Blog. 「クラシック プレミアム 27 ~モーツァルト4 5大オペラ名曲集~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/1/13

クラシックプレミアム第27巻はモーツァルト4です。

第2巻にてモーツァルト1 アイネ・クライネ・ナハトムジーク など、第6巻にてモーツァルト2 交響曲 第39番・第40番・第41番、第12巻にてモーツァルト3 ピアノ・ソナタ集 第8番・第10番・第11番、そして今号にてモーツァルト4 5大オペラ名曲集です。第35巻にてモーツァルト5 クラリネット協奏曲 他 (4月28日発売予定)が特集予定となっています。

5回にわたってその音楽が紐解かれるのは、全50巻のクラシックプレミアム・シリーズにおいて、このモーツァルトとベートーヴェンのみです。その偉大さと、名曲の多さがうかがえます。

 

【収録曲】
《後宮からの逃走》 K.384より
序曲/〈愛よ!お前の強さだけが頼りだ〉
イアン・ボストリッジ(テノール)
ウィリアム・クリスティ指揮
レザール・フロリサン
録音/1997年

《フィガロの結婚》 K.492より
序曲/〈もう行けまいぞ、愛の蝶よ〉
〈お授けください、愛の神様、なにがしかの慰めを〉
〈恋とはどんなものか〉〈そよ風によせる〉

マーガレット・プライス(ソプラノ)
キャスリーン・バトル(ソプラノ)
アン・マレイ(メゾ・ソプラノ)
トーマス・アレン(バス)
リッカルド・ムーティ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1986年

《ドン・ジョヴァンニ》 K.527より
序曲/〈愛らしきご婦人、これぞ目録です〉
〈あそこで我らは手を取り合おう〉
〈ぶって、ぶって、ねぇ、素敵なマゼット〉

バーバラ・ボニー(ソプラノ)
トーマス・ハンプソン(バリトン)
ラースロー・ポールガール(バス)
ニコラウス・アーノンクール指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音/1988年

《コジ・ファン・トゥッテ》 K.588より
序曲/〈僕は立派なセレナーデの楽隊を〉
〈ああ、見てちょうだい、妹〉〈風がおだやかにあり〉
ヒレヴィ・マルティンペルト(ソプラノ)
アリソン・ハグリー(ソプラノ)
クルト・シュトライト(テノール)
ジェラルド・フィンリー(バリトン)
トーマス・アレン(バス)
サイモン・ラトル指揮
ジ・エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団
録音/1995年

《魔笛》 K.620より
序曲/〈おれは鳥刺し〉
〈お前の魔法の調べはなんと力強いのだろう〉
〈地獄の報復が私の胸中で煮えたぎり〉

ナタリー・デセイ(ソプラノ)
ハンス=ペーター・ブロホヴィツ(テノール)
アントン・シャリンガー(バリトン)
ウィリアム・クリスティ指揮
レザール・フロリサン
録音/1995年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第26回は、
音楽の中の「ユダヤ的なもの」について

視覚と聴覚の問題から、話はユダヤ人の定義に飛び、その背景や芸術家におけるユダヤ人のことなどなど。その続きでもあるのですが、久石譲の原点でもあるミニマル・ミュージックについても触れられ、その枝葉はますます広がっています。なかなか抜粋が難しい構成で書かれていて、、ほぼ正確にご紹介させていただきます。

 

「ミニマル・ミュージックという作曲のスタイルがある。それは僕のベースになる手法だが、正確にはその後に出たポストミニマル、あるいはコンセプチュアル、ホーリー・ミニマリズムなどを経たポストクラシカルといわれるスタイルのほうがより自分には近い。」

「本来、作曲をカテゴライズすることなど意味のないことなのだが、音楽史的には「古典派」「ロマン派」「後期ロマン派」「無調」「十二音」とか「セリエル」(注1)「トーン・クラスター」(注2)など、分類する事は便利ではある。現代の多くの作曲家は、自分の感性を主体に音楽を作っていると思うが、自己の中だけで完結してしまいやすいので、世界の作曲の動き(スタイル)の中で自分がどこに位置するかを考えることも重要だと僕は思う。」

「作曲された作品は最終的に個人のものには属さない。すべては世界の音楽の歴史の中に集約されていく。ベートーヴェンの時代に彼だけがあのような音楽を書いていたのではなく、多くの作曲家が(ベートーヴェンより売れていた人もいた)マクロでは同じようなスタイルを取り、お互い意識しながら切磋琢磨していたはずだ。作曲家は意外に気が小さく、ほかの作曲家が書いたものを気にする。当然その時代に生きる作曲家同士影響し合い、方法論として同じスタイルを取ってしまう。それが「時代のスタイル」であり、その中で時代を経て生き残ったのがベートーヴェンなのだ。」

「このように時代を代表するスタイルを無視せず、迎合せず、その時代だけに通用する流行ものにとらわれず、その時代の中の永遠のテーマになり得る真実を見据え音楽を作る、それこそが作曲の基本なのである。なんだか作曲のことに触れると力んでしまう(笑)。」

「正統なミニマル・ミュージックを名乗れる作曲家は4人しかいない。ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、そしてフィリップ・グラスなのだが、この中の半分はユダヤ人とされる。イギリスの著名なミニマリスト、マイケル・ナイマン(映画『ピアノ・レッスン』で有名)も両親のどちらかがユダヤ系であり、かなりのシンパシー(あるいはユダヤ人かも)を抱いているはずだが、前回に書いたとおりユダヤ人の定義が不明確なのではっきりわからない。」

「ミニマル・ミュージックの基本は小さなモチーフ(音型)をくり返しながら、微妙にズラしていく過程を聴く音楽だ。そしてその音形を論理的に構築していく。平たく言えば、ああすればこう成るといった明快な構造が大切だ。」

「この論理性(実はだからこそ感性は解放され、エモーショナルなものなのだが)はユダヤ人の得意分野だと思う。基礎能力、人間的レベルがきっと高いのだろう。『レナード・バーンスタイン/答えのない質問』というハーヴァード大学での音楽講座のDVDがある。テレビ放映用に作られたものだが、音楽にとどまらず詩、文学や演劇、哲学に至るまでのすべての芸術と科学の知識を駆使しながら音楽史を読み解いていく、優れたレクチャー番組だった。タイトルの『答えのない質問』はチャールズ・アイヴズの作品名から取ったもので、僕も指揮したことがあるが、1908年にこのような前衛的な作品を書いたアイヴズはもっと評価されるべきだし、このタイトルを番組名にしたバーンスタインのセンスの良さも窺える。彼もユダヤ人だ。」

「作曲家としてのバーンスタインには二つの側面がある。一つはミュージカル《ウエスト・サイド・ストーリー》に代表されるようなエンターテインメント性、もう一つは交響曲第1番《エレミア》、交響曲第3番《カディッシュ》など、ユダヤ教の影響を受けた宗教的作品だ。交響曲のほうは随分前に聴いた程度で、論じるほどの知識はない。」

「彼の作品はあまりスタイルにこだわらず、ジャズ的であったりクラシック的であったりで色々な手法が混在する。別の言い方をするとそれほど論理的ではない。先ほどミニマル・ミュージックについて書いたときにユダヤ人は論理的と言ったのとは真逆になってしまうのだが、これは単なる個人差(個体差)なのか?いや物事は相対的なものであって、ひとつの側面しか持たないという事はない。エンターテインメント性、芸術性、宗教的なものが混在し、その上でも書かなければならなかった思い(こう書くとなんだか軽いが)が優先したのだろう。それは作曲家として、あるいはユダヤ人としての宿命なのかもしれない。実はもう一人偉大なユダヤ人の作曲家がいる。グスタフ・マーラーだ。」

「彼の音楽もとりとめがなく、構成的に弱いと指摘されるのだが、意外に伝統的な交響曲の基本であるソナタ形式を踏まえて作っている。だが、全体を覆っているある種の感情、難しい言い方だが、「永遠の憂情」のようなものが、形式や構成を飛び越えて我々の耳に飛び込んでくる。それが「ユダヤ的なもの」なのか?次回に続く。」

注1)セリエル:音の高さや長さ、音色などさまざまな要素で音列を構築する手法
注2)トーン・クラスター:半音より細かく分けた音群を同時に響かせる手法

 

 

クラシックプレミアム 27 モーツァルト4

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年4月号」久石譲連載 第5回 インディーズをやる?

Posted on 2015/1/13

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年4月号」に掲載された久石譲連載です。「久石譲のボクの方法」というコーナーで第5回目です。ただこの連載が何回まで何号までつづいたのかは把握できていません。すべての回に目をとおしてみたい作曲家ならではの深く掘り下げた貴重な内容です。

 

 

連載:久石譲のボクの方法
第5回:インディーズをやる?

久石さんの生活は昨年とはガラっと変わったということですが、つまり、久石さんの考える音楽生活がスムーズにいくようなかんじに周りをシフトしていくというような感じなのかどうか。今月は、そのへんから。

 

プロデューサーとアーティスト

久石:
アーティスト活動に専念しだすとね、やっぱり自分中心にしかモノをみなくなっちゃうんですよね。

たとえば、自分でスタジオを作ってまでやってきたけど、プロデューサーとしての活動に対しては、とても臆病になるんです。だから、プロデューサーっていうのは本来アーティストになっちゃいけないんじゃないかって思うんですね。ただ、うまく使い分けられる人はやればいいと思う。そういう資質をね。しかし、ルパート・ハインなんかでも、ソロになると全然だめでしょ。だけど、プロデューサーとしてはあいかわらず最前線にいる。ナイル・ロジャースもそうだよね、ソロになると、全然つまらない。

 

ーう~ん。

久石:
でも、デヴィッド・フォスターなんかはそういう意味でいうと、あの人は不思議なバランスをもっていると思うんですよね。自分でソロをやるときはピアノにこだわって、で、けっこう高度なことをやると思ったら、意外と下世話なことしかしないでしょ。そのへんが彼の場合はモっている原因だと思うんですよね。自分がアーティストとしての立場と平行してプロデュースをやっていくとしたら、そのへんの感覚のバランスがとれなくなっちゃうとおかしくなるよね。

だからそういうバランスのことを考えると、ちょっとここでもプロデューサーとしてのバランス感覚もとりもどしたいっていうか、両方のバランスをとろうかなって思っているんです。

 

-難しいことでしょうけどね。でもそれだけに限られた人だけが味わえるおもしろさに満ちているんでしょうね。

久石:
いやいや……(笑)。ま、ともかく、ダイナミズムは倍に広げようと思う。だからたとえば、オーケストラとやるなら日本の手近なオーケストラとやるんじゃなく、外国から本当にちゃんとしたオーケストラをよんじゃおうかなとか。そうしたら、当然2億円くらいかかっちゃうから、そうしたらスポンサーつけなくちゃ、とか、そういう発想でね、やりたいと。だから、オーケストラはそれができなかったらやめようとか。

中途半端はしない。そういう気持ちなんですよ。

それと『プリテンダー』でしくじったかなって思っていることが、実はあるんですよ。それは、なぜレコーディングに参加してくれた向こうのミュージシャンをよんでやらなかったのかなぁってことね。

 

-そこまで発想がいかなかったということですか?

久石:
う~ん。で、どんな赤字が出ようと呼んで、コンサート・ツアーをやればよかった。そうしなければ『プリテンダー』のほんとうの意味が伝えきれなかった。ぼくらはずっと、レコーディング・アーティストだったんですよ。コンサートを含めた大きなシステムに対して知らないことが多かった。今考えるとね。そういうことも含めて”考える時期”がほしかったんですけどね。

だから今後いろんなことで活動するっていうことは、そういう大きなイベント、コンサート、レコード、そういったものが全部ひとつのテーマに基づいてやれるようなやりかたをね、していきたい、と。そういうことを1年に1回やれるようなやりかた。それを考えているんです。

 

 

音楽の核は、素直な自分?

久石:
そのとき、その核になるのは今なにがうけるとかそういうことではなくって自分がどういうものに対してこだわりだしているのか、なにを楽しく思っているのかとか。そのことに対して素直になることだと思うんですよ。

たとえば、ぼくは最初からニュー・エイジ・ミュージックに対してはアンチの考え方を持っていて、その態度をとり続けたんだけど、やっぱりなくなっていきましたよね。で、今は今度ワールド・ミュージックって騒いでいる。でも、ぼくはいつもエスニックな要素を使ってきたから、そのブームにもくっつかなかった。いちはやくワールド・ミュージック的なものを作ろうと思えば、作れたんだけど、でもやらなかった。できるだけ距離をとってきた。

やっぱりまだね、各国のエスニックの要素をとりいれた音楽というのが存在しえるのかどうか。これが疑問でしょ。じゃ、日本の歌謡曲はエスニック・ポップなのかといったらこれはそうはいわない。それじゃ、フランスの国内の歌謡曲に相当するもの、フランス芸能界のなかで流行っているものがそうなのかといったら、それはやっぱりイギリスや、アメリカの影響の中で作られているポップであって、けっしてローカル・フランスのニュアンスを出したものではないわけだよね。で、それは各国全部そうでしょ。だからかんたんにそれを出したくはないっていう気持ちがあるんですよ。かなりさめている。

でも90年代はかなり変わりますよ。たとえば、若い人が音楽を志すっていうとき、今までは自分で叫んでいればよかった。でも今度はビジネス・サイドのニュアンスを踏まえていかないとやっていけない時代になると思う。というかみんな利口になってきたんですね。で、それが音楽のありかたを変えていくと思うんですよね。

 

-もう、いくつかのバンドの当人たち、そしてそれをとりまくスタッフたちの意識はそうなっていますよね。

久石:
だからそれに対して今のレコード会社とかプロダクションが昔の気分でアーティストを扱うと痛い目に遭うし、とんでもない状態になるし。

それから昨年の暮れ、CDの再販に関する問題がクローズ・アップされたでしょ。ようすると今までの価格体系が、レコード産業のなりたちかたの基本体系を完全にくずしていくと思うんですよ。すると、レコード小売店のかたちも変わっていく。そうなると、ゲリラ的に若者のニーズにピッタリ合うものができ始めたら、これはたいへんなことになりますよ。

そうすると、1,000円くらいでもCDが出せる時代がくるかもしれない。すると、くだらないものも出てくるかわりに、しっかりつくればそれが力になり得ることになる。そうなると、90年代っていうのはインディペンデントの時代になるかもしれない。だから自分も完全にインディペンデントのレベルを本気で作ろうかなっていう気持ちもね、でてきているんですよ。

ちょっと、問題発言だったかな?(笑)

(KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年4月号より)

 

 

 

Blog. 「週刊ポスト 2005年7月1日号」 久石譲 リレーエッセイ内容

Posted on 2015/1/12

雑誌「週刊ポスト 2005年7月1日号」、贈る×手紙 リレーエッセイ の最終話に登場した久石譲です。久石譲から秋元康への手紙という内容になっています。

 

 

贈る×手紙 最終話
「てーげーに」

秋元 様

御無沙汰しています。この前お会いした時は赤坂のお店でしたね。特に最後に出たカレーがおいしかったのを覚えています。秋元さんの選んだ店はどこもおいしい。いつも御馳走になりっぱなしで大変申し訳なく思っています。

それから僕の初監督作である「カルテット」も脚本の相談だけでなく、制作委員会に名前を列ねて(つまり出資です)いただいているわけで、この手紙ではせめて感謝の気持ちを伝えたいと思います。

秋元さんの監督作「川の流れのように」の音楽を担当した時はとても楽しかった。伊豆の山々にブルガリアンヴォイスを流したり、亡くなられた美空ひばりさんと僕のピアノが共演したり(昔のマルチテープからヴォーカルだけ抜き出してそれに合わせてダビングした)で、新しいアイデアを出すと秋元さんはほんとうにうれしそうでした。その笑顔を見ていると僕はもっと張り切って喜ばせたくなりました。何だか僕のほうが年下のような書き方になってしまいましたが、秋元さんにはどこか兄貴分的な雰囲気がありますね。

先日沖縄でレコーディングしていたのですが、そこで「てーげー」という言葉を知りました。土地の言葉で「程々に、適当に」という意味だそうです。沖縄のゆったりした時間の流れの中で人々は自然に身を委ね、嫌なこと、うまく行かない事があっても「てーげーに」といって笑って泡盛を飲む、そんな感じらしいのです。今とても気に入っている言葉です。「ここまでかなあ」と思いつつもまだ何かありそうともがくあの瞬間、「てーげー」という言葉が頭を過ります。そして僕は踏ん切りをつけ次に行く、そんな今日この頃です。

それでぱっと浮かんだのが秋元さんなのです。抱えきれないほどの仕事をこなすなかで、きっとこの「てーげー」さを実践しているのではないか、そう思ったわけです。そういう意味でも秋元さんはやはり僕の兄貴分なのでしょう。

そろそろ食事会しませんか?

僕はいつでも大丈夫です。

久石譲

(週刊ポスト 2005年7月1日号 より)

 

 

この連載は手紙にリレーエッセイです。秋元康さんに始まり、手紙を受け取った人は、また大切な知人で手紙を贈る。秋元康、柴門ふみ、北川悦吏子、桐島かれん、桐島洋子、俵万智、明川哲也、久石譲という全8回のリレーになっていて、最終回の久石譲はリレーの輪をつなぐように秋元康へ贈る手紙となっています。

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年1月号」久石譲連載 第2回 ドからド。それだけで作れる音楽

Posted on 2015/1/12

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年1月号」に掲載された久石譲連載です。「久石譲のボクの方法」というコーナーで第2回目です。ただこの連載が何回まで何号までつづいたのかは把握できていません。すべての回に目をとおしてみたい作曲家ならではの深く掘り下げた貴重な内容です。

 

 

連載:久石譲のボクの方法
第2回:ドからド。それだけで作れる音楽

前月、12月号から再スタートしたこのページ。前回に続き、今月も久石さんの最新アルバム『PRETENDER』の楽曲をテーマにお話を伺います。光GENJIのメロディー・ラインを”健全”とする久石さんの耳。その真意は、そのまま久石メロディーの極意のようです。

 

和音さえ、必要のないメロディー

久石:
僕がいつも思ってることは、コードが付かないと持たないメロディーはだめなメロディーだ、ということなんです。自分が理想とするのは、ドからドまで1オクターブで、臨時記号も付かないで作れたら一番いいだろうなあって気がする。しかも、和音を付けないで歌えたらなおさらけっこう…と。

何も知らずに聞いても「久石メロディー」ってすぐわかるっていうふうに皆さんによく言われるんですけど、何か懐かしいっていう感じがするみたいですね。それは、前に聞いたことがあるっていう懐かしさじゃなくて、音楽の歴史の流れの中でも一番シンプルなことをやってるから、そんな感じを受けるんだと思うんですよ。僕はすごいシンプルですよ、ずっと。それを皆さんが評価してくれるのは嬉しいよね。

 

-今回の「マンハッタン・ストーリー」とは「ヴュー・オブ・サイレンス」は、いわゆる「久石メロディー」っていう感じもしますね。

久石:
その他の曲でしょ? そのへんが難しいとこなんだけど(笑)。

今回は「節」になるメロディーはやめようという考えがあったんです。日本のメロディーってみんな「節」でしょ? AがあってA’がきてBメロ、サビのC……という具合に分かれてて、それをビルト・アップしていく感じ。『イリュージョン』ではそれをやったんですよね。いかにも日本風のやつをやってみようと思ったから。

だけど、今回はもっとシンプルなことをやりたかったんですよ。要するにリフの繰り返しでいけるようなことをしたい。非常にモードっぽくいきたい、と。日本だと1つのパターンで全曲押し切るっていうのはなかなかできないじゃない? 一度、そういうところでのメロディーのチャレンジをしてみたかったということなんです。外国の曲では当たり前のことなのに、日本では一生懸命コード変えたりとかするでしょ? 簡単に言うと、今回はできるだけ情報を整理したかった。情報量を最小限にして、ゴテゴテさせないっていう考えはありましたね。

 

-モノクロ的なイメージという言い方もできますか。

久石:
でもモノクロってカラーよりも色の差が出るんですよね。映画でも今は白黒で撮る方がお金がかかるんですよ。白黒のためのライティングができる人がもういないんですよね。白黒の微妙なニュアンスを出せる人がもういない。それと同じで、限定することによって逆に細かいニュアンスは強調させるはずなんです。そういう意味で今回は白黒かもしれないね。モノトーンの美学みたいなものはすごく出したかったということ。うん、今のフレーズいいなあ。使えるなあ(笑)。

 

-「久石メロディー」のバックグラウンドは、久石さん自身で思うにどんなところにあると思いますか?

久石:
文部省唱歌です。

 

-結局、ドからドという……。

久石:
というか、明治になって文部省があれを制定したときにどこの国の音楽を一番参考にしたかというと、イギリスなんですよ。だから、文部省唱歌って全部イギリス民謡なんですよ基本的には。「蛍の光」にしてもそうだし……。イギリスのフォーク・ソングみたいなやつとかは、とにかく好きですね。「ロンドン・デリーの歌」とか「グリーン・スリーブス」とか……。あのへんのニュアンスというのはよくわかるわけ。もしかしたらそのへんが原点になってる可能性はすごくありますよね。

 

 

変換可能なものは論理的なんです

-クラシックに関してはどうですか?

久石:
あまりないかもしれないね。ただ、強いてあげるとブラームスは大好きですね。ブラームスは屈折してる感じが好き。すごい屈折してますよ。頭の中ではベートーヴェンを尊敬しまくって非常に論理的な構造を作ろうと思っているのに、感性は、ロマン派の極致の人ですからね。だから、結実したのは第4シンフォニーになって初めてでしょう。自分ではベートーヴェンを継承してると思って一生懸命やってるんだけど、バランス感覚の悪さが随所に出ちゃって……。もちろん、それを飛び越えた才能があるんだけど。

モーツァルトはそういう悩みがないんですよ。もっと天才すぎちゃって。モーツァルトの曲って構造が思いっきりシンプルなんですよね。ピアノ曲をオケに移してもまったく同じになるよね。フルート・コンチェルトにしようとしてもできちゃうし、クラリネットでもハープでもいい。

こういう変換可能なものっていうのは、それだけ論理的なんですよ。構造的にできている。これはすごい重要なことですね。

例えば、フルートじゃなきゃこのニュアンスはでないとか、そういう発想はあまりいいことじゃない。モードがあるっていうことは、たまたまピアノでそれを弾いても他の楽器で弾いても変換可能だから、それは論理的に構造が強固だっていうことになるわけ。そういうのは絶えず狙ってるね。なんちゃって。狙ってるのと、できたっていうのは違うから(笑)。

 

-ところで、さきほども話に出た「モード的」というのを何か具体的に教えてください。

久石:
「オールデイ・プリテンダー」という曲は全曲を通して「ラミシミレミラミ」というシーケンスがずっと鳴ってるんです。これはどちらかというとAmモードっぽいですよね? ところが、ベースは出だしからDの音なんです。レミファソ……といって、ラはなかなか出てこない。でも、「ラミシミ……」と鳴ってベースがDだとDのモードにも聞こえる。ベースがEに行くと、Esus4にも聞こえる。Fに行くとF△7の変形にも聞こえるし、Gに行くとG6……。基本的に要素が少ないでしょ? 右手はずっと同じだから。ベースの音が1個変わるだけで世界がパッと変わる。そういうのがやりたかったんです。「ワンダー・シティ」は最初から最後までベースが同じですからね。音が1つも変わってない。省エネの極致だね(笑)。

話は飛ぶけど、今回向こうでやったっていうのはあまり重要じゃないんですよ。なぜ向こうに行ったかっていうと、向こうの人でしか出せないノリとかが欲しいから行っただけで、外国に行ったからいい音楽が録れたっていうつもりは全然ない。日本でやっても基本的には変わらないと思いますよ。ただ、かかってくる電話が少ないから助かったとか、あまり店を知らないから飲みに出なかったとか、そういう程度だね(笑)。

向こうで成功するための条件って最後はオリジナリティーだよね。独特のメロディーとか。ロックやっても何やってもいいんだけど、向こうのマネをするんじゃなくて、自分がなぜ音楽をやっているかっていうアイデンティティーっていうか、存在理由をきちんとさせとけば、いい音楽をやってれば世界中どこ行っても受けるはず。これはすごい大事なことだと思います。

(KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1990年1月号より)

 

 

久石譲 『PRETENDER』

 

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1989年12月号」久石譲連載 第1回 音楽との日常生活

Posted on 2015/1/11

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1989年12月号」に掲載された久石譲連載です。本号からの新連載「久石譲のボクの方法」というコーナー記念すべき第1回目です。ただこの連載が何回まで何号までつづいたのかは把握できていません。すべての回に目をとおしてみたい作曲家ならではの深く掘り下げた貴重な内容です。

 

 

新連載:久石譲のボクの方法
第1回:音楽との日常生活

-過去からみてくると、久石さんの作品は打ち込みでやっても機械っぽくない感じがするんです。ヒューマンなというか……。

久石:
そうかもしれないね。前から言っていることだけど、フェアライトとかのサンプリング楽器っていうのは「鏡」なんですよね。それ自体は楽器とは呼べないオモチャみたいなものですから、それほどたいしたもんじゃない。サンプリング楽器って基本的には嫌いなんですよ。

で、あれは一体何かっていうと、それを使う人の能力をそのまま映し出す「鏡」なんですよ。だから、こちらの持っているものが100あれば100返ってくるし、50しかなかったら50しか返ってこない。僕の場合はオーケストラのサウンドを知りぬいているから、例えばファゴットならファゴットらしいフレーズ、クラリネットならクラリネットらしいフレーズ……そういうものをわかりながら作るから結果的にヒューマンに聞こえるのかもしれない。打ち込み独特のバカバカしさが余り出ないんだと思う。ニュアンスがほしかったら生をすぐ使っちゃう。

フェアライトでやることに意義なんてあんまり感じてないし、大事なことは自分が知っている範囲のことをきちんとやるということ。

例えば、フェアライトIIIになって16ビットになって音質が良くなったから誰が弾いても弦は弦らしくなったでしょ……という発想はまちがっているんです。フェアライトIIの8ビットのホントにチャチな音でも、僕が弾いたら弦は弦っぽく聞こえると思う。だからフェアライトIIって今でも僕は嫌いじゃないんですよ。あの古臭い感じのニュアンスね(笑)。──トーキー映画の弦みたいな感じって今でも好きだし。それだけ単体で裸で聞いちゃうと「何この音?」みたいなものが、混じっちゃうといかにも弦に聞こえるでしょう?そういうことが大事なんですよ。

オケの中での弦の配置、弦のあり方を知ってないと、単体で聞くと弦っぽいのに混ざるとそれらしくなくなるっていうことなわけ。

 

-その辺を知りぬいているわけですよねえ……。

久石:
自分でそういうのもおこがましいから……でもそうですけど(笑)。

オケっていうのは、音の高低、左右、奥行きっていう要素があるよね。僕はそれらをビジュアルで捉えるんですよ。音が鳴った感じが立体化されて見えるんです。

 

-それは、自分が指揮台に立っているときのような感じで見えるということですか?

久石:
それに近いかもしれないね。スピーカーが2つあると、そのまわりに絵が見えてきて、これじゃだめだ、もっと弦を飛ばさなきゃ、とか、もっと奥に引っ込め、とか思うわけ。

中学時代にひと晩でベートーヴェンの第5シンフォニーの「運命」のスコアを4楽章まで全部暗譜したんですよ。これはすごい簡単。僕にとってはものすごく楽だったの。それは、つまり視覚的に、カメラのシャッターを押すような感じで憶えちゃうわけ。社会科やなんかの試験の前の日ってそうじゃない?丸暗記ってやつ。理解しようなんて思わないで、あそこにこういう図があって、ページをめくったらこうなってて……。あの発想に近い憶え方だよね。視覚で捉えるっていうのは、なぜか昔からやってたね。

オケもそうだけど、ヒットチャートものを聞いてても視覚的に入ってくる。

日本のアイドルものやなんかを聞いててバカにしちゃうのは、全部ブワーッと埋まってるじゃない?歌が下手だから消さなきゃいけない、みたいな感じに埋まってるでしょ。そんなのを聞いてても絵は見えないよね。面白くもなんともないし。

マドンナにしろなんにしろ、良いと思うものにはちゃんと空間がある。音をベタ埋めしていない。歌が見えて、ベースのフレーズが見えてっていう具合に全部がサポートしてる。そういう関係ってすごい大事なんだよね。

僕はある意味で早熟だったから、高校時代のうちに大学で習うことを全部やっちゃったんですよ。先生がずっと一緒だったから。で、大学(国立音大)にスコア・リーディングという授業があって、それを取ったんです。もちろん、和声学とか対位法とかも継続してね。

スコア・リーディングをやってみて、絵面で憶えるっていうのは一番正しいと思った。以前はただ、音符の込み具合やなんかを暗譜して、メロディーを追って……という感じだったんだけど、大学時代になると今度は弦の声部のあり方だとか配置とかも憶えていくから、憶え方のディティールは全然変わっちゃうけどね。

小澤征爾さんとか指揮の人たちはどうやって暗譜するのか知らないけど、彼らは譜面で憶えたってだめだよね。この辺でホルンが鳴って……なんて、そんな程度だったら表現になんないし。ただ、一般の発想でいうと視覚をうんと利用するべきでしょうね。

早期教育で、鈴木鎮一のバイオリン教室に行ってたんですよ。あそこの特徴は、最初の2年から3年位一切譜面を見ないんです。いつでも、記憶してから弾かせるっていうのが基本なんです。だから、いつでも音楽というのは頭にインプットしてからやるものだっていうのはあるね。そのクセは今でも残ってて、いいと思って、この音楽はどうしても身に付けたいなと思ったら、全部記憶しないと気が済まない。もし最初にピアノをやってたら、目の前に譜面を置いて弾くのが普通だと思ってたかもしれないしね。

もう一つ自分のやり方を言うと、音楽を聞くときは非常に素人っぽいんですよ。音符が浮かんでくるなんてことは全然ないんです。例えば何か聞いてて、Aメロ8小節、Bメロ6小節とか……そういう聞き方っていうのはしたことがない。職業的にアレンジの打合わせとかのときはそうやらなきゃならないけど、それ以外ではまずないんですよ。そういう意味では、その辺の一般の人と同じ感性で聞いちゃうね。これが長く持つコツかもしれない。この業界でね(笑)。

なんでこんなつまんない曲ヒットするんだろうと思った時は、すり切れる位聞きますね。納得するために。

 

-それがなぜかっていうのがわかるまで?

久石:
自分にとってはこの曲はつまらない、くだらない曲だって判断を下すけど、それが世間で受けているっていうときは、どっちを優先するかっていうと、受けてるっていう事実を優先するわけ、発想としては。というのは、その曲をもう自分が理解できなくなっているとしたらヤバイから。で、すり切れるほど聞いて、この部分が受けてるんだと納得した上で、嫌いなものは嫌いと。最初の段階から、これはつまらん、という評価はしない。

 

-最初から切り捨てるということはしない、と。

久石:
そう。だから光ゲンジ大好きですよ。あのメロディー・ラインはいい。文部省唱歌になってもいいなと思った。非常に健全なんですよ、メロディー・ラインが。不健康なメロディー・ラインじゃないんですよ。某大御所のメロディーよりはよっぽどいい。あのまま、高校とか小中学校のクラスで歌ってもいいと思うね。ただ、あれはまわりに付けたデコレーション──ローラー・スケートとか──が大きいから誤解されるけど、音楽的コンセプトは非常にしっかりしてますね。

(KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1989年12月号 より)

 

 

Blog. 「COMIC BOX コミックボックス 1986年11月号 vol.34」久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/1/10

雑誌「COMIC BOX コミックボックス 1986年11月号 vol.34」に掲載された久石譲インタビュー内容です。

 

 

今年いちばん苦しんだ仕事は「ラピュタ」
プロデューサー・監督・音楽家という関係ではまず理想に近いものでした

「天空の城ラピュタ」の感動をふりかえってみると、「風の谷のナウシカ」と同様に、音楽がとてもよかったということに気づきます。

ロボットが破壊を続けている要塞側と、シータ救出におもむくパズーのフラップター側との、かけあいのような音楽、シータが「放して!」とロボットがいうとおりにする時の曲の変化……画面を思い出すと音楽も一緒に浮かんできてしまいます。そして、ラストに流れる主題歌♬映画を見たなァという満足感と、ひとつ別の人生を生きたような充実感とで、心地よい疲労を味わいつつ帰路についたのは、僕だけではないでしょう……。

というわけで、今回は「Wの悲劇」「めぞん一刻」なども手がけて、アニメというより”映画音楽”界の鬼才として大活躍中の作曲家、久石譲さんのスタジオにおじゃまして、お話をうかがいました。(『ナウシカ』『ラピュタ』のサントラ盤を出している徳間JAPANの制作担当の渡辺さんも同席しています。)

 

◎原体験

-久石さんが子供のころ聞いてた音楽というと、何ですか?

久石:
「童謡ですね、やっぱり(笑)。ただ、僕なんかが小っちゃいころって、映画がまだ全盛だったんですよね。で、オヤジが高校の先生で、映画キチガイで──当時、高校生って映画見ちゃいけなかったんで──あの、見張りみたいな感じで映画館に行くたんびに、幼稚園の時、連れてってもらったんですよ。ふたつの映画館あって、それぞれが週がわりの3本立てなんですよ。3本ずつだから6本で、月24本になるんです(笑)。それから3年間か4年間、小学校の下ぐらいまで続きましたから、怪談映画から洋画から「愛染かつら」まで、とにかく全部見てしまった。」

-アニメでは?

久石:
「「ピーターパン」とか、よく覚えてますよ。それで、今は最低になっちゃったけど、当時、とりあえず、映画館が一番、音良かったんです。そういう意味でいうと面白い環境っていうかね、面白い体験したんだなって、最近になって感じます。この2・3年、映画の仕事を増やした段階で、何かそういう時の体験って、生きてるんじゃないかな。」

 

◎論理的作曲法

渡辺:
「サントラ盤を作曲する時、まず時間を計るんですよね。秒数から──」

久石:
「音符の数、割り出して、どのぐらいのテンポでやるとどのくらいって、途中の変わり目まで何分何秒何コマまで、という感じで計算してやるんですね。」

-素人目からだと、文学的にというか詩的にというか、たとえば海なら”海”というイメージから曲を作るというのなら想像しやすいんですが。

久石:
「あのね、それすごくわかるの。僕の音楽、わりと視覚的に映像浮かびやすい音楽とかいわれるでしょ。これ初めていうけど、逆に一番論理的な方法とってるんだよね。論理的な方法って、そういう曖昧さ許さないわけ。それでやってる自分が一番視覚的っていわれるのが面白いよね。」

-それはもともと持ってらっしゃったものが、論理の中に出ちゃうんでしょうか。

久石:
「というか、あの、過剰な感情表現ていうのは、あんまり好きじゃないんですよ。」

-泣かせようとか、楽しくさせようとかって動機は──

久石:
「ないですね。だからたとえば映画やってても、泣かすシーンに必ず泣かす音楽とかね、走ったら速い音楽とかね、あんまりやってないんですよ。感情にはつけてない場合が多い。」

-じゃ、とっかかりになるものは何でしょう。

久石:
「んとね…アニメの場合、TVの連続の30分番組とかありますよね。3年ぐらい前まで、引きうけてたころって、とにかく苦痛でしたね。何が苦痛かっていうと、ようするに最初に打ち合わせね、キャラクターなんか見せられて、絵もパイロット・フィルムも見られない状態で、Mの数70とか80のメニューが出てくるわけです。1分くらいのやつが30くらいで、30秒がどれぐらいで、5秒が…ってね。で、「ドキッ おどろき」とかね、「あれ?」とかね(笑)。「とんだ はねた」とかって書いてあるメニューがあるわけですよ。それで「はーい」って書かなきゃならない。そうするとね、これ、全然クリエイティヴな仕事じゃないわけですよ、はっきりいって。」

-効果音を作ってるみたいな。

久石:
「劇伴屋でね、MEなんですよね、ミュージック・エフェクトなんです。音楽ではないんですよ。そうした時に、けしてこれはクリエイティヴな仕事ではないと思ったんで、一切やめちゃったのね。」

-作りっぱなしで、それが具体的にどう使われてるのかってのは──

久石:
「わかんない。あとは選曲屋が全部やるわけでしょ。だからね。自分でそれはもう見るのが苦痛なわけね。「何だこれは何だこれは」ってのが多いから。結局、最初の一回見ただけで、あと二度と見たことないです。あれは、予算の問題とか、やっぱり今の現状でできたシステムだと思うんですよ。外国、どこいってもあんなシステムないものね(笑)。何も浮かばないところに70曲作って、しかも4時間か5時間で全曲録音するんでしょ。わーっととって、ハイ次、ハイ次でとってくんですよ。あれやるとね、正直いって、つらい。

「ナウシカ」とか「アリオン」「ラピュタ」とやらせてもらって、”映画”ってとらえ方してたんですよ。ただ、実写ものよりも表現はオーバーにできますよね、ある意味で。人間が動かないぶんだけね。実写ものって「Wの悲劇」もそうだけど、アニメの時みたいに音楽がぐわーっとやっちゃうと、ちょっと浮いちゃう。日常のテンポに近いからね。だから「もうちょっとおさえた表現に…大きな違いでいうと、それぐらいですよね。」

 

◎映画音楽定義

-高畑さんとは?(高畑勲=プロデューサー)

久石:
「ええ、というか音楽監督は僕と高畑さんでやってるようなもんで。高畑さんは音楽的にすごく鋭いヒトですから。」

-方針というのは…

久石:
「「ナウシカ」の時は、高畑さんと僕ですごいやりあってね。昼の1時から始めて、ぐるっとまわった明け方までっていうのが、二回かな、ありましたね。」

-どのへんが争点なんですか。

久石:
「あの時はね、けっこうすごかったんですよね。僕の音楽のつけ方と通常のと違うから。あと、具体的な話ですよね。」

-どの絵のところから音楽が入って、どこで終わるとか?

久石:
「ていうことの前に、音楽は何で、何のために入れるのか(笑)。そこからなっちゃうわけね。そうすると、人物につけるのは僕はキライだからやんない、”誰々のテーマ”っぽいものはやめる、って始めちゃうと入れるとこがなくなってくるでしょ(笑)。ふつうはだいたい、感情が動いたらつけるとか、走ったらつけるとか決まってるんだけど、そういうつけ方、一切やめたから。もうたいへんだったんですよ。それが最初にいろいろ話合いして、お互いに理解して、それからやっと、どこに何の音楽って話に入ったから(笑)。

「ナウシカ」の出だしのほうで、王蟲に追われて、ユパですか、あれを助けて、谷に帰るっていうんですよね。それで、谷に帰るっていった瞬間から谷に着くまで、音楽がフル・ヴォリュームなんですよ。ターリララ~♪とメインテーマに近くでかい音で鳴らしちゃって。みんなふつう、そう考えないんですよね。あそこは単にツナギなんだからと思うところが、あそこ僕は一番ヴォリュームが欲しいとか、そういうつけ方してっちゃうんで。そのへんの争点がけっこうありましたね。

基本的には、ストーリーが動いているところには音楽をつける必要がないんですよね。言い切っちゃうと語弊はあるんだけど、一応そういうとらえ方していると、ああいうシーンというのは、シーンを楽しむためのシーンだから、そういうところに音楽ってすごく要るような気がするんですよね。毎回、ある程度違いますけど。かなり話してたのが、今回の「ラピュタ」でもいい形でやっぱり出てきてますよね。」

-理解が前提になって、先へ進めたと。

久石:
「僕のほうが出したのがね、とにかくアニメとしてとらえないから、”映画”としてやるから、長い音楽つけたいと。ひたすら長い音楽つけたいっていう希望出したわけです。で、打ち合わせ終わったあとも大変でしたね。そのシーンにつける段階になって、やっぱり秒数が、定尺出てないからね。コンピューターで、何秒何コマまでいっちゃうから、あとで「ちょっとつまみました」っていうのは許されないわけですよ。その音楽死んちゃうから。確認につぐ確認で作っていってね。」

才谷:
「宮崎さんの方から注文は。」

久石:
「宮崎さんからは、ひじょうに感覚的な注文も含めてね、いろいろいただきました。だけど、けっこうそのへん信用していただけたせいか、具体的な話ってのは高畑さんと進めてるのが多くて、宮崎さんは「ここもっとパーッといく」とか「いいなァこの感じ」(笑)。とかの会話ですんでたからラクでしたけどね。「ナウシカ」で徹底的にやっちゃってる部分があるから、お互いに信頼感ってすごくあったんですよ。最後の、主題歌の選定の時からかなり和気あいあいとやってたから、こんなにうまくいっていいんだろうかと思うぐらいうまくいってましたね。」

渡辺:
「あの主題歌に関しては、ほんとにすばらしい進行だったんですよ。」

-主題を歌っている主題歌らしい、いい曲で、あれを聞いて映画館を出てくると、やっぱり歌いたいって気になりましたね。詞もすごい素直で…。

久石:
「そうですね。やっぱり宮崎さんと高畑さんもそう思われたんじゃないですかね。映画を見始めたところから見終わるところまでを責任もって提出したい、そう思った時にやっぱり歌も自分たちで作らざるをえないというか、作りたい、それはすごく素直な発想だと思うんですよね。」

 

◎ベストワーク・ラピュタ

久石:
「1年間に2作、本気で「アリオン」「ラピュタ」ってやるのは、ほんとにつらかったですね。安彦さんもやっぱりすばらしい人だし、宮崎さんはもう神様みたいな人だし、そうすると、あの…期間があまりにもなかったんですよ。音楽的にいっちゃうと僕は「アリオン」のほうがラクなんです。ああいうスペクタクル・ロマンのようなやつって、子供向けにやさしくとか考えないでいいから、自分の今もってるサウンドをストレートにぶつければ、けっこうそれなりになってっちゃう。ところが、「ラピュタ」やった時はね、テーマが「愛と夢と冒険」と、これはね、何が一番くるかというと、メロディー・ラインが、あったかい。メロディー・ライン聞いただけで夢をもてなきゃ意味がないってことがくるんですね。これが苦手なの。もうちょっとハスにかまえたようなものが多かったせいか(笑)。あんまりこうストレートにやんなきゃいけないってのは、つらかったのね。死ぬほどこっちが苦労してて、出てくる音はできるだけカワイイ音が出てくるようにするわけでしょ。今年で一番苦しんだ仕事ってったら「ラピュタ」のイメージアルバムでしたね。サントラでは、まったく苦しみはなかったですね、1時にスタジオに入って明け方5時、1日15時間というのを日曜祭日なしで2ヶ月間ぶっ続けでやってた。というのは、映画の「めぞん一刻」とか自分のソロ・アルバムもあって…。」

才谷:
「「ラピュタ」一本だとどれぐらいですか?」

久石:
「本格的につめてレコーディングに入った段階では、1日15時間の10日前後なんです。150時間なんですよね。ところがその前後、テーマの選定とか考えるとすごい時間かかってますよね。」

才谷:
「それは他の映画音楽の時と、だいたい同じようなパターンなんですか。」

久石:
「いや、こんなにかけません。4日から1週間。ラッシュ、2回ぐらい見て、それでオール・ラッシュ、最後の打ち合わせして、それからビデオをもらってスタジオに入るという形態で1週間。」

才谷:
「久石さんの理想とする音楽のつけ方といいますと…僕なんかだと、黒澤明・早坂文雄さんのように、撮影に入る前のアイデアの段階から、お互いの理解ができているのがいいのではないかと…。」

久石:
「今回の映画で、高畑さん、宮崎さんと僕がやれた会話というのは、おそらく、その黒沢さんたちのあとでいったら、一番理想的なんじゃないでしょうか。というのは、「ナウシカ」で、あれだけやってお互いのことがわかりあってて、打ち合わせの段階で「イメージ・アルバム」という素材が全部出てるわけですよ、テーマの。もうある素材だから、すごい具体的に突っ込んだ会話ができる、と。これは他の映画でもできないですよ絶対に。もう、イメージ・アルバムの段階で、かなりのクオリティで作りましたからね。今回なんかは、プロデューサー・監督対音楽家という関係では、まず理想に近いですね。

で、映画の中の段階になってくると、もうちょっと期間が欲しい。ビデオを、かなり完成されてから欲しい。それから、今回はドルビーだったんで比較的許せるけれども、これがモノだったら悲惨でしょうね。やっぱり日本の劇場は、できるだけ早く、せめて35ミリでドルビーできる体勢をとって欲しい…。」

 

◎英国的曲想共感

-「ラピュタ」ですが、イギリス風とか特に意識されたことは?

久石:
「ていうかね、僕のメロディーがね。イギリス人のローカル・ミュージックみたいなメロディー・ラインが多いんですよ。アイルランドとかスコットランド民謡みたいな。「グリーン・スリーブス」だとか…。素直にやると、そのへんいっちゃうんですよ。だから…難しいんですよね。それいっちゃうと「Wの悲劇」もまったく同じですから。タララン、タララ♪で、もう「早春物語」もそうだし、「アリオン」もそうだし、今度の「ラピュタ」がそうで。こりゃもう自分の、仕方がないねっていう感じがする部分でもあるんですけど。ロンドンに行くと、イヤなくらいになじむのね。わかる!(笑)」

 

◎熱烈待望WITH宮崎

才谷:
「今後、組んでみたい監督というと…」

久石:
「…けっこう巨匠が多いんですよね。だから、もうちょっとね、若い人っていうか、と、そろそろやりたいなって気分があります。それと、一作やったぐらいじゃ、ジャブの応酬で終わっちゃうんで、一度だけじゃなく…。」

才谷:
「久石さんの宮崎観って…さっき”神様”とおっしゃいましたけど。」

久石:
「もうね、まったくそう思って。あれだけ子供でいられるっていうのは、すごいことだと思うんです。世界を持ってて、それで輝いている。これだけの、あんまりよくない時代だど、斜にかまえるってのは、やれば誰でもなっちゃうんだよね。その時にやっぱりあえて「愛と夢と冒険」と、って、それはすごいと思う。」

-久石さん自身も、子供らしさを持ってらっしゃるというか、持ち続けたいわけですね?

久石:
「それはすごくあるけど、宮崎さんほど純粋じゃないかもしれない(笑)。だからね、さっき今後やりたい人って聞かれた時、まっさきに宮崎さんていおうと思ったんだけど…。宮崎さんとやりたいですね。ただ、ずっとやるとマズイから、一、ニ作、他の人とやってもらって、また僕に戻って欲しい(笑)。」

 

「いいアニメで、音楽もよかった」などといった次元でなく、傑作となるべくしてなったのだということが、実によくわかります。ところで、ここに収録したお話は、実はほんの一部にすぎず、「ナウシカ」についてや映画音楽について、音楽と数学の関係、「アマデウス」、イギリスのロック……などなど、他にもたくさん興味深いお話をうかがっているのです。

それらのお話が取材した3人の頭の中にだけあるというのは、これはもうリッパな犯罪行為ですので、次号でインタビューのロング・ヴァージョンをお送りしたいと思います。取材の3人が垣間見た、久石さんの才能、知性、優しさ、スケール…といった魅力の一部でも伝わってくれると嬉しいのですが…。

(COMIC BOX コミックボックス 1986年11月号 vol.34 より)

 

 

 

Blog. 「久石譲 アジアツアー 2010」 コンサート・パンフレットより

Posted 2015/1/9

今から5年前、2010年に開催された久石譲アジアツアー。その名のとおり、国内のみならず海外公演も含めた精力的な全15公演です。2010年11月から翌2011年1月までと、年をまたいでのツアー公演。ツアー期間中の12月31日大晦日の公演は、「久石譲アジアツアー2010 大阪公演 シルベスタースペシャル」でした。

 

 

[公演期間]
2010/11/5〜2011/1/19

[公演回数]
15公演(高雄、台北、台中、北京、広州、香港、上海、大阪、東京、韓国)

[編成]
指揮、ピアノ:久石譲
管弦楽:
高雄、台北、台中:ナショナルシンフォニーオーケストラ(国家交響楽団)
北京:国家大劇院オーケストラ
広州:深圳交響楽団
香港:香港フィルハーモニー管弦楽団
上海:上海フィルハーモニックオーケストラ
東京:東京フィルハーモニー交響楽団
大阪:関西フィルハーモニー管弦楽団
韓国:韓国シンフォニーオーケストラ

【東京】 2010/12/27 東京芸術劇場 大ホール
【大阪】 2010/12/31 ザ・シンフォニーホール

LINKS
MKWAJU
Prime of Youth
The End of the World
Departures
Kiki’s Delivery Service
One Summer’s Day
Summer
Castle in the Sky
Ponyo on the Cliff by the Sea
Oriental Wind

 

 

その中から東京公演/大阪公演にて当日配布されたコンサート・プログラムより、演奏プログラム内容をご紹介します。

 

 

PROGRAM

《Minima_Rhythm》
■LINKS

JAPAN国際コンテンツフェスティバル(通称 CoFesta)のテーマ曲として2007年につくられた楽曲。ミニマル・ミュージックのスタイルを多分に踏襲した楽曲。冒頭に現れるリズミックで特徴的なフレーズを様々な形に発展、展開させていき、後半にいくにつれ、緊張感とともに盛り上がりをみせる。15拍子という変拍子であるが、グルーヴさえも感じさせる久石らしい、スピード感溢れる楽曲。
*ソロアルバム 「Minima_Rhythm」 収録

■MKWAJU 1981-2009
アフリカの民族楽器を素材に、多重的なリズム要素の音型をもとに作品にした楽曲。「♪タンタンタカタカタカタカタッタッ」という心地よいリズムの音型が全編を通して微細に変化していく久石のミニマル・ミュージック作品の代表格。1981年に初出した小編成だったものを、2009年の「ミニマリズム」に収録する際に、オーケストラ曲として再構築した。
*ソロアルバム 「Minima_Rhythm」 収録

■Prime of Youth
2010年、大阪青年会議所のピース・カンファレンス・オブ・ユース事業のテーマソングとして書き下ろされた。ファンファーレのように高らかに鳴り響く冒頭と、それに続く8分の11拍子の変拍子のリズムから紡ぎだされるミニマル・ミュージックとシンフォニックな響きが特徴的な作品。

■The End of the World
1楽章 Collapse
2楽章 Grace of the St.Paul
3楽章 Beyond the World
「After 9.11」をテーマに、世界の秩序の崩壊と価値観の変遷に危惧を抱いた久石が、今の時代にこそ遺さねばならない作品として書き上げた渾身の一作。人々の悲哀や嘆きを表しつつも、混沌とした世界の中で、力強く生きなければならない、と未来へ向けての祈りと明るいメッセージが込められている。
*ソロアルバム 「Minima_Rhythm」 収録

《Melodyphony》
■Departures
Cello solo:金本博幸
2008年の滝田洋二郎監督作品、『おくりびと』(米国アカデミー賞外国語映画賞受賞作品)サウンドトラックより、メインテーマを含む複数の主要テーマを組曲として再構築したもの。元チェリストの主人公が納棺師になる設定から、チェロをメインに据える楽曲の構想が練られた。楽器の特性を最大限に活かしたメロディは、ときには優しく、ときには激しく、時折コミカルさも覗かせながら、心の揺れ動きを表現している。
*最新ソロアルバム 「Melodyphony」 収録

■Kiki’s Delivery Service
1989年、宮崎駿監督の映画『魔女の宅急便』より。映画の中で流れる「海の見える街」をピアノとヴァイオリン、弦楽オーケストラを主体に描き下ろした楽曲。愛くるしさいっぱいの軽やかなリズムと可憐なメロディ、中間部の大人びたジャジーな曲調は、大人へと成長をとげる魔女の子・キキのように、様々な表情を魅せてくれる。
*最新ソロアルバム 「Melodyphony」 収録

■One Summer’s Day
2001年公開、宮崎駿監督作品の映画『千と千尋の神隠し』より、「あの夏へ」。神々の住まう不思議な世界に迷い込んでしまった10歳の少女・千尋が、湯屋「油屋」で下働きをしながら次第に生きる力を取り戻していく物語。郷愁をかきたてる美しいメロディと、ピアノをフィーチャーした繊細なオーケストラが奏でる旋律が印象的な作品。
*最新ソロアルバム 「Melodyphony」 収録

■Summer
1999年に公開された、北野武監督の映画『菊次郎の夏』より、メインテーマ「Summer」。軽快な弦のピッツィカートからはじまる冒頭部と、中間部の美しいピアノの旋律が印象的な楽曲は、ひと夏の冒険を描いた映画の世界を爽やかにうたいあげている。
*最新ソロアルバム 「Melodyphony」 収録

■天空の城ラピュタ
Trumpet solo:古田俊博
1986年に公開された宮崎駿監督の長編アニメーション映画『天空の城ラピュタ』の楽曲をトランペット協奏曲として新たにアレンジ。独奏トランペットは「ハトと少年」を爽やかに奏で、「君をのせて」ではその柔らかな音色がノスタルジックな世界へと導く。オーケストラとの対話の後、物語を彷彿とさせる壮大な終焉へと共に向かう。

■Ponyo on the Cliff by the Sea
2008年に公開させるや否や、日本中に”ポニョ旋風”を巻き起こした、宮崎駿監督映画『崖の上のポニョ』より、サウンドトラックから組曲形式にアレンジした長編組曲よりメインテーマ「崖の上のポニョ」をお届けする。

■Oriental Wind
2004年より放映中の、日本のお茶の間に流れるサントリーの緑茶・京都福寿園「伊右衛門」CM曲。黄河の悠々とした流れをイメージしてつくられたといわれるとても美しい主旋律が特徴的である。朗々とした格調高い優雅なメロディの裏では、繊細なリズムや激しいパッセージの複雑な内声部が繰り広げられ、より深い味わいを加えている。
*最新ソロアルバム 「Melodyphony」 収録

(「久石譲 Asia Tour 2010」コンサート・プログラム より)

 

―アンコール―
NUSICAÄ
Wave(Pf.solo)
My Neighbor TOTORO
アシタカとサン(Pf.solo)

※「アシタカとサン」は全公演ではない

 

 

おそらくこの当時に開催されたコンサートとしては、群を抜けてダントツに素晴らしいプログラムだと思います。

2009年発表の「ミニマリズム」から2010年発表の「メロディフォニー」。一方はミニマル作曲家久石譲の真骨頂であり、一方は耳馴染みの名曲たちの華やかなシンフォニー・ベスト。芸術性と大衆性の久石譲音楽の両側面を昇華させた2枚のCD作品。その両方が前半・後半と堪能できるプログラムという意味において、国内だけでなく海外公演も展開されたにふさわしい集大成プログラムです。

 

このコンサート・プログラムの楽曲解説を見ながら、ぜひ2つの作品を聴いてみてください。当時会場で聴けた方は涙ものでしょうし、そうでない方も鳥肌モノ間違いなしです。

 

久石譲 『ミニマリズム』

久石譲 『メロディフォニー』

 

 

この2作品は30年以上に及ぶ久石譲音楽活動において、今後も必ずエポックとして語られていくであろう作品です。

また、ツアープログラムのなかで、CD作品化されていない(コンサートバージョンとして含む)楽曲は、「Prime of Youth」と「Ponyo on the Cliff by the Sea」です。※「天空の城ラピュタ」はW.D.O.名義でCD化あり

ということは、、、これから「ミニマリズム」や「メロディフォニー」を継承する作品が発表される際、めでたく収録確定ということなのでしょうか?!ひそかな期待として胸にしまいつつ、見守りつつ、楽しみとして持ちつづけていく、待ち望ぞむファン心理です。

 

アジアツアー 2010 

ジルベスター 2010 久石譲

 

Blog. 「久石譲 ジルベスター・コンサート 2014」(大阪) コンサート・レポート

Posted on 2015/1/5

2014年久石譲活動の締めくくりは、2011年以来3年ぶりとなる「ジルベスター・コンサート」でした。

まさに2014年の久石譲集大成といえるプログラム。「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」というスタジオジブリ作品を軸にコンサート活動およびLiveレコーディングによるCD「WORKS IV」の発表。その合間を縫うように、自身のもうひとつの顔である、現代音楽の自作を披露してきた1年間でした。それは久しぶりの作品もあり、まだCD化もされていない、初演および改訂初演を含む貴重な現代音楽自作たち。

このあたりの2014年久石譲総決算については、興味のある方は下記ページをご参照ください。

こちら ⇒ Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができるまで -まとめ-
こちら ⇒ Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができてから -方向性-

 

2014年国内・海外公演をふくめたコンサート活動を経て、ベスト・セレクト的なプログラム演目となった「久石譲 ジルベスター・コンサート 2014 in Festivalhall」です。

 

 

久石譲 ジルベスターコンサート 2014 in festival hall
《WOKS IV》発売記念スペシャル

[公演期間]
2014/12/31

[公演回数]
1公演(大阪 フェスティバルホール)

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
バラライカ/マンドリン:青山忠
バヤン/アコーディオン:水野弘文
ギター:千代正行

[曲目]
交響幻想曲 「かぐや姫の物語」
Winter Garden (2014年版) ※改訂初演
****** 休憩 *******
バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲
小さいおうち
水の旅人
Kiki’s Delivery Service for Orchestra (2014)
Oriental Wind

—アンコール—-
One Summer’s Day (ピアノ・ソロ)
風の谷のナウシカ

 

 

当日会場で配布された貴重なコンサート・プログラムより各楽曲を紐解いていきましょう。

 

 

交響幻想曲 「かぐや姫の物語」

「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」でプロデューサーを務めた高畑勲監督が、旧知の久石に初めてスコアを依頼した記念すべき作品。今回演奏される曲は、本編の主要曲をかぐや姫の視点で繋げ、オーケストラ作品として書き改めたもの。木管が演奏する「なよたけのテーマ」と高畑監督が作曲した「わらべ唄」を対位法的に扱う〈はじまり〉の後、〈月の不思議〉のセクションをはさみ、東洋的な曲想が特徴的な〈生きる喜び〉の音楽へ。その後、3拍子のピアノが〈春のめぐり〉の音楽を導入するが、曲想が一転し、前衛的な語法を用いた暗い〈絶望〉に変わる。再び木管が「なよたけのテーマ」を演奏すると、オーケストラが〈飛翔〉の音楽を高らかに演奏し、久石エスニックの真骨頂〈天人の音楽〉へと続く。最後の〈月〉では「なよたけのテーマ」「わらべ唄」など主要テーマが再現し、幕となる。
★アルバム「WORKS IV -Dream of W.D.O.」 収録

 

Winter Garden (2014年版) ※改訂初演

2006年にヴァイオリンとピアノのために書き下ろした『Winter Garden』(全2楽章)をベースに、ヴァイオリン・ソロとオーケストラの小協奏曲として2010年に改訂、新たに第3楽章が付け加えられた。今回初演される作品は、2010年版をさらにブラッシュアップし、よりヴァイオリンとオーケストラのコントラストを際立たせつつ、ミニマルの手法になぞらえた作品として改訂したもの。8分の15拍子の軽快なリズムをもった第1楽章、特徴ある変拍子のリズムの継続と官能的なヴァイオリンの旋律による瞑想的な雰囲気を持つ第2楽章。そして第3楽章は、8分の6拍子を基調とし、ソロパートとオーケストラが絶妙に掛け合いながら、後半はヴィルトゥオーゾ的なカデンツァをもって終焉へと向かっていく。本日のヴァイオリン・ソロは、関西フィルハーモニーのコンサートマスター・岩谷祐之の演奏でおくる。
★『Winter Garden』(2006年版) 鈴木理恵子ソロアルバム 『Winter Garden』 収録

 

バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲

太平洋戦争前夜、戦闘機開発に従事する堀越二郎と妻・菜穂子が懸命に生きる姿を描いた、宮崎駿監督作品『風立ちぬ』より。本日演奏される《第2組曲》(今年5月台湾にて世界初演、8月W.D.O.にて日本初演)は、昨年12月に大阪で世界初演された《小組曲》と異なり、ストーリーの流れに縛られることなく主要曲を音楽的に再構成したもの。バラライカ、バヤン(ロシアのアコーディオン)、ギターが主人公の遙かなる旅情を表現した「旅路のテーマ」と、久石のピアノが凛としたヒロインを表現した「菜穂子のテーマ」の2つを中心に据えた、ロンド形式による夫婦愛の組曲と見ることも出来る。全曲の構成は〈旅路(夢中飛行)〉、〈菜穂子(出会い)〉、勇壮な行進曲〈カプローニ(設計家の夢)〉、ミニマル的な推進力に溢れた〈隼班〉と〈隼〉、〈旅路(結婚)〉、関東大震災で逃げ惑う人々を描いた〈避難〉、〈菜穂子(会いたくて)〉、カストルプと共に日支事変を憂う二郎のもとに菜穂子発熱の報が届く場面の〈カストルプ(魔の山)〉、〈菜穂子(めぐりあい)〉、〈旅路(夢の王国)〉となっている。
★アルバム「WORKS IV -Dream of W.D.O.」 収録

 

小さいおうち

「東京家族」に続き、久石が山田洋次監督作のスコアを担当した第2作。激動の昭和を生き抜いた元女中・タキの回想録に綴られた中流家族の奥方・時子の道ならぬ恋と、彼女たちの運命を狂わせた太平洋戦争と東京大空襲の悲劇を描く。本日演奏されるヴァージョンは、ギター、アコーディオン、マンドリンを使用して作品化し、楽器編成的にも時代背景的にも「風立ちぬ」との関連を強調している。前半はタキが象徴する激動の昭和を表現した「運命のテーマ」、後半は昭和ロマンへの憧れを表現した「時子のワルツ」で構成されている。
★アルバム「WORKS IV -Dream of W.D.O.」 収録

 

水の旅人

一寸法師を思わせる水の精・墨江少名彦と小学生・悟の友情と冒険を描いた、大林宣彦監督のSFX大作。サントラ演奏を担当したロンドン交響楽団を意識して作曲した大編成の勇壮なテーマ曲は、大河の如く滔々と溢れる数々のメロディと相まって、その後の久石の演奏会に欠かせない人気曲のひとつに。
★アルバム「Melodyphony」 収録

 

Kiki’s Delivery Service for Orchestra (2014)

魔女の見習い・キキが宅急便で生計を立てながら、逞しく成長していく姿を描いた宮崎駿監督『魔女の宅急便』から、キキが大都会コリコを初めて訪れる場面の音楽〈海の見える街〉を演奏会用に作品化したもの。本日使用される新ヴァージョン(今年1月台湾にて世界初演、8月W.D.O.にて日本初演)は、管弦楽のみの演奏で、メロディを優雅に表現し、よりクラシカルな味わいを深めている。
★アルバム「WORKS IV -Dream of W.D.O.」 収録

 

Oriental Wind

サントリー緑茶・京都福寿園「伊右衛門」CM曲をもとに、作品化したもの。2004年より放送開始し、今やお茶の間でお馴染みとなった美しい旋律は、黄河のような大河の悠々とした流れをイメージしてつくられた。朗々とした格調高い優雅なメロディの裏では、繊細なリズムや激しいパッセージの複雑な内声部が繰り広げられ、より深い味わいを加えている。
★アルバム「Melodyphony」 収録

(「久石譲 ジルベスター・コンサート 2014 in Festivalhall」 コンサート・パンフレット より)

 

 

アンコールで披露されたのは、

One Summer’s Day
映画『千と千尋の神隠し』より「あの夏へ」。舞台の照明を落として久石譲のピアノ・ソロ。アルバム「ENCORE」収録です。

風の谷のナウシカ
映画『風の谷のナウシカ』よりエンディング「鳥の人」。最後は久石譲のピアノと壮大なオーケストラにて。なにかしらのCDに収録されているはずです。(すぐに思い出せずすいません)

終演後は1階席総立ちのスタンディング・オベーション。

 

 

さながら8月に開催された「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2014」(W.D.O.)に近いプログラムのようです。それでも決定的に違う点があります!

それは2014年に開催された久石譲コンサートのなかで、この「ジルベスター・コンサート 2014」のみ演奏プログラム全楽曲が久石譲作品ということです。

これはとてもとてもうれしい限りだったのではないでしょうか。そこへ、W.D.O.2014 およびそれに付随した『WORKS IV』にもなかった、新たな楽曲「Winter Garden (2014年版)」が改訂初演されています。

つまりみんなに親しまれているスタジオジブリ作品を核として、TVCMでもお馴染みの「Oriental Wind」に、過去の名曲「水の旅人」まで。その中に、久石譲のミニマル・ミュージックという真骨頂を特徴とし、さらに磨きのかかった現代音楽「Winter Garden」の全3楽章披露。

さすがはジルベスター・コンサート、お祭り的選曲、久石譲の今を象徴しているベストセレクションといったところでしょうか。ホール音響も関西フィルの迫力ある演奏も、そしてコンマスのパッセージ溢れたヴァイオリン演奏も、臨場感この上ないCDでは決して味わうことのできない体感。

実際にコンサートに行かれた方は、とても満足されたセットリストだったのではと思います。上記のような経緯を理解していただければ、どれほど貴重な1夜限りの公演となったかが伝わってくるのではと。

またコンサートに行けなかった方も、ほぼ?大丈夫!?

今回のプログラムは、「WORKS IV」と「メロディフォニー」という2CD作品によって、ほぼ堪能することができます。もちろん今コンサート自体が《WORKS IV発売記念スペシャル》ですので、選曲もアレンジも演奏クオリティも、かなり近い状態で体感できると思います。「メロディフォニー」は2010年に発表された、一般からのリクエスト投票を選曲選考にふまえた、久石譲のシンフォニー・ベスト・アルバム作品です。

久石譲 WORKS IV

久石譲 『メロディフォニー』

 

 

2014年の久石譲音楽活動も、「久石譲 ジルベスター・コンサート 2014 in Festivalhall」によって幕をとじました。2015年はどんな音楽活動がくり広げられるのか? 楽しみですね。

久石譲Concertページも2015年を迎え、新しい5年間(2015-2019)のページが更新されました。

ここにどんな歴史が刻まれていくのでしょうか。
ワクワクしています。

久石譲 Concert 2010-

久石譲 Concert 2015-

 

久石譲 ジルベスター・コンサート 2014 レビュー

 

Blog. 2014年一番アクセスが多かった久石譲ページ

Posted on 2015/1/3

2014年当サイト「久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋」にて一番アクセスされた、一番閲覧の多かったページは?ご丁寧にサービスのほうから統計が届いたので、それをご紹介します。

 

アスセスページTOP5はこのような結果だそうです。

2014年 統計1

 

《2014年アクセスランキングTOP5》

TOP1. Blog. 「かぐや姫の物語」 わらべ唄 / 天女の歌 / いのちの記憶 歌詞紹介

ひそかに認識はしていましたが…各方面で映画『かぐや姫の物語』の主題歌および劇中歌の歌詞を探されている人がとても多かったんですね。

特に高畑勲監督が作曲された「わらべ唄」や「天女の歌」は、サウンドトラックのみの収録および歌詞掲載だったからだと思います。うーん、主題歌も挿入歌も久石譲作曲ではないので、純粋に第1位として喜んでいいのかどうか複雑なところでもあります。

その人気もあってか、年明け早々1月21日に「女声三部合唱のための かぐや姫の物語」として久石譲名義にてシングルCD発売が予定されています。こちらには高畑勲監督作曲の「わらべ唄」「天女の歌」以外にも、久石譲作曲の劇伴曲「なよたけ」を歌曲にした新たな楽曲も収録予定です。

 

TOP.2 Blog. 「ふたたび」「アシタカとサン」歌詞 久石譲 in 武道館 より

こちらも非常に検索が多かったのが「アシタカとサン」の歌詞です。理由や背景はいろいろとあるようですが、この楽曲はもともと映画『もののけ姫』のクライマックスに流れるピアノの美しいメロディが印象的なインストゥルメンタル曲です。そんな「アシタカとサン」を歌詞をつけて歌曲として披露したのが、2008年コンサート「久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~」です。

おそらく後にも先にも久石譲名義としては披露していないはず、いやありましたね、「久石譲 3.11 東日本大震災チャリティー・コンサート」とその模様をLive収録した「The Best of Cinema Music」CD作品です。

それをふまえても「アシタカとサン -Vocal version-」の歌詞が、公式に掲載されていたのは武道館コンサートの販売パンフレットのみでした。あとは武道館DVDに歌詞テロップがついていたかどうか、です。そういったこともあって、このアクセス人気なのだと思います。

映画『千と千尋の神隠し』のクライマックスで印象的に流れたオーケストラ楽曲「ふたたび」も人気が高いです。こちらは武道館でのフルオーケストラ・ヴォーカル・バージョンと、平原綾香さんがアコースティックにカバーしたシングルCDもあります。

 

TOP3. Info. 2014/12/31 「久石譲 ジルベスターコンサート 2014 in festival hall」(大阪) 開催決定![10/01 update!]

2014年大晦日、3年ぶりに復活した久石譲シルベスター・コンサート。おそらくこの情報を掲載したのが、久石譲オフィシャルサイトよりも先行も先行。9月頭に情報アップしたと記憶しています。

それからチケット情報やプログラム予定など、解禁される情報ごとに更新、アップデードしていました。いかに、久石譲のコンサートを待ち望んでいる人が多いか、そして1夜限り、1公演限りのシルベスター・コンサートの希少度もあって、このような結果となりました。

情報公開から約4ヶ月間で、年間トータルの第3位ですからその勢いを感じます。当サイトでは、コンサート情報を時系列にて公開しています。開催決定からチケット発売情報、そして終演後のセットリストレポートまで。ちなみにこのページは、facebook いいね! もたくさんいただきました。ありがとうございます。

 

TOP4. Info. 2014/10/12 久石譲 「久石譲&新日本フィル特別公演」(長野) 開催決定!

こちらも人気の高かった久石譲コンサート情報から、10月に開催された長野公演です。

実はランキングに入ったこのページよりも、
Info. 2014/07/05 久石譲&新日本フィル 10月公演(長野) チケット一般発売 [7/5 update!]
Info. 2014/10/12 「久石譲×新日本フィルハーモニー交響楽団」(長野) プログラム変更

などのほうがより詳細情報を公開していたのですが、なぜか一番最初にエントリーしたページがランキングに入りました。おそらく他の媒体などもふくめて情報公開日があまりにも先手だったため、web検索的にも浸透してしまった結果かと。なにはともあれ、いろんな意味で長野公演の関連ページは、総合してアクセスが多かったです。

 

TOP5. Blog. 久石譲 「楽譜紹介ページ」 久石譲監修オリジナル・スコア と 楽譜検索 まとめ

久石譲の楽譜紹介や楽譜の探し方をまとめたページです。なぜ探し方が人気かというと、オフィシャルスコアが少ないこと、また様々な楽器編成に対応した楽譜を探している方が多いこと、これらが背景のようです。

もちろんオフィシャル・スコアを掲載したページ
久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋 SCORE

こちらも人気です。ここからスコア委託をしているショット・ミュージックへのリンクも、活用いただいています。ショット・ミュージックは主に管弦楽や吹奏楽の楽譜を販売およびレンタルしている会社です。いろんなシーンで久石譲音楽が演奏されているということですね。おそらくランキングに入った「楽譜紹介ページ」と「オシフャル楽譜」ページ、このふたつのアクセスを合算すると、TOP1かもしれません。

 

 

という2014年アクセス結果となりました。

キーワードとしては、

コンサート情報 楽譜情報 ジブリ音楽

これが久石譲に関する知りたい情報、興味のある情報ということだと思います。もちろん当サイトでの偏った情報(質/量)においてではありますが、あらためて久石譲の音楽を聴きたい方・演奏したい方が多いということ、久石譲音楽が多くの人に愛されているということがわかる結果でした。しかもリアルタイムな情報として。そんな情報手引きのお手伝いが当サイトができているならば、幸いです。これからも更新がんばります。

 

上のランキング結果イメージにも書かれていましたが…

「特に人気のあった投稿には、2014年より前に書かれたものもありました。あなたの文章は長い間読まれているようです ! また同じトピックについて書いてみるのも良いかもしれません。」

たしかに、トップ5中、3つが2013年に公開したページでした。うーん、喜んでいいのか励むべきなのか。

 

《おまけ1》

個人的に「おっ!?」と思ってうれしかったのが、このランキングの下、次の第6位に、このページがランクインしたことです。

Disc. 久石譲 JALテーマ曲 『明日の翼』 *Unreleased

これはもう久石さん、CD化するしかないでしょう!?ほかにも未発売曲のアクセスも多いです。皆さんが求めている証拠ですね。このJAL『明日の翼』が検索されるたびに、「あー、飛行機でどこかへお出かけされたんだなー」とか思っています。

 

《おまけ2》

2014年 統計2

 

当サイトは、なんと日本国内のみならず、世界88ヶ国から見られているよ、という統計ページです。

人気の国:日本、アメリカ、中国

日本は当たり前だとして(おそらく9割以上は占めているはず)。ちょっとわかりにくイメージですが、日本が見えなくなるくらい濃い塗りつぶしです。塗りつぶし濃度によって、アクセス分布となっています。

全世界195ヶ国として、約半分弱の国から1年間のなかで、アクセスいただいたという結果です。これって結構すごいような気がします。もちろんグローバル仕様なサイトには構築していません。

なにがすごいかというと、IT社会のおかげで、どの国でアクセスしても母国語に翻訳して閲覧可能なこと。そういった機能が今のWebブラウザには標準であります。

なにがすごいかというと、世界中の人々が久石譲の音楽、久石譲の活動に興味を持っているという証拠。そして、久石譲の母国であり久石譲活動拠点である、日本からの情報を求めているということではないかと思います。その正確さ、早さ、深さ、広さ、すべてにおいて。

ちなみに、4位以降もせっかくなので紹介しますと、香港、台湾、韓国、オーストラリア、フランス、ブラジル、ドイツ、と続いていました。

2014年は香港コンサートも2回開催されましたしね。なかなかそんな結果見ることもないので、興味深かったです。総合してアジアが上位を占めているという人気の高さはわかりますが、オーストラリア、フランス、ブラジル、…ほんと世界各国なのだなあと実感した次第です。

 

2014年たくさんのアクセスありがとうございました。2015年もどうぞよろしくお願いいたします。

久石譲の活動量に左右されることなく、いい意味でコンスタントに情報を公開していきます。いち早いリアルタイムな情報公開から、過去を紐解く整理まで。

久石譲音楽がこのように広がっていくことを願って。

 

music map

musical map

 

Blog. 久石譲 「モーストリー・クラシック 2015年2月号」 インタビュー内容

Posted on 2014/12/30

12月20日発売 雑誌「モーストリー・クラシック」2015年2月号(vol.213)久石譲のインタビュー記事「若い世代を集める久石譲」が掲載されています。

今号の特集である「進化する!日本のオーケストラ」に絡めた久石譲の近年の指揮・コンサート活動についての挑戦を熱く語っています。掲載記事内容をご紹介します。同時に2015年の久石譲活動の一大発表もあります!

 

 

若い世代をコンサートに集める久石譲

日本の楽団は、特に若い世代の集客に苦労している。そんな状況に一石を投じたのが、作曲家の久石譲の指揮する演奏会だ。2004年から新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)を組織、自作の他にもクラシック作品を自ら指揮している。

さらに近年の活動では、「久石譲クラシック・シリーズ」などにおいてクラシックのプログラムで東京フィル、東響を指揮。他に読売日響なども指揮しているが、通常の定期演奏会とほぼ同額のチケットを購入した若い聴衆が会場を埋め、お目当ての映画音楽ばかりでなく、ブラームスやベートーヴェンの交響曲に熱心に耳を傾けている。

「オーケストラの問題点は明確にあります。2000人収容のホールに演奏家が約100人必要です。ロック・コンサートが、演奏家数人で2万、3万の聴衆を集めることから考えると効率は良くない。そのために需要と供給のバランスをとる必要から、どこも観客となるクラシック・ファンを増やす努力をしています。ただ、観客の年齢層が上がっているので、プログラムの作り方に保守的な傾向が出やすくなっている。さらにそれが進むと古典芸能になってしまい、先がない。未来に繋げていくには、現代の音楽をプログラムに加えていくべきだと思います」

久石指揮のコンサートはクラシックを核とした「オーケストラ・コンサート」の形をとって、W.D.O.や各地の楽団とで、ここ数年、かなりの数が行われている。プログラムはほとんどの場合、クラシックの名作、オリジナルの映画音楽、自作を含めた現代の音楽という3本柱で構成されている。

「1960~80年代は、『既成概念を壊す』ことを、音楽だけでなく、美術、文学、映画、建築などが目指していて新しい表現に活気をもって取り組んでいたのが、社会が疲れていくに従って、それが下火になっていった。ただ、その時代の音楽の最大の問題は、解剖学者の養老孟司さんのいう『脳化社会』のようなもので、多くの作曲家が自分の頭の中で正しいと思って作った音楽を先鋭化させていったため、演奏家・観客からどんどん乖離して、ある種の小さなジャンルになって、いまでは年に数回、現代音楽祭をやっているだけになっている」

「僕は、そういった形ではなく、通常のブラームスやベートーヴェンがメインのコンサートの冒頭に、頭でっかちになった『現代音楽』ではなく、現代に必要な『現代の音楽』を聴衆に届けていく作業をオーケストラには日常的にして頂きたいと思います。僕は『アートメント』(アートとエンターテインメントを組み合わせた造語)という言葉を使います。アートを日常にして行く作業、それが、クラシックのコンサートでも必要なのではないかと考えて、自分のコンサートの時に自作やアダムズ、ペルト、グレツキなどを演奏して、後半にクラシックの曲という形をとっています。僕の映画音楽を目当てに若い人が来てくれて、そこで、現代の音楽やクラシックの魅力を感じてもらえれば素晴らしい」

もう一方で、室内楽編成で現代の音楽を集めた「ミュージック・フューチャー」のプロデューサーを行い、2015年も継続していく予定だ。

「僕の作曲の根本にはミニマルミュージックがありますが、正統派のミニマル・ミュージックの作曲家は、ライリー、ライヒなど4人だけで、あとはポスト・ミニマルやポスト・モダンで、いまポスト・クラシカルというクラシックの範疇にとどまらないミューリーや大作曲家の孫のガブリエル・プロコフィエフといった人達が出ている。そんなミニマルの与えた影響や流れなどは、大きな意味があるのに日本では聴くことができない。それをもっと紹介したいし、自作も書きたいということで始めました。集客は大変ですが、今後も続けていきます」

5月には、W.D.O.として競演する新日本フィルが主催する「新・クラシックへの扉」の特別編「現代の音楽への扉」に登場する。

「定評ある入門シリーズなので、僕のコンサートが入るのは、新しい形の実験だと思います。今回は、調性の崩壊を促した『トリスタン和音』が使われている、ワーグナー『トリスタンとイゾルテ』前奏曲から始まって、シェーンベルクの『浄夜』、そして現代の音楽であるペルトの交響曲第3番というプログラムを組みました」

(MOSTLY CLASSIC 2015.2 vol.213 より)

 

 

2014年の雑誌インタビュー等で語られてきたクラシック音楽への問題提起。課題とそれをふまえた自身の活動への転換。一貫して同じテーマで語られていますので、このインタビュー内容は、その本気度と今後の方向性・指針が見え隠れしています。

そして、すらすら読みながら、最後に重大発表!2015年 久石譲コンサートの一企画の全貌が明らかになったわけです。

2014年からの流れをふまえると、(『現代の音楽』 『アートメント』 『クラシック音楽問題』というキーワード)「W.D.O.コンサート」と「ミュージック・フューチャー シリーズ」は、翌年以降も継続して行われる予感はありましたが、その大きな流れのなかで、『新・クラシックへの扉・特別編 「現代の音楽への扉』コンサートが、指揮:久石譲 演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団で開催されることが発表されました。

2015年5月5日 開催です。詳しい情報はインフォメーションにて更新していきます。

 

 

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