Blog. 「クラシック プレミアム 35 ~モーツァルト5~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/5/5

クラシックプレミアム第35巻は、モーツァルト5です。

全50巻中、5回にわたって特集されてるモーツァルトも、今号がその最後となります。第2巻モーツァルト1にて、《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》、ピアノ協奏曲 etc、第6巻モーツァルト2にて、交響曲 第39番・第40番・第41番《ジュピター》、第12巻モーツァルト3にて、ピアノ・ソナタ集 第8番・第10番・第11番、第27巻モーツァルト4にて、5大オペラ名曲集《フィガロの結婚》 《魔笛》 etcとなっています。今号収録の協奏曲たちも、聴いたことのある旋律ばかりです。

 

【収録曲】
クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
ザビーネ・マイヤー(バセット・クラリネット)
ハンス・フォンク指揮
ドレスデン国立管弦楽団
録音/1990年

フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299
ジャン=ピエール=ランパル(フルート)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
ジャン-フランソワ・パイヤール指揮
パイヤール室内管弦楽団
録音/1963年

ホルン協奏曲 第1番 ニ長調 K.412・514
ヘルマン・バウマン(ホルン)
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
録音/1973年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第34回は、
シェーンベルクの天才ぶりとその目指したものは……

前号では、2015年台湾コンサートでも演奏された、「ショスタコービッチ:交響曲 第5番 ニ短調 作品47」についての考察が、指揮者として、そして作曲家としての久石譲ならではで語られていました。今号では、シェーンベルク作曲:『浄められた夜』 op.4(弦楽合奏版)について。この作品も2015年5月5日開催コンサート「新・クラシックへの扉・特別編 「現代の音楽への扉」」で演奏されるもので、その準備段階、久石譲の楽曲研究・指揮勉強の時期に、執筆された内容となっています。とても充実したエッセイ内容となっています。

一部抜粋してご紹介します。

 

「アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)の《浄められた夜》は弦楽のための作品で、約30分かかる大作だ。もともとは1899年に弦楽六重奏曲として作曲されたのだが、1971年、それから1943年にもそれぞれ手を入れ、いずれも出版されている。」

「この連載との関連性でいうと、まずシェーンベルクはユダヤ人、それから作曲家は時間が経つと手直しをしたくなる変な習性があることか(笑)。」

「実は5月5日にこの曲を演奏することになっている。新日本フィルハーモニー交響楽団の「新・クラシックへの扉」というシリーズでの出演だが、他にリヒャルト・ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の前奏曲、ホーリーミニマリズムのアルヴォ・ペルトさん(去年、高松宮殿下記念世界文化賞で来日したときにお会いした)が書いた交響曲第3番というなんとも大変なプログラムだ。まあ現代の音楽入門編といったところだが、よく考えると「なんで『こどもの日』にこんなヘビーな選曲なの? 《となりのトトロ》を演奏したほうがいいんじゃないか!」と自分でも思う。でも観客のことを考えるとそうなるのだが、作曲家はやはり自分の興味のあることがやりたいことなので、仕方ない。」

「それで今猛勉強中なのだが、とにかく各声部が入り組んでいるため、スコアと睨めっこしても頭に入ってこない。いろいろ考えたあげく、リハーサルの始め頃は連弾のピアノで行うので、そのための譜面を自分で書くことにした。やはり僕は作曲家なので自分の手で音符を書くことが覚える一番の近道だと考えたのだが、それが地獄の一丁目、大変なことになってしまった。」

「《浄められた夜》は室内楽なので、音符が細かい。例えば4/4拍子でヴィオラに6連符が続くと4×6=24、他の声部もぐちゃぐちゃ動いているので一小節書くのになんと40~50のオタマジャクシを書かなければならない(もちろん薄いところもある)。それが全部で418小節あるのである! そのうえ、4手用なので、弾けるように同時に編曲しなければならない。全部の音をただ書き写しても音の量が多過ぎて弾けないので、どの声部をカットするか? もう無理なのだが、どうしてもこの音は省けないからオクターヴ上げて(下げて)なんとか入れ込もうとかで、とにかく時間がかかる。実はこの作業は頭の中で音を組み立てているのだから、最も手堅い、大変だが確実に曲を理解する最善の方法なのだ。」

「年が明けてから、映画やCMの仕事をずっと作ってきて、台湾のコンサートが終わってからこの作業に入ったのだが、昼間は作曲、夜帰ってから明け方まで譜面作りと格闘した。それでも一晩に2~3ページ、小節にして20~30くらいが限度だった。毎日演奏者に定期便のように送っているのだが、他にもすることが多く、実はまだ終わっていない、やれやれ。」

「もしかしたらこれは多くの作曲家が通ってきた道なのかもしれない。マーラーやショスタコーヴィチの作品表の中に、過去の他の作曲家の作品を編曲しているものが入っている。リストはベートーヴェンの交響曲を全曲ピアノに編曲している(これは譜面も出版されている)。これからはもちろんコンサートなどで演奏する目的だったと思われるが、本人の勉強のためという側面もあったのではないか? モーツァルトは父親に送った手紙の中で、確か「自分ほど熱心にバッハ等を書き写し、研究したものはいない」と書いていたように記憶している。モーツァルトは往復書簡などを見る限りかなり変わった人間ではあるが、天真爛漫な大人子供のイメージは映画『アマデウス』などが作った虚像だったのかもしれない。」

「そんなことを考えながら、何度も書いては消し、書いては消している最中にふと「久石譲版《浄められた夜》を出版しようかな」などと妄想が頭をよぎる。もちろんシェーンベルク協会みたいなものがあったらそこに公認されないと無理だろうけど。」

「それで改めてシェーンベルクの天才ぶりがわかった。ピアノ版に直していく過程でどの音域でも音がかぶることろがほぼ見当たらなかった(もちろん半音をわざとぶつけてはいるが)。ベートーヴェンは意外に頓着がなく、交響曲第5版の第2楽章の中に出てくるのだが、第2ヴァイオリンとヴィオラが和音を刻んでいる中を、同じ音域で第1ヴァイオリンが結構平気で駆け上がっていく。要はそんな細かいことはどうでもいいというくらい音楽が強いのだが、こと技術的なことを言えばシェーンベルクは歴史上最も優れた作曲技術の持ち主だった。しかも作品番号4ということは若い頃の作品だ。普通は一生かかっても身に付かない技術をこんなに若いときに手に入れるなんて、その先どうやって……ワーグナーも影響下にあった彼が次に目指すものは……。結局、無調に走り、十二音音楽を始めるしかなかった。それを僕は強く実感した。」

 

 

作曲家、指揮者、ピアノ、あらゆる音楽的側面をもつなかで、「自分の肩書は作曲家である」と最近もよく公言している久石譲です。そんな作曲家の久石譲が、他作曲家の作品を伝えたいという思いから演目に入れること、指揮者としての水面下での研究と勉強、エッセイにもあるとおり《久石譲の仕事》としても忙しいなか、ひとつの楽曲・ひとつのコンサートに臨むために、こんな膨大な経過があるのかと唸ってしまいます。それでも他作曲家・他作品を久石譲が今取り上げる所以、本人としては確固たる想いがあるのだろうと思います。

こういう秘話を垣間見ることで、久石譲コンサートに行く姿勢が変わるといいますか、久石譲作品であっても、そうでない楽曲であったとしても、心して聴かなければと襟を正される思いです。そして、こういった指揮活動やクラシック音楽の研究・勉強という蓄積が、次の久石譲作品に昇華されていくのだと思います。それがなによりも一番楽しみなところです。

シェーンベルク《浄められた夜》も久石譲コンサートで演奏されると知ってから、初めて耳にし、今ではよく聴いています。まさに美しい旋律、弦楽が織りなす美です。遠く近く、広く深く、ストリングスの響きにのみ込まれます。

 

 

クラシックプレミアム 35 モーツァルト5

 

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