問題もあるが、我々の聴き方としてはキーの違いだけではなく、第1主題と第2主題の性格の違いがドラマを生んでいくと思った方が自然である。」

「映画の場合、A、Bそれぞれの登場人物が性格も考え方も同じだったらドラマとしてまったく成立しない。つまり映画にならない。が、A、Bの考え方や性格が違うために軋轢が生じ、対立することによってそこにドラマが生まれる。その対立によって起こるさまざまなドラマが映画なのだ。」

「ソナタ形式の基本も同じで、対立によって生じるドラマ性にあると僕は思っている。《運命》ではこれ以上削れない究極の4音モティーフを核とした激しい第1主題と、うっとりするくらいに優しい気品に溢れた第2主題がドラマ性を生み、音楽史上最も重要な楽曲になったのだが、忘れてはならない事がある。それは作曲的観点から見てどこにも無駄のない完璧な楽曲なのだが、そのうえに誰にでもわかるわかりやすさがある事だ。作曲は論理的な机上のものだけではなく、人々の感性に訴えかける強さも必要だ。そしてその表現を可能にしたのが、機能和声であり、ソナタ形式なのである。極端にいうとこの第1主題と第2主題のそれぞれ数小節をしっかり作ってさえあれば、楽曲完成の道筋はできたといっても過言ではない。あとはソナタ形式のフォーマットに沿って作曲していく。展開部ではそれぞれの主題を変奏し、再現部では先ほどのキーに即して再現する。メインの楽章ができればあとはロンド形式なりスケルツォなり舞曲系の楽曲と歌謡形式の遅い楽章を配置すれば交響曲は完成する。もちろんそんなに簡単に作曲はできないが、このメインのフォーマットがあるからハイドンは生涯106曲もの交響曲を書き、モーツァルトは41曲の交響曲を書いた。ベートーヴェンは9曲と先人より少ないが、それは時代の表現が変わり、よりエモーショナルで巨大になったからである。ロマン派の時代の幕開けだ。」

「提示部の繰り返しについては次回書く事にするが、ふと思う。《運命》の第1主題と第2主題の関係は、ベートーヴェンが生涯求めた(実現しなかったが)夫婦の理想の関係を描いたのではないか?と。これも、また別の《運命》のドラマである。」

 

 

クラシック音楽は形式ばかり重んじていておもしろくない、これはとっつきにくい大きな理由でもあると思います。ただ具体的に譜面が読めなくても、作曲家の意図を読み取れなくても、どういった形式があって、この作品はどの形式で構成されているか。これを予備知識として知っておくだけでも、聴き方はだいぶ変わるかもなと思った今号のエッセイ内容でした。

クラッシック以外の近代音楽が文学的(表現力)だとすると、クラシック音楽は数学的(理論)ということになります。数式を突きつめること、理論を成立させて解答を導くことが美しい。そういえば理系の人に意外にもクラシック音楽好きが多いと聞いたことも。

そういった理論のなかにも、無表情で無機質ではなく、どこか惹きつけられる、感情を揺さぶる魅力があるからこそ、クラシック音楽にハマるとのめり込んでしまうのではないかと。

まあ専門的知識はないので、最終的には、何かわからないけど、何がすごいのかはわからないけど、この作品好きだな、という結論にしかならないのですが。

それでいいとも思うのです。だからこそいろいろな音楽に触れることが、耳を肥やし、解釈や感情を豊かなものにしていく。そして「あ、自分ってこういうの好きなんだな」と新しい発見ができることこそが一番のおもしろさだと思います。

人がなにかを好きになるのは、感情が先、理論が後。好きになった(感情)からこそ、より知りたい(情報/理論)という順番ですね。

 

クラシックプレミアム 44 ショスタコーヴィチ

 

Blog. 「久石譲 PIANO STORIES ’98 Piano Night」 コンサートパンフレットより

Posted on 2015/10/7

久石譲の過去のコンサートから
「PIANO STORIES ’98 Best Selection ~Piano Night」です。

1998年に開催されたピアノを主体とした全国ツアーです。オリジナル・ソロアルバムから、映画人気作品まで。久石譲のピアノによって、久石譲の美しいメロディーが、ヴァイオリン、チェロとのトリオによって、シンプルにそして優美に堪能できる、そんなコンサートでした。

そして全国13公演におよぶツアーとなっていて、編成がシンプルなことも功を奏し各地域の中規模ホールでも開催できた、そんな今となってはありがたいコンサートツアーでした。

 

 

PIANO STORIES ’98 Best Selection ~Piano Night

[公演期間]22 PIANO STORIES’98
1998/04/16 – 1998/06/03

[公演回数]
13公演
4/16 釧路・釧路市生涯学習センター
4/18 札幌・札幌市教育文化会館大ホール
4/24 静岡・長泉市文化センター ベルフォーレ
5/7 佐賀・佐賀市文化会館中ホール
5/8 福岡・ももちパレス
5/12 岡山・倉敷市芸文館
5/14 岐阜・瑞浪市総合文化センター
5/17 島根・松江市総合文化センタープラバホール
5/18 鳥取・米子市文化ホール
5/23 滋賀・滋賀県立草津文化芸術会館
5/28 三重・川越市あいあいホール
5/31 岩手・盛岡キャラホール(都南文化会館)
6/3 宮城・仙台青年文化センター

[編成]
ピアノ:久石譲
ヴァイオリン:キャサリン・キャッシュ
チェロ:諸岡由美子

[曲目]
Friends [Piano solo]
Angel Springs [Piano solo]
Rain Garden [Piano solo]
君だけを見ていた [Piano solo] (I only noticed you)
もののけ姫 [Piano & Violin]
アシタカせっ記 [Piano Trio]
Two of Us [Piano Trio]
Modern Strings [Piano Trio]

-休憩-

The Wind of Life [Piano solo]
Silencio de Parc Güell [Piano solo]
Asian Dream Song [Piano solo]
Fantasia for Nausicaä [Piano solo]
風のとおり道 [Piano & Cello]
HANA-BI [Piano Trio]
Kids Return [ Piano Trio]

—–アンコール—–
Tango X.T.C
アシタカとサン

 

【楽曲解説】 Program

Friends
トヨタ自動車「クラウンマジェスタ」のCMでおなじみのこの曲は、メロディアスなピアノの旋律の美しさが特に印象的で、コンサートでもたびたび取り上げられている。繊細なメロディラインを味わうことができる。
*アルバム『PIANO STORIES II』にも、ピアノ&ストリングスの編成で収録されているが、本日はコンサートバージョン(ピアノ・ソロ)で演奏される。

Angel Springs
こちらも長い間、サントリーウイスキー「山崎」のCMで親しまれてきた。どこかなつかしい郷愁のただようメロディが、寄り添うようにすっと心に響いてくる。
*『PIANO STORIES II』にピアノ&ストリングスの編成で収録されている。この曲もコンサートバージョンでの演奏。

Rain Garden
フランス印象派の作品を彷彿とさせるようなピアノ作品。”~ふと、ラヴェルが弾きたくなった。その響きが心に微かな波紋となって広がっていく。~”(「PIANO STORIES II)メモランダムより)
*『PIANO STORIES II』にピアノ・ソロで収録されている。

君だけを見ていた
ドラマ「大名は判ってくれない」(1992年)のオープニング・テーマ曲。コンサートでもたびたびピアノ・ソロで取り上げられるナンバー。ドラマティクで、たたみかけるようなメロディ・ラインが印象に残る。
*コンサートでのみ聴くことができる。

もののけ姫
主題歌「もののけ姫」は、カウンターテナー米良美一の澄んだ歌声で幅広く親しまれている。作詞は宮崎駿監督自身によるもの。コンサートではピアノとストリングスが、ヴォーカルとは違った雰囲気の魅力を存分に歌う。
*『もののけ姫 サウンドトラック』にインストゥルメンタルとヴォーカルの2バージョンを収録。シングル『もののけ姫』(唄/米良美一)もリリースされている。

アシタカせっ記
宮崎駿監督との作品から、昨年記録的な大ヒットとなった話題作「もののけ姫」より。この曲は映画の冒頭に流れるメインテーマで、力強く広大なスケール感と深いメロディ・ラインが圧倒的な迫力で聴き手に迫ってくる。
*オーケストラ・レコーディングされた『もののけ姫 サウンドトラック』に収録されている。

Two of Us
思わず口ずさみたくなるような、甘く切ないメロディ。ピアノと弦の音色がからみ合い、溶け合って、しだいにテンションを上げていく。映画「ふたり」(大林宣彦監督作品)でそのメロディを聴かせた。
*ピアノ&ストリングスの原曲は『My Lost City』に収録、また『WORKS・I』ではシンフォニック・サウンドで味わうことができる。

Modern Strings
クールなメロディとストリングスの裏アップ・ビートのカッティングな小気味よい1曲。”フランス映画のような”ニュアンスを出した原曲が、大人のムードをかもしだしている。
*『I am』ではサックスがブルージーな気だるさを演出していて、まさにその”フランス映画のような”雰囲気が楽しめる。

The Wind of Life
”~生命の風、人の一生を一塵の風に託す。陽はまた昇り、やがて沈む。花は咲き、そして散る。風のように生きたいと思った”(『PIANO STORIES II』メモランダムより)。そのタイトルの通り、風のようにさわやかなピアノ曲。
*『PIANO STORIES II』にピアノ・ソロの演奏が収録されている。

Silencio de Parc Güell
この曲のタイトル、シレンシオ・デ・パーク・グェールの”パーク・グェール”は、スペインのバルセロナにあるアントニオ・ガウディ作による公園のこと。シューベルトを思わせるような、さわやかさと優しさを合わせもったピアノ・ソロ作品。
*『I am』に収録。

Asian Dream Song
3月に開催された長野パラリンピック冬季競技大会の大会テーマ曲。コンサートでも1昨年から取り上げてきたが今回はピアノ・ソロで演奏される。
*『PIANO STORIES II』にピアノ&ストリングスで収録。ヴォーカル・バージョンはシングル『旅立ちの時~Asian Dream Song』(作詞/ドリアン助川 唄/宮沢和史)と『HOPE NAGANO PARALYMPICS 1998 TRIBUTE』に収録されている。

Fantasia
多くのファンのフェイバリットとなっている「風の谷のナウシカ」(宮崎駿監督作品)のメロディを、作曲者自身のピアノがクラシカルに綴る。どことなく懐かしさの漂う1曲。
*『Piano Stories』に収録されている。

風のとおり道
宮崎駿監督作品「となりのトトロ」より、映画の中でも重要な場面でたびたび流れていた代表的な作品を1曲。”小さな村、大きな楡の木、森の風景-”そんな情景を、物語を語るようにピアノの演奏で。
*ピアノ・ソロは『Piano Stories』に収録(タイトルは「The Wind Forest」)のほか、オリジナルは『となりのトトロ サウンドトラック』に収録されている。

HANA-BI
北野武監督「HANA-BI」のメイン・テーマ。昨年、ベネチア国際映画祭でグランプリ(金獅子賞)を受賞、一躍世界にそのメロディを聴かせた。アコースティック・サウンドが、欧米のジャーナリストが称する”キタノ・ブルー”をより一層鮮やかなものにしている。
*『HANA-BI サウンドトラック』に収録。

Kids Return
リズムの切れのよさと、わきあがるようなドライブ感が心地よい、人気ナンバー。これまでコンサートでもたびたび演奏され、好評を得ている。
*『Kids Return サウンドトラック』にオリジナルが、『PIANO STORIES II』にはピアノ&ストリングスの編成による演奏が、収録されている。

(【楽曲解説】 ~コンサート・パンフレットより)

 

 

この季節にもぴったりな楽曲たちが並んでいます。時代的にコンサート映像が残っていないのがすごく残念な、今となってはとても伝説的な希少なプログラムと編成です。

DVD『a Wish to the Moon -Joe Hisaishi & 9 cellos 2003 ETUDE&ENCORE TOUR-』

このあたりでも同じ楽曲が登場していますので、アコースティックな雰囲気ふくめ楽しめると思います。

 

久石譲 98 コンサート 2

 

Blog. 「Music Voice」久石譲 ミュージック・フューチャー Vol.2 記事内容

Posted on 2015/10/1

9月28日、Web「Music Voice」に掲載された記事です。

9月24,25日に開催された「久石譲 プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.2」のコンサート・レポートとして各楽曲の詳細が写真付きで紹介されています。

貴重な記録です。

 

 

久石譲、ミュージック・フューチャー・コンサート開催
現代の音楽を奏でる

音楽家・久石譲が主宰する『ミュージック・フューチャー Vol.2』コンサートが9月24日・25日に、東京・よみうり大手町ホールにて開催された。

これは『未来につながる音楽を紹介する場』として昨年からスタートしたコンサート・シリーズ。前回は東欧系のミニマル・ミュージックやポストクラシカル系で構成されていたが、今年はアメリカ系でプログラムした。

難しい音楽ジャンルと思われがちだが、先入観なしで純粋に現代の音楽を楽しんで貰おうと始めたもの。冒頭、ステージに立った久石はこの日の演奏曲をわかりやすく解説し、「理屈はどうでもいいです。聴いて面白かったとか、興奮したとか。みなさんがそれぞれが感じて貰って聴いて欲しい。寝ない程度にね(笑)」と緊張気味の客席を和ませる。

 

久石譲 ミュージク・フューチャー Vol2. 掲載1

 

1曲目はミニマル・ミュージックの古典的作品でスティーヴ・ライヒの「エイト・ラインズ」。2台のピアノがリズム楽器となり、禅の修行僧のように淡々とストイックにビートを刻む。その上を弦楽器と管楽器がかくれんぼしてるように、消えたり出てきたりと変化自在に飛び回る。むず痒いような、くすぐったいような、それでいて心地よい不思議な感覚を体感。

2曲目は3つの楽章で構成されるジョン・アダムズの「室内交響曲」。隣の部屋で息子がカートゥーン・アニメを見ている時に作曲したそうで、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさが詰まった曲だ。

第1楽章「雑種のアリア」は、各楽器が好き勝手な音を奏で賑々しく始まる。その間を縫うようにパーカッションが様々な音を喧しく立てて大活躍。まさに子供部屋にいるような感覚だ。

第2楽章「バスの歩行を伴うアリア」はタイトル通り、バスーンとコントラバスが忙しく動き回る。なんだか秘密の地下室に迷い込んだ時の、怖いけど先に進んでみたい。そんな感じを思い起こさせてくれる曲だ。

第3楽章「ロードランナー」は、運動会に参加してるかのような楽しげな楽曲。各楽器が勝手気ままに演奏するも、ポイントにパーカッションが入りキリリと締め、気がついたら高揚感が高まってくる。タクトを振る久石もリズミカルで実に楽しそう。ここまでが第1部。いずれの曲も次に何が飛び出して来るかのドキドキやワクワクの連続で、実にスリリングだ。

インターミッション明けの第2部はポストクラシカルの若手作曲家、ブライス・デスナーの「Aheym」。デスナーはNYブルックリンのロックバンド、The Nationalのギタリストとしても活動する異色の経歴で、やはりポップ・フィールドでも活動する久石とは立ち位置が近い。ここでは弦楽四重奏で演奏。弦楽器4つで演奏するという制約があるだけで、時にはチェロがリズム楽器になったりと自由自在に飛び回る。

 

久石譲 ミュージク・フューチャー Vol2. 掲載2

 

続いては久石譲の「Single Track Music1」。8月にリリースされた『ミニマリズム2』に収録された楽曲で、サックス四重奏と打楽器で演奏を担う。終始、単音のユニゾンで構成され、少しづつズレていくのが聴いてて心地よい。

ここで久石は再び指揮に立ち、最後の「室内交響曲」にのぞむ。本コンサートの為に書き下ろされた新曲で、まだ世界でも稀な6弦のエレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーした全3楽章から成る大作だ。

昨年のこのコンサートで、ニコ・ミューリーの「Seeing is Believing」を演奏するために、この珍しいヴァイオリンを購入。『せっかく買ったので、(この楽器使って)なんか曲を書かなきゃ』という動機で作曲したそう。ステージにはクラシック系ホールでは珍しいギターアンプが置かれている。昨年の公演ではラインを通じてPAから音を出していたが、コンサートマスターでもあり奏者の西江辰郎は、今年はエレクトリック・ヴァイオリンを直接アンプに繋ぐ手法に打って出た。

 

久石譲 ミュージク・フューチャー Vol2. 掲載3

 

第1楽章は、ディストーション(ひずみ)をたっぷり利かせたエレクトリック・ヴァイオリンがホール内に高らかと響き渡るド派手なオープニングで幕を開けた。かつてウッドストックでジミ・ヘンドリックスが弾いた「星条旗よ永遠なれ」に匹敵する程の衝撃が客席を走る。

第2楽章ではステージからは女性コーラスのような、あり得ない音がきこえてくる。これはブラス隊の3人がマウスピースを直接口にくわえて作り出した仰天の奏法。こんな茶目っ気たっぷりの悪戯を仕掛けるところが、いかにも久石らしい。

第3楽章では金管、木管、パーカッションにピアノの音が一斉に花開いたように宙を飛び交い、うなりを上げて客席に突き刺さる。プレイヤーひとりひとりの技と技がぶつかり合いながら爆ぜる、凄まじささえ感じさせる演奏。混沌の美学、ここに極まれり。そして再び、エレクトリック・ヴァイオリンが顔を出しエコーマシンを駆使したトリッキーなプレイまでもを披露し、ザラザラとした硬質のディストーション・サウンドで締めた。

 

久石譲 ミュージク・フューチャー Vol2. 掲載5

 

実に攻撃的で緊張感を強いられる曲でありながら、聴いた(もしくは体感)後に残るのは興奮と爽快感。オーディエンスも、ただただ圧倒され万雷の拍手で応える。クラシック系の楽器でこそ編成されてはいるが、これはもはやプログレッシブ・ロック。久石譲が主宰するミュージック・フューチャー・コンサートは羊の皮を被ったオオカミだ。果たして、来年は何を仕掛けてくるか―。

 

 

■セットリスト

▽第1部
スティーヴ・ライヒ「エイト・ラインズ(1983)」
ジョン・アダムズ「室内交響曲(1982)」
ブライス・デスナー「Aheym(2009)」(日本初演)

▽第2部
久石譲「Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion」(世界初演)
久石譲「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」(世界初演)

▽出演
久石譲(指揮)、西江辰郎(Future Orchestra コンサートマスター)、崎谷直人(弦楽四重奏)ほか

 

久石譲 ミュージク・フューチャー Vol2. 掲載4

(Music Voice より)

公式サイト:Music Voice 久石譲 ミュージック・フューチャー

 

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Blog. 「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.2」 コンサート・レポート

Posted on 2015/9/30

9月24,25日に開催された「久石譲 プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.2」。2014年久石譲によって新しく企画された「ミュージック・フューチャー」シリーズは年1回開催、今年で2回目となります。「ミュージック・フューチャー」とは?どういうコンセプトと想いによってスタートしたのか?

まずは公式コンサートパンフレットより。

 

 

久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー
Joe Hisaishi Presents  Music Future

国立音楽大学在学中よりミニマル・ミュージックに興味を持ち、現代音楽作曲家として活動を開始した久石譲は、今から30年以上前、自ら演奏会を企画し、当時最先端のミニマル・ミュージックを積極的に演奏・紹介していた。『風の谷のナウシカ』以降、彼が映像音楽を中心とする音楽に活動の軸足を置くようになっても、自身のルーツであるミニマル・ミュージックの作曲を継続してきた経緯は、多くのファンの知るところである。さらに、近年指揮者としても本格的な活動を開始すると、久石は作曲家出身の指揮者という立場から、現代に書かれた優れた音楽を紹介していきたいと強く願うようになった。そんな彼が現代屈指のミニマリストという視点で最先端の音楽を自らセレクト・紹介すべく始めたコンサートシリーズが「Music Future」である。

本シリーズの開始に際して決められた大まかな指針は、次の通りである。まず”未来に伝えたい古典”というべき、評価の定まった重要作を紹介すること。併せて、久石より若い世代に属する注目の作曲家を必ず紹介すること。一人よがりの難解な語法で書かれた音楽ではなく、基本的に調性システムも組み込んで書かれた聴衆と高いコミュニケーション能力を持つ音楽──具体的には親しみやすいメロディーやハーモニーで書かれ、クラシックならではの美しいアコースティックな響きを持ちながら、シンプルで力強く、聴く者の心にダイレクトに訴えかけるミニマル・ミュージックのような作品──を紹介すること。欧米で高い評価を受けながら、まだ日本で初演されていない作品/作曲家を紹介すること。久石の新作を世界初演、または演奏すること。

 

2014.9.29 Yomiuri Otemachi Hall
Music Future Vol.1

このようなコンセプトに基いて昨年開催された「Vol.1」は、久石の新作《弦楽四重奏曲第1番》と《Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas》の世界初演を中心に据えながら、彼がかねてから強いシンパシーを寄せている作曲家、欧米では”ホーリー・ミニマリズム(聖なるミニマリズム)”と呼ばれている東欧の作曲家2人がフィーチャーされた。ポーランド出身のヘンリク・グレツキ作曲《あるポーランド女性(ポルカ)のための小レクイエム》(久石は指揮のほか、ピアノパートも一部担当)と、エストニア出身のアルヴォ・ペルト作曲《スンマ~弦楽四重奏のための》及び《鏡の中の鏡~チェロとピアノのための》(ピアノパートは久石)である。さらに久石が注目する若手作曲家として、アメリカ人ニコ・ミューリーの作品から、珍しい6弦エレクトリック・ヴァイオリンを独奏に用いた《Seeing Is Believing》が久石の指揮で日本初演された。ビョークとのコラボレーションからメトロポリタン・オペラの委嘱オペラまで幅広い活動をみせているミューリーの管弦楽曲を日本で初紹介したこと、さらに6弦エレクトリック・ヴァイオリンを用いたクラシック作品を日本で初演奏したこと、という点からも「Vol.1」がもたらした成果は極めて大きかったと言えるだろう。

前回の「Vol.1」が”ヨーロッパ(東欧)”に焦点を当てていたとするならば、今回開催との「Vol.2」では”アメリカ”が中心的テーマを担っている。”アメリカン・ミニマル・ミュージック”と呼ばれるミニマリスト第1世代の作曲家の中で、日本でも特に人気の高いスティーヴ・ライヒの代表作《エイト・ラインズ》(邦人プロ演奏家による日本初の演奏)。第1世代に直接影響を受けた”ポスト・ミニマリズム”の作曲家で、久石同様指揮者としても活動しているジョン・アダムズの《室内交響曲》。そして、彼らの影響を受けた”ポストクラシカル”の注目株にして、インディーズ・バンド「ザ・ナショナル」のギタリストとしても知られるブライス・デスナーの弦楽四重奏曲《Aheym》(日本初演)。これら3曲の演奏によって、ミニマリスト第1世代から最先端の”ポストクラシカル”へと続く、ミニマルを中心としたアメリカ音楽過去30年の軌跡を明快に辿ることが出来るだろう。

そして「Vol.2」の目玉となる久石の世界初演作品は、《Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion》と《室内交響曲 for Electric Violin and Camber Orchestra》の2曲を予定。前者は久石が今後展開していくミニマル・ミュージックの方法論を具体的に示した最重要作、そして後者は上述の《Seeing In Believing》の6弦エレクトリック・ヴァイオリンに刺激を受けた久石が、初めてこの楽器の作曲に挑戦した野心作である(同楽器のためにクラシック作品を書いた作曲家は現時点でミューリーのほか、ジョン・アダムズやテリー・ライリーなど、ごくわずかしか存在しない)。

ここ30年の音楽シーンにおいて、なぜミニマル・ミュージックが広く受け入れられるようになったのか。そして、なぜ久石の音楽が日本にとどまらず、を世界中で受け入れられるようになったのか。前回同様、今回も”音楽の未来”を鮮やかに示してくれるであろう「Music Future Vol.2」に中に、必ずやその答えを見つけ出すことが出来るはずだ。

文:前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)

(コンサート・パンフレットより)

 

 

いつもの久石譲、とりわけ映画音楽やジブリ作品での久石譲とは、まったく趣向の異なるコンサート企画です。

 

 

久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.2

[公演期間]  久石譲 ミュージックフューチャー Vol.2
2015/09/24,25

[公演回数]
2公演
東京・よみうり大手町ホール

[編成]
指揮:久石譲
ヴァイオリン:西江辰郎(Future Orchestraコンサートマスター)
管弦楽:Future Orchestra 他

[曲目]
スティーヴ・ライヒ:エイト・ラインズ
ジョン・アダムズ:室内交響曲
I. Mongrel Airs
II. Aria with Walking Bass
III. Roadrunner

—-intermission—-

ブライス・デスナー:Aheym *日本初演
久石譲:Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion *世界初演
久石譲:室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra *世界初演
I. Mov.1
II. Mov.2
III. Mov.3

 

 

さて、個人的な感想はひとまず置いておいて、他作品も多い本公演の楽曲解説をコンサート・パンフレットより紐解いていきます。

 

 

【楽曲解説】

スティーヴ・ライヒ:エイト・ラインズ

[作曲者によるノート]
《エイト・ラインズ》は5つのセクションからなり、類似関係にある第1セクションと第3セクションではピアノ、チェロ、ヴィオラ、バス・クラリネットが動きまわるような音形を演奏する。これに対し、やはり類似関係にある第2セクションと第4セクションでは、チェロがロングトーンを保ちながら演奏する。最後の第5セクションは、全ての音素材が結合する。セクションからセクションへの移行は、互いにオーバーラップしながら可能な限りスムーズに行われる。従って、前のセクションがいつ終わり、次のセクションがいつ始まったのか、正確に聴き分けるのは困難である。第1、3、5セクションでは、フルートとピッコロ(またはそのどちらか)にやや長い旋律線が登場する。より短いパターンが撚られて生まれる、そうした長い旋律線に対する関心は、私の初期の作品や、1976年から77年にかけて研究したヘブライ語聖書の朗唱(詠唱)に源流がある。 -スティーヴ・ライヒ

 

ジョン・アダムズ:室内交響曲

[作曲者によるノート]
15の楽器を用いた演奏時間22分の《室内交響曲》は、同名の先行作品、すなわちシェーンベルクの作品9と疑わしい類似性がある。私の作品ではシンセサイザー、パーカッション(トラップ・セット)、トランペット、トロンボーンが含まれるが、楽器編成はほぼシェーンベルクに従っている。しかしながら、シェーンベルクの曲が中断されない単一構造で演奏されるのに対し、私の曲は第1楽章《雑種のアリア Mongrel Airs》、第2楽章《バスの歩行を伴うアリア Aria with Walking Bass》、第3楽章《ロードランナー Roadrunner》と、3つの独立した楽章に分かれている。それぞれ楽章名は、音楽の大まかな雰囲気を表している。

私は長きにわたり、巨大なエネルギーを表現するため、大キャンバスの上の極太の絵筆で描くような音楽を作曲してきた。それは交響曲だったりオペラだったり、あるいは《フリジアン・ゲート》《シェイカー・ループス》《グランド・ピアノラ・ミュージック》のような小規模の作品であっても、基本的にはソノリティの集積が生み出す力強い音響を追求してきた。それに対し、本質的にポリフォニックで、各楽章を平等に扱わなくてはいけない室内楽の作曲は苦手だった。しかし、シェーンベルクの作品がきっかけとなり、交響作品の重量感が室内楽特有の透明感や敏捷性と結びつき得るような、作曲フォーマットの可能性がひらけた。また、アメリカのカートゥーン音楽の伝統も、ここぞとばかりに技巧を駆使するポリフォニー音楽の新たなモデルを示していた。演奏家として私が親しんできた、20世紀前半の作品にもヒントがあった。例えばミヨーの《世界の創造》、ストラヴィンスキーの《八重奏曲》と《兵士の物語》、そして知名度は低いが『レンとスティンピー』を約60年も先取りしたような、ヒンデミットの素晴らしい木管五重奏曲《小さな室内音楽》などである。

私の《室内交響曲》はユーモアに溢れた曲にも関わらず、驚くべきことに演奏困難だということが判明した。基本的に全音階で作曲した《フリジアン・ゲート》や《グランド・ピアノラ・ミュージック》と異なり、《クリングホファーの死》以後の語法で書かれたと言える本作は、直線的で、半音階を用いた音楽である。各楽器は、トラップ・セットの容赦ないクリック音と頻繁に向き合いながら、途方もなく至難なパッセージと驚くほど速いテンポを切り抜けなければならない。だが、そこにこの作品のひねくれた魅力が存在すると思う(第1楽章のタイトルは当初「しつけとおしおき Discipliner et Punire」だったが、私の音楽を「育ちが悪い」を批判したイギリス人批評家に敬意を表し、「雑種のアリア」に変えた)。 -ジョン・アダムズ

 

ブライス・デスナー:Aheym

[作曲者によるノート]
「Aheym」とはイディッシュ語で「家路に向かって」を意味するが、この作品は”逃亡”や”移住”といった概念を音楽で表現した曲である。子供の頃、私はきょうだいと共に祖母のもとで過ごし、祖母がアメリカに渡ってきた経緯を詳しく訊いた(父の家族はポーランド/ロシアから渡ったユダヤ系移民だった)。祖母はごく断片的にしか語ってくれなかったが、その言葉は私たち家族みんなの思い出となり、やがては私たち自身の文化的アイデンティティとなって、過去と結びついていった。ニューヨーク・バーナード大学教授でワルシャワ・ゲットーの数すくない生き残りのひとりでもある、イディッシュ系アメリカ詩人イリナ・クレフィシュIrena Klepfiszは、「家路への旅 Di rayze aheym」という詩の中で、「異邦人に中に、彼女の故郷がある。まさにここが、彼女の生きるべき場所。彼女の記憶は、やがて記念碑になる」と書いている。《Aheym》は私の祖母サラー・デスナー(Sarah Dessner)に捧げられた。 -ブライス・デスナー

 

久石譲
Single Track Music 1  for 4 Saxophones and Percussion

原曲は、毎年ウィンド・アンサンブルの新作を委嘱初演する浜松市の音楽イベント「バンド維新」のために書かれた吹奏楽曲(2015年2月22日アクトシティ浜松にて初演)。久石自身の解説によれば、単音から24音まで増殖するフレーズがユニゾンで演奏され、その中のある音が高音や低音に配置されることで別のフレーズが浮かび上がってくるという、シンプルな構造で作られている。アメリカン・ミニマル・ミュージックの作曲家たち、特にスティーヴ・ライヒはミニマル特有のズレ(とそこから生まれる変化のプロセス)を生み出すため、バッハ以来おなじみのポリフォニック(多声音楽的)な書法、具体的にはカノンのような手法で声部を重ね合わせる実験を試みた。だが、久石は本作においてそうしたポリフォニックな手法に頼らず、あくまでも単旋律のユニゾンにこだわりながらズレを生み出す試みにチャレンジしている。つまり”複線”を走るのではなく、ひたすら”単線”を走り続けるわけだ。鉄道の”単線”を意味する「Single Track」という曲名はそこに由来しているが、その際、フレーズ内の音が高音や低音に配置されることで生まれる別のフレーズは、車窓から見えるビルの窓ガラスや川の水面に映る自分の反射した姿(の変形)と考えると、分かりやすいかもしれない。

今回世界初演されるサックス四重奏&打楽器版において、パーカッショニストがヴィブラフォンを演奏するセクションから中間部となるが、久石自身の解説によれば、そこに聴かれる和音らしき響きはあくまでもフレーズの持続音(サステイン)が伸びた結果生まれたものであって、決して意図したものではないという。喩えて言うならば、山間部を走る列車の走行音や警笛がこだまし、それが偶発的なハーモニーを生み出すようなものである。ユニゾンのフレーズの音が時間軸上でズラされることで生まれるさまざまな音風景は──久石は本作を鉄道の標題音楽として書いているわけではないが──車窓から見える多種多様な光景が自分の中のさまざまな記憶を呼び起こしていく、そんな自由連想的な聴き方をリスナーに許容している。最初のユニゾンのフレーズが、民謡のようにもジャズのようにも、あるいはわらべ唄のようにも聴こえてくる面白さ。そういう面白さを実現するためには、最初のフレーズが思わず口ずさみたくなるような親しみやすさを持ちながら、同時に高度な可塑性に耐えうる可能性を潜在的に秘めていなけれなならない。こういうフレーズは、ポップスフィールドで感性を徹底的に鍛え上げられた、久石のような作曲家でなければ絶対に書けないフレーズだと思う。そういう意味で本作は、現代音楽作曲家としての久石のスタンスをこれまでになく明瞭に示した楽曲と言えるだろう。 -前島秀国

 

久石譲
室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra

作曲者本人が当日解説予定。

(【楽曲解説】 ~コンサート・パンフレットより)

 

 

ここからは実際に演奏会を体感しての内容になります。

 

久石譲MC

コンサート冒頭に久石譲による挨拶と本コンサートに関するMCがありました。マイクを持ったのはこの1回のみ、伝えたい大切なことはここですべて語られています。演奏プログラムの各楽曲の解説がメインとなっています。楽曲解説は重複しますので割愛しますが、久石譲の言葉でわかりやすく語られ、その都度リアクションを起こす聴衆とのやりとりが印象的でした。

そしてコンサート・パンフレットには掲載されていなかった久石譲新作「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」について解説がありました。

要点としては、

「エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのためのコンチェルト(協奏曲)だが、古典クラシック音楽にも「スペイン交響曲」(ラルゴ作曲)のように実質にはヴァイオリン・コンチェルトとなっている作品もある。」

「昨年Vol.1の演奏曲のために日本にはない6弦エレクトリック・ヴァイオリンを購入した。他者の作品を演奏するために買って、自分の曲を書かないのもないんじゃないかと思い新たに書き下ろすことにした。エレクトリック・ヴァイオリンの音は完全にアメリカン。そしてサクソフォンなどフィーチャーしたのもあり全体がすごくアメリカンに仕上がった。今年はアメリカ音楽を取り上げ、自分のなかのアメリカも確認する。そんなコンサートになったのではないか。」

「新しい体験をしていただく。今までに聴いたことがない音楽を聴いた。そこにあるのはおもしろかったかおもしろくなかったか、新しい体験ができたかできなかったか。ぜひ皆さんにこのコンサートがこれから新しい体験になっていただけるとありがたい。」

 

スティーヴ・ライヒ:エイト・ラインズ

まさかこの楽曲が日本のコンサートで生で聴けるとは、と感慨深い人も多いのではないでしょうか。さらにはミニマル作曲家であるライヒ × 久石譲という楽曲をつないでの夢のコラボレーション。オリジナル版に忠実な演奏になっていて、約18分に及ぶミニマル音空間を飽きさせることなく、ノンストップでリズムを刻んでいきます。これぞコンサートの醍醐味である視覚的に演奏を体感できることもあって、目で耳で味わうことができる、楽器や旋律が入り乱れ微細にズレていく音の変化、この楽曲ならではの堪能です。オリジナル版CDも多数リリースされています。

 

ジョン・アダムズ:室内交響曲

本当におもちゃ箱をひっくり返したような、どこから音が飛び出てくるか、どんなフレーズが突然鳴りだすかわからない、そんな不思議な作品です。原曲のオリジナル版も予習して臨みましたが、やはり聴くだけよりは鳴っている楽器を見て楽しめる作品です。視覚的に今鳴っている楽器を追えるだけでなく、この楽器からこんな音を響かせていたんだと新たに気づけるところもあります。聴くだけでは掴みどころがないような印象も、何かわからないけどおもしろいねという感覚へと変化します。ヴァイオリンやヴィオラは時に身を乗り出すようにリズミカルに演奏し、木管楽器は奏者たちが複数楽器をパートごとに使い分け。好奇心旺盛で気が散漫な子供心のようにいろんな音色が飛び交います。ジョン・アダムズが指揮したものも含め数バージョンがCDとしてリリースされています。

 

ブライス・デスナー:Aheym

久石譲も「この楽曲はロックだ」と語っていたとおり、イントロから凄まじい弦楽四重奏のパッセージです。オリジナル版(輸入盤CD)よりはややテンポが遅めだったかもしれません。その分、細部のフレーズや息のあったかけ合い、さまざまな表情や演奏技法による弦の響きを堪能できた楽曲です。4本の弦楽器すべてが主役と言ってもいいくらい、主旋律、対旋律、ハーモニー、リズムが、それぞれに交錯して突き進みます。原曲は若干エコーがかかっていますが(ホール録音か音編集のため)、本コンサートではよりアコースティックにシャープに音が削がれていて、4本の弦パートがそれぞれくっきりと浮かび上がっているのが印象的でした。約10分間糸を張りつめたような緊張感で圧巻のセッション。ロック・ミュージシャンでもある作曲家が、世界的有名な弦楽四重奏団クロノス・カルテットが委嘱した作品です。

 

久石譲
Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion

最新アルバム「ミニマリズム2」に収録されています。単旋律のユニゾンにこだわった斬新な楽曲ですが、こちらもCDで聴くだけではわからない、生演奏ならではのおもしろさと発見があります。

 

久石譲
室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra

本公演の目玉と言ってもいい、久石譲新作にして本邦初公開の世界初演作品です。本コンサートのために書き下ろされた室内交響曲。6弦エレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーし、全3楽章(約30分)で構成された作品。6弦エレクトリック・ヴァイオリンのための作品ですから、そこをどのようにフィーチャーして全体を構成した作品となっているのか。また久石譲が語った”アメリカな仕上がり”とは。

第1楽章の冒頭から衝撃が走ります。まさにエレクトリック(電子的)な響き。これがヴァイオリンの音か、これがヴァイオリンの演奏か、と目を見張る耳を疑います。ペダル式エフェクター/フットコントローラーを駆使して、音を歪ませるディストーションを利かせたり、それはまさにロックのよう。さらにはルーパーと言われる、今演奏したプレイをその場でループ演奏させる機能も使い、ループさせたフレーズに新しい旋律を重ねていくという技法も。音だけを耳にしたらエレキギターじゃないかと思うくらいですが、そこはエレクトリック・ヴァイオリン。ひずませた音色のなかにもヴァイオリンならではの艶やかさがあるから不思議です。尖った音色のなかにも心地よさをかねそなえた響き。奏者のすぐ後ろに置かれたギターアンプから響く硬質なヴァイオリンとアコーステックな管弦楽の音色とが、違和感なく絡みあう一体感を演出するから不思議です。

なかなか耳に残りやすい親しみやすい旋律やモチーフがある作品ではありませんが、そこは調性とリズムを重んじるだけあって、魅惑的な世界へと惹き込まれます。途中、管楽器奏者たちが、楽器からマウスピースだけを外し、口にくわえて吹くというおもしろい一面も。歌っているのか吹いているのか、声なのか音なのか、そんな演出もありました。

第3楽章ではリズム動機も際立っていて、例えば初期作品の「MKWAJU」収録楽曲たちを思わせるような、音が1つずつ増えていく減っていく、1音ずつズレていくというミニマル的要素もふんだんに盛り込まれ、クライマックスへと盛り上がっていきます。

たとえば「DA・MA・SHI・絵」や「MKWAJU」という楽曲は、全体がリズムによって構成されている”動”なのですが、「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」で新たに魅せた久石譲のミニマル的手法は、”動”だけで突き進むのではなく、”静”パートもあり、緩急とメリハリがそこに生まれます。そのためより一層”動”パート(ミニマルなリズム動機)が浮き彫りになってくる、そんな新しい境地を開拓した作品ではないかと思います。

奏者の西江辰郎さんは、エレクトリック・ヴァイオリンを手(弦/弓)で足(フットコントローラー/エフェクター)で操るというとても難易度の高い演奏を完璧に披露されていました。エレクトリック・ヴァイオリンという独奏楽器を主役にすえた実験的要素の強い斬新な野心作です。

 

以上が各楽曲ごとの補足と感想になります。

総評するならば、とにかくアンサンブルのレベルの高さにただただ感動です。本コンサートのために編成されているFuture Orchestraをはじめ総勢29名の奏者。特筆すべきは、楽曲によって奏者が違うということです。

つまりは大編成のライヒ、アダムズ、久石譲新作はFuture Orchestraで、弦楽四重奏およびサックス四重奏はそのための編成と奏者です。それぞれの楽曲に対してほぼ1曲入魂に近いという、なんとも贅沢な編成になっているわけです。

オーケストラとは異なる、アンサンブルならではの緊張感もあり、音の細部、絶妙なかけあい、演奏技法と響きの余韻まで。観客のみなさんもおそらくそれを楽しむために来たんだと言わんばかりに、楽曲ごとに拍手が鳴り止まない、大人な至福の空間です。

 

 

久石譲プレゼンツということで、久石譲の登場シーンは、
冒頭MC
エイト・ラインズ(ライヒ) 指揮
室内交響曲(アダムズ) 指揮
室内交響曲(久石譲) 指揮

(弦楽四重奏では指揮者は立ちません)

 

 

久石譲のコンサートに行ったことがないならば、やはり久石譲音楽が堪能できるプログラムがいいでしょう。ジブリ音楽やCM音楽で久石譲を好きになり、それらが聴けないなら久石譲のコンサート行かない!と、食わず嫌いせず、今企画のようなコンサートにも触れることは大切だなと痛感。

本当に新しい体験ができます。久石譲の作品ではないけれど、久石譲が選んだ作品たちです。そこにはやはり何かつながりや見えないところで音で結ばれています。こんな音楽もあるんだ、こんな楽器や演奏方法、響きがあるんだ、きっと一聴の価値はあります。

そしてそんな音楽体験があればこそ、耳なじみのある久石譲音楽にも変化があらわれます。相乗効果となって、新しい久石譲音楽の聴こえ方がしてくるかもしれません。ぜひ来年以降も継続開催してほしいシリーズです。

”久石譲が今最もこだわっている音楽”がひっくるめて堪能できるそれがミュージック・フューチャーです。

 

 

最新のWebインタビューでも久石譲本人は語っています。

「今、僕が作っているのは、何か新しい体験をするための音楽。あ〜面白かったね、と素朴に感じてもらえるような音楽。色々な人に聴いてもらえればと思っています」

「クラシックをよく知っているとか、ミニマル・ミュージックに詳しいとかは全然関係ない! なんだかわからなかったけど、もの凄く面白かった! と、そういう感覚を味わってもらえるだけで、いいと思います! その体験が、もう一回こういった音楽を聴いてみたいというきっかけになれば嬉しい」

(Music Voice Webインタビューより)

 

 

Related page:

 

久石譲 ミュージックフューチャー Vol.2

 

Blog. 「Music Voice」 Web 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/9/30

9月19日、Web媒体「Music Voice」に久石譲インタビューが掲載されました。

ミニマル・ミュージックについて、最新オリジナル・ソロアルバム『ミニマリズム2』について、最新コンサート「ミュージック・フューチャー Vol.2」について、年末にかけての演奏会予定について。

そんな旬な話題について語られています。

 

 

久石譲に聞くミニマル音楽とは、難解か?ポップか?
聴き易さの秘密を解説

ミニマル・ミュージックという音楽がある。最小限の音を、同じパターンで反復させながら少しずつズラしていく音楽の手法で、現代音楽のジャンルのひとつに数えられる。なんだか難しい音楽みたいで、ちょっと近寄り難い雰囲気があるのは否めない。

そんなところへ、数々の映画音楽やCM音楽を世に送り出してきた作曲家の久石譲が“バリバリ”のミニマル・ミュージックのアルバム『ミニマリズム 2』を8月にリリースした。

そうした先入観もあって、恐る恐る久石に話を聞いてみると「あれ? 意外にも難しくない!」。クラシック音楽の要素にプログレッシブ・ロックやジャズ&フュージョンが加わり、さらにリズムやビートが入っていて、とっても聴き易い。何よりもポップで、ドキドキワクワクするような高揚感すら感じる。

 

Music Voice 1

 

アルバムタイトルの「ミニマリズム」という言葉は、ミニマル(Minimal)とリズム(Rhythm)を組み合わせた造語だという。キーワードは「リズム」か?。

久石に尋ねると「小さい音型が何度も繰り返されるだけなので、最初はあれ? と思ってしまうかもしれない。でも、実はリズムを基調にした上で組み立てていますので、ロック音楽にも共通項があって、根はそんなに難しいものではないんですよ(笑)」と聴き易さの秘密を明かしてくれた。

初期の前衛的なミニマル・ミュージックは、ズレを聴かせる、いわゆる難解なものが多かったそうだ。久石は現代音楽といわず、あえて“現代の音楽”と呼ぶ。

「リズムというのは音楽の垣根を崩して、誰にでも理解できるものになるんです。このリズムがあるおかげで、ワクワクするとか躍動感といった感覚が生まれ、“現代の音楽”は垣根を崩して入り易くなる」。

確かに、このアルバムを聴いているとジャンルや垣根といったカテゴライズがどうでもよくなってくるから不思議だ。

 

Music Voice 2

 

「今、僕が作っているのは、何か新しい体験をするための音楽。あ〜面白かったね、と素朴に感じてもらえるような音楽。色々な人に聴いてもらえればと思っています」

久石は昨年より、“未来につながる音楽を紹介する場”として『Music Future』コンサートを主宰しており、第2回の今年は9月24日と25日に東京・よみうり大手町ホールで開催される。

ミニマル・ミュージックの古典から、ポストクラシカルと呼ばれる“現代の音楽”気鋭の作曲家に加え、このコンサートの為に久石は新曲を書き下ろす。まだ世界でも稀な6弦のエレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーした全3楽章から成る大作だ。

「第1楽章は、6弦のエレクトリック・ヴァイオリンでディストーションを利かせた“ロック”。衝撃的な出だしになります!」と新曲の構想に目を輝かせながら話す。

「クラシックをよく知っているとか、ミニマル・ミュージックに詳しいとかは全然関係ない! なんだかわからなかったけど、もの凄く面白かった! と、そういう感覚を味わってもらえるだけで、いいと思います! その体験が、もう一回こういった音楽を聴いてみたいというきっかけになれば嬉しい」。

クラシック系のホールでプラグド・サウンドが響き渡るとは。想像するだけでも楽しそう。

さらに年末に開催される『第九スペシャル -2015-』や、『ジルベスターコンサート2015 in festival hall』では、第九の序曲として演奏される「Orbis~混声合唱、オルガンとオーケストラのための~」で、新たな楽章を書き加えた完全版を披露する予定だという。こちらもミニマル・ミュージックの手法で書かれ、変拍子を多用しているため演奏者にとっては至難の曲になりそうだ。

 

Music Voice 3

 

公式サイト:Music Voice ミュージックヴォイス 久石譲

 

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」WOWOW放送内容

Posted on 2015/9/29

2015年夏8年ぶりの全国ツアーとなった「久石譲&WORLD DREAM ORCHESTRA 2015」(W.D.O.2015)昨年につづいて今年もWOWOW放送されました。

 

久石譲 × 新日本フィルハーモニー交響楽団 WORLD DREAM ORCHESTRA 2015
2015年9月23日(水・祝) 15:00- WOWOWライブ

番組紹介/解説
久石譲×宮崎駿の原点である「風の谷のナウシカ」が交響詩となって登場。終戦70周年の2015年、日本と世界が抱える「祈り」をテーマにしたプログラムも披露する。

内容/物語
作曲活動、スタジオワークのみならず、ピアノソロ、アンサンブル、オーケストラといったさまざまな演奏活動で高い人気を誇る音楽家・久石譲。そんな彼が、2004年に新日本フィルハーモニー交響楽団と立ち上げた「ワールド・ドリーム・オーケストラ」は、ジャンルを超えた幅広い音楽性で人気を博している。その全国ツアーの中から、2015年8月8日、東京 サントリーホールでのコンサートを放送する。

2015年、大きな話題となっているのが、宮崎駿監督作品の楽曲をオーケストラ組曲として表現するシリーズのスタートだ。第1弾は「風の谷のナウシカ」の交響組曲。久石譲が宮崎作品と初めて関わることになった記念すべき楽曲のオーケストラ組曲が世界初演される。誰もが耳にした名曲がスケール感豊かに鳴り響くさまは必聴。さらに、終戦70周年に当たる今年、日本と世界が抱える「祈り」をテーマにしたオリジナルプログラムも世界初披露する。

 

 

もちろん完全版、プログラム全曲(アンコール含む)を完全ノーカットで、加えて久石譲のインタビューもまじえながらの永久保存版的内容でした。

 

 

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015

[公演期間]
2015/8/5 ~ 2015/8/13

[公演回数]
6公演
8/5 (大阪 ザ・シンフォニーホール)
8/6 (広島 上野学園ホール)
8/8 (東京 サントリーホール)
8/9 (東京 すみだトリフォニーホール)
8/12 (名古屋 愛知県芸術劇場コンサートホール)
8/13 (仙台 東京エレクトロンホール宮城)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ (W.D.O.)
カウンター・テノール:高橋淳
合唱:栗友会合唱団 ※東京公演のみ (8/8.9)
合唱:W.D.O.特別編成合唱団 ※大阪公演のみ (8/5)

[曲目]
久石譲:祈りのうた ~ Homage to Henryk Górecki~ ※世界初演
久石譲:The End of The World for Vocalists and Orchestra ※世界初演
I. Collapse
II. Grace of the St.Paul
III. D.e.a.d
IV. Beyond the World
久石譲編:The End of the World (Vocal Number) ※世界初演

—-休憩—-

久石譲:紅の豚 Il porco rosso ~ Madness (映画『紅の豚より)
久石譲:Dream More ※世界初演 (「ザ・プレミアム・モルツ・マスターズ・ドリーム」CM曲)
久石譲:Symphonic Poem “NAUSICCÄ” 2015 ※世界初演 (映画『風の谷のナウシカ』より)

—-アンコール—-
久石譲:Your Story 2015 (映画『悪人』より)
久石譲:World Dreams

※合唱編成曲
・The End of the World
・Symphonic Poem “NAUSICCÄ” 2015
・World Dreams

 

 

詳しい楽曲解説やコンサート・レポートはすでに書いています。

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」 コンサート・レポート

 

 

WOWOW放送を観ての追加補足です。

【久石譲インタビュー内容】(約6分)

主に公式コンサート・パンフレットでも語られている内容と重複しますが、”ツアーコンセプト””カウンターテナー起用””宮崎作品交響組曲シリーズ”に関して、こぼれ話などありました。

【歌詞】

コンサート・レポートにも書きましたが、アンコール曲「World Dreams」は合唱版での披露でした。(東京/大阪)また「The End of The World 第3楽章《D.e.a.d》」も、今回書き下ろされた歌詞です。

どちらも歌詞は麻衣さんが担当されていますが、WOWOW放送では歌詞テロップが表示され、より深く理解することができたのは大きな収穫です。歌詞は掲載しませんが、上記2曲歌詞ともに公式コンサート・パンフレットにも掲載されておらず、そういう点でもとても貴重な保存版となると思います。

 

 

WOWOW LIVE放送は、とても上品な映像美、複数台によるカメラアングルで、指揮者、オーケストラ奏者と、楽曲や旋律にあわせてフォーカスされるところが醍醐味です。もし今回の放送を見逃した方は、再放送:2014年10月23日(金)19:00- がすでに決定しています。

余談になりますが、昨年のW.D.O.2014は初回放送から再放送をふくめて、約1年間の間に計3-4回は放送されています。おそらく今年のW.D.O.2015も数回再放送されると思います。やはり久石譲のコンサートは会場で体感できるのが一番ですが、行けなかった方や、細部復習したい方など、TV放送されることはとてもありがたい限りです。

エンドクレジットでも「音楽監修:久石譲」となっていたとおり、映像カット割りもそうですが、音響に関しても久石譲のチェックが入っている、WOWOWコンサート放送です。そんな編集にも手をかけ、クオリティーを高めた放送が、数回だけというのは非常にもったいない限りです。

録音用マイクもステージには相当数セットされていましたので、もちろんこのWOWOW放送用だとも思いますが、CD/DVD化できるクオリティで保管できているのではないか?!と。

昨年のリハーサルから本番まで計6回を録音し、CDとしてもクオリティーを追求した渾身のライヴ盤「WORKS IV」。ここまではできないかもしれませんが、それでもLive盤としては作品化してもおかしくない演奏と完成度です。むしろ瞬間封印したようなその鮮度こそ、一期一会な演奏こそ、Live盤の醍醐味でもあります。

作品化された暁には、WOWOWテプッロ表示のみとなっている、麻衣さんによる上記2曲の歌詞も刻まれるかもしません。何度も深く読み返すことができるようになります。とりわけ「World Dreams」は、普遍的な”希望の歌””愛の歌”として時代を超えて、歌い継がれたい合唱作品に昇華されていると思います。そういった要望も各方面から舞い込むくらい浸透するといいですね。

 

最後に、重ねて忘れないように。

再放送:2014年10月23日(金)19:00-

 

 

Related page:

 

WDO 2015 WOWOW

 

Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 45 ~フォーレ/サン=サーンス~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/9/27

クラシックプレミアム第45巻は、フォーレ / サン=サーンスです。

 

【収録曲】
フォーレ
レクイエム 作品48 (オリジナル版:第2稿)
キャサリン・ボット(ソプラノ)
ジル・カシュマイユ(バリトン)
アラステア・ロス(オルガン)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク
モンテヴェルディ合唱団 / ソールズベリー大聖堂少年合唱団
録音/1992年

サン=サーンス
組曲 《動物の謝肉祭》

マルタ・アルゲリッチ、ネルソン・フレイレ(ピアノ)
ギドン・クレーメル、イザベル・ファン・クーレン(ヴァイオリン)
タベア・ツィマーマン(ヴィオラ)
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
ゲオルク・ヘルトナーゲル(コントラバス)
イレーナ・グラフェナウアー(フルート)
エドゥアルト・ブルンナー(クラリネット)
マルクス・シュテッケラー(シロフォン)
エディット・ザルメン=ヴェーバー(グロッケンシュピール)
録音/1985年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第43回は、
最もシンプルな音楽の形式は?

前号にてWDO2015の編集部ルポルタージュをはさみ久石譲音楽講義の再開です。

超多忙なスケジュールも垣間見れ、一人何役こなしてるんだろうかと感嘆の想いです。また今号のエッセイでは、クラシック音楽の基本、とりわけ形式を理解するうえでもとてもわかりやすい解説です。

一部のみをかいつまんで抜粋してしまうと、理解できなくなるおそれがあり、意図に反することになりかねませんので、限りなくすべてを紹介させていただきます。

 

「この夏のコンサート・ツアーのため、しばらく原稿書きから遠ざかっていたら文章が浮かんで来ない。まあプロの文筆家ではないから仕方ないのだが、頭が音符でいっぱいになると他のことはできなくなるのだろうか? はたまた単にブランクが原因か? もしブランクなら作曲が心配になる。ツアーをしている間は、さすがに作曲するのは無理だ。とするとここにもブランクができている。」

「5月のコンサート以来約2ヶ月半、毎日自宅と仕事場の往復だけの日々は至って地味でシンプルだった。何日も何も書けず泥沼を這いずり回ったような苦しい時期もあったが、今振り返ると確実に曲はできていたのだった。毎日こつこつと同じことをする、あるいは定期的なサイクルで繰り返し、同じことを続ける。もちろんそれは演奏でも作曲でも文章を書くのでも同じことで、続けること、それが一番。これぞミニマルな生活だ。さあ、作曲に戻るためにも早く原稿を上げよう。」

「前回、ホモフォニー(ハーモニー)の時代は機能和声の確立によって音楽はよりエモーショナルな表現が可能になったと書いた。この『クラシック プレミアム』で取り上げる楽曲の大半がそうであるように、多くの人が今日耳にするいわゆるクラシック音楽はこの時代の音楽である。」

「構造は至ってシンプル、メロディーラインとそれを支える和音が主になる歌謡形式に近いものだ。つまり8小節(これが7でも10小節でも同じ)のフレーズが基準になる。もちろんシェーンベルクの《浄められた夜》のように複雑な対旋律やリズムも加わるものもあるからそんなに単純ではない、と言われてもしょうがないのだが、ベーシックな構造は同じなのである。ヴィヴァルディや初期のハイドンを想像してもらえばわかりやすいかもしれない。もちろん8小節では20秒前後で曲が終わってしまうので、これをいくつも組み合わせて一つのまとまった曲にしていくわけだが。」

「ここで重要なのが形式だ。何となくダラダラとメロディーが続いていても、聴き手には何も訴えてこないし、締りがない。なんらかの約束事であるその音たちを受けるお皿のようなもの、あるいは容器がいる。それが形式である。」

「音楽は論理性が大事だ。ドだけでは意味を持たず、それに続く音の連なりがあって初めて音楽として成立する。この連続性には時間が必要なので論理的であると前に書いた。その一つの固まりが先ほどの8小節のメロディーあるいはモティーフなのだが、それを組み合わせ、時間軸の上で構築していくのに必要な約束事が形式なのだ。最もシンプルなものは三部形式である。こう書くとまた講義かと思われるから別の言いかたをする。」

「宇宙人に遭遇したらあなたはどうしますか?…はあ?…この質問に作曲家の武満徹氏は確か「相手の言ったことを繰り返す」というような意味のことを答えていたと思う。随分前に読んだ本なので記憶が定かではないのだが、僕も多分同じことをすると思う。その根拠は「わからなかったら繰り返す」ということだ。」

「そしてこれが三部形式の大前提なのである。あるメロディーから始まった、しばらく経ってからまた最初のメロディーが聞こえた。そうすると多くの人は一つのまとまったもの、あるいは完結したものと認識する。つまりa-b-aということになる。これは古今東西を問わずあらゆる音楽の基本形態であると言っていい。もう一度繰り返す、あるいはもう一度聞こえたということが人間の生理に合致しているのである。じゃあ先ほどの宇宙人は繰り返すのか? などと余計な質問をしてはいけない…これは人間の生理の話なのだから…なんとか収めたのだから蒸し返してはいけない(笑)。」

「さて8小節のメロディーがa-b-aで24小節前後になったとしても多くの場合は(テンポにもよるが)40~50秒くらいにしかならない。それでa-a’-b-a’とかa-b-a’-c-b-a-b-a’など様々な工夫をしながら音楽は徐々に大きな建物になっていった。その極致が交響曲である。特にその第1楽章が最たるものである。10~15分、マーラーに至っては30分もかかるその楽曲はどう作られているのか?」

「それがソナタ形式という形であり、実はこれもa-b-aの拡大版三部形式なのである。具体的にはまずテーマを演奏する提示部(a)、それからそのテーマを様々に変奏する展開部(b)、そしてもう一度最初のテーマを演奏する再現部(a)で構成されているのだが、ごらんのとおりa-b-aの三部形式になる。もちろんそんなに単純ではなく、提示部には第1主題と第2主題があり、それぞれもっと細かく約束事があるのだが、それは次回に書く。」

「重要なのは、ホモフォニー音楽は根がシンプルな分、情緒に訴える力が強く、それゆえ様々な約束事を作ることで大きな建造物にしていったということ。だが、それもやがて行き詰まっていくのである。」

 

 

そういえば最近読んだ本におもしろいコラムがありました。ワーグナーの「ニーベルングの指環」を取り上げてだったと思います。

ワーグナーはライトモチーフという手法を用いたことでも有名で、このメロディーは登場人物Aを表す、このメロディーは登場人物Bを表す、つまりスター・ウォーズの”ダースベイダーのテーマ”でも有名な手法がライトモチーフです。

さらにストーリーがある作品なので、状況によって、喜怒哀楽の表情へと変奏されます。これが上のエッセイにも書かれているa-a’、さらにはa-a’-a”などと連なっていく。

膨大なモチーフと、かつ膨大な変奏が入り乱れる作品において、ワーグナーは聴衆がついていけるか理解できるか心配で、あちこちにストーリーやライトモチーフを復習する場面を設けたというわけです。だから「ニーベルングの指環」などあれだけの長い演奏時間がかかることになったと。

おもしろいと最初に書いたのは、そのコラムに『ワーグナーが聴衆を信じていないさまが、異常にしつこいという人間性が表れている』と書かれていたからです。そういう捉え方もあるのかと、おもしろかったです。

たしかに時代もあります。CDもDVDもない時代に聴衆がその演奏会だけで作品を理解してくれるか、心配になるのもわかります。ちょうど今号での”形式”の講義と、直近で読んだ本の内容とがつながったのでご紹介まででした。

 

最後に。今回のエッセイ冒頭にさらっと書かれている久石譲の言葉は名言ですね。

 

”毎日こつこつと同じことをする、あるいは定期的なサイクルで繰り返し、同じことを続ける。もちろんそれは演奏でも作曲でも文章を書くのでも同じことで、続けること、それが一番。これぞミニマルな生活だ。”

ミニマルな生活、なかなかいい表現だなあと気に入ってしまいました。

ミニマルな生活
~シンプルに
~ミニマル(最小限)とは、選択と集中で優先順位をつけて
~ミニマル(音形)とは、モチーフつまり最も大切な核なこと
~繰り返し続ける

そう勝手に解釈いたしました。

なんだかとても力をもらった気がします、勝手な解釈でもって。

 

クラシックプレミアム 45 フォーレ サン=サーンス