Blog. 「文藝春秋 2013年1月号」 久石譲、宮崎駿を語る

Posted on 2015/2/4

「文藝春秋 2013年1月号」は創刊90年記念号の新年特別号となっていました。

特集が『激動の90年 歴史を動かした90年』あらゆる分野、あらゆる時代、各界から、日本の歴史を動かした90人が紹介されています。その特徴として、選ばれた90人に対して、それぞれの人と関係の深い人が紹介、およびその人を語る、という内容です。

90人のなかの一人として映画監督の宮崎駿さんが挙げられ、その人物について語ったのが久石譲です。

 

 

宮崎駿 タフな少年 / 久石譲(作曲家)

世界的なアニメーション作家、宮崎駿(71)と作曲家、久石譲(62)との出会いは、関係者をして「幸せな事件だった」と言わしめている。宮崎を「人生の兄」と慕う久石氏が芸術家同士の関係を語る。

(以下、全文 久石譲 談)

『風の谷のナウシカ』に始まり、『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』など、僕は宮崎さんに多くの音楽を書いてきました。

宮崎さんとは1983年夏、阿佐ヶ谷にあった「ナウシカ」準備室で初めてお会いしました。少年のような目をしている人だ、というのが第一印象です。映画のシーンの説明に入ると、「これが腐海で、これが王蟲で」と夢中になって熱く語るので、こちらも熱くなったことを覚えています。

一人の監督と音楽家が長く続くケースは珍しいのですが、宮崎さんと僕は30年続いています。ほとんど、奇跡だと思います。

長続きしている理由として一つ思うのは、宮崎さんと僕は過去の作品の話を一度もしたことがない、二人ともいま作っている作品にしか興味がないという点です。

また宮崎さんのファンタジーなところと、自分の書く音楽は最初から一致しているところがありました。『トトロ』にしても『もののけ姫』にしても舞台は日本なのですが、宮崎さんは日本をそのまま再現するようなことはしません。必ず宮崎さんのフィルターを通した世界を表現しています。どこの国ともいえない、どこかなつかしい世界ですが、その部分と僕の書いている音楽が一致したようです。一致させようとしなくてもストレートにマッチングしたのだと思います。

プロデューサーの鈴木敏夫さんは、こんなことを言っています。

「あの二人が長く続く理由は、一緒に飯食ってない、飲みにも行っていないからだ」

僕は宮崎さんと個人的なつきあいをしたことがありません。飲んだり、食べたりという、いわゆる”人間的なつきあい”をせず、ひたすら仕事で関わってきました。クリエイティブな仕事に関わる人間ほど、精神的なスタンスを取る必要があるのかもしれません。『もののけ姫』を構想していたころの宮崎さんは、社会のあり方に最も憤っていた時期でした。

「いま子供たちに向けて何をテーマに作るべきなのかが見えて来ない」という発言もしています。そんなとき、宮崎さんの尊敬する作家、司馬遼太郎さん、堀田善衛さんとの鼎談が実現しました。その鼎談によって、宮崎さんは今後、作家として何をやるのか、見えてきた部分があったのではないでしょうか。実は、僕は司馬さんの本をあまり読んでいなかったので1年間で100冊近く読みました。『もののけ姫』の奥深いところに司馬さんの見方、考え方があるのでは、と思ったからです。

ものを創る仕事をしていて一番難しいのは、人に見てもらうエンターテイメントの部分と、作家性の部分にどう折り合いをつけるか、ということです。宮崎さんは人に見てもらうということを絶えず意識したうえで、作家性を出す、このせめぎ合いが実に絶妙なバランスで成り立っているんですね。

映画を作っていく過程には膨大な作業があります。例えば東京を背景にする場合、実写だとどうしても余計な看板や電柱が入りますが、アニメーションはそれらを消すことができます。そこに自分の持っている心象風景を作り込むわけですが、その分、ありとあらゆることに神経を張って作らなくてはいけない。そのプレッシャーたるや相当なものだと思います。なおかつ、これだけ世界中の人に注目されている。そのプレッシャーの中で毎日、こつこつと絵コンテを書いてやっていく。それも2年という時間をかけて。この精神的なタフさみたいなものを考えると、僕にはとてもできません。

宮崎さんとは30年間、ずっと同じスタイルでやってきました。会えば必ず宮崎さんが少年のような目をして、この作品をどうしようか、ということを熱く語ってくれます。『ポニョ』のときはその話を聞きながら「ソーミ、ドーソソソ」と、『ポニョ』のエンディングテーマのメロディが浮かんだこともあります。

多くの人は僕と宮崎さんは「コンビを組んでいる」と勘違いをしているようですが、そうではありません。僕は一作、一作、全力投球して曲を書き、宮崎さんが新しい作品をつくるときに「音楽は誰にするか」を考え、たまたま指名してもらっているだけです。

いまこうして宮崎さんのことを話していても、意識の中ではずっと宮崎さんとつながっています。この緊張が切れたら一緒に仕事をしていけなくなってしまうでしょう。4年間に一度ずつの仕事ですが、絶えず次に何が来るか。そのとき音楽家として選ばれたいという気持ちがあります。そのためには勉強しなくてはならない。これだけの緊張をして、自分の全生涯を賭けても追いつけない大変な監督です。

(「文藝春秋2013年1月号」より)

 

文藝春秋 2013年1月号

 

Info. 2015/02/03 [CDマガジン] 「クラシック プレミアム 29 ~ブラームス2~」 久石譲エッセイ連載 発売

2015年2月3日 CDマガジン 「クラシック プレミアム 29 ~ブラームス2~」(小学館)
隔週火曜日発売 本体1,200円+税

「久石譲の音楽的日乗」エッセイ連載付き。クラシックの名曲とともにお届けするCDマガジン。久石による連載エッセイのほか、音楽評論家や研究者による解説など、クラシック音楽の奥深く魅力的な世界を紹介。

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Blog. 「文藝春秋 2008年10月号」「ポニョ」が閃いた瞬間 久石譲インタビュー

Posted on 2015/2/2

「文藝春秋 2008年10月号」に久石譲インタビューが掲載されていました。

2008年 映画 『崖の上のポニョ』公開直後だけあって、もちろん話題の中心はポニョのお話です。そのなかにも久石譲の作曲家としてのスタンスや、創作するということの奥深さを感じることができる内容です。

 

 

「ポニョ」が閃いた瞬間  久石譲(作曲家)

2年前の秋、武蔵野の緑に囲まれたスタジオジブリの一室。宮崎駿監督が映画の構想を熱く語っている。その言葉に耳を傾けていると、僕の頭に突然メロディが浮かんだ。

ソーミ、ドーソソソと下がっていくシンプルな旋律。今夏公開され、大ヒットしている映画『崖の上のポニョ』のエンディングテーマだ。シンプルであるがゆえに、強い印象を残す曲になるだろうという予感は的中した。

多くの人から「あの『ポーニョ、ポニョポニョ』が頭から離れない」との感想を頂戴した。メロディも「ポニョ」という言葉も実に単純なものだ。ところが、それが一体になったことで、二乗、三乗、いや三十乗くらいの力を持って、誰の耳にも入りこんでいったのだろう。こんな奇跡のような出来事が起きたことは、音楽家として本当に幸せだ。

宮崎監督との最初の打ち合わせを思い出す。

台本の裏側に五線譜を引き、あの旋律を残した。

しかし僕はこのメロディをいったん忘れ、しばらく寝かせておくことにした。本当にこれが主題歌にふさわしいのか自信がなかったし、いろいろな可能性を検討してみたかったからだ。情感豊かなバラードはどうかと考えてみたり、二ヶ月ほど試行錯誤を繰り返した。しかし、最初に閃いたあの旋律が一番だという結論に至った。

ソーミ、ドーソソソの六音からなるこのフレーズは単純だけれども、だからこそさまざまにアレンジすることができる。この機能性は映画音楽では最高の武器だ。困ったらこのメロディに戻ればいいわけで、水戸黄門の印籠のようなものである。この瞬間、迷いは霧散した。

僕はこれまで50本を超える映画音楽を担当し、多くの監督と仕事をしているが、第一感がベストだったというケースが結果的には多い。

しかし、確信を持てないまま悩みに悩み、譜面を前にひたすら格闘しているうち、「あ、これでいいんだ」と腑に落ちる感覚が訪れる。この瞬間こそが僕にとって何ものにも代えがたい喜びであり、作曲という仕事の醍醐味でもある。

僕はソロでの活動も行っているが、その楽しさは映画音楽のそれとは大きく異る。ソロ活動は広いサッカー場に一人で佇んでいるようなもので、何の制約も受けないが、すべての判断を自分で下さなければならない。ところが、映画では座の中心に監督がいて、その意見は絶対だ。周囲には多くのスタッフがおり、音楽もさまざまな制約を余儀なくされる。しかし、彼らと時に激しく意見の交換をするうち、予定調和に終わらない、思わぬ発想を得ることもしばしばである。そこに共同作業ならではの面白さを感じるのだ。

また、私はこんなふうに尋ねられることがある。

「まったく作風の異なる監督(たとえば北野武と宮崎駿)の音楽を、なぜ作り分けることができるのか」、と。

しかし、僕からすれば、似たような音楽ばかり作ることのほうが難しいと思う。つねに目の前の作品に全力を尽くしていると、同じタイプの仕事を続けても、二番煎じの出しがらしか出て来なくなるものではないだろうか。

僕たちが日夜、心血を注いでいる作業は、一般に「創作」と呼ばれる。その言葉には無から有を生み出すようなイメージがある。だが、文字通りの無から有を生み出すことなどできるだろうか。

聞いたもの、見たもの、読んだもの。そうした経験を創り手の個性を通過させ、新たにできあがった結晶が作品と呼ばれるものなのだと思う。僕は自分の創作の多様性を担保するために、将来の仕事を見据えた勉強を欠かさないようにしている。

『崖の上のポニョ』は、世に送り出されたばかりなので、まだ冷静に総括できる状況にはない。しかし、この映画が提示する世界は、五歳の子どもからお年寄りまで、誰もが何かを感じることができる深いものだ。そこに音楽というかたちで自分も関与できたことが、とても嬉しい。宮崎駿監督に書いた僕の音楽の中で現時点で最高の作品だと思っている。

(「文藝春秋 2008年10月号」より)

 

文藝春秋 2008年10月号

 

Info. 2015/02/01 映画『かぐや姫の物語』 第42回アニー賞 受賞ならず

現地時間31日、第42回アニー賞授賞式がアメリカ・ロサンゼルスで行われ、映画部門では、人気3Dアニメの続編『ハウ・トゥー・トレイン・ユア・ドラゴン2(原題) / How to Train Your Dragon 2』が作品賞を含む6部門で受賞した。3部門にノミネートされていた高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は無冠に終わった。

同賞は、国際アニメーション協会(ASIFA)が主催する映画賞で、アニメーション界のアカデミー賞ともいわれる賞。日本からは『かぐや姫の物語』が作品賞、監督賞(高畑勲監督)、音楽賞(久石譲)にノミネートされていた。

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Info. 2015/02/20 [TV] 映画『風立ちぬ』 金曜ロードSHOW! テレビ初放送!

宮崎駿監督の長編アニメーション引退作にして2013年公開の映画で最大のヒットを記録した『風立ちぬ』が2月20日、日本テレビ系『金曜ロードSHOW!』でテレビ初放送されることがこのほど、わかった。これを記念して同枠では前週となる2月13日に『崖の上のポニョ』(2008)と2週連続でジブリ特別企画を送る。また、ともにノーカット放送となる。

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Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」(キネ旬ムック) 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/1/31

2010年4月2日発売 ムック(書籍)
キネ旬ムック キネマ旬報特別編集 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇」

映画情報誌としても有名なキネマ旬報の特別編集版ムックです。「オールタイム・ベスト 映画遺産200 《外国映画篇》」「オールタイム・ベスト 映画遺産200  《日本映画篇》」というそれぞれの書籍と同様に別枠で1冊にまとめられたのが「オールタイム・ベスト 映画遺産200 映画音楽篇」です。

 

300ページにおよぶ映画音楽年鑑のようになっています。

  • 映画音楽が心にし残る映画 1位~20位紹介
  • ジャンル別映画音楽ベスト10
  • 心に残る映画歌曲・テーマ曲ベスト
  • 好きな映画音楽作曲家ベスト
  • 映画音楽の歴史

 

目次からの一部抜粋だけでもこういった感じです。もちろん洋画・邦画を総合的に扱っていますので、やや洋画が多い。錚々たる映画音楽作曲家が1ページごとに紹介されている項もあります。国内外問わず、そして年代を問わず、オールタイムな映画音楽の事典。

その中で、映画音楽作曲家インタビューで2人だけ取り上げられています。一人は冨田勲、そしてもう一人が久石譲です。8ページに及ぶロングインタビューです。

映画音楽のみならずTV・CM、そして現代音楽など、多岐にわたる作曲家としての顔をもつ久石譲ですが、ここでは《映画》そして《映画音楽》にフォーカスしてのインタビューですので、かなり映画音楽家としての久石譲に迫った内容になっています。

読み応えも満点です。感覚的に映画および映画音楽を楽しむのはもちろんのこと、「いろいろな背景や考えで、ここにこの音楽か」と作曲者の意図や思考に思いを馳せながら聴くのもまたおもしろいです。

70本以上の映画音楽を手がけてきた久石譲だからこそ、邦画からアニメーションまで、さらには海外作品まで手がけてきた久石譲だからこそ、語れる【映画音楽論】になっています。派生してインタビューで紹介されている、久石譲が印象に残っている映画や映画音楽も気になってきてしまいます。

 

 

別頁にて、同書籍より「映画音楽の歴史 ミニマルミュージック」も紹介しています。

Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」 【映画音楽とミニマルミュージック】 コラム紹介

 

 

 

映画音楽 作曲家インタビュー 久石譲
いちばん重要なのは、映像と音楽が対等であること

(取材・文:前島秀国)

 

映画音楽とはいったい何か

「風の谷のナウシカ」(84)から今年公開予定の最新作「悪人」(10)まで、常に日本映画の最前線で音楽を手がけてきた久石譲。作曲家としての活躍に加え、指揮者・ピアニストとしても映画音楽に深く関わり続ける彼に、まずは映画音楽の本質について訊ねてみた。

久石:
「これまで70本近い映画音楽を書かせていただきましたが、自分の中で『映画音楽とはいったい何か?』という疑問が未だに続いています。そもそも、映画音楽というものは、映像に付くものです。ところが、映像の中で展開している日常のドラマでは、本当は音楽が鳴っていないのですよ。それに敢えて逆らうような、いちばん不自然な形で音楽が流れてくる。観客の情緒を煽るためかというと、そうでもない。オーケストラで素晴らしいスコアを書いたら、それがいい映画音楽になるとも限らない。『パリ、テキサス』(84)のように、ライ・クーダーが奏でるギター1本のほうが、オーケストラよりもずっと心に沁みる場合もあります。このように、映画音楽の定義は非常に難しいのですが、基本的な作曲スタンスとしては、やはり映像と音楽の新鮮な出会いを追い求めていくことではないかと。毎回新しい発見がありますし、今でも答えを探し続けているというところでしょうか」

 

映画音楽は大きく分けて3つのタイプに集約できる

久石によれば、映画に音楽が付くケースは、大きく分けて3つのタイプに集約することができるという。

久石:
「第1のタイプは、ハリウッド映画に象徴される”テーマ主義”。『スター・ウォーズ』(77)のように、登場人物ごとにテーマをあてはめながら、画面をわかりやすくしていく手法です。テレビの場合にも言えますが、万人に訴えかけるエンターテインメントを作ろうとする時、この方法は決して悪い手法ではないんですよ。第2のタイプは”メインテーマ方式”あるいは”ライトモティーフ方式”と呼ばれるもの。このタイプには2つのサブタイプがあって、ひとつは『ティファニーで朝食を』(61)を例に挙げると、『ムーン・リバー』のような主題曲を作ることで映画全体のイメージを凝縮してしまう手法。『あ、この曲が流れる。とてもよかったね』と観客を納得させる方法です。もうひとつは、音楽を”第三の登場人物”のように鳴らしていく方法。本編の中で流れる回数は少なくても、あるいは劇の動きと合っていなくても、『なぜこの映画に、このモティーフが鳴るのか?』と観客が違和感を覚えるくらい明確に音楽を鳴らし、台本の求めている世界を表現していく。これは、どちらかというと社会性を帯びた作品、あるいは知的レベルの高い作品に多い手法です。第3のタイプは、音楽なのか効果音なのかわからない、いわばトータルで映像と音楽の関係を問い直す手法。これは、むしろアートに近いですね。昔のATG映画のように商業路線から距離を置いた作品か、あるいは作曲家がよほど監督の信頼を得ていないと使えない手法です。以上の3つのタイプに付け加えるものがあるとすれば、場所の状況の中で鳴る音楽、つまり喫茶店や酒場で流れているBGMの類ですが、これが実は非常に重要だったりします。このように映画音楽のタイプを論理的にカテゴライズした上で、いま頂いている台本に対し、どのようなスタンスで書いたらいいのか、それを絶えず意識しながら作っているところがありますね」

ちなみに、かつて久石は『ムーン・リバー』を、”理想的な映画音楽”として挙げたことがある。

久石:
「あれが映画音楽のひとつの理想形だと思うのは、映画全編がひとつのメロディで有機的に結合しているからです。まず、冒頭のタイトルバックでコーラスが『Moon river, wider than a mile…』といきなり歌い始めるでしょう? そのメロディを劇中でオードリー・ヘップバーンが歌いますが、あのギターの弾き語りのシーンなど、永遠に頭に残りますよね。よく言うのですが、良い映画には”良い映画音楽”と”悪い映画音楽”がある。ところが、悪い映画には”悪い映画音楽”はあっても”良い映画音楽”は絶対にない。残念ですが、元の本編が悪かったら、音楽だけ生き残ることはないのです。映画音楽というものは、あくまでも映像との相乗効果で力を発揮してくものですから」

 

メロディは映画音楽を象徴する”顔”

その『ムーン・リバー』のように、主題歌や主題曲のメロディは映画音楽の代名詞といっても過言ではない。作曲家の視点から見て、映画音楽のメロディとはどういうものだろうか。

久石:
「メロディは”コンセプト”と同義語です。例えば、最初に台本を頂いた段階で『この作品は、どのような音楽でいこうか』と考えるとします。オケが合うのか、室内音楽が合うのか、あるいはエレキギター1本だけでいくのか、打楽器だけでいくのか。そうしたアイディアを練り上げていくうちに、自分の考えのいちばん象徴的な部分、人間の部位で言うと”顔”に当たる部分が、メロディの形を採ってくるのです。『崖の上のポニョ』(08)の場合ですと、ポニョのメロディが浮かんだ瞬間、バックの音もこういうオケの音が合う、というのが必然的に決まりました。多くの場合、観客の記憶にいちばん強く残るのは、作曲家のコンセプトが表面に出てきたメロディです。そのメロディの持っているムードが画面に合うか合わないかで、映画音楽の良し悪しが決まると言っても良いでしょう」

久石が、自身の音楽的ルーツであるミニマルミュージックの語法を用いて映画音楽を作曲する場合にも、基本的には同じことが言えるという。

久石:
「ミニマル系の短いリズムパターンを主体にして書く時も、そのパターン自体がひとつの音形というか、メロディです。いわば、いちばん短い形のライトモティーフ。そのパターンが、音楽の核となる最も重要な部分です。そうしたセンターに来る要素を、初めにきっちり捕まえておかないと、周りからじわじわ攻めていっても肝心なものを逃してしまうことになります。このようにメロディやミニマルのリズムパターンは、映画音楽を考えている時のいちばん象徴的な部分ですね」

 

映画音楽の95パーセントはテクニックで決まる

そうしたメロディに加え、映画音楽では歌やオーケストラ、バンドなど、さまざまなスタイルが重要になってくる。

久石:
「先ほども例を出したライ・クーダーは非常に優秀な音楽家ですが、ギター1本という彼の特殊な方法論は『パリ、テキサス』のような作品に対して有効なのであって、すべての映画に対応できるわけではない。そうすると、彼を果たして映画音楽家と呼んでよいのか、という問題が出てきます。映画音楽家という看板を掲げる以上は、いろいろな作品に対応しなければならない。自分固有の音楽スタイルを持つことは絶対に必要ですが、そのスタイルの中からシリアスなもの、コミカルなものを書いていかなければならない」

画面と音楽を合わせていく時、その95パーセントはテクニックで決まると久石は断言する。

久石:
「例えば、2時間の映画を手がける場合、1本につき30数曲、ややシリアスな作品で曲数を減らしても15~16曲を書かなければなりません。それらの曲を本編のどの部分に付けるのか。いわば、音楽が流れない沈黙の部分も含めた、2時間の交響曲を書くようなものです。メインテーマがひとつ、サブテーマが複数あるとして、それらのテーマをどのように配置していくか。同じテーマを悲劇的に使ったり、軽く流したりする場合も、画面と呼吸を合わせていかなければならない。それらをすべて構成し、組み立て、全体のスコアをどう設計していくか。その95パーセントは、テクニックで決まります」

まず、どの段階で作曲を始めるのか。台本を読んだ段階から始めるのか、それともラッシュを見た上で作曲するのか。

久石:
「その時の状況にいちばん左右されますね。どちらが難しいというものでもないです。例えば宮崎監督の場合は、先にイメージアルバムを作らなければいけませんから、画を見るまで待ってから書くというわけにはいきません。自分である程度予想しながら考えていかなければならない。『おくりびと』(08)の場合には、台本を読ませていただいた段階で、主人公がチェロ奏者だとわかっていましたから、おそらく彼が弾くチェロがメインテーマになるだろうと予測し、台本を読んだだけで曲を書き、結果的にそれが非常にいい結果を生み出したケースです。逆に、監督のラッシュを少しずつ見ながら、テンポやその他の情報を全部自分の中にインプットして書いたほうがいいケースもあります。『私は貝になりたい』(08)の場合がそうですね。ああいう作品の場合は、ラッシュを見てからでないと全く作れないですね」

映画音楽のテクニックで最も難しいのは、映像と音楽を合わせるタイミングだが、それは一般に”映像と音楽がぴったり合う”と考えられているような、単純なものではないという。

久石:
「最初の頃は楽譜も全部手書きで、ストップウォッチ片手に『ここは何秒くらい』とフィルムの尺の長さを計っていったのですが、実は誤差が激しいんですよ。当時はまだ若かったから『タイミングもきっちり合わせなければ』と相当無理をしました(笑)。その後(シーケンサー機能とサンプリング機能を備えた)フェアライトのような電子楽器が出てきて、予めフレーム単位の細部までシミュレーションしてからレコーディングに臨めるようになったことは大きいです。そうすると、合わせる必要のあるものと必要のないものの違いが、はっきりわかるようになる。若い頃は、俳優が驚いて表情がパッと変わった瞬間、音楽も同じタイミングで変える、というようなことをやっていたわけです。ところが実際には、表情の変化と同時に音楽を変えるよりも、少し時間が経ってから音楽を変えた方が、インパクトが強くなってカッコいいんですよ。後出しジャンケンみたいなものですね(笑)。そういうことをいろいろ経験していくうちに、なんでもかんでもフレーム単位で合わせるのではなく、音楽的な流れを事前に計算した上で、本当に合わせる必要のある箇所以外は逆に無視することができるようになる。そういう意味でも、映画音楽の95パーセントはテクニックだと思うのです」

特に久石が重視するのは、最後の仕上げ段階の微調整だという。

久石:
「監督と事前の話し合いをしっかり行い、シンセサイザーで作ったラフな段階で音を確認していただきます。実はその後、音楽をガラッと変えることもあるんですが(笑)。つまり、最後の仕上げ段階で、微調整にじっくり時間をかけていく。監督にシンセ音源で確認をとった後、何度も見直していくうちに『ここはまだテンポが早い』と感じたら、ほんの数小節削り、全体のテンポをゆったりさせながら、画に馴染ませていくのです。録音当日、そこまで監督が気づくことは、まずありませんが。あとはきちんとした譜面を書いておけば、録音そのものは早いです。書いてしまえば、それをオーケストラが演奏するだけですから。現場対応でなんとかするのではなく、すべて前もって周到に準備しておかないとダメですね。」

 

映画監督と作曲家の理想的なスタンス

映画音楽が他の音楽活動と決定的に異なるのは、音楽の最終決定権が監督もしくは製作サイドに属するということだろう。久石の場合はどうだろうか。

久石:
「普段、ひとりで音楽をやっている時は、他人の意見が介入してくると音楽が成立しなくなる可能性が出てきます。ところが映画音楽の場合は、幸運なことに、発想の基準は常に監督の頭の中にある、というのが僕の考えです。特に、映画は監督に帰属するという意識が強い邦画の場合は、そうですね。例えば、僕らが映画音楽を書く場合、その期間は長くて半年か1年くらいです。ところが監督に関しては、その人が職業監督でない限り、自分で台本を書く場合にせよ、脚本家に注文をつけながら撮影稿を練っていく場合にせよ、ひとつの作品にだいたい2、3年の時間を費やすわけです。それだけの時間をかけた強い思いが、監督の頭の中にある。その意図を考えながら作曲していくというのが、僕のスタンスですね。監督から注文されたことに対し、明らかにそれは違うと感じた場合は意見を申し上げますけど、それ以外は、監督の意図を自分なりに掴み、音楽的にそれを解決しようと努力します。すると、ひとりで音楽をやっている時には予想もつかなかった、新たな自分が出てくるんですよ。『俺にはこういう表現ができるんだ』という。もっとダークなやり方でも音楽がいけそうだとか、メインテーマさえしっかり書いておけば、30曲あるうちの5、6曲は実験しても大丈夫そうだ、といったことが見えてきます。そういう意味で、映画音楽というのは、普段気になっている方法を実験する機会を監督に与えていただく場所でもあるのです。自分にとっては、非常に理想的なスタンスですね」

そうした監督の中でも、特に宮崎監督は別格だという。

久石:
「やはり、いちばん大きな影響を受けた監督ですね。凄まじいです。知識としての音楽ではなく、ある音楽が自分の映像に合うか合わないか、それを瞬時に判断する感覚がずば抜けているのです。もちろん、今までご一緒させていただいた監督も、皆さん聡明な方ばかりですよ。僕は基本的に、映画監督という存在をリスペクトしています」

 

日本映画の作曲と海外作品の作曲の違い

21世紀以降、久石は「Le Petit Poucet」(01)、「トンマッコルへようこそ」(05)、「おばさんのポストモダン生活」(06、映画祭上映)など、海外作品にも活躍の場を広げてきた。

久石:
「邦画でも洋画でも、作家としての基本姿勢は一貫して保つようにしています。つまり、台本を読ませていただいて監督が描きたい世界を把握し、単に相手側の注文に即して書くのではなく、自分が何を音楽で書きたいのか、はっきり掴むこと。この姿勢は実写でもアニメーションでも、あるいは映画でもCMでも常に同じです。ただし、方法論的な違いは存在しますが」

その最大の違いは、非常に基本的な事柄だが、台本が書かれた言語にあるという。

久石:
「中国映画の台本を頂いた時は、最初に読むと3時間くらいの長さに感じるのですが、実際には本編が2時間以内に収まるのです。つまり、言葉の情報量が日本語の台本に比べて非常に多いのですね。英語の台本も、やはり文字の分量が圧倒的に多いです。ところが、英語の場合は言語の性質のせいか、文字の分量の割に読み手に伝わる速度が速いのですよ。英語は、26文字のアルファベットしかありませんよね。その26文字を組み換えていきますから、基本的に構成力で成り立っている言語なのです。ですから、英語の台本の場合、音楽を全編に付けたとしても、音楽があんがい邪魔にならない。ところが日本語の場合、言葉を独自に作り出すところがありますから、観客は1音1音を注意深く聴きとならければならない。しかも、俳優が台詞に感情をこめたりすると、なおさら言葉が聴きとりにくくなるという面もあります。そうした台詞を聴き取れるように音楽を作っていくと(英語に比べて)自然と制約が多くなってくるのです。その意味でも、映画音楽の95パーセントはテクニックだと思うのですよ」

 

指揮者・演奏家の視点から見た映画音楽

映画音楽の作曲活動に加え、ここ10年あまりの久石が精力的に取り組んでいるのが、オーケストラの指揮活動。特に2004年、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ音楽監督に就任してからは、自作に加え、他の作曲家の映画音楽やクラシックの古典曲までレパートリーの裾野を広げている。

久石:
「映画音楽がクラシックと同じように演奏され、後世に残るかどうかは、実は非常に難しい問題です。原則的には残ると思いますが、そもそも映画音楽には多くの制約があります。これまで申し上げてきたように、映画音楽は映像から生まれますから、映像と一体化した時に初めて力を100パーセント発揮するものでないといけない。ですから、映画音楽を映像から切り離し、コンサート楽曲として演奏することが、必ずしも正しい在り方とは言いきれないのです。映像と独立した形で演奏が成立する音楽もあれば、そうでない音楽もありますから」

映画音楽をコンサート楽曲として成立させるために、久石が採っている解決法はアレンジという手段である。

久石:
「そもそも、楽曲にならないような素材を映画に使っても、決していい映画音楽には仕上がりません。映画音楽に限らず、どんな場合でもいちばん大切なのは、先ほど申し上げたメロディや、ミニマルのリズムパターンといった音楽的要素です。ですから、映画音楽は潜在的に、独立した音楽作品として成立し得ると思っています。ただし、本編で用いた楽曲をそのままコンサートにかけられませんから、核となるモティーフを使って新たにオーケストレーションを施し、作品として形を成すように努力します。一度作曲したものに手を加えるのは二度手間になりますから、大変な作業ですね。もともと、過去の作品を振り返ることに、あまり関心がないのです。コンサートの準備に3ヶ月を費やすと、その間、自分の曲が書けなくなってしまいますから、だんだんフラストレーションが溜まってくるのですよ。早く作曲に戻りたくて(笑)」

 

映画音楽作曲家を志す若手へのアドバイス

久石のような映画音楽作曲家を志す若い読者は、何を心がけ、勉強したらよいのだろうか。

久石:
「まず、映画音楽を書く書かないに関わらず、音楽家として多くを勉強し、自己の音楽スタイルを掘り下げて確立していく。その上で、映画音楽が書きたいのならば、映画を”仕事”として見るのではなく、とにかく映画を好きになって、出来るだけ多くの本数を見ることです。映画音楽のCDをたくさん聴いて、実際に本編で使われた曲とCDの収録曲がどのように異なるか、徹底的に分析することも必要でしょう。それから、本をたくさん読むこと。映画音楽というのは、やはりドラマが重要ですから、ドラマが理解できない人には無理なのです」

ただし、いくら努力しても映画音楽作曲家になれない側面が、ひとつだけ決定的に存在するという。

久石:
「残念ながら、その人の書いた音楽が映像を換起できる資質を持っていないと、映画音楽作曲家には向いていないかもしれません。鳴った瞬間に映像に寄り添える音と、そうではい音の違いは、決定的に存在します。それは仕方ないことですね。プロゴルファーに向いていても、野球選手に向いていないことだってありますから(笑)。誰でも野球選手になれるわけではない。同じように、クラシックの現代音楽に進むのか、あるいはジャズやポップスに進むのか、それとも映画音楽の作曲に進むのか、早いうちに見極める必要があります。非常に難しい問題ですけどね」

自己の音楽スタイルに関して言えば、久石自身は現在もミニマルミュージックの現代音楽を作曲している。

久石:
「ミニマルをやってきて今でも良かったと思っているのは、音楽を持続させるために『あれもこれも』とてんこ盛りにせず、ある一定の方向で統一感をとろうとする神経が強く働くようになったことです。その方向の中で許せる、ギリギリの変化というのは『風の谷のナウシカ』(84)以降、相当やってきましたね」

「ナウシカ」のテーマ曲『風の伝説』の冒頭部分は、ポップスのようにコード進行を頻繁に変えず、単一のコードを頑なに守っているが、これなどはミニマリストとしての久石の側面が顕著に表れた例と言えるだろう。

久石:
「例えば、ひとつのシークエンスで主人公の感情が高まっていく時、音楽がミニマルの語法で微細に変化していくと、大きな効果を生み出すことは事実です。だからといって、ミニマルの語法を映画音楽に用いるのは、自分が本気でミニマルに取り組んでいない限り、バーゲンセールに並ぶ大量生産品と同じで、非常に危険なことだと思います。よく、ラヴェルの『ボレロ』は同じパターンが続くから、あれもミニマルだと勘違いしてしまう人がいますよね。『ボレロ』はオスティナートで書かれていて、ミニマルとは違うのです。オスティナートの音楽が行きつく先は(ある種のカタルシスをもたらす)クライマックスですが、ミニマルはオスティナートではない。その違いがわかっていないと、最悪の結果をもたらしてしまう。フィリップ・グラスやマイケル・ナイマンといった人たちは、自分の本籍がミニマルにあることを充分認識した上で、映画音楽のメロディを書いていますから、そこに本物の自分が投影させているのです。グラスの『めぐりあう時間たち』(02)のスコアでも、彼は自分のコンサート楽曲と同じパターンを真剣勝負で出していますね。そのくらいの意気込みでやらないといけない。ミニマルの表面だけ見て、ひとつの音形を繰り返してズラせばいい、というのは単なるファッションに過ぎません」

 

迷った時はキューブリックに戻る

最後に、久石が好きな映画音楽もしくは影響を受けた作品について訊ねてみた。

久石:
「個別のケースを挙げていくとキリがないんですよね。『ブレードランナー』(82)の頃のヴァンゲリスが素晴らしいとか、『冒険者たち』(67)のピアノと弦楽カルテットなんて、それだけで音楽的に価値がありますよね。最近では『グラン・トリノ』(08)が圧倒的に素晴らしかった。あのテーマの旋律、だいたい流れが予測できるのですが、何度も繰り返されていくうちに、最後は『やられた!』と思って。いつも三管編成のオーケストラで音楽を書いていると、こういうシンプルな手法がすごく新鮮ですね」

久石が映画音楽の”教科書”として挙げるのは、なんとキューブリック作品であるという。

久石:
「キューブリックの全作品は、もう本当に衝撃的ですね。既成曲を映画の中できっちり使っていくのが彼の方法論ですが、音楽の意味が100パーセント発揮されるような音の使い方をしています。『2001年宇宙の旅』(68)や『アイズ・ワイド・シャット』(99)のワルツにしても、あるいはジョルジ・リゲティ現代音楽にしても。ただし、彼の方法論をそのまま採用すると、現役の映画音楽作曲家を否定してしまうことにも繋がりかねません。我々がキューブリックから学ぶべきいちばん重要な本質は”映像と音楽が対等であること”。対等であるということは、必ずしも音楽がしゃしゃり出ることを意味しません。僕は世間で俗に言う”劇伴”という言葉が大嫌いなのですが、映画音楽は、単に劇を伴奏するだけの”劇伴”であってはならない。精神的なレベルも含め、映画音楽はキューブリック作品のように映像と音楽が対等に渡り合う”劇音楽”であるべきです。ティンパニーが細切れに『トン・トン……』と叩くだけの場合でも、映像と音楽が対等であるかどうか。それが良い映画音楽の判断基準だと僕は思っています。単に『いいメロディが書けたから、スコアできれいにまとめよう』と安易な方法に走るのではなく、どうしたらそのメロディが各々のシーンと新鮮な出会いが出来るのか、それを毎日探し求めながら『おお、こんな表現が生まれた』と実験を重ねていくのが、おそらく映画音楽の正しいやり方だと思うのです。その意味で、迷えばいつもキューブリックに戻る、という感じですね」

(キネ旬ムック キネマ旬報特別編集 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇」 より)

 

 

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キネマ旬報 オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 (キネ旬ムック)

 

Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」 【映画音楽とミニマルミュージック】 コラム紹介

Posted on 2015/1/31

2010年4月2日発売 ムック(書籍)
キネ旬ムック キネマ旬報特別編集 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇」

映画情報誌としても有名なキネマ旬報の特別編集版ムックです。「オールタイム・ベスト 映画遺産200 《外国映画篇》」「オールタイム・ベスト 映画遺産200  《日本映画篇》」というそれぞれの書籍と同様に別枠で1冊にまとめられたのが「オールタイム・ベスト 映画遺産200 映画音楽篇」です。

 

300ページにおよぶ映画音楽年鑑のようになっています。

  • 映画音楽が心に残る映画 1位~20位紹介
  • ジャンル別映画音楽ベスト10
  • 心に残る映画歌曲・テーマ曲ベスト
  • 好きな映画音楽作曲家ベスト
  • 映画音楽の歴史

 

目次からの一部抜粋だけでもこういった感じです。この中の8ページに及ぶ久石譲インタビューは別頁にて紹介しています。

こちら ⇒ Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」(キネ旬ムック) 久石譲 インタビュー内容

 

 

ここでは別の角度から読み解いていきます。

 

コラム「映画音楽の歴史」

1. サイレント期~トーキー初期の映画音楽
映画音楽にサイレントは存在しない

2. サイレントからトーキーに至る日本映画
音楽と映像をめぐる二分法とそのあいだの豊かな濃淡の歴史

3. ハリウッド黄金期の作曲家たち
世界各地に出自を持つ才人たちが切磋琢磨した黄金の40~50年代

4. ヨーロッパ映画の戦後時代
人脈を核に復興へと向かっていった戦後ヨーロッパの映画音楽

5. アメリカン・ニュー・シネマとフランス・ヌーヴェル・ヴァーグ
映画音楽を変革したふたつの時代

6. ミュージカル映画の作曲家たち
舞台から映画へ、映画から舞台へ、その華やかな往来

7. バーンスティン、ゴールドスミス、ウィリアムズが作った時代
映画黄金期の終焉と入れ替わりに新時代を拓いた3人の作曲家

8.映画音楽におけるミニマリズムの影響
実験映画から娯楽大作に至るミニマリズムの系譜

9.ディズニーがこだわり続けた”音楽映画”
「蒸気船ウィリー」からアラン・メンケンまで

10. 現代ハリウッドの潮流
ジマーとその一派が席巻する現代 そして次代の映画音楽は?

 

 

映画が誕生したと言われている1895年から現在に至る約110年以上を映画音楽を軸に順を追って歴史を刻んでいるコラムです。その中から、直接久石譲のインタビューではないですが関連性のある題。映画音楽とミニマル・ミュージックについて。このコラムをご紹介します。

 

 

映画音楽の歴史 8.映画音楽におけるミニマリズムの影響
実験映画から娯楽大作に至るミニマリズムの系譜

本稿で扱うミニマリズム(ミニマルミュージック)とは、主として1960年代にスティーヴ・ライヒ、テリー・ライリー、フィリップ・グラスらが始めた、短い音形やパターンを反復する音楽とその手法を言う。この用語は「ピアノ・レッスン」(93)の作曲家マイケル・ナイマンが68年に初めて音楽の分野に導入し、その後70年代に入ってから、前記3人に影響を受けた音楽や、その亜流まで広く指すようになった。

映画音楽におけるミニマリズムの影響を振り返る前に、ライヒとグラスが活動初期に実験映画と関わりを持ち、それらが彼らの音楽語法を開拓する契機となったことは、是非とも確認しておきたい事実である。前者は、サンフランシスコの実験作家バート・ネルソンの「Plastic Haircut」(63)ほか2本の短編でテープ音楽を用いたサウンドトラックを手がけ、それがテープループの無限反復でカノン(輪唱)を生み出すライヒ独特の反復技法の発見に繋がった。その後、サンフランシスコの映画作家/編集者のウォルター・マーチがライヒの技法に注目し、「THX – 1138」(71、テレビ放映)の音響編集でテープループを用いたサウンドコラージュを手がけるが、ライヒの直接的影響が確認できる商業映画としては、おそらくこれが最初の例であろう。一方のグラスは、パリ留学中にシタール奏者ラヴィ・シャンカールが音楽を手がけた「チャパクァ」(66)の譜面作成と演奏に携わるが、そこで学んだインド音楽の伝統的な演奏法にヒントを得て、西洋的な拍節構造に頼らず、音符の増減に基づく反復(加算・減算構造)で音楽を後世する手法を編み出した。

商業映画の音楽に進出した最初のミニマリストは、ドラマ「眼を閉じて」(71)とホラー「バイオスパン/暗黒の実験」(76、ビデオ公開)を手がけたテリー・ライリーである。ドローンの持続とリズムパターンの反復、それにインド楽器の使用に、ライリーらしいミニマリズムを聴くことができる。

しかしながら、ミニマリズムは、上述の3人のミニマリストが映画音楽に直接その影響をもたらしたというより、ミニマリストから何らかの影響を受けたプログレッシヴロックが、映画と関わることで、ミニマリズムの影響を間接的に伝えていったと言う方が、より事態を正確に表わしている。その最も顕著な例が、マイク・オールドフィールドのアルバム『チューブラー・ベルズ』をテーマ曲に転用した「エクソシスト」(73)であろう。「ひたひたと反復を繰り返すミニマリズム = ホラー映画」という連想を一般観客に植え付けた『チューブラー・ベルズ』は、実のところ、オールドフィールドの作曲意図を全く考慮せず選曲されたものに過ぎない。ただし、彼自身は「キリング・フィールド」(84)のプノンペン陥落場面でミニマリズムに基づく音楽を書いており、ヘリコプターのローター音を周期的なパルス音に用いた斬新なアプローチが効果を上げている。

ホラー映画の文脈でミニマリズムの影響をはっきり公言した例としては、イタリアのプログレバンド、ゴブリン(特にキーボード担当のクラウディオ・シモネッティ)が広く知られている。「サスペリア2」(75)から、すでに『チューブラー・ベルズ』を媒体にしたミニマリズムの影響を見ることができるが、より露骨なのは「サスペリア」(77)のスコアだろう。その中の『エレーナー・マルコス』なる楽曲で、ゴブリンは69年のグラスの作品『似た動きの音楽』を無断編曲している。

映画音楽におけるミニマリズムの影響が顕在化した最初の国は、おそらくイギリスであろう。その大きな要因として、ライヒやグラスと直接的な交流があった英国人作曲家マイケル・ナイマンとブライアン・イーノの存在が挙げられる。ナイマンはピーター・グリーナウェイ監督とコンビを組んで「VERTICAL FEATURES REMAKE」(78)ほかの実験映画を手がけ、映像と音楽双方からミニマルという概念を定義し直そうとした試みが重要である。ナイマンはグリーナウェイとの共同作業と通じ、当初の彼の研究対象であったパーセルほかバロック音楽に見られるグラウンドバス(低音主題)の技法を、ミニマリズムの文脈で再発見することになった。これに対し、イーノはミニマリズムから一定の影響を受けつつも、彼が生み出したアンビエントミュージック(とその思想)を映画音楽に導入しようと試みた。78年のイーノのアルバム『ミュージック・フォー・フィルムズ』は、一種のストックミュージックとして作られたもので、グリーナウェイの「VERTICAL~」ほか、イーノが作曲者としてクレジットされた「エゴン・シーレ」(80)などで実際に使用されている。

ナイマンの「英国式庭園殺人事件」(82)やグラスの「コヤニスカッティ」(83)が商業映画として公開され、ミニマリズムの作曲家だった久石譲が「風の谷のナウシカ」(84)を手がけた頃から、ミニマリズムに基づく映画音楽は徐々に市民権を得るようになったと言ってよい。有名なところでは、坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」(83)の『バタヴィア』がミニマリズムに基づいている。

近年では、現代作曲家ドン(ドナルド)・デイヴィスが手がけた「マトリックス」(99)と2本の続編が重要である。ここでデイヴィスは、彼が影響を受けたポストミニマリズムの作曲家ジョン・アダムズの方法論を応用し、巨大な編成のオーケストラで反復音形を拡大する実験を行っている。

ジョン・ウィリアムズの「A.I.」(01)やハンス・ジマーとジェームズ・ニュートン・ハワードの共作「ダークナイト」(08)などのスコアに見られるように、今やミニマリズムは映画音楽の製作現場における一種の共通言語となった感がある。だが、日本のテレビ選曲担当者がライヒの楽曲を日夜垂れ流している現実が象徴しているように、テンプトラック(仮音源)製作の段階で安易に選曲されたミニマリズムの楽曲が映画音楽に画一化をもたらす現況のひとつのなっているのも、事実である。

(キネ旬ムック キネマ旬報特別編集 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇」 より)

 

 

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キネマ旬報 オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 (キネ旬ムック)

 

Blog. 「キネマ旬報 1987年12月上旬号 No.963」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/1/30

遡ること約30年前。

映画雑誌「キネマ旬報 1987年12月上旬号 No.963」表紙からもわかるように、洋画でいえば『バトルランナー』や『スーパーマン4』の時代。邦画でいえば『私をスキーに連れてって』や『ビー・バップ・ハイスクール』。

そんな時代の久石譲インタビューです。久石譲音楽活動でいうと『風の谷のナウシカ』から『となりのトトロ』まで。邦画では『Wの悲劇』 『めぞん一刻』 『恋人たちの時刻』 『漂流教室』など。

 

ディスコグラフィーではこのあたりです。
Discography 1980-

 

インタビューでも映画名などが登場しますのでわかるかと思います。今となっては大変貴重な年代物インタビュー内容となります。見開き4ページに及ぶロングインタビュー。当時の映画業界、映画音楽業界、そして久石譲のスタイル。いろいろな歴史が垣間見れる内容になっています。

 

 

スペシャル・インタビュー 久石譲
つねにスペシャル・ブランドでありたい

一度、話を聞いてみたかった。
日本映画から〈映画音楽〉がほとんど忘れ去られようとしていたとき、この人の旋律が、再び映画の中の〈音〉の必要性を主張した気がする。というのも、この〈久石メロディ〉は、旋律が映画そのもののある部分を語る、という、本来の、由緒正しい映画音楽のあり方を提示しているように思うからだ(もちろん、〈音〉に優れて理解を示す映画監督との出会いがあったことを見逃すわけにはいかない)。

映画各賞の〈映画音楽〉部門の立ち遅れ(このことが映画音楽が公に認知されない最大のネックになっている!)、音楽製作費のロゥ・バジェット化……そうした、厳しい現実の中で〈音〉に何を託し、何を伝えようとするのか? あれこれと聞いてみた。

 

●映画音楽は、もっと格調のある分野

-映画音楽の道に進むようになったきっかけは?

久石:
「父親が大の映画好きだったので、幼稚園時代から、かなりの量の作品を見ていたんです(笑)。日本映画の全盛時代でしたから、週替りで三本立て、五社ともちゃんとやってましたからね。たいへんな量を見ました。親父が高校の教師をやってまして、当時高校生は映画を見てはいけない!というムードがあったらしく、親父は他の先生の分まで見回りと称しては僕を連れて見に行ったんです(笑)。月24本ぐらいは軽く見てましたね。そんな生活が、3~4年は続きました。たぶん、その体験が原点になっているんじゃないですか」

1950年生まれ。5歳からバイオリンを習い、国立音楽大学の作曲科を卒業。在学中、アメリカのフィリップ・グラスらによるミニマル・ミュージックに大きな影響を受け、作曲活動に入る。卒業したその年、テレビ「はじめ人間ギャートルズ」(74年)の音楽を担当。注目を集める。翌年には日本フィルハーモニーのコンサートのために、数かずの映画音楽の名曲をオーケストラ用に編曲した(自作フィルモグラフィーは別項を参照)。

大学の先輩に黒澤映画で知られる佐藤勝氏がいる。氏に就いて何本か手がける一方、ドキュメンタリー映画の音楽も数本、担当している。「現場でのキャリアはそうとうなもんですよ」と言う。

-〈映画音楽〉って、わりとポピュラー・ラインの世界だと思うのですが……

久石:
「本来はポピュラーの領域ですけど、基本はやはりクラシックに属しますね。クラシックの書き方ができないと、映画音楽はできません。ベース、ドラム、ギター、ピアノがあって、メロディがあって……ということでしか音楽を考えられない人は〈歌〉は書けるけど、映画音楽は絶対書けないでしょうね。理想はポップスを良くわかっていて、いちばん新しい感性を持ちつつ、クラシックの技術をキッチリ身につけていることですよ」

-最も影響を受けた作品は?

久石:
「なんでも好きになってしまうから、かなりむずかしい質問ですね(笑)。映像的に影響を受けているものと、音楽的に影響されたものとはぜんぜん別ですからね……『サテリコン』や『王女メディア』だっていいと思うし、『スター・ウォーズ』だって素晴らしいしね。小津さんの映画にだって、のめり込んでしまうし(笑)。こだわらないで、いかに自由にいられるか……そのことのほうが大切だと思う」

-久石さんというと、すぐに思い浮かぶのが『風の谷のナウシカ』なわけですが、どういういきさつで担当するようになったのですか?

久石:
「ドキュメンタリーやテレビなどをこなしてきて、一時欲求不満に陥ったんです。劇伴録りって、短時間で仕上げなければならないし、録音はモノラルでしょ。完成度を求めるのがむずかしくなって、それで欲求不満になった。そのため仕事の質をレコードのほうに切り替えたんです。映画と少し距離をおいたわけです。ですから、久しぶりに手がけたのが、あの『風の谷のナウシカ』だった。映画に入る前にイメージ・アルバムというものを作り、その中から宮崎監督が各場面に合うようにチョイスしていったわけです」

-そのイメージ・アルバムは、久石さんが、原作からイメージしたモティーフを、自由にふくらまして作ったものですか?

久石:
「その通りです。ただ、何とかのテーマという風に作ったものが、宮崎監督の希望で他の場面に使われましたけど、基本的には映画もイメージ・アルバムのままです」

-宮崎監督とは、とくに綿密な打合せを持ったわけですか?

久石:
「初めての経験といっていいぐらい、そりゃもう細かかったですね(笑)。二日二晩続けて、ああでもない、こうでもない、と話し合いましたよ。こんなに細かいことをやっている人はいないんじゃないか、と思ってきたほどですからね。自分で自分に感動しちゃいました(笑)」

-『風の谷のナウシカ』のあと、澤井監督の『Wの悲劇』を担当しましたね。『風の谷のナウシカ』とはかなり違う音楽世界のように思うのですが?

久石:
「そうですか、僕は逆に『風の谷のナウシカ』と同じように仕上げたつもりですけど……僕のメロディ・ラインはイギリスのフォーク・ソングっぽい、アイルランド民謡を含めて。それが僕の音楽の原点なんです。そういう意味で、『Wの悲劇』のテーマも、『風の谷のナウシカ』のテーマもまったく同じモードなんですよ」

-『Wの悲劇』の中で、薬師丸ひろ子がアパートに帰ってきて、カレンダーに◯をつける場面がありますね。あのあたりからピアノの独奏曲が展開されていく……

久石:
「僕自身、あの場面が好きだったので、どうしてもピアノ・ソロでやりたかった。ご存じのように、『風の谷のナウシカ』のテーマもピアノ独奏で入っています。できるだけ僕自身のスタイルを変えない方向で、『Wの悲劇』の音楽を作ったわけです。というのは、日本の映画音楽をやられる方って、スーパー・マーケット的な考え方をするでしょ。あれもできる、これもできるっていうのが、いいと思っている。こう言っちゃなんですけど、古い方って、みんなそうだと思う。ジャズっぽく行こうとか、クラシック的に行こうとかね。僕はまったくそういう考え方持っていませんから……何をやろうと自分は自分だから同じスタイルで通す、というのをかなり強く考えていますね。見せ物小屋にしたくない。つねにスペシャル・ブランドでありたいわけです。レコーディングの仕事をかなりやっていることもあって、器用貧乏っていうのが、いちばんイヤな言葉なんです(笑)。ですから自分がやるものはすべてブランド品にする!という気持ちが強いんです。『風の谷のナウシカ』はスペクタクルな物語、片や『Wの悲劇』は非常に日常的な女の子の話……。当然、表現の幅にダイナミックなものと、かなり抑えたものという差はありますが、根本的な音楽の書き方と変える必要はないと思っていました」

-スコットランドやアイルランド民謡は小さい頃から聞きなれていたわけですか?

久石:
「僕に限らず、たいていの日本人の方はそうではないでしょうか。〈蛍の光〉とか、〈ロンドンデリーの歌〉とか、みんなあちらの民謡ですよね。文部省の教科書がほとんどそうだから、日本人は意外なくらい、あちらの旋律線というものを持っている。共通項はかなりありますよ。『風の谷のナウシカ』のテーマは、アイルランドやスコットランド民謡を意識して作りました。理論的にではなく、雰囲気としてね……シンプルで、どこか懐かしい感じを出したかったわけです。あのあたりが、自分の世界なんだなあと思います」

-『Wの悲劇』の劇中劇のバックに流れる曲、あれは?

久石:
「エリック・サティです。〈ジムノペディ〉だったと思います」

-日本映画の悪いところは、そうした、映画で使われたクラシックの曲名をちゃんとタイトル表示しないことだと思うのですが?

久石:
「おっしゃる通りですよ。使ったものは、必ず表示すべきなんです」

-澤井監督は音楽に細かく注文をつけられる人ですか?

久石:
「細かい方だと思います。サティの〈ジムノペディ〉はもともとはピアノ曲なんですけど、澤井監督の希望もあって、オーケストラ用にアレンジしなおしたわけです。音楽に理解の深い人です、澤井監督は」(著者注=澤井信一郎監督はハーモニカの名人として、知る人ぞ知る!の存在である)

-アイルランド、スコットランド民謡ということで、ふとひらめくのが、『天空の城ラピュタ』ですね。

久石:
「そうですね、かなり近いメロディ・ラインを持っていますね。『早春物語』のテーマ曲もそうですし、蔵原監督の『春の鐘』もそうですね。そうした一貫性というのが、僕のブランドなんです。素直に自分のメロディで書いたもので通したいということです。何なに風に書いてください、と頼まれると、すぐお断りしますね。たとえば、ジョン・ウィリアムズ風に勇壮なオーケストラ……じゃジョン・ウィリアムズに頼めば……となっちゃうわけですよ。僕がやることじゃない。余談になりますけど、ジョン・ウィリアムズの曲はどれを聞いても同じだ、という風に良く言われますけど、それはまったくナンセンスな話なんですね。つまり、彼ほど音楽的な教養も、程度も高い人になると、あれ風、これ風に書こうと思えば簡単なんですよ。だけど、あれほどあからさまに『スター・ウォーズ』と『スーパーマン』のテーマが似ちゃうのは、あれが彼の突き詰めたスタイルだから変えられないわけですよ。次元さえ下げればどんなものでも書けるんです。だけど、自分が世界で認知されている音というものは、一つしかないんです。大作であればあるほど、自分を出しきれば出しきるほど、似てくるもんなんです」

-『天空の城ラピュタ』からですか、フェアライトという楽器を使われてましたね……

久石:
「いえ、『Wの悲劇』でも、『風の谷のナウシカ』でも使っています」

-どういう楽器なんですか?

久石:
「生の音……どんな音でもいいんですけど、それをデジタル信号で記憶させて出すわけです。ですから、そのままの、それこそ生の音で得られるわけです。どんな場面で使われているかほとんど気づかないと思いますよ」

-フェアライトを使って音楽をつけている人はけっこういるわけですか?

久石:
「歌の世界、ヒット・ラインでは普通に使われてますけど、お金と時間がかかるから、映画音楽の世界ではまだまだですね」

-日本映画って、その点で音楽にあまりお金をかけないんじゃないですか?

久石:
「そうだと思いますよ……だけど、僕は普通の人の4倍は貰いますし、期間もそれなりに貰わなければ作りません。誰かがツッぱらなければ、本当に、単なるアホな劇伴になっちゃうんですよ。僕のやり方を見てて、俺だったら6、7時間で全部録っちゃうし、3日もあれば作曲しちゃうのになぁ……あいつは作曲に1~2週間、録音にも1週間かけやがって……って、昔流の人はよく言うんですよ。でもそれこそとんでもない話で、僕は20代の頃4時間に70曲も録音するという悲惨なレコーディングを死ぬほどやってきているんですよね。早く書こう、早くやろうと思ったら、いくらでも出来るんです。だけど、それはスーパー・マーケットみたいなもんで、バーゲン・セールばかりじゃどうしようもないわけです。映画が本当の意味でも高級な芸術で、大衆のものであって、高度なエンターテインメントであるならば、このシーンにはこの音楽しかない!単に一シーンの一音楽のために、録音に3日間かかった、製作費100万円をかけた、でも、価値があったら、それでいいじゃないですか。誰かが、そういうハイブロウなところをやっておかなかったら、みんなで劇伴屋になり下がっていっちゃう。そういうことで、僕はメチャクチャつっぱるし、お金がないんですって言われたら、じゃ他の人に頼んでください、というしかない。どうしても僕が欲しかったら、都合つけてください、と返事するしかないんですよ。映画を制作する人に本気を出してほしい。ドルビーでなければやりません……とか、いろいろ条件を出すべきなんです。誰かが言わなければ、本当に悲惨なものになりますよ、この世界は。日本の映画音楽は安くて当然と思われているし、もしそういうことがあたり前とするならば、その中からいい作品を誕生させようなんてとんでもない話ですよ。もっと格調のある分野だと思うんですけどね」

 

●トータルなコーディネートをめざして

-作曲するときに、いつも心がけていることは?

久石:
「つねにどんな場合でも、映像と対等であるということ。以前は、出来るだけ映画の進行を邪魔しないようにつけていたんですけど、最近はもっと雄弁に語ろうと心がけていますね。やり方としては、台本の段階で60~70%ぐらい仕上げ、ラッシュを見せてもらって監督さんのテンポをつかみます。数回見せてもらいますね。そうすると、台本の段階でたとえば4分間の音楽を書いていても、そのシーンの呼吸と音楽の呼吸を無理なく合わせられるわけなんです。ムラがなくなるんです」

-『Wの悲劇』『早春物語』『恋人たちの時刻』では主題歌ということで、エンディングに久石さんの音楽じゃない歌がかかりますね。『めぞん一刻』ではギルバート・オサリバンの”ゲットバック”が挿入歌として使われ、”アローン・アゲイン”がエンディングに流れます。そういう音楽の扱い方と、音楽プロデューサーと呼ばれるスタッフの存在など、映画音楽をめぐる状況は変化しつつあるのではないですか?

久石:
「それは最近の私の活動と一致してくることなんですけど、一時期アメリカ映画でサウンドトラックの作曲者と最後に流れるテーマソングの作曲者が別のスタイルがありましたよね。それが日本の角川映画等に影響をあたえた。でも、アメリカはとっくにその傾向が終わっているのに日本映画はまだ続けている。レコード会社にとっておいしいのは、サントラじゃなくて、主題歌のほうなんですね。そのスタイルが定着しすぎてしまったために、映画音楽のトータル・コーディネート、トータル・プロデュースが非常にしづらいんです。だから主題歌は完全に切り離して考えざるを得ないんです。主題歌といっても、レコード会社が勝手にヒットを狙うために映画にくっつけ、宣伝にさえなってくれればいいや、ぐらいにしか考えていませんからね。実際問題、映画と主題歌は全然合ってないですよ。レコード会社と映画関係者の仲というのは、本当ひどいですよ。何回やってもそう思うけど、絶対に合い入れない。『めぞん一刻』ぐらいまでは、僕がタッチする以前にすでにビジネス・パッケージが組まれていましたから、どうすることもできなかったですね」

-その『めぞん一刻』では、それまでの音楽タッチとはガラリ変わった感じを出していましたね。

久石:
「それまではクラシックをベースにしたものを考えていたんです。あるとき、このまま行くとオジン臭くなるんじゃないか(笑)と危惧を持って、去年は音楽のアバンギャルドをしてみようと思ったんです。『熱海殺人事件』ではアート・オブ・ノイズばりのいちばんナウいところに挑戦したわけです。僕はレコーディング・アーティストとしては、非常に前衛っぽいことをやってますから。それに素直なラインで作ってみようと考えたんです。『めぞん一刻』でも、澤井監督が、それでいきましょう、と言ってくれたので、目いっぱいいってしまったわけです(笑)」

-でも、続く『恋人たちの時刻』では、再び『Wの悲劇』のようなラインに戻ったと思うのですが?

久石:
「戻りましたね。いちばんまとまってしまった作品になったようですね。あの頃からいろいろ考えまして『恋人たちの時刻』以降、テーマソングを含めて、僕自身がすべてタッチするという方向でやるようになったんです。映画をトータルに考えるためには、いまのようなビジネス的背景では仕事がしづらいと思いましてね……劇伴ではなくレコード業界でもやれて、映画界もよく知っている人間……ということで、そろそろ自分がそういう役割をしなきゃならないんだなあ、と考えたわけです。『漂流教室』で今井美樹を起用したのも僕です。こうなると、プロデューサー活動が主になる。でも、そうまでしなきゃ、いまの現状はなかなか変えることができない」

-『天空の城ラピュタ』でも、〈君をのせて〉という主題歌を井上あずみにうたわせていますね。

久石:
「まあ、あの作品あたりからプロデューサー的な立場で音楽にタッチしていったわけです。注文作曲家じゃない!という姿勢で全部やるようにしていますからわずらわしいことにもかかわって、いいスタッフになろうと努力しているんです」

-『この愛の物語』では、またガラリ変わったラインでやってましたね。

久石:
「これはビジネスにからんでくることなんです。アメリカ映画が『フラッシュダンス』以降、ミュージック映画として何曲かどんどん曲を入れて、そこからヒット曲を出しましたよね。それがきっかけで、映画の内容に関係なく、映画に使ってほしいと持ち込んで、一本の作品に何人もの作曲家が参加して、いくつものレコード会社が合乗りでやっていますね。そういう新しいマーケットが出来たことに、日本映画も注目すべきなんですよ。『この愛の物語』でその先兵をやってみたかった。現在、サントラ盤というものはまったく売れていないんです。ところが、映画音楽の製作費は、映画の製作費ではまかなえないんです。ですから、レコード会社に製作費を出させて、サントラ盤を出すというパッケージしか組めないんです。でも、サントラ盤は売れない。そうなると、誰かがサントラ盤は売れるんだ!ということをやってみせなければ、もっと悲惨な状態になってしまう。僕としては、ここでどうしてもサントラ盤を売るということをやって見せたかった。そのため、トータルなコーディネートを目ざしたんです。あの映画の中には11曲、そのうち8曲は映画のためのオリジナルです。台本の段階でそのシーンのイメージに近い曲を既製の楽曲から集める。それを監督に聞いてもらう。撮影中もその曲を流してもらった。次にそのシーンに合う曲を作り、歌詞を発注する。アレンジされた曲をもとに、もう一度、歌手、歌手選びと歌詞をやり直す。音楽が自然に流れていたはずです。血のにじむ努力ですね、あれは。3ヵ月、レコーディング時間はトータル350時間を超えましたからね」

-確かに、『この愛の物語』では全篇に歌が流れていたような印象が強いですね。

久石:
「一つひとつテーマを決めて、その中で自分がいまどんな活動をしなきゃならないか、ということをハッキリさせる必要があった。本来、映画音楽というものは、インストゥルメンタルできっちりやるのが正しい方法なんです。必ずそうありたいし、だけど現状ではそれをやっても誰も見向きもしてくれない。その現状の中で、少しでも良くできることがあったら、まずそれをすべきです。いろんな人たちから目を向けてもらう必要がある。映画が、音楽的な背景でいちばん立ち遅れているんです。昔は、映画館がいちばんいい音を持っていたのにね……。いまは、ほとんどの人がCDを聞いているのに、古臭い音を依然引きずっているのは映画館だけですよ。『アリオン』をやったとき、日本にはもっとドルビー館が必要だなあと思いましたね。この一年のあいだに、ドルビー館がすごく増えましたでしょ、遅まきながらでも。これがあたり前なんです。映画がよりエンターテインメントできる環境作りが出来上がってきたわけですね。その中で、自分の手でやれる範囲というのは、なにも自分の曲だけに限ったことじゃないと思う。少しずつでも改革できればなあ、と思いますね」

-ここ2年間ぐらいは映画音楽を作る人たちにとっては、いい環境になってきているわけですね?

久石:
「上映する環境としては整備されてきましたよね。でも、製作サイドが音楽作りに理解を示してきているかといえば、必ずしもそうではありませんね。日本はやっぱり活字文化なんですね、目に見えるものにはお金は出すけど、見えないものには出しませんよ。それはもう見事なくらいですね(笑)。遅れてますよ。必要以上に言葉で説明しすぎます。言葉の数が多すぎますよね。そのあたりのことは、毎回口すっぱく言っていかないと、どうにもならないでしょうね。『漂流教室』をやったとき、あの映画はほとんどが英語のダイアローグだったでしょ、だから日本語に比べて60%以内でセリフが終わっちゃうんです。その分、空白の部分がたくさん作れたわけですよね。まあ、そういう作品がもっともっと作られるべきじゃないでしょうか」

久石音楽の最近作は『ドン松五郎の大冒険』である。

久石:
「立花理佐が歌う主題歌とメインテーマが、いちばんうまい形でからんだ作品になりました。ファミリー映画ですからね、メリハリをつけて、明るく、あいまいさ抜きで、素直にダイナミックにつけましたね」

今後は、「なんとしても、外国の作品をやれるまで、ガンバリたいですね」と、抱負を語る。これまで映画の中で手がけたピアノ・ソロ曲をアルバムにする計画もあるとか。

久石:
「自分の作品が評価されるのは監督さんとのコミュニケーションがうまく取れたからだと思います。映画って、結局のところ監督のものなんですね。スタッフのものじゃないんです。監督を頂点としたピラミッドの中で作りますから、監督と僕のコミュニケーションが取れるということは、レコード会社を含めたビジネスに集約されていくんです」

現在、日本の映画音楽の最先端に位置する人だけに、その活動とともに、作品ごとに仕掛けてくる音楽のあり方にも相当の話題を呼びそうだ。「映画の中で音楽が占めている割合って、それなりに大切だと思います。しかし、何をつけても一応サマになっちゃう可能性もあるんですね。本物をきっちりおさえていく作業が、これからはいっそう求められると思います。自分が先兵となって、多少でもツッぱってみたい……」と語ってくれたその言葉が、じつに印象深い。

取材・構成 田沼雄一

(「キネマ旬報 1987年12月上旬号 No.963」より)

 

キネマ旬報 1987 12

 

Blog. 「クラシック プレミアム 28 ~ピアノ名曲集~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/1/29

クラシックプレミアム第28巻は、ピアノ名曲集です。

偉大な作曲家たちのピアノ名曲たちを、現代を代表するピアニストたちの名演奏で楽しむことができます。聴きなれたおなじみの曲ばかりですが、屈指の名演奏により新しい印象をうける楽曲も多いです。

 

【収録曲】
ベートーヴェン
《エリーゼのために》
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)
録音/1961年

シューベルト
即興曲第1集より 第3番・第4番
内田光子(ピアノ)
録音/1996年

シューマン
《子供の情景》より〈見知らぬ国より〉 〈トロイメライ〉
ラドゥ・ルプー(ピアノ)
録音/1993年

ブラームス
ハンガリー舞曲 第1番・第5番
カティア&マリエル・ラベック(ピアノ)
録音/1981年

ラフマニノフ
前奏曲《鐘》
ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
録音/1975年

ドビュッシー
《ベルガマスク組曲》より〈月の光〉
アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)
録音/1985年

《前奏曲集》第1巻より 〈亜麻色の髪の乙女〉
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)
録音/1978年

ラヴェル
《夜のガスパール》より 〈オンディーヌ〉 〈スカルボ〉
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
録音/1974年

サティ
《3つのジムノペディ》より 第1番、《おまえが欲しい》
パスカル・ロジェ(ピアノ)
録音/1983年

 

 

巻末の西洋古典音楽史では、「なぜ指揮者がいるのか?(上)」がテーマでおもしろかったです。なかなか業界人でなければわからない実態?!なども具体的な事例をふまえて辛辣に紹介されていました。

少し要点を抜粋してご紹介します。

 

「昔日本のオーケストラのコンサートマスターの方が、自分の楽団の常任指揮者のことをいつもくそみたいにこき下ろしていたのを思い出す。オーケストラと指揮者は敵対関係にあるのが常で、そもそもオーケストラの団員が自分のところの指揮者をほめることなど滅多になく、いずれにしても指揮者とはことほどさように憎まれ役であって、オーケストラから「あんなやつならいないほうがマシ」と思われていない指揮者を探すほうが、実は難しいと言っても過言ではないようなところがある。」

「個々の楽器の「入り」(特にソロのパッセージ)の指示も、指揮者の大事な仕事である。特に金管楽器などは、何十小節、特に何百小節も休みがあってから、いきなりソロが回ってくるということも珍しくない。そういう時はプロであっても入る時に「本当にここで合っているんだろうか…」とプレッシャーがかかる。だから指揮者に「はいどうぞ」とやってもらえると助かる。逆に言えば、ある指揮者がきちんとサインを出せるかどうかの見極めはオーケストラのプレーヤーの最大の関心事の一つであって、サインを出すのが難しいところで「指揮者いじめ」をやったという話も時々聞く。例えばヴァイオリンに非常に複雑なリズムが出てきて、それに指揮者がかかりっきりにならざるをえないような箇所で、金管のプレーヤーがわざと「そこはこっちも難しいので、僕にもサインくださ~い」などと言って嫌がらせをするといった類のことである。こういうときに涼しい顔をして「いいよ」と答え、右手でヴァイオリンを振りながら、左手で金管にサインを出したりできれば、その指揮者の株は大いに上がるだろう。オーケストラ・プレーヤーが何より恐れるのは自分だけが恥をかくこと、つまり「落ちる(今どこにいるかわからなくなる)」ことなのである。」

「超一流のオーケストラともなれば、実は指揮者なしでもたいがいのレパートリーは、自分たちで演奏できてしまうはずである。「こいつはダメだ」とばかりに指揮者を見限ると、もう彼の意向は無視して、コンサートマスターに合わせて自分たちだけで勝手に弾き切ってしまうこともある(もちろん彼らはそんな内幕をばらしたりはしないだろうが、客席で聴いていて明らかにそうだとわかるケースは確かにある)。」

「わかりきっていることをわざわざ指示する指揮者は逆に嫌われる。指揮者は余計なことは何もせず、ただそこに居てくれるだけでいい、ということになる。そもそもオーケストラのプレーヤーたちは、指揮者が何もせずただ目の前に居るだけでも、彼が音楽を隅々まで掌握しているかどうか、あっという間に見破ってしまうはずだ。そして「こいつは何か持っている」と思えばついてくるし、「こいつはダメだ」と思うと無視を決め込む。」

「知人のあるオーケストラ・プレーヤーが言っていた。指揮者が何かを持っているか持っていないか、3分もあればわかる、と。「本当に?」と問う私に、彼は言った。「60人以上のプロが120以上の目でもって、たった一人の人間の一挙手一投足を凝視しているんだよ!彼が言っていること、彼がやっていることが本物か付け焼き刃かなんて、あっという間にわかるよ!」」

「思うに指揮者に究極のところ何が要求されているかといえば、技術もさりながら、「何か言いたいことを持っている」という点に尽きるのであろう。団員に自分たちだけでは到達できない何らかの啓示を与えられるかどうか。「この曲をこうやりたい!」というコンセプトと情熱。ちなみに「あいつは何がやりたいのかわからない」というのは、オーケストラ・プレーヤーがしょっちゅう口にする、指揮者に対する悪口の定番である。口で言っていることと、指揮棒でもってやっていることとが違う。テンポが練習の度に違う。何のためにその練習をさせているのかわからない等々。まったく指揮者というのは、よほどのカリスマか、さもなくばよほど鈍感な鉄面皮の自信家でなければ務まらない、こわいこわい商売である。」

 

 

かなり辛辣で厳しい指揮者という立場が浮き彫りにされていますが、(上)となっていますので、次号の(下)に期待です。「とはいっても…」という感じで、指揮者の役どころや指揮者が必要な理由を解き明かしてくれるはずです。

もしくは名指揮者たちが名指揮者と言われる所以などプラス面でも同じような具体的事例をふまえた話があるとおもしろいですね。そういった意味で次号も合わせて「指揮者」の話は完結すると思っています。

 

補足)
このコラムで例えや実話で出てきたオーケストラ団体は海外オケでした。どこのオケのことだろう?と思われるかもしれませんが。世界各国で活躍されている日本人オケ・プレーヤーはたくさんいますので。

また国内外問わずどのオーケストラでもあり得るお話なのかもしれません。久石譲が振っている楽団も?久石譲と楽団もそんな関係?いえ、久石譲は常任指揮者ではありませんので。久石譲の演奏会では会場ごとにその地域のオーケストラ楽団と共演することが多いです。

まあ常任指揮者であれ客演指揮者であれ、指揮者と楽団の円滑なコミュニケーションにより、最高のパフォーマンスを披露してほしい、そんな演奏会を期待します。

 

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第27回は、
マーラー作品の中の「永遠の憂情」

マーラー第5番の話をユダヤの思考にからめて進みます。それにしてもクラシック音楽の奥深さ、解釈の多様さや複雑さ。そういったものを最近のエッセイを読みながら感じます。

一部抜粋してご紹介します。

 

「マーラーの交響曲第5番を指揮したのは数年前に遡る。全5楽章、70分くらい演奏にかかる大作なので、スコア(総譜)は辞書並みの厚さだ。これを覚えるのか、と思うと随分プレッシャーがかかり、日々の作曲を終えて家に帰り、毎晩明け方まで勉強した事を思い出す。」

「第1楽章の葬送行進曲と第2楽章はとても関連性があり、この二つを一つに括ると通常の4楽章形式とも取れる。また第4楽章のアダージェットは映画『ベニスに死す』に使われ、甘美なメロディーと相まってとても人気があり、僕もこの曲だけ単独で何度も演奏した事がある。」

「初演の1年後に出版したがその後も4~5年かけて妻のアルマや後輩のブルーノ・ワルターの意見を取り入れ補筆あるいは加筆している。このことは前に書いているので省略するが、この出版ということが現代ではピンと来ないかもしれないので説明すると、20世紀初頭ではまだテレビやCD(レコードを含む)、DVDがなかったので、音楽を聴くためにはコンサート、サロン、オペラハウス、街角の辻芸人の演奏、ビアホールなどに出向くしかなかった。作曲家はそれらの場所の初演を目指し曲を書くのだが、その一回限りではなく、やはり多くの人にその曲の存在を知ってもらいたいと思う。」

「その場合が、出版なのである。まだ交通の便も悪く、今日のように情報が溢れているわけでもないので、多くの音楽家や愛好家たちは譜面を買い求め、楽器で演奏し、歌ってその曲を想像し楽しんだ。何だかとてもクリエイティブな感じがするが、今日ではそれが自宅でも聴けるCD、DVDに変わった。もちろん譜面の出版も行われているが、視覚(譜面を見て)から聴覚的情報に変換する作業より、直接聴覚に訴えかけるほうが手っ取り早いので多くの人はCD、DVDを楽しむ。もちろん演奏しようと思われる方は譜面を入手する。」

「とにかく譜面を出版するということは当時の作曲家にとってとても重要なことだった。いや、実は今でもそれは重要なことだと僕は思っている。」

「話を戻すと、マーターの本質は歌曲的な旋律にある。その旋律を複数、対位法的に扱うものだから、どっちが主旋律だかわかりづらい箇所も多い。しかも超一流の指揮者だったからオーケストラを知り抜いているため、トゥッティ(全楽器が鳴っているところ)でも各楽器に音量やニュアンスが細かく書かれている。だから何だかごちゃごちゃしているように見えるため、頭の中で把握しづらい。」

「また美しい旋律が朗々と歌ったかと思うと、小さい頃に聞いた軍楽隊のフレーズが現れ、突然オーケストラが咆哮したりで曲想がコロコロ変わる。そのため楽曲の構成がわかりにくいとされる。中には思いついたことをそのまま書いているだけじゃないか、と毒舌を吐く人もいるのだが前回書いたとおり、意外に伝統的なソナタ形式を踏まえている。」

「その「ほとばしり出る心情」を僕はちょっと持て余した。作曲家的分析だけではとても理解できない何かがあった。見方を変えて徹底的に旋律を歌わせる方向でその時は乗り切ったが、腑に落ちない部分も多かった。むろんこのような大曲は何度も振ってみないと、およそ表現に至らないのだが、それでも何か大きく引っかかるものがあった。」

「しばらくして、内田樹氏の『私家版ユダヤ文化論』や養老孟司先生の著作に触れ、「ユダヤ的なもの」に興味を抱いた。その時わかったのである。あのえも言われぬ感情は一作曲家のものではなく、連綿と続くユダヤ人独特の感性なのだと。その「永遠の憂情」のようなものは、崇高な理念とやや下世話な大衆性(エンターテインメント)が同居し、あるいは瞬時に入れ替わって複雑なプリズムを生む。単眼的な視点ではなかなか理解できないのだが、複眼的に彼のバックボーンなども考え合わせると、わかるのではなく、納得する。あるいは腑に落ちるのである。マーラーに多くの指揮者がはまるわけである。この崇高な理念と大衆性はメンデルスゾーンの作曲した楽曲にもあり、バーンスタインにもある。」

「あの時、それがわかっていれば。今更言ってもしょうがないのだが演奏は間違いなく変わっていた。まあ、人生ってこういうものだと思い直し、次回に期す今日この頃である。」

 

 

クラシックプレミアム 28 ピアノ名曲集

 

Blog. 「久石譲 大阪ひびきの街 スペシャル・コンサート」 コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/1/28

「大阪ひびきの街」誕生を記念して委嘱された「大阪ひびきの街 オリジナルテーマ曲 『Overture -序曲-』」。祝典序曲にふさわしい6分に及ぶ圧巻のフルオーケストラなのですが、残念ながら記念コンサートや久石譲自身のコンサートで数回演奏されたのみでCD化はされていない未発売曲です。どういう企画とコンサートだったかというと、当時のWeb記事よりご紹介します。

 

 

「大阪ひびきの街」市民参加演奏イベント-音楽家・久石譲さんが指揮

オリックス不動産(東京都港区)など4社は7月29日、大阪・西区の新町北公園(大阪市西区新町1)とオリックス劇場(同)で音楽家の久石譲さんの指揮による市民参加演奏イベント「大阪ひびきの街 スペシャルコンサート」を開催した。

今年4月にリニューアルオープンしたオリックス劇場と、それに隣接する超高層タワーマンションで構成される街区「大阪ひびきの街」の誕生を記念したもので、同区を文化発信拠点として、地域と一体となって盛り上げることを目的に開いた。

指揮を務めたのは宮崎駿監督作品の音楽などを担当する久石さんで、日本センチュリー交響楽団や一般公募により選ばれた約500人が演奏を行った。

メーン会場の劇場とサブ会場の公園を中継映像でつなぎ、サブ会場にいる演奏者はその映像を見ながら、久石さんが作曲した「ひびきの街」のテーマ曲などを披露した。

(なんば経済新聞 2012年8月1日付 より)

 

 

 

そんなスペシャル・コンサートにて配布されたコンサート・プログラムより、久石譲のメッセージをご紹介します。

 

 

- ご挨拶 -

旧大阪厚生年金会館は、1968年(昭和43年)の誕生以来、大阪を代表するホールとして、数々の国内外のアーティスト達が演奏活動を行ってきたホールです。当時より、アーティストにとって大切な活動の場の一つであったと受け止めていますが、閉館時には、一時16万人をも超える地域の方々のホール存続を求める署名活動が行われたとも聞いており、それだけ地元の方々の思い入れが強く、地域にとっても大変意義のある音楽施設であったと思います。今回、リノベーションを経て『オリックス劇場』としての復活を果たし、53階建てて超高層タワーマンションと一体となった新たな街区として、再び皆様に音楽に親しんでいただけるエリアが生まれること、そして、それを記念するイベントに指揮・作曲という形で参加できるということは意義深いものだと考えています。今回のイベントを通じ、地域の皆様と音楽を通じてふれあい、大阪の音楽文化の新たな活性化につながる機会となることを願っています。

 

- Overture -序曲- の由来 -

新街区の誕生を記念する祝の序曲として作曲しました。新しい街、暮らし、人々が交わり響き合う”交響都市”をイメージしています。

(久石譲 大阪ひびきの街 スペシャル・コンサート コンサート・パンフレットより)

 

 

大阪ひびきの街スペシャルコンサート

[公演期間]
2012/7/29

[公演回数]
1公演(大阪 オリックス劇場)

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:日本センチュリー交響楽団

[曲目]
第1部
指揮:福里大輔
吹奏楽:箕面自由学園高等学校吹奏楽部

和田信/行進曲「希望の空」
R.シュトラウス/「アルプス交響曲」より (編曲:森田一浩)
高島俊男 編/「シャンソン・メドレー ~モンマルトルの小径~」

第2部
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:日本センチュリー交響楽団

久石譲/Overture-序曲- (大阪ひびきの街 オリジナルテーマ曲)
R.ワーグナー/歌劇「タンホイザー」序曲
O.レスピーギ/交響詩「ローマの松」

アンコール
久石譲/ One Summer’s Day (映画『千と千尋の神隠し』より)
久石譲/Symphonic Variation ”Merry-go-round” (映画『ハウルの動く城』より)
久石譲/Overture-序曲- (大阪ひびきの街 オリジナルテーマ曲)

 

 

 

このスペシャルコンサートの模様は後にCMとしても起用されました。オリックス不動産株式会社のプレスリリースでは、CMカット集(画像)やイベント当日の様子(画像)やエピソードをPDF計8ページにて閲覧可能です。

こちら ⇒ 大阪ひびきの街 ザ・サンクタスタワー CM プレスリリース

 

 

以下、要点のみ抜粋紹介。

 

オリックス不動産株式会社(本社:東京都港区、社長:山谷 佳之※以下、オリックス不動産)他 4 社は、2012 年 8 月 25 日(土)より、西日本最大級となる地上 53 階建て、高さ約 190m、総戸数 874 戸の超高層タワーマンション「大阪ひびきの街 ザ・サンクタスタワー」のテレビ CM(15 秒・30 秒)を近畿 2府 4 県にて放映します。

本 CM は、2012 年 7 月 29 日(日)に開催された、音楽家・久石譲氏指揮による約 500 人の市民参加演奏イベント「大阪ひびきの街 スペシャルコンサート」の模様を収め、当日のダイナミックで臨場感溢れる、久石氏と一般楽団員の 1 日限りの共演の様子をお届けします。

「大阪ひびきの街 スペシャルコンサート」は、大阪厚生年金会館跡地の文化発信拠点として、新街区「大阪ひびきの街」の誕生を祝うために開催されたイベントです。当日は、久石譲氏により作曲された「大阪ひびきの街テーマ曲 Overture-序曲-」を、オリックス劇場で日本センチュリー交響楽団が久石氏指揮のもと演奏、劇場に隣接する新町北公園では真夏の陽差しの中、一般公募で選ばれた約 500 人が中継映像の久石氏の指揮のもと同時に演奏しました。

「大阪ひびきの街」は、16 万人を超える存続署名活動があった大阪厚生年金会館跡地に『オリックス劇場』(今年4月8日リニューアルオープン)と、西日本最大級の超高層マンション『大阪ひびきの街 ザ・サンクタスタワー』(地上 53 階・高さ約 190m・総戸数 874 戸)で構成される新街区です。本街区の名称「大阪ひびきの街」は、今年 1 月 16 日から約 1 ヵ月半に渡り実施した一般公募により、応募総数 3,067 通の中から決定しました。

「大阪ひびきの街 スペシャルコンサート」の模様を『大阪ひびきの街 ザ・サンクタスタワー』のCM 素材として活用することで、「大阪ひびきの街」に暮らす楽しさと本物件のスケール感をお伝えします。

 

【久石 譲氏の感想(イベントを終えて)】
「(一般楽団員の)500 名のみなさん、本当にいい演奏でした。素晴らしかった。(一緒に演奏した)日本センチュリー交響楽団も素晴らしいオーケストラで、一生懸命やってくれました。オーケストラは文化です。参加してくれた人たちが、その文化をこれから応援していく人達ですが、みんなで盛り上げていければいいなと思います。」

 

【一般楽団員の感想(イベントを終えて)】
世界的な音楽家である久石譲氏ご本人による指揮のもと演奏に参加できた喜びと、大勢の方達と一緒になって演奏することの一体感や、普段なかなか機会の無い真夏の屋外で演奏することの解放感など、貴重な経験ができたとの声が多く聞かれました。

「久石さん指揮のもと、こんなに大勢で、しかもこんなに暑い日に演奏をする経験はなかなか無いので心に残る一日でした。」

「少しの人数でも、たくさんの人と一緒に一つのことができる、しかも真夏に演奏することは、なかなか無いので貴重な経験でした。」

「緊張したけれども、憧れの久石先生の指揮で演奏ができて楽しかったです。初対面の人達の中で、いろんな方面の方達と演奏できていい経験になりました。心が一つになれたんじゃないでしょうか。」

 

【「大阪ひびきの街テーマ曲 Overture -序曲-」について】
新街区の誕生を記念する祝いの序曲として作曲いただきました。新しい街、暮らし、人々が交わり響き合う”交響都心”をイメージしています。

 

【イベントエピソード(現場スタッフメモ)】
① プロジェクトスタート時から雨天の場合はどうするのかの議論が繰り広げられていました。荒天の場合は中止という危険性を伴いながらも、ただひたすら好天を願い、スタッフ全員が祈る気持ちで本番当日を迎えました。雨天に備え、大型テントのスタンバイも開催当日のギリギリまで準備していましたが、幸いにも好天に恵まれ、イベントを大成功で終えることができました。

② 実施日程が決定した当初から、真夏の屋外イベントの為、熱中症などの危険性を想定していましたが、想像を遥かに上回る猛暑日が続いていたため、本番の2日前から、水や、熱中症対策グッズの追加発注など、万全の暑さ対策を目指しました。一定時間で休憩を取っていただくローテーションも組んだことにより、重い熱中症症状の方も出ず無事に終了しました。思い思いの楽器を手に集まった一般楽団員の皆さんが、強い陽射しの下であるにも関わらず、良い演奏をしようと、休憩時も水分を補給しながら休まず練習に励んでいらっしゃる姿に、その場にいたスタッフ全員が心を打たれ、本番終了時には感動で涙ぐむスタッフもいました。

③ 一回限りの本番撮影となる為、チャンスを見逃さず、できる限り多くの素材を集めるために、撮影用カメラは記録用カメラを含め総計 20 台(スチール含む)にも及びました。

④ 公園の蝉の鳴き声で演奏の音が聞こえなくなるのでは?という懸念があり、蝉対策を迫られました。本番時にあまりにも鳴き声がうるさい場合は、虫取り網で追い払う等の対応も真剣に検討していました。本場 2 週間前のロケハンでは、公園内の木々に蝉が殆どいなかったため安心していたのですが、前日の設営時には蝉の鳴き声が非常に大きく、本番時の撮影を心配しました。しかしながら、本番の時間帯はなぜか蝉が鳴くことは殆ど無く、撮影に影響しなかったため安堵しました。蝉もイベントに協力してくれたようです。

⑤イベント開催が主体ですので、 1日限りのイベント風景を撮影してCMにするという、通常のCM撮影とは異なる全体進行に、想定外のことも多く発生しました。イベント当日も、一般楽団員の参加グループが予定より早く会場に到着するなど、参加者が多いため、撮影を調整することが大変難しく、困難を極めました。また、公園内のイベント進行係員の他に、楽器別の音楽演奏指導員を 20 名近く配置し、参加者が演奏しやすい環境を作り出すのに注力しました。その結果が素晴らしい演奏につながったと思います。

⑥当日のサブ会場(新町北公園)には、イベント開始直前に久石さんがサプライズとして登場。「お暑い中、集まっていただきありがとう。すごい練習したの?せっかくだから一回聞かせてもらおうかな。」と、突然の演奏リハーサル。演奏を聴き終えて、「すごい!!頑張って一緒にやりましょうね。すごい元気をもらった気がする。頑張ろう!」と、誰もが予想していなかった展開に、会場は一気に盛り上がり、皆のテンションも更に上がった様子でした。

(以上、オリックス不動産 プレスリリースPDF より)

 

 

また2012年9月12日付産経新聞にも久石譲インタビューが掲載されていました。すでに紹介していますので、興味のある方はこちらもあわせてご覧ください。

こちら ⇒ Blog. 「Overture -序曲-」 久石譲 新聞掲載インタビュー

 

大阪ひびきの街コンサート